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108以外質疑応答【21】

1114もぎりの名無しさん:2023/05/16(火) 15:58:21 ID:1ulR0p4w0
>>1107
最初はそんな感じだし、別に思考が沸いても問題はないぞ
思考感情は通過していくものだしその時不快感を感じても全く問題ない、消そうとするから対象の思考をより強化して苦しいんじゃないかね
思考を「止めよう」はコントロールしようとしてるし、「こんな思考があったんだ」も思考をどうにかしようとエゴが頑張っているだけかもしれない。
そうでなく、どんな思考があってもいいとあるがままに流すんじゃよ
(108さんの痩せなくても構わないメソッドもこれと同じだと思う。)

>>1109
ちょっと難しいかもしれんが、
物質もだけど思考を観察するには観察者という存在がいなければ成り立たないんだけどそれが本当の自分。そしてこれは見つけることが出来ない。
何故なら観察「対象」と「観察者」は一緒にはならないから。本当の自分は観察対象にはならない。(この意味では肉体すら自分でない)
ただ自分自身なので気付いたり体感したりすることはできる(多分これ表現する言葉としては不適切だけど他に言葉が思い浮かばない)
そこに留まる、実感するってのが瞑想や自己観察の目的。でそここそ別の領域。
言葉にすると強すぎるけど「この思考を感じるにはわたしという存在・土台がないと成り立たないんだよなぁ」と前提にして思考を観ているだけって感じ。

>>1111
ということで「沸いても苦しくても本来の自分(願望実現)とは関係なかった」という感覚になるんじゃな。
「思考に対して二の矢を打たない」というのもこれに近い。
さっき言った別の領域(観察者)に留まるっていうことは何の観念や制限にも囚われてない場所にいることになるので
ここに居る事で徐々に制限が無くなって来るてこった。そして全ては今ここで叶っていると気付くんじゃよ。

一生懸命やってるみたいだけど何に対して一生懸命なのか考えてみ。強化されてるのはその対象。
気楽にやるってのは上手く瞑想できなくても構わない、思考が止まらなくても構わないって事じゃよ。


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