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108以外質疑応答【14】

33410 ◆99SX2ntoKE:2016/03/20(日) 15:22:11 ID:qRca6Aow0
続きです。

話は変わりますが 人間万事塞翁が丙午という言葉があります。
骨折したけど結果、戦場に行かなくて済んだというやつです。
結果良かったというやつですね。こういった掲示板でもよく見かけ、引き合いに出されていますね。

望んでいないことが起きても任せておけば結果 良い事になっているということです。

しかし、多くの方が「望んでいないこと」は起こってほしくないと思っています。
ごもっともです。でも「望んでいないこと」はアナタが望んでいないことと思っているだけということです。

「えっ?骨折したんですよ? 骨折、望んでいたんですか?」

ごもっともです。
あくまで骨折は「出来事」の一つに過ぎません。
人によっては骨折したあとは骨が強くなるって聞いたな!って言う人もいます。

また、人によっては本当に自ら折る人もいるかもしれません。いないとは言えないでしょう。

ただ自ら折ってギプスして生活に支障が出てまですることかといえばいかがなものでしょうか。
それを考えれば いくら強くなると言ってもスポーツ選手なら普通に五体満足で試合に出たほうが効率が良いのではないでしょうか。

話を戻すと、骨折も「出来事」の一つに過ぎないと。
で、その「出来事」に対して「感情」が出てくる。今までの流れで言うと「感情」を関連付ける。
骨折なので「哀」としましょう。
で、出てきた…関連付けてしまった「哀」ですが しょうがないですよね。
で、この「哀」ですら捉え方によっては結果良かったとなるということです。
でも、捉え方によっては更に深い「哀」も有り得るということです。

なぜなら、我々はどちらも選択できるからです。

人によっては骨折を「全てが台無しだ!」とするかもしれないし、人によっては「良し!新たなボディが手に入るぞ!」とするということです。

某サッカー選手が「新たなボディが…」と、言ったとか言わないとか。

なので、喜怒哀楽はどれを感じても結果 良かったとなるということです。
で、「怒」「哀」も感じてもイイということです。
喜怒哀楽は全て楽しむためにあると思っています。
「怒」と「哀」は、「今、怒っているな」と認めることができれば幸いかと思われます。
結果、観察できる位置に立てば楽しむこともできるかと思われます。

ただ、時に「楽しむ」という言葉も受け入れられない状況もあるかと思います。
災害などがそうかと思われます。
そういうときは無理して楽しもうとかしなくていいかと思われます。もちろんしてもイイですけど。
そして、そういうときは自分に問いかけてみるのも一つかと思われます。

時間が掛かるかもしれませんが それでもやはり何かしらの「良い結果」に辿り着くかと思われます。
時間が掛かった過程はいずれどこかで役立つかと思われます。


ちょっと整理しきれませんでした(汗)


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