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上海雑伎団スレ【第六十幕】
525
:
栄
:2015/07/07(火) 12:16:46 ID:QKzTeJO20
>>521
>そういう目線から見てもチケットや引き寄せの法則などは説明がつくように思い、確信に変わってくると奇跡が起きることへの抵抗やブロックが薄れていきました。
奇跡は起きても不思議ではない。という具合に。
そうですか…やはりいかに確信を得るかというのがコツっぽいですね。
エロ天国さんというコテさんは引き寄せ→クリーニングを経て「神」と出会うことにより全ての根本は愛だと確信したところから現象化が加速したようなことを書いていました。
今ちょっとできたりできなかったりなんで、こうゆう語りをしてみたかったんです。
すべては内面の投影であり、起こる出来事は自分が決定している。
ということで言えば、確信とは決定の度合いだと思います。
深いレベルで決定していればそれは起こる。
そしてそのときの感覚は確信している感じ。
確信していればそれが起こるかどうか後から考えたり気にしたりはしない。
後から振り返ってみても、確信があることは叶った。
で、なぜ「既にある」と確信していると願望が叶いまくるのか。
俺個人の経験から言うと、深いレベルで決定できない状態のときは必ず周囲とのバランスを考えていること。
つまり、自分以外の存在を当たり前のように認め、彼らがどう思うか考えてしまっている。
しかし、やどりぎさんの引用で、
>つまり『何もない』=『既にある』=『世界=自分』
ということを確信していると、すべては自分、自分の決定こそが世界を決めている、と感じるので、自分の決定に葛藤がない。
だから当然のように深いレベルで決定を下すことができる。
これはよく例えられる明晰夢を見ているようなもの。
ホポノポノのヒューレン博士が犯罪者を癒すことができたのも、ヒューレン博士の認識レベルが自分=世界のところまで行っているからだと思う。
彼は起こっている出来事や世界に100%の責任を持つと言っている。
それはまさに自分=世界という認識を持つこと。
しかし、深いレベルでの決定とか、自分=世界の確信とか、言葉で言ってみても空しいことには変わりない。
そこがもどかしいところです。
なお、現代物理学や量子力学と関係あるか分かりませんが、ようやくリアトラを読もうと思うようになりました。
独り語りですが、何かあればよろしくお願いします。
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