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上海雑伎団スレ【第六十幕】

1173もぎりの名無しさん:2016/07/03(日) 00:55:11 ID:.4sjop1o0
>>1170
考えていて楽しいことなら、思考で対応していても良いと思います。
でも考えても苦痛なだけという事に関しては、神様でも別の領域でもいいですけど、任せてしまうのが一番いいと
思いますよ。精神的に楽だという意味で。自分の気持ちを苦痛に追い込む事に何の意味もありません。
結局は「そこ(別の領域)を信頼できるかどうか」がカギです。

ここから話が回り道になります…。
達人と言われる人には、(私の勝手な分類ですが)大きく2種類いらっしゃる気がします。

一つは極限状況で強制的に別の領域に浸らざるを得なかった人。あまりにも追込まれた状況が過酷でエゴが全精力を
傾けても活路は0%という局面におかれ、エゴが完全に力尽きて仮死状態になった結果、偶然にも意識が別の領域に
ジャンプした人達です。
別の領域が事態に整理をつけ、やがてエゴが仮死状態から息を吹き返す。そして「あのとき自分に起きたことは何だった
のか?」を振り返るなかで、そのうちの何割かは達人と呼ばれる一種の境地になるのだと思います。

で、もう一つが「別の領域への信頼を深め、親しみ、徐々にその性質と一体化していく」ことで達人となる人達です。
雷に打たれたような劇的な気づきは経験していないが、気づいたらすべては満たされていた、というような感じでしょうか。

スピリチュアルなメソッドで問題解決を図ろうとする人は、後者を目指すのが平和だと私は思っています。
そのためには、そこ(神様なり別の領域なりソースなり、呼び名は何でも)に触れる機会を少しづつ重ねて、そこに居ていい、
そこを信頼していい、任せていい、そんな感覚を醸成していくほかないんじゃないか、という気がしています。
だから、焦らずに少しずつでもいいので、別の領域に馴染んでいってみて下さい。

他の方も色々コツを書いて下さってますが、私からも少し。(あくまで私の場合。囚われないで下さい。人それぞれです)
「思考を介さず、五感を好ましいものに対して開く」と、私の場合は「そこ」に入るというか、繋がった感じがします。

具体的に言えば、おいしいものを食べる。つまり食べ物に対して、味覚を開く。細かい分析は横に置いて
「(ウマー。。。溶けそう。。。)…」みたいに浸る。
好きな石を見る。石に対して視覚を開く。「(光が。。。深い。。。吸い込まれる。。。)」みたいに浸る。
本当はこういう言語もほぼ無くて、ただ魅了されているだけですけど、イメージとしてはそんな感じです。

ID:n4AjdEWw0さんのお風呂の話も、お湯の温かさや浴室の蒸気の感触に触覚?を開いているとも言えるかも知れません。
好ましいものを対象にして、五感のどれかに意識を持っていって、その感覚を全開にする。
考え事は置いといて、感覚をめいっぱい堪能する。
我々は普段、五感にすら無意識に制限をかけてますが、自分の好きなモノに対してならそのリミッターを外しやすくなります。
ごく狭い領域でもいいので、制約を外し、ガードを外し、無防備に意識をオープンにする時、何かと深く繋がる感覚があります。
別の領域にどうにも入れない時、試しにやってみていただけたらと思います。


>>1171
どうでしょう、判りません。でも我々が理解できるかたちでは解決できないことは、割とあるのではないでしょうか。

ただ、別の領域に浸ってると、問題が気にならなくなるとは思います。
そして問題が気にならなくなると、解決できるかどうかも気にならなくなるかも知れませんね。

何かについて「それは問題だ!」と叫ぶのはあくまでエゴですからね。
別の領域から見れば、その何かはそもそも問題ではなく、故に解決する必要もない、むしろそのままにしておかないと
後々余計にこじらせてヒドくなってしまう、そういうこともあるように思います。


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