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上海雑伎団スレ【第六十幕】

1158もぎりの名無しさん:2016/06/30(木) 00:04:35 ID:.4sjop1o0
>>1156
別の領域に触れても、すぐに「既にある」が判るということではないです。
人によって捉え方は違うかも知れませんが、私が言う別の領域はごくありきたりの状態で、特にスペシャルなものは何もないので。
そこの質になじんでくると、そこから色々気づくものはあるでしょうけど。

別の領域自体は、私はある程度意識的に感じようとしてますね、未熟なもので。正確に表現すれば感じるというより「思い出す」って感じですかね。
自分の鼻を見る、みたいなもので、いつでもそこにあるし見えてもいるけど、何かの目的意識や思考に引っ張られている時には全く忘れ去られて
無いに等しくなってしまうというか。

そこ(いわゆる別の領域)は、思考からすれば落ち着かない場所なんですよ。
「何かをやろう、とはしてない」、「何かを理解しよう、とはしてない」、「どこかに行こう、ともしてない」状態、もっと言えば「特に何も手にしてないけど、
何も腑に落ちてないけど、何も解決してないけど、このままでずっといることを受け入れます」みたいな感じですから、思考の立場からしたら
とんでもない、冗談じゃないって話ですからね。そんなのとつきあってられない訳です。何かしないともう居ても立ってもいられない、的な。

その時に何かバックボーンとなる考え方があるかないかで、そこ(別の領域)に対する認識というか向き合い方が結構違うんですね。
この認識がないと、だいたいの人はあっという間に思考に乗せられます。「こんなことしてる場合じゃない!もっと何か手を打たないと!」となって
イライラ、キリキリ、ビクビクの日常に巻き込まれていくだけです。

しかし、別の領域という概念を知っていて、なおかつ信頼できていれば「こんなことしてる場合じゃない!‥と、エゴが大騒ぎしてるな‥エゴも
エゴなりに存在意義の主張に必死なんだなー」「でも、私はもう少しここにいる。ここが私の本来の居場所だから」と認識を切替える事がしやすく
なるんですよね。

瞑想とかもそうかも知れませんが「色々あるけど、全部棚上げして静かにしてる、心や体を停止させる」ことは、凡人には容易ではない。
その容易ではないことを、「これが瞑想だ」「そこが別の領域だ」と定義して、「得体の知れない、訳のわからん、ケツのむずがゆいことだけど、
それでOKなのだ!」というお墨付きがあるだけで、だいぶんやりやすくなってるのではないかと思います。


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