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上海雑伎団スレ【第六十幕】
1154
:
もぎりの名無しさん
:2016/06/29(水) 01:58:19 ID:.4sjop1o0
>>1148
別の領域が判らないって事は、それが誰であれ、まずあり得ないと思うんですよね。意識化してないだけで、誰でも知ってるものです。
「別の領域には安心感や至福感がある」っていうのは、何というか、ある一方向からの説明なんですよ。
間違ってないんだけど、そういう安心感や至福感のある領域がどこかにあって、そこに辿り着こうとかいう話じゃない。
安心感、無の静寂って、常に誰にでもあります。ただ、普通は気づかない。
何でかっていうと、何かをしよう、どこかに行こう、何かすることないかな、何か忘れてないかな、と思考が動いているからです。
こういう思考の動きがなくなると、その背景というかベースには、ずーっと安心感や静寂みたいなものが常時存在してますよね。
そういう万人共通のクセに対して、何かしなくてもいい、どこか行かなくてもいい、何か忘れててもいい、理解できないものがあってもいい、
そういう事を端的に「別の領域に浸る」という一言で免罪してるという、そういう説明も出来るのです。
別の領域は目指す場所とか辿り着く場所ではないんです。
逆に「目指すことや探すこと、理解することを全部やめたら、実は最初から目の前にありました」っていうもの。
つまり「出来ない、判らない、やってない、それを全部うっちゃっておいて構わないから、安心してくつろいでいいんですよ、充足感を感じて
いいんですよ、悩みを止めても困ったことにはならないから安心して心を静寂にして下さい、それで大丈夫です」ということを、端的に
「別の領域に浸っていれば、それだけで十分」みたいに表現してるのです。
出来てても出来なくても、判っても判らなくても、叶っても叶わなくても、達成してもしなくても、今の自分のままでダイレクトにくつろぐ。
判ったらくつろぐではなく。出来たら安心するのではなく。叶ったら喜ぶのではなく。達成したら安堵するのではなく。
それを「是」とするための概念が「別の領域」と言えます。ちょっと自愛とも似てますね。
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