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上海雑伎団スレ【第三十七幕】
488
:
光葵
:2011/01/29(土) 12:59:36 ID:M9N7WZ5w0
「二つの対立した極端にとらわれるな。さらに中(ちゅう)にも
とらわれるな」という教えが仏典に出ているんですね。肝心要
のところにピタッと当たるということが中道の精神なんです。
例えば、琴を弾かれる方、或いはギターを弾かれる方、バイオ
リンを弾かれる方、みんな糸の加減というものが大事でござい
ますね。それも緩くても音はよく鳴らないし、或いはきつくて
もいい音は出ません。三味線を弾く方が強く弾いたり、弱く弾
いたりしている時に、その都度弦を緩めたり、強くしたりして
いる。あの加減はみんな緩急自在を心得て、それはもう目盛り
で計っていませんものね。音を聞きながら、撥(ばち)で弾き
ながら糸の堅さ緩さを手加減がちゃんとするんですね。その微
妙なものは、決して言葉では表現出来ない。目盛りで表現出来
ない。それを言っているんですね。仏典に有名な言葉で、「糸
を強く張るといい音が出るか」と言うと「出ません」。「緩く
するとどうだ」と言うと、「出ません」。じゃ、「丁度よいと
ころ、中であればどうだ」と言ったら、「よく出ます」と言う
ね。
執着をしますと、自由を失うんですね。それに〈拘り〉という
のがよくありますが、〈拘る〉ということは〈我を忘れること
〉になるんですね。〈我を忘れてしまうような拘りというのは
あってはならない〉んです。つまり、快楽も欲に振り回される
というから、「欲を捨てなさい」とは言っていないんですね。
〈欲がなければ生きていけないんですが、欲がものに振り回さ
れて、それにとらわれるとそれはいけない〉わけです。と言っ
て、欲を捨ててしまう為にこの身体というものを苦行によって
苛(さいな)んで亡くしてしまうことも、また良い生き方ではな
いんですね。だからこの身体というものをバランスよく維持し
ていくということの為には、快楽というものの極端を離れて、
苦行という極端を捨てなさいというところが「中(ちゅう)」、
いわゆる〈適正な、中正な道の歩み〉ですね。ですから、何で
もやっている時は執着ですから、それに一生懸命になるわけで
すけれども、一生懸命になることはいいんですよ。一生懸命に
なることはいいけれども、つまり「周りが見えなくなるように
なってはならない」んですね。執着するというのは得てしてそ
ういうことを言っているわけですね。「中道に生きる」とは、
〈自分を忘れさせるような、自分というものを見失わせるよう
な、そういうものにとらわれて、いわゆる妄執に引っ張られる
ようなことがあってはならない〉ということですね。だから〈
極端なものに心を奪われてはならない〉。〈極端というのは自
分を忘れさせるもの〉です。
http://www.geocities.jp/kytyparis/kyty9.html
______________________
中道、まあ、ニュートラルね^^
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