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上海雑伎団スレ【第三十七幕】
487
:
光葵
:2011/01/29(土) 12:54:51 ID:M9N7WZ5w0
悟りに至る道-中道
釈迦がガンジス河のほとりを歩いておられた時、ひとりの修
行僧が地に手をついて、いいました。「お釈迦さま、お願い
がございます。どうぞ私に安らかな涅槃に至る悟りに至る道
をお説きください。」すると、釈迦はカンジス河を指さして
いいました。「修行僧よ、あそこに一本の木が流れていくの
が見えますか」「はい、見えます」「あの流木が、こちらの
岸にも、向こうの岸にも流れつかず、中流で沈むことなく、
中州にのり上げることもなく、人や動物によって持ち去られ
ず、渦に巻き込まれず、腐ることなく、流れ流れていくなら
ば、どこに行きつくでしょうか」「いつか海に出ます」「そ
うです。ガンジス河の流れは海に流れこむようになっている
のです。修行に励む者はあの流木と同じです。そして、正し
い修行の道はこのガンジス河と同じなのです。修行僧よ、こ
ちらの岸とは私たちの目や耳や鼻や舌などのこと。向こう岸
とはその対象となる色や音や香りや味などのことで、岸に流
れつかずとは、それら感覚にとらわれないということです。
中流に沈まずとは、欲望や快楽におぼれないことであり、中
州にのり上げずとは、日常の自分に安住しないということで
す。人に持ち去られずとは、恩愛の家庭や社会のつながりに
しばられないということ。人以外のものに持ち去られずとは
、かたよった信仰・思想・正義に固執しないということです
。渦に巻きこまれずとは、道を見失わないということであり
、内側から腐らずとは、純潔を守らない見せかけの修行僧に
ならないということです。修行僧よ、この流木のように何ご
とにもとらわれず、とどまることなく歩んでいきなさい。そ
うすれば、やがては大いなる涅槃の大海に入ることができる
でしょう。 これが悟りに至る道です」 修行僧は、修行の道
とは、仏にすべてをまかせた道であると知って勇気をおこし
、必ずやこの道を進もうと心に誓ったのでした。
つづく↓
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