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上海雑伎団スレ【第三十七幕】
447
:
光葵
:2011/01/27(木) 00:52:41 ID:.02IfImA0
禅語は読めば読むほどスルメの様に味が出てくるね^^
http://www.jyofukuji.com/10zengo/00asahi.htm
自灯明・法灯明 <涅槃経>
自らを灯とし 法を灯とせよ
「自灯明・法灯明」は、釈尊が入滅される前に弟子に示された最後の教えだといわれる。
「他者に頼らず、自己を拠りどころとし、法を拠りどころとして生きなさい」ということである。
「自己を拠りどころとし、法を拠りどころとせよ」
とは、釈尊の死が間近であったときに、師が亡くなったら、何に頼ればよいのか
と嘆く弟子のアーナンダに対して諭された言葉である。
弟子のアーナンダにとって、常に寄り添い仕えた、釈尊は
教えの導きの師であり心から頼りとする偉大なる師であった。
その師が亡くなってしまったならば、そのあと自分は、
誰から教えを受け、どうやって生きていったらよいのかと、
彼は途方に暮れてしまうのも人間感情としては仕方がない
ことである。
だがアーナンダの問いに答えて、「私や他者に
頼ってはならない。自己とダルマ(理法)を拠りどころと
せよ」と釈尊は説かれた。
ここで「法灯明」ではなく「自灯明」が先に来ているのは、お釈尊自らが
説いた法ばかりを頼らないで、まず「自分自身を拠り所にしなさい」である。
*「法」を頼りにすることは、外部の決まりごとに従えということであるが、
ただ、法に従うことにのみ忠実になってしまって、法の奴隷になってしまう
ことの無いように「己こそ己のよるべ」ということである。
先にこの欄で取り扱った「随処に主となる」の語と
「仏陀感興のことば」にはこの世では自己こそ自分の主である。
他人がどうして〈自分の〉主であろうか。
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