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【高速】108質疑応答代行【対応】8
145
:
もぎりの名無しさん
:2010/11/12(金) 04:33:15 ID:AZMMD3eg0
超早起きした〜
>>101
>>104
です。
>>105
さん
>起こってからでも、逐一選び直せば良いのかな?
うん、何度でも、選び直せば良いと思うよ〜
「何度でもOK」って思うと、すごく気が楽になりました、私は。
(苦しみや恐怖や不安を感じている自分を)「認識する」→次の瞬間に、新たな自分を「選ぶ」
この繰り返し、これを意識して、これを気の済むまで何度でもやっていいんだ。
何度でもOK、ってことは、うまくできなくても大丈夫、ってこと。
>でも、出来れば彼の事で動揺しない日常が欲しい(会社を辞める以外の方法で)。
「彼の事で動揺しない日常」=「彼の事で動揺しない自分が生きる日常」
これを手に入れるためには、まず「動揺してる自分」に気づけばいい。
動揺、不安、恐怖、痛み、苦しみ、なんでもいいけど、そういうものを感じている時って、
その感情だけでいっぱいいっぱいになっちゃってる。それで満たされてる、というか。
でも、「そんな自分」がいる、ということに気づくと、「それを体験している自分」と、「その自分を認識している自分」
この両者がいることになるでしょ。いっぱいいっぱいになっちゃった自分ではなくて、スペースが生まれる。
「見る自分」と「見られている自分」になる。
「見る自分」にとっては、「見られている自分」はもう過去の体験なんだ。
だから本当は自由なんだ。見る方の自分は、本当は自由だから、新しい自分を選べる。
うまくいかなかったら、もう一回、「うまくいかない自分」に気づいて観察すればいい。
「観察している自分」は、やはり「うまくいかなかった自分」とは違って、もう自由だから、新たに選び直せばいい。
なんか安直だけど、これ、楽になります。
>>107
=
>>109
さん、
>>110
さんにはisaさんからレス付いてるからもう私からは蛇足かな、と思ったけど続けるw
>>110
「属性を与えない」という話
>っていうか悟りの境地でしょそれ。
「悟りの境地」、私これ読んでエックハルト・トール思い出したw
ていうか、私が↑で書いたこと、実は『ニュー・アース』に書いてあった。
まぁ、しんどくなった度に『ニュー・アース』読み返してたらだんだんできるようになってきたんだけど
ある意味、「悟り」なんだと思う。
でも、一部の聖者と覚者とかだけが到達できるような悟りじゃなくて、エックハルト・トールが説いているような、
誰でもその度ごとに得られる気づき、みたいな悟りなんじゃないかな。
手元に『ニュー・アース』あるからちょこっと引用してみますね:
「自分が考えていることに気づいたとき、気づいている意識はその思考の一部ではない。別の次元の意識だ。」
「何に自分を同一化していたにせよ、何が自分自身という意識を与えていたにせよ、それが奪い去られた。
そこでなぜかわからないが、当初感じた苦悶や激しい恐怖に代わって、ふいに「いまに在る」という聖なる意識、
深い安らぎと静謐と、恐怖からの完璧な自由が訪れる。」
「もはや同一化する対象がなくなったとき、あなたはどうなるか?まわりの形が死に絶えた、
あるいは死にかけたとき、あなたの「大いなる存在」の感覚「私は在る(I AM)」という意識は形の束縛から解放される。
物質に囚われていたスピリットが自由になる。あなたは形のないあまねく存在、
あらゆる同一化に先立つ「おおいなる存在」という真のアイデンティティの核心に気づく。」
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