したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

上海雑伎団スレ【第三十幕】

45 ◆DAZEwQAkb.:2010/08/23(月) 11:22:31 ID:JQ/auSvg0
>>32
(´・ω・`)ノただいま

またちょと出かけるので少し書いておくのだぜ。
なんか離れたり近づいたりを繰り返すというのを聞いて、わしはふと山手線を思い浮かべたのだぜw
山手線も目的地で下車せず乗り続けてしまっておったら、ただ目的地に近づいたり離れたりを
繰り返すだけなのだぜw
でだ、別におまいを疑うわけではないのだが、願望がハッキリとわかっている、そこにも
もしかしたら何か見落としがあるかもしれんのだぜ。

砂漠で遭難をしている人が「とにかく水が欲しい!それだけが私の願望だ!」と言っているとしよう。
たしかに表面的にはそれは願望としてハッキリとしたモノなわけだぜ。
だがしかし、「では何故水が欲しいのか?」の先にあるのが本当の願望なわけだぜ。

「欲しいもんは欲しいんだ」では話にならんのだぜw
「喉が渇いているから」ではまだまだ弱いのだぜ。
「死んでしまうから」はとても惜しいのだぜ。
なぜならそれは「死なないようにしたい」というコトであり、そこにはまだ「なぜ死なないようにしたいのか」
というその先の願望があるわけだし、「死ぬ」というコトにもし「生命の欠乏」という観念を持っているなら、
これもまた不足に基づく願望(不足への抵抗)になってしまうからだぜ。

でだ、ここには実際には「正しい願望の持ち方」なんていうもんは無いわけだが、根本的な
願望の元の例を挙げてみればだ、例えば「水分を十分に補って体を休めたい。そしてこの砂漠から
脱出できるだけの体力を回復させたい。なぜなら故郷に帰って初めてこの旅が完了するのであり、
それがこの旅の目的であったからだ。」なんてな。

まぁイイ例かどうかわからんが、もしこうだとしたらだ、「水が欲しい」が唯一にして最大の願望
というわけではなく、例えば捜索隊によって発見されるとか、砂漠の民に偶然出くわすとか、
あるいは町を発見してそこまで自力で辿り着く、でもイイわけだぜ。
逆に「誰かに助けにきてもらわなければ」が最大の願望だと思ってしまって、振り向いたらそこに
オアシスがあるのにそれに気づかないコトだってあるかもしれんわけだぜ。

でまぁ話が長くなったわけだが、次にしてみるとイイのはその願望について思考してみた時に
「どんな感じがするか」に注目をしてみるコトなんだぜ。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板