したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

上海雑伎団スレ【第三十幕】

129 ◆DAZEwQAkb.:2010/08/24(火) 15:29:21 ID:JQ/auSvg0
>>126
補足
> 目的地へ着くまでの快不快は関係なく

不快さというモノについて、若干補足というか、思うトコロがあるんだが、その前になぜ
「快」についてよくエイブラハムもオススメするのかというとだ、基本的に「快」の状態というのは
「自分に対して許可をしている状態」というコトなわけだぜ。

今チラリと恋愛スレの方を覗いたら「自愛」が大切だと言っているヤツがいたんだが、
それもまた同じコトなわけだぜ。

そしてこの話における「快」の反対、すなわち「不快」というのはだ、基本的には
「自分に許可をしていない」という状態、つまり自分自身に制限をかけている状態のコトを
指すわけなのだぜ。
だから願望に対して「不快」という態度はだ、「願望達成を受け入れるコトを拒否しながら欲する」
という非常に矛盾した状態になるのでオススメされないわけなんだぜ。

ところがだ。
不快と言っても若干性質が違うモノがあるわけだぜ。
例えばライバルがいて、いつもそいつにリードされるのでなんとか打ち負かしたいというような場合。
これはライバルに打ち勝つコトによって相手より優位に立ちたい、つまり裏の方では
「この不快さを解消したい」という方向に向いているコトがあるんだぜ。
こういう「前向きな不快さ」というのは「コントラストの上手な利用法」とも言えるわけで、
まぁ相対的に優位に立ちたいという願望自体はさておいて、だから必ずしも「不快でいてはいけない」
というわけではないわけだぜw

ついでにだ、もし「願望が達成されるコトを拒否していた方がイイ」なんて言うヤツがいてもだ、
だからそれこそそいつにとっては「手放し」「どうでもいい」と同じコトかもしれんし、
もちろん「快不快は関係ない」と言うヤツだって、それは「快不快を条件にしない」という手放しで
言ってるわけだからして、まぁ各自にピッタリしたニュアンスのコトバが見つかればそれでイイのだぜ。
というのも問題はコトバではなく、そのコトバと自分との関係における「波動」の方だからなわけだぜ。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板