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上海雑伎団スレ【第二十六幕】
559
:
◆DAZEwQAkb.
:2010/06/12(土) 14:10:59 ID:JQ/auSvg0
>>523
昨夜途中までレスしていたのだが寝ちまったヾ(@゚▽゚@)ノ
とりあえず説明を試みるのだが、「出来事」から「経験」に至る一連の流れは次の「出来事」
を引き寄せるわけだが、これらはバラバラのものではなく連続的な1つのものだと考えた方がイイ、
というのも「出来事」とか「思考」などと切り分けて考えるのは一種の比喩表現だから、とな。
つまりおまいはサーファーであり、次の波に対してどういう乗り方をするか選べると同時に
おまいは波の起し手でもある、というわけだぜ。自分で波を起してその波に乗っている、
そんな壮大な(言い方は悪いが)ジサクジエンをしているわけだぜw
なんつってまた横道にそれたけれどもだな、とりあえずこうやって色んな要素をバラバラに
分解して考えるのは、あくまで比喩だと考えておいた方がイイという話なわけだぜ。
さて、それを踏まえた上でショートカットなんだが、要するにおまいが言った通り
『観念レベルでの思考(反応)』が変われば『経験』はまるで違うものになる、それだけのコトだぜw
そしてその一連が変われば当然『出来事』だって変わってくるわけだぜ。
じゃあこの観念レベルでの思考ってなんだといったら「ある」というコトだったり「知っている」とか
「当たり前だと信じている」とか、神との対話風に言えば「自分は何者であるか」という部分なわけだぜ。
「ある」ってのは英語で言えば「be」だぜ?
だから黄本のエイブラハムは、わしらは「ビーイング」だと言うわけだぜw(ホントかどうか知らんけどもw)
じゃあ「ある」とか「知っている」とはどんな状態かっつうとだ、例えばおまいがとても「優しい人間」だと
するわけだぜ。つまり優しい人間で「ある」、自分が優しいと「知っている」、というわけだぜ。
だが本人としては「自分は優しい人間である」と意識的にラベルを貼っているコトはあまりなくて、
ただ他人がそう呼んでいる場合が多いのだぜ。
そしてこの時おまいは顕在的な思考レベルでそれについて普段から考えるコトはあまり無いのだぜ。
例えばコンビニのレジに並んでいたら前にいた杖を突いたばあさんが小銭をぶちまけてしまった時、
「えーと…自分は何者だっけ……そうそう、自分は優しい人間だったな。優しい人間である自分は
こんな時どうするんだっけ……ああ、小銭を拾ってばあさんに渡してやるんだな……」なんてコトは
考えずに小銭を拾ってばあさんに渡してやるわけだぜ。
それはそうするコトが「当たり前だと知っている」からだぜ。
当たり前だと信じているコトに関しても顕在的な思考レベルで「誰かが小銭を落としたら拾って渡してやるんだ」
なんつって、それについて四六時中思い出して考えてみたりしないのだぜw
では「いたずらっ子」で考えてみるわけだぜ。
いたずらっ子の場合も同様に、自分がいたずらっ子であるという自覚よりは、ただイタズラが好きなだけで、
こういう状態をいたずらっ子で「ある」とかそうであると「知っている」って状態だと思うわけなのだぜ。
わかるかのう、「自分はイタズラっ子であるから○○をしなければならない」というレベルで行動するんじゃ
なくてだな、すでにイタズラっ子で「ある」から、次のイタズラチャンスという出来事がやってきて、
イタズラを仕掛けるわけだぜ。
顕在的な思考のレベルではな、「どんなイタズラを仕掛けてやろう」とか「こんなイタズラを誰かに仕掛けたい」
なんつってイタズラアンテナを張り巡らせるコトはあっても、本人としては「自分はイタズラっ子である」と
自分に言い聞かせるようなコトはせず、自然にイタズラが出てくるわけだぜw
わかりにくいか。そうか。つづく。
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