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上海雑伎団スレ【第十二幕】

154もぎりの名無しさん:2010/02/06(土) 06:29:21 ID:Pct/ctAQ0
すみません、質問させてください。

「しなければいけないことは何もない」ってありますよね。
では「食べること」も「しなくてもいい」のでしょうか。
というより、「生きること」は「しなくてもいい」のでしょうか。

この世界には本当は何もなくて、あるのは唯一「無」という「本当の私」のみ。
今この文章を書いている私は、「無」を解釈するためにいる感覚器官「エゴ」にすぎず、「本当の私」の一部。
人が幸せを求めるのも、この「本当の私」をより解釈し、近づきたいから。
けれど、求めても求めても次から次に欲しいもの、知りたいものが出てきて、キリがない。
それもそのはず、「本当の私」はいつもここにいるのに、「求める」ために一歩下がる。
手に入れても、それは単に「元の位置に帰ってきた」だけ。一歩も動いていない。
ついでに、いくら解釈しようとしても、所詮エゴの眷属である言葉を使っている以上、
「無」であり全てである「本当の私」を小さな器に落とし込もうとしているに過ぎない。
一体この「幸せ探しゲーム」いわんや「本当の自分になろうゲーム」にゴールはあるのか。むしろゴールはここです。
埒があきません。

私はもう求める事に疲れたんです。
何をするのも「面倒くさい」と思っていたのは、本当は何をしてもキリがないことを分かってたからかもしれません。
メソッドをして、「あっそうか!これは凄い!」と気づいてもそれだけ。
欲しいものは得られていないけれど、それを得てもどうせ足りない。得ることに意味もない。
もういっそ、「本当の私」を解釈する(求める)ことを辞め、「無」という「今」に居続けたい。何もしたくない。
けれど、それを感じることのできるこの「エゴ」「体」は、食べることを辞めたら止まってしまう。死んでしまう。

このことについてどう思われますか?
よろしくお願いします。


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