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上海雑伎団スレ【第十一幕】
989
:
もぎりの名無しさん
:2010/02/04(木) 08:40:25 ID:DcWYg4F.0
883 :ジャンキー:2010/02/04(木) 00:20:48 ID:0QnMoqyU0
まずは、本当の自分として振る舞えばよいのでは。
ごく当たり前の事だと思うが…。
神をどっかの誰かやら、どっか遠くに居る存在などと思わせる教えが
既存の宗教で、宗教は人から人への言い伝えであって、それは学問と
同じで、創造自体が本来の学問なのに、創造した人の功績を記憶することを
学問としているのがこの社会です。
本当の自分に気づくなら、それは神ではないでしょうか。
神が気づかせたのか、気づいたのが神なのか、教えやすり込みが神に気づいたのか。
その全てが同時に起こるのですが、その状態は、実は感動中である。
そこに、自分を見ているもう一人の自分は消えている。
本当の自分を別の自分がフィルターをかけて、そのフォルターが自分だと信じ、
物事を見るから、文字通り見る事ができないのであって、
本当の自分が別の自分と物事を見る事をすれば良い。
神が存在するならば、神は万物であるから、本来の自分とは神に収束する。
ようするに、神とは自分自身の事であり、普段つかっている「自分」「私」の事です。
振る舞っている人格は人格であって、それは自分ではない。
自分自身に置き換えが利くのは、神だけです。
よって、本当の自分をストレートに生きるというごく当たり前の事を
できるようになるという事だけが近道で、道具(人格、技術、思考)に頼ると、
まるで、高級車に乗っているだけで、高級車と一体化した人格になり尊大に振る舞う人の
ようになるだけです。ただし、それをすればするほど、恐怖、不安は増大する。
このような人達が目指すのは、唯一の一等賞です。つまり唯一無二の存在、神です。
しかしながら、唯一無二の存在は、自分自身なのです。
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