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上海雑伎団スレ【第十一幕】

957 ◆DAZEwMrjjA:2010/02/03(水) 23:11:50 ID:JQ/auSvg0
>>956
命については百八と若干考えてるコトが違うかもしれんが、基本わしも究極的には
死というもんはないと思っているのだぜw

だがな、やっぱり肉体的な、百八的(かどうかわからんが)に言えば「幻想としての死」は
あると思うわけなんだぜ。
でもってその反対側にあるのが、この肉体的な生なわけなんだが、ん〜……とだな、
死の実感と言ってもだ、「もう死にたい!」「死ぬより他に道は…」といつもいつも思っているヤツ、
これはとてもじゃないが死の実感を感じているヤツとは言い難い、むしろ逆なのだぜw


なんつーかよぅ……この肉体の成長・老化・そして死というのはよう、自分で自分に仕込んだ
セルフタイマーみたいなもんじゃねぇかと思うわけなのだぜ。
あるいは時間を感じるための装置というか。時間を「使う」ためのツールというか。

まぁもっと貧相なコトバで言えば乗り物と考えてだ、生の実感を、その充実を感じるというのは
この乗り物をどんだけ乗りこなしているかということに尽きると思うわけだぜ。
ところがだ、それがどうしたことか、周りの景色が自分に充実を与えると勘違いしちまうのだぜ。
マイアミを走れば、アウトバーンを走れば、砂漠を走れば充実するんだと思い込むわけだぜ。

だがそうじゃねぇ、この一生モンの乗り物を乗りこなして、最上の乗り心地を得た時に
初めて充実感が出てくるわけだぜw
そして乗りこなせてこそ、この乗り物はやっと「行きたかったマイアミ」に自分を連れてって
くれるわけだぜ。じゃないとな、乗り心地の悪いままマイアミについても
「俺はこんなマイアミに来たかったわけじゃない!」とか言い出してしまうわけだぜw


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