[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
1-
101-
201-
301-
401-
501-
この機能を使うにはJavaScriptを有効にしてください
|
筆先2
465
:
名無しさん
:2017/01/24(火) 23:42:30
歓喜の内奥(ないおう)より湧き出づるものは、霊に属し、外部より発するものは体に属する。霊に属するものは
常に上位に位し、体に属するものは、常に下位に属するのであるが、体的歓喜と霊的歓喜の軽重の差はない。
地上人のもつ想念の本は霊人そのものであり、霊人のもつ想念の本は神であり、霊人は神により、神は大歓喜によりて
総ての行為の本とする。故に、地上人そのもののみの行為なるものはない。何(いず)れも、神の内流による歓喜の
現われであることを知らねばならぬ。
何故ならば、悪もまた神の御力の現われの一面なるが故である。悪を除いて善ばかりの世となさんとするは、
地上的物質的の方向、法則下に、総てをはめんとなす限られたる科学的平面的行為であって、その行為こそ、
悪そのものである。
善悪の生かされ、御用の悪として許されているのは、かかる理由によるものである。善のみにては力として
進展せず無と同じこととなり、悪のみにてもまた同様である。故に神は悪を除かんとは為し給わず、悪を悪として
正しく生かさんと為し給うのである。
而して、尚地上人は死後の世界に通じなければならぬ。死後の世界との関連により複数的悪善におかれる。
善悪善の立場におかれる場合が多いために、地上に於ける司宰神としての力を自ら与えられるのである。
力がそこに現れ、呼吸し、脈打ちて生命する。故に生前の霊人は、生前界のみにては善なく、生命なく、
地上人との交流によって始めて善悪として力を生じ、生命してゆく。地上人は地上物質界のみの立場では
悪なく、生命なく、生前界との交流によって始めて悪善としての力に生き、弥栄してゆく。
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板