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芸能・演劇ネタ

1花眼+:2009/06/14(日) 22:14:00
youtubeで漫才・落語・バラエティを見たときの感想を
「音楽スレ」で書くわけにはいかないし
「TVスレ」というのもおかしいので
こちらに書きます。
もちろん、生で見た演劇・芸能鑑賞とか
芸能ネタなどもここになります。

2花眼+:2009/06/14(日) 22:16:21
youtubeで「オール阪神・巨人」を探す。
あいかわらず、このコンビについては
なぜか全盛時の映像がアップされていない。
仕方なく最近のものを見るが
思ったよりテンポが良くて楽しめた。

http://www.youtube.com/watch?v=kKrQGe0djcc

3花眼+:2009/06/19(金) 22:55:35
人生幸朗のぼやき漫才をyoutubeで観る。
以前観たときは、かなり笑えるものと、お客のノリがイマイチなものと
混在していた記憶があり
今日は、前者を意図的に探した。
多分これが一番かな、というのがこれ。

http://www.youtube.com/watch?v=wHQflkzqDx8&NR=1

東京でテレビ以外で芸を披露したことは
あまりないのだろう。
適度の緊張感と、東京の観客の暖かい視線がうまくミックスして
自然に笑えて、妙な感動さえ覚える高座となっている。

4花眼+:2009/06/22(月) 18:33:18
人間国宝、講談の一龍斎貞水の怪談噺を
シンフォニーホールで鑑賞した。

立体講談と銘打って、照明・音響をふんだんに取り入れた怪談だったが
そこに至るまでの説明部分がいかにも退屈で
とても人間国宝の至芸を観ている気分ではなかった。
クライマックスの幽霊のシーンでは
工夫が感じられたが
全体としては失望のステージ。

5花眼+:2009/06/22(月) 18:41:15
例によってWikipediaでの薀蓄となるが
貞水はあの「お笑い三人組」の貞鳳の弟弟子になるらしい。
5代目一龍斎貞丈の弟子ということだが
その貞丈の師匠が6代目一龍斎貞山で
戦前に落語界さえも牛耳っていた超大物ということになる。

貞鳳が、国会議員立候補の頃に
講談界から追放処分のようなものを受けたことは初めて知った。
道理で、その後TVなどで顔を見なくなったわけだ。
youtubeに「お笑い三人組」の復活映像があるが(1992年頃)
貞鳳だけ笑っていない。
一体何をしたんだろうか?

さらに、6代目貞山と並び称された3代目神田伯山の項を読むと
その後、4代目を飛ばして5代目を襲名した伯山が
暴力団の絡みで名を継げなくなり
さらにその後は4代目を名乗ったという複雑かつ暗黒の事実が!
山田春雄なるテキ屋の存在も初めて知った。
講談界もいろいろでんなあ。

6花眼+:2009/07/05(日) 14:56:59
ここでもyoutube・・・

エンタツ・アチャコの映画「これは失礼」(1936年)から
http://www.youtube.com/watch?v=16TB0u_1j1o&feature=related

さすが漫才の始祖だけあって、ダイ・ラケにつながるテンポの良い掛け合いが見もの。
こういうのは、見ることができるだけでしあわせというもの。
しかもネット上で無料だから、もう驚き(何度youtubeには驚かされていることか)

7花眼+:2009/07/10(金) 21:01:57
なんていうか、コメントにもあるように不条理演劇みたいな
摩訶不思議なコント。

http://www.youtube.com/watch?v=b_IW7Uj3zOI

「今夜は最高」を毎週見ていたわけではないけど
これはハイレベルだと思う。
youtubeでタモリをウォッチングしてみて驚きの一編。

8花眼+:2009/08/07(金) 13:16:33
以前、SMAPクサナギ逮捕の件についてのコメントは
「人物ウォッチング」スレに書いたが
今回の酒井法子ネタについては
芸能スレを新設しているので、こちらへ書くことにする。

まず、押尾学を逮捕。
続いて、酒井法子の夫を逮捕。
これらは、クサナギと小室哲哉で連続して薬物ネタを逃した当局が
意図的に連続して逮捕した可能性が高い。
本来の狙いは、これらの薬物取引の奥に潜んでいるキーマンをあぶりだすことだったはずが
酒井法子自身が薬物に手を出しているという事態にまで発展してきた。
これは警察当局も、当然のこととは予想していなかったのではないか。

当面は、彼女がキーマンをどの程度知っているのか、ということに尽きるだろう。
彼女自身が精神的に動揺をきたして早まったことを決断した場合を除き
芸能界に深く関わっている彼女としては
そのキーマンの存在をどう認識しているか、場合によっては
非常に危険な匂いを予感させるものがある。

もちろん、私などにはキーマンが誰なのかは分からない。
かつてのように、山口組系のシンジケートだったりすると
警察の力の入れようもハンパでないだろう。
実際、最近の芸能人逮捕劇のすさまじさを思うとハンパでないわけだが。

9花眼+:2009/08/07(金) 13:19:36
大原麗子が死去、というニュースもあった。
津川雅彦がコメントしたように
62歳の若さで亡くなるというイメージではなかったのだが。

なかなか微妙な魅力を湛えた女優さんではあった。
自分にとっては特にどうということもなく
無視してもいい存在といってもよいが
かといって、その死去に何も感じないわけでもない。
なんだか微妙だなあ。

10花眼+:2009/08/08(土) 22:23:10
何とも目まぐるしい展開。
次から次へと出てくる”酒井法子は実はダークな生活”だったという情報。
ついにさきほど自ら出頭して逮捕されたのだが。

やはり、なんとなくアドバイザーの存在を感じる。
夫のいきなりの逮捕劇で、少々失敗してしまったのだが(すぐに吸引器を発見されてしまった)
その後の対応は、かなり計算ずくともいえる。
しかし、最終的に出頭に同行したのは弁護士ということで
麻薬のキーマンということではないようだ。

吸引器発見のニュースまで知らされて
観念したのだろう。
正解だと思う。

後は、子どものために罪を認め、制裁を受け
反省の行動を世の中に見せて(とりあえず離婚は必須だろう)
普通に生活するしかないだろう。
年齢的にも、それらの行動を全部示した後では
芸能界復帰の芽はないはずだから。

まあ、反省したという事実が残れば
彼女の残したいろいろな宝物は
何とか生き残れるのではないか。
ファンのためにそれだけのことを行う義務はあるだろうけど
それだけのことがちゃんとできれば
それでこの事件についていえば終わりだと思う(余罪があれば別だけど)

11花眼+:2009/08/21(金) 12:27:20
逮捕されてから、かなりの日数のようにも思えるが
実際には2週間程度でしかない。
それにしても、芸能人の実像と虚像がこれだけ如実に暴かれた例は
日本芸能史上空前のことだろう。

酒井法子の虚像は、マンモスキャピキャピでハッピーなイメージ、
そして、この10数年は、いつまでも可愛さを保っている理想的なママドルということになるが・・・

実像は全く違っていた。
そもそも父親が暴力団員なのだ。
弟も暴力団員で、さらに実母は法子を生んですぐに離婚しているので
家族的には凄惨そのものである。
離婚後に父親に引き取られ、そのまま福岡から埼玉の親戚の家に里子に出る。
小学校卒業までは埼玉に居て、その頃父親が再婚したので、また福岡に戻る。
不思議なのは、父親は、その再婚までの間に一人男子をもうけている(つまり暴力団員の弟)のだが
これは一体誰との子供なのだろうか?

法子は義母とは良好な仲で居られたので、中学校時代は幸福だったらしい。
そして芸能界入り、のりピーブームに高校野球のテーマ曲を歌うという順調なデビュー。
もっとも、この頃、所属事務所では、岡田有希子が飛び降り自殺をしていて
どうも、その担当マネージャーが、そのまま酒井法子のマネージャーになっているふしがある。
(Wikipediaでそういう記述があったのに、この2週間以内にその記述が故意に抹消されている)
そして、そのマネージャーも、2000年に自殺している。

12花眼+:2009/08/21(金) 12:37:01
岡田有希子は、サン・ミュージックの相沢社長が松田聖子の後釜にと力を入れていた歌手だった。
しかし、相沢社長のうかつな点は、松田聖子の大成功の陰にソニー・ミュージックの本格的な肩入れという
事実があったことを見逃していたことだ。
もともと、中川という歌手を
その年(1980年。アイドルを売り出すには百恵引退という絶好のチャンスの年)のメインとして売り出そうとしていた相沢は
松田聖子のことなど全く念頭になかったのであるが
ソニーの担当者からの熱心な売り込みによって、中川のついでという形でデビューさせたわけだ。
そして、中川がアクシデントによりデビューに失敗した時点で
売り込みのポイントを松田聖子に切り替えたが
すでに、その時点で、松田聖子に影響力を与えることができるのはソニーであり、サンではなかった。
松田聖子もそのことを十分理解して、アルバムにソニー関連のアーティストを起用し(米米クラブなど)
サンとの関係は悪化する一方だった。

郷ひろみのバーニングと当時聖子が所属していたサンとは親密な仲である。
彼らの結婚を妨害したのは、まさにバーニングの周防社長とサンの相沢社長の二人が示し合わせた結果だろう。
松田聖子は、この事件以降、相沢を憎悪し、相沢に対抗する権力を手に入れなければと考え
石原プロに接近する。
神田正輝との結婚は、ある意味打算そのものであり、もともと永続するものでなかったと言えよう。

13花眼+:2009/08/21(金) 13:25:42
そんな流れがあったので
岡田有希子は松田聖子の後継者という位置づけにハメられていった。
デビュー時には、聖子と同じくソニー人脈で松任谷由実が担当することになり
それなりに順調な出足だったのだが
その直後に聖子が結婚、芸能界引退ということになったので(まだ聖子はサン所属のままだった)
聖子の後釜という形で強力にプッシュされた。
しかし、聖子のポジションというのは、聖子のような図太い神経の持ち主でないと耐えられないわけで
繊細な有希子にはムリだった。
マネージャーは、かなり前から有希子の異常に気付いていたに違いないし
また社長もそういう報告を受けていたに違いないが
聖子の穴を埋めたいという願望の前に、それらの懸念は無視された。

その結果、有希子はノイローゼとなり、ガス自殺を図りリストカットして倒れた。
さすがに社長は驚き、有希子を事務所まで呼び続けたが、その説得が逆効果になったのだろう。
彼女は飛び降り自殺して、若い命を絶った。

そんな無能マネージャーが、今度は酒井法子の担当になったわけだ。
今度はソニーの援助も何もない。
聖子や有希子のように売れないのは当然だった。
彼女は、自分の生い立ちとは正反対のキャラで、自分自身で自分をアピールした。
そして、それはある程度の成功を収めた。

16花眼+:2009/08/21(金) 14:04:17
その後、サン・ミュージックは、脚本家野島伸司と深い関係を結ぶようになる。
野島とサンの関係がどういう理由により深まっていったのか全く不明だが
すでに歌手、タレントとしては伸び悩みが明らかだった法子には
この関係はプラスに働いた。
おそらく、サンの事務所としてのふがいなさを知ってしまったに違いない法子は
かつて松田聖子が石原軍団に頼ったのと同じような意味で
今後の運命を野島に託した。
ドラマへの出演も自ら売り込んだに違いない。

野島のドラマ「ひとつ屋根の下」への出演で、女優として生き残ることに成功した法子。
さらに、野島の友人プロデューサーが制作した「星の金貨」で決定的な成功を収める。
あと、野島との恋愛関係も熟してきて、結婚は時間の問題と思われた。
だが・・・野島は法子との結婚をぎりぎりのところで断ったのだ。

破局の真相は明らかではない。
破局する客観的な理由として我々にも想像つくことは二つほどある。
つまり、彼女の家族関係である。
義母の存在が疎ましく思われた、というのがその一つ。
もう1つは、彼女の両親と弟のこと。
彼女とその周辺は隠していたが、
野島は、結婚となるとさすがに調べたに違いない。
つまり、父親、弟が暴力団員ということ、母親も行方不明という中途半端な状態・・・
これらは十分破局の理由になり得るだろう。

17花眼+:2009/08/21(金) 14:16:56
もう少しのところで、幼い頃からいまだ手にしたことのなかった「家族だんらん」という幸福を手に入れる寸前だった法子。
野島との破局は、彼女に相当の精神的なダメージを与えたに違いない。
ここから彼女の人生は狂い始めたはずだ。
野島の判断を責めることはできないが
今彼女を本当の意味で救えるのは、野島からの温かい言葉しかないように思われる。

その後の法子の行動はめちゃめちゃである。
父親の事業が順調なので、フリーターを気取っていられるキザな男と出会って
「家族」を錯覚する。
錯覚が覚めた頃には、子供が「お受験」の年頃になっている。
夫の冷めた関係を何とかしようと覚せい剤に手を出す。
しかし、夫が手落ちの多い人間で
すでに警察から目をつけられているということに気づいていなかった。
夫そのものを冷静に見る視点がそもそも失われていたのだろう。
冷めた関係なら、その視点まで冷静に見るべきだったはずだ。
そして、交友関係のある、そしておそらく覚せい剤のルートが同じ押尾が捕まり
夫である高祖祐一は隠ぺい工作に入ろうとして、未然に捕まる。
(ちなみに、押尾については、かなり以前からマークされていたはずだが
 クサナギ事件で薬物摘発に失敗して以来、当局は慎重になっていたようだ。
 しかし、芸能人逮捕ほど薬物対策に効果的なものはないので、ついに踏み切った
 ということだろう。だから、この時点で高祖だけでなく、酒井法子自身もターゲット
 になっていたといえる。いくつか前の私の記述は、この点で錯覚があって間違っていた)

後はマスコミが報道しているとおりである。
実像のダークさが、虚像をますます空しくさせる。
もはや、酒井法子というブランドが生み出したものは崩壊の一途を辿っている。

18花眼+:2009/08/29(土) 20:41:58
以前書いたリンクを探すのに苦労した。
ということで、ダイ・ラケの「じゃんけん」

http://www.youtube.com/watch?v=-ql3sXXj4HE&feature=related

19花眼+:2009/10/12(月) 22:18:41
久々にTVで落語を観た。

米丸は、相変わらずの現代落語で、JRの落し物風景だった。
語り口がやや弱めになっていて、若干退屈も感じたが
最後のあたりはそれなりにサマになっていたようにも思う。
懐かしのフィルムで若い頃の映像も映ったが
さすがに勢いが違う。
米丸は、小さい頃から見ているので、やはり勢いのある米丸のほうが馴染みがある。

円歌は、いまだに歌奴と思ってしまうほど”歌奴”の印象が強いのだが(襲名してもう何年になるのか、というのに)
久々に観た円歌は意外なほど面白かった。
「中沢家の人々」という自伝風の噺で、円歌の十八番のネタらしいのだが
やはり、これだけのベテランになると、すでに”自伝風”というだけで
それだけで貴重かも、と思ってしまう。
両親が明治生まれというのも時代を感じるし
吃音に対する偏見も、いかにも戦前の話っぽくリアルだ。
さらに、円歌自身がどこまで意識しているのか判らないが
この話は、21世紀の介護社会になって、一層現実味を帯びてきており
かつて持ちネタにしていた頃よりも、今のほうがずっと面白くなっているのではないかと思われた。

小三治のマクラまで聴いて、ネタに入ったところで退屈を覚えた。
これは話自体がいかにも地味で、今の飄々とした芸風の小三治でこのネタ(馬のネタ)をやられると
ちょっと辛い。
いい落語家なんだけど、聴くほうがネタを選ばなきゃいけないところが
亡き志ん朝との違いだろうか。

20korou:2009/12/21(月) 21:42:31
「M−1グランプリ」はバンクブーブーが優勝。
相変わらず、どの出場者、どのネタも面白くなかった。
(non styleがまあまあかな、という程度)
なんで人気番組、注目番組なのか、さっぱり分からない。

21korou:2010/01/02(土) 23:49:26
小三治の落語を録画して聴く。
「戦後落語史」を読んだせいもあるが、基本的にはmixi復活のせいだろう。
やはりいい具合に刺激が増えている。

で、今回観たイイノホールでの小三治は
なかなか面白かった。
円熟期の切れ味こそ薄れたものの
今度は、何を喋りだすかわからない大家の雰囲気が出てきて
今回のように面白い内容が飛び出すときは必見だと思った。
志ん朝が居ないんだから、小三治にはこれくらいやってくれないと
困るわけだが
その意味で幸福な気分になれた。
前回の失望は完全に消失。

22korou:2010/01/03(日) 22:58:49
談春×さだまさしの特番で
談春が、さだが作った新作落語を演じるという企画があった。

談春の語り口は、43歳の落語家としては
十分すぎるほど円熟している。
新作落語が、東京落語の人情モノのような内容だったので
その語り口の上手さを十分堪能できる反面
新作として不安定な内容だけに
物足りなさも感じた。

今度は、談春の得意とする古典モノで聴いてみたい。

23korou:2010/06/13(日) 18:35:30
いずれ読書のスレッドで書くことになるが
「いとしこいし 想い出がたり」(岩波書店)を夢中に読んでいる最中。
もう芸談モノは飽きたなあと思っていたのだが
やはり、これは別格だ。

何せ語られている時代が古い。
子供漫才として活躍していた頃の話から始まるので
昭和初期の大衆演芸の雰囲気が自然と伝わってくる。
漫才が「萬歳」の名残りだったというか
むしろそのほうが主流だった時代でもある。
さらに上下関係が絶対の時代もあり
そのなかで人情も根付いていた時代でもある。
読んでいて懐かしい気持ちになるわけだ。

名前すら知らぬ芸人も多く登場するが
もはやその名前も、米朝、こいし亡き後は
口にする者も居なくなるのかと思うと
貴重な目撃談、体験談ということで
未知の名前を記憶しようとさえ思うのだ。
やはり、いと・こいの存在は貴重かつ偉大だと思う。

24korou:2011/11/23(水) 21:42:32
談志が死んだ。
あまりにも長い年月親しんだ名前で
それでいて一度もまともにその「芸」を堪能したことがないこともあり
具体的な出来事を思いつかない、でも心底から悲しい、という捩れた気分である。
mixiには、このままでは書けないので、以下下書きのようなもの。

談志は、知らぬうちにTV出演する世代の落語家の第一人者になっていた。
そのトップになるまでの過程を、自分としては幼すぎて見逃してしまったようだ。
気がつけば、三平、円楽、円鏡、歌奴などの人気者を尻目に
何となくそれらの落語家よりは上に立つ存在になっていた。
子どもには分からない凄さが、当時からあったのだろう。
自分は何を見て談志の凄さを知ったのだろう。

「お笑いカラー寄席」がイマイチのとき
トリの談志まで、いつもと違う不出来な落語をして
「談志までオモロないな」と父が言ったのを覚えている。
父は談志を買っていた。
こういうのは子どもにとって影響力が大きい。

25korou:2011/11/23(水) 21:46:57
笑点の司会をしていたのは、少ししか観ていない。
笑点に限らず、どうも談志については具体的な記憶がない。
その後、選挙に出たときも、青島幸男の二番煎じのように思えて
落語だけに専念すればいいのに、と思っていた。
それでいて、その落語もじっくり聞いたことがない。

それから、暴言を吐いて次官を更迭され、政治はそれっきり。
いよいよ落語家として大成かと思いきや
立川流家元として、東京落語界の主流から意図して脱落する。
これで、ますます地方在住者としては
談志の落語をTVなどで楽しむ機会が失われることになる。
それでも、自分は一貫して談志をナンバーワン落語家として認めていた。
何?その根拠は?
自分でも不思議だ。
さすがに異端派としての認知だけど
それでも、志ん朝、小三治と同列だと思っていた。

26korou:2011/11/23(水) 22:03:23
この10年間で、結構、落語の本を読んだ。
ダイスポさんの影響が大きいが
また実際に読んでみて、やはり談志の本は面白い。
クラシック音楽評論の宇野功芳氏の文章と通じるところがある。
ひねくれているようで、実は誠実で、嘘のない文章。
今では流行らない、頑固なまでに自分の感性を信じ、それを深めて独自の境地に達する方法論。
過去の名人たちへの憧憬、賞賛。
現在活躍している人たちへの容赦ない批評。
自分は、談志について、文章を通じて
はじめて深く知ったような気がする。

だから、割合と談志の印象は、近年のほうが強いのだ。
だから、訃報を聞いて、意外とショックが大きかったのかもしれない。
落語家としては、数年前にもう終わっていたようなものだから
本当はマイケル・ジャクソン死去みたいなイメージのはずなのだが。

もう、これで古い江戸前の落語を語れる人は居なくなってしまった。
後、長老クラスでは誰が居るのだろう?
円歌、金馬、円菊、円蔵、馬風・・・皆、人は好いが、芸は中庸で平凡だ。
談志の死は、志ん生、文楽以来の昭和落語全盛期の終焉を意味するのだろう。
歴史は閉ざされた。
落語ファンは、また新しい、そして多分レベルの低い時代に生きることを余儀なくされるのだろう。
残念!
合掌。

27korou:2013/02/03(日) 17:35:32
さあて、峯岸のことを語ろう、思う存分(ここは誰も見ていないBBSだ!)

一通り世間の反応(おもにネットの世界)を見てみたが
共通して間違えていることは
あの坊主頭を誰かの指示によりさせられているという解釈だ。
まあ、そのほうが社会問題にし易いからねえ。
物書きにはそのほうが都合が良い。

でも違うと思うね。
彼女は、AKB大好き少女でありながら初期メンバーの一人だから
自分がややこしいことをしてしまったことに深く悩んで
どうしても坊主頭にしたかったんだよ。
もっとも誰かが手伝わないとあれほど綺麗には切れない。
そこのところだけ分からないが、彼女は自分自身でそれをやって
世間の反応の厳しさにますます混迷を深めた、というのが真相だろう。

この話とは別のことだが
大阪の体罰事件で、生徒たちが市役所で市長批判を表明した件でも
誰がそんなパフォーマンスをやらせたかという見方が大半だが
これも生徒たちが自分たちで行動したと解釈するのが妥当だろう。
何でも陰で糸を引いている大人を連想する妙な風潮が
現代日本にはびこり、ますます関係者を苦しめているのだ。
わざと複雑に考えてややこしく思考するのだから
つくづく念のいったバカたちである。

28korou:2013/06/01(土) 17:35:34
聖子とひろみの破局の真相

http://ameblo.jp/yokohamano-kagemaru/entry-10465124977.html

http://ameblo.jp/yokohamano-kagemaru/entry-10465214325.html

http://ameblo.jp/yokohamano-kagemaru/entry-10465456174.html

29korou:2016/01/20(水) 20:32:58
久々のジャニーズの話題。
SMAPの解散騒動。
これほど2016年そうそうに世間の注目を浴びた話題はない。
「そんなことが最大の話題になるとは平和すぎる」と批判する人も居るが
それはその人のスタンスだろう。
SMAPが現代日本の大きな”インフラ”であることは疑いもない。
その上での否定なら分かるが
そういう人たちは、そのことすら見逃しているようにも思える。

さて、1月13日にこのニュースが発覚して1週間経った。
最初は、とんでもないビッグニュースが勃発と思っていたのだが
こうして少し落ち着いてくると
逆に、これは大きなニュースの終わりであって
世間に発表できる内容に仕上がったので
提灯持ちのスポーツ紙を使って、アドバルーンを上げたような印象を持つ。
ジャニーズ事務所としては
自分たちのやり方で、かつ世間に有無を言わせないようマスコミを操縦できるような
そういう結末に持っていって
これでOKという時点で、マスコミ発表したのではないか。
いつもながら、きたないやり口だ。
これだから日本の芸能界というのはつまらない。
実力と名声が一致しない子供の世界に止まるわけだ。

30korou:2016/01/20(水) 20:42:33
一応、時系列で整理してみよう。

まず、きっかけは間違いなくタモリの「いいとも」の終了だ。
この終了セレモニーを通じて、SMAPは結構いいポジションを得て
彼らのマネージャー飯島は、独立できるかも、という感触を持ったはずだ。
飯島は、タモリの背後にいる田辺エージェンシーと連絡。
結局、ケイダッシュが表に出て
SMAPを引き取ることになる。
飯島は、周到に行動し、NHKとの接近、それを通じて政府関係の行事への参画まで
手を伸ばした(そして、それは約1年前まで実にうまくいっていた)

飯島の行動は、ケイダッシュの後ろ盾を得て
隠密でも何でもなく、業界に知れ渡ることになる。
さすがに芸能界の長老メリー喜多川は
その意味するところを知り
本心を知るべく、提灯持ち週刊誌を使って
ブラフを入れる。
「ジャニーズの後継者はジュリー。飯島は勝手なことをしている。許さない」

飯島は驚き、ジュリーと後継争いをするつもりはないと弁明。
一度はそれで収まるが、この件でメリーは飯島の独立を確信する。
そこから、どういう風に木村に接触したか定かでないが
これは巷間で言われている工藤静香を使った工作かもしれない。
木村の結婚に関して大きく関与しているメリーは
工藤静香を説得することなど造作もないことである。
そして、木村は、メリーに対して忠誠を誓った。

問題は木村の本心がどこにあったかだが
恐らく、木村もSMAPというブランド抜きでは
これから面倒だろうと計算しただろう。
この時点で、木村はメリーの共犯者となったわけだ。

31korou:2016/01/20(水) 20:49:01
メリーと木村は、今後の予定を立てる。
まず木村は飯島と行動を共にしないということを
メリーが極秘にケイダッシュに伝える。
さらに、4人のSMAPを受け入れても後は面倒になるだけ
こっちの作戦に乗りなさい、とケイダッシュの川村龍夫とかに伝える。
ケイダッシュは、木村抜きで、ジャニーズと喧嘩別れする形になるSMAPなら
受け入れにくいと判断し、メリーの作戦に同意する。

そうとは知らぬ飯島は
ケイダッシュから、突如受け入れ拒否の連絡を受ける。
飯島は、その時点で木村の心変わりを知るが
もはやメリーの束縛を受けた木村を翻意させることができない。
SMAPの他の4人も、突然の動きに戸惑い
その背後に木村の造反を知る。
これが昨年秋から12月にかけての動き。
この間、SMAPは、未来起こることを知っている木村と
何も知らされていない他の4人とで
感情の上では分裂状態となっている。

32korou:2016/01/20(水) 20:56:29
ここから先は、メリーの行動は完璧だ。
飯島との接触を拒否し、飯島は誰とも連絡が取れなくなり
さすがに全面敗北を悟る。
そして、これは完全な推測だが、飯島は、多分木村に事情を聴いたのではないかと思う。
木村は「たしかに自分の造反には理由がある。でも、それを言うには
貴女がこれ以上SMAPに関わらないという条件が必要」と言ったのだろう。
飯島は、木村のその言葉ですべてを悟り
「分かった。もう何も訊かないから、とにかく
 他の4人を路頭に迷わせることはしないと約束して」と嘆願し
木村がそれを約束。

飯島は、以上の経緯で、ジャニーズ事務所を
予定より早く退社した。
ジャニーズ事務所は
木村からの報告もあったのだろう。
提灯持ちスポーツ紙に
スクープ掲載を許可する。

この時点で当惑したのは
中居以下の4名のSMAPだろう。
突然、飯島が居なくなり、
自分たちは後ろ盾なしに独立という
芸能界の常識でいえば、あり得ない立場にいきなり立たされたのだから。
スクープに驚いたのは、当の本人たちだった。
まさに何も言えない状態。
沈黙するほかなかった。

33korou:2016/01/20(水) 21:04:14
しばらくサディスト的歓喜に浸っていたメリー。
ここで、木村のために、ようやく行動を起こす。
ジュリーと木村の会談をセットして、マスコミに宣伝してもらう。
木村は、ジュリーの説得に成功した風に見せて
問題はメリーの怒り、そしてその真意は芸能界でのけじめだと
マスコミに書きまくってもらう。
SMAPといえども、土下座に近い謝罪をしないと
この世界、ジャニーズの世界では生きていけないのだぞ、と
メリーは権威を見せつける。
木村は、その両者の仲介役として、唯一の存在として神格化される・・・はずだった。

1月18日(月)のスマスマで
緊急に生放送が挿入され
SMAPの4名は、木村を真ん中にたてまつるように並び
ジャニー喜多川などに謝罪をする。
木村への感謝も明確に口にする。
しかし、お前らに「解散しない」とか「これからこうする」とか
公共の場で発言する資格などないのだ、というメリーの意図、意向が
浸透していた謝罪会見でもあった。

このままいけば
木村の仲介で
少なくとも、契約期限である今年9月までは
SMAPは存続する。
そして、その過程で、ジャニーズ最大のグループという仮面ははぎとられ
10月以降の「お仕置き期間」が待っているように推測される。

34korou:2016/01/20(水) 21:12:39
推測の報道ばかり垂れ流される日々で
SMAPファンならずとも
あくまでも本人たちの口から真実を聞きたいという要望は強まっていた。
そんななかでもスマスマ生中継だったわけだが
そこはネット住民に代表される現代のファン気質と
旧態依然とした慣習を保守するジャニーズ事務所及びテレビ業界との
微妙なすれ違いが露見することとなった。

ファンは、メンバーたちの最新の映像を見れて一安心したのと同時に
そこから発せられる言葉が、本人たちの真意ではないことを見抜いたはずだ。
当面の結果として最悪の事態が避けられただけで
今後の展開によっては、まだまだ心配な事態が起こりそうと思ったはずである。
何もかもジャニーズ事務所の思惑通りに運ぶわけではないのだ。
ただ、テレビ業界がジャニーズの逆らえないので
この会見をジャニーズ事務所サイドで解説し
今後の取り扱いも、その流れで進むことになる。

しかし、本当にこれで終わりだろうか?
ジャニーズ事務所側としては
「終わり」なのに「始め」のように見せかけ
予定通りの流れで「終わり」にしたわけだが
ネット住民などの現代のファン気質とは乖離した判断が目についた。
そして、木村の行動は
責められるべき点は少ないかもしれないが
結果的に他の4名の自由を束縛してしまった。
もう5人で行動することは難しいのではないかと推測されるわけだ。

35korou:2016/01/20(水) 21:15:40
もうひと波乱あってほしい。
それを可能にする条件は何なのか?
素人には見当もつかないが
このままでは、中居以下4名が可哀相である。
何も悪いことをしていないのに
徹底的に糾弾されるなんてことが
テレビの世界であったら
夢がこなごなにつぶされたような儚い気持ちになる。

誰か彼らを救ってくれ。
そう切に願うばかりだ。

36korou:2016/08/15(月) 21:53:43
SMAP続報。
続報は7か月後の8月13日早朝に明らかになった。
SMAP解散(今年の年末)、メンバーはジャニーズ事務所に残留。

メリーの執念は凄まじい。
もっとも、メリー自身はさすがに老体で動きにくくなっているようで
今回の報道では表立った動きを見せていない。
ただし、今回の騒動の発端は、メリーの飯島への激怒なのだから
それに対応した処置ということで
メリー側近たちが、メリーの意向に沿って行動したわけで
その意味で、全くメリーが表に出ないまま、実はすべてはメリーの意志なのだ。

飯島を慕う香取が、飯島を追い出す結果を作った木村に反感を抱くのは当然かもしれない。
しかし、仲介が全くなかったとは想像し難い。
いくらメリーの意志による今回の騒動とはいえ、ジャニー氏の意向も無視できないだろうから。
ジャニーと中居は連絡を取り合い、SMAP存続の可能性を模索したに違いない。
それでも状況を一変できなかったのは、それこそ、SMAP抹殺がメリーの意志だからだ。
メリーを表に出せない以上、元に戻って、香取の木村への反感という動機が
表に出てくるようになる。
一人だと目立つので、ついでに草彅、稲垣も同調したという報道になったのだろう。
相変わらず、ジャニーズ事務所のマスコミ操作は完璧で
ネットリテラシーのない世間の多くの人たちは、これで騙されてしまう。

37korou:2016/08/15(月) 22:02:59
今後の筋書きは、亜弥ちゃんブログにも書いたとおり
SMAP抹殺、もしくはそれに近い扱いということに尽きる。

中居は生き残るだろう。
テレビ局側のウケもよく、MCの才能も認められている。
ただし、今回の騒動で、事務所を敵に回したので
微妙な感じでもある。
メリー、ジャニーがどの順番で亡くなっていくかということすら
大きく影響してくる。
さらに、飯島の活動開始、ジュリーの采配などの要素も絡んでくる。
中居の未来は、現状ではサッパリ分からない。不確定要素が多すぎる。

香取、草彅、稲垣は、飼い殺しになるだろう。
飯島がどのタイミングで、どの勢力をバックに復活するのかにもよるが
よほどうまく立ち回らないと、飯島がうまく復活できたとしても
なかなか難しい。

木村は、当分安泰だろう。
俳優業を細々と続けるだけで、あとはジャニーズの幹部になることだけを
考えていればいいのだから。
もちろん、もう二枚目俳優としての大活躍は期待できない。
ネットの世界では、ダーティなイメージが定着してしまったので。
そのへんは賢い男なので、すべて分かっているはずだ。
分かった上での今回の行動だったはず。
それは、ある意味SMAPを最も真剣に考え続けた男としてのプライドなのだろう。

さあ、どうなるか。
紅白でフィナーレにするのか?(中居とジャニーの手腕にかかる話だ)
一番のファクターは、不謹慎ながら
メリーとジャニーの寿命の尽きるタイミングであることは間違いない。
メリー急死で、ジャニーさん最後の復権ということになれば
飯島復帰によるSMAP再結成という事態も、あながちあり得ないことでもない。
ただし、ジャニーさんのSMAPへの愛がそこまで深ければということだが・・・・

38korou:2019/09/03(火) 17:33:53
「私の履歴書 経済人37」で中邨秀雄が書いている文章のなかに
芸人のギャラが具体的に書かれているので抜き書き。

<2002年6月現在の所属約600名の年収一覧>
最高額(8億円強)   1名(さんま?)
1億円超        11名(誰か?カウス・ボタン、紳助、阪神・巨人、三枝、仁鶴、きよし・・・
              うーん、多すぎて絞れない)
1000万円以上     90名程度
100万円〜1000万円  200名程度
100万円以下     300名程度

39korou:2020/04/28(火) 11:09:42
コロナ、集団感染に関する記事。
https://newsphere.jp/national/20200422-2/

40korou:2020/04/29(水) 12:02:15
↑ スレ違い(笑)

41korou:2021/02/24(水) 18:06:32
2021.2.23夜21時から24時50分頃まで「乃木坂デビュー9周年ライブ」(本当の題名は違うが)を見た。
またしても偶然にもこの有料配信を見ることができたのだが
やはりこうして通してヒット曲を集中的に聴くと
厳密に見てAKBグループと一緒にくくるのは
いかに秋元康関係といえどもムリがあるように感じられてきた。

今朝それを確認すべくWikipediaで調べてみると
やはりそこにソニーという大きな力が加わっていたのが分かった。
AKBを所属させながら、ヒット曲が出ないせいで他社に移籍後、お化けグループになってしまったのが
ソニーにはトラウマだった。
そこで、ソニーは秋元に働きかけ、違うコンセプトでグループを模索する。
劇場は持たないが芝居志向にする、個人個人に物語を持たせ個々及び全体のPVでそれを表現する、そして
音楽はフレンチ・ポップス風に仕上げ、衣装はフランスのお嬢様風に仕立てる、そのために物語をイメージさせる
メロディ、構成で作曲することのできる杉山勝彦が起用され、その意図は見事に達成される、云々。
問題は、最初に抜擢した生駒里奈がキャラ的にAKBっぽく、リーダー格の彼女だけがそのコンセプトの外に居るというのが
このグループの個性を見えにくくしていた。
しかし、そのコンセプトは着実に実行に移されていたので、第6作「ガールズ・ルール」で白石麻衣が
生駒が独占していたセンターに初めて交代したときに、このグループの方向性が確実に定まった感じとなった。
(生駒ちゃんには罪はない。コンセプトと違う抜擢をした秋元他スタッフのミス、というより大きな失敗である)
この時点で、白石、橋本、松村の人気は決定的になり、そこに同じくモデル兼業の西野の人気も加わり
テレビでのレギュラー番組の巧い使い方も合わさって、各人の個性も分かりやすくなった。

まあ、このあたりを軸をブログに書こうかな。

42korou:2021/04/17(土) 16:03:08
韓国歌謡について。

(80年代)
K-POP以前・代表曲・・・イ・ソニ「Jへ」(1984)
K-POP前史・日本のアイドルの模倣・・・ソバンチャ「オジェバム・イヤギ(ゆうべの話)」<少年隊の模倣>(1987)
  〃  ・アイドルスター第1号・・・キム・ワンソン「ピエロは私たちをみて笑う」(1990)

K-POP元祖・K-POPの特徴であるラップを定着・・・ソテジワアイドゥル「僕は知っている(ナン・アラヨ、난 알아요)」
                                「教室イデア」「渤海を夢見て」「Come Back Hpme」など

43korou:2021/04/18(日) 12:53:14
(注) ↑ ”ソテジワアイドゥル”は1992-1996に活躍(90年代の話)

80年代後半から90年代を通じて、世界のポップ音楽を”韓国風”に取り入れる作業を行った一連のグループがあった。
それらのほとんどはシンガー・ソングライターとして活躍した。
(デビュー年)(アーティスト名)  (代表曲)
  1987    ユ・ジェハ     「愛しているから」「遮られた道」
  1988    シン・ヘチョル   「悲しい表情をしないで」「Here,I Stand For You」
  1989    キム・ヒョンチョル 「春川行き汽車」「月の没落」
  1989    イ・スンファン   「千日の間」「どうして愛がそうなの」
  1990    015B        「もうさよなら」「新人類の恋」
  1990    ユン・サン     「別れの陰」「遮られた時の合間に」
  1990    ユン・ジョンシン  「君の結婚式」「Like it」
  1993    キム・ドンリュル  「記憶の習作」「もう一度愛していると言おうか」
  1994    ユ・ヒヨル     「僕が君のそばで生きていたことを」「熱いサヨナラ」
  1995    イ・ジョク     「カタツムリ」「よかった」

1989年、イ・スマン(70年代に芸能界で活躍)が、MTVなどから影響を受け、音楽マネージメント「SM企画」を立ち上げ。
1995年、「SM企画」が「SMエンターテインメント」に改称。その間、「ニュー・キッズ・オン・ザ・ブロック」などを
成功させたモーリス・スターのアイドル・ボーイズグループ売り出しの手法を研究。同時にジャニーズ事務所でのアイドルの
売り出し手法も取り入れながら、アイドルグループの育成を開始。

1996年、SMエンターテインメントから「H.O.T.」がデビュー。後のK-POPアイドルの典型となる。

44korou:2021/04/18(日) 14:08:43
H.O.T.が示した”K-POPアイドルの典型”

①歌、ラップ、ダンス、スター性を含む総合的トレーニング
②ブラックミュージックの影響を受けたサウンドと韓国語ラップ
③派手な集団パフォーマンス(注:カルグシムと呼ばれる)
④視覚的魅力や物語性を極大化させたミュージックビデオ
⑤若者を代弁する社会性の高い歌詞
⑥海外出身のメンバーの存在
⑦献身的なファンダム(※)
⑧海外での高い人気

※ファンダムとは「単に受動的に消費するファン」ではなく「ファンの間で築かれた能動的かつ生産的なネットワーク」が特徴となる
 より能動的な存在として社会文化的な影響力をもつ韓国独自のファンの形態のこと。

これらの要素を含んだアイドルが成功を収めたことで、K-POPは音楽産業モデルとして確立することになった。
1 それまではCD市場とテレビ放送という既存のメディアに依存、ファンも既存の受動的な形だったのが
  献身的なファンダムに基づく新しい形も可能になった
2 海外でも通用するアーティスト、という新しい視座
3 産業として成り立つ「音楽界」を確立。3大エンタテインメント誕生。

45korou:2021/04/19(月) 10:06:47
☆K-POP理解のための米国でのボーイズグループ事情

1978年、ボビー・ブラウンなどを創設メンバーとする黒人R&Bグループ。ニュー・エディション(NE)が結成される。
1981年、ニュー・エディションはモーリス・スターに見出だされ、ジャクソン5風の音楽に電子音楽を足したサウンドとして
1983年頃にシングル曲をヒットさせる。しかし、メンバーとモーリスとは不仲になり関係を解消。モーリスは、同じような
試みを白人ボーイズグループで再現しようとして、メンバーを探し、ニュー・キッズ・オン・ザ・ブロック(NKOTB)として
デビューさせる。NEのほうは、その後、ボビー・ブラウンが素行不良で解雇されるが、ソロになり大成功を収める。

NKOTBは1986年にデビュー。1988年にブレイクする。彼らのツアー・マネージャーにジョニー・ライトが居た。
周到なマネージメントによりファンクラブの充実、マスコミへの露出は最高潮に達したが、あまりにも人気が出過ぎた反動で
1991年にはもう人気は急降下となり、1992年には口パク疑惑まで起きて(ミリ・ヴァニリの同様な事件を連想させたようだ)
1994年には解散してしまう。

このような経緯により、1990年代前半にはボーイズグループというジャンルにおいてはスター不在の状況となったが、そんな
なかで、ルー・パールマンの企みが始まる。パールマンは、NKOTBというビジネスモデルにインスパイアされ、同じようなこと
をフロリダでメンバー募集から始める。集まったメンバーをバックストリート・ボーイズ(BSB)と名付け、1993年にデビュー
させる。

そしてヨーロッパで人気を高めた後、1997-98年頃には全米でも人気を爆発させた。・・・ところが、パールマンは、どういう
意図か知らないが、同じようなグループをもう1つ作って、同じように欧州で人気を蓄えさせて、ほぼ同じ時期に全米で
デビューさせていた。イン・シンク、まさにBSBのライヴァルなのだが、問題はその両者が同じプロデューサーの手になることで
しかもBSBのメンバーにはそれを知らされていなかったことだった。かつてNKOTBで手腕をふるったジョニー・ライトは、両者
の共通のマネージャーになっていた。BSBのメンバーは、パールマン相手に訴訟を起こし、ライトの事務所からも決別する。

46korou:2021/04/19(月) 10:31:20
(米国ボーイズグループ事情・続き)
イン・シンクのほうもパールマンと訴訟を起こしたが、詳細は不明だが、それほど深刻な仲違いではなかったようだ。そして、BSB、インシンク
ともに訴訟のせいで人気が短期間で急降下することもなく、2000年頃まではそれなりの人気を維持する。その後、両グループとも活動を休止。
インシンクのメンバー、ジャスティン・ティンバーレイクはソロで大成功を収める。

その後、数年の空白の後、2006年頃、ジョナス・ブラザーズがボーイズ・グループの雄となる。2011年頃には、イギリスからワン・ダイレクション
(ID)がデビューして、アルバム売上げでボーイズ・グループのトップの座につくが、シングルは今一つで、そのうちにメンバーがソロデビュー
する等で活動を休止。今のところ、彼等の抜けた空白を埋めるグループは存在しないようだ。イギリスでは、90年代のテイク・ザットとか、IDと
同じ時期にデビューしたザ・ウォンテッドなどが有名だが、K-POPへの直接の影響はないと思われる。


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