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スレ立てるまでもない…マターリ板-2-
1497
:
KYmam
:2007/11/26(月) 13:59:32
>>1483
さん
>大会の演武では、採点してメダルを競っているわけですが、その事についてはどうですか?
矛盾しているなあとは思いました。
ですが、何年か大会に参加した今は、練習をつんで技を習得した度合いで評価をするのなら、それはあって当たり前かなと思うようになりました。
順位は相対的なものですから、こだわるものではないと思っていますが、点数は練習の糧になりますよね。
色帯のメダルは「上手に出来たからハイご褒美だよ」という程度にしか考えなくなりました。
これはあくまでも親の考えです。
息子はやはりメダルを取りたい一心で練習していますし、その練習を積んでこそ技を習得してきたんです。
少林寺拳法の裾野の子供たちに、メダル願望がなくなったら少林寺拳法の屋台骨がゆるぐ…なぁ〜んっちゃって。
メダルがほしい子はメダルを目指し、道場には友達がいるから来るんだっていう子はそれでいいのではないかと思っています。
それともう一つ息子がこだわっているのが、演武は二人でやるものですから自分が向上することは、
自分だけのためではなく相方のためでもあるという点です。
少々具合が悪くても「おれが休むとあいつ、やることがないから」と練習を休みません。
この矛盾はもう考えないことにしています。
>仏教は、須らく対立の二元を「超えていく」ものだと思います。
>相反する二つ、相対を超えて絶対にいたる道を求めるものだと思います。
絶対即ち悟りですね。
>少林寺拳法の特徴という六つをみるとわざわざ二元を示しているのは
>そういう意味合いがあるのではないのかなと。
>乗り越えてその根底にある何かを掴みたいのです。
少林寺拳法の六つの特徴がなんなのか分からないのですが、何か二元のものだとすると
相対を超えた絶対を求道する、おおっ〜と、まさに息子の言うところの
少林寺はは修行なんだよ、じゃございませんか!?
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