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少林寺拳法or丸廉への批難・文句受容スレ

1615期生:2003/01/31(金) 00:28
【ルール】
・実名はあげない.出た場合は即アボーンします.
・建設的なカキコであること
・カキコ前に「Q&A2nd」「少林寺はなぜ煽られるか?」には目を通してください.(「香具師の阿吽」内にあります)
・質問は残さず応える
・名無しさん歓迎

その上で現状の問題点について話し合いましょう.疑問点についてもどうぞ.ご批判歓迎.
2ちゃんとは違ってそれなりに正常なレスが付くはずです.本音歓迎.

905通りすがりの休眠拳士:2004/03/09(火) 00:42
>>892 ビスキュイさん こんばんは。お体の具合は大丈夫ですか?

>>892で仰られたご意見、なるほどですね。仰りたい事がよく理解できました。
ここでビスキュイさんが仰られている「原理・原則」というのが、すなわち
「少林寺的思考」にも繋がるということですね? うーん、素晴らしい!

ただ、いくつかの部分においてはまだ若干のズレを感じております。
以下の3点について、ご意見を拝聴してもよろしいでしょうか?

1、具体的且つ詳細な例を示してしまっているため、例以外の変化に対する寛容性が
  薄れるのではないか?

上記は、私が>>869で述べました意見です。ビスキュイさんのご意見では、法形が多い
ことにメリットしか見出されておりませんが、上記の私の主張についてはいかがお考え
でしょうか?つまりビスキュイさんにとっては良しとされるものでも、多くの一般の
拳士・先生方にとってはマイナスになっているのではないかと思います。

2、ビスキュイさんの仰る原理・原則は、法形の重複をなくして整理をしては、
  身につかないのだろうか?

質問の仕方をガラッと変えてみました。 つまり、私の言う、

>私の主張する乱捕論では、まずは演繹的に、ルールを法形で学びます。
>続いてそれを乱捕で実践しまくります。運用しまくります。応用しまくり、変化し
>まくります。そうして、演繹的なルールを乱捕の場で数多く実践することによって、
>今度は帰納的に、1つの原理・原則に戻っていくと考える

このようなやり方では身につかないのでしょうか?
(特に最後のセンテンスにご注目下さい。)


3、実際問題として、拳士達・先生達は少林寺の技法を実践、運用できているのか?
  もしできていないとしたら、それはなぜか?

ビスキュイさんの仰る教授法、修練法が正しいとしたら、少林寺の拳士達はみな
少林寺の技法を実践、運用できているはずですよね? しかしながら、残念ながら
そうでない場合が非常に多いと言わざるを得ません。これはなぜだとお考えですか?

906アップル:2004/03/09(火) 09:15
>赤影さん
>前から思っていたのですが、マック使いですか?
>私の友達にも筋金入りの人がいます。
いちおうマックも使いです。丸廉にもいますよマックを愛する偉大な拳士がw
マックでも拳法でもお世話になっています。


>>ぜひ簡単でもいいのでお聞かせください。
>どう言っていいのか分かりませんが、まず足の指の怪我を気にしないで
>前足底の蹴りが使えると言うことです。そして、靴の重さの分初動が
>遅れ、上段が蹴りにくくなります。ここまでは常識です。
ん〜、ここまではなんとなく想像とおり。

>で、前足底で蹴ると言うことは、「靴が武器になる」「靴が盾になる」
>と言うことです。最近の安全靴はスポーツシューズタイプがあり、また
>オールスターのスニーカーより軽いです。下手にナイフを持つより
>武器になります。これで蹴ればどこでも痛いし、急所なら相当のダメージ
>が出ます。またガードも隙間から蹴りを入れることもできます。
>肘で受けられても、靴部分なら大丈夫。ナイフマンがきても、外廻しや
>内回して受けても靴部分ならOK。またすねの前部も筋が緊張するので
>すねの怪我も減ると思います。靴着用でより少林寺の攻撃が楽になり、
>受けも、より少林寺の受けが必要となると思います。

ヘー!!!!安全靴ってすごく重たいイメージがあったのに・・。
足でも受けですかー。それはちょっと練習がひつようですな。

>外廻しや内回して受けても靴部分ならOK。
この動きはおそらく中国武術オフの人間は体験済みですね。
靴を履いての・・というところでやはり必要な動作だったんですねー。おもしろい。

赤影さんもしっかり楽しんで修練してますねー。

907Syami@Office:2004/03/09(火) 15:12
>丸廉にもいますよマックを愛する

Mac使いなだけで特に愛しちゃいないんだけど。テクノコンプレックスじゃないし。
MacintoshシリーズはパッケージとしてWinより遥かに使いやすいと言ってるだけです。(笑
まぁ、Classic、SE30の頃から使っているけど・・・
SE30の次はPerforma5220(新品)でしょー、その次は5420(ボード換装)、5440(伝説のBlack Performa中古)
んで iBook 2USB最初期型と・・・

>偉大な拳士がw

「偉大」だったらいいんだけどねぇ、どちらかと言うと「肥大」??

908アップル:2004/03/09(火) 16:52
>まぁ、Classic、SE30の頃から使っているけど・・・
>SE30の次はPerforma5220(新品)でしょー、その次は5420(ボード換装)、5440(伝説のBlack Performa中古)

金かかってるなぁ・・。

今は12,3万だせば新品が買える時代。すごいなぁ。

909Syami@Office:2004/03/09(火) 17:14
>今は12,3万だせば新品が買える時代。

あああああぁぁぁぁぁぁぁ・・・・・・

でも、5420の換装ボードはジャンク屋で2000円だったし、5440は兄弟子のG3リプレース品をプリンタ付きで
引き取っただけだし・・・
んで、5420は母の執筆用、5440は父のネットサーフ用に今も元気に動いています。

910ビスキュイ:2004/03/09(火) 17:55
おお,マックネタが!最近はスレの内容が交錯して混沌としていていい感じ♪

さてさて,では話の続きを…

>通りすがりの休眠拳士さん

ありがとうございます〜,体調はなんとか平常に復帰いたしました。
しかし通りすがりの休眠拳士さんの問題提起のおかげで大変有意義な議論が展開できて
おり大変感謝しております。引き続きガンガンと意見を述べていただければ幸いに存じま
す。
さて…では今回のご質問の件ですが,まず

1、具体的且つ詳細な例を示してしまっているため、例以外の変化に対する寛容性が
  薄れるのではないか?

ですが…
まあこの危険性はないとは言えません。法形の見た目のみに目を奪われてしまっていれば。
ただこれは「具体的且つ詳細な例を示してしまっている」ことが原因でしょうかね?正直
私にはそうは思えないんですよ。ここの部分こそが「指導のあり方の問題」だと思うので
す。実際に私がお世話になったことのある先生方を例に考えると…
例えば拳暦40年を超えるある先生「技は全部同じですから〜」と言いながらも見た目の
動きは変幻自在,でも確かに芯の部分は同じ動きで投げている。
例えば40代で7段を取得しているある先生「あっ,僕はいま動きを変化させたよね?あ
れはビスさんの動きがこっちに変わったからそれに合わせてああいう風に変化させたんだ
よ。でも掛け方同じね(ちなみにこの時の技は外巻天秤でした)」。
例えば丸廉にも参座してくれているある先輩拳士「攻者の攻めが変われば守者の動きが変
化するのは当たり前なのであって〜。その変化の早さが少林寺拳法の特色なのである!」。
現在のカリキュラムでも正しく行えば多くのこうした「寛容な」拳士が生まれているので
す。って言うか例にあげた拳暦40年以上の先生なんてバリバリの「伝統派少林寺拳法」
の使い手なわけですが,初めてお会いして逆小手を教えていただいた時などニコニコしな
がら「こんなやり方もあるし,こういうやり方もあるし…」と言いながら足は払うわ耳は
掴むわ髪の毛は掴むわ鼻を擦り上げて来るわ肘打ちをブチ込んで来るわ指は捻るわ耳孔は
抉って来るわ…およそ思いつく限りの(プラス思いもしないような)ありとあらゆる変化
技をブチかまして下さいました。で,ニコニコしたまま一言「少林寺拳法っていうのは本
来こういうものですから〜」…。これですよ。「伝統的な練習法」をずっ〜としてきている
先生がこれです。こういう実例を何件も(少なくとも両手両足の指では足りないくらいに
は)味わってきているので(聞いただけならもっと多い),「不寛容」の原因が技術体系に
あるとは思えないのですよ。
「じゃあなんで不寛容な拳士や先生が存在するんだ?」
…なんででしょうね〜?ホントに不思議です。同じやり方をしているのに全く相反するよ
うな考え方の拳士が生まれてしまう。ちなみに通りすがりの休眠拳士さんとは反対に「法
形多くても問題ないやん」派の138Bさんやアップルさんも「変化技?やって当たり前
じゃ〜!」派なんですよね。当然に私も。やっぱり法形の多い少ないは「変化に不寛容」
の直接的な原因ではないんじゃないですかね〜。そういえばご逝去された森道基先生も月
刊「秘伝」の記事で同じような趣旨のお話(「私は形はともかく技が効けばいいじゃないか
という考えでやっていたから…」みたいな話)をされていたような気が…
ですから私の意見としては

「法形の数が多いことは不寛容の直接的な原因ではない。ただ法形を「絶対的な型」「それ
ぞれ全然別の技」として指導してしまえばそのデメリットは極めて大きい」

となります。
(続く)

911ビスキュイ:2004/03/09(火) 17:57
(続き)
続いて

2、ビスキュイさんの仰る原理・原則は、法形の重複をなくして整理をしては、
  身につかないのだろうか?

のご質問ですが…
身に付くと思いますよ〜,問題なく。やり方さえ間違えなければ。こちらの指導法をとる
武術も沢山あるようですし。これはまさにやり方の違いであって優劣ではないです。ただ
少林寺拳法は「数多い技を自分の意識の中で少数の技法として認識する」という作業を行
うことによる教育効果(プラス「技が多い」ことによる興味の持続など諸々の要素)の方
を採用しているというだけのことですから。だから通りすがりの休眠拳士さんのおっしゃ
っているやり方(少数の法形を学ばせ,乱捕りで多彩に変化させる練習を積ませる)をと
ったとしてもぜーんぜん問題はないとは思います。この辺はホント好みの問題。しかし通
りすがりの休眠拳士さんのやり方を採用したとしても(現在の少林寺拳法と同じように)
様々な問題が生じる可能性は多いにあるので,そのフォローを充分に行わなければやっぱ
り元の木阿弥という可能性はありえます。やっぱり指導の仕方の問題だと思うのですよ〜。
(さらに続く)

912ビスキュイ:2004/03/09(火) 17:59
(さらに続き)
んで最後の

3、実際問題として、拳士達・先生達は少林寺の技法を実践、運用できているのか?
  もしできていないとしたら、それはなぜか?

ですが…
これはですね,「人によります」としか答えようがないです。原因は様々,出来てるか出来
てないかも人それぞれ。ホント十人十色。

>ビスキュイさんの仰る教授法、修練法が正しいとしたら、少林寺の拳士達はみな
>少林寺の技法を実践、運用できているはずですよね?

とのことですが,んなこたぁございません。理論が正しくても出来ない場合はいくらでも
あります(「私の理論が正しい!」と言う意味ではないですよ)。
例えばですね…
・理論を間違って理解して運用している
・理論は理解しているが運用の仕方が間違っている,
・そもそもその理論を認めない
などなど…であれば理論が正しくてもしょうがないですよね?当然
・ 理論自体が間違っている
という選択肢もあるわけですが。
逆に「通りすがりの休眠拳士さんの教授法,修練法ならば少林寺の拳士達はみな少林寺の
技法を実践,運用できるようになりますか?」と質問されたら…どうされますか?

>しかしながら、残念ながらそうでない場合が非常に多いと言わざるを得ません。これは
>なぜだとお考えですか?

これはですね…もう「練習不足です」と。40過ぎ拳士さんのおっしゃるとおりですと。
出来てる人はみんな練習一杯してますよと。結局最後はこれですよ。開祖も言ってます「人
十度我百度」。理論が分かったらあとはもう練習あるのみ。どんな理論も練習少なきゃダメ
ダメ。そういう意味では最近の私もダメダメ(練習行けてなーい)。ただ「間違った練習」
はすればするほど下手になるわけで,正しいやり方で練習することが大事なわけですが…。
当然「法形練習だけ」でもダメダメ。「乱捕りだけ」でもダメダメ。「筋トレだけ」でもダ
メダメ。「じゃあどうすりゃいいんだ!」。全部やるのです。法形も乱捕りも筋トレも学科
も…全部!全部!全部!「だって時間は有限だろうが!」。そうです。そのために「数多い
技を自分の意識の中で少数の技法として認識する」という作業を行うのです。このことに
より実質的な練習時間が増える(と言うか「密度が上がる」)し,この作業自体が練習でも
あるんです。ただ重ねて言いますが,

「通りすがりの休眠拳士さんのやり方もあり!」

だと思うのです。

以上です。

913Syami@Office:2004/03/09(火) 18:11
あ〜、まぁ、我々の場合「修行」だからねぇ。

914ビスキュイ:2004/03/09(火) 18:15
>あ〜、まぁ、我々の場合「修行」だからねぇ。

これは絶対に切り離せない要素なんですよね。まあただ今回はあえて「技術」のみに
焦点をあてて話を進めてみようかと…

915アップル:2004/03/09(火) 18:18
ビスさんからでたキーワードから
>ただ法形を「絶対的な型」「それぞれ全然別の技」として指導してしまえばそのデメリットは極めて大きい」
副読本でも教範にも書いてあるかも知れませんがなぜ「法型」ではなく「法形」なのかって感じでしょうか?

916ビスキュイ:2004/03/09(火) 18:19
>アプールさん

そのとおりなり〜!

917アップル:2004/03/09(火) 18:38
関係あるかはわかりませんが、助士になって後輩の技をよく見るようになったのですが。

柔法技が掛からない人の特徴(アップル超私見)。

①技の途中で止まる人(鈎手、掛け手で基準線を作るとき)
②途中からやり直しちゃう人。
③手を握られたとこからはじめちゃう人
④攻者の攻撃がでたらめ(にぎるだけ、さわるだけ)
⑤習った掛け方だけにこだわる人

①〜③
途中で止めた時点で攻者は状態が少し変わってしまう(動いちゃう)ことに
気づかないで続きをやろうとすると技が掛からないのは当たり前だなぁと。

④攻者が攻撃してないんだもん。技を掛ける必要がない状態で掛けようとしてるのだから
難しいのは当たり前かと。

⑤習ったときの攻者を今相手にしている攻者が同じ攻撃とは限らない。
手がねばい人もいるし固い人もいるし。掴んできた角度がちがうときもあるし。
ケース バイ ケースであることは大事ですね。

教えながらいろんなヒントが転がっていて楽しいですね。


事実、技が掛からず悩む後輩に
「止めずに一気にやってごらん、こうやって鈎手から一気に。」

攻者は自分が引っ張った反動でうまくパタリ。このときはこれで私も十分だと思いました。
後輩もわりと簡単にできてキョトンとしてました。

918ビスキュイ:2004/03/09(火) 18:48
>アプールさん

それ全部超大事なポイントなり

919アップル:2004/03/09(火) 18:54
付け加え
⑥指導している先生の手しかみてない。
攻者と守者のポジション、運歩のタイミング、鈎手のタイミング、視線。重要なとこ見失ってる。
だから技を掛けるときに足も止まってる。ソコができれば技が完成すると勘違いしてるのかと。
サビだけでは曲は完成しないのだ。とラさんが言いそうw。

>それ全部超大事なポイントなり
以上すべてが「型」にとらわれるの典型的なケースでデメリットは皆さんもうおわかりかと。

少しは話がつながったかなー。コレくらいしか私には言えませんが。
結構こんな拳士多いはず。

920ビスキュイ:2004/03/09(火) 19:01
アプールさんは刻々と進化を遂げているなあ〜。
さーて、最近どうも口だけ先走っている私も今日は練習行ってきま
ーす(*´ω`)

921赤影:2004/03/09(火) 21:36
>赤影さんもしっかり楽しんで修練してますねー。

色々工夫するのは楽しいです。同じ事を延々と繰り返し「精錬する」
も楽しいですが。

安全靴のような一見武器に見えない護身具はいろいろ考えました。
この他にも。先を尖らせた2Hの鉛筆にキャップをかぶせて胸に挿す、
なるべくでかいオイルライター、試供品の小さいスプレー、500円玉や
スロットのコイン、パチンコだま、スチールのドキュメントケース、
家電のアース線、ヘアーリキッドの小瓶、ドライバー(これはさすがに
2ちゃんでは書けませんでした。グリップがあるので握りが・・。
相当強力な武器になります)、
工作用各種協力手袋、等です。

>ビスキュイ さん、レスお疲れさんでした。

922赤影:2004/03/09(火) 21:44
それと、マック使いの人は今のBSDカーネルについてはどう思っているのでしょうか?
私は以前、筋金入りののマックファンに、「UNIXっていいよね」と言ったら
「あんなもん・・・・」と言われました。遠方にいるので今度会うときが
楽しみです。私は、パソコンダブルブートにしていますが、WINDOWS
の便利さから離れられない、なんちゃって(使い方の講習を受けるだけ)犬房です。

923アップル:2004/03/09(火) 22:12
>筋金入りののマックファン
ぐはぁ〜、そしたらいままで使いこなしていたソフトが使えなくなったりとか、
ヘビーであればあるほどOSXには困惑したでしょうなぁ。
私はOSXだけ。クラシックはあまり使わなくなりましたねぇ。

924Syami:2004/03/09(火) 23:27
昔々その昔、弊社から始めて国産のUNIX WorkStation「U-station」が発売された時
私はそれに関係していました。
つまり漢字Talkを使う前にUNIXで仕事してたのです。
その立場から言うと、BSDカーネルは何かと便利ですねぇ。
でも、ガチガチのMac User(まぁ、色々なタイプがいるけど)はコマンドベースでも
Macを操れるBSDカーネルと言えど実際のところさほど興味は無いのではないでしょうか??

925通りすがりの休眠拳士:2004/03/09(火) 23:57
>>910>>912 ビスキュイさん  大変お詳しいレス、有難うございます。

残念ながら、どうやら私とビスキュイさんの間には、少林寺拳法の問題に対する
「温度差」があるようですね。これまでも薄々は感じていたのですが、ここに来て、
その違いがハッキリと顕在化して見えてまいりました。どういうことかと申しますと、

>ここの部分こそが「指導のあり方の問題」だと思うので
>す。実際に私がお世話になったことのある先生方を例に考えると…

>「じゃあなんで不寛容な拳士や先生が存在するんだ?」
>…なんででしょうね〜?ホントに不思議です。

>これはですね,「人によります」としか答えようがないです。原因は様々,出来てるか出来
>てないかも人それぞれ。ホント十人十色。

ビスキュイさんの上記のようなご返答に、どうしても温度差、というよりも、問題意識の
違いを感じてしまうのです。私が、>>904にて、40過ぎ拳士さんの「指導者による」との
ご意見について述べさせて頂いた思いが、またも頭をよぎります。
  それは違うのではないか・・・と。

仮に、失業率が非常に高い国についての議論だと考えてみて下さい。

私が「この国の失業率が高い原因はコレコレで、その解決案としてコレコレのような
ことを考えています。いかがでしょうか?」と提言します。すると、ビスキュイさんの
お答えは、「いえ、私はそうは思いません。なぜならば、この国でも就職できている
人は何人も(少なくとも両手両足の指では足りないくらいに)いるからです。じゃあ
何で失業者が存在するのかは、何ででしょう。分かりません。人によるんじゃないで
しょうか?原因は様々、就職できるかどうかも人それぞれ。」

このように仰られては、私もどのようにお答えすればよいのか・・・。


そのような議論では、堂々巡りになってしまうかと思います。
そうではなく、例えば以下の箇所についてですが、

>これはですね…もう「練習不足です」と。40過ぎ拳士さんのおっしゃるとおりですと。

ここであれば、「では、なぜ練習不足が起こるのだろうか?」と更につっこんで
考える必要があるのではないでしょうか?そして「単に練習時間が短いだけなの
だろうか? それとも別の理由があるのだろうか?また、それを解決するためには
どうすればいいのだろうか?」と、このように考えてこそ、改善に向かっていく
のではないかと思います。


少林寺拳法をなさっている方の中には、アップルさんやSyamiさんを始めとして、
ビスキュイさんのような捉え方をされる方が非常に多いかと思います。少林寺に対する
批判に対しては、「それは人による」「指導者側に問題がある」「ウチの道院はちゃんと
やってる」「強い人も中にはいるよ」…ナドナド、このようなご意見ばかりが返って
くるような気が致します。しかし、これでは本当の問題解決にはなっていないはずです。

ただこれも、いつだったか138Bさんが仰られていたように、私と同じような問題意識を
他人に押し付けているだけなのかも知れませんね・・・。

926通りすがりの休眠拳士:2004/03/10(水) 00:00
ご質問についてお答え致します。

>逆に「通りすがりの休眠拳士さんの教授法,修練法ならば少林寺の拳士達はみな少林寺の
>技法を実践,運用できるようになりますか?」と質問されたら…どうされますか?

全員100%とは言いませんが、非常に多くの拳士が、技を身に付けることができると考えて
おります。その根拠は、私は大学支部で後輩達に私の理論を指導してまいりましたが、
そこでの指導方針はあくまで「乱捕重視」であり、「法形を乱捕に実際に役立てる法」で
ありました。そして、その指導を行った結果として、演武の大会で非常に良い成績を残せる
ようになってきたことです。もちろん演武ができたら技術を習得しているとは決して言え
ませんが、「乱捕重視の姿勢を貫く事が、演武の上達に繋がった。」ということは、技法の
習得の結果と言えますし、また法形と乱捕が繋がったと言えると思います。

927アップル:2004/03/10(水) 00:19
>通りすがりの休眠拳士さん
>これでは本当の問題解決にはなっていないはずです。
そうですね、その問題に面している人にはなんの問題の解決策のアドバイスには
ならないかもしれません。ですが、私からするとそんなもの問題でも何でもないわけでー。

んで、通りすがりの休眠拳士さんはどんな解決策でどのような行動をされましたか?
休眠拳士ということで今は練習はできないのかもしれませんが、
なにかお考えなのではないでしょうか。その辺が興味があるところですねぇ。

私が選んだ解決策はココ「丸廉」でした。うまくいきつつありますよん。

928アップル:2004/03/10(水) 00:22
おふ、失礼。
>私は大学支部で後輩達に私の理論を指導してまいりましたが、
>そこでの指導方針はあくまで「乱捕重視」であり、「法形を乱捕に実際に役立てる法」で
>ありました。そして、その指導を行った結果として、演武の大会で非常に良い成績を残せる
>ようになってきたことです。

実行されていたのですね。すんばらしい!
私は演武がうまい=乱捕りがうまい
だとずっと思ってます。ですが決して大会で表彰されるものが
私にとってのうまいではありませんがね。演武はとっても楽しいです。

92940前拳士:2004/03/10(水) 00:50
>>897 赤影さん

これまた、全く仰る通りです。
ウエートトレーニングは、筋力アップのためには最も有効だと思います。
武道・武術と同じく、沢山の人が懸命に研究してきた積み重ねですし
どんどん新しい科学的発見もありますから。

「自分より相当マッチョな人には吹き飛ばされる」というのも
私自身、骨身に染みて分かっているつもりです。
ただ、40になって、これからどういう練習をしていくべきか考えたときに
語弊がある言い方かもしれませんが、
「力も技のうち」という考え方は一旦捨ててみようと考えました。

一方で、まだ40代ですから、
今まで知らなかったものを色々吸収したいとも思っています。
それで、今は所謂伝統派空手の道場で修行させて戴いています。
全く違う基本を、少林寺の基本と比較しながら、楽しんで練習しています。

93040過ぎ拳士:2004/03/10(水) 00:51
 あらら、また「40前」って書いてしまった。
 皆さん、乱捕は結構ですが、パンドラには気をつけましょう。(笑)

>>904 通りすがりの休眠拳士さん

>この部分については、やや同意しかねます。なぜなら、(これまでの投稿の
>中でも、言外に含めたつもりですが)この言い方ですと、少林寺拳法に
>内在する問題点に目を背けてしまっているような気がするからです。

 仰ることは良く分かります。
 私個人は、もっと単純に考えています。
 「一拳必殺ではなく一拳多生」
「一人のチャンピオンを作るのではない」というような開祖の言葉は、
 終戦直後の混乱期や、
学生運動が激しかった時代や、
 「血の汗流せ涙を拭くな」という歌に皆が感動した時代や、
そうした時代が背景にあってこそのものだと思うのです。
開祖は禅坊主です。
もし「運動会ではお手手つないで仲良く一緒にゴール」という今の時代に御存命なら、
全く別の言葉を発せられると思います。

931ビスキュイ:2004/03/10(水) 01:32
>通りすがりの休眠拳士さん

温度差ですか!?いや〜確かに「全てを投げ捨てても少林寺拳法に邁進するぜ!」
というほどではないのであまり高温ではないですね〜。でもあまり低くもないつも
りですよ♪
さてさて…それでですね…うーん,なんて言ったらいいかな…
当たってるかどうかは分かりませんが,なんかこんな感じがしてきました。

通りすがりの休眠拳士さん
・出来ていない原因を分析してその対策を考える。


・出来ている人達を分析してその共通の傾向を考える。

んでこんな感じ↓

「出来てない人達がこんなにいる!きっとこの体系がまずいんだ。変えよう」
「いやこの体系でも出来てる人達がいるじゃん。で,どうもこの体系をカクカク
シカジカのやり方でやれば出来るようになれそうだぞ」
「いやそのカクカクシカジカのやり方が出来ないから現在の状況があるんだろ」
「いやそのカクカクシカジカのやり方が出来ないんじゃなくてしてないんだって」
「いや出来ないんだよ。出来てれば現在の状況になるわけないだろ」
「いや実際に出来てる人はいるんだし。出来てない人達はカクカクシカジカのやり方
をしてないんだって」
「いやしてないんじゃなくて出来ないの。実際俺が考えてるやり方で効果が上がって
いる」
「カクカクシカジカのやり方をしてる人達だって効果は上がってるだろ。そのやり方を
してる人達は出来てるんだぜ?」
「いや実際に出来てない人達がこんなにたくさん…」
以下繰り返し

932ビスキュイ:2004/03/10(水) 01:47
それとですね…先ほど>>925の中で引用された

>ここの部分こそが「指導のあり方の問題」だと思うので
>す。実際に私がお世話になったことのある先生方を例に考えると…

>「じゃあなんで不寛容な拳士や先生が存在するんだ?」
>…なんででしょうね〜?ホントに不思議です。

この部分は通りすがりの休眠拳士さんの
「1、具体的且つ詳細な例を示してしまっているため、例以外の変化に対する寛容性が
  薄れるのではないか?」
と言うご質問に対する私の回答からのものですよね?あそこで私が言いたかったことは
ですね…

「具体的且つ詳細な例を示してしまっているため、例以外の変化に対する寛容性が薄れ
るのだとするならば,なんで何十年もその体系に従って練習してる先生に変化に寛容な
人達がいるのですか?それっておかしくない?」

ってことなんですよ。全て例外ですか?でもそれも何だか…

933ビスキュイ:2004/03/10(水) 02:20
あとですね…

>これはですね,「人によります」としか答えようがないです。原因は様々,出来てるか出来
>てないかも人それぞれ。ホント十人十色。

これ。これは通りすがりの休眠拳士さんの

「3、実際問題として、拳士達・先生達は少林寺の技法を実践、運用できているのか?
 もしできていないとしたら、それはなぜか?」

に対する回答ですが…
この回答は真剣も真剣,大真面目な回答ですよ。

まず最初の部分「少林寺の技法を実践、運用できているのか?」についてですが…
実際出来てる人もいるし出来てない人もいますよね?仮に「出来てない」って答えが
正解だとしたら,出来てる人達の存在はどーなってしまうのですか?逆に「出来てる」
と答えたとしたら出来てない人達の存在は??「人によります」以外に答えようがない
と思うのですが…
次に「もしできていないとしたら、それはなぜか?」この部分。これに対する「原因は
様々」この回答。これも曲がりなりにも指導の任に携わるものとしてこれ以上ないくら
いに真面目な回答です。
通りすがりの休眠拳士さんも後輩の皆さんを指導されているならお分かりでしょう?技が
掛かる時の条件は大体同じですが,掛からない原因はホントに人それぞれです。同様に少
林寺拳法の技術を使いこなせない原因も人それぞれです。基本が出来てないからかもしれ
ない,筋力が足りないからかも,バランスが悪いからかも,技を知らないからかも,乱捕
り練習が足りないからかも,故障があるからかも,少林寺拳法が合ってないのかも,飽き
てきたからかも,眠いからかも,疲れたからかも,お腹が空いたからかも,心配事がある
からかも…。「原因は様々。人それぞれ」としか言い様がありません。
言葉遊びでも誤魔化しでもなく,真剣な私の回答です。

934求道s00@遅い昼飯中:2004/03/10(水) 17:04
皆様ご無沙汰しております。と言うほど書き込んでいないので恐縮なのですが。。
通りすがりの休眠拳士さんをはじめ皆様のご意見いずれもごもっとも、且つ精巧緻密で大変勉強になります。
僭越ですが、直前までの議論は、指導の場というか、対象とする少林寺修行者の像に認識のずれがあるように思います。
おそらくビスキュイさんの仰るように現在の少林寺拳士の構成はとっても多様性に富んでいて、こちらにあわせればこちらがあわず、と言うような状況があるんではないかと思います。
そうした中で、皆が強くなって行くにはどういう形が適切であるか、と考えるのは難しいですね。。。こうなってくると技術論と言うより、少林寺はどうあるべきか論になってしまいますです。指導者の質、と言うお話ともからんできますが、乱捕、応用変化完璧のそれこそ師匠と呼ぶにふさわしい人間が指導者ならば法形なしでも指導できるでしょう。また、学ぶ方もある程度運動が人並みにできるような青年ならば乱捕の中での習得も、殺伐とした雰囲気での平常心鍛錬もできるでしょう。しかし、運動神経しょぼしょぼの人間が、そこそこ技ができるという程度の先生に教わる局面を考えると、現法形のような構成がメリットとなるのではないでしょうか?もちろん、そのようなしょぼい状況じゃそもそもだめだよ、そこがいかんのだと言われてしまえばそうなんですけどね。これは大変レベルの低ーい話です。でも、全く武道やったことがない運動神経なしのしょぼしょぼデブにぶ君が、少なくとも素人の攻撃からちょっとでも身を守れた、と言うだけのことでも、その人にとってはものすごいメリットでしょう(自分のこと言ってるみたいだが)。だめだこりゃレベルの指導者も現法形という指導書があることでそこそこレベルの指導者になると言うこともあるのではないでしょうかね(幸い私の御師様は御神楽じみたこともすすんで経験している猛者ですが)。だとすれば技の数は多い方がいいはずですね。
誤解のないよう念を押しますが法形にはそう言う場合のその程度の効用しかないと言ってるのでは決してありません。しかし、法形というものの構成が単に理想的な教授環境においての技術の効率的な習得と言う視点にのみによってできているわけではないのではと言うことなのです。
私的には、確かにある的確な条件(練習時間が沢山とれる、修行者がある程度肉体・思考力的に優秀、指導者が優秀など)のもとでは、現行法形よりも効率的なメソドロジーがあり得るだろうと考えます。。ビスキュイさん、この点に関しては如何でしょう?この点に関して私は通りすがりの休眠拳士さんに近い意見かもしれません。
しかし、様々な状況で、様々な相手に教授するものだと言うことを考えたとき、現行法形はなかなかイイ線を行ってるのではないかなぁと漠然と思います。
例えば、金的蹴膝受波返と逆蹴膝受波返の差なんかは実際乱捕りの中で覚えた方が(怖いけど)しっくりくると思える部分なんですけど、がんがん金的ありの乱捕りができないような環境にいる人にとってはあえて明示的に教わることで得るものもあるのかなと。
金的乱捕りしろよ、と言われればそれまでですが。私もそうなんですが、乱捕りなんてとても。。。みたいな入門者が「多少殺伐としても強くなりたい!」と言う風に意識が変わっていくこともあります。そんな僕のようなヘタレの入門者には今の法形は大変とっかかりやすかったと思います。このたくさんある階段を少しづつ昇っていけば強くなれるのではないか、と言う錯覚というか、信仰が私のような弱虫には有効だったのです。その信仰の対象は壮大で技数が多くて神秘的である方が心理効果が高いのは言うまでもなく。。。で、少しだけステップアップして先輩にがつーんと喰らうと、そうか、これだけではだめなんだなと目が覚めるのです。そのころにはもうちょっとだけ強くなろうとを考えられる位には成長しているというわけでした。
また、これは論点がずれますが法形をより効率的なものに換え、乱捕り修練の時間をどかん、と増やすと少林寺修行者の人種構成ががらりと変わるでしょう(ついていけない、と言う人続出??)。ここを換えずに、修行を続けるうちに修行者の意識が自発的に変わって、もっと乱捕りしたいぞ、もっと練習時間とりたい、と言う風に変わっていくならばそこが少林寺の目指すところでは、と言う気がします。弱い人間を強くする、と言う意味では、はじめはしょぼしょぼのヘタレの、「あのぅ。。僕にも。。。使えるようになりますか?」言うようなしょぼい奴が、こう来たときにはこうだ、と教えられて何となく強くなったような錯覚をして、しかるのちにいや、これだけではだめだ、と言う。。そうなったときに、ビスキュイさんをはじめ皆さんが試みられている工夫が活きてくるのではないかという気がするのですが。。。レベルの低い話で失礼致しました。

935アップル:2004/03/10(水) 17:36
コソーリ・・・

936名無しさん@いらっしゃい:2004/03/10(水) 18:17
>913 名前: Syami@Office 投稿日: 2004/03/09(火) 18:11
>
>あ〜、まぁ、我々の場合「修行」だからねぇ。

Syami@Office殿、ここについてもっと詳しくお聞かせ願えますか?
「修行だから、○○○」の、この○○○の部分を!

937アップル:2004/03/10(水) 19:19
>ビスキュイさん
>「原因は様々。人それぞれ」としか言い様がありません。
ほんとにそうだと思います。各人の修行ですからね。
指導者が同じだからって修行者が皆おなじ修行をしているとは思えない。
主役は常に私達修行する拳士ですからね、指導者ももちろん修行者。
自ら動いた人間がやっぱりなにかいいものを得るんじゃないかと思ったりします。

>求道s00@遅い昼飯中さん
>少しだけステップアップして先輩にがつーんと喰らうと、そうか、
>これだけではだめなんだなと目が覚めるのです。
>そのころにはもうちょっとだけ強くなろうとを考えられる位には成長しているというわけでした。
すごーくわかります。ちょっとした心構えや気持ちの変化。すごく大事なことですよね。
以前、すりぃぱぁさんが意を決してTs577さんに乱捕りで向かっていったエピソードを思い出しました。

法形の話から離れてるけど、こういうのいいなぁ。ニヤニヤ。

938赤影:2004/03/11(木) 00:28
>ただ、40になって、これからどういう練習をしていくべきか考えたときに
>語弊がある言い方かもしれませんが、
>「力も技のうち」という考え方は一旦捨ててみようと考えました。

私も「力で投げてやろう」なんては思っていませんよ。現代人は昔の
人に比べて動いていない。体力がない、でも鍛える時間が取りにくい、
から、効率よく「筋肉を」鍛えましょう、と言う趣旨です。
まず人間として、頭でっかちの「火星人(昔のイメージ)」になっては
いけませんという趣旨です。また、ウエートの姿勢はあくまで「筋肉を鍛える」
姿勢なので、当日に基本等で、武道の姿勢(神経制御)に戻す必要があります。
私も同じような世代ですが、今でも体力は上がっています。(元が低いからかな?)
で、年を取れば退化とのとの戦いです。時間をかければ活性酸素が増えるので、
より短時間により効果的に、あるいはより脳内ホルモンが出やすい状態に、
練習すべきでしょう。

で、練習は同じ原則から無限の変化を導き出せれば、効果的な練習となるでしょう。
そのための、原則の確認であり、動きの座標が法形だと思います。
だから、乱捕り中は攻防を研究し、その後の反省で、乱捕りの動きを法形の
原則で復習すると言う方法論を推奨します。

先に述べました、「無駄のない速さ」が年齢を超えた強さを維持できる秘密だと思います。
直突き一つでも。「本当にまっすぐ」打てる人は、私もそうですが、あんまりいないように
思います。最良の攻撃、防御、これを攻防の瞬間に体で出せるようにならないと
いけません。そのためには、同じ原則の動きを、鋳型にすることなく、徹底的に精錬するこ
とが必要だと思います。

93940過ぎ拳士:2004/03/11(木) 01:36
>>938 赤影さん

 話の方向が変わりますが、
 前にちょっとだけ書いた、ジャズダンスの巨匠との出会いが
 今までの自分の練習法を見直す一つのきっかけになりました。
 先生は今月79歳になるのですが、
 今でもまだ、1日4時間・週6回、クラスで教えています。

 良く形だけの武道を批判して「ダンス」と言われたりしますが
 それはとんでもない話で、
 ブロードウエーのプロダンサーの世界は
 肉体的に非常に過酷な世界です。
 1回2時間のステージを、週6回こなさなければなりません。
 そのために、肩・腰・膝の故障も多く、
 才能がありながら、若くしてダンサー生命を絶たれる人も少なくないのです。
 この先生の下には、その過酷さに耐えるトレーニングを求めて
 ダンサーたちが集まってきます。
(トラボルタもマドンナも、この先生に習っています。)

 この先生の経歴はまたちょっと特殊で、
 21歳のときに交通事故で半身不随になり
 医者からは「一生歩けない」と宣告されたにもかかわらず、
 自分でリハビリ法を編み出し、見事にカムバックして
 40本以上のハリウッド映画に出演した、というものです。
 彼のダンス・メソッドは、そのリハビリ法が基になっています。

 先生が教室で語る言葉の中で、いくつも引っかかったものがありました。

1)私は「ワーク・アウト」という言葉が嫌いだ。
  正しい動きをすれば、「ワーク・アウト」(=消耗)なんてしないのだ。
  踊る前よりも踊った後の方が、身体の調子が良いはずだ。
  2時間のステージが終わった後に、
  もう1ステージ踊りたくなるというのが正しい。
  だからこんなジジイでも、今でも1日4時間踊れる。
2)特定の部位を取り出して鍛えるべきではない。
  身体というのは、全体で一つの動きをするものだ。
3)ステップに気を取られてはいけない。
  それよりも肩の動きに注意する。
  肩がスムーズに動けば、ステップはついてくる。
4)練習と日常生活の間に切れ目は無い。
 「最近、運動不足だからジムに行こう」というのは変だ。
  椅子に座っているとき、首・肩・肘など
  それぞれが正しいポジションにあるか?
  バスを待っているとき、正しい立ち方をしているか?
  そういうものが全て良いトレーニングになる。
5)ダンスのクラスを「初級」「中級」「上級」と
  分けるべきではない。
  プロだって、始めたときは初心者だ。
  初心者は、プロのようなつもりで練習すべきだし、
  プロは、初心者のようなつもりで練習すべきだ。
  練習するときは、過去に自分が今までしてきたこと、
  未来に自分が目指すこと、どちらも忘れて
  今この瞬間に集中しなければならない。
6)ケガをしたときも休まない。
  自分が動ける範囲で動き続けること。
  その限界は、君の身体が一番良く知っている。

940Syami:2004/03/11(木) 02:16
おぉ!すばらしい!!
流石一流の方の仰ることは違いますねぇ。

私の太極拳の師父も同じような事を仰っていました。特に

>正しい動きをすれば、「ワーク・アウト」(=消耗)なんてしないのだ。
>踊る前よりも踊った後の方が、身体の調子が良いはずだ。

の部分と内容は同じだと思いますが

「太極拳の訓練は休憩しているのと同じだ。特に打ち合っている時は私は休息している。
だから打ち合った後は私は休んだ後と同じなので元気になっている。」

と、仰っていました。

941Syami:2004/03/11(木) 02:27
>良く形だけの武道を批判して「ダンス」と言われたりしますがそれはとんでもない話で、

これには激しく同意です。大学の授業でソシアルダンスを一年間やりましたが
足腰には大変なストレスがかかったモノです。
常に正しい姿勢を維持する、かつそれを崩さぬようにステップを使って動き回る。
おまけにパートナーもリードしなければならない。
これは大変な運動強度でした。

942赤影:2004/03/11(木) 18:21
>先生は今月79歳になるのですが、
>今でもまだ、1日4時間・週6回、クラスで教えています。

超人ですね。武道に限らず、こういう人は励みになりますね。

>流石一流の方の仰ることは違いますねぇ。
禿道。

943通りすがりの休眠拳士:2004/03/12(金) 00:34
>>931>>933 ビスキュイさん こんばんは。

レスありがとうございます。私は決して、ビスキュイさんがテキトーに考えていらっしゃるとか、
真剣でないとか、そういうことを申し上げている訳ではありません。ただ、少林寺拳法に何らかの
問題があった場合に、「確かにそういう問題もあるます。でも ※※それに当てはまらない人も
中にはいるから※※ 別にイイでしょう。」という考え方に、異義を申し立てたかったまでです。

そのようにして問題を片付けてしまうのではなく、「なぜ、そのような問題が起こったのか?
なぜ、そのような傾向が強いのか?その問題は、どうすれば解決するのだろうか?」と、一段掘り
下げて考えると、もっと別の問題が見えてくるんじゃないかなぁと、ちょっと(´・ω・`)ショボーンと
してしまったのです。。。

この点について少しだけ補足致しますと、例えばビスキュイさんが

>「具体的且つ詳細な例を示してしまっているため、例以外の変化に対する寛容性が薄れ
>るのだとするならば,なんで何十年もその体系に従って練習してる先生に変化に寛容な
>人達がいるのですか?それっておかしくない?」

この様に仰られているところも、>>925 の失業率の問題に置き換えてみますと、

 「○○の理由でこの国の失業率が高いとするならば、なんで何十年もこの国に住んでいて、
 ずっと定職に就けている人達がいるのですか?それっておかしくない?」

のように繰り返し仰られているのです。「失業していない人もいる」というのは、
「失業率が高い」という問題を反証できる理由には成り得ないと思います。
すなわち、「中には寛容な人達もいる」や「中には技を使える人達もいる」は、
「現行の技術体系には弊害が大きい」という問題を、決して反証できてはいないのです。

お分かり頂けますでしょうか・・・?

つづく

944通りすがりの休眠拳士:2004/03/12(金) 00:35
つづき

逆に、私がこれまでの論理を展開する上で、非常に気を遣ったのが、コレコレの「危険性が
ある」とか、コレコレの「傾向が強い」とか、「一般的には」とか、そのような言い回しを
しようと心掛けてきた点です。一例として下記をご覧下さい。

>より、「この動き以外のものは間違っている」といった認識を招く危険性が高いと
>いうことです。(あくまで危険性が高いという言い方をしたことにご注意下さい)

>上記のような「危険性」が挙げられるのではないかと思います。もともと、丸廉の

>そして、このような傾向は、高い段位を持ち、少林寺拳法を深く研究している方に

>その理由は、一般的な少林寺拳法家が、よほど法形の応用・変化に不寛容だから

>しかし上記のような体験は、決して珍しいものではないでしょう。某巨大掲示板でも、


このように、私は少林寺拳法が「本質的」「内在的」「一般的」に持つ問題について、
論考を展開してきたつもりです。その上で、一体少林寺拳法には何が足りないのだろうか、
より良くなっていくためには何が必要なのだろうか、と考え続けてきたわけです。

しかしながら、勿論私のそんな考え方をビスキュイさんに押し付けるつもりはございませんが…。


堂々巡りを避けるためと、若干脱線気味とも感じますので、この辺で。

945通りすがりの休眠拳士:2004/03/12(金) 00:38

「法形と乱捕にまつわる技術論」については、そろそろ議論が煮詰まってきたところ
でしょうか。ただ、この先の「少林寺に何を求めるか」に拠る部分になりますと、
それこそ人それぞれだと思いますので、「論」として話をするべきではないかと思います。

ココから先は、私の個人的な希望と申しますか、「少林寺拳法がこうだったらいいのになぁ」
というヒジョーに自分勝手な理想、妄想(w)を書かせて頂きます。勿論、反発・反論の類が
ビシバシ飛んできそうですが、そこは、丸廉にフラッと立ち寄った一休眠拳士の独り言だと
思って、聞き流してやって下さい。
(一応、私なりの少林寺愛から生まれた妄想のつもりですw)

つづく

946通りすがりの休眠拳士:2004/03/12(金) 00:40
つづき

少林寺拳法では、「法形が使えない」「少林寺は弱い」などの批判も多々ありますが、
その他に、「他武道と比べて特出した技法」がない(もしくは少ない)という問題も
あるように思えます。

もちろん、宗教的な教えの部分や、丸廉HPの「なぜ最初は払うのか」の部分などは、
少林寺拳法の非常に素晴らしい特徴の1つではあると思います。

しかし、教えや精神性については、他の武道(柔道、剣道、合気道、空手道…)でも
教えられている(むしろ非常に強調されている)部分ですし、「最初は払う理由」も、
単独では素晴らしいのですが、それを以ってして少林寺の最大の特徴であると言うには
弱いかなという気がします。また、技法でと言う事なら「圧法」がありますが、>>814
40過ぎ拳士さんが仰られているように、 1000人入門者がいて「圧法」にまで
辿り着ける人はホンの一握りしかいないでしょう。従って、「圧法」がある故に少林寺は
素晴らしいと言ってしまっては、それを習えなかった大部分の拳士達が浮かばれません。

特に、<他武道との対戦>を想定した場合、少林寺の「特出性の無さ」は顕著に表れると
思います。例えば、

 <剛法では>
  空手(フルコン・伝統)、ボクシング、キック等々の、打撃系格闘技の経験者には、
  今の少林寺拳士ではほとんど歯が立たないと思います。私の習っている伝統空手で
  言えば、乱捕をそこそこやっている程度の少林寺三段〜四段レベルでは、おそらく
  彼らに触ることもできないでしょう。私も、かつてそうでした(マジ)。

 <柔法では>
  柔道、柔術、レスリング、サンボ等の経験者にも、今の少林寺では通用しないこと
  でしょう。私は柔道初段&少林寺三段ですが、その私でも、柔道三段の現役の人に
  まともに組まれたら、おそらく5秒と立っていられないと思います(これも本気)。

 <総合では>
  では打撃&組技の両方を想定した総合ルールではどうでしょうか。これもやはり、
  修斗や大道塾や、いわゆる総合格闘技をやっている人には、少林寺では勝てない
  のではないかと思います。(上記は憶測ですが、当たらずとも遠からずでしょう)

 <街の喧嘩では>
  この辺りの話になりますと、対武器や対複数、その他諸々の条件も関わってきますし、
  また「なぜ最初は払うのか」で論じられているように、法廷で有利に立つための戦略
  のような部分も絡んできますので、一概には言えません。ただし、(私の超個人的な
  意見で言わせて頂ければ)この場では柔道が非常に有利なように思います。柔道の
  投げ技では、相手をほとんど傷付けることなく、相手を制することができます。
  それに、狭い場所でも使える技はありますし、立ち状態での絞め技等は非常に有効
  かと思います。

まあ長々と書き連ねてしまいましたが、私なりの、少林寺の対 他武道論です。
おそらく、細かい部分については多少の反論は出うると思います。しかし、大筋の流れ
として、少林寺拳法は「剛法」も「柔法」もあって、一見何でもできそうでいて、実は
何にもできない。これじゃ、某有名RPGでいう「サマルトリアのお(自主規制」状態
なんじゃないのか!? っていう流れには、少なからずご納得頂ける部分が多いのでは
ないかと思います。

つづく

947通りすがりの休眠拳士:2004/03/12(金) 00:41
つづき (ようやく主張の部分です)

それでは、ボクシングはパンチの技術で随一、テコンドーは蹴りの技術で随一、柔道は
投げ技の技術で随一、伝統空手は突きの速さで随一、総合格闘技は総合ルールで随一、
プロレスは打たれ強さで随一・・・エトセトラ。 他の格闘技では上記のようなそれぞれの
特長がありますが、少林寺拳法には何にもないのでしょうか?

もう1つ。 少林寺拳法には、確かに素晴らしい教えや道徳観・精神論などはあるのに、
やはり格闘技術的な部分で言えば、他に勝るものというのはないのでしょうか?少林寺は
所詮、宗教的教えの部分が「主」で、武道・武術は「従」に過ぎないのでしょうか?
開祖が、「力愛不二」という言葉はなぜ「力」の方が先に来て「愛」が後なのかを考えて
みよと仰られていましたが、現在の少林寺では、まず「力」を教える事はできないので
しょうか? 


私の答えは、否です。

私は、少林寺拳法には他武道には決して真似のできない、素晴らしい「格闘技術」が
あると考えております。それは、

 「全格闘技の中でも、<防御の技術>では随一」

ということです。

ここから先は、本当に私の理想論だけになってしまいますが、例えばどんな打撃格闘家でも、
少林寺の拳士からクリーンヒットを取ることは難しい。あるいは、どんな柔道家やレスラー
でも、少林寺の拳士からはそうそうテイクダウンを取れない。もしそんな技術を、少林寺拳法
の中で身に付けることができるとしたら、それは素晴らしい事ではないでしょうか?

つづく

948 通りすがりの休眠拳士:2004/03/12(金) 00:41
つづき

私は、そんなような理想(半ば妄想?)を少林寺拳法に期待しているのです。そして、
少林寺拳法の教え的にも、技術的にも、これは十分実現しうることだと思っております。

それゆえ、「そのためにどうすればよいか」「現状では何が問題なのか」「もっと理想に
近づけるためにはどうしたらいいか」を、深く追求し、日々研究研鑚し、試行錯誤を繰り
返して参りました。私が >>778 以来、ずっと首尾一貫して述べて参りました主張は、
ある意味では、このような理想を見据えての論考の結果だったとも言えます。

つづく

949通りすがりの休眠拳士:2004/03/12(金) 00:42
つづき

現在私は、某流派の伝統空手を学んでおります。そこで、突きの鋭さでは格闘技界でも
屈指の技術を持つ空手家達と、拳を交えております。しかしながら、私の打撃技術は、
あくまでも少林寺拳法ベースです。その私の技術と理論を、空手の世界で試し、さらなる
高みに登ろうと研鑚を積んでおります。そこではいつも新しい発見があり、素晴らしい
実践の場だと思っています。さしづめ、いつぞやの英語の習得の例(>>840>>841)で
言えば、文法過多の修行場を離れて、海外へ行って現地で英語に揉まれているといった
ところでしょうか。

実際、入門当初こそ伝統空手家のもの凄い突き技にほとんど反応すらできませんでしたが、
既に1年半の経験を積み、黒帯(初段)を頂いた今では、少林寺の技法を運用する事で
かなりのレベルで彼らの技を防げるようになってきました。まだまだ自分から攻めに回って
ポイントを取れるほどにはなっていませんが、こと防御技術という点においては、私より
二段階くらい強い人でもなければ、そう簡単に私からクリーンヒットは取れないでしょう。
(勿論、私より二段階どころか三段階も四段階も強い人がゴロゴロいるのがこの世界ですが)

このように、私は空手において少林寺拳法の技法を運用し、また私なりにカスタマイズする
ことによって、私なりの防御技術をホンの微かながらではありますが、体得しつつあります。

しかしこれは、現行の少林寺拳法の技術体系とカリキュラムのままでは、到底無理だと思って
おります。私がもし少林寺拳法だけをやっていたのでは、今の私程度のレベルになるのにさえ、
一体あと何年掛かるのか分かりません。何年やってもできないかも知れません。なぜかと言えば、
繰り返し言うようですが、乱捕の練習量が圧倒的に足りないからです。法形と演武に時間を
取られすぎているからです。従いまして、>>873でビスキュイさんが仰られた、

>私と通りすがりの休眠拳士さんがそれぞれ練習メニューを組んだら,結
>局のところ内容も時間配分非常に近いものになるんじゃないかな〜と思

これはおそらく、随分違うものになるのではないかな〜と思います。もちろん一日だけの
練習メニューという目で見たら、一緒の内容になる日もあるかも知れません。しかし、
トータルのカリキュラム構成という視点で考えた場合は、私の必要と考える乱捕練習時間は、
ビスキュイさんが考えているより遥かに大きいものではないかと思います。


ラストにつづく

950通りすがりの休眠拳士:2004/03/12(金) 00:45
ラスト

またまた思いも掛けず長文になってしまいました。
まあ、この辺りは私の妄想だと思って、どうぞご容赦下さいませ。

要するに、少林寺拳法には(・∀・)イイ!ものがたくさんあるのだから、それを
上手く使えるように練習しなきゃ勿体(・A・)ナイ!ということが言いたかった訳です。

なんだか、「通りすがりの」って言ってる割にはカナーリ長居してしまっているので、
この辺で失礼します。

951rusher:2004/03/12(金) 01:30
読んでいて、つくづく自分には少林寺拳法に対する愛着(執着)も幻想もないなと自覚しました。

自分は、定量的評価もせず、定性的仮設をぶつけあうだけの《議論》にはお付合いしたくありませんでした。
どうせ水掛け論になるわけだし、滅多に情緒的納得もえられません。
誰かさんの実証より自分の実証のほうが大事です。
そして自分の時間は、稽古/勉強/休養、自分にとってより有意義なことに使いたいです。
だからお付合いしませんでした。今後もお付合いしません。

以上、不躾ながら、傍観者が感想として不共鳴を表明しました。

952ビスキュイ:2004/03/12(金) 06:09
>ラさん
私の場合は…執着は結構持っちゃってるかもしれませんね〜。あま
り自覚はないのですが(;^_^A
ちなみに今回の議論は自分の中の方法論を言語化して再認識出来た
という点で私にとっては有意義でした(^O^)

953rusher:2004/03/12(金) 13:15
>>952
>ちなみに今回の議論は自分の中の方法論を言語化して再認識出来たという点で私にとっては有意義でした(^O^)

そうでしょうね。
他者から摂動を受けないと自分の言葉は出てこないものです。
これでめでたく以下の状態を脱出できることでしょう。

>2573 名前: ビスキュイ 投稿日: 2004/01/14(水) 17:56
>
>>そういえばビス氏、武専の卒業はどうなった?
>
>私は高等科が大好きなので高等科3年をもう1年経験しますが何か?
>これで4度目,いや,5度目の高等科3年かな…?
>
>
>2574 名前: アップル 投稿日: 2004/01/14(水) 18:06
>
>>5度目の高等科3年かな…
>結構多いのかな〜、卒業に興味がない人。
>
>
>2575 名前: rusher 投稿日: 2004/01/14(水) 18:09
>
>>>2573
>よほど論文が苦手なのですね。
>交流会に出稽古に、書くネタが大量にあるでしょうに。
>拳士たるもの文武両道で行ったほうがよくありませんか?
>
>とはいえ自分も武専は休学しようかなと先月から悩んでる。
>オヤジのサロンよばわりされたから、惰性で続けるのイヤになった。
>
>
>2576 名前: ビスキュイ 投稿日: 2004/01/14(水) 18:12
>
>>よほど論文が苦手なのですね。
>>交流会に出稽古に、書くネタが大量にあるでしょうに。
>>拳士たるもの文武両道で行ったほうがよくありませんか?
>
>うっ…それを言われると耳が痛いです…
>確かに書くネタは大量にあるのですが,いまいち脳内での煮詰まりが悪いのですよね。
>煮詰まると一気に書き上げてしまうのですが…ってそんなこと言ってるようじゃまだダメか
>

954アップル:2004/03/12(金) 13:57
>ちなみに今回の議論は自分の中の方法論を言語化して再認識出来た
>という点で私にとっては有意義でした(^O^)
おしい!あと数ヶ月はやかったら進級できたのに!!ということかな?

955赤影:2004/03/12(金) 20:26
>私は、少林寺拳法には他武道には決して真似のできない、素晴らしい「格闘技術」が
>あると考えております。それは、
>「全格闘技の中でも、<防御の技術>では随一」

私は、少林寺は、「あらゆる条件から生還する」ことを「目標としている」
ことがすばらしいと思います。
しかし、現実は

>しかしこれは、現行の少林寺拳法の技術体系とカリキュラムのままでは、到底無理だと思って
>おります。

これに近いものがあると思います。これは「システム」ではなく取り組み人の
「質」だと思います。「時間がきたら昇段だ。5段だから俺は名人」みたいな
人が増えています。昔は「自分はまだまだ」みたいに「強いのに昇段が遅い」
人は少なくなりました。某空手が競技志向になったように、「昇段志向」
が増えています。
ただ、道場で、5段より強いのに、なかなか昇段しない初二段みたいな人がいる
考え物ですが。

カタチにこだわらす、いろんな武道を研究し、体力も増強し、しかし体力に
頼らない、地道な道を歩むことが大事だと思います。

95640過ぎ拳士:2004/03/13(土) 08:08
>>940 Syami さん

 もう一つ面白いな、と思ったのが
 その先生が強調する正しい姿勢と言うのは
 「含胸抜背」なんですね。
 腕を長く使うためというのが一つ、
 もう一つは、肩を後ろに引いて胸を張ると
 肩を痛めてしまうからだそうです。

957赤影:2004/03/13(土) 10:32
>その先生が強調する正しい姿勢と言うのは
>「含胸抜背」なんですね。

逆に、ベンチの基本は、胸を張り肩胛骨を後ろに寄せます。
スクワットも、腰を反らします。ショウヨウやエントウではありません。
私がウエートの後、数分でいいから、拳立て等武道トレーニングと基本をやれと言うのは、
こういうことです。あくまで、筋肉をふやしたり、重いものを持ち上げる
フォームと、武道のフォームは違うからです。

95840過ぎ拳士:2004/03/13(土) 17:42
>>957 赤影さん

 なるほど、その通りですね。

 今私は、新しい流派に入門したばかりで
 これまでとちょっと違った動きを練習するのに手一杯なのですが、
 もう少しして時間的に余裕が出来てきたら
 ウエイトトレーニングを再開したいと思っています。
 今が、もう一度しっかり身体をつくる
 最後のチャンスかな、という気もしますので…

959Syami@Office:2004/03/13(土) 18:56
>今が、もう一度しっかり身体をつくる
>最後のチャンスかな、という気もしますので…

ドキっ!?そ、そうかも。私もがんばろうっと!!

960Syami@Office:2004/03/13(土) 18:58
>腕を長く使うためというのが一つ、
>もう一つは、肩を後ろに引いて胸を張ると肩を痛めてしまうからだそうです。

私の陳式の師父も見事に同じ事を言っていました。

961曲家:2004/03/16(火) 11:16
なんか昇段に興味が湧かない曲家でした

962rusher:2004/03/17(水) 22:37
>>961
>なんか昇段に興味が湧かない

昇段のために払う労力がいや
昇段の結果もたらされるであろう責任がいや
昇段の結果もたらされるであろう●●がいや

いろんな理由が考えられますが……。

963アップル:2004/03/18(木) 09:22
「含胸抜背」ってなんですか???

964ビスキュイ:2004/03/18(木) 10:21
>「含胸抜背」ってなんですか???

中国武術における姿勢の要訣の一つだったかと。確かこの前Syamiさんが
矢筈守法をした時みたいな感じじゃなかったかな〜?違ってたらスマソ。

965Syami:2004/03/18(木) 10:27
>矢筈守法をした時みたいな感じじゃなかったかな〜?

まぁ、そうかな?あそこまで極端にしないけど。
直立して首を縮め肩を上げます。ここから軽く息を吐きながら、すっと脱力すると
肩が下がり胸は軽く凹み背中は軽く張られますね。これが「含胸抜背」です。
よく「弓を引いた姿勢」とも言われ、発力の準備姿勢とも言われる事もあります。

966アップル:2004/03/18(木) 11:36
>直立して首を縮め肩を上げます。ここから軽く息を吐きながら、
>すっと脱力すると肩が下がり胸は軽く凹み背中は軽く張られますね。これが「含胸抜背」です。

なるほど!ありがとございます!

967615期生:2004/03/25(木) 01:16
下を読まずに書いてます.

>>778
>では、なぜ少林寺拳法では、他武道の技に対しての防御法について、
>あまり命名(紹介?)されていないのでしょうか?具体的には、
>ローキックに対する防御、タックルに対する防御
>足払いに対する防御、寝技に対する防御
>絞め技に対する防御、関節技に対する防御・・・etc
>これらに対する防御法が、少林寺の一般的な法形としては存在しないのは

>>779
>しかし、では先のページで紹介されている、内受突の変化としての、
>肘打ち、膝蹴り、体当たり等の技に命名がされていないのはなぜでしょうか?

ごもっともですね.
私の答えは「知らん」です.ザクッ
まず法形の文章は私の私感であり,開祖やら大先生が実はこんな極秘文章残してました,言ってましたというものではないので,完結してないのはご容赦を.

逆小手と内受突のコトは,まずすべてを形式知とすることは出来ないという自明がありますので,今のところで「落ち着いた」と解釈するしかないかと思います.それでも相対的には形式化が進んでいる方だと考えます.

>>788まで読みました.

968615期生:2004/03/25(木) 01:28
法形の数について.
結局いくつあるのかは知りませんが,600くらいなら多いと思いません.これはもちろんもろに私感です.

>>793 とっしぃさん.
>全ての動きについて技の名前がついていたら・・・
>1.数が膨大な量になる
>2.技を全て覚えようとして大変なことになる
>3.新しい(法形に無い)動きに対して対応し切れなくなる
>4.それぞれの技をバラで覚えて関連付けが上手くいかない(>現状でもよくありますが・・・)
>5.研究の余地が狭まり(無くなり)楽しみが減る
>となるのではないでしょうか?
>私は技の数は少ないと感じたことはありませんが、逆に多すぎるとも思いません。
私もとっしぃさんに同じ.多いとも少ないとも.
すべての知を「形式知」にすることはでくないので,「>全ての動きについて技の名前がついていたら・・・」
ということをすれば,1.2.がもりもり増えてしまいますね.

>>795
>>法形は開祖存命中に確定されたものでありますが、殊更に新規開発を禁じられたものではないと考えます。
>そうなのですか。むしろそうであって欲しいと願います。
>いつまでも何十年も前の技術体系を守り続けているだけでは、進歩は危ういでしょう。
危ういですね.躰道では大会なとで日々新しい動きが生まれているそうです.見習わねば.

>>798まで読みました.

969615期生:2004/03/25(木) 01:35
おもしろいなぁ (・∀・)ニヤニヤ

>>806
>順番にレスするつもりだったのですが皆さんのテンポが速いので(私が遅い?)
ぷっ

970615:2004/03/25(木) 01:42
>>806
>中国武術の言葉だったと思いますが,「千招を知る者よりも一招を得たものを恐
>れよ(だったかな?)」という言葉があります。「千の技を知ってる者よりも一つ
>の技に熟達した者の方が恐ろしい」という意味だそうです。含蓄のある言葉です。
そういえば日本にも「多芸は無芸」という言葉がありましたな.
私がこの言葉をはじめて聴いたときドラクエ3の勇者を連想しました.
私はこの言葉がとても好きです.

>>809
>>4.それぞれの技をバラで覚えて関連付けが上手くいかない(現状で>もよくありますが・・・)
>バラで覚えるからわるいのでしょ?関連付けてれんしゅうすればよろし
これについては,現在の少林寺拳法の中では関連付けがまったく出来ていない黒帯が多いので,教育者もしくは教育課程に問題があると言わざるとえない現状があると思います.指導者の「指」「導」法に問題があるのかも.

809まで読みました.

971615期生:2004/03/25(木) 02:01
>>810 40前拳士さん
>数少ない技を徹底的に鍛える流派が「演繹法」だとすれば、
> 少林寺拳法の修行体系は「帰納法」になっている、ということです。
おぉ,この表現に萌え!! 収斂という言葉も生物屋さんにとってはさらに萌え!!


>>814
>特に危険な(それ故実は非常に有効な)技術のいくつかは
> 既に失伝しつつあるのではないかと疑っています。
同意です.まず失伝自体はいくらがんばっても必ずあります.
諄ようですが,完璧な形式知化自体がムリだからです.
40前拳士さん,興味深いお話ありがとうございます.
ネットが形式知化を強力に補佐するものであると信じています...

>>833
>総合の研究がしたい。対柔道の練習を。空手の技を取り入れたい。なんでもできると思うのよね。
>道から外れていなければ。
私は少林寺拳法は技術的には極めて肝要で,やっちゃいけないことは無いと考えています.だから「それは少林寺ではない」という言葉は,技術論ではなく精神論でのみ論じられるものだと考えていることは,今までも欠いたことがありました.
だからビス氏の「少林寺は弱い強いというよりも便利な技術」というのがとてもしっくりきます.



あぁ,それにしてもレスが多い.眠いよぅ.ザクッ

972615期生:2004/03/25(木) 02:27
>>833
>少林寺拳法を修める方達の間でよく言われているのが、「法形を乱捕で実践できない」
>「法形と乱捕が上手く繋がらない」「乱捕ではどうしても軍鶏の喧嘩になってしまう」
>そして、「少林寺が弱いと言われるのは仕方ない」と言うような批評です。これらの
>否定的な捉え方について、一般的に見れば、異を唱える方はあまりいらっしゃらない
>のではないかと思います。(ウチの道院は大丈夫、とかは抜きにして)
「よく言われている」ということに同意です.かなり多いと思います.

>「技の応用や変化は、法形からではなく、乱捕から身に付けるべきではないか?」
>私は逆に、少林寺拳法の技法の「教授法」や「方法論」こそ、最大の問題ではないかと考えているのです。

>>844
英語の例えとてもすきです.また拳法の例えは料理に例えるのも相性がいいようです.と思ったら,ビス氏がやってるではないか.
出国前に,Z会のパンフレットを本屋で見て少林寺拳法のことをいわれているような気がして持って帰ってきました.皆さんもぜひ本屋で読んでみてください.

>843
>少林寺をやる目的が、体育のため、健康のため、娯楽のためということであれば、
>私の考えは全く受け入れられないものなのでしょう。
>しかし、護身術として、危急の時に「使える」ための格闘技術として少林寺拳法を
>考えた場合は、果たしてこのままでよいのでしょうか?
ここらの文章書きたいなーまた怒られそうだが....むふふ.

ビス氏曰く,うんうん,皆さん同じコトを言っているという気がしますね.

>>860 40過ぎ拳士さん
> 練習量と切迫感があれば
> メソッドも真剣に追求するようになるのが
> 自然な成り行きだと思います。
これを聞くとほんとアップルさんの「予備校化」が思い出されますね.

ぶっちゃけ,拳士の中には強くなる気なんて無いだろなと感じるヒトは結構いますが,そんなヒトでも,習うたびに支部長が「この技は実践では使えませんから」を連呼していれば,ヤル気を失うと信じています.
強くなる気がないって言ったってまったくの虚構を学ぶ事に情熱を傾けれる人間なんてそうはいないと考えています.
やっぱり拳法は必然的に実践性を求めることが自明だし,そうなれば強くなることも程度の差はあれ拳士の望みであると思います.
・・・何を言いたくなったのか分からなくなったので,途中だけど止め.

973615期生:2004/03/25(木) 02:49
>>868
>従いまして、法形が多いというのは、術理とその変化・応用を身につけるためには
>どうしても「過多な」要素なのです。そしてその過多な要素は、無限ではない
>稽古時間の中では、ある意味では「障害」となっているのと考えます。

>>869
>法形が多いことの障害は、もう1つあると考えています。より正確に言うならば、
>法形が多いことよりも、むしろ法形で変化例・応用例を例示してしまっていること
>による障害です。

>HP上で、「法形は応用・変化させてもよい!むしろさせるべきだ!!」などという
>主張が声高に叫ばれていること自体が、他武道の人間から見れば、甚だオカシナこと
>なのです。
まったく同意.だからあの手のページ上げるときはとくに「私の私感〜」というのを強調しまくりたい気持ちに陥ります....

>よほど法形の応用・変化に不寛容だからなのではないでしょうか?
ズバリでしょう.W

905くらいまで読みました.ううう

974615期生:2004/03/25(木) 12:14
ようやく全部読みました.とてもボリュームのある内容でした.
一気に読むとかなり頭がこんがらがってしまいました.

みなさん,熱い議論ありがとうございました.とても勉強になりました.
やはり丸廉の本体は掲示板だなぁと改めて再確認できました.
通りすがりの休眠拳士さん,40過ぎ拳士さん,赤影さん,ビスキュイさん,その他大勢の皆様,
本当にありがとうございました.有効に保存させていただきます.

合掌

975ビスキュイ:2004/03/25(木) 12:41
簡潔にまとめてウプ汁

976615期生:2004/03/25(木) 13:37
そんなめんどくさいことはイヤン

977アップル:2004/06/07(月) 09:25
昨日、少年部の親御さんと交流を持つ機会があり、いろんなお話を聞くことが
せきました。

皆楽しそうにしている子供をみてうれしそうでしたけど、なかに一人だけこのような意見もありました。
「ほんとはやめさせようかなと思うことがある。喧嘩ができなくなってしまうから。
子供のうちは喧嘩ばっかりでいいんですよ」

おもしろい話でした。できなくなるという理由とは、
・少林寺拳法を学んで、技術を学び、心に余裕ができ、喧嘩なんてしなくてすむ人間になるから。
だそうです。できないというか喧嘩やらない人。

父兄A「アップルさんも少林寺はじめて喧嘩なんてやってないでしょう?」
アップル「そうですね、喧嘩になるまえに事が収まるようにと考えますね」
父兄A「でしょう?それは正しいんです、間違ってないんだ。武道をやってる人はそうなるでしょう。
けど、子供にはまだそうなるまえにしっかり喧嘩できる男にしておきたいと思うのですよね。」

んー、そういわれてみるとそうなのかなぁと思う部分もあって、いろいろと話をききました。
殺伐中学生時代のはなしとかww

親御さんもいろいろと少林寺に対して求めるものがちがうのですねー。

978桜楽卍:2004/06/07(月) 11:41
私も少年部のお母様達といろいろ話した事あるけど、
ウチの方は子供をああしたい、こうしたいって話は出なかったなぁ。
お子様の、道場での様子と家での様子を語り合っただけで終わった…(´-ω-`;)

979曲家:2004/06/07(月) 15:42
胸章が無くなるって本当ですか
胸の「卍」好きなんだけどナァ

980アップル:2004/06/07(月) 16:04
>胸章が無くなるって本当ですか
本決定かどうかはしりませんけど、本部での支部長講習会などでは
話があったみたいですよ。

よし、615さん!12月くらいまでには3段とってラストアカマンジとしてがんがってくれよ。

981615@Mac:2004/06/07(月) 16:04
ほんとですよー
来年一月からだそうです。

982615`Mac:2004/06/07(月) 16:06
>980
同じこと実は思った。
赤卍は今はまだはやい、いらないと思っていたけど、自分の支部の赤卍を
いつかつけたいと思っていたので、、、三段=赤ではないけど、
滑り込んでお願いしたい気持ちはある。

983615@Mac:2004/06/07(月) 16:08
たぶん新しい胸のマークはもう商標?登録されているだろうから、
探せば出てくると思うのだが。
まさか半年前、発表もそろそろだろうから、申請すらしてないということは
ないと思われるが。審査中でもみれるそうなので、調べれば出るぞきっと。

984615@Mac:2004/06/07(月) 17:03
見つけた・・・
不思議なマークだ・・・

985Syami@office:2004/06/07(月) 17:10
>見つけた・・・
>不思議なマークだ・・・

何処で見つけた??URL教えてちょ!
どうだい?胸につけて誇りに思えるようなマークだったかね??

986アップル:2004/06/07(月) 17:11
私がさがそうとしたら「混雑しています」ってなったぞぅ。
気になるなぁ。

987アップル:2004/06/07(月) 17:19
>不思議なマークだ・・・
ほんとだ・・・。ふしぎなまーく。。

988名無し:2004/06/07(月) 17:24
美的にどうぞ。
貼付けました。

989Syami@office:2004/06/07(月) 17:33
むぅぅ…、これかぁ。
成る程、あれで卍の代わりに陰陽の配合を表現しようとしたわけね。ふむふむ…
でも盾の部分にもちっと工夫が欲しいなぁ。

990615@Mac:2004/06/07(月) 17:37
以後は「 スレ建てるまでもない…マターリ版」にてお願いします。

991615期生:2004/06/15(火) 18:51
弱いすれ12より
267 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:04/06/14 14:26 ID:3fSbu1zl
見学に行った支部では、たまたま何かの大会が近かったせいか、 黒帯が2人づつ6チームになって、演武の練習を繰り返していました。投げられる方が投げられたあとにどっちの方向にころがるかとか、その時の足の曲げ具合だとか、気合(ここは「アッ!」で、ここは「Uuum!」など)の種類とかを統一することに専心していたようです。1時間の一般部の時間の大半がこの作業に費やされていて、少し奇異な感じが否めませんでした。
見学者がいるのだから、少しはそれに配慮した内容の稽古をしたらいいのではないかなあというのが正直な感想でした。

281 名前:40代空手バカ@単身赴任中 ◆Udq6G4kV7Y [sage] 投稿日:04/06/14 22:56 ID:bgSBeQvj
>>267
なんで見学者を意識した稽古しなけりゃならんのですか?
あんた何様ですか?


283 名前:267[] 投稿日:04/06/15 10:07 ID:3ib8j41v
>あんた何様ですか?
見学者すなわち将来のお客様候補です。看板に見学歓迎と書いてあるんだけど、
これは見学して入門してほしいという意味なんじゃないのですか?
その見学者がいる状況で延々と267にあるような「作業」を行うのを見せ続ける
だけだったことについての感想を述べただけです。「見学者に配慮した内容の
稽古をしたらいい」というのは少し語弊がありましたね。

284 名前:MA++ ◆CssiEzvfS. [] 投稿日:04/06/15 10:49 ID:ed6jDaU3
( ゚Д゚)ポカーン

992615期生:2004/06/15(火) 18:52
285 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:04/06/15 10:50 ID:+usuawNb
>>283 >見学者すなわち将来のお客様候補です。

うゎ…、こういうのがマジで道場にやってくる時代なんだな。
どこにでも商業主義的見方を当てはめることに疑問はないのかなぁ?
まぁ、これだけ「不況だ」「お客様本意のサービスでの生き残り」とか
言われてる世の中だから、そういう見方のみが正しいって思いこむ
のも無理ないか。 次から見学者来たときには注意しようっと。


287 名前:267[] 投稿日:04/06/15 11:08 ID:3ib8j41v
>285
わたくしのことよりも、わたくしが見せられた内容について
ご議論いただければと思います。


288 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:04/06/15 11:28 ID:FwryW45X
見学に来た人は少林寺を見に来たわけでしょう?
そこで見せられるのは演武の大会に向けて号令を合わせたり、倒れる方向を調整する姿。
少林寺を誤解されるてもしょうがない気がします。
それとも最近はみんなこんな感じなのですか?
せっかく見学に来てくれた人に演武の一つも披露しないんですか?

今後一緒に練習するかもしれない人に対し、あまりにも礼の欠けた対応に思えます。
見学に来てくれた人は自分の時間を削っているのだから、お客様扱いして当然でしょう。
入門したらお客様扱いなんか必要ないけど。

少林寺の支部・道院は普通の空間ではあるけども、社会の中の一部である事には違いないはず。
少林寺の自分ルールを適用する前にまず、一般常識を適用すべきだと思います。

993615期生:2004/06/15(火) 18:56
267さんは「将来のお客様」といってるのでCUSTOMERの意味でしょうが、
288さんのいうお客様はVISITORでしょうから、もう少し対応があったかもしれませんね。

>少林寺の自分ルールを適用する前にまず、一般常識を適用すべきだと思います。
私もはじめは「お客様」という言葉を聞いてCUSTOMERを連想しました。
VISITORの方の連想はサパーリできずでした。やや反省。

994アップル:2004/06/15(火) 19:39
なるほど、バカだね。演武修練も含めて少林寺やん。見学したいなら
全部みてから本人が決めたらいいだけ。
うちは見学にきたらその場で練習に参加させちゃってるけどね。
何人か態度が悪いひとや礼儀が無い人は門前払いしてたよ。
カコイイゾ!支部長!!!

995rusher:2004/06/15(火) 21:20
>>991

>見学者がいるのだから、少しはそれに配慮した内容の稽古をしたらいいのではないかなあ


舞台の本番を見に来たのは客だろうけど、舞台の稽古を見に来たのはそのスクールに入ろうと思う者なんじゃないかな。
ならば普段の稽古を見せてやればいいじゃない。
その結果、見学者の意に沿わなかったのなら、それは残念でございました、と。

正道会館の石井館長のように、見学者が来たら上手な白帯色帯をわざとその近くに並ばせて
「あなたもこのくらいになるんですよ〜」といった商売人のテクニックをつかったほうがよいでしょうか?

996熊狩:2004/06/16(水) 00:41
うちは見学者が来たら対応するぞ
見学者が乗り気だったらちょっと体験してみるってのもアリだ
そういう『初めて会う人と上手にコミニュケーションを取る』
練習もすべきだな。
他の連中の稽古内容までは変えないけど。

997ペガサス:2004/06/16(水) 03:46
見学者か・・・
確かに何も気にせず普段自分達がやってることを見せればいいと言う意見と
見学者がいる時は見学者へのある程度配慮した練習内容と言うよりは
指導の仕方を見せると言うところもあるみたいですね。

といってもどっちがどうなんだと言うほど違ったものではないんですが
ただ武道無経験でどうしても弱い自分をなんとかしたいとかで見学に来る人と言うのは
ちょっと不安と恐怖心の入り混じった心境もあるのではないかと思います。

そう言う場合のこの道場にするかしないかと言う一つの選択肢の中に
どのような初級者に対する指導の仕方や、練習方法をしているのかと言うのが
選択基準の大事な部分でもあるでしょう。ついていけるだろうかと言う不安もあるわけですから。
それと同時に練習の中で、わーやっぱりすごい技をやってるんだと言うことも一つの自分の将来の期待となるでしょう。

またあきらかに武道経験者で自分の習ったものにないもの、
またはそれ以上のものを探してる人もいるでしょうし、
もしくは見学者の振りをして偵察にきてると言う場合もあるでしょう。

そう言う場合演武の組み合わせの練習ばかり見せてると
なんだ約束事の動きだけか、これじゃ実践弱そうだと舐めれることもあるかもしれませんね。

だからと言って乱捕り見せることもないのですが
少林寺の技法そのものは剛もあり柔もあるその両方が絶妙にかみ合わされた技です。
それが少林寺拳法の特徴であり、魅力でもあるはず。
ならばそういうものが他武道にない興味ある部分でしょう。
その部分を見せてやることで、そう言う人達へのアピールと言うのもあるでしょう。

これは指導者の考え方、対応の仕方いかんですので
私がどうこうしたほうがいいと言える問題ではないのですが
ふと、大昔初めて武道なるものを見学に言ったときのちょっと不安なドキドキした気持ちと
今の自分が他武道の道場に見学にいったら何を見て判断するだろうと言う気持ちからです。

998615期生:2004/06/16(水) 15:06
ん!?
「会報に載ってるネット集団」てなぁに?
(?_?)

 最強の格闘技…それは少林寺拳法だと思います  
http://sports7.2ch.net/test/read.cgi/budou/1086282391/120-

999名無しさん@いらっしゃい:2004/06/16(水) 15:31
釣りだと思います。

1000615期生:2004/06/16(水) 15:41
∧_∧
( ´・ω・) みなさん、お茶が入りましたよ・・・・。1000get!
( つ旦O ∫ ∫ ∫ ∫ ∫ ∫ ∫
と_)_) 旦 旦 旦 旦 旦 旦 旦

1001615期生:2004/06/16(水) 15:41
>999
釣りなのかな・・・宣伝してくれるとうれいしなぁ。

1002曲家1000げと:2004/06/16(水) 15:44
ねっと集団…

1003998:2004/06/16(水) 15:48
>>999
>>10002
今、会報を漁っていますがネット集団なんて言葉出てこないんすよねえ。
あいつなんのつもりでしょうねえ。

1004615期生:2004/06/16(水) 15:50
998さんありがとー(^▽^)ゴザイマース

あぁ私も今すぐ会報あさりしたい。
こういうときバインダー買っといてよかったーと思う(関係ない)


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