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少林寺拳法or丸廉への批難・文句受容スレ

1615期生:2003/01/31(金) 00:28
【ルール】
・実名はあげない.出た場合は即アボーンします.
・建設的なカキコであること
・カキコ前に「Q&A2nd」「少林寺はなぜ煽られるか?」には目を通してください.(「香具師の阿吽」内にあります)
・質問は残さず応える
・名無しさん歓迎

その上で現状の問題点について話し合いましょう.疑問点についてもどうぞ.ご批判歓迎.
2ちゃんとは違ってそれなりに正常なレスが付くはずです.本音歓迎.

869通りすがりの休眠拳士:2004/03/06(土) 02:44
つづき

法形が多いことの障害は、もう1つあると考えています。より正確に言うならば、
法形が多いことよりも、むしろ法形で変化例・応用例を例示してしまっていること
による障害です。

つまり、法形で技の変化の仕方や応用の仕方を細かく例示してしまっていることに
より、「この動き以外のものは間違っている」といった認識を招く危険性が高いと
いうことです。(あくまで危険性が高いという言い方をしたことにご注意下さい)

具体的に言えば、法形は「攻者がaという攻撃を仕掛けてきた場合のAという技は、
攻者がbという逃げ方をしてきた場合はA−1という技に変化させよ。攻者がcという
逃げ方をしてきた場合はA−2という技に変化させよ。攻者と守者の間合いがdと
なった場合はA−3という応用技を行え。守者の体勢がeとなった場合はA−4
という応用技を行え。もし攻者が、最初にa'という攻撃できたならば、Bという技に
変化させよ。その際、攻者がb'という逃げ方をしてきた場合はB−1という技に変化
させよ・・・・・・エトセトラエトセトラ」という例を示してしまっています。

それ故、まず拳士はそれを覚えることに尽力しなければなりません。その変化技を
何度も練習し、技名を覚え、「こう来たらこう返す」という「意図・理由」や、
「その裏に潜む意味」を考えます。そして、守者の体勢がeとなった場合は、
A−1でもA−3でもなく、A−4を用いなければならない理由を考え、その理由
に納得し、いずれは、少林寺拳法の法形の合理性に感激すら覚えることになります。
そして、このような傾向は、高い段位を持ち、少林寺拳法を深く研究している方に
特に見られるように思えます。

しかし、その行為が、法形の変化の可能性を狭めてしまっているのではないかと
思うのです。つまり、法形を研究すればするほど、「これがコレコレなのは、
こういう理由からなのだ」→「こういう理由で、これはコレコレする必然性が
あったのだ」という考えに陥りやすくなっていると思います。
それが転じて、「こう来たらこう返すべきだ」との固まった理屈となり、最終的には
「それは少林寺ではない」などのことを仰る高段の先生方が増えてしまうことにも
繋がってしまうと思います。

ビスキュイさんには大変失礼な事を申し上げますが、ビスキュイさんですら、
上記のような傾向が全くないと断言できますでしょうか?(もし完全に断言できる
のであれば、ご遠慮なく仰って下さい。私の無礼を謝ります。)

この投稿をご覧の方の中でも、「俺はそんなことはない」「ウチの道院は大丈夫だ」
という方はいるかも知れませんが、少なくとも少林寺拳法に内在する特徴として、
上記のような「危険性」が挙げられるのではないかと思います。もともと、丸廉の
HP上で、「法形は応用・変化させてもよい!むしろさせるべきだ!!」などという
主張が声高に叫ばれていること自体が、他武道の人間から見れば、甚だオカシナこと
なのです。
 「なんでこんな当然のことが、敢えて提言されているのだろう…」
その理由は、一般的な少林寺拳法家が、よほど法形の応用・変化に不寛容だから
なのではないでしょうか?


考えを整理しますと、法形が(重複がある故に)多いことは、
 ・過多な要素であり、それゆえ有限な時間の中では、習得・実践・応用が阻害される。
  (もし時間が無限であれば、上記は問題ではありません)
 ・具体的且つ詳細な例を示してしまっているため、例以外の変化に対する寛容性が薄れる。
  (実際、非常に多くの拳士・先生方が陥っております)
というような弊害があるというのが、私の考えです。

ビスキュイさん&皆様、いかがでしょうか?

つづく

870通りすがりの休眠拳士:2004/03/06(土) 02:45
つづき

続いて、「2、少林寺習得のための方法論」について。

ビスキュイさんが、>>847>>850で仰られているご意見を私なりに整理させて
頂きますと、以下のようになりますでしょうか?

 主張:咄嗟の判断力や体のコントロール能力を養うために、「少林寺的思考」を身に付けよ。
     - 法形は、これに気づくための手掛かり
     - 乱捕は、これを身に付け、練り込み、応用させるもの

では、以下に私の方の意見をまとめさせて頂きます。

 主張:咄嗟の判断力や体のコントロール能力を養うために、少林寺的な身のこなしや思考法を身に付けよ。
     - 法形は、これに気づくための手掛かり
     - 乱捕は、これを身に付け、練り込み、応用させるもの

以上です。
早い話、この時点では私とビスキュイさんは全くの同意見だと思います。私は
「少林寺的思考」という言葉を使わなかっただけで、その意味するところは、
ハッキリ言って、これでもかっっ!っていうくらい、同意見です。

では私は、どこが違うと考えているのか。

この点についての意見を述べさせて頂く前に、少しだけ前提条件の確認をしたいと
思います。咄嗟の判断力や体のコントロール能力を養うために、「少林寺的思考」
を身に付けよとありますが、そのためには、少林寺拳法の技法自体をよく習得し、
自分のものとし、そして運用できる必要がありますよね?少林寺の技もロクにできて
いないのに、少林寺的思考が身に付くはずもありませんよね? この点、ご確認頂け
ますでしょうか?もし違ったら仰って下さい。

上記にご同意頂けるのであれば、私とビスキュイさんのご意見の相違は、次の点に
絞られるかと思います。すなわち、

  「少林寺拳法の技法を身につけるための方法論の違い」

となるかと思います。平たい言葉で言い換えますと、「法形と乱捕の比重の違い」
とも言えるかもしれません。

つづく

871通りすがりの休眠拳士:2004/03/06(土) 02:45
つづき

技術を身に付けるためには、ビスキュイさんは「法形たくさん、残りは乱捕」と
お考えで、私は「法形少し、残りは乱捕」と考えております。明らかに私の方が
乱捕重視です。ではなぜ、私は乱捕重視なのでしょうか?

私なりに考えを突き詰めますと、以下のようになります。

 1、技の変化や応用は、乱捕でも身に付くと思うから。(むしろ乱捕の方が多く身に付く)
 2、実践、運用できる技は、乱捕でしか身に付かないと思うから。

1だと私が思う理由は、>>841での「片手投」の例を思い出して頂ければと思います。
自分から捕った場合と相手に捕られた場合など、わざわざ別の技名で教えなくとも
乱捕で十分に気づくことができます。これは剛法の場合にも顕著です。たとえば、
内受蹴を実践する練習の中に、振天二も内押受蹴も、さらにその他の諸々の攻撃に
対する足刀反撃の要素も含まれているのです。

逆に法形の役割は、乱捕だけではできないことを教えることです。すなわち、
片手投という技自体の術理や、片手投と送片手投の違いなのです。

2については、私の体験からなのですが、法形だけでは運用できる技は決して身に
付かないと言うことを、痛切に感じております。

私は大学時代に少林寺拳法を修めており、私の大学はワリと乱捕を重視して練習して
おりました。その大学での練習のことですが、少林寺歴6年で三段を持つ一年生と、
少林寺歴8ヶ月(途中入部)で2級の二年生が乱捕をして、一年生が二年生に何も
出来ずにやられていた風景を目の当たりにしてきました。また別の時には、少林寺歴
11年で三段の三年生が、少林寺歴1年半で初段の二年生にボコボコにされているのも
見て参りました。

自分よりも経験の遥かに浅い拳士に、手も足も出なかった三段の彼らは、一たび
法形や演武をやらせると、それはもう、もの凄く上手なのです。しかしながら、
残念ながら彼らの通っていた道院・高校では、乱捕をほとんどしてこなかったのです。
これでは、いくら法形・演武が上手に出来ても、乱捕を数ヶ月でもちゃんと行なった人と
渡り合えるはずもありません。

しかし上記のような体験は、決して珍しいものではないでしょう。某巨大掲示板でも、
この類の経験談は、あとを経ちません。一般の少林寺拳士は、技を身に付けるための
練習量が圧倒的に足りな過ぎると、私はハッキリ申し上げたいと思います。

つづく

872通りすがりの休眠拳士:2004/03/06(土) 02:46
つづき

補足です。

方法論ということで言うと、演繹法と帰納法がよく論じられていますが、少林寺拳法
の技法習得という件に関しては、これはあまりよい区別の仕方ではないかと思います。

なぜなら、私の主張する乱捕論では、まずは演繹的に、ルールを法形で学びます。
続いてそれを乱捕で実践しまくります。運用しまくります。応用しまくり、変化し
まくります。そうして、演繹的なルールを乱捕の場で数多く実践することによって、
今度は帰納的に、1つの原理・原則に戻っていくと考えるからです。

以上です。

873ビスキュイ:2004/03/06(土) 09:03
わかってきた,段々わかってきましたよ〜相違点が!
これからちょっと出かけるんでレスは後ほどになりますが,多分ですね,
私と通りすがりの休眠拳士さんがそれぞれ練習メニューを組んだら,結
局のところ内容も時間配分非常に近いものになるんじゃないかな〜と思
いますよ♪
で,一つだけレスをしておきますと,

>それが転じて、「こう来たらこう返すべきだ」との固まった理屈となり、最終的には
>「それは少林寺ではない」などのことを仰る高段の先生方が増えてしまうことにも
>繋がってしまうと思います。
>ビスキュイさんには大変失礼な事を申し上げますが、ビスキュイさんですら、
>上記のような傾向が全くないと断言できますでしょうか?(もし完全に断言できる
>のであれば、ご遠慮なく仰って下さい。私の無礼を謝ります。)

あははは〜。謝っていただくことはないですよ〜。よくありますもんね〜この傾向。
まあこの傾向は自分にあるかどうかは自分ではよくわかりませんが,私の根本的な
意見はこれね↓

極論を言ってしまえば「形はどーでもいい」のです。って言うか無数に生み出せる
のです。原理・原則さえ把握していれば。

…やっぱり通りすがりの休眠拳士さんと同じやん…

874赤影:2004/03/06(土) 23:27
私のところでは、乱捕りは時間外の自主トレです。
ゆえに結構自由にやれます。まず、自由乱捕りをします。
その後、それを踏まえ、弱点補強のため受け返しを練習します。
で、その時、私が整理した受け返しを練習し、
それはこの法形の応用だよといい、最後にそれでしめます。
乱捕りをしない日は、まず今日の法形を復習し、そのあと、応用を
研究します。

875名無しさん@いらっしゃい:2004/03/06(土) 23:29
昔は、乱捕りと法形がつながっていませんでしたが、いろいろ
考えてつなぎました。
頭を固くしてはダメですね。体動の真理を見つけないと。

876通りすがりの休眠拳士:2004/03/06(土) 23:34
>>856>>864 40過ぎ拳士さん こんばんは。

素晴らしいご意見を有難うございました。英語の習得についての話なども
大変興味深かったです。

> 「練習量」が圧倒的に足りないことだと、確信を持つに至りました。

全く仰るとおりだと思います。

少林寺拳法の話に戻しますと、法形・演武の練習量までも少ないかどうかは
分かりませんが、少なくとも乱捕の練習量の少なさは目を覆うばかりです。
私が、これまでしきりに、「時間の少なさ」を問題視してきた理由も、そこに
あるのです。つまり、一般的な少林寺拳士が、「これくらいで十分だろう」と
思っている練習量は、私にとっては「全然足りない」量なのです。


> 要するに、上達のカギはメソッドそのものにあるのではなく
> 練習量と切迫感にある、そう私は考えています。

この点について、逆に40前拳士さんにお尋ねしたいのですが、少林寺拳法には
この練習量と切迫感がないとお考えなのでしょうか? 
つまり、少林寺拳法では「法形が乱捕で使えない」とか「少林寺の技は使えない」
とか「少林寺は弱い」とかといった批判がよくされておりますが、その原因は、
ここではないか、とお考えなのでしょうか?

877通りすがりの休眠拳士:2004/03/06(土) 23:35
つづき

> 私は、武道にせよ、護身術にせよ、
> もっとも大切なのは「錬胆」だと思っています。
> 「あらゆる攻撃に対応出来る技術体系」なんてあり得ません。
> それよりも、非常時の冷静さを身につけることの方が
> よっぽど重要だと思います。

激しく同意です。この点については、おそらくビスキュイさんを始め、ほとんどの
方が同意されるのではないでしょうか?

> 私が乱捕試合復活論者なのは、
> 「身の危険を感じる機会を、出来るだけ安全に提供する」(笑)
> という趣旨です。

おわ、ついにこの論にまで来てしまいましたね。「乱捕試合は果たして必要か」との
論争(?)ですね。私もこの点については、正直語りたい部分が多々あるのですが、
脱線しないためにも自粛致します。(後ほどお話できたらいいですね)
ただし、2行目のご意見に関しては、ほぼ全面的に同意です。

> 私が拳銃を突きつけられたときに思ったことは

これは大変な目に遭われたのですね。((((((; ゚д゚)))))ガクガクブルブル

確かに、対武器については考えたことはあっても、対拳銃というのはほとんど
考えたこともありませんでした。対拳銃の訓練を多くの時間を掛けてまで、
つまり他の練習時間を削ってまで、行う必要があるのかというのは現在の
日本では分かりません。しかし、拳銃についての予備知識・基礎知識くらいは
教えられてもいいかも知れません。

878赤影:2004/03/06(土) 23:43
基本にしても、昇段用普通基本と、自分用基本に分けています。
さすがに、自分用基本は自主トレでしかしませんが、乱捕りでは
使います。そして昇段用基本を練習しても自分用基本に反映するように
組み立てました。
道場では基本を多くしていると「空手で無いから」と陰口を言う人がいるので、
見せません。ただ、体験上基本を多くすると、体が自由に動きます。
そして、ウエートをしすぎると、筋肉が邪魔をする部分で動きが
悪くなることもあります。ベンチで言うなら体重の150%、スクワットは
体重なみ。デッドリフトは体重の2倍ぐらいで抑えておくといいと思います。
スクワットはやりすぎると、(私個人は)蹴りや土台のバランスが崩れました。
少林寺ではトーナメントを戦い抜くことがないので、腕立てを回数するより、
週に3回ウエートするほうがいいように思います。拳たて、
馬歩も少しでいいからするといいと思います。
私の個人的考えなので無理にはお勧めしませんが。

879赤影:2004/03/06(土) 23:51
>「あらゆる攻撃に対応出来る技術体系」なんてあり得ません。

私はそれを目指しています。少ない技をあらゆる局面に対応できるように
リファイン中です。現実に可能か不可能化は別にして(最後は運)
ナイフを首につけられたとか、ロープを首に巻かれたとか、拳銃を
突きつけられたらどうするか、そういう技に会わないためにはどう拳銃を
かまえるか、常に状況を想定するからこそ、ここ一番で冷静に
慣れるのだと思います。「このパターンは練習ではこうやった」という風に。
ただ、対武器は死ぬ可能性はある思います。ほかに道が無ければ
やるしかないでしょう。後は運。
私は、シュートが出来た頃から対タックル、対寝技を考えていました。

880アップル:2004/03/07(日) 00:06
あら?2004って付いてないなぁ。
>自分用基本は自主トレでしかしませんが
赤影さんは自主トレはどこで??

>腕立てを回数するより、
>週に3回ウエートするほうがいいように思います。拳たて、
>馬歩も少しでいいからするといいと思います。
>私の個人的考えなので無理にはお勧めしませんが。
いや、なんか妙に納得してしまいましたw

88140過ぎ拳士:2004/03/07(日) 12:52
>>876 通りすがりの休眠拳士さん

 RES、どうも有難うございました。
 貴方が大変精緻な論考を展開されているところに
 私の返信はちょっとズレたものだったかもしれません。
 どうぞ御容赦くださいませ。

>少林寺拳法にはこの練習量と切迫感がないとお考えなのでしょうか? 
>つまり、少林寺拳法では「法形が乱捕で使えない」とか「少林寺の技は使えない」
>とか「少林寺は弱い」とかといった批判がよくされておりますが、その原因は、
>ここではないか、とお考えなのでしょうか?

 これは、道院ないし拳法部による
(つまり、指導者の方針による)と思います。
 私が卒業した拳法部では今でもバンバンやってるようですし、
 道院でも毎回しっかりやっているところはあるようです。
(最近の事情をこの目で見ているわけではありませんので
 「ようです」としか言えないのですが…)

(つづく)

88240過ぎ拳士:2004/03/07(日) 12:53
 練習量については、少なくとも私の知っている範囲では、
 乱捕(組手・スパーリング)って
 練習量の多いところ(道院・道場・流派)の方がかえって安全です。
 練習量の多いところは、まさに練習量を増やすために
 みんな力の抜き方を教えられているからです。
 そういうところでは、黒帯の指導員とスパーリングするよりも
 帯に色がついて組手を始めたばかりの人とする方がイヤなものだったりします。

 切迫感については、これはもう100%指導者によるんじゃないでしょうか?
 先生が口を酸っぱくして
 「そんな突で倒せるか!」「そんな受で防げるか!」と
 厳しくやっているところは、基本の練習ですら全く違うでしょう?
 そういう練習をしているところなら、
 法形の練習でも攻者に思い切り踏み込ませて打たせますから
 間合が遠くて突が届いてない、なんてことはありません。
 そういう環境で練習していれば
 「こんな練習していて強くなるんだろうか?」などと言う疑問が湧く訳がありません。
 逆に言えば、そういう疑問が出てくるようなら、切迫感が無いということですね。
 これは、技術体系の問題には全く関係ありません。

(つづく)

88340過ぎ拳士:2004/03/07(日) 12:54
>確かに、対武器については考えたことはあっても、対拳銃というのはほとんど
>考えたこともありませんでした。対拳銃の訓練を多くの時間を掛けてまで、
>つまり他の練習時間を削ってまで、行う必要があるのかというのは現在の
>日本では分かりません。

 まあ、拳銃は極端な例かもしれませんが、
 どういう技術を練習するかは
 修行の目的に大きく関わる気がするのです。

 例えば、街でチンピラに絡まれて殴られても
 あいたたた、で、翌日歯医者に行けばいいくらいの話です。
 或る意味、まだまだ牧歌的(?)なものでしょう?
 でも、対武器は命がかかっています。
 「護身術」を目的の一つとして掲げる以上、
 対武器の技術(合わせて戦略も)は欠かせない気がします。
 そして残念なことに、今では日本でも
 その気になれば、拳銃を簡単に手に入れられる時代になってしまいました。

88440過ぎ拳士:2004/03/07(日) 12:55
>>879 赤影さん

 2ちゃんねるでの御発言、毎回楽しみに読ませて戴いております。

>私はそれを目指しています。少ない技をあらゆる局面に対応できるように
>リファイン中です。現実に可能か不可能化は別にして(最後は運)
>ナイフを首につけられたとか、ロープを首に巻かれたとか、拳銃を
>突きつけられたらどうするか、そういう技に会わないためにはどう拳銃を
>かまえるか、常に状況を想定するからこそ、ここ一番で冷静に
>慣れるのだと思います。「このパターンは練習ではこうやった」という風に。
>ただ、対武器は死ぬ可能性はある思います。ほかに道が無ければ
>やるしかないでしょう。後は運。

 全く同意です。

 昔、短刀捕を習ったときに、
 短刀の長さの分だけ間合が違い
 それゆえ技の起こりを早くしなければならない…
 一通り法形練習をした後、
 新聞紙を丸めたもので「乱捕」をやったら全然出来ない…
 技の起こりが早くなくてはならない分、フェイントに弱いんです。
 その上で先生が、稼業の方々の良く使うフェイントを何手か教えて下さって
 「要するに、刃物には素手では勝てんよ」ということがありました。

 そのときは、そんなもんかなぁ、と思いましたが、
 >>863で書いたように、成算はあまりなくても
 やるしかないでしょう、後は運、
 そういう局面は厳然と存在するわけです。
 いくら不利でも、少しでも生存の可能性が高くなる技術
 そういうものを研究し練習することは、
 必要なことだと思うようになりました。

885ビスキュイ:2004/03/07(日) 16:28
>切迫感
40過ぎ拳士さんのお話で思い出したのですが…
私が時々お世話になる道院のとある拳士の方の言葉
「剛法で一番大事なことは何かわかるかい?この打撃で何がなんで
も相手を打ち倒す!っていう気迫なんだよ!!それがなきゃダメな
んだ!!!」
名言だと思いますた。実際にその方は常にKOを狙ってくださる熱い
魂を持ったナイスなお方です。
でもホントにこれが大事なんですよね〜

886まつたけ:2004/03/07(日) 23:57
>私が時々お世話になる道院のとある拳士の方の言葉
「剛法で一番大事なことは何かわかるかい?この打撃で何がなんで
 も相手を打ち倒す!っていう気迫なんだよ!!それがなきゃダメな
 んだ!!!」

そのあとに『君にはその気持ちが足りない!!』と言われた私..(;;)

887615:2004/03/08(月) 00:34
全部読んでないのでー適当にさばいといてーーー
ああ忙し
なかなかいいスカルがないなあ
明日はストで国中のバスが止るらしいし何て不便
カトマン

888ビスキュイ:2004/03/08(月) 00:46
なんだ、生きてたんだ〜。

889615:2004/03/08(月) 00:52
イキテマス

890赤影:2004/03/08(月) 01:08
>>アップルさん
>あら?2004って付いてないなぁ。

今のブラウザがいちいち憶えてくれないので、毎回書かないといけないので、
sageもやめ、名前も数を減らしました。
>赤影さんは自主トレはどこで??
ある広い場所があり、10分ぐらい走り込んで、その後サーキットを10分、
足さばき、基本等をやっています。広いところでやると自分が小さくなるので
拳足も道場よりスローに感じます。また、靴を履いているので、道場で
足が軽い軽い。実戦のとき、靴の重さで蹴りが出しにくかったので、蹴りの
基本は靴になれることだと感じました。靴を履いてが原則なら、技術体系
も変わってきます。高さは中段以下。足底を生かす蹴り方等。
ただ、道場では逆にハイとかトリッキーな蹴りが有効です。
で飯食って、道場か納屋でウエートです。これは秘伝ですが、ベンチで効かせた後
拳立て。そして、肩胛骨の運動、背中を壁に付けて腕だけで突き、体を
縦にしならせての突き、手刀うち等下への基本、アッパー等上への基本、
フック等、バックハンド等、そして最後に普通の振り子突きをすると、
いいと思います。
ウエート→自力本願稽古→体を順番に使っていく基本という風にすると
体が使えてきます。ウエートの後は神経が重量挙げ用にチューンされるので
その日にこれを一回リセットする必要があります。
>>40過ぎ拳士さん
ありがとうございます。
貴方のスレは、古き良き少林寺ですね。

891アップル:2004/03/08(月) 09:17
>赤影さん
>ウエート→自力本願稽古→体を順番に使っていく基本という風にすると
>体が使えてきます。
「練習をしていると次第に自分の身体が我がものであって、実は我がものでないのだと気がつく、
そして我がものとするまでには、かなりの時間がかかるものである。我が手足、我が四肢五体であ
りながら修練工夫を積まなければ我が思いのままに動かぬと同様に、我が心も亦容易に我が思
いのままにはならないものである。」(風格のある演武より)
練習中に思うようにいかないといつもコレを思い出します。
身体を使えるようにするって難しいですね〜。面白い自主トレをされているようで
実に興味深いなぁ。
>実戦のとき、靴の重さで蹴りが出しにくかったので、蹴りの
>基本は靴になれることだと感じました。
>靴を履いてが原則なら、技術体系も変わってきます。
ぬ、面白いお話!!ぜひ簡単でもいいのでお聞かせください。

892ビスキュイ:2004/03/08(月) 12:08
土日は風邪で寝こんだり治ってからは練習行っちゃったりで書き込み出来なかった
のでちょっとカキコ。

>技術を身に付けるためには、ビスキュイさんは「法形たくさん、残りは乱捕」と
>お考えで、私は「法形少し、残りは乱捕」と考えております。明らかに私の方が
>乱捕重視です。ではなぜ、私は乱捕重視なのでしょうか?

ここ少し違うのですよ。見た目はそう見えるかもしれませんがやっぱり違うのですよ。
私は「法形たくさん、残りは乱捕」ではなくて「たくさんの法形を自分の中で整理して
少数のグループに纏め上げろ,そして乱捕りをたくさんして練り上げろ」です。んでこ
の「たくさんの法形を自分の中で整理して少数のグループに纏め上げろ」は実際に法形
の数を減らすことは意味しません。数は多いですけど認識としては少数なんです。柔法
で言えば大体5個(種類)かな?このことに関しては私も学生時代からもやもやと考え
てはいたのですが,卒業後とある先生の御教示により劇的に(まさに劇的に!)思考転
換がなされてようやく明確に意識された考え方なのですが。この「数多い技を自分の意
識の中で少数の技法として認識する」この作業が現在私の考える練習体系においてまさ
に最重要とでも言うべき部分です。んで,この作業は法形練習だけでやるものではない
です。って言うか法形も基本も筋トレも乱捕りも…およそ全ての技術練習はこの作業を
成すためにあると考えます。んで再度繰り返しますが…

「極論を言ってしまえば「形はどーでもいい」のです。って言うか無数に生み出せる
のです。原理・原則さえ把握していれば。」

これ。全ての技術練習はこの境地に至るための手段だと思うのです。無形に至るために
有形を追求するのです。形に追求した結果「あ〜,結局は形じゃないじゃん」って状態
になるんだと思うのです。んでこれも繰り返しになるのですが…

「技は「結果」なのです。しかしこの「原理・原則」は目に見えません。現れてくるのは
「原理・原則」に基づいて行った「動きの結果」だけです。」

この部分。今考えると当たり前の内容なのですが,理解する前にはなかなか分かり難い
内容でした。学生の頃に武専にて
ビス「先生,この技を教えてください!」
先生「(実際に掛けながら)こうこうこうですよ」
ビス「えっ?先生,さっきと掛け方と違いませんか?」
先生「いや,同じですよ」
ビス「いえ,手の捌き方とか足の位置が…」
先生「ああ,そういうことね。それは違うよ。でも同じ掛け方ですよ」
ビス「はあ…?(違うんじゃーん!同じって何よ!!)」
って思ってたりしたものですが。今なら当時先生の言わんとしてたことが少しは理解できる
ような気がします。「見た目の形は相手の体勢によって変わりますが,同じ原理を使って掛
けてますよ」ってことっだったのだと思うのです。だから

「極論を言ってしまえば「形はどーでもいい」のです。って言うか無数に生み出せる
のです。原理・原則さえ把握していれば。」

なんですけど,そのために

「数多い技を自分の意識の中で少数の技法として認識する」作業

が必要で,

法形も基本も筋トレも乱捕りも…およそ全ての技術練習はこの作業を成すためにあ


というのが私の現在の考えです。

89340過ぎ拳士:2004/03/08(月) 16:39
>>885 ビスキュイさん

 実は、私が最初に習った武道は
 亡父から習った剣道でした。
 今生きていたら80過ぎの戦争に行った世代で
 とにかく「精神力」を強調する、
 星一徹みたいなジジイでありました。

 私はどちらかと言うと合理主義者を自認していたのですが、
 最近は私も「精神力」を意識するようになりました。
 合理的に分析して組み立てることも必要ですが、
 同時に、理屈ではなく身体の声に耳を傾けることも
 大事なのではないかと思うようになってきたのです。

 精神主義は東洋の専売特許と思われがちですが、
 実際はそんなことはありません。
 人間、どこでもそんなに変わらないものです。
 縁があって、ジャズダンスの巨匠とお近づきになる機会があったのですが
 その先生のレッスンは
 「空間を支えに使え」とか「止まっていても動いているのだ」とか
 非常に精神主義的なんですね。

 意志があって身体が動く。
 倒すためにはどう突けばいいのか?
 ベンチプレスも一つの方法かもしれませんが
 「倒す」と意識して繰り返し身体を動かすうちに
 最も合理的な動き方に少しずつ近づいていく、
 そんな気もするんです。

894ビスキュイ:2004/03/08(月) 17:03
思うに…「精神力“だけ”ではダメだけど精神力“なし”では何もできない」のではないかと…

895通りすがりの休眠拳士:2004/03/08(月) 22:57
>>874>>878>>879 赤影さん こんばんは。

>私のところでは、乱捕りは時間外の自主トレです。
>ゆえに結構自由にやれます。

これはとても羨ましい&素晴らしいですね。

>ベンチで言うなら体重の150%、スクワットは
>体重なみ。デッドリフトは体重の2倍ぐらいで抑えておくといいと思います。

私はこんなには出来ませんが、柔道時代の仲間達はだいたいこれくらいを
目標にトレーニングしていました。

>道場では基本を多くしていると「空手で無いから」と陰口を言う人がいるので、

筋トレやサンドバッグをやっていると非難されるというのはよく聞きますが、
基本をされるだけでもそのように仰る方がいるのですか…。

お話を伺っていると、赤影さんのような問題意識を持った方が、他流に流れず、
少林寺を選ばれている理由にも興味が出てまいります。もし差し支えなければ、
少林寺拳法のどの辺りに魅力を感じられているのかをお聞かせ願えませんでしょうか?

896赤影:2004/03/08(月) 23:31
>あっぷる さん
前から思っていたのですが、マック使いですか?
私の友達にも筋金入りの人がいます。

>ぜひ簡単でもいいのでお聞かせください。
どう言っていいのか分かりませんが、まず足の指の怪我を気にしないで
前足底の蹴りが使えると言うことです。そして、靴の重さの分初動が
遅れ、上段が蹴りにくくなります。ここまでは常識です。
で、前足底で蹴ると言うことは、「靴が武器になる」「靴が盾になる」
と言うことです。最近の安全靴はスポーツシューズタイプがあり、また
オールスターのスニーカーより軽いです。下手にナイフを持つより
武器になります。これで蹴ればどこでも痛いし、急所なら相当のダメージ
が出ます。またガードも隙間から蹴りを入れることもできます。
肘で受けられても、靴部分なら大丈夫。ナイフマンがきても、外廻しや
内回して受けても靴部分ならOK。またすねの前部も筋が緊張するので
すねの怪我も減ると思います。靴着用でより少林寺の攻撃が楽になり、
受けも、より少林寺の受けが必要となると思います。

897赤影:2004/03/08(月) 23:41
>40過ぎ拳士 さん
>ベンチプレスも一つの方法かもしれませんが
私は、武道のためにウエートが直接役立つとは思いません。
ではなぜウエートなのか?それは「人間としての生の肉体を強化する必要が
ある」からです。現代人はほとんど運動しません。昔の人は生活=鍛錬でした。
だから、体は小さいけれど手が大きく骨太で丈夫です。しかし、今の人は、
朝起きて車で通勤→パソコンピコピコ→ジャンクや麺類を食べる→又ピコピコ
→車で帰る なひとが多いと思います。武道以前に人類失格だと思います。
親より肉体が退化してはなりません。人類の種族としての種が弱くなります。
現に歯の少ない人、転んで骨折する人等今の人は虚弱です。
鍛えなくてはなりません。しかし、今は鍛える時間が取りにくいのです。
だから効果的に筋肉を強化し、骨密度を上げる必要があり、それにはウエート
トレーニングが適しているのです。またこれは、進歩が具体的客観的数字として
現れ、練習の励みになります。・・・続く

898赤影2:2004/03/08(月) 23:53
しかし、ウエートだけだと運動として偏っているし、フォーム自体
武道そのものと大きく違います。また、神経制御も「持ち上げるソフト
ウエアー」が起動しています。また、全身の「しなやかな」連動も
壊れやすいです。故に、肉体の生の力を強化したあと、武道の練体
をする必要があります。これが自立本願とか黒崎式とか古武道式
とか言われる鍛錬です。虚弱な人がこのようなことをいきなりやっても
おもしろくないし、根気がいるし、進歩が見えにくいので続きにくいのです。
ウエートでチョットマッチョになり鏡の前でポーズ取ったりしている
うちに、運動のおもしろさをしり、生の肉体が強化され、アドレナリンも
でて、厳しい武道の練体を続けやすくなるのです。
で、重量に制限を付けたのは、やっぱし、目的は武道であり筋トレでは
無いし、何よりつけすぎるとじゃまな筋肉まで鍛えていく用になるからです。
で、生の力→武道の力に昇華するのです。
力一杯体を使い込むから、今度は、無駄な力を抜くときに必要な力を
残しておけるのです。最初から脱力だと、一見見た目カコイイですが、
必要な力も抜いてしまうのです。そういう人は体力無い人には勝てても
自分より相当マッチョな人には吹き飛ばされます。赤卍の技が切れる
先輩が、黒卍に技以前に吹き飛ばされた現場を見たこともあります。
武道はきれい事だけでは済みません。  つづく

899赤影3:2004/03/09(火) 00:01
私の最終目標は合気的な崩しであり、発勁のような打撃です。
鉄の砂が鋼の日本刀になるためには、始めどんどん熱しとかし、
玉鋼にし、これをどんどん叩き鋼を作り、最後に刀に成形し、
研いでできあがります。玉鋼や軟鉄をいくら研いでも切れる日本刀には
なりません。
最終目的がノーパワーでも、脱力で力の芯を残すためには、きっちりと
鍛え上げないといけないと、私は思っています。
合気系でも、実戦名人は必ず鍛えることを重視しているし、中国武術の
有名人も、鍛錬の逸話が多いと思います。
で、肉体系の仕事をしている人は、普段使わず、武道に必要なトレーニング
だけすればいいと思っています。鍛錬も各人の状況次第だと思います。

900赤影4:2004/03/09(火) 00:13
そして、私の理想とする武道力を、私は「格力」と名付けています。
それには
3つの要素(軸力、固定力、連動力)
3つの速さ(スピード、加速、動きとして無駄がない速さ)
あらゆるバランスの集中(物理的、肉体的、精神的、環境的)
重心のコントロール
無駄な所の脱力
によって達成されます。これを達成するため色々な鍛錬、
技の動きの研究をしています。
相手を「調力」で崩し、自分が「格力」で安定し、反撃するのが私の
少林寺です。

901赤影5:2004/03/09(火) 00:17
私のではなく、「私が目指す」です。
そのためには、空間的、時間的に詰め将棋の様に展開する
技術体系、相手に自然に反応するココロ、万象の心理を洞察し考察し
つかみ取ること、常に練体することが必要だと思います。

902赤影:2004/03/09(火) 00:23
>>私のところでは、乱捕りは時間外の自主トレです。
>>ゆえに結構自由にやれます。
>これはとても羨ましい&素晴らしいですね。

まあ、練習後も残って練習し、当てる練習→法形→法形の応用→攻防を
分けた乱捕りといふうに練習していると、そのうち動きに慣れてきます。
その時点で第3者をたて安全にかるーく自由乱捕りをするといいとおもいます。

>少林寺拳法のどの辺りに魅力を
今はだいぶ固まって伝統芸能みたくなりつつありますが、「自由度が高く」
「組織として健全で(最強武道があっても、幹部が2ちゃんの噂のひとたちの
様ではいけません)」精神と技術、古武道性と格闘技性のバランスが
取れていると思うからです。

903訂正:2004/03/09(火) 00:24
万象の心理を洞察し

万象の真理を洞察し

904通りすがりの休眠拳士:2004/03/09(火) 00:39
>>881〜 40過ぎ拳士さん こんばんは。

> 私の返信はちょっとズレたものだったかもしれません。
> どうぞ御容赦くださいませ。

いえ、とんでもないです。素晴らしいご意見と体験談を伺えて光栄です。

> 乱捕(組手・スパーリング)って
> 練習量の多いところ(道院・道場・流派)の方がかえって安全です。

これには同意です。乱捕に慣れている人ほど、キチッと寸止めできたり(素面時)、
熱くなりすぎないよう自分をコントロールできるものですからね。

> そういうところでは、黒帯の指導員とスパーリングするよりも
> 帯に色がついて組手を始めたばかりの人とする方がイヤなものだったりします。

これも分かります!激しく同意です。

> 「そんな突で倒せるか!」「そんな受で防げるか!」と
> 厳しくやっているところは、基本の練習ですら全く違うでしょう?

その通りですね。同じような事をビスキュイさんも仰っていましたが、
この辺りについては、私も全く同意見です。 

> 指導者によるんじゃないでしょうか?

この部分については、やや同意しかねます。なぜなら、(これまでの投稿の
中でも、言外に含めたつもりですが)この言い方ですと、少林寺拳法に
内在する問題点に目を背けてしまっているような気がするからです。例えば
学校教育の例でいえば、一昔前の「学級崩壊」も現在の「学力低下」も、
「教師による」「学校による」と言って片付けてしまっていい問題では
ないと思います。日本の教育全体の問題として、その原因を追究したり、
解決策を講じなければ無責任だと言えるでしょう。

> 「護身術」を目的の一つとして掲げる以上、
> 対武器の技術(合わせて戦略も)は欠かせない気がします。

対武器についてのご意見にも、基本的にほとんど同意です。
若干の相違があったとしても、それは

> どういう技術を練習するかは
> 修行の目的に大きく関わる気がするのです。

この言葉でちょうどいい落とし所になるかと思います。

905通りすがりの休眠拳士:2004/03/09(火) 00:42
>>892 ビスキュイさん こんばんは。お体の具合は大丈夫ですか?

>>892で仰られたご意見、なるほどですね。仰りたい事がよく理解できました。
ここでビスキュイさんが仰られている「原理・原則」というのが、すなわち
「少林寺的思考」にも繋がるということですね? うーん、素晴らしい!

ただ、いくつかの部分においてはまだ若干のズレを感じております。
以下の3点について、ご意見を拝聴してもよろしいでしょうか?

1、具体的且つ詳細な例を示してしまっているため、例以外の変化に対する寛容性が
  薄れるのではないか?

上記は、私が>>869で述べました意見です。ビスキュイさんのご意見では、法形が多い
ことにメリットしか見出されておりませんが、上記の私の主張についてはいかがお考え
でしょうか?つまりビスキュイさんにとっては良しとされるものでも、多くの一般の
拳士・先生方にとってはマイナスになっているのではないかと思います。

2、ビスキュイさんの仰る原理・原則は、法形の重複をなくして整理をしては、
  身につかないのだろうか?

質問の仕方をガラッと変えてみました。 つまり、私の言う、

>私の主張する乱捕論では、まずは演繹的に、ルールを法形で学びます。
>続いてそれを乱捕で実践しまくります。運用しまくります。応用しまくり、変化し
>まくります。そうして、演繹的なルールを乱捕の場で数多く実践することによって、
>今度は帰納的に、1つの原理・原則に戻っていくと考える

このようなやり方では身につかないのでしょうか?
(特に最後のセンテンスにご注目下さい。)


3、実際問題として、拳士達・先生達は少林寺の技法を実践、運用できているのか?
  もしできていないとしたら、それはなぜか?

ビスキュイさんの仰る教授法、修練法が正しいとしたら、少林寺の拳士達はみな
少林寺の技法を実践、運用できているはずですよね? しかしながら、残念ながら
そうでない場合が非常に多いと言わざるを得ません。これはなぜだとお考えですか?

906アップル:2004/03/09(火) 09:15
>赤影さん
>前から思っていたのですが、マック使いですか?
>私の友達にも筋金入りの人がいます。
いちおうマックも使いです。丸廉にもいますよマックを愛する偉大な拳士がw
マックでも拳法でもお世話になっています。


>>ぜひ簡単でもいいのでお聞かせください。
>どう言っていいのか分かりませんが、まず足の指の怪我を気にしないで
>前足底の蹴りが使えると言うことです。そして、靴の重さの分初動が
>遅れ、上段が蹴りにくくなります。ここまでは常識です。
ん〜、ここまではなんとなく想像とおり。

>で、前足底で蹴ると言うことは、「靴が武器になる」「靴が盾になる」
>と言うことです。最近の安全靴はスポーツシューズタイプがあり、また
>オールスターのスニーカーより軽いです。下手にナイフを持つより
>武器になります。これで蹴ればどこでも痛いし、急所なら相当のダメージ
>が出ます。またガードも隙間から蹴りを入れることもできます。
>肘で受けられても、靴部分なら大丈夫。ナイフマンがきても、外廻しや
>内回して受けても靴部分ならOK。またすねの前部も筋が緊張するので
>すねの怪我も減ると思います。靴着用でより少林寺の攻撃が楽になり、
>受けも、より少林寺の受けが必要となると思います。

ヘー!!!!安全靴ってすごく重たいイメージがあったのに・・。
足でも受けですかー。それはちょっと練習がひつようですな。

>外廻しや内回して受けても靴部分ならOK。
この動きはおそらく中国武術オフの人間は体験済みですね。
靴を履いての・・というところでやはり必要な動作だったんですねー。おもしろい。

赤影さんもしっかり楽しんで修練してますねー。

907Syami@Office:2004/03/09(火) 15:12
>丸廉にもいますよマックを愛する

Mac使いなだけで特に愛しちゃいないんだけど。テクノコンプレックスじゃないし。
MacintoshシリーズはパッケージとしてWinより遥かに使いやすいと言ってるだけです。(笑
まぁ、Classic、SE30の頃から使っているけど・・・
SE30の次はPerforma5220(新品)でしょー、その次は5420(ボード換装)、5440(伝説のBlack Performa中古)
んで iBook 2USB最初期型と・・・

>偉大な拳士がw

「偉大」だったらいいんだけどねぇ、どちらかと言うと「肥大」??

908アップル:2004/03/09(火) 16:52
>まぁ、Classic、SE30の頃から使っているけど・・・
>SE30の次はPerforma5220(新品)でしょー、その次は5420(ボード換装)、5440(伝説のBlack Performa中古)

金かかってるなぁ・・。

今は12,3万だせば新品が買える時代。すごいなぁ。

909Syami@Office:2004/03/09(火) 17:14
>今は12,3万だせば新品が買える時代。

あああああぁぁぁぁぁぁぁ・・・・・・

でも、5420の換装ボードはジャンク屋で2000円だったし、5440は兄弟子のG3リプレース品をプリンタ付きで
引き取っただけだし・・・
んで、5420は母の執筆用、5440は父のネットサーフ用に今も元気に動いています。

910ビスキュイ:2004/03/09(火) 17:55
おお,マックネタが!最近はスレの内容が交錯して混沌としていていい感じ♪

さてさて,では話の続きを…

>通りすがりの休眠拳士さん

ありがとうございます〜,体調はなんとか平常に復帰いたしました。
しかし通りすがりの休眠拳士さんの問題提起のおかげで大変有意義な議論が展開できて
おり大変感謝しております。引き続きガンガンと意見を述べていただければ幸いに存じま
す。
さて…では今回のご質問の件ですが,まず

1、具体的且つ詳細な例を示してしまっているため、例以外の変化に対する寛容性が
  薄れるのではないか?

ですが…
まあこの危険性はないとは言えません。法形の見た目のみに目を奪われてしまっていれば。
ただこれは「具体的且つ詳細な例を示してしまっている」ことが原因でしょうかね?正直
私にはそうは思えないんですよ。ここの部分こそが「指導のあり方の問題」だと思うので
す。実際に私がお世話になったことのある先生方を例に考えると…
例えば拳暦40年を超えるある先生「技は全部同じですから〜」と言いながらも見た目の
動きは変幻自在,でも確かに芯の部分は同じ動きで投げている。
例えば40代で7段を取得しているある先生「あっ,僕はいま動きを変化させたよね?あ
れはビスさんの動きがこっちに変わったからそれに合わせてああいう風に変化させたんだ
よ。でも掛け方同じね(ちなみにこの時の技は外巻天秤でした)」。
例えば丸廉にも参座してくれているある先輩拳士「攻者の攻めが変われば守者の動きが変
化するのは当たり前なのであって〜。その変化の早さが少林寺拳法の特色なのである!」。
現在のカリキュラムでも正しく行えば多くのこうした「寛容な」拳士が生まれているので
す。って言うか例にあげた拳暦40年以上の先生なんてバリバリの「伝統派少林寺拳法」
の使い手なわけですが,初めてお会いして逆小手を教えていただいた時などニコニコしな
がら「こんなやり方もあるし,こういうやり方もあるし…」と言いながら足は払うわ耳は
掴むわ髪の毛は掴むわ鼻を擦り上げて来るわ肘打ちをブチ込んで来るわ指は捻るわ耳孔は
抉って来るわ…およそ思いつく限りの(プラス思いもしないような)ありとあらゆる変化
技をブチかまして下さいました。で,ニコニコしたまま一言「少林寺拳法っていうのは本
来こういうものですから〜」…。これですよ。「伝統的な練習法」をずっ〜としてきている
先生がこれです。こういう実例を何件も(少なくとも両手両足の指では足りないくらいに
は)味わってきているので(聞いただけならもっと多い),「不寛容」の原因が技術体系に
あるとは思えないのですよ。
「じゃあなんで不寛容な拳士や先生が存在するんだ?」
…なんででしょうね〜?ホントに不思議です。同じやり方をしているのに全く相反するよ
うな考え方の拳士が生まれてしまう。ちなみに通りすがりの休眠拳士さんとは反対に「法
形多くても問題ないやん」派の138Bさんやアップルさんも「変化技?やって当たり前
じゃ〜!」派なんですよね。当然に私も。やっぱり法形の多い少ないは「変化に不寛容」
の直接的な原因ではないんじゃないですかね〜。そういえばご逝去された森道基先生も月
刊「秘伝」の記事で同じような趣旨のお話(「私は形はともかく技が効けばいいじゃないか
という考えでやっていたから…」みたいな話)をされていたような気が…
ですから私の意見としては

「法形の数が多いことは不寛容の直接的な原因ではない。ただ法形を「絶対的な型」「それ
ぞれ全然別の技」として指導してしまえばそのデメリットは極めて大きい」

となります。
(続く)

911ビスキュイ:2004/03/09(火) 17:57
(続き)
続いて

2、ビスキュイさんの仰る原理・原則は、法形の重複をなくして整理をしては、
  身につかないのだろうか?

のご質問ですが…
身に付くと思いますよ〜,問題なく。やり方さえ間違えなければ。こちらの指導法をとる
武術も沢山あるようですし。これはまさにやり方の違いであって優劣ではないです。ただ
少林寺拳法は「数多い技を自分の意識の中で少数の技法として認識する」という作業を行
うことによる教育効果(プラス「技が多い」ことによる興味の持続など諸々の要素)の方
を採用しているというだけのことですから。だから通りすがりの休眠拳士さんのおっしゃ
っているやり方(少数の法形を学ばせ,乱捕りで多彩に変化させる練習を積ませる)をと
ったとしてもぜーんぜん問題はないとは思います。この辺はホント好みの問題。しかし通
りすがりの休眠拳士さんのやり方を採用したとしても(現在の少林寺拳法と同じように)
様々な問題が生じる可能性は多いにあるので,そのフォローを充分に行わなければやっぱ
り元の木阿弥という可能性はありえます。やっぱり指導の仕方の問題だと思うのですよ〜。
(さらに続く)

912ビスキュイ:2004/03/09(火) 17:59
(さらに続き)
んで最後の

3、実際問題として、拳士達・先生達は少林寺の技法を実践、運用できているのか?
  もしできていないとしたら、それはなぜか?

ですが…
これはですね,「人によります」としか答えようがないです。原因は様々,出来てるか出来
てないかも人それぞれ。ホント十人十色。

>ビスキュイさんの仰る教授法、修練法が正しいとしたら、少林寺の拳士達はみな
>少林寺の技法を実践、運用できているはずですよね?

とのことですが,んなこたぁございません。理論が正しくても出来ない場合はいくらでも
あります(「私の理論が正しい!」と言う意味ではないですよ)。
例えばですね…
・理論を間違って理解して運用している
・理論は理解しているが運用の仕方が間違っている,
・そもそもその理論を認めない
などなど…であれば理論が正しくてもしょうがないですよね?当然
・ 理論自体が間違っている
という選択肢もあるわけですが。
逆に「通りすがりの休眠拳士さんの教授法,修練法ならば少林寺の拳士達はみな少林寺の
技法を実践,運用できるようになりますか?」と質問されたら…どうされますか?

>しかしながら、残念ながらそうでない場合が非常に多いと言わざるを得ません。これは
>なぜだとお考えですか?

これはですね…もう「練習不足です」と。40過ぎ拳士さんのおっしゃるとおりですと。
出来てる人はみんな練習一杯してますよと。結局最後はこれですよ。開祖も言ってます「人
十度我百度」。理論が分かったらあとはもう練習あるのみ。どんな理論も練習少なきゃダメ
ダメ。そういう意味では最近の私もダメダメ(練習行けてなーい)。ただ「間違った練習」
はすればするほど下手になるわけで,正しいやり方で練習することが大事なわけですが…。
当然「法形練習だけ」でもダメダメ。「乱捕りだけ」でもダメダメ。「筋トレだけ」でもダ
メダメ。「じゃあどうすりゃいいんだ!」。全部やるのです。法形も乱捕りも筋トレも学科
も…全部!全部!全部!「だって時間は有限だろうが!」。そうです。そのために「数多い
技を自分の意識の中で少数の技法として認識する」という作業を行うのです。このことに
より実質的な練習時間が増える(と言うか「密度が上がる」)し,この作業自体が練習でも
あるんです。ただ重ねて言いますが,

「通りすがりの休眠拳士さんのやり方もあり!」

だと思うのです。

以上です。

913Syami@Office:2004/03/09(火) 18:11
あ〜、まぁ、我々の場合「修行」だからねぇ。

914ビスキュイ:2004/03/09(火) 18:15
>あ〜、まぁ、我々の場合「修行」だからねぇ。

これは絶対に切り離せない要素なんですよね。まあただ今回はあえて「技術」のみに
焦点をあてて話を進めてみようかと…

915アップル:2004/03/09(火) 18:18
ビスさんからでたキーワードから
>ただ法形を「絶対的な型」「それぞれ全然別の技」として指導してしまえばそのデメリットは極めて大きい」
副読本でも教範にも書いてあるかも知れませんがなぜ「法型」ではなく「法形」なのかって感じでしょうか?

916ビスキュイ:2004/03/09(火) 18:19
>アプールさん

そのとおりなり〜!

917アップル:2004/03/09(火) 18:38
関係あるかはわかりませんが、助士になって後輩の技をよく見るようになったのですが。

柔法技が掛からない人の特徴(アップル超私見)。

①技の途中で止まる人(鈎手、掛け手で基準線を作るとき)
②途中からやり直しちゃう人。
③手を握られたとこからはじめちゃう人
④攻者の攻撃がでたらめ(にぎるだけ、さわるだけ)
⑤習った掛け方だけにこだわる人

①〜③
途中で止めた時点で攻者は状態が少し変わってしまう(動いちゃう)ことに
気づかないで続きをやろうとすると技が掛からないのは当たり前だなぁと。

④攻者が攻撃してないんだもん。技を掛ける必要がない状態で掛けようとしてるのだから
難しいのは当たり前かと。

⑤習ったときの攻者を今相手にしている攻者が同じ攻撃とは限らない。
手がねばい人もいるし固い人もいるし。掴んできた角度がちがうときもあるし。
ケース バイ ケースであることは大事ですね。

教えながらいろんなヒントが転がっていて楽しいですね。


事実、技が掛からず悩む後輩に
「止めずに一気にやってごらん、こうやって鈎手から一気に。」

攻者は自分が引っ張った反動でうまくパタリ。このときはこれで私も十分だと思いました。
後輩もわりと簡単にできてキョトンとしてました。

918ビスキュイ:2004/03/09(火) 18:48
>アプールさん

それ全部超大事なポイントなり

919アップル:2004/03/09(火) 18:54
付け加え
⑥指導している先生の手しかみてない。
攻者と守者のポジション、運歩のタイミング、鈎手のタイミング、視線。重要なとこ見失ってる。
だから技を掛けるときに足も止まってる。ソコができれば技が完成すると勘違いしてるのかと。
サビだけでは曲は完成しないのだ。とラさんが言いそうw。

>それ全部超大事なポイントなり
以上すべてが「型」にとらわれるの典型的なケースでデメリットは皆さんもうおわかりかと。

少しは話がつながったかなー。コレくらいしか私には言えませんが。
結構こんな拳士多いはず。

920ビスキュイ:2004/03/09(火) 19:01
アプールさんは刻々と進化を遂げているなあ〜。
さーて、最近どうも口だけ先走っている私も今日は練習行ってきま
ーす(*´ω`)

921赤影:2004/03/09(火) 21:36
>赤影さんもしっかり楽しんで修練してますねー。

色々工夫するのは楽しいです。同じ事を延々と繰り返し「精錬する」
も楽しいですが。

安全靴のような一見武器に見えない護身具はいろいろ考えました。
この他にも。先を尖らせた2Hの鉛筆にキャップをかぶせて胸に挿す、
なるべくでかいオイルライター、試供品の小さいスプレー、500円玉や
スロットのコイン、パチンコだま、スチールのドキュメントケース、
家電のアース線、ヘアーリキッドの小瓶、ドライバー(これはさすがに
2ちゃんでは書けませんでした。グリップがあるので握りが・・。
相当強力な武器になります)、
工作用各種協力手袋、等です。

>ビスキュイ さん、レスお疲れさんでした。

922赤影:2004/03/09(火) 21:44
それと、マック使いの人は今のBSDカーネルについてはどう思っているのでしょうか?
私は以前、筋金入りののマックファンに、「UNIXっていいよね」と言ったら
「あんなもん・・・・」と言われました。遠方にいるので今度会うときが
楽しみです。私は、パソコンダブルブートにしていますが、WINDOWS
の便利さから離れられない、なんちゃって(使い方の講習を受けるだけ)犬房です。

923アップル:2004/03/09(火) 22:12
>筋金入りののマックファン
ぐはぁ〜、そしたらいままで使いこなしていたソフトが使えなくなったりとか、
ヘビーであればあるほどOSXには困惑したでしょうなぁ。
私はOSXだけ。クラシックはあまり使わなくなりましたねぇ。

924Syami:2004/03/09(火) 23:27
昔々その昔、弊社から始めて国産のUNIX WorkStation「U-station」が発売された時
私はそれに関係していました。
つまり漢字Talkを使う前にUNIXで仕事してたのです。
その立場から言うと、BSDカーネルは何かと便利ですねぇ。
でも、ガチガチのMac User(まぁ、色々なタイプがいるけど)はコマンドベースでも
Macを操れるBSDカーネルと言えど実際のところさほど興味は無いのではないでしょうか??

925通りすがりの休眠拳士:2004/03/09(火) 23:57
>>910>>912 ビスキュイさん  大変お詳しいレス、有難うございます。

残念ながら、どうやら私とビスキュイさんの間には、少林寺拳法の問題に対する
「温度差」があるようですね。これまでも薄々は感じていたのですが、ここに来て、
その違いがハッキリと顕在化して見えてまいりました。どういうことかと申しますと、

>ここの部分こそが「指導のあり方の問題」だと思うので
>す。実際に私がお世話になったことのある先生方を例に考えると…

>「じゃあなんで不寛容な拳士や先生が存在するんだ?」
>…なんででしょうね〜?ホントに不思議です。

>これはですね,「人によります」としか答えようがないです。原因は様々,出来てるか出来
>てないかも人それぞれ。ホント十人十色。

ビスキュイさんの上記のようなご返答に、どうしても温度差、というよりも、問題意識の
違いを感じてしまうのです。私が、>>904にて、40過ぎ拳士さんの「指導者による」との
ご意見について述べさせて頂いた思いが、またも頭をよぎります。
  それは違うのではないか・・・と。

仮に、失業率が非常に高い国についての議論だと考えてみて下さい。

私が「この国の失業率が高い原因はコレコレで、その解決案としてコレコレのような
ことを考えています。いかがでしょうか?」と提言します。すると、ビスキュイさんの
お答えは、「いえ、私はそうは思いません。なぜならば、この国でも就職できている
人は何人も(少なくとも両手両足の指では足りないくらいに)いるからです。じゃあ
何で失業者が存在するのかは、何ででしょう。分かりません。人によるんじゃないで
しょうか?原因は様々、就職できるかどうかも人それぞれ。」

このように仰られては、私もどのようにお答えすればよいのか・・・。


そのような議論では、堂々巡りになってしまうかと思います。
そうではなく、例えば以下の箇所についてですが、

>これはですね…もう「練習不足です」と。40過ぎ拳士さんのおっしゃるとおりですと。

ここであれば、「では、なぜ練習不足が起こるのだろうか?」と更につっこんで
考える必要があるのではないでしょうか?そして「単に練習時間が短いだけなの
だろうか? それとも別の理由があるのだろうか?また、それを解決するためには
どうすればいいのだろうか?」と、このように考えてこそ、改善に向かっていく
のではないかと思います。


少林寺拳法をなさっている方の中には、アップルさんやSyamiさんを始めとして、
ビスキュイさんのような捉え方をされる方が非常に多いかと思います。少林寺に対する
批判に対しては、「それは人による」「指導者側に問題がある」「ウチの道院はちゃんと
やってる」「強い人も中にはいるよ」…ナドナド、このようなご意見ばかりが返って
くるような気が致します。しかし、これでは本当の問題解決にはなっていないはずです。

ただこれも、いつだったか138Bさんが仰られていたように、私と同じような問題意識を
他人に押し付けているだけなのかも知れませんね・・・。

926通りすがりの休眠拳士:2004/03/10(水) 00:00
ご質問についてお答え致します。

>逆に「通りすがりの休眠拳士さんの教授法,修練法ならば少林寺の拳士達はみな少林寺の
>技法を実践,運用できるようになりますか?」と質問されたら…どうされますか?

全員100%とは言いませんが、非常に多くの拳士が、技を身に付けることができると考えて
おります。その根拠は、私は大学支部で後輩達に私の理論を指導してまいりましたが、
そこでの指導方針はあくまで「乱捕重視」であり、「法形を乱捕に実際に役立てる法」で
ありました。そして、その指導を行った結果として、演武の大会で非常に良い成績を残せる
ようになってきたことです。もちろん演武ができたら技術を習得しているとは決して言え
ませんが、「乱捕重視の姿勢を貫く事が、演武の上達に繋がった。」ということは、技法の
習得の結果と言えますし、また法形と乱捕が繋がったと言えると思います。

927アップル:2004/03/10(水) 00:19
>通りすがりの休眠拳士さん
>これでは本当の問題解決にはなっていないはずです。
そうですね、その問題に面している人にはなんの問題の解決策のアドバイスには
ならないかもしれません。ですが、私からするとそんなもの問題でも何でもないわけでー。

んで、通りすがりの休眠拳士さんはどんな解決策でどのような行動をされましたか?
休眠拳士ということで今は練習はできないのかもしれませんが、
なにかお考えなのではないでしょうか。その辺が興味があるところですねぇ。

私が選んだ解決策はココ「丸廉」でした。うまくいきつつありますよん。

928アップル:2004/03/10(水) 00:22
おふ、失礼。
>私は大学支部で後輩達に私の理論を指導してまいりましたが、
>そこでの指導方針はあくまで「乱捕重視」であり、「法形を乱捕に実際に役立てる法」で
>ありました。そして、その指導を行った結果として、演武の大会で非常に良い成績を残せる
>ようになってきたことです。

実行されていたのですね。すんばらしい!
私は演武がうまい=乱捕りがうまい
だとずっと思ってます。ですが決して大会で表彰されるものが
私にとってのうまいではありませんがね。演武はとっても楽しいです。

92940前拳士:2004/03/10(水) 00:50
>>897 赤影さん

これまた、全く仰る通りです。
ウエートトレーニングは、筋力アップのためには最も有効だと思います。
武道・武術と同じく、沢山の人が懸命に研究してきた積み重ねですし
どんどん新しい科学的発見もありますから。

「自分より相当マッチョな人には吹き飛ばされる」というのも
私自身、骨身に染みて分かっているつもりです。
ただ、40になって、これからどういう練習をしていくべきか考えたときに
語弊がある言い方かもしれませんが、
「力も技のうち」という考え方は一旦捨ててみようと考えました。

一方で、まだ40代ですから、
今まで知らなかったものを色々吸収したいとも思っています。
それで、今は所謂伝統派空手の道場で修行させて戴いています。
全く違う基本を、少林寺の基本と比較しながら、楽しんで練習しています。

93040過ぎ拳士:2004/03/10(水) 00:51
 あらら、また「40前」って書いてしまった。
 皆さん、乱捕は結構ですが、パンドラには気をつけましょう。(笑)

>>904 通りすがりの休眠拳士さん

>この部分については、やや同意しかねます。なぜなら、(これまでの投稿の
>中でも、言外に含めたつもりですが)この言い方ですと、少林寺拳法に
>内在する問題点に目を背けてしまっているような気がするからです。

 仰ることは良く分かります。
 私個人は、もっと単純に考えています。
 「一拳必殺ではなく一拳多生」
「一人のチャンピオンを作るのではない」というような開祖の言葉は、
 終戦直後の混乱期や、
学生運動が激しかった時代や、
 「血の汗流せ涙を拭くな」という歌に皆が感動した時代や、
そうした時代が背景にあってこそのものだと思うのです。
開祖は禅坊主です。
もし「運動会ではお手手つないで仲良く一緒にゴール」という今の時代に御存命なら、
全く別の言葉を発せられると思います。

931ビスキュイ:2004/03/10(水) 01:32
>通りすがりの休眠拳士さん

温度差ですか!?いや〜確かに「全てを投げ捨てても少林寺拳法に邁進するぜ!」
というほどではないのであまり高温ではないですね〜。でもあまり低くもないつも
りですよ♪
さてさて…それでですね…うーん,なんて言ったらいいかな…
当たってるかどうかは分かりませんが,なんかこんな感じがしてきました。

通りすがりの休眠拳士さん
・出来ていない原因を分析してその対策を考える。


・出来ている人達を分析してその共通の傾向を考える。

んでこんな感じ↓

「出来てない人達がこんなにいる!きっとこの体系がまずいんだ。変えよう」
「いやこの体系でも出来てる人達がいるじゃん。で,どうもこの体系をカクカク
シカジカのやり方でやれば出来るようになれそうだぞ」
「いやそのカクカクシカジカのやり方が出来ないから現在の状況があるんだろ」
「いやそのカクカクシカジカのやり方が出来ないんじゃなくてしてないんだって」
「いや出来ないんだよ。出来てれば現在の状況になるわけないだろ」
「いや実際に出来てる人はいるんだし。出来てない人達はカクカクシカジカのやり方
をしてないんだって」
「いやしてないんじゃなくて出来ないの。実際俺が考えてるやり方で効果が上がって
いる」
「カクカクシカジカのやり方をしてる人達だって効果は上がってるだろ。そのやり方を
してる人達は出来てるんだぜ?」
「いや実際に出来てない人達がこんなにたくさん…」
以下繰り返し

932ビスキュイ:2004/03/10(水) 01:47
それとですね…先ほど>>925の中で引用された

>ここの部分こそが「指導のあり方の問題」だと思うので
>す。実際に私がお世話になったことのある先生方を例に考えると…

>「じゃあなんで不寛容な拳士や先生が存在するんだ?」
>…なんででしょうね〜?ホントに不思議です。

この部分は通りすがりの休眠拳士さんの
「1、具体的且つ詳細な例を示してしまっているため、例以外の変化に対する寛容性が
  薄れるのではないか?」
と言うご質問に対する私の回答からのものですよね?あそこで私が言いたかったことは
ですね…

「具体的且つ詳細な例を示してしまっているため、例以外の変化に対する寛容性が薄れ
るのだとするならば,なんで何十年もその体系に従って練習してる先生に変化に寛容な
人達がいるのですか?それっておかしくない?」

ってことなんですよ。全て例外ですか?でもそれも何だか…

933ビスキュイ:2004/03/10(水) 02:20
あとですね…

>これはですね,「人によります」としか答えようがないです。原因は様々,出来てるか出来
>てないかも人それぞれ。ホント十人十色。

これ。これは通りすがりの休眠拳士さんの

「3、実際問題として、拳士達・先生達は少林寺の技法を実践、運用できているのか?
 もしできていないとしたら、それはなぜか?」

に対する回答ですが…
この回答は真剣も真剣,大真面目な回答ですよ。

まず最初の部分「少林寺の技法を実践、運用できているのか?」についてですが…
実際出来てる人もいるし出来てない人もいますよね?仮に「出来てない」って答えが
正解だとしたら,出来てる人達の存在はどーなってしまうのですか?逆に「出来てる」
と答えたとしたら出来てない人達の存在は??「人によります」以外に答えようがない
と思うのですが…
次に「もしできていないとしたら、それはなぜか?」この部分。これに対する「原因は
様々」この回答。これも曲がりなりにも指導の任に携わるものとしてこれ以上ないくら
いに真面目な回答です。
通りすがりの休眠拳士さんも後輩の皆さんを指導されているならお分かりでしょう?技が
掛かる時の条件は大体同じですが,掛からない原因はホントに人それぞれです。同様に少
林寺拳法の技術を使いこなせない原因も人それぞれです。基本が出来てないからかもしれ
ない,筋力が足りないからかも,バランスが悪いからかも,技を知らないからかも,乱捕
り練習が足りないからかも,故障があるからかも,少林寺拳法が合ってないのかも,飽き
てきたからかも,眠いからかも,疲れたからかも,お腹が空いたからかも,心配事がある
からかも…。「原因は様々。人それぞれ」としか言い様がありません。
言葉遊びでも誤魔化しでもなく,真剣な私の回答です。

934求道s00@遅い昼飯中:2004/03/10(水) 17:04
皆様ご無沙汰しております。と言うほど書き込んでいないので恐縮なのですが。。
通りすがりの休眠拳士さんをはじめ皆様のご意見いずれもごもっとも、且つ精巧緻密で大変勉強になります。
僭越ですが、直前までの議論は、指導の場というか、対象とする少林寺修行者の像に認識のずれがあるように思います。
おそらくビスキュイさんの仰るように現在の少林寺拳士の構成はとっても多様性に富んでいて、こちらにあわせればこちらがあわず、と言うような状況があるんではないかと思います。
そうした中で、皆が強くなって行くにはどういう形が適切であるか、と考えるのは難しいですね。。。こうなってくると技術論と言うより、少林寺はどうあるべきか論になってしまいますです。指導者の質、と言うお話ともからんできますが、乱捕、応用変化完璧のそれこそ師匠と呼ぶにふさわしい人間が指導者ならば法形なしでも指導できるでしょう。また、学ぶ方もある程度運動が人並みにできるような青年ならば乱捕の中での習得も、殺伐とした雰囲気での平常心鍛錬もできるでしょう。しかし、運動神経しょぼしょぼの人間が、そこそこ技ができるという程度の先生に教わる局面を考えると、現法形のような構成がメリットとなるのではないでしょうか?もちろん、そのようなしょぼい状況じゃそもそもだめだよ、そこがいかんのだと言われてしまえばそうなんですけどね。これは大変レベルの低ーい話です。でも、全く武道やったことがない運動神経なしのしょぼしょぼデブにぶ君が、少なくとも素人の攻撃からちょっとでも身を守れた、と言うだけのことでも、その人にとってはものすごいメリットでしょう(自分のこと言ってるみたいだが)。だめだこりゃレベルの指導者も現法形という指導書があることでそこそこレベルの指導者になると言うこともあるのではないでしょうかね(幸い私の御師様は御神楽じみたこともすすんで経験している猛者ですが)。だとすれば技の数は多い方がいいはずですね。
誤解のないよう念を押しますが法形にはそう言う場合のその程度の効用しかないと言ってるのでは決してありません。しかし、法形というものの構成が単に理想的な教授環境においての技術の効率的な習得と言う視点にのみによってできているわけではないのではと言うことなのです。
私的には、確かにある的確な条件(練習時間が沢山とれる、修行者がある程度肉体・思考力的に優秀、指導者が優秀など)のもとでは、現行法形よりも効率的なメソドロジーがあり得るだろうと考えます。。ビスキュイさん、この点に関しては如何でしょう?この点に関して私は通りすがりの休眠拳士さんに近い意見かもしれません。
しかし、様々な状況で、様々な相手に教授するものだと言うことを考えたとき、現行法形はなかなかイイ線を行ってるのではないかなぁと漠然と思います。
例えば、金的蹴膝受波返と逆蹴膝受波返の差なんかは実際乱捕りの中で覚えた方が(怖いけど)しっくりくると思える部分なんですけど、がんがん金的ありの乱捕りができないような環境にいる人にとってはあえて明示的に教わることで得るものもあるのかなと。
金的乱捕りしろよ、と言われればそれまでですが。私もそうなんですが、乱捕りなんてとても。。。みたいな入門者が「多少殺伐としても強くなりたい!」と言う風に意識が変わっていくこともあります。そんな僕のようなヘタレの入門者には今の法形は大変とっかかりやすかったと思います。このたくさんある階段を少しづつ昇っていけば強くなれるのではないか、と言う錯覚というか、信仰が私のような弱虫には有効だったのです。その信仰の対象は壮大で技数が多くて神秘的である方が心理効果が高いのは言うまでもなく。。。で、少しだけステップアップして先輩にがつーんと喰らうと、そうか、これだけではだめなんだなと目が覚めるのです。そのころにはもうちょっとだけ強くなろうとを考えられる位には成長しているというわけでした。
また、これは論点がずれますが法形をより効率的なものに換え、乱捕り修練の時間をどかん、と増やすと少林寺修行者の人種構成ががらりと変わるでしょう(ついていけない、と言う人続出??)。ここを換えずに、修行を続けるうちに修行者の意識が自発的に変わって、もっと乱捕りしたいぞ、もっと練習時間とりたい、と言う風に変わっていくならばそこが少林寺の目指すところでは、と言う気がします。弱い人間を強くする、と言う意味では、はじめはしょぼしょぼのヘタレの、「あのぅ。。僕にも。。。使えるようになりますか?」言うようなしょぼい奴が、こう来たときにはこうだ、と教えられて何となく強くなったような錯覚をして、しかるのちにいや、これだけではだめだ、と言う。。そうなったときに、ビスキュイさんをはじめ皆さんが試みられている工夫が活きてくるのではないかという気がするのですが。。。レベルの低い話で失礼致しました。

935アップル:2004/03/10(水) 17:36
コソーリ・・・

936名無しさん@いらっしゃい:2004/03/10(水) 18:17
>913 名前: Syami@Office 投稿日: 2004/03/09(火) 18:11
>
>あ〜、まぁ、我々の場合「修行」だからねぇ。

Syami@Office殿、ここについてもっと詳しくお聞かせ願えますか?
「修行だから、○○○」の、この○○○の部分を!

937アップル:2004/03/10(水) 19:19
>ビスキュイさん
>「原因は様々。人それぞれ」としか言い様がありません。
ほんとにそうだと思います。各人の修行ですからね。
指導者が同じだからって修行者が皆おなじ修行をしているとは思えない。
主役は常に私達修行する拳士ですからね、指導者ももちろん修行者。
自ら動いた人間がやっぱりなにかいいものを得るんじゃないかと思ったりします。

>求道s00@遅い昼飯中さん
>少しだけステップアップして先輩にがつーんと喰らうと、そうか、
>これだけではだめなんだなと目が覚めるのです。
>そのころにはもうちょっとだけ強くなろうとを考えられる位には成長しているというわけでした。
すごーくわかります。ちょっとした心構えや気持ちの変化。すごく大事なことですよね。
以前、すりぃぱぁさんが意を決してTs577さんに乱捕りで向かっていったエピソードを思い出しました。

法形の話から離れてるけど、こういうのいいなぁ。ニヤニヤ。

938赤影:2004/03/11(木) 00:28
>ただ、40になって、これからどういう練習をしていくべきか考えたときに
>語弊がある言い方かもしれませんが、
>「力も技のうち」という考え方は一旦捨ててみようと考えました。

私も「力で投げてやろう」なんては思っていませんよ。現代人は昔の
人に比べて動いていない。体力がない、でも鍛える時間が取りにくい、
から、効率よく「筋肉を」鍛えましょう、と言う趣旨です。
まず人間として、頭でっかちの「火星人(昔のイメージ)」になっては
いけませんという趣旨です。また、ウエートの姿勢はあくまで「筋肉を鍛える」
姿勢なので、当日に基本等で、武道の姿勢(神経制御)に戻す必要があります。
私も同じような世代ですが、今でも体力は上がっています。(元が低いからかな?)
で、年を取れば退化とのとの戦いです。時間をかければ活性酸素が増えるので、
より短時間により効果的に、あるいはより脳内ホルモンが出やすい状態に、
練習すべきでしょう。

で、練習は同じ原則から無限の変化を導き出せれば、効果的な練習となるでしょう。
そのための、原則の確認であり、動きの座標が法形だと思います。
だから、乱捕り中は攻防を研究し、その後の反省で、乱捕りの動きを法形の
原則で復習すると言う方法論を推奨します。

先に述べました、「無駄のない速さ」が年齢を超えた強さを維持できる秘密だと思います。
直突き一つでも。「本当にまっすぐ」打てる人は、私もそうですが、あんまりいないように
思います。最良の攻撃、防御、これを攻防の瞬間に体で出せるようにならないと
いけません。そのためには、同じ原則の動きを、鋳型にすることなく、徹底的に精錬するこ
とが必要だと思います。

93940過ぎ拳士:2004/03/11(木) 01:36
>>938 赤影さん

 話の方向が変わりますが、
 前にちょっとだけ書いた、ジャズダンスの巨匠との出会いが
 今までの自分の練習法を見直す一つのきっかけになりました。
 先生は今月79歳になるのですが、
 今でもまだ、1日4時間・週6回、クラスで教えています。

 良く形だけの武道を批判して「ダンス」と言われたりしますが
 それはとんでもない話で、
 ブロードウエーのプロダンサーの世界は
 肉体的に非常に過酷な世界です。
 1回2時間のステージを、週6回こなさなければなりません。
 そのために、肩・腰・膝の故障も多く、
 才能がありながら、若くしてダンサー生命を絶たれる人も少なくないのです。
 この先生の下には、その過酷さに耐えるトレーニングを求めて
 ダンサーたちが集まってきます。
(トラボルタもマドンナも、この先生に習っています。)

 この先生の経歴はまたちょっと特殊で、
 21歳のときに交通事故で半身不随になり
 医者からは「一生歩けない」と宣告されたにもかかわらず、
 自分でリハビリ法を編み出し、見事にカムバックして
 40本以上のハリウッド映画に出演した、というものです。
 彼のダンス・メソッドは、そのリハビリ法が基になっています。

 先生が教室で語る言葉の中で、いくつも引っかかったものがありました。

1)私は「ワーク・アウト」という言葉が嫌いだ。
  正しい動きをすれば、「ワーク・アウト」(=消耗)なんてしないのだ。
  踊る前よりも踊った後の方が、身体の調子が良いはずだ。
  2時間のステージが終わった後に、
  もう1ステージ踊りたくなるというのが正しい。
  だからこんなジジイでも、今でも1日4時間踊れる。
2)特定の部位を取り出して鍛えるべきではない。
  身体というのは、全体で一つの動きをするものだ。
3)ステップに気を取られてはいけない。
  それよりも肩の動きに注意する。
  肩がスムーズに動けば、ステップはついてくる。
4)練習と日常生活の間に切れ目は無い。
 「最近、運動不足だからジムに行こう」というのは変だ。
  椅子に座っているとき、首・肩・肘など
  それぞれが正しいポジションにあるか?
  バスを待っているとき、正しい立ち方をしているか?
  そういうものが全て良いトレーニングになる。
5)ダンスのクラスを「初級」「中級」「上級」と
  分けるべきではない。
  プロだって、始めたときは初心者だ。
  初心者は、プロのようなつもりで練習すべきだし、
  プロは、初心者のようなつもりで練習すべきだ。
  練習するときは、過去に自分が今までしてきたこと、
  未来に自分が目指すこと、どちらも忘れて
  今この瞬間に集中しなければならない。
6)ケガをしたときも休まない。
  自分が動ける範囲で動き続けること。
  その限界は、君の身体が一番良く知っている。

940Syami:2004/03/11(木) 02:16
おぉ!すばらしい!!
流石一流の方の仰ることは違いますねぇ。

私の太極拳の師父も同じような事を仰っていました。特に

>正しい動きをすれば、「ワーク・アウト」(=消耗)なんてしないのだ。
>踊る前よりも踊った後の方が、身体の調子が良いはずだ。

の部分と内容は同じだと思いますが

「太極拳の訓練は休憩しているのと同じだ。特に打ち合っている時は私は休息している。
だから打ち合った後は私は休んだ後と同じなので元気になっている。」

と、仰っていました。

941Syami:2004/03/11(木) 02:27
>良く形だけの武道を批判して「ダンス」と言われたりしますがそれはとんでもない話で、

これには激しく同意です。大学の授業でソシアルダンスを一年間やりましたが
足腰には大変なストレスがかかったモノです。
常に正しい姿勢を維持する、かつそれを崩さぬようにステップを使って動き回る。
おまけにパートナーもリードしなければならない。
これは大変な運動強度でした。

942赤影:2004/03/11(木) 18:21
>先生は今月79歳になるのですが、
>今でもまだ、1日4時間・週6回、クラスで教えています。

超人ですね。武道に限らず、こういう人は励みになりますね。

>流石一流の方の仰ることは違いますねぇ。
禿道。

943通りすがりの休眠拳士:2004/03/12(金) 00:34
>>931>>933 ビスキュイさん こんばんは。

レスありがとうございます。私は決して、ビスキュイさんがテキトーに考えていらっしゃるとか、
真剣でないとか、そういうことを申し上げている訳ではありません。ただ、少林寺拳法に何らかの
問題があった場合に、「確かにそういう問題もあるます。でも ※※それに当てはまらない人も
中にはいるから※※ 別にイイでしょう。」という考え方に、異義を申し立てたかったまでです。

そのようにして問題を片付けてしまうのではなく、「なぜ、そのような問題が起こったのか?
なぜ、そのような傾向が強いのか?その問題は、どうすれば解決するのだろうか?」と、一段掘り
下げて考えると、もっと別の問題が見えてくるんじゃないかなぁと、ちょっと(´・ω・`)ショボーンと
してしまったのです。。。

この点について少しだけ補足致しますと、例えばビスキュイさんが

>「具体的且つ詳細な例を示してしまっているため、例以外の変化に対する寛容性が薄れ
>るのだとするならば,なんで何十年もその体系に従って練習してる先生に変化に寛容な
>人達がいるのですか?それっておかしくない?」

この様に仰られているところも、>>925 の失業率の問題に置き換えてみますと、

 「○○の理由でこの国の失業率が高いとするならば、なんで何十年もこの国に住んでいて、
 ずっと定職に就けている人達がいるのですか?それっておかしくない?」

のように繰り返し仰られているのです。「失業していない人もいる」というのは、
「失業率が高い」という問題を反証できる理由には成り得ないと思います。
すなわち、「中には寛容な人達もいる」や「中には技を使える人達もいる」は、
「現行の技術体系には弊害が大きい」という問題を、決して反証できてはいないのです。

お分かり頂けますでしょうか・・・?

つづく

944通りすがりの休眠拳士:2004/03/12(金) 00:35
つづき

逆に、私がこれまでの論理を展開する上で、非常に気を遣ったのが、コレコレの「危険性が
ある」とか、コレコレの「傾向が強い」とか、「一般的には」とか、そのような言い回しを
しようと心掛けてきた点です。一例として下記をご覧下さい。

>より、「この動き以外のものは間違っている」といった認識を招く危険性が高いと
>いうことです。(あくまで危険性が高いという言い方をしたことにご注意下さい)

>上記のような「危険性」が挙げられるのではないかと思います。もともと、丸廉の

>そして、このような傾向は、高い段位を持ち、少林寺拳法を深く研究している方に

>その理由は、一般的な少林寺拳法家が、よほど法形の応用・変化に不寛容だから

>しかし上記のような体験は、決して珍しいものではないでしょう。某巨大掲示板でも、


このように、私は少林寺拳法が「本質的」「内在的」「一般的」に持つ問題について、
論考を展開してきたつもりです。その上で、一体少林寺拳法には何が足りないのだろうか、
より良くなっていくためには何が必要なのだろうか、と考え続けてきたわけです。

しかしながら、勿論私のそんな考え方をビスキュイさんに押し付けるつもりはございませんが…。


堂々巡りを避けるためと、若干脱線気味とも感じますので、この辺で。

945通りすがりの休眠拳士:2004/03/12(金) 00:38

「法形と乱捕にまつわる技術論」については、そろそろ議論が煮詰まってきたところ
でしょうか。ただ、この先の「少林寺に何を求めるか」に拠る部分になりますと、
それこそ人それぞれだと思いますので、「論」として話をするべきではないかと思います。

ココから先は、私の個人的な希望と申しますか、「少林寺拳法がこうだったらいいのになぁ」
というヒジョーに自分勝手な理想、妄想(w)を書かせて頂きます。勿論、反発・反論の類が
ビシバシ飛んできそうですが、そこは、丸廉にフラッと立ち寄った一休眠拳士の独り言だと
思って、聞き流してやって下さい。
(一応、私なりの少林寺愛から生まれた妄想のつもりですw)

つづく

946通りすがりの休眠拳士:2004/03/12(金) 00:40
つづき

少林寺拳法では、「法形が使えない」「少林寺は弱い」などの批判も多々ありますが、
その他に、「他武道と比べて特出した技法」がない(もしくは少ない)という問題も
あるように思えます。

もちろん、宗教的な教えの部分や、丸廉HPの「なぜ最初は払うのか」の部分などは、
少林寺拳法の非常に素晴らしい特徴の1つではあると思います。

しかし、教えや精神性については、他の武道(柔道、剣道、合気道、空手道…)でも
教えられている(むしろ非常に強調されている)部分ですし、「最初は払う理由」も、
単独では素晴らしいのですが、それを以ってして少林寺の最大の特徴であると言うには
弱いかなという気がします。また、技法でと言う事なら「圧法」がありますが、>>814
40過ぎ拳士さんが仰られているように、 1000人入門者がいて「圧法」にまで
辿り着ける人はホンの一握りしかいないでしょう。従って、「圧法」がある故に少林寺は
素晴らしいと言ってしまっては、それを習えなかった大部分の拳士達が浮かばれません。

特に、<他武道との対戦>を想定した場合、少林寺の「特出性の無さ」は顕著に表れると
思います。例えば、

 <剛法では>
  空手(フルコン・伝統)、ボクシング、キック等々の、打撃系格闘技の経験者には、
  今の少林寺拳士ではほとんど歯が立たないと思います。私の習っている伝統空手で
  言えば、乱捕をそこそこやっている程度の少林寺三段〜四段レベルでは、おそらく
  彼らに触ることもできないでしょう。私も、かつてそうでした(マジ)。

 <柔法では>
  柔道、柔術、レスリング、サンボ等の経験者にも、今の少林寺では通用しないこと
  でしょう。私は柔道初段&少林寺三段ですが、その私でも、柔道三段の現役の人に
  まともに組まれたら、おそらく5秒と立っていられないと思います(これも本気)。

 <総合では>
  では打撃&組技の両方を想定した総合ルールではどうでしょうか。これもやはり、
  修斗や大道塾や、いわゆる総合格闘技をやっている人には、少林寺では勝てない
  のではないかと思います。(上記は憶測ですが、当たらずとも遠からずでしょう)

 <街の喧嘩では>
  この辺りの話になりますと、対武器や対複数、その他諸々の条件も関わってきますし、
  また「なぜ最初は払うのか」で論じられているように、法廷で有利に立つための戦略
  のような部分も絡んできますので、一概には言えません。ただし、(私の超個人的な
  意見で言わせて頂ければ)この場では柔道が非常に有利なように思います。柔道の
  投げ技では、相手をほとんど傷付けることなく、相手を制することができます。
  それに、狭い場所でも使える技はありますし、立ち状態での絞め技等は非常に有効
  かと思います。

まあ長々と書き連ねてしまいましたが、私なりの、少林寺の対 他武道論です。
おそらく、細かい部分については多少の反論は出うると思います。しかし、大筋の流れ
として、少林寺拳法は「剛法」も「柔法」もあって、一見何でもできそうでいて、実は
何にもできない。これじゃ、某有名RPGでいう「サマルトリアのお(自主規制」状態
なんじゃないのか!? っていう流れには、少なからずご納得頂ける部分が多いのでは
ないかと思います。

つづく

947通りすがりの休眠拳士:2004/03/12(金) 00:41
つづき (ようやく主張の部分です)

それでは、ボクシングはパンチの技術で随一、テコンドーは蹴りの技術で随一、柔道は
投げ技の技術で随一、伝統空手は突きの速さで随一、総合格闘技は総合ルールで随一、
プロレスは打たれ強さで随一・・・エトセトラ。 他の格闘技では上記のようなそれぞれの
特長がありますが、少林寺拳法には何にもないのでしょうか?

もう1つ。 少林寺拳法には、確かに素晴らしい教えや道徳観・精神論などはあるのに、
やはり格闘技術的な部分で言えば、他に勝るものというのはないのでしょうか?少林寺は
所詮、宗教的教えの部分が「主」で、武道・武術は「従」に過ぎないのでしょうか?
開祖が、「力愛不二」という言葉はなぜ「力」の方が先に来て「愛」が後なのかを考えて
みよと仰られていましたが、現在の少林寺では、まず「力」を教える事はできないので
しょうか? 


私の答えは、否です。

私は、少林寺拳法には他武道には決して真似のできない、素晴らしい「格闘技術」が
あると考えております。それは、

 「全格闘技の中でも、<防御の技術>では随一」

ということです。

ここから先は、本当に私の理想論だけになってしまいますが、例えばどんな打撃格闘家でも、
少林寺の拳士からクリーンヒットを取ることは難しい。あるいは、どんな柔道家やレスラー
でも、少林寺の拳士からはそうそうテイクダウンを取れない。もしそんな技術を、少林寺拳法
の中で身に付けることができるとしたら、それは素晴らしい事ではないでしょうか?

つづく

948 通りすがりの休眠拳士:2004/03/12(金) 00:41
つづき

私は、そんなような理想(半ば妄想?)を少林寺拳法に期待しているのです。そして、
少林寺拳法の教え的にも、技術的にも、これは十分実現しうることだと思っております。

それゆえ、「そのためにどうすればよいか」「現状では何が問題なのか」「もっと理想に
近づけるためにはどうしたらいいか」を、深く追求し、日々研究研鑚し、試行錯誤を繰り
返して参りました。私が >>778 以来、ずっと首尾一貫して述べて参りました主張は、
ある意味では、このような理想を見据えての論考の結果だったとも言えます。

つづく

949通りすがりの休眠拳士:2004/03/12(金) 00:42
つづき

現在私は、某流派の伝統空手を学んでおります。そこで、突きの鋭さでは格闘技界でも
屈指の技術を持つ空手家達と、拳を交えております。しかしながら、私の打撃技術は、
あくまでも少林寺拳法ベースです。その私の技術と理論を、空手の世界で試し、さらなる
高みに登ろうと研鑚を積んでおります。そこではいつも新しい発見があり、素晴らしい
実践の場だと思っています。さしづめ、いつぞやの英語の習得の例(>>840>>841)で
言えば、文法過多の修行場を離れて、海外へ行って現地で英語に揉まれているといった
ところでしょうか。

実際、入門当初こそ伝統空手家のもの凄い突き技にほとんど反応すらできませんでしたが、
既に1年半の経験を積み、黒帯(初段)を頂いた今では、少林寺の技法を運用する事で
かなりのレベルで彼らの技を防げるようになってきました。まだまだ自分から攻めに回って
ポイントを取れるほどにはなっていませんが、こと防御技術という点においては、私より
二段階くらい強い人でもなければ、そう簡単に私からクリーンヒットは取れないでしょう。
(勿論、私より二段階どころか三段階も四段階も強い人がゴロゴロいるのがこの世界ですが)

このように、私は空手において少林寺拳法の技法を運用し、また私なりにカスタマイズする
ことによって、私なりの防御技術をホンの微かながらではありますが、体得しつつあります。

しかしこれは、現行の少林寺拳法の技術体系とカリキュラムのままでは、到底無理だと思って
おります。私がもし少林寺拳法だけをやっていたのでは、今の私程度のレベルになるのにさえ、
一体あと何年掛かるのか分かりません。何年やってもできないかも知れません。なぜかと言えば、
繰り返し言うようですが、乱捕の練習量が圧倒的に足りないからです。法形と演武に時間を
取られすぎているからです。従いまして、>>873でビスキュイさんが仰られた、

>私と通りすがりの休眠拳士さんがそれぞれ練習メニューを組んだら,結
>局のところ内容も時間配分非常に近いものになるんじゃないかな〜と思

これはおそらく、随分違うものになるのではないかな〜と思います。もちろん一日だけの
練習メニューという目で見たら、一緒の内容になる日もあるかも知れません。しかし、
トータルのカリキュラム構成という視点で考えた場合は、私の必要と考える乱捕練習時間は、
ビスキュイさんが考えているより遥かに大きいものではないかと思います。


ラストにつづく

950通りすがりの休眠拳士:2004/03/12(金) 00:45
ラスト

またまた思いも掛けず長文になってしまいました。
まあ、この辺りは私の妄想だと思って、どうぞご容赦下さいませ。

要するに、少林寺拳法には(・∀・)イイ!ものがたくさんあるのだから、それを
上手く使えるように練習しなきゃ勿体(・A・)ナイ!ということが言いたかった訳です。

なんだか、「通りすがりの」って言ってる割にはカナーリ長居してしまっているので、
この辺で失礼します。

951rusher:2004/03/12(金) 01:30
読んでいて、つくづく自分には少林寺拳法に対する愛着(執着)も幻想もないなと自覚しました。

自分は、定量的評価もせず、定性的仮設をぶつけあうだけの《議論》にはお付合いしたくありませんでした。
どうせ水掛け論になるわけだし、滅多に情緒的納得もえられません。
誰かさんの実証より自分の実証のほうが大事です。
そして自分の時間は、稽古/勉強/休養、自分にとってより有意義なことに使いたいです。
だからお付合いしませんでした。今後もお付合いしません。

以上、不躾ながら、傍観者が感想として不共鳴を表明しました。

952ビスキュイ:2004/03/12(金) 06:09
>ラさん
私の場合は…執着は結構持っちゃってるかもしれませんね〜。あま
り自覚はないのですが(;^_^A
ちなみに今回の議論は自分の中の方法論を言語化して再認識出来た
という点で私にとっては有意義でした(^O^)

953rusher:2004/03/12(金) 13:15
>>952
>ちなみに今回の議論は自分の中の方法論を言語化して再認識出来たという点で私にとっては有意義でした(^O^)

そうでしょうね。
他者から摂動を受けないと自分の言葉は出てこないものです。
これでめでたく以下の状態を脱出できることでしょう。

>2573 名前: ビスキュイ 投稿日: 2004/01/14(水) 17:56
>
>>そういえばビス氏、武専の卒業はどうなった?
>
>私は高等科が大好きなので高等科3年をもう1年経験しますが何か?
>これで4度目,いや,5度目の高等科3年かな…?
>
>
>2574 名前: アップル 投稿日: 2004/01/14(水) 18:06
>
>>5度目の高等科3年かな…
>結構多いのかな〜、卒業に興味がない人。
>
>
>2575 名前: rusher 投稿日: 2004/01/14(水) 18:09
>
>>>2573
>よほど論文が苦手なのですね。
>交流会に出稽古に、書くネタが大量にあるでしょうに。
>拳士たるもの文武両道で行ったほうがよくありませんか?
>
>とはいえ自分も武専は休学しようかなと先月から悩んでる。
>オヤジのサロンよばわりされたから、惰性で続けるのイヤになった。
>
>
>2576 名前: ビスキュイ 投稿日: 2004/01/14(水) 18:12
>
>>よほど論文が苦手なのですね。
>>交流会に出稽古に、書くネタが大量にあるでしょうに。
>>拳士たるもの文武両道で行ったほうがよくありませんか?
>
>うっ…それを言われると耳が痛いです…
>確かに書くネタは大量にあるのですが,いまいち脳内での煮詰まりが悪いのですよね。
>煮詰まると一気に書き上げてしまうのですが…ってそんなこと言ってるようじゃまだダメか
>

954アップル:2004/03/12(金) 13:57
>ちなみに今回の議論は自分の中の方法論を言語化して再認識出来た
>という点で私にとっては有意義でした(^O^)
おしい!あと数ヶ月はやかったら進級できたのに!!ということかな?

955赤影:2004/03/12(金) 20:26
>私は、少林寺拳法には他武道には決して真似のできない、素晴らしい「格闘技術」が
>あると考えております。それは、
>「全格闘技の中でも、<防御の技術>では随一」

私は、少林寺は、「あらゆる条件から生還する」ことを「目標としている」
ことがすばらしいと思います。
しかし、現実は

>しかしこれは、現行の少林寺拳法の技術体系とカリキュラムのままでは、到底無理だと思って
>おります。

これに近いものがあると思います。これは「システム」ではなく取り組み人の
「質」だと思います。「時間がきたら昇段だ。5段だから俺は名人」みたいな
人が増えています。昔は「自分はまだまだ」みたいに「強いのに昇段が遅い」
人は少なくなりました。某空手が競技志向になったように、「昇段志向」
が増えています。
ただ、道場で、5段より強いのに、なかなか昇段しない初二段みたいな人がいる
考え物ですが。

カタチにこだわらす、いろんな武道を研究し、体力も増強し、しかし体力に
頼らない、地道な道を歩むことが大事だと思います。

95640過ぎ拳士:2004/03/13(土) 08:08
>>940 Syami さん

 もう一つ面白いな、と思ったのが
 その先生が強調する正しい姿勢と言うのは
 「含胸抜背」なんですね。
 腕を長く使うためというのが一つ、
 もう一つは、肩を後ろに引いて胸を張ると
 肩を痛めてしまうからだそうです。

957赤影:2004/03/13(土) 10:32
>その先生が強調する正しい姿勢と言うのは
>「含胸抜背」なんですね。

逆に、ベンチの基本は、胸を張り肩胛骨を後ろに寄せます。
スクワットも、腰を反らします。ショウヨウやエントウではありません。
私がウエートの後、数分でいいから、拳立て等武道トレーニングと基本をやれと言うのは、
こういうことです。あくまで、筋肉をふやしたり、重いものを持ち上げる
フォームと、武道のフォームは違うからです。

95840過ぎ拳士:2004/03/13(土) 17:42
>>957 赤影さん

 なるほど、その通りですね。

 今私は、新しい流派に入門したばかりで
 これまでとちょっと違った動きを練習するのに手一杯なのですが、
 もう少しして時間的に余裕が出来てきたら
 ウエイトトレーニングを再開したいと思っています。
 今が、もう一度しっかり身体をつくる
 最後のチャンスかな、という気もしますので…

959Syami@Office:2004/03/13(土) 18:56
>今が、もう一度しっかり身体をつくる
>最後のチャンスかな、という気もしますので…

ドキっ!?そ、そうかも。私もがんばろうっと!!

960Syami@Office:2004/03/13(土) 18:58
>腕を長く使うためというのが一つ、
>もう一つは、肩を後ろに引いて胸を張ると肩を痛めてしまうからだそうです。

私の陳式の師父も見事に同じ事を言っていました。

961曲家:2004/03/16(火) 11:16
なんか昇段に興味が湧かない曲家でした

962rusher:2004/03/17(水) 22:37
>>961
>なんか昇段に興味が湧かない

昇段のために払う労力がいや
昇段の結果もたらされるであろう責任がいや
昇段の結果もたらされるであろう●●がいや

いろんな理由が考えられますが……。

963アップル:2004/03/18(木) 09:22
「含胸抜背」ってなんですか???

964ビスキュイ:2004/03/18(木) 10:21
>「含胸抜背」ってなんですか???

中国武術における姿勢の要訣の一つだったかと。確かこの前Syamiさんが
矢筈守法をした時みたいな感じじゃなかったかな〜?違ってたらスマソ。

965Syami:2004/03/18(木) 10:27
>矢筈守法をした時みたいな感じじゃなかったかな〜?

まぁ、そうかな?あそこまで極端にしないけど。
直立して首を縮め肩を上げます。ここから軽く息を吐きながら、すっと脱力すると
肩が下がり胸は軽く凹み背中は軽く張られますね。これが「含胸抜背」です。
よく「弓を引いた姿勢」とも言われ、発力の準備姿勢とも言われる事もあります。

966アップル:2004/03/18(木) 11:36
>直立して首を縮め肩を上げます。ここから軽く息を吐きながら、
>すっと脱力すると肩が下がり胸は軽く凹み背中は軽く張られますね。これが「含胸抜背」です。

なるほど!ありがとございます!

967615期生:2004/03/25(木) 01:16
下を読まずに書いてます.

>>778
>では、なぜ少林寺拳法では、他武道の技に対しての防御法について、
>あまり命名(紹介?)されていないのでしょうか?具体的には、
>ローキックに対する防御、タックルに対する防御
>足払いに対する防御、寝技に対する防御
>絞め技に対する防御、関節技に対する防御・・・etc
>これらに対する防御法が、少林寺の一般的な法形としては存在しないのは

>>779
>しかし、では先のページで紹介されている、内受突の変化としての、
>肘打ち、膝蹴り、体当たり等の技に命名がされていないのはなぜでしょうか?

ごもっともですね.
私の答えは「知らん」です.ザクッ
まず法形の文章は私の私感であり,開祖やら大先生が実はこんな極秘文章残してました,言ってましたというものではないので,完結してないのはご容赦を.

逆小手と内受突のコトは,まずすべてを形式知とすることは出来ないという自明がありますので,今のところで「落ち着いた」と解釈するしかないかと思います.それでも相対的には形式化が進んでいる方だと考えます.

>>788まで読みました.

968615期生:2004/03/25(木) 01:28
法形の数について.
結局いくつあるのかは知りませんが,600くらいなら多いと思いません.これはもちろんもろに私感です.

>>793 とっしぃさん.
>全ての動きについて技の名前がついていたら・・・
>1.数が膨大な量になる
>2.技を全て覚えようとして大変なことになる
>3.新しい(法形に無い)動きに対して対応し切れなくなる
>4.それぞれの技をバラで覚えて関連付けが上手くいかない(>現状でもよくありますが・・・)
>5.研究の余地が狭まり(無くなり)楽しみが減る
>となるのではないでしょうか?
>私は技の数は少ないと感じたことはありませんが、逆に多すぎるとも思いません。
私もとっしぃさんに同じ.多いとも少ないとも.
すべての知を「形式知」にすることはでくないので,「>全ての動きについて技の名前がついていたら・・・」
ということをすれば,1.2.がもりもり増えてしまいますね.

>>795
>>法形は開祖存命中に確定されたものでありますが、殊更に新規開発を禁じられたものではないと考えます。
>そうなのですか。むしろそうであって欲しいと願います。
>いつまでも何十年も前の技術体系を守り続けているだけでは、進歩は危ういでしょう。
危ういですね.躰道では大会なとで日々新しい動きが生まれているそうです.見習わねば.

>>798まで読みました.


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