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少林寺拳法or丸廉への批難・文句受容スレ

1615期生:2003/01/31(金) 00:28
【ルール】
・実名はあげない.出た場合は即アボーンします.
・建設的なカキコであること
・カキコ前に「Q&A2nd」「少林寺はなぜ煽られるか?」には目を通してください.(「香具師の阿吽」内にあります)
・質問は残さず応える
・名無しさん歓迎

その上で現状の問題点について話し合いましょう.疑問点についてもどうぞ.ご批判歓迎.
2ちゃんとは違ってそれなりに正常なレスが付くはずです.本音歓迎.

726615期生:2004/01/27(火) 12:49
二人仲良く張りました.

727Syami:2004/01/27(火) 13:27
>それではなく少林寺の修行僧のようなオレンジ?茶?のようなものです。

あの色の謂われは知ってるかな?

>白い道衣というのが空手や柔道、柔術をイメージさせるという感じでしょうかね。

そのテーマで2chで盛り上がった事があったなぁ。
空手着と少林寺拳法の道衣の違いは把握してるかな?

728アップル:2004/01/27(火) 13:29
>空手着と少林寺拳法の道衣の違いは把握してるかな?
ぬ。。あまり考えたことなかったです。

729名無しさん@いらっしゃい:2004/01/27(火) 13:32
空手着より厚く長く、柔道着より薄く短い。
少林寺拳法は剛柔一体、投げも突き蹴りもあるからと聞きました。

730Syami:2004/01/27(火) 13:41
>>729

然り。また、デザイン的には袖や裾が柔道着や空手着より開いています。
これは羅漢拳系の練習をしやすくするためです。

731アップル:2004/01/27(火) 14:18
なるほど、あたりまえだが、少林寺拳法の修練に適したスタイルになっていると。
けど昔の胴衣のほうが細身ですよねー。
私がもってる
50周年記念のOZAKIの3L(親父様おさがり)と去年買ったOZAKIの3Lではだいぶ大きさも太さも違う
のよね〜

>あの色の謂われは知ってるかな?
謂われとは?

732Syami@携帯:2004/01/27(火) 16:25
「ふんぞうえ」と言う言葉を調べてごらん。

733アップル:2004/01/27(火) 16:30
示に云く、学道の人、衣粮(えりょう)を煩(わずら)はす事なかれ。ただ仏制を守って、心を世事に出す事なかれ。仏言(のたまわ)く、「衣服に糞掃衣(ふんぞうえ)あり、食に常乞食(じょうこつじき)あり」と。何れの世にかこの二事尽くる事有らん。無常迅速なるを忘れて徒(いたず)らに世事に煩ふ事なかれ。露命の暫く存せる間、ただ仏道を思ふて余事を事とする事なかれ。

仏道を学ぶものは、衣食に心を用いてはいげない。ただ、仏の定められたきまりを守って、心を世間の俗事に向けてはならない。仏は、「僧の衣服には、糞掃衣(ふんぞうえ:世俗の人が捨てた衣の布をつづり合せて作った袈裟)があり、食物としては、常乞食(じょうこつじき:毎目、托鉢<たくはつ>によって食物を乞う生き方)がある」と言われている。この二つは、いつの世になっても尽きることはあるまい。人の世は無常であり、速かに過ぎ去りゆくものであることを忘れ、いたずらに、世問のことに心を用いてはならない。露のようにはかない命がしばらくでもあるあいだに、ひたすら仏道に専心して、そのほかの事を間題としてはならない。

袈裟も同様の意味だったのかな?

734Syami@携帯:2004/01/27(火) 18:34
あの黄色(橙?)の法衣はインドから中国、日本でも一部の宗派で位の高い僧侶が使用していますが、元々はインドで最も手軽に手に入る染料(ターメリック?)を使ったらたまたまあの色だったと言うだけの話だそうです。
本邦の僧侶が墨染の法衣を用いるのも同じ理由とか。

735Syami@携帯:2004/01/27(火) 18:53
人待ちのStarbucks。退屈凌ぎにもう一つ付け加えるならば、墨染の衣は作務で汚れても目立たないからね。今は「作務衣」と言うものが有るけれど、あれは戦後に農作業着(所謂「モンペ」)を真似たもので、それまでは作務も法衣に襷掛けで行っていたそうです。

736アップル:2004/01/27(火) 19:24
なるほど、たまたまインドの染料がという話がおもしろいですねぇ。
ということはインドの文化がそのまま色濃く残ってるってことか、ふむふむ。

日本はやっぱり白にこだわりがあるのでしょうかねー?
ふんどしは自分の心のように真っ白であるべきだぁ!!とマンガで読んだな。

737ビスキュイ:2004/01/27(火) 19:29
「一林檎庵風流記 花のアップニ」

738アップル:2004/01/27(火) 19:50
ぬ、気づきましたかビスさんw

739アップル:2004/01/28(水) 09:19
*少年部禁止技
肘抜きより前天秤
送り巻天秤
逆手投
龍投
外巻天秤
切返天秤
上受逆手投
逆天秤
腕十字固
天秤固
送天秤捕(二種)
吊上捕
吊落
袖巻天秤
外巻落
投技に対する跳び受身

*服装規定
・袖の位置は手首間接から上に5cm以上、肘から下に10cm以上とする。
・ズボンの裾はくるぶしから上に10cm以上、膝から下に10cm以上とする。
・道衣の下に下着を着用する場合は白色無地。
・帯は表面が擦り切れて色がわからないもの、見苦しいほど痛んだものは着用しない
・頭髪は節度のある見苦しくないものとする。

帯については昔から使っているものがいいという人にはきついかなー
頭髪に関してはその節度に関してそれぞれで基準が異なると思います。
上の人間が茶髪が嫌いなら現在それはごく普通のことだとしても
大会では嫌がられるかもしれない。
男の長髪も嫌われるかもしれない。
私達からすればおしゃれというよりも身だしなみに近い。
黒髪は自分には似合わないと思うから染める。
長髪が合わないから短髪にする。逆もある。
コンプレックスもあるかもしれない。

長髪が護身の上で不利だといわれるなら長髪の女性はどうなるの?みたいな。
だからといってガタイのいいオサーン拳士を坊主にしたら・・・(自粛)


ちなみにうちの親父様は茶髪だ。

少年部もいろいろ大変だネェ

740Syami@Office:2004/01/28(水) 10:20
ははぁ?なるほど。
私の知るところを記すならば・・・
少年部禁止技法に関しては、これは大分以前からありました。
禁止とされているのは肘関節及び肩関節に過度にストレスが掛かる可能性が有る技法ですが
これは保健体育的な理由、即ち上肢の関節形成が終了するのは中学2〜高校2年生頃なので
それまで関節の変形の可能性が有る技法は避けようではないかと言う事でこれは遵守した方が良いでしょう。
個人的に納得できないのは「投技に対する跳び受身」です。
「跳び受身」は自ら飛ぶものではなく、飛ばされるからやむなく取るもののはず。
「投技に対する跳び受身」が出来ていなかったら「減点」じゃないのか??

服装規定に関してはこれも以前からあるもので、要は見苦しくない事という事で節度を守れば桶なのでは?
「節度」の範囲というものはその時代時代で変わるけど、・・・ねぇ?

741アップル:2004/01/28(水) 10:33
わざわざ本部がいうことではないと思うのですが。
大会以外では守らなくてもよい(っつーかそうなんだろうけど)という考えに
なりそうで。

742Syami@Office:2004/01/28(水) 10:46
>わざわざ本部がいうことではないと思うのですが。

わざわざ本部が言わなければならない状況があったのかも知れないねぇ?

743アップル:2004/01/28(水) 11:00
あー!!いつも大会で着ていた親父様道衣が着れなくなったことに今ごろ気づいた!
名前が「アッ卍プル」ってなってるから・・・ヽ(`Д´)ノ

744Syami@Office:2004/01/28(水) 11:04
おっと、私も襟に・・・。

745615期生:2004/01/28(水) 12:08
それで,
>743 >744 はなぜいけないのだろう?
フツーに疑問だ・・・

746アップル:2004/01/28(水) 12:32
そのまま海外にいくと・・・
胸章は別のがあるけど刺繍だとどうしようもないしねー

747rusher:2004/01/30(金) 15:10
海外の支部を訪問する際の注意事項 出典:支部長必携

【11】少林寺拳法世界連合からの連絡事項

2.海外の支部を訪問する際の注意事項

(1)訪問予定の支部へ事前に連絡をする
事前に所属長を通じて、訪問先の支部責任者へ文書で連絡し、許可を得
てから訪問する。
突然の訪問は相手の迷惑となる。
※訪問の際の連絡事項
 訪問日・所属・氏名・住所・連絡先(電話、FAX、メールアドレス)
 ・年齢・資格・言語(同伴通訳の有無)・移動方法・宿泊先・現地連
  絡先・既往症・緊急時の連絡先

(2)電話連絡の際の注意点
訪問する国と日本には時差があるので、相手の都合のよい時間帯を考え
て電話をする。

(3)卍胸章について
ヨーロッパ各国では、卍はハーケンクロイツ(ナチスのマーク)と誤解
される。必ず、盾拳マークを着用するか、卍を外した状態にする。

(4)支部への参加方法
支部の活動内容は、世界共通なものと支部独自のものがある。事前に注
意点について指導を受けてから参加、練習すること。

(5)マナー
日本では常識でも、相手国ではマナーに欠けた行動と取られる場合もあ
る。文化習慣の違いだけでなく、各国の文化を理解し、良識ある行動を
とる。

(6)事故防止と事前対策
障害保険等には必ず入ること。練習中の事故の責任は、当事者の問題。
怪我のないように十二分に気をつけること。

748rusher:2004/01/30(金) 15:45
でも日本国内だと普通の拳士は盾拳胸章を持っていない。
胸章を外した姿もいまいちみっともない。
どうしろというのだ。

自分は一枚持っている。海外の大会でTシャツ類と並べて売ってたから土産に一枚買った。
あの胸章を、相手が拳士かどうか一切関係なく売ってしまう、連中の感性が、いまだにわからない。
コースターにでもしろというのだろうか?

749アップル:2004/01/30(金) 15:55
ありゃ?海外のって支部名は入ってないんでしたっけ?

750rusher:2004/01/30(金) 16:12
どの海外のことかな? 欧州連盟諸国の場合は国名はあるが支部名はない。

751615期生:2004/01/30(金) 16:28
本山で武専卍が売っている時もややショックを請けまスタ(*´ω`)

752rusher:2004/01/30(金) 17:30
>>749
ああそうか、何を訊かれたのか今はじめてわかった。
ええと、自分が目撃したのは、その国際大会が開催されている国の盾拳胸章の販売。
例えば前回の世界大会はパリで開催されたが、そのときはフランス少林寺拳法連盟の盾卍胸章を売ってた。
君がフランス所属の拳士でなくても、それどころかどこの国の拳士でなくても買えるわけ。

753アップル:2004/01/30(金) 17:37
ぬ、、ちょっと欲しいと思った。。フランスー。次の国際大会はどこかなー?行けないけど。いける人だれか買ってきてくれ!!

754615期生:2004/01/30(金) 17:39
私もぽちぃ.
御土産として最高ですな!!

755拳法家族:2004/01/31(土) 08:49
はじめまして、ずっとここを見ていました。参加してみたいけど会場が遠いので参加できないのが残念です。
( ゜∀゜)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \

756615期生:2004/01/31(土) 22:18
拳法家族さん!!名前が(・∀・)イイ!!
しかも真っ当なねらーな悪寒!!

御初です!!どこらにお住まいでしょうかー,残念です(´・ω・`)ショボーン
またバシバシ掲示板でタマリましょう!!
ぜひぜひエントリーでも〜

757615期生:2004/01/31(土) 23:37
もしかして,逆立ちしながら犬の散歩とかしているのだろうか?
それともほんとに拳法にどっぺり家族なのだろうか?

むむむ

758拳法家族:2004/02/01(日) 03:01
私は関西兵庫ですが所属は大阪の大学支部でつ(・∀・)ニヤニヤ
まぁみなさんとお会いしたいものでつよ〜
なんか楽しそうですからね〜いつか東京まで逝きますよc⌒っ゚∀゚)っ

759アップル:2004/02/01(日) 12:10
>拳法家族さん
ぜひぜひ来てくださーい!!
はじめは複数1コテハンなのかと・・おもってました。。家族だから。

760名無しさん@いらっしゃい:2004/02/15(日) 11:35
age

761615期生:2004/02/15(日) 11:48
珍しいageですなw

762熊狩:2004/02/16(月) 00:17
んあ?

763アップル:2004/02/18(水) 10:30
ふと自分の3級試験を振り返ってみる。
そのころはまだ各道場での昇級試験だったです。
本番1週間前に道院長による仮試験が行われた。学科試験はこのとき。
基本はもちろんのこと3級科目全部しかも左右、そして鎮魂を全部覚えて
いるかの暗記試験もこの日に行われた。大変きつかったのを覚えている。
その日は直に道院長が手をとってくれてミチーリ指導してくれるありがたい
一日でした。

本番日、試験官は道場長。カナーリ厳しかった。
試験を受けたのは私(当時学生)と高校生二人。結手構から激がとぶとぶ・・。
「そんなんで茶帯になれるとおもってんのかー(#゚Д゚)ゴルァ!!」
試験は科目表の試験要項とおりに実施された。3人だったので私はふたりの高校生
のために試験科目を二回やった。(つまり二倍怒られた。。)

うまくできなかった技に対しては厳しく指導が入った。道場長が守者となり見本。
容赦ない反撃と連反攻が入る。(このとき少林寺ってこんなにすごいのねと思った。)
あまりの厳しさと、痛さで久しぶりに涙がでた。二十歳過ぎで泣かされるとはおもわなんだ・・・。
高校生は痛さで悶絶していたけど。
その日のうちは合否がわからない。ドキドキしながら床についた日でした。

次の練習日、道院長法話の後に合否通知。全員合格!とてもうれしかった(゚∀゚)
法話では「見習がこんなに上達して茶帯になった。有段者は何をしているか!?
すぐに追い抜かれるぞ?」と激を飛ばしていた。

練習後に先輩に茶帯になったからにはもう初心者ではない!というお話を
聞かされた。茶帯としての突き蹴り、行動、精神、ともにそのように見られるようになると。
そして「これでやっと乱捕りに参加できるな!」と。うれしい一言だった。

1週間後、茶帯を貰った。3人とも全員の前にでて白帯をとり道院長から帯を受け取って茶帯をキュっと締める。
一歩だけ黒帯に近づいたんだなーと思いました。
3人で
「俺ら少しは強くなれましたかねー?」
「いやいやこれからっしょ!」
「んじゃーとことんやるしかないねー」
と盛上がっていました。

これから初段までの試験は厳しくしていただけたことにとても感謝している。
ちなみに2級の時は仮試験で一回落ちた。
(だって試験一人だったから相手が赤卍だったんだもん、あんな早い突き蹴りで技なんてできないよぅ・・)
だから昇段試験はドキドキしながらも自信を持って受けることができた。
偶然にもとてもうまい拳士と組むことになったので全力で試験に臨むことができた。
他の拳士はボロボロだったなぁ。
ニ段試験は・・・これはいいや。

最近の昇級試験はどうなのでしょう?現在やる気のある見習4人が今度の昇級試験の
ためにとても一生懸命に練習している。そのやる気はヘタな有段者よりもはるかに勝る。
毎日、質問メールがくる。
そんな彼らに用意された初めの試験がとてもゆるいものだったら・・
「なんだこんなもんか」となってしまわないかと心配しています。
一生懸命に練習してきただけに、それを発揮できる機会を与えられないときの
悔しさというのは、きっついものです。まともに法形すらおぼえてもこない拳士と
同じ扱いってのもねぇ。。

彼らがさらに少林寺にハマってしまうように楽しく練習できたらいいなぁと思う今日このごろ。
それと、試験合格のための練習なんてつまんない。塾じゃないんだから。

764ビスキュイ:2004/02/18(水) 10:53
なっ,なんてイイ話だ…

765アップル:2004/02/18(水) 11:01
んー、その割にはあんまりうまくなってないな。。気合がタリンです。私は。。。

766615期生:2004/02/18(水) 16:19
泣けたよ。マジで。
アップルさんに原稿依頼しよう。提出日は私がインド行く前日で。

767アップル:2004/02/18(水) 16:57
>提出日は私がインド行く前日で。

    λ∧    从   ,,,.,.∧∧  ≡ ≡ ≡
  (;;)゙0;゙(;,:;)、; ' ∵⊂三  (゚Д゚,,)つ ≡ ≡ムーリ
 ∴,;'と;'∪ヽ、ノ 、W   ヽ、∪ノ〜 ≡≡
     ヽ;,. つ`;, .     し'  ≡
       ヽ)   、 ゙

768ビスキュイ:2004/02/18(水) 17:14
見事な飛足刀!

769rusher:2004/02/18(水) 18:18
いやがらせに原稿を一通送りました。

770615期生:2004/02/18(水) 20:23
お受けしました(・∀・)ニヤニヤ

771南部曲家:2004/02/19(木) 08:36
>アプールさん
いいお話です
泣けマスタ(T_T)/~

772住職@527期生:2004/02/19(木) 09:12

こんにちわ、いつも楽しく拝見してます。

「何故一度目は払うのか?」は実に素晴らしかったです。

拳士が集うHPって良いですよねぇ(^O^)

私はコチラのHPにもよく行きますが、ここも拳士さん結構集まってますよ。

またお暇な時にでも遊びに来て下さい(ノ・◇・)ノ

http://ip.tosp.co.jp/i.asp?I=houpa

773アップル:2004/02/19(木) 09:22
>住職@527期生
こんにちわー!ちらっと覗いてきました。
不動禅の発祥のルーツとか掲示板にでてましたねー。
確かな情報かどうかはわかりませんでしたが、おもしろいです。

774アップル:2004/02/19(木) 10:29
↑敬称書き忘れていますね。申し訳ない。

775力愛ぷに:2004/02/22(日) 00:23
>アップルさま
いいお話、楽しませていただきました。
出身もなんとなく…。
オフにぜひとも参加したい気持ちが
いやがうえにも高まりますね。
ホントにそのときは宜しくお願い致します。
20年近い垢卍に所属は「休眠拳士」(明竜さんのネタだな…)
で参加したいと思います。
一応柔道も出来ますよ。

776615期生:2004/02/22(日) 08:27
みなさんおはようございます

777アップル:2004/02/22(日) 12:25
>出身もなんとなく…。
内緒でおねがしますー

778通りすがりの休眠拳士:2004/02/28(土) 10:48
通りすがりの休眠拳士です。
「法形は何故こんなに多いのか?」のページを読ませて頂きました。
とても素晴らしい内容で、しかも書かれた方の<少林寺愛>も感じられて、
休眠拳士としても嬉しくなりました。

ここに書かれてある内容について、質問があるのですがよろしいでしょうか?

ここで、法形が多い理由として2つめに挙げられているのは、
・技が細かく命名されているのは、失伝しないから(・∀・)イイ!
ということ。逆に言えば、
・技が細かく命名されていないのは、失伝しそうだから(・A・)イクナイ!
ということですよね?

では、なぜ少林寺拳法では、他武道の技に対しての防御法について、
あまり命名(紹介?)されていないのでしょうか?具体的には、

 ローキックに対する防御、タックルに対する防御
 足払いに対する防御、寝技に対する防御
 絞め技に対する防御、関節技に対する防御・・・etc
 (細かく言えばもっとあるのでしょうが、代表的なモノを挙げてみました)

これらに対する防御法が、少林寺の一般的な法形としては存在しないのは
なぜでしょうか?これは、ここでの言葉を借りれば、技の形式化が進んで
いないということになりませんでしょうか?言い方を換えれば、技術が失伝
してしまうのでイクナイ!のではないのでしょうか?

779通りすがりの休眠拳士:2004/02/28(土) 11:09
もう1つ

逆小手を例にとって、変化技1、変化技2…と、それぞれに命名されている
からこそ失伝せず、形式化が進んでてイイ!とあります。

しかし、では先のページで紹介されている、内受突の変化としての、
肘打ち、膝蹴り、体当たり等の技に命名がされていないのはなぜでしょうか?
これらには、例えば内受肘、内受膝、内受押倒などのような(まんまですが)
名前が付けられるべきなのではないでしょうか?

780アップル:2004/02/28(土) 13:15
通りすがりの休眠拳士さんいらっしゃーい!!
名前についてはよくわかんないけど
逆小手の変化の話は攻者の変化に伴う技の応用ですよね?
内受突の場合は守者側のタイミングや攻撃の選択によるものなので
ちょっと話がちがうのかなーっと。思いましたがいかが?

781138B:2004/02/28(土) 14:26
>>778
> ローキックに対する防御、タックルに対する防御
> 足払いに対する防御、寝技に対する防御
> 絞め技に対する防御、関節技に対する防御・・・etc
> (細かく言えばもっとあるのでしょうが、代表的なモノを挙げてみました)

そんなんで大丈夫か?っていう議論はおいておいて
ありませんか?習いませんでしたか?
ローキックとか足払いは鶴立拳の応用だそうだし、
タックルも、寝技も、対処法は教わったけど???
何とか攻ってやつですよ。
例えば錣攻とか・・・

ん?そういう意味では無い質問なのか?

782通りすがりの休眠拳士:2004/02/29(日) 01:05
アップルさん、レスありがとうございます。

>逆小手の変化の話は攻者の変化に伴う技の応用ですよね?
>内受突の場合は守者側のタイミングや攻撃の選択によるものなので
>ちょっと話がちがうのかなーっと。思いましたがいかが?

つまり、アップルさんのご意見は、
 ・攻者の変化に伴う技の応用ならば、形式化を進めて命名すべき。
 ・守者側のタイミングや攻撃の選択による変化ならば、その限りではない。
ということでしょうか?

そのどちらのご意見にも疑問点・矛盾があると思います。

まず、上記の点について反論です。

例えば、逆小手を力任せに踏ん張られた場合、足を払えば倒すことが
できるかも知れません。実際、柔道を経験した私の意見では、この場合は
重心操作により、かなり上手く倒すことができると考えています。
では、この技に逆小手足払などの技名を命名すべきでしょうか?
私は必ずしもそうは思いません。なぜならば、これは法形の応用・変化の
範疇として括れるからです。
法形を、時と場合によって多彩に応用・変化させて良いというのが、
少林寺拳法の良さなのではないでしょうか?

続いて、下記の点について反論です。

内受突の際には、攻者との間合や守者の体勢によって法形を変化させるのは
技を分化しなくてもよいと仰っていますが、それでは、屈伸突と屈伸蹴は
どうでしょうか? これは守者側の体勢や攻撃の選択によるものですよね?
また、輪抜と諸手巻抜はどうでしょう?同様に、諸手送小手投、振捨表投、
送突倒、腰挫はどうでしょうか? どれも、攻者との関係や守者の体勢に
よって変化した法形であり、しかしながら、命名されていますよね?

いかがでしょうか?

783通りすがりの休眠拳士:2004/02/29(日) 01:19
138Bさん、レスありがとうございます。

>そんなんで大丈夫か?っていう議論はおいておいて

本来は、おいておいてはいけないんでしょうけれど…。
ただ、敢えて、技術レベルに関する議論はおいておきましょう。

>ローキックとか足払いは鶴立拳の応用だそうだし、

「○○の応用」とかいう言い方では、失伝してしまってイクナイ!のですよね?
言い換えれば、この技術については形式化が進んでいないということですよね?

>タックルも、寝技も、対処法は教わったけど???
>何とか攻ってやつですよ。
>例えば錣攻とか・・・

それはもしかして六段技とかでしょうか?私は残念ながら教わっておりません。

もしそうならば、他の武道では一年目から教えられている技に対する防御法が、
少林寺拳法では五段以上にならなければ習得できないというのでは遅すぎでは
ないでしょうか?

784Syami:2004/02/29(日) 01:30
こんばんは、「通りすがりの休眠拳士」さん。

>>例えば錣攻とか・・・
>それはもしかして六段技とかでしょうか?

そうです。「錣攻」は六段科目の羅漢圧法の中の一手です。
寝技やタックル等に対抗する「法形」の多くはこの「羅漢圧法」に集中していますね。
ま、ゆっくりお話ししていってください。

785アップル:2004/02/29(日) 12:18
>つまり、アップルさんのご意見は、
> ・攻者の変化に伴う技の応用ならば、形式化を進めて命名すべき。
> ・守者側のタイミングや攻撃の選択による変化ならば、その限りではない。
>ということでしょうか?

>そのどちらのご意見にも疑問点・矛盾があると思います。
どうもアップルです。

えっと、違います。私がいいたかったのは通りすがりの休眠拳士さんのはじめの
例えがおかしくない?ってことです。比較するものが間違ってるから
わかりにくいなーと。
私個人意見をしては既存の法形だけで十分です。それからそれだけでも応用の練習はできるからです。
新しく法形として確立するよりも既存の法形しっかりやるほうが大切だと思うからです。
やることは多いっす。昔がどうだったとか、あたらしい技がほしいとか
そんなん現状に用意された法形修行をしっかりやらんと意味ないです。
もちろん基本から応用まで。

名前についてはそんなに考えてない(スマンす)でーす。
だって名前がつくかどうかは私にとって、試験科目になるかならないか
くらいの大差ないものだからです。

786138B:2004/02/29(日) 22:25
>>783
>少林寺拳法では五段以上にならなければ習得できないというのでは遅すぎでは
>ないでしょうか?

遅いかどうかは何を求めているかで決まると思いますが、
私は決して遅いとは考えていません。
最初はすっごく不思議、神秘的な体験に思いましたが、
ある程度理解することができるようになってから教わるのがbetterと考えます。
休眠など速いとこ止めて、教わってみたらどうですか?

787通りすがりの休眠拳士:2004/03/01(月) 02:16
>>786 138Bさん

>遅いかどうかは何を求めているかで決まると思いますが、
>私は決して遅いとは考えていません。

しかし、少林寺拳法を学ぶほとんどの拳士が、その秘伝を学ぶ事もなく現役を
去っていかれているのが現状ですが、それについてはどうお考えですか?
それでも、現在の少林寺拳法の技術体系(法形の配列順等)には問題無しと
お考えですか?

>休眠など速いとこ止めて、教わってみたらどうですか?

私はまだ三段ですので、すぐに教えて頂くというわけにはいきません。
最短でもあと5〜6年は掛かってしまいます。(言い訳ではありませんが、
私の元いた支部は、法形の配列順と科目表の指導内容を割りと忠実に守って
いましたので、そう簡単には教えて頂けませんでした。)

あと、「ローキックとか足払い…」についてのレスにもお答え頂ければ幸いです。

788通りすがりの休眠拳士:2004/03/01(月) 02:50
>>785 アップルさん

>えっと、違います。私がいいたかったのは通りすがりの休眠拳士さんのはじめの
>例えがおかしくない?ってことです。比較するものが間違ってるから
>わかりにくいなーと。

逆小手と内受突の例を挙げたのは、ちょうどHPで紹介されていたので、
それに倣わせて頂いたまでです。そこで、改めて>>782 のような例も
挙げてみたのですが、こちらも合わせてご覧下さい。
どちらにしても、私の言いたい事というのは同じです。すなわち、

 少林寺拳法の法形においては、技の分化の判断基準(理由付け)が曖昧である。

ということです。

つづく

789通りすがりの休眠拳士:2004/03/01(月) 02:51
法形の命名についてはアップルさんは専門外(?)のようですので、
改めて問わせていただきます。

例えどのような武道・流派であっても、1つの技には、その類似系や変化形、
応用形は存在するものです。その変化技に、別個の名前をつけるのか、あるいは
元の技の応用ということで括るのかについては、何らかの納得のいく理由が
あって判断がなされるべきではないでしょうか?

しかしながら少林寺拳法では、同様の術理にほんのわずかな違いから複数の
名前が命名されていることが非常に多いと思います。勿論同じ技を別の角度
から検証する事によって得られるものもあるかと思います。しかしながら、
それが法形の数を無駄に増やし、それゆえ少林寺拳法を新たに学ぶ拳士に
とっての大きな障害となってしまっていることも考えるべきだと思うのです。

敢えて繰り返させて頂きますと、

  法形を、時と場合によって多彩に応用・変化させて良いというのが、
  少林寺拳法の良さなのではないでしょうか?


もしこの投稿をご覧の方の中で、(アップルさん以外でも)
「否。少林寺拳法の法形の分化には、明確な理由付けが存在している」
「判断基準が曖昧なのは、逆にメリットもあるのだ」
等のご反論をお持ちの方がいれば、是非ご教授願いたいと思います。

790rusher@seoul:2004/03/01(月) 07:46
私見です。

1.

法形は第一に拳士教育用の例題だと考えます。
つまり「そこからどういう原理を学習するか」を重要視します。
例えば握返はなんのために作られたものでしょう?

第二に法形は拳士向けの共通言語の役割を持ちます。
つまり拳士が相互交流する上で持っているべき素養です。

2.

法形は開祖存命中に確定されたものでありますが、殊更に新規開発を禁じられたものではないと考えます。

また、事実としてその応用変化を容易に自己開発できるものとできないものがありますが、
もともと法形という共通言語があるからには、個別のノウハウが拳士間に流通してなんら差しつかえないと考えます。

791アップル:2004/03/01(月) 09:18
>法形の命名についてはアップルさんは専門外(?)のようですので、
>改めて問わせていただきます。
あははは、恐縮です。あんまり考えたことなかったんですよねー。
面白い題材だと思います。いろんな意見がでるかもしれませんね。

>それゆえ少林寺拳法を新たに学ぶ拳士に
>とっての大きな障害となってしまっていることも考えるべきだと思うのです。
さて、どんな障害でしょう??
通りすがりの休眠拳士さんの言うとおり、命名に詳しくはないので(詳しい人いるの?)
ここでいろいろみんなの意見聞いていこうかしら。
法形ってどんどん増えていってるもんでもないし、なにに対して障害といってるんでしょう?
まさか試験??んなばかなー

・法形が級別、段別にいっぱいあることで飽きずに長くやれる

以上のようなお話はよく聞きますが、多くて困るよいう人は余り見ないなぁ。
ん?話がずれたなぁ。スマソ。

少林寺拳法は私達なんぞが簡単に「難しい」っていえるほど簡単なもんじゃないと誰かいってました〜
幅広く奥が深いから楽しいのですねー。

というか、一つの法形にしても先生によってだいぶ違うわけで同じ技でも同じ掛け方ってないよねー。

極端に大げさにいうと
「同じ名前の法形でも先生によって違う技に見えてしまう。」
(もしくは違う技術を使ってる。)

こっちのほうが見習いさんとかパニックになります。

792138B:2004/03/01(月) 11:23
>>787
>私の元いた支部は、法形の配列順と科目表の指導内容を割りと忠実に守って
>いましたので、そう簡単には教えて頂けませんでした。)
それが当たり前と思いますが?
速く五段になっちゃいなさいよって言う意味もあったんだけど・・・

ローキックなんかはここにいる皆の方が長けているでしょうから
お任せするとして、足払いね。
三段とのことなので袖巻返ってやりませんでしたか?
羅漢拳だけど、攻者はただ袖を持ってくるのかな?
もしかして、袖だけつかんで「掛けてみい」って言ってた???

793とっしぃ:2004/03/01(月) 11:38
全ての動きについて技の名前がついていたら・・・
1.数が膨大な量になる
2.技を全て覚えようとして大変なことになる
3.新しい(法形に無い)動きに対して対応し切れなくなる
4.それぞれの技をバラで覚えて関連付けが上手くいかない(現状でもよくありますが・・・)
5.研究の余地が狭まり(無くなり)楽しみが減る
となるのではないでしょうか?
私は技の数は少ないと感じたことはありませんが、逆に多すぎるとも思いません。

名付けのルールとして、らさんの仰る通り拳士に対する例題であり、共通言語であると思います。
ピンポイントで申し訳ありませんが、例えば内受突の変化で肘打ち、膝蹴り等は
間合いが違うだけで動きはほぼ逆突きと同じなので
内受突を例題として色々試してみろ事ではないかと思います。
柔法ならばそれぞれの極め方(逆、S字、閂等)や体捌きが違うはずです。
先の例でいうなら、諸手送小手投、振捨表投、送突倒、腰挫ならば守者の体制もありますが
送小手の極め方→体勢を崩す→S字→腰への当身(?)となって守者の行うことは違ってきます。
よって、それぞれに名前がついていると思われます。
ちなみに輪抜と諸手巻抜は攻者が肘を張っているか閉じているかによって使い分けます。
(他にも使い分けの要因はあるとは思いますが・・・)
こちらも紛らわしいものはあるにしても、曖昧とは感じていません。

794138B:2004/03/01(月) 12:35
>>787
>しかし、少林寺拳法を学ぶほとんどの拳士が、その秘伝を学ぶ事もなく現役を
>去っていかれているのが現状ですが、それについてはどうお考えですか?
>それでも、現在の少林寺拳法の技術体系(法形の配列順等)には問題無しと
>お考えですか?

この問いかけに触れるのを忘れていました。
秘伝はみんなに教えたら秘伝じゃないしな〜っていうのが最初に読んでみた後の印象。
現役を去るにしても、個々人が納得して(役に立たないと思ったり、極めたと思って)
やめていくのなら仕方がないこと。
例えば級拳士の技の寄抜にしてもやってみろと言われて自信もってやれますか?
私なんぞ人のことは言えません、よっく怒られます。
「それじゃ二段、三段の寄抜じゃ、ゴォラァ!」
ちと気を取り直してやり直すと
「せいぜい四段の寄抜じゃ、ゴォラァ!」
てな感じ。
やることいっぱいあるし、おもしろいし。
道楽なんですよ道楽!
だから現在の技術体系に大きな問題は無いと思ってますよ。
(だからって無理矢理まとめようとしている・・・)

795通りすがりの休眠拳士:2004/03/02(火) 01:03
>>790 rusherさん こんばんは。

>法形は第一に拳士教育用の例題だと考えます。

「例題」ですか。なるほど。
法形を「公式」と考えるか「例題」と考えるかで、話は随分違ってくるような
気がします。両者は似ているようでも、意味するものは大きく違いますから。
確かにあくまで「例題」と考えるならば、相互に若干の類似や重複があったと
しても、問題はありませんね。逆に、似たような例題を多く解くことによって、
応用への基礎力を身につけることができるのかも知れません。

>第二に法形は拳士向けの共通言語の役割を持ちます。
>つまり拳士が相互交流する上で持っているべき素養です。

これについては、特に反論なしです。というかむしろ同意致します。
(これって、私のどの点についてのご意見なのでしょうか…?)

>法形は開祖存命中に確定されたものでありますが、殊更に新規開発を禁じられたものではないと考えます。

そうなのですか。むしろそうであって欲しいと願います。
いつまでも何十年も前の技術体系を守り続けているだけでは、進歩は危ういでしょう。

>また、事実としてその応用変化を容易に自己開発できるものとできないものがありますが、
>もともと法形という共通言語があるからには、個別のノウハウが拳士間に流通してなんら差しつかえないと考えます。

このご意見についても、全く同意です。
私の好きな武道界の言葉に、「一人一流派」というものがあります。
武道(どんな武道であれ)を突き詰めていくと、そのようになっていくものなのかも知れません。

796通りすがりの休眠拳士:2004/03/02(火) 01:37
>>790 rusherさん

つづきデス。

>つまり「そこからどういう原理を学習するか」を重要視します。
>例えば握返はなんのために作られたものでしょう?

この点については、ある部分は同意なのですが、ある部分では逆にご質問があります。

まず握返は、(人によって解釈の仕方はあるのでしょうが)私は、
「握手の体勢からでも逆小手に入れるという発想・考え方を拳士に伝えるため」
に存在しているのだと考えています。

これでいかがでしょうか?

もしこの解釈に同意して頂けるのであれば、次に私の以下のご質問にお答え
頂けますでしょうか?

「別の入り方がある」ということを拳士に理解してもらうために、
他の方法(つまり法形以外の方法)は考えられませんでしょうか?

797rusher@seoul:2004/03/02(火) 01:43
>>790
(これって、私のどの点についてのご意見なのでしょうか…?)

貴殿特定と考えていませんので、気になさらないで下さい。
「こういう視点もあるんじゃないの?」という提案です。

せっかく議論するなら建設的にやってほしい/やりたいですからね。

798通りすがりの休眠拳士:2004/03/02(火) 01:49
>>793 とっしぃさん こんばんは。

>全ての動きについて技の名前がついていたら・・・
>   (中略)
>となるのではないでしょうか?

激しく同意です。(上記は、私のどこかの意見についてのご反論なのでしょうか…?)

>私は技の数は少ないと感じたことはありませんが、逆に多すぎるとも思いません。

私も、数の単なる多さ少なさだけを論じているわけではありません。
どう感じるかは、主観の問題もあるので多くは言及致しません。

>ピンポイントで申し訳ありませんが、

いえ、むしろピンポイント大歓迎です。

>例えば内受突の変化で肘打ち、膝蹴り等は間合いが違うだけで動きはほぼ逆突きと同じなので
>内受突を例題として色々試してみろ事ではないかと思います。

では、先にも例を出しましたが、屈伸突と屈伸蹴はなぜ敢えて分化させて
いるのでしょうか? また、外受突と外受蹴はいかがでしょうか?
内受突と水月返はどうなのでしょうか? また、>>782 で挙げさせて頂いた、
逆小手と逆小手足払(仮)はどうして分化していないのでしょうか?
それぞれに、こちらは●●の理由で分化しており、こちらは●●の理由で
分化していないといった、普遍的な判断基準は存在するのでしょうか?

ただ、お答えを伺う前にこう言ってしまうのも恐縮なのですが、所謂「後付け」の
解釈はご遠慮頂けると嬉しいです。後から、納得の行く解釈の仕方を見つけようと
すれば、おそらく何らかの理由は見つかるかと思います。しかしそのようなもの
ではなく、普遍的で、明確な、納得のいく基準があればご教授願います。

>先の例でいうなら、諸手送小手投、振捨表投、送突倒、腰挫ならば守者の体制もありますが
>送小手の極め方→体勢を崩す→S字→腰への当身(?)となって守者の行うことは違ってきます。

これは、とっしぃさんの仰る通りだと思います。
確かに、それぞれ技の術理が異っているのがよく分かります。

>ちなみに輪抜と諸手巻抜は攻者が肘を張っているか閉じているかによって使い分けます。

なるほど確かに、輪抜と巻抜の違いは分かります。
では、諸手巻抜は巻抜の応用ということではダメなのでしょうか?
つまり「巻抜は、攻者が一本背投げに来た時にも応用できる」ではいけませんか?

この応用を認めなければ、柔道やレスリング等の技の数だけ法形を用意しなければ
ならなくなってしまいます。それとも、法形という形できちんと示してあげなければ、
われわれ拳士はその応用の仕方に気づかないのでしょうか?

799通りすがりの休眠拳士:2004/03/02(火) 01:53
アップルさん、138Bさん、レスありがとうございます。
夜も更けてまいりましたので(?)、レスはまた後日付けさせていただきます。

>>797 rusherさん

はい、了解しました。
ご丁寧にありがとうございます。

800rusher@seoul:2004/03/02(火) 01:54
>>797 あ、番号を間違えてる。本当は>>795でした。

>>796
>まず握返は、(人によって解釈の仕方はあるのでしょうが)私は、
>「握手の体勢からでも逆小手に入れるという発想・考え方を拳士に伝えるため」
>に存在しているのだと考えています。

自分がある本部にいた先生から伺ったのは、
「どうやら開祖は、相手に握られた状態から自分の指を逃す守法を教えたくてこれを作ったらしい」
とのことでした。

実は、自分はこの真偽にはさしたる興味はありません。
芥川龍之介の『藪の中』みたいな話になるだろうと思いますので。
興味を持ったのは「開祖が▲▲を教えたくてこの法形を作った」という発想に対してです。
ということは「この法形からは▲▲を学びとる」ということが重要になるわけです。
このように拳士の発想をたくましくさせ、視点を広くとらせることを、自分は尊びます。

>まず握返は、(人によって解釈の仕方はあるのでしょうが)私は、
>「握手の体勢からでも逆小手に入れるという発想・考え方を拳士に伝えるため」
>に存在しているのだと考えています。

自分はその解釈を間違っているとは言いません。
自分は思想上は教条主義者ではありませんので。
(ただし修練上は「やってみなければわからない」ことがあるから執着することもあります)
自己の学習上、あるいは後輩の指導上で有益であれば両論併記で済ませます。

801rusher@seoul:2004/03/02(火) 02:06
>>796

>「別の入り方がある」ということを拳士に理解してもらうために、
>他の方法(つまり法形以外の方法)は考えられませんでしょうか?

共通言語としての特長を失わせるほどに他の手法を大量に持ち込むと益が減ると考えます。
しかし、そこまでやるわけでないのであれば、仰っている内容は、まったくもって当然です。

例えば、自分はその「他の方法」のカテゴリーの中に乱捕が入るとみなしていますよ。
「ちょっと変った限定乱捕やってみるぞー」と言って、珍しい初期条件を設定して、
それで後輩の身体動作や反応を矯正しようと試みることもあります。
(これ、138Bさんが時々乱捕の時にやってるね)
あるいは諸兄に教わった六尺棒を道具として用いることもあります。
法形以前の基本動作や準備運動まで視野に入れるならば、それこそ手法を多種多様なところから調達してます。

こういった全般を「研究」と自分は呼称します。「研究」を排斥する者は、自分の敵です。

802ビスキュイ:2004/03/02(火) 20:48
>通りすがりの休眠拳士さん
ビスキュイと申します。興味深い話題を出していただいてありがとうございます♪
技の体系について考えるいい機会になりました。話題はだいぶ進んでしまっていま
すが,私の考えを少しずつ書いていきたいと思います。

さて…通りすがりの休眠拳士さんのご意見を読んで私なりに纏めてみると,
「なんでAという動きは法形として定められているのに同じような理屈のA’
という動きは単にAの応用と言うだけで名前が付いていないんだ?法形の定
め方の基準が曖昧だし615期生の言うところの「名前が付けられることに
よって形式化が進み失伝が防がれる」に矛盾するじゃないか!」と言うこと
と理解したのですがよろしいでしょうか?(違ってたら言ってくださいね〜)
それでですね…実は私も学生時代に同じようなことを考えたんですわ。「技の
使い分け」っていう観点で。「相手がこう来た時はこの技,こう来たらこっち
の技だよな?」「うんうん,そうだろな」「あれ?でもこの攻撃の時はAとA'
とBのどの技を使えばいいんだ?」「それは間合やタイミングで…」「でもこれ
とこれはどちらも逆突に対する蹴反撃で間合は同じじゃないか?」「相手との
位置関係で…」「いやどっちも外に避けて蹴りだし…」「うーん…」
というような状況でしたが。
んでそれから色々考えてきたわけですが…現在の私の意見としては「法形の意味
(役割)は一つじゃない」と「法形には直列の関係を持つものと並列の関係を持
つものがある」です。
これはどういうことかと申しますと,まず「法形の意味(役割)は一つじゃない」
については,「法形の役割は「公式」「例題」「学習意欲の持続のための課題」と
言ったそれぞれの役割だけで割り切れるものではなく,それぞれでありその全てで
もある」ということです。ですから「公式である」という観点から見ると「何で?」
という技も「例題」という観点で見ると説明がつく場合があったりするかと思います。
このあたりについて「そんなあやふやな体系付けでは分かりにくい!」と感じる方が
おられるかもしれませんが,この「幅の広い」ところが魅力だと感じているんですよね。
長くなったのでまたあとで…

803通りすがりの休眠拳士:2004/03/03(水) 00:27
>>791 アップルさん

>さて、どんな障害でしょう??

技が多すぎるとどんな障害が起きるかは、私が言うまでもなく、
とっしぃさんのお言葉を借りれば、下記のような事だと思います。

>>793
>2.技を全て覚えようとして大変なことになる
>3.新しい(法形に無い)動きに対して対応し切れなくなる
>4.それぞれの技をバラで覚えて関連付けが上手くいかない(現状でもよくありますが・・・)
>5.研究の余地が狭まり(無くなり)楽しみが減る

とっしぃさん、拝借大変失礼致しました。
 ※とっしぃさんは、「全ての動きについて技の名前がついていたら」と前置きを
  されて上記を挙げられたため、厳密に言えば意味合いが異なるかも知れません。
  しかし、「法形が多すぎると起こりうる弊害」と広く捉えた場合は、ほぼ同義と
  なるかと思い使わせて頂きました。失礼をお詫び致します。

また、私なりの意見としてまとめさせて頂くならば、

 ・多くの技を覚えようとすると、多くの時間が取られるため、
   → 1つの技あたりの修練時間が減る。(技をきちんと覚えられない)
   → 技の変化・応用を研究する時間が減る。
   → 乱捕の場で実践してみる時間が減る。

 ・技を覚えることが、修行時間の大半を占めてしまうため、
   → 覚えるということ自体に主眼が置かれてしまう。
   → 実践することの重要性が薄れてしまう。

以上のようなことを考えていますが、いかがでしょうか?
上と下の違いは微妙なのですが、前者は単に時間が取られてしまうことを
障害と考え、後者は修行時間内での割合が大きくなってしまうことを障害と
考えおり、厳密には異なります。

>「同じ名前の法形でも先生によって違う技に見えてしまう。」
>(もしくは違う技術を使ってる。)
>こっちのほうが見習いさんとかパニックになります。

これは武道に限らず、あらゆるスポーツ、芸能、学問等々にも起こりうること
ですので、仕方ないかと思います。ただ、そのパニックをできるだけ軽減する
ためには、誰にとっても正しいと思われる、最大公約数的な、「基本」や
「法形」が必要になるかと思います。それが守破離の「守」だと考えます。

804通りすがりの休眠拳士:2004/03/03(水) 00:40
>>792>>794 138Bさん

>ローキックなんかはここにいる皆の方が長けているでしょうから
>お任せするとして、

改めて申しますと、私はローキックの防御法を尋ねている訳ではありません。
「○○の応用」とかいう言い方では、失伝してしまって問題アリではないか?
と問うているのです。

>足払いね。
>三段とのことなので袖巻返ってやりませんでしたか?
>羅漢拳だけど、攻者はただ袖を持ってくるのかな?
>もしかして、袖だけつかんで「掛けてみい」って言ってた???

袖巻返での攻者は、袖をつかんで、殴ったり、蹴ったり、引いてきたり、
振り回してきたり、足を掛けてきたり、投げてきたり・・・ナドナド
といったようなことをすると思います。

ローキックと同様になりますが、言いたいことは、足払いに対する防御技が
法形として明記されていないのは、技術が失伝してしまって問題ではなかろうか?
ということです。これについては、138Bさんはどうお考えなのでしょうか?

>秘伝はみんなに教えたら秘伝じゃないしな〜っていうのが最初に読んでみた後の印象。

それでは、五段までは取得していない少林寺拳士が、街で、柔道、柔術、サンボ、
アマレス、相撲、総合、ラグビー、アメフトのどれかでも経験したことのあるDQNと
相対することになった場合、どうするのでしょうか? 圧法を教わってなかったために
タックルを決められてしまったら、「負けない事」も達成できなくありませんか?

初段〜二段くらい段階で、「タックル切り」くらい普通に教えられてもよいのでは
ないでしょうか? どうでしょう?

>例えば級拳士の技の寄抜にしてもやってみろと言われて自信もってやれますか?

どんな技でも完璧に行うのは難しいのでしょう。

>やることいっぱいあるし、おもしろいし。
>道楽なんですよ道楽!
>だから現在の技術体系に大きな問題は無いと思ってますよ。

このご意見には、はっきり申しまして、言葉を失いました。
何のための丸廉なのでしょうか?

805通りすがりの休眠拳士:2004/03/03(水) 00:43
>>802 ビスキュイさん こんばんは。

むむ、続きが非常に気になりますね。
では、この先のお話を楽しみにしつつ、今日はこの辺で。

806ビスキュイ:2004/03/03(水) 00:58
>通りすがりの休眠拳士さん

順番にレスするつもりだったのですが皆さんのテンポが速いので(私が遅い?)
まずは今回のご意見について私の考えを…

>・多くの技を覚えようとすると、多くの時間が取られるため、
>→ 1つの技あたりの修練時間が減る。(技をきちんと覚えられない)
>→ 技の変化・応用を研究する時間が減る。
>→ 乱捕の場で実践してみる時間が減る。

>・技を覚えることが、修行時間の大半を占めてしまうため、
>→ 覚えるということ自体に主眼が置かれてしまう。
>→ 実践することの重要性が薄れてしまう。

とのご意見ですが,正直こういう傾向はありえます。しかし私はこれは指導の問題
であり技の体系の問題ではないと考えております。さらに言えばこれは少林寺拳法
体系の特色(利点?)と考えます。
中国武術の言葉だったと思いますが,「千招を知る者よりも一招を得たものを恐
れよ(だったかな?)」という言葉があります。「千の技を知ってる者よりも一つ
の技に熟達した者の方が恐ろしい」という意味だそうです。含蓄のある言葉です。
しかしながら少林寺拳法は「千招を知ることにより一招を見つけ出せ」という教授
法をとっているのだと考えます。多数の技を練習することによりその中に潜む共通
原理を掴み取る。最終的にはある技を修練することが同時に(同じ原理の)他の技
を修練しているのという状況になることを目指すのだと思います。しかも技の種類
が多いから興味が持続し飽きない。これを利点と考えます。
ただ教える側が技の関連や体系を理解してないと通りすがりの休眠拳士さんのおっ
しゃる「技が多い弊害」が出てしまいますが…

807アップル:2004/03/03(水) 10:25
>・多くの技を覚えようとすると、多くの時間が取られるため、
>→ 1つの技あたりの修練時間が減る。(技をきちんと覚えられない)
>→ 技の変化・応用を研究する時間が減る。
>→ 乱捕の場で実践してみる時間が減る。

>・技を覚えることが、修行時間の大半を占めてしまうため、
>→ 覚えるということ自体に主眼が置かれてしまう。
>→ 実践することの重要性が薄れてしまう。

結局、法形=試験科目という痛い考えが最近蔓延してるんじゃないかと・・。

あたらしい法形が増える=試験範囲が広がる
っていう痛い考えになってるような悪寒。

試験にばっかりとらわれてる気がしてならんです。
ちなみにこれは通りすがりの休眠拳士さんに言ってるわけではなく
最近特に私が感じていることですので。
私は現状の法形の数でも十分楽しめてるし、これからどんな技を習うんだろうと
ワクワクするし、習った技についてもっとおもろい使い方がないかと
後輩に指導しながら考えてみたり、飽きることなく楽しいですねぇ。

808138B:2004/03/03(水) 11:12
>>804 通りすがりの休眠拳士さん
>失伝してしまって問題アリではないか?

法形にあるから失伝しない=法形にないと失伝しちゃう
とお考えのようですが、必ずしもそうではないと考えてます。
本当にそうなのなら法形として残せば良いわけです。
そもそも法形はそうやって増えていったと聞いてますけど?

>初段〜二段くらい段階で、「タックル切り」くらい普通に教えられてもよいのでは
>ないでしょうか? どうでしょう?

法形としてでなく、ちょろちょろとは出てきませんか?
天宗なんかも使った対処方法なんかも茶帯のころやりましたよ。
でもそれが羅漢圧法だったと知ったのはだいぶ後ですけどね。

>このご意見には、はっきり申しまして、言葉を失いました。
>何のための丸廉なのでしょうか?

お気に召さなかったみたいですね。
通りすがりの休眠拳士さんと同じ価値観でないとだめか・・・
現在の技術体系に全てをおっかぶせて、枝葉末節までレールを敷いてくれないと
気が済まないというのは、少なくとも私の好みでは無いのです。

809名無しさん@いらっしゃい:2004/03/03(水) 12:54
>2.技を全て覚えようとして大変なことになる
これのどこがもんだいなの?そんなに簡単な技術じゃないのに。
大変だからおもろいのでは?
>3.新しい(法形に無い)動きに対して対応し切れなくなる
これは本人の練習不足でしょ?

>4.それぞれの技をバラで覚えて関連付けが上手くいかない(現状でもよくありますが・・・)
バラで覚えるからわるいのでしょ?関連付けてれんしゅうすればよろし

>5.研究の余地が狭まり(無くなり)楽しみが減る
減らしてるのは個人志向の問題。

81040前拳士:2004/03/03(水) 13:08
 興味深い話題ですね。
 私も参加させて戴いて宜しいでしょうか?

<法形の数の多さについて>
 私も、ビスキュイさんとほぼ同じ考えです。
 数少ない技を徹底的に鍛える流派が「演繹法」だとすれば、
 少林寺拳法の修行体系は「帰納法」になっている、ということです。
 私も最初は、「こんなに技が多くては、
 一つ一つが十分に練習出来ないのではないか」と思っていたのですが、
 実は幾つかの数少ない技に収斂しますよね。
 例えば「S字」という一つの技を
 数多くのS字法形を一つ一つこなして行くことで
 徹底的に練習しているのではないか、ということです。
 最終的には、相手がどういう掴み方をしてきても
 そのときの自分との関係によって、自然にS字・コの字・閂… などなどが
 出てくるようにする境地を目指す、という方法論ではないでしょうか。

811名無しさん@いらっしゃい:2004/03/03(水) 13:08
私的で勝手な意見を書きます

>・多くの技を覚えようとすると、多くの時間が取られるため、
それで構わないと思います。何か問題でも?一つずつ時間掛けてやればいいと思います。
>→ 1つの技あたりの修練時間が減る。(技をきちんと覚えられない)
それは自分の稽古目的の違いだと思います。きちんとやりたい人は一つずつ時間掛けて練習します。
減らしてるのは自分では??
>→ 技の変化・応用を研究する時間が減る。
なにか時間に追われてる感じですね〜。短期間でずべてを体得しようなんてムーリなわけで。
じっくり楽しんだほうがいいと思います。そしたら時間が減るとかそんなん関係ないかなーと。
より長く楽しむなら「技の変化・応用を研究する時間」大事ですね。
>→ 乱捕の場で実践してみる時間が減る。
これも同様、減る理由がわからん。やること多いならなお楽しい。
>・技を覚えることが、修行時間の大半を占めてしまうため、
>→ 覚えるということ自体に主眼が置かれてしまう。
>→ 実践することの重要性が薄れてしまう。
覚えたあとに実践することって練習すればいいだけじゃん。と思います。
何が問題点なのかわからんなぁ。

それともかなり時間が限られてる理由なんかあるのでしょうか?
みんな死ぬまで少林寺で楽しんでいけるのに。そんなに時間がないってあるのかな?
限りがある人は少ないと思われ。

812Syami@Office:2004/03/03(水) 13:22
>>804 通りすがりの休眠拳士さん
>何のための丸廉なのでしょうか?

これは興味深い。
あなたはこの丸廉が何のための集まりだと理解なさっておいでですか?

81340前拳士:2004/03/03(水) 13:33
<対他流の技術>
 これは確かに、ちゃんと考えなければならない問題ですね。

 対柔道については、開祖や開祖の初期の門弟たちは
 そもそも拳法を学ぶ以前に
 さんざん柔道をやってきた先生方が多かったと聞いています。
 ですから、対柔道技は非常によく出来ているはずなのです。
 なのですが、少林寺プロパーの拳士が増えてくると、
 攻者として柔道の攻め方がきちんと出来ず
 その結果、それに対抗する少林寺の技もきちんと練習できない、
 そういう現象が起こっても不思議ではありません。

 私が所属していた大学拳法部はかなりの大所帯でしたので
 高校までに柔道をやって、2段を持っている人間も数名いました。
 そういう仲間と練習すると、「こんな足払いがあるか」とか
 「一本背負いを二の腕で巻き込んでも立てるのか」とか
 「投げられたときの受け身は本当にこんなので良いのか」とか、
 言い合いしながら色々試すことが出来ました。
 監督も警察に指導に行ったりしていましたから
 「柔道にがっちり組まれたらもう駄目だよ」
 「すばやく当身を入れないと逆小手かからないよ、
  機動隊員の手首はキミらの足首くらいあるんだから」と
 ことあるごとにおっしゃっていました。

 攻者がちゃんと出来ないと、技の練習にならない。
 ここはちゃんと考えるべきポイントです。

 「キックボクサーのミドルキックを十字受なんて出来るのか」
 なんてのも、結局はこの問題ですね。
 対タックルに対する練習にしたって
 鋭いタックルを出来る人間を相手にしないと
 練習のしようがありません。

 そういう意味では、出来るだけ視野を広げて
 虚心坦懐に他流の研究をすべきでしょうね。
 そしてその中には、ブラジリアン柔術など比較的最近の技術
(正確に言うと、昔からあったが最近表に出てきた技術、でしょうか…)に
 対する研究・対応する法形の開発も
 必要になってくるのではないでしょうか。

81440前拳士:2004/03/03(水) 13:51
<失伝について>
 これもまた難しい問題ですね。
 実は、私は幾つかの技術、
 特に危険な(それ故実は非常に有効な)技術のいくつかは
 既に失伝しつつあるのではないかと疑っています。

 例えば、開祖のそばにずっとついていらっしゃった先生に
 開祖直伝の送小手、というのを
 ちょっとだけ教えてもらったことがあります。
 送小手は、肩を引っ掛けて倒す技ではなく
 本来は肘を壊す技なんだそうです。
 少林寺拳法を普及させる上で、
 危険な技を丸めているケースは他にも色々あるようです。
 私なんかは下っ端ですので知り得べくもないのですが、
 こういうのは高段者の方々にちゃんと受け継がれているのでしょうか?

 圧法については、かの坂東先生の道院では、
 初段・弐段からバンバン教えていたようですね。
「これくらい有効な技はないんだから、どうして教えない?
 1000人入門して、いったい何人が5段になるんだ?」というのが
 先生のお考えだったようです。

 私は今海外にいてかないませんが
 いつか日本に帰る日がきたら、
 是非武専に通って修行したいと思っています。

815アップル:2004/03/03(水) 14:15
http://randorisiyou615.hp.infoseek.co.jp/manjikiso2.html
守主攻従の技術体系を支えるもの
「練習相手としての攻者」

ここに到達しますたか。
他武道経験のある拳士が身近にいないのよね。
とくに柔道に関しての技が多い感じがするので柔道経験者がほしいところ。
というか自分がもう少し柔道の勉強もしなさい!ということになってくる。
「攻者」という役割を果たすためにはある程度の他武道の研究や経験も必要になってくるん
だねぇ。
うまいことできてますね、少林寺って。

816ビスキュイ:2004/03/03(水) 19:14
通りすがりの休眠拳士さんへのレスが飛び飛びになってしまいましたが昨日の続きを…
さて,昨夜は「法形の意味(役割)は一つじゃない」について書きましたが,続いて
「法形の直列と並列の関係」について説明してみたいと思います。あっ,ちなみにこの
用語は私が勝手に考えたもので少林寺拳法の正式な用語ではありませんのでお間違えな
いようお願いいたします〜。
で,直列と並列ですが…,これは特に柔法技において顕著だと思うのですが,ある一つ
の技を起点として多面的に変化が展開していく技がありますよね?
例えば

逆小手→逆手投or龍投or逆引天秤or合掌逆小手or…

これらの技は逆小手を基本の動きとして相手の体勢等に応じて変化の枝分かれが描けま
す(トーナメント表みたいに)。こういう関係にある技を私は「直列の関係」と整理し
ています。続いて並列ですが,例をあげるとすれば…ん〜…流水蹴と上受蹴なんかかな?
相手の突き(手刀)に対しどちらを選択しても反撃できます。こういう関係にある技を
並列と呼んでます。この話は通りすがりの休眠拳士さんの疑問からはちょいとズレてし
まいますが,「技の使い分け」という観点から考えた場合,直列の関係にある技は「相手
の変化に応じて行う技が決まってくる」が,並列の関係にある技は「使いやすい技を好き
に選んで使えや」ということになると思うのです。このように考えてからは「技の使い分
け」ということで悩むことはあまりなくなりました。
さて,こうした視点を持って少林寺拳法の科目表等を見直したりみると…少なくとも私自身
は「非常に良く整理されていてなんてまあ解りやすく作ってあるのだろうか!」と思ったり
します。ですから「それが法形の数を無駄に増やし、それゆえ少林寺拳法を新たに学ぶ拳士に
とっての大きな障害となってしまっていることも考えるべきだと思うのです。」という休眠拳
士さんのご意見については「それは体系の問題じゃなくて指導の仕方の問題ではないか?」と
思うわけです。

817ビスキュイ:2004/03/03(水) 19:17
なんか文章にしてみると「直列」と「並列」という「文字の語感」から考えると
逆の方が雰囲気出るのかな〜?まあ「縦に連なっていく関係の技」と「横並びの
関係の技」というイメージなんですが…

818ビスキュイ:2004/03/03(水) 19:54
さてさて,話が少々(かなり?)ズレてしまいましたが…では休眠拳士さんがおっしゃってる
「Aという動きは法形として名前がつけられておりその変化にもA'という名前が付けられてい
る。しかし同じような変化であるのにBという動きはAの応用と言うだけで法形にはなっていな
い。何故だ?」についてですが…何故でしょうね〜?正直分かりません。ただ私見ですが,開祖
が技術体系を作り上げていくときに法形を定めていく時の判断基準は統一的な一つの判断基準だ
けではなかったのではないか?と考えてます。例えば今回通りすがりの休眠拳士さんがおしゃっ
ている

「例えどのような武道・流派であっても、1つの技には、その類似系や変化形、
応用形は存在するものです。その変化技に、別個の名前をつけるのか、あるいは
元の技の応用ということで括るのかについては、何らかの納得のいく理由が
あって判断がなされるべきではないでしょうか?」

は「技の用法」に基づいた基準だと思うのです。これはもちろんあると思います。
しかしそれ以外にも(ここからは完全に推測ですが)「体育的な判断に基づいた分化
(「一方向への動きだけでは体に悪いから反対の動きも作ろうかな〜」)」とか「学
習課題としての分化(「技が少ないと興味が持続しないかもしれんな〜。もう少し増
やすか」)」などもあったのではないか?と思うのです。ここで昨日の私の書き込み
とつながります。すなわち「法形の意味(役割)は一つじゃない」と。
「そんな体系わかりにくいわ!」とお思いでしょうか?しかし私はこの多面性こそが
非常に少林寺拳法らしくかつ利点でもある点だと思うのですよね〜。武術でもあり宗教
でもあり健康法でもある,一粒で二度も三度を美味しい,ああ素晴らしき少林寺拳法♪
…思いっきり後付けかな?

819138B:2004/03/03(水) 20:19
通りすがりの休眠拳士さん

目の前にぶら下がった物だけに反応していたら全体が良く分からなくなった。
いかんいかん。

>ローキックと同様になりますが、言いたいことは、足払いに対する防御技が
>法形として明記されていないのは、技術が失伝してしまって問題ではなかろうか?
>ということです。これについては、138Bさんはどうお考えなのでしょうか?

他武道の技に対しての防御法が少ないと言っているのかとも取れるのですが

>法形を、時と場合によって多彩に応用・変化させて良いというのが、
>少林寺拳法の良さなのではないでしょうか?

とも仰ってましたね。

「法形となっていて欲しいところが法形となっていないのに、応用ですむようなところが法形になっている。法形の命名の仕方が曖昧と感じる、技が多すぎる。」

と言うことでしょうか?
もしそう感じるのなら、指導方法が悪かったのだと思います。
技術体系に関することや、早い遅いの話しは以前の書き込みと変わりありません。

820通りすがりの休眠拳士:2004/03/04(木) 01:24
>>800>>801 rusher@seoulさん

>「どうやら開祖は、相手に握られた状態から自分の指を逃す守法を教えたくてこれを作ったらしい」

なるほど。面白い捕らえ方ですね。

>興味を持ったのは「開祖が▲▲を教えたくてこの法形を作った」という発想に対してです。
>ということは「この法形からは▲▲を学びとる」ということが重要になるわけです。

なるほど。ここで仰っている事は、ビスキュイさんが後に>>802>>818で仰られている
「法形の意味(役割)は一つじゃない」ということにも繋がりますね。
このような考え方・捉え方は、非常に興味深く、また納得できます。

>例えば、自分はその「他の方法」のカテゴリーの中に乱捕が入るとみなしていますよ。

先に白状致しますと、このようなご意見を頂けるのを待っておりました。
私の真の主張は、実はここにあります。すなわち、

「技の応用や変化は、法形からではなく、乱捕から身に付けるべきではないか?」

ということです。私は最終的には、法形の不完全さを説きたいわけではなく、
それを踏まえて、この「乱捕」論に議論を発展させていきたいと考えていたのです。
しかしその議論に向かう前には、法形について十分な議論を踏んでおくべきだと
思い、まずは先制のジャブのような気持ちで>>778の書き込みをさせて頂きました。

乱捕につきましては、また後ほど話題に上げさせて頂ければと思います。
まずは、トコトン(?)法形についての議論にお付き合い頂ければ幸いです。

821通りすがりの休眠拳士:2004/03/04(木) 01:30
>>807 アップルさん

>結局、法形=試験科目という痛い考えが最近蔓延してるんじゃないかと・・。
>あたらしい法形が増える=試験範囲が広がる
>っていう痛い考えになってるような悪寒。

昇級・昇段試験のあり方については、改めて議論の必要があるかも知れませんね。

>私は現状の法形の数でも十分楽しめてるし、これからどんな技を習うんだろうと
>ワクワクするし、習った技についてもっとおもろい使い方がないかと
>後輩に指導しながら考えてみたり、飽きることなく楽しいですねぇ。

なるほど。そのような考えや感じ方も、正直分かります。
この辺りの話になると、本当に人それぞれの求めるモノによって
違ってくるのでしょうね。

822通りすがりの休眠拳士:2004/03/04(木) 01:47
>>808>>819 138Bさん

>法形にあるから失伝しない=法形にないと失伝しちゃう
>とお考えのようですが、必ずしもそうではないと考えてます。

いえ。上記は私の考えではありません。
丸廉のHPの「法形は何故こんなに多いのか?」のページで、そのように
紹介されてあったのを引用したものです。私が言いたいのは、そういった
引用を引き合いに出しながら、「でもそれだけじゃ説明がつかないよね?」
とか、「矛盾してるよね?」といったように、指摘したかったまでです。
(事実、138Bさんのここでのご発言は既に615期生さんのご意見と相反しておりますし)

要するに、ある法形の存在を正当化しようとすると、別のある応用技が
法形として存在しないことの理由が説明できなくなる、ということを
申し上げたいまでです。

>法形としてでなく、ちょろちょろとは出てきませんか?

(繰り返しになってしまいますので、これで最後にしたいと思うのですが)
法形としてちきんと命名しないと、次世代に伝える時に大変不利になって
しまうのではないのでしょうか?まずは私の意見にご反論される前に、
丸廉の以下のページについてどうお考えかをまとめて頂けると、議論が
堂々巡りせずにすむのですが・・・。
  http://randorisiyou615.hp.infoseek.co.jp/page356.html

>もしそう感じるのなら、指導方法が悪かったのだと思います。

ビスキュイさんのご意見>>816を始めとして、「少林寺拳法の技術は問題ないけど、
指導の仕方が悪い」といった発言はよく見られますね。(某2chでも・・・)
では、なぜそのような悪い指導方法が蔓延してしまったのでしょうか?この問題を
しっかりと見据えなければ、「他の道院はダメだけど、ウチは良いから無問題!」
的な考え方で終わってしまう気が致します。

>お気に召さなかったみたいですね。
>通りすがりの休眠拳士さんと同じ価値観でないとだめか・・・

先の発言は、確かに言い過ぎだったかも知れません。
申し訳ありませんでした。

823通りすがりの休眠拳士:2004/03/04(木) 01:58
>>812 Syamiさん こんばんは。

>これは興味深い。
>あなたはこの丸廉が何のための集まりだと理解なさっておいでですか?

外部からこの丸廉を見た者の感想としては、

丸廉は、
  少林寺拳法という素晴らしい武道を、
    もっと深く理解しよう
    もっと深く広く研究しよう
    もっと教え合い、学び合おう
    もっと堪能しよう、楽しもう
  といった志を持った、意欲ある方達の集まり
だと解釈致しました。

そしてその修練の過程の中でこそ、お互いを指摘し合ったり、少林寺拳法の
イクナイところについて議論したり、より良くなっていくようみんなの力で
少しずつでも変えていこう!といった活力が生まれてくるのだと解釈して
おります。

またそのような期待を持って丸廉を訪れたからこそ、138Bさんの794のような
発言が、どうしても気になってしまったのかも知れません。

824通りすがりの休眠拳士:2004/03/04(木) 02:07
>>815 アップルさん

http://randorisiyou615.hp.infoseek.co.jp/manjikiso2.html
>守主攻従の技術体系を支えるもの

私も、このビスキュイさんの考え方には激しく激しく同意致します。

そして、こと柔法に関しては、特に攻撃する側がお粗末を言わざるを
得ないのが現状だと思います。他武道の全ての技に習熟するのは到底
無理にしても、例えば少林寺が三段であれば柔道の初段レベル、
少林寺が四段であれば、柔道の二段レベルくらいの技は、身に付けて
おくべきなのかも知れません。

私の意見でも、他武道研究については非常に重要だと考えてはいるの
ですが、同時に反対意見も持ち合わせております。例えば、パンチの
技術に高レベルで精通したボクサーであれば、キック、タックル、寝技
などの技術は覚えずとも、パンチだけでも対応できるようになるのでは
ないかと思います。

既にビスキュイさんの>>806のレスで、
>「千招を知る者よりも一招を得たものを恐れよ」
とありますが、私もこの言葉に同意です。

825通りすがりの休眠拳士:2004/03/04(木) 02:23
>>811さん こんばんは

>それは自分の稽古目的の違いだと思います。きちんとやりたい人は一つずつ時間掛けて練習します。

多くの支部・道院では、稽古時間や稽古のメニューが決まっているため、
そうもいかないと思います。学校の体育館などを借りている道院では、居残り
などもできないため、尚更です。

>なにか時間に追われてる感じですね〜。短期間でずべてを体得しようなんてムーリなわけで。
>これも同様、減る理由がわからん。やること多いならなお楽しい。
>それともかなり時間が限られてる理由なんかあるのでしょうか?

単純計算ですが、10の時間で10の技を覚えようとすると、1つあたりに
掛けられる時間は1ですよね?10の時間で2つの技を覚えようとすると、
1つあたりに5の時間を掛けられるようになると思います。

811さんは、時間が無限にあるとお思いですか?

って別に、哲学的にムツカシイことを述べたいわけではなく、w
まず、上述したように、道院の稽古時間や場所などの環境によって制限されます。
また、学生時代に部活で学ぶのであれば、3年もしくは4年というように期間が
限られています。
社会人になっても続ければよいかも知れませんが、仕事の都合や、結婚後は家庭の
事情もあって、2〜3週間に1回稽古に行ければいい方だったりして、ここでも学ぶ
時間は有限です。

限りある時間を有効に使うべきだというのが、そんなに訳の分からない事ですか?


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