したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

ドラゴンズニュース 2004優勝記念

110・2オレ竜@めぐりあいドラ編:2004/10/02(土) 17:22
優勝おめでとうございます。

2中日スポーツ:2004/10/02(土) 17:23
・落合竜、優勝 たたえます133試合の激闘!!感謝します感動の日々!!
中日が1日、1999年以来、5年ぶり6度目のセ・リーグ優勝を決めた。落合博満監督(50)
は監督1年目でペナントを獲得した。ナゴヤドームでの試合は、中日が延長12回、2−5で敗
退したが、マジック対象のヤクルトが巨人に4−6で敗れた瞬間、中日の優勝が決定。日本シリ
ーズは今月16日にナゴヤドームで開幕。中日は50年ぶり2度目の日本一を目指し、パ・リー
グ優勝チームと対戦する。
 宙に5度舞う
なかなかベンチから出てこない落合監督に、満員の球場から「落合コール」。谷繁が、井端がフ
ァンをあおり、指揮官を手招きした。ベンチから引っ張り出されると、照れ屋である落合監督が
帽子を取って手を振り、選手の輪の中へ。担ぎ上げられ5度、宙を舞った。「いやあ、いいもん
ですね。生まれて初めてです。最高です。横浜と神宮の試合が雨で流れた時から、名古屋で優勝
するという予感があった。選手がよくやってくれた。選手を褒めてやってください」
 2軍も全員
そう言って、グラウンドで喜びを爆発させる選手たちを見渡した。2軍からも選手全員を呼んだ。
みんなが輝くような笑顔を見せている。もう一度、心の底から喜びが込み上げてきた。現役時代
から、温め続けてきた夢がある。プロ野球チームの監督になる日が来たら、やってやろうと決め
ていた夢だ。トレードでチームを補強するのではなく、現有戦力の潜在能力を100%引き出し
てリーグを制するという夢だ。社会人の東芝府中からドラフト3位でロッテに入団し、2軍でく
すぶっていた経験がある。打っても、頑張っても認められなかった屈辱が、誰も考えなかった壮
大な絵を描く原動力となった。信子夫人(60)は言う。「根は繊細で、優しくて、すごく憶病
な人。人よりも傷つきやすいことを自分でも分かっているから、それを過剰に防衛したりするこ
とがあるの。でも本当は感激屋でロマンチスト」。優しい心に、あえてクールな鉄の仮面をつけ
て戦ってきた。すべてはこの日のためだった。リーグナンバーワンの防御率、リーグ最少の失策
数、リーグ2位の盗塁数、すべて昨年とほとんど変わらないメンバーで成し遂げた快挙。そして
、1軍に登録した選手数がリーグ最多の57人。この数字こそが落合野球のすべてを物語る。チ
ャンスは平等に与える。あとは選手次第。中日の選手は2軍に落ちてもはい上がろうとするし、
1軍の試合に出ているからといって、あぐらはかかない。
 「まだ続きが」
延長12回、緒方に満塁本塁打を打たれ、勝利で優勝を祝うことはできなかった。だが落合監督
はいたずらっぽく笑った。「これもわたしらしくていいんじゃないか。けどまだ続きがあります
。日本一という目標です。今度は必ず勝って、胴上げをしたいです。必ず日本シリーズで、50
年ぶりの日本一を勝ち取りますので、応援よろしく、お願いいたします」。照れ屋の仮面を脱ぎ
捨てて、朗々と声を響かせ、4万500人の観衆の前で日本一を誓った。

3中日スポーツ:2004/10/02(土) 17:23
・オレは選手を信じ、ただ見守っただけ 落合監督独占手記
まず最初にお礼を言いたい。われわれはセ・リーグ優勝を成し遂げることができました。応援、
本当にありがとうございました。今はうれしいというより、実感がわかないというのが本音かな。
この優勝の最大の功労者は言うまでもなく、勇敢に戦い、自らの力で勝ち取った選手たち。オレ
は選手の力を信じて、ただ見守っただけ。優勝の確信は最初からあった。就任した時から、いや
、就任以前から、監督になったらこんな練習をしたい、こんなチームをつくってみたいというプ
ランをずっと温め続けてきた。頭にあったイメージを、実際の練習としてちゃんとこなせれば、
絶対に優勝できると、そんなふうに思ってた。最初に着手したのは選手がちゃんと野球に取り組
める環境を整えることだった。それから意識改革。命令される野球ではなく、自分たちが判断し
、戦う野球をやらせたかったのだ。最後に練習に絶対妥協しないことだ。選手もオレも野球に命
をかけて取り組んでいる。だから練習にだけは絶対に妥協をしない。それだけを心に誓って、監
督になった。昨年の秋、そして春のキャンプ。選手たちはこれまでしたことのないような練習に
耐えてくれた。質も量もだ。マスコミに受ける練習は一切しなかった。選手がうまくなるための
練習を徹底的にさせた。朝から真っ暗になるまで。並大抵の努力ではなかったと思う。今だから
言えるけど、キャンプで脱落した選手は使わないつもりだった。オレが課した練習についてこれ
ない選手は、しょせんそれまでの選手と割り切っていた。みんながやってくれたよ。評論家や周
囲から何を言われようが、まったく気にならなかった。それでもシーズンに入ったら、やっぱり
苦しく、思うようにならないことばかりだった。5月の初め、ヤクルトに20点を取られ、惨敗
した時は緊急ミーティングをして、うちひしがれた選手たちに声をかけた。「引きずるな」。そ
う声をかけながら、それはもしかしたら自分に対して言った言葉なのかもしれないと思った。自
分が思う通りの試合がいつもできたら140勝してしまう。けど、そんなことはできないからこ
そ野球は面白い。長い道のりを経て、選手もそして自分自身も成長したと思う。特に選手は、自
分が想像する以上のスピードで成長していった。荒木と井端の守備と走塁、ここぞという時の立
浪の打撃、代打の切り札、高橋光の勝負強い打撃、川相、英智、渡辺、アレックス……、1軍で
活躍している選手たちはみな、すごく成長したとオレは思う。就任以来、言い続けてきた「投手
を中心とした野球こそが基本」は、これまでの経験を通して得た哲学だ。だから中日だからこの
野球をやったんじゃない。どのチームの監督になってもこの野球をやってた。この野球なら勝て
るという揺るぎない自信があるからだ。今、願っているのは、選手にこの優勝を誇りに思っても
らいたいということ。この優勝を一生の宝物にしてほしい。誰の力でもない、自分たちでつかみ
とった栄冠なんだ。選手諸君、おめでとう。そして次のゴールを目指して、あしたからまたがん
ばろう。命をかけて、日本一の栄冠を、50年ぶりに取り戻そうじゃないか。 
(中日ドラゴンズ監督・落合博満)

4中日スポーツ:2004/10/02(土) 17:24
・伝説の3番!立浪 あんたが大将!深夜の素振りでナイン引っ張った 自身3度目V
感謝、そして敬意の表れだった。誰よりも強く勝利を思い、チームの先頭に立ってきた男・立浪
和義内野手(35)。優勝の立役者は誰か? その答えを示すかのようにナインは、チームを導
いてくれたリーダーを4度、空中へ舞い上がらせた。「胴上げをしてくれたのは僕が引退が近い
からですよ。でも、ずっと優勝したい、と思ってやってきた。その願いがかなってうれしい。監
督やコーチ、スタッフ、そしてファンのおかげです」常に「勝ちたい」と思い続けてきた。5月
23日にセ・リーグ新記録となる通算423本目の二塁打を放った。2000試合出場も達成し
、6月23日の巨人戦(札幌)で球団新記録となる通算155度目の猛打賞もマークした。数々
の栄光に彩られた2004年。だが、立浪が欲したのはただ1つ。その唯一無二の勲章を、5年
ぶりにその手に取り戻した。言葉以上に、行動でチームを引っ張ってきた。4月4日の広島戦(
ナゴヤドーム)で延長11回、チーム初のサヨナラ打を放ったものの、打撃は低迷。一時は打率
2割を切った。打の支柱が苦しめば当然、チームも波に乗りきれない。5月3日からのヤクルト
との3連戦(神宮)では7−20の大敗を含むどん底の3連敗を喫した。はまりかけていた泥沼。
神宮での3連敗後、選手宿舎の駐車場で立浪は深夜、バットを振り始めた。最初は井上と2人だ
け。だが、黙って汗を流すリーダーの姿が周りを突き動かす。1人、2人、3人…。日が経つに
つれ増えていく“有志”。最後は野手のほぼ全員がバットを手に、立浪とともに素振りの音を響
かせた。自身の得点圏打率を脅威の5割台に乗せ、チームも7連勝を飾ったのは、それから間も
なくだった。
 戦いは続く…
背中でチームを導いてきた背番号「3」。だが、勝負師はまだ満足しきったわけではない。「日
本一になりたい」。過去2度はリーグ制覇にとどまった。今度こそ…。勝利を追い求める男の挑
戦は、まだ終わらない。
・荒木だ井端だ セ界一コンビ!
 打って走って守る!この2人が落合竜の象徴…そして武器だった 井端3度舞った
初回の先制二塁打を皮切りに、井端弘和内野手(29)はこの試合5本の安打を連ねた。優勝の
かかった試合で今季15度目の猛打賞、5安打は自身初の大暴れだ。選手会長として、首脳陣と
選手とのパイプ役を果たした1年でもあった。「監督が就任したとき、正直、日本一なんてピン
とこなかった。だけど春に一緒に練習して、たくさん話をして、確信しました」。つくり上げて
きた強いきずなが、最高の結果につながった。かみしめるように歓喜の1年を振り返る2番打者
の横で、跳ねるように喜びを爆発させたのは荒木雅博内野手(27)。「きょうは大いに暴れま
す」と満面の笑みをたたえた。5月にトップバッターとして定着し、水を得た魚のように走りま
くった。首位のチームで、よりマークがきつくなる中、一時は4年連続の盗塁王を狙う赤星(阪
神)とも競り合った。さらに守備では、課題だった送球難を克服し、最大の武器でもある守備範
囲の広さを見せつけた。Vロードをばく進した、2004年型「竜特急」。堅い守りとどん欲な
走塁を前面に押し出した戦いを象徴するのが二遊間として、1、2番としてコンビを組むこの2
人。相思相愛の恋人同士のように、チャンスメークし併殺を決めてきた。スタンドのファンへの
あいさつが左翼に差し掛かったところで、井端の体が3度宙に舞った。「胴上げされたのは生ま
れて初めて。選手会長1年目での優勝は名誉なこと」と井端。1年間、チームを引っ張った選手
会長への、感謝を込めたナインからのプレゼントだったのだろう。そして荒木に、大きな“プレ
ゼント”が間もなく届く。10月10日に待望の第一子、女の子が誕生する予定。「絶対に忘れ
られないシーズンになりました」。これ以上ない笑顔が、まぶしすぎる。

5中日スポーツ:2004/10/02(土) 17:24
・福留もヒーローだ!  ナインを祝福
“29人目のV戦士”が、背中を押されてマウンドへ突進した。左手のギプスには要注意! も
ちろん胴上げには参加できないが、喜びは共有できる。福留孝介外野手(27)だ。しっかりと
歓喜の瞬間に立ちあった。「地元で決まってよかったですね。これから目標がしっかりと見えて
くると思います。日本一目指して、やってくれるでしょう」フィールドに立つことはできないが
、その未練は断ち切った。仲間たちに託す日本一の夢。まずは挑戦権をゲットした誇れるチーム
メートと、祝福の握手をかわした。地元胴上げの“特典”として、2軍からも全選手が加わった
。スタンドから福留の姿を見つけたファンから、感謝と激励の声援を受け取った。4番としてあ
りがとう。ケガを治して戻ってきて。どちらも福留のエネルギーとなる。だからこそ、熱い戦い
に加われないもどかしさより、ドラゴンズの悲願を応援する側に回れるのだ。「みんななら、き
っとやってくれると思います」。ビクトリーランを笑顔で済ませ、福留の今シーズンが終わった。
・川相「うれしい」 Gブランド捨て中日で最高の美酒
皮肉にも、川相昌弘内野手(40)の三振が、セレモニースタートの合図となった。優勝なら何
度も体験した。巨人で7度。その巨人で約束された指導者のレールをけり飛ばし、ドラゴンズで
現役を続けるイバラの道を選択した。不惑を迎えたばかりの男が、惑いに惑った末にたどり着い
た至福のゴールだった。「うれしいよッ。最高ッ。野球を続けてきたからこそ、こういう感激を
味わえるんですよね」土壇場の翻意から始まったストーリーだった。昨秋、コーチ就任要請を受
諾しながらも、ムクムクと膨らんだ未練、執着。抑えられない。そう思った時、手を差し伸べて
くれたのが誕生間もない落合竜だった。新監督は秋季キャンプでの入団テストを科した。チケッ
トを買い、羽田から那覇への飛行機に乗る。実はそれこそがテストだった。「巨人というブラン
ドを捨てられるか。そこだけだった。沖縄に来られるってことは、巨人を本当に捨てられるって
ことだろ?」。もちろん川相は乗った。その瞬間、落合監督は「合格」の印を押していた。出場
75試合で、わずかに6安打、3打点。だが守備固めだけでなく、2度のサヨナラ打をファンの
記憶に刻み込んだ。井端、荒木、英智…。惜しみなく技術を伝授された中堅、若手は多い。献身
的ですらあった大ベテランは、文字通り、不惑の境地に達した。
・白井オーナー「快適だった」 予期せぬ胴上げ
アレックスにバルデス。屈強な外国人選手に囲まれては抵抗できなかった。胴上げを拒否してい
た白井文吾オーナー(76)=中日新聞社会長=がナインの手で4回、宙に舞った。「最初、(
落合)監督に言われた時は断っていたんだが。胴上げされては、体が壊れてしまうから。でも、
言葉の分からない外国人選手を使われてはね」予想外の胴上げだったが、いざやられてみれば、
気分は悪くなかったよう。「快適だったね。うまく、持ち上げて、受け止めるものだね」と白井
オーナーは会心の笑みを浮かべた。1年前、落合監督を選んだ選択はこの日、正解と証明された。
次なる目標は日本一。「やってみないと分からんが、みんなの前で宣言したんだから、大いに期
待している」と期待を込めて話した。

6中日スポーツ:2004/10/02(土) 17:25
徐々に更新します すみません

7中日スポーツ:2004/10/02(土) 17:55
・球界の問題 吹き飛ばした
中日・西川順之介球団社長「胴上げのシーンを見てこれが今年のドラゴンズだと思
った。落合監督が台風の目になり、選手がその周辺を回って目標に向かった。球界
にはいろいろな問題があったが落合監督と選手が一丸になって吹き飛ばしてくれた」
・アレックス 信じられないん 美技!美技!レーザー
ペナントを持つ手が震えた。4万大観衆の声援が体に染み込んでいく。「信じられ
ない・・・なんともいえない。素晴らしいよ」。帽子でで声援に答えながらアレッ
クス・オチョア外野手(32)はこの上ない幸せを感じていた.緊張がスタジアムを包
む中、この日も華麗な守備で味方のピンチを救った。6回には緒方の大飛球を背走し
ながらランニングキャッチ。さらに延長11回二死1、2塁。代打・前田の中前安打に
だれもが勝ち越しを覚悟した瞬間レーザービームを一閃。2塁走者を本塁寸前で憤死
させた。チャンスを生かせなかったが背番号4のひたむきなプレーにドラ党は惜し
みない拍手を送った。ひとつの目標はクリアした。次は史上3人目の日米シリーズ制
覇の野望達成だ。「今年は負けだけど、チャンピオンはチャンピオンさ。次の目標は
もちろん日米シリーズ制覇。それをずっと目標にやってきたからね。ぜひ日本シリー
ズに勝ちたい」02年、エンゼルスで世界一に輝いた男はまだ見ぬパ・リーグの覇者を
手ぐすね引いて待っている。
・岩瀬 万感 重ねた救援救援失敗の悔しさ・・・すべては”この日”の糧に
岡本 歓喜 最強右腕守り抜いた「今日は最高です」
歓喜の輪へ、竜投が誇るリリーフ陣次々と加わる。投手王国を支え続けた男たちがこ
の夜は宙を舞う落合監督の体を支えた。「今日はしっかり投げることができたよかっ
たです。最高です」何度も勝利への懸け橋をつないできた岡本真也投手(29)が叫ぶ。
この日も6,7回を抑えた落合英二(35)に続いて8回から登板すると力のある直球とを
スライダーで1イニングを無失点。過去3年間の登板数が計50試合だった男が今季はこ
の日で61試合目。前夜は2ランを浴びたものの、最強セットアッパーの一人に成長し
た右腕がマウンドをがっちり守りぬく。その岡本が繋いだバトンを受け継いだのは岩
瀬仁紀投手(29)だ。負けたくない。大一番で強い意志を前面に押し出した左腕は9回
を3者凡退。延長10回2死満塁のピンチを招くが首位打者・嶋をスライダーで空振り三
振。左拳をぐっと握り締め、雄叫びを上げた。「苦しかった時もあった。これだけの
経験ができたシーズンはそうない。自分にとっても大きな優勝です」左足中指骨折で
出遅れ波に乗りきれなかったシーズン序盤。「野球人生の岐路に立っている」と唇を
かみしめた夜もあった。だが球界を代表する鉄腕はシーズンが進むにつれ復調。8月は
日本代表としてアテネ五輪に出場し9月は10試合連続被安打セロも記録した。取り戻
した貫録の投球。この夜もどんなにピンチになってもホームは踏ませなかった。落合
英、岡本、岩瀬がそれぞれの仕事果たすと11回は平井が剛腕をうならせ無失点。12回
は久本がまさかの満塁弾を浴びたが最後まで勝利の執念を燃やし続けたリリーフ陣。
敗れた。だが76勝のうち68個の白星を運んで男たちは胸を張った。栄光に輝いた夜、
「守り野球」根底は最後まで揺らぐことはなかった。

8中日スポーツ:2004/10/02(土) 17:55
・英智だ渡辺だ ”打つ、守る、走る”育った一芸集団
両手で万歳。もの静かな男が胸を張ってスタンドの”ヒデノリ・コール”にこたえた。
「勝利、優勝に貢献するプレーを考えてやってきた」英智外野手(28)が喜びをかみ
しめた。落合野球の申し子的存在。「打つ守る走るのどこかに特徴がある選手を作る
」。ゼネラリストではなくスペシャリストの育成。落合監督が就任直後に掲げた方針
のもと、日陰の存在だった英智が抜群の守備力で一気に花開いた。2月の秋季キャン
プ直後、脇腹を負傷してリタイアした英智。見方によっては脱落者。だが「選手を色
眼鏡で見ない」と公言していた指揮官には貴重な戦力として映っていた。患部はオー
プン戦終盤に回復し、守備固め要因で開幕一軍入り。強肩とダイビングキャッチで落
合竜を救ったのは言うまでもない。終盤は8番右翼に定着。最強の”ライパチ君”と
して野球少年があこがれる選手に。中日に英智あり−。一気にブレイクした。高橋光
信内野手(29)も白い歯をこぼした。右の4番候補も開幕早々に二軍落ち。再び1軍
に呼ばれたのは8月だった。戻ってきた高橋光は「自分は1打席、3時間の試合の5分に
勝負をかけている」吹っ切れていた。9月に代打で2本の本塁打、選球眼もよく選べる
。定評高い打力が代打の切り札という形で発揮された。渡辺博幸内野手(34)は抜
群の守備力を買われ多く1塁でスタメン起用された。オマール・リナレス内野脂(3
]6)も巨人・工藤から代打逆転3ランなどいい場面で1発の凄みをみせた。これぞプ
ロ。オレ流好みの銭を取れる技術を持つ職人たち。一様に笑顔で落合監督を胴上げした。

9ドラファンさん:2004/10/02(土) 19:05
長い!お疲れ様です!!

10ドラファンさん:2004/10/02(土) 19:47
応援してます!
10・2の主要スポーツ紙を全部上げてくれるのを気長に待ってます!

11オレ竜@めぐりあいドラ編:2004/10/02(土) 22:34
ども。中スポはWEBにないものもやりますね
他はWEB上のものと、評論と手記はやります。
(デイリー、サンスポ以外・・・)

12中日スポーツ:2004/10/02(土) 22:35
・憲伸最高 真のエースはひたすら勝利のために
胴上げに照れる落合監督に川上憲伸投手(29)はにこやかな笑みを浮かべて近づいた。
受け止め、また上げて・・・宙に舞う「66」の背中をずっと笑顔で見つめていた。待ち
に待った歓喜の時。自己最多の14勝を塗り替え16個の白星とともにつかんだセ・リーグ
制覇。「今季は期するものがあった。シーズン通して頑張ることができたと思う」。エ
ースとしてつかんだはじめての栄光だった。昨季は5月に右肩を負傷し苦悩と失望のう
ちに終わった。「憲伸がいれば・・・」周囲の嘆きも耳に届くなか、今年にすべてをか
けた。自ら台所に立って栄養面の改善に取り組み、最善の治療法を追求した。これまで
印刷だけだった年賀状。今年は約200枚。ほとんどに自筆「ボクの力で優勝します」と書
き込んだ。決意をはっきり明かすことで自らに重圧もかけた。復活の舞台は今年4月4日
広島戦、延長11回157球の熱投で勝利を呼び込んだ。チームが首位固めに入った7月上旬
から約2カ月間、1年目の5連勝大きく上回る8連勝。救援明けからコーチ陣から「貴重な
ことのだぞ」と連戦の初戦を任されるようになる。初戦で流れをつかむか、逃がすかチ
ームの勝利に徹する投球で不敗神話を築き上げた。99年の優勝時は8勝9敗。5年の歳月を
経てもMVPの呼び声も高くなるほどたくましく成長した。「(優勝争いの)当面の相
手が巨人だったこともあって自信にもなったし、印象に残っている。(連勝中は)「す
ごいことやっているな」と思っていたけど1年目よりも経験を積んだのかな」。真のエー
スの称号は手に入れた。今度は日本シリーズでパ・リーグの猛者の前に立ちはだかる。
・谷繁 絶叫 投手王国引っ張る
試合終了、グランドに真っ先に飛び出して両手を振ってファンの歓声にこたえたのは谷
繁元信捕手(33)だった。もっと、もっと声援をくれとファンにアピールした。それほ
どこの優勝がうれしかった。「オレ?オレよりも投手。みんながよく投げてくれて優勝
できた。オレの力じゃないよ」顔をクシャクシャにしてそう叫んだ。シーズン前、落合
監督は防御率2点台を掲げた。打撃技術が発達した近代野球で防御率2点台なんて夢の話
に近い。プレッシャーがベテラン捕手を襲う。その一方で負けん気がむくむくと頭を持
たもたげてきた。結果的に防御率は目標を大きく下回って3点台後半。しかし12球団で
4点を切っているのは中日だけ。それをリードしてきたエース捕手谷繁。胸を張ってい
い。誇っていい数字だ。さぁ日本シリーズ。負けて6度目のリーグ制覇じゃ心の底から喜
べない。中日の頭脳が真価を発揮するのはこれからだ。
・とびっきりの笑顔
山本昌は落合監督はトロフィーを受け取り、それを高々と掲げたグランド内でファンの
声援にこたえた。「みんなでひとつになって勝ち取った優勝だからよかった」と笑顔。
今季は25試合に登板して12勝をマークしベテラン左腕の健在ぶりを十分に発揮した。「
地元で決められてファンの方にも1年のお礼にもなったし、いいものを見せてもらいま
した」と満足そうな表情で語った。
・ペナント手に念願のビクトリーラン
リーグ制覇を象徴するペナント。これを手に行進することが何よりも選手にとっては喜
びとなった。何色もの鮮やかな紙テープが舞う中、落合監督をはじめペナントを持った
選手たちがゆっくりとブランドを歩いた。スタンドのファンもだれも帰らない。みんな
が立って惜しみなく拍手を送った。立浪がいる。荒木が笑う。井端が誇らしげに手を振
った。「よく頑張った。日本一頼んだぞ」そんな声援に川上が力強くうなずく。ナゴヤ
ドームで決めた初の優勝。フィナーレにふさわしいシーンだった。

13中日スポーツ:2004/10/02(土) 22:35
・オレ流語録 選手の力です。選手を褒めてください。
▼優勝おもでとうございます
いやーいいものですね。生まれて初めてのことですから。過去に何回か優勝しているん
ですが、名古屋でしか優勝したことがないんで(現役時代は88年の中日、94年と96年の
巨人で優勝決定)皆さんは恐らく昨日だろうと思われていただろうけど、私は恐らく名
古屋で決まるだろうと思ってました。
▼優勝の瞬間の気持ち
泣くだろうなと思ったが、冷静だった。インタビュー中ポロポロ泣く姿を想像したが、
人目に涙をさらさずによかった。
▼胴上げの感触
いいものですね。生まれて初めてだし。はっきり言って自分の体がどこにあるのかわか
らない。いつ上がって、いつ選手の手に自分の体が収まっているのか・・・。いい気分
。これは経験したものしかわからない。
▼優勝できると公言
何人の方が信じてくれたか分からないがこうやってやればできるんです。投手中心の守
りの野球で。何とか一年戦い抜けな、と思っていた。選手は本当によくやってくれた。
▼胴上げには二軍選手も参加
下の連中も名古屋にいたし、これだけの喜びは皆で分かち合おうということで全員参加
にした。
▼誰に感謝したいか
私を指名してくれたオーナーが1番。うちの女房が2番。支えてくれたコーチングスタッ
フや選手には本当に頭が下がる。
▼負けての優勝に
本当は勝って優勝を決めたかったが私らしくていいんじゃないですか。この優勝は一生
忘れない。
・Road To Victory 落合竜の挑戦 監督を叱り続けた男たち
歓喜の場内1周。指揮官のすぐ後ろを歩いた。選手のミスを決して責めなかった落合監督
になり代わり、時に”鬼”の役目も引き受けた男が久々に見せた笑顔だった。手早く、
しかし厳選したコーチングスタッフ。中でも落合監督がこだわった1人が高代延博野手総
合チーフコーチ(50)だった。腹心、参謀、知恵袋、家老ととして殿をいさめたことも
1度や2度ではない。そんな高代コーチから見たオレ流野球には2つのキーワードがあるそ
うだ。「まず我慢やね。本当の意味で我慢できる人。オレの知っている監督の中では三
村さん(元広島監督、現ヘッドコーチ)が近いかな」我慢の指揮官。それが実を結んだ
好例は立浪だという。開幕から低打率にあえいでいた3割打者。「オレはもう外れるかも
しれん」切迫した発言が高代コーチにも間接的に伝わってきた。だが使い続けた。5月か
ら大爆発。我慢の効果はそれだけではない。「タツ(立浪)がマウンドに駆け寄る姿。
あれは(中日に在籍した)3年前にはなかった光景やで」。そしてもうひとつのキーワー
ドは信頼だ。「監督は『知らなかった』ということはひとつもなかったと思うよ。選手
との関係もそう。オレたちコーチともそう。『任せた』といって途中から口出されるの
が1番困るから」コーチ会議は上位下達ではなく議論の場になった。情報、意見が双方通
行で共有され、そこから方針が行き渡る。選手に対してもそう。信頼があるから我慢で
きる。我慢してくれるから信頼が生まれる。プラスの循環は1年を通じて滞ることはなか
った。「森と高代には本当によく怒られたなあ」投手部門の森、攻撃&野手部門の高代
。諫言を浴び続けた落合監督は苦笑い。勇将の下に弱卒なし。そんな言葉があるがドラ
ゴンズは逆かもしれない。勇将の上に弱卒なし−。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板