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倉工ファン Part 4

485名無しさん:2021/12/18(土) 15:58:01
☆ 【山本由伸物語】  MVP右腕は「勘違いができる子」から高1の秋に覚醒した  ①



2016年ドラフト4位で入団してから、わずか5年で球界屈指の投手に成長した右腕の原点を探った。
98年8月17日、岡山県備前市で第2子として生まれた。姉との2人きょうだいとして育った山本は、幼少期から野球が身近にあった。

父親は東岡山工業時代、甲子園を目指した球児で、勤務先でも県代表として軟式野球の国体に出場。
その試合を見学したこともある。小学1年の時、父がコーチをしていた地元の伊部パワフルズで本格的に野球を始めた。


父のDNAを受け継いだのだろう。同チームで指導していた大饗氏は、「由伸は運動神経が良くて、動きが俊敏でした。
野球以外のスポーツをさせてもそこそこやれるような子。でも、どの競技よりも野球が好きだったようで。

チームの主な活動日は火、木、土でしたが、それ以外の日も友達と野球ばかりしていたようです」と振り返る。


小学生時代は捕手など主に野手としてプレーしたが、小学6年の時に出場した全日本学童軟式野球大会では投手としても活躍した。
本格的に投手をやり始めたのは東岡山ボーイズに所属していた中学1年の秋だった。同ボーイズの中田監督が言う。

「入団時からセンスが良いなと思いつつも、背がそれほど高くない。投手は無理かな、当初はそう思っていたんです。
しかし、キャッチボールの様子を見ていると、他の子より球の回転が奇麗だったし、沈まずに『スーッ』と糸を引くような球を投げていた。

試しに投手をやらせたらコントロールも良かったんです。すぐに投手起用を決めました。
チームにはエースがいたので、二枚看板ということでセカンドと併用しました」


山本は誰に教わったわけでもなく、クイックをしたり、試合で突然、スローカーブを投げたりして指導者を驚かせた。
「他の子がしないような工夫を自分で考えながらやる。遊び心がありました(笑い)」とは、中田監督だ。

その一方で、誰よりも練習熱心の選手というわけではなかったという。
「一生懸命、がむしゃらにやるようなタイプでは…。要領よく手抜きをしていました。特に冬の筋トレが顕著でして(笑い)。
あまり好きじゃなかったのかな。あの季節はグラウンドの至る所から『コラ! ヨシノブ!』という声が飛んでいた。

でも、由伸は叱られたらニコッと笑って、上手にかわすんです。全ての能力が平均より上でしたが、当時はまだズバぬけたものはなかった。
5点満点の五角形のグラフがあれば、全てが『4』みたいな感じです」(中田監督)




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