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女子バレー喫茶・world&old掲示板

1愛子:2006/10/11(水) 21:01:03
困り者
年寄りって遠慮ってものがないからね。
そんなに知りたけりゃ図書館や古本屋に行けばいいのに。

嫌になっちゃう。

5915岡本 すいか:2019/05/03(金) 19:04:49
お墓参りをしたら…川合選手のおひざ元だったとは!
 こんばんは。

 カルバハルさん、ありがとうございます。
吉永選手、五輪前年の同大会に出場しているみたいですよ。広瀬・三屋両選手にとっては初の
国際舞台でしたので、どうしても注目してしまいます。大会にはエントリーされても、水原選手のように控えだったのかあ。既に、日本はモスクワ五輪への出場権も得ていたとあって、どちらかといえば「お手並み拝見」のつもりで、決勝の中国戦には臨んだといいます。結局、その後数年中国に苦戦する伏線になってしまったようです。ただ、五輪は日本だけでなく中国も不参加。
4番…横山選手(主将)5番…水原選手、8番…江上選手、9番…吉永選手、11番…広瀬選手、12番…三屋選手。
バレーボールマガジン、昭和58年11月号「アジア選手権の歴史(というほどでもないか…第2回)」より。

 私事で恐縮ながら、過日故・祖父のお墓参りをいたしました。物心つくかつかないくらいだった私に、いつも往年の生きたバレー昔話をしてくれた祖父。上記の本によれば、なんと、かの川合俊一選手は大田区萩中出身のようです。出雲中→明大中野高→日本体育大学(当時3年生)。
日体大では、森田淳悟氏の秘蔵っ子だった、と。もしかしたら…ですが祖父も贔屓にしていたかも。

5916カルバハル:2019/05/03(金) 20:03:46
江上由美
ワールドカップ77が世界タイトル最後の金メダルです。その中です。世界一チャンピオン最後の経験者は88年ソウルオリンピックの江上が世界タイトル取得者、最後の現役生き残りなんです。ロス、ソウルのメンバーでも江上一人てす。日本女子バレーボール界で一番若い世界タイトル取得者です。他の選手から長く尊敬される訳です。

5917岡本 すいか:2019/05/03(金) 20:12:35
東村山市出身?江上選手は名誉市民希望
 こんばんは。

 カルバハルさん、江上選手は東村山市出身なのか、世田谷区出身なのか、どちらなのでしょうか。もし、東村山市のご出身なら、志村けん氏ともども名誉市民に選ばれてしかるべきでしょう。ちょうど、志村氏が「東村山音頭」を歌われてヒットになった昭和51年デビュー、でしたものね(中学校は東村山五中)。

 エピソード集などを拝見すると、やはりお父さんがなくなり、女手ひとつで育ててくれた母親、ロス五輪に招待されたそうです。また、“都立の星”年子のお姉さんのお話も掲載。

 バレーに造詣の深い祖父はソウル五輪の時は、昭和天皇同様、病床にありました。幸いか不幸いか、史上初、全日本女子がメダルなしに終わったことは、病状が進んでいたこともあってか知らないまま旅だったようです(叔父より)。

5918岡本 すいか:2019/05/03(金) 20:21:28
背面ダイビングレシーブとは…!
 江上選手に関してもう一件。

 初めて全日本主将に就任した昭和57年暮れのアジア大会では、文字踊り八面六臂の大活躍。
中国と並ぶ当面のライバル・韓国戦では背面ダイビングレシーブ!同期入社、文字通り彼女を
隅々まで知り尽くしているはずの森田選手さえもびっくりのスーパープレーでした。専門誌どころか、まったくの一般紙(それも、最もスポーツには疎いはずの日本経済新聞)にも掲載。
試合前、開催国・インドのガンジー首相の訪問を受けていました。
 コート外でも、史上初の女性旗手を務めたり、生沼監督ともども、史上初のBクラスを味わったばかりの全日本にとっては最適の人選だったようですね。

5919カルバハル:2019/05/03(金) 21:33:52
江上由美
https://www.pasonica.com/%E6%B1%9F%E4%B8%8A%E7%94%B1%E7%BE%8E/

世田谷となってますね?確か姉が小平高校で学校郡で一緒に小平に進学出来なく東村山だったので松蔭に進学したと聞いてますが、産まれたのは世田谷でも育ったのは都下かも知れませんね。ヤシカの岩原がチャキチャキの江戸っ子と言われてますが生まれは東京でないですね。例えば母親の実家が世田谷なんで世田谷産まれたえど住まいは東村山とか?諸事情はあるでしょう。普通は母親の実家で出産します。或いは産科が世田谷の病院とか、色々な場合があります。判りませんが東京出身て事は確かのようです。また外国人の選手は産まれた年も不明もあります。江上由美の父親の話しは?今だと個人情報ですよね。公人と個人は違いますが江上由美は公人かも?知れません。

5920カルバハル:2019/05/03(金) 21:35:12
下のサイトも
三屋の写真とかあるから、いい加減です。

5921岡本 すいか:2019/05/03(金) 21:41:25
ありがとうございます。
 こんばんは。

 カルバハルさん、ありがとうございます。

 彼女は、バレーボール経験者(特に女子)では稀有な、バレー一筋を貫いてきた「バレーボーラー」と、私も思いますね。小田急でも、ぜひかおる姫入団までは監督をしていてもらいたかった…。かおる姫も、これだけ偉大な先人の名前は知っているはず。
世田谷区でも多数主催されている、小田急バレーボールクリニックでは江上選手と一緒に指導してもらいたかったですね。

5922カルバハル:2019/05/04(土) 00:57:09
生きの長い選手
今では30代の現役選手は多くなってますが昔は25才位で、ベテラン、引退、結婚のコースになります。河西、松村勝美、横山など、ユニチカの選手が長いです。飯田、岩原も長いですが、江上も長いですが全日本のレギュラー貼っては、一番長いかも?知れませんね。木村もナショナルチームに入ってから長いですが、レギュラーをずっと、やってるのは、江上由美です。中田久美は、ちょっと特別扱いなので除外です。大林も長いです。多治見、吉原も長いですが、お休みの期間があります。トレーニングより現役選手生命は長くなりましたが結婚して子供が出来て頑張ってる荒木は、これから見本になって欲しいので東京まで頑張って欲しいです。モントリオールの矢野、吉田、高柳は23才で引退しました。長いと未婚になるケースも多いです。海外はママさん選手、居ますが、やはり日本は少ないです。

5923岡本 すいか:2019/05/04(土) 05:33:23
小田急には「原也祐巳選手」が!
 おはようございます。

  カルバハルさん、その通りかもしれませんね。やはり江上選手は伝説の存在ですよ。
私と同世代のトリオは不景気の波を諸に受けてしまった谷間世代です(かおる姫・鈴木洋美・高橋みゆき)。もう少しあとでも、荒木のようになったのかもしれないので、最も魔の悪いタイミングだったかと思います。

 初代・江上改め丸山監督の小田急・バレーボールチーム。恐らく丸山監督が連れてきたか、
反対に丸山監督を私淑していたのか、以前質問させていただきました原也祐巳選手、背番号2が
いたとは初めて知りました。ダイエーの立ち上げ時のような…といいたいところかもしれませんが、失礼ながらスターではない選手のようですね。

5924岡本 すいか:2019/05/04(土) 05:37:57
監督が「ユニフォームを着る」のは野球だけ…
 続けて。

 バレーボールをはじめ、一般的にはスポーツの監督はユニフォームではなく、ジャージーや
背広姿のようですね。その意味でも「ユニフォームを着て、しかも背番号がある」野球は特殊な
スポーツのようです。

 私的なひいき目もあるせいか、米田監督のジャージー姿がかっこよく見えました。

5925カルバハル:2019/05/04(土) 10:57:53
原選手
小田急に居たんですか?始めて知ったのか?スルーしたのか?記憶が無いです。活躍したんでしょうか?廃部は林兼産業、太陽デパート、小田急、日立、イトーヨーカ堂、ユニチカ、ヤシカ、東洋紡、三洋電機、ソニー大崎、東芝鶴見、新日鉄堺、電電神戸、クラボウ、石川繊維、大和紡、ダイヤ紡、石川島播磨重工業呉、日立茂原、東北パイオニア、たくぎん、ヤクルト本社、鐘紡、ダイエー、富士フィルム、など沢山、廃部になりました。昔から残ってるのは久光製薬くらいかな?企業スポーツの限界ですね。大昔は敵はソ連、向かい打つのは我がニチボーと言われてましたがソ連も消滅しましたか時代を感じます。

5926カルバハル:2019/05/04(土) 11:08:33
野球だけ、ユニフォーム監督が着る
気が付かなかったです。そう言われれば、そうですね。何故、野球は着るんでしょう?ビーチバレーの女子はビキニじやないと駄目なんでしょうか?着たくない人、多いと思いますよ。陸上も今はヘソ出してますね。イスラム圏の人の普及を阻んでますね。その昔は6人制バレーでも裸足でプレーした写真みかけました。頭にバンダナまいたり、リボンしたキューバの選手居ました。あまり体の体型が、見えるユニフォームはプレーに集中出来ないし、バレーボールの競技が好きな理由でない観客も出ます。ユニフォームも改善しないと駄目ですね。

5927カルバハル:2019/05/04(土) 19:27:18
金メダル以外はビリも同じ
https://youtu.be/rf2AwBgjCp4
オリンピックに出場出来ない時代も厳しいです。

5928アルタガモワ:2019/05/05(日) 02:41:21
ありがとうございます
カルバハル様
90年世界選手権ありがとうございます。
私は90〜91年のバレーを一切見てないので凄く楽しかったです。友人から最後の方はオギエンコが?平に対して「おだまり〜〜〜!」って凄いブロード攻撃を決めたと言うフレーズを聴いた事があったのですがその「おだまり〜〜〜!」のブロードが確認出来ました。
それにしてもソ連の選手とは思えない様な感極まった状態でしたね。丸で日本チームの様な感じがしました。と言って弱くなってからの日本チームの事ですが。

5929カルバハル:2019/05/05(日) 07:31:54
90年世界選手権
決勝戦は、面白いですよ、バトフチナの世界デビューの試合です。終盤のオギエンコのブロード攻撃で、ストレートでアタックラインの内側に打った攻撃は凄いです。郎 平の世界大会、最後の試合です。巫 丹が素晴らしいプレーをしました。中国は蘇 恵娟が、キャプテンです。個人的には良いセッターだと思います。蘇 恵娟はアルタガモワさんが、どうしても見たい横浜の環太平洋選抜大会の中国のセッターでした。88年ソウル後は日本の試合より世界のトップの技術を追うようになりました。あんのじょう、ドンドン、ワースト記録を更新して、シドニーオリンピックは出場権も取れなくなり女子バレーボールは一度終わってます。その後、上り坂で少しずつ強くなりメダルまで行きましたが東京オリンピック後は、2度目の終わりが、やって来そうです。

5930アルタガモワ:2019/05/05(日) 08:46:12
バトフチナ
89年のワールドカップがデビューかと思ってました。当時は本当に若くて細かったですね。

確かに中国ってあれから徐々に弱くなりましたよね。
日本がシドニー行けなかったのってかなり叩かれましたけどいつもだったら最終予選に居ない中国が居るんですもんね、確かに出場が叶わなかったのは事実ですが。

今の世界の女子バレーって大昔の男子バレーみたいで全然面白く無いですよね。逆に男子の方がコンビ、トリッキーで楽しいです。
ロシアもアトランタあたりまではコンビに力入れてたけどその後は今の中国みたいに反則級にデカくだけなって・・・。

5931カルバハル:2019/05/05(日) 10:03:13
90年世界決勝戦
セットカウント1-1で3セット後半バトフチナが登場して連続スパイクを決めて3セット取ってミュンヘンの白井みたいでした。中国は引退した郎 平が、入ってまだエースを貼るてるのが残念でしたが巫 丹が素晴らしいプレーでした。やはりサイドアウト制で6人がサーブレシーブして複雑に攻撃した方が見ために楽しいですし、人気も上がります。アタッカーだ沢山居るのに絡まないでスパイクするのは、つまらないです。コンビバレーは見てる方から、するとショーのようです。ルール変更して、ハラハラしたり、複雑に攻めるようでないと決まらないように、しないと人気は下がります。パフォワーマンスも大事な要素です。ルール改正して良かったのはサーブブロックくらいで、他は競技を、つまらなくしてるだけです。

5932岡本 すいか:2019/05/05(日) 12:11:51
ヤクルトもバレーボールチームがあったんだ…
 こんにちは。

 私事で恐縮ながら、プロ野球ファン…とは幾たびか申し上げさせていただいている通りでございます。無論、ヤクルトはプロ野球チームがあり、今年創設50周年に当たります。私は、チームのファンはありませんが、かつては広沢克己選手や池山隆寛選手、荒木大輔投手、高津臣吾投手、時代は下って私と同学年の岩村明憲選手らのファンでしたね。また、監督も土橋正幸氏、
野村克也氏、若松勉氏と、球史を彩ったスターが代々務めており、記録(優勝)にも記憶にも
残るチームと思います。

 転じて…ヤクルトにも、プロ野球チームのみならずバレーボールチームがあったとは。初耳…。でも、ヤクルトレディ→おばさんの、女性の影響力がある企業ですから、あっても不思議ではないですね。

5933岡本 すいか:2019/05/05(日) 12:24:09
神戸製鋼は阪神・淡路大震災の犠牲者…
 続けて。

 実業団リーグ、それも男子の話題で恐縮です。ダイエー、電電神戸と同じ神戸市本拠地の神戸製鋼。第26回の大会中に、問題の「大会中棄権」が起きてしまったのです。

 他方、これも幾度も繰り返させていただいています、第1回?リーグ開始わずか1ヶ月後に、
阪神・淡路大震災によって、神戸本拠地のチームは会場を余儀なく変更されました。その後の
?リーグの行方を象徴するような、と評される大地震でした。また、バレーボールから離れて既に久しかった広瀬美代子選手の神戸市垂水区の実家も被害。古巣のユニチカ・フェニックスともども、この大地震は彼女の心に深い傷を残してしまいました。私自身も、高校の校舎や広瀬選手思い出の体育館が倒壊し、同級生を幾人も失くしてしまいました。

 阪神・淡路大震災は、バレーボール界にも底知れない影響を与えてしまったようですね。

5934カルバハル:2019/05/05(日) 16:07:05
昔は
一企業で同じ競技のチーム複数ありました。バスケットのユニチカ宇治、ユニチカ山崎、日立武蔵、日立佐和、日立茂原、など多々ありました。富士フィルムは男女同じ体育館で練習してたかな?NECも男子チームありました。日立本社て男子チームもあっかたな?花王石鹸和歌山てチームもあったらしいです。

5935カルバハル:2019/05/05(日) 18:11:56
鈴木洋美
確か春日部共栄からイトーヨーカ堂でしたっけ?怪我でナショナルチームを外れて、その枠をスーパー女子高校生と言われた木村沙織が代わりに入った記憶があります。木村沙織て成徳ではセンターでしたが日本の大エースになりましたね。木村沙織は個人的には江上由美以来の天才プレーヤーと個人的に思いました。

5936岡本 すいか:2019/05/05(日) 18:40:46
バレー(日本リーグ)を十倍楽しく見る方法(!?)
 こんばんは。

 カルバハルさん、ありがとうございます。そうです、春日部共栄からイトーヨーカドーです。
春日部といえば、ヨーカドーの合宿所があり、物心つくかつかないかのころから、同所に遊びに行っていた、といいます。小田初枝選手、置田佳子選手、篠原孝子選手らにかわいがってもらったとか。上記の皆さん、五輪に選ばれそうで選ばれなかった悲運の選手…鈴木も、シドニー不出場世代、どうも、ヨーカドーは力はあるのに、タイミングに恵まれないチームだったようですね…。

 江本孟紀氏の著書っぽくなりましたが、確かこんな本があったような気もします(日本リーグを、でしたか?)…
 やはり、往年(私が物心つく前)の「月刊バレーボール」は面白いですね。次から次へと新発見。これでも、多摩図書館は1回きりなのですよ。トピックスを見出し形式でお伝えします。

・下記、男子の神戸製鋼は昭和57年当時は日本リーグの一員。
・かおる姫入団時の小田急(ジュノー)岩本洋監督は、かつて江上選手の松蔭高を率いてから、V6日立の監督に転身、?6の6連覇目には杉山加、小高、中田久美ら「江上後のチーム」を率いる。
・昭和38年秋、東京国際スポーツ大会には「高校選抜」「ニチボー」「実業団一般」と3チームもバレーが出場し、いずれも好成績。無論、ニチボーは連勝記録継続。
・昭和57年度、日立は「100年に一度」失セット0で完全優勝。2位ユニチカも「日立戦以外は」全勝の18勝3敗。それでも、2強とはされず、1強5弱扱い。翌年からは、ユニチカも弱体化、西川選手、若生選手、本郷選手ら後輩が伸び悩む中、広瀬主将が孤軍奮闘…
・私の職場の女性の上司は岡山県・就実高にてバレーボール経験者。在学中は、女性監督に教えてもらったそうです。ついにその方のお名前を知りました。須藤圭子監督。高校は同校卒、筑波大学では三屋裕子選手の1級後輩、とエリートなのですね。

 ただし、よくない事実も知りました。男子・奥野浩昭選手(サントリー。ロス五輪代表)が昨秋お亡くなりになっていたとは。往年のファンにとっては、昨年は水原理枝子選手の悲報に引き続き、辛い知らせを聞いてしまうことになったようですね…。

5937カルバハル:2019/05/06(月) 00:26:51
モスクワプレオリンピック
レギュラーは横山、吉永、江上、池知、小川、水原です。キューバ戦、江上が調子悪く、清水が入り、キューバにフルセットで勝ちました。まだ広瀬、三屋はナショナルチームには選ばれてません。江上がベンチに下がった時は、ビックリしました。

5938カルバハル:2019/05/06(月) 01:13:05
春高校バレーボール
初のフルセットの決勝戦の準優勝キャプテンが須藤圭子です。美人センターです、優勝した博多女子商は岡松、木下、西川の大型チームでした。今でも高校バレーボール史上ナンバー1セッターと言われた。就実の金重千紗は素晴らしいセッターでした、

5939岡本 すいか:2019/05/06(月) 01:39:06
ありがとうございます。
 おはようございます(!?)。真夜中に目が覚めてしまいまして…。

 まだまだバレーボールの歴史(白球の長い旅)に関して新発見続々、実家には帰れませんでしたが、その意味ではいいGWでした。

 当時、小島監督、妙に江上選手には辛口だったようですから。闘志が表面に出ないから?常に
『あれなら、うちの〇〇の方が上』というような言い回し。でも、江上選手は腐らずにレギュラーをキープし続けたようですね。

 私事恐縮ながら、春高の常連・就実高ですから、私の上司は球拾いだったかもしれませんけど。よかったです、バレーボーラーがこんな間近にいたとは。うまくバレーボールの昔話をすれば、私の出世にもつながる(?!)。

 木下選手、西川選手、鈴木ひとみ選手、荻原選手にはもう少し全日本でもユニチカでも定着してもらいたかったところでしょうか。そうすれば、広瀬選手が孤立しなくてもよかったのに…。

5940岡本 すいか:2019/05/06(月) 01:51:50
日立の「ロス五輪・ホープ」にも続々…
 新発見といえば…。

 昭和57年度、「100年に一度」「1強7弱(当時は8チームでした、失礼しました)」
とまでいわれた、日立の記録的独走、オールストレートの21連勝。その日立の「ロス五輪・ホープ」にも知られざるエピソードが…

・石田京子選手は姉弟選手。弟・成市選手は松下電器所属。
・杉山加代子選手は「牛乳王女」。1日500ml以上牛乳を飲んでしまうという。
・小高笑子選手は男子顔負けのパワー。君のパワーは10000ボルト、とも。

 伝統の早朝練習に加え、ウェートトレーニングを重ねた賜物、のようでしたね。

5941カルバハル:2019/05/06(月) 08:55:28
オールストレート勝ち
100年に一度と言われてたんですか?知らなかったです。山田監督は移動の飛行機の時間を、前もって決めて選手にストレート勝ちしないと間に合わないようなプレッシャーをかけて試合させた事は、有名な話しです。オールストレート勝ちは、やはりモントリオールオリンピックの方が印象が強いです。

5942カルバハル:2019/05/06(月) 09:15:17
知らない人、知ってる人
https://mairi.me/find/word/q:%E3%83%90%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%83%AB

5943岡本 すいか:2019/05/06(月) 17:08:30
やはり、ギネスブック希望ですね…!
 こんにちは。

 カルバハルさん、ありがとうございます。
ようやく、10連休が終わりました。おっしゃるように、例年はこの連休後にその年の全日本が招集され、日ソ対抗などを皮切りに約6ヶ月間活動を続けるのが常でしたよね。しかし、五輪前年の切迫感がまったく感じられませんよね。東京五輪前年(昭和38年)、ロス五輪前年(昭和58年)などとは隔世の感があるのでしょうか。

 昭和57年度からの日立・オールストレート優勝について。決して他チームも弱くなかったと思われます。ギネスブックかはともかく、これも、文字通り“かち”ある記録ではないでしょうか。久しぶり?山田総監督は問題発言をしたりとか、とかく物議も醸したようですが。
なお、日立は通常のオレンジのほか白のユニフォームも身に着けていたようです。意外でした。

 モントリオール・オールパーフェクトについて。故・虫明亜呂無氏(作家)が大のバレーボールファンで、スコアシートをつけていたようです。「第3セット、JRN14−2URS」。…なるほど、道理でギネス的な圧勝のはずです。

5944岡本 すいか:2019/05/06(月) 17:21:39
1980年代の五輪ボイコットにもめげなかったソ連とキューバ
 もう一件。

 昭和55年夏、日本がモスクワ五輪に対してボイコットせざるを得なかったことは、こちらでも
繰り返されているかと思います。4年後、その報復の意味もあってか、ロス五輪には逆に
そのソ連、そしてキューバもボイコット。ソウル五輪もキューバは連続不参加でしたね。
他方、同大会結果的には「ソ連として最後の参加になった」代表は見事金メダル。ボイコットに負けませんでしたね。バルセロナ五輪では、12年ぶりにキューバが出場し、こちらも金メダル。

 『ボイコットに負けた後遺症大有り、以後右肩下がりの』日本、女子バレーにとっては、泣くに泣けないモスクワ五輪ボイコットだったようですね…、今振り返っても。

5945カルバハル:2019/05/06(月) 18:36:25
モントリオール
一時は3セット10-0まで行きました。ソ連が1点取ったら場内、拍手喝采でした。シュチェチニーナがボールを腕から顔に当ててボールをレシーブしましたが審判はドリブルを取りませんでしたがだれも文句を言わなかったです。アナウンサーもドリブルを取らないと言っただけです。接戦だったら大問題ですが、全く問題にしませんでした。まさに圧勝でした。

5946カルバハル:2019/05/06(月) 20:06:47
岡本さん
江上一人しか日立から選ばれなかったと言われてますが女子バレーボールの闇の部分はご存知でしょうか?日本一のチームが主体でナショナルチームは構成されます。そうなると例えばユニチカが日本一のチームだとユニチカ主体のチームになります。しかしユニチカの選手より明らかに素質のある選手が日立に居たとしても日立は誰が認める江上以外は有望選手をナショナルチチに送らないとか実際にはあったんですよ。またレギュラー6人が絶対の強さで控えの有望な選手も試合に出れない位、層が厚くなっても有望に新人が他のチームで活躍出来ないように日立に入ればナショナルチームで活躍出来る近道だとか、まだ高校生に夢を持たせて入部させて、試合には出れない活躍出来る場がないけと移籍には厳しい規則があり有望選手を飼殺しにした前例は数々あるんですよ。今は移籍は安易に出来るようになりまりたが女子バレーボールは企業間のスカウトなどのタブーな事が沢山あります。代表的な例は四天王寺高校の大谷の入社でタブーな事が新聞、週刊誌に騒がれました。有望な選手は中学生の時から実業団が育成の為と称してお金が親に渡る事が頻繁にあります。大人の事情で潰れいった選手は沢山居ます。中学〜高校〜実業団と深いパイプは昔はあったんです。有望選手を送る送らないて話は当たり前にありました。女子バレーボールの負の歴史もあります。そらでも勝ってたんですが、最近は単独チームより選抜チームでナショナルチームは組まれてますが絶対的な練習時間が不足してます。

5947カルバハル:2019/05/06(月) 22:12:25
81年ワールドカップのメンバー
後に日本リーグで主役交代になるのに日立からは江上、三屋、杉山が参加しました。逆にユニチカからは荻原、西川、木下、若生と、悪いけど、そんなに戦力にならない選手が選ばれてます。女子バレーボールのナショナルチームは、あれ?何で選ばれるの?て選手が12名の枠に入ります。

5948岡本 すいか:2019/05/07(火) 01:03:32
悪い意味ではないのです…
 こんばんは。

 カルバハルさん、さすがにそれは知っているつもりです。美しい花にこそ、トゲがある。
無論、悪い意味ではなく
『クラボウ倉敷からひとり(白井)』
『日立からひとり(江上)』
『ユニチカからひとり(広瀬)』
とは、それだけ彼女らが偉大だからこそ、企業の壁さえ乗り越えて選出されているのだろうし、
また日本人的な“判官びいき”も呼び起こすのではないでしょうか。広瀬選手はその犠牲者、かもしれません…。(五輪、出場は6試合中3試合)ロス五輪後は、加齢と自軍の弱体化もあってかめっきり衰えたようです。
おっしゃる通り、上記の4選手(荻原、西川、木下、若生)は伸びなかった…。日立に追いつくどころか、突き放された大きな要因でしょう。

 また、大谷選手の闇の部分(密約?)についても、月刊バレーボールどころか、一般紙さえ、それとはなく触れているようでした。

5949岡本 すいか:2019/05/07(火) 01:27:32
今更ながら、日本は優秀だったんですね
 続けて。

 昭和57年秋、世界選手権にて『日本が史上初のBクラスに転落』も、こちらでも幾度となく出ているかと思います。4位日本(小島孝治監督)のほか、6位ソ連も同時にカルポリ監督が辞任。まさに、女子バレーボール界における戦力分布図が一変した瞬間だったのでしょう。
同様に、既出の通り、ソ連はワールドカップ8位がありますから、文字通り日本だけはAクラス、どころか『金か銀』を死守していたのですが…。
監督交代後、ソ連の現場は今度のロス五輪こそ…!と意気込んだはずですが(予想通りとはいえ)モスクワ五輪での報復の意味の、ロス五輪不参加。

『悲劇…』と呼ばれないのは、ここが日本だから、だけだと思います。現場にとっては、それは悲劇に違いないはずです。

5950カルバハル:2019/05/07(火) 07:11:31
確かに
82年世界選手権で始めて4位で金メダルと銀メダル以外の成績になりました。その前は銀メダルでもビリと同じ扱いでした。それが普通に思えたのが実は異常ですよね。オリンピックに出場出来るのも立派な事ですが出場を逃したらアスリートがバレーボールを辞める事態が異常ですね。松村勝美が銀メダルなら、要らないて発言も、凄いです。後に松村も立派な銀メダルと思い直したのは救われたと思いますよ。

5951アルタガモワ:2019/05/07(火) 11:13:23
大谷選手・・・
あれだけ若くて山田監督から絶対の存在で・・・おまけにマスコミも「大谷しか居ない!」みたいな扱いでは本人には罪は無いけど要らない事とっぱわれて自分のプレーに専念出来て良かったですよね!
人間良い意味でも悪い意味でもあの当時の彼女の立場なら世間から調子こいてる!日立の選手達からは遠慮されてた存在だったでしょうね。

5952カルバハル:2019/05/07(火) 15:04:58
大谷とカネボウの件
全くバレーボールに興味が無い人で知ってますね。そこで、その後クリーンになってれば、良いんですが、その後、セクハラ、暴力、飼殺しなど、続いてました。男子は選抜チームてすが女子は、なかなか単独チーム強化から脱却されなかったです。シドニー後は、本当選抜チームになってきましたが、チームワークの点では、どっちが良いのか?結論は出ません。単独チーム主体でもミュンヘンやモスクワのメンバーはユニチカの核になる選手に肉付けしたチームでした。ユニチカが絶対王者では、なかったからだと思います。飯田、生沼がレギュラーでした。モスクワも吉永、江上、池知がレギュラーでしたから選抜チームには近い形です。選抜チームは個々の能力は高いですが絶対的な練習時間が不足してるのでチームワークが、出来るまで時間がかかります。

5953アルタガモワ:2019/05/07(火) 17:53:08
私は単独派
女子バレーって本当に女子独特の感情が入り乱れて旨く行くものも行かなくなったりするリスクの高いスポーツだと思います。だから阿吽の呼吸の出来た単独チームにほんの少し肉付けするか?或いは82年世界選手権日立とユニチカ主体の2つの全日本を造り控えレギュラーと言う使い方では無く「チャンネル2
」みたいなガラッとチームを使い分ける戦い方をしたらあと大会メダルが途切れた大会には成らなかった様な気がします。勿論センターだけは江上、三屋で。
前にも書きましたがセッター小川と対角小高に何をさせようとしたのでしょうか?
本当に勿体無い・・・あの大会って日本リーグ日立失セット0の完全優勝の後でしたっけ?

5954カルバハル:2019/05/07(火) 18:26:59
そーです。
既に国内でも勝てないユニチカ主体のチームで82年世界選手権のメンバーでした。中田、小高、三屋、江上、杉山、広瀬がレギュラーだったら、銅メダル以上は取れたかも?知れません。監督は山田監督です。控えは森田、横山、小川、水原、石田、佐藤裕子が残って欲しかったです。3位決定戦はアメリカに勝てたと思いますよ。残念

5955アルタガモワ:2019/05/07(火) 20:45:45
だって・・・
83年から日立主体にしたらアメリカ殆ど日本に負け越してましたもんね。
小川、あの当時の水原が力が落ちてたんじゃ無くてバレーの形が変わってアメリカが付いて行けなくなってた感じがします。

5956岡本 すいか:2019/05/07(火) 20:47:31
バレーボール界における「移籍」
 こんばんは。

 カルバハルさん、ありがとうございます。アルタガモワさん、久しぶりです。
大谷選手といえば、『あの人は今!?』的存在なのでしょうね。今の若い人は『プロ野球選手、それも投打二刀流の…』と答えるでしょうね。

 カルバハルさん、その世界選手権は米田監督、山田総監督ではいけませんか?どうも、こちらでは米田監督が低評価なのが残念です。

 さて、バレーボール界の移籍、につきまして。前所属チームの了解が必要だったですね。
ミュンヘン五輪直後の大古誠司選手(NKK→サントリー)と、白井選手(倉紡倉敷)。白井貴子「二十歳のころ」で、白井選手は『ある男子の大物選手の移籍が問題になって…』とありました。男子のほうも“ビッグ”だったんですね。
今は手軽にできるのは、プロだから、でしょう。『金(かね)には代えられない金、アマチュアリズム』
こそが尊かったように思いますが…。

 カルバハルさん、アルタアモワさん
『バレーに興味のない一般人』リアルタイムではない(当時小1)だけにお耳が痛い…。

5957岡本 すいか:2019/05/07(火) 20:49:05
「〜から一人きりの…」はやめます
 カルバハルさんへ。

 どうも、この表現が引っ掛かったみたいですね。以後、この話題にはしないつもりです。
失礼しました。

5958アルタガモワ:2019/05/08(水) 07:08:42
カルバハル様、岡本様。
私はあまりお二人みたいな詳しい事はよく分からないのですが・・・確かに二十代前半?頃訳も分からず「白球の長い旅」を読んでいました・・・殆ど知らない選手達の事が書いてあったので正直辛かったのを思い出しました。こう言った選手達の現役時代を知っていればつらつら読めて楽しかったのでしょうが・・・。
でも、カルバハル様が仰る通りモントリオールバレーで日本は取り敢えず終わっていたのでしょうね。
矢野選手が23歳で引退なんて今でもそして私の好きなロス、ソウル辺りでも考えられない年齢ですね!
現代で23歳と言えば今で言う古賀選手辺りですか?
古賀選手をけなす気にはなれませんがおう言う時代なんですね。
しなやかな彼女にはレセプション、繋ぎを洗礼してライトのポジションに以降してクイック、ブロードそして従来のバックアタックを打って欲しいです。

5959カルバハル:2019/05/08(水) 07:10:28
ワールドカップ81当時の日本は
高さやパワーだけの攻撃のあるチームには強かったです。ソ連やキューバなど、中国やアメリカなど、ある程度、守備が良いチームには結局、最後は高さとパワーで、やられた感じです。相性もありますが守備の良いチームには、苦戦しました。ユニチカ型チームは確かに守備は良いてすが日立型のチームと比べて決めてが少なかったと思いますよ、また監督が米田、岩本、生沼、宗内に変わろうと山田監督の院政体制です。ユニチカの吉田監督も小島監督の院政ですね。葛和監督になり院政はなくなった感じですが主体はNECに肉付けチームでしたが単独チームの限界を感じました。怪我人が出ると穴を埋めきれない事態になりキャリアのない選手が最終予選で挑んでシドニーにはいけなくなったのも原因です。その後は柳本監督、真鍋監督と男子バレー出身者を監督にして、比較的しがらみの少ない監督を入れて、シドニーに行けなかった事で、お家の一大事みたいになり吉原入れたり合宿の期間を長くしたりデーターバレーでデーターで公平な人事にたりしてロンドンで、やっと少し花が咲いた感じがしましたが、リオオリンピックでロンドンより成績が悪くなり女子バレーの良い面、悪い面を身を持って知ってる中田久美が監督になり時代は女子バレーの悪い部分、実力より監督の考えを何処まで理解してるかで人員を選択して単独チームじゃもはや世界に全く通じない事態で久光製薬で固めようしてる割にはセッターは決まらない合宿は期間が少ないし、戦術、戦略は分業としてコーチに丸投げしたバレーボールになったでしょう。

5960アルタガモワ:2019/05/08(水) 07:50:54
ビデオで見る限り
81ワールドカップの日本のコンビは小川-水原と江上単独のクイック、一人時間差で対抗していて肝心の樹理は明らかに下降線でしたよね・・・。
当時充実していなかったソ連には楽勝でしたがアメリカには・・・そしてダメ元でやった中国には良い試合出来てもそれは失うものが無く思いっきり出来たからだと思います。ラスト中国とも言い試合したけど結局はそこまででしたよね。

83年のアジア選手権の時は一番の目的は韓国を破りロス五輪出場でしたがあの時の日本て中国に対して無いの欲もなくただ伸び伸びやった結果想像以上に良いバレーが出来た結果優勝!って感じでしたよね。
「何がなんでも勝たねばならぬ!」と言うのも大切な事かも知れませんが力を抜いて自然な雰囲気でやるのも1つの方法なのかもしれませんね。

5961カルバハル:2019/05/08(水) 08:55:59
コンビバレーは
明らかに小川より中田の方が引き出しが多かったです。ロスまでは下級生だからセッターには向いてない性格も、押さえられたけど、その後の中田のトスは、性格の悪さがトスワークにも出てます。

5962アルタガモワ:2019/05/08(水) 09:03:15
中田のトス回しが
アホの一つ覚えじゃ無かったらロス本番あんな感じでは負けなかった気がします。ロスに限らずソウルもいつも最初から最後まで一番決まる選手にしかトス上げないの素人からみても分かりますもんね!江上、三屋はしんどかったし小高、杉山は「何でここで使ってくれないんだ」と自信喪失に繋がったと思います。

5963カルバハル:2019/05/08(水) 09:50:44
勝負ところ
中田はトスは決めるとこに上げます。ロスの立ちあがりセンターを使い梁 艷に連続ブロックされて、一気にペース持っていかれてます。ソウルの終盤も廣にしかボール上げなくペルーに、バレバレでした。ロスの立ちあがりは、メキシコのソ連戦で高山やスモレーワにいきなりブロックされてたのとダブります。中田は強気で、やられたら、やれ返すとか決まるまで上げるとかセッターとしては、性格的に、よろしくないです。

5964岡本 すいか:2019/05/08(水) 21:16:58
神様、仏様、江上改め丸山様ですね。
 こんばんは。

 カルバハルさん、アルタガモワさん、『形から入っている、リアルタイムでもない素人』の
発言をお許しください。
どうしても、
・年代・服装(ブルマー・背番号・ボールの色)
・所属(地域)
・人間関係(派閥)
・アマチュアリズム(プロ化反対者です、普段はなんでもない会社員が、コートに立てばカネではないきんメダリストになるから面白い)
には、ついつい拘ってしまうのです。

 『面白くて、勝てれば、年代なんか関係ない。いいものはいつでもいいの』
とはごもっともな意見でしょうか。わたくしは最近の選手なんか、誰も知りません。
永遠の昭和50年代のバレー界の住人なのです。…それでも、素人から見てもこの年代が面白い!
以上、私論失礼しました。

 さて、「神様・仏様・江上様」とまで敬愛された江上(改め丸山)由美選手。さすがですね、
日本女子におけるプレイングマネジャー第一号。既に、ママ選手は日本でもいましたが(田中克子選手=ダイエー)。もしかしたら、丸山選手もママだったかも。お嬢さんがいくつかは存じませんが…。これこそ、「神様、仏様、江上改め丸山様」の面目躍如でしょう。

 ここで、食傷をお許しいただければ。また背番号の話題で。3番は意外でした。年齢順でもないだろうに。やっぱり、江上選手といえば、全日本と同じ「1番」のイメージが強いですから。
ただし、蒸し返すようですが、57年秋の世界選手権では、これまた意外にも「4番」だったようですね。

 さすがに、山田財閥は、小田急にまでは入り込まないように思われますが、皆さんはどのようにご覧になりましたか。

5965岡本 すいか:2019/05/09(木) 05:29:01
日本テレビ「波乱万丈…」に出演希望の“ビッグ”
 皆様おはようございます。

 日本テレビについて、『バレーボールに非協力的…』とか『グラチャンは日テレの社内球技大会』とか、とかく批判ばかりしてしまっている私で恐縮です。

 その同局に、白井貴子選手に相応しい長寿番組(今も放送されている?私はテレビを見ない人間ですが、もし出てくれるのなら…)があるのです。「いつみても波瀾万丈」。

 白井選手こそ、“波瀾万丈にふさわしい”(バレー)人生と思います。ここでは、現役時代の話題のみですが、コートに出る前、対照的にコートから離れてからも…。
正直「黒歴史」になっているであろうところまでは詮索する気はございませんが。

 白井選手も(裏金、暴力、セクハラとはまた別な意味で)引退後にも第二幕、第三幕があったようですね。

5966カルバハル:2019/05/09(木) 07:49:24
ユニフォーム
年齢順は、おそらく費用がかかるから辞めたと思います。昔はチームでユニフォームは使い回してましたが、個人支給になりサイズも合うし、いちいち選手が怪我で登録抹消したり辞めたり年長の者が引退したして作り直す費用がかかるからかなあ?と思います。白井も日立で復帰した時は大きな背番号をつけてました。またユニフォームも個人ネームが入り完全に支給になりましたから費用負担を減らしたんてしょう。年齢順は良い習慣ですがなくなりました。また女子は試合用のユニフォームを練習にはあまり使わない習慣でした。男子はナショナルチームのユニフォームは練習で着てます。男子は昔はから年齢順でないからかも知れません。女子は年齢順なんで試合用のユニフォームは使い回しなのか練習では使わなかったです。

5967カルバハル:2019/05/09(木) 08:38:34
結婚して現役続けてのは
メキシコオリンピックの高山が最初かも?知れません。しかし子供が出来たら引退しました。ママもやって一流アスリートを続けるのは大変でしょう。荒木には可能性な限り続けて欲しいです。

5968岡本 すいか:2019/05/09(木) 19:52:49
荒木選手には因縁を感じます(イイ意味の)
 こんばんは。

 カルバハルさん、高山選手だったとは知りませんでした。ありがとうございます。

 まず、私が挙げた「いつみても…」はもう終わっていました。平成20年秋ですから、11年前。
白井選手には出演してもらいたかったです。

 その平成20年は年女(24歳)だった、バリバリ元気であったろう荒木絵里香選手。
昭和59年8月3日生まれ。ちょうど、全日本がロス五輪で奮闘しているさなかに生まれた。それだけでも、因縁が感じられます(私的には、ですが)。来年は年女、36歳。更に、主な背番号5…といいますから、栄光の5番です。
「松村好子→小野沢愛子→生沼スミエ→白井貴子→石田京子…」
(五輪、それもロスまでで恐縮です。勝手ながら、幻に終わったモスクワは入れませんでした)
と綺羅星のごとくのスター群。

 私と同世代のかおる姫・鈴木洋美・高橋みゆきともそんなに年も離れていないですから(6歳差)、もしかしたら全日本でも一緒だったかもしれませんね。

 珍しく、近年の選手では知っている稀有な存在です。イイ意味での因縁が感じられますので、
今後注目していきます。

 高山選手に戻ります、日本女子の既婚第一号、高山さんから見たら、同期入社の生沼さんは、ある意味バケモノなのかも?

5969岡本 すいか:2019/05/09(木) 20:09:32
小学生バレーまで挙げていた「月刊バレーボール」
 もう一件失礼します。

 過日、小学生バレーチーム「小日向エンジェルス」について挙げさせていただきましたところ、カルバハルさんは『判らないけど…』とのご返事。さすがに、小学生バレーまではご関心が…とは思いつつも、HPはありましたので、調べさせていただきました(検索ワードにもかかります)。

 昭和47年夏創立ですから、かなりの伝統チームです。総監督、小林あつ子さんは小学生バレー連盟の役員のようです。昭和58年当時の月刊バレーボールには「わんぱくバレー道場」として連載されていました。

 小学生バレーから全日本まで、「当時の」月刊バレーボールは熱意を持って取材されていたのですが…。だからこそ、『バレーボールにおける、年間最高試合(年録1982年度より。
といっても、ほぼ全日本が該当しますが)』などの企画が組めるのでしょう。

5970カルバハル:2019/05/10(金) 13:59:32
生沼スミ江
二人暮らしの母親が身体が弱くお嫁に行かなかったと言った話しがあります。また引退後、ママさんバレーの指導や普及、テレビ解説など、バリバリに働いてました。高山が生沼と山田監督との関係性に特別なものがあったような事を奥歯にものが挟まったような言い方で話してました。山田監督の愛人なのかと思っちゃいますが?実際は?三鷹高校〜日立に入り、ミュンヘンで引退しても日立の若手を引き連れてナショナルチームと同行して手伝っだってましたが、どーなんでしょうか?その昔は東の生沼、西の礒辺と言われたプレーヤーです。フライングレシーブとブロックが上手なセッター兼センターです。真にオールラウンドーの選手は生沼が最高のプレーヤーです。

5971アルタガモワ:2019/05/10(金) 14:12:50
生沼さん・・・
数年前死亡説までありましたね。私の中の生沼さんと言えばもう解説者の大堂の方でした。

バレーを知らない人達には持ってこいの解説者でしたね。
私個人は皆が嫌いな荒木田さんの解説が好きでした。

5972カルバハル:2019/05/10(金) 15:14:18
荒木田裕子
春高バレーでスターになり、日立に入社してアタッカーなら、まあまあセッター修行して再びアタッカーに戻った時はレギュラーに席はなかった選手です。三冠王のメンバーですがチームには必要なのか?のベンチウォーマーです。ソウルのテレビ解説は、良かったと思いますが、解説者としても、イマイチ定着しませんね。バレーボール協会の人てイメージが強いです。どっち付かず、中途半端なイメージてす。生沼さんの解説は、バレーボールの解説者と言うより女子バレーボールの解説者or応援者て感じで冷静沈着な解説者とは違う感じがしました。

5973岡本 すいか:2019/05/10(金) 21:14:35
ユニチカ出身の女性監督希望!
 こんばんは。

 初めて、こちらに私が伺ったとき『恥ずかしながら、初めて知った』という生沼スミエさんには、今やすっかりハマってしまいました。私事ながら、私の父と同じ今年73歳になる昭和21年生まれ。そのルックス、難読の苗字とカタカナの名前、そしてオールラウンドプレーヤー、更には全日本史上初の女性、戦後生まれ、そして五輪メダリスト監督。もっといえば『スポーツにはハンディキャップ大』の都立高出身。何度も繰り返すようで恐縮です。

 宿敵・ユニチカの選手には受け入れられたのだろうか、という心配も、広瀬選手が賛成しているとあれば、ノープロブレム、でしたね。協会の圧力?により米田監督と交替させられた?
個人的には米田監督もお気に入りですので、複雑ではありますが…。

 さて、そのユニチカからは、?リーグや全日本・女性監督は登場しないのでしょうか。私は横山樹理監督、水原理枝子監督、そして広瀬美代子監督など見てみたかったように思いましたが、
皆、いすれもお年(アラカン以上)ですものね…。どうでしょう、全日本現・中田久美監督よりも、「中西千枝子監督」などはいかがでしょう?あくまで私案ですが…。

 ユニチカ出身の女性監督なら、天国の小島孝治監督も喜ぶ?でしょうか。

5974岡本 すいか:2019/05/10(金) 21:29:01
バレーボールの変遷を見た思い…
 もう一件。

 先の10連休中、拙宅・駒沢公園に隣接している大学に、山形県のとある私学が練習試合ORが合宿?に見えていました。そこは、バレーボールはそれほど強豪でもないようですが。その山形県私学のバレーボール部員が手にしていた「IRUMAGAWA」と刻印されていたそのボール、カラーボールだったところに、歴史が感じられます。埼玉県の入間川、バレーボールの製造業者名だったんですね。無論、その高校も、ユニフォームはハーブパンツ、でしたね。男性諸氏は『目の保養』にならない?

 大型連休や夏休みなど。高校と大学とでも、共同合宿などしているのでしょうか。

5975カルバハル:2019/05/10(金) 22:17:44
女工愛し
女子バレーボールは糸へんの紡績工場のリクリェーションに適してたと言われてます。女工愛しから、俺についてこい、根性とか、金メダルは、とっても、スパルタで、なんとなく哀愁みたいな女性差別的に感じも匂います。山田監督は、そんな雰囲気が嫌いで当初は明るく、楽しくをモットーに日立武蔵を創設しました。女性を尊重してた事から始まりましたが、晩年は残念な話しが出てますがオレンジのユニフォームで表現してるように女性バレーの地位を上げる意味もあります。日立の選手は指導者に行った選手が多いですへね。高山も茨城県の強豪校のコーチしてました。三屋、廣、中田、宮島、吉原、多治見も指導者になりました。ユニチカは、どちらかと言うと家庭に入り子育ての手が放れたらバレーボールの指導のお手伝いて感じです。塩川はユニチカ退社後、日体大に進学して本格的な指導者になりました。どっちが良いかは判りませんが女子バレーは一人の男性の指導者が居てハーレム的な組織の方が強くなるとは言われてます。何故だか判りませんが現実に今の中田ジャパンは、全く期待感がない弱いイメージです。女子が女子を指導するのは女子の事情を詳しいだけに厳しいのかも?知れませんね。

5976カルバハル:2019/05/10(金) 22:25:45
黒鷲旗
https://youtu.be/_nLWBXVsA3o
これ決勝戦とは思えませんね。客席ガラガラ、

5977岡本 すいか:2019/05/11(土) 02:16:12
”生沼スマイル”の裏には…
 こんばんは。

 カルバハルさん、ありがとうございます。
かつて(ちょうど、山田氏がお亡くなりになった頃でしょうか)。婦人公論には生沼さんが
インタビューに応じていましたね。私的には、生沼さんは笑顔の神様と思っています。
現役時代〜監督時代〜解説者時代、と、いつも笑顔。

 昭和43年春、日ソ対抗(日立武蔵単独)の試合前でも、唯一笑顔の背番号3番。さすがに、ミュンヘン五輪の決勝戦直後だけはそうはいかなかったようですが…。悔し涙にむせて
引き上げる白井選手(12番)の真横に、悄然とする生沼選手(5番)、という写真はお馴染みの構図、と思います。
 短期ではありましたが、監督時代も笑顔を絶やさず。なにしろ、ワーストのBクラス直後でしたから、多少は意図的だったのかもしれませんが、特に若手の選手は伸び伸びプレーできたようです。

 最後に。解説者としてもその笑顔はお馴染みだったかと思いますが、皆様おっしゃるように、
どちらかといえば、応援団長的、だったようですね(笑)。しかも、顔は笑っていても目は笑っておらず、結構厳しい指摘も。秘蔵っ子・杉山加選手などは、そのお人よしさを
『もっと自信を持って…!』と言われ続けたようです。

5978岡本 すいか:2019/05/11(土) 02:29:46
日本テレビの専属解説者にしてもらいたかった荒木田裕子さん
 続けて。

 これも繰り返させていただいて恐縮ながら、グラチャン発足までは、バレーボールの主大会や
日本リーグ、ほぼ生中継がなかったようだった日本テレビ。
荒木田裕子さんは、特定の放送局とではなく、フリー?で解説されていたようですね。生沼さんがフジテレビ専属だったのとは好対照。
日本テレビも、バレーボール生中継すればよかったのに。視聴率が稼げたと思われます、当時なら。プロ野球同様、専属の解説者をつけて。そのポストにこそ、荒木田さんは適任だったのかもしれません。

5979カルバハル:2019/05/11(土) 07:00:31
荒木田裕子
バレーボール協会の人だから、解説は控えてるんでしょうか?選手の細かな内容は昔は月間バレーボールをすみから、すみまで、読むと良く使われた内容もありました。それだけ昔の専門誌は、細かく取材してました。今は読むと言うよりパラパラ立ち読み程度でお金を出して買う事に値しない内容です。女性の人が編集長らしいですが、よくまあ、あんな雑誌を商品としてお金を出して売ろうとしてます。商品なら粗悪品です。また最近の解説は大山やしてますが、鼻の詰まったような声で解説しますが話題も少なく、ただの解説者で聴きにくいし、つまらないし、テレビを見る気がを削ぐ感じです。もっと細かく事前に取材して欲しいです。マラソンの増田明美さんのような決め細かな解説者はバレーボールには、まだ現れませんね。個人的には男性の解説者の真鍋、柳本が、まあまあ他よりマシかな?竹下は、あまり積極的な解説者でないです。アナウンサーに聞かれた事を、応える感じです。バレーボール界の増田明美が出て欲しいです。

5980カルバハル:2019/05/11(土) 12:39:42
生沼さんの前は
女子バレーボールの解説者は前田 豊がお馴染みでした。まあ日本のバレーボールの創成期の偉人ですから、偉そうな感じの解説者でした。それは、それで良かったです。

5981カルバハル:2019/05/11(土) 12:42:46
個人的には
八王子実践の菊間監督の解説を見たかったです。ベンチで怒ってる姿ばかりみてましたから解説したら、どんな解説するんでしょうね?

5982アルタガモワ:2019/05/11(土) 13:35:06
菊間監督・・・
私個人はいつもコタツに入っててやたら選手をどやすあまり好きではない印象の人です。

5983岡本 すいか:2019/05/11(土) 17:07:33
娘・千乃アナのレポート聞きたかったですね
 こんにちは。

 アルタガモワさんへ
菊間監督は、お嬢さん・千乃(ゆき)さんはフジテレビ・アナウンサーだったことはご存知でしょうか。実力は無論のこと、年代的にも解説・生沼スミエ、実況・菊間千乃…とかは無理なのかなあ(平成7年入社ですから、?リーグ移行後、既にバレーボール斜陽期、生沼さんが解説を続けていたかも怪しい時期)。

5984アルタガモワ:2019/05/11(土) 17:10:41
朝のレポート時・・・
ストーンと不慮の事故に遇われましたもんね。

5985岡本 すいか:2019/05/11(土) 17:15:25
そうです…
 アルタガモワさんへ

 おっしゃるとおり。アナとしても、これからだった入社4年目の2月に。奇しくも、交際相手?とされていた、西武ライオンズの高木大成選手も、ほぼ同時期にケガ。彼の病室に献身的看病に向かう菊間アナの姿が激写されたものでした。

 高木大選手にしても、その事故後には伸び悩んでしまった…。「ポスト清原」「プリンスオブレオ」(むろん、長打力はありませんが)の正一塁手だったんですが。

5986カルバハル:2019/05/11(土) 20:46:36
菊間監督
息子と娘が居て息子は、のんびりタイプで娘は気が強いと言われてました。アナウンサーとしては、感じの良い女性でした。弁護士に転身したようですが、社会で活躍してると思います。菊間アナウンサーと菊間監督のコンビの解説も見たかったですね。普段は、怖い監督だけど、寮で生徒と暮らすと時は、優しいおじいちゃんと言われてました。沢山の名選手を育てましたが実業団の監督には、ならなかった菊間監督ですが、学校では地理の先生なんですよね。授業は、どんな教え方なんでしょうか?コートの怖い菊間監督しか知らないですが、生徒はついていってるのは、何かあるんでしょう。カルポリ監督と、真っ赤になって怒ってるところ知りませんが、怒ってばかりじゃ誰もついていきません。

5987岡本 すいか:2019/05/11(土) 23:17:10
教え子にとっては、監督より「菊間先生」でしょう
 こんばんは。

 カルバハルさん、ありがとうございます。
男子バレーの岩田稔選手も教わったそうな、星稜高野球部・山下智茂監督。かの松井秀喜選手の
お師匠様としてはあまりにも有名です。サッカーの本田圭佑選手も教え子の一人だったといいます。松井選手にとっても、野球部の監督よりも『山下先生』。同じく、地理の先生なのです。

 星稜高は、バレーボールは強くはないでしょうが、岩田選手ほどの選手も輩出されたようです。無論、野球のほうは、岩田選手と同年代では小松辰雄投手(中日)なども有名ですが。

5988菊間監督:2019/05/12(日) 00:42:41
苦学生だった。
中央大学に入学してもアルバイトに追われてバレーボールは大学生時代は出来なかったらしいです。始めて全国制覇したのは和歌山の御坊インターハイです。その時に、やっと認められて、それまでは中学の先生から、お前には、これ以上、優秀な生徒を送らないと言われて全国制覇を、やっと出来て感無量だぅたらしいです。決勝戦の相手は同じ東京代表の中村高校です。中村高校は183?の後にヤシカで活躍した永野選手が居ましたが八王子実践が勝ちました。菊間監督が高校バレー界で名監督としての地位を確保したのは、やはり須藤佳代子を要した五大会連続優勝からでしょう。それまで高校女子バレーは春夏連続優勝すら、無かったです。また四天王寺高校の方が全国制覇は多いですが監督が3代に渡りの記録ですが監督一代の記録では菊間監督が最多優勝記録を持ってます。私は須藤佳代子の居る八王子実践は実際に見ましたが須藤のスパイクは、面白いように決まりました。今でも高校バレー界で歴代No.1アタッカーだと思います。また、その時の八王子実践がピンチになると、彗星の如く活躍するのが山口敦子でした。ドライブサーブを印象的でした。対戦チームは須藤に決められても仕方ないけど、山口のスパイクは拾えと言われてましたが、そらが、なかなか出来なかったです。全く負けると思いませんでしたが茨城国体で博多女子商業に負けて、あの強い八王子実践も負けるんだと思いました。優勝したのは博多女子商業ですが徳丸監督は、私が作ったチームで一番強いチームと言ってました。その前に酒田インターハイで横山要して優勝してますが、そのチームより強い言ってました。如何に須藤佳代子の居た八王子実践が強かったか判ると思います。当時の専門誌には驚異の五大会連続優勝とインターハイを制した時に記載されて国体前も、八王子実践の特集があり体育館に横断幕があり、目指せ二年連続三冠王とかかれてるました。男子は中央大学付属、崇徳、大商大付属とか三冠王のチームは、既にいましたが二年連続三冠王は、なかったので特集になりました。破竹の勢いの八王子実践が負けた後、菊間監督は連続記録が途切れ、ガッカリするより、いつか、この日が来ると思ってたので、ホッとしたと感想を述べてました。全国大会準優勝だと表彰状を破り棄てる菊間監督が、そんな事を言ったんですから、圧倒的な強さがありました。

5989カルバハル:2019/05/12(日) 00:52:46
菊間監督
自分の著書でも須藤佳代子率いたチームが一番印象があったようです。茨城国体で負けた原因は、チーム内で、ちょっとしたイザコザがあったらしく試合でトスを須藤に上げなかった事が原因みたいです。その後、菊間監督は、その時は、大した事でなくったから、ほっぽっていましたが、よく話し合って、関与してたら負けなかったとも言ってました。やはりバレーボールはチームワークが大切だと思いました。特に女子は細かく気を使わないと駄目と言ってましたが試合でタイムアウトを取った時の菊間監督からは、想像出来ません。

5990岡本 すいか:2019/05/12(日) 05:38:59
苦学生だったとは…
 おはようございます。

 カルバハルさん、ありがとうございます。菊間監督、苦労された経験が、監督時代の猛練習に
つながっていったとは…。でも、意外には思いません。お嬢さんは、割にエレガンスな印象の
「女子アナ」でしたが。下記させていただいた星稜高・野球部の山下監督にもつながるところがありますね。

 須藤選手、それほど評価されていたのに、けがが…。新人賞はよかったのですが、予想以上に
早期の引退だったようですね。

5991カルバハル:2019/05/12(日) 08:40:15
須藤佳代子
日立が猛烈に勧誘ひましたが富士フィルムに入社したのが選手生命を短くしたと思います。富士フィルムでは。やはり須藤に多くボールが回ります。結局、打数が多かったり、無理して出場したり膝を手術しても十分回復しないで試合に出たりとか富士フィルムの選手層が薄いのが須藤の選手生命を短くしたと思います。日立に入社してればロスオリンピックまでは現役だったと思います。キャプテンは須藤だったと思いますよ。何故なら第一回世界ジュニア3位の時は須藤がキャプテンでした。今では考えられませんが韓国、中国、日本が、それぞれ1勝1敗の三すくみでセット率で日本は3位です優勝は韓国、そのメンバーに江上も居ました。富士フィルムの須藤も池知も早く引退しました。優勝、韓国には朴 美姫が14才で出てます。他には中国の天安門ブロックと言われた周 暁蘭が居ました。周 暁蘭は専門誌では将来性No.1と紹介されてました。須藤佳代子は江上より1学年上ですから活躍出来たでしょうね。残念です。

5992カルバハル:2019/05/12(日) 08:50:11
期待の
白井引退後、横山、須藤のエース対角で3大大会の活躍は78年世界選手2位の時だけです。ワールドカップ77の金メダルは持ってます。日立に入社してたら、多分、荒木田の代わりに須藤がモントリオールのメンバーに入ってたと思いますよ。須藤と横山のエース対角のは須藤はまだ若く安定したスパイクはなかったです。富士フィルムに入社した大物は須藤、池知、キャロル松尾ですね。セッターは第6回、春高優勝したエースの岡村でした。キャロル松尾も八王子実践の卒業生で八王子実践と富士フィルムの繋がりは日立より古い繋がりです。

5993カルバハル:2019/05/12(日) 11:54:11
菊間監督
若い指導者が八王子実践のバレー部を勉強して練習後、菊間監督が寮も見ますかと言うと、これで十分でと言って帰る指導者は必ず失敗する事が多いと言ってました。生徒の指導はコートだけではないと菊間監督は言いたげな事を著書に書いてありました。おそらく、カルポリ監督も同じだと思いますよ。怒ってばかりいても人は、ついて行きません。裏でフォローしてるんでしょう。また菊間監督は春高校バレーで、情けない試合をして負けたら選手を歩いて代々木から八王子まで歩かせて帰らせた話も有名ですが、親御さんから預かってる生徒を歩かせたけど、何かあると大変な事になるから、背後で隠れて見守ってたと聞いてます。

5994岡本 すいか:2019/05/12(日) 20:05:07
北海道芦別市は全日本バレーの「ホームタウン」
 こんばんは。

 カルバハルさん、先刻ご存知かと思います。全日本女子バレーにはホームタウンがあるそうです。北海道芦別市。平成10年、かおる姫・鈴木洋美・高橋みゆき(私と同学年)の
「バレー・ロスト世代」が二十歳の時。

 鈴木洋美によれば、葛和監督は厳しい練習で、芦別市はつらい思い出だった、と。彼女自身は、ワールドカップで活躍しましたが、チームがシドニー五輪に不出場(ボイコットのモスクワ以外では史上ワースト)ではね…。バレーボールマガジン(昭和50年代とは別扱い)の
「カーテンコール」より抜粋。現在は、鈴木は一専業主婦のようです。バレーボール選手経験者にとっては一般的な。

 最後に。バレー黄金期(私的なだけ?)と北海道といえば、昭和55年夏モスクワボイコットの
無念を知らされたのも北海道合宿中だったようですし、翌年にはワールドカップも北海道でも
行われたようですね(苫小牧市体育館)。

5995岡本 すいか:2019/05/12(日) 20:47:01
ヤシカ・船山監督は『先生』?
 もう一件失礼します。

 バレーボール、女子チームは、親子ほど年齢差のある中年の男性監督のほうが成功しやすい、とはカルバハルさんの見方でした。山田・小島両監督ともその通り。文字通り、教員経験者でもありますし。大松監督も、教員経験こそありませんが、いわゆる“東洋の魔女”にとっては『大松先生』だったようです。
それでは、彼らとはライバルだった、ヤシカ・船山浩志監督はどうだったのでしょうか。岩原豊子選手、小野沢愛子選手、飯田高子選手(同学年なんですね)らは呼び方『船山先生』だったのでしょうか。主旨は大松・山田・小島各々監督と同じなのでしょう。

 最後に。私のお気に入りの米田監督は、ロス五輪当時『ヨネさん』『米田さん』みたいでした。荒木田選手、江上選手、三屋選手ら年齢の近い選手(教え子)からは、監督とは呼ばれていないみたい…。

5996カルバハル:2019/05/12(日) 21:41:36
バレーボールのホームタウンは知りませんでした。
モスクワオリンピックは最後は北海道の美幌峠で記念写真撮影して解散した話は有名ですね。メキシコ、ミュンヘンと金メダルを奪回出来なかった悔しさより出場さへ出来ないのは虚しいです。三屋は世の中、どんなに努力しても叶わない事て有るんだなと感じたと言ってました。可哀想ですね。船山さんも先生ではないかと思いますよ。個人的には生沼がメキシコで王者からソ連に負けて転落して引退して復帰してミュンヘンで再び銀メダルで両オリンピックとも唯一レギュラー選手だったんで無念を感じましたが、今から思えば凄い選手だなと思いました。メキシコオリンピックは東京オリンピック参加した選手は一人も居ませんので二大会連続は生沼、浜、岩原、古川と4人、東京オリンピック参加した松村が二回目のオリンピックですが2大会連続レギュラーは生沼だけですからね。モントリオールの金メダルリストの飯田も岡本も白井も二大会連続レギュラーではないです。因みに古川は小野沢の兄と結婚したんですよね。ライバルチームの選手ですが世の中、分かりませんね。

5997岡本 すいか:2019/05/13(月) 05:40:13
「船山先生」なのですね…
 おはようございます。

 カルバハルさん、ありがとうございます。やはり『船山先生』なのですね。過日おっしゃっていた塩川選手(現姓・古橋)もその一人としていたのではないでしょうか。『いつか、必ず再会しようね…!』と。22年後、ひたちなか市体育館で再会されたのでしょうか。日立、ユニチカともなく、相手のソ連はロシアになっていた。選手たちは、この「22年間」の無常をいやというほど思い知らされてしまったと思います。なんの罪もないのに…。

 生沼選手が一度引退→復帰とは初耳でした。やはり『金(メダル)以外は…』の世論の犠牲になったのでしょうか。

余談恐縮ながら、プロ野球ファンの私は、どうも同日の誕生日の選手と比較してしまう。両者にはなんの面識もない(だろう)のに…。
古川選手は、星野仙一投手(当時中日。のち阪神・楽天監督。故人)と、
浜恵子選手は、福本豊選手(阪急。ミュンヘン五輪の昭和47年にはシーズン106盗塁。背番号7も同じ)

 最後に。現・全日本監督は水野雄仁コーチ(巨人)と同日です。現役時代(特に十代)はアイドル→今は無鉄砲な指導者なのも共通項?。

5998カルバハル:2019/05/13(月) 17:04:36
メキシコオリンピックで負けて
当時のレギュラー高山も子供が出来て引退、福中、小島、宍倉、井上、生沼と引退しましたがミュンヘンの一年前に宍倉と生沼が弱くなった日立の再建に復帰しました。生沼は、その後、ナショナルチームに選ばれてミュンヘンオリンピックに出てます。70年のブルガリアの世界選手は引退してたのでナショナルチームには選らばれてません。松村の対角は岩原がつとめました。70年の世界選手権のレギュラーは松村、岩原、山下、小野沢、古川、浜です。古川は怪我をして飯田がユニバーシアードから合流して活躍しました。

5999岡本 すいか:2019/05/13(月) 20:25:25
ユニチカは西日本出身ばかり…は無知でした
 こんばんは。

 カルバハルさん、ありがとうございます。
大松監督…小島・山田監督とは対照的に、コートを離れてから、ある意味ホンモノの?『先生』になっていますね。通称『先生』の国会議員ですね。昭和43年夏、後任の小島監督がユニチカの若返りに苦労しているさなか。まるで、後進を叱咤しているようだった…と。
(月刊バレーボール「白球の長い旅」昭和59年9月号より)

 私的には、ユニチカは西日本出身者がほとんどのバレーボール部と思っていたのです。
その43年秋のメキシコ五輪には選ばれず、ミュンヘンが8年ぶりになった松村勝美選手(四天王寺高出身)は小島監督の高校時代からの教え子。4年に1度の五輪で『8年ぶり』は珍しいですよね。不参加でもボイコットでもないのに。それだけ、現役を長く続けている証。
ちょうど、男子の中村祐造選手もメキシコ五輪は選ばれず、ミュンヘンが8年ぶりだったのも因縁、でしょうか。
その松村勝選手を皮切りに、横山樹理選手(福岡県)、水原理枝子選手(鳥取県)、そして広瀬美代子選手(兵庫県)と。
※日立から移籍の島影選手は例外ですが。

 そんな中、千葉県出身の古川選手は希少な存在、と思っていたのですが、それは単なる私の無知に過ぎなかったようです。既に、“東洋の魔女”からして、河西昌枝選手は山梨県出身、
半田百合子選手も栃木県出身(ニチボー東京工場からの異動組)、と東日本出身者がいるのです。

 最後に。主将になった広瀬選手の足を引っ張ってしまった?伸び悩んだ後輩の若生美喜子選手、鈴木ひとみ選手とも、ユニチカでは希少な?北海道出身者のようです。

6000岡本 すいか:2019/05/13(月) 20:56:31
「柔よく剛を制す」魅力を教えてくれたタイト選手
 もう一件失礼します。

 生沼選手同様、ペルーのタイト選手も、皆様が教えてくれるまではその存在さえ知りませんでした。それほど、長身(公称1m72cm)でも、剛力でもないサウスポー。

 私自身、スピードの出ない軟式テニスの経験者なので、特に「柔よく剛を…」とは思い知られていました。後衛専任の私は(軟式テニスは必ず2人。更に、私の競技当時は前衛・後衛固定でした)バレーボールにおける、木の葉サーブのような、揺れて落ちるサーブを打っていました。
いわゆるへなちょこサーブでしたが…。

 そんなペルーのバレーボールの源流になった日本人がいたといいます。加藤明氏。昭和40年代、まだバレーボール未開の地だったペルーに指導者として送られた日本人。ちょうど、件の選手権の半年前に早世された、と。決して、パワー主体ではない、日本人に比較的近い体形の
ペルー人に合わせた「柔よく剛を…」のバレーボールを伝授した、といいます。タイト選手も、その恩恵に授かったひとりなのでしょうか。

 全日本女子にとっては、加藤氏、そしてタイト選手の「あまりにも痛い恩返し」を2回も
受けることになるとは…。プレースタイルは、日本人好みのものと思われます。私自身も今や虜です。

6001カルバハル:2019/05/13(月) 21:30:44
イトーヨーカ堂は
埼玉県、春日部市にありましたが逆に関西の選手が以外に多かったんですよ。氷上と繋がりがありましたから、高見監督も兵庫県の名監督です。市立尼崎を強くして、やっと優勝出来るチームが出来た時が八王子実践の5大会連続優勝と重なり全国制覇は出来ませんでしたか八王子実践の対抗馬でした。氷上農業では石掛美智代に中学全国2位の龍野西のメンバーを入れてましたが。龍野西の優勝を阻んだ蒲生の大谷、氷上も大谷の四天王寺、翌年は宮島の居る八王子実践に負けて準優勝とついてなかったですが群馬国体では氷上は全国制覇しました。兵庫県のバレーボールの名門高校になりました。高見監督は公立高校の先生でしたが頑張った先生です。逆に公立高校の限界を感じて中津南高校から扇城高校に移動した大木監督も大分の名指導者でした。モントリオールの高柳は金メダリストのレギュラーですから大木監督の最高傑作の選手です。中津南は日立、鐘紡、イトーヨーカ堂などと繋がりが深いです。

6002カルバハル:2019/05/13(月) 21:48:32
エースアタッカー
バレーボールは体格を利用したパワーで打つタイプのアタッカーと細身だけど、ムチをしならせたように打つアタッカーが居ます。前者はソ連のリスカル、後者は郎 平が代表格です。セシリア、タイトは後者、メルゼス、ポマレスは前者のサウスポーエースです。タイトは16才で世界デビューしてモスクワ、ロス、ソウルと活躍しました。若い時はカリーリヨがペルーのエースでしたが、タイトが現れ、エレディア、リスコ、ピメンテル、チュンピタス、トレアルバと層が厚くなりレオン、マラガ、ガルシア、ファハルドが育ち、長身ガブリアル、ペレスが加わり、ソウルで花が咲いて銀メダルでしたが、個人的にはソ連を破り金メダルを取らせたかったチームです。今のペルーは南米代表にも、なれません。ブラジルより、ずーと強かったのに残念です。加藤明はペルーで国葬だったのも凄いです。

6003岡本 すいか:2019/05/13(月) 23:17:33
ヨーカドー絡みで
 こんばんは。

 カルバハルさん、そうですよね。タイト選手、写真で見る限りでも華奢ですよね。背も高くなく(日本の杉山加選手や小高選手のほうが長身でしょう)、細い線の選手が、あれだけのエースになれる。大松監督張りのスパルタだった(亡くなる直前、大松氏がヨーカドーバレー部の特別顧問だったとは初耳でした…)前任者・小田監督に代わって、坂上一雄監督が連れてきたタイト選手は、1年目以上の旋風を起こしたようです。まぎれもなく、タイト選手はその原動力。
日立はその影響を受けていませんが(相変わらずの全勝優勝でしたものね)、ロス五輪では、
3位決定戦でペルーと対決し『あわや…』と冷や汗をかかされそうになったようです。
のちに、ヨーカドー唯一の優勝監督になる坂上監督は、前任者を反面教師にしたのか温厚な方だったようで、人当たりもよさそうだったようですね。なんでも『すぐ放屁をする?』とか(笑)。第17回日本リーグガイドより。鈴木洋美の代まで監督をしていてもらいたかったですね。

 ただし、西日本出身のイイ選手が大勢いたのに、なかなか五輪には選ばれなかった。
小田初枝選手、置田佳子選手、篠原孝子選手。(やっとバルセロナ五輪で選ばれましたが)石掛美知代選手だって、もっと早くに選ばれていいはずです。ロス五輪、同学年の『18歳カルテット』がもてはやされているころ、さぞや彼女は悔しい思いをしながら、サマーリーグに出場していたのではないでしょうか。

 最後に。恥ずかしながら、市立尼崎といえば、女優・南果歩さんと、ヤクルト・池山隆寛選手
(カルテットや石掛選手とは同学年)の母校という認識しかありませんでした…。

6004岡本 すいか:2019/05/14(火) 05:46:53
バレー経験者?森尾由美さんの見た「ロス五輪」
 おはようございます。

 真偽のほどは定かではありませんが…女優・森尾由美さんはバレー経験者のようです。その長身(1m67cm)から見ても納得かも。バレーボールの名門・中村高校に入学し、バレー部の門を叩こうか…とも思っていたようですが、当時からあまりにも芸能活動が多忙すぎたようで、バレー部どころか、高校まで転校になってしまいました(明大中野高へ)。川合俊一選手の後輩?

 その彼女(当時高3、18歳)の見た「ロス五輪」。女子バレーと、柔道に感動したといいます。アマチュアリズムにのっとったフェアプレーに。この五輪は、商用五輪とも呼ばれ、だんだんアマチュアリズムが崩れていっている風潮があったようです。時代の趨勢とはいえ。

 ここでは、あまりにも有名になっている、女子バレーの準決勝敗退。敗因については、今更触れることもないでしょう。森尾由美さんにとっては、その試合後、泣き崩れる選手たちへの山田総監督の激励が印象深かったようです。『これから、メダルどころか、五輪出場さえ叶わない時代がくるんだぞ。3位決定戦は、全力でメダルを…!』。
この3位決定戦のみ、山田総監督の総指揮によるものだったようです。ご承知おきの通り、
曲者サウスポー・タイト選手のいるペルーでしたが、文字通り最後の力を振り絞っての銅メダル死守。某一般紙に、森尾由美さんは観戦記を書かれていたようですが、今のところ確認できていません。

 その数日後、男子柔道では山下泰裕選手が、ラシュワン選手を破って金メダルを獲得されたことも、皆さまご存じかと思います。山下選手は、足を怪我されていたようですが、ラシュワン選手はそのことをしっていて、敢えて足を攻めなかった、と。当時、ラシュワン選手の戦術は是非が問われたようですが、森尾由美さんは感動したといいます。のちにも同様に振り返っているようです。

 皆様は、女子バレーと併せてどのようにご覧になりましたか。

6005カルバハル:2019/05/14(火) 07:37:31
柔は剛を制する
人口が多いのと指導者が優れてるのもですが、中国女子バレーボールチームは柔て感じです。しなるように身体を使ったスパイクが特徴のチームです。古くは魔女の礒辺、宮本選手が、そのタイプです。剛のタイプは日本人なら、やはり横山樹理でしょう。背筋を使って、しなるようなフォームですが、どうみてもダイナミック、ジュリーと言われた典型的なエースアタッカーです。木村沙織は柔て感じのアタッカーです。江上、三屋も同じセンターですがタイプが違いますね。三屋はスピードと高さ、江上はスピードとテクニックて感じです。ロスの金メダルの郎??平と張 容芳もタイプが違うエースだから、相手はかき回されます。話は変わりますが兵庫県は氷上の他に市立尼崎、他に甲子園学園もインターハイを制してます。広瀬は中学時代は、どーだったんでしょうか?活躍してたら、強豪校に誘われたと思います。山田監督は高校時代、全国大会で活躍した有名選手をさらって行くのは上手でしたが、小島監督は無名でも、将来性のある選手をスカウトして育てるのが上手ですね。個人的にはモスクワオリンピックの代表になるまでは三屋は知ってても広瀬は、よく判りませんでしたが、時が経過すると有名人は三屋でもバレーボール競技に関しては広瀬は今でも通じるレシーブの神様ですからね。

6006カルバハル:2019/05/14(火) 07:49:43
森尾由美
埼玉県、草加出身の美少女でした。テレビでは、お人形のように見えますが167センチもあるんですか?知らなかったです。中村高校バレーボール部は明治から創部されたバレーボールと聞いてます?前田豊が監督して136連勝したチームです。堀江方子とかゼッターランド、ヨーコ、岩原、永野、川口、浜、などヤシカと繋がりがあります。ヤシカは始めは諏訪工場のチームで東京にチームを作るから統一されたチームですが体育館がなくて苦労したチームです。飯田高子がヤシカではNo.1選手でしょう。日本電気にチーム移籍出来て良かったです。ユニチカも東レにチーム移籍出来ました。日立の廃部は、それと比べると残念です。日立は経費がかかりすぎたのでしょうか?他にチームと比べて遠征が、やたら多かったです。優秀な選手勧誘にもお金かかったんでしょうかね?名門と言われながら6人制バレーボール時代に創部したチームです。

6007カルバハル:2019/05/14(火) 07:58:46
オリンピックすら出れない話し
シドニーオリンピック出場権が取れなかった時に山田監督の予言は、当たったと思いましたがアテネで出場が取れて、再び出場する事が出来なかったのは1回だけですが、東京オリンピック後、最後のオリンピック出場になる感じしますね。教え子の中田久美が最後の指導者で山田監督の予言は、東京オリンピック後、予言してる感じします。人口が減り、人気が低迷して普及も、ままならなくなります。シドニーは、そんな予言の序曲のような気がしないでもないです。バレーボールの3大大会も日本開催は見直し中です。国内の試合は地上波から、消えました。日本開催しなければ、ワールドカップも世界選手権も地上波から消えるでしょう。オリンピック出場出来なければ、決勝戦だけダイジェストで放送かも?しれません。日本文化出版社も売れなければ月刊バレーボールは廃刊です。

6008アルタガモワ:2019/05/14(火) 19:34:10
人間勝ってなもんで・・・
私の個人の話ですがシドニーの頃全く面白いとは思いませんでしたが、ここで人間勝ってなもんで今から思うとレシーブの形が90年代の丁寧なネッチリしたパスでセンターも森山のテクニック、まだ出来上がっては無いけど杉山の速く高いクイックしっかり跳んだクマチカ、相手セッターまたはライトの右小指を狙って打つ大懸等々・・・ブロードは遅かったけど時間差やライトからストレートを打った満永・・・セッターも板橋、竹下二人ともトリッキーでアタッカーを信じてリスクのあるトス回しをしていたそれはそれで悪いバレーでは無かったのかな?時代的に常にバックアタックを用意していた感はありませんでしたが。

6009岡本 すいか:2019/05/14(火) 20:48:23
森尾由美出演「ねらわれた学園」
 こんばんは。

 カルバハルさん、アルタガモワさん、ありがとうございます。
森尾由美さんの出演といえば、高1だった昭和57年放送のドラマ「狙われた学園」なのでしょうか。バレーボールでは中西千枝子選手と同学年の「丙午学年」。因みに、やはり同学年且つ同姓の森尾麻衣子選手(新体操)は身長1m38cmの“小さな巨人”でした。同年のアジア大会に出場、一躍有名に。
おっしゃる通り、森尾由美さんは埼玉県草加市出身です。お人形さんみたい、かつ舌足らずの声も魅力があり、声優も務めています。スポコンアニメにも主演。芸能界では、同学年は斉藤由貴さんら。今なら、中村高校も通いやすいのでは?(東武線は地下鉄半蔵門線直通、清澄白河駅最寄り)。

 芸能人バレーボール大会に出てもらってもよかったかもしれませんね。

6010岡本 すいか:2019/05/14(火) 20:56:49
広瀬選手の中学校時代
 続けて。

 私の大先輩・広瀬美代子選手の中学校時代について。
ご実家からは程近い、歌敷山中学校(垂水区)です。私の同級生でも、出身者が大勢います。
広瀬選手は、中学入学後、ママさんバレー選手のお母さんの影響もあってバレーボールを始めたようです。それほど、バレーボールは強くなかったようです。従って、強豪どころか、同級生が大勢いて、実家からも歩いてでもいける新興校(なんといっても1期生)を選ばれたのではないでしょうか。また、それがよかった、とも一後輩は思うのです。奇跡の星のバレーボール人生でしたから…。

 私事ながら、広瀬選手とは好対照、同じ神戸市内でも最東端の岡本(苗字と同じです、笑)から通っていましたので、約30kmかかりました。同じ市内で、ですよ。東海道・山陽本線で通っていましたが、舞子高校最寄り駅の、舞子は、快速なら停車しますが、私の実家最寄りの摂津本山は、鈍行しか停車しません。

6011カルバハル:2019/05/15(水) 03:07:38
本当に
今の日本バレーボール界は人気も実力も暗黒時代突入ですね。東京でオリンピック開催されるから出場権が、ある事だけが希望です。バラエティー番組され出れません。てめーら、このやろーと中田久美が言いいましが、そんな放送事故すら起きない全く相手にされない競技に成り下がりました。もし今のような状態が、もっと早かったら有明アリーナは建設されなかったかもしれません。バレーボールの聖地とか騒いでましたが、当時は横浜アリーナがオリンピック機関、空いてたのに過去の名選手を呼びレガシィと馬鹿の一つ覚えみたいに言わせて建設に踏みきらせましたが、赤字の象徴になるかも?しれませんね。国立競技場、アクアピックス、有明アリーナがオリンピック3大施設らしいです。お金をかける価値と成績が供合わないと前回の東京オリンピックの象徴が女子バレーボールでしたが無駄遣いの象徴がバレーボール競技になりかねません。山田監督の予言は人気低迷までは言ってませんが、このままではバレーボール競技は、有明アリーナの維持費もありマスマス終わりに拍車がかかります。個人的には強くて人気のある時代を知る事が出来た事に幸いしてます。かつての三段跳びのようになるかもしれません。ハッキリ言ってテコ入れしても、もはや、手遅れでしょう。

6012岡本 すいか:2019/05/15(水) 05:44:20
怖いもの見たさ?白井貴子さんが解説した場合(仮定)
 おはようございます。

 カルバハルさん、バレーボールを取り巻く現状はそうかも。ロスト・バレーボール世代にとっては、社会人になってからというもの、本当に辛いです。かおる姫・高橋みゆき・鈴木洋美は時代の受難者です。皆、もう少しバレー黄金期が長ければ、もっと脚光を浴びられて、「バレーでは」苦労もしないで済んだ。その意味では、バレー黄金期に現役を送れた広瀬選手は幸せだったと思います。

 さて、暑気払いに?仮定話をさせていただければ。過日『〇〇さんに解説をさせてみたい』
という提起があったかと思います。やはり、歯に衣着せぬ、といえば“ビッグ”白井貴子さんと思います。

 舞台設定は昭和50年代、日立対ユニチカ戦、とします。横山樹理選手健在として。バレー未経験の底の浅さをお許しくだされば。それこそ、放送事故紛いもでてきそうです。

『ユミちゃん、もとい江上選手、さすがですね。どうです、この安定度。さすが世界の江上です』
『ジュリ、これは決めなきゃね。…ほら、ベンチの小島先生が渋い顔をしてる』
『白井二世ですか。う〜ん、どうなんでしょうね(笑)。…杉山選手、もっと自信をもって。コートで笑うくらいじゃないと』。
『クミ、もとい中田選手。セッターは、アタッカーの打ちやすさを考えてあげなきゃ。コート上の監督なんですから。ちょっと、彼女の性格のよくないとこが、トスにも出ているようですね』
『ヨネテン、もとい米田監督。ここでタイムアウトを取って選手を激励しなきゃ。キッコ、もとい石田選手、顔が真っ青です。まだまだ、間合いの取り方は若いですね。山田先生のほうが一枚上です』。

とかの調子になる!?白井選手とは不仲だった?(ミュンヘンでは厳しく接していたようですね)生沼さん以上の過激さになるでしょうか。以上、勝手な想像で失礼しました。

6013カルバハル:2019/05/15(水) 07:14:58
78年世界選手
解説は白井でした。引退してすぐなんで、ごく普通の解説でした。白井、松田が引退したのが王座転落の要因でもあるから、おとなしかったんでしょうね。

6014岡本 すいか:2019/05/15(水) 19:25:17
時代の趨勢とはいえ…ミュンヘン代表は「12分の10」!
 こんばんは。

 カルバハルさん、ありがとうございます。そうですか、世界選手権(私の生まれる半年前でした)では、白井さんが解説されたんですね。さすがの“ビッグ”も、自身の引退には責任を感じた?引退直後は(今も?)特に苦労されたようですね。『4年間は面倒を…!』も無理ないかと。

 さて、その白井選手も一員だったミュンヘン五輪。相変わらず(?)私はオタッキーな、斜に構えたような見方をしてしまいます。恐らく、誰もこんな見方はしなかったでしょう(決して自慢じゃないですけど…)。皆さん、眉を顰めずに(ばかばかしさは百も承知ですが)お耳を傾けてくだされば。

『五輪代表12名の姓名のうち“ファーストネーム・〜子の〜確率』。
実に、これこそが「12分の10」、実に83.3%でした。
例外は1番(松村「勝美」)と、5番(生沼「スミエ」)のみ。あとの10名は全員「〜子」なのです。
2番・山下規子、3番・岩原豊子、4番・飯田高子、6番・古川牧子、7番・浜恵子、8番・島影せい子、9番・山崎八重子、10番・塩川美智子、11番・岡本真理子、12番・白井貴子。

 先述させていただいたかもしれませんが、ミュンヘン五輪直前、ある体育館の落成記念の紅白試合にて、その12名の寄せ書きも。中央には「小島孝治(監督)、小山勉(総監督)」、それを
上記の12名の寄せ書きが取り囲んでいます。

 同様の比率?はモントリオールでは12分の9、ロスでは12分の8、でした。

 まだまだ、女の子に「漢字の〜子」を命名するのが一般的な時代の選手たちだったようですね。以上、偏見に満ちた見方失礼しました。

6015岡本 すいか:2019/05/16(木) 03:46:06
「うる星やつら」より「ワールドカップ’81」
 こんばんは。早くに目が覚めてしまいまして…(汗)。

 昭和56年秋開催の「ワールドカップ’81」は、幾多の新規ファンを獲得した大会として、こちらでは繰り返されているかと思います。当時高2だったいとこ(女性。東京五輪の年生まれ。町田市在住)も、やはりこの大会にてファンになったようです。元来、彼女はスポーツ、特にバレーボールには無関心でした。どちらかといえば、今はやりの言葉で言えば“文化系女子”。
具体的には、アニメ、それも「うる星やつら」のファンです。これは今も変わりません。

 11月のある水曜日、午後7時30分。フジテレビでは、本来なら、その「うる星やつら」が放送される時間帯に、いきなり生沼スミエさん解説の「ワールドカップ」が映っていたので、正直最初はガッカリ!?したようです。その10月(14日)からうる星やつらは放送されたばかり、もう異常なほどの人気だったようですので。

 それが…やはり、広瀬美代子、三屋裕子、そして杉山加代子各々選手の若々しいプレーに惹きつけられて、一躍バレーボールのとりこになった、といいます。彼女にとっては『杉山佳寿子(声優。上記うる星やつらに出演)もいいけど、杉山加代子もいいなあ…!』と。

 杉山加選手(当時二十歳)が、この大会から全日本の一員になったとは初耳でした。

 これも私見ながら、うる星やつらも、結構バレーネタを取り入れているみたいですね。ブカツアニメでもありませんが、結構主人公がバレーボールをしている(それも、当時の全日本のユニフォームそっくりな体操服で)ところがあるようです。来年56歳になる予定のいとこより。

6016岡本 すいか:2019/05/17(金) 05:35:24
バレーにおける試合時間と「ダブルヘッダー」
 おはようございます。

 以前、こちらでカルバハルさんが紹介してくださったエピソードかと思います。今から40年前、フィリピン遠征でのフィリピン戦。同チームには3対0とストレート勝利、特に第3セット15対0だったのですが、なんと、その時水原理枝子選手のサーブだけで連続15点だった、と。
恐らく、試合時間30分(違っていたらゴメンナサイ…)以内だったのでは?と。

 そして、今では『フィリピンチームの強化と、対照的に日本の弱体化もあって、まずあり得ないのでは?」とも。
但し、これはなにかの大会だったのか、全日本での試合か、またユニチカ単独チームでの試合だったのかまでは記憶にございません。教えてくだされば幸いです。

 対照的に、もし長時間記録があるのでしたら、やはりミュンヘン五輪決勝ではないでしょうか。3時間30分だったように伝聞しています。生沼選手は全5セットフル出場?当時25歳、それは疲れ切った顔だったはずです。最早悔し涙も出てこない…。傍らの白井選手は元気いっぱい、
悔し涙に暮れている様子が映し出されていますね。

6017岡本 すいか:2019/05/17(金) 05:42:21
バレーでは「ダブルヘッダー」はない?
 タイトルの件が終わっていませんでした。失礼しました。

 バレーボールにおいては、1日2試合以上(特に同じカード。日本リーグのようなリーグ戦形式)の挙行はあり得ないのでしょうか。やはり、下記のように消耗の激しいスポーツ故。

 引き合いに出して恐縮ながら、バドミントンはむしろ1日複数試合する、というより遣らざるを得ないようです。なんといっても、ミュンヘン五輪、エキシビジョンだったときは(問題のテロ前日)9月4日の1日のみに女子シングルス、男女混成、と1日何試合も行われた様ですから。個人競技と団体競技の差でしょうか。

 最後に、余談恐縮ながら、以前「北海道芦別市は全日本のホームタウン」と紹介させていただきました。その北海道でこそ、バドミントンが盛んなのです。特に自衛隊バドミントン部。せっかく北海道がホームタウンなのです、ぜひとも北海道にも?リーグを誘致してはいかがでしょう。私案にすぎませんが…

6018カルバハル:2019/05/20(月) 20:13:00
トーナメントなら
1日2試合もあります。

6019カルバハル:2019/05/20(月) 20:52:53
アジア大会
78年のアジア大会です。相手はタイです。最初のサーブ権はタイにありました。サイドアウトになり、水原がサーバーでサービスエースでは無いですが、15本打って、その後1回もローテーションにしない完封試合でした。今は日本がタイにストレート負けしますから世界は変わりました。そのアジア大会で郎 平が国際デビューした大会です。横山残す同期の金メダル組が引退して金メダリストでない同期が入れ替わる時期です。矢野、吉田、高柳がナショナルチームから外れて、同期の石川、清水、吉永、滑川、千葉などが横山と活躍します。この黄金世代で一番早く世界デビューしたのは中村高校からヤシカに進み73年レギュラーでないが世界デビューしたのは川口朱美です。高校ビッグスリーと言われたのは川口、横山、吉田です。更に深掘りすると吉田は高校2年で久喜高校でインターハイ、ベスト4と活躍して3人の中でも一番早く名前が知られたのです。また同期の増穂商業から日立に進んだ矢野広美は中学の時は、合唱部でバレーボールを本格的に始めたのは高校からですがナショナルチームのレギュラーになったのは一番早いです。74年の世界選手権では、もうレギュラーで金メダルを取得してモントリオールオリンビック、ワールドカッブと三冠王センターです。第3回春高、優勝の高柳はモントリオールでナショナルチーム入りレギュラーとして1セットも落とさない神の領域に行ったモントリオールオリンビックのレギュラーで、その後は怪我もあり控えでしたがレギュラーで活躍したのはモントリオールオリンビックだったのはラッキーです。吉田もモントリオールからナショナルチームのメンバーに入りワールドカッブ77で白井の対角のレギュラーで活躍して日本開催だったので一挙に知名度が上がりました。横山樹理はインターハイで優勝で一挙にスーパースター誕生と高校バレーボール界で名前を売り鳴り者入りでユニチカのルーキーでエースになり絶対王者日立を向こうに回しユニチカで孤軍奮闘してナショナルチームでも人気はナンバー1でしたが日立の、早いバレーボールとは一線を、かきナショナルチームではレギュラー候補でしたが最終的に控えでワンポイントアタッカーでドカンとスバイクを決めてチームの流れを変える役目が74年世界選手権〜77年ワールドカップまで続き77年で同期の吉田に先にレギュラーを取られ、後輩の江上が先にレギュラーに入りましたが、78年世界選手権からは白井無き後は日本の誇る世界に対抗出来るエースとして横山樹理がナショナルチームの顔になりました。横山に以上の素材の須藤とは78年世界選手権ではエース対角を組、銀メダルを取りましたが横山とのエース対角で活躍したのは78年だけなのは残念です。横山の対角は吉永や奥嶋がモスクワの幻のオリンビックではつとめましたが不参加で終わり横山の対角はレシーブの神様、ブラックアウトの名手、鋭いストレート打ちな広瀬に変わりました。もうその時はエース横山も素質だけは世界レベルの杉山加代子の方が明らかに上でした。長い横山の現役生活も82年の世界選手権で小川、水原と同じ時期に引退となりました。

6020岡本 すいか:2019/05/20(月) 20:54:31
甲子園(学院)の榊原(紀子)
 皆様こんばんは。

 連続長文投稿失礼しました。帰省していたもので…(汗)。土産話に?兵庫県ならではの話題を持ってきました。
カルバハルさん、ご無沙汰しました。いつもご丁寧にありがとうございます。
バレーファンの皆様からご覧になれば、野球は不思議なスポーツと見えるでしょうか。ダブルヘッダーがあるのも(尤も、21世紀に入ってからはドーム全盛となり、死語になりましたが。)、引き分けがあるのも。

 そのプロ野球選手の娘、トヨタ自動車に所属していたバスケットの榊原紀子選手。私事ながら、同郷で同学年です。以前、おっしゃっていた、彼女はバレーの名門でもある西宮市・甲子園学院出身。幼少のころはバレーボールをしていたそうですが、小5の時バスケットに転身した、と。バレーボールを続けていたもらいたかったですね。そうすれば、かおる姫・鈴木洋美・高橋みゆきと切磋琢磨して名選手となり、バレーボールの長い凋落もなかったかも。

 榊原選手の父・良行さんはプロ野球、阪神の選手(二塁手)で、これも先述いただいた真弓明信選手と一、二番、そして二遊間も組んでいました。江川投手デビュー戦時の相手二番打者。スポーツ一家なのです。

この榊原紀子選手、同世代のトリオが見たらうらやむほど、長い現役生活を送ったようです。つい数年前まで、バリバリの現役、MVPにも輝いていたようですから。

6021カルバハル:2019/05/20(月) 21:08:01
子のつく名前
皇族や高貴な人がつくのが子です。美智子様が子が皇室以外から皇室に入り子のつく名前とブームになりましたが時代と共にキラキラネームに変わりました。学校の先生は出席を取る時は読み方に困ってるらしいです。昔は薫、真琴、ミチル、のりよ、あきら、ひろみ、のぞみ、照美なと男女どっちも使える名前は教師が間違える事もありました。、また、国際的に通用する名前で、ナオミ、ジョージ、亜里沙、まり、なども使いますね。益子直美は国際的に通用する名前です。またぎゃくに太郎とかの名前だと有名で海外に行っても日本人の男の子と即、理解しらえて良いとも言われてます。

6022岡本 すいか:2019/05/20(月) 21:16:33
ロス五輪の「美しき戦士たち」の再発見
 続けて失礼します…

 まずは、カルバハルさんにお礼を申し上げなくては。
そうですか、アジア大会で、それも相手はタイでしたか。40年前、は合っていたのですが(汗)。時代は変わった…切ないですね。

それでは、ロス五輪の「美しき戦士たち」について、今更ながら感銘を受けた再発見があるのです。
一…4年前の秋、江上(現・丸山)由美、三屋(現姓は?)裕子、広瀬(現・中島)美代子3選手が、全日本女子の練習を見学。これがフジテレビのあるバラエティ番組にて報道されたそうですね。これが、往年の名選手・江上、広瀬両名にとっては最も最近の近況のようですね(三屋さんはいつもテレビに出ているから)。「コミュニケーションを図るための練習」に、上記歴戦の3名も、カルバハルさんも疑問だった、と。できれば、今度は、全日本及び日立の後輩の率いる全日本女子の練習を見学して刺激していただきたいですね。

二…五輪後、大谷佐知代選手が伸び悩んだのは、裏金や大人の事情(一浪)、太りやすい体質以外の面を挙げるなら、
『二刀流になれなかった』。また現代大リーグの同姓の選手と比較して…と言われそうですが、実際そうみたいですね。見た目は、豪胆そうで、サーブやスパイクなど攻撃にたけていそうですが、実際はかなり繊細な面があり、大柄な体に似合わず!?レシーブのほうが得意だったみたいですね。当時『実戦的なプレーヤー』『ミスが少ない』と評価されていたようですから。
それにしても、ソウル五輪にも出場ならかったとは、当時誰が想像しえたでしょうか。

ロス五輪・カルテット(現・監督は除く)ように早熟で終わってしまうか、対照的に石掛選手のように、遅咲きの花を咲かせるか、皆さんはどちらのほうが印象深く映りましたか。

 どちらも、過去ログから発見しました…。

6023カルバハル:2019/05/20(月) 21:23:54
バレーボール
今でも3セットマッチと5セットマッチがあります。一回戦や二回戦は三セットマッチが多いです。そうなるとダブルヘッターは可能です。また6人制で始めて三鷹高校が生沼が二年の時にインターハイ優勝した相手は同じ東京の高山鈴江の居る宝仙高校と決勝でした。生沼は3年生の時はすでに日立武蔵で練習してました。生沼はいつの間にか日立で入社して練習してたと言ってました。生沼は宍倉とミュンヘンオリンビック前に復帰しましたが背番号は11番、宍倉は12番で、既に復帰組は背番号は大きい番号の風習はあったんですね。また市立尼崎、氷上より甲子園学園の方か早くバレーボールで全国制覇してます。神戸には夙川女子学園も、なかなかバレーボールも強いです。

6024岡本 すいか:2019/05/20(月) 21:36:23
生沼さんは偉大だ…
 また多重投稿になってしまいそうなので、もうこの辺りで本日は引き揚げさせていただきます。

 こちらにお世話になってからというもの、すっかりハマってしまった生沼スミエ選手、改めて偉大な方と実感。
一度引退しても、なお五輪レベルの実力を維持できて、敵将・小島監督からもなくてはならない存在として重宝される。
生沼さんの蔭で、メキシコ五輪では(義理の姉妹コンビの)小野沢選手−古川選手とも出番がなくなってしまった?(記録ゼロなんですか?)ようですね。でも、面白いもので、このお三方同士は戦友としてだけではなく、仲良しのようです。
日ソ決勝戦、スパイクアウトでゲームセット、戦犯扱いされて居た堪れなくなる…それは生沼さんでなくても追い詰められます。よくぞ、その窮地から這い上がってきたものです。背番号11から、わずか1年で背番号1の主将になったのも、山田監督との信頼関係の賜物ではないでしょうか。

6025カルバハル:2019/05/21(火) 07:14:25
ジプシー
ヤシカは体育館も持たず、よくニチボーや日立と3強とまで言われたものです。日本電気にチーム移籍出来て結果良かったと思います。オリンビックの後に選手の世代交代がある時に主力が残り日本一になったのも、やはり強化が、ままならないのは体育館を持たなかったのが原因でないかと思います。選手は決してニチボーや日立に負けない素質の選手が多かったです。古田、飯田は74年世界選手権の金メダルリストです。大卒で活躍した選手です。古田は180センチあって、セッターも出来る器用な選手でした。ヤシカはレフトセットアップや試合中に選手を替えないでワンセッターからツーセッターに替えたり、面白いバレーボールをします。

6026岡本 すいか:2019/05/21(火) 10:38:30
「ジプシー・ロッテ」「ジプシー・ヤシカ」は同時期なのですね
 おはようございます。

 カルバハルさん、そうですか、ヤシカは自軍の体育館(本拠地)がなかったのですか。それは意外です。それこそ、下町にありそうな気もするのですが…。
「五輪では連続背番号3(偶然とはいえ)」
岩原豊子さんは引退後、チームの解散までコーチを務められたとも初耳でした。

 その昭和40年代、ヤシカとはほぼ同時期にプロ野球でも「ジプシー・ロッテ」が実在しました。祖父や叔父はよく、南千住にあったロッテの本拠地・東京スタジアムに、プロ野球(ロッテ戦だけではなく、巨人戦やサンケイ戦も)はもとより、1周450mのアイススケートにも足を運んだ、といいます。同所閉鎖後は、なんと仙台に移転…というより仮住まいを設けました。それでも、昭和49年には日本一に。但し、金田正一監督(当時)は『あまり注目されなかったな。これもジプシーの悲哀か…シゲのせいで』と苦笑したといいます。金田さんの盟友・長嶋茂雄さんの引退では無理もなかったでしょうね。プロ野球との引き合いを長くしてしまって失礼しました。

 最後に。ジプシーといえば、初期のダイエーでしたね。神戸市西体育館(私も存じ上げています)完成以前は…。できれば、あと1年広瀬選手にも現役を続けてもらって、その西体育館でも
「ユニチカ対ダイエー」で郷里(というほどでもないですか)の晴れ姿を…とも思いましたが、
あれだけ感動的な(全力を出し尽くした、という意)引き際なら納得、です。

6027岡本 すいか:2019/05/21(火) 10:50:25
「〜子」のつく名前の10選手
 もう一件失礼します。

 カルバハルさん、こちらにもご返答ありがとうございます。言われてみれば、皇族には漢字の「〜子」さま、のみですよね。ほぼ。ミュンヘン五輪代表の10選手とも、戦中〜戦後まもなく
(昭和20年早生まれの山下選手〜昭和27年生まれの白井選手)ですから、世相的には皇族の影響を強く受けられた親御さんが命名されたのでしょう。特に、塩川選手の「美智子」、白井選手の「貴子」とも、皇族にも命名されそうな高貴なお名前。

6028岡本 すいか:2019/05/22(水) 05:39:00
天覧バレー
 おはようございます。

 バレーボールの歴史において、天覧バレーが挙行されたことはおありでしょうか?
私自身では確認できていませんが、もしかしたら東京五輪(昭和39年の、ですよ)では、昭和天皇・皇后さまがご覧になったかもしれません。

 度々引き合いに出して恐縮ながら、プロ野球では2試合。公式戦1試合と、日米対抗1試合です。公式戦では、昭和34年6月25日、後楽園球場での巨人対阪神11回戦。5対4で巨人が勝利。
長嶋茂雄選手がサヨナラ本塁打(実はプロ初の…)を放ち、天覧ホーマーとして後世に語り継がれているのです。
7年後、昭和41年11月6日には、同じ後楽園球場で、全日本対ドジャース第13戦がやはり天覧試合となり、11対3で全日本が勝利。長嶋選手は本塁打を含め、4打数3安打と大活躍。皇族ご用達の名を恣にしました。公式戦ではないため、それほど知られてはいませんが…。
意外や意外?全日本は先発は堀内恒夫投手(巨人)でした。さすがの“13連勝デビュー”“小天狗”も、天皇・皇后のご覧になる真正面とあっては緊張だったのか、早々にKOされましたが、やはり強運を発揮した?のか敗戦投手にはならず。
その後、50年以上も天覧試合は挙行されていないのです。再度の引き合い失礼しました。

 バレーボールにおいても、皇后杯は既に昭和58年当時は行われなくなっているようで、その後も開催された史実はないようです。先日生前退位された、美智子皇后にこそご覧になって…とも
存じましたが、お見せできるだけのメンツ、そして試合内容になったか…。

 そして、来年行われる予定の五輪は、とても今上天皇・皇后さまにお目にかけられるメンツ、試合にも、バレーボールはなりそうにないですね。

6029カルバハル:2019/05/23(木) 20:40:39
あのキューバが、もっとも強かった時
https://youtu.be/N9WcjP-RvGM

6030カルバハル:2019/05/23(木) 20:51:49
東京オリンピックの決勝戦
美智子皇后は試合を観戦してますが天覧試合ではないですね。意外とバレーボールの場合は国体とかで、あったかもしれませんね。バレーボール界は高校以外は国体は、あまり重要視されてません。昔は成年男女、少年男女な他に教員チームのトーナメントもありました。インターハイは開会式は知ってますが高校野球が始まり閉会式は見たことないです。沖縄本土復活した時に沖縄国体とか、でっこにあった、気もします。また昭和39年東京オリンビックの年は新潟国体は前倒しに実施されたような気がしまます。戦後復帰の為に国体を開催してスポーツ施設を充実したスポーツにたいする健康意識など根付かせる為の国策でしたが各都道府県一周した今は、あまり一流アスリートは重視しない国民体育大会になりました。

6031岡本 すいか:2019/05/23(木) 21:08:16
「バレーボールマガジンとともに歩んだ10年」横山樹理選手
 こんばんは。

 私事で恐縮ながら、私の「すいか」は本名です。今はSNS時代ですから、それほど詳しくはお伝え出来ませんが…男女兼用にもなり得ます。『それこそ、漢字の〜子がいい、という両親を押し切り、カタカナ名(戦時中は、横文字禁止令が発令され、漢字に改名させられていたそうな)の祖母が命名しました。名前に関するネタを失礼しました。

 昭和48年は、バレーボール史上でもエポックになった一年のようです。松村勝美・山下規子選手(ともにユニチカ貝塚)ら戦中生まれの選手がほぼ引退、入れ替わって横山樹理選手が同じユニチカに入団したのです。カルバハルさんがおっしゃるように、同年同期入社は俊英揃いだったようですね。しかし、その中でも、横山選手こそ一番星だったようですね。

 決してリアルタイムではない、むしろ娘世代の私から見ても『とにかくダイナミック&明るい』。彼女の引退戦となった世界選手権でも、とても引退間際の選手のプレーには見えない
ジャンピングスパイクを放つシーンがありました。無論、トスは長年の名コンビ・小川選手。
個人的には、明るい選手系譜というのがあれば
「生沼スミエ→白井貴子→横山樹里→三屋裕子」
各々選手、ではないでしょうか。その後も、明るいだけの選手ならいたかもしれませんが、
チームが強くなければ…。皆、四者四様の個性の持ち主、それぞれ別な意味で明るい選手のように思われます。横山選手の入団と同年、昭和48年秋創刊のバレーボールマガジンには、彼女の引退直後
このような見出しで10周年と銘打たれていたようです。

 横山選手の引退間際にデビューした三屋選手、ニックネーム『サイ』の由来が『うる“さい”』からだったとは。更に『三ツ矢サイダーのサイでしょ』、とも。完全に動物のサイや秀才のサイを否定しているようです。『三屋ひょうきん教室(オレたちひょうきん族に因み)』も
おもしろかったですね。

 最後に。今でも、三屋選手と広瀬選手とは交友があるようなのがなによりでした。4年前の
広瀬選手とのテレビ共演も、三屋選手が強く働きかけたからではないでしょうか?第一線から退いて久しい、それも名古屋在住の広瀬選手がよもやの…だったようですね。

6032アルタガモワ:2019/05/24(金) 09:52:34
私の最初選手
私がバレーもアニメしか知らない時も何故か「横山樹理」だけは知ってました。
なのに・・・気が付けば81年Wのもうとっくにピークを過ぎだ悲しい姿しか見てなくて・・・彼女がイケイケ時代の女子バレーが見たいです。

6033カルバハル:2019/05/24(金) 11:20:32
飯田高子
彼女も伊勢湾台風で被災してます。

6034カルバハル:2019/05/24(金) 11:22:07
飯田高子
ミュンヘンオリンピック決勝戦の終盤のサーブミスを人生における屈辱と言ってますが苦労人です。モントリオールで金メダルが、取れて良かったです。

6035カルバハル:2019/05/24(金) 11:26:21
横山樹理は
日本のエース、世界の5本の指に入るアタッカーと言われて大活躍したのは78年世界選手権〜幻のモスクワオリンピックまでですね。ネットから離れたトスか得意でブロックの横を抜くスパイクやブロックをパワーでぶち破るスパイクは素晴らしいです。日立中心の全日本でも人気は一番ありました。レギュラーで金メダル取らせたかった選手です。

6036アルタガモワ:2019/05/25(土) 09:57:53
カルバハル様
いつも有難うございます。
樹理が日立中心の全日本でありながら一番人気だったのは日立の選手達は仕事人で樹理はレフトであった為余計にテレビに映る機会も多いのに加え彼女のスパイクやお茶の間の人を惹き付ける魅力があったからでしょうね?

6037岡本 すいか:2019/05/25(土) 20:54:56
飯田選手は「遅咲きの桜」
 こんばんは。

 アルタガモワさん、お久しぶりです。カルハバルさん、過日おっしゃっていた「ジプシー・ヤシカ」とも関係すると思います。飯田高子選手、失礼ながら「遅咲きの桜」だったようですね。

 高校卒業後、彼女は最初に入団した実業団が早々に廃部になったため、中京大学に入学されたようです。既に、そのころ、ヤシカでは同学年の岩原豊子・小野沢愛子両選手とも活躍していたようで。その後、飯田選手もそのヤシカに入社、「引退を決意した」小野沢選手とは入れ替わる
形でミュンヘン五輪代表に選ばれたようですね。初選出が26歳の時。ミュンヘン五輪、決勝戦での「屈辱」以後の、彼女の復帰劇は、カルハバルさんがおっしゃった通りと思います。

 それにしても、飯田、生沼、白井と、ミュンヘン五輪代表の、当代一の名選手が、いずれも
一度は引退後復帰とは。一度引退してからの五輪返り咲きとは、どれだけ彼女たちが実力者か、また周囲からも望まれていたか垣間見えるエピソードですね。「バレーボール」昭和47年2月号では、直後のミュンヘンでも名コンビを組む新鋭・岡本真理子選手の傍ら、スパイクを打ち込む生沼選手の表紙でした。「日立武蔵」の漢字表記でも、既に長袖だったんですね…。

6038岡本 すいか:2019/05/25(土) 21:06:40
60年前になりますか…
 カルバハルさん、またもやお名前を間違えて失礼します…(もう何度目でしょう。)
伊勢湾台風、もう60年前になるんですね…。美智子さま(前・皇后さま)ご成婚の年の秋。
中日球場が水没するくらいだったようですね。

 その年に生まれた今、広瀬選手がその名古屋に住んでいるのもなにかの所縁でしょうか。

6039アルタガモワ:2019/05/26(日) 08:31:43
すいか様
お早うございます。伊勢湾台風ですか〜・・・。
伊勢湾台風と言うと私の年代だと内容もどんな台風だったか知らず、山口百恵の赤いシリーズの「今から18年前の伊勢湾台風で〜・・・」ってフレーズしかありません。

またまた今から20年近い昔何かのテレビ番組でゲストの松原千恵子さんが「あの伊勢湾での犠牲者は家の二階の雨戸を強化しようと動いた内の父親一人だったんですよ・・・」と仰ってたのを思い出しました。
どんな事、どんな事件でも結局は過去になって行くんですよね。またお話聞かせて下さい。

6040岡本 すいか:2019/05/26(日) 18:49:53
世界唯一?飯田選手は2度引退からの金メダル
 こんばんは。

 アルタガモワさん、私なんかだったら、もっと過去の話です(この世に生を受ける二十年前のこと)。その時、飯田高子選手は中二、ちょうど中部圏在住だったようです。恐らく、その松原千恵子さんとも同世代のはずです。
 飯田選手、一度どころか二度引退、のあとのようですね。最初は、名古屋女子商業高から入部した実業団が廃部になったとき。そして2度目がミュンヘン五輪の決勝戦直後のようです。

 モントリオール五輪後、『三度目の正直!?』、三度のうちでも最も良い形でで引退されたようです。苦労人が報われた、という意味では勇気づけられますよね。

6041岡本 すいか:2019/05/27(月) 05:56:02
「面白くなきゃテレビじゃない」!?生沼さんの解説
 おはようございます。

 これから、こちらに投稿させていただく内容は、あくまで私の個人的(+叔父の)意見ですので、皆様お気を悪くなさらずにお耳を傾けてくだされば、と思います。

 過日、生沼スミエさんの解説は『公平中立なバレーの解説には程遠い』と意見がありましたね。叔父(生沼さんより2級年上、リアルタイム世代です)によっても、それは事実のようです。叔父の見方では『生沼さんのキャラクターと、当時のフジテレビのコンセプトが半々だからじゃないか』とのこと。

 当時、昭和50年代後半、確かにフジテレビは、タイトル通りのキャッチコピーを掲げていたようです。月刊バレーボール誌の番組紹介ページにもあります。無論、人によって、その受け取り方も異なるでしょうが、バレーボール未経験の叔父は、その「面白い?」
解説が面白く感じられたようです。

 他局は専属解説者制度だったのでしょうか。テレビ朝日は前田豊氏が多かったようですが…。

 最後に。フジテレビでは、生沼さんのほか、いずれも日立の後輩も解説していたようですが、やはりビッグゲームでは、暗黙の了解?で生沼さんだったようですね。

6042アルタガモワ:2019/05/27(月) 09:14:54
生沼さんの解説
私も生沼さんの解説で育ちました。当時は当たり前の様に聴いてましたが自分が本格的にバレーをする様になり(90年代前半から)改めて生沼さんが解説をしていた時代の解説を聴いてみたら実際にプレーしてる人間に取っては・・・感じの印象を受けました。

ただ、バレーをプレーする事なく観てる人や子供達には最適だったんじゃないかな?と改めて思います。

6043岡本 すいか:2019/05/27(月) 21:10:56
うる星やつらはご覧になっていましたか?
 こんばんは。

 アルタガモワさんへ。失礼ながら、恐らく私のいとこ(14歳年上です、東京五輪の年生まれ)とは同世代と思います。アニメ、は「アタックNo1」でしたでしょうか。いとこも「アタック…」
も観ていたようですが、やはりその年代では一番は「うる星やつら」だったようですね。彼女も(本来なら「うる星〜」放映予定の時間枠での)生沼さん解説の「ワールドカップ’81.」で、バレーボールのとりこになった口のようですよ。

 無論、三屋・広瀬・杉山加各々選手の好プレーあってこそですが。まさか、その時点では、1年後には、生沼さんご自身が彼女達を率いるとは、思ってもいなかったでしょうね。

6044岡本 すいか:2019/05/28(火) 05:48:47
沖縄県とバレーボール
 おはようございます。

 バレーボールに限らず、各種競技においてハンディがあると(いわれる)沖縄県。本土返還が戦後27年も経過したのもあるのかもしれません。春高バレーでも、まだ第1回の時点では未返還ですし、戦後も、返還前は沖縄県出身者には五輪出場権はなく(モントリオールから、ですか)。皆無とまでは言いませんが、例えば沖縄県で実業団が公式戦をしたとかの話も聞きません。皆様、バレーボールと沖縄県、のエピソード、ご存じでしたら教えてくだされば幸いです。

6045岡本 すいか:2019/05/30(木) 06:00:46
バレーボーラーならではの「明るさ」
 おはようございます。

 過日、こちらで私は『私の女性上司は、就実高・バレーボール部で須藤圭子監督の教え子でした』とお伝えさせていただきました。その須藤監督につきまして、いくつかエピソードを聞きましたので、ご確認させていたただければ、と思います。

 まず、私はその上司(干支一巡年上)を尊敬していますし、その方もまた、須藤さん(今も教員及び監督をされているのかは聞いていませんが…。監督をされたばかりのころの教え子でした)
を尊敬しているようです。また、私の上司は球拾いでした。カミングアウトしてくれました…
これは無理もないかも。中学時代、彼女はブカツそのものに入っていませんでしたから。かくいう私も同じですが。「山田バレー塾」をはじめ、全国から俊英が集結するというじゃないですか。部員数も相当なもの。
倉敷市出身の上司は、高校は無論、合宿生活です。須藤さんもその一住人で、とにかく面倒を見てもらったようです。

 私の上司とは違って!?(失礼!)、須藤さんも、やはり高校からバレーを始められたのに、
春高バレーでは決勝戦、それもフルセットまで持ち込み、山田祐嗣アナに『どちらにも勝たせてやりたい、また引き分けにもできないだろうか』とまで涙ぐませたようですね。

 ニックネーム「アポロ」こそ、彼女の明るさから来ているようです。本来なら、太陽神の明るさ…なのでしょうけど、『パスもできず、あっぽろり…の省略です』だそうで。

 ほかのスポーツは明るくないの?と言われそうですが、やっぱりこれはバレーボールの、また
須藤さんならではの明るさなのかもしれません。私の上司も(私も!?)その影響を間接的にとはいえ受けているのでしょうか。

6046岡本 すいか:2019/06/06(木) 20:59:59
五輪は平和のもの…
 こんばんは。

 ちょっと、私の連投っぽくなっている旨お許しください。1週間どなたも投稿されないのはそのせい?でしょうね。他所さんは荒れているみたい。中田久美監督の迷采配のせいでしょうか。

 やはり、五輪は平和あってのものと感じたエピソードが2件発見されましたのでお伝えさせていただきます。どちらも、過去ログにて、カルバハルさんがおしゃっていたのではないでしょうか。

 1件は、大松博文監督の「亭主関白」ぶり。なんでも、夫人に背広を着させ、河西昌枝主将に練習着を洗わせていた、と。今じゃ、まず通用しないほどの独裁者ぶりですね。しかし…そこには壮絶な戦争経験があったといいます。戦時中でも、かなり大きな部類の惨劇、日本軍の全滅と言われた死のインパール作戦を、九死に一生を得て生還、命からがら復員にまでこぎつけてきた大松氏にとっては、その凄絶な人生経験によって、人柄まで“鬼”と変えさせられたのも無理もなかったのかもしれません。

 もう1件は、幾度となく出ている(私も上げさせていただいた)ミュンヘン五輪でのテロ事件。これも、五輪の歴史のうちでも、最大の惨劇でしょう。決して、日本女子バレーの決勝戦が1日延期になっただけには留まらない影響…。全日本のチーム内だけ見れば、マイナス(生理になった2選手)のほうが上回ったようですが、亡くなった11人及び家族のことを案じれば、単に
『金メダルを取り損ねた』とは言えない…ですよね。
±を見れば+?に作用した、白井選手も、自身の現役が伸びたのは、この11人の犠牲の上に成り立っている、と感じているはずです。

 他方、その白井選手も含め、平和だなあ…とほのぼのしたエピソードも、そのミュンヘン五輪の前後には2件。1件は、決勝戦後、白井選手は男子の選手村で悔し酒を痛飲し、男子の金メダリスト・森田淳悟選手に担がれて女子の選手村に…というエピソード。もしかしたら、一度
お伝えさせていただいたかも。もう1件は、惜しくも五輪本チャンは落選した、加藤きよみ選手の落選理由が『ミュンヘンでアイスクリームを食べすぎてお腹を…』。カルバハルさんが
あげてくださったように記憶しています。

 白井選手と加藤選手とも同学年、若気の至り的な、ほっとするエピソードですね。

6047岡本 すいか:2019/06/07(金) 06:03:34
間が悪かった!?ポスト広瀬
 おはようございます。

 過去、「日ソ対抗バレー 掲示板」で検索していたら、こちらのページと、現行の全日本女子バレーと、両方の喫茶に当たったのです。現行版には「ポスト広瀬」こと、本郷友恵選手(ユニチカ)について書かれていましたね。結構、全日本には召集されているのに、なぜか五輪には出場できなかったようです。同時期の滝沢玲子選手(デンソー)が、昭和63年春からわずか半年(唯一?)の召集だったのに、ソウル五輪に出場できたのとは好対照。
本郷選手は、ユニチカ入社、入部後2年間広瀬主将にお世話になったようです。全日本召集は、広瀬選手引退と入れ替わる形で。

 当の広瀬選手も、5年もいたとしては、なかなか五輪には…やはり、あのボイコットがあったからでしょう。また、悲願だったロス五輪本チャンにしても、6試合中、3試合の出場に留まりました。ちょうど、力も衰えていた時だったこともあるし『ヨネテンめ…』とも皆さん思われているのでしょうか。私的には、米田監督のファンでもあるので、痛しかゆし、というところですが。それでも、唯一の出場に、出場機会なしだった選手もいたようですから、それに比べたら、やはりよかった。銅メダリスト、母校の後輩としても。

6048岡本 すいか:2019/06/08(土) 12:03:48
24時間テレビで…幻のモスクワ五輪が
 こんにちは。

 過去ログを拝見していたら、なんと驚愕の事実を知らされました。

 平成14年夏、幻のモスクワ五輪から22年ぶりの再戦は日本テレビ「24時間テレビ」でだった!
最も、バレーボールとは縁遠い、非協力的といわれた同社からだったとはね。
それだけに、もっともっと黄金期にも、巨人戦と同様に生中継してもらいたかったですね。

 アルタガモワさん、一昨年秋に投稿されたこと、ご記憶でしょうか。またいらしてください。

6049岡本 すいか:2019/06/09(日) 06:11:51
熱中!バレー部
 おはようございます。

 管理人さんへ。繰り返しますが、今は私の投稿が結果的には続いている(8項)ですが、決して連続当行ではないと思います。14日で8項ですから…こちらは、ネタは尽きていませんから、お付き合いのほどよろしくお願いします。

 遅まきながら?今から9年前、ベースボールマガジン社からジュニア向けに「ブカツシリーズ」が発行されていたとは初耳でした。その中に、バレー部と、(私が)プレーしていたソフトテニスがあるのです。皆様はご覧になりましたか?

 中学校の時ブカツをしていない(帰宅部)私がいうのもなんですが、やはり中学校から
バレーボールを始めている名選手は多いので、こういう本も必要なのではないでしょうか。

6050アルタガモワ:2019/06/12(水) 19:43:46
幻のモスクワ五輪
私は樹理の大活躍と水原のライト?時間差攻撃と江上の往年のプレーが見たくてワクワクしたのをよく覚えてるし今でもビデオがあります。結果樹理の重量オーバー・・・脚力が無くなった江上のプレー・・・結局凄いプレーご出来たのは水原と奥嶋選手でしたね。
ま〜現役時代を求めてしまう私が悪いのですがあの番組でよく女子バレーを取り上げてけれましたよね。
今度はロスバージョンが見たいかな(笑)

6051岡本 すいか:2019/06/13(木) 19:56:14
広瀬選手は動けていましたか?
 こんばんは。

 アルタガモワさん、お久しぶりです。ご返信ありがとうございました。
ああ、よかったです。皆様がお忙しかっただけと思いたいです(こちらも忙しいですが)。
決して、多重投稿、当スレッドの私物化のつもりはなかっただけに。

 そのエキシビジョン、広瀬選手も出場されていたようですね。現役引退後は、一切合財バレーボール界からは一線を画し、阪神・淡路大震災の時さえ表舞台には現れなかった広瀬先輩。
その時、母校及び彼女のご実家、貝塚市、そしてユニチカ(Vリーグ化されたばかり)とも、甚大な被害を被ったはずです。小島監督、阪神・淡路大震災の時も、全日本の監督だったとは初めて知りました。これを機に、彼もまた、表舞台からは退いていたはずです。そして、最後の彼の
雄姿こそ、そのエキシビジョンだったのでしょう。

 ああ、見たかったですね。そして、ご覧になれたアルタガモワさんをはじめ視聴者、ひたちなか市体育館のギャラリーがうまやらしい、基うらやましい限り…。

6052岡本 すいか:2019/06/13(木) 20:10:42
全日本女子・通算100勝監督
 もう一件(あまり調子に乗らない程度に)。

 全日本では、女子では通算100勝以上を挙げた監督は3人のようです。下記、小島孝治監督、米田一典監督、柳本晶一監督のお三方。誰一人、金メダルではありませんね。小島監督は銀(ミュンヘン)、米田監督は銅(ロス)こそ最高位。柳本監督に至ってはメダルなし。

 意外や意外?金メダルの大松博文監督、山田重雄監督とも通算100勝未満のようでした。それがどうした?記録より記憶なのよ、などと反論されそうですが…。

 最後に。日本経済新聞愛読者の私としては、バレーボール関係者、特に山田氏に日経
「私の履歴書」執筆していただきたかったですね…。「私の…」執筆は各界での成功者を意味する、最高の栄誉なのです。

6053アルタガモワ:2019/06/13(木) 20:19:49
すみません。忘れてました。
広瀬選手人気で居て当たり前だったのか?つい忘れてました(汗)
彼女も大活躍でしたよ!練習時から小島監督は「皆下手やからな〜〜〜」と言われてましたが広瀬のレシーブだけに関しては「広瀬のレシーブの形は相変わらず変わらずええな〜〜〜!」ってな事を監督さん言ってたし当時のコーチ西村さんにもレシーブ練習時広瀬に対して小島さん「西村行け〜〜〜!」って連呼してましたよ!2000年前後の東洋紡のライト西村選手のお父さんだったんですね!後で知ってビックリしました。
最近では西村コーチ健康食品のCMに出演さるていますよね!話が飛んでしまいました。

6054岡本 すいか:2019/06/14(金) 08:08:30
IY初代・小田監督、ご病気が…
 おはようございます。

 本日は休み(久しぶり)なので、しばらくぶりに投稿(といっても、あまり多重にはならないように)させていただきましょう。

 私は自己満足のブログやツイッターなどはしないし、信じない人間ですが、それでも、その
ブログで『イトーヨーカドー・初代監督・小田正道氏が危篤!?』との情報をまた聞きし、居てもたってもいられなくなりました。バレーボール界では、近年でも下記、アルタガモワさんも上げてくださった『悲運のサウスポー』水原理枝子選手、米田一典監督とも早世されてしまいました。事実関係を確認し、一刻も早い小田氏のご回復をお祈りするとともに、小田氏が自身のサイトで挙げられていたエピソードもお披露目させていただきたく存じます。数年前の『生沼死亡説』のように、ガセ(?)で終わってくれればいいのですが。因みに、生沼スミエさんと小田氏は同学年(今年73歳)、全日本⇔ヨーカドーで監督をされたのも同時期。

 なんと、泉州高校で監督をされていた当時、プレイングマネジャーだった野村克也監督
(南海)がご覧になったそうです。およそ、あの智将・ノムさんからはバレーボールのイメージが伝わってこないのですが…。夫人(故・沙知代さん)帯同だったのかも。のちに、ヤクルトにて黄金期を築いた原動力になった、と小田氏は自負されているようです(笑)。

 小田氏の存命を信じ、皆様にもその雄姿を思い出していただけるように、往年のエピソードを

6055岡本 すいか:2019/06/14(金) 18:48:50
隣の芝生は青い…はないと思います。
 こんばんは。

 只今、都立多摩図書館は整理休館中です。再開後、今度は叔父のため、バドミントン・マガジンを創刊(昭和55年)から調べてみたいと思っています。

 さて、私事で恐縮ながら、その叔父、いとこ、そして姪っ子二人と、拙宅界隈の駒沢公園で
バドミントンをしました。姪っ子たちを“公園デビュー”させたのです。こちらでは、
『異種目(バドミントン)から見たバレーボール』について、叔父の見方を中心にお伝えさせていただければ。

 きょうび、落日のバレーボールとは対照的に?文字通り『飛ぶ鳥を落とす』などと形容されているバドミントンですが、死角はあります。まずは、選手の生活。現時点では、バドミントンは
プロ化されていませんが、プロ化されるのは時間の問題と思われます。プロ化は世界バドミントン界の趨勢なのです。さもなくば、優秀な選手は皆海外プロ移籍してしまうでしょう。では、現行のアマ選手の所得は、といえば、契約社員に毛が生えた程度のようで、とてもサラリーマン生活では食べていけないようです。それこそ『古き良き時代の全日本バレーボール選手』のように、遠征に次ぐ遠征で、1年間のうち半分は職場を留守にしても、一般社員と同額の給料をもらえたご時世ではないようです。1年間のうち、大多数遠征に費やしてしまえば、それだけ減収になる。

 もう一件は、シングルス、男女それぞれのダブルスは優秀ですが、唯一ミックス(男女混成ダブルス)では伸び悩んでいるようです。にもかかわらず、日本では、中学校〜高校レベルではミックスはない。ようやく、大学に入ってからは一部、それも近年遅まきながら採用されたようですが、ミックスは既にミュンヘン五輪のエキシビジョン時代から実在します。因みに、ミュンヘンでは、これもエキシビジョンの悲哀からか『異国の男女ミックス』(例えば、英国とデンマークの男女)もあったそうです。当時、黄金期だったバレーボールで、例えば『全日本の女子と韓国の男子の混成』など、考えられないでしょう?

 あと、叔父もいっていましたが、個人競技のバドミントンに背番号は必要なのでしょうか。あっても、ほとんど印象には残りません。バレーボールのように、年齢や役職(主将)を意味するのでも、またプロ野球のように永久欠番があるのでもないのです。あまり意味はないでしょう。因みに、サンヨー時代、『オグシオ』の“オグ”小椋久美子選手は11番でした。

 これらのことから、決してバドミントン界も安泰ではない、と、競技者としての目で叔父は見たようです。

 最後に。叔父宅にて、駒沢公園で撮影された、昔日の写真が発見されました。今は亡き祖父が撮影してくれたものです。祖父直筆で昭和59年8月5日、といいますから、当時5歳、物心つく前。道理で記憶がないはずです。記憶がないバドミントン公園デビューこそ、その日でした。
そして、バレーボールファンの皆様にとっては…その日こそ、あのロス五輪準決勝・日中戦だったのです(日本時間では、6日午前10時くらいでしょうか)。

6056岡本 すいか:2019/06/17(月) 11:27:40
工業哀歌バレーボーイズ
 こんにちは。

 皆さん、特にアルタガモワさんへ。2点質問させていただきたく思います。「22年ぶり…」の再戦の時、広瀬選手は太っていましたか?恐らく、太っていないでしょう(現役時代と同じ、公称57?くらい?)。太っていれば、現役時代さながらのバレー、特にレシーブなどできないはず。それにしても、謎です。引退後はバレーボール界から一切合財一線を画している専業主婦のはずなのに、どこでどう動いていたのでしょうか。それもまた、広瀬伝説のひとつになりそうです。
女子選手の体重公表…今から見れば、随分失礼かつ、女性のデリカシーに対しても甘い時代ですよね。体重別の競技でもないのに。

 もう一件はタイトル通り。ずばり、バレーボール漫画です。村田ひろゆき氏の。平成元年から18年間も連載されたという…ちょうど、ソウル五輪の翌年、改元された新時代。
バレーボールは男女とも凋落が始まったばかりのときのようですね。皆様はご覧になりましたか?アニメ化(OVAだったようですが)またはドラマ化もされたようです。まだ、バレーボールがずばり『白球』だった当時ですね。

6057アルタガモワ:2019/06/17(月) 23:17:33
すいか様
樹理以外は皆スマートでしたよ!只、広瀬、江上はやっぱり脚の筋肉が断然衰えていました。当然ですよね。水原、奥嶋選手は日頃から鍛えていたのでしょうか?アスリート体型の印象でした。

6058岡本 すいか:2019/06/18(火) 06:17:12
バレーから『足を洗う』タイミングも肝心?
 おはようございます。

 アルタガモワさん、ありがとうございます。そうですね、平成14年当時、広瀬選手(現・中島姓)43歳ですから、衰えは必然。

 広瀬選手などは、いいタイミングで、バレーから『足を洗えて』その意味では充実したバレー人生だったのではないでしょうか。こうして過去形になるだけで。
『バレーから足を洗いたいのに(?)洗えなくて、今、泥沼でもがいているであろう』ロス五輪時代の後輩がいるのですから…。

6059カルバハル:2019/06/18(火) 09:55:30
広瀬美代子
確か引退した後、世界旅行をしたと聞いてます。

6060カルバハル:2019/06/18(火) 10:04:23
中田久美
バレーボールしか無い世界で育ったのも、今もバレーボールしか無い生きられない中田久美は幸運なのか?不幸なのか?判りませんが、バレーボールで今も監督をしてる割りには戦略、戦術の勉強が不足してると思います。日本は伝統的にナショナルチームの監督が、変わると、ガラッと選手を変えたり戦略戦術も変わります。仕事と違い引き継ぎ業務は無いんでしょう。良いところは活かして、自分流にアレンジするべきですが、企業の壁があり女子バレーボールは監督丸投げみたいな体質が長年続いてました。

6061岡本 すいか:2019/06/19(水) 11:49:10
舞子から世界へ!の先輩と後輩…
 こんにちは。

 カルバハルさん、お久しぶりです。なんだか、私ばかり多重投稿、連投っぽくなったようで恐縮です。

 私事で恐縮ながら、わが母校・兵庫県立舞子高は『舞子から世界へ!』を標榜しています。
恥ずかしながら、私自身は未だ海外渡航未経験、パスポートさえ未保持です。日本国内だけで精一杯力一杯です。当然のことながら、広瀬選手はバレーボールで『舞子から世界へ!』飛び出した1期生です。主たる国際大会だけでも、香港、ペルー、インド、ロスアンジェルス。本来なら、『モスクワ』もあってしかるべきだったんでしょうけどね…。無論、このほかにも全日本、ユニチカとも海外遠征は多く、それも長かったはずです。それだけ、職場を留守にしても、一般社員と同額の給料をもらえた…それだけ、バレーボールに対して周囲からの理解があった古き良き時代ですよね。バレーボールを通じて、学校での授業以上の『生きた英語』を学ばれたことでしょう。なにしろ“頭の回転の速い”広瀬選手ですから。

 そして、もうひとり。私も教わった諏訪清二氏(兵庫県英語教員でした。舞子高でも教鞭。私も教わっていた当時、阪神・淡路大震災を経験。7年後、新設・環境防災科の科長に。現在は教員から退職しました)です。私は新協定1期生として、オーラル・コミュニケーションを教わりましたが、せいぜい
『Do you speak English?』『Do you Speak More slowly?』『I can't speak English well…I'm sorry』
くらいしか…。諏訪先生、至らない教え子でスイマセン。

 その点、今バレー部を率いている教員4年目・27歳の監督でしたら信頼できるかも。次の次の五輪に(バレーボールが競技として続いていれば、ですが)、広瀬選手以来の舞子高OGを送り込もう、と高い志を持ってくれているようです。仮に、続いていてくれたとしても、既に広瀬選手の後輩は監督じゃないでしょうけど…

 カルハバルさんへ。中田久美(中だるみ?)監督でなければ、一体どなたなら適任でしょうか?>現行・全日本の監督
某所では、川合俊一氏の名前が挙がっていたようですが…。

6062岡本 すいか:2019/06/20(木) 12:02:59
「4年に一度」の五輪で8年ぶりとは…!
 こんにちは。

 ここでは、主に男子側のエピソードをお伝えさせていただければ。すれ違いは百も承知ですが、ご返信くだされば有難いのです。モントリオール〜ロスの「8年ぶり」。

 田中幹保選手は、その「8年ぶり出場」を実現させました。ボイコットの女子とは好対照、
最初から出場権を得られなかった男子ですが、その後よもやの『五輪全体ボイコット』で、男女とも差がなくなってしまいました。女子はモントリオールに次ぐ連覇候補だったのに…。女子、そしてファンにとっては実に理不尽だったと思います。他方『史上初、五輪出場権を得られなかった』男子、特に中村祐造監督にとっては救われた?その男子不遇の時代、上記田中選手とともに活躍しながら、結局五輪とは縁のなかった、間が悪かった選手に花輪晴彦選手、藤田幸光選手がいます。藤田選手など『ロス五輪の時に限って…』ケガをしていたようです。

 女子では。その間の「8年ぶり出場」を、皆様横山樹理選手には実現してもらいたかったでしょうね。ただ、ワールドカップや世界選手権での、彼女の衰えを見る限り、それは叶わぬ夢だったかも…とは皆様の意見のようですね。大先輩・松村勝美選手はそれを出場させました(東京→ミュンヘンの8年ぶり)。男子では、同時期に上記、中村祐造選手の「8年ぶり」。ともに、メキシコ五輪不選出。

 最後に。吉原知子選手も「8年ぶり(アトランタ→アテネ。シドニーは出場権なし)」だったのでしょうか。吉原選手の後輩が、村上浩子選手(元近鉄・村上隆行選手の実妹且つ同・中村紀洋選手の夫人。従って、中村ノリ選手にとっては、村上選手は義兄)だったとは初耳です。

6063カルバハル:2019/06/21(金) 05:57:56
ナショナルチームの監督
本当は実績のある良い外国人監督が良いですね。朗 平とか、日本人だと客観的にみて合理性のある川合。

6064カルバハル:2019/06/21(金) 06:02:11
広瀬美代子
遠征中で世界中を回ってますが、空き時間があった時しか観光出来なかったから引退後、世界一周するよくな海外旅行をしたんでさしょう。遠征中は移動、練習、試合、その国の大使館のパティーなんかで、殆ど観光なんて出来ません。

6065岡本 すいか:2019/06/22(土) 17:19:31
アルタガモワさんからヒントを…!
 こんにちは。

 皆さん、ありがとうございます。
カルバハルさん、そのようですね。「白球の長い旅」を見ても、全日本・女子バレーボールチームは、各国大使館、特にソ連などでは、国賓並みの厚遇だったようですから。今はやりの!?「男尊女卑」は、特に、当時でも男女バレーボールチームにおいては顕著だったみたいですね。
アルタガモワさんへ。かつて『1980年代(昭和50年代から昭和60年代、そして改元直後)のビデオを、大枚はたいて…』とおっしゃっていましたよね。

 それこそ、私にとっては実は大きなヒントになりました。

 私事で恐縮ながら、叔父(74歳。終戦前年生まれですので、東京五輪当時は二十歳でした)からのリクエストに応えようと、都立多摩図書館に…と思ったのですが、なかなかスケジュールが合わず、叔父には申し訳ないことをしています。叔父は『男子バレーボールの名門だった』NKKの統合後の企業を定年退職してから14年、悠々自適な毎日です。他方、今でも現役バドラーです(プレー歴61年)。横浜文化体育館の対面にある神奈川県・バドミントン協会に足しげく通っているようです。バレーボールでも、幾多の名場面を演出した横浜文化体育館も、あと一年半の余命…。

 そんな中、昭和50年代後半の名場面集を編成することにしました。無論、私的な使用に限りますので、著作権侵害させようとは思いません。
叔父もまた、広瀬選手もお気に入りのひとりでしたので。ほぼ、広瀬選手の全日本所属時期と被るでしょう。その時々のよりよい記事からピックアップしまして、パウチします。

主なところでは…
幻の第22回モスクワ・オリンピック→第3回ワールドカップ→第9回世界選手権→(小島監督から生沼監督に交代)→第9回アジア大会→(生沼監督から米田監督・山田総監督に交代)→第3回アジア選手権→第23回ロスアンジェルス・オリンピック
でしょうか。

叔父は、自身の『もしもの時に、あの箱にも…』といっていました(東京五輪世代も、もうそんな年です)…。

6066岡本 すいか:2019/06/22(土) 17:38:41
重大なことを…
 度々、いろんなことで失礼しました。
もう幾度となくお名前を間違えてしまって…カルバハルさん

 もう一件、これこそが、叔父からの最大のリクエストではないでしょうか。

「東京オリンピック20周年記念イベント・メダリスト同窓会(昭和59年7月14日、大阪市内で実施のようです。ロス五輪壮行会と同時)」

過去に、私自身も幾度となく上げさせていただきました。月刊バレーボール、昭和59年9月号からです。お持ちのほうは、永久保存版にしてくだされば。
特に。次の3組(総勢12名。さすが、バレーボールです)の組み合わせこそ、必見と思います。

(モントリオール・金)岡本真理子×金坂克子×横山樹理×矢野広美
(東京・銅 出町豊)×(メキシコ・銀)小野沢愛子×(メキシコ&ミュンヘン・銀)生沼スミエ
(モントリオール・金)松田紀子×前田悦智子

6067岡本 すいか:2019/06/23(日) 06:15:53
直前に交代?メキシコ五輪時の吉田主将
 おはようございます。

 カルバハルさん、『名選手(中田久美選手がそういえたか?でしょうけど…)必ずしも名監督にあらず』なのでしょうか。それも大げさな表現でしょうか。
バレーボールでは、山田重雄監督−米田一典監督の師弟コンビが『高校、大学の選手止まり→監督』の実例。皆さん、ぜひとも通算100勝監督の米田監督も名将と認めてください。師匠の山田氏より勝っているのです。
高校野球では、KIさんが度々挙げられる(お気に入りの?)PL学園・中村順司監督など、その好例。高校時代は『万年球拾い』だったようですから…
『名選手であり、名監督』…バレーボールでは、中田監督と同時代に現役だったランピン(郎平)選手→監督が、いい意味でその例外になりそうでしょうか
プロ野球では、史上初の通算2000本安打&巨人V9を率いた川上哲治監督でしょうか。

 山田監督が初めて率いたメキシコ五輪。自社・日立主体でありながら、主将は他社から、というのも、のちの2回(モントリオール・飯田、ソウル・江上)と同様だったようです。ただ、直前になってから、この吉田主将になにかトラブルがあったようで、結局五輪本チャンでは、自社の主将・高山鈴江選手が代理の形で主将を務めたようですね。弱冠21歳のキャプテン、自社ならともかく、五輪ではバレーボール、または日本代表に限らず、団体競技での最年少記録ではないでしょうか。それにもかかわらず、銀メダルだったのですから、もっと評価されるべきだったでしょうね。『金でなければ…』は、あまりにも、当時の見る目が偏見且つ盲目だった、といえるのでは。

 ただし。『握るか倒れるか、コートで選手が選んでくれると思います』とは、間違えても、今の監督や選手がいえるセリフではないでしょうね。今、監督も選手も、そこまで切迫感をもってコートには立っていないでしょう。
さすが、戦時中に小中学生時代、勤労奉仕生活を送った山田監督ならではのセリフです。石原慎太郎氏が度々口にされるセリフ『引いたらおしまい』に通じるのではないでしょうか。

6068岡本 すいか:2019/06/24(月) 18:53:29
「父子鷹」ならぬ「母娘鷹!?」物語
 こんばんは。

 長い巨人軍の史上初、通算3回目の監督就任で脚光を浴びている「万年青年」原辰徳監督。
(お亡くなりになって5年になる)監督である実父・貢さんとの『父子鷹』物語は、世間一般的にも有名かと思います。それにしても、高校(神奈川県・東海大相模高)時代の原選手は絶大な人気だったようですね。『神奈川県・原辰徳』でも、毎日おびただしい数量のファンレターが自宅に郵送されたといいます。同時代の人気バレーボール選手(男女とも)も、同様だったのでしょうか。

 バレーボールにおいても、決して二世(母娘)選手は珍しくはないでしょうけど、それこそ
「巨人の星」のような熱血指導で母も娘も有名に…とはなりにくいものなのでしょうか。
上記、原監督とは同世代でもある江上由美さん(現姓・丸山)は、お嬢さんもバレーボール選手とは伝聞していますが、母親ほどにはならなかったようですね。そもそも、バレーボールそのものが、江上改め丸山選手引退後は底なき斜陽…ですものね。

6069岡本 すいか:2019/06/25(火) 03:57:27
バレーボールでも見たかった?オールドスター戦
 おはようございます。

 また多重っぽくなるかもしれませんが、これでも「5日で6項目」ですから、非常識な数字でもないように思っています。飽きることなくご返信くだされば幸いです。
ただ、リアルタイムではないのと、バレーボールのプレー経験がないせいもあって、皆さんとは違って、大分マニアックな切り口は否めないかと…。例えば「ひかり攻撃」とか「ブロード攻撃」とか振られても、技術面に関してはほとんど返信できず恐縮です。あくまでも、私にとっては、バレーボールは『見るもの』なのです。

 過去、幾度となく「東京オリンピック20周年記念イベント・メダリスト同窓会」について投稿させていただきました。昭和59年夏、ロスアンジェルス・オリンピック壮行会に先駆けて。
下記スレッドにもあります。皆様、このような企画が実施されれば、オールドスター戦もご覧になりたいと思いますよね。それこそ、「リメンバー・幻のモスクワ五輪」みたいな…。

 プロ野球では、実施されたようです。それも、本チャンのオールスターのエキシビジョンとして。ちょうど、バレーボールの「メダリスト…」が行われた翌週、7月21日に。後楽園球場、オールスター第1戦の前座に、「プロ野球50周年…」と銘打たれ、王貞治監督(当時巨人監督)、長嶋茂雄氏など、錚錚たる顔ぶれが勢ぞろい。そして、お亡くなりになった球界の名将・三原脩・水原茂両氏を追悼するセレモニーも行われたようです。

 長嶋氏といえば…この「50周年オールドスター」の更に翌週28日、今度はバレーボールの一同らとともにロスアンジェルスに飛び、現地レポート『へい、カール!』などと、カール・ルイス選手に声をかけており、プロ野球ファンでなくともお馴染みの名(迷?)場面かと思います。

 最後に。本日は、プロ野球での史上初の「天覧試合」60周年の記念日です…。

6070岡本 すいか:2019/06/25(火) 04:20:55
バレーの世界選手権とバッティングしてしまった…バドミントン日本リーグ
 もう一件投稿させていただきます…。

 昭和57年秋、バレーボールの世界選手権については、こちらではもう語りつくされているかと思います。全く同時期(9月12〜25日)、バドミントンでも第4回(昭和54年スタート)日本リーグが行われており、実は、この大会を最後に『世界女王』湯木博恵選手(カワサキラケット)が現役引退されたのです。それだけではありません。対照的に、陣内貴美子選手(サントリー)がデビュー。そして、北田スミ子選手(サンヨー)も。バドミントンの新旧女王が勢ぞろい。オリンピックには、エキシビジョンとして湯木(ミュンヘン)、北田(ソウル)、そして正式競技後に陣内(バルセロナ)と、それぞれ出場。

『バドミントン?湯木博恵?それがどうした?こちらは横山樹理が…』
などと、バレーファンの皆さんはおっしゃるかもしれません。事実、当時新聞記事などを拝見すると、バレーボール(世界選手権だからかもしれませんが…)や、プロ野球(藤田巨人と近藤中日が、史上空前の“毛差”デッドヒート)とは比較すれば、信じられないほど、バドミントンは冷遇されているのです。
しかし…世界女王(4回世界一)ですよ。もう少し注目されてくれても…とは思われます。過去、その湯木選手を挙げてくださったカルバハルさんは流石です。

 本日、2か月ぶりに新装なった?都立多摩図書館に向かいます。今度は「バドミントン・マガジン」について、その昭和57年から数年(ちょうど、ロス五輪の裏で、営々と…プレーされていたのでしょうか)、まだ陣内選手の若かりし頃に注目してみたいです。

同時に、図書館界隈にある、各々スポーツ施設についても訪問したいのですが、日立・一橋体育館は廃部後即マンションが建てられてしまったようですね。今年建立から40周年になる、西武球場(標高100mだそうです。周囲には多摩湖・狭山湖)界隈は、まだ間もないころ、現役だった日立・金坂克子選手と、旦那さんがデートされた名所のようです。

6071岡本 すいか:2019/06/26(水) 06:27:55
北田スミ子も『これから、私の時代に…』
 おはようございます。

 先述させていただいた通り、きのうは多摩図書館に向かいました。あまりにも没頭しすぎたせいか?日立・体育館跡地及び西武球場前来訪は取りやめにせざるを得ないくらい。月刊バドミントン3年分と、同時期の月刊バレーボール(1冊)と読み比べたのです。

 やはり、バドミントン界のレジェンド・湯木博恵選手、北田スミ子選手、陣内貴美子選手が勢揃いする、圧巻でしたね。しかし…やはり五輪に出場できなければ寂しい。ロス五輪の時も、
オリンピックのオの字も出ていない…。漸く『次回、ソウル五輪にはエキシビジョンとして…』
桜内義雄・バドミントン協会会長の談話が紹介された程度です。

 湯木選手に関しての連載及び経歴にも、「オリンピック(ミュンヘン))が出てこないのは寂しい限りです。無論、最もそのご本人こそそう思われていたと思います。そんな湯木選手の生涯の伴侶であった、新沼謙治氏は、どのような思いをもって、来夏五輪のバドミントン競技(無論、昭和39年当時は未開催。候補にさえ上がらなかったようです)をご覧になるのでしょうか。

きっと『博恵にも見せたかった、また見てもらいたかったなあ…』と。

 月刊バレーボール(昭和57年12月号)のほうは杉山選手が表紙でした。杉山選手は、ソウル五輪では同学年の北田スミ子選手と一緒になっているはず。杉山選手は無論、北田選手だって、もう少し注目されてよかったはずです。世界での実績が過小評価されていたようですね。この第4回日本リーグでは、陣内−北田は、史上まれにみるハイレベルな新人賞争いだったようです
(ちょうど、その前年のバレーボール、第15回日本リーグにおける、中田−三屋のような)。
北田選手こそ、新人賞から惜しくも落選したとき、こう思ったと思いますよ。
『これから、私の時代にして見せる』

6072岡本 すいか:2019/06/27(木) 21:22:02
バレーボールも、外国人コーチの採用…
 こんばんは。

 某所では、全日本・中田現体制はもう限界、川合俊一氏が適任者、との意見が多数占めていました。カルバハルさんもまた、個人的意見と前置きされたうえで『合理主義者の外国人監督、または男性なら同じく川合、整合性があるから』。

 度々恐縮ながら、バドミントン界では、監督でこそないものの、ヘッドコーチが外国人(韓国人)のパク・ジュボン氏。初めて、バドミントンが正式競技に採用されたバルセロナ五輪、男子金メダリスト(余談ながら、同五輪の、日本の旗手が中田久美選手だったのがなんとも因果な巡りあわせ)。なんと、アテネ五輪の時日本代表チームの同ポストに就任してから、早くも16年。

 監督よりも、コーチのほうがテコ入れにはいいかも。コーチにも逃げられているそうですから…。中田監督にとっては、ロス五輪時代の、気心のしれた同僚なら適任かも…とも瞬時に思いましたが、もう皆アラカンですものね…。

6073岡本 すいか:2019/06/29(土) 07:17:15
イギリスでのバレーボールの認知度
 おはようございます。

 余計なこととは百も承知ながら、私はギネスブック協会に問い合わせ&リクエストさせていただきました。
こちらの皆様にとっては、恐らく最大の誇りの記録でしょう
『モントリオール・オリンピックでの、バレーボール競技、オールストレート金メダルはギネスブックには認定されましたか。もし、まだでしたら登録を望みます』と。

 どうも、イギリスでは、バレーボールに対しての認知度が高くはないようですね。以前にも上げさせていただいたかもしれませんが、バレーボールでは、『ニチボー貝塚(いわゆる東洋の魔女)の通算258連勝』は登録されているようです。また、モントリオール・オリンピック関連では、ナディア・コマネチ選手の合計メダル獲得数も。

 そのイギリスで行われたロンドン・オリンピックで、全日本女子が28年ぶりメダル…を獲得したのも、なにかの因縁でしょうか。

6074岡本 すいか:2019/06/29(土) 23:23:49
『バレーに興味のない一般人』が見た混合競技の魅力
 こんばんは。

 ビートたけし氏は『バレーに興味がない一般人』(あくまで本人談)だそうです。その割には、昭和50年代「ビートたけしのスポーツ大将」にて、バレーボールを含む各種スポーツに、角界のOB・OGとともに、ご自身も挑戦されていたことは皆さまのほうがご記憶でしょう(私自身は物心つく前)。

 とある掲示板によれば『21世紀に入ってからは、オリンピックでさえ、男女混合競技が奨励される時代』と書き込まれていました。そこでは、『混血はどうか、日本民族として威厳が…』と問題提起されており、その後バレーボールのモントリオール金・前田悦智子、白井貴子両選手とも混血、と引き合いに出され、そのことが原因として侃々諤々の口角泡あふれる(?)論争になっていたようです。

 その点、たけし氏はさすがです。昭和50年代、既に『男女混合競技の魅力』を伝えていたようですから。『野球やバレーボールの魅力もあるけど…』と引き合いに出しながら、バドミントンのミックス(男女混合ダブル)をしていました。パートナーは、ご自身の夫人ではなかったようですが…。本人曰く『新沼謙治の前座』だけあって、その直後に、本当に(のちに夫婦になる)湯木博恵選手×新沼氏ペアが登場してきたようです。

 前置きが長くなりましたが、同番組では、そのバレーボール部門、野球部門もあったようです。皆様、恐らくバレーボール部門はご存じかもしれません。現役引退されたばかりの白井貴子、横山樹理、小田初枝各々選手が出演。特に野球部門はある種たけし氏の専門?といっていいでしょう。

 たけし氏の『バレーに興味のない…』はいい意味で当てにはならないでしょう。さすがに、ひねくれ者を自称?しているだけあります。
彼から見た背番号5番の代名詞…についても語っていたようです。偶然かもしれませんが、ほとんどは同番組の出演者。なんとバドミントンでは上記、湯木選手のカワサキラケットでの背番号(バドミントンでは日本リーグのみ着用)。そのせいか、新沼氏にも「5番」を着けさせようとしていたみたいですね。プロ野球では河埜和正選手(巨人)。元来、たけし氏は巨人ファンだけあって、引退直後の河埜選手が出演していたとしても違和感はありません。そして…本人談『興味のない…』はずのバレーボールでは、日本代表ながらも、小野沢愛子→生沼スミエ→白井貴子。いずれも、たけし氏とは同世代の選手。生沼さんは同学年。白井選手以外は、皆いぶし銀の選手ですね。バレーボール以外の湯木、河埜選手も。

 『バレーに興味のない…(自称)』たけし氏にも、白井選手をはじめ、当時のバレーボール選手がお馴染みの存在だったのですね。それこそ、まだバレーボールに威厳があった当時のようですね。

6075岡本 すいか:2019/06/30(日) 00:00:08
「坊主憎けりゃ…」はどうかなあ!?
 度重なる連投失礼します(これで10項連続)。それでも、一週間での通算ですから、管理人さんお許しください。思い余ることがありましたので。

 当所と同じように、女子バレーボール(そちらは現代版)について語り合っている掲示板がありますね。そこには、アルタガモワさんも度々いらっしゃっているようです。ただ、全日本女子、バレーボールを愛するがあまり、贔屓の引き倒しでしょうが、中には『坊主憎けりゃ、袈裟まで憎し』的な書き込みがあるのは、それこそ疑問です。中田監督の現役時代、またその当時の先輩まで否定されている。バレーボールファンの端くれとして、ながらも不愉快に感じます。

 あくまでも、問題の本質は『監督としての中田久美』であって、現役時代ではないように思います。ましてや、当時の先輩方は皆優しい、立派な大人の女性です。生沼、江上、三屋、広瀬…。
同所での『混血選手は、日本の民族としては勝ったことには…』書き込みにも、それは違うんじゃないの!?と思ってしまいますね。

 こちらは、そんな書き込みはないでしょうし、どちらでもアルタガモワさんも『それはそれ、これはこれ』と問題点は区別されているようで、こちらにいればほっとします。

6076岡本 すいか:2019/07/02(火) 19:52:08
称賛されるべき”美しきチャレンジャー”
 こんばんは。

 私事ながら、私自身はバレーボールのほかのスポーツではプロ野球、バドミントンなどに関心を持っています。どうしても、この両競技を引き合いに出すことが多くなるかと思いますが、よろしくお願いします。初期には結構いらしたようですが、今はこちらには女子プロレスのファンのほうはいらっしゃらないようですね
(私はプロレスやバスケット、サッカーにはてんで関心はありません…)。

 昭和52年、プロアマ問わず、日本のスポーツ界では2つの“世界一”に沸いたかと思います。プロ野球では、王貞治選手の通算756号。アマチュアリズム、バレーボールでは女子の世界三冠。

 私達は日本人、それも勝負の世界ですから、どうしても勝者(国別の大会では日本)に注目してしまうのは無理からぬことでしょう。しかし、その陰には、王者にチャレンジする(結果的には)敗者がいるのです。王選手の場合は、相手は「世界2位」ではないですが」(この場合は打たれた相手投手が該当します)、世界新記録を献上した鈴木康二朗投手(ヤクルト)こそ、美しきチャレンジャーとして称えられています。王選手に堂々と勝負し、フルカウントから決め球を投じたのですが…。
ちょうど、このシーズンにオールスターに初出場するなど、12勝を挙げた主力投手。翌年には、ヤクルト初優勝にも多大に貢献しました。開幕投手も歴任し、先発でもリリーフでも、セでもパ(のち、近鉄に移籍)でも活躍したのです。それも、王選手に世界新記録を決められた屈辱をバネに飛躍したから。新記録を献上した投手への「サイパン旅行」に対して、一度は断りながらも、最終的にはご両親にプレゼントした話も、逸話として語り継がれています。

 プロ野球との引き合いが長くなりました。失礼しました。

 バレーボールでは。同年の世界選手権、相手のキューバは“美しきチャレンジャー”だったのでしょうか。オリンピックほどでもないでしょうが、その三冠目を決める(勝者にも敗者にも印象深いはずの)最後のシーンなどがあれば、ご存じのほうは教えてくだされば幸いです。こじ付けかもしれませんが、この直後キューバが世界王者に飛躍する過程と、鈴木投手が飛躍する過程がだぶって見えるのです。

 最後に。本来なら『3つの世界記録』といいたかったところですが、バドミントンはこの両競技から比べれば、あまりにもかけ離れた、不遇の当時だったようですね
(以前にも挙げさせていただいた湯木博恵選手。実に4度目の世界一だったのですが)。こちらにも、最後のシーンがあるはず。当時発行されていたバドミントンの協会雑誌を調べてみます。

6077アルタガモワ:2019/07/03(水) 21:05:10
私は・・・
ビューティーペアが好きで特にマキ上田が好きでした(汗)

6078岡本 すいか:2019/07/04(木) 16:24:45
ロス五輪・松田紀子選手の解説
 こんにちは。

 ようやく、私の連投記録(?)に終止符が打たれた?ようでまずはほっとしました。決して、こちらのBBSを私物化しようとしたのではありません。たまたま、投稿が重なっただけと思っています。好みが偏っており、聞きづらい点もあろうかとは存じますが、今後ともよろしくお願いします。

アルタガモワさんへ
 以前からお聞きしたかったのですが、プロ野球はお好きではありませんか?失礼ながら、荒木大輔投手(ヤクルト)とは同世代でいらっしゃるかと…。それはもう、当時絶大な人気だったはずですよ。高校時代は言うに及ばず、ヤクルトでも巨人キラーとして活躍。一度肘を痛めて再起不能とされましたが、不死鳥的な復帰の後は、ヤクルトの14年ぶり優勝と日本一にも貢献。

 さて、アルタガモワさんや上記荒木投手は二十歳だった昭和59年夏。まだまだ知らなかった“ロスアンジェルス・オリンピックの真相”が知れました。今は「バレーボールJAPAN」(ベースボールマガジン社)を読んでいます。
意外や意外!?バレーボール競技(それも女子)も、日本テレビから生中継されていたのです。昼間は衛星生中継、夜は衛星録画の二部構成。ゲスト・小泉志津男氏、あるいは松田紀子選手(当時ダイエー)。
松田選手は、口数は多くなく、それなりに聞きやすい解説だったみたいですね。同局は、バレーボールでは専属解説者はなく、ゲスト制。他局は前田豊氏、小山勉氏(テレビ朝日。運命の日中準決勝生中継)または生沼スミエさん(フジテレビ。3位決定戦・日本対ペルー戦生中継)だったのに対して。これで、いい意味で「日本テレビとバレーボールの相性」が確立されました。私的には、既に斜陽期に入っていたグラチャン以降しか印象がなかったので。

 ラジオでも、特に文化放送は随時ロス五輪速報(無論、バレーボールも)をしていました。あるいは、朝の五輪ダイジェスト番組に河西昌枝さんをゲストに呼んだり。ただ、生中継ではなかったのは残念ですが…。

6079アルタガモワ:2019/07/04(木) 16:48:46
荒木大輔選手
とは同学年です。勿論知ってますよ!当時はアイドル的存在でジョアかヤクルト製品のCMに出てましたが知らない間に引退されて・・・最近テレビで見て卒倒しました。

6080岡本 すいか:2019/07/04(木) 17:03:31
背番号11番が似合っています!
 決して媚びるつもりではありませんが…。小高笑子選手も、荒木大輔投手も「背番号11!」。
小高選手はロス五輪での背番号。荒木投手は早稲田実業(1年生当時)、ヤクルトでの背番号。
どちらも似合っているのです。取引先の関係者が、小高選手の川越商業での3級先輩でした。来年還暦です。ということは、小高選手も…。

 アルタガモワさんへ
 早速ありがとうございます。この年は0勝5敗でしたが…。翌年以降、江戸っ子・土橋正幸監督のもと飛躍されたようです。巨人戦、阪神戦、それも後楽園、甲子園と超満員でも動じない度胸。アイドルは伊達ではなかったようです。今もなお、ユニフォーム組(日本ハム二軍監督)です。

6081岡本 すいか:2019/07/06(土) 00:42:31
「神様、仏様…」の金言“郷に入っては郷に従え”
 こんばんは。

 各界において、「神様・仏様、〜様」と称された偉人は何人もいらっしゃるかと思います。私的には、バレーボール、バドミントン、プロ野球と1人ずつ、印象深いかたがいらっしゃるので、引き合いに出しながらもお伝えさせていただければと思います。心技体、いずれも超一流でであることは言うまでもないかと。

 まずは、バレーボールから。もう、こちらでは幾度となく上がっているのでお馴染みですよね、江上由美選手。技と体…に関しては皆さまのほうがご存じかと思います。十八番、といえるかとはわかりませんが、技術面では、特に背面のボールに対して、無類の強さを発揮されたようですね。生沼スミエさんをして『江上は背中に目がついているんじゃないの』と言わしめたようです。背面ダイビングレシーブ、などという超人的プレーも。
ここでは、広い意味では「心」の部分に該当するのでしょう、彼女の『郷に入っては…』ぶりをお伝えします。口にこそ出していないようですが、国際的檜舞台では、その国、そしてその国民にいち早く適応しようと、コートの外でも努力されたようです。ほかの選手はほとんど顔を出さなかったという、選手村のサロンにも、率先して足を運んだとか。その姿勢こそ「神様、仏様…」なのでしょう。

 続けて、バドミントン界の「神様、仏様…」は中山紀子選手、です。東京オリンピック直後、誰もバドミントンには注目していない不遇の時代から、ユーバー杯、全英選手権の出場常連。
そして、エキシビジョンとはいえ、ミュンヘン・オリンピックではシングルスでは金メダル。パイオニアです。十八番は『地面すれすれのバックハンド』。ソフトテニス経験者の私から見て、
バックハンドを得意とする中山選手は本当に凄い。生き神様です。ソフトテニスとは違って、バドミントンは、必ずノーバウンドで超速の打球(シャトル)を拾わなければならないんですから。その中山選手の、ミュンヘン・オリンピックでの国際交流録。エキシビジョン競技ゆえの悲哀か、まず入場行進をさせてもらえず、スタンドにも入館できなかったそうです。他国、例えばマレーシアの同競技の選手は入場行進できたのに。練習にしても、選手村から10km以上も離れた国防軍の基地・体育館まで足労し、他国の選手と呉越同舟で汗を流したようです。それだけに、コートを離れても、選手村のホールでも賑やかに踊り合い、ジョークも本音も応酬したといいます。
『もっと、スポーツばかりでなく、国際親善も楽しむべきではなかろうか』。

 ミュンヘン五輪当時でも、既に絶大な人気だったはずのバレーボールの選手にしてみれば『そんなのわかっているわよ!』と言いたいところでしょう。妙齢の女性から見れば、オリンピックに選ばれるところは、海外旅行先としても魅力あふれる土地のはずです。
また、ミュンヘンでの小島孝治監督、ロスでの米田一典監督にとっては『俺達は現地に観光に来たんじゃない。金メダルを取りに来たんだ』と思っていたはず。選手も首脳陣も、楽しみたいのは山々でしょうが、どうしても日の丸の重圧のほうが先に立つ。そして、マスコミの厳しい監視の目。バレーボールファンから見たら、それこそご尤もなのでしょう。ロス五輪の時など、試合会場のロス・ビーチアリーナからはわずか10分の会場を押さえたそうです(米田監督より、寧ろ山田総監督の手回しによるものでしょうか)。

 一方では、異国の選手や、上記中山選手のようなエキシビジョン競技の選手から見たら、それが島国根性?のようです。ロス五輪では、それがよくない方向に出てしまったのかもしれません。
後年、広瀬選手は『チームとしても、ものすごい重圧を感じていて、選手村の思い出といっても、試合場と練習場と食堂の往復だけでした』。とても現地を、そしてその国の人々と楽しめる雰囲気はなかったようです。恐らく江上選手も、いや彼女こそ、一番そのジレンマを感じていたのでは。引退後は、漸く江上選手、広瀬選手とも海外旅行を心底楽しめる環境になったのではないでしょうか。ひょっとしたら、幻の五輪になったモスクワも回ったのでは。

 長くなりました。最後に。神様、仏様…といえば元来は稲尾和久投手(西鉄)に与えられた愛称です。通算276勝、1シーズン42勝、同じく1シーズン400イニング到達2回、そして日本シリーズ6試合登板2回、いずれも巨人を倒してのV3…。昭和59年当時はロッテの監督を務められていました。十八番『キラリと光って、消える』スライダー。

6082岡本 すいか:2019/07/07(日) 13:12:23
ドキュメント化された「(ロスの)美しき戦士たち」
 こんにちは。

 ロスアンジェルス・オリンピック当時、『美しき戦士たち』と称賛された、全日本女子・バレーボール。このフレーズは存じ上げていましたが、ドキュメント化され、またその原作本まで実在したとは。これもまた、都立多摩図書館にて調べるだけの価値がありますね。

 同五輪大会中には、他局でも、また男子でもバレーボール・ドキュメントが立て続けに放送されていたようです。ある火曜日、赤坂の某局から、全日本女子の直前合宿に潜入取材した(と思われる)ドキュメントも放映されました。放映中、山田総監督が、杉山(加)選手を『ちょっとは頭を使えってんだ』と小突いたり、森田選手に対しては脅し文句にも聞こえる強い言葉を発したり(彼女は無視を決め込んだようです)…。

 一方、男子でも。ある日曜日、前年早逝されたばかりの猫田勝敏監督(専売広島。享年39)のドキュメントも放映されました。猫田氏の夫人の手記「父さんを奪ったバレーが憎い…」が
原作となっているようです。こちらにいらっしゃる皆様なら、猫田氏の功績は先刻ご存じでしょう。オリンピック4回連続出場(東京→メキシコ→ミュンヘン→モントリオール)、は、日本選手では、また世界でもバレーボールでは唯一。世界の他競技規模でも数えるほどしかない記録のようです。バレーボールの枠さえ超越した記録。文字通り「世界の猫田」。私事ながら、私の叔父は同い年(早生まれの猫田氏が1学年上級)、今でも『猫田が生きていれば…』と心底惜しんでいるようです。その当時も、ドキュメントを視聴して、思わず涙を流した…とか。

 男女のバレーファンの皆様は、猫田氏のドキュメントをご覧になった翌朝、今度は女子のバレーボール準決勝・運命の日中戦をご覧になったのでしょうか。叔父はそうだったようです。

 どの掲示板だったでしょうか(こちらではないかと思います)、
『中田久美にも、男子の猫田のような、いつでも冷静な、相手を慮った言動とトスワークがあれば…』などと評されたように思います。
 最後に。私論で恐縮ではありますが…私的ながら、今はテレビは『オワコン』だと思っています。昨年、どこかの国の大統領の発言でお馴染みになった『オワコン』。私だけではなく、身の回りでも、同様の意見は数多く聞かれます。決して、私自身がつまらない、と感じるだけでもないと思います。今のスポーツ、バレーボールもその片棒を担いでいる…と思うと切ないです。バレーボールが弱くなった、だけでもないでしょう。とても、五輪前年の盛り上がりはないように思います。『強くて見栄えのあった黄金期のバレーボール』も、(石原裕次郎氏や美空みばりさんらのように)早く帰ってきて!
従って、自宅にはテレビはなくても、生活には全く差し支えありません。ラジオがあれば充分です。

6083アルタガモワ:2019/07/08(月) 05:38:20
美しき戦士達
ビデオ持ってますよ!確かにあれが当時の全日本の現実だったのでしょうね!森田への山田監督の「暗示に掛かりやすいのはちょっと危ないね〜〜〜!」って如何にもレギュラー外す或いは全日本にでさへエントリーは難しいで!みたいな精神的脅迫でしたね!所が森田は「は〜〜〜〜ん?」みたいな如何にも反抗的な目で山田へ無言の反論!腹が座ってましたね!
一方の杉山は言われっぱなし・・・あれはカルテットの前で残酷でしたよね・・・大谷がアタックブロックされて三屋が「さー一本!」って切り替えのムードをしたたで三屋が今度は山田に叱られて・・・でも今の全日本の選手達にあれが通じるかどうかは・・・?
今じゃ「選手の人格が!」なんて・・・だから勝てないし岩坂みたいな空気みたいな選手が全日本のキャプテンは愚かエントリーされ続けているんでしょうね・・・。どうせ負けても悔しいなんて全く頭には無い感じ!

6084岡本 すいか:2019/07/09(火) 11:55:45
ロス五輪(第2次)当時とのバレー・野球の今昔比較
 こんにちは。

 アルタガモワさん、ビデオをお持ちになっていますか。米田監督、存在感皆無?と思われる辛い。曲がりなりにも、ロス五輪では「監督」は米田さんなのですから。米田監督のファンより。

 まずは、先刻ご存じとは思いますが…昭和59年ロスアンジェルス・オリンピックは「第2次」となる旨からお伝えしなければなりませんね。9年後、通算3回目のロス五輪が開催される予定です。五輪3回…史上初じゃないですか。そのころまで、バレーボールは競技として生き残っているか…!?

 第2次ロス五輪当時が昔と呼べるかは議論が分かれるところでしょうが、敢えて今昔として比較します。それも、バレーボールとともに「凋落の一途」と称されているプロ野球もともに。次の3項目から。ここでは、昔…昭和59年、今…今年とさせていただければ。独断と偏見百も承知です。

一…試合の舞台
プロ野球…昔 オープンエアと決まっていました。日本では、ドームがデビューする以前。東京ドームもなく、後楽園球場でした。また、新幹線も今ほど極端ではなく、移動にも苦労しました。中止が続く可能性が高く、その場合はダブルヘッダーが幾多も行われていました。
→今 ドーム最盛期に。パリーグなど、本拠地6ケ所のうち、4ケ所がドーム。それゆえ、
まずダブルヘッダーが行われません。
バレーボール…昔 9人制を除き、体育館と決まっていました。
→今 ビーチバレー導入後は『屋内競技』の特異性が薄れてしまいました。ここ数年来化とおもっていましたが、昭和62年には男子の全日本選手(川合俊一選手ら)も大会に出場していたとは意外でした。最初は男子から、だったのですが…。いつしか女子のほうが人気先行となったようです。

二…人数
プロ野球…昔 9人制(セリーグ)または10人制(パリーグ。指名打者あり)で、オールスターや日本シリーズの時は論争になっていました。『どちらが有利か』として。セとパが対決する上記舞台では、パ本拠地でも、まだあまり指名打者は採用されず。
→今 セリーグも10人制に慣れてしまったようです。当時からルールは同じようですが、ここ十数年採用の交流戦(公式戦の通算成績にも反映)のせいでしょうか。

三…キャッチフレーズ
プロ野球…昔 『人気のセ、実力のパ』(昭和59年も、オールスターではパが2勝1敗と勝ち越し。特に第1戦、セ主催の後楽園球場ではパが14得点の新記録。しかし、視聴率、観客動員とも圧倒的にセ)
→今 『パ高セ低』。

バレーボール…昔 『1強7弱(日立とその他のチーム。7チームが束になっても日立には及ばない)』→今 『全弱(!?)』(五輪のパートナー企業である、某鉄道会社の車内ビジョン『トレーン・チャンネル』にも話題に上がらず)
 

6085アルタガモワ:2019/07/09(火) 17:41:18
米田さんは
ほぼ映って無かった様に思います。ネット越しにレシーブ練習の時に「キッコーっ!」って打ち付けていたシーンくらいでした。

あの当時の日立ってハイマン・クロケットが居ても負けませんでしたもんね。
綺麗なバレーでしたね。

6086岡本 すいか:2019/07/10(水) 05:33:00
「名古屋」での日ソ対抗バレー
 おはようございます。

アルタガモワさんへ
 早速ご返信ありがとうございます。ある意味『山田総監督による、山田総監督のためのチーム』だったのは仕方なかったのかも。今はやり!?の言葉でいえば、米田監督のほうが『雇われ監督』だったのかもしれません。でも、さすがですね。『キッコ!』。日立時代から、手塩にかけてきた弟子、もとい妹のような?石田選手の“美しき戦士”抜擢を喜んでいたのでしょう。

 その昭和59年春、当時恒例だった(ソ連消滅とともに終了したようです)日ソ対抗、愛知県総合体育館で最終戦が行われたのです。フジテレビからは生中継もされた。今では考えられませんね。名古屋とは、オリンピック、そして全日本、そしてバレーボールとはなにかと因縁が感じられます。まず、数年前には昭和63年秋のオリンピック、ソウルと誘致合戦したこと。完敗だったようですね。全日本では、上記日ソ対抗では男女問わずお馴染みな会場となっていたこと。そして、今は広瀬選手が中島夫人として長年在住されていること。

 アルタガモワさんはご存じかと思います。モスクワの報復として、今度はロスアンジェルス・
オリンピックにはソ連のほうがボイコットしたのです。その日ソ対抗の時点では「日中米ソ」が
メダル争いカルテットだったようですが…。ソ連にも、クーデター以前に『ロスの悲劇』があったのです。日本もそうだったと思いますが、五輪ボイコットはあくまで国家の政治レベルの争いからであって、選手団の意志ではありませんからね…。また、結果的にはロスでは報われましたが、モスクワは(アジア選手権金メダルの)中国も不参加でした。中国にも『モスクワの悲劇』はあったのです…。

 まだ、五輪参加が、御家(国家)事情によって大きく左右される時代だった(来年も内情は変わらない?)ようです。

6087飛魚:2019/07/10(水) 22:55:08
キッコ
そのキッコさん、長野県の実業団チームのルートインホテルのコーチされてますよ!
同期に利部さんですが、1978年の世界選手権で高校生で代表になった村田美津子や吉川良子などと同期なのよね〜

6088岡本 すいか:2019/07/10(水) 23:58:48
世界一若い還暦!?二人の「裕子」さん
 こんばんは。

 飛魚さん、初めまして。来年石田選手は還暦を迎えられるようですが、信じられません。三屋選手とともに「世界でも若い(むしろ童顔の)部類の還暦」になるのでは。
日ソ対抗に関して、補足させていただければ。中日新聞協力だったようです。だからこそ、毎年のように、特に女子が名古屋では日ソ対抗を…。
その名古屋とは対照的に、冬季とはいえ、長野は五輪を迎えられましたね。今、長野にて石田選手改め野口先生(大学教授)なのはお馴染みかと思います。

 前段が長くなりました。少し触れましたが、昨年、三屋選手が還暦を迎えて、この29日にはまた1年年齢を重ねるようです。信じられません。万年青年ならぬ“万年青女”、というところでしょうか。

 三屋選手と同学年に、舞台メーンの女優で土居裕子さん、がいます。愛媛県出身、宇和島東高→東京芸術大学卒。やはり才媛です。舞台「君はいい人、チャーリーブラウン」「アイラブ坊っちゃん」、吹替「キングダムハーツ」などに出演。お互いには面識があるかは存じませんが…。お二人とも若い。その原動力は立ち姿にあるようです。残念ながら、私が物心つく前に三屋選手は引退されてしまいましたが、彼女の現役時代の写真をみても、とにかく立ち姿からして美しいですね。上記、土居さんの出演舞台はいくつか拝見しました。私は舞台を度々観覧します。繰り返します、同学年でもある、この二人の「裕子さん」がどうしてもオーバーラップされるのです。

 こちらにいらっしゃる(黄金期をご存じで、かつご自身でもプレー経験のおありの)方とは、大分違った見方から、バレーボールを見てしまいます。回りくどいと称されるのは百も承知で…。

6089岡本 すいか:2019/07/12(金) 21:38:59
立川でも日ソ対抗
 こんばんは。

 まずは訂正からさせていただきます。オリンピック、バレーボール四大会連続出場といえば、
日本ではありませんが、女子にいます。ソ連・ルイスカリ選手。下記、男子・猫田選手と全く同時期、東京→メキシコ→ミュンヘン→シドニー、と4連続、金・銀2個ずつ。

 そのルイスカリ選手も常連でした、日ソ対抗につきまして、これも新たな発見がありました。立川市北口にある、泉体育館でも日ソ対抗が行われていたこと。しかも、生中継が日本テレビからでした。オリンピックと同様、専属解説者制度はなく、ゲスト解説の形で小山勉氏が務めたようです。先日、都立多摩図書館に向かった時に発見。

 猫田選手の話題を挙げせていていただいた手前、あとは男子のほうで。猫田選手がお亡くなりになった翌年(ロス五輪直前)猫田氏のおひざ元の広島市でも、ソ連・プラトノーフ監督からの要望で、日ソ対抗が行われたようです。なお、ソ連はこの直後には女子同様、無念のボイコット。プラトノーフ監督就任後は世界三冠どころか“五冠(モスクワ・オリンピックと、世界選手権2回ワールドカップ2回ずつ)だったのに…。

 最後に。ロス五輪当時には、春先ソ連のクラブチームを招待してのクラブチャンピオンシップ
(大会名は失念してしまいました…)も行われていたようです。ソ連のクラブチャンピオン「ADK」は女性監督でした。生沼スミエさんとはほぼ同世代、ただその方は小柄(162cm)でしたが…。生沼さん同様、かなりの“鷹派”に見えましたね。

6090ナイト07:2019/07/12(金) 23:17:02
東京から シドニー まで 連続出場だったとしたら
化け物です。
シドニー ?? >モントリオール ではないでしょうか?!

6091岡本 すいか:2019/07/14(日) 12:40:14
”利”部だけにご“利”益あり!日中対抗「東北新幹線シリーズ」
 こんにちは。

 飛魚さんへ
 石田選手とは最大の仲良し、同期入社の利部陽子選手。超低空サーブを切り札としている、いぶし銀の選手だったようですね。

 ロスアンジェルス・オリンピック1か月半前、昭和59年6月には、開通したばかりの東北新幹線沿線、宮城県体育館、岩手県体育館で2試合、女子バレーボールの日米対抗が行われました。
男子では、既に東北新幹線シリーズが行われていたようです。蘇武幸志選手、奥野浩昭選手(宮城県出身)、三橋栄三郎選手(青森県出身)と、当時の全日本代表に東北出身のほうが多かったようですからね。しかし、女子はなかなか日本リーグでも、国際試合でも縁がなかったようで。
秋田県出身の利部選手のご両親も、盛岡市からは少し離れた田沢湖のほとり、西仙北郡から駈け付けたようです。当時、彼女は、いわゆるオリンピック代表『12人目の選手』に選ばれるかの当落線上にあったのです。この試合で活躍したかは存じませんが、ともかくこの直後、利部選手は栄えある『12人目の選手』に選ばれ、同期入社の石田選手と歓喜しあったようです。失礼な言い方かもしれませんが、彼女は遅咲きの桜のようです。入社5年目の春、ちょうど米田監督×山田総監督体制になると同時に、漸く全日本デビュー。結構、長い下積みも乗り越えての全日本だったようです(石田選手は、既に小島監督、生沼監督時代には全日本の一員でした)。

 また、オリンピックでは銅メダル。この結果、また利部選手の起用法に対しては、35年経過した現在でもいろんな意見が今なおありましょうが、当の彼女が納得しているのならいいと、私などは思うのです。ロスでも、彼女の十八番である超低空サーブを放って活躍してくれたのでしょう。『大事な場面で起用してくれた山田先生には感謝しています。銅メダルも、味があっていいものですよ』。

6092岡本 すいか:2019/07/14(日) 12:45:48
日米対抗でした…
 失礼しました。

 郎平選手ではなく、ハイマン、クロケット選手らが相手でした。「東北新幹線シリーズ」は、
プロ野球、巨人がその当時お馴染みの主催興行としていました。ただし、この年は盛岡、仙台、郡山で2敗1分(中日3連戦)。王監督の就任1年目でしたが…。

6093岡本 すいか:2019/07/15(月) 00:59:24
『こんなメダル投げてしまいたい』松村勝美選手のエピソード
 こんばんは。

 東京オリンピック金メダル、ミュンヘン・オリンピック銀メダルの松村勝美選手に関して、知らなかったエピソードが…皆様にとってはお馴染みかもしれません。

 東京オリンピックでは、出場機会なしだったようです(背番号7だったようです)。尤も、
レギュラーの6人と、ピンチレシーバーの藤本選手以外の5人は出場機会なしは同じだったようですが。従って、ご本人にとっては『東洋の魔女・金メダリストの一員』と紹介されても、心の底ではむず痒さがあったようです。それゆえ、次回のオリンピック(メキシコ)では『今度は、自身が試合に出場して、自力で金メダル、?2を…!』と目標にしたのは当然と思います。

 ところが、オリンピック後のニチボーは再建に苦労し、前述のように、通算258連勝がストップ。ちょうど、そのころ松村選手も肝臓病を患った影響もあってか(後年、後輩の西川美代子選手がこの病気に苦しみ、“先輩の美代子”広瀬選手よりも早い現役引退に)メキシコには選ばれず。後輩の古川牧子選手に先を越され、しくじるたる思いがあったとは察するに余りあります。ミュンヘン・オリンピックでは『高校時代から苦楽を共にし、東京オリンピックではマネジャーだった』恩師・小島孝治監督下、キャプテンに。オリンピックでは珍しい「8年ぶり」の出場、既に28歳(希少な戦時中生まれ)、文字通り自身のバレー人生のすべてを懸けたのでしょう。

 コート上では、生沼スミエ選手と対角を務めたようですね。ライバル・日立のキャプテンとですから、まさに“呉越同舟”の趣き。結果については、再三再四語られている通りでしょう。
タイトルにも挙げさせていただいた、談話は有名だと思います。のちには『価値ある銀メダル』
と改められたとも。

 東京からモントリオールまではまだ『バレーボールはレギュラーの6人だけで勝てる』当時だったようですね。しかし、ロス以降は『控えの6人も含めた12人、もとい首脳陣、そしてマネジャーも含めた15人』の総力戦体制に変貌したのでしょう。松村選手は、東京では「出番なし」に終わってしまった経験から、早くから「十二人総戦力の重要性」を訴えていて、無論自身が主将の時にもその経験を生かされたようです。ミュンヘン・オリンピックの決勝は、当時としては珍しい、控え選手総出の総力戦でしたものね(件のテロの影響による延期もありましたが)。

 最後に。引退後は、バレーボールのみならず、剣道の海外普及活動にも貢献されていたとは意外でした(剣道にも、世界選手権があったんですね。それも、昭和45年から。ご主人と出逢われたのも、剣道が縁だったのでしょうか。)

6094岡本 すいか:2019/07/15(月) 01:05:35
訂正だらけで恐縮ですが…
 ナイト07さんへ
 遅蒔きながら、訂正いたします。そうです、モントリオール、でしたね。36年間も現役を続けられないですよ。

6095岡本 すいか:2019/07/15(月) 22:32:15
『松倉邸に出入り、入浴までした?!』宮島選手
 こんばんは。

 春先に不祥事を起こされてしまったという、松倉悦郎・元アナの更生をお祈りする意味でも…ドキュメント「美しき戦士たち」にて、全日本選手12人全員との交友録を披露されたうちでも、
特に印象深かった宮島恵子選手とのエピソードを紹介させていただきます。

 宮島選手は、松倉氏とは『元・隣組』だそうです。ともに大宮市出身。それゆえか、なんと、
日立の練習が休みの時には松倉邸に出入りし、彼の2人のお嬢さんと入浴まで…!?今なら、こんなことカミングアウトしようものなら、それこそ一大事になってしまうでしょう。それも許された、古き良き時代だったのでしょうね>昭和59年当時 それだけ、松倉氏が、一人の局アナを通り越して、人間的にも愛される人柄だったでしょう。松倉邸での宮島選手は、心行くまで鉄板焼きを食べ続けた、と。そして一緒に入浴したというお嬢さんに『月夜のバレーボール特訓』。どれもこれも、隔世の感さえ感じられるエピソードですね。

 そんな間柄だからこそ、五輪後の彼女の伸び悩みには可愛さ余ったのでしょう
『高校時代を思い出せ宮島…!』と。

6096岡本 すいか:2019/07/17(水) 12:06:11
東京・インスブルック広場の建設希望
 こんにちは。

 皆様、インスブルックなる地名をご存じでしょうか。昭和39年東京五輪の7か月前、冬季五輪が行われたオーストリアの土地です。こちらは、バレーボールの掲示板なので、冬季五輪など、
馴染みが薄いかもしれませんが…。昔は、2年に一度、特に夏季五輪と同年に冬季五輪も行われていたようで、そのケースで姉妹都市を締結した「札幌・ミュンヘン広場」などが実在します。

 現在は、冬季五輪も4年に一度(但し、うるう年ではない、ちょうど夏季五輪の中間)行われているので、冬季五輪と夏季五輪とはバッティングしないようです。従って、来年は冬季五輪はなく、無論「昭和39年に行われた五輪同士の記念」として、東京・インスブルックの交流が特段あればいいなあ、と感じている次第です。

6097岡本 すいか:2019/07/18(木) 22:08:49
素顔はセンチな?広瀬選手を救った佐々木マネジャー
 こんばんは。

 日立・三浦敏子マネジャーとともに、敏腕なマネジャーとして、側面から名門を支えたユニチカ・佐々木真理子マネジャー。選手経験者というのは三浦マネジャーも同じですが、佐々木マネジャーは、それなりの選手だったようです(後任は西川美代子選手)。文字通り、小島孝治監督の“小島語”を理解し、その片腕にもなったのでしょう。

 最も、彼女に助けられたのこそ、広瀬美代子選手ではないでしょうか。彼女の主将就任時には
『入社時、背番号20だった広瀬も、ついに今期からは背番号1番、そして主将になります。正直、口数は多くなく、しかも、勝ち気と言われているようで、実は素顔はセンチなのです。そして、チームは新旧交代期の真っただ中(横山樹里、小川かず子、水原理枝子各々選手大挙引退直後)。思い悩むことは多いはず。ぜひ、皆様暖かく応援してくだされば。私も可能な限り協力します』。

 センチの意味は分かりました。恐らく『コートのほかでは』、と講釈がつくのでしょう。アジア大会の結団式の時『郷ひろみ×松田聖子が婚約!?』との情報が流れただけで号泣し、周囲が当惑したといいます。広瀬選手はひろみファンですから。その時は(同じくこの大会が国際デビューになる)三浦マネジャーのみならず、大会には参加していないはずの佐々木マネジャーも、遠く大阪から叱咤激励したそうです。因みに、三浦マネジャーと、広瀬選手は同学年でもあります。その後は、単独チームでの重責とは好対照に、全日本では(控えにも追いやられ)孤立を強いられることになる広瀬選手を、表では三浦マネジャーが、そして裏でも、自社の佐々木マネジャーが、それぞれ支えたようです。

 その佐々木マネジャー。本来なら、モスクワ・オリンピックでは小島監督を支えるため同職として参加される予定でしたが、彼女にとっても、文字通り唯一の五輪出場の好機は“幻”に…。三浦マネジャーが『山田総監督の片腕として』ロス→ソウル、と正式役員として参加、脚光を浴びたのとは好対照になってしまったようです。

 佐々木マネジャーは、現役としては島影せい子選手(ミュンヘン五輪代表)と同世代だったようで、引退後の島影選手がゴルファーに転向されたときには『プロゴルファーのシマは、私達の誇り。皆で応援している』と激励されました(月刊バレーボール・昭和59年9月号より)。

6098岡本 すいか:2019/07/19(金) 22:05:25
意外や意外!?三屋選手の「背番号1」
 こんばんは。

 昭和56年暮れ(私事ながら、私は当時2歳でした)、日本中バレーボール・ブームを席巻したという第3回・ワールドカップ。「背番号1は主将」という、一種の暗黙の了解(と、思っているのは私だけ?でしょうか)を無視したのか?なんと、実業団としては1年目の三屋裕子選手が背番号1だったのです。正直、彼女の1番はイメージにもありませんでした。恐らく、単独チーム(日立)でも1番の着用経験はないはず(彼女の現役時代は、終始江上主将の時代だったでしょう)
同時に、『なぜか、主将なのに1番を着けたがらない横山樹理選手』でもありました。幻のモスクワ・オリンピックでは4番、このワールドカップでも2番。

 バレーボール(それも、オールドな)ファンの皆様から見たら、私など背番号妄信者に見えるかも。『単なる年齢順(実際に、その当時は年齢順が一般的だったようです)の整理番号』と、にべもなく撥ねつけられるかも。背番号0や永久欠番もありませんしね。それでも…私は背番号で選手のイメージを確立しているのです。

 最後に。余談ですが、ナイーブといえば三屋選手。失礼ながら、ケガが多く『ガラスの三屋』
などと称されたほか、彼女のお姉さんによれば『理想が高く、常にその目標に対して努力し、思い詰めている娘』と。技術的にも、スランプで悩むと周囲が見えなくなったようです。
彼女にとっては、お姉さん、そして(中学生の時からの旧知という)自社の三浦マネジャーは同学年であり、頼りになったようです。

6099岡本 すいか:2019/07/20(土) 18:57:17
美しき戦士たちにこそNCAAがお似合い!
 こんばんは。

 昭和59年当時、サントリーからのNCAAなる清涼飲料が実在したことをご存じのほうが多いと思います。キャッチコピー『がんばった人にも、そうでない人にもNCAA』。
例えば、当時の全日本・米田一典監督、山田重雄総監督とも、練習中は“NCAA”表記の
ジャージーを着用されていたかと。

 ぜひとも、彼らの選手である、美しき戦士たちにもCM出演してもらいたかったですね。CMは15〜20秒くらいなので、一人1秒くらいの出演で、12人総出演。(賛否両論はありましょうが)ロスでも、銅メダルは『がんばってくれた』結果と思いますので、1ダース(12本ずつ)選手全員に差し入れさせていただきたかったですね。私がもう少し大きければ…(なにしろ、物心つく前、リアルタイムどころではない5歳)。

6100岡本 すいか:2019/07/20(土) 19:14:40
背番号0番
 自身の投稿に対しての補足失礼します。
 昭和56年時はプロ野球でもありませんでした。背番号0番

 第1号は長嶋清幸選手(広島)、その2年後の昭和58年から。巨人では川相昌弘選手、平成元年から。今でも、バレーボールでは背番号0はないと思います。

6101岡本 すいか:2019/07/22(月) 12:22:58
ON砲ならぬ“EM砲”そろい踏みのリポビタンD
 こんにちは。

 ロスアンジェルス・オリンピック当時放映されていたCMといいますと、下記の「NCAA」
ではありませんが、リポビタンDがあったようです。JOC・IOC承認とあり、江上・三屋
両選手が登場。『ファイト一髪!』には程遠い、美しき両名ですが…。無論「リポビタンファイン」が発売されるより遥か大昔。

 それ以降、バレーボールの関係者が出演するCMなど、ほぼ皆無になってしまったのでは?

6102アルタガモワ:2019/07/22(月) 18:08:52
1991年頃
江上、三屋、石田の三人が牛乳のCMで「牛乳〜チャチャチャ!」ってアタック打ってるのを見た事がありますよ。とてもお金を掛けて無いCMでした。

6103岡本 すいか:2019/07/24(水) 12:19:24
同い年!プロ野球でも“18歳投手カルテット”
 こんにちは。

 アルタガモワさんへ
 平成3年頃、ですか。石田選手も併せて、皆既に日立から退社されていたのでしょう。バブル期だったのに、安上がりなCMでお茶を濁そうとされたのでしょうか>制作者側
牛乳チャチャチャ…安直とは思いますが、一世風靡のフレーズ『ニッポンチャチャチャ』から流用されたのかもしれませんね。まだ、当時は?リーグ移行前、純粋なアマチュアリズムのみでバレーボールが成立していたころのはず。既に、国際的な立ち位置は右肩下がりだったでしょうが…。

 昭和59年当時、“18歳カルテットとしてもてはやされたのは、ロスアンジェルス・オリンピックの代表4人だけではありません。プロ野球でも、水野雄仁投手(巨人)、津野浩投手(日本ハム)、渡辺久信投手(西武)、加藤伸一投手(南海)の18歳投手カルテットが実在したのです。
ただし、オリンピック代表のバレーボールのカルテットには、その時点では及ばず。春先から、
一軍公式戦ではバリバリ投げていたものの、誰もオールスターには選ばれず。
(4年に一度開催のオリンピックほどでこそないものの、毎年開催のオールスターこそ、プロ野球選手にとっては最高の栄誉)。ただし、後年、特に4年後ソウル・オリンピックの昭和63年には、上記カルテットがオールスター総出演。一方、ロスでのバレーボール・カルテットでは、引き続きソウルの代表に選ばれたのは中田・広の2人。

 デビュー当時だけでは、その評価は決められないものなのでしょうか。無論、皆まだ働き盛り。還暦まであと数年、野球・バレーボールそれぞれの最終章があるはず。
特に、全く同日誕生日(昭和40年9月3日生まれ)の中田久美・水野雄仁の両名はいわゆる
“指導者ユニフォーム組”(中田…バレーボール全日本女子監督、水野…巨人投手コーチ)。尤も、ユニフォーム着用には賛否両論あるでしょうけど…。

 プロ野球・投手のカルテットは“新人類”などと呼ばれていたようです。

6104岡本 すいか:2019/07/24(水) 18:42:12
『一億総バレーボール時代』と、斜陽期・凋落期トリオ
 こんばんは。

 下記、十八歳カルテットは『曲がりなりにも全日本女子バレーボールが輝けた時代の、最後の世代』でしょうね。個人的意見で恐縮ながら、私はロンドンの銅メダルも認めていません。あれで夢を見れた?甘いです。銅メダルでパレードなど、黄金期から見たらあり得ません。私は、ロンドンの選手など、だれ一人知りません。白井貴子選手を上回るアタッカーとか言われる『なんとかさん…』という有名な選手もいたようですが、ほとんど印象にありません。
一億総バレーボールの時代から見たらその程度、なのでしょう。リアルタイムで見たかったです。単に、私が無関心、リアルタイムではなく、且つプレーしていない人間の興味本位の見方に過ぎないのかもしれませんが…。

 ロス五輪直後、実業団には大林素子選手(日立)、中西千枝子選手(ユニチカ)、益子直美選手(イトーヨーカドー)と、有望な選手がデビューされました。しかしながら、全日本の、世界的な立ち位置はジリ貧に。下記の通り、彼女たちにとっては先輩にあたる、ロスでの『カルテット』も、五輪後は宮島選手、大谷選手と伸び悩み。その結果、昭和61年世界選手権(西ドイツ。東西統一前最後の大会)では『前回の4位からさえ更に下回る7位』と惨敗、そしてソウル五輪では、その後の暗雲を象徴する、山田監督(この時は、正真正銘「監督」です)の『ネット切り裂き事件』なども発生し、ついにメダルから転落…。あとの右肩下がりは皆さまご承知おきの通りと思います。その低迷は、今日まで、いやこれからも続くと思います。繰り返しますが、ロンドンの銅メダルは、決して『低迷期に終止符の快挙』ではないように思います。よくいっても、
気休め程度なものでしょう。未だ存命中の“東洋の魔女”だって、誰一人その結果には納得などしていないと思います。

 ロンドンの結果に満足されている方には、納得できないであろう個人的な意見とは存じますが、リアルタイムではないながらも往年の栄光に敬意を表しているものとして、あえて投稿させていただきます。

 最後に。主題の「凋落期トリオ」とは、私とは同学年の鈴木洋美・菅山かおる・高橋みゆきと思います。彼女たちが「白球」を追っているところを見たかった…(既に、カラーボール移行後の選手)

6105岡本 すいか:2019/07/25(木) 06:34:54
観月ありさもバレーボーラー
 おはようございます。

 過去スレッドにて、『女性芸能人のバレーボール経験者』について上がっていましたね。山口百恵氏、森尾由美氏…。この方も経験者なのです。

 『八頭身美女』観月ありさ氏。全日本・現監督とは同郷(練馬区大泉学園出身)。しかも、
中学校時代はそれなりな選手だったようです。もし、芸能界ではなくバレーボール界に進めば
(事実、明大中野高に進学しました。しかし…ゲイカツが多忙だったせいか中退に)、バレーボール界の窮地を救うだけの選手になれたかもしれません。…いや、芸能人のほうでよかったでしょうか?いずれにせよ、間違いなく、美形バレーボーラーとして人気者にはなったでしょうね。私自身より、2級年上(著名な選手ではどなたの世代でしょうか)、昭和51年度学年です。

6106アルタガモワ:2019/07/25(木) 18:17:05
1976年生まれ・・・?
佐々木みき、満永ひとみ、大懸郁美とかじゃないかな?大村加奈子も?

6107岡本 すいか:2019/07/25(木) 20:36:12
“悲運の名将”ヤシカ・舟山浩志監督
 こんばんは。

 アルタガモワさんへ
御返事ありがとうございます。…誰一人、その挙げてくださったお名前を知らないのが、バレーボールの地位低下(それこそ「バレーボールに興味のない、また私のような興味があっても知らない一般の人」には浸透しない時代に)を物語っているのでしょうね。そうです、昭和51年度(ありささんは昭和51年12月5日生まれ。練馬区出身。血液型A型。身長1m70cm)生まれです。既に、ありささんの時代には「芸能人バレーボール大会」など存在しなかったのでは!?

 悲運の名将。プロ野球では、大毎→阪急→近鉄、の西本幸雄監督の代名詞です。左記パリーグ
3チーム、いずれもリーグ優勝(通算8回)しながら、ついに一度も日本一には恵まれなかった、即ち日本シリーズ0勝8敗、でした。
女子バレーボール界では。ともに、通算100勝以上ながら、世界三大大会(オリンピック、世界選手権、ワールドカップ)とも金メダルの経験がない、小島孝治監督・米田一典監督のみならず…。
「三大大会のうち、世界選手権(昭和42年第5回)では優勝しているのに」万年2位のイメージを定着させられた(しかも本社は現在統合されてしまった)ヤシカ・舟山浩志監督ではないでしょうか。バレーボールチームは統合または廃部されてしまいましたが…それでも日立・ユニチカとも企業としては存続しているのがせめてもの救いです。バレーボールファンの皆様にとっては『バレーボールチームがなきゃ意味ないじゃん』となるでしょうけど…。ヤシカは、企業も
京セラに統廃合されてしまって実在しないようです…。
私は会社人間なので『バレーボールからは引退しても、生沼スミエさんのように、今度は社業として生きればいい(生沼さんは、解説は“本社広報課”としての活動の一環だったようです。そんな彼女は上記、第5回世界選手権優勝の経験者)』
と思っているのですが…。総スカンを承知で私論を失礼します。
東洋の魔女を皮切りに、ほとんどの往年の名選手でさえ、引退即(所属先の企業)退社、のようでしたね。

6108カルバハル:2019/07/25(木) 22:49:51
ヤシカは企業的に、京セラに、なりましたが、
バレーボール部はチーム移籍、NECとして引き継がれました。日立が実積をしてチーム移籍出来なかったのは残念。

6109カルバハル:2019/07/25(木) 22:51:31
幻の、モスクワ五輪
https://youtu.be/C0-0N_iZZg0

6110カルバハル:2019/07/25(木) 22:56:19
これも、懐かしの、動画
https://youtu.be/k4fj0a_oL8Q
貫禄が違う女子バレーボール

6111カルバハル:2019/07/25(木) 22:57:39
モントリオール
これは、完璧https://youtu.be/Q9AZjMWSHro

6112カルバハル:2019/07/25(木) 23:00:43
中国女子
https://youtu.be/shGD8sDR9Ok
4年後は世界チャンビオンですからね。

6113カルバハル:2019/07/25(木) 23:03:27
これは偶然
https://youtu.be/TTLw95lAUQU勝てたしあい

6114カルバハル:2019/07/25(木) 23:04:36
もう、低迷時代
https://youtu.be/lTLgbTVobao

6115カルバハル:2019/07/25(木) 23:06:21
まだアメリカも下手くそでした。
https://youtu.be/iQ7shLhsHkc

6116カルバハル:2019/07/25(木) 23:08:40
松田紀子の金メダルは
金メダル以上の価値があるhttps://youtu.be/ivzZuoxVeQI

6117岡本 すいか:2019/07/26(金) 06:35:13
エリツィン杯と、メドベージェフのバドミントン愛好家ぶり
 おはようございます。
カルバハルさん、お久しぶりです。相変わらず「古き良き時代」のバレーボールネタは尽きません。

 ボリス・エリツィン大統領。初代・新生ロシアの大統領です。彼のバレーボール愛好家ぶりは有名で、(ソ連はボイコットの)ロス五輪の翌年には、自身の名前を冠した「エリツィン杯」も開催。「江上・森田・三屋・広瀬後」のバレーボール斜陽期の選手たちが出場。
他方、メドベージェフ氏は「バドミントン、などという競技がこの世にあったのか」と揶揄されるくらいだったソ連末期→ロシア初期のこの国において、政治とともにバドミントン普及活動にも貢献されたようです。

 バドミントンにも「メドベージェフ杯」があったらいいのに…!?きっと、旧ソ連のバレーボール同様、新生ロシアもバドミントンは強いはずです。そういえば、バドミントンの正式競技採用初回のバルセロナでは「独立国家共同体」としてロシアも出場。

6118岡本 すいか:2019/07/27(土) 13:15:23
ルイスカリは(猫田のように)勲章、ドラマ化に!?
 こんにちは。

 カルバハルさんがこちらに見えていない(単に投稿されていなかっただけでしょうか)間、
男子バレーボールの猫田勝敏選手の偉業についてお伝えさせていたただ来ました。
『オリンピック、四大会連続出場(東京→メキシコ→ミュンヘン→モントリオール)』。こちらにいらっしゃる方なら、猫田氏のことはご存じと思います。決して、男子はすれ違いなどとは言われないで…。
そして、金(ミュンヘン)、銀(メキシコ)、銅(東京)と、金銀銅いずれも獲得。
モントリオール(当時32歳)では主将、そして騎手。バレーボール選手でオリンピックの旗手は、今の全日本監督と2人だけ。アジア大会では務めたことのある江上選手にもしてもらいたかったですが、
ロスは室伏重信選手(陸上)、ソウルは山下泰弘選手(柔道)でした。

 さて、バレーボールでオリンピック四大会連続といえば、女子でも。日本ではありませんが…。ソ連・ルイスカリ選手。猫田選手と全く同じ大会に、です。
恐らく、猫田選手とは同い年でしょう。東京オリンピックでは二十歳だったようです。そして金銀とも2個ずつ。
猫田選手は昭和58年9月4日、専売広島監督在任中、まだ39歳の若さで、胃がんのため早世されました。その直後、日本政府から勲章を“追随付与”されたそうです。日本国始まって以来のことのようです。その勲章名…難解すぎて出てきません。一周忌が迫り、後輩たちがロスアンジェルス・オリンピックを目前とした翌59年夏には夫人の手記「父さん、お帰りなさい」がドラマ化。猫田氏とは同世代(東京オリンピック当時は二十歳同士)の叔父は感涙したそうです。

 ソ連→ロシアでは。ルイスカリさんは政府から勲章を付与されたのでしょうか。また、彼女のバレーボール人生を描いたドラマ化などは…。存命中なら、もう後期高齢者の世代でしょう。
アメリカのバレーボール殿堂には入られているでしょう。ぜひ、猫田氏も…。

6119岡本 すいか:2019/07/27(土) 23:04:29
“五十歩百歩時代”を知らずに済んだ祖父
 こんばんは。

 以前、カルバハルさんはソウル五輪以降はバレーボール“五十歩百歩時代”とおっしゃっていましたよね。有能な選手が潰されるだけの…。結果(特にオリンピックの)を見れば明白。
私自身も、ロンドンでの銅メダルも認めていませんので。
その意味では、ちょうど昭和63年暮れ、改元直前に他界した祖父は幸せだったのかも。件の、ソウル五輪さえ病床にありましたので恐らく記憶にはないでしょう。昭和天皇よりわずかに早く、新年(わずか7日だった“幻の昭和64年”)さえ前に祖父は旅立ちました。

 そして、私はカルバハルさんが『黄金期とは逆の意味で印象深い』と称された、シドニー不出場(ボイコットのモスクワ以外では史上初)の“逆噴射同世代”(菅山かおる・鈴木洋美・高橋みゆき)
アルタガモワさん、この世代(特に高橋みゆき)に対して、かつて『プレーには伝統が継承されず、幼稚な話しぶりだけが継承される』と悲しがって(?)いらしたことをご記憶でしょうか。高橋みゆき…チャラいと揶揄されたようですから。同世代の私でさえも『チャラい』『暗黒』以外の印象が皆無。

6120岡本 すいか:2019/07/27(土) 23:40:39
王756号アナさえ瞬殺!?した「モリ」の毒舌
 続けて。

 知らぬが仏?下記“バレー五十歩百歩時代”を前に現役引退された(江上改め丸山選手とは対照的に、その後は復帰もなく)森田貴美枝選手。松倉悦郎アナ(当時)によると“恐怖の毒舌モニター”のようです。ドキュメント原作本「美しき戦士たち」より。

『よくよく聞いてみると、松倉さんて意外と間違いが多いんですよネ』
『先日の“某局のアナ”の実況、ひどかったですよねネ。王選手の756号HRも実況しているのに。日頃、ほとんどバレーボールなんか実況していないんだから…。後楽園だけではなく、
もっとバレーも取材にきてほしいですよね。まだ松倉さんのほうがいいかなあ…。』

 正直なところ、どなたかまでは存じませんが、森田選手のセリフから、「某局」とはどの局かは見当はつきます。カルバハルさんがおっしゃっていたように、ラジオではないでしょうね。
恐らく、松倉さんは後楽園でもそのアナとはお手合わせしているでしょう。ロスでは、ゲストの松田紀子選手(当時はまだ現役)と絶妙な掛け合いを展開したアナでしょうか。

 当時、バレーボール生中継では生沼スミエさんとの顔合わせで一世風靡されただけではなく、当時最盛期だったプロ野球ニュースでも、西本幸雄氏、土橋正幸氏、米田哲也氏らと絶妙な掛け合いを展開されたそうですから>松倉氏

 失礼ながら、美人とは言えない森田選手、ボソリとその“毒舌の被害”にあっている!?松倉氏は、日立の祝勝会でささやかに、松倉氏らしい?紳士的なブラックジョークで報復したそうです。
『モリ、松倉専務のスピーチの時一人だけうつむいていたけど…』。
よもや、ご両親が見えているとも思わず、慌てて取り消したそうですが、ご両親が後方で笑っていらしたからほっとした、と。直後のオリンピックでも、父兄の世話役幹事を務められた、森田選手のご両親は熱心ですよね。いつも、遥々大阪からいらしていたようです。

6121岡本 すいか:2019/07/29(月) 16:43:30
「モスクワの裏側」でのパラリンピックおよびバレーボールについて
 こんにちは。

 21世紀に入ってからの「身体障がい者の社会参加」の一環として、それに合わせるようにパラリンピックも行われてきたのかと思っていました。しかし、既に昭和35年ローマ・オリンピックではオリンピック後に行われていたのですね。

 当時は、今日とは比べ物にならないくらい、身体障がい者に対しては偏見が強かったと思います。東京オリンピック直後も「開催された記録」はあるのですが、やはりオリンピックのほうが印象が強かったのと、逆に当時は身体障がい者は「日陰者」扱いだったのも否めないかと思います。事実、車いす生活者に限られたようです。脳障害などの内部障がい者の参加は、モントリオール・パラリンピックから。

 日本から見れば、悲劇の…と形容されるモスクワ・オリンピックのときでも、オランダで行われた。なお、やはり日本は不参加だったようですが。

 バレーボールはいつから採用されていたのでしょうか。レスを強要するつもりはありませんが、関心を持っていただければ…ぜひご返信お待ちしています。

6122岡本 すいか:2019/07/29(月) 17:03:17
美しき戦士たちを愛称で呼んだ!?松倉氏
 続けて。

 下記の通り、ドキュメント「美しき戦士たち」では、フジテレビ・松倉悦郎アナ(当時)が、『心と心のふれあい』と銘打って、当時の美しき12戦士(ロスアンジェルス・代表)を愛称で呼び、各人とのエピソードを紹介していました。妙齢の女性にもかかわらず、愛称で呼んでも『なれなれしい』などと反発されないところが、当時の松倉氏の人徳だったのでは、と思うのです。
松倉氏とは同世代の叔父の見解では。松倉氏に肖り?ここでは、彼女たちとは面識のない私も
愛称でお伝えさせていただきます。どの愛称がだれを指すか、こちらにいらっしゃる方ならご存知でしょう。以下、「ほぼ」松倉氏の原文。全く同じですと、著作権侵害にもなりかねないようなので。

 昭和58年7月7日、香港での「スーパースリー・トーナメント」での試合後。「クンちゃん」
「ポッキー」「オウ」「ミヤ」の17歳カルテット(当時)に、九龍でのメーンストレートを撮影のため歩いてもらう。しばらくすると、ポッキーだけ姿が見えない。万一、なにか事件が…
と今やってきた道を引き返すと、芸能人の商品を売っている屋台の前でポッキーが立ち止まっているではないか。
『ポッキー、どうしたの?』と僕が声をかけると、ポッキーは『これ、ほしいな…』とマッチ(
近藤真彦)のブロマイドを指さした。僕が買ってあげると、またポッキーは三人が待つメーンストリートに戻っていった。
後日、名古屋での日ソ対抗を取材したとき、応援にいらしていたポッキーのお母さんに痛く感謝され、恐縮してしまった。僕が買ってあげたのは日本円にして200円のブロマイドであった…。

 まだ、イギリス占領下での香港でのエピソード。にもかかわらず「屋台」ですか。さすが香港ですね。クンちゃんとは対照的に、既にバレーボールからは離れて久しいポッキー、このエピソードをご記憶でしょうか。

6123岡本 すいか:2019/07/29(月) 17:22:08
オランダでの第6回パラリンピックには日本は参加していました…
 知らなかった…。

 オリンピックには不参加(ボイコット)でも、パラリンピックには参加されたとは。
しかも、既にバレーボールも競技にあった。日本は、メダル数では第15位でした。
オリンピック側も、「政治情勢に影響されなかった」パラリンピックを見習うべきです。

6124岡本 すいか:2019/07/29(月) 22:04:51
日テレアナの名言「7月30日は金メダル記念日」
 こんばんは。

 昭和59年夏、日本テレビ・芦沢俊美アナウンサーがある新聞に『オリンピックで、慣れないバレーボール実況を』との副題で、ゲスト・松田紀子選手との掛け合いの様子を執筆されていましたので、お伝えします。因みに、森田選手が指摘していた『王756号HR実況アナ』は、彼ではないようです。
以下が、その内容。

 昭和51年7月30日、モントリオール・オリンピック決勝戦以来。モスクワのボイコットを挟みましたが…
昭和59年7月30日、ロス・ビーチアリーナ、ロスアンジェルス・オリンピック第3日、女子バレーボール予選リーグ、日本対韓国戦
芦沢『8年ぶりに、オリンピックのコートに、日の丸女子が帰ってきました!ゲストはダイエー・松田紀子選手です。ご承知おきの通り、前回日本が出場した8年前モントリオール・オリンピックの金メダルに輝いた名セッターです』

試合前…
芦沢『8年も経過すると、選手の顔触れは一変してしまいますね。モスクワの件があり、全員初出場ですからねえ。男子では、田中幹保が唯一モントリオールからの経験者ですが』
松田『ええ、特に女子はね。それにしても8年…早いですね。今、自分がコートに立つより緊張しています』
芦沢『そうですか…こちらにいらっしゃる松田選手は、今も尚現役です!』
松田『(照れながら)ありがとうございます。チームの力になれているかわかりませんけど…』
芦沢『いいえ、松田選手のお力は大きいと思います。ベンチの米田監督も高く評価されていますよ。昨季、ダイエーは、地域リーグ全勝優勝でした。この冬からは実業団リーグ、そして目標は3年での日本リーグエントリー、ですよね』
芦沢『こちらが8年前、松田選手が大活躍され、日本が金メダルを獲得した時の映像です』
(お約束な?映像が流れ…)
松田『私もまだ若かったですね…。今大会でも、全日本女子の皆さんが金メダルを獲ってくれるよう、期待しています。出場2大会、ということなら、ある意味連覇の夢もあるわけですから』。

試合中…
松田(表情を曇らせ)『選手の表情、動きとも硬いですねえ』
(モスクワの報復としてボイコットしてしまった)ソ連の代替出場・韓国を相手に、まさかの第1セットを先取され、『よもや…』と暗雲が垂れ込める中、米田監督がタイムアウト。
芦沢『おっと、オリンピック中は陣頭指揮を執ると宣言した山田総監督ではなく、米田監督が
選手たちに伝令しています、その顔は、といえば笑顔ですね』
松田『米田さん、なにを選手に伝えているのかまでは、ここからはわかりませんけど、にこやかですね。』
芦沢『選手にとっては、試合中監督が笑顔で指示してくれたほうが、やりやすいものなのでしょうか』
松田『ええ、救われますね。監督の試合中の役割って、1回30秒のタイムアウトを2回までとることだけ。わずか30秒間ではなにもできないんですよ。いかに、日ごろから選手がプレーしやすい環境を構築するか、が監督の役割だ、と常々山田先生も米田さんも言っておられます』

米田伝令(恐らく山田総監督の指示によるものでしょうけど)が効いたのか、その後日本は第2セットから捲土重来、3セット連取して逆転勝利。

試合後
芦沢『8年ぶり出場の金メダル記念日に、序盤は苦しみながらもなんとか予選第1戦、勝利を収めることができました』
松田『ええ、選手の皆さんも山田先生、米田さんもほっとされているのではないでしょうか。まずはよかったです。久しぶりに、私自身も手に汗握りました』

 全日本女子バレーの金メダル記念日。日付までは関心がなかった…という方は、今後は
お見知りおきくだされば。7月30日(昭和51年モントリオール)と、10月23日(昭和39年東京)、です。

6125岡本 すいか:2019/07/30(火) 03:46:59
日中国交正常化が遅れたから…
 おはようございます(?)

 監督として、ロスアンジェルス・オリンピックなど、世界三冠に輝くことになる
中国・偉袁民監督。現役時代、ほとんどスポーツマンとしては活躍できなかったのは、中国が
文化大革命、そして日本とも国交正常化が遅れたためのようですね。
※私の個人的意見で恐縮ながら、表現的には「アスリート」は使いたくないです。感覚的に抽象的な感じがするので。
ミュンヘン・オリンピック直後に、日中国交正常化され、その途端にバレーボール、バドミントンを含め、中国が、アジアはおろか、世界的にもトップに躍り出たのは周知の通りでしょう。郎平選手(バレーボール)、韓健選手(バドミントン)などは時代の寵児でしょう。
昭和47年暮れ、バドミントン協会の雑誌「バドミントン界」には、むしろ当時のバレーボール雑誌よりも詳細にそのあたりの経緯が掲載されていました。

 ついでに。やはり…とは思っていましたが、白井貴子選手と湯木博恵選手とは交友があったようです。同世代(湯木選手が4歳年上)といえるかは微妙ですが、少なくとも同郷、岡山県出身同士。ほぼ同時期に、お互いオリンピックのメダルと、三「回以上の世界一を経験したのです。
ミュンヘンの選手村でも、アイスクリーム店の前で接している写真が、「バドミントン界」には掲載。数年前、白井改め高木貴子さんが杉並区職員として、スポーツ振興の活動をしていた時も、湯木改め新沼博恵さんを招いてバドミントン教室を行っていたようです。

6126岡本 すいか:2019/08/01(木) 18:59:05
バレーボールとバドミントンの因果etc …
 こんばんわ。

 月刊バドミントン界(叔父所蔵、ミュンヘン・オリンピック直後。因みに、都立多摩図書館には所蔵しないそうです)を読んでいたら、あらゆる新発見がありましたので、バレーボールファンの皆様にもお伝えさせていただきましょう。

 想像以上に、バドミントン界はバレーボール界を意識していたようです。今なお生涯現役のバドラーであり、バレーボールファンでもある叔父より。私事で恐縮ながら、今、叔父は薄れゆく記憶と必死で多戦っているさ中であります。(アルツハイマーではありませんけど)。東京オリンピックの時二十歳、今秋には後期高齢者になる世代なのです。私達に、バレーボール黄金期の生きた記憶を伝えてくれようと…。

 前置きが長くなりました。まずは、昭和47年12月号「今月の言葉」より。現役引退時の生沼スミエ選手の名言が流用されていたのです。皆様はご存じでしょうか。
記者『スポーツをしてきて、今思うことはなんですか』
生沼『社会への還元』
記者『こんにちに至るまでの長いバレーボール生活を振り返って一言』
生沼『性別、年齢、地位に関係なく、大勢の人と接せられ、その話し合いを通じて他人の手から、よりよいものを引き出せたから…』。
バドミントンの記者は「報恩感謝の気持」と総括、これをバドミントンの選手にも置き換え、
さらなる奮起を促しています。ご承知おきとは思いますが、正式競技、公開競技の差こそあれ、
ミュンヘン・オリンピックでは、同じバレーボール・ホールにて戦った仲間なのです。バレーボール側は、所詮当時はエキシビジョンに過ぎなかったバドミントンなど眼中にはなかったかもしれませんけど…。
更に、翌月の同誌では「百万人のバドミントン教室」のコラムで、
『バドミントンのスマッシュは、バレーボールのアタックからヒントを得たものである』、と
バレーボールを立てたような記事も、投稿されていました(佐藤茂雄氏より)。
バドミントンでは、バレーボールにない『バックハンド・スマッシュ』もあります。はるか後年、陣内貴美子選手が十八番としていたバックハンド・スマッシュ。その長身から打ち下ろす…。世間一般と同様、バドミントン界でも、身長165?でも“長身”なのです。バレーボールやバスケットが、あまりにも「身長」の意味では世間一般からは特殊すぎている…のでしょうか。
更に。バドミントン、女子でも世界トップ選手のスマッシュ(フォアハンドで、ですが)は初速320km/hにもなることも併せてお伝えします。まだ、リニアカーが実験段階に過ぎなかった昭和47年当時、デンマークのトップ選手、ラーセン選手の実測数値、のようです。バレーボール、それも男子でも初速130kmに過ぎない、とされていた当時で。
尤も、同郷の湯木博恵選手とも交友がある、白井貴子選手なら。
実際に、ミュンヘン・オリンピック直後は
『ゴルフやテニスなど、自分を生かせる道を模索しました(本人・談。サンスポ連載より)』
という、運動神経万能な白井選手なら、ゴルフ(現実に、ミュンヘン時代白井選手とは仲良しだった?島影選手は同職に転向しましたが、彼女相手でも勝てるかも?)や、バドミントンでも、それなりな選手になれたでしょう。幾分リップサービスもありましょうが、湯木選手も誘ったといいます。白井選手の人気に肖りたかった面も否定できないかも。白井選手なら、スマッシュでも時速320km、出せるかもしれませんね。今でいうなら「はやぶさ級」の超速。

 最後に。当時の「バレーボール」(生沼選手と、岡本真理子選手が表紙の号もあり。)と、上記「バドミントン界」とも、昭和47年当時は協会発行の雑誌でした。ともに、渋谷区神南、岸記念体育館内の各々協会にて発行。

6127岡本 すいか:2019/08/02(金) 07:16:02
『日立は技術とチームワークを組んでいます』
 おはようございます。

 今年創業110周年になる(来年100周年と思っていましたが…)バレーボール部「日立武蔵→日立」が実在した日立製作所。バレーボール華やかなりしころ(昭和57年)タイトル通りのCMが放映または広告されていたことをご記憶でしょうか。文字通り、日立の選手が自社の広告塔としてCMに出演されていたのです。その点、ユニチカなど他社は自社選手をCMに起用することはなかったようですが。そのほかにも、全日本としてCMにも多々出演。これで、
『アマチュアリズム憲章違反には該当しない』
いい時代だったと思います。その一昔前、松平監督の男子はアマ違反が問題になったのです。

 それが…アルタガモワさんがおっしゃっていた平成3年(頃)には
『この木なんの木気になる木(ハワイに実在する樹木「ガジュマル」のようです)』
と変更されました。時代の流れ、といってしまえばそれまででしょうが、それだけバレーボール、特に日立のバレー部も権威が薄れてきたのでしょう。恐らく、その時点の所属選手ではPRにならないと思われたのでしょう。現・全日本監督が主将の時と思いますが。
その意味では、(ロスアンジェルス後に入社してきた)大林素子選手は、運と華がなかったようです。一方で、既に日立に誰一人所属していないであろう江上、三屋、石田の3人の元選手を出演させた、牛乳のCMも流れていたようですが…。

6128岡本 すいか:2019/08/02(金) 07:58:04
大松監督が訪ソした時の「身震い」
 続けて。

 昭和37年秋、第4回世界選手権の時、大松博文監督率いる全日本女子バレーボールチーム、
いわゆる“東洋の魔女”が訪ソした時、大松監督はいろんな意味で身震いしたようです。
決して、ソ連、特にモスクワが晩秋だから、だけではないでしょう。同郷の大先輩・
プロ野球の東映・水原茂監督(この昭和37年には巨人時代に続いて東映でも日本一に)
が、戦後4年にも渡って抑留させられた最北、極寒の地。大松さんは水原さんとも交友があり、
監督退任後の水原さんも野球普及活動のため、抑留以来久しぶりに訪ソしたといいます。また、大松さんの葬儀にも駆け付け『おれより先に逝くなよ…』と涙を流したようです。今は亡き祖父は、この両者ともファン、特に水原さんは同世代でしかも近所(大田区北嶺町)でした。

 無論、その世界選手権の「結果」に対しても。試合場となったモスクワ・スポーツパレスで日の丸が掲揚されたとき『先の戦争で、水原さんら多くの同胞が抑留に苦しんだ、ましてや果てていった人たちの無念を思えば…』と、自身も戦争で『鬼と化せられる』壮絶な死生経験を味わった大松監督は身震い、感涙されたのです。その1ヶ月後、今度は日本シリーズで、敵地・甲子園球場(阪神が相手でした。4勝2敗1分)で水原監督も胴上げされました。もし、当時
「スポーツ大賞」なるものが実在したのなら、プロ・アマチュアリズムの相違こそあれ、両者とも優勝監督として選ばれたはずです。

 2年後の昭和39年秋、東京オリンピックの時大松監督が胴上げされた駒沢は、かつては水原監督も陣頭指揮していた場所(駒沢は東映の本拠地)だったのも、文字通り“地縁”でしょう。その時、東映は駒沢から神宮、そして後楽園に本拠地が移転しており、その時東映は3位でした。恐らく、大松監督の胴上げをうらやみ、一方では感慨深かったでしょう。
『おれが陣頭指揮を執っていた時には胴上げならなかった(2位が最高でした)駒沢で、今
大松が胴上げされている…』と。

 私自身も、大松氏の著書「おれについてこい」を持っています、というより祖父がくれました。

6129アルタガモワ:2019/08/02(金) 18:12:29
日立は・・・インターフェイス
ロスの頃やっていたインターフェイスのCMで日立のレギュラーが出演してました。「成層圏の戦い・・・身の丈と言うあまりにも人間的なハンディを克服する為横軸攻撃を・・・」なんてビデオがありました。

6130岡本 すいか:2019/08/03(土) 12:07:42
「月刊バレーボール」にありましたね。
 こんにちは。

 アルタガモワさんへ
 そのフレーズ、見覚え(リアルタイムではないのが惜しいですが。なにしろ5歳児でしたから)あります。
当時の月刊バレーボールに広告が掲載されていたかと思います。「成層圏の戦い…」

 ちょうど、今は都立多摩図書館にてその昭和59年発行「月刊バレーボール」読んでいます。ロスアンジェルス・オリンピックへ出発する選手たちへの、特に因縁のある方からの激励。

1番江上選手←実姉(高校バレー経験者)、2番森田選手←母親、3番三屋選手←実姉(実家の製麺所後継者)、4番広瀬選手←母親(ママさんバレー選手)、5番石田選手←実弟(松下電器選手)、6番利部選手(母親)、7番広選手←実姉(同じ大学のバレー選手)、8番杉山選手←母親、9番大谷選手←恩師の中学校教員、
10番宮島選手←恩師の高校バレー監督、11番小高選手←母親、12番中田選手←母親

 母親または実姉が目立ちます。現に、森田選手の父親がオリンピック選手団の父兄の世話役を務め、同選手を含め4人の母親が現地観戦されたようです。やはり、思い入れがあったようです、当時は。繰り返しますが(モスクワの件もあって)全員初出場でもありますし。
ロスでは、決勝戦解説を務めた生沼スミエさんが、競技引退時『家族を含め関係者との因縁』を強調されていたことが浮き彫りになるでしょうか。決勝戦は『かつては自身も(通算7人目の全日本監督として)面倒を見た、美しき選手たちに…』と期待したでしょうが、結果的には銅メダル決定戦でした。でも、今振り返れば実に貴重なメダル、だったでしょう。

 来年代表の選手にも、父兄の皆さんは応援にくることはくるでしょうが、ここまで公にはしないだろうし、またできないでしょう。本当にひっそり…となるであろうところが、単にプライバシー保護の問題を通り越し、現状の不人気を物語る辛さなのでは。

6131岡本 すいか:2019/08/04(日) 08:27:54
昭和58年当時の「地図」
 おはようございます。

 カルバハルさんが紹介してくださった都立多摩図書館とともに、私のお祖父ちゃん・叔父父子の「秘蔵コレクション」もまた、貴重な歴史の1ページになっています。

 今度は昭和58年春発行の「昭文社地図・東京都」が発見されました。
私事ながら「超アナログ人間」なので、どこかの動画サイトより、アナログな本(古本なら猶更)、また映像にしてもビデオテープのほうがほっとします。

 東京都のみならず、プロ野球、そしてバレーボールの東京都所縁のチームの、勢力図も含めた広い意味での「地図」に関してお伝えします。

 まず、「お役所等」の関係から。東京都は、まだ本庁は千代田区有楽町3-5-1に実在しました。鈴木俊一知事。エントランスでは、岡本太郎氏が制作されたベンチがお馴染みだったようです。東京都立大学はその名の通り、最寄りこそ「都立大学駅」でした。そして…カルバハルさんが挙げてくださった「都立多摩図書館」当時は立川にありまして、今同館があるところには「中央鉄道学園」が実在しました。その他、所謂キー局とされる放送局(テレビ局、ラジオ局とも)当時は別な所在地だった局がいくつもあったようです。蛇足ながら、地図を発行している昭文社は当時は今も同じ。

 続けて、プロ野球の本拠地所在地と、その勢力図も。
巨人…文京区後楽1-3、後楽園球場、藤田元司監督。この昭和58年はぶっちぎりの優勝、でした。
西武(講釈付きながら、ある意味東京都と認めてください。監督は名誉都民に)…所沢市下山口、西武球場、広岡達朗監督。
やはり、ぶっちぎりの優勝。そして日本シリーズでも、かつての盟友・藤田監督率いる巨人に、4勝3敗と辛勝ながらも日本一、それも?2達成。名誉都民は、左記の快挙が認められた結果でしょう。また、強いだけではなく、視聴率も記録的。巨人戦は史上最高の平均27.3%、日本シリーズ第7戦にいたっては(平日の月曜日としては驚異的)40.3%をマーク。巨人は“50番トリオ(駒田徳広内野手、槇原寛巳投手、吉村禎章外野手)”が、いずれもセンセーショナルなデビューを飾る(駒田…初打席満塁本塁打、槇原…プロ初登板延長10回完封)など、
それは人気が上がるはずです。しかしながら、一軍への道を耐え忍び昇格後もそのトリオが練習していたのも、当時は巨人軍多摩川グランド。

 バレーボールでは。小平市一橋学園、日立武蔵工場に隣接する日立体育館。山田重雄総監督ばかり目立つので、当時の監督もお伝えします。コーチから昇格の吉田雅行監督(同年のアジア選手権でもコーチ)。前年に引き続き、日本リーグ21戦オールストレート勝利で?3達成。無論、バレーボールでも視聴率は取れていたことでしょう。プロ野球と同様、それだけの爆発的な要因がありましたでしょうからね。

 今上げさせていただいた、建築物(チームも)、36年後の現在では、ほとんど現存しないのがつらいところでしょうか。

 最後に。プロ野球界、バレーボール界の名将同士・藤田監督、広岡監督、そして山田総監督とも同学年(昭和6年度生まれ)です。

6132岡本 すいか:2019/08/04(日) 21:42:56
千葉での日ソ対抗エピソード
 こんばんは。

 引き続き、近所に住む母方の叔父は、(珍しく休日だった)私にあらゆるバレーボール昔話をしてくれます。こちらこそ、誠に貴重な、生きたエピソードなのでしっかり耳を傾けています。

 昭和58年春、千葉県天台体育館での日ソ対抗第1戦。叔父は、父方の叔父(茨城県稲敷郡出身。杉山加選手とは同郷)と観戦したそうです。その時、杉山選手の家族、高校時代の監督も
応援席には見えていた、と。
『この時はまだ、消費税採用前だったんだよな。しかも、500円玉が出回ったばかりのころ。
おれは数枚の500円札を手に、この切符を買ったもんだよ。そういえば、この月刊バレーボールも500円くらいじゃなかったかな。おれ的には、この時代の“唐辛子ユニフォーム”(長袖シャツ、ブルマーの上下とも赤の組み合わせ)が、最もお気に入りだな。杉山選手、ハッスルしていたみたいだね。向こうの叔父さん、ご家族や恩師の先生と意気投合して大喜びだったみたいだな。どうよ、この写真。力強くスパイクを打っている一枚と、対照的にベンチへ戻ってくると、実に女性らしい、おっとりした若き乙女の表情に帰る一枚、というコントラスト。おれも気に入っているよ』

 天台体育館では、電飾掲示板ではなく、パタパタ式?掲示板で「NPN〇−〇CCP」とスコアが出ていたそうです。隣接の野球場(昭和52年に、唯一プロ野球公式戦、ヤクルト対中日戦、2連戦が行われた。しかも、その試合もまた、両叔父は並んで観戦されたとのことです)
も、手動式スコアボードで、しかもスポットライトなし。アナログな時代だったようです。叔父の血を引く?超アナログ人間としては、今も古きよきアナログぶりが続いてくれていたらいいなあ…とは思いますが、現状ではどうなっているのでしょうか。

6133岡本 すいか:2019/08/06(火) 12:56:54
「中1日」が最適?バレーの試合間隔
 こんにちは。

 ロスアンジェルス・オリンピックでの全日本・女子バレーに関して、マニアック(重箱の隅的)な角度から調べています。予選も含めた全5試合の「試合間隔」に関して。

 奇特にも、すべて「中1日」だったようですね。
7月30日…予選リーグ第1戦、韓国戦
8月1日…同第2戦、ペルー戦
8月3日…同第3戦、カナダ戦
8月5日…決勝リーグ、準決勝、中国戦
8月7日…決勝リーグ、3位決定戦、ペルー戦

 素人から見れば、中1日くらいの感覚で5試合続いたほうが(試合そのものは)やりやすいと思います。また、日本でテレビ観戦されるファンにとっても「8月上旬、奇数(日本では偶数)日は全日本女子バレーの試合」と、わかりやすかったのでは。それでも、日の丸を背負う重圧が付きまとうのは百も承知。「日程」というと語弊があるよう思われますので…対戦相手はさておき、間隔だけ見れば。

 ほかのオリンピック(モントリオールなど)や、ロスでの男子、あるいは他国は存じませんが、少なくとも『ロスでの全日本女子』は、オール中1日だったのです。

6134岡本 すいか:2019/08/08(木) 21:01:10
オリンピックのブレザーコートは女子69000円?(昭和59年当時)
 こんばんは。

 今更ながら、35年前の「月刊バレーボール」ロス・オリンピック特集号を読み、またまた新発見がありました。

 入場行進で選手団が身に着けるブレザーコート(男女共上着赤、男子のスラックスOR女子のスカートはベージュ)、とも、JOC からの借り物で、且つ男子72,000円、女子69,000円もするもののようです。無論、消費税制度採用以前の金額で。
当時オリンピックとは無縁だったバドミントンの選手も、アジア大会ではJOCからブレザーを拝借。ロスの4年後、ソウルではバドミントンもエキシビジョンとはいえ、16年ぶりにオリンピック出場できましたが、当時と同様入場式には参加できず。しかし…出場3選手と(男子…ダブルス・松浦・松野組、女子…シングル・北田スミ子)も銅メダル、見事に実力&長年無視され、鬱積された無念とも見せつけ、その次回からの正式競技化に漕ぎ着けたのです。恐らく、女子バレーとも同じ、ソウル大学体育館だったのでしょう。この大会以後、女子バレーは右肩下がりで降下していっただけにお耳が痛い…かと。

6135岡本すいか:2019/08/09(金) 10:20:49
まだ「先生」に絶対的な権威が君臨した時代…
 こんにちは。

 繰り返し恐縮ながら、女子バレーボールにおいての一種の風習?
『監督を“〜先生”と呼ぶ』ルーティーン。恐らく、でしょうが…世間一般で、まだ教員に
絶対的な権威が実在した時代からの名残かもしれません。それでは、初代・前田豊監督も
やはり『前田先生』だったのでしょうか。前田氏は、教員か否かは不明ながら、兎に角高校バレー、中村高にて監督を経験され、138連勝もマークされた、と。
ここでは、男子バレーと、プロ野球と比較させていただきましょう。

 その点では。男子では、女子の山田重雄監督、小島孝治監督のようには、教員経験者が
いなかったせいもあるでしょうが、女子と同時代でも先生、固有名詞では
『松平(康隆)先生』『小山(勉)先生』『中野(尚弘)先生』ではなかったようです。男子の選手にとっては、一般的には呼び方は『オヤジさん』だったようです。特に松平監督は。

 プロとアマの相違こそありますが、プロ野球でも同じ。東京オリンピックと同時代の、川上哲治監督(巨人)、三原脩監督(大洋)、水原茂監督(東映)とも、皆“オヤジ”でした。天下のON砲でさえ、上司の水原監督(当時巨人)、川上監督を、水原の、あるいは川上のオヤジさん
と呼んだそうですから。

 折しも、バレーボールも最盛期であった昭和30年代〜昭和50年代、ちょうど教員も絶対的権威があった時代とも重複します。それでも、監督を『先生』と呼んでいたのは女子バレーくらいだったみたいです。バドミントンなどはどうだったのでしょうか。

 最後に。男子の中野監督は、失礼ながら、輝いている?後頭部や、蒲鉾屋の代表取締役(当時、純粋なアマチュアリズムにあったバレーボールでは珍しい)の役職から、まさに“オヤジさん”の呼び方に相応しい風格があったようですね。漫画「キン肉マン」に登場する(やはり後頭部が輝いている!?)中野アナウンサーに例えられていたとか。

6136岡本 すいか:2019/08/09(金) 10:44:24
ON砲は「オヤジ」「先生」ではありませんでしたね…
 補足させていただきます。

 天下のON砲、長嶋茂雄監督、王貞治監督がそれぞれ監督に就任されたとき、まだ教員にも、父親にも絶対的権威が実在した当時(昭和50年、長嶋監督。昭和59年、王監督)だったと思いますが、それでも「長嶋先生」「王先生」または“オヤジさん”でもありませんでしたね。その
あまりにも、現役時代が偉大な功績過ぎて、選手にとってはそう呼べなかったのでしょう。
呼び方も含めて、監督就任直後は選手との距離に苦しんだみたいです。特に、二人とも選手、または助監督から即昇格、それまでは選手にとっては兄のような身近な存在だっただけに。
長嶋監督に至っては、史上唯一の最下位に転落。

 教員、父親とも絶対的権威が失われ、「先生」(女子バレー)「オヤジ」(男子バレー、プロ野球とも)呼ばれなくなったのは同じくらいの時でしょうか。

6137岡本 すいか:2019/08/14(水) 20:54:11
フジ・サンケイグループの総帥は…
 こんばんは。

 本年、生誕120周年を迎えられた、フジ・サンケイグループの創始者・水野成夫氏。戦前は、国策パルプを立ち上げ、実業家のほかにも翻訳家としても活躍。戦後、文化放送やフジテレビをはじめとするフジ・サンケイグループを立ち上げたのです。
時節柄、彼がなってみたいポスト3件(連合艦隊長官、オーケストラ総指揮者、プロ野球の監督)と、それとは別に「バレーボール・企業チームの総部(男女どちらかは不明ながら)」もあったそうです。
連合艦隊長官以外は、いずれもなんらかの形で結実してしまったところが、水野氏の偉大なところなのかもしれません。

 主眼こそサンケイ新聞の拡販にあったとは明白ながらも、春高バレーも、彼からのリクエストからだったようで、前田豊氏や当時の松平康隆監督に働きかけ、晩年彼が第一線を退いてからながらも、昭和45年「春高バレー」実現となりました。
 その2年後、昭和47年春、水野氏は72歳で永眠されました。

 フジ・サンケイグループが、グループ挙げて、春高から実業団・日本リーグ、そしてオリンピックと、兎に角バレーボール生中継に力を入れていたのは、水野氏の遺志のためでもあったのでしょうか。

6138久しぶり:2019/08/15(木) 00:46:55
岡本 すいか
まだいたのか。気持ち悪い。

6139岡本 すいか:2019/08/15(木) 09:26:59
久しぶり(敢えて呼び捨て)へ…
 お久しぶりです。
本来なら「久しぶりさん」といいたいところですが、なんですか、その呼び方は。連続投稿しているのでもないのに、そんな呼び方ありませんよね。

 こちらは、バレーボールネタは尽きていません。どうしても、私からの投稿が目障り、というのなら、管理人に削除依頼されればいいじゃないですか。

6140カルバハル:2019/08/15(木) 14:41:46
岡本さん
知らない事、何時も有難うございます。バレーボールは77年ワールドカップまでが黄金時代です。今はバドミントンが遥か上です。

6141岡本 すいか:2019/08/15(木) 20:11:40
お久しぶりです…
 こんばんは。

 カルバハルさん、お久しぶりです。
前回の東京、モントリオール、幻とされたモスクワ、そしてロスアンジェルス、と、バドミントンには「オリンピック」の文字さえありませんでした。それが、来年にはパラリンピックでも正式採用される模様。パラリンピックの創設経緯につきましては、過去ログにも掲載されていただきました。昭和39年も、実施されたことはされましたが、現在と比べてあまりにも社会的関心が低かったようです。

 来年、石田京子選手が在住されている長野でもオリンピックが行われるのでしょうか。
既に、平成10年時点ではご結婚され、野口夫人として長野在住だったかと思います。馬術、とか
テニスなら長野にふさわしい競技ですね。かつてのオリンピック出場者としては感慨深いでしょうね。

 久しぶりへ。こちらは相変わらずネタは尽きていませんからね。面白くないならかかってきなさい(笑)

6142カルバハル:2019/08/16(金) 06:37:45
都立多摩図書館
バドミントンの資料が少ないようですね?それは、バレーボールが過去は日本ではメジャーだつたからでしょうね?雑誌メインの図書館なんですけどね?西国分寺駅の東口にロータリーまで作って駅への出入口が無いJRは解決して欲しいです。子供ずれとか南口改札口からだと危ないですよね。アルタガモワさんもお近くの図書館から取り寄せて貰えるかも?知れませんよ。1970年以降は、抜けてるのも有りますが、沢山ありますよ。私の知りたい1960年代の資料は多摩図書館に残念ながら無いです。そもそも国会図書館が出版社任せなのが一番悪いです。戦後の本なのに無いは、国会図書館として名乗るんだからプライドを持って仕事して欲しいです。それはバレーボールだけの話ではないです。

6143岡本 すいか:2019/08/18(日) 06:34:37
終戦記念日に…
 おはようございます。

カルバハルさんへ
 そうですよね、「前回の」東京オリンピック直後の資料があまりにも…。ニチボー貝塚258連勝終止符・ヤシカの小野沢愛子選手が保持されているのは希少な例でしょう。こちらは不勉強、言葉足らずで、失礼なこともいってしまったかと思いますが、今後ともよろしくお願いいたします。

 終戦記念日。バレーボールでは前田豊氏、プロ野球では三原脩氏、バドミントンでは広田兼敏氏の、それぞれ「戦争経験」について。
 前田氏に関しては、カルバハルさんをはじめ、皆様も伝聞されたかもしれません。特攻隊候補生でした。出撃指令直前に終戦。『もうなにも怖いものはない』。この思いが原動力となったのか、終戦2年後、バレーボール協会の立ち上げ、同協会の部誌発行にもつながったといいます。
 三原氏は、「宿命のライバル」と称された、水原茂氏とは好対照、バレーボール関係者(やはり同郷の大松博文監督ら)とはら交友は特にはなかったようですが…。『ツキも勝負のうち』として、月刊バレーボールにも引き合いに出されています。無論、ツキだけでは勝負に勝てるものでもなく、その裏には膨大なデータの集積があり、ただそれを表面化しなかっただけなのです。
したがって、“魔術師”と呼ばれる旨を好みませんでした。また、相手を欺く“舌戦”も得意な策士でした。バレーボールでは、山田重雄監督がその三原監督のタイプと思います。カルバハルさんが挙げられていた、山田監督の少年時代の終戦直後のエピソード(バレーボールとの出会い)に関しては、ドキュメント「美しき戦士たち」で読みました。

 最後に。広田氏は、いわゆるユニフォーム組ではありませんが、横浜YMCAの専務理事、そして昭和51年当時の日本バドミントン協会副会長だった広田氏。

『大正11年、YMCAは日本初の屋内運動場(体育館)を創設、すぐバレーボール、バスケットボール、そしてバドミントンに勤しんだ。私自身、審判を務めた。昭和14年、日本初のバドミントンの対外試合を挙行したが、時あたかも戦時下、スポーツにも軍事色が強まり、バドミントン用語の日本語化に従わざるを得なかった。そして昭和18年夏には、バドミントン競技の挙行取りやめをせざるを得なくなり、用具等は地下倉庫に匿った…終戦まで、バドミントンの再開を願いながらも、生徒の疎開に
向かっていった』
とありました。改めて、オリンピック(昭和15年から2回は取りやめ。この年が東京オリンピックの予定でした。但し、通算回数にはカウント)は、そしてスポーツは平和のものと思いましたね。今はオリンピック1年前ながら、全くその切迫感がありませんね。バレーボールだけのせいではない!?

6144カルバハル:2019/08/18(日) 14:28:42
大松監督も
インパール作戦の隊長で生き残り組です。部下がしたった隊長らしいです。貴重な戦後の雑誌の資料を多摩図書館は、あれだけあり素晴らしいですよね。
やはり国会図書館が普通、他の図書館の分を、補うのが国会図書館です。わざわざ出版社が一番良く製本された物を国会図書館に収納してるのに残念です。今は、どうでも良いけど他に記録媒体があるので日本文化出版社は、専門誌の役割をしてないんですけど、まだ潰れた訳でもないのに、昔の発行した本、アダルト出版社でないから国会図書館に納めてるはずなのに多摩図書館よりないのは、ケシカラン事です。しかも、バレーボールが当時は日本国民のメジャースポーツです。残念

6145カルバハル:2019/08/18(日) 14:39:24
昔、アマゾンで買いましたが?
東洋の魔女論て本があります。何故、繊維会社でバレーボールが普及したかとか。かなり詳しくあります。岡本さんが、好きそうな内容ですよ。図書館にあれば良いですがね?女工と女学生のバレーボールでの対戦とか?あります。感心があると思いますよ。私も知らなかった事、沢山ありました。今は、住まいの、何処にあるか?

6146カルバハル:2019/08/18(日) 14:48:33
前田 豊さん
そう言えば特攻隊でしたね。すっかり忘れてました。やはり資料は、残すべきです。

6147K I:2019/08/19(月) 15:06:43
また復活します
だいぶご無沙汰になっていましたが久しぶりに投稿させていただきます。
私がいない間に非常に興味深い記事がたくさん掲載されていて
フリーズしながら読ませていただいていたら、私の名前が出ていたので
復活することにいたしました。今後とも宜しくお願い致します。

自分が知らない内容ばかりなので読むのに精いっぱいですが悪口で
中田監督、監督お気に入りの特定選手の人格否定ばかりする
掲示板の書き込みを見ているよりもバレーボールファンにもかかわらず
他競技にも目を向けているこちらの掲示板のほうが見ていて気持ちがすっきりいたします。

6148K I:2019/08/19(月) 15:17:47
来月のワールドカップ
来月から日本での最後のワールドカップが始まりますがこちらの掲示板の
方は現地で観戦されますか?

私は、丸善インテックアリーナで行われる女子大阪大会最終日の丸善インテックアリーナに観戦に行きますが日帰りのため最終VSオランダ戦は高速バスの中です。
郎平中国を見に行くのが観戦目的です。

6149K I:2019/08/19(月) 15:25:35
東京五輪後は
連続での投稿になりすいません。
こちらの掲示板を見ていつも思うことがあります。
近年の月刊バレーボールよりも興味深い内容ばかりのため
この掲示板に書かれている内容が著書として出版されたら
是非読ませていただきたいです。

6150岡本 すいか:2019/08/19(月) 18:35:26
ぜひ、PL学園関連の投稿をお待ちしています
 こんにちは。

 KIさんとはお話しさせていただくのは初めてと思います。日頃、KIさんがPL学園高(野球部。現在は廃部されてしまったようですね…)と、バレーボールに関しての投稿をしてくださっているのに対して、大変関心を抱きました。昨秋、大阪北部地震の爪痕も痛々しい
阪和線・南海線沿線の岸和田市、そして貝塚市を通過して『かつては、この辺りではPL学園野球部も、ユニチカバレーボール部も健在だったのに…』
と、夏草の跡を見ながら涙を流したものです。

カルバハルさんへ
 図書館関連でお伝えさせていただければ、身近なところでは、区市町村の図書館(分館ではなく本館のほうがよろしいかと)には、一般紙の新聞縮刷版があります。
『たかが一般紙…』とは侮れないと思います。個人的には日経新聞のそれを読んでいますが、
昭和30年代〜同50年代は『一般紙でも、それも、最もスポーツには疎遠であろう日経でも』
詳細にバレーボールの記事が掲載されていたものです。
アジア大会で、江上選手が背面フライングレシーブを決めている記事及び写真を読んで、リアルタイムとは程遠いはずなのに『ナイス!』とうなってしまいました。
この大会から主将に就任したばかりの重責を全うしながらも、コート上でもこれだけのプレーを
決められる江上選手が一番凄いですが、写真もスポーツ紙や専門誌顔負け、ナイスです。

 KIさんへ
 昭和59年夏、ロスアンジェルス・オリンピック(第2次)のさなか、全国高校野球では、ちょうどプロ入団前夜のKKコンビが大活躍だったようですね。こちらも、(主催者である)
朝日新聞以外の)一般紙、日経でも詳細に掲載。それこそ、オリンピック(特に花形だったバレーボール)とプロ野球、高校野球と三分していたかも。2年後、KKコンビが入団することになる巨人、西武はこの年はどちらも不振(3位)でした。桑田真澄投手、清原和博選手がほしかったでしょうね。巨人は王貞治監督の就任1年目。西武は広岡達朗監督3年目、V2から3位へ転落。

6151岡本 すいか:2019/08/19(月) 19:21:37
オリンピックにも剣道採用希望(相変わらず連続投稿ですが…)
 30分はおいていますので、連続投稿をお許しくだされば。

 カルバハルさんへ
まだ、協会誌だった「バレーボール」昭和47年2月号に、女工とバレーボールの生い立ち、各企業、工場単位でのバレーボール部立ち上げ、そして変遷に関して描かれていたように思います。
ユニチカは歴史ありますね。広瀬選手は重い伝統の看板を背負いながら奮闘しましたよね。
凋落しているときの名門の主将は辛い立場と思います。でも、今振り返れば、
高校では1期生、対照的に実業団では最長の歴史を誇る名門の、それぞれ主将を歴任されたのですから、やはりすごいことと思います。偉大な先輩ですよ。

 私事ながら、オリンピックでの剣道の採用を希望しています。そう希望されている方は、結構多いようでびっくりしました。ただ、来夏に関していえば依然、競技化は見送りに。案の定?剣道連盟が難色を示しているようです。
よくいわれるように『心身鍛錬こそ、主たる目的』であることと、こと“来夏だけ”に限っていえば『真夏のため、悪臭が…』も一因かもしれません。それでも、日本の武道なのです。今後
100年は行われないであろう、日本での夏季オリンピックで、例えエキシビジョンでも競技化してもらえたらなあ…とは私見です。
もし、日本でのオリンピックでは先送りにして、次回のパリやロス(第3次)で競技化されよう
ものなら、剣道連盟が責められるかもしれません…。
ミュンヘンオリンピックのバレーボール主将・松村勝美選手の主人、千葉仁氏(警察官→引退後は武道家)はどのようにご覧になっているのでしょうか。
『オリンピックでも、同じ警察官でも柔道や射撃は活躍しているのに…』とか。実際、ロスでは
松岡選手(兵庫県警察本部)が金メダルを獲得されました。

 松村選手自身も、剣道でも有段者のようですね。

6152K I:2019/08/19(月) 22:41:13
岡本様
こんばんは、初めましてKIです。
宜しくお願い致します。

私が投稿している記事に興味を持っていただき非常に光栄です。
岡本様が投稿している内容に比べたら全然大した内容ではありません。
もうあのドラフト事件から30年以上経ちますがあのドラフト事件は非常に悔やまれます。
PL学園野球部についてそんなに知っているわけではありませんし、以前に投稿させていただいた記事は気分転換を兼ねて偶然検索して見つけたものです。

100年の高校野球の歴史の中で中村監督率いるPL学園は他の名門校より輝いています。

バトミントンに興味持たれているようでいつもわからないながらも掲示板を拝見させていただいています。来年の東京五輪のチケット獲得はバレーボールと違い困難なことでしょう。
今年の世界選手権で桃田選手の連覇に期待しています。

6153カルバハル:2019/08/20(火) 01:40:59
そーですね。
新聞なら1960年代の記事はありますよね。その時期は、まだ、そんなにバレーボールに詳しくないので調べてみます。どーも白球な長い道?の内容と実際の事を比べみたいです。専門誌が有れば楽に閲覧出来るんですけどね。東京オリンピックで活躍してメキシコで打倒日本を達成した、ソ連のメンバーの事を詳しく知りたいんです。どーも資料が少ないです。リスカル、ブルダコーワは有名ですが、他の選手の事も詳しく知りたいです。

6154岡本 すいか:2019/08/20(火) 06:38:34
KIさん、カルバハルさんありがとうございました
 おはようございます。

 昭和39年、今や伝説となっている東京オリンピックのバレーボール・決勝戦、駒沢体育館での日ソ戦は4500人の超満員だったようです。その中に、当時都立高の教員・山田重雄監督と生徒・生沼スミエ選手(当時高3)がいたことは皆様が教えてくださった通りと思います。
(拙宅とほど近い同体育館、感慨深くなりますね。)
『4年後、メキシコにはおれが(あたしが)…!』とは誰もが思ったかもしれませんが、
それを結実できた山田監督−生沼選手の師妹?コンビは超人です。
ドキュメント「美しき戦士たち」にも記述。
相手・ソ連のルイスカリ選手と、全日本男子の猫田勝敏選手とは、接点はないと思いますが、
同じ期間(東京→メキシコ→ミュンヘン→モントリオール)に「オリンピック4回連続出場」。猫田氏は早世されてしまいましたが、ルイスカリさんには、
ご存命でしたら、ぜひとも長寿を全うしていただきたく存じます。生沼選手や松村選手にとっては『憎きルイスカリ』だったでしょうね。

6155K I:2019/08/20(火) 23:06:07
PL学園中村監督
こんばんは。岡本さんが関心をいただいてくださっているPL学園中村監督についての記事ですが、これを全部ここで書いてしまうと読むのに飽きてしまうと思いますので

検索名:負けても胴上げされる男 中村順司で検索していただけたらと思います。
この掲示板に投稿しようと思ったのが、中村監督がPL学園高校3年生の時に
大松監督率いる東洋の魔女がPL学園の体育館で練習する姿に非常に衝撃をうけたそうで
これがきっかけでプロ入りがダメなら指導者になるという夢を発見したことに何とも言えない
うれしい気持ちになりましたと同時に大松監督率いる東洋の魔女が残した功績が自分が思っている以上にあまりに凄すぎて言葉にできません。

高校スポーツ界を代表する指導者の一人に挙げられるであろう中村監督の功績を生み出す
きっかけを作った大松監督と東洋の魔女のメンバーたちにもみてほしいコラムです。
菊間監督率いる八王子実践に肩を並べるにふさわしいスポーツ名門校はPL学園がふさわしいです。中村監督の甲子園通算勝利数の記録は抜かれましたが、18年間の監督生活で毎年1人以上の教え子をプロ入りさせているという記録を破る監督はなかなか現れないような気がします。
他の名門校とは違い、PL学園出身の選手たちのプロでの成績は目を見張るものがあります。
1998年春の選抜大会を最後に監督勇退すると聞いた時は「PL学園は弱体化する」と思い
野球部廃部という予想外の結果になりました。
プレイをするのは選手ですが、指導する監督の力は大きいのだと痛感させられました。

6156K I:2019/08/20(火) 23:15:23
1983年ヘルシンキ世界陸上
1983年は、高校野球、女子バレーボール日本代表がアジア選手権福岡大会で中国に勝利して
優勝しましたがもう一つ歴史が刻まれました。

フィンランドのヘルシンキで世界陸上第1回が開催され陸上界BIG3が世界大会デビューした年となりました。カール・ルイス(アメリカ)セルゲイ・ブブカ(現ウクライナ:当時はソ連)
ハイケ・ドレクスラー(現ドイツ:当時は東ドイツ)が大活躍しました。
1984年ロサンゼルス五輪で東側諸国ボイコットによりBIG3のブブカ、ドレクスラーが不出場でした。

6157岡本 すいか:2019/08/21(水) 13:49:49
モスクワ報復のボイコットだったようですね…
 こんにちは。

 日本が、そして連覇を狙うはずだった女子バレーチームも“政治的犠牲”となったモスクワ以来、オリンピックでは政治的意図のボイコットが目立ったようです。ロスはその裏返しでキューバ、ソ連が不参加。従って、オリンピック、女子バレーボールでも「日中米ソ」の金メダル争い
構図が大幅に覆されました。漸く、バルセロナで「オリンピックの政治的利用」は、曲がりなりにも影を潜めたようです。最も、その間にソ連消滅やドイツの東西統一があり、世界分布図も
大幅に塗り替えられたようですが…。日本にとっては泣くに泣けない政治的利用だったようです。でも、過去のものになったとは安心できないでしょう。来夏も、オリンピック参加を
ボイコットされる可能性は少ないながらもあるようです。日本の存在を、面白くないと思っている国はあるでしょうからね。

KIさん
 その夏の高校野球準決勝・PL学園高対池田戦は、恐らくリアルタイムでご覧になった方なら(前年の池田高対早稲田実業とともに)衝撃だったのではないでしょうか。亡き祖父や、存命中の叔父がそう感想を述べています。予想外の大差、文字通り「ニューウェーブ」といえるような内容の試合だったのではないでしょうか。翌年から巨人に入団する水野雄仁投手は、現・全日本監督とは同日の誕生日。当時は輝ける各界のスーパーティーン「昭和40年9月3日生まれ」
同士だったはずですが、今や迷える指導者同士に!?

 大松博文監督の座右の銘「なせばなる」は、上杉鷹山公の名言からでした。これも、同郷(山形県出身)の亡き祖父が感銘を受けていたのです。PL学園高にも、その思想が継承されているのでしょうね。祖父が大いにひいきにしていた桑田真澄投手も、その教えを受けていたと思えば感慨深いです。 

6158岡本 すいか:2019/08/21(水) 19:41:57
繰り返し恐縮ながら…
 こんばんは。

 皆様、特にKIさんへ
繰り返しになりますが、この昭和58年こそはプロ野球でも、巨人戦、地上波最高平均視聴率(27.3%)だったようです。また、日本シリーズ最終戦(巨人対西武)は
平日デーゲームなのに、なんと40.2%と、浮世離れの数値。
それらを裏付けるように、例えばシーズン中、ある土曜日フジテレビでは。
「午後2時〜日ソ対抗バレー、愛知県体育館、解説・生沼スミエ、
午後4時〜パリーグ公式戦、西武球場、西武対南海(録画)、解説・土橋正幸」
対抗するように、日本テレビでも
「午後7時〜セリーグ公式戦、後楽園球場、巨人対広島、解説・村山実」

 試合場といい、解説者といい、リアルタイムで生きられた方(残念ながら、私自身はリアルタイムとは程遠い5歳児でしたが…)なら、懐かし顔ぶればかりではないでしょうか。
プロ野球(巨人戦)も、また女子バレーもまた、ブラウン管の主人公であった時代のエピソードです。ブラウン管自体…4K、8Kなどのデジタル放送全盛期に死語かもしれませんけど。
上記は叔父が教えてくれました。新聞縮刷版でもありそうですね。

6159K I:2019/08/21(水) 21:19:33
バブルのスポーツ界
こんばんは。
岡本さん、プロ野球界の貴重な情報教えていただいてどうもありがとうございます。
1983年といえばKKの先輩である吉村が順調に活躍していた時期ですね?

バレーボールファンなのに野球やバトミントン界の貴重な情報を提供していただけるので
こちらの掲示板に復活させていただいて良かったです。

日ソ対抗、日米対抗という大会が日本で開催されていたことをリアルタイム、テレビで
観戦していたファンが来年の東京2020の負の遺産になる有明アリーナにどれぐらい
観戦に行かれるのか全く予想がつきません。
1989年には、日本以外の国でソ連VS世界選抜の試合がありましたね?
私がバレーボールファンになる前です。

野球、バレーボール、陸上界にとってはバブル真っ最中というところでしょう。
今のスポーツ界にもスター選手は存在しますが、岡本さんや私がリアルタイムで見た選手たちと
比較するレベルに達していない選手のほうが多いのかなという印象です。

八王子実践の菊間監督の座右の銘も「なせばなる」でした。

6160K I:2019/08/21(水) 21:36:10
モスクワ、ロス、ソウルのボイコット
女子バレーボールは、モスクワからソウルまで三大会連続で優勝候補がボイコットしたため
決勝戦で真の世界一決定戦が行われることはありませんでした。

10年前くらいに某掲示板に書かれているのがソウル五輪にキューバが出場していたら、カルポリソ連の優勝は絶対になかったという書き込みです。
確か、1988年は名古屋が五輪開催地に名乗りを上げましたが開催には至りませんでした。
もし、ソウルではなく名古屋五輪が開催されていたら1964年の東京五輪とひけをとらないくらい
凄い歴史に残る五輪になっていたことでしょう。
バレーボールは残念な結果になっていたにしても花形競技の陸上競技は今とは比べ物に
ならないくらい超豪華な顔ぶれが出場していました。
今でも陸上ファンに覚えられている女性版:カール・ルイスのドレクスラーVSジョイナー姉妹の対決が見られただけでなく、女子バレーボールだと全盛期のオギエンコ・キリロワのソ連VS
ルイス・カルバハル・この年に代表したベルが予選、決勝トーナメントのどこかで対戦していたことでしょう。もし対戦していたらどちらが勝利していたのかな?
来年の東京2020を楽しみにしていたファンには申し訳ございませんが、来年のボイコットと
モスクワ、ロス、ソウルのボイコットとは訳が違います。

6161K I:2019/08/21(水) 23:33:13
中田ジャパン唯一の救いは
某掲示板で監督、キャプテンの人格否定をする大量の書き込みがあるにもかかわらず
来月開催されるワールドカップAサイトのチケットの売れ行きが予想以上にいいので
これだけは唯一の救いではないかと思います。
最後の日本開催ワールドカップになると思うのでファンを納得させる試合をしてほしいです。

「てめえらこの野郎」という一言にたくさんのバレーファンはドン引きしたでしょうが
私は、中田久美が監督に就任した時は真鍋ジャパンより好成績を残せるのではと期待しましたが
予想以上に弱体化するなとは思いませんでした。
池田高校出身の水野雄仁と一緒の誕生日だと知ってビックリです。

6162岡本 すいか:2019/08/24(土) 02:08:58
「負けても胴上げされる男」バレーボールでは
 おはようございます。

 KIさんが挙げられた監督、バレーボールでは、恐らく小島孝治監督なのではないでしょうか。…といっても、現実には胴上げされたところにお目にかかったことはないですが。
悲運の名将とは形容されました。ミュンヘン・オリンピックでのテロ、モスクワへの不参加、
世界選手権でのペルー騒乱…。とかく、国際大会では「悲運」に泣かされた、しかし全日本最多勝利(通算200勝以上)の名監督。
しかし、仁徳者のため選手からは慕われた、と。結果的には実業団としては他チーム
(といっても、この場合は日立しかありませんが…)に新入団やら移籍やらされたものの、白井貴子選手や三屋裕子選手からも慕われたのです。終生のライバル・日立(山田重雄監督)が、赤い?糸を引いていたのでしょう。
『広瀬はがっかりした。小島の人柄を知ればこそ、三屋は必ずユニチカに入社してくれると思っていたからだ』
かつて、カルバハルさんが紹介してくださった一文、これも「美しき戦士たち」から発見されました。しかし、その後も、この対照的な同級生は友情にひびが入ることもなく、それは今日にまで至っているようですね。4年前の秋には、江上選手とトリオで全日本女子の練習を見学されたそうですから…。今の監督と交代する直前の。

 「人情派」小島監督と、好対照なのは、やはりプロ野球でしょう。
それは仕方ないかも。プロ野球の監督は冷血漢でなければ勤まらないポストと思われます。
ロスアンジェルス・オリンピックと同時代のプロ野球では、西武・広岡達朗監督でしょう。
「海軍式」「玄米食」と称された厳しい選手指導。当時、西武は東尾修投手、田淵幸一選手、
江夏豊投手ら、昔気質のサムライ集団でした。東尾投手や田淵選手は反発しながらも、広岡監督のからの指導に上手に溶け込み、連続日本一にも貢献しました。一方で「超一匹狼」江夏投手との不仲、そして1年きりで「一人きりの現役引退式」に至ったエピソードは結構有名と思います。これらも、祖父や叔父から伝聞した世代なのですが、その情景が目に飛び込んでくるようです。祖父、叔父も「現役(巨人、内野手)時代から、妥協を許さない」広岡さんのことはお気に入りだったようですね。尤も、叔父や祖父は『贔屓の監督や選手はあっても、贔屓のチームはなく、一方で嫌っているチームも関係者もいない。』そうでした。広岡さんにも、そして東尾さんや江夏さんいずれにたいしても理解を示しました。私事で恐縮ながら、私自身もそのフラットな見方には、多大に影響されていると思います。

6163岡本 すいか:2019/08/24(土) 10:50:38
「この母親にしてこの娘あり…」
 こんにちは。

 広瀬美代子選手の後輩としては、なんとも耳の痛いエピソードです。「この母親にして…」
随分と親不孝をしてしまっているであろう娘としては。ご健在なら、もう結構なお年と思います。彼女の母親は、ママさんバレーの選手。無論、広瀬選手がバレーボールに取り組むにあたっては理解がありました。その意味でも、広瀬選手は幸運だったと思います。
幻に終わってしまったモスクワ、そして4年越しの悲願が叶ったロスでは、それぞれ娘の晴れ姿に談話。ロスの時は
『既に、美代子からは代表に決まったとは電話を頂いていましたが、テレビで松平さんが娘の名前を呼んでくれるまではドキドキしていました。なにしろ、4年前のことがありますので…4年間、いろいろ大変だったとは思いますが、とにかくよく続けてくれたものです』。
ロスにこそ訪れていないそうですが、関西圏、特に地元・神戸開催の公式戦では、ほぼ応援席に姿があったそうです。単独チーム、代表問わず、娘が仕えた各々監督(小島、生沼、米田、山田)にも、お便りを出すなり、直接会話するなり、広瀬選手のお母さんは結構知られた存在だったようですね。当時の雑誌を読んでも、
『広瀬選手、最近ではお母さんに似てきましたね』
とのファンからの談話も見受けられます。

 広瀬選手が立ち上げたといえる舞子高・バレーボール部は、現在は初の女性監督によって運営されています。ちょうど、広瀬選手から見れば、親子ほど離れている(ちょうど、今の全日本の選手とも同じくらいでしょうか、27歳)世代の若い女性監督ながら、職場の先生方(同校卒業生が多数のようです)からはあらゆる広瀬伝説を伝聞し、その伝統を重んじバレー部を維持しようと努力してくれています。
『部員集め、コート作りから始めた。』広瀬伝説を、現実に「美しき戦士たち」で目の当たりにしたときは感涙しましたね。

6164岡本 すいか:2019/08/24(土) 20:16:38
都民文化スポーツ栄誉章
 こんばんは。

 昭和59年、第2回「都民文化スポーツ栄誉章」が鈴木俊一知事(当時)から公表され、
日立バレーボール部とともに、西武・広岡達朗監督も表彰されたのです。当時、ともに都下、または都県境を越えたばかりの所沢市を本拠地とし、「?2(日立は2年連続全勝且つオールストレート優勝、西武ライオンズは連続日本一。前年は巨人を相手に…)」達成こそ共通項。日立の選手たち(ほとんど寮生?)、そして広岡監督も都民ということで選ばれた模様です。意外や意外?第1回は日立も、広岡監督もエントリーされませんでした。ともに「日本一」だったのに。
2年づつけて、それもぶっちぎりだったからこそ、初めてエントリーされたようですね。
なお、第1回では、葛飾区柴又ほかが舞台とされた映画「男はつらいよ」主演、
一世風靡された、俳優・渥美清氏らが選ばれていました。

 平成17年、この「都民文化スポーツ栄誉賞」は終了しました。年々、その栄誉は薄れていったようですね…。

6165岡本 すいか:2019/08/25(日) 06:38:42
ロングビーチ・スポーツアリーナでの「ウェーブ」
 おはようございます。

 過日、私からお伝えさせていただきました「新聞縮刷版」。相変わらず、日経のみで恐縮ながら、昭和59年8月には、興味深いコラムまたは連載が掲載されていました。

 1件はユニチカ・小島孝治総監督の「ロスオリンピック・バレーボール観戦記」。
もう1件は日本ハム・大社義規社長の「私の履歴書(1ヶ月連載)」でした。

 そうです、女子バレーボールの試合場となったロス・ロングビーチ・スポーツアリーナでも
「ウェーブ」が起きたのです。

6166KI:2019/08/26(月) 14:59:14
怒られるかもしれませんが
こんにちは。

一昨日から自宅のパソコンでこちらの掲示板に突然投稿できなくなりましたので
インターネットカフェで投稿させていただきます。

私が負けても胴上げしたいバレーボール監督はロシア初代大統領の大学の後輩であるニコライ・カルポリ
監督です。

6167KI:2019/08/26(月) 15:32:38
上記の続き
私にとって小島監督は名前しか知らない監督ですし、レシーブを非常に重視する監督だったと
伺っております。

カルポリ監督は、数年前に「マツコと有吉の怒りの新党」で取り上げられましたね?
モスクワ・ソウル両五輪で優勝監督になりましたが、他掲示板で見る限り、特にソウル五輪に
キューバが出場していなかったからだという書き込みを目が痛くなるほど拝見いたしました。

ヘオルヘキューバは、女子バレーボール界に偉大な功績を残しました。
でも、バレーボールにかかわらず勝者だけでなく敗者も讃えられるべきだと思いますし
勝者がいるから敗者がいると思います。

1997年以外に三大大会でロシアはキューバに勝利することはできませんでしたが、
彼女たちは少なくともロンドン五輪の真鍋ジャパンや八百長で五輪出場したセルビアより
人気、実力は上だというのが私の評価です。
ある掲示板では、「1999年大会のワールドカップ名古屋大会でアルタモノワのファンになったファンの方が
旧名古屋レインボーホールで面識がないロシアファンと観戦中に偶然意気投合して空港まで選手たちを見送りに行ったエピソードが掲載されていました。
私が、一番見たかったアルタモノワがOQTで電撃復帰して話題を集めましたが
彼女はとっくにピークを過ぎていて本領発揮できませんでしたし、チーム内で孤立しているように
感じました。彼女は、攻撃面ではさっぱりでしたが守備力は今の選手より断然上です。
キューバ黄金時代が終了後のカルポリ監督は印象が薄かったです。
もしかしたら燃え尽き症候群状態になっていたのかもしれません。
シドニー五輪を最後に大林、吉原、多治見がいる全日本をぼこぼこにした海外強豪国の選手も
世代交代してバレーボールファンの絶頂期が過ぎてしまいました。

シドニー五輪決勝戦で、ロシアはキューバに大逆転負けをしてしまい、試合終了後にアルタモノワと
ティーシェンコはベンチで大粒の涙を流していたそうですね?
次のアテネ五輪では二人ともぼろぼろの状態で出場して優勝候補のブラジルに大逆転勝利して
決勝に進出しましたが、8年計画育成真っ只中の中国に負けてまたも無念の涙を流す羽目に。
この試合を最後にカルポリ監督は監督を勇退しました。
シドニーは相手があのキューバだった為、仕方ありませんがアテネの銀メダルは悔やまれます。

岡本さんが、広瀬選手はいい時に現役を過ごしたと書かれていましたがカルポリ監督、アルタモノワも
キューバには肝心な試合では勝利できませんでしたがシドニー五輪までは生き生きして日本の
お茶の間のバレーボールファンを楽しませてくれましたことに感謝しております。
二人がヘオルヘ監督、ルイス、カルバハルと共に殿堂入りしてくれたので良かったです。

6168KI:2019/08/26(月) 15:40:10
広岡達朗監督
最近、常勝西武の基礎を作ったのは、森監督ではなく広岡監督だということをコラムで知りました。
当時珍しい食事療法を取り入れたのが広岡西武が初めてだったそうです。
西武の前はヤクルトで監督をしていたそうですね。
すいませんが名前しか知らない監督です。

厳しいコメントの数々のせいで常勝西武の森監督とは絶縁状態だそうですね?
「自分が監督の時に清原が入団していたら甘やかしていなかった」とコメントしています。

6169岡本 すいか:2019/08/26(月) 16:44:24
「好き嫌いなくよく食べる選手は大成する」
 こんにちは。

 KIさんへ
 早速ご返事くださいまして、誠にありがとうございました。そうです、広岡さんはちょうど私自身が生まれた頃(約40年前)、ヤクルトで監督をされていまして、初優勝に導いた監督です。

 私が紹介させていただいた日本ハム・大社義規社長(日本ハム・ファイターズオーナー)、西武ライオンズ及び広岡監督、そして小島孝治監督いずれにも関係する話題化と思います。大社さんは、意外といっては失礼でしょうが、旧制中学時代はバレーボールの選手だったようです。
香川県では強豪だったそうな高松高女から要請され、コーチも務めたそうです。プロ野球チームのスポンサー企業に就任する(昭和49年)前には、バレーボール部の創設も熱望したくらい、
大のバレーボールファンだったようですが、同郷の大松氏からは
『バレーボール部を立ち上げても、日本リーグで優勝するだけでも、少なくとも10年以上はかかる、ましてや世界的になるには…』
と説得され、プロ野球チームになったそうです。
その大社さん、戦時中は戦地で食糧難を身をもって経験され、ご自身が食肉取り扱いの企業を
率いられている経験から、“部下”である選手を目の当たりにして、

「好き嫌いなく、よく食べる選手は大成する」

と感想を持ったそうです。日本ハムに所属していた(前身の東映からでしたが…)張本勲選手、
大杉勝男選手とも大食漢だった、と。皮肉にも、日本ハムとはライバルにあった西武、広岡監督が「菜食主義」「玄米食」を選手に推進し、常勝への第一歩を築いたのとは(というよりほとんど強制、もとい矯正かもしれませんが…)対極。因みに、大杉選手は日本ハムの後ヤクルトに移籍され、広尾監督の下でプレー、初優勝にも貢献しました。
大社さんは、オーナー在任中は優勝1回、しかし、それが昭和56年、史上唯一の同一本拠地(後楽園)決戦、でした。酒樽にお尻から突っ込み、大沢啓二監督ともども美酒を味わっている場面が印象深く伝えられています。
札幌移転後初優勝の前年にお亡くなりになりました。今はもう、同一本拠地決戦は実現しません。恰幅のいい大社さんだけに、バレーボール選手とは失礼ながら連想しづらいですが、
かなり造詣が深いようで、折しもロスアンジェルス・オリンピックのさ中だっただけに、思い入れ十分に見解、感想も述べられていました。

 プロ野球関連が長くなってしまいました。小島監督、の関連するバレーボール選手に関しては
「好き嫌いなく…」
の面では、例外が2人います。ともにニチボー→ユニチカの選手で、主将も勤めた河西昌枝選手、横山樹里選手。河西選手は、肉も魚も食べないでこれだけ背が伸びた、と大松監督に自負していたそうです。横山選手は、バーベキューパーティでも、焦げた肉をつまむ程度なのだそうです。一方、日本代表チームでは小島監督の指揮下にいた、生沼スミエ選手は「好き嫌いなく、よく食べる…」そうです。トレードマークにさえなっている?お馴染みの笑顔で。また、生沼さん
自身が小島監督の後、中継ぎ監督を勤めたときは、教員採用試験のため日本と異国との往復の繰り返しになっていた三屋選手には熊本で馬刺しを食べさせたり、唯一の海外遠征だったインドでも、独特の香辛料料理を選手たちにごちそうしたり、と、量のほかにもその土地柄にもマッチした内容になっていたみたいです。

 中田久美監督は…一度、選手と食事すればいいのに。同性の監督だからこそできることです。
尤も、現代っ子である選手のほうが嫌がるでしょうか。女子選手にとっては、いくら『先生』であっても、男性の監督とは食事しづらいようです。
上記、広岡監督は「菜食」「玄米食」と口うるさく?指導する一方、単身赴任住み込みだったそうな(!)合宿所では結構若い有望選手、例えば伊東勤捕手や辻発彦内野手らと鍋を囲むこともあったようです。

6170KI:2019/08/26(月) 20:43:48
PL学園
こんばんは。

岡本さんは、非常に興味深いプロ野球界の情報を
沢山提供して下さるのでこちらの掲示板を拝見
するのが楽しいです。

日本ハムは、かつては毎年Bクラスの弱小球団で
東京ドームが本拠地でした。

印象に残っている片岡選手ですが、プロ野球ファンになった時は、中村監督率いるPL学園高校出身だということや立浪世代の一員だということを知りませんでした。偶然見つけた立浪選手のコラムに掲載されていましたが、「片岡は一人っ子なのでPLの練習に耐えられなくて実家の京都に帰るのではと心配していました。」とありました。
立浪が桑田、片岡は清原の付き人をしていたそうです。清原はどうか分かりませんが、桑田は自ら立浪を
自分の付き人にすると申し出たみたいです。
立浪を理不尽なしごきでダメにすることなくプロ野球選手にしたかったからだと思います。
中村監督が一番答えに困る質問は、「先生、KKのPLと自分たち(立浪世代)はどちらが強いですか?」と聞かれたら「そりゃお前たちKKの時に決まっているだろ、先輩をちゃんとたてないとダメだからな」と答えるそうです。
私は、PL学園関連の長い投稿になってしまいました。

日本ハムは、今はそれなりの成績を残すようになりましたが弱小球団時代の方が監督、選手の顔ぶれが非常に豪華で見応えがありました。
バレーボールだけでなく野球やその他の競技も
今現役の選手たちよりも引退した選手たちに愛着が沸くのは私だけなのかと思う今日この頃です。

6171岡本 すいか:2019/08/26(月) 22:10:19
「甲子園の星」PL学園と「都立の星」
 こんばんは。

 幾度か、引き合いに出してしまいました都立の高校野球と高校バレー。未だに、春夏とも全国大会では未勝利の高校野球とは対照的に、バレーボールは、三鷹高が高校総体全国優勝なのです。都立高は、春高バレーには、女子のみ出場経験があり、昭和49年第5回大会、都立小平高江上選手の実姉がその一員でした。江上選手(松蔭高)自身も出場しており、学校の異なる姉妹出場との珍しいケースとなりました。
叔父は、
「都立の星」…プロ野球では土橋正幸投手(都立日本橋高→東映)、引退後はヤクルト、日本ハム監督
バレーボールでは、生沼スミエ選手(都立三鷹高→日立)、引退後はママさんバレーボール普及主任指導員、(中継ぎでしたが)通算7人目の全日本監督の経験もあり
と、勝手ながら命名?しています。

 ちょうど、土橋正幸氏は、日本ハムで監督をしたので、片岡選手を指導しています。
『PL学園といえば、春夏連覇の学校だよな。高校時代、高校野球をしていない(当時、日本橋高は野球部がありませんでした)俺から見れば、夢みたいな快挙よ。でも、プロに入団したからには、皆一緒のスタートよ。俺もテスト生上がりなのだから…』
と片岡選手を激励、現役引退時には感謝されたようです。
面白い顔合わせですよね。高校野球の「甲子園の星」と、その野球部さえない無名の都立高の星。
ヤクルト監督時代も、全国大会5期連続出場の荒木大輔投手を指導、
『俺の現役時代のフィルムを見せて、フォームを似せたんだ。よく似ているだろう』
と自慢していたようです。

 対照的に、生沼さんは『高校時代、高校バレーをしていない』どころか、山田重雄監督とはその時に出逢って全国優勝、しかもその直後にはプレ・オリンピックである「東京国際スポーツ大会」にも高校選抜として出場、前年世界選手権第5位のチェコスロバキアを破る大金星を挙げました。東京オリンピック1年前の昭和38年10月16日。今から見たら、夢か幻化と思えてしまう
「バレーボールでの、都立の星の快挙」ですよね…。

6172KI:2019/08/26(月) 23:40:25
私が知っている都立は
こんばんは。

私が知っている都立高校は、甲子園に出場した雪谷高校です。15年から20年ぐらい前なので記憶があやふやですが、出場が決まった時には話題になりましたね?

今さらですがその時の雪谷高校野球部の監督が
菊間監督が一目置いていた高校バレーボール界史上初の快挙である公立、私立両方を春高バレーボール大会で優勝に導いた大分スポーツ界の重鎮である大木監督が見込んで熱烈なアプローチで後継者に指名した相原監督の実弟だと知ってビックリしました。
相原監督が東九州龍谷の監督を辞任して半年足らずで
U-20全日本を優勝に導いたものですからもうただでさえ立場が悪い中田監督はたまったものではないですよね?私も彼女の指導方法には違和感を感じましたが
なんか一人だけが悪者扱いで気の毒に感じます。

話がそれて申し訳ありませんが、相原監督と実弟は
子供時代に両親の離婚により別々に暮らしていたそうです。東京といえば高校女子バレーボール日本一激戦区であり老舗である八王子実実践、共栄学園の印象が
濃いです。

江上さんにお姉さんがいるのは雑誌を通じて知っていましたが全国大会に出場していたとはビックリです。
私のあやふやな記憶では八王子実践の前の強豪校は
中村高校しか浮かびません。名前は知りませんが優秀な監督がいたそうですね?
菊間監督率いる八王子実践もなかなか中村高校に勝てなかったと15年ぐらい前の月刊バレーボールに掲載されていました。

生沼さんが監督していたのもこの掲示板で知りましたので私にとっては完全な未知の人です。

6173KI:2019/08/26(月) 23:49:35
快挙とはほど遠い
五輪になるのはもう間違いないでしょうし
もうそれが当たり前になるのではないでしょうか?

吉原が全日本監督辞退したのは正しい選択だったと思いますしパリ五輪監督候補に挙がっても引き受けないと思います。自分が一緒にプレイした先輩がこれだけ
ファンから毎日のように人格否定をされるようなコメントを掲示板で見ていると思います。

日本以外にもブラジル、中国、アメリカも
監督後退するでしょうからそうなれば今以上に
見応えがなくなります。
中田監督、去年の世界選手権を最後に潔く辞任
するべきだったと思います。

6174ナイト07:2019/08/27(火) 09:17:30
前田 健 さんです
中村高校を優勝に導いた方は。
その後パキスタン??カナダの監督も勤めた事も有り、
ロス五輪でカナダを4位入賞まで導いた実績が有り、
イトウヨウカドウ 等も指導、協会強化委員長 、今でも
解説をされている様です。
お父様が 「月刊バレー」 を立ち上げた 前田豊 さん
です。

https://youtu.be/CMHNrPbcqFU

6175KI:2019/08/27(火) 14:02:00
名前だけは
過去に購入していた月刊バレーボールで名前が良く出てくる人ですね?

今年、カナダでロス五輪のバレーボール男子がカナダスポーツ界で念願の殿堂入りを果たしたそうです。
教え子も何人かは指導者として頑張っているみたいで前田監督も鼻が高いと思います。

今の2000年以降の月刊バレーボールの内容の質の急激な低下を前田監督はどう思っているのでしょうか?
来月はワールドカップがあるというのに2000年以前のように海外選手の特集は全然ありません。

パキスタン代表の監督をしていたのは初耳です。
貴重な情報提供どうもありがとうございました。

6176岡本 すいか:2019/08/27(火) 18:12:42
「中継ぎ監督」
 こんにちは。

 KIさんへ
 プロ野球、巨人では長嶋茂雄監督と入れ替わりに就任した「ON間の中継ぎ」藤田元司監督とほぼ同時代に、バレーボールでも、史上初の女性監督が中継ぎ就任したのです。
昭和57年秋、小島孝治監督率いる全日本は、史上初の「三大大会Bクラス」の4位に転落してしまいました。小島監督は辞任したのですが、後任となる監督が決まらず、急遽ジュニアクラスのコーチだった生沼さんに白羽の矢が立ったのです。しかし、たとえ1日でも、栄えある全日本の監督を勤めたのですから、7人目(第10代、でしょうか)としたいです。1日どころか、約6か月の任期中には。史上初のワースト、世界Bクラスに転落した代表の再建に着手。ロスアンジェルス・オリンピック出場に向けたチームの再構築に取り組みました。その一環として、江上選手を主将に任命し、大型化(その時点の12人全員1m70cm以上。因みに、生沼さん自身も1m71cm)と若返り。12人のうち8人がロス・オリンピックまで全日本代表の座を守り続けたのですから、大成功だったと思います。
その後、米田一典監督が就任、あとの4人が入れ替えられました。そのうち3人は中田久美選手と同学年「17歳女子高生トリオ」、広紀江選手、大谷佐知代(のち佐知子と改名)選手、宮島恵子選手です。生沼さんより若い、33歳の米田監督とともに、就任(むしろ復帰?)した、総監督・山田重雄氏は『あくまで米田をフォローする』と、黒子に勤めたつもりだったようですが、
マスコミの『山田監督待望論』は最後まで絶えませんでした。自他ともに認める、山田氏のチームだったのは、米田監督自身も了解しています。
(私自身は、米田監督のファンなのですが、やはり山田監督のほうが海千山千、報道陣にとっても見出しになる談話をしますから…)。
無論、オリンピックの最後まで、生沼さんもまた、解説しながらも、自身も携わったチーム故、ずっと気にかけていたと思います。

 自身の任期中の手柄?のひとつとして、生沼さんはレギュラーに中田選手を抜擢したのです。今、生沼さんはどのような目で愛弟子(妹?)をご覧になっているのでしょうか。

6177KI:2019/08/27(火) 20:03:34
生沼監督
こんばんは。

岡本さん、早速生沼監督のことを色々教えて頂きどうもありがとうございました。
昭和57年と言えば袁偉民監督率いる中国が三大大会2連覇した年であり、この大会を最後に人気選手の一人であった名セッターの孫晋芳が引退しました。

中田監督を抜擢したのが生沼監督だと知ってビックリです。世界一の座から遠のいていたとはいえまだどうにかTOP3に入る実力があったので就任時は色々プレッシャーがあって大変だったことと思います。
生沼監督が中継ぎ監督でなくて低迷した90年代の
全日本監督に就任していたらどうなっていたでしょう。今の中田ジャパンについてどう思っているか気になるところです。

藤田元司監督、懐かしいです。
今から30年前の日本シリーズの巨人VS近鉄戦はテレビに釘付けでした。最初に近鉄が3連勝で巨人が大逆転で日本一を獲得しました。記憶は定かではないですが多分この年は野球ファンになった年だと思います。
巨人ではなく、近鉄を応援しました。藤田監督時代の巨人は嫌いではありませんでしたし今とは違い生え抜き豪華メンバーが揃っていました。
ワールドカップ1989が開催されましたが私は見ていません。川合俊一最後の全日本、中垣内監督デビューの年でした。

岡本さんの周りには古き良き時代のスポーツ界に詳しい人がいて貴重な情報を提供して頂いているので羨ましい限りです。

私の周りには一人もいませんのでフッと頭に浮かんだらインターネット検索あるのみです。

最後に中田監督、私はあなたの悪口ばかり聞き飽きましたので来年の五輪までとは言わずに来年のワールドカップの結果次第で辞任をしてほしいですしその方が
気持ちが楽になると思います。

6178KI:2019/08/27(火) 20:49:47
岡本さんへ
私より純粋なプロ野球ファンだということが掲示板のコメントから非常に伝わってきますし私は元プロ野球ファンと名乗ることが恥ずかしいです。

そんなプロ野球ですが、海外のKK世代で野球チームが
作れるのが分かりました。もちろん9人皆桑田、清原と同い年です。9人全員に共通しているのが最低1回は
オリンピックに出場してメダルを獲得しています。
9人中7人は金メダルです。内5人は殿堂入りしています。

メンバーは、ミレーヤ・ルイス(キューバ女子バレーボール)、リマ・マウリシオ(ブラジル男子バレーボール)
マイケル・ジョンソン(アメリカ男子陸上)、フランク・
フレデリクス(ナミビア男子陸上)、ラルス・リーデル(ドイツ男子円盤投げ)、インガ・ババコワ(ウクライナ女子走り高跳び)、ボリス ・ベッカー(ドイツ男子テニス)、アレクサンドル・カレリン(ロシア男子レスリング)、オマール・リナレス(キューバ男子野球)

特に陸上の4選手は他競技のファンにも良く知られて
いると思います。

フレデリクス、ババコワ以外は金メダルを獲得しています。
ハイケ・ドレクスラーと一緒に2004年9月に横浜で開催されたスーパー陸上2004で引退セレモニーに出場しました。

6179KI:2019/08/27(火) 21:05:16
上記の続き
一番素晴らしい選手を挙げて下さいといわれたら上記9人から選ぶのに苦労しますが、やはりバレーボールファンとしてミレーヤ・ルイスが一番になります。
彼女のバレーボール選手としての実力だけでなく競技に対する姿勢、生い立ちやアメリカの経済制裁で恵まれないスポーツ環境に負けることなくスポーツ人類史上に残る活躍をしたことです。ルイスは清原と同じ
1967年8月生まれなのでもし機会があれば彼女の
活躍ぶりを中村監督に伝えたいものです。

リマ・マウリシオは、ギマラエス監督の教え子で
ネグロン、ガビオ、ゴウベイア、サムエルの豪華
アタッカー陣達の良き司令塔でした。
バルセロナオリンピックバレーボールでブラジル男子のプレイには非常に強い衝撃を受けました。
ソ連が崩壊して、EUN独立国家共同体での出場でしたが、マイケル・ジョーダン、マジック・ジョンソン率いるドリームチームも出場して話題を読んだので
私が見たオリンピックの中では非常に豪華でした。

6180岡本 すいか:2019/08/28(水) 15:44:49
「17歳女子高生トリオ」と、「50番トリオ」
 こんにちは。

 KIさんへ
 それでも、こちらに伺う以前は生沼さんのことを全く存じ上げていなかったんです。県立舞子高校(兵庫県)の大先輩・広瀬美代子選手のことは存じ上げていましたが…。私事で恐縮ながら、父とは同学年(昭和21年度生まれ、ご健在なら73歳)です。即ち、KIさんが尊敬されている中村順司監督とも同学年でしょう。昭和39年春、PL学園・中村選手(当時)が、ニチボー貝塚の練習を見学、感銘を受けられているとき、山田重雄監督−生沼選手の師妹?コンビとも
「夏の高校総体連覇、そして4年後のメキシコ・オリンピック」を目指し、三鷹高だけではなく、日立武蔵工場にまで押しかけて練習していたようです。その翌年、日立はバレーボール部が、高校教員からトラバーユした山田監督によって創部されたのです。生沼さんはその1期生。
中継ぎ監督としての、生沼さんは、ちょうどアジア大会で郎平選手、孫晋芳選手らの中国とも金メダルを争い、先の世界選手権同様惜しくも敗れてしまいましたが、
『あちらは世代交代が進行していない。この大会を最後に、中国は孫晋芳選手をはじめ4人が引退。その点、日本は中田、杉山加代子、小高笑子をはじめ、若手に大いに伸びしろがある。更に…』。
更に…のあとは、自身が米田一典監督と交代してからでしたが、下記の女子高生トリオの全日本
採用、だったようです。この当時、女子バレーボール、そのトリオは目玉となり間違いなく高視聴率が取れたと思いますよ。

 ほぼ同時期、巨人でも藤田元司監督−王貞治助監督、牧野茂コーチの「トロイカ体制下」、いずれも背番号50番台の「50番トリオ」がデビューしたのです。駒田徳広内野手(背番号50)、
槇原寛己投手(同・54番)、そしてKIさんが思い入れをお持ちの吉村禎章外野手(同・55番)
でした。いずれも、藤田監督になってから入団した、3年目以内の有望な若手。
駒田選手、槇原投手の記録的なデビューは、KIさんにとってもおなじみ化と思います。
デビューは言うに及ばず、伝説となった日本シリーズでも駒田選手は適時打、槇原投手も先発要員として2回先発、と公式戦や日本シリーズの高視聴率の立役者となったと思います。
そのふたりほどではなくとも、吉村選手もまた、地に足をつけて、順調に実力をつけていったようですね。

 最後に。そんな生沼さんや中村監督とは同学年なのに…父はいずれ(バレーボール、プロ野球、高校野球)にも無関心です。その父親に成り代わって、叔父が教えてくれました。

6181KI:2019/08/29(木) 16:39:07
プレイするのは選手ですが
こんにちは。

岡本さんへ

掲示板を拝見しているだけで普通のスポーツファンの方とはレベルが違うなと感じますし岡本さんみたいなファンに会場で生観戦してほしいと思っているでしょう。PL学園中村監督の残した功績は本当に凄いのだなと感じます。
実現は難しいでしょうが、生沼監督&中村監督の同級生対談が実現し、PL学園中村監督誕生のきっかけとなったエピソードを生沼監督が知ったら自分達の先輩の凄さに気づくのではと思います。

プロ野球界で素晴らしい成績を残した選手の多さは他の名門校の上をいっています。

試合の勝利に向けてプレイをするのは選手達ですが、監督も選手達と一緒に戦っていますのでそれなりに
勝利に貢献しています。

今年「平成」から「令和」になりましたが、
令和は「昭和」の常識が非常識になるような時代に
していくそうです。

6182岡本 すいか:2019/08/29(木) 20:05:31
岸記念体育館が閉鎖…
 こんばんは。

 皆様でしたら、先刻ご存じかもしれません。オリンピックにとっては、なくてはならない施設であった「岸記念体育館」が、先達て7月13日限りで閉鎖されたのです。昭和39年、オリンピック開幕直前に開館したのですが、2回目の東京オリンピック直前に、老朽化には抗えませんでした。なお、同施設には、オリンピックとは無縁な(現状では)剣道、弓道両連盟、そして
長年オリンピックには競技化されなかった(アジア大会ではむしろバレーボールより先でしたが…)バドミントンの協会、そしてバレーボール協会も設置されていました。バレーボール、バドミントンとも、当初は同所から協会雑誌が発行されていたのです。

 27年前、ここでバルセロナ・オリンピックの結団式が行われたことが思い起こされます。中田久美選手が主将、旗手を務めました。後方には陣内貴美子(バドミントン。現在は金石昭人投手夫人でいらっしゃることは、KIさんならご存じでしょう。金石投手もPL学園卒)、そして、最年少、13歳中二だった岩崎恭子。私事で恐縮ながら、私は水泳の岩崎選手とは同学年なのです(バレーボールでは鈴木洋美、菅山かおる、高橋みゆきと、史上初のシドニー不出場、オリンピック逸機のバレーボール汚点世代…)。岩崎恭子、13歳で『世界一幸せな』金メダルから早27年。
今、彼女は人生の酸いも甘きも経験しているようです。金メダル獲得でも、どこかの国のようには、一軒家一軒プレゼントされ、一生安泰に生活できるのではないようです。かつて、引退後の白井貴子選手がおっしゃっていたように…。4年間はメダリストの面倒を見てもいいのではないでしょうか。岩崎選手、離婚して苦労しているようですね…。27年前の結団式の様子が、きのうのように思い浮かびます。

 2回目の東京開催を花道に閉館する横浜文化体育館閉鎖と併せて、寂しい知らせですよね…。

6183KI:2019/08/29(木) 21:13:20
なくなる風物詩の数々
こんばんは。

またも風物詩の一つがなくなってしまったのですね?
岸記念体育館の存在は初耳です。
バルセロナから今年で27年経って、来年は自分の母国でスポーツ最高の祭典があるというのに喜べない自分がいます。
陣内貴美子は、ニュースキャスターをしながら御主人の金石昭人と東京都内で飲食店を複数経営していま
す。叔父の金田正一に子供時代に、親戚の集まり時に野球の才能があると言われて、「高校で野球をするならPL」がいいと言われてPL学園に進学して甲子園に出場しましたが控え投手でした。
同級生には木戸、西田がいて、プロ野球南海を率いたヤクルト野村克也監督の恩師である鶴岡一人監督の長男が監督で、中村監督はコーチでした。1978年にPLは甲子園で優勝してファンや野球関係者の間で「逆転のPL」と呼ばれるようになり、吉村禎章選手が入学するきっかけにもなったそうです。
陣内貴美子選手もオリンピックに出場しましたが、時代が悪かったです。インドネシアが今より優秀な選手がいたので日本は全然歯がたちませんでした。

私は、横浜文化体育館がなくなるのが非常にショックです。北京オリンピックの年に卓球荻村杯を見に行きました。

岩崎恭子の不倫は非常にビックリしました。
苦労しているとはいえ自業自得だからしょうがないですね?

シドニー五輪に日本は男女とも出場できませんでしたし特に女子は大バッシングでした。
けれども八百長、過去の栄光を利用してFIVBの会長をお金でつって味方につけて出場したロンドン五輪代表よりもシドニー五輪代表はなぜか応援したいチームでした。正々堂々と勝負して散ったのですからそっちの方がましです。ロンドン五輪は、八百長真鍋ジャパンがメダルを取るし、ロシアはアルタモノワ以外がさっぱりだから見ていて腹だたしくなりました。

そういえばバレーボール国際試合も11月開催がなくなって何年か経ちます。令和元年はバレーボールファンにとって寂しい幕開けです。

6184岡本 すいか:2019/08/29(木) 21:14:14
いずれも別年齢の同期入団(入社)トリオ
 続けて。

 ほぼ同時期に黄金期を迎えた、プロ野球の西武ライオンズ(第1期)と、バレーボールの日立(第3期)。奇しくも、都県境(狭山湖、多摩湖)を挟み、南側(東京都)が日立、北側(埼玉県)が西武の、各々フランチャイズ。選手同士は面識があったかは不明ですが…。過日お伝えさせていただいたように、同時に「都民文化スポーツ栄誉章」に輝いた、今をときめく“近所の強豪”同士。

 どちらも、昭和56年入団(入社)の「いずれも別年齢の」若手トリオが主力となったのです。
昭和59年当時では、西武は石毛宏典内野手(28歳)、秋山幸二外野手(22歳)、杉本正投手(25歳)。日立は三屋裕子選手(26歳)、小高笑子選手(22歳)、中田久美選手(19歳)。

 KIさんへ。のち、秋山選手は清原選手とAK砲を組み、一世風靡することになるとはご存じと思います。しかし、その当時はまだ「九番・センター、背番号24」の有望な一若手に過ぎなかったようです。それでも、ネット裏で祖父などはスコアシートを付けながら『間違いなくこの選手は大成する』と断言していたとか。慧眼だったのでしょうか…。『ポスト田淵』と呼ばれていたようです。
この昭和59年は開幕が早く、なんと3月31日。叔父が保有しているスコアシートは開幕3試合目、4月2日の西武対南海3回戦でしたが、早くもナイター。気温0.5度だったようです(!)。先発杉本、一番石毛、九番秋山と同期入団トリオが総出場。このシーズンは西武は3位でしたが、いずれの選手も黄金期には貢献したようです。

 プロ野球と比べれば、女子バレーボールの応援機会は少なく(男子、NKKは多かったようですが)、しかもスコアシートは付けていなかったのは惜しかった…と叔父。しかし、女子バレーでは、上記の「同期入社トリオ」の史上まれな新人賞争い、その後の記録的な無敗&連続ストレート勝利による連覇には目を細め、
『ロス・オリンピックが、そして次のソウルも楽しみだな…』
と確信していたようです。祖父は、ロスでの上記トリオ揃い踏みでの銅メダルを見届けた後体調を崩し、ソウルの時は病床にありました。そして、改元直前に永眠…。
今、中田久美監督率いる全日本は、かつて祖父が見たような輝きがあるのでしょうか。天国で
がっかりしていなければいいのですが…。

6185KI:2019/08/29(木) 21:30:02
引退後の生活
白井貴子選手は引退後に苦労されたのですね?
全然知りませんでした。

金メダルを獲得したら生活が安泰するのは共産圏の国だと思われます。中国、ロシア、北朝鮮当たりでしょうか?
でもなかには目の前にある特権にしがみつかずに
引退後の生活をしている選手が現在中国女子バレーボール郎平監督です。

三屋裕子選手が、代表にいながら教員試験の勉強をしていたのはお父さんの強い意向があったからです。
1日も早くバレーボールに見切りをつけて一生困らないように手に職をつけてほしかったそうです。
理由は、日本ではオリンピックで金メダルを獲得しても引退後の生活が保証されていないからです。
彼女がロサンゼルスオリンピックに出場できたのは
お父さんに土下座して、「教員試験受験は先送りできるけどバレーボールでオリンピックを目指すのは今しかできないからロサンゼルスオリンピックまではバレーボールをやらせて下さい。」との娘の強い熱意に
お父さんが根負けして渋々教員試験先送りを認めたエピソードがあります。

まあ、残念ながら喉から手がでるほど欲しかった金メダルは獲得できませんでしたが、引退後の生活を考えていたお陰で転落することはありませんでした。
PL中村監督のモットーである「基本に忠実に丁寧に」
人生を過ごしてきたからこそ今の日本バスケットボール協会三屋裕子会長があるのでしょう。

6186KI:2019/08/29(木) 22:01:57
ロサンゼルス&ソウル
にの頃は日本もバブル景気真っ只中でした。
スポーツ界も色々と明るいニュースが多かったのが
岡本さんの投稿から伝わってきます。

秋山幸二選手は、確か熊本工からドラフト外で西武に入団したような気がしますが記憶が定かではありません。石毛宏典、デストラーデ、辻発彦、渡辺久信など
西武黄金時代はメンバーの顔ぶれも豪華でした。
一つ疑問があるとすればなぜ、観客数が巨人、阪神より悪かったのかが想像がつきません。

当時は、まさか経済やスポーツがここまで衰退するとは予想がつきませんでした。
私は、キューバ女子バレーボールが東京五輪出場逃したと聞いて、天国でヘオルヘ監督はどのような気持ちでいるのかなと思います。90年代はチームを指揮していてプレッシャーもあって大変だったでしょうが充実していたことでしょう。

来年東京2020後の世界バレーボール界は、正直何一つ
いい材料が見当たりません。

それにしても、古き良き時代のスポーツを知っている人が身内にいて羨ましい限りです。
今の中田ジャパンを見たら発狂されることと思います。

6187岡本 すいか:2019/08/31(土) 15:05:12
所沢市民体育館はアクセス良好「だった」ようです…
 こんにちは。

 KIさんへ
 西武球場は「地の利」においては恵まれていないかも。現存しますが。池袋駅から約1時間、標高93.8m、そして春先、秋口とも「超」極寒。ダム(文字通り、多摩湖・狭山湖と人造湖に囲まれています)の谷底にある獅子谷と揶揄されたようです。
それが、あれだけ強豪でありながら、巨人(後楽園→東京ドーム)、阪神(甲子園)に、集客数では水をあけられてしまった要因なのかも。
西武球場といえば、外野芝生席が特徴ながら、それも平日は閉鎖だったようです。週末は芝生席も開放、水増しながらも最大では公表50000人だったようですが、それでも、巨人・阪神の公表集客数よりは少ないでしょう。

 集客数では、無論プロ野球チームより少数だったでしょうが、同じ所沢市ホームでありながら、日立が公式戦を行っていた所沢市民体育館なら、アクセス良好かも。但し、現存している
「所沢市民体育館」は、当時とは別物、21世紀に入ってから建て替えられたようです。しかし、ほぼ同じところにあるのです。新所沢駅から徒歩10分圏内。標高50メートル程度の平地。
バレーボール、日本リーグの日立対ユニチカ戦は「女子バレーの伝統の一戦」でした。所沢でも
「伝統の一戦」が行われていたというのです。私事ながら、ライブ観戦機会はプロ野球ほどではなかったという祖父・叔父ですが、所沢での「伝統の一戦」を、ちょうど日立の第3期黄金期に
経験したとあって、それもただ強いだけではなく、有望な若手の伸びしろも見られたとあって
大満足だったとか。真冬、かつ東横線都立大学から1時間30分費やして遥々所沢にやってきた甲斐があった、と。体育館なら、直接の“寒害”は軽減されたようです。なにしろ、当時76歳の祖父でしたから。今では都立大学→渋谷→池袋→所沢、は直通ルートなのが時代の流れでしょうか。私事で恐縮ながら、祖父と叔父の所沢バレーボール観戦体験談でした。

6188KI:2019/09/10(火) 07:52:14
私事ですが
おはようございます。

昨日は久しぶりにいいニュースを拝見いたしました。
高校野球名門高校のPL学園が、マスターズ甲子園に大阪府代表として出場権を獲得致しました。
自分がプレイしたわけではないのに非常に嬉しいニュースでした。

コメントには、桑田だけでなくもう一人のKの清原復活を待ち望んでいるファンが多いことにビックリしました。中村監督もお元気そうな写真が掲載されていました。監督は、KKコンビの1学年先輩の清水哲さんです。

6189岡本 すいか:2019/09/12(木) 01:37:14
金石&陣内夫妻とも交友があった新沼謙治夫妻
 こんばんは。

KIさんへ
 はい、その速報拝見しましたよ。清水さんのドキュメントも拝見しました。大学進学後試合中の事故により半身不随になってしまった方…と。金石昭人氏もその朗報をお耳にされたのでしょうか。

 金石氏夫人、陣内貴美子さんは先述させていただいた通り、初めてバルセロナ・オリンピックでバドミントン競技が正式競技化されたときの代表。第25回の記念大会でした。その20年前、
昭和47年、これも第20回記念大会でエキシビジョンながら、これも初めてバドミントンがオリンピックの檜舞台に採用された時の代表こそ、新沼謙治氏の夫人・湯木博恵さん(故人)です。こちらでは、幾度か話題には上げさせていただきました。バレーボールの白井貴子選手とは同郷(岡山県出身)、同じバレーボール・ホールで白井選手は銀メダル、湯木選手は銅メダルに輝き、エキシビジョン、正式競技の区別なく選手村では仲良く生活し、お互いテロ事件にも遭遇した因縁もあり、引退後も交友があったようです。それも、お互いの夫婦そろって。陣内選手(サントリー)は、日本リーグデビュー初期に「大御所」湯木選手(河崎ラケット)とは幾度か対戦経験があります。そして、陣内選手にとっての同世代のライバルといえば、北田スミ子選手(サンヨー。現・バドミントン強化委員長)でした。ルーキー当時(昭和57年、第4回日本リーグ)、史上まれな?新人賞争いを展開されたようです。まだオリンピックとは無縁な時代から。
金石&陣内夫妻、新沼&湯木夫妻、そして北田(現姓・芝)、と、バドミントンを通じた友情が引退後も続いたようで、そこにバレーボールの白井選手も絡んでいる、とあっては興味深いですよね。引退後は、人知れず苦労されたという白井選手ですが、スポーツを通じた交友関係には恵まれたのでは。都区内で、自治体の小中学生向けのスポーツ教室をされた時には、陣内、湯木両名を招いて、自身も加わってバドミントンを子供たちと楽しんだようです。

 自主トレーニングなどで、金石氏もバドミントン、競技していたかも。陣内さんと出逢う前でしたでしょうけど…。

6190岡本 すいか:2019/09/02(月) 09:34:00
「菊間監督の愛娘」と「KK世代の松井」とは同僚アナ(でした)
 おはようございます。

 これも、以前上げさせていただいた話題の繰り返しで恐縮です。今、KIさんがいらしているので、お伝えさせていただきたいのです。

 八王子実践高・菊間祟嗣監督の愛娘・千乃さんはフジテレビ・アナウンサーだったことをご存じでしょうか。平成7年入社。但し、現在は同社から退社、弁護士として活動しているようです。もうひとり。KKさんとは同学年(昭和42年度生まれ)、「KK世代の松井」といえるでしょうか?松井みどりさんも同局のアナでした。アナでは異例な?横浜市立大学卒。平成2年入社。ちょうど、21世紀に入って地上波での「プロ野球ニュース」が終わった直後くらいに、スポーツ部に異動。今も同局の社員かは不明ですが…。

 上記のおふたり、特に松井さんは有能でした。上記「プロ野球ニュース」ではレポーターの常連でしたし、生中継でも女性アナ初の実況などもしたものです。無論、バレーボールでも、春高のレポートも常連。ただ、残念ながら、平成2年彼女がフジテレビに入社されたときは、既に
女子バレーボールは地盤沈下時代に入っていました。日本リーグも以前ほどの盛況ぶりはなく、
全日本の右肩下がりはご承知おきの通り化と思います。できれば、実業団(日本リーグ)でも、
春高でも、「実況・松井みどり、解説・生沼スミエ」の顔合わせにお目にかかれればよかったのでしょうけれど、もう生沼さんもそれほど解説されなくなったくらいではないでしょうか。

 最後に。菊間アナといえば、朝番組レポート中の「転落事故」は避けては通れないと思います。当時「ポスト清原」と呼ばれた、清原選手の後任のある選手(一塁手)と交際されていたのです。連日、彼が菊間アナの見舞いに駆けつけていたところは写真週刊誌でも激写されたのですが、今度はキャンプ中にその選手のほうが肉離れを起こし、清原選手さりしのち連覇だった西武のV逸要員となってしまいました。以後、彼は活躍できなくなりましたね…。

6191岡本 すいか:2019/09/06(金) 13:36:36
「P.L.Y」はPL学園もうひとつの名門・剣道の聖地!バレーボール部は…
 こんにちは。

 KIさんご推薦のPL学園高は、名門は野球部ばかりではないのです。剣道部も。なんでも、
近隣の警察署(富田林市はどちらでしょうか)、大阪府のみならず、なんと遠方・警視庁からも
剣道部が合同合宿を求めてきたそうです。現在は存じませんが、かつては「P.L.Y」と大書された体育館と、生徒寮(全寮制ですものね)があり、警察官剣士たちも寄宿したそうです。
東洋の魔女の練習場に押しかけ、感銘を受けたのとは対極。天下の警察官にも、PL学園剣道部は合宿を提供したばかりではなく、影響を与えたかもしれませんね。

 ところで。恥ずかしながら、体育館は英語で「gymnasium」と呼ぶとは、今更ながら知りました。ずっと「アリーナ」とばかり思いこんでいましたので。Tokyometro・gymnasium、Komazawa・gymnasium、Kishimemorial・gymnasium、なのですね。すると、本来ならP.L.gymnasiumなのではないでしょうか。PLYのあとの「Y」は一体なにを意味するのでしょう。KIさん、もしご存じでしたら教えてくだされば幸いです。(PL学園高が、野球部とともに剣道も名門であることはご存じでしょう)。

 最後に。PL学園高にはバレーボール部も創部されていますが、野球・剣道ほど強豪ではないようですね。古き良き時代の月刊バレーボール誌(春高や高校総体レポート)でもお目にかかりません。

6192岡本 すいか:2019/09/10(火) 17:44:53
オリンピックと剣道との意外な因縁
 こんにちは。

 私事で恐縮ながら、過日『オリンピックにも、剣道が採用されるべきではないか。例え、エキシビジョンでも』などと、チラウラ宜しく独り言を呟いてしまいました。なんと、『エキシビジョン(広い意味。試合ではなく)では』先の東京オリンピックでは行われていたのです。当時のオリンピック委員長からの要請で、大会6日目、昭和39年10月15日に実施された記録があるのです。持田盛二、斎村五郎両十段が日本剣道形を演武されたとのことです。更には、少年剣士出稽古お披露目、実業団(警察、自衛隊など)もかかり稽古、そして最後の試合部門では鶴海岩夫、中倉清、伊保清次、谷口安則、中村太郎、矢野太郎各氏。伝説的な剣士ばかりのようです。
さすがの叔父も、剣道は知らなかったようで、私自身も(もはや常連?になっている)玉図書館で調べてきました。以上、最新号の「剣道時代」より。

 花よ蝶よの女子バレーボール、伝説の「東洋の魔女」と比べたら地味でしょうけど…。

来年のオリンピックでは、エキシビジョンが、それも剣道にも設けられるのでしょうか。
その暁には、ぜひ千葉仁名人
(金メダルチームの一員、但し、試合機会なしでしたが…その後ミュンヘンオリンピック主将にもなった松村勝美選手の旦那さん)にご登場いただければ…。もしかしたら、本人達が知らない間に、東京オリンピックで既に「ニアミス」していたかもしれません…。現実には、ミュンヘンオリンピックの時、松村選手の生涯の恩師・小島孝治監督が、知人の国会議員を通じて、松村選手に千葉選手を紹介したようなのですが、8年前もうオリンピックで既に同じ場所で居合わせていたとしたら、それこそ奇跡的な縁ですよね。

6193K・I:2019/09/13(金) 15:01:58
菊間千乃さん
こんにちは。ばたばたしていてなかなかこちらの掲示板にこれませんでした。
自宅のパソコンだけでなくとうとう携帯からもこちらの掲示板に書き込みができなくなってしまいました。

菊間千乃さんのことはよく覚えています。フジテレビ入社のきっかけが春の高校バレーボールで優勝した八王子実践の監督である父親に優勝インタビューしたかったそうだという話は有名です。岡本さんと違い情報に疎いため幅広い内容の投稿はできません。

千乃さんのことはよく覚えていてフジテレビを退社したことを知ったときはびっくりしましたが
ジャニーズのメンバーへの飲酒事件は弁護士への転職へのきっかけとなったようです。

父である菊間監督は、八王子実践監督時代に教え子に雷を落とすときによく言っていたのが
「うちの千乃でもできるわ。」だったそうです。
千乃さんが仕事も兼ねて取材に行ったときにも教え子の目の前で言われる千乃さんは
非常に恥ずかしかったとテレビでコメントしていました。
無事に弁護士への転職に成功して、早稲田大学同級生の商社マンと結婚をしたそうです。
教え子には非常に厳しかった菊間監督ですが、千乃さんには非常に甘く早稲田大学に現役合格出来なかったときは雷を落とさずに励ましたそうです。
菊間監督のことを悪く言う人は多いですが、今の若い世代には到底理解の出来ない
指導者だと思います。

6194K・I:2019/09/13(金) 15:21:32
オリンピックにふさわしい試合
https://youtu.be/gP7JNZrwHm4

動画の途中に出てくるレグラ・ベルのスーパーレシーブからの得点シーンは
私が見たいバレーボールそのものです。
もう二度と五輪の試合で見れることがないすばらしい試合です。

6195K・I:2019/09/13(金) 15:31:57
松井みどりアナウンサー
恥ずかしながら岡本さんの掲示板を拝見するまで全然知りませんでした。
KK世代は栄光の世代とおっしゃっていた人がいましたがまさにそのとおりです。
ウィキペディアで確認したところ、田中角栄総理大臣と同じ新潟出身でした。

菊間千乃さんもお父さん絡みで名前を覚えているだけでそれがなかったら
多分私の頭の中にインプットされることはなかったことと思います。

6196K・I:2019/09/13(金) 15:41:10
予想以上のチケット売れ行き
ずっと疑問に思っていることですが、中田監督や岩坂キャプテンの存在価値否定をするコメントがあふれかえっているのにもかかわらずなぜワールドカップバレーボールAサイトのチケットの売れ行きは予想以上にいいのでしょうか?嫌いは嫌いでいいですがそれならわざわざ会場に見に行かなければいいのにと思います。

この掲示板のすばらしいところはそういうファンの書き込みが圧倒的に少ないので
私も書き込みしやすいです。
もうここ10年ぐらいでバレーボールの掲示板に書き込みするファンの層もがらりと変わっていて
あのころのバレーボールの内容を書き込みしようものならバッシングが異常なくらい凄いです。

別に中田監督や岩坂キャプテンの味方ではありませんが、正直ファンとしてのレベルを疑う
コメントが連日あふれていますし明日からは1か月間掲示板がパンク状態になりそうです。

横浜アリーナで「中田やめろ」のデモを決行するファンもいるようです。

6197K・I:2019/09/13(金) 15:55:46
PL学園剣道部
恥ずかしながら私が知っているPL学園で思い浮かぶのはどうしても野球オンリーになってしまいますことをご了承いただけたらと思います。

岡本さんは非常に話題が豊富な方ですごいうらやましいですし、何がそこまでいろんなスポーツ界の情報収集に駆り立てるのでしょうか?私から言わせたら異次元のレベルです。
以前は、こちらの掲示板はバレーボールオンリーでしたが岡本さんが投稿されるようになって
私もこちらの掲示板に来やすくなりました。

大阪が生み出した高校スポーツ界の超名門校PL学園野球部は休部状態ですが、
どうもここ数年は全校生徒数も毎年減少傾向にあるようです。
野球だけでなく剣道も強かったとは大阪府民ならご存知でしょうが他都道県の方は
岡本さんのような幅広いスポーツファンでないと知らないと思います。

6198岡本 すいか:2019/09/13(金) 18:54:33
桑田もオリンピック選手も愛読?「五輪の書」
 こんばんは。

 KIさんへ
 ご返信ありがとうございます。

 早いもので、パラリンピックの“閉幕”(来年9月6日)までもあと1年を切りました。
いうまでもなく、オリンピックへのカウントダウンはいやでも進行しているところなのでしょう。今、競技には拘らず、むしろ剣道のように『現状(これからも?)オリンピック競技には採用されていない』スポーツからも、あらゆる見方からオリンピックを捉えようと努めています。
その結果、オリンピックトリビアがいくつか発見されましたので、皆様にもお伝えさせていただきましょう。

一…『史上初、東京では2回目の開催』
とマスコミが喧伝しているパラリンピック。昭和39年当時はその存在さえ知られていなかったようです。では(夏季に比べれば地味な)冬季オリンピックではいつからか、と調べてみました。
1976年スウェーデン大会からのようです。東京パラリンピック同様、社会的にはその存在はまだ理解されませんでした。当時は、オリンピック、パラリンピックとも冬夏同年開催で、半年後には夏季モントリオール・オリンピック(ただし、夏季パラリンピックは同じカナダでもオタワだったようです)。その後、両大会とも冬夏分離開催となり、現在に至ります。むろん、長野ではパラリンピックは行われ、22年前当時よりは注目され、報道されたようです。

二…オリンピックの日本語略称「五輪」
宮本武蔵「五輪の書」から連想された。先の東京オリンピック直前、ある新聞の記者が『“オリンピック”では活字組が長すぎる。日本語らしく略称を付けられないものだろうか』と考えた結果、五輪の書が思い浮かんだ、と。
KIさんが推薦されている桑田真澄投手は、もしかしたら愛読されているかもしれませんね。彼は自主トレ中には「古武術」などにも取り組むくらいの歴史マニアでもあるようです。
また、来年オリンピックに出場する(予定の)選手も大勢愛読者がいるようです。それも、外国からの選手に。できれば、日本の選手団、バレーボールでも、中田久美監督、そして!選手たち
にも読んでもらいたいところですが…。

三…エキシビジョン競技の宿命
『試合形式で、異国の選手と勝敗(メダル)を争わない』…ことを条件に、『礼節第一』
『自己鍛錬の精神を披露する』趣旨で、文字通り“お披露目式”に終始した剣道を除けば…
まず、入場行進には参加させてもらえず、またたとえ金メダルでも1個としてはカウントされない。来年はエキシビジョンでも日本人選手は入場行進させてもらえるでしょうか。

 その屈辱をバネに、『初めての競技化がエキシビジョン』、の絶望的不利シチュエーションから奇跡の金メダルを獲得したのが、ミュンヘン・オリンピックでのバドミントン・中山紀子選手(女子シングルス)と、ロスアンジェルス・オリンピックでの野球チームです。特に、ロスの野球は、その予選で敗北しながらも、急遽アメリカ側の要請から追加出場を決め、文字通り『一度は諦めた檜舞台』からの金メダルでした。なお、なんとエースはPL学園高卒の西川佳明投手(当時法政大学。のち南海ホークス)、です。KIさんならご存じでしょう。
PL学園高出身者では、西川投手こそオリンピック、メダルとも第一号ではないでしょうか。

6199岡本 すいか:2019/09/13(金) 19:39:25
キャプテンに恵まれた…ロス・オリンピックのチーム
 もう一件失礼します。30分は過ぎていますので…

 先達て、
『もし、“中継ぎ監督”生沼スミエさんが1990年代、凋落しつつあった女子バレーの
監督(それも、オリンピックに向けた中長期ビジョンの)に就任したらどうなっていたでしょう』
とKIさんから質問されて、答えていませんでした。
失礼しました。私的には、よくない結果になっていたのでは(さすがに、現状の中田全日本には及ばないとは思いますが…)と思います。生沼さんと、「岩崎恭子世代トリオ」鈴木洋美・菅山かおる・高橋みゆきの顔合わせも、見たいようには思います。
オリンピック(その当時でしたら、シドニーでしょうか)には出場できたかもしれませんが…。
私自身が話題に挙げて言うのもなんですが、それこそバレーボール黄金期からご覧になっているカルバハルさん、アルタガモワさんから見れば、陣頭指揮としては物足りないところがあるようです。必ずしも、選手としての資質とは一致しないようです。
また、期間的にも、結果的には短期前提の監督だったので、現・監督とは比較しづらい、とも。

 むしろ、その当時では大人な選手たち、特に江上キャプテンには恵まれたように思われます。
下記にもKIさんがあげてくださったように、どうもキャプテンからして安定しないようですから。その当時でしたら、既に小島前監督の時代から『横山樹理引退後は、例え小島監督留任でも
江上キャプテン就任』とは既定路線としてあったようです。現実に、第9回世界選手権では、史上初のBクラスに転落し、結果的には小島監督辞任と横山選手引退が同時となり、急遽監督は
生沼さんが中継ぎとなる一方、既定路線通りキャプテンには江上選手が就任し、世代交代は予想以上に順調に進行したようですね。生沼さん自身も『大人な選手、特に江上には助けられた』と、後任の米田一典監督との交代時に振り返り、感謝しているようです。
この時、キャプテン人選に手間取り、チームの世代交代(若返り)と大型化が遅れていたら。
ロスでの銅メダルも危なかったのではないでしょうか。

 その意味でも、江上選手の存在(キャプテンシー)は偉大だったんだなあ、文字通り『神様、仏様…』だったんだなあ、と認識しているところです。

6200岡本 すいか:2019/09/15(日) 19:36:21
ゴルフも!さすがPL学園高
 こんばんは。

 KIさん一押しされているPL学園高は野球・剣道のほかにも、ゴルフ部も強豪のようです。なんと、第1回全国高校ゴルフ選手権優勝(昭和55年)。失礼ながら、高校でゴルフといえば私学ばかりの印象(むろん、PL学園高は私学です)があったので、今年で第40回の記念大会を迎えるほど盛んになるとは思いませんでした。道理で、プロ野球選手でも、特にPL学園高出身の方は
ゴルフに思い入れを人一倍お持ちになり、それも超一流のはずです。桑田投手にとっては、
(ご自身も連載されていたかと思います)「ゴルフダイジェスト」などゴルフ週刊誌もバイブルなのでは。

 女子バレーの選手では…あまり接点を聞きませんが、かといって全くいないわけでもありません。ミュンヘン・オリンピック代表の島影せい子選手(なんと、日立・ユニチカ両名門に所属)は引退後プロゴルファーに転向され、優勝もしています。KIさん、ぜひとも島影選手について
関心を抱いていただければ。きっと、共感を持ってくださるように思います。

6201岡本 すいか:2019/09/16(月) 06:38:05
マスターズ甲子園に続き…オールド・オリンピック(ロス編)も希望
 おはようございます。

 KIさんがお伝えしてくださった往年の球児たちが集う「マスターズ甲子園」があるなら…ぜひとも、オリンピックでも同様の企画が実現したらいいですよね!無論、全競技が一堂に会して、との形式は不可能でしょうから、競技ごとでも。かつて、バレーボールでは実現したのです。

 「幻に終わったモスクワ・オリンピックのバレーボールリメンバー・エキシビジョン。相手はソ連改めロシア」。
アルタガモワさんがお伝えしてくださったように、日本テレビ「24時間テレビ」の一コーナーとして。しかも、日本がストレート勝利したようです。当時と同じ3セット先取、1セット15点マッチのルールで。

 私も、アルタガモワさんと同様、これの「ロスバージョン」をリクエストさせていただきます。ところで、ロスの『美しき戦士たち』の現況について。(KIさんを信じていないのではありませんが…)本当に三屋さんが日本バスケット協会の会長になられていてビックリしました。
バレーボールとは相対する競技、先達てアジア大会では選手が問題言動を起こしたようなので、バスケットの選手たちは、今後はもう三屋会長を困惑させないでもらいたいものですね。
そして…ブーイングばかりながらも、なんとか?全日本を監督している中田久美監督。
あとの方々は専業主婦がほとんどでしょうが、石田選手は大学教授、利部選手は秋田市職員を
務めながらも、バレーボールも指導しているようですね。

6202岡本 すいか:2019/09/16(月) 20:15:10
なんとアニメ化されていた!?「イーグルサム」
 こんばんは。

 皆様、特にKIさんへ。相変わらず、オリンピックに関しては次々に新発見できましたので、
連投にならない程度には投稿させていただきます。

 ロスアンジェルス・オリンピックのマスコット・イーグルサムはアニメ化されていたようです。毎週木曜日午後7時から、ですから思い切りプロ野球のナイターの時間帯です。それなのに、なぜかほとんど放映取りやめにはならず、1年間51回(102話)放映されたようです。
今や地上波からではプロ野球生中継を撤退してしまった「赤坂の某局」より。

 今見ても愛くるしい(!?)イーグルサムを見るたび、ロスアンジェルスのバレーボール、美しき戦士たちが連想されます。それこそ、当時の月刊バレーボールには毎月のように「オリンピック使用球」の横にその姿がありました。そのオリンピックの象徴ともいえる存在だったからでしょう。

 そこへ向かえば、来年のオリンピック・マスコットはベタですよね…。アニメ化されるなど、
まずあり得ないのでは。それこそ、恥を忍んででも、過去のオリンピックから流用すればいいのに。

6203岡本 すいか:2019/09/20(金) 23:07:59
谷口徹選手はKKコンビと同級生
 こんばんは。

 KIさんがご覧になっていると信じて…。
なんと、プロゴルフ・谷口徹選手はKKコンビとは高校(PL学園高)の同級生のようです。

 谷口選手も、「ゴルフも名門」PL学園高で、青春を謳歌されたのでしょうか。ゴルフ…も
オリンピック競技です。無論来年も。『もう少しオリンピック競技化が早ければおれも…』
と今頃谷口選手も思っているかもしれませんね。

6204岡本 すいか:2019/09/24(火) 20:00:32
寂しい秋…バレーボールの「1年前」
 こんばんは。

 今、最早『テレビ局の社内イベント』でしかないバレーボールが行われているようですね。それでも、オリンピック前年なのでしょうか。先の東京オリンピック、またはロス・オリンピックには遠く及ばないとしても、あまりにも寂しい秋ではないでしょうか。気づいたらオリンピックが、そしてバレーボールともども「終わって」いた…となりそうでしょうか。

 今や、一手にラグビーにファンの関心を奪われているようですね。バドミントンでは、インドネシアの英雄、ルディ・ハルトノ氏(ミュンヘン・オリンピック金メダル)が来日されたようで、大盛況は間違いなかったでしょう。ハルトノ氏の時代はオリンピックではエキシビジョン競技に過ぎませんでしたから。いい意味で「隔世の感」が感じられたのでは。そして、オリンピック前年の開催国の熱気にも触れたことでしょう。悪い意味の隔世の感。バレーボールでは、
かつての「名馬」「鉄人」「神様・仏様」たちにも無視されている現状なのでしょう。

6205岡本 すいか:2019/10/02(水) 00:18:29
バルセロナ・オリンピック、男子日米戦での誤審事件
 こんばんは。

 バルセロナ・オリンピックでは、男子のほうで、日米戦で誤審事件が発生したことは皆様にとっても記憶に新しいところかもしれません。当時は世紀の誤審と称され、その誤審により
日本が勝利したにも関わらず、後味の悪さが残りましたね。全日本男子にとっても、幸運というより
『誤審がなければ勝てないようになったか…』
と、穿った評価されるようになったようです。事実、その後は実に16年もオリンピックから遠のくようになりました。前回(ソウル)初めてオリンピックでのメダルから転落した女子にとっても、決して他人ごとではなかったと思われます。バルセロナでは、前回より更に順位を下げ(5位)、その後の急坂を転げ落ちる現況へと至っています。捲土重来を期した女子陣営としては
『中田久美の最後の檜舞台だから、旗手を務めさせて、花も…』
と躍起になったのかもしれませんが、肝心の実力が低下してしまっては…。この大会から、キューバが史上初のバレー・オリンピック3連覇するようになったのかと思います。ソ連の連覇(メキシコ、ミュンヘン)を上回る快挙。
8年前、中田選手をはじめとする(宮島、大谷、広)「18歳カルテット」の陰にすっかり隠れ、オリンピック中サマーリーグに明け暮れていた苦労人・石掛美千代選手が遅咲きの花を咲かせ、ヨーカドー勢としては漸く2人目のオリンピック出場なったことだけは、全日本女子にとっては
美談だったのでしょうけど…。

6206岡本 すいか:2019/10/05(土) 19:16:41
「2回目」では胸を張れない!?
 こんばんは。

 一昨年秋、日本、特に東京の関係各位が「2回目のオリンピック」に向けて準備を進めている(であろう)真っただ中、オリンピックでは「通算3回目」となる、パリとロスが確定したのです。2大会同時確定とは異例だったようですが…。上には上がありますよね。特に、パリは100年ぶり。アテネの「108年ぶり」に次ぐ、久しぶりの開催です。

 東京オリンピックの協賛企業としては『そんなの関係ない。うちは海外では営業していないから。東京がすべてだ』といいたいところでしょうけど。

 「3回目のロス」まで、バレーボールはオリンピック競技として存続しているでしょうか。

6207岡本 すいか:2019/10/07(月) 18:26:32
小島元監督もPL中村監督も祝福した「正式競技化」
 こんばんは。

 バルセロナで、悲願だったオリンピック正式競技化を目前に控えたバドミントン。
バドミントン・マガジン平成4年8月号には、なんとバレーボールの小島孝治元日本代表監督
(当時ユニチカバレーボール部部長)、中村順司監督(高校野球、PL学園高)、山口監督(清風学園高体操部監督。なお、ファーストネームは失念してしまいました)、北田スミ子さん(ソウルオリンピック・バドミントン代表)と、関西圏のアマチュアスポーツ実力者が一堂に会して、
バルセロナ・オリンピック、バドミントン代表(シングル)水井妃佐子選手の激励会を催している様子が掲載されています。山口監督は、体操の西川大輔選手の恩師。

 実に壮観、ですね。こちらを拝見する限り、バレーボール女子と、高校野球のそれぞれの名伯楽は接点を持っているようです。KIさん、もしいらっしゃいましたら、ぜひともご覧になってくだされば。都立多摩図書館、または国会図書館などでご覧になれるかと思います。

 水井選手は、華やかさこそないものの、しなやかなショットと、粘り強い球際の強さで、バルセロナ、そしてその次のアトランタとも、連続ベスト16に進出。特に、当時の女王、スシ・スサンティ選手(インドネシア)とは鎬を削ったのです。正式競技化から2大会連続、ですからタイミングにも恵まれたのでしょう。バルセロナの時、陣内選手は既に現役晩年、オリンピックは
「最初で最後」だったのが惜しかった。「花道にこそふさわしい、最高の檜舞台だったと思います。彼女の引退後は、バドミントン界、女子シングルの第一人者こそ水井選手でした。

6208岡本 すいか:2019/10/13(日) 15:35:41
ジョイナーさんは思い出されるのでしょうか…
 こんにちは。

 ロス・ソウル両オリンピックの女子100メートル・200メートル走代表『地上最速の女性』と異名を取りながらも、ソウルオリンピック直後に早くも引退、そしてわずか10年後37歳で
夭折してしまった伝説のフローレンス・ジョイナーさん。当時、幾多のドーピング疑惑が持ちかけられ、その死因(心不全)も薬物乱用からではないか、と言われています。当時私は小学生でしたが、子供心ながらに強烈に記憶しています。「オレたちひょうきん族」では、
『草津よいとこ一度はおいで、あ、ジョイナジョイナ』と替え歌で歌われていましたよね。

 ぜひ、皆様はジョイナーさんのことをご記憶に留めていただきたいのです。来年、ジョイナーさんは天国から東京オリンピックを見つめるのでしょうか。

6209アルタガモワ:2019/10/13(日) 18:11:29
ジョイナー選手
当時女子はジョイナー一色でしたね。ベテランのアシュフォード選手等々居たけど・・・でした。でもジョイナー=ドーピングと言う報道もあり口髭を報道等されてました。急逝される数年前に日本のテレビに出て確かイデラッキョ?と競争してぼろ負けに終わりました。しかしその時はすっかり普通の女性に戻っていていました。

6210岡本 すいか:2019/10/14(月) 19:48:26
日本人にとっては、オリンピックは“錦の御旗”
 こんばんは。

 アルタガモワさん、お久しぶりです。ジョイナーさんはそのビジュアルからして強烈でしたよね。井出ラッキョウ氏に負ける普通の女性…ほっとしました。

やはりオリンピックはいいですよね。単一競技の世界大会(世界選手権、ワールドカップ)とは比べ物にならない規模ですから。今、自身が携わっている国家の在り方や競技の見方についても勉強になるでしょう。他競技から見た、また他国から見た、

 エキシビジョン競技とはいえ、ミュンヘンオリンピックに出場された、バドミントンの小島一平氏(男子シングルの第一人者)は
『惜しかったな。やっぱり正式競技、そして次回(モントリオール)以降にも続くと見通しがあれば、もう少し意欲が出たんだけどな。バドミントン(の知名度のなさについて)情けないと
みじめな思いもしたけどね。やっぱり、日本人にとってはオリンピックは特別な檜舞台、
“錦の御旗”みたいなものだからさ…』。
オリンピックにおいて、バドミントンが全くの日陰者(バレーボールと同じホールだったのに…)もいいところだった47年前から見たら、正式競技に採用されて、世界とも伍するようになった現況は夢のようでしょう。同時に、往年からのバレーボールファンから見たら、今は悪夢でしょう。

6211岡本 すいか:2019/10/15(火) 20:07:49
できえるものなら…集めてみたい「オリンピックの土」
 こんばんは。

 決して「甲子園の土」を揶揄しているのではありませんので、高校野球ファンの皆さん、特に
KIさんお許しください。それでも、高校野球の全国大会よりも、あらゆる意味で世界一のスポーツイベント(規模、競技数とも)であるオリンピックの(各大会開閉式実施の競技場の)
土を持ち帰れたら、などと全くの絵に描いた餅ながらも『できえたらいいなあ』と空想しています。インドアの(今はビーチもありますので…)バレーボールは、試合場は体育館故
「土」はありませんでしょうから、開閉会式の競技場、となるのでしょう。

 現実に、そういうことをしたオリンピック関係者は実在するのでしょうか。確か、検疫に関する法律で、海外からの土(に纏わるもの、植物全般も含めて)の持ち込みは制限されているよう
に記憶しています。それでも、
『これはシドニーの、アテネの、北京の、ロンドンの…』などと比べてみたいですね。
尤も、来年の「東京の土」が値するかは正直?なところと、個人的ながら思いますが…

 『甲子園の土持ち帰り』…国内だからこそ可能な“風物詩”なのでしょうか。

6212こう:2019/10/16(水) 12:12:33
(無題)
どなたか、八王子実践の高橋、大林の一つ下の代の主将の名前わかる方いませんか?

6213岡本 すいか:2019/10/18(金) 22:16:26
国民栄誉賞の値打ちがある「金メダル第一号」
 こんばんは。

 オリンピックでの、日本の金メダルの第一号。第9回アムステルダム・オリンピックでの
男子三段跳び・織田幹雄選手、15m21cmだったようです。当時は、まだ国民栄誉賞そのものが
存在しませんでした(第一号は巨人・王貞治選手)が、間違いなく国民栄誉賞の値打ちはあるでしょう。国としての第一号ですから。その意味では。他国ながら、インドネシアの金メダル第一号、バルセロナ・オリンピックでのスシ・スサンティ選手(バドミントン)の栄誉は感動的、
インドネシアの英雄となって然るべきものでしたね。同大会では、日本では水泳の岩崎恭子選手が史上最年少金メダルを獲得したことで一躍お馴染みになりましたが、ひけをとらないオリンピック・名場面と思います。インドネシアでは、バドミントンは国技ですので、引退後も彼女は
バドミントン一択で生きて居られているようです(主もバドミントン・金メダリスト、即ち世界でも稀な金メダル夫婦。更には同国バドミントン強化委員長)。

 国としての金メダル第一号ではありませんが…女子バレーボールの金メダル2回とも、充分国民栄誉賞に値する値打ちがあると思われるのです。しかし、今日の全日本女子にはその伝統が引き継がれていない…。

6214岡本 すいか:2019/10/20(日) 10:29:59
団体競技は『ワンフォアオール、オールフォアワン』
 おはようございます。

 下記にて、かつてのオリンピック、フローレンス・ジョイナー選手の“ドーピング禍
(むしろ選手は被害者と思いますので…)”について記させていただきました。ドーピング禍、やはり個人競技のほうが圧倒的に多いですね。よくも悪くも一人きりですから、自分が違反しても(本人には自覚はないのかもしれませんが…)、筋力、引いては競技力向上にはつながっても、同じフィールドの他選手には迷惑をかけない…と思ってしまうのでしょうか。

 団体競技では、当然一人で成立するのではありませんので、一人がドーピング接種したからと言って、競技力の向上につながるとは考えにくいです。かつて、カルバハルさんがおっしゃっていたように、ロス・オリンピックでの“18歳(エイティーン)カルテット”ともてはやされた中田久美選手以下4人を指して
『バレーボールはカルテットではなくシックステット(コート上、6人全員のバランスワーク)』
なのでしょう。

 しかし…かつては、バレーボールでもドーピング疑惑はあったのです。男子でですが。そのロスでは、大ベテラン・田中幹保選手と、ホープ・下村英士選手の二人がドーピング疑惑を持たれ、彼らが出場した試合の結果が、委員会調査の対象となり一時預かりになったようです。
結局は“シロ”で、試合の結果も有効となりましたが、このドーピング疑惑の波紋はやはり大きかったようで、銅メダルの女子に対して、男子は7位に終わりました。

 今、折しも日本で開催中のラグビーが注目されています。ラグビーの格言こそ、すべての団体競技にも当てはまる妙味と思われます。一人は皆のために、皆は一人のために。中田久美監督、そして選手たちもこの言葉は知っているはずです。
 

6215岡本 すいか:2019/10/23(水) 19:52:19
陣内さんも往年の雄姿を!
 こんばんは。

 過日、KIさんがお伝えしてくださった「マスターズ甲子園」。ぜひとも、PL学園高のうちでも、金石昭人投手の雄姿にもお目にかかりたいものですね。そして、お目にかかりたいといえば、金石氏夫人・陣内貴美子さんの往年のプレーにも…。既に、先日、バドミントン界では、
「おもてなしカップ」なるものが開催され、数人招待選手も往年の雄姿をお披露目されました。
特に、陣内さんの高校後輩にして、かつてはバルセロナの枠を争った因縁もある、宮村愛子選手
(のち、アトランタに出場。なお、実妹とのダブルスとして、でした)も出場され、当時の思いとともに、来るべき晴れ舞台を控える日本代表にもエールを送っていたようです。

 宮村選手は一見、バレーボール選手とも見間違うほどの長身(1m73cm)です。バレーボールをやってくれていたら…とは皆さんお思いには…ならないか。

6216岡本 すいか:2019/10/24(木) 19:36:26
スイスに実在「オリンピック博物館」
 こんばんは。

 こちらにいらっしゃる皆様なら、先刻ご存じかもしれません。スイスには「オリンピック・ミュージアム」なるものが実在するのです。バルセロナ・オリンピックの翌年、1993年にオープン。無論、来夏のオリンピック関係品も展示される予定なのでしょう。ただ、今のところは
バレーボールに関しての展示はほとんどないようです。「バレーボール殿堂当選」白井貴子選手、大松博文監督、山田重雄監督のサイン、ボール、ユニフォームなど展示していただければ…
とはお思いになりますでしょうか。

6217岡本 すいか:2019/10/28(月) 20:52:03
国道170号こそ「スポーツ王国街道」
 こんばんは。

 貝塚市→富田林市→藤井寺市→四条畷市→(終点は高槻市)、とつながっている国道170号。私には、スポーツ王国同士をつなぐゴールデン・ルートに見えるのです。貝塚市には、バレーボール・ニチボー貝塚。富田林市には高校野球・高校剣道のPL学園高。藤井寺市には、プロ野球・近鉄バッファローズ。四条畷市には高校及び大学バドミントン・四条畷学園高・短期大学。従って、PL学園高・中村順司選手がニチボー貝塚から薫陶を受け、のちに母校の監督に就任しても後任の小島孝治監督とも親交を持ち続け、そして四条畷学園出身のバドミントンの名選手、北田スミ子選手や水井妃佐子選手をも激励する、お互いがスポーツ各界のトップに君臨し、切磋琢磨しあう…
国道170号こそ、なんてスポーツ環境に恵まれている、素晴らしい路線と思えます。

6218岡本 すいか:2019/11/05(火) 19:04:58
若い時からの「宿命のライバル」
 こんばんは。

 プロ、アマ問わずスポーツ選手にとっては、よきライバルこそ、お互い切磋琢磨し、引いてはそのスポーツ界、更には世の中全般盛り上げられるだけの、ありがたい存在と思います。同年代、それも同学年なら尚更。

 その意味では。プロ野球の三原脩⇔水原茂(監督同士。同郷の旧制中学時代から大学、プロ野球監督として、半生の因縁でした。監督としての直接対決は、日本シリーズでも、同じセリーグでも三原氏に軍配)。因みに。同学年ではなく水原氏が3学年年上。
清原和博⇔桑田真澄(リトルリーグ時代からのようですね。PL学園高、巨人時代の一部は
同じユニフォームでしたが。いろいろあったようですが…清原氏はプロ野球関係へ復帰の歩みを示しているようですね。KIさんこの報をお耳にされたでしょうか)
バドミントン界の水井妃佐子⇔宮村愛子(こちらも中学時代からの10年以上の関係。いずれも、「日本一」「世界」の座をかけたハイレベルな…中学→高校→短大→実業団、それも
バルセロナ・オリンピックの代表枠をめぐって、といずれも因果がめぐりました。更には…お互いの実妹同士までライバルに)
の各氏でしょうか。バドミントン・マガジンなど、発行元がベースボールマガジン社ということもあって、尚更『全日本総合選手権、バドミントン界のMM対決、20か月ぶりに実現。宮村が勝って優勝。これで両者の直接対決は通算9勝9敗、全くの5割に…』
などと、「ライバル」の語句を多用して(効果的だったかはわかりませんが)いい意味で煽っていたようです。清原⇔桑田、水井⇔宮村とも同学年。

 片や、バレーボールでは…中国・郎平監督と全日本・中田久美監督をそのように形容するのは、あまりにもおこがましいかと…現役時代(といっても、ロス・オリンピックだけでしたが)
だけでも、金メダルと銅メダルの差があるのに、ましてや監督となっては、もはや比較の対象にさえならないでしょう。なお、年齢的には郎平⇔中田では郎平が5学年年上。中田監督の現役時代の同僚(全日本でも、日立でも)では、石田京子選手、利部陽子選手と同学年、来年還暦です。

6219岡本 すいか:2019/11/13(水) 19:24:44
「東洋の魔女」由来の一説
 こんばんは。

 昭和9年、大阪府貝塚市に、当時「東洋一の大工場」と称された、日本紡績・貝塚工場が開場され、同時に「日紡貝塚バレーボール部」も創部されたようです。それから7年後、ちょうど
戦時色が色濃くなってきた昭和16年、関学大卒業の大松博文青年が入社。但し、この直後彼は赤紙を受け取り応召。壮絶な戦争経験を乗り越え、復員されたようです。戦後はバレーボール部監督に就任、東京オリンピックには初出場金メダルの快挙に導いた名将になったとはお馴染みでしょう。同僚である女工たちとは一線を画し、バレーボール部の選手は日勤のみ、その代わり隣接の体育館で一日4〜8時間、それこそ日付変更線を迎える真夜中まで猛練習に明け暮れたようですね。
 大松監督の名セリフ(とされている)『おれについてこい』こそ、壮絶な従軍経験から生み出された勝負哲学のようです。

 当時の「東洋の魔女」の面々、のちには横山樹理選手や広瀬美代子選手も日常は従業した大工場も、老朽化には逆らえず、平成9年春、63年の歴史に幕を閉じ、過去帳に入りました。

6220スー:2019/11/20(水) 00:57:06
八王子実践
違っていたらすみません。
佐藤真紀選手ではないかと。

6221岡本 すいか:2019/11/20(水) 19:21:14
バドミントンでも「四・八」決戦が見てみたい…
 こんばんは。

 こうさん、スーさんへ。
初めまして。今年訪問したばかりの新参者ながら、いくつもの投稿失礼します。

 八王子実践高、共学化されていたとは初耳でした。理由は少子化にほかならないことは明らかでしょうけど、それでも既に二十年以上にもなるとは…。しかも。バドミントン部も男女とも
創部されていました。

 高校バレーにおいて、八王子実践高と四天王寺高(大阪)とは、東西の名門としてお馴染みと思います。四天王寺高は、バドミントン部も強豪なのです。現役時代『オグシオ』コンビとして親しまれた小椋久美子さん(サンヨー。北京オリンピック代表女子ダブルス)の出身校。バレーボールのほうは、現況はどうなのでしょう。

6222岡本 すいか:2019/12/15(日) 19:07:19
「第二次世界大戦を挟み16年ぶり」に比べれば…
 こんばんは。お久しぶりです。

 本日、神田神保町の古本屋街を回ったところ、これも貴重な「日本の金メダリスト101人の
その後の人生」(昭和59年夏、ロス・オリンピック直前初版)が店頭にありました。ロスの時の
『8年ぶりオリンピック出場(言うまでもなく、4年前モスクワはボイコット不参加)』による
大盛況ぶりが目に浮かんでくるようです。日本のオリンピック第1号、織田幹雄氏に始まり、
前畑秀子さん、そしてバレーボールでも東京・モントリオールの各々12人ずつの選手の「オリンピック後」が掲載されているようです。

 こちらの掲示板で、度々カルバハルさんが挙げてくださっている『前畑がんばれ』のラジオ実況のあと、第二次世界大戦が勃発。第12回東京オリンピック(その後ヘルシンキに変更されても)、第13回ロンドンと、オリンピックそのものが取りやめとなり、戦後初の第14回ロンドンでは、大会は開催されたものの日本は国際社会からの厳しい風当たりを受け参加できず。田畑政治氏が奔走し、水泳の有力な金メダル候補・古橋広之進選手らを出場させるよう働きかけたのですが…結局第15回ヘルシンキ大会で、実に『16年ぶり』日本はオリンピックに復帰できたのです。
なお、同大会では古橋選手は振るいませんでした。現地で赤痢にかかってしまったため。

 敗戦直後でもあったせいでしょうが、ヘルシンキ・オリンピック当時はまだ一般国民にとってもオリンピックが一般的ではなかったようです。上記の陸上、水泳ともオリンピックでは最も歴史があり、日本にとっても“お家芸”とされているのですが、片や球技がほとんどなく、それこそ東京オリンピックでのバレーボールこそ、花形となる球技(ボールゲーム)として、大いにもてはやされたのだろうと思います。戦後20年目にしての地元開催、国際社会の一員として認められたのでしょう。バレーボールこそ、その象徴だったのかもしれませんね。

 第二次世界大戦をはさみ16年ぶりに比べれば8年ぶりなど…とは、さすがに言えないでしょう。モスクワこそ、唯一のオリンピックだったはずの選手も、バレーボールをはじめ大勢いたでしょうから。戦争による不開催、不参加とはまた別な、戦後の「冷戦」による犠牲だったのでしょう。ロンドンの時の田畑氏同様、モスクワの時は小島孝治監督も『選手をオリンピックに…!』と奔走し、最後は「日本代表女子チーム」単独でも出場しようと掛け合ったようですが認められず、小川かず子・水原理枝子・吉永美保子選手らが「幻のオリンピック選手」と呼ばれてしまったのです。

 その意味でも、広瀬美代子選手のオリンピック出場は実に尊い、結果的にはユニチカの先輩たちの無念も晴らせたのですから。そして、当時は『金メダルじゃなくて…』だったようですが、のちには、ご本人も『ようやく誇りを持てるようになった』という銅メダル獲得。全5試合のうち、3試合出場できましたしね。

6223岡本 すいか:2019/12/18(水) 22:39:07
実はバドラー出身だった!?三屋選手
 こんばんは。

 バドミントンマガジン、平成元年2月号「長谷川博幸のニューウェーブ・チャレンジャー(対談企画)」にて、長谷川氏と三屋裕子さんが対談されていました(ちょうど、季節的には収録はちょうど今くらいでしょうか、クリスマス風情でした)。

 第7回で「特別編」と銘打たれるくらいですから、三屋さんの参加は待望だったものと思われます。上記のおふたりとも、なんと同郷(福井県勝山市)どころか、同じ中学校の先輩・後輩(長谷川氏が2級先輩)。大学→実業団→教員、の経歴も似ています。長谷川氏は実業団(ヨネックス)では、第1回日本リーグの新人賞に輝き、引退後は母校・東海大学のバドミントン部監督。左打ち、ハイバック(好位置からの背面打ち)が得意な選手だったようです。

長谷川『三屋さん、今でも覚えているよ。既に、当時でこの身長(1m77cm)だったんだよね。1週間だけ、バドミントン部に所属した…。惜しかった、そのまま続けていてくれれば、
ひょっとしたらバドミントン界のスターになって、今よりも人気が向上していたかも…。
我々にとっては、バレーボールの人気がうらやましいですから』
三屋『私は、結果的にはバドミントンとは所縁が薄かったようですが、今でも学校(この当時は
学習院大学教授)の体育館で、バドミントンもしていますよ。実に奥深いスポーツですよね。
外見の手軽さとは好対照、実はハードな、それでいて奥行きのある…』
長谷川『昨秋(昭和63年)のオリンピック、バレーボールでは男女はあまりにも好対照でした。成績そのものよりも、一生懸命さが伝わるかどうかの点で。男子は伝わっていなかったですね。
僕はテレビの生中継を切り上げてしまいました。女子は惜しくも史上初、メダルなしの結果にはなってしまいましたが、見る者には十分感動がありましたね』
三屋『バドミントンはよかったじゃないですか。結果もさることながら、選手みなさんの一生懸命さがあったからと思います。次回からは正式競技ですしね。』
二人『北陸人独特の粘り強さで、お互いのスポーツを盛り上げていきましょう』。

それから早30年、隔世の感ばかりが感じられますよね…それにしても三屋さんはスポーツ万能。
中学校では、転向したばかりのバレーボールのみならず、陸上でも全国大会出場。今ではバスケットの会長ですか…。

6224岡本 すいか:2019/12/30(月) 10:18:35
日本にとっては不倶戴天!?な「オリンピックでの北朝鮮」
 こんにちは。

 過去ログで掲載いただいた話題の繰り返しとなり恐縮ですが…
第20回ミュンヘン以降、北朝鮮がバレーボールをはじめとして、オリンピックに出場するように
なりました。日本はボイコットせざるを得なかった第22回モスクワにも出場。ロス、ソウルは不出場でしたが、「新時代」第25回バルセロナからは欠かさず出場しているようです。

 特に、ミュンヘンでは女子バレーボールで「銅メダル」。伝説の名選手、男性のように跳躍力に長けたキム・ソウフク選手が貢献したようです。準決勝では、?2を目指すソ連を窓際に追い詰め、『打倒ソ連で(東京以来8年ぶり)金メダル奪回』一心であった日本を大いに慌てさせた、と。

 もう一件、アトランタでは、女子柔道で、ケイ・スンヒ選手が『YAWARA(TAWARA?)』こと田村亮子選手をやぶり金メダル。

 ちなみに、冬季は、夏季よりも早く1964年(第18回東京オリンピックと同年)インスブルック大会から出場しているにもかかわらず、金メダルはありません。そのインスブルックと、アルベールビルで、銀及び銅メダルが1個ずつ。

 最後に。かつて、ミュンヘンではキム選手を『男性みたい』と評した生沼スミエさん、10年後
アジア大会で中継ぎ監督として北朝鮮と再戦した時には、試合時間1時間足らずでストレート勝利。試合後、『相手もカッカしていなかったみたいだし、練習させてもらったようなものです。
北朝鮮は、実力は世界6番目くらいと言われているようですが、あまりにも久しぶりすぎて参考になりません(むろん、キム選手は引退しているでしょう)』と一蹴。
これも隔世の感大有り。来年は、バレーボールをはじめ東京オリンピックには出場されるのでしょうか。

6225岡本 すいか:2019/12/31(火) 09:09:34
「オリンピック同窓会」バドミントンでは…
 おはようございます。

 今年初めて伺ったばかりの新参ながら、大分しゃべってしまい失礼しました。来年は数は
少なくなるとは思いますが、その分(?)質の高い投稿を目標としますので、よろしくお願い申し上げます。今年はありがとうございました。

 こちらも繰り返しの話題で恐縮ですが…「オリンピック・メダリスト同窓会」(昭和59年夏、ロス・オリンピック開幕直前)にちなみ、バドミントンでも、独断と偏見で『あったらいいな同窓会(仮題)』仮想してみました。エキシビジョンも含めて。

中山紀子(ミュンヘン※金)
北田スミ子(ソウル※銅)、松野修二・松浦進二(ソウル※銅・バルセロナ)
陣内貴美子・森久子(バルセロナ)、水井妃佐子(バルセロナ・アトランタ)
宮村愛子・宮村亜貴子(アトランタ)、水井泰子(アトランタ・シドニー)
舛田啓太(シドニー・アテネ)
小椋久美子・潮田玲子(北京)
あたりでしょうか。

 かつてカルバハルさんがおっしゃっていた表現で『その競技に関心のない一般人』でも知っている選手は、陣内・小椋・潮田各々選手くらいしかいないのが、今はつらいところ。ロンドン以降、メダルを獲得している現役選手は含みませんので。ただ、それこそ20年後、2040年くらいには『東京オリンピック(第2次)から20周年・バドミントン・メダリスト同窓会』には進展するでしょう。

 最後に。エキシビジョンのメダルは、正式競技のそれとは同じデザインながら、一回り小さく、むろん通算個数には含まれません。また、入場行進には参加させてもらえず。
でも、ある意味『お国のためより、自分たちのためにとった』ものなのでしょう。これは、ロスでの野球・和田豊選手(翌年から阪神入団)の談話ですが、その意味ではミュンヘンでの中山選手、ソウルでの北田・松野・松浦各々選手も同じ感想なのでしょう。この先バレーボールはどうなるのやら…

6226岡本 すいか:2020/01/05(日) 18:18:11
近代オリンピック100年の歩み
 女子バレー喫茶・WORLD&OLDにいらっしゃる往年のバレーボールファンの皆様、謹賀新年。
ついにオリンピック・イアーを迎えました。当のバレーボールはわき役なようで辛いところでしょうが…

 平成6年夏初版「近代オリンピック100年の歩み」(IOC全面協力、ベースボール・マガジン社発行)を、ついに読みました。当時でも19,000円と超高価。月刊バレーボールや、スポーツ各紙とはまた別な糸口から、それも詳細に伝えられています。文字通り、世界の中の日本、そして
各種スポーツの中でのバレーボール、として、ですから重みが感じられます。

 今となっては『そんなこともあったね』と一笑に付されかねない?しかし私達にとっては忘れられない栄光の数々。東京、モントリオール両オリンピックでの金メダル、片やモスクワ・オリンピックへの不参加(経緯からその後の影響まで)、そして、既に始まっていた凋落兆候…

 即ち、モスクワが唯一のチャンスだった(幻の)水原選手、小川選手、吉永選手らも名前はあります。決して忘れない、いや忘れてはならない存在、そして出来事です。

 同年のリレハンメル冬季オリンピックまでの、日本の全選手、そして冬夏各々大会でのメダリストの一覧もありました。改めて「1964・金 大松博文監督と12選手、1976・金 山田重雄監督と12選手、1980・不参加 小島孝治監督と12選手(認定)」と活字として拝見すると感慨深いですね。

 最後に。エキシビジョン競技にははっきりと「員数外」と明記されていました。それでも、
名前があるだけでも…ですよね。「1972・銅・湯木博恵(バドミントン)」とありました。
今やすっかりメジャーになったバドミントン、天国から湯木さんも微笑んでいられるのでは?
新沼謙治氏は、愛妻がオリンピアンだったことを知っていらっしゃるのでしょうか。

6227岡本 すいか:2020/01/14(火) 15:24:54
オリンピックへの道
 こんにちは。

 ちょうど20年前(早くも20年になりますか…)今の季節でしたね、シドニー・オリンピックへの切符をつかめるラストチャンスだった世界最終予選でも勝ち残れず、史上初の「オリンピック・不出場」
の不名誉に泣いた全日本女子。その主力こそ、菅山かおる(かおる姫)、高橋みゆき、鈴木洋美と、私とは同学年のトリオでした。

 それから20年。地元開催故、不出場どころか、世界一早く出場権を得ましたが、無論実力でではありません。中田久美監督就任後、なにひとついい話題はないようですね。アトランタでの再現(予選リーグ敗退)の可能性が十分ありますよね。

 同じ体育館競技でも…なにひとつ暗い話題のない(表向きは、でしょうけど)バドミントンと
比べれば、オールド・ファンの皆様は只々隔世の感ばかり感じられ、嘆かれている現状なのでしょうか。

6228岡本 すいか:2020/01/30(木) 03:40:12
「バレーボール・栄光の軌跡」
 おはようございます…。

 未確認ながら、ベースボールマガジン社から次のような単行本が刊行されているそうです。
小泉志津男氏「バレーボール・栄光の軌跡“6人制からバルセロナへの挑戦まで”(全5巻)」。平成4年夏、同時発売とのことです。

 月刊バレーボール誌「白球の長い旅」でお馴染みの小泉氏。平成元年暮れ最終回の「白球の…」は(近年の体たらくには触れない)尻切れトンボみたいな終わり方…とは皆様からの評でしたが、こちらはバルセロナ・オリンピック直前の現況までは触れているようです。今振り返れば、まだバルセロナ当時の『体たらく』程度ならまだよかった、なのかもしれません。

 2020年のバレーボールの現況(それこそ『体たらく』でも一層深刻…でしょう)には、
小泉氏はなんとおっしゃるのでしょうか…。

6229:2020/01/31(金) 00:20:33
(無題)
岡本 すいか 様

old版を楽しく拝見しております。
私は昭和43年生まれの者です。
語彙力にたけて、面白いエピソードを織り交ぜられてお年を重ねらていると思いきや(失礼!)、
高橋みゆきさん世代とお若いのですね。

私は久美長より3歳下です。
2020日本代表女子バレーボールチームが発足されました。
女子チームのファンですが、東京五輪を目指した過去3年間のチームの成果が振るわ無い中の、
過去に無いA、Bチーム混合でコーチが相原さんといった、協会側の焦りがじわじわ見えてきましたね。

この対応をするならば、何故に迅速に働かなかったのでしょうね。

6230岡本 すいか:2020/02/21(金) 06:13:02
朝さんへ
 初めまして。

 ありがとうございます。節分だけに「拙文」恐縮です。諸先輩方からは叱られない程度ながら、これからも細々と投稿させていただきます。それも、諸先輩方及び都立多摩図書館の
おかげです。文字通り「古き良き時代(〜バルセロナ?)の」玉手箱でした。
朝さんへ。失礼ながら、バルセロナでしたら、恐らく同世代の選手(大林素子選手など)も結構いらっしゃるのではないでしょうか。私は同大会、史上最年少金メダル獲得の水泳・岩崎恭子世代です。水泳は岩崎、プロ野球は阿部慎之助(阿部も北京に出場)、女子サッカーなら澤穂希。

6231ナイト07:2020/02/03(月) 01:09:45
1978 年 世界選手権の動画
に出会しましたので!
良かったら是非ご覧になって頂ければと思います。
https://youtu.be/9Lcow6RxvS8

https://youtu.be/9Lcow6RxvS8

6232アルタガモワ:2020/02/03(月) 20:33:51
ナイト07様
78年世界選手権の映像ありがとうございました。個人的に78〜79年の動く全日本の姿初めて見る事が出来ました。あの最後は小川から江上へのBですよね、どれだけ差が付いていたのかは分からないのですが最後にクイック(しかも日立、ユニチカコンビ)使ってるなんて凄いです。しかもこの当時の選手達樹理始め一番若い選手でも十代から二十代前半ですよね、ここんとこ年齢が上がってるのが当たり前状態で逆にもう不思議に思えて・・・ロスでも18〜26歳ですもんね、現在この年齢で全日本作ったらどんなメンバーになるでしょうね。

6233岡本 すいか:2020/02/04(火) 08:37:31
バレーボール、バドミントン、そしてソフトテニス…
 おはようございます。

ナイト07さんへ
本来ならモスクワに出場するはずのメンバーですね。江上選手の「背番号8番」、そしてモスクワが唯一のチャンスになるはずだった小川選手。しかし、「近代オリンピック100年の歩み」は、決して“モスクワへの道”を無視していません。24時間テレビでの22年ぶりリターンマッチも結構ですが、オリンピック・イアーゆえのオリンピック・総集編本もいいじゃないですか。

アルタガモワさんへ
 お久しぶりです。以前からお聞きしたかったのです、アルタガモワさんはバドミントンには
さんは関心はお持ちではありませんか?失礼ながら、パクジュボン監督とは同世代(昭和39年)でしょう。

 私事ながら、神戸市での小中学校在学中9年間、いわゆる「ブカツ」はなく、従って全員帰宅部でした。私の近所では、バレーボール、バドミントン、そしてソフトテニスの社会体育クラブがあり、私はソフトテニスに所属していました。神戸では、上記いずれも盛んです。神戸9区、
約50の団体(社会体育クラブ、またはスポーツクラブ単位)があり、それこそ夏の国体、もとい
甲子園くらいのトーナメントが組めます。バレーボール、ソフトテニスは男女別、そして
バドミントンはなんと〈男女混合のみ〉。個人的には、バドミントンにも惹かれていたのですが、思春期の小中学生が『男女混合』とは大いにテレがあり、躊躇しましたね。今思えば、バドミントンのほうがよかったかも。この2020年の隆盛をみる限り…今は史上空前のバドミントン・
ブームですから。…それこそ、50年前のバレーボールブームのよう、とは叔父談。
神戸のみならず、兵庫県全般でも、上記の3種目だけではなく、角力、グラウンドゴルフ、ドッジボールとあるようですね。

 最後に。私は、上記VTR(に登場する選手)では、高校(県立舞子高)では広瀬美代子選手の20年後輩です。広瀬選手も、50年前のバレーボール・ブーム(特に、ママさんバレー選手だった母親)からも感化されて、バレーボールを始めた世代でしょう。今、バレーボール・ブーム何て発言したら一笑に付されてしまいかねない風潮大あり…

6234アルタガモワ:2020/02/04(火) 21:01:28
お久し振りです。
すいか様、私はバトミントン好きですが体育でしかやった事が無くて・・・先生が相手の身体の芯を狙って打つんだって、出来た時はなるべくそうさていました、また出来るだけ叩き込まれない様にネットの少し上をなるべく通して、でも何をやっても奥の深さわ体感出来るにはそれなりにやらないと分かりませんね。

さて朴監督さん早速調べました、私は朴監督さんの6日後に生まれたました。確かにバドミントン強くなりましたね五輪が楽しみです。
バレーの方はまさかここまで堕ちるとは夢にも思いませんでした。今年で36歳の荒木がキャプテンだなんてしかも宮下も26歳でしょ?センター、ライトも私好みの選手居ないし・・・ま〜どうなるんでしょうかね?

6235岡本 すいか:2020/02/04(火) 23:47:38
女子バレーも外人監督に…
 こんばんは。

>アルタガモワさんへ
 早速ご回答ありがとうございます。パクジュボン監督に関して調べてまで下さって光栄です。
地元・韓国ソウルでのエキシビジョンも含め、オリンピックは3連続出場。金(ソウル・混合)、金(バルセロナ・男子単独)、銀(アトランタ・混合)と、まさに“ダブルスの神様”
でした。ほぼ同世代、同時期に3大会連続でも銅1個(ロス)だった、今の女子バレーの監督さんとは大違いですね。
現状(史上空前の惨状…)を救えるのは、私も合理的な外人監督と思います。パク監督は、全5種目いずれにも専属のコーチをつけています。外国人(同胞である韓国人のみならず、マレーシア人も)と日本人を、バランスよく組み合わせて、合理的にチームを動かしているようです。

6236岡本 すいか:2020/02/05(水) 08:24:35
三屋選手は「第1回全中出場」
 おはようございます。

 本年、第50回のメモリアル・イアーを迎える「全国中学校大会」。その第1回こそ、昭和46年に行われ、福井県勝山市から三屋裕子選手が出場されたのです。9人制のライト。中1、12歳で既に1m77cm、同大会最長身選手だったとは。のちには、バレーボールのみならず陸上でも
同大会に出場された「スポーツ超万能選手」。
40年後、第41回の同大会には、三屋さんの『同郷の後輩』バドミントン・山口茜選手が出場。今、三屋さんはバスケット協会の会長、そして山口選手はバドミントン・女子エース・シングルスとして金メダル候補です。

 三屋選手の2年先輩に、バドミントンの長谷川博幸選手がいらっしゃることは先述させていただいた通りですが、長谷川さんが同大会に出場したかは確認できていません。過日、勝山市「
ジオアリーナ」で三屋さん・長谷川さん(この両名がジオ…の生みの親です)出席のもと、山口選手の激励会が行われたそうです。

長谷川『僕の現役時代は、どれだけオリンピックに出場したくても、競技じゃなかったからね。
でも、まさかコーチ(バルセロナ)としてはしゅつじょうできるとは思わなかった(笑)。僕の名前を冠した大会から、オリンピック選手、それも金メダル候補が出るとは、身に余る光栄です』
三屋『前回(リオ)は5位入賞でしたか。私は、山口さんと同じくらいの年頃(昭和54年、21歳)で全日本に初めて選んでいただきましたが、とにかくユニフォームが重く感じられたものです。いろんな意味でね…こんなに堂々と振舞えるなんて、頼もしい限りですね』

 今、山口選手は言うに及ばず、還暦をとうに過ぎてしまった「万年青年」三屋さん・長谷川さんとも、現役時代以上の?多忙ぶりで、いずれも、オリンピックを目指して奔走されているのではないでしょうか。

 最後に。上記3名こそが、人口2万6000名の小さな市・勝山市の、そのまた希少な
「名誉市民」であります。

6237岡本 すいか:2020/02/05(水) 09:00:13
日本の「オリンピック初出場」と、旗手
 もう一件、連続投稿失礼します…

 日本の「オリンピック初出場」、いつなのかは知られるようになってきましたね。繰り返し
お伝えしている「近代オリンピック100年の歩み」にも掲載されていますし、ドラマ化もされているようです。なんと、日本では「明治45年」だった1912年、第5回ストックホルム。わずか
2名の出場でしたが、金栗四三選手(陸上)が栄えある初出場の、そのまた旗手を務めたのです。

 バレーボールでは2名。男女1名ずつで、第21回モントリオールでの猫田勝敏選手と、第25回
バルセロナでの中田久美選手。
特に、中田選手は女子初の旗手だったようです。
『中田に務めさせるくらいなら、ロスやソウルで江上(→丸山)に務めさせたほうがよかったんじゃない?』
という意見もありましょう。それはごもっとも。ロスの直近のアジア大会では、江上選手が旗手を務めました。これも女性初。以後も、女性の旗手は出ていないそうですから。
現実には、第23回ロスは室伏重信選手(陸上・ハンマー投げ)、第24回ソウルは山下泰裕選手(柔道)でした。

 いずれにしても、東京オリンピックでは、現況からいってもバレーボールからは旗手は現れないでしょう。

6238岡本 すいか:2020/02/05(水) 23:46:43
オリンピック・東西の関心「温度差」
 こんばんは。

 本年のオリンピック、一説では「東日本オリンピック」などと揶揄されているようです。競技場は北海道から東京を挟み静岡まで。…即ち、名古屋以西は競技は行われない(外国のキャンプならされるようですが)。

 過日、神戸に帰郷したとき、現地でのあまりの冷めぶり(無関心)にビックリしました。
実家でも(元来スポーツには無関心な、という理由からでもありましょうが)父親から
『おまえはあほ、もっといえば“だぼ”やんか。一つ覚えみたいにオリンピックの話題を繰り返しよって。誰も関西ではオリンピックの話題などしてへんで』。

 これは、決して父親の「アンチスポーツ、アンチ・オリンピック」が原因ではないようです。事実、タウン誌「月刊神戸っ子(かつては米田一典監督のコラムや中田久美監督のインタビューが掲載)」でも、オリンピックの「オ」の字も掲載されていないのです…。
関西、特に大阪ではオリンピックの話題はいい顔をされないようです。それもそのはず、かつて名古屋と大阪ともオリンピックの誘致合戦に敗れているからです。それも、どちらも大敗。1988年名古屋はソウルに、2008年大阪は北京に。

 昭和39年当時は、例え競技の行われない名古屋や大阪でも、兎に角日本全国で盛り上がっていたようなのに。新幹線のような「世紀の開発」が既に行われていないこと、個人主義の世の中に
変貌したこともありましょうが、競技面では、バレーボールの弱体化も一因としてあるのかもしれませんね。昭和39年東京オリンピック、日本代表のメンツはほぼ日本紡績「オール大阪」でも、『オールニッポン』として、関西でも、いや関西だからこそ盛り上がったと思われます。
広瀬美代子選手の母堂も、手に汗を握りながら、東洋の魔女たちを応援されたようです。20年後、今度は娘が魔女の後継者として、そして由緒ある名門・日紡の後進ユニチカから唯一選出され、栄えある金メダルを賭けてロスで奮闘…。この流れが、今はまったくないのが辛いところですね。それは、オリンピックに対して西日本は関心を持ちにくいはずです。専ら、2025年の大阪万博、また来年関西で開催予定の「世界スポーツ大会」の話題で持ちきりのようでした。

6239岡本 すいか:2020/02/06(木) 16:42:51
昭和39年当時の旗手「福井誠さん」
 こんにちは。
まず、訂正から。夏季オリンピックでも、アジア大会でも、女性は務めていました。アトランタでは田村亮子選手、北京では福原愛選手など。

 前回の昭和39年、第18回大会での「旗手」を調べてみました。水泳・福井誠さん。福井さんは、ローマからの連続出場だったようですね。恥ずかしながら、初耳でした。こちらの勉強不足です。開閉会式に行進できる選手は幸せです。中には、都合がつかず欠席せざるを得ない、また
エキシビジョンでは出席させてもらいない選手(競技)がいるのですから…ブレザーは普段使い(移動中も着用、という意味で)ではなくJOCから拝借、やっぱり高額ですね。

 最後に。少なくとも、夏のオリンピックでは「夏冬二刀流」橋本聖子選手は旗手ではなかったようですね。意外でした。

6240岡本 すいか:2020/02/07(金) 02:19:36
同郷のオリンピアン「二人の広瀬選手」
 こんばんは。

 神戸新聞、平成20年6月には、兵庫県出身のオリンピアン「二人の広瀬選手」のインタビューが掲載されていました。一人は、こちらのOLD&WORLDでもお馴染みの広瀬美代子選手。再三再四繰り返し恐縮ながら、母校(県立舞子高)の大先輩です。それも1期生。

 そして、もう一人こそ、同年夏の北京オリンピック、バドミントン女子シングルス代表・広瀬
栄理子選手なのです。猪名川町出身。現役時代はサンヨーに所属し、単独チームでもナショナルチームでも、小椋久美子・潮田玲子のいわゆる「オグシオ」の後輩として親しまれ、ともに活躍しました。北京では2勝をマークしベスト16。オグシオ(5位入賞)とともに当時としては快挙でした。

 実家からでも歩いて行ける新設校を選んだバレーボールの“レシーブの神様”とは対照的に、
こちらの広瀬選手はバドミントン留学(青森山田高)でした。時代と競技を超えた“揃い踏み”。


 

6241岡本 すいか:2020/02/07(金) 09:28:16
「正式競技」を守り通す困難さ、尊さ
 おはようございます。

 オリンピック開幕まであと200日、そして半年も切りました。日本(但し、ほとんど東日本でしょうけど…)が開幕を心待ちにしている折、バレーボールのOLD&WWORLDファンにとっては辛いところではないでしょうか。というのも、中田監督体制になってから、なにひとつ明るい話題がないようですね。これでは、オリンピックの正式競技、いやエキシビジョンからさえ外れてしまうでしょうから…これも皆さまおっしゃっていた通りと思います。

 その意味では。バドミントンと野球とも苦労を味わいました。バドミントンは何気に凄いです。正式競技までは、3種目のうち最も歳月がかかったのに、正式競技採用後は一度も外れていないのです。バルセロナから8大会連続。野球では、意外な前史があったようです。1900年、
第3回セントルイス大会には早くも採用。さすが、野球を国技としている?王国・アメリカですよね。その後も、第11回ベルリン(日本の野球代表は不出場)、なんと第18回東京大会でもエキシビジョンに。

 ロスでのエキシビジョンなら、こちらにいらっしゃる皆さまはご記憶かも。
エキシビジョンとはいえ、これまでのオリンピックで唯一金メダルなのですから。エキシビジョンでありながら、テレビ生中継もあり、8日間で40万人も動員、陸上や水泳に次ぐ集客力を示したのです。充電中の長嶋茂雄さんが訪米、各種競技(バレーボールも、でしょう。但し、お目当てのキューバはボイコットでしたが…)を応援したうえで、エキシビジョンに過ぎない野球も解説。そのうえで、正式競技化をアピールしたといいます。
そのキューバのボイコットから、文字通り日本は敗者復活で出場、そして金メダル。バドミントンと同時、バルセロナから正式競技化されましたが、その後は幾度か不採用の憂き目を見ています。ロンドン、リオ(東京のあとの)パリ…と。

 バレーボールの男女代表の皆様、なんとか正式競技だけは死守してもらいたいものです。現況では、オリンピック正式競技化に尽力された先人、特に前田豊さんが浮かばれません…。

6242岡本 すいか:2020/02/08(土) 09:20:59
「広瀬の後輩」でも…
 おはようございます。

 下記スレッドで記させていただいた通り、12年前私の地元紙・神戸新聞で『同郷のオリンピアン』つながり、二人の広瀬選手のインタビューが掲載されていました。
お題は「北京オリンピックまであと66日(連載開始の6月3日時点)、兵庫県が生んだオリンピアン』。

 バレーボール・広瀬美代子選手はその第1号。一部抜粋させていただきますと
『現役引退から23年経過しますが、世界各所に海外旅行をして、当時はできなかった観光をしたり、日本全国からお誘いいただければ、例え単発でもバレーボール教室もさせていただいています。今になって、いや今だからこそ新たな発見がありますね』(当時49歳、名古屋市在住)

 一方、まさにこの直後の北京に出場する予定の現役のオリンピアン、バドミントン(女子シングルス代表)広瀬栄理子選手はその数日後掲載『バドミントンでは、幾多のことが学べます。困難や、体の小ささ(1m63cm。小柄?なのでしょうか)のハンディ、そして負けた悔しさを乗り越えて成長する…日々、新発見の連続なのが最大の魅力です』(当時23歳、大阪市在住)。

 なんのことはありません、キーワードこそ『新たな発見』でした。バドミントンの広瀬選手の全日本後輩、そしてコーチもした選手にこそ、リオ・オリンピックの女子ダブルス金メダル・
高橋礼華×松丸美佐紀選手コンビがいます。高校時代から組んで12年(ちょうど、北京当時は高校生でした)になるという、世界一のコンビにしても『日々新たな発見』といいます。

 広瀬美代子選手の全日本後輩である中田久美監督、そして日の丸(美しき?でしょうか)戦士たちは『日々新たな発見』があるでしょうか。本来なら、彼女たちこそが『日々新たな発見』から捲土重来、女子バレーボールの伝統を取り戻さないといけない立場なのに…。

 最後に。二人の広瀬選手、同じ連載で読んだからか、相違点以上に因縁が目立ちましたね。

6243岡本 すいか:2020/02/08(土) 23:57:55
路面電車でオリンピック応援へ!
 こんばんは。

 ここ数日来、投稿が多くなる旨お許しください。どうしても言わずにはいられない…。
昨秋、急遽オリンピックのマラソン競技が、東京でではなく札幌への“移転”が決まりました。
小池都知事もあまりの寝耳の水の情報に困惑、そして憤慨されていましたし、陸連の瀬古利彦会長(ロス出場ですね)も…協賛パートナー企業である某鉄道会社の「トレーン・ビジョン」にも出なくなったはずです。それこそ『誰得?』の決定です。大人の世界ですから、多かれ少なかれ
矛盾はありますが、ここまで表面化するとは、茶番の極みですよね。昭和39年当時も矛盾はあったはずですが、ここまで表面化していないでしょう。池田勇人首相が『所得倍増計画』を公表し、高度経済成長を誘っているさなかのオリンピック。国家そのものが
『アジア初、戦後復興オリンピック』に向けて、地域の壁も乗り越えて一丸となっていたと思われます。

 唯一のメリット?と思われるのが、題名の通り路面電車(札幌市電)に乗って応援できる、との点でしょうか。東京ででは、マラソンに限らず不可能でしょう。昭和39年当時は都電及び東急玉川線(玉電)、横浜市電で、バレーボールを始め各々会場に向かえたようです。バレーボールは国立競技場(都電)、駒沢オリンピック公園体育館(玉電)、横浜文化体育館(横浜市電)。

 バレーボールは…移転以前に、へき地に追いやられた感じですね。埋立地の有明アリーナのようですね…。3.11クラスの大きな地震が来たら、液状化確実です。

 因みに。バドミントンは、昭和39年当時のマラソンの折り返し地点近く、調布市にある武蔵野総合スポーツプラザでの開催です。できれば都区内(23区)で、とも思いましたが、マラソンやバレーボールの現況を思えば、むしろ感謝しないといけないのかも。

6244岡本 すいか:2020/02/09(日) 23:56:37
「オリンピックおじさん」山田直稔氏とバレーボール
 こんばんは。

 昨春、“オリンピックおじさん”こと山田直稔さんがお亡くなりになりました。90歳でした。
山田さんは、直近ではリオまで夏冬欠かさず、カンカン帽?よろしくな背の高い帽子をはじめ、
独特ないで立ちで世界各所に神出鬼没?され、日本代表を応援されていました。世界的にも有名でしょう。恐らく、WORLD&OLD版のファンの皆様にとってもお馴染みの存在ではないでしょうか。東京・モントリオールでの金メダルも見届けられているはず。更には、日本がボイコットせざるを得なかったモスクワも、現地にいらしたとか。純粋に、オリンピックを愛されていたのだと思います。私事ながら、祖父もオリンピックに対しては結構思い入れがありましたが、山田さんには叶わないと、生前漏らしていたそうです(叔父談)。外見ばかりか「応援団」という意味でも、ヤクルトスワローズの岡田正泰応援団長に似ているのかも、とも。

 2回目の東京開催前年に、遠い国に旅立たれました。バレーボールに関しては、今頃あちらで「同世代の山田さん」こと、世界三冠の山田重雄監督と、現状を嘆かれているのではないでしょうか…

6245岡本 すいか:2020/02/10(月) 09:28:15
バレー界にも八村・澤・奥原がいたらなあ…
 おはようございます。

 「超一流の三刀流」ロス・オリンピック銅メダリスト・三屋裕子さんが会長を務められる男子バスケットボール。(その三屋さんが高3だった1976年)モントリオール・オリンピック以来44年ぶりの出場が、地元・東京の大舞台で確定になったようです。そのモントリオールには惜しくも選ばれなかった“幻のNBA選手”岡山恭崇氏も大喜び。皮肉にも、岡山さんが実力をつけてからは、オリンピックから遠のくようになりました。その間に、1981年NBAからも指名されたのですが、当時オリンピックにはプロ選手は出場できず、オリンピックを目標としていた岡山さんは断念したといいます。バルセロナ以降、男子バスケットはプロ選手の出場も解禁されたのですが、岡山さんは引退後。なんとも、時代のめぐりあわせが悪かったですね。マイケル・ジョーダン選手らの「ドリームチーム」、そして東京出場最有力・八村塁選手を目の当たりにして、岡山さんはどのように感じられているのでしょうか。八村選手は、三屋会長とは同じ北陸人(彼は富山県)。なお、月刊バレーボールでは異競技対談で田中幹保選手とお手合わせしています。

 続けて、私が同学年の女子サッカー・澤穂希選手。未だに、同学年では唯一の国民栄誉賞です。水泳の岩崎恭子・プロ野球の阿部慎之助は選ばれていないのです。意外や意外、既に
アトランタには出場しており(なでしこ・ブーム以前)、それよりなにより「都立の星」(都立南野高在学中)であったと。
 なお、往年のバレーボールでは出町豊(男子。東京銅メダル。都立第三商業)、生沼スミエ(女子。メキシコ・ミュンヘン銀メダル。都立三鷹高)の両選手でしたね。首脳陣でも、ミュンヘン金メダルの松平康隆監督が都立城南高校出身。かつて、それこそ東京→メキシコ→ミュンヘン時代、即ち日本の高度成長期かつバレーボール黄金期には『松平・出町・生沼』と、男女バレーボールの重鎮が“都立の星”で固められていた時代があったのですが…。

 バドミントンでも、プロ選手が生まれました。リオ・女子シングルス銅メダリスト・奥原希望選手。道理で、奥原出演のCM(洗顔料など)が放映されているはずです。同大会金メダルの松友美佐紀・高橋礼華コンビでさえサラリーマン(日本ユニシス)ゆえ、出演はないようですから。

 バレーボールには…目下八村・澤・奥原のようなプロのスター選手が、男女とも不在のようですね。かつて、私は『オリンピックこそ、アマチュアリズムの祭典。メダルは、お金に換えられない値打ちがある』と、プロ選手の出場を反対したのですが、今はそういう時代ではないのしょう。社会体育やスポーツ少年団ではありません、『参加することに意義あり』ではないのですから…。

6246岡本 すいか:2020/02/29(土) 22:06:44
事態は風雲急を告げて…
 こんばんは。

 皆様もご承知の通り、新型コロナウィルスが世界的に猛威を振るっています。ついに、政府も
緊急事態宣言をせざるを得ない情勢となったのです。スポーツ界にも影響は大いに及んでおり、
バレーボール・日本代表も海外遠征が取りやめとなったようです。『オリンピックも中止に…!?』も、決してあり得ないことではなくなってきたようです。事態は風雲急を告げてきたようですね。尤も、今の女子バレーボールに限って言えば『56年ぶり自国開催で生き恥をさらさなくてよかった…』なのでしょうか。そう思わざるを得ない現況がなんとも辛いところではあります。

 最後に、といいたいところですが、駄文かつ長文になってしまう旨お許しくださいませ。
私事で恐縮ながら、本日は私の末弟(弟2人のうち)の誕生日でした。36歳。
お約束な(?)フェブラリー・ジョーク『きょうで9歳(誕生日が9回目だっただけです、平年も2月28日終了後にきています)に…』も苦しい年齢か。今の日本代表では荒木絵里香選手と同い年ですが、8月3日生まれの彼女は1学年下でしょうか。バドラーの弟は元来バレーボールには無関心。広瀬は広瀬でも、彼が関心があるのは美代子(バレーボール。ロス代表)ではなく
「栄理子(バドミントン。北京代表)」のほうです。私でさえも、既にロスト・バレーボール世代ですから…。
どの競技もそうでしょうが、特にバドミントン・ファンにとっては、オリンピックが取りやめでいいはずがありません。特に、桃田賢斗選手のファンの弟にとっては…。『それにしても桃田、ツイテないよな(リオ直前の4年前は、直前に違法賭博問題でオリンピック出場停止。今回もまた、新年早々に交通事故…)。改めて、オリンピックこそ平和(とアマチュアリズムと思っているのですが…バドミントンでもプロ選手が出ました)の祭典と思いました。

6247岡本 すいか:2020/03/05(木) 07:40:01
”ノムさん”も認めた「バレーボールもライバル」
 おはようございます。

 2月11日、プロ野球の元監督(南海・ヤクルト・阪神・楽天)“名将・ノムさん”こと野村克也さんが永眠されました。84歳でした。

 自身が評論されていたサンケイスポーツ紙の増刊号「追悼・野村克也」74ページには…。
既に現役時代から評論していたというサンケイスポーツの一面を広げる、若き日の野村さんの姿があります。その見出しには…
『新魔女悲し』『日ソ戦お別れパーティー全日本すっぽかす』『奇怪!山田(重雄)監督の言動』と、女子バレーボールが飾られています。
現役時代、パリーグの“監督兼捕手”野村さん(南海ホークス)は、人気のセリーグ(特にON砲擁する?9巨人)だけではなく、これも実力人気とも兼備の女子バレーボールとも戦っていたのです。

 かつて、アルタガモワさんが『昔は“杉山(加代子選手)ライト転向”がスポーツ紙の一面を飾ったこともあったんですけどね…』とおっしゃっていましたね。恥ずかしながら、既に「ロスト・バレーボール世代」である私は、初めてそれを目の当たりにしました。私と同世代(菅山かおる・高橋みゆき・鈴木洋美らの昭和53年度生まれ)ではありえないことでしょうから。

 無論、現状でもバレーボールがスポーツ紙一面など、たとえ(春高をはじめバレーボールを主催するフジサンケイグループの一員)サンスポでもありえないでしょう。
不祥事でもなければ…。中田久美監督就任後、ひとつも(アジア大会さえ)メダルがないそうですから。特に、ここ2年でも世界選手権とワールドカップとも、全日本の惨敗に加え、視聴率も大不振。
『次回から日本開催剥奪(2022年世界選手権)または保留(2023年ワールドカップ)』のようですから…

 プロ野球も実力低下(捕手だっただけに、名捕手不足を指摘)と、野村さんは自書でも認められていますが、やはり自身が携わってきた競技ですから、これからもかの国で見守り続けるでしょう。一方、かつては商売敵と認めてきたバレーボールなどは、とっくに眼中にないでしょうね。

6248岡本 すいか:2020/03/11(水) 22:04:46
森田・石田以来の薫英オリンピッカー!?マラソン前田
 こんばんは。

 過日、東京マラソン・名古屋ウィミンズを以て、東京オリンピックへのMGC(マラソン・グランドチャンピオンシップ)が終了、代表の6人(男女とも3人ずつ)が内定しました。その女子マラソンで。3人の代表のうち、前田穂南選手(天満屋)は大阪・薫英女学院高出身です。

 こちらの掲示板でもお馴染み、往年の女子バレー・森田貴美枝選手・石田京子選手(どちらも日立)の後輩なのです。彼女たち(ロス)以来36年ぶり…かは存じませんが。

 2020年、超少子化時代でも、未だに女子高を保ち続けている薫英女学院(私事で恐縮ながら、中学校での同級生も、何人かこの学校に進学しています)。そして、伝統といえば…時代を、そしてブカツさえ超えた「猛練習」があるようです。かつて、森田選手・石田選手とも努力家で、
あらゆるハンディを乗り越えてロスの代表を勝ち取った、と。それも、高校時代からの努力の積み重ねでしょう。なにしろ、監督が「史上まれな鬼」と恐れられた方のようでしたから。但し、石田選手の在校中に、何某かの問題を起こしてしまったようで、監督を降りてしまったようですね。以上、月刊バレーボール、昭和59年夏増刊号「美しき戦士たち」より。

 一方、無論ロスの時は生まれていないどころか、恐らく上記両先輩の存在さえ知らないであろう(誰かから伝聞してくれていたらいいのですが)マラソンの前田選手は今年24歳。彼女の派手なビジュアル「ユニフォームから腕時計、シューズまでオールピンク」にばかり目を奪われがちですが、その根底には、現代っ子らしからぬ、といってはなんですが壮絶な努力があるのです。
なんと、昨春から約1年間、前田選手は月間通算1000kmも走り続けているそうです。これこそ、見事な薫英魂、森田・石田両選手の後輩に相応しい、ですよね。

 最後に。東京オリンピック、といいながら昨秋のIOCからの鶴の一声により、本チャンのレース舞台は札幌に移転。そして、それさえも今年に入ってからの一連のコロナ禍のせいで、
札幌での開催さえ危ぶまれているようです。まさに二転三転。IOCは、中止や延期のかわりの一案として、一部競技の他国拡散開催を持ち出しており、その中にはマラソンもあるとされています。真偽のほどは定かではありませんが…。

6249岡本 すいか:2020/03/22(日) 09:21:54
オリンピック
 おはようございます。

 オリンピアードである今年に入ってからの、一連のコロナ禍は深刻度を増しています。国内外から『(中止ではなく)延期を』と意見が噴出しています。IOC、JOC(一部でしょうけど)は『あくまで、今夏通常開催』と強硬主張していますが…。

 そんな渦中にいる、オリンピック出場権目前の、ある競技のスポーツマン(あえて「アスリート」とは言いません)が、あるスポーツ紙に胸中を激白したのです。
※匿名がインタビュー条件のようでした。

 『2月下旬から練習環境の確保が困難』『移動はすべて実費』『通常開催では体が持たない』
『オリンピックは選手がいてこその大会…なのに、最近の政府対応は』『早期に決めていただければ最高の状態でオリンピックに出られるのに』『一生に一度のチャンス、ベストを尽くせないジレンマ』
などが主旨でした。

 夏季オリンピックは、その憲章から『4年に一度、オリンピアード1年目(即ち、閏年)開催される』ものとされ、現実に、リオまではその通り開催されてきました。例え中止(いずれも戦争による。1916年、1940年、1944年)でも、開催1回としてカウントされましたが、『スポーツマンファースト』の精神に基づき、その憲章も改正して来夏開催でも止むを得ないのではないでしょうか、現状では。

 少なくとも、上記出場候補者のインタビューを拝見する限りでは、早期に決断されたほうがよろしいのでは。

6250岡本 すいか:2020/03/27(金) 02:06:37
「ワールドマスターズゲーム」
 こんばんは。

 ついに(今夏開催予定であった、56年ぶり自国開催)オリンピック
「TOKYO2020」は、ここ1年以内に延期となりました。一連のコロナの
拡大情勢から言っても、まず本年中の開催は困難なようです。にも
かかわらず、大会名称は「TOKYO2020」のまま改名なし…。
 しかしながら、阪神・淡路大震災や3.11とは違って、今回は
正真正銘「世界難(地球温暖化による)」でしょうから、文字通り
『がんばろう世界』なのでしょう。『全世界がコロナに打ち勝つ』
趣旨で、史上初となる今回の延期をも、むしろ好意的に、その開幕を
迎えましょう。

 その(延期と思われる)来年には…関西で「ワールドマスター
ズゲーム2021」が行われる予定です(5月14日から同・30日)。
30歳以上の有志なら(審査こそあるようですが)誰でも参加できる
生涯スポーツのイベント。競技には、バレーボールもあります。
過日、私事ながら神戸へ帰省した時には、オリンピックには全く
触れられず、その「ワールド…」一色でした。
今のところ取りやめにはならず、来年オリンピックなら、恐らく
連続開催となるのでしょうか。

 最後に。これも私事で恐縮ながら、コロナ禍に沈み続ける日本、
いや世界でも異例、神戸では『阪神間の不要不急移動自粛要請』
が発令されました(3月20日から31日までの予定)。広瀬美代子選手も、
遠く名古屋から一日も早いコロナの終息(特に阪神間の回復)、
そして…史上初の『オリンピアード以外の延期』オリンピックを
心待ちにされているのではないでしょうか。そのためにも、
“幻のモスクワ”同志である山下泰裕委員長のご活躍が待たれる
ところですよね。

6251カルバハル:2020/03/28(土) 10:26:46
オリンピック延期ですね。
モスクワよりはマシです。選手選考、12人決まる前で マダ良かったです。

6252カルバハル:2020/03/28(土) 10:43:06
モスクワは
最後は個人参加なら出来るかまで。ギリギリの不参加でさらに日本国民からの期待は今の全日本とは月とスッポンくらいの差がありました。チームも一枚岩になり、広瀬と三屋の若手がモスクワの秘密兵器だったかも?知れません。故小島監督が私が育てた守備力のある選手はミュンヘンの山崎と広瀬と言ってました。山崎はピンチレシーバーでしたが広瀬はレギュラーでブロックアウトの名手で、ロンドンの佐野のレシーブ力を高く評価してますが、今でも当時の広瀬美代子のレシーブ力は今でも世界一まさにレシーブの神様だと思います。コートの広さは変わらないから、ナンバーワンでょうね。第二の白井とか第二の江上とか日本は思ってますが第二の広瀬も現れませんね。佐野も第二の広瀬にはなれません。モスクワはチームが出来あがってたから今の中田久美のメンバーコロコロチームと比べものにならないチームワークのあるチームでした。

6253アルタガモワ:2020/03/28(土) 17:27:24
カルバハル様
お久し振りです。延期になりましたね、またモスクワ当時のお話聞かせて下さい。当時のレギュラーってセッター小川対角水原、レフトは樹理と誰だったんですか?広瀬、奥嶋選手ですか?そしてセンターは江上と対角は三屋或いは私は24時間テレビで知った池知選手だったのでしょうか?またまたお話宜しくお願いします。

6254カルバハル:2020/03/28(土) 18:42:54
お久しぶりです。
横山の対角は、手術してなかったら須藤佳代子でしたが須藤は膝の手術をしてプレオリンピックから横山の対角は日本電気の吉永美保子です。ダイナミックな横山のスパイクと比べるとコースを狙うスパイクで好調不調の波か少なく計算出来る選手として吉永が横山の対角です。決定力が横山よりないですが計算できます。吉永が決まらなくなると奥嶋がスタンバイします。モスクワの当時は広瀬はピンチレシーバーとして登録されてまさしたが、或いはブロックアウトの名手なんで秘密兵器たったかも?しれません。センターは江上、池知が基本のラインです。プレオリンピックで江上が不調で鐘紡の清水が出て活躍してキューバに勝ちました。清水も普段は池知の交代要員でしたが江上と交代でプレオリンピックのキューバ戦に江上と交代でビックリしたようです。三屋はオリンピックの年に広瀬と一緒に選ばれてます。三屋は広瀬を始めてみた時、広瀬の守備力を見てビックリした、そうです。また広瀬は三屋のジャンプ力を見て驚いたそうです。小島監督は三屋をスタメンも考えてましたが強化中に三屋が怪我して結局、センターラインは江上と池知です。センターは今と違い手が長いブロックの名手、石川も入り12人中5人がセンターでした。江上と小川のコンビが、やっと合ってきたのに不参加になりました。

6255カルバハル:2020/03/29(日) 04:39:28
池知選手
土佐女子高校時代から有名選手で富士フイルムに入社しました。富士フイルムは須藤とか折原とか高校女子初の三冠王のメンバーです。更に池知とかキャロル松尾など有望選手を集めました。第6回春高優勝のエース岡村が入社して正セッターになりました。富士フイルムは素晴らしい素質の選手を集める事が出来ましたが日本リーグは勝ち星には恵まれませんでした。池知選手は始めてはレフトのエースアタッカーでしたが全日本に選抜されてからセンターに転向しました。速いとか上手と言うよりダイナミックなセンターでセンターに上がった二段トスも打ち切るパワーのあるセンターです。当時のレギュラーは横山、水原、小川のユニチカに日立は江上1人だけレフト対角は須藤でしたが吉永が須藤の膝の怪我でレギュラーを確保してましたのでレギュラーの中では江上の対角を誰が出来るかが課題で結局5人もモスクワのメンバーでセンターが多かった原因です。レギュラー6人のチームワークは良かったですが強いて言えば池知が一番力が落ちてる感じはしました。なので同じセンターでも池知の交代要員は清水とかユニチカの石川とか選ばれましたが高さの点で三屋も選ばれました。確か南米遠征かなんかで三屋は期待されてましたが怪我をして結局、江上の対角は池知でした。センターでは江上の存在が絶対でしたから、プレオリンピックのキューバ戦で調子を落とした江上がベンチに下がり清水が入った時は、ビックリしました。プレオリンピックはフルセットでポマレス、ペレス、バルネットの居ないキューバにフルセットで勝ちましたが決勝戦のロシア共和国チームと対戦した時は江上と池知のセンターラインでした。ロシア共和国と言ってもチームは全ソチャンピオンのウラロチカ中心のチームでほぼ、ナショナルチームです。ウラロチカ+ツェッカモスクワのチェルニショワを加えたチームがモスクワオリンピックの代表メンバーです。オリンピックの年にNHK杯でキューバはバルネット、ペレス、ボマレスを入れたメンバーで2試合対戦して1勝1敗の成績でセット率でNHK杯は日本チームでした。キューバは毎年NHK杯の時期に来日して日本と対抗戦をしてました。当時は日米親善試合や日中親善試合、日ソ対抗戦、NHK杯でキューバや韓国、ブラジル、ペルーが来日して対戦してました。今の時代とは全然違い世界のバレーは日本中心に回ってました。それらの対抗戦も今はなくなりました。NHK杯位、残して欲しいです。当時は日ソ以外に始めて世界チャンピオンが出たので日本の中でも御家の一大事みたいな感じで全日本もユニチカ、鐘紡、富士フイルム、日立、日本電気、東洋紡などの選手も企業の垣根が取れた強化でした。一番、協力しなかったのは日立だったです。しかなく江上1人だけ全日本に参加させて他の有望新人を飼殺しして日立単独で海外遠征してロス五輪の単独チームで活躍出来るように準備してました。村田や杉山や石田などの有望な選手を余り全日本には積極的に派遣してません。中田久美が出る前なんで、セッターは川原や江上、金子のツーセッター、江上、石田のツーセッター、或いは本島のワンセッターでした。中田久美が特別扱いされてからはワンセッターで控えは利部でしたが加藤が中田久美の噛ませ犬でした。石田は三屋の噛ませ犬です。加藤は素晴らしいアタッカーでしたが背が低いて事でセッターに転向したと、言うよりも中田久美の、噛ませ犬になりピンチサーバーも出来る利部と代表を争い最後まで競わせて利部になり加藤は噛ませ犬だけで終わりした。三屋は中田久美の特別扱いによりワンセッターに日立がなり石田が控えに回り三屋がレギュラーになりました。三屋は石田を噛ませ犬とし争わせて江上の対角をものにしましたが小島監督は途中から三屋の変わり入る石田を高く評価してました。石田はセンターでアタッカーでしたが後衛サーブの位置に三屋が入った時に石田が入りました。石田は後衛から入る方が調子が良いと、ちょっと調子に乗るカタチが他の選手と違ってました。三屋はモスクワは池知の控えでワールドカップ81は当初は東洋紡の佐藤がレギュラーでしたが佐藤が選手同士で接触して、首を痛めてしまい。当初は江上の対角は81ワールドカップは佐藤でしたが三屋に変更しました。三屋が本格的に、江上の対角を不動にしたのは82年のナショナルチーム頃からです。佐藤のワールドカップの活躍、もっと見たかった。池知も選手生命短い選手でした。

6256岡本 すいか:2020/03/29(日) 09:12:43
体育館にその名を残した三屋・広瀬
 おはようございます。

>カルバハルさん、アルタガモワさん
 お久しぶりです。大分連投してしまい恐縮です…
現状、私の出身である神戸でも「阪神間移動自粛要請」が発令されてしまい、
関西圏に残っている弟達は不自由しているようです。
過去に、幾たびか触れさせていただきましたが、現在は日本バスケット協会会長を
務める三屋裕子選手、そして私の大先輩・広瀬美代子選手とも、ある意味
『己の名前を刻んだ体育館を持つ』
実績があると思います。三屋さんは、ジオ・アリーナ(中学校の先輩である
バドミントン・長谷川博幸氏との連名で)、そして広瀬さんも、母校・県立
舞子高の体育館に。
その意味でも伝説ですよね。36年前、ロス・オリンピック開幕直前発行の
「美しき戦士たち」では『やがて、彼女たちは伝説となるだろう…』と
予言されていました。大当たりでしたね。
因みに、私とは同学年のトリオ(菅山かおる・鈴木洋美・高橋みゆき)は、
ボイコット以外の史上初のシドニー不出場で悪い意味での伝説に…。
モスクワ当時はまだ生まれたばかりの赤ん坊(1〜2歳の)世代。
高橋みゆきのみ、のちにはオリンピックには出場できましたが。

 これも、後年彼女たちが名前を刻んだであろうひたちなか市
総合体育館(24時間テレビで、22年ぶり日ソリターンマッチをした)
にも行ってみたいですが、現状では…

6257カルバハル:2020/03/29(日) 10:25:19
まあ
モスクワオリンピック当時の事を知りたければ、都立多摩図書館に専門誌があるので、お近くの図書館に相談すれば詳しく知れますが、今はコロナウィルスで多摩図書館は休みなので落ち着いたら調べて見ましょう。私は。その頃のものは持ってるので時間があれば、読み直して見ます。しかし当時の専門誌と今の専門誌は全然内容が違うし海外の取材もあり、お金もかかってます。今は専門誌とは程遠いバレーボールアイドル誌で買う気になれない。インターネットも発達してるんだか、、お金掛けないで良い本を作られるのに駄作な雑誌になりました。

6258カルバハル:2020/03/29(日) 14:03:58
横山樹理の同期
ナショナルチームの選手がとても多く、大きくモントリオール組、矢野、吉田、高柳の日立組がエリート組の金メダルチーム、その後、滑川、石川、清水、千葉、吉永が雑草組ですね。他には早熟組に中村高校〜ヤシカ〜73年ワールドカップ参加、川口が居ます。川口は高校3年の時は中村高校キャプテンで春高、高柳の居た中津南高校に負けて準優勝、インターネットは横山樹理の居る博多女子商業に決勝戦で負けて準優勝、国体は決勝戦で中津南高校を破り優勝した横山、吉田、川口と高校ビッグ3と言われた中でも一番早く三大大会に参加したエリートでした。特に酒田インターハイは予選のグループ戦の1回戦で博多女子商業に負けて敗者復活戦に回り勝ち抜いて決勝戦で再び博多女子商業と対戦したチームです。準決勝で中津南に博多女子商業は勝ち決勝戦進出しましかた。しかし博多女子商業春高は横山の捻挫で2回戦?敗退、国体は九州予選で中津南に負けて国体に出場してません。横山がインターハイ優勝した時は専門誌ではスーパースター出現と専門誌の記事を飾りました。横山の代表の最高エリートは74年世界選手権、モントリオールオリンピック、ワールドカップ77の三冠王レギュラーメンバー78年世界選手権キャプテン矢野広美がエリート中のエリートでしょう。しかし日本女子バレーボール黄金の70年代ベスト6には飯田、白井、前田、松田、横山、江上が選ばれてます。

6259アルタガモワ:2020/03/29(日) 18:20:17
ありがとうございます。
早速ありがとうございます、もうワクワクで読みました。そうですか、池知選手へ最初はレフトだったんですね、知りませんでした、24時間テレビの時一瞬現役時代の姿が映りましたが細かったのでセンターだと思い込んでいました。吉永選手分かりますよ、ショートカットの選手ですよね!石川選手はユニチカのセンターですよね江上ー石田2セッターの14回リーグのビデオを入手したので辛うじて分かります。東洋紡の佐藤選手も分かりますよ、片桐はいりさんに似てる気がしましたが81Wで三屋に代わり凄いクイック決めたのも観ています。江上、三屋より身長があるけど滞空力はどうだったんですかね?須藤選手は77Wで予選の中国戦でライトから凄いストレートを打ったのも後の2000年頃NHKで放送したので録画して観ました。私が樹理の姿を観たのは多分74〜5年小学生4〜5年生で、多分日本リーグを見て何も分かりませんでしたが樹理だけが頭に残り凄いな、おばさんの中に一人だけお姉さんが居る!と言うレベルで(笑)以後すっかりバレーの事忘れてて再び樹理の姿を観たのは81Wのすっかりピークを過ぎた残念な姿でとても淋しい気持ちでした。カルバハル様のお話し聴けると凄く楽しいです。これからも白球の長い旅の様に教えて頂けませんか、次は私が全く知らない空白の78〜9年辺りのお話をカルバハル様の意見を添えてお聞かせください。

6260カルバハル:2020/03/29(日) 20:09:00
早速、記憶の範囲で78年世界選手権前の話し
78年はキューバ遠征で日立は4連敗しました。1戦、2戦は大接戦で2-3で負けました。かなり審判が、キューバよりで線審も酷くキューバが1メートル位スパイクアウトでもインのしたり日立には不利な誤審ばかりでした。3戦4戦は日立の選手も、プッツン切れて確か?0-3で負けて白井と松田は、やってられないて感じで試合をボイコットした話を聞いてます。キューバは世界チャンピオンの日立に勝ったので自信をドンドン持ち、特にウルヘリエスが大きく成長しました。今までフェイントしか落ちて来ない所にスパイクが落ちてきました。ストレートで打ってアタックラインの内側にスパイクが落ちてました。4連敗で帰国後、白井と松田が私達の時代が終わったらと言って引退しました。松田は今ままで頑張ってこれたのは、バレーボールが好きだから、続けてこれました。話したのが記憶に刻まれてます。その後、セッターは矢野が務め日ソ対抗戦の日本シリーズでソ連と互角に渡り合いました。その時のセンターは江上、須藤、レフトは横山、吉田、ライトは水原で高柳は膝の怪我でレギュラーではないがピンチでチームを救いました。また当時ゴールデンウィーク中に都市対抗バレーボール大会と言われた大会がありユニチカのセッターに池坊短大卒業の小川がルーキーで活躍しましたが優勝は日立でした。その活躍と松田が抜けたので小川はピンチサーバーで全日本に召集されました。その後、水原が怪我して全日本から抜けました。その後日ソ対抗戦のソ連シリーズの最終戦でセッターでキャプテンの矢野のチームはソ連に0-15で大敗してしまい。山田監督も、相当焦ってしまい。小川がセッターは専門家に、やらしてくださいと山田監督に言って正セッターになってライトは吉田、センターは、矢野、江上、レフトを横山、須藤にして当時は有名なバルナサマー大会で決勝戦でハンガリーにフルセットで破り、小川セッターのチームが出来ました。控えのセッターは日立の川原です。後で山田監督に、専門家にトスを上げさせて下さいと本当に言ったのか?専門誌でインタビューされて、小川は、そんな事は言ってません。キャプテンの矢野さんを差し置いて、そんな大それた事は言ってませんと判りました。小川は山田監督に言ったのは私がピンチサーバーで入った時は私にトスを上げさせて下さいと言ったのが真実らしいですが、それでも、新人で小川が、よく言ったな〜と言われてました。チーム小粒になりましたがチームがチーム安定してきて78年の世界選手権は小川が正セッターでライトは吉田、センターは江上、矢野、レフトは横山、須藤で企業の連合チームで挑む事になりました。そのレニングラードの世界選手権は優勝候補はキューバ、対抗馬はソ連で日本は決勝戦トーナメント出場も危ないと言われてましたが矢野は白井、松田の2人が抜けたら日本が弱くなったと言われるのが嫌でモントリオールの金メダルもワールドカップの金メダルも松田、白井の二人の力で金メダル取れたと思われたくないと金メダリストのブライドが矢野にありました。そんな中で78年レニングラードの世界選手権を迎える事になりました。当時もTBSが放送権があり、世界選手権の解説が白井貴子だったので、当時は驚きました。白井と松田が辞めて日本がピンチになったのに、よくテレビ解説の仕事を白井が承ったと思いました。続きは後に。

6261岡本 すいか:2020/03/29(日) 23:51:24
三屋さんを「バレーボール協会の」会長に!
 こんばんは。

>カルバハルさんへ
 モスクワ・オリンピック当時の月刊バレーボール誌でしたら、
叔父(75歳)が所有しています。もっといえば、それが、月刊バレーボールを
初めて目の当たりにした号です(昭和55年9月号。同年8月15日発売)。
なお、当時中三のLAエンジェルス・中田久美選手の初々しい姿もありました。

 バレーボールの、現況の体たらく(右肩下がり)を見るにつけ、
『三屋裕子さんを、バスケット(会長)に持っていかれたのは
バレーボール界にとってはマイナスなのでは』と思うようになりました。
現在の嶋岡会長、亡き祖父や叔父もNKKファン故贔屓にしているのですが、
封建的、前近代的な見方なのは否めないのでしょう。その点、女性ならではの
(といっても、女性なら誰でもいいのではないでしょう。東京都知事のコロナ対応を
目の当たりにすれば一目瞭然)、それも“超一流の三刀流(バレーボールのほか、
バスケット、バドミントンでも)”の三屋さんなら、よりよい再建への提案を
してくれるのでは。会長ではありませんが、それこそ、バドミントン協会の
北田スミ子・競技強化委員長(エキシビジョン競技ででしたが、ソウルでは銅メダル)
の存在は大きいと思います。“外人監督”パク・ジュボン氏とともに、
現在のバドミントン隆盛に大いに寄与されているのではないでしょうか。
バドミントンでは、大惨敗(出場11人でも通算1勝のみ)だったアテネ後、
パク氏を招へいし、以後は見事な右肩上がり(監督でも金メダル)、
史上空前のバドミントン・フィーバーに至っているのです。

 都立多摩図書館につきまして。一連のコロナ禍のため休館中です。
もう少し、掘り下げて調べたいのですが(バレーボールもバドミントンも。特に、
モスクワに隠れましたが、昭和55年こそバドミントン・マガジンの創刊1年目でした。
従って、今年創刊40周年)。

6262岡本 すいか:2020/03/30(月) 09:08:04
40年越し、モスクワとは裏返し劇…(個人参加)
 おはようございます。

 史上初の延期が決定したばかりの第2次東京オリンピック。

 昨冬、一連のコロナ発生以前に、WADA(世界反ドーピング機関)は、
『今後4年間、国家ぐるみでドーピングに手を染めているロシア選手団を、
主要国際大会から除外する』
と声明しました。そのうえで、過去に違反歴のない潔白な選手に対して
個人資格での出場を認める…と。

 即ち、時代・国名・競技、そして事情の相違こそあれ、これこそ
『40年越し、モスクワ(女子バレーボールチーム。但し、結果的には
認められませんでしたが…)の裏返し劇、でしょうね。小島孝治監督が
個人参加で迄、自ら関係各所へ説得に回り出場されようと尽力された旨、
これも昭和55年9月号の月刊バレーボールに明記されていました。

 ロシアからの、東京オリンピックへの個人参加の有力候補者。陸上、
女子走り高跳びのラシツケネ選手などです。

6263岡本 すいか:2020/03/31(火) 11:20:13
スピード延期のようですね…
 おはようございます。

 あえて言いますTOKYO「2021」。延期日程が決定されました。
本来の日程+364日の延期のようです。即ち、金曜日開幕の、
17日後日曜日閉幕。来年7月23日、金曜日開幕の同・8月8日閉幕。
アトランタ以降の曜日構成を踏襲したようです。
「オリンピックの延期」という意味では。会期中でしたら、
ミュンヘンがありますよね。9.5テロのあと一日延期。女子バレーにも
影響してしまいましたが、白井貴子選手にとっては結果的に
『肩痛から回復、バレーボールを続けられ、モントリオールへの栄光につながった』
めぐみになったようです。

 江上由美選手とは接点があるかは存じませんが…同郷(東村山市)
の大先輩・志村けん氏がコロナ禍のためお亡くなりになりました。
70歳でした。

6264岡本 すいか:2020/03/31(火) 18:35:00
オリンピックだけに…「五輪」真弓さんのインタビュー
 こんばんは。

 あるスポーツ紙に、タイトル通りの“無茶ぶり”“こじつけ”ながらも…
歌手・五輪真弓さんのインタビューが掲載されていました。本名のようです。
長崎県・五島列島出身。やはり、幼少期は珍しい苗字故面映ゆかった、と。

 それが一変したのは高校生の時に行われた東京オリンピック。特に、
女子バレーボールからは大いに感銘を受けたようです。
『金メダル・東洋の魔女を率いられた、大松博文監督はこう談話されていました。
それが、今でも印象深いですね。
“チームに凄い選手などいらない。六つの輪が一つにかみ合うことが
尊いのです…”』。

 五輪姓だけに、「五つの輪」の尊さを身に染みて知り、有難かった、と。
のち、歌手デビューされたときにも、あえて本名で登録したのも
オリンピック、それも女子バレーボールから影響されたことも
一因としてあるようです。

 オリンピックの「通常開催強硬論」に対して、国内外からの
幾多もの風刺画像のネタにされましたね。TOKYO2020委員会が、登録商標に
しているはずのマスコットが、再就職を探す一コマ漫画に。そして、
オリンピックの「五つの輪」が一定の間隔をおかれ、その下に
「SAFTY…」などと揶揄される。
そして、森友問題追及の渦中にある財務大臣が『呪われたオリンピック』
などと失言…。

 延期になったばかりの『呪われたオリンピック』に天国の大松監督も、
五輪さんも嘆かれていると思います。

6265岡本 すいか:2020/04/02(木) 09:15:47
件の世界選手権、実況はこの方では?
 おはようございます。

 カルバハルさんがあげてくださった、昭和53年秋の第8回世界選手権、
東京放送からだったとは意外でした。しかし、往年の「ふるきよき時代」
では結構、この局もバレーボール、国際大会を生中継しているようです。
(私事で恐縮ながら、まだ母親のお腹にいるときですね…)

 さて、同局からの生中継では。解説・白井貴子さんとともに、実況は
この方ではだったのではないでしょうか。中島孝一郎アナウンサー。もう、
今はお年ですから同局からは退社されているくらいでしょう。
併せて、その東京放送を含む、次の4局及び、主なアナ
(参考までに、カッコ内は主な解説者)
では、どこの局がお気に入りでしたか?

日本テレビ…芦沢俊美(松田紀子)
東京放送…中島孝一郎(中島勝政)
フジテレビ…松倉悦郎(生沼スミエ)
テレビ朝日…東出甫(前田豊、小山勉)

いずれも、絶叫型(各局、一人はいますよね…東京放送でも
「世界の松下さん」などはそうです)ではなく、沈着に、刻一刻
移り変わる試合の変遷を伝えてくれるアナウンサーのようでした
(叔父談)。

 昭和59年、ロス・オリンピックにおいては、予選第1、3戦が日本テレビ、
決勝リーグ準決勝がテレビ朝日、そして決勝戦及び3位決定戦がフジテレビ
からのようでした。
東京放送は、バレーボールの放映権を獲得できなかったのです。その代わり、
といってはなんですが、オリンピック・壮行会試合の生中継(大阪城ホール)
を、上記の顔合わせで務めたようですね。

 最後に。皆様は「中島勝政氏」ご存じでしょうか。大阪府協会の審判員です。
大阪なので、黒鷲杯などで主審を歴任。その黒鷲杯も、本年はコロナ禍により
中止に…。

6266岡本 すいか:2020/04/03(金) 11:48:46
バレーボールでも希望!「レジェンドビジョン」
 こんにちは。

 テレワーク中の身、そして「阪神間移動自粛要請中」もあって、
ここ数日来幾多の投稿をお許しください。それだけ、現状の
バレーボールにも希望したいことがあるのです。

 世界中で、オリンピック予選を含む幾多のスポーツイベントが
取りやめまたは延期になる中、バドミントンの「第110回全英オープン」
は予定通り、それも観客にも入場してもらって「通常開催」されました。

 そして、5種目のうちダブルス、男女とも日本勢(男子…園田啓悟・嘉村健士組、
女子…福島由紀・広田彩花組)が“アベック優勝”したのです。日本勢の
複数優勝は4年ぶり。

 オリンピック正式競技採用以前、いや採用された今でもバドミンター最大の栄誉、
それでいて第1回オリンピック(1896年)の3年後には初開催された、歴史ある
全英オープン。1984年、第74回からは日本のヨネックスが技術協力しています。
具体的には、コートマット(フーバー・コート)、ラケット、シャトルの提供、
選手との用具契約。米山稔社長ご自身が尽力されました。その米山氏が昨秋
大往生を遂げられ、今春は米山氏の功績を讃えるため「MINORU・YONEYAMAコート」
にて、全5種目の決勝戦が行われたのです。

 更に…決勝戦後には、同コートにて、同社による「レジェンドビジョン
(バドミントン普及活動)」として、今大会優勝(男子シングルス)のビクター・
アクセルセン選手をはじめ、林丹選手(中国)、引退されたリー・チョンウェイ氏
(マレーシア)ら、全英オープンでもオリンピックでも伝説とされる功績を収めた
新旧の選手が、夢の競演を通じて普及活動をされたのです。今日の、史上空前の
バドミントン・ブームは、決して『日本が強くなかったから』だけではないと
思われます。

 どうでしょう、バレーボール界でも…

6267アルタガモワ:2020/04/03(金) 19:52:06
ありがとうございます。
78年はそう言う状態だったのですね、私はてっきり水原はレギュラーで活躍していたのだと思い込んでいました。小川の「私にやらせて下さい」と言うのは有名な話ですがそう言う事だったんですね、でも当時の選手なら良い意味でそう言った事は平気で言ってた様な気もしてました。ロス五輪前のドキュメントで山田監督が「お前達は大人しすぎるんだよ、モントリオールの白井もキツかった、松田は解説でもきついけど」等々ビデオ集めた中で何度も見ました。
カルバハル様の個人的な印象を教えてよ頂きたい事が2つあるのですが水原が入ったチームと吉田選手が入ったチームではどちらが良いと思われますか?そして1セッターの小川のワンセッターの方がチームが旨く回っていたのでしょうか?現実に小川のワンセッターで行ったと言う事はやはり当時の全日本は小川をセッターにした方が強いチームになると判断したのですね?あっ、因みに78年度の監督は山田監督さんだったのですか?当時の小川のチームのバレーも見たいし、矢野のセッターのバレーも見たいし、後矢野始めアタッカーから2セッター候補にさせられた選手達のバレーも見たいです。当時はまだブロード攻撃をしていないのでライトに入った選手が時間差に入る、レフトの選手もライトレセプションから中に入り込む時間差でしょうか?何かのビデオで樹理がライトから回り込む凄い時間差を見た事がありますが囮効果までは覚えて無いのですが凄かったです。センター、ライトのダブルクイックとかはあったのですか?水原のクイックは見た事が無いので多分無かったのだと思いますが、吉田、高柳選手がライトをした場合はあったのかな?なんて想像します。後私は外人審判の激しい誤判には参る・・・と言った映像は見ました「50センチくらい誰が見てもアウトでしょ!って言うのを平気でインにするんですよ」と言ってた事も思い出しました。さて次は情報が全く無い79年度のお話聴かせて頂きたいです。モスクワの前年と言う事でもうすっかり力を失った日立の選手達が次々居なくなり昇り調子のユニチカ勢が多く占めていたのでしょうか?また無理の無い時間で良いので是非お聞かせください。

6268岡本 すいか:2020/04/04(土) 09:55:58
水原理枝子さんの他界から早2年…
 おはようございます。

>アルタガモワさんへ
 水原さん、お亡くなりになってから早くも2年になりますね…。
今、ちょうど「幻の東京」にもなりかねない情勢になっています。
半世紀ぶりの自国開催なのに…。
ご自身は出場かないませんでしたが、同じくバレー選手だったお姉さんの
背中を追いかけるバレーボール人生。後輩の応援には常に協力的、
日本リーグでは連続試合出場「102」記録保持者の“不動のレギュラー”、
自身の叶わなかった夢を果たした後輩・広瀬美代子選手のロス出場と銅メダルには
我がことのように喜び、そして…24時間テレビからの22年ぶり、
日ソ・リターンマッチにも出場、と、感動を与え続けてくれたのではないでしょうか。

 それだけに、水原さんの訃報はもう少し取り上げられるべきだったのでは、と
思います。これは、単に『リアル・オリンピック選手とその他の差』
ではないでしょう。

6269アルタガモワ:2020/04/04(土) 17:37:38
水原選手
会った事は勿論ありませんが本当に人柄が出ていた感じがしました、「幻の・・・」でも水原、奥嶋、広瀬選手は日頃からバレーしているのかな?と思うくらい全然衰えていませんでしたね、練習風景でも二段トスをバチコンと叩き付けたり本番でも綺麗な時間さ、レシーブとても素敵でした・・・。本当にショックでした。水原、河西さん、磯部さんの訃報があまり取り上げられなかったのは女子バレーの現在の姿がそのまま反映されているからだろうなと悲しい限りですが今の選手を責める気にはなれませんけどそう言う風に持って来た協会には・・・。

6270岡本 すいか:2020/04/04(土) 17:50:05
栄光の「日の丸1番」を背負った水原選手
 こんばんは。

>アルタガモワさんへ
 早速ありがとうございます。
実は、一昨年のその日は、財務省の職員が「抗議の…をした日」だったのです。
(本来なら大問題になる案件なのですが、一連のコロナ禍に隠されている)。
全く同日のようでした。しかも、同じ関西圏、大阪で。

 暗い話題で失礼しました。でも、本当におっしゃる通りです。偉大なレジェンドたちの
他界が全く報じられない…。河西さんは、東京オリンピック確定(←今ではこの文字さえ
風前の灯に)の1か月後『私が一番楽しみにしています』のセリフを遺して他界。
お三方とも、いずれも日貿貝塚→ユニチカの選手。小島孝治監督とともに、ぜひ
有事下の2020年、存命中の教え子たち、そして「停滞しているバレーボール界」
を叱咤激励していただけば、と思いますよね。

 最後に。昭和57年秋の第9回世界選手権、最後の日の丸となった水原選手は
「栄光の1番」を身に着けました。これこそ、「人情派」小島監督の粋な
心遣いなのではないでしょうか。同大会が国際デビューだった現・監督には
このような心遣いがあるのか…!?

6271カルバハル:2020/04/04(土) 19:28:11
女子の背番号
昔は基本的には年齢順でした。横山樹理がキャプテンになった当たりから少し年齢順が変わりました。個人的には年齢順が、好きです。

6272岡本 すいか:2020/04/05(日) 03:51:19
横山選手は「1番」着けなかったみたいですね…
 おはようございます。

>カルバハルさんへ
 おっしゃるとおり、横山選手が主将を務められた「幻のモスクワ」では
4番?だったようですね。
(メンバー表に背番号はかかれていませんでしたが、右から4番目でした。
「近代オリンピック100年の歩み」より)
更に昭和56年暮れの第3回ワールドカップ、最後の檜舞台となった
第9回世界選手権とも2番。
東京→モントリオールの間は、純粋に背番号…年齢順、例え同学年でも
早生まれであるほど後ろの背番号に。それこそ、横山選手は当てはまったのでは。

6273アルタガモワ:2020/04/06(月) 00:18:37
ロスの
大谷、廣、宮島は確か8、9、10番でしたっけ?そもそもそこに誰が入る予定だったんでしたっけ?一人は加藤弘子選手ですよね?背番号あまり気にしてなかったので。

6274岡本 すいか:2020/04/06(月) 00:33:32
18歳四天王(但し、現・監督は除く)の背番号…
 こんばんは。

>アルタガモワさんへ
 大谷選手…9番、広選手…7番、宮島選手…10番でしたね。
横山選手、水原選手、小川選手らユニチカ勢が主力だった世界選手権の直後、
なぜかアジア大会でのみ、純粋な年齢順に戻りました
(監督を務めた生沼スミエさんの意見?)。
同い年でも、小高笑子選手…10番(12月14日生まれ)、鈴木ひとみ選手…11番
(12月25日生まれ)。
その後、米田一典監督×山田重雄総監督の新体制となり、本格的にロスを目指す中、
上記18歳トリオの抜擢の陰で、ユニチカ勢(鈴木、荻原則子、若生美喜子)と
原哉祐巳選手が脱落したようです。

6275アルタガモワ:2020/04/06(月) 08:04:26
なるほど・・・
ありがとうございました。若生、鈴木、萩原・・・そして原選手だったのですね・・・原選手のプレー少しだけ見た事ありますが、杉山選手と同学年でしたっけ?身長も高く無かったし杉山みたいなクイック打つとは思えないしここはカルテットに譲っても仕方ないと思いました、若生・・・何でも出来る反面これってものがある様には思えなかったし・・・世界選手権には行ったけど・・・微妙な感じ・・・
鈴木選手は当時怪我をした様な気がするのですが・・・萩原セッター・・・日立主体の全日本でプレ五輪でセッター務めた利部選手がエントリーされたからこれまた仕方が無かったかもですね、カルテットでは廣は後になって化けたけど宮島どうだったんでしょうかね?中田、大谷の活躍高身長の廣選手に混じり春高での実績とコマーシャル的な事を考えると落ちた選手よりカルテットに軍配が上がったのは仕方無かったかもしれないと思いました、ユニチカがあんなに低迷するとは誤算でしたねやはり樹理、水原の存在が大き過ぎたのでしょうか?カルバハル様、すいさ様の感想もお聞かせ下さい。

6276岡本 すいか:2020/04/06(月) 09:34:07
“チコちゃん”宜しくな5歳児でしたが…
 おはようございます。

 恐るべきコロナ禍…本来なら出社しているはずの時刻ですが、
度々の投稿をお許しください。

>アルタガモワさん
 早速ありがとうございます。ユニチカは「広瀬の後輩」にあたる
下記各々選手+西川美代子選手が揃って伸び悩んだようですね。
西川選手は肝臓を患ったようです。鈴木選手は怪我のようでした(過去ログから)。
横山選手らトリオの引退後、ユニチカは日本リーグ4位、5位と低迷。
結局主将になったばかりの広瀬選手が孤軍奮闘せざるを得なかったようです。
若生選手など、ロス開幕直前にユニチカ退社。
加藤広子選手同様『一度は日の丸を身につけた身』としては、同じ釜の飯を
食べた同志の檜舞台を、練習場(会社)からなど、とても悔しくて悲しくて
見ていられなかったのでしょうね。

 当時、チコちゃんよろしく5歳児だった私の感想、それこそ上から目線かつ
不十分で失礼しました。リアルタイムで応援できた、バレーボールにも造詣が
あった叔父(東京オリンピック世代)が大幅にフォローしてくれたのです。

 最後に。誰かさんの誘致発言「アンダーコントロール」ではありませんが…
中田久美監督、契約延長されるのなら、残された間だけでもチームを“統御”
してください。


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