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女子バレー喫茶・world&old掲示板
1
:
愛子
:2006/10/11(水) 21:01:03
困り者
年寄りって遠慮ってものがないからね。
そんなに知りたけりゃ図書館や古本屋に行けばいいのに。
嫌になっちゃう。
5001
:
カルバハル
:2018/02/19(月) 21:12:59
モントリオールの金メダル
キャプテンの飯田高子は一人だけ年齢的にも30才で以下20代中頃〜21才の横山が最年少チームでした。モントリオールは飯田は控えの選手でチームを、まとめる役、猛者を、包容力で、まとめましたが、70年のブルガリアの世界選手権〜ミュンヘンオリンピックはセンターでエース、ミュンヘン後は白井が一時、引退してミュンヘンの主力も松村、古川、山下、生沼、岩原は引退して日本で唯一ソ連と喧嘩出来る選手と言われて信頼がありモンテビデオのワールドカップからはキャプテンで74年世界選手権は金メダルでレギュラーセンターでキャプテンでした。モントリオールは控えですがチームでの信頼はナンバーワンですしキャリアもナンバーワンです。皆が認めるキャプテンでした。同じ控えのキャプテンでも岩坂とは違います。また歴代キャプテンで控えは他には、リリーフエースの佐藤尹知子がいますが、やはりソウルも経験してるしチームでは信頼は熱かったです。中田久美は三回もオリンピックを経験してますが、キャプテンは務めて無いと言うか、さすがに中田久美には任せられないと思ったんじゃないですか?そんな中田久美から選ばれた岩坂は本当にキャプテンに指名されて、逆に可哀相ですね。どんな理由で選んだでしょうね。狩野舞子も世界の誇る天才セッター中田久美さんに認められたからセッターをしてみようと思ったんでしょうね。とんだ食わせ者に騙されたてなりました。岩坂も同じ道を歩んで成績不振の責任を押し付けられたら可哀相です。飯田や佐藤が、ベンチに座ってたらレギュラー選手も安心する感じしますが岩坂がベンチに座っても、ワンポイントブロッカーが座ってるだけと思われるだけです。岩坂の気持ちも考えて中田久美も指名して欲しいです。
5002
:
アルタガモワ
:2018/02/19(月) 21:39:12
カルバハル様に同様
私も一応遊びですがよく分かります。私もレギュラーになれた当時は只の1セットでも他の選手に譲るのが嫌でしたが年々年齢を増す毎に自分の立場、役割?と言うのが分かると言うか?自然と理解出来ていました。口では説明出来ないのですがコートに立つのが総てじゃ無くなっていました。自分でも不思議でした。逆にゲームが客観的に見えたり自分のチームの今、良い状態、悪い状態と言うのが分かる様になりまた別のバレーの面白さを感じられる様になっていました。
でも、中田セッターは何がなんでも自分がメインセッター以外のバレーが頭に描けていなかったんでしょうね。そう言う選手権、人間が現在の全日本の監督(只、日本だけでのネイムバリュー)をしている事はとても恐ろしい事ですね。世界を本気で考えているのならアキンラデオ等に頼らず日本だけのチームを選択すると思えるのですが山田監督以下も良い所ですね。
岩坂も本当に可愛そうですし、評価の高い新鍋がレフトであろうがライトであろうが彼女を当てにしている様では未来は無いですね。私個人は新鍋選手は国内専用だと思います。新鍋選手以外の選手にもっと頑張って欲しいところですが・・・
5003
:
バレーファンの声
:2018/02/20(火) 06:45:17
オリンピックの肥大化が問題になり
パリでは競技種目が減少するでしょう。サッカー、バスケットは北米メデアでは人気スポーツです。色々な面で見直しになればバレーボールもオリンピック競技から外れる可能性は無いと断言出来ません。人気か無いとダメですしメデアが沢山放送権で金を出すスポーツは有利です。東京大会バレーボール人気回復しないと危機になります。かつてはバレーボールは東京オリンピックに採用されてもメキシコオリンピックでは採用されない競技と噂がありました。肥大化を食い止めないとオリンピックを実施する国はなくなります。リオオリンピック後、リオは財政悪化して警察官も給料が未払いになりストライキを起し治安は悪化してます。誰もオリンピックを開催したくないとなります。肥大化を防ぐには競技を絞り今あるインフラで実施するしかオリンピックの継続は厳しくなります。バレーボールはオリンピック競技に残れるかは日本での人気回復も大事です。中田久美、中垣内祐一が監督になり人気回復が他の競技と比べても人気は落ちても回復してる感じはしませんね。東京オリンピックが唯一のチャンスです。監督は変えるは、間に合わないと思いますが周りのサポートが大事です。中田久美にものを申せる江上とかがサポートスタッフに入って行かないと中田久美じゃ暴走しそうでチームのチームワークから崩れます。優秀な選手が居ないならチームワークでカバーしなければなりません。バレーボールの為にも少しでも協会は改善して欲しいです。本当に終わっちゃうよ。
5004
:
昔の人
:2018/02/20(火) 07:23:54
いまだに
新鍋がエースを張ってるようじゃ先が思いやられます。新鍋がスーパーリリーフぐらいでないとお先に真っ暗です。
5005
:
ナイト07
:2018/02/20(火) 10:10:59
ヨーロッパで バレーは
人気ありますので、パリまでは大丈夫だと思います。
パリ後のロスも誕生した聖地ですのここまではオッケー
それ以降はおそらく、新興国開催になるのでは?
東京>パリ>ロス と G7の国で3連続開催になりますから!
どうでしょうか? インドとか相当26年までには経済大国2位になるのではないかとも言われておりますが?!
体調管理、、、難しくなりそう!
5006
:
ブス子
:2018/02/20(火) 13:43:49
結局、
中田久美の存在でアタッカーからセッターへ転向した萩原則子(ユニチカ)、加藤広子(日立)、置田佳子(イトー)、高野裕子(日電)、篠永智代美(カネボウ)、男澤和江(ダイエー)、森菜穂子(ダイエー)、矢野美紀(日電)、金子志保(イトー)なんか陽の目も浴びれませんでしたね。
5007
:
ナイト07
:2018/02/20(火) 17:56:08
80-90 年代後半 女子のセッター技術は
正直、世界トップレベルで戦える選手が揃わなかった事のも事実です。
それは ”大型化”にこだわるあまりに高卒でエース級のアタッカーを セッターに転向させたため
(永富:扇城のエース・名取:ブロードのできる高校生など)、中々世界のレベルについていけていなかったのでは?
確かに、私も中田さんは ”自分のトスに酔いしれていた” ”この私様のトスを打てないのはアタッカーのせいだ”
みたいな感じのところもあったようにも見えましたが、
ブス子??さんが沢山の選手名をあげてくださった中で、他の選手が通用できていたかというと首をかしげてしまうと思います、、、中西はアトランタでチームを立て直す事ができなったわけですし。
90年代世界のトップチームからはいいセッターが続々登場し日本の選手が育たなかった。
キューバは打てるセッターが次々登場し、黒人は手が大きいからハンドリングがよく手も長いので単純だが右左に振る事ができる(オルテイス:イスキエルド:コスタ:テリエス復帰:強烈なジャンプサーブのアグエロなど)
幸運にも同じ時期に全てのポジションで歴史に名を残す名選手が逸れろいオリンピック3連覇の偉業を達成。亡くなられる前にヘオルへさんが ”90年代は選手が偶然いい選手が揃い幸運だった”とインタビューでそう語っていました。
アメリカはエンデイコット:センターからアジアばりの早い速攻が強気に使えるセッター がいて
ブラジルはベントリーニ+ファファオ:レゼンデさん(元男子選手)が男子バレー並みのセットアップを指導・導入させた
中国は楊錫蘭引退後:馬ホウ・ソケイケン・カキ らが続いた。
中田さんが膝の大怪我がなかったらもう少し90年代は違った形を歩んでいたかもしれません。
同年代のキリロワさんは45歳まで続けられていたようでした。
5008
:
昔の人
:2018/02/20(火) 19:09:22
やはり
中田久美のあとがまは堀江陽子ですね。サッサと見切りを付けてアメリカ合衆国に行ったんですが中田久美が怪我で引退してれば、堀江陽子は日本国籍を選んだでしょうね。日本に戻り外国人枠で活躍して今も日本で活躍してますね。
5009
:
昔の人
:2018/02/20(火) 19:38:24
金子志保
上手でした旭川実業では一年生からレフトエースでしたが甲斐、石掛、篠原、益子、斉藤と良いチームでしたね。一枚岩でチームワークも良かったです。イトーヨーカドーなどは優良企業でしたがバレーボールチーム休部したのは残念ですね。繊維→電機→流通業とバレーボールの企業も変わりましたがダイエー、小田急、イトーヨーカドーと休部しました。小田急は短かった気がしますね。鉄道から流通まであり安定た企業だと思いましたが休部するとイメージが悪くなります。
5010
:
アルタガモワ
:2018/02/20(火) 20:11:30
観ました。
春高で金子選手がレストからパンチの効いたアタック、甲斐選手のセンターからの速いクイック、石掛の凄い細い身体、ぐ〜っと後の「遅咲きのコスモス」の土屋の高校時代。
実際観たのは彼女達がもう日本リーグの選手になった後から観たので凄く新鮮でした。
5011
:
カルバハル
:2018/02/21(水) 02:59:14
イトーヨーカドー
甲斐、金子、斉藤、益子、篠原、石掛のレギュラーにレシーバーの苗村、ワンポイントブロッカーの高山と役者が揃い、何と言ってもチームワークがバツグンでしたね。日立の山田監督すら欠点が無いチームと言ってました。一枚岩でした。金子のトスワークも素晴らしく偏ったトスワークはしない守備も良く5人でサーブレシーブするし外国人助っ人は居なくても勝ちます。
5012
:
ていたらく
:2018/02/21(水) 05:43:47
その時期
なかなか日のみをみれない選手は、なんちゃって早熟だったカルテットが幅をきかせてたからでしょうね。見込みが無かったり調子が悪かっら若手に経験積ませたかったけど、中田久美が許さなかった、後身に譲るのもしなかったですね。出る杭は中田久美に打たれる状態です。自分の使いやすいメンバーだけて根性 はバレーボールが弱体化します。
5013
:
心配症
:2018/02/21(水) 07:01:13
ヨーロッパでバレーボール人気あっても
基本的にはオリンピックはヨーロッパ代表は1ヶ国ですよ。ヨーロッパ選手権なら人気があるかも知れませんが他の地域は?北中米、南米、アジアとかも一部の国だけです。アフリカとか人気スポーツとは思えないですね。オリンピックでも明らかに実力差がある、つまらないカードもあります。特に女子バレーは人気か乏しいです。つまらないから順位決定戦を止めたんですよね。ヨーロッパ枠ばかり増やしたらオリンピックにならないです。常に危機感は必要で努力するべきです。
5014
:
アルタガモワ
:2018/02/21(水) 08:43:52
ヨーカドー
カルバハル様が仰っていた様にあの時のヨーカドーは正に日立よりも断然チーム力で上回ってましたね。
攻守に安定感のある益子、若さの力か?何をやっても決まる斉藤真由美。少々センターとしては遅いかも知れないけどいざとなったらレフトも出来き大型センターの篠原。経験と良い意味で皆をまとめ、締めていたブロード攻撃こそしませんでしたが昔から定評のあったブロック、速いに堂々とした一人時間差のガッツ溢れる石掛。そして何と言っても機敏でスピードのブロード攻撃あるいはブロードに入るモーションから突如ステップを変えて時間差で相手がマークしずらい甲斐、それらを満遍なく使いこなす中田セッターとは真逆で一番存在感を敢えて隠すかの様なトス回しをする金子選手。私は当時は長年日立を応援していたので正直ヨーカドーが嫌いで腹が立つ程でした。私もまだ若かったので(笑)昔の中国チーム対して憎たらしいと言う気持ちと似ていた記憶があります。反面それだけヨーカドーのバレーを認めざるを得なかったのだと思います。後に出て来る164センチのレフト苗村、ブロックで頑張った高山、チームのリズムが狂うと必ず出て来る桑田選手等あの頃のヨーカドーは本当に凄かったですね。
そして当時の監督さんの方針で選手を練習漬けにせず他のチームとは違いバレーと私生活の区別を付けていたともよく言われていましたね。
5015
:
カルバハル
:2018/02/21(水) 09:27:39
イトーヨーカドー
一人、一人は大した事ないけど6人揃うと魔女の不思議な力をはっきりすると言われた東洋の魔女と似ていて12人がチームになると凄い力をハッキするチームですね。チームワークが素晴らしいチームでした。日本が目指すバレーボールのヒントが見え隠れしますね。チームワークが一番の武器のチームは主力が全日本から戻ってくると、チームワーク作りは大変だったと思います。イトーヨーカドーか連覇出来なかったのは、そのへんでしょう。甲斐千穂は、これ以上は出来ないと言われた究極のライトアタッカーです。金子志保が黒子になってトスワークするから、読まれ難いですね。中田久美とは真逆と言うかセッターは、こうであれの見本です。
5016
:
ハヤシ
:2018/02/21(水) 10:45:31
何を言ってるの
ヨーカドーの益子直美を忘れてはいけませんよ。プレーもですが、益子はコート外でもチームの人気者。和やかな雰囲気を保ち、ムードメーカーでしたから。益子の人間性がもたらした優勝でもあるしチームワークなのよ!
5017
:
元選手
:2018/02/21(水) 10:46:14
コンビバレーをあわすより
チームワークを合わす方が難しいですね、コンビバレーの練習するようなパスはセッターには、なかなか入りませんから、コンビバレーの練習もセッターを動かしてパスの練習しないと意味が無いです。それよりチームワークは遥かに難しいてす、
5018
:
今の人
:2018/02/21(水) 11:56:25
伊藤ヨーカ堂
益子直美
金子志保
篠原孝子
甲斐千保
堀順子
藤原勝美
の仲良し同期6人でしたね。
打倒・日立!!を掲げて猛練習した同期です!
5019
:
カルバハル
:2018/02/21(水) 13:16:51
遠い想い出
春高校バレーの準決勝、八王子実践と共栄学園の試合を観て益子直美がジャンプサーブからバックアタック、前衛でも後衛でも打ちまくり八王子実践の連勝記録がストップしました。大林はセンターでしたが益子一人、やられた試合でした。
5020
:
バレーファンの声
:2018/02/21(水) 13:23:41
益子直美
まさか芸能人なかなると思いませんでしたね。下町のマコちゃんて感じでした。芸能活動もバレーボールから離れてても、トークは上手ですね。オリンピックの年だけ全日本の選考に漏れたのは日立のラブコールを振り切って、イトーヨーカドーを選択したからでしょうか?美人選手だから日立に行ったら餌食になりそうです。
5021
:
バレーファンの声
:2018/02/21(水) 13:28:40
大江千里さんとNHKのトップランナー?
番組、良かったですね。バレー馬鹿では無い事が判りますね。中田久美じゃ無理でしょう。レコーデングもしたり、本も出してますよね。バレーボールに、シガミツイ無い感が良いですね。
5022
:
アルタガモワ
:2018/02/21(水) 15:38:50
カルバハル様、元選手様
私は今までAパスに拘って来た人間ですが数日前に初めて、元選手様が仰る通りわざとAパスでは無い(わざと)も必要だなと改めて感じました。岡山シーガルズと椿本監督のチームとの試合で岡山の何気無いパスが本当に「いい加減にしろよ!」と言う様なアタックライン付近に返り「あ〜レフトに上げるんだろうな!」と思っていたらバックトスでブロードに上げました。勿論相手チームも乱れたキャッチと判断して岡山のレフトにバッチリ二枚付いていました。宮下もセンターが川島だったから上げたのかもしれませんが完全一枚ブロックで川島は既に跳んでいて相手レフトのブロックをかわし一枚ブロック(ほぼノーマーク)でアタックライン付近に落としました。なので敢えてAパスでは無い所からの速い攻撃やコンビも必要だなと改めて思いました。
後いつも思うのですがキャッチが乱れクイックにはトスを上げないのにセンターが適当な囮のつもり(囮にならない囮のつもり)に跳んでいる場面をよく見ますがそんな事して要らない体力使うよりはなからフォローに入った方がボールがコートに落ちにくく効率的だと思います。さっきの話とは少し矛盾しますが。
そう言った乱れてるキャッチから速いトスをまわすとか阿吽の呼吸ってただ練習で良いキャッチからの練習からだけではなかなか試合では活かせないなと思いました。
昔は乱れても縦のBとかよく見ましたがそう言うのももう数十年見ませんもんね。
何が言いたいかと言うと今五輪をやっていますが私達の想像付かない次元の事に拘り練習、プレーしてますがバレーもそう言う所からやり直しても良いのではないでしょうか?
ハヤシ様が益子選手の投稿に少し不満を感じておられるのかも知れませんがそれは敢えてわざわざ言わなくても皆が益子の経歴を知り尽くしているからではないでしょうか?
益子、斉藤真由美選手の二人美人選手が二人も揃ったチームはあの時から越えるチームは存在して無いと私は思います。新鮮味のある斉藤の方がマスコミでは取り扱いでは上でしたが顔と性格では断然益子選手の方が上だと私は思います(かと言って斉藤真由美の性格が悪いとは言いませんが)今は二人ともそれぞれ充実した人生を送っている様に私は感じます。
昭和40年生まれのカルテット、石掛の派手な年に生まれた選手達より41年生まれのヨーカドーの選手や中西選手達の方がクレバーできめ細かいバレーをしていましたね。
5023
:
岡目
:2018/02/21(水) 15:55:49
41年生まれ
益子、中西、金子、椿本、三田村、篠原、川瀬、甲斐、原賀と実業団チームで活躍しましたが、1つ上の宮島&中野率いる八王子実践の三冠王のレギュラーの新橋結佳や軍司さやか、四天王寺の小谷智佳子は、大学進学しましたが、かなりの差が出ましたね。
5024
:
カルバハル
:2018/02/21(水) 17:22:49
あくまでも練習なんだから
Aパスばかりセッターにパスしても試合では活かされないです。ネット上ギリギリとか低いパス、セッターが走り舞わないとダメなパスとかが試合では通常です。勿論Aパスでセッターに返すのが前提ですが実際をかみした練習をしないとダメですね。よく勘違いするセッターが居てパスがセッターにAパスから外れるとトスを上げないでパスした選手を怒りAパスさせてコンビバレーの練習ををする勘違いセッターて以外と沢山居ます。何時もAパスしか返さない鉄壁な守備は、そもそも有りません。レシーバーがボールを上げてくれた事を感謝して、セッターはトスワークをしないと、練習でコンビバレーは合ってましたが試合では使えませんになります。
5025
:
元選手
:2018/02/21(水) 18:43:59
下手くそなパス
それを、コンビバレーにしたり綺麗な放物線を描くトスや平行トス上げてアタッカーが決めてくれるのがセッターの醍醐味です。悪いパスもアタッカーが打ちやすいボールに変えるのがセッターの役目です。中田久美はパスが悪いとオープントスを杉山に馬鹿の一つ覚えで上げてましたね。パスが入れば江上、三屋、廣、パスが悪ければオープントス、一流セッターでは無いです。アタッカーは読まれたブロックをかわしてスパイク打つのは大変
5026
:
元選手
:2018/02/21(水) 20:10:12
流石のキューバでも
90年代のチームは、あそこまで優秀な選手は揃えられないでしょうね。オリンピック三連覇は偶然同じ時期に揃った事は確かですね。今日のキューバは強いキューバを知ってるだけに目を覆うような感じです。あのキューバチームなら今の中国女子にも勝てる感じしますね。シュ ティをトーレス、カルバハルならシャットアウトできると思います。
5027
:
バレーファンの声
:2018/02/22(木) 05:59:45
平昌オリンピック
チームパシュートを観戦して、やはりチームワークに勝るものは無いと思いました。女子バレーは男子バレーより個の力よりチームの力が大切、身体能力の高いキューバでさへ歴史に残る選手が揃わないとオリンピックチャンピオンになれない。中田久美監督、理解して欲しい。
5028
:
昔の人
:2018/02/22(木) 07:23:28
コンビバレー
コンビバレーが合ってるからチームワークが出来てると勘違いしてる人と意外と多いと思います。レシーブもブロックと連動してるしトスもレシーブと連動して呼吸を合わせないとダメです。試合観戦だと判りにくいですがムードメーカーて必ず必要な選手でメンタル面が重要な競技だからです。少しでも自信がなさそうな表情をすれば、その選手をサーブが狙ってきます。また、どんなに、凄いコンビバレーが出来ても、せいぜい多くて一セット1回か2回です。
5029
:
アルタガモワ
:2018/02/22(木) 08:49:06
だから。
ウッドストラ、ニクーリナ等の様な一見何で居るの?と思われがちな選手の存在が必要なんでますよね。
5030
:
れば、たら
:2018/02/22(木) 09:56:45
ヨーカドー
あの廣紀江をスカウトしてましたね。
5031
:
元選手
:2018/02/22(木) 11:53:09
佐藤尹知子
判りやすいところでムードメーカーも兼ねてるリリーフエースですね。
5032
:
昔の人
:2018/02/22(木) 12:11:37
ウッドストラ
テレビ観戦だけだと、なんで居るんだろうと思います。対、郎 平、対策にセンターで控えにまわったフラックマイヤーをライトアタッカーにポジショニング変えてトレーニングしたらブロックも高くなるのにと思いますがチームワークの面、キャプテンでメンタル面、ムードメーカー的な存在まで考えると試合観戦だけでは、判らないチームの事情、チームを支えてる選手なんだと思い浮かべますね。やはりチームワークを支える選手は必要ですし、チームワークを乱す人は治してもらわないとチームは強くなりませんね。
5033
:
アルタガモワ
:2018/02/22(木) 13:22:47
ようは・・・
白井、江上、朗平そしてミレーヤルイスが6人揃っても試合には勝てない。
それぞれの太陽の様な存在、月の様な存在・・・そしてそれ以下に思われる数字に表せないチームを補正出来る選手が如何に大切か?と言う事ですよね。
5034
:
短足
:2018/02/22(木) 14:28:49
それなのよ
梅津が入るとムードが変な感じになるのは。
ダメウーマン一美!!
チームのコート内の6人と言うより、相手の宮島ばかり見てて、睨みつけてたら他の5人が引いてるのよ。
そこなのよ、ウッドストラと梅津一美の違いは。
5035
:
ちゃらい2号
:2018/02/22(木) 14:45:22
ガラマッチ
昔、中国対世界選抜が行われ、正に世界の強豪選手が集められ組んでも、単体の中国には勝てなかったわね。
5036
:
カルバハル
:2018/02/22(木) 15:38:38
そうです。
個人、個人の力が凄いセッターを集めた世界選抜、言葉の壁もありますが、チームとしての機能は出来ません。最近の良い例は男子陸上のリレー、平昌オリンピックのチームパシュートなんかは良い例ですね。バレーボールは更に、もっと複雑なチームスポーツ競技です。昔は6人が力を合わせれば、何とか出来たかも知れませんが今は12人総動員して勝てるか勝てないかです。ロスオリンピックあたりから18才カルテットなんてソウルを見込んでメンバーに入れる余裕なんて無かったんです。ソウルで花が咲く保証なんて無いからです。前に書かれてたと思いますが東洋紡の北井、井上、田渕とかをメンバーに加えて強化してたら準決勝の惨敗は無かったと思われますね。ソウルのメンバーも何人かは、その時点では?な選手が居ますがチームの支えになったのか?洗濯係りだけだったのかは?です。しかし洗濯係りとしても役に立たないチームワークを乱す選手も居たと思います。大接戦でペルーに負けて、3位決定戦で全く気持ちが立ち直れないまま惨敗したのは、やはりチーム内で問題があったからだと思います。ソウルのチームは丸山が、何とかまとめたインスタントチームです。金メダルのソ連に勝っても3位決定戦の惨敗、ペルーに大接戦で敗けた。東ドイツにも競り敗けた。開催国、韓国に逆転して振り切ったと安定してないのは、チームワークに問題があるからです。
5037
:
カルバハル
:2018/02/22(木) 15:41:23
凄いセッターでなく選手でした。
変換ミスです。
5038
:
ナンシー堀
:2018/02/22(木) 16:09:59
カルバちゃん!
私の突っ込む前にナイス!投稿ね!!
間違えに気付く、、、それが1番よ!!
世の中、自分が1番だ!!私が正しいのよ!!の人、いるじゃん!!
ここに集まる人は、そーであって欲しくないのよ!!
頑張ろうね!!
5039
:
ていたらく
:2018/02/22(木) 20:15:15
チームの雰囲気
確かに梅津だと盛り上がらないですね。暗い陰湿なムードがテレビ観戦でも感じますね。チームスポーツなんですが個人的な怨みか何かで一人だけ浮いて試合するとチームワークにも影響しますね。セッターも梅津にボール上げないと怨まれそうです。選手交代したら監督も引退した後に梅津に怨まれそうです。嫌〜気持ちにさせますね。チームワークを重視するチームスポーツには不向きですね。でもバレーボールだったから、まだ良かったかも?知れませんよ。これがネットを挟まないバスケットボールだとかなら、宮嶋はボコボコに、やられてたかも?知れませんね。学校の球技大会とかバレーボールとかは乱闘は滅多にないですがバスケットだと起きますね。バレーボールだとキューバの女子とブラジルの女子で乱闘騒ぎがありましたね。ネットを挟む事で平和を保てます。
5040
:
昔の人
:2018/02/22(木) 20:17:28
バスケットボール
中田久美とは、やりたくないですね。同じチームでも嫌です。
5041
:
老婆
:2018/02/23(金) 08:39:24
周暁蘭って
ロス五輪代表にはなったんですか?
レギュラーではなく控えですか?
5042
:
アルタガモワ
:2018/02/23(金) 10:03:58
代表ですね。
控えでした。実際に梁艶や楊暁君に代わって試合に出たかわ私には分かりません。
5043
:
いとじ
:2018/02/23(金) 11:59:21
たしかに
梅津はムードと言う点では全くない。
ダイエーの同期の小野、堀、松沢、森、普通には接してたんでしょうけど、この同期の中でも暗い・陰湿な雰囲気で1人浮いてた。
ちなみに同期では古川商の佐藤恵美と仲良しだった。その佐藤も暗い感じの選手。
やはり似た物同士仲良くなるんでしょうね。
男澤和江にしろ、松沢緑にしろバレー雑誌の対談でも
(宮島の存在が??)と話を振られてた。ほんと常日頃、ダイエー時代の仲間も分かる位、宮島の事を言ってたのかもしれませんし、米田監督がはっぱかけてたのでしょう、梅津に。
練習時にレシーブで取れなければ(宮島なら取るよ!)とか、スパイクでミスをすると(宮島ならここでインナーに打って決めるよ!)とか。。。
やはりムードないエースはダメ!!
一時、杉山加代子もダメなレッテル貼られてましたが、別格(ベテラン)になるまで鍛えぬき、更なる成長し、大黒柱になった事で言われなくなりましたね。
白井貴子、横山樹理、奥嶋桂子、森田喜美枝、大谷佐知子、佐藤伊知子、宮島恵子、斎藤真由美、中村和美、中野由紀、大懸郁久美、向井久子等々、皆さんガッツ、笑顔、雰囲気がありました。
5044
:
元選手
:2018/02/23(金) 12:47:10
周暁蘭
孫晋芳、郎 平、周暁蘭の3人が81年ワールドカップで世界チャンピオンなった中国チームの大黒柱です。周暁蘭は美人でも有名です。82年世界選手権前にも虫垂炎を起こして世界選手権では梁 艶にポジションを譲りましたが控えで試合にも出てます。その後、中国の主力の孫晋芳、陳招ティ、楊 希、陳亜リョウ、曹慧英は引退しましたが周暁蘭はロスオリンピックまで中国チームメンバーでした。中国は両センター楊暁君、梁 艶の若いセンターラインでキャリア的にも、また孫晋芳の後がまの楊錫蘭が正セッターになったばかりセンターに弱点があると言われ83年アジア選手権で世界一と言われた日本の江上、三屋のセンターラインを中心としたバレーボールにやられましたが、その時は控えのセンター周暁蘭と朱 玲が頻繁にコートに入り若いセンターをフォローしました。全盛期を過ぎた周暁蘭は袁韋民監督に君は常に活躍するのは厳しいがチームには必要な残ってくれた貴重な古参の選手だから頑張ってくれと言われました。ロスでは周暁蘭はコートには1回も入らなかった選手でしたが、チームのムードメーカーか心の支えなのかは?ですがロスでは金メダルを貰い引退した選手です。その後、著書を書き中国では大ヒット作家になりました。77年の世界ジュニア選手権の時は日本、韓国、中国が一勝一敗になりセッター率で韓国が優勝してますが、中国女子ジュニアのメンバーだった周暁蘭は将来性No.1と言われ、そのまま77年ワールドカップではレギュラーセンターになった選手です。因みに同じジュニア大会に出た日本選手は須藤佳代子がキャプテンで江上由美も出場して、77年ワールドカップの金メダリストになりました。
5045
:
アルタガモワ
:2018/02/23(金) 14:00:55
ありがとうございます。
周暁蘭の情報ありがとうございました。確かに美人でしたね。
しかし83年アジア選手権に出た時には生沼さんが「周暁蘭ちょっと細くありませんか〜?」って言われてましたね。それよりは朱玲は出てもやる事なす事酷かったですね。サーブで同じメンバーにぶつけた様な当たって無い様なシーンがありましたね。
77年ジュニア大会須藤、江上そして横山樹理はいなかったのですか?また教えて下さい。
5046
:
ナンシー堀
:2018/02/23(金) 14:19:19
樹理は
1977世界ジュニアいないわよ。
須藤より先輩だし。
他には森田喜美枝、橋口英子、奥嶋桂子、池知晶代などがいたわ。
5047
:
昔の人
:2018/02/23(金) 17:59:24
第一回世界ジュニア選手権
当時は、どの時点でジュニアかシニアか分けたかは不明です。須藤佳代子は昭和32年4月1日生まれなんで日本では学年は江上由美より一つ上の学年になります。専門誌には確かに写真付きで将来性No.1に周暁蘭が記載されてますね。海外は日本程、戸籍がハッキリと管理されないので年令はオーダーメンバーでは一年経過しても同じ年令とか急に年をとったり、年をとらない事は頻度にありますね。体操選手なんかは、年令を偽って世界選手権とか出場させた話しもあります。キューバなんかは多々あります。また年令だけでなく身長も変わりますね。昔の名選手のリスカルなんかは172?〜176?まで幅があります。日本と比べて、アバウトなのは海外旅行すると良くみかけますよ。特に時間に対してアバウトです。日本の電車が定時運行するのが、当たり前ですが海外は定時運行は、そんなに正確でも無いし、待ってるお客さんも日本人みたいに定時に電車が来なくてもイライラしないで、のんびり、マイペースで待ってます。戸籍に関しては日本は明治政府が、しっかりしてたから、正確ですが海外は、そんなに、しっかりは?ですね。中国も文化大革命で沢山、書物とか焼却されてるし、教育は不要のような時代を経てきた当時の選手の生年月日が正確か、どうかは、どちらかと言うと不正確だと思います。中国が文化大革命後に始めて世界的な大会に出場したのが77年ワールドカップです。文化大革命前、中国は世界選手権は第一回から出場していて六人制バレーボールは日本より進歩していて日本の先生だったんですよ。東洋の魔女の前の話しで中共と呼ばれて国際的には中国より台湾の方が認めらた国の立番でした。試合の観戦はしてませんが周暁蘭が専門誌の写真に白黒で記載されてる事は確かです。出版社が写真記載ミスしたかは?ですが、日本も、またまだアナログな時代です。
5048
:
ナイト07
:2018/02/23(金) 18:05:36
ナンシー、、、って
ゴンザレス さん ですかね!?
カルバ・ナンシー 古豪 のお二方手強し!
5049
:
ナンシー堀
:2018/02/23(金) 19:34:21
はぁ?
何言ってんだか???
5050
:
アルタガモワ
:2018/02/23(金) 21:20:58
ありがとうございます。
てっきり勘違いしてました。樹理と須藤が同い年だと思い込んでました。須藤、江上、森田が同じ32年生まれだったんですね。そして樹理と上記の三人の間が水原(学年は須藤と同級生)と言う事ですね。
タラレバですがもし須藤選手が日立に入ってて怪我をしてなかったらロス五輪にはギリギリ行けたかもしないですね。須藤選手のスパイクは77年W杯でライトからのスパイクを一回しか見た事が無かったもんで・・・もっと見たかったです。
中国、確かに昔は「中共」って表現してましたね。確かに中国って今でも一人っ子政策等の影響もあり国籍が無い人もいるらしいですもんね。実際の年齢やプロフィール等も80年代物前後ではまだまだ正確では無かったかもしれませんね。
5051
:
アルタガモワ
:2018/02/23(金) 21:35:32
ナンシー様
ナイト様は多分「ナンシーゴンザレス」からのナンシーって仰っているのだと思います。
私は勝手に「ナンシー久美」から来たものかと思ってました。
5052
:
昔の人
:2018/02/23(金) 21:46:04
おそらく、ペンネーム
女子プロレスのナンシー久美+ジャンボ堀の合わせ技かな?ゴンザレスてセッター、ナンシー、ゴンザレスより、ラサラ、ゴンザレスの方が凄かったですね。16才位でデビューして稲妻少女とか言われてましたが、ミレーヤ、ルイスが現れてから注目度がミレーヤ、ルイスになりましたが、センターにカルバハル、トーレスが出現したら居なくなりましたね?オリンピック出場したのかなあ?ナンシー、ゴンザレスも、セッターとは思えないスパイクを打ちました。ソウルオリンピックにキューバは不参加じゃなかったら金メダルでしょう。
5053
:
アルタガモワ
:2018/02/23(金) 22:26:17
確かに!
ナンシーゴンザレスよりラサラゴンザレスと言う言葉の方を圧倒的に耳にしましたし。「ラサラ」より「ナンシー」の方が日本人にはインプットしやすい筈なのですが・・・人のHNをあれこれ不快に思われたらすみません。
5054
:
バレーファンの声
:2018/02/24(土) 07:42:16
夏色のナンシー
早見優のヒット曲やナンシーて英語の教科書で出てきそうな名前だから印象が強いんでしょうね。バレーボールなら、やはり、ラサラ、ゴンザレスでしょう。イヌマ、ゴンザレスて女子プロレスラーも居ましたね。ナンシー堀さんてステキなHNですよね。ナンシー久美もジャンボ堀も美人レスラーでした。ライオネス飛鳥もバレーボールとソフトボールしてましたね。
5055
:
元選手
:2018/02/24(土) 07:57:55
キューバ女子
バルネット、Eディアス、テリエス、ポマレス、ペレス、Aディアス、ウルヘリエス、ガルシアと78年世界チャンピンオンになりましたが再び89年ワールドカップで世界チャンピンオンに返り咲くまで11年も経過しました。今のキューバは、もっと時間かかり、そうですね。北中米と言えばキューバ、アメリカ合衆国て感じでしたが今はアメリカ合衆国、ドミニカ共和国ですね。プエルトリコも世界大会に出てきますね。カナダ、メキシコはイマイチですね。ペルー、キューバまた活躍して欲しいです。
5056
:
カルバハル
:2018/02/24(土) 08:24:25
モスクワオリンピック
日本、アメリカ合衆国、中国がボイコットでソ連、キューバ、東ドイツ、ペルーの予選B組みに強豪が集中して(A組みは、ルーマニア、ハンガリー、ブルガリア、ブラジル)でキューバは初戦に東ドイツ負けて、予選最終戦にソ連に負けて予選落ち5位でした。初戦は、調子が乗らなかったのかも?知れません。調子さへ上がってればメダルは取れたと思います。因みに日本の代替え国は前回モントリオールオリンピック4位の最上位国のハンガリーでした。金メダルソ連、銀メダル東ドイツ、銅メダル、ブルガリア、ハンガリーは4位です。ボイコット騒ぎで強豪がBに集り過ぎるから組合せ抽選、やり直し案もありましたが結局無しで、キューバの予選落ちでヨーロッパ選手権みたいな大会でした。ボイコットがなければアメリカ合衆国、中国、日本は予選同じグループです。参加してたら金メダル確実みたいに報道されましたが、アメリカ合衆国、中国は、ボイコットして日本が出場してたならの話しですから勘違いする人が多いです。みんな参加してたら、中国が金メダルだったと思いますよ。
5057
:
元選手
:2018/02/24(土) 09:21:11
朱 玲
81年ワールドカップ金メダルメンバーでしたが82年世界選手権に参加してません。生沼さんが周暁蘭、少し痩せたみたいと発言したのは82年世界選手権の日本戦で梁 艶と交代した時の発言だと思います。梁 艶は81年ワールドカップにも出場してますが控えで明らかに格下チームと対戦する時には出場してバンバン、速攻を決めてました。梁 艶も美人選手でした。5つの金メダルを持ってます。鄭 美珠は82年世界選手権デビューで陳招テイのポジションに入りいきなりレギュラーでした。朱 玲はロスオリンピックでもセンターの控えで活躍しました。82年世界選手権で代表から外れてたのは何故でしょうか?層の厚い中国で代表から外れて復帰した選手は当時は朱 玲位です。やはりセンターが弱点だったんで復帰できたんしょうね。83年アジア選手権にも朱 玲は参加してます。
5058
:
ナンシー堀
:2018/02/24(土) 09:21:41
うれP
私のHNで盛り上がるなんて。。。
ナンシーゴンザレス、カルバナンシー、ナンシー久美、ジャンボ堀、早見優、夏色のナンシー、ラサラゴンザレス、イヌマゴンザレス、ライオネス飛鳥と色々と出てくるもんですね。
5059
:
昔の人
:2018/02/24(土) 14:39:33
中国女子の世界チャンピンオンになるまで
文化大革命後、最初のチームのレギュラーは孫晋芳と陳招テイのツーセッター、センターはキャプテンの曹慧英と周暁蘭のセンターとレフトは日本で人気者の楊 希と張容芳でした。ワールドカップ4位、78年世界選手権は曹慧英が怪我をして77年ジュニアのキャプテンの韓暁華が入り世界選手権は6位でした。その年のアジア大会で楊 希から郎 平に交代しましたが日本はサーブで郎 平を狙い日本は優勝、79年アジア選手権は韓暁華が抜けて23才で代表入りした、針金将軍と言われた陳亜凉が入り孫晋芳のワンセッターに切り替えて始めてアジアチャンピオンになり、郎平、張容芳、陳亜凉、周暁蘭、陳招テイはライトアタッカーに変り孫晋芳のワンセッターで81年ワールドカップで始めて世界チャンピンオンになりました。
5060
:
元選手
:2018/02/24(土) 14:53:19
朴美姫
77年世界ジュニア選手権では韓国が優勝しました。そのメンバーに確か14才の朴美姫も出場して活躍したと思います。指導者としても活躍してるようで中田久美も見習って欲しいです。
5061
:
ていたらく
:2018/02/24(土) 15:21:14
ナンシー関も居ました。
お亡くなりましたね。
5062
:
ナンシー堀
:2018/02/24(土) 16:13:29
ヤンシー
と言われていました楊希。
5063
:
昔の人
:2018/02/24(土) 18:10:52
日ソ合作の映画
ナンシー、ケリガンとトーニャ、ハーディングてフィギュアスケートの選手が居て映画化されましたね。また日ソ合作のバレーボール映画ありましたね。つまらない映画でした。
5064
:
コダマ
:2018/02/24(土) 18:23:01
ナンシーと言えば
ナンシー久美とビクトリア富士山のゴールデンペアもあったな。
5065
:
昔の人
:2018/02/24(土) 18:59:15
ダイナマイトギャルていましたね。
大森ゆかり、ジャンボ堀は美人ペアですね。ナンシー久美とジャンボ堀はペアだったのかなあ?人気はあったけどクラッシュギャルズは美人ではなくボーイッシュな感じですね。バレーボールだと昔、泉州高校が女子バレーなのに頭は坊主頭でしたね。年頃の女の子に坊主頭は厳しいです。髪切り試合でもした訳でも無いのにね。
5066
:
元選手
:2018/02/25(日) 17:54:56
候玉珠
環太平洋選抜横浜大会で日本に負けたメンバーで186?の李桂芝の方が活躍したけど猿偉民監督はジュニアのからシニアに選んだのは候玉珠でした。他にも李延軍、楊暁君、蘇惠娟、姜 英が加わりロスメンバーが出来ましたが李桂芝は何故?選ばれなかったでしょうかね?その候玉珠もロスではアタッカーでなくてピンチサーバーですからね、アジア選手権では候玉珠のサーブは全く機能してませんが、ロスオリンピックでは秘密兵器の必殺サーブになりました。ロスオリンピックの日本はアジア選手権のチームの、そのままコピーしたチームでは、やはり勝てないですね。なんちゃってカルテットの分が、やはり、勿体ないです。オリンピック後も李桂芝は中国ナショナルチームに入りませんでした。山田監督は李桂芝の評価は高かったんですけど?
5067
:
昔の人
:2018/02/26(月) 05:15:53
86年世界選手権
中国女子チーム5連覇した。チーム、姜 英、候玉珠、鄭美珠、楊錫蘭、楊暁君、梁 艶のチーム、チームの大黒柱だった張容芳が監督、郎 平がコーチなり決勝戦でキューバを破ったバランスが良いチームですが、隙の無い完成されたチームで全員のチームワークが強かったチームの印象があります。スーパースターが居なくてもチームワークで勝ちました。
5068
:
ナンシー堀
:2018/02/26(月) 08:53:14
コマダよ
ビクトリア富士美!!
富士山って相撲取りみたいじゃないのよ!!
間違えないで、富士美ちゃんの事!!!
5069
:
カルバハル
:2018/02/26(月) 21:04:33
楊 希
77年ワールドカップに中国の百恵ちゃんと言われて人気爆発しました。78年世界選手権も活躍しましたがアメリカ合衆国に敗れて6位でした。レフトは楊 希と張容芳でしたが78年アジア大会は郎 平がレギュラーになり楊 希が、ベンチに下りました。179?の楊 希と174?の張容芳のレフトラインが郎 平、張容芳のレフトラインになりました。身長やブロックの高さを考えれば楊 希と郎 平のレフトラインになると思いましたが楊 希は、その後は控えのレフトで82年の世界選手権まで中国女子チームに在籍して引退しました。世界チャンピンオンになるまでの古参の選手はレギュラーは郎 平と張容芳のレフトラインだけ、控えも周暁蘭と復帰した朱 玲だけになりましたがアジア選手権に日本に負けましたがロスオリンピックは金メダルを取りました。その時はキャプテンは張容芳でした。楊 希と比べても背も低い張容芳でしたか、上手さとキャプテンシーをロスオリンピックで郎 平以上に活躍して猿偉民監督が楊 希をレギュラーから外して郎 平を使い続けた意味が少し判りました。身体的に手足の長い楊 希より張容芳を使ったのは、やはりチームワークでのリーダーシップ力のある張容芳を使い続けた猿偉民監督の考えが判りますね。バレーボールは高さだけでは無いと思います。
5070
:
ナイト07
:2018/02/27(火) 01:18:08
この試合ですね
楊 希 さんのでてる試合。
https://www.youtube.com/watch?v=shGD8sDR9Ok
5071
:
ナイト07
:2018/02/27(火) 01:25:24
Moscow Final
モスコわ決勝戦 です。
https://www.youtube.com/watch?v=H1xgIdV9QqI
5072
:
ナイト07
:2018/02/27(火) 01:28:26
中国 5冠達成
決勝戦 : 解説荒木田さん
https://www.youtube.com/watch?v=tbqTup4UKaw
5073
:
元選手
:2018/02/27(火) 09:23:14
身長だけ見ると
楊 希より張容芳が低い、周暁蘭より梁 艶が低い、陳招ティより鄭美珠の方が低いです。李桂芝より候玉珠の方が低い豊富な人材が居る中国で競争相手より低い選手、或いは後任の方が背が低い選手がレギュラーメンバーに入る時は、やはり、ただ者ではない選手ですね。
5074
:
ナイト07
:2018/02/27(火) 12:43:34
キャッチとデイグが 上
なのだと思います。張容芳、梁 艶、鄭美珠、候玉珠らは。
それとメンタル面がハンパない。
候はロス五輪で究極な場面でサービスエースを何本も決め、袁(猿ではないですよ)のお気に入りになった。
梁 はブロックの天才、タイミングを読むのが抜群。
鄭 も強心臓で歴代最高のオールラウンダー、、今の新鍋よりも上です。
張 は コンピューターとも言われていたくらい、ゲームの流れを読む・変える能力に優れている リーダーシップの強い選手でした。引退後もバレー会の重鎮であり続けてきた。
5075
:
カルバハル
:2018/02/27(火) 19:13:32
おっしゃる通りです。
周暁蘭の高いブロックは梁 艶より高いです。陳招ティはトスも上げるアタッカーです。楊 希は高さから手首を効かすコース狙うアタッカーです。李桂芝は高さとパワーのあるアタッカーで勝れてる点もありますが、やはりメンタルが梁 艶、鄭美珠、張容芳、候玉珠が勝ってたんでしょうね。ソウルの時は鄭美珠がピンチサーバーで控えにまわった事は驚きました。鄭美珠のポジションに巫 丹が入りましたが巫 丹はスピードがありスマートなバレーボールしてました。中国得意のダブルブロード攻撃を最初にしたのは巫 丹だったと思います。後に巫 丹が、ドーピング問題がありました。
5076
:
昔は選手
:2018/02/27(火) 19:39:12
77ワールドカップ
当時は日本とソ連だけがワンセッターで他の参加チームはツーセッターでした。ツーセッターと言えばキューバの印象深いと思いますがキューバのテリエスとガルシアのツーセッターは力量が少し差がありましたね。スパイクもトスワークもテリエスが力量的にガルシアより、かなりありました。個人的にはテリエスのワンセッターでも良いのになあ?と思ってました。また中国の孫晋芳と陳招ティのツーセッターも素晴らしく、78年世界選手権以降は孫晋芳のワンセッターに変えたのは孫晋芳が左利きでライトアタッカーで二段トスは打てるし、ライトアタッカーもセッターを務めてた陳招ティと変わらないのなら何故?わざわざ、ワンセッターにするのか不思議に思いました。個人的にはツーセッターで勝れてると思ったのは韓国の劉敬花、柳貞恵(尹)のツーセッターは完成されたツーセッターでした。高さが無い分、ツーセッターで補った韓国女子チームはモントリオールプレーオリンピックで日立にストレート勝ちした実績もあり、その後ツーセッターのノウハウがある韓国が何故?ワンセッターに切り替えたんだろうと思いました。今の日本女子チームは、世界に対して頼れるアタッカーが存在してないのなら、やはり守備を固めてツーセッターも世界に対抗する1つの選択肢だと思います。何処の実業団チームでも構わないから、ツーセッターを試みるチームは無いんでしょうかね?ツーセッターの方が難しいのは確かですが非力な日本にはバックアタックを含めてリベロ以外はスパイクを打てるチームを目指して欲しいです。サーブレシーブは全員して全員が攻撃に参加出来るチームが非力な日本としは理想です。しかし、どこのチームも今はワンセッターですね。ツーセッターのバレーボール久々に観たいです。
5077
:
元選手
:2018/02/28(水) 07:20:28
ツーセッター
理想はツーセッターです。一人引退したら、一人入りガクンと戦力が落ちる事がないからです。でもツーセッターは厳しいですよね。非力なチームを補う事も出来れば2人のセッターと合わすのは難しく自滅しますからね。
5078
:
バレーファンの声
:2018/02/28(水) 11:19:44
観てみたいですね。
韓国女子チームのツーセッター劉敬花、柳貞惠、尹英乃、尹は東洋的にも所属してましたね。韓国のツーセッターはセッターはライトアタッカー?センター兼セッター?教えて下さい。
5079
:
昔の人
:2018/02/28(水) 11:24:57
その昔
成安女子高校がツーセッターで前衛に上がるとレフトのエースアタッカーに変身しましたね。川崎晴代選手は美人選手でした。共栄学園もツーセッターで優勝してます。男子は日本鋼管がツーセッターでした。昔は結構ツーセッターのチームありましたね。
5080
:
老婆
:2018/02/28(水) 12:39:55
専売広島も
下村英士と今村勝治もツーセッターで、下村がリーグでスパイク賞を獲得したわ。
5081
:
ナイト07
:2018/02/28(水) 13:26:18
world&old掲示板 の方が
最近盛り上がっているような!?
ベテラン揃いで、本当にバレーを熟知していらっしゃるので ここんところこっちの方が面白いです。
5082
:
カルバハル
:2018/02/28(水) 18:56:37
ツーセッター
最近のチームはワンセッターばかりですから、ツーセッターを見直す良い機会かも?知れません。攻撃力が増えるだけでなく、サーブレシーブが崩れた時などは、セットアップを省略して前衛のセッターがワンポイントでトスを上げるとチームも落着きますし冷静なトスワークが出来ます前衛は2枚になりますが今の時代はバッグアタックもありますからサーブレシーブが崩れた時に1つの選択肢にもなりますね。今の代表セッターは帯に長し襷に短しみたいですから、ワンセッターだけに、拘らないツーセッターも練習したら方が良いかも?知れませんね。相手チームもツーセッターに慣れて無いからツーセッターに戸惑うメリットもありますかも?知れませんし戦略戦術は増えますからね。ツーセッターが機能しなければ、ワンセッターに戻せば良いだけですが、ワンセッターをツーセッターに変えるのはリスクあります。リスクばから言われますがツーセッターもメリットも沢山あります。チームワークがより大事になりますが、皆で協力してマイナスな部分を補う意味でツーセッターもありかな?と思います。沢山練習すればツーセッターのチームも成功します。他のチームがツーセッターを、やってない今がチャンスかも知れませんね。
5083
:
カルバハル
:2018/02/28(水) 20:58:54
下村選手
素晴らしいセッターでしたね。ドーピング検査で陽性になりましたが原因が判らず体質から陽性になったとか、ならなかった灰色のままで終わり気の毒だった選手でしたがスパイクもバンバン決めるセッターでした。ツーセッターの難点は二人の力量が違い過ぎる時ですね。確か韓国女子チームの劉敬花がセッターになると戦力が落ちるとも言われてましたね。劉敬花のトスワークに問題は無いんですが劉敬花は前衛でアタッカーになると攻撃力が、かなりあるので、そう言われてました。キューバのテリエスも攻撃力が対角セッターのガルシアより、かなりありました。
5084
:
久しぶり
:2018/03/01(木) 03:26:08
中西千枝子
セッターですが、小さいけどスパイクを打ったらチーム1だったとも。
あり得ませんが、中西と永富有紀でツーセッターを組んだら、中西のトスさばきと永富のゆったりとした
リズムと混ざったらどうなるものでしょうか。永富も日立でアタッカーでレギュラー歴があります。
興味で書いてみただけです。すみません。
確かに技量の高い、スーパーコンピュータ的なワンセッターがまとまりやすいと思うのですが…。
今は人材がいない。かつての松田紀子、小川かず子、中西、竹下佳江はいない。
板橋恵、内田役子なんかもよかったのですがね。
中田久美は論外。
ワンセッターの人材もいませんが、ツーセッターとなるともっといない。
かつての共栄学園タイプのツーセッター(磯部絵梨子と温水麻子の前衛でツーアタックを打つタイプ)
でバックアタックをからめてシンプルな構成にしてみたらどうかなとも少し思うのですが、
その人材もいない。
個人的には、ロンドンで銅メダルに返り咲いた姿を見せてもらっただけでも、もう十分満足なので、
オリンピックのバレーボールは東京にて花咲き、東京にて散るでもいいと思っています。
それに、サイドアウト制でない今のバレーはあまりおもしろくない。
宮下遥も長くやってもセッター脳が開花しませんしね(そもそも、ない?)。
トスワーク以外の運動能力を考えると、「殺すには惜しい(鬼平犯科帖風?)」のですが。
男子の、もう鬼籍に入られた猫田勝敏選手のトスは、アタッカー思いのトスです。
前出の下村英二選手にもその心は受け継がれたのでしょうか。
5085
:
昔の人
:2018/03/01(木) 07:28:38
ツーセッター
ツーセッターを基本にして各チームが試合に出場する事を日本リーグの内規で決めたら長身のセッターが増えるんじゃないでしょうか?ツーセッターでもワンセッターでも出来るマルチセッターが増えれば層が厚くなると思います。
5086
:
昔は選手
:2018/03/01(木) 13:04:35
打てる大型セッター育生
昔は9人制から始まったので前衛センターのポジションがセッターでしたからセッターが背が高い選手も居ました。今の時代、大型セッター育生するには、やはりツーセッターでしょうね。指導者はツーセッターのチームを意識して作って欲しいです。昔、故小島監督はツーセッターを作るのは、まずは前衛に上がったセッターがボールを上げるチームを作り慣れてきたら後衛のセッターがセットアップするようにチェンジすれば、早くツーセッターのチーム出来ると言ってましたね。
5087
:
アルタガモワ
:2018/03/01(木) 17:27:34
本当に居なくなりましたね。
中西〜少し間を置いて板橋、内田、竹下等々皆に共通するのはアタッカーが小さかったり、普通レベルの選手達を操っていましたね。
佐和の板橋は中国五輪代表のハンブンリに依存する事無く日立佐和当時個人能力も身長もそこそこの選手達を巧く使い多治見、江藤の居るかつてのバレーエリートの日立に負ける事は無かった記憶がします。流石にソコロワを入れた日立には勝てませんでしたが・・・それでもなかなかの複雑なトスを上げていましたね。ジャンプトスでAクイックか?時間さ?なのか?ギリギリまで溜めて時間差をしたり観ててついつい応援したくなる様なチームでした。
次にセンターも江上程の国宝級は仕方無いけど個人的には森山淳子から杉山祥子、クイックは少し置いといてブロードなら任せとけと言った大友選手の様な選手が急に消えて行きました。
それにしても皆さん昔からのバレーを凄く研究され掲載して下さるので凄く楽しみにしてます。また色々と教えて下さい。
因みに男子の下村選手がドーピング騒動はいつの大会でしたっけ?言われてみれば何と無くそう言う事がありましたね。
5088
:
カルバハル
:2018/03/01(木) 20:25:13
ロス五輪です。
下村選手のドーピングはロス五輪です。ワンセッターでもツーセッターでも活躍しました。セッターと言えば、やはり故人、猫田選手の本当にセッターとして天性ですね。バレーボールでレシーブしたボールをトスにしてアタッカーに繋ぐ黒子の役目を専念してましたね。アタッカーの邪魔をしない。アタッカーのミスはセッターの責任、アタッカーがスパイクを決めたら、アタッカーに、ありがとうの気持ち、また小川かず子もトスを上げる時にアタッカーに打って下さいと心を込めてトスを上げてたと聞いてます。その後を継いだのが中田久美なのが残念ですね。セッターをやるには余りにも性格が合いませんね。気持ちが強いだけでは出来ないポジションです。山田監督が見間違ったと思いますよ。モスクワオリンピック前に三屋が全日本に召集された時に三屋がオーバーハンドパスが上手だから、セッターでも使えるんじゃないかと専門誌に記載された話しがありましたが記事的にはも三屋がセッターて話は、それ一回限りでした。オーバーハンドパスが上手だからて、セッターに向いてると思うのは、やはり違うと思いますね。オーバーハンドパスが上手であるのは最低条件です。しかし、オーバーハンドパスは基本プレーですが意外と難しいプレーですね。サーブレシーブやスパイクレシーブはアンダーハンドレシーブが殆どでセッター以外のオーバーハンドパスをする機会が、ぐっと少ないですからVリーガーでもオーバーハンドパスが下手な選手は沢山居ますね。あの銅メダリストの佐野優子がオーバーハンドパスが苦手な話は有名ですよね。オーバーハンドパスは何回練習しても下手な選手は下手ですね。サーブレシーブが下手な選手はレギュラーになれませんがオーバーハンドパスが下手な選手はレギュラーになれるのもオーバーハンドパスの不思議です。上手な方が良いですが、セッター以外のポジションは、アンダーハンドパスが上手な方が使いやすくです。基本プレーですが、オーバーハンドパスは天性がありますね。更にトスワークにするには沢山練習しないとセッターになれません。更に名セッターになるには安定した性格や判断力がある頭脳が無いと出来ない専門職です。更に大型選手、スパイクが打てる選手となると厳しいポジションですね。ツーセッターで、お互い補いながら経験を積んでいくしか無いでしょう。いきなり大型ワンセッターで宮下は育生された事が災いしてるかも?知れませんね。責任をツーセッターで半分にしてから育生してたら違ってたと思いますよ。男子の下村選手や嶋岡選手はツーセッターから始めたセッターです。始めからワンセッターとして大成功したのは猫田選手位です。松田紀子もアタッカー出身で最初は生沼選手の対角でツーセッターから始めました。
5089
:
昔の人
:2018/03/01(木) 20:46:48
チャンスボール
チャンスボールは基本オーバーハンドパスでセッターに返しますが相手もオーバーハンドパスが下手な選手にチャンスボールを返してくる事もありますね。オーバーハンドで早く正確にセッターに返すのが基本ですが下手な選手はドリブルを取られる可能性があるならアンダーハンドパスでスピード付けてセッターに返す方が安全だと思いますね。せっかくのチャンスボールをドリブルで台無したらチームのリズムが崩れます。バレーボールて不思議で特にサイドアウト制の時に多かったですが得点が全く取れなかったり連続で、ドンドン点数が入ってリズムスポーツて感じで面白かったですよね。ラリーポイント制になってから、余り感じなくなり、つまらなくなりました。ドリブルも最近は厳しく取りませんね。
5090
:
元選手
:2018/03/01(木) 21:17:56
世界と戦える選手はいない
セッターもセンターも昔からレフトは白井他は居ません。リベロもイマイチです。人材が居ないなら組織力で戦うしか無いです。サーブレシーブ免除は無し、ツーセッター、守備とサーブの強化、カーリング女子のように常に一緒に強化練習してチームワークを強化するしかないでしょう。
5091
:
アルタガモワ
:2018/03/01(木) 22:54:07
分かります。
本当にオーバーハンドパスの難しさ・・・個人的な話で申し訳ないのですが何十年やっても自分で上手に手の中に入ってパスを送れたと言う実感が殆どありませんでした。それがまた不思議な事にバックパスは何故か手の中にすっと入ってバックへすっと送れるんでふよね(勿論もうバレーはしてませんが)一言で言うと基本がなって無いのとセンスが無かったと自覚してます。
その分アンダーには自信がありサーブレシーブの時の球を適度に殺して持って行く、チャンスや繋ぎの球はその時々でスピードを調節したりあるいはモッチリ、ネッチリしたアンダーが自分なりに手応えを感じられていました。正にカルバハル様が仰る様に出来ないものはいくらやっても出来ないんですよね。
下村選手ロスの時だったんですね。気の毒でしたね。でも凄く長く現役で頑張られましたね!もしかして最高記録じゃないですか?
2セッターの件ですが一時江上と石田がやっていましたが私は確かユニチカ戦?の1セットしか見た事が無いのですがセンター2セッターではありませんでしたか?
タラレバですがあれを石田を若い時から1セッターにしたら全日本(日立)はどうなって居たでしょうか?
年代的に177センチあったのでオートマチックにアタッカーになったのでしょうが。そしたら石田もソウルまでは充分プレー出来ただろうし、中田のバカの一つ覚えの江上、三屋のオンパレードバレバレバレーじゃ無かった様な気もするし、中田に比べたら人間的にもクレバーで良い意味で調和の取れたバレーをしたのかな?何て勝手な妄想の真っ只中です。
5092
:
久しぶり
:2018/03/02(金) 10:54:56
板橋恵
1.75流のアタッカーを1.25流くらいまでに、個々の能力を引き出す、「使い方」の
非常にうまい選手でした。
松田紀子、小川かず子、中西千枝子、竹下佳江らが操る選手がトップリーグ、全日本の
選手だったこと、板橋の扱う選手は日立佐和の選手であることを考えると、優秀なセッター
だったと思います。あと、レシーブはうまかった。
ちなみに日立佐和の藩文莉は国内選手程度でしたね。助っ人というといまいち。
93年ごろから出てきましたが、95年に郎平が監督に代わるとすぐにレギュラーからはずされて
ました。94年のアジア大会日本戦の大事なところでスパイクをネット中段にかける選手です。
(しかし、VとV1以下のスカウトは概ね身長で別れるので、身長は高くなくてもバレー
ボールのうまい選手はV1にもたくさんいると思います。)
さらに惜しむらくはこの選手は昭和48年生まれで全日本初選出はかなり遅い。
大学進学せずにすぐに実業団でやっていれば中西なきあとの90年代後半を埋められた
選手になったかもしれません。
(97年に、大貫美奈子と島崎みゆきのセッターとしてはど素人の二人を全日本の
セッターとして選出なんて開いた口のふさがらないような悪行もありました…。
永富を残して、3人でツーセッターとして回すように世代交代を図りながら鍛えていく、
とかであればわからないこともなかったのですが。ただの愚行。
永富、いいときのトスボールの円弧は、過去画像で見るかつての猫田勝敏選手を彷彿と
させるときもたまにあるようにも思います。あくまで個人の感想ですが…。)
話は板橋に戻りますが、相当な上戸とも紹介されたり、肝疾患でお休みなど載ったり
してましたから、近況はそっちの方が心配だったりして。
5093
:
カルバハル
:2018/03/02(金) 20:18:07
ウルトラアイ
昔NHKで放送されて確か記念すべき第一回が女子バレーボールでした。松田紀子がバスケットボールのリングに100発100中で入れてシュートで入ったボールを荒木田と金坂が拾い松田に返してトスしてバスケットのリングに入れてる動作ですが、オーバーハンドパスが如何に上手で正確で、ぶれないかで驚きました。ボールをオーバーハンドパスで、しっかりキャッチして正確にコントローラしないと出来ないプレーです。オーバーハンドパスは、ちょっとでも、しっくりボールを指でキャッチ出来ないと、そこまで出来ません。
5094
:
昔の人
:2018/03/02(金) 21:15:51
山田監督の罪
山田監督は何故?中田久美をセッターに向いてると思ってたんでしょうかね?中田久美の人生を山田監督が決めただけでなく周囲の選手も中田久美の存在でトップアスリートで居る事を、拒まれた選手は居ます。そもそも3回もオリンピックでレギュラーセッターを任される素材では無いですね。むしろバレーでなく体格もあるから水泳や陸上のような個人競技に進んだらオリンピックのメダルを、もっと取ったかも?知れませんね。日立の吉川選手は陸上のヤリ投げに転向したら1年で日本一になれる選手と陸上関係者から言われてました。中田久美が特別扱いされて無かったらと思います。更に今は監督になり狩野をダメにして岩坂をキャプテンに指命して岩坂に負担を背負わせて全くバレーボールはチームスポーツでチームワークが一番と考えてないです。山田監督が中田久美を見極めを誤った事が、今現在まで、引きずってる事は確かです。体力や身体能力だけではチームスポーツは上手くいかない事は事実です。
5095
:
元選手
:2018/03/02(金) 22:33:35
山田監督
中田久美がオーバーハンドパスが上手かより身長と左右両手が使えて負けん気が強い表面上で判断したんでしょう。まだ少女だから性格は成長と伴い変化して成長するから二の次にしたんでしょう。それからセッターとして仕込んでいったと思いましが、普通の環境で無いのと特別扱いで残念ながらセッターには程遠い性格でセッターになったと思います。江上が居たから、なんとかロス、ソウルと世界のトップに引っ掛かってましたが中田久美がリーダーにならなくなった時にはチームの成績は真っ逆さまになりました。チームワークの大切さを知らない自分本位のトスワークでアタッカーも迷惑したし、せっかく拾ったボールも暴走トスワークで滅茶苦茶にされて、それでも特別扱いじゃチームワークなんて出来る訳ないですね。周りも中田久美を野放しにした事が一番悪いです。日立で一時期、復帰した時に米田監督が悪いけど辞めてくれないかと言ってバレーボール界から去ってくれたと思いきや、今度は指導者としてバレーボール界を掻き回してますね。歴代のキャプテンは、何かしら他の選手から信頼されたり、頼りにされた選手が歴代なってますが技術的にも精神的にもキャリア的にも劣る岩坂がキャプテンに指命するのは、頭を切って、どうして、そのような思考が出るか見てみたいです。誰が見ても自分の事でめい一杯の岩坂にキャプテンて負担かけたら少しは、まだ成長するかも?知れない岩坂の芽を摘んだも、同然です。岩坂もリーダーに向いて無いしプレー以外でも批難されるじゃ可哀相です。選手の気持ちが判らないのは今も昔も中田久美は判らないですね。あ〜あ、せっかくの大チャンスの東京オリンピックで何故?中田久美で何故?中垣内なの?東京オリンピックで花が咲き東京オリンピックで、このままだと本当に終わります。他の競技は素直に外国人指導者で、伸びているのに半世紀経過しても日本人監督、日本人の思考じゃない指導者を何故?選ばなかったんだろう。中田久美と中垣内じゃ惨敗するのは予想されます。
5096
:
ていたらく
:2018/03/03(土) 06:42:46
歴代キャプテン
河西→高山→松村→飯田→横山→江上→丸山→佐藤→中西→多治見→吉原→竹下→荒木→木村と実力、信頼、実績もあります。比べてみたら一目瞭然です。岩坂の価値は?指命した中田久美の判断は3回もオリンピックに出場してるのに、チームワークを重要視して無い事が如実に解ります。
5097
:
シャクレ
:2018/03/03(土) 08:55:43
岩坂の主将
ただ単に新鍋に全日本に来て欲しいから、同じ年の岩坂も同時に選出し、尚且つ主将をお願いすれば新鍋も全日本に参加してくれるだろうと見込んでの岩坂の主将でしょ。
新鍋は全日本に必要。
岩坂の187センチも魅力。
中田も長年チームで一緒だったこの2人に監督一年目で不安だから居て欲しい。
なら、どちらかを主将にすれば、辞退せず参加してくれる。
どちらとなれば、、、岩坂でしょ?普通は。
新鍋にするとある意味崩壊してますよ。
5098
:
シャクレ
:2018/03/03(土) 09:00:33
では
今の日本チームで主将出来る人いますか?
荒木?
富永?
5099
:
カルバハル
:2018/03/03(土) 11:12:10
歴代キャプテン
そうそうたるメンバーですね。その中でオリンピック2回連続キャプテン務めたのは江上だけですね。77年ワールドカップで金メダルを取りましたが個人的な思いでもオリンピックの金メダルを取らせたかったですね。モントリオールも、後1年早く松蔭高校卒業していら、モスクワオリンピック参加してたらと思います。出場してたら金メダリストでオリンピック4回連続出場してたかも?知れませんね。木村沙織の遥か前にオリンピック4大会連続出場してたかも?と思うと残念ですが2大会連続キャプテンになったのはうなづけます。
5100
:
昔の人
:2018/03/03(土) 12:26:16
岩坂よりマシと考えたら
リオ経験者は全員マシ
5101
:
ナイト07
:2018/03/03(土) 12:44:48
今年のキャプテンは、?
岩坂じゃあなくなるのでは?
昨年は前任者の眞鍋氏/体制に対する、
デモンストレーション(抗議)みたいな形で、
彼に切り捨てられ2人を中心的な役割を担わせたのだと見ていました。
コート上での新鍋の存在は中田バレーには絶対欠かせるこはできなく、コミュニケーション面においても確かに岩坂が使えやすかったのでは。?!
期待も込めて 「貴女しっかり頑張りなさい」の意味あいもあったかと思います。
確かにこの一年は彼女なりに進化はしていると思う。
A/B/C がまあまあ打てて来ていますし、ワイドも「アキン〜」を近くからお手本にし 「ワイドもどき」も打てるようになって来ていますので。
全く育てようともしない/タブレット見て選手を切り捨てる眞鍋氏よりは良いかなと思う。
MBとして岩坂が世界に通用するかどうかは定かではないですが、ブロック要員として使い道はあると思います。大きいトスに対してはシャットできますので。
スピードが求めらるポジションであれだけ鈍いと常時レギュラーで使うのはどうかなと!?
5102
:
元選手
:2018/03/03(土) 13:02:10
ワンポイントブロッカーが
キャプテンて今まで見たことも聞いた事も無いですね。チーム内で頼りになり、チームをまとめ、チームワークの要になるのがキャプテンです。せめてレギュラー選手のなかでキャプテンを決めて欲しいです。信頼されないキャプテンじゃチームワークは安定しません。作戦タイムの輪に入らない監督も見たこと無いですね。選手は直接、監督の声で監督の言葉で聞きたいです。監督が投げた球を練習で拾いです。
5103
:
いとじ
:2018/03/03(土) 14:14:53
それこそ
山田監督は、対戦チームの監督、コーチと握手した時に、手を握っただけで
『この監督(コーチ)は、相当(選手に)打ち込んでるな!』と思ったそうです。
たしか、ヨーカドーの坂上さんと富士フィルムの入沢さん だったと思います。
5104
:
ぶ入野た
:2018/03/03(土) 14:28:13
主将
1984年のロスで主将の江上が、一旦引退し復帰を1987年にし、ソウル五輪で再び主将をした、あの時代。。。。。
たしかに石田京子へバトンタッチはした。
面倒見が良い、明るい主将だった。これが1985年。
でも、ソウルまでは石田的には、ある様なない様な。。。
1986年に一気にチームの中堅どころの寄せ集めたチームの主将が中田だった。
全く主将らしくなく、ただキャリアでされただけ。
中田よりも年上(男澤、佐藤志、本郷、梅津、松沢、小野、佐藤伊)が7名もいたにも関わらず。。。
あの1986年の全日本がダメだった。
ソウルへ繋がらず、無駄な1年だった。。。
そこで、リセットされ、丸山由美を復帰させ、ロス五輪同様に日立主体に戻した。
やっとのことでソウルも4位に踏み止まった!
ほんと、あの1986年のチームが無ければ。。。
せめて、中田が主将として何か形として残していたなら。。。
その中田も1986年の秋に大怪我で、1987年の全日本にいない。
何かとなんちゃってカルテットと言ってるクソ野郎がいますが、1986年の負の全日本から残ったのが、宮島恵子と廣紀江の2人なのよ!
これぞロス五輪の奇跡の2人!!エンジェルなのよ!!!
1984年から1988年まで主将を務めた江上(丸山)からすれば、
『若い選手達、何やってるの!!』
だった事でしょうね。。。
中田の怪我が無ければ、江上の復帰はなかった?それともあった??
怪我がなければ、ぞーーーーっとしますね、ソウル五輪が。
5105
:
チェリー
:2018/03/03(土) 14:31:57
当初は
1986年の主将は、置田佳子がなる予定でした!!
5106
:
元選手
:2018/03/03(土) 14:53:39
サーブレシーブ
Vプレミアムリーグ、テレビ観戦してサーブレシーブ久光もトヨタ車体も悪すぎますね。外国人選手以外は全員でサーブレシーブしないと日本は、やはりダメです。大した攻撃出来ないならサーブレシーブ免除なんて日本のチームじゃ有り得ません。サーブも凄いスパイクサーブが来る訳でも無いのに、サーブレシーブ悪いですね。サーブレシーブが上手な選手から召集したらと思っちゃいました。ファイナル3の試合にしてはレベルが低いし、コンビネーションもなってないですね。年々レベルが少しずつ落ちてる感じします。
5107
:
昔の人
:2018/03/03(土) 15:29:47
新鍋
テレビ観戦から観ると体調悪そうですね。顔色悪いし少し痩せた感じです。元気無かった感じです。全盛期過ぎたなら要らない選手ですが他の選手もまるでダメですね。石井、岩坂、ナショナルチームの選手なの?
5108
:
れば、たら
:2018/03/03(土) 15:58:09
置田?
あの蒲生中→四天王寺→ヨーカドーのですか?
セッターでしたよね、彼女。
それこそ中田がレギュラーで、補欠のセッターの主将!?
賢い、置田は。
半年間、試合なんか出れませんよ。
年齢だけで置田を主将だったのでしょうか?
でも、置田の主将だったら、悪夢の1986年世界選手権7位にはなってないような気がするのは私だけ???
5109
:
昔は選手
:2018/03/03(土) 16:58:18
1986年世界選手権
なんで実績も無い選手集めて、あんなチーム作ったんでしょうね?
5110
:
教えて
:2018/03/03(土) 19:25:18
1986年世界選手権メンバー
石田、利部、杉山、武内、大林、小高とか川瀬も出場してないんですよね。ゴッソリ日立勢が出なかったのは小島監督への嫌がらせ?佐藤志保子は参加してますが露骨です。ソウルへの強化が止まった大会です。日本女子バレー界の御家騒動の大会です。何があったんでしょう教えて下さい。
5111
:
アルタガモワ
:2018/03/03(土) 19:30:38
昔は選手様
多分日立主体の85年Wカップが散々な結果と新鋭ダイエーの躍進に切り替えたんじゃないですかね?
でも当時の風潮のセッターは中田以外には居ない言う事で中田、サウスポーと言う事だけで経験の無い佐藤を入れたり、大会中突如大谷をライトにしてライトのノウハウを知って経験、ある程度実積のあるライト専門の小野弘美を控えにしたり訳の分からないチームにしましたね。当時としては82年世界選手権4位所じゃない結果になりましたね。
5112
:
昔の人
:2018/03/04(日) 00:29:49
岩坂
テレビ観戦ですが、ブロックもダメですね。187?の身長は宝の持ち腐れですね。宝来や江藤の方が遥かにマシです。通用するのはサーブだけです。しかし、今の時代、猫も着しもジャンプフローターかフローターサーブばかりですね。もっと日本はバラエティに富んだサーブでないとダメですね、一人が二種類のサーブを打って欲しいです。オーバーハンドの変化球サーブたまには観たいですね。効率だけを考えないでバラエティなオリジナルサーブで崩すのも有りだと思います。更に言えばサーブレシーブが酷すぎますね。あんなサーブレシーブじゃ何にも出来ません。オープン攻撃の打ち合いです。つまらない競技になりましたね。
5113
:
昔の人
:2018/03/04(日) 00:36:38
1986年世界選手権メンバー
中途半端なチームですね。ダイエーでもないし、日立でもない。ダイエーチームに中田久美入れてライトは大谷?チームを、まとめる選手も居ない。解説の三屋が、プッツン切れた試合でしたとか?言ってましたね。ロス〜ソウル、一貫した強化をしてたら表彰台には上がれました。
5114
:
昔は選手
:2018/03/04(日) 10:00:23
85年ワールドカップ
日立主体で4位でした。日立より弱いダイエー主体に中田久美入れたら4位以上の成績取れると思ったんでしょうか?やはり86年も日立主体で強化してソウルに参加してればキューバは不参加、中国は下降きみ、ソ連とまだ、なんとかなる、上昇ペルーを抑える事も出来たでしょう。少なくとも東ドイツに取りこぼしは、無かったと思います。中田久美が居ても日立主体のチームワークとダイエー主体の選抜メンバーでのチームワークは違います。選抜メンバーなら置田セッターの方が纏りますね。
5115
:
昔は選手
:2018/03/04(日) 13:32:34
ファイナル3
オープン攻撃ばかり、コンビ使っても、なんだAクイックか、サーブレシーブは酷いし、サーブもジャンプフローターばかり、日本のトップチーム同士の試合とは思えません。ミスも多いし強化してるんでしょうか?昔の方がレベル高いのか?逆進化してます。
5116
:
元選手
:2018/03/04(日) 16:29:21
ファイナル3
せっかくテレビ放送されたのに、会場行ったお客さんは金返せて内容でしたね。高校バレーの延長みたいなプレーです。
5117
:
昔は選手
:2018/03/04(日) 16:36:01
本当に東京オリンピックまで後2年ですよ。
こんな内容で強化してると言えるんでしょうか?サーブレシーブが両チームとも、メタメタです。速攻も単なるクイックだけ、オープン攻撃と、たまにバックアタック、つまらい。東京大会じゃなければ、シドニーの二の舞いですね。
5118
:
ナイト07
:2018/03/04(日) 16:49:49
女子バレー界の山田x小島対立の縮図は70から90年代まで続いた、
その流れが主因で00年のOQT敗退、どん底に落ちる結果を齎せた、、と言っても過言ではない。
毎回、山田さんが負けたら小島さんが出てきて前任者の方針を全否定、それがずっと繰り返されていたと思います。
84・85・86〜88年 の流れと92年〜97年の流れはよく似た感じで、長期に渡って強化策ができていない。選手を毎年とっかえ引っ搔いでは選手が育たない。オリンピックも経験値の蓄積が必要です。
松平さんも弱体化させた主犯格だったと思います、女子バレーに先を越されるのが鬱陶しいので、かき乱したようにも見えました。本当に厄介者です。72年に一度限りの金メダルを取ったからって、日本のみならず世界バレーも牛耳ってしまいましたからね。彼の実力主義より商売優先が日本バレー界を完全にダメにしたものだと、、。何しろ中枢部の人事が松平一家で40年くらい独裁体制が続いてきていますから。
結局、思い返して見ると68年のメキシコから続いたこの同年代のライバルの争いは、お二方の”死” を転換期に
女子バレー界に新しい時代の幕開けが訪れたように見えます。それが竹下さん率いるさおりん・荒木ら新時代の女子バレー選手でロンドン銅メダル組だったのでは?!
PS・
なんだか、old の方が盛り上がってきていますので、
最終段階のVリーグの話題もこちらで取り上げられていますが、
やはり分けた方がいいなと思い、私はこちらの板ではold の話題に専念させて頂きます。
5119
:
カルバハル
:2018/03/04(日) 17:00:39
ファイナル3
確かに酷い凡戦でしたね。本当にベスト3まで勝ち抜いたチームなんでしょうかね?まず守備が悪すぎますね。あのような守備じゃ攻撃も限らます。オープンも頼りない感じです。セッターも下手くそでみえみえトスワーク、ガッカリです。レベルが落ちてます。ミスも多いし、練習してないんでしょうか?単独チームなのにリーグ後半で、まだコンビが合わないんでしょうか?選手の疲れもあるならリーグ運営にも問題ありますね?興業中心か強化中心か、あやふやですね。チャレンジシステムも、まだまだ改善必要です。人気回復厳しいですね。トップチームの技術は残念ながら後退してます。レギュラーラウンド、こんな久光に土付けられないレベルに全体的にレベルダウンですね。選手の動きにスピードが無いです。
5120
:
バレーファンの声
:2018/03/04(日) 18:07:52
オールドは昔と比べて
今の時代のバレーは残念なレベルですね。少子化の影響ですか?パワー、スピードが無いです。技術的には守備が特にダメですね。ミスも多すぎます。選手名で細かい事は現代盤に色々書かれてますが、ザックリと思うと勝ちたいと思って試合も練習もしてるんでしょうか?あいつがダメ、こいつがダメてレベルじゃ無いですね、全くダメです。3位になって表彰式で笑ってる選手も居ましたね。惨敗して悔しく無いんでしょうか?試合内容の、不甲斐なさに悔いは無いんでしょうか?ファイナル3て練習試合ではありません。
5121
:
教えて
:2018/03/04(日) 23:06:35
日本が一番レベルが高かった時て?
普通なら世界とは差が開いても現在や少し過去がレベル的に一番、進歩して高いと思ってましたが、今日のファイナル3の試合をテレビ観戦して、ふと考えてしまいました。あまりにも凡戦でミスは多い守備は悪いコンビネーションバレーのバラエティは少なくパワーは無い、スピードは遅い、サーブもオリジナリティーは無い、選手の覇気は無い、勝っても、負けても、感情は無い、誰一人ファイターは居ない。体格も昔より、幾分か大きいかな?程度で、ガッカリしました。やはりロンドンオリンピックの時が日本女子バレーのレベルが一番高かったのかなあ?国内の試合ですが全日本の選手の構成が高い久光製薬でも、あの程度じゃ世界チャンピオンの中国には100回試合して中国が控えの選手を試しても1回も勝てないでしょう。中国の控え選手と試合しても1セット取れたら今のレベルじゃ上出来じゃないの?トヨタ車体の多治見監督も覇気は無い消化試合みないな雰囲気さへ感じました。よーわ、やる気の無い試合をテレビ観戦して観ました。まだ中田久美の暴走セッターの時の日立の方がレベルが高いと言ってしまいたいようなレベルの試合でした。ここまで落ちたか女子バレーて感じでした。
5122
:
カルバハル
:2018/03/04(日) 23:20:04
現代版の書込みは
優しいですね。過去から日本と世界を見て来た人達やOGの人は哀しい位、残念な試合を観ましたね。こんなバレーが日本のトップ3のチームのバレーボールなのて?感じでした。助っ人、外国人も、覇気は無いですね。日本に出稼ぎに来ましたて感じでした。昔の助っ人、外国人選手は、もっと、やる気に満ちてたと思いますよ。
5123
:
ナイト07
:2018/03/05(月) 06:09:30
86年のメンバーで
https://www.youtube.com/watch?v=Dz7ge0KxqUg
https://www.youtube.com/watch?v=kUnpnXlFPu0
松沢・梅津・(??大谷??)は育てればなんとか使えそうになっていたように思われますが、、なぜ87年組に呼ばれなかった??
山田さんの頭には86年のジュニア選手権優勝組を使いたい意図は理解できますが、、、
https://www.youtube.com/watch?v=kUnpnXlFPu0
5124
:
ナンシー堀
:2018/03/05(月) 11:30:27
ダメダメ!!
松沢と梅津が1987年全日本!!???
やめてよー!!
丸山由美が復帰した全日本に松沢緑は不要。
丸山より身長が高い松沢ですが、ブロック、レシーブがダメダメ。
手が短いから指向も低いのよ。
梅津はご存知のダメウーマン。
日立主体の全日本に入れるわけがない。
雰囲気、協調性がまるでないもの。
同期ばかりのダイエーでも浮いてるのよ。
無理無理!!
加えて強面顔は、小高で十分。
仮に1987年全日本に梅津参加で整列すると梅津と小高、隣同士。。。。
考えただけでも怖い怖い(笑)
松沢と梅津、キャリアがなさ過ぎ。。。
高校時代でも全国大会、高校選抜すら選ばれてないのよ。
勘弁してよ!!
5125
:
久しぶり
:2018/03/05(月) 12:15:55
映す価値なし
でしたね。女子は。個人技のレベルが低下していてやる気も感じられない。
過去画像で見る70年代のバレーの方がずっと上。
世界選手権もアウェイだったら予選落ち確実ですね。
下のリンクで86年のチームがみられますが、それよりもずっと下。
(しかし、あのチーム結局はいつも負けますがサイドアウトはきっちり取って、
相手からしたらわりとてこずるんじゃないでしょうか。サーブレシーブが崩壊
しないのと、サイドアウト制ならではの現象でしょうか。)
とどめに監督も中田久美。なんの期待もできない。
むしろ、世界からは大きく穴をあけられていますが男子の方がおもしろかった。
豊田合成なんかはラリー中にセンターを積極的に使うし、リベロの横っ飛びでの
トスアップなんかなど
最終セットのお互いのサーブミスの連続は非常にいただけませんでしたが。
JTも点取り屋の外人の穴を、日本人選手がしっかり埋める活躍でムードメーカー
としてもチームに貢献してました。どちらもチームワークはある感じ。
男子に未来があるとも思えませんが、女子の試合よりずっとましでした。
86年に関しては、貧乏くじのこの年を小島孝治監督にポイして、水面下?で日立の
有力選手を全日本に出さずに、おそらく丸山由美の復帰も折り込み済みで、ソウルに
向けて日立中心に強化を進めていたのではないかと考えています。
もくろみは成功したと思われ、事実、87年の全日本=日立でしたから。
誤算は、87/88リーグで日本電気が優勝したことでしょうか。ローズ・メジャースも
おりでき上っているところに佐藤伊知子、杉山明美の強力補強。
日立も高橋有紀子固定でいけばよかったのに。
89年のメンバーも?ユニチカからは引退するメンバーばっかり選んで?でしたが、
前年のソウル五輪でメダルを失い、単独チームでの全日本構成では強化に結び付かない
との判断のもと、ベテランに中堅もいて斎藤真由美、福田記代子(けがで、ワールド
カップメンバーには不要。)などもいて、オリンピック翌年でもあり今後へのつなぎの
年と考えれば、何とか許容範囲?。
いずれにせよバレーボールは昭和と共に終わり。
本当の悪夢は90年に米田一典監督が就任して変な選抜、チーム構成を行うことにはじまるの
です(しかもこの人、中田久美の盟友。類は友を呼ぶ。最悪。)
5126
:
ナイト07
:2018/03/05(月) 16:19:28
この動画を見直して見ると
https://www.youtube.com/watch?v=Irqs0SZW15c
松澤、梅津、大谷、、まあまあな感じもしますが、
結局87年には、杉山が戻り、86年アジアジュニア優勝のMVPの藤田も加わった。
86ねんには宮島はベンチで一度も出番がありませんでしたが、
山田さんがもう少し懐が大きかったら,個人的には84五輪・86年世界選手権経験者を、もっと87年メンバーに入れてもよかったのではないかと思います、、、
何しろ80年代にはレフトが育っていなかった事が、ソウルで切るか剃るかの場面で頼れるレフトエースがいなかったのが一つの大きな敗因だったとも思えました。
我慢強く84〜88年まで鍛え上げていたら 180cm代の選手いなかったわけではないのですから、もったいないなと!
ソウルでは、結局50%50%の妥協案で協会と山田さんのお望みのチーム構成になった。
それは松平さんが仕掛けた(足を引っ張られた)ものではないかと思われます。
MBの控え:川瀬は役立たずでいらない・杉山明美もいらなかった。それだったら松澤緑の方がプレースタイルが丸山に近かったと思います。スピードもありAB速攻+ワイドもこなしていた。サーブもサーブ賞の実力があり身長も丸山より高かった。もう一人は松下(ユニチカ)くらいの選手か武藤(日立ジュニア上がり)とか選んでいたら、バルセロナにもつながりそうでしたし、交代要員として計算も少しはできたのでは?
レフトは、山下は酷すぎるでしょう?東京オリンピックでも164cmのエースはいなかったのですから、いかに松平さんに”毒”を盛られたような気がします。その枠に梅津・斎藤・益子?など考慮してもよかったかなあ?
89年斎藤は大ブレークしましたから、後から思い返して見るともったいない気がしました。
セッターの電装から滝沢はいらなかったですね。一度もでされていなかったし、当時は正セッターのみで控えを出すという概念はなかった時代でした。本当に無駄に貴重な1枠を使ったな〜とそれだったら高橋にピンサと控えセッターをさせれば十分だったような?
ソウルの時の一番大きな問題は 即席チームである上に次に繋げるものが何もなかった事:結果的に大林:中田:佐藤は残りましたが、、
4年間一貫性がなかった。
https://www.youtube.com/watch?v=Irqs0SZW15c
https://www.youtube.com/watch?v=Irqs0SZW15c
5127
:
フナ女
:2018/03/05(月) 17:35:54
ターニングポイント
1986年の世界選手権のメンバーと第21回日本リーグでの年明けの日立チーム。
これが全てを無駄にしました。
1986年の世界選手権、日立のベテラン選手が絶対必要だった。
第21回日本リーグの日立もV6メンバーで戦い、要所要所で川瀬や藤田、武藤を投入し、優勝するべきでした。ユニチカやカネボウ、ダイエー、日電などに絶対負けなかったでしょう。
ちなみにセッターは中田ではなく高橋で。優勝するんだったら高橋。
あの怪我から復帰で、丸山も廣もいない日立の中でレギュラー努めてはダメ!
ソウル五輪は、武内・宮島・小高にジュニアメンバーのオール日立(丸山、廣以外)で固めて挑みたかったですね。
5128
:
ナイト07
:2018/03/05(月) 18:20:06
この年ですね!
https://www.youtube.com/watch?v=Oy8vnA02XLQ&t=625s
山田さんは87−88年監督が決まっていたので、人選は過去と同じように好き放題できるものだと
過信していたようでした。そうでなくなったとわかった後協会に猛抗議したようです。
足元を救われたような中途半端な人選になり、結果も4位とメダルに届かなかった。
予選でいい形でソ連を破ったので、準決のペルー戦の疑惑の判定がなければもしや、、決勝で銀以上かなとも思っていましたが、、、ソウル大会は審判始めラインズ判定が明らかに日本不利であったのが多かったような。
会場でも地元の韓国人はアンチ日本で全ての日本の試合で対戦相手に大声援を送っていたのを記憶しています。
ペルー戦12−9点で5セット目リードしていて、続けて2回ホールデイングに1回の理解に苦しむネッチ判定、最後はウリーベ選手が 明らかにホールデイングがセーフに、それで負けた。
韓国開催じゃあなかったら勝手いたと思いました。
ソウル以降山田さんは、バレーが嫌になり、、、バブルの波に乗り、株に嵌まっていったのでは?
山田さんを決してパーフェクトな方だとは思っていませんが、日本女子バレーに大きく貢献してくださった方だと認識しております。アイデイアマンで身体能力に劣る日本人が常に勝つには何ができるか新しい事追求していた。70年代で金三連覇の偉業を成し遂げた。いつまでも東京オリンピックの形にこだわり続けてた小島さんより実績面で遥かに上だと思います。(賛否両論かとは思いますが)
https://www.youtube.com/watch?v=Oy8vnA02XLQ&t=625s
5129
:
カルバハル
:2018/03/05(月) 19:09:51
厳しい評価
久しぶりさんの評価、厳しいですね。1970年代のバレーボールより劣る評価は、そこまで…て感じですがテレビ観戦して確かに70年代の選手の方が覇気はありますね。76年まではワンタッチを数えたバレーボールですよね。当時は、やはり攻撃は限られますからルール的には比べられないですが無理矢理、比べて観ても週末のファイナル3の内容は久しぶりさんの評価を考えるとファイナル3の方が劣ってるかも?知れませんね。少なくともサーブレシーブは76年前の日本女子バレーよりは劣ります。久々にBS中継ですが、やっと放送されてたのに、あんな酷い試合を世間に披露して、人気回復より失望したバレーボールファンは多々居たと思いますね。それを考えるとテレビ中継には価しない試合ですね。石井を評価した記事がありましたが全日本のエースを張るなら土曜日の試合、日曜日の試合と波が有りすぎますし、日曜日の試合も日の丸付けるレベルでは無いです。また負けたトヨタ車体の選手、屈辱的な試合内容なのに笑ってる選手が居たのは嘆かわしいですね。悔しく無ければ進歩はのぞめないし、こんなチームが全日本選手権で優勝したのかと思うと溜息が出ます。勝った久光製薬もVリーグの決勝進出するチームのレベルでは無いです。本当に本当に世界のトップより離れてしまった実力の屈辱より他の競技と比べて東京オリンピックの強化が遅れてる屈辱の方が真の屈辱を感じますね。女子の期待されてるオリンピック競技をあげると一番期待されたのが女子バレーボールだった事を知ってる者として残念です。見方によれば1970年代のバレーボールよりレベルが低い試合をテレビ中継したのは、あながち嘘でなく、信実の評価かも知れません。
5130
:
アルタガモワ
:2018/03/05(月) 21:37:08
大袈裟に言うと
70年代のバレーをリアルタイムで観ていない私が勤めている言うのもなんですが、技術だけでもレフトの白井選手本当に凄いと思いました。センターでクイック打つだけでは無くて1人時間差をしたり、矢野の男みたいな容赦無いクイック・・・その他の選手も顔、表情が全く違いますね。今の選手ってアイドルの様な笑顔・・・私にとっては異様に思えます。80年代の入った江上の時代でもあんな笑顔やショサは無かったし、インタビューでもコメント等も全く違いますね。
次にバレーの内容としては速いクイック打つ選手は居ないし、身体が重いのか?動作ご遅く、最高到達点は高くなってるのかもしれないけど俊敏性が無いし、ベテラン荒木に習ったかの様な遅い遅いセカンド〜オープンテンポのブロード攻撃(囮の効果も無いし)なんて日本には意味が無いですよね。近年のすぎやま、大友選手みたいに先に跳んでトスを待つくらいの速さが無いと意味が無いですね。
久光の新鍋も175センチとありましたがクイックを打てとは言いませんがせめてもう少しライトポジションに就いた時には動き回って自分が打とうが打たまいが相手チームの動きをコンマ何秒でも良いから遅らせる様なプレーはしないんですかね?センターがあんなだからしないと言う印象は無いですね。確かに竹下時代には時間差に入ったりはしてましたが。
40年前のエースがクイック、1人時間差をしていたのにそれ以後は杉山加代子選手が光攻撃、A.Bクイックをした、そして山内、斉藤真由美がBセミをやった程度で何の進化も無いですね。
本当に土日楽しみにしてた久々に観た試合、勝った方も負けた方も何がしたいのか?あまり分からなかった。
車体の高橋を潰すのは分かったけど。岩坂も盆暮れ正月程度しか打数ないし。
これでは本当に東京で始まったバレーが東京で終わるかもしれないと思いました。
5131
:
昔の人
:2018/03/06(火) 06:05:12
東京オリンピックまで時間が無い。
カリスマ監督、カリスマキャプテンが出ない限り日本は終わります。単独チームでさへ、あんなチームワークじゃ終わりです。日本開催の世界選手権でも惨敗するかも?
5132
:
ナイト07
:2018/03/06(火) 10:29:09
Mexico 決勝
珍しいものに出くわしたので共有させて頂きます。
https://www.youtube.com/watch?v=r6qQn2vbPBg
https://www.youtube.com/watch?v=r6qQn2vbPBg
5133
:
ナイト07
:2018/03/06(火) 10:48:27
男子は
https://www.youtube.com/watch?v=VFFo1xqaSjY&t=239s
女子が最強だった頃には、終わりかかっていた。
松平氏は それをどう見て思っていたのか?
、、、必然的に幾つかのことが想像できるのでは?
https://www.youtube.com/watch?v=VFFo1xqaSjY&t=239s
5134
:
アルタガモワ
:2018/03/06(火) 13:11:13
ナイト様
いつも貴重な映像を提供して下さって有難うございます。見た事が無い映像や懐かしい映像等々観入ってます。御願いなんですが、82年環太平洋ジュニア対中国戦て探せますか?私も色々と原作してはいるのですが・・・。
5135
:
アルタガモワ
:2018/03/06(火) 13:11:58
訂正
検索でした。
5136
:
カルバハル
:2018/03/06(火) 14:00:04
ナイトさん
珍しく貴重な映像ありがとうございます。メキシコオリンピックのソ連戦、よく見つけましたね?ワンタッチを数えなかったら、週末のファイナル3よりレベル高いかも?知れませんね。サーブもスピードあるしセッター以外もトス上げて打つし、つまらないミスは少ないし、ルールが違うので、あくまでも印象ですが当時のツーセッターが拝見出来ました。
5137
:
ゴリラ
:2018/03/06(火) 17:11:11
82環太
ないわよ。
そんなに見たいの?
ジャンヌダルク・中村の大会だったわよね!
5138
:
ナイト07
:2018/03/06(火) 17:49:40
お宝物 発見!
https://www.youtube.com/watch?v=JfNwIpha9c0
https://www.youtube.com/watch?v=nYPLsSIRRaM
https://www.youtube.com/watch?v=URMHCTepJnI
https://www.youtube.com/watch?v=maKpRstlHHM
https://www.youtube.com/watch?v=bcMVvjQts9U
https://www.youtube.com/watch?v=nYPLsSIRRaM
https://www.youtube.com/watch?v=k8dBvBV-Xic
https://www.youtube.com/watch?v=06fo89YrRJg
https://www.youtube.com/watch?v=Uj5zX60vBXE
https://www.youtube.com/watch?v=k5IDLcnST5E
https://www.youtube.com/watch?v=_8xGRrlQJ78
https://www.youtube.com/watch?v=A4yGo6_Kjnc
一番印象に残ったのは81年W杯のキューバ戦ですね、、、松倉悦郎さん、、懐かしい
しっかりと事前勉強し、海外選手の情報を解説されていたのを記憶しております。(ちょっと知ったからブリっぽいところもありますが、、、?)
80年の大会はアメリカもボイコットのでまた日本と違う側面から見れて興味深いものがあります。
彼ら曰く、優勝を狙っていたので残念と、、、確かに81ねんでは日本を破っていたので、80年も仮にでていたとしても
日本が優勝できていたとは限らない。中国もそうでした。
https://www.youtube.com/watch?v=VFFo1xqaSjY&t=239s
5139
:
元選手
:2018/03/06(火) 21:27:17
ナイトさんの動画観て
81年ワールドカップの日本女子チーム位の守備力が今の日本女子に無いですね。30年以上前のバレーボールですが全然色あせて無いと言うか日本女子チームバレーはレベルが止まってるどころか、落ちてます。守備が悪ければコンビネーションバレーどころでは無いですからかね。今の女子バレーは先ずはサーブレシーブから強化するしか無いでしょう。どんなにコンビ練習してもサーブレシーブがセッターに入らなければ、どんなに練習しても使えません。今のチームじゃコンビ練習より二段トスを打つ練習したりセッター以外の選手もトスの練習しないとダメですね。サーブレシーブがセッターに入らない、或いはセッターが走って追いついトスを上げたボールを打つ練習した方が良いかも?知れませんね。サーブレシーブは一夜にして良くなるプレーではない反復練習が必要だからです。同じような、あまり楽しくなく疲れる反復練習をする事は日本女子バレーの得意分野でしたが今は、それさへ出来ないですね。ファイナル3で、あんなバレーしたら練習不足ですね。ファイナルも凡戦なんでしょうかね。まず覇気が無い女子バレーは観たくないですね。
5140
:
昔の人
:2018/03/06(火) 22:47:14
昔の話し
昔、専門誌で小島監督が78年世界選手権で優勝したキューバ女子にキューバの女子はバレーボールはコンビバレーは不要で無駄だ、ただ高いオープントス を上げれおけば得点は取れると言ってました。また、やはり専門誌ですがバルセロナオリンピックの決勝戦を中田久美が観戦して、なんて、つまらないバレーボールだと言ってました。よーわ、女子バレーの男子化してきて高さとパワーのバレーで、下手な小細工しないでオープントスの打ち合いのバレーになったからでしょう。それが世界中の女子バレーがキューバの女子のようなバレーボールになりサーブレシーブは二人でして強いサーブを打ちサーブレシーブを崩したらブロックするかチャンスボールが返ったら攻め返して決める単純な競技になりする。まさに男子化に拍車を掛けたのがオリンピック三連覇したキューバの影響が少なくともあると思います。ある方面から診たら女子バレーボールを、つまらなくしたのもキューバですかね?
5141
:
ナイト07
:2018/03/07(水) 03:33:54
おまけ、、です。
https://www.youtube.com/watch?v=WkGqNMoysF4
ペルー番の ”アタックナンバー1” みたいなものでしょうか、面白いアニメを見つけました。
ペルーのスーパースター:セシリア・タイトが左利きですので、さすがにヒロインもサウスポー。
カトウアキラさんが神格化され、親日・アジアであることを垣間見れるところも面白いなと思いました。
確かに、ペルーのインデオ(原住民)は遺伝的に日本・東アジア人と同じ祖先だと言われておりますので、
文化的にも共通するところがあるなあと、、旅をした時に思いました。
バレーは進化し続けていますし、グローバリゼーション波に乗り人気も世界中で高まっています。
日本が最後の金メダルをとった頃では考えられないような国が沢山出てきています。
このアニメで見れるようにラテンバレーは派手な”個人技”バレーがもてはやされます。
サッカーでもそうですが、ずば抜けた身体能力で”神業のようなプレー”で 緻密な組織的なチームに
対抗するスタイルです。
前回のサッカーW杯でドイツがブラジルを木っ端微塵に下した完璧な組織力を見せてくれたように、
日本も組織力・総合力で挑むしかないのではと思います。
その要がセッターですが、竹下さん引退後、残念ながら人が育っていません。
2年を切ってしまいましたが、チームを完成させるのに間に合うのか・
あの郎平さんでさえ20年かけてようやく監督として金メダルを手にしたのです。
オリンピック3つ金を獲得したキライさんは4年で銅メダル、、、
考えるとキリがないですが、課題が多すぎる、、、果たして間に合うのか。
日本は総合力・究極の全員バレーで臨むしか方法はないのでは?と思いますが、、、いかがでしょうか?
最後に10年ちょっと前にはこんなプレーもあったのですから、、できないこともないのですよね
鍛えれば!
https://www.youtube.com/watch?v=NPIg3PZUHos
https://www.youtube.com/watch?v=WkGqNMoysF4
5142
:
ナイト07
:2018/03/07(水) 03:37:31
もう一つ、おまけです
https://www.youtube.com/watch?v=mbSSXxHSFA4
小島さんも色々考えていらっしゃったんだなと、、、思いました
https://www.youtube.com/watch?v=mbSSXxHSFA4
5143
:
昔の人
:2018/03/07(水) 14:18:35
アニメはアタッカーyouです。
日本のアニメですね。
5144
:
教えて
:2018/03/07(水) 14:20:52
ロンドン後
何で、優秀な選手が、ガクンと減ったんですか?強化に問題あるんですか?
5145
:
昔は選手
:2018/03/07(水) 18:29:33
キューバ女子のオリンピック3連覇
前と後で女子バレーのコンビバレーも変わりましたね。女子バレーの男子化になる前と後ですね。しかしキューバ女子といいペルー女子といい、今は嘗ての栄光みたいなチームになってしまいましたね。カトー アキラさんの育てた伝統あるペルー女子チームも南米ではブラジルより強く世界制覇に後一歩までいったチームだしイトーヨーカドともパイプあっただけに残念ですね。また毎年NHK杯に参加したり日本に遠征して、ドンドン強くなってオリンピック3連覇したキューバもバレーボールファンとして寂しい限りです。栄光からイッキに落ちてしまい今も這い上がれないペルーとキューバ、東京オリンピック後の日本女子バレーボールチームはならないで欲しいです。
5146
:
ブス子
:2018/03/08(木) 08:38:51
かば島でか子
って誰よ(笑)
5147
:
アルタガモワ
:2018/03/08(木) 18:06:11
あのソ連、ロシアでさへ
80〜90年代前半はキリロワによるオギエンコ、チェブキナのコンビバレーに続きティーシェンコ、バトフチナやレベジュワ、縁の下の力持ちのニクーリナ等々まだコンビバレーをしていた様に思いますが徐々に下品なくらい大型化をはかりそれでも五輪でメダルは遠ざかってますね。
何だか淋しい。
5148
:
カルバハル
:2018/03/08(木) 19:06:16
海外のチームが
噴水バレーしてるからって日本が噴水バレーして勝てる訳無いです。コンビバレーをして対戦相手のブロックを騙したり、かわしたりしないと勝てません。それには、やはりサーブレシーブとサーブの強化でしょうね。対戦、相手がサーブしたらサーブレシーブして、きちんとセッターに返してコンビバレーで切り返す。サーブは対戦相手のサーブレシーブを崩すオリジナリティーのあるサーブで崩しチャンスボールが来たらコンビバレーで切り返す。この繰り返しで勝つしか無いでしょう。簡単そうですが実に難しいし、厳しく長い反復練習が必要でしょうね。セッターは少々パスが悪くてもコンビバレーが出来るトスを上げられるセッターが必要です。他には二段トスを打てるレフトアタッカー、全員サーブレシーブが出来て全員トスが上げられる、オーバーパスの強化も必要ですが、先ずはサーブとサーブレシーブでしょう。東京オリンピックには間に合うかは?です。カッコ付けてもしかたないです。地道な反復練習で強化してチームワークをアップするしかないです。
5149
:
元選手
:2018/03/08(木) 19:21:50
サーブミスは計算に入れて
思いきりサーブを打って相手のサーブレシーブを崩すしか無いです。ミスを恐れない事です。サーブのミスは許しても他のミスは許さない位で無いと勝てません。サーブレシーブのミスは限りなく0にしないとダメですね。Aパスが出来なくても、セッターが動いてもコンビバレーが出来るサーブレシーブやレシーブまでに、どどめないダメです。ブロックはサボらない、遅れても跳んで少しでもレシーブを助けるブロックをする背の低い日本はシャットアウトは厳しいのですか守備を助けるブロックをする。二段トスは打ちきるか、リバンド、必ず守備フォローする、フェイントは狙ったフェイントしかしない。苦しい場合はパスアタックで相手の居ない場所に落とす。アタッカーはコース打ち、バックアタックは必修ですね。囮、速攻、ブロード攻撃はセンター、ライトは必修ですね。個人技としてバランススマッシュ、タッチ攻撃はアタッカーはマスターして欲しいです。これだけ要求して漸く世界と同じ土俵で戦えます。フィナル3みたいな試合しか出来ないなら、東京オリンピックは参加して終わりでしょう。
5150
:
バレーファンの声
:2018/03/08(木) 19:32:32
大型選手が揃う外国チームでも
サーブレシーブは大事でしょうね?サーブレシーブが乱れれば、トスも乱れ高さやパワーが活かせないです。綺麗な放物線を描くトスを上げてれば大型チームは勝てますが、それを出来ないようにするには。やはりサーブの強化でしょう。東洋の魔女は変化球サーブでソ連のサーブレシーブを乱してリジョワのトスを乱して大砲リスカルに強打させなかったのが勝因です。昔も今も日本のバレーボールです。馬鹿の一つ覚えのジャンプフローターだけじゃ崩せません。
5151
:
ていたらく
:2018/03/09(金) 00:43:59
ロシアは守備が下手
練習嫌いな選手が多いと思います。レシーブが下手だと噴水バレーも出来ないです。
5152
:
庵
:2018/03/09(金) 10:36:20
1986年グットウィル大会
動画アップありがとね!
まだこの時点では大谷がレフトで、ライトの小野が体調不良で控え、その代わりに益子がライトへ入ってたんですね!廣も参加してる。
動画を見る限り、何か普通といいますか、核となる選手がいませんし、ムードが悪い。
唯一、雰囲気の明るい益子ではあるが、何か先輩方に気を使ってる感じで伸び伸びプレーは出来てない。
やはり、明るい大谷ではあるが、残念な事に決定力がない為、そのムードが発揮出来ない。
廣もまだまだ学業との両立で未完成な時期。
いくら中田がラリー中の速攻を多用しても、かつての江上、三屋せめて石田の様なコンビは使えない。ライトも小高でもいればだが、所詮、江上・三屋あっての小高。あの1986年の全日本にいても意味がない。ただの選手。
このチームのエース梅津がしなやかな体でスパイクを打ち込みも決まらない。
中田との相性も悪そう。お互い目も合わせない。それでは決まらない。信頼関係ゼロ。
に合わせて梅津はレシーブ、ブロックが全くダメ。
決めても心の底から笑ってない。周りが気を使う。同じダイエーの松沢がいたから良いものの、松沢が梅津を気に掛けてる感じ。
控えの本郷が途中出場するが、表情が乏しい。途中交代するタイプの選手ではない。
世界選手権の予選では勝ち続けたましたが、やはり佐藤伊知子の存在が大きい。
佐藤をレギュラーに抜擢したから、あの予選3連勝したのよ!
やはり同世代ばかり集めても歯車が狂うとそのままズルズルと崩れていくのよ。
核となる芯となる選手がいないとダメね。
5153
:
昔の人
:2018/03/09(金) 11:10:30
86年世界選手権
チームワークがダメ
5154
:
バレーファン
:2018/03/09(金) 11:58:34
教えて下さい
今まではVリーグや国際試合などの日程、結果等は
『俳球博客』で見てたのですが、廃止になったようなので、それに変わるネット等があれば教えて下さい!
5155
:
ナイト07
:2018/03/09(金) 14:54:03
海外開催が殆どの世界選手権で
スポンサーと周りのしがらみから解放され監督は
本当にやりたい事に挑む傾向にある。
86年の小島さん 90年の米田さん、2014年の眞鍋さんらは
”奇策”とも思える人選と戦術を採用した。
90年は斎藤・大林をセンターにコンバート、吉原ら元からのMB選手に反感の火種に、
両ウイングも慣れないMBブロックの動きについていけず、斎藤の膝の怪我の原因に>大林も前年度怪我上がりで絶不調だった。前者は翌年以降辞退する事に。
米田さんが日立に呼び戻された時に大林・吉原が会社に猛抗議したのもずっと全日本での采配に納得がいかなかったのでしょう>解雇される事に。吉原の世代は優秀なMBが豊富にいたのにも関わらず多治見をMBにコンバートさせましたからね。(松川、鈴木、江藤、山岸など10数名と豊作でした)
86年の大谷もキャッチとブロックが買われ慣れないライトにコンバートされるが、87年以降姿を消すことに。
前回の世界杯でもハイブリッドなんちゃらで宮下がMBでブロック・石田・迫田もMBでブロックする
体系を組んで臨んだ。石田に対してロンドンの個人的な仮を返す思いもあったものだと思いますが、元からMBをやってる
選手にとってはあまりにも理解し難く許せないものがあったのでしょう。大会中空中分解したように見えました。
それまでは上手く行っていたような眞鍋体制に大きな亀裂ができ、それが16年のリオのあの酷い結果に繋がったのでは。
こうして思い返してみると、この3大会に共通しているのはオリンピックの2年後に強化が上手くいかず日本型で通用するMBがいなかったこと。それをカバーするために攻撃力とある程度ブロック力のあるウイングをポジションコンバートさせ、結局即席チームは一流チームには弱点を簡単に見抜かれボロボロと叩き潰される結果に。その2年後のオリンピックにも悪影響を及ぼす。柳本さんが吉原、多治見を呼び戻したのは経験のある軸となり得る選手が必要だという事を理解されていたのでしょう!やっぱり日本バレーは強力なMBなくしては成り立たないものだと思います。
90年の米田さんの時が一番酷い事に、坂本(ダイエー)が骨折・斎藤膝の怪我、、、そして史上最低の8位に。
14年以降新鍋が去った。佐野・新鍋のキャッチの3本柱の2本を失った眞鍋ジャパンは木村一人に負担がのしかかり崩壊した。
選手をゼロから育てるノウハウのない元3流プレーヤー眞鍋は結局リオまでチームを作り上げる事ができなかった。
セッター田代をオリンピックの年の4月に招集したのを見て、、試合する前から無理だなと思っていました。
前回の世界杯で上位国は、リオでもそうでした。195cm級の選手があれだけ拾ってつないで、全く球が落ちない。ミスも少ない超ハイレベル世界に突入しています。
日本はベーシックの3本柱、キャッチ・デイグ・トス+サーブが完璧に近い状態で臨められるように
仕上げて行って欲しいものです。
https://www.facebook.com/valdonis.araujo/videos/1355447431227597/
https://www.facebook.com/valdonis.araujo/videos/1355447431227597/
5156
:
短足
:2018/03/09(金) 14:58:13
1986年全日本
結成当時は、前年度(1985年)より若返り活きの良い選手が集まり、楽しみでした。
特に小野弘美が気持ち良い位に感情剥き出しのファイトで好感が持てた。
サウスポーからの切れの良いクロススパイクは小気味良く1986年の新生全日本のアピールでした。
もう1人、松沢緑。
ブロード攻撃、タッチ攻撃、顔も美人で、身長も177センチ。
江上引退後の江上の再来かと思わせるプレーや雰囲気で、日立ベテラン勢がいなくてもやれるぞ!!と思ったものです。
前年度(1985年)の全日本候補から落ちた面々が、リーグを通して活躍し、復帰したガッツの石掛、蘇った大谷、オールマイティーな本郷や益子、、、本当にやってくれると信じてましたのに。。。
以前も書き込まれてましたが、置田佳子を主将に、前年度のエースだった松並早苗、この2人が加わってれば、チーム内の雰囲気が良くなっていただけに勿体無かったですね。。。
5157
:
昔の人
:2018/03/10(土) 09:50:54
世界選手権
開催国、以外の時は常に惨敗です。13位以下には今年は開催国だから、ならないと思いますがアウエイなら危ないです。アウエイの大会だと日本が負けると深夜でも放送取止めです。
5158
:
昔の人
:2018/03/11(日) 09:03:07
おとなげなく
うまがあわなかっただけじゃないの?日の丸付ける価値は新鍋には無いね。ちょっと他の選手より今は上手だからって時間が経過したら中田久美みたいに悪く言われるでしょうね。ワガママだけでダメです。仮に日の丸付けるなら皆の期待と応援があるのに、そうそう、自分勝手に辞められますか?あの白井貴子でさへミュンヘンオリンピック前の合宿所を逃げたしたけど佐藤コーチに悟られて納得してます。白井貴子からみれば新鍋なんて100年早いです。気に入らないなら参加しなくて結構ですになりました。諭される戻す程の価値は新鍋には無いです。皆、日の丸付けて下手なりに頑張ってます。そんな輩はチームワークを乱すだけです。守備が上手いスパイクが上手でもバレーボールは6人のチームワークが一番です。新鍋程度じゃ伐られます。木村沙織なら一大事になったでしょうが自分にたいして過大評価し過ぎです。
5159
:
ていたらく
:2018/03/11(日) 10:30:44
新鍋
特別扱いされる選手では無い。 昔の高橋みゆきクラスの選手です。
5160
:
アルタガモワ
:2018/03/11(日) 13:18:49
それを言ったら
大懸、高橋選手に失礼でしょう・・・。私個人は高橋選手はふざけて見ててとても不愉快な印象でしたが、バレーに関しては常に外国人選手二枚ついていてもぶち破ったり、先輩の大懸に習った様な相手選手の右指先を僅かに当ててポイントを取ったりとある意味技巧派の選手でもあったと思います。
前衛でもラリー中センターにクイック、セミの低い意図のあるセットアップしたり、一度しか見た事はありませんが何かの国際大会で多治見にブロードのトスを上げたり・・・等々新鍋選手とは全く違う役目をしていた様に思えます。
5161
:
ナイト07
:2018/03/11(日) 14:17:54
新鍋は、、80年代の鄭美朱より
下です。本来ならこの程度の選手をもてはやしている事事態、いかにロンドン以降眞鍋さんの育成が
できていなかったかが解る。(木村の代わりとなり得る選手・リベロ・新鍋を超える選手がいない)
30年経って郎平さんが現役頃のチームメートで程度の選手しか頼りになる選手がいないのは寂しい現実です。
そうは言っても彼女なしでは今の久光といい、中田さんの目指しているバレーがなり立たないような状況です。
経験と実績面でいないでしょう? トヨタの高橋・JTの田中といいことごとく叩き潰されましたが、
今年の全日本、課題山積である事は間違いなしなのでは?!
5162
:
ていたらく
:2018/03/11(日) 16:38:52
新鍋が6人いても
本来ならオリンピックには出場できませんよね。
5163
:
なげかわしい
:2018/03/11(日) 22:00:56
ゆゆしき事態
新鍋レベルで日本に必要な選手じゃお先真っ暗ですね。真鍋監督が選手を育てないと言われてるようですが、それは真鍋監督、一人の責任では無いですよ。基本は、やはり普及と強化が出来てなかった事でしょうね。真鍋監督に対しても周りもサポートしてなかったと思いますよ。バレーボール協会の中でも足の引っ張り合いもあると思いますよ。銅メダル監督の真鍋監督が気に入らないとか嫉妬もあるでしょうね。柳本さんの遺産で銅メダル取ったとか?嫌がらせもあったんじゃないかと想像できますよね。松平さんも女子バレーが男子バレーより活躍したら気に入らないとか思ってたでしょうね?
5164
:
カルバハル
:2018/03/11(日) 22:41:41
確かに
35年位前の鄭美珠より新鍋のレベルは下ですね。下と言うより、かなり下だと思います。モントリオールの高柳選手と比べたら、どっこいどっこいか新鍋の方が下かな?まあ、そんな程度の選手が今、日本でトップを張って全日本になくて、ならないと選手なのは、やはりレベルは低下ですね。モントリオールで確かに活躍した高柳選手ですが、当時の全日本では、高柳選手とレベルが代わらない選手は他には居ましたからね?それと比べると今の日本女子チームは、モントリオールオリンピックの金メダルチームより守備は確実にレベルは低いのにサーブレシーブは二人なのは、無理がありすぎですね?
5165
:
カルバハル
:2018/03/12(月) 03:32:51
確か専門誌で
モントリオールのメンバーで一番早いのが白井の、ひかり攻撃、二番は矢野のBクィック、三番は高柳のAクィックと書いてありました。新鍋じゃ、話しにならないとかも?そもそも、日本は男子も女子も守備は世界に対抗出来る力があるんだから、サーブレシーブは5人でするべきですね。サーブレシーブが下手な選手が多い海外のチームは攻撃がだけに備えてもOKですけど。守備が命みたいな日本チームはサーブレシーブが崩れる=負けに繋ります。5人で範囲を決めてサーブレシーブすれば、新鍋ごときに、ヘイコラする必要は無いと思いますよ。攻撃だって新鍋が勝れてる訳でも無いです。すでに、今の日本女子チームは新鍋に、かき回される感じです。あの、ソ連のスミルノーワさへ邪魔にならないように、申し訳ない程度のサーブレシーブはしてました。またサーブレシーブ2人て80年モスクワオリンピック優勝のソ連男子のプラターノフ監督が編み出したサーブレシーブです。戦術としては、古い戦術です。攻撃力のあるAパスでなくても、スパイクが決められるチームの戦術で日本には不向きな戦術だと感じます。
5166
:
元選手
:2018/03/12(月) 09:43:54
170センチ〜175センチの選手
日本には守備が上手くブロックアウト狙ったりコース打ちしたり、速攻に入る選手でサイドから攻撃力ある選手て沢山居たはずてすが、よーわ新鍋レベルの選手さへ減りましたね。センター不足になりましたが昔はセンターて豊富で、レフトの大砲が慢性的に不足しましたが日本チームの土台である守備が上手く、テクニシャンな選手も減りました。これはバレーボールの普及に一番問題ありますね。セッターも不足してるし、リベロも不足、単独チームも弱体して核にるチームワークもイマイチで長期合宿もリーグがダラダラ続くし、ままならない。もう、おしまいかも?
http:/
5167
:
ていたらく
:2018/03/12(月) 10:14:00
新鍋タイプの選手て
守備が上手い、ブロックアウト、コース打ち、リバンドが上手い、速攻にも入る選手て日本には沢山居たタイプですよね。そんかタイプすら不足してます。センターも少し前までは豊富でしたが今は不足、リベロも並み、セッターも不足、日本は慢性的に昔から不足してるのは大砲でした。単独チームも凡戦の中で久光が、まあまあだけ、チームワークを強化するには、あまりにも凡戦リーグが、ダラダラ続き長期合宿も、ままならない。普及に問題あります。少子化ですが他の競技は芽が出てます。真鍋監督だけの責任では無いですね。バレーボール協会が一番問題あります。
5168
:
バレーファンの声
:2018/03/12(月) 13:59:47
久光程度
そもそも世界のクラブチームからみて久光程度でナショナルチームの核を担う事は無理でしょう。選抜チームで長期合宿して始めてチームらしくなります。ノンベンダラリンの、ただ長いVリーグ強化の邪魔してますね?東京オリンピックは、どうでも良いんでしょうかね。一世一代の大チャンスだから他の競技は、ドンドン結果を出してます。誰が悪いでなく協会全体が悪いです。常に危機感をもって欲しいです。男子バレーみたいになったら100年経過しても復活しません。2年後の東京オリンピック後は男子と一緒に日本バレーボールの灯は消えますよ。有明アリーナは墓標になります。国民はバレーボールが無くなっても困りません。忘れ去られたスポーツになります。
5169
:
昔の人
:2018/03/12(月) 14:19:35
ロンドン前は
新鍋は全日本で無心に頑張ってる感じしましたが銅メダリストになり変わった感じしますね。監督の方針が気に入らないから勝手に辞めれる?日の丸付けて日本の代表チームの一員だったんですよ。昔、松村勝美が自分一人では無い。会社の人、郷土の人、今までお世話になった人、家族、などなど沢山の人の思いを背負ってるから頑張れると言ってました。オリンピックに行きたくても殆どの人は行けません。オリンピック目指して一生懸命、練習してもオリンピックのコートに立てる人は居ません。頑張ってもシドニー組みはオリンピックに行けませんでした。そんな沢山の人の思い背負ってる全日本に選ばれたのに監督の考えが合わないからて、諦められる?考え方ですが今の日本女子チームに居ても中田久美と考えが合わなくなったら、そんな輩は、また事態します。
5170
:
ていたらく
:2018/03/12(月) 21:19:47
新鍋が凄いんじゃなく
他が、或いは周りがダメだからです。大した事ないけど目立つだけ、ママさんバレーに元Vリーガがチームに入ると目立ちます。そんな感じ。
5171
:
アルタガモワ
:2018/03/12(月) 22:00:17
新鍋選手
同じ比べるなら身長もほぼ同じ右利きライトの甲斐のあの斬新な動きとテクニック。そして椿本あの個人単独の絡む事無く得点出来る能力。しかも二人とも今の新鍋選手よりかなり若くて開花してますもんね。
足元にも及ばないでしょう。
5172
:
昔の人
:2018/03/13(火) 11:10:27
まあまあ出来る選手は
残念ながら新鍋しかいないです。
5173
:
カルバハル
:2018/03/13(火) 20:12:57
日本の要である
守備、サーブレシーブが上手い選手が居ないから、新鍋が必要なだけ、二人でなく5人でサーブレシーブすれば下手くそでも上手な選手が下手くそ選手の範囲をカバーすれば済む事です。しかし、日本女子で、サーブレシーブが上手な選手は新鍋以外、居ないんでしょうか?どんなにスパイクが凄くてもサーブレシーブが下手くそなら使えません。オーバーハンドパスは練習だけでは上達しない微妙なボールが手の中に入る感覚があるんですが、アンダーハンドレシーブは練習を沢山して足、腰や膝を使い訓練すれば上達します。サーブレシーブが上手な選手が少ないのは個人的には練習にサーブレシーブの時間を、もっと多く割く練習量が少ないんじゃないかと思いますね。基本が出来てないって事ですよ。指導者がバレーボールを知らないんでしょうかね?サーブとサーブレシーブの強化が最優先ですね。
5174
:
カルバハル
:2018/03/13(火) 20:32:28
80年のソビエト男子バレーから
サーブレシーブを二人するシステムですが、それから現代は女子バレーまで波及してますが、私、個人的に気に入らないのは、サーブレシーブを軽視してる傾向が気に食わないです。実際、男子バレーはスパイクサーブが決まるか決まらないかで勝負が決まる、つまらない競技になりました。サーブレシーブが、しっかりしてれば、そんな風になりません。サーブレシーブを軽視してるとしか思えないんですよね。ましては日本はサーブレシーブは命綱です。サーブレシーブを軽視しているからサーブレシーブが上手な選手が育成されてないです。どんなビックサーブでも、サーブレシーブ強化すれば上げられます。セッターに返せます。それが出来なければ他は、何も出来ません。センターが不足と言われてますがサーブレシーブがセッターに返らないならセンターはブロック要員です。とにかく、崩されないサーブレシーブが出来れば日本女子は今より強くなります。
5175
:
たら、れば
:2018/03/13(火) 23:07:13
本質的に
昔も今もサーブレシーブをセッターに返球する確率が高ければ勝てます。
5176
:
たら、れば
:2018/03/14(水) 07:26:50
世界選手権
利益が見込まれそうも無いようですね。日本が勝ち進めは状況は変わるでしょう。今後は日本開催のバレーボールもチャイニーズマネーで中国開催になるかも?知れませんね。日本は東京オリンピックで終わりそうですが中国女子バレーが強ければ、なんとかオリンピック種目に残るかも知れません。オリンピック種目から外れたらチャイニーズマネーも、バレーボールを見離すでしょうね?
5177
:
ていたらく
:2018/03/14(水) 11:04:04
ワガママ、コンビ
中田久美と新鍋、大した実力も無いのに、周りを巻き込んで、ワガママ放題、師妹関係です。新鍋、生かしてチームは殺す。
5178
:
ていたらく
:2018/03/14(水) 11:58:08
結果は銅メダリストです。
しかしチームスポーツだから、それだけで実力がある判断は?モントリオールの荒木田は金メダリストですが銅メダリストの江上や木村沙織より上に思えますか?あの
5179
:
嘆かわしい
:2018/03/14(水) 11:59:45
ワガママ大会なら
中田久美か金メダル、新鍋は銀メダリスト
5180
:
アルタガモワ
:2018/03/14(水) 20:26:42
今の人様
メダリストと言う事実は分かります。私が言いたいのは甲斐、椿本と新鍋選手が同じ時期に存在していたなら二人には敵わないでしょうと言う事です。
新鍋選手のファンだったら嫌な気がしますよね。
5181
:
しゅんち
:2018/03/15(木) 02:43:41
バレーは六人
確かに個人技では、新鍋のプレーについてはレセプション以外、二段トスを除けば、大林時代のライトプレーヤーの甲斐、椿本だけではなく、三田村、林とかにも及ばないと思います。
新鍋の攻撃って、結局海外のオポジットと同じような動きしかしないし、ある程度個人技を使うけどなんか淡白。それはJTの目黒や橘井、NECのライトにも言えるなど、今のプレースタイルなんでしょうか?
甲斐はブロードしたり違うのでわかるんですが、椿本や三田村、林は気持ちが表に出るファイター的なのもあったのが、チームを鼓舞し良い方向にしてたかなと思います。
ただ、ロンドンオリンピック中国戦と韓国戦に限ってのライトプレーヤーは、甲斐や椿本では勝てなかったでしょう。あのメンバーには間違いなく新鍋が必要だったのです。山口ではなくてね。もちろん、大林や佐藤、小高とか歴代全日本メンバーと比較したら、そりゃ敵わないと思いますけどね。
5182
:
元選手
:2018/03/15(木) 05:50:17
残念
水原理恵子選手、亡くなられたようですね。早すぎます。小川、水原のコンビはブロックが跳ぶ前に刺さるようなスパイクでした。高さがある訳でもないが練習の賜物みたいなサウスポーでした。守備力も考えると大林とタメを張るライトアタッカーでした。御冥福を祈ります。
http:/
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/
水原理枝子
5183
:
元選手
:2018/03/15(木) 05:52:32
残念
新鍋なんて、水原の足元にも及ばない。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/
水原理枝子
5184
:
昔の人
:2018/03/15(木) 07:15:45
狩野舞子
銅メダリストだけどチームに貢献しましたか?メダリストだけで分けてはダメです。大林はメダリストでは無いです。ロンドンの新鍋と今の新鍋とは立場も違います。今の新鍋だとチームに良い影響与えられますか?ロンドン時より駒が無いからって新鍋は変わらないとチームは向上しません。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/
水原理枝子
5185
:
アルタガモワ
:2018/03/15(木) 07:18:44
水原選手
ご冥福をお祈り致します。私の思春期〜青春時代のNo.1ライトアタッカー、小川→江上のクイック→水原選手の時間差とても格好良かったです。でも今はただ悲しい。
5186
:
久しぶり
:2018/03/15(木) 08:58:49
水原理枝子さん
ご冥福をお祈りいたします。
過去画像でのワールドカップ81でのいぶし銀ともいえる安定した活躍。
82年の世界選手権ではアメリカのセリンジャー監督に、「マークするのはNo1(水原の背番号)のみ」
とも言わしめました。
大林素子と共に、歴史に残る名ライトプレイヤーです。
しかし、81年のワールドカップは、空前のバレーボールブームを呼び起こすだけのものはあります。
広瀬美代子をはじめ、役者が揃っている。
横山樹理のバックアタック、三屋裕子のセンターオープン、江上由美のブロードなど、今ある戦術は
当時ですでにあるんですね。元祖バックアタックは山内美加のように言われていますが、横山ですね。
しかしキューバはすでに男子バレーのよう。それに拾い負けしない全日本もすごいですが…。
5187
:
カルバハル
:2018/03/15(木) 09:13:31
幻のモスクワオリンピックの試合観て
水原選手ライトから、かなりスパイク決めて一番、元気よく見えましたが人間判らないものですね。水原選手を悪く言う話は聞いたことないです。専門誌では鳥取家政高校から取りあげられてました。サウスポーなだけで特別勝れた選手では無いが努力して素晴らしい選手になったと松平さんも言ってました。81年ワールドカップでは日本では一番得点を上げた選手ですが横山、広瀬、江上、三屋とは違い、いぶし銀と言われてましたが実際は日本の大エースだったんですよ。水原選手はライトアタッカーなんで相手のブロックは郎平やハイマンのブロックをぬって決めてたんだから凄いです。
5188
:
久しぶり
:2018/03/15(木) 09:18:45
続き
以前乳癌を患っていたはずですが、やはりそれでしょうか。
有名人でも長く患った田中好子さんなど。生稲晃子さんも3回ほど手術されていますが、油断できず
こわい病気です。特に生稲晃子さんは芸能生活を見てもなんかついてない感じがして。
(工藤静香にセンターを奪われるなどをはじめ。確かにこの人は歌唱力に難ありですが。田中好子さんも、
伊藤蘭さんにセンターを奪われ、そのあとキャンディーズの人気がうなぎ登りになたんでしたっけ。)
話変わって横山樹理、ピークは過ぎ終わりの気配も感じられますが、特に高さは衰えたとはいえパワーはまだ
すごいですね。
郎平よりもパワーなら上ですし、世界歴代で見てもナンバーワンクラスなのでは?。
球速というよりは、ボーリングの玉が上から襲ってくるような、破壊系で攻める感じ。
5189
:
カルバハル
:2018/03/15(木) 09:23:37
水原選手
守備力も攻撃力もありますがブロックが苦手な選手でした。小川とのコンビは練習の賜物ですね。今のチームと明らかに違うのは守備力ですね。スパイクレシーブとサーブレシーブが違います。広瀬が居なくても違いますね。当時はサーブレシーブが上手な選手が5人でサーブレシーブしました。日本のライトアタッカーは大林、小高を含めて歴代、ブロック力がイマイチです。ブロックが良ければ守備も助けられて順位は1ランク上がったかも知れませんね。
5190
:
久しぶり
:2018/03/15(木) 09:28:04
努力の人
松平康隆元専務理事は、水原のことをそう讃えておりました。
小川かず子との移動攻撃のコンビは生で見たかったです。
78年の全日本ではレフトのレギュラーのこともありました。(怪我で帰国し代表からもれましたが。)
5191
:
久しぶり
:2018/03/15(木) 09:38:41
小川かず子
水原理枝子さんよりブロックがうまかったんですよね。
ライト選手でブロックだけなら満永ひとみは悪くなかったのですが、全日本入りしてから
みるみるうちに精彩を欠いてリーグでも並みの選手に落ちてしまいました。
チーム内でいじめられていたという噂がありますが。
オールラウンドが売りでしたが精彩を欠くとそれが、どのプレーもいまいちになった状態。
表情の暗さもあり、噂は本当だと思わざるを得ません。
5192
:
カルバハル
:2018/03/15(木) 10:35:53
小川かず子
確か池坊短期大学時代、大学リーグでブロック賞を取ってます。タイミングが上手で、ごくたまにハイマンとか叩きつけるスパイクをブロックしましたね。身長は、勿論ですがタイミングもブロックは大切です。松田紀子もブロックは上手でした。手が長いのでブロックは高かったですよ。山田監督はセッターはブロックも上手でないとダメだと言ってました。高さがある割りには小高は、上手でないし、ドキドキ、ブロックをサボりますね。水原選手はタイミングが上手でなかったです。ブロックが上手なのは、やはり飯田がナンバー1です。江上がナンバー2ですね。多治見も上手でしたね。三屋は高さはあるが、上手では無いですね。ブロックジャンプは、あまり、高くなかったようです。生沼も意外と意外でブロックの名手です。日本は伝統的にブロックは苦手です。タイミングを取るのが下手くそです。そこは、やはり海外のコーチが教えた方が良いですね。中国は身長が高いだけでなく昔から上手です。周暁蘭の天安門ブロックに、やられた感じします。
5193
:
カルバハル
:2018/03/15(木) 10:52:01
パワーだけなら
横山樹理か奥嶋が歴代でも一番、二番を争うアタッカーですね。白井よりパワーなら負けないですね。須藤佳代子、山内もパワーありましたが横山には勝てないでしょう。横山は背筋力があり、独特のスパイクフォームでブロックを弾き飛ばしてました。エビゾリのようなスパイクフォームは速攻には入りずらいのでモントリオールではレギュラー入りは厳しかったです。移動攻撃は、面白いように決めましたね。キューバのポマレスとパワーだけなら負けませんて感じでネットから離れたトスを横山は好んで打ってました。不参加のモスクワオリンピックが、ピークだったのは残念ですね。
5194
:
元選手
:2018/03/15(木) 11:00:35
奥嶋
確か中学時代、砲丸投げで全国中学選手権大会で素人で陸上部に駆り出されて3位になった実績があり強肩でパワーがありましたね。横山樹理よりボールは重たい感じしました。横山樹理も目指してる選手はソ連のリスカルと言ってました。リスカルは現役の時のパワーは圧倒的でしたね。後にスモレーワがリスカルのスパイクは重いし、ブロックもレシーブもサーブも、なんでも出来ると言ってました。トスも上げてました。
5195
:
教えて
:2018/03/15(木) 12:21:50
先野
意地悪する雰囲気ありますね。
5196
:
久しぶり
:2018/03/15(木) 12:24:05
先野久美子
おちゃらけてて嫌いな選手でしたね。個人の感想。
速攻も遅く世界に全く通用しない。公開処刑的な試合もありましたね。
ざまあみろって感じ。
それでも第6回Vリーグで、スパイク賞を取っているのですがね。
見た目で判断してはいけませんが、いじめ、やりかねないですね。
5197
:
バレーファンの声
:2018/03/15(木) 12:26:03
横山樹理
あの独特のフォームは背筋力を活かしたフォームなんでしょうね。背筋力だけでは、あんなパワーは出ませんね。ブロックに当たってもボールは、遥か遠くに飛んで行きます。高校時代、スパイク打ったらボールはコートに落ちた後2階席にボールが跳ねて入った武勇伝がありますね。
5198
:
元選手
:2018/03/15(木) 12:31:41
先野久美子
毎回、毎回、全日本に選ばれましたが最終専攻には残ってませんね。生きの長い選手でしたが、久光製薬で後輩を虐め続けたんでしょうか?観た感じで虐め感じします。
5199
:
アルタガモワ
:2018/03/15(木) 13:43:15
私達50半ばの・・・
人間から見ると横山樹理はスーパー選手だと思います。パワーだけ言うなら白井選手より断然凄いと思います。でもその彼女自身が「私なんかより奥嶋選手の方が断然上です」と言うビデオテープが残っているのですが・・・私は奥嶋選手の現役時代のアタックを知らないから・・・。
何れにしても日本女子バレーはロスで終わりだったんでしょね。
大林の様にスーパー選手が現れても(個人的には魅力を感じませんでしたが凄いと思います。)メダルからは遠ざかりました。
多分協会がアイドルとして目先の事しか考えなかったんでしょうね!
個人的には魅力を感じませんでしたが素子もある意味被害者だったかも。
5200
:
カルバハル
:2018/03/15(木) 13:54:59
横山樹理
横山樹理自身インタビューで背筋はあるんですが腹筋は無いて笑って言ってましたね。また横山の謙虚なのか?照れ臭いのか?奥嶋は、私よりパワーがあるって言ってましたね。腹筋や背筋が理想的あるのは当時では須藤佳代子選手が理想的なアタッカーとも専門誌に書いてありました。エリートの須藤、雑草の横山樹理と言われてました。二人がエース対角で組んで大きな大会で試合したのて78年の世界選手権とアジア大会位しか無いですね。須藤が怪我が多くて残念でしたが怪我しなかったらロスまで出来たかも?知れませんね。八王子実践高校で一番高校時代、活躍したのは、やはり須藤佳代子ですね。5大会連続優勝した大エースです。横山―須藤の対角、須藤―杉山加代子のエース対角、観て見たかったです。センターは佐藤裕子―江上、ライトアタッカーは、勿論、水原理恵子、セッターは小川かず子、井上、北井、田淵も見たかったです。更に三屋、広瀬、小高で中国に立ち向かって欲しいです。中田久美も性格が少しは変わったかも?知れません。
5201
:
久しぶり
:2018/03/15(木) 15:28:11
水原理枝子
ユニチカの小島孝治監督は、「ぱっと見さえなく、足べたをつけてべたべたと歩く」
水原をみて、「この子は、モノにならない。」とはじめは判断したのだとか。
それが全日本の背番号1番を背負うまでになったのですからね。
とはいえユニチカか日立に入れる素質があり、そのうえで努力を重ねて得たたまもの。
水原タイプの、こつこつ努力を重ねて信頼感あるスパイカーに育ったというのは実は
あんまりいないように思われるのでその意味でも貴重でした。今のVリーグの選手は
見習ってほしい人たちがたくさんいそうです。
近い時代の選手で言うなら、迫田さおりあたりがその位置づけに近いかな?
(違う意見の方はすみません。)。
まだまだ逝く年ではないでしょうに…。
5202
:
昔は選手
:2018/03/15(木) 16:36:40
奥嶋桂子
三田尻女子からカネボウに入社して都市対抗バレーで、いきなり若鷹賞を授賞して驚きました。身長も、そんなに高く無いし、当時は、まだ名門高校でも無いし、都市対抗バレーで優勝チームでも無い。日立、ユニチカの次、みたいなカネボウでしたが活躍しまさしたね。確にボールは重い感じで守備も上手で、爽やかな感じのエースでした。同じカネボウのエース、真方の方が長身で期待してましたが奥嶋の方が活躍した感じです。強肩て見た感じからも判り肩幅があったのか肩の筋肉が盛あがってたのか頭が小さく見えて女子より男子みたいな体つきでした。横山の対角は須藤、吉永、広瀬とかわりましたが、吉永より奥嶋の方がバワフルエース対角て感じです。しかし横山の対角も沢山かわりました。同じく江上の対角も矢野→池知→清水→佐藤→三屋→廣、日立では矢野→金子→石田→三屋と変わりました。
5203
:
教えて
:2018/03/15(木) 16:42:54
村田美津子
奥嶋と同期ですか?水原選手は日本が好む努力の人みたいなタイプですね。
5204
:
カルバハル
:2018/03/15(木) 17:11:03
水原選手
決して派手な感じな選手じゃないし器用に、何でも出来るタイプでは無い選手ですね。サウスポーなのを活かして努力を積み重ねて日本ライトアタッカーを張った選手ですね。ポジションもライト一筋で超一流になった選手で日本人が好きな涙と汗と努力で掴んだ栄光みたいな典型的な選手です。ユニチカのライトアタッカーとしても代表的なタイプですね。日立なら、飼殺しで終わりて感じです。お姉さんのアドバイスは良かったですね。あつかましくなく、控目で派手な感じしないけど一番沢山、点数を取ったのは水原でしたて感じです。メンタル面でも中田久美や新鍋は見習うところが多いと思いますよ。??水原は確かユニチカに入った時に凄く厳しい練習を続けても日立に勝てなかった事をしみじみと話してました。あんなに練習しても日立と対戦しても、対戦しても全く歯が立たなかった言ってました。きっとモントリオール金メダルメンバーが日立に居る間に勝ちたかったんでしょうね。
5205
:
教えて
:2018/03/15(木) 20:17:45
奥嶋桂子
江上を抑えて若鷹賞だったんですか。凄いですね。江上より金子佐知子の方が先に日立のレギュラーになったんですよね。
5206
:
元選手
:2018/03/15(木) 21:17:17
滑川玉江
180センチでサースポーですが動きが、遅いですね。水原理恵子の方が守備も良いし、きびきびした動きでした。
5207
:
元選手
:2018/03/15(木) 21:23:31
身長が高くても
動きが鈍いと活躍は厳しいです。中村理恵も残念、備前も残念、高橋めぐみも残念、西村当子、滑川玉江、須田孝子、山岸理佳子、も残念。意地悪しそうな先野久美子は他の意味で残念。
5208
:
久しぶり
:2018/03/16(金) 00:15:42
奥嶋桂子
78年アジア大会では当たりのでない須藤佳代子に替わり横山樹理の対角で出場し大活躍しています。
優勝時のコートメンバーは、石川嘉枝、横山、水原理枝子、小川かず子(ユニチカ)、奥嶋(鐘紡)、江上由美(日立)
で、優勝を喜びあったようです。何気にこのメンバー、安心して見ることのできる選手ばかりですね。手堅い。
79/80日本リーグでユニチカに唯一土をつけたのが奥嶋率いるカネボウでした。
2002年の画像でもパワーヒッターの印象ですが、現役時代も見てみたいですね。
比較的近い選手だと、星野賀代もパワーならトップクラスだったと思います。
話替わり先野久美子、 中田久美と同じ部屋で飼育してみたいもんですね(笑 )。他、大谷佐知子、大友愛なんかも
交えて。倫理や義理など何もなさそうなメンバー。
5209
:
昔の人
:2018/03/16(金) 06:00:35
78年アジア大会
水原理恵子選手、出場してたんですか?膝の怪我で世界選手権は辞退したけど回復したんですね。川又洋子選手がライトアタッカーで大活躍した大会でした。郎平がデビューした大会で世界選手権2位の日本も矢野、高柳、吉田が全日本は引退してピンチの大会でした。世界選手権4位の韓国、5位の中国に勝ち、中国は2位になった大会ですよね。
5210
:
久しぶり
:2018/03/16(金) 07:22:09
川又洋子
水原理枝子はけがからは復帰していますが、メインライトは
三洋電機の川又洋子だったかもしれません。すみません。
79年序盤は全日本のキャプテンも務めていました。
取材でも先輩の前田悦智子を引き合いに出されることも多く、
「私は前田さんじゃない。」といいのける気の強い選手だったようです。
噂ですが、この選手も、もう鬼籍に入られたとも(詳細不明ですが。)
5211
:
昔は選手
:2018/03/16(金) 07:56:54
ライトアタッカー
滑川は?78年アジア大会
5212
:
昔の人
:2018/03/16(金) 10:00:34
78年アジア大会
確か韓国戦で劣勢でしたが誰と代わったか覚えてませんが川又洋子が入り大活躍して逆転して勝った試合です。ライトアタッカーの先発は水原理恵子?滑川?世界選手権のレギュラーライトの吉田は不参加です。しかし、何で世界選手権でなくアジア大会で郎平がデビューしたんでしょうね?世界選手権もアジア大会も中国は韓国に勝ってます。世界選手権開催のソ連が韓国に予選ストレート負けしたので韓国が1位通過になり2位通過の日本は準決勝、韓国と当たり勝ちました。78年世界選手権の事実上の頂上対決はキューバとソ連です。キューバが3―1で勝ちましたが日本は予選、決勝と0―3の完敗ですがソ連は粘りました。特にシュチェチニーナは活躍しました。スモレーワの最後の国際大会でした。
5213
:
昔の人
:2018/03/16(金) 18:19:22
奥嶋がアジア大会出場してたら
全日本デビューは吉永より先になりますね。吉永は横山より、やりにくとか言われてましたが実際に試合を観たら横山が後衛に下がると戦力は、明らかに落ちた感じでした。吉永の方がブロックしにくいとか国内の選手は言ってたみたいですが、リップサービスのような気がします。専門誌には、吉永の方が横山よりブロックしにくいと記載されてた記憶は無いですね。また奥嶋はパワーはありましたがコースが甘い感じで拾われました。やはり78年〜80年までは日本のエースは横山ですね。須藤が、イマイチ当たりが無かったのは残念でした。横山、須藤ならソ連のチェルニショワ、マカゴノワよりレフトは強力です。キューバがソ連と相性が悪かったですが明らかにキューバが強いチームでした。ポマレス、バルネット或はEディアス、ペレス、ウルヘリエス、テリエス、ガルシアはNHK杯でも、日本は一回しか勝てませんでした。
5214
:
カルバハル
:2018/03/16(金) 19:16:55
中国女子
78年当時は中国のエースは楊希でした。しなやかな体つきで手首を利かしたスパイクは素晴らしかったです。郎平がチームにアジア大会から入り高さを考えたら郎平、楊希のレフト対角だと日本のブロックは将来、厳しいと思いましたが楊希が控えになり張容芳はレギュラーでした。楊希より張容芳の方が当時は勝れてるとは当時は思えませんでしたが2人の差は守備と気持ちの差かも?知れませんね。楊希の活躍、もう少し観て見たかったです。山田監督は袁監督が郎平に、こだわり過ぎる割りを喰ったのは楊だと専門誌で語ってました。
5215
:
昔の人
:2018/03/16(金) 19:27:38
モスクワオリンピックのメンバー
ライトアタッカーは水原理恵子しか選考しなかったですね。体調壊したり、怪我したら、誰がライトに入ったんでしょうか?セッターも控え古橋でしたが小川の変わりにはスタミナ的に厳しいですね。センター池知、清水、石川、江上、三屋と5人も選考して、小島監督は、どういうつもりだったんでしょうね?センター5人は多すぎです。川又洋子は怪我でしたが他にライトアタッカーは当時、全日本のレベルの人は居なかったんでしょうか?大学生の滑川でも良かった気もします。81年ワールドカップもライトアタッカーの控えは居なかったと思いますよ。
5216
:
教えて
:2018/03/16(金) 23:18:18
宍倉邦江
179センチの大型サウスポーで176センチの井上とエース対角を組んでましたが前衛に上がるとライトアタッカーで打ったんでしょうか?或はキューバのベルみたいにサウスポーでもレフトで打ったんでしょうか?補助アタッカーの福中、小嶋は宍倉が前衛になるとレフトアタッカーに変身するんでしょうか?高山、生沼のセンター兼セッターは不動ですがセンター兼セッターよりライトアタッカー兼セッターの方が攻撃力もあると聴いてますが、詳しい解説、お願いします。韓国の劉敬花、柳貞恵(或いは尹英乃)のツーセッターはバックトスが上手だとテレビ解説で前田豊さんが言ってました。バックトスを多用出来るならセンター兼セッターの方がバライティーある攻撃つ出きる気もします。
5217
:
元選手
:2018/03/17(土) 05:38:39
モスクワオリンピックのメンバー
やはり変な構成ですね。特にコンビ練習が必要なセンターが5人も居れば、それだけ合わせる練習に時間かかるしセッター小川にも負担がかかります。モスクワオリンピック前はキューバ、中国に日本は相性が悪かったです。モスクワオリンピック前は5強と言われてソ連、キューバ、日本、中国、アメリカ合衆国と言われてました。その5強を分析したらキューバと中国が2強で、勢いがある分、中国が上と分析されました。因みに分析では三番目が日本、四番目がソ連、五番目がアメリカ合衆国でしたが、不参加もありましたがモスクワオリンピックはソ連が金メダル、キューバは5位でした。81年ワールドカップは中国が優勝、セット率で2位、日本、3位、ソ連、4位、アメリカ合衆国、キューバは韓国にも破れて5位、韓国、6位キューバでした。82年世界選手権は中国、ペルー、アメリカ合衆国、日本、でキューバ、ソ連は予選落ちです。
5218
:
アルタガモワ
:2018/03/17(土) 07:39:26
勉強になります。
モントリオールからモスクワ五輪までのバレーを知らないので凄く勉強になります。当時は勝手に日本かソ連が金か銀なんだと勝手に思い込んで居たのですが皆さんの投稿を読んでみるともうそんな時代では無くなっていたんですね。81杯82世界選手権も何気無く見てて横山樹理しか知らない程度だったので(江上選手でさへ知らない状態)今から思うと本当に勿体無い事をしたと思います。
色々と昔のビデオを取り寄せたりして数年経ってから見て来たのですが70年代後半の世界大会を始め日ソ対抗、日米対抗、日本リーグそして80年代前半の日本リーグの映像がなかなか入手する事が出来なくて・・・。
また色々と教えて下さい。
5219
:
久しぶり
:2018/03/17(土) 17:26:44
80年度の全日本
79年度あたりから鉄板のメンバー以外はなかなかの自転車操業のように思われます。
まず小川かず子が出られなくなったら一巻の終わり。モスクワは確実に予選落ちです。
ライトもできる日本電気の千葉泰子と古橋美知子あたりを使うしかないのですが、まずいです。
横山樹理がドボンも相当まずい。江上由美がドボンもまずいけど、カネボウの清水睦子が精神的
支柱も含めて、それでやるしかないのかと。
横山と江上の対角に、ばしっと誰かいればというのがありました。
よかったのか悪かったのか、そこに広瀬美代子と三屋裕子が入りました。
センターの件ですが、5人選ばれたうち誰が要らなかったかというと、三屋かと思います。
怪我明けです。池知は一応レギュラー、石川嘉枝は上を抜かれたときのためのブロック期待要員
で計算されていたこと、清水睦子は人間バレーとも言われた総合力。江上のリリーフでプレ
オリンピック優勝にも貢献しました。
結局北海道合宿参加の12人が幻の代表となったわけですが、やはり三屋は運の強い選手です。
もしコート上で水原がケガで交代となったら、奥嶋桂子あたりが入って、次のセットからは
江上をライトにして、センターをやりくりする?
そのくらいしか思い浮かびません。
5220
:
元選手
:2018/03/17(土) 17:27:26
あ〜あ
Vリーグ決勝、JTサーブレシーブ悪すぎ、久光製薬が鍋底リーグのチャンピオンなだけです。箸にも棒にもならないVリーガーから全日本を作り世界に対抗するのは厳しいまですね。日本一を決める試合が凡戦じゃお先真っ暗です。レベル低すぎ。久光製薬の石井も内弁慶です。
5221
:
ていたらく
:2018/03/17(土) 17:32:32
試合の内容が悪いです。
全く、つまらない試合でVリーグが終わりました。昔は、さあ、今度は全日本で世界に対抗するて期待が膨らみましたが、サーブレシーブから、再強化しないと、ますます世界から離されるて感じでVリーグが終わりました。どうなるんでしょう今後は…て不安です。
5222
:
バレーファンの声
:2018/03/17(土) 17:39:08
やっと終わった。
つまらないVプレミアムリーグでした。レベル低すぎ、子供達に夢を与えられない象徴の決勝でした。普及は厳しいです。コメントはサーブレシーブから練習しましょう。
5223
:
久しぶり
:2018/03/17(土) 18:09:36
見てませんが
そんなに期待できないのですね。
5224
:
カルバハル
:2018/03/17(土) 19:26:16
日本女子のトップ決める試合
こんなレベルになってしまったんだ残念です。外国人助っ人が居なければ更に、つまらない見るべきところが無い感じです。
5225
:
カルバハル
:2018/03/18(日) 07:53:02
その昔は
日本女子バレーボールは単独チームで上位3チームはニチボー、ヤシカ、日立はソ連ナショナルチーム以外は勝てると言われてました。実際、日ソ対抗バレーでは勝ってた更に昔はニチボー貝塚チームは単独チームで敵地モスクワで世界チャンピオンになりました。今の久光製薬、外国人助っ人無しじゃ世界選手権の史上最低の13位より、更に下でしょう。
5226
:
ていたらく
:2018/03/18(日) 16:15:46
男子バレーの方が
まだ、面白い試合ですね。金出して観戦するなら男子決勝の方がいいね。
5227
:
バレーファンの声
:2018/03/18(日) 17:38:59
男子決勝の方が
ハラハラ、ドキドキして面白かった。
5228
:
カルバハル
:2018/03/18(日) 18:08:40
男子決勝
女子より気迫がありましたね。見た人は気が付きますね。気持ちからして女子バレーのファイト溢れる試合が観たかったですね。女子バレーも体格は劣っても気持ちは負けませんて感じゲーム過去に沢山、観てますから今回のVリーグ負けてもニコニコしてる選手も居れば気迫が無い試合はするし、もしかしたらサーブレシーブ強化以前の気持ちから問題があるかも?知れませんね。根性バレーて好きでないんですが根性無しバレーは、もっと嫌いです。
5229
:
元選手
:2018/03/18(日) 18:36:42
誰でも判りますよね。
男子決勝と女子決勝の、やる気の違いの差、世界から離されても下手くそは、下手くそなりに頑張る姿の違いが判ります。観客は感動の違い明確に判ります。
5230
:
昔は選手
:2018/03/18(日) 19:00:28
昔々の話し
モントリオールオリンピックの決勝戦、日本女子バレーボールチームはソ連女子バレーチームを、これでもオリンピックの決勝戦かと思える位、圧勝しましたが最後のオリンピックで4回目の出場のリスカルだけは32才になっても、最後まで気をはいて日本女子バレーボールチームに一人でも立ち向かって行った姿は今でも立派だったと思います。ワンサイドのストレート負けでしたがバレーボールの女王として君臨してたプライドを持ってました。ワンサイドで凡戦であろうが、そんなVリーグの決勝戦まで進出したプライドが負けたJTの選手も監督もあったんでしょうか?私が観戦した感じからは全く見えてませんでした。練習試合では無いんですよ。Vリーグの決勝戦、誰でも立てるコートじゃ無いんですよ。少なくとも男子決勝ではVリーガーのプライドは感じました。女子バレーは恥じるべきです。反省すべきです。サーブレシーブが悪い前に考えるべきです。協会だけでなく選手も腐ってます。
5231
:
ていたらく
:2018/03/19(月) 13:40:25
日本一を決める試合
吉原は、ファンを、なめてるね。バレーボールファンは弱くなってもバレーファンは観てます。憧れの選手、目指したいプレー、今の最新のバレーとか注目してます。期待を裏切る試合は、二度として欲しくないです。
5232
:
バレーファンの声
:2018/03/19(月) 14:26:29
庵さんの、おっしゃるとおり
誰でも立てるコートで無い。ファンは素晴らしいプレー素晴らしいファイトを、観てバレーを、志す人、パワーを貰って明日から頑張る人、病気で辛い人も希望を持つ人、地震で被災した人の励みになる人、など居ます。今回のVリーグ女子ファイナル3、ファイナルは最低ですね。
昔、81年ワールドカップで広瀬美代子のプレーを観て人生諦めた人が、再起して頑張る事が出来たとか話しがありました。広瀬本人も驚いたエピソードもありました。感動したい感動を貰いたい。平昌オリンピックでも沢山貰いました。
しかしVリーグ女子は腹立たしいだけ、バレーボールが下手くそで残念では無い悔しさ、虚しさばかり感じました。
日曜日の男子決勝は選手の一生懸命な姿を観て少しは救われましたが、ファンを裏切るような試合は二度として欲しくないですね。人間、観れば判ります。バレーボールを知らない人も判ります。皆の希望、憧れ、になって欲しいです。
5233
:
バレーファンの声
:2018/03/19(月) 14:34:12
田中の怪我に
敗戦責任を全部負わせるの?政府が佐川さんに全ての責任を追わせようとする事、思い出しました。吉原知子は、便所掃除から、やり直して欲しいです。北海道の道民も恥ずかしいと思ってますよ。指導者として失格ですね。JTの選手が可哀相です。
5234
:
元選手
:2018/03/19(月) 18:50:08
確かに華が無い林、今年のVリーグ決勝に出る器じゃ無い。
しかし、何でアキンラデオじゃ無いんでしょうね。素人が石井て選んだでしょうか?MVPて日本人枠なの?日本人枠から選出なら該当者、無しです。安定してない石井がMVPて、どこ観てるんでしょう。庵さんの、おっしゃるとおりです。便所掃除や風呂掃除、ゴミ出しから、協会は修行しろよです。また日本バレーボール協会HPに全日本メンバーが発表されましたが、代わり映えしないと言うか、パッとしないと言うか?これしか居ないの?て感じですね。失礼な言い方ですが、クズしか居ないから、クズの上が選ばれたて印象です。これで東京オリンピックが目標なら、Vリーグ終了後、即、強化合宿して、Vリーグにも参加しないで、Vリーグで活躍した選手と一部、交代したりしながらオリンピックまで強化合宿しないと恥をかきます。パシュートみたいに365日、24時間、強化合宿しないとダメですね。吉原知子は勉強の為に便所掃除と荷物持ちで始めから勉強し直しと筑波大や妹背牛商業や日立の先輩にお詫びをしないとバレーボールなめんじゃねーよて感じです。
5235
:
昔の人
:2018/03/19(月) 19:56:21
Vリーグ決勝
とても金取れる内容じゃ、無いですね。カーリングは人気が出るまで無料でした。バレーボール女子決勝、金取れる内容じゃ、無いです。
5236
:
ナイト07
:2018/03/20(火) 02:33:41
うんこ 垂れ!石井が?!
MVP!最低にも程がある!
結局 男女共 Vリーグ 準+決勝は、
八百長劇に終わるですよ!
女子は、トヨタ=多治見 vs JT=吉原 vs 久光=(中田)
さんら、バルセロナ同窓生が仲良く、年功序列準備に番付けして終わり、最終戦の解説素子+現役全日本セッターも登場(吉田さんのところ)が加わり同窓会の内輪で幕を下ろす。まあ〜 18歳の高卒ルーキーをも登場させて
なんて仲睦まじい事! オマケに、松本も選出されている。
男は、パワーヒッターを全部下げて仲良くフルセットで最終セット15-13 で全日本(パナ) 勝利! なんて 見え過ぎた茶番劇。
駄目だこりゃあ!
体育会系の思考パターンバレ安過ぎ!見え見え!
5237
:
昔の人
:2018/03/20(火) 07:55:15
八百長?
豊田は頑張ったと思いますよ。
5238
:
久しぶり
:2018/03/20(火) 11:08:00
福田記代子
フィジカル的には恵まれた選手ですが、確かにビジュアルをはじめ、華がない。
いちばんよくないのは、容姿にコンプレックスを持っているのがテレビ画面でも伝わってくる。
おまけに見渡せば斎藤真由美、山内美加、益子直美、大林素子(いちおう)、佐伯美香など。
おまけにサーブレシーブをはじめとして、大事なところで重大ミスをする、決めてくれない。
とてもいいパワフルスパイクなんだけど、拾われてしまい決まらない。ネット中段にかける。
アトランタも最後の最後で落選。メンバー発表前日には大阪から日立にスタッフが来たほどだ
そうですが。
99年ワールドカップも最終落選。客を呼べないからでしょう。
なんというか、持ってない。
まあ、田中婆子のブログでは、ママになってきれいになってました。
5239
:
ていたらく
:2018/03/20(火) 13:00:08
世界選手権
開催国で13位以下の成績は、あるんでしょうか?それこそ、八百長しても準々決勝までは行くと思いますよ。もし13位以下のせいせきならバレーボール協会、監督、コーチ、東京オリンピックに、間に合わなくても総入れ替えでしょうね。ワールドカップも成績悪ければ、もう東京オリンピック前に女子バレーは、ドボンでしょう
5240
:
そんな昔じゃない事ですが。
:2018/03/20(火) 16:34:59
記憶にも無いメンバー
吉川監督で高橋みゆきがキャプテンで他は覚えてませんね。どんなメンバーだったんでしょうね。優勝国も覚えてませんね。大昔は金メダル以外はビリも同じで銀メダルでも、メキシコオリンピックは、何だ負けた女子バレーかとオリンピック解散式前に原宿で選手は、罵られたんですよ。13位て上に、どんな国が居たんでしょうね?弱いとファンにも見放されます。
5241
:
元選手
:2018/03/20(火) 20:52:38
世界選手権
出場出来るチーム数て24ヶ国で一番、三大大会で出場出来る大会ですよね。13位て半分以下の順位です。勿論12ヶ国が参加出来るオリンピックや世界選手権は出場出来ない順位です。13位イコール、シドニーオリンピックに出場、出来なかったチームと同じです。世界選手権13位でしたが翌年は開催国なんで日本はワールドカップに出場出来ました。そのチャンスを柳本監督は活かしてアテネ大会でオリンピック出場を果たしました。日本は不参加のモスクワ以外はシドニーだけ参加出来なかったところで、止まりましたが、今回の全日本は世界選手権もワールドカップもオリンピックも出場出来る大チャンスの時期です。各企業にお願いして全日本チームの強化の為に協力して下さいと日本バレーボール協会幹部は各企業に頭を下げてお願い出来ないんでしょうかね?有明アリーナ建設だけじゃダメです。まともに戦えば世界選手権は参加出来てもワールドカップやオリンピックは、本来なら、かなり厳しいはずです。Vリーグの、チャランポラン試合を、やってるようじゃ大チャンスも逃して。せいぜい、東京オリンピック頑張ってもベスト8です。
5242
:
昔は選手
:2018/03/21(水) 00:08:49
庵さんの気持ち判りますね。
あんなVリーグの試合、見せられたら、13位以下で協会も監督も総入れ替えさせたい気持ちですよね。あんな、チンタラした試合してる選手や指導者、変わって欲しいです。吉原知子は妹背牛商業倶楽部て作ってシルバー大会にも出たら良いんですよ。バレーボールを侮辱してますよね。
5243
:
バレーファンの声
:2018/03/21(水) 07:36:25
ワースト記録更新するか?
メキシコオリンピックの銀メダルは、何だ負けた女子バレーか?ミュンヘンオリンピックはキャプテン松村が銀メダルなんて要らない。1980年不参加、1982年世界選手権は世界3大大会、初のメダル無し4位、ロス五輪、オリンピックで始めて決勝進出出来なかったチーム、1985年ワールドカップ、始めてメダル無し、1986年世界選手権、史上最低の7位、1988年オリンピック初のメダル無し、1992年バルセロナオリンピック、オリンピック史上最低のベスト4に残れず、アトランタオリンピック、史上最低の予選グループ敗退、シドニーオリンピック史上最低、オリンピック出場権を逃す。2002年??世界選手権 史上最低の13位、ワースト記録ドンドン更新しでした。金メダル以外はビリも同じで1960年 世界選手権の銀メダルから始まった女子バレーボールも価値が、ドンドン下がってますね。2010年、世界選手権、ロンドンオリンピック銅メダルで、バレーボールファンは熱狂してましたが昔なら、ビリと同じですからね。1960年〜1981年まで2位以下は無かった栄光は、もう戻ってきません。それでもVリーグの試合は一生懸命でした。今は観戦するだけで、ヤル気の無さが見えます。
5244
:
教えて
:2018/03/21(水) 12:55:48
2002年、世界選手権
日本は、どんな対戦して13位になったんですか?専門誌もどきは、シドニーオリンピックの事も2002年世界選手権も弱くて都合の悪い記事は、ほとんど記載されません。月刊バレーボールて名前変えて欲しいです。月刊 日本バレーアイドルて変更ですよ。
5245
:
久しぶり
:2018/03/21(水) 17:35:36
2002年世界選手権は深夜枠でしたが。
放送する価値ありません。ゴールデンなんかでやったら大恥さらしです。
主将は高橋みゆき。
スタメンは、
レフト熊前知加子、高橋みゆき、センター杉山祥子、大友愛、
ライト宝来麻紀子 セッター大貫美奈子 リベロ 佐野優子
上記のメンバーをみてもおわかりかと思いますが、ただでさえ期待ができないのに、
その戦績はひどいもので、確か格下のチェコスロバキアにまで負けて(ブルガリア
には勝ったんだったでしょうか。)勝率でも文句なしの予選落ちです。
ちなみに竹下佳江は引退していました。
宝来が大穴。守備がひどくリベロもつかないものだからサーブの餌食。前衛でもダメ。
熊前もひどいものでしたが、そもそもこの選手の力量の限界。もともと全日本の大砲を
はるような器ではなかった。
リリーフで田中婆子が出てましたが、さっさと宝来をあきらめて婆子でいけば、予選落ちは
なかったと思います。イタリアはいましたが、組み分けはかなり恵まれていました。
吉川正博監督の見る目がなかったのか、時代、駒と、貧乏くじを引いたのか…。
日本の凋落も甚だしかった大会でしたが、各国ともに栄枯盛衰の推移、20世紀が終わった
ことを感じさせ、バレー界の勢力地図も変わったことを感じる大会でもありました。
まずは不動の女王キューバの陥落。予選はまあこんなものかとも思えるものでしたが、
決勝トーナメントでアメリカに惨敗。翌年のワールドカップには日本にまで負けるように
なり、以降はもうオリンピックにすら出られなくなり、今のところ浮上の兆しもありません。
かわってイタリア、アメリカが絶好調。ともに決勝進出し、イタリアが初優勝。
当時は大関同士の決勝対決という評価もありましたが、ロシア、ブラジル、中国といった
あたりも、必ずメダルが取れるというわけではなくなってきました。
ラリーポイント制への変更という節目もありましたが、バレーボールのおもしろさがなく
なっていくいとぐちとなる時代でした。その時にも中国にはドーピング疑惑があったん
ですよね。
韓国は序盤調子がよく、準決勝には進めるかという勢いでしたが、この国の特徴なのか、
長丁場に弱いですね。
異論も多いのでしょうが、火中の栗を拾ったような形でその後就任した柳本晶一監督も、
協会を押し切りよく吉原知子、竹下、高橋を選びました。あとは木村沙織の抜擢ですね。
かわりに外れた鈴木洋美とは明暗くっきりですが。
5246
:
教えて
:2018/03/21(水) 20:29:39
ありがとうございます。
厳しい大会でしたね。アメリカとイタリアの決勝戦でイタリアのトグットが活躍してアメリカにハニーフが居た時の大会だったんですね。それまでのお馴染みのロシア、中国、キューバ、ブラジルも、いつのまにか負けたんだと決勝戦だけはテレビ観戦しましたがイタリアが優勝したのはビックリしました。
5247
:
元選手
:2018/03/21(水) 20:46:21
世界選手権13位て
どうコメントしたんでしょうね。シドニーに行けなかった時とは違い大会には参加してましたからね。キャプテンの高橋みゆきは何を言ったんでしょうね。銀メダルなんか要らないとミュンヘンの松村キャプテンが言った話と比べてみたいですね。格差があるでしょうね。予選通過はしたかったとか?言ったんでしょうかね?昔はソ連以外はセットも落とさない強さだったのが嘘のような本当の話しですからね。今回のVリーグみたいな戦い方してるようでは、〇〇年ぶりに世界選手権参加とかなりそうですね。今年の世界選手権はキューバは参加するみたいですがペルーは参加出来なかったみたいですね。キューバも昔は日ソ以外の国が始めて世界を制したと騒がれた時代や無敵の時代とあり日本には、お馴染みなチームですからね。キューバはオリンピック出場はミュンヘンからですがペルーはメキシコから出場してたチームです。
5248
:
昔の人
:2018/03/21(水) 20:48:36
高橋みゆきがキャプテンなら
チームワークも滅茶苦茶でしょうね?
5249
:
カルバハル
:2018/03/21(水) 21:19:17
都市対抗バレー
若鷹賞て奥嶋が授賞して続いてますが該当者無しの時もありますね。MVPて、なかなか該当者無しには出来ませんが、Vリーグも該当者無しとか無いんでしょうかね?石井がMVPじゃ有難みがなくなりますよ。確か栗原もMVPとか授賞してますが、えって思った大会ありましたね。今のVリーグなら外国人助っ人が授賞するのが当然です。アキンラデオでなく石井が授賞した理由を説明して欲しいです。また優勝チームからMVPを授賞する決りとか日本人しか授賞出来ないとか決まりはあるんでしょうか?日本人なら荒木でしょう。制約なければアキンラデオです。制約が有れば久光製薬の日本人の中では、該当者無しでしょう。レギュラーラウドからファイナルまで石井は安定してませんからMVPの価値が下がるだけです。日本人ナンバーワン選手が石井じゃ世界とは戦えませんね。チームワークで戦っても駒が無さすぎますね。Vリーグの決勝もナンバーワン、ナンバーツー外国人助っ人の居るチームですからね。他のチームは3流外国人助っ人です。アキンラデオが久光製薬じゃなくて他のチームなら久光製薬の優勝は?です。朱ティなんかが他のチームが外国人助っ人で取得してたら、そのチームが優勝したんじゃないですか?日本チームの強化に繋がらないVリーグです。
5250
:
ていたらく
:2018/03/21(水) 22:20:19
久光製薬
今期2敗した事が良かった?てコメントにガッカリ、現状満足て感じですね。これじゃあ成長は見込めない。
5251
:
久しぶり
:2018/03/21(水) 23:19:42
高橋みゆき
表情は悔しさと怒りとでしょうか、そんな表情で全くコメントしませんでした。
5252
:
教えて
:2018/03/22(木) 00:11:10
ありがとうございます。ありがとう
キャプテンの意識が欠如してますね。どんなに辛くてチームのリーダーです。応援してるファンに対して失礼ですね。キャプテンを高橋みゆきに選ぶのも問題文ありますね。また宝来がライトじゃサーブで狙い撃ちですね。チームワークもダメだったんでしょうね?大貫キャプテンの方が マシですね。
5253
:
昔の人
:2018/03/22(木) 06:41:41
2018年バレーボール世界選手権女子大会
史上最低でなくて良かったて目標じゃないの?日本開催で最低は、どの大会なんでしょう。
5254
:
昔は選手
:2018/03/22(木) 08:04:58
アテネオリンピック
確かキューバは銅メダル
5255
:
アルタガモワ
:2018/03/22(木) 10:31:42
不確かですが
満永選手選手は2000年で全日本から居なくなっていた感じがします。シドニー出場出来なかった頃から全日本にはいたかな〜?自チームの久光でも自身、メンバーがポイントしても以前の様に喜ぶ事も無く一人孤立しているのかな?と言う印象を感じていました。全日本ではリベロになったかならない状態の大懸にライトのポジションを譲って・・・。当時友人からウツになったと聴いた事がありますが・・・鬱ならバレー自体出来ないとも思いましたが明らかにシドニー五輪に行けなくなった時から明らかに変わった気がします。確かに元々セッター候補として久光、全日本にエントリーされましたがその割にはラリー中、当時のセンターにクイックのトス上げたシーン等1度も見た事はありませんでした。満永のライトは80年代型ライトでブローとか時間差に入っていましたがクイックも打ってレシーブの良い小高、相手を惑わす様な動きをする甲斐とかに比べて中途半端なイメージがありました。
今元気でいるのでしょうかね?
5256
:
昔の人
:2018/03/22(木) 11:00:34
キューバがオリンピックに出場出来なくなったのは
ロンドンからだと思いますよ。北京は出てたと思います。ペルーもロンドンからかなあ?バルセロナは出場してないですが、一度途切れると復帰は厳しいですね。バレーボール自体もオリンピック種目から外れたら復帰は厳しいです。日本男子はオリンピック出場と出場出来なかったの、どっちが多いんでしょうか?
5257
:
昔は選手
:2018/03/22(木) 11:02:58
シドニーオリンピック後
翌年グランドチャンピオンカップ銅メダルを取ったんですか?日本テレビ球技大会だからメダル取れたのかなあ?
5258
:
ていたらく
:2018/03/22(木) 12:07:21
シドニーの選手
それは精神的な病気にもなりますよ。まるで戦犯扱いです。スポーツなのに厳しいです。その昔、山田監督はメキシコオリンピックにソ連に負けて銀メダルでしたが一夜にして白髪頭になった話しは有名ですね。女子バレー選手て背負う物が大き過ぎます。今はVリーグ観て、やっぱり、これじゃあダメだと期待はしません。女子バレーは世界選手権は銀メダル、オリンピックは金メダルから始まった事が人気があった分、厳しい評価でした。
5259
:
バレーファンの声
:2018/03/22(木) 12:56:54
高橋みゆき
長生しそうですね。それぐらいの根性なら、どこでも生きていけますね。日本人としては困るタイプです。チームスポーツには向いてませんね。ましてはチームリーダーなら、もっと困ります。吉川監督が指命したんでしょうか?
5260
:
昔は選手
:2018/03/22(木) 18:04:52
吉川監督
津雲といつの間にか夫婦になりましたね。大懸や津雲、菅山、の時はリベロは。まだ大かったですが今はリベロは小さいですね。佐野の後のリベロもイマイチ育ってませんね。リベロのレベルもダウンしてますね。守備のレベルが下がると日本チームじゃ致命的です。またサーブレシーブは二人とか、リベロはセンターと交代とか固定観念が強いですね。そこから、見直さないと浮上しないと思いますよ。
5261
:
チャン
:2018/03/22(木) 21:33:51
満永は
黒鷲旗でヨーコとツーセッターしてましたよね?
オールラウンダーとして器用でしたが、スピードがあるわけでもなく、それだけという感じでした。
後半は自チームでも人間関係があまりうまくいってなかったのかな?と言う風に見受けられました。
大貫美奈子もオールラウンダーでしたが彼女のほうが図太かったですね。
5262
:
教えて
:2018/03/22(木) 21:41:51
満永と先野
どちらが先輩なんですか?
5263
:
ma
:2018/03/22(木) 21:55:53
(無題)
先野久美子と満永ひとみ。
先野がひとつ上。
先野鶴田成田らが同い年で大村満永がその下。
満永、クイックあげてるの全日本で1度だけ見たことある。
シドニー落ちしたその年のVリーグでは元気いっぱいだったけど、グラチャン3位のメンバーに入れなかった年のVリーグではほんとうつ病みたいだったよ。。。
5264
:
ma
:2018/03/22(木) 21:58:33
連投失礼。
02世界バレーは竹下引退がもろに効いたと思ったですけどね。
監督は吉川でNECのメンバーばっか選んでた気がするけど、久光の先野大村鶴田関井は選んでほしかったなー。
5265
:
アルタガモワ
:2018/03/22(木) 22:50:47
ロンドン五輪以降
凄い劣化した感じですね。役者が揃っていたと言う感じ!個人的希望はセンターが怪我をする前の大友と杉山、(井上)ライト山口レフト木村、迫田、江畑、リベロ勿論佐野選手。
竹下の正確なトスで久々に面白いバレーを感じていました。勿論あの当時でさへメダルは取れないだろうと思っていましたが前年の世界選手権でも銅メダル(日本開催だったけど)本番のロンドンでもメダル獲得は単なる偶然だけだとは思えませんでした。
ま〜それぞれ選手達には注文がありましたが。
佐野のオーバー苦手。山口のレセプション大穴、大友の前のクイック素人、ブロックざる、メンバーでは無かったけど杉山のネット越しの細かいプレー・・・。
でもリオの時のバレーとは全く別物に見えました。
江上、三屋以降のセンター吉原、多治見が長く頑張ったけどどうしても比べてしまうと・・・。やっと現れた大友のブロード、杉山の速いクイック、セッター任せゆえの速いワイド。
今の奥村、芥川が評価されてる様なされていない様な・・・身長は仕方無いけど無いんだったらその分速いブロード(美田、榎谷の様な)何だか二人とも中途半端なスピード・・・決めるのは勿論だけど囮になるのも充分な攻撃だと思うのですが。
満永選手当時人気投票でもいつも上位に居た様な記憶があるのですが。本当に笑顔が消えて異様な印象さへ感じました。
5266
:
チャン
:2018/03/23(金) 01:00:38
セリンジャーと協会
ここの確執みたいなのがあって、鶴田先野関井などは
選ばれなかったような。選ばれても辞退していたような感じを受けました。
日立が没落してからはダイエーに一番良い選手が集まっていたように思うのですが。
セリンジャー爺のパワハラ報道もあったり、協会とは溝があったのかなと。
5267
:
教えて
:2018/03/23(金) 06:03:10
ありがとうございます
先野の方が先輩なんですね。高校時代から注目されて早く全日本に入りレギュラーになり、まだライトもセッターも上手とは言えない満永には先輩達は嫉妬するでしょうね。そうなれば、練習中でも私生活でも全日本の満長、それでも全日本のレギュラーか、とか虐めそうですね。更に結果が出ずに、お前が悪いから、オリンピックに行けなかった。女子バレーの歴史に泥を塗った、何でお前なんかが選ばれるんだと、毎日、練習でも私生活も言われて、女子高の意地悪みたいな事を、されたら、精神的に、まいってしまいますね。あくまでも、想像ですが女の園には、よくあります。口紅折ったり、落書きされたり、靴片方だけ隠されたり、その他、もろもろ、監督、コーチは男性で、私生活は何も言えない、ましては寮くらし、チームスポーツで自分だけアパート借りる訳には行かないし、虐める方は、励ましたとか、教えたと言った、愛のムチとか、言って虐める事はありますね。虐める方はチームの為とか正義ぶったりして、虐めた事も気にしないけど、虐められた方は、莫大な被害を被ります。
5268
:
カルバハル
:2018/03/23(金) 07:32:35
満永ひとみ
悩みを自分だけ抱え込むタイプですね。勝てば官軍、負ければ賊軍なら、尚更、抱え込みそうですね。少し言われても自分の責任だとか思い込み負のスパイラルになりますからね。メンタルの強さもアスリートには大事ですが、シドニーオリンピック出場逃したのは犯罪者でも無いのにバッシングは凄かったですからね。竹下はロンドンで銅メダル取れてリベンジ出来ましたが他のシドニー組みは一生抱えるんでしょうか?シドニー組みの事を知ってるだけに後輩はシドニー組みみたいになりたくないと思ってるでしょうね?残酷ですね。体調壊すまでバレーボールはするのも、スポーツなんですから?メキシコ組みは銀メダルでも一生抱えてるかも?知れませんね。時が経過したらミュンヘンの松村も銀メダルなんか要らないから、立派な銀メダルですと気持ちが変わりましたからシドニーオリンピックには行けなかったけど昔は日の丸付けてバレーボールしたて誇りは持って欲しいです。結果、シドニーには行けなかったけど選手の一生懸命さは伝わってます。そこが一番大事だと思いますよ。つい最近のVリーグファイナル、ファイナル3の、試合ぶりは一生懸命な感じが伝わらなかったですからね。負けて悔いが残るより試合内容で悔いが残りますよ。
5269
:
アルタガモワ
:2018/03/23(金) 08:56:49
悲運
カルバハル様へ。教えて頂きたいのですが、私は大会のルールがあまり分かって無いので。
私個人が思うのですがシドニー五輪に行けなかったのはOQTの中に当時アジア枠で中国チームが居たからではないのでしょか?それまで中国チームはOQTなんかに出る様な状態では無かった様な気がするのですが・・・タラレバですがあの当時中国がいつもの様に五輪の切符を得ていたら日本はシドニーには行けた様な気がしてならないのですが・・・。
当時の選手も一生懸命やったと思うのですが・・・。
5270
:
カルバハル
:2018/03/23(金) 12:41:54
他力本願ですが
中国がオリンピックの出場権を取ってればアジア枠は一つ空きますから日本が滑り込めたでしょう。しかし中国も出場権が最終予選までオリンピック出場権無かったのは、その時代は中国も厳しかったんでしょうね。ターゲットやはり、クロアチアだったと思いますよ。開催国の有利さを活かせなかったのも残念です。怪我もありましたが、クロアチアのイエリッチのスパイクを拾えなかったのが致命的でした。確かクロアチアには、キリロワ、チェブキナも居たと思います。若い日本は厳しかったですが一生懸命、今の戦力で頑張ったと思います。何が悪かったかと言えば、日本には吉原とか、ベテラン選手が現役でまだプレーしてたのに年齢とか体格とか、色々、規制して全日本を選考したのが一番の過ちでしたね。その時の一番実力がある選手を選考しなかった。バレーボール協会が一番問題があります。未来の絵に描いた餅ばかり考えて現状を考えない馬鹿な施策がシドニーオリンピック出場権、逃した最大の原因です。
5271
:
アルタガモワ
:2018/03/23(金) 14:07:50
有難うございます。
確かにあの当時既にインタビュー等は「皆さんに感動を〜・・・」なんて言葉がもう横行していた様な気がします。
そう言う言葉はあの86年最悪のダイエー主体の全日本チームでさへまだまだ無かった言葉ですもんね。
確かに吉原(個人的にプレーヤーとしては・・・ですが)見ないに命懸けるくらい厳しくて芯の通った選手達という印象はありませんでしたもんね。体格は当時はレフトは別としてそんなにチビで固められていた様ではありませんでしたもんね。
板橋、森山と言う楽しみな選手も居たのに・・・と残念に思います。
5272
:
カルバハル
:2018/03/23(金) 18:51:37
企業が合併した時、久光スプリング、オレンジアタッカーズ
やはり、お互い摩擦があります。バレーボールの力はダイエーが上ですが企業の、力は久光製薬が上で、久光製薬がダイエーバレーボール部を買ったような話しです。久光製薬から見ればダイエー側が幅を利かしてれば、どっちが買ったか判らないと思うしダイエー側は会社は久光製薬だけどバレーボールの実力はダイエーが上だからダイエーが出身者が幅を利かすのはスポーツの世界当然だし久光製薬もバレーボールで活躍出来たら会社の為になると思いますが、実際には人間が入るので、割りきれない気持ちは、出ますね。かなり、揉めたと思いますよ。久光製薬が買ってくれなかったらダイエーバレーボール部は、散り散りになったかも?知れませんから久光製薬に恩があるとか、バレーボールは実力の世界だから関係ないとかダイエーの中でも、揉めたり、久光製薬もレギュラーになれたのにダイエーの選手が入ると控えになり雑用係りにされるとか色々な思いがあったと思います。下手に優等生ぶった事を言ったら、恨みを買う事もあります。実際には久光製薬の看板でダイエーバレーボール部が主流で、バレーボールを続けてたのが事実です。満永は、先輩の妬みもあるし、チームの混乱、全日本ではシドニーオリンピック出場を逃したとか負が重なり精神的には厳しかったと思います。久光オレンジアタッカーズが本当の姿です。
5273
:
アルタガモワ
:2018/03/23(金) 18:55:27
確かに・・・
吉原とゼッターランドが去った後の新しい久光は本当にハツラツとしたチームでしたね。
一足先にレギュラーになってた満永とは気持ちの上でズレが生じてたのですかね?
若くしてレギュラーになっていた満永の印象はあまり打数も無く、かと言ってセットアップをあれこれしたシーンは全くありませんでした。嫉妬とかイジメとかあったのですかね・・・?あんまりそんなイメージは無かったのですが。
かと言って新しい久光が特別素晴らしいとも思いませんでした。
私はついレフトよりセンター、ライトに関心がある為か?先野、関井は素晴らしいジャンプ力がありましたが私がいつも求めている「速さ」と言うは全く感じられませんでした。先野凄いジャンプしてクイック打ちますが全てAセミ、関井選手のブロード全部オープンテンポ国内では余裕で通用しましたが対外国チームと戦う上では遅いし、Cワイドは一切打って無かった気がします。いつも二人の身体能力と反比例して遅いのが目立ちました。
5274
:
カルバハル
:2018/03/23(金) 20:22:27
若い娘じゃダイエーやバレーボール協会と
色々と複雑な事情は判らないでしょうね?バレーボールに打ち込む環境でなかったかも?知れません。そんな渦の中に満永は、巻き込まれたかも?知れませんね。満永は見た感じは、おっとりしてるから、先野とか見た感じだけですが、怖い感じです。言われ放題で何も言えないタイプが満永かも知れません。後は器用貧乏みたいなプレーは、ちょっと残念、完全なオールラウンドでは無かったですし、スペシャリストでも無い。
5275
:
ma
:2018/03/23(金) 20:29:54
(無題)
シドニーOQTは、もしも中国が前年WC99で出場権を取れてたとしても、たぶんアジア枠で韓国が行った気がします。5位オランダ6位日本だったので。分かんないですけどね、、中国がOQTにまわってきたのは、かなり大きかったですよね。
満永は、練習んときは分からないしプライベートんときは分からないけど、自分から孤立してたような気がする。周りのメンバーがハイタッチしよーとしてたりしても、無視じゃないけどすぐそっぽ向いてたような。キャプテン鶴田も歩み寄ってたような気はします。
セッターとしては、あーんまり信用してないというか、何考えてるか分からないスパイカーにトスは上げ辛いですから、本数も激減するでしょうね。
5276
:
昔の人
:2018/03/23(金) 22:18:13
吉原知子
よく恥ずかしくも無く久光に入団しましたね?久光が声をかけたのに振り切ってイタリアに行って大林が一緒だった時はベンチにも入れなかったんですよ。ドの面して入団したんでしょうか?教養が無いからダイエーから勧誘あればイタリアに行かなかったんでしょうね?久光だから行かないて感じでしたね。腐ったプライドを持ってたんでしょうね。柳本ジャパンのキャプテンになり、まともに、なったと思いましたが、JTの監督になり、日本一を決めるVリーグの決勝戦、久々のテレビ中継あってバレーボール人気回復の絶好のチャンスを、やる気の無い凡戦にした罪は重いです。バレーボールの事、考えて無い教養の無さがまた出てきました。中途半端に筑波大学大学院に行くからでしょう。もっと日本の企業業績とかバレーボールの今、置かれてる立場を考えたら、あんな試合を投げたような試合は、選手には、させないはずです。
5277
:
アルタガモワ
:2018/03/23(金) 22:38:01
大学院て・・・
スポーツとか特化した経歴があったら誰でもと言っては失礼ですが行けるんですね。確か大村加奈子選手も引退と同時に学校の先生になったと思うのですが。
私の中で大学と言うのは凄くあたまが良くて本当に勉強が出来る様に人しかいけないと言う固定観念がありましたがここ30年くらい殆ど(私の時代高校に行くのが当たり前)の人が大学に行ってますもんね。
私の中の吉原は若い頃全日本のレギュラーでしたが弱小チームには通用しても世界では通用しなかったイメージがあります。例えば何処の国かも忘れましたがCクイック一本も打ってないのにCに入りライトまで戻ってブロックを外してよく決めてましたが私はそれが不思議(勿論相手チームにでもですが)案の定日本と互角もしくは上のチームには一切通じてませんでした。
大ベテランになり東洋紡、パイオニアの時は気迫があると言うより・・・感じの悪い選手と言う印象でした。
監督としてはこれからなのでまだ何とも言えませんが・・・JTと言うチームがまた昔から極端なチームでドカっと良い選手を大量に入団させて優勝させたり・・・監督の手腕等関係無いのかもしれませんね。
5278
:
バレーファンの声
:2018/03/23(金) 23:09:58
ファンを馬鹿にしてますよ。
シドニーオリンピックには出場、出来ませんでしたが選手の一生懸命はファンは試合を観れば判ります。今回のVリーグファイナル3、ファイナルとか、ファンが観れば判りますよ。やる気の無い、勝負をしてる試合じゃないは一目瞭然です。男子の試合と比べても酷い凡戦でした。ファンを馬鹿にしてますよ。新鍋の寝ボケ、コメントも馬鹿にしてますよね。全部出しきったて言ってました。石井がMVP出し、クサイ芝居を観た感じです。日本一を決める勝負をファンは観たかったんですよ。栗原恵がオールスター戦に出るのも芝居がかってます。OG戦じゃ無いんですよ。オール助っ人外国人のセッターは竹下チームと全日本の方が観たいですね。
5279
:
元選手
:2018/03/24(土) 08:15:18
大学教育
一般教養て課程で専門の勉強をする前の有りましたが今は、どうなんでしょうね?筑波大学大学院にいきなり入学しても一般教養課程は大学のカリキュラムだから無いんでしょうね?一般教養のカリキュラムて社会に出ると大事だと思いますよ。吉原知子は、そこがポッコリ抜けて専門課程を勉強しても、一般人を専門知識だけで指導するのは、やはり無理がありますね。ファンの気持ちやバレーボールの日本スポーツでの位置付けや人気回復や普及とか欠如してるんでしょうね。専門技術や知識だけでは無理があります。誰でも判るような指導者になるには広く浅い知識は大事です。それから狭く深い知識の勉強をしないと、かたわになります。
5280
:
昔の人
:2018/03/24(土) 12:59:32
指導
幾ら専門知識があっても、人を教えるんだから、一般的な教養が無いと、レスリングのコーチみたいに、セクハラ、パワハラが発生しますね。
5281
:
昔は選手
:2018/03/24(土) 13:04:07
大林がの方が、
吉原より利口かも知れませんね。タレント性は、吉原は、ちょっと怖くて向いてませんが、指導者としては、どーなんでしょうか。今回のVリーグだけで判断なら?でしょう。監督する前にコーチ業を積んで貰いたかった。
5282
:
ナイト07
:2018/03/24(土) 14:41:18 郎平交代劇)<br>(99年で中国が切符を取れなかった時、巫丹オバちゃんがいましたでしょう?)<br>新鍋/荒木それぞれ2枚ずつ同レベルで交代要員が出てこないと、絶対に失敗するでしょう!(=東京オリンピックメダル無し)
Vリーグ : 決勝戦は、
御膳立てされてた様に思えました。
久光=全日本ですから、弱点を徹底的に突いていったら
今年の全日本の国際大会で弱点を見抜かれてしまいます。
岩坂/石井 らが穴である事は見え見えですから。
冷静に見て確かに久光はレベルアップはしていると思います。後2年しか残り時間が無いですので、一年を通して同じ環境:単独チームプラスアルファーで強化するしか方法は無いと思います。
8年掛けてするべきが、ロンドン後4年間何の形を残す事
が出来ず、眞鍋は長期計画失敗してしまいましたから。
核となるべき選手が2人(新鍋/荒木)ですから。30超えと手前です。それが現状です!
リオでブラジルが失敗に終わってしまったのは、オバちゃん選手を引っ張り過ぎたのが原因で、日本も同じ運命を辿る可能性大です。郎平さんはご自身の経験からして新旧交代の大切さを恩師の袁さんから直々学んでますから。
(楊希
5283
:
昔は選手
:2018/03/24(土) 16:12:30
素人が観ても
石井、岩阪は穴だと判ります。Vリーグのファイナル、ファイナル3は日本一を決める試合、ファンを馬鹿にしてますよ。人気は下がる普及しないです。
5284
:
バレーファンの声
:2018/03/24(土) 16:27:50
今回のVリーグ
長年観てきましたか、こんなに酷いの記憶にありませんね。男子の引き立て役でも引き受けたんでしょうか?八百長、御膳立てされたとか言われてますが、本当に、そんな感じでした。感動も無いし、大したチームでもない久光に、ぼろ負け、基本中の基本のサーブレシーブが、へなちょこサーブで崩れるは昔の芸能人バレー大会を思い出しました。こんなことで良いのか?怒ります。
5285
:
カルバハル
:2018/03/25(日) 10:04:23
東京オリンピックもう間に合わないです。
何故?他の競技と遅れたか、それは、真鍋監督だけの責任では無いので考えながら、間に合わないなりに恥を少しでもかかない対策を考えなければなりません。一つは単独チーム強化ですが久光が、あの程度じゃ厳しいでしょう。後は体格が無い、パワーが無い、高さが無いチームの強化でしょう。選抜チームで作るようですので世界がビックリするようなコンビバレーも、ほぼ無理です。ならばと考えるとダメなりに個人の技術アップでしょうね。例えばセッターは早いトスはサーブレシーブは練習に時間がかかるから厳しいのでトスを工夫する事です。オープントスでも普通の高さより2倍高く上げたり、ネットから少し離した平行トスやクイックもネットから離したトスをアタッカー陣が打ち切る技術をマスターするしか無いでしょう。セッターもツーアックでなく、相手の居ない場所を狙うパスアタックとかし、ごまかす。何故かと言えば、ようは海外の高いブロックのタイミングを少しでも合せ難くすれば良いのでトスを工夫してアタッカーが個人の力で高さやパワーが無いからブロックが合せ難いトスを打ち切りコースを狙うしか無いでしょう。それでも海外勢のブロックは来ると思います。ならば、アタッカーはリバンド、ブロックアウト、バランススマッシュやタッチ攻撃など今では使わなくなり慣れてないプレーで逃げるしか無いでしょう。日本はソウルオリンピックのペルー戦の終盤の名手、丸山のホールディングのトラウマから抜けられないようですが、他に今の戦力じゃ、やるしか無いでしょう。バランススマッシュも微妙にブロックタイミングを崩します。全員身に付けて欲しいです。勿論サーブレシーブの超強化は前提ですが更に、馬鹿の一つ覚えみたいな空調の変化を利用したジャンプフローターと、もう一つ勝負できるサーブ二種類のサーブを各自マスターして対抗したら1点でも多く取れて、それが1セットでも多くなり1勝でも多くなり恥を最小限に抑えられるになると思います。
5286
:
カルバハル
:2018/03/25(日) 13:20:08
へんな決り
サーブレシーブが2人とかセンターとリベロが常に交代するとかライトからセットアップするとかツーセッターは難しいから出来ないとかセッターが常にレフトを向いてトスを上げるとか常識とか普通とか一般的とか無理と出来ないと厳しいとかいって諦めたり、やってみない事て今の沢山あります。囮を使っても無駄だとか、へんな常識が走ってますね。体格的に恵まれて無い日本は、そんな事を思ってたら絶対復活は無理です。よく考えてみてほいしけど、ボールを横跳びに跳んで片手で強打をレシーブして床に転げ回り再び立ち上がる回転レシーブなんて、そんな事が無い時代では常識には考えられないし無理だと思ってたと思いますよ。そんな回転レシーブを考案して試行錯誤しながら造り上げた日本の女子バレーボールです。何とか頑張れば知恵が生まれて、何とかなると思うんですよね。成せばなる、成さねばならない、何事も精神は、何処へいったんでしょう?
5287
:
たく
:2018/03/25(日) 13:57:59
レセプション
とかく出来ない選手が多すぎる。
しかも大型とは呼べない選手に。
今村、田中瑞、柳田、坂本奈、長内などなど。
このレベルで世界と、、なんていうのは厳しい。
石井優や古賀が持ち上げられるのは消去法なんでしょうが、替わりがいないのも辛いところ。
5288
:
ていたらく
:2018/03/25(日) 16:51:24
おそらく
穴と言うのは、石井、岩坂を狙えば、ミスが出て、そこからチームが崩れていき負ける事じゃないんですか?
5289
:
ていたらく
:2018/03/25(日) 21:59:19
東京オリンピック
メダル無しどころか?決勝トーナメント出場出来れば今の状態じゃ合格なのが本音ですね。このままだと予選グループ敗退でしょう。9位タイかな?最悪は予選グループ全敗で国民に見離されて有明アリーナが墓標なる事でしょう。東京オリンピック後は開催国でない限り三大大会に出場すら出来なくなる事です。バレーボールのテレビ中継は全くなくなり、普及減りレベルは下がる一方、そこだけは避けたい。
5290
:
元選手
:2018/03/26(月) 00:56:40
Vリーグファイナル3ファイナルみたいな
試合を、するなら東京オリンピックは予選グループ全敗でしょうね。勝ってもアフリカ代表が同じグループに居たら一勝で9位タイで終わる。その後は子供達はバレーボールを志ただす。他の競技にいくつくでしょう。けない。ささせへ
5291
:
ファン代表
:2018/03/26(月) 05:46:47
東京オリンピックもう2年後です。
お尻に火がついた状態です。ファンは心配してます。
5292
:
元選手
:2018/03/26(月) 19:35:23
競技
少子化もあるが野球人口よりサッカー人口が日本もサッカーが野球を抜きましたね。野球界は今、危機感を感じてるようです。野球の方が道具などお金がかかるようです。昔は父と息子のキャッチボールはありましたが今は父と息子でサッカーボールをパスするようです。昔は円陣を組んでバレーボールのパスとかする光景とか有りましたが今は見られません。野球が減ったのは公園などで少年野球の禁止などもあります。会社の昼休みビルの屋上などの円陣パスなんて今は見たこと無いです。男子は野球、女子はバレーて時期もありましたが沢山の競技が気安く出来きる時代です。子供のがバレーボールやってみたいとなる時代が戻ってくるんでしょう?
5293
:
ナイト07
:2018/03/31(土) 00:36:38
また OLD の話に戻しましょうか?
https://www.youtube.com/watch?v=u0dvE_bg0xM&t=2163s
87年、新生全日本でオール日立になった年ですが、
見直して見ると小高・武内らが廣・大林と同じコートでプレーしていた唯一の試合だったのでは。
確かに三屋さんもコメントしていましたが、”ベテランの味” ”レシーブにリズムがあるーチームにリズムが生まれる”
の通りソウルで出ることのないいらないメンバーが多すぎたのと実感しました。
高橋も全く中田と違うタイプ のセッターでところどころで良さを見られました。
ソウルでセッター3人は無駄でしたね。
ただ長年見てきて、87年にチームを立て直して、88年には毒を盛られた感じの山田さん
+丸山さんよくあそこまでチームを持って行きましたよね。
今、女子レスリング・相撲などで協会の古い体制のマイナスの面が浮き彫りになってきていますが、
女子バレーの80・90年代、いい人材が沢山いながら、政治的な部分でダメにさせられたんだなと
つくづく感じました。
2012年以降、、、もそうですね。
今は人材難。中田体制も今年が正念場、オリンピックに間に合うか?
去年のエース不在の中そこそこのできだったのでは?(国際大会10勝4敗) はそう悪くはないと思います。
https://www.youtube.com/watch?v=u0dvE_bg0xM&t=2163s
5294
:
アルタガモワ
:2018/03/31(土) 10:54:09
今更ながらの疑問
山田監督は何で87年迄は日立をベテランと若手をミックスさせて日本リーグダイエーから折角取り戻したのに肝心なソウル五輪の年に杉山以外は若手に完全に切り替えて敢えみすみす世界につうようするには程遠い日電に敢えて優勝を譲ったのでしょうかね?
5295
:
久しぶり
:2018/03/31(土) 18:35:24
87/88リーグ
ベースの守備がしっかりしているところに佐藤伊知子、杉山明美の加入でチーム力が上がり勢いが出て、山下美弥子という
揺るぎない精神的支柱のあった日本電気が日立を上回った。でよいのでは?、と個人的には思うのですが。
あと、日立はセンター線が弱かった。地は3流セッターの中田久美にこだわったのも結果的にだめでしたね。
日立はリーグ6連覇中ではありましたが、マンネリとはいいませんが慢心も多少あったかもしれません。
若手に経験を積ませてソウルに間に合わせたいという、世界を見据えることと、国内リーグで勝ち続けることの両立も
難しいことなんだと思います。
高橋有紀子、武内広子、小高笑子で手堅くこのリーグを優勝しておけば、88年の人選も混乱?しなかったのではないかとも
思うのですが。
またれば、たらですが、ソウルでは日立以外のメンバーは丸山由美、廣紀江、佐藤伊知子、そして斎藤真由美でいってたら
どうだったでしょうか。
しかしソウルのチームもいいチームですし、実力以上の大健闘だったと思います。
最後の最後に勝利の女神にそっぽをむかれた。それだけのような気もしますが。
ペルーの最後のプッシュも、ホールディングですよ。
具体的な敗因はただ1つ、最終局面で中田が廣にばかり上げ続けたことです。サイドアウトをとっていればわからなかった。
あまり関係ありませんが、2002年の広瀬美代子のレシーブを見ると、本人にその気があればソウルのピンチレシーバーも
いけたかもしれませんね。ただ、日立全日本に変わった頃から、気持ちの上ではやめたかったそうですが。
あと、やはり何となくですが、この選手はレギュラーで前衛もやってこそ守備も生きるタイプのような。
5296
:
ナイト07
:2018/04/10(火) 03:14:43
山田さんは
87・88と監督任されていたので、最終選考でも思い通りにできるものだと
思っておられていたものだと思います。
オリンピックで勝ちに行く事と日本リーグで勝つのは別ですからね。
86年アジア選手権優勝組のジュニアの選手をなんとか経験を積ませたかった思いがあり、
シーズンを若手中心で、要所で杉山投入してホローをしなんとか立て直していましたが、
最後は守備の佐藤と山下そしてセンターエースのメジャーズがいた日電に負けてしまい、
その結果山下・杉山明美センターも選ばれ、セッターは滝沢も選ばれた。
個人的には武藤とか小高がいたら大林の交代要員などもいて、
武藤が廣と合宿で鍛え挙げられていたら、試合にあまりでなくても武藤はワンポイントブロック・バルセロナの
ために経験を積めたのでは・繋がっていけたのでは?
4人は全く出るチャンスがありませんでしたから、かと言って成長が期待できていたかというと全く後に繋がらない
選手達”オリンピック体験” させられたに終わってしまった感じに。
ペルー戦にあの不利な判定がなく決勝戦にいけていたら、久しぶりの日ソ頂上決戦であの大会で唯一
日本が勝っていたので、金の可能性もあったのではと思いました。
その後韓国は数々の競技で不正が行われたのではないかと言う疑惑が沢山浮上するのを目の当たりにしました。
ソウル大会でのボクシングは酷いものでした。誰が見てもアメリカのジョーンズが勝っていた試合でしたが、
採点で韓国の選手が金を手にする事ができたのです。
本当にスキャンダラスな大会でもありました。
バレーにおいても準決での最終セットはf12−9といい形でリードしていました。
そこで丸山のホールデイング・大林の不思議なネッチが取られ、最後はウリーベの”ド”ホールデイングがセーフに。
あの審判も買収されていたのでしょうか? ペルーの朴さんは韓国人ですからね
韓国が予選で惨敗し、憎しき日本に勝たせてたまるもんか、、、みたいな感じさえしました。
ペルー戦で、韓国の観戦者はペルーサポーターと化しましたからね。
あれは残念な試合でした。あの時少なくとも銀メダルでしたら、80・90年代のバレーも
違った道を歩んでいたのでは?
https://www.youtube.com/watch?v=cJYBV9BXQNY
https://www.youtube.com/watch?v=cJYBV9BXQNY
5297
:
久しぶり
:2018/04/11(水) 01:30:00
まさに
ドホールディングですよね。まさにその表現。
あの試合に関しては、韓国開催でなければ勝ってたとも思います。残念。
確かに開催地自体、ソウルではなく名古屋が大本命だったんですよね。
5298
:
アルタガモワ
:2018/04/02(月) 17:09:31
ありがとうございました。
ナイト様、久しぶり様ありがとうございました。当時日韓関係等は考えた事も無かったので只々試合を見てました。丸山のフォールデングの時は「まさかここに来て今更フォールデング・・・?多分日本はこれで負ける!」と漠然に思ったのを覚えています。今となっては韓国の審判、スポーツ選手の在り方は充分認識出来ているので気にはしませんが・・・世界ではあの「中国よりも韓国とやる方が嫌だ!」と言うくらいですからね。
でも、敢えて日本人だから言うのですがもし日本が文句な無しに強ければペルーには勝っていたとも思います。それだけ前年の国際試合等々・・・ロス前とは随分違ってましたもんね。
話変わりますが私、今更ながら武藤選手、今となっては充分評価出来たなと思います。当時はオートマチックに「デカイだけで下手」ってインプットしてましたが今の岩坂選手とどうしても比較してしまいまして。
武藤は当時センターをしたりレフトをしたりと良く言えば期待、悪く言えば便利屋としてポジション変更されたりしてましたが、今昔のビデオを見ると速いワイドを打ったり(しかも今の岩坂に比べかなり若い)オープンも打てる、我慢して自信を付けさせたら吉原より遥かに良い選手になりバルセロナまでは充分にやれたかもしれないなと思いました。突如集団で現れたアマゾネス軍団88年ソウル五輪以降大林、高橋以外あっと言う間に消えて行きましたね。
5299
:
ナイト07
:2018/04/02(月) 21:34:48
85年
https://www.youtube.com/watch?v=kGPvetSpoMI
ジャパンカップがあった年で、11月にはW杯もあったんですよね。
インフルエンザが流行っていて全員かかってしまい、注射を打って試合に出ていました。
それにしても、イダ・マルガリータが若しき頃にぼろ勝ち。
石田・松並があんなに打てていたという印象はなかったです、W杯で石田は全くいいところなく
キャプテンでありながら何度も川瀬に交代させられた印象が強く残っています。
小島・山田さんが隣り合わせに座っているのが、、、
結局メンバーも最後までもめて、杉山・宮島・大谷が落とされて>169cmの佐藤伊知子が
初選出された。
この二人は死ぬまでバチバチでした。。。
PS。日本が圧倒的に強いってのは無理ですね、76年以降は。
男子化が進み、頭の二人の監督がいつまでも啀み合い、古い形に拘り女子の男子化が遅れたんです。
強いて言うと山田さんの方が未来志向があったとは思いますが。
https://www.youtube.com/watch?v=kGPvetSpoMI
5300
:
アルタガモワ
:2018/04/03(火) 06:50:43
あの当時は
今程インフルエンザが強毒で無く風邪の親玉程度だったので不活化とは言え逆にワクチンを打ち運動量の激しい選手達には逆にリスクと考えて全員接種しなかったのか、或いは何も考えず接種してなかったのか・・・?何れにせよ外国チームに負けたと言うよりインフルエンザに負けた大会でしたね。松並、佐藤と小さいけど今で言うレシーブのしっかり出来る二段トスがしっかり打てる選手が入ったのに・・・二人とも何ちゃってカルテットのお陰で見向きもされて居なかった64年度生まれでカルテットの一つ上の選手で日本リーグ、ユニバでしっかり実績を積んだ選手でしたね。
5301
:
アルタガモワ
:2018/04/03(火) 06:52:53
今で言う・・・
レシーブがしっかり出来き二段トスが打てる「江畑選手」書くの忘れてしまいました。
5302
:
アルタガモワ
:2018/04/06(金) 11:03:27
手洗い嗽で
インフルエンザ罹患が防げたら世の中ワクチンなんてしてないですよ。
嗽なんて日本でしか励行されて無いし・・・何の根拠も無いですよ!
もしかして「ウィルス」を「ヴィールス」と言っていた時代の人ですか?
5303
:
ナイト07
:2018/04/11(水) 14:20:56
勇退は
まだ実力があり、年齢的にもプレーができる選手だが、
敢えてチーム・個人的な理由で チームを退き・引退すると言う事なのでしょうか?
勇という字が、、、ポジティブですから。同じ辞め方でも”会社・チーム”のために貢献している・きた事を示唆するような?
ネットでこういう説明がありました。
それを言うなら、「勇退」と「辞任」です。
引退とは、第一線を退く時にのみ使う言葉です。
プロ野球などのスポーツでは、現役を退く時にしか使われません。
ですから、監督を辞めるときに「引退」とは言いません。
監督を辞めるときに使われる言葉は、「勇退」と「辞任」です。
監督職を退く時に、客観的事実を述べるときに使う言葉が「辞任」です。
その時に、監督としての実績や貢献度を加味して使う時に、
「勇退」や「解雇」という言葉を用います。
「勇退」の場合は、実績や功績が認められ、惜しまれながら辞める時、
「解雇」の場合は当然、必要ないと言われて辞めさせられた時に使われますね。
現役の選手であれば、引退か解雇のどちらかで、
勇退などという言葉を基本的に使われません。
辞任、勇退、解雇(更迭)などは、役職に付いている人に使われるということです。
5304
:
ナイト07
:2018/04/11(水) 14:29:03
木村美里は、
姉の沙織んが引退後、扱いも変わり、新人の黒後が入り>鍛えるために、
出番がなくなってきたので、居場所がなくなったのでは?
姉ちゃんがいた時は2人でキャッチしていたくらい、相当できる方だったはずが
やはり去るVリーグで黒後のレセプの相当数受けているスタッツを見てもお分りの
通り、敢えてできる人を外していたように見えました。
世界杯・五輪まで時間がないので、急ピッチで育てようという狙いがあるものかと!
どうでしょうか皆様、あれだけ狙われ程ながら微動だにしないのは結構立派なものです。
途中、セッターに転校したばかりの白井の不安定・予測不能のトスも打っていたわけですから、
相当肝試しも体験しましたよね。
高卒であれだけできるのは稀な存在です。
強いていえば沙織んは185cm ありました。大山は187cmあり
身長が世界では小型の部類に属しますのでこれからどれだけ、ジャンプに伸びが出てくるかがキー。
つなぎ・粘りも覚えていかなければならない。
今年注目の選手ですね。
長岡本復帰できるか?同時コートインできるのか?
5305
:
ナイト07
:2018/04/12(木) 17:42:01
メデイア洗脳と:30年遅れている
日本(男子主導)のバレー協会。
https://www.youtube.com/watch?v=efR4_2FtiAQ
今の時代は20−30年前の秘蔵ビデオが手軽にアクセスできるようになってきている。
たまたまバルセロナ五輪前後の伊セリアAの試合に出くわしました、、、
率直な感想ですが、凄いオールスター戦が普通に行われていたんだなと、、
キライさんは ”ミスターバレーボール”と呼ばれ(ミスターパラボラ=伊語のバレーの意味)
アルゼンチンのエースキロががアメリカのエースのテイモンズらと打ち合っていて
正直、今の日本Vリーグよりレベルが全ての面で上、、、。
昨シーズンより外人監督(コーチの名の下の事実上監督の役割を果たしている)を採用しましたが、南部全日本がダメすぎて尻に火がついた状況?ちょっと遅すぎ?
丁度4年前にサトウ氏を1シーズン採用したが、形だけで協会は全くサポートせず後味の悪い形で解雇。
サッカーの状況と大分違いますが、透明性に欠け理屈が成り立っていない変な解雇劇と言う
ところは日本の体育会系のダークな人事采配の側面は似通っている。
正直男子に関しては世界トップから30年くらい遅れをとっていると思います?!
今期の男子Vファイナルは、大型外国オポジットが揃って怪我で出場させられず???(凄く疑問?)
185cm前後の日本人同士の撃ちあい合戦と化した。最後にパナの福澤が決め3−2の拮抗した試合を制し(と言うシナリオで)幕を下ろした。福澤を今更持ち上げてどーすんの?世界相手に通じると思いますか?皆様どう思いますか?
プンプン悪臭漂うファイナルでした、、こうして古い動画を見ている方が面白いです。
なんだか、東京前にブランさん解任も有り得そう。一応メデイアでは中垣内が監督で大変活躍しているように伝えていますが(ちょっと恥ずかしすぎてそんな嘘に開いた口がふさがらないと思いつつ、見て見ぬ振り)
よかったら皆様もこの女子が合宿中で試合のない時期に見ていただければと、、?
(古い女子の動画もありましたら共有したいと思います。)
https://www.youtube.com/watch?v=efR4_2FtiAQ
5306
:
ナイト07
:2018/04/16(月) 03:27:01
宮島らは
一応銅メダリストですし、協会のゴタゴタと政治絡みで何もできない状況でしたから、
さっさと勇退した方が得策だったと思ったのでしょう。実はそれが賢かったと思いますね。
86−7年でジュニア組の大林をはじめ田島・アジアJR選手権MVPの藤田もいましたし、武藤も86年レフト
で試されていましたし宮島の出番が回ってこなくなったのは確実で。
87年の日本リーグでずっとベンチ・
87年のJカップでも全く通用しなく・山田vs協会とのゴタゴタで88年のソウルにも呼ばれなかったので
いい時期に去ったと思います。
5307
:
久しぶり
:2018/04/16(月) 12:19:21
大林素子と中田久美との対談で。
>(中田)人間力が上がらないとチーム力は上がらない
お前が言うな。
5308
:
久しぶり
:2018/04/16(月) 12:30:50
引用ですみませんが、ドン引き
大林「面談といえば去年、宮下と駅で一緒になって、『どうだった、面談』って聞いたら
『私、呼ばれてなくて…。忘れられているかもしれない…』っていってて。
『うわーっ、久美さん、すごいな』と思った」
中田「自分が忘れられているんじゃないかと思っているところで呼ぶ、みたいなね」
大林「心理的な作戦が大きかった。あれで選手を引きつけましたよね」
管理者としてのみならず人間としても最低じゃないのか?このバカ女。
世界選手権も惨敗して二桁順位になって、この女さっさと出ていけばいいのに。
枕の宣伝も上から目線なのでイライラしてもしもモノはよくっても買う気にすらならない。
この女がいかにバカなのが手に取るようにわかる対談記事です…。
(言葉を濁してヨイショする大林素子も心中はどうなんでしょうかね。
対してこちらは、自分の立ち位置をよくわかってて、ある意味で賢い。)
5309
:
久しぶり
:2018/04/16(月) 12:38:52
連投すみません。
中田「ごめんなさい、私と素子はスターだったから(笑)。
どうやったらスターになれるかなんてわかんないや(笑)」
ふざけているのか。まじめにやれ、このバカ女と言いたい。
バカは死ななきゃ治らないとはよくいったもんです。
近くにいたら逃げるが勝ち。関わらず。です。まさに山田バレーの負の遺産。
大林素子はスターでいいと思いますよ。
5310
:
久しぶり
:2018/04/16(月) 15:21:06
中田久美
人気、というか知名度はあった。でしょうか。
失礼ながら、当時の私の目にはブスに見えました。
広瀬美代子と三屋裕子はすばらしいバレーから自然発生した空前絶後の人気者。
斎藤真由美と益子直美はレフト対角に容貌もプレースタイルも
オールラウンドタイプで似通った美人が揃った。その人気者。
思い返してみるとエース対角が美人2枚って、他だと
山内美加と佐伯美香ぐらいしかないですね。この二人はプレースタイルは真逆です。
5311
:
ナイト07
:2018/04/16(月) 18:15:06
女子が すごく心配になってしまいました
http://www.sanspo.com/sports/news/20180411/vol18041109000001-n1.html
男子はブランさんがかなり、肝っ玉親父で幅を聞かせているような感じで弱小男子を
見違える程色んな策を打って結果を出しているように見えますが。
元々順位が14−8位くらいだったから12位に動いたと言う感じではありますが、
上位6チームと8位以下20位くらいの動きは全く違うのは承知ですが、南部さんの時よりは明らかに
若手を使って思いっきりのいいポジションシフトとかを成し遂げいい感じになってきているなあと見ております。
(若手大型選手をMB>>>OPに:例えば大竹選手ら)
女子の昨年は、中田さんが(意外にも)守りに入ったなというふうに見ています。
新鍋ありきの全日本みたいな感じになっていて、その相方がうち瀬戸。
173と170cmコンビがキャッチの軸と化した2017年。
前半戦は勝ち越しましたが、グラチャンでトップ6のチームと本気でやったところ結果は”嘘をつかない”と
語っていましたが、負け越した。まあ確かにそれが今の本当の実力であるのかと思いました。
強いて言えば、中田さん現役の頃より軸となる選手が低くなってしまっていて2m時代の今
大丈夫かよ?と強く疑問に思っています。
初年度から守りに入ってどうするの?とも思っていましたが、、注目されている初年度なだけに
負けばかりでもしょうがない、、、厳しい状況を引き継いだのは間違いないのですが!
もう一点バックアタックについて、、80年代と違ってトップ10のチームはできて当たり前。
”決まる確率が低い云々”と言う問題ではないように思えて仕方がなかった。
”守りのバレーは好きじゃあない” と語っていましたがグラチャンの戦い方を見て、どう見ても
守りに入っていたようにしか見えませんでした。勝ちに拘るのであればもっと早い段階から
バック=今の時代はパイプ攻撃をコンビに組み込まないのは時代錯誤。
タイチームなどではユースの段階からどんどん使ってきています。
ネーションズリーグ待ち遠しいなあ。
それにしてもせっかく地元でのオリンピックだからいい結果を出して欲しいし、見たいです。
2010年の世界選手権は地元で銅メダル獲得見届ける事ができて幸せだったのですが、
2020年のオリンピックも何とか地元で勝つのを見てみたいです。
http://www.sanspo.com/sports/news/20180411/vol18041109000001-n1.html
5312
:
久しぶり
:2018/04/18(水) 00:04:56
中田久美
協会が持ち上げて、はしごをはずす(惨敗の責任をなすりつける)つもりなんでしょうね。
バカな女だからちょろいとみられて、利用されているだけ。
かなり昔ですが、ビッグコミック(スピリッツだったかオリジナル
だったか忘れましたが。)で、幼少期の思い出を語っていましたが、
何かをはじめたい、やめたいで特に親にはなにも言われたことはない。
中学までは男の子を含めてまで、ガキ大将だったとも話していました。
ただでさえ176?あり小学校高学年だと女の子の方が大きいので、さぞかし
まわりは迷惑したでしょうね。
それにしても、開催地特権がなければ、アジアでもタイ、チャイニーズタイペイ、
ウクライナ、アゼルバイジャンなんかにも負けそうです。
そういう流れ、日本バレーボールの、「寿命」がまさに今きているのかもしれません。
5313
:
ナイト07
:2018/04/18(水) 13:24:16
体育会系の親父、、が
一番恐ろしい!
地震、雷、火事 、親父 と
ありますが、オヤジが一番タチが悪い。
眞鍋(柳本さんに続いて男子プレーヤー出身者)が女子バレーを(80年代の河合ら男子同様)
パンダのサーカス軍団と成り果てさせてしまい、リオでとんでもないところまでに落とされた。
誰もやりたがらない状況の中 ”私が女子バレーに恩返しのために引き受ける”
”伝説となるチームを〜”<<<元男子監督が女子バレーをダメにした事に対してそう語ったのではと思われます>> と語って中田さん新体制で登場!
”いうのは易し〜〜” 世界の状況が強すぎるから、、厳しいのは間違いない。
(個人的には男子出身の監督さんはうざいからなって欲しくないので)なんとか中田さんに頑張って欲しいですが、
久しぶりさんの煽る通りだと思います。(元男子の)オヤジらにうまい具合に手玉に取られているようで、
勝てば万歳、負けたら全ての責任を負わせられ地獄の底に落とされる事になるでしょう。
世界で通用する監督になるのはそう簡単ではありません。あの郎平さんでさえ1986年コーチ就任後10年間アメリカ・イタリアで経験を積み1996年で銀を獲得>>金を取るまで20年掛かりました(2016年で実現)
30年掛けてようやく金メダルを手にする事ができたのです。
アメリカでコーチング学の学位もとっていますし、中田さんと違いイラリアでは監督を勤め勝手います。
中田さんはアシスタントコーチ的な役割で、よく球拾いとかをしていました。イタリアでは指導する立場にはなって田舎ったと思います。
イタリア後久光を経て>全日本監督就任、、、それで東京で(金)メダル?
を目指す?
あのレジェンドキライさんでさえ2度目のオリンピックでやっと銅でしたから。
この記事で語っている通りの今年か考えられていないようでしたら、厳しいなあ。
https://www.daily.co.jp/general/2018/04/17/0011172881.shtml?ph=2
会見記事
?
https://sports.yahoo.co.jp/column/detail/201804160002-spnavi?p=1
?
https://sports.yahoo.co.jp/column/detail/201804160002-spnavi?p=2
http://www.sanspo.com/sports/news/20180411/vol18041109000001-n1.html
5314
:
元中津市民
:2018/04/22(日) 07:24:19
(無題)
指導者の大木氏が、扇城(現:東九州龍谷)へ移っただけで、中津南高は現在も存在しています。
公立の進学校の為、大木氏は限界を感じたからだとか…
5315
:
ナイト07
:2018/04/22(日) 15:27:40
大木さんは
歴代トップクラスの監督だと思います。
山田さんとも太いパイプが繋がっていたと思います。
菊間さんもそうでしたが、
5316
:
ナイト07
:2018/04/24(火) 17:31:27
ソウル後の 日本リーグ
https://www.youtube.com/watch?v=Obh5A7vWTiM
https://www.youtube.com/watch?v=Obh5A7vWTiM
珍しい動画を見つけました。
廣が日立に在籍したリーグ
https://www.youtube.com/watch?v=Obh5A7vWTiM
5317
:
ナイト07
:2018/04/26(木) 12:32:23
アマゾネす軍団
https://www.youtube.com/watch?v=Oy8vnA02XLQ
https://www.youtube.com/watch?v=Oy8vnA02XLQ
5318
:
アルタガモワ
:2018/05/01(火) 14:51:14
ナイト様
ありがとうございます。当時はもう面白くないと思っていましたが今改めて見ると繋ぎや、センターからのセミ等オープン等今では考えられないプレーが見れて楽しかったです。
図々しいですが81〜84年の日本リークとか全日本の試合とか見たいなと思うのですがお願い出来ますか?宜しくお願いします。
5319
:
昔の人
:2018/05/05(土) 19:35:03
黒鷲旗
人気回復厳しいです。サマーリーグなみ
5320
:
ナイト07
:2018/05/06(日) 04:49:31
23回 日本リーグ
https://www.youtube.com/watch?v=55WHS3BH9KA
https://www.youtube.com/watch?v=mujkEA2yhgo
81−4年頃の動画は、ちょうどあまり出回っていない時期でもありましたので中々出てこないですね。
ちょっと見た事もあるような気もしますが。
https://www.youtube.com/watch?v=55WHS3BH9KA
5321
:
なかむら
:2018/05/08(火) 22:50:20
話全然違いますが
共栄学園にいた野上由美子 カネボウ辞めたあとどうしてるんですかね 益子直美をテレビで見るたびに思い出します
5322
:
なかむら
:2018/05/10(木) 22:36:22
石掛さん!
懐かしい! 宮島 廣 大谷とビッグ4でしたよね みんな幸せだといいですね
5323
:
なかむら
:2018/05/12(土) 20:00:43
みんな
背も高いし普通に生活してたら目立つと思うんですがなかなか情報もないもんですね・・・
5324
:
アルタガモワ
:2018/05/14(月) 14:56:35
石掛選手
彼女はカルテットには入っていませんでしたがアタッカーとしてはバルセロナまで行った凄い選手でしたね。
ブロードは出来なかったけどあの一人時間差は凄かったですね。
もうベテランになってからはコートに居るだけで絵になる選手でしたね。
あっさりした良いお母さんになっているイメージが湧きます。
5325
:
アルタガモワ
:2018/05/15(火) 15:02:32
ロンリー様
私もそれ観てたと思います。横山樹理がママさんバレーチームのエースでやってませんでした?
白井と樹理の激突?白井の「はーん?」と言う樹理に対して凄い睨み付ける恐ろしい場面があった様な・・・探せばビデオがあるはずなんですが・・・。
5326
:
アルタガモワ
:2018/05/15(火) 20:00:22
大谷と石掛
昔友人から聞いた話ですがそのネット越しでどちらかが「泣かしたろか〜〜〜!」って言ってたと聞きましたが友人の大袈裟なホラだったんですかね?
私は見ていないので見たかった。
5327
:
アルタガモワ
:2018/05/16(水) 11:28:13
流石に
もう20年くらい連絡もありません・・・。
5328
:
アルタガモワ
:2018/05/16(水) 13:19:03
そうですね。
確かに私もつい何でも鵜呑みにしていたので・・・何でもかんでも「凄いな!」と思っていたのですが・・・。
東洋の魔女達は相手チームとの事は聞いた事はありませんがチーム内で仲が良かった分だけ喧嘩の時は激しかったそうですね。
谷田、宮本選手は練習が終わり二人で風呂に入って話しの内容が親の事になったそうで(どちらかの選手は戦争で父親が居ないのと母親が居ない立場)そこから喧嘩がエスカレートして風呂の中でとっ掴み合いの大喧嘩になったそうですね。多分それだけお互いに人間関係が構築出来ていたからでしょうね。
因みにこれは私が呼んだ本で東京五輪翌年に出版された大松監督の「黙って俺についてこい」と東洋の魔女の「なせばなる」のどちらかの本で読みました。
5329
:
アルタガモワ
:2018/05/16(水) 20:05:08
風呂の件は
絹田、宮本選手二人で入っていた感じでした。確か・・・練習が終わって夜中にもうお湯が冷めてた・・・と記述してあった様に思いますので仲裁も居ないので派手にやってしまったのでしょうね。
時代が進み生活が良くなるに連れ女子バレーは弱くなりましたね。
5330
:
アルタガモワ
:2018/05/17(木) 11:54:31
あっ!
失礼しました。そうですよね。
5331
:
なかむら
:2018/05/19(土) 22:32:58
どんなスポーツも
ハングリーで荒々しい時代にはかなわないですね
5332
:
アルタガモワ
:2018/05/30(水) 10:54:20
覚えています。
日立、ユニチカによるプレーオフ、しかも二夜連続ゴールデンタイム。私はもう既に日立からユニチカを応援していたのですが結果は日立・・・。
殆ど打数の無い吉原も新人で優勝インタビューで初々しく「先輩達が〜・・・」と言ってたのをよく覚えています。
それから吉原は全日本のレギュラーを勤めていましたが私はどうしても江上、三屋のセンターが焼き付いていたのでどうしても吉原が世界で通用した印象が無いんですよね。
晩年は確かにVリーグでレフトをしたりライトをしたりその事に関しては凄いなとは思いますがそのポジションのエキスパートだとは思えませんでした。
個人的にはよく頑張って女子バレーを牽引して来たと尊敬しますが一選手としては魅力は感じませんでした。
年齢が少し違いますが東洋紡で一緒にプレーしてた森山淳子の方が魅力的でした。
話が飛んですみません。
5333
:
ゆき
:2018/06/09(土) 21:05:23
バレー観るならここしかない
http://satch.tv/?mref=33
5334
:
ナイト07
:2018/07/12(木) 18:53:00
全く止まってしまった
この板
5335
:
アルタガモワ
:2018/07/14(土) 13:53:46
そうですね。
カルバハルさま始め昔の事を色々教えて頂きたいと思います。
5336
:
K I
:2018/09/19(水) 14:32:37
20世紀最優秀女子選手について
今更、こんな初歩的な質問で申し訳ありませんが女子の20世紀最優秀選手賞はミレーヤ・ルイスではなくレグラ・トレスが受賞したのでしょうか?
この賞を受賞したことによりトレスは燃え尽き症候群に陥り現役引退が早かったという声があります。男子がカーチ・キライなのは納得ですが女子がトレスなのは納得がいなない部分があります。ルイスの頑張りはなんだったのだろうかと思います。
5337
:
久しぶり
:2018/09/20(木) 02:58:03
30年前の今日
日付が変わって9月20日 ソウルオリンピック女子バレーボール開幕日
日本が、ソ連とのすさまじい激闘の末に勝利した日です。
序盤から大当たりで第一セットのスコアは15-2。まるでソ連をきつねにつままれたかの
ような状態にした大林素子、要所での廣紀江のブロック、持久戦に強さを発揮した佐藤伊知子、
ここぞという最終局面で執念のプッシュを決めた丸山由美、各セット出場で期待以上の
働きをみせた高橋有紀子など。
すばらしい試合でした。ペルー戦の惜敗が本当に悔やまれます。
その後は長き冬の時代に突入。真鍋監督で、「小春日和?」が来るのですが、今や極地へ
落ちる勢いで、もう女子バレーの終焉は見えているのが、とても無念です。
話は変わり、予選B組の当初の出場国は中国、キューバ、ペルー、ブラジル。
2年前の世界選手権のメダル国が集った死のリーグでしたが、友好国である北朝鮮に
気を遣ったキューバが不参加で北米大陸選手権2位のアメリカが出場することになります。
もしキューバが出場していたらどうだったでしょうか?
・キューバは負ける可能性があるのはペルーのみで、中国に負けることはなさそうに
思います。三つ巴になりセット率争いで負ける以外は、予選通過は最も確実だった
ように思います。
・しかしなんだかんだいってもペルーが接戦を制し3勝全勝で首位突破だったでしょうか。
逆にブラジルに最も足をすくわれて1敗を食らいそうなのもペルーのような気がします。
中国戦も第5セット9-14まで追い詰められていましたから、2敗もしくは全敗の可能性も
なきにしもあらずか。
・中国はブラジルに取りこぼすことはなさそうですが、キューバには勝てなかったと思います。
首位通過は可能性はありますが通過するとしたら2位通過、予選敗退もあったかもしれません。
中国のドーピングに関しては、まあ皆様のご察しどおりなのでしょうね。
1991年、アジア選手権の大一番、勝利した準決勝の韓国戦もくしくも9月20日なんですよね。
5338
:
久しぶり
:2018/09/20(木) 03:20:12
ソウルオリンピック
結局、ソ連に自信をつけさせてしまいましたね。
日本の勝利も結局はメダルにつながらなかったのが残念です。
そして日本がメダルを取っていれば、その後の勢力地図はまた変わった
ものになっていたかもしれません。
日本も斎藤真由美をはじめとした有望若手も今よりもずっとたくさんいましたし、
強化の一貫性のなさも、米田監督に振り回されて低迷傾向が加速することも
もしかしたらなかったのかもしれません。
やはりペルー戦は日本の灯が消えた瞬間だったように思います。
東ドイツが韓国に勝ち(実力的には妥当)、ソ連が予選落ちしていれば
日本はメダルが取れたかもしれないとも考えてしまいます。
2010-2012年、2014年中盤頃まで、わずかながらいい夢をみさせていただけるとは
思いもしませんでしたから。
残念ですが、中田久美率いる「末期がん」の状態の全日本を、そして迎える
東京五輪での最期を看取るのはさびしいものです。
まずは中田久美、この女がいなくなってほしいものですが。
5339
:
久しぶり
:2018/09/20(木) 03:26:44
真鍋監督
全面的に称賛はしていませんが、時代の趨勢をよく考えたプランを練り、
選手が自分で考えるようにできるようにしたのは大きな功績だと思います。
選手の選抜もしかりで。
だから木村沙織が一皮むけたり、山口舞、新鍋理沙、江畑幸子らが活躍
できたのかもしれません。
連投すみませんでした。
5340
:
小姑
:2018/09/25(火) 19:32:12
久しぶり 様へ
ソウル五輪はアメリカは切符がてっきりあるのだと思っていました。
私はロスで中国が優勝してソウルの出場権獲得、86年世界選手権は中国が
優勝でしたので、2位のキューバがソウル五輪の出場権獲得、
アメリカはノルセカの大会で2位でもソウル五輪のチケットはあると認識していました。
確かヨーロッパ選手権でソ連は確か東ドイツに負けたので
ソウル五輪の切符はなかったんですよね。
そこにキューバのボイコットがあったので、
OQTをしてソ連とブラジルに出場権が廻ってきたと、
30年間ずっと思っていました。
しかしこの時期になるとソウル五輪と91年のアジア選手権は思い出します。
今日はソウル五輪の運命の韓国戦の日ですね。
27日が事実上、メダルがなくなったペルー戦。
なぜか強烈に覚えています。
週末から始まる世界選手権もこういう風に何十年経っても思い出すような
インパクトの強い大会になってもらいたい…ところです。
5341
:
久しぶり
:2018/09/26(水) 23:12:32
最終予選にて
東ドイツに破れてソ連がそこで切符を取ったのですよね。。。
日本はA組でよかったですね。
9月27日は運命の、そして日本女子バレーが実質的に散った日ですね。
あの最終局面で丸山由美のホールディングを取るとは。
新聞でも、主審も観客の執拗なアンチ日本の雰囲気に呑まれてしまったのかも
しれないとありました。
本当に終わってしまったのは、三位決定戦の相手が中国に決まった時なんでしょうね。
5342
:
まあ、いいか?
:2018/10/11(木) 11:56:44
世界選手権も
権威が落ちましたね。
5343
:
アルタガモワ
:2018/10/11(木) 22:09:10
86年世界選手権
から何と無く安っぽい印象を受けましたが・・・もうあれから32年も経つんですね。
5344
:
カルバハル
:2018/10/18(木) 21:03:45
世界選手権の権威
残念ながら下がってますが一つだけ古い文献から男子世界選手権の第一回大会は1949年にプラハでありました。女子の世界選手権の第一回大会は1952年やはりモスクワは第一回大会です。いずれも優勝はソビエトです。ここまでは、だいたい調べると判りますが、実は1945年に女子だけ世界選手権オープン大会がプラハで開かれて優勝は、やはりソビエトでした。男子の方が歴史が長いと思ってましたが実は女子の方が歴史があります。少しは世界選手権のタイトルの権威は、上がったでしょうか?由緒正しい歴史ある大会なんですよ。勿論、日本は参加してません。まだ九人制の時代です。オリンピックやワールドカップは日本は6人制が主流に、なってから出来た大会ですが世界選手権は歴史と伝統のある大会です。TBS球技大会になってしまったのは残念です。
5345
:
カルバハル
:2018/10/21(日) 19:07:28
世界大会の歴代優勝国
プレ世界選手権ソビエト、世界選手権、第1回ソビエト、第2回ソビエト、第三回ソビエト、第4回、日本、東京オリンピック日本、第5回世界選手権、日本、メキシコオリンピック、ソビエト、第6回世界選手権ソビエト、ミュンヘンオリンピック、ソビエト、1973年ワールドカップ、ソビエト、第7回世界選手権、日本、モントリオールオリンピック日本、1977年ワールドカップ日本、第8回世界選手権キューバ、モスクワオリンピック、ソビエト、1981年ワールドカップ中国、第9回世界選手権、中国、ロスアンゼルスオリンピック中国、1985年ワールドカップ中国、第10回世界選手権、中国、ソウルオリンピック、ソビエト、1989年ワールドカップ、キューバ、第11回世界選手権ソビエト、1991年ワールドカップ、キューバ、バルセロナオリンピック、キューバ、第12回世界選手権キューバ、1995年ワールドカップ、キューバ、アトランタオリンピック、キューバ、第13回世界選手権キューバ、1999年ワールドカップ、キューバ、シドニーオリンピック、キューバ、第14回世界選手権イタリア、2003年ワールドカップ中国、アテネオリンピック中国、第15回世界選手権ロシア、2007年ワールドカップ、イタリア、北京オリンピック、ブラジル、第16回世界選手権ロシア、2011年ワールドカップ、イタリア、ロンドンオリンピック、ブラジル、第18回世界選手権アメリカ合衆国、2015年ワールドカップ中国、リオデジャネイロオリンピック中国、第18回世界選手権セルビア、
5346
:
カルバハル
:2018/10/29(月) 20:03:38
昔の文献
プラタノフ監督とドロホフ選手が日立に指導に来た話しですが、当時は最新鋭だったサーブレシーブを2人でする指導をした後、山田監督が指導後のコメントでしたが男子と女子とはネットの高さが違うので女子の場合はサーブレシブを2人でするのは適さないと言ってました。この話しを今に当てはめると男子並みのスパイクサーブや変化するジャンプフローターサーブは、ネットの低く男子より運動能力が低くい女子には、やはりサーブレシブを女子が2人でするより範囲を選手の能力により決めて5人でサーブレシブをした方が良いと改めて思いました。攻撃に備えるよりもサーブレシブをセッターに返す方が女子には効果があると山田監督も思ったんでしょうね?
5347
:
カルバハル
:2018/11/24(土) 00:24:56
礒辺サタ
両親が居なく祖母に育てられた礒辺は千葉から日妨に中学を卒業して入社しましたが高校に行きたい思いで四天王寺高校に入学しましたが四天王寺高校には小島監督の家から通学したエピソードもあります。大松監督を父親のように慕う礒辺でしたが小島監督にも大きな恩がある事は、あまり知られてません。また小島監督は四天王寺高校の教師で監督でしたが東京オリンピックではマネージャーを務めてました。小島監督も言ってましたが、一高校バレーの監督が大松監督が二チボー監督を辞任した後、いきなり世界一のチームの監督になったのは、かなり、しんどかったと言ってました。確かに四天王寺の卒業生が二チボー貝塚の選手は多かったけど昨日まで高校の教師が、次の日から世界一のチームの監督になるのは今の時代では考えられない事です。しかも連勝記録も258練習まで伸ばしたのは小島監督です。か
5348
:
カルバハル
:2018/11/25(日) 20:01:44
その昔は
新魔女(二チボー)と旧魔女(葵倶楽部)と試合して巌流島の対決と騒がれて話題になりました。3-1で二チボーが勝ちました。また日ソ対抗も二チボー、クラボウ、ヤシカ、日立と単独チームでソ連と対戦した親善試合でもゴールデンタイムにテレビ放送がありプロ野球の巨人戦より視聴率が高かったです。校庭や会社の屋上とか円陣になってバレーボールをパスしたりする光景もありました。ママさんバレーの大会や、中学バレーの大会までテレビ放送があったり芸能人のバレーボール大会までありました。アニメ、ドラマもバレーボールの放送もありました。朝のモーニングショーにもママさんバレーチームと芸能人プラス河西選手の試合が毎日放送されていました。リスカル、スモレーワくらいは誰でも知ってたソ連の選手でした。今のような淋しいVリーグに、なるとは思いませんでした。
5349
:
K・I
:2018/11/26(月) 22:27:21
ソウル五輪から30年
今年で、ソウル五輪から30年経ちます。
バレーボールの掲示板を見ているとソウルと招致を争った名古屋での五輪が実現していたらと思うと無念でなりません。
ソウル五輪時はバレーボールファンになる前でしたが私よりファン歴が長い方のコメントを
見ているともし韓国でなく日本で開催されていたらキューバはボイコットすることなく参加して
ソ連と金メダル争いをしていたと思うとこの時代の五輪ボイコットは非常に悔やまれます。
ソ連はソウル五輪決勝戦でペルーに勝利して金メダルを獲得したにも関わらず未だにこの金メダルはキューバが不参加だったから獲得できたというファンの書き込みがあるのでこれを見るたびにあと10年早く生まれていたらと思います。
バレーボールだけでなく他競技にも素晴らしい選手が今よりも沢山いました
陸上 ブブカ・ドレクスラー・カール・ルイス・フローレンス・ジョイナー
レスリング カレリンなど
ルイス・カルバハル全盛時代はファン絶頂期でしたがまさかここまでバレーボール界が
弱体化するとは夢にも思いませんでした。正直今のバレーボール界には男女含めて一人も
殿堂入りふさわしい選手が見当たりません。
80年代のバレーボールをリアルタイムで見れたファンの皆さんが羨ましいです。
5350
:
カルバハル
:2018/11/27(火) 11:02:36
バレーボール殿堂
アメリカ合衆国の選手が中心であまり、私は信用してません。日本女子なら飯田や松田、横山、江上は殿堂入りしても不思議ではない選手です。中国でも楊錫蘭も入っても不思議でないしガブリエラ、ペレス、メルセデス、ペレス、ベルなんかは入って欲しい人材です。アメリカ合衆国の選手が多すぎです。個人的にはロスやソウルしか知らない方が多いので日本の本当の黄金時代を知らない人は残念だと思いますよ。出場した世界大会は金メダルと銀メダル以外はなかったんですよ。金メダル以外はビリも同じと言われてて単独チームでもソ連以外には勝ってた時代です。二チボーは単独チームでも世界一になりました。今から思うと信じられない位、強かった女子バレーボールです。二チボーの258連勝で止めたヤシカの試合の映像がみたいです。
5351
:
カルバハル
:2018/11/27(火) 18:35:01
二チボーの258連勝
あくまでも単独チームの6人制バレーボールだけの記録です。東京オリンピックや二チボー主体の全日本は記録から外れてますから凄いですね。ヤシカにフルセットで負けた後、翌日、日立にストレート負けしたんですよね。
5352
:
K I
:2018/11/27(火) 23:20:23
2位もビリも一緒
「2位もビリも一緒」というコメントは確か高校バレーボール界の超名門校の八王子実践菊間監督、旧ソ連のカルポリ監督がよく使用していた記憶があります。
この二人の監督は選手との確執も多々ありましたがなぜか自分は嫌いではありませんでした。
カルポリさんがアテネ決勝後のロシア監督辞任を発表した時すごいショックでした。
女子バレーボール界の歴史をたどると菊間監督の教え子である三屋裕子、大林素子の二人は日本代表時代に凄い世界のバレーボーラーたちと世界一を賭けて戦ったんだなと思います。
ヘオルヘキューバには三大大会では相性が悪かったですがカルポリ監督の教え子たちも
素晴らしかったです。今年はパルホムチュックことキリロワが殿堂入りしました。
カルバハル様がおっしゃる通りアメリカ選手の殿堂入りが多すぎるのが気になります。
テニスはバレーボールと違い殿堂入りにふさわしい選手たちが名を連ねています。
陸上競技は殿堂入り基準が非常に厳しいため、殿堂入りにふさわしいラルス・リーデル
ハイケ・ドレクスラー、フランク・フレデリクスが基準を満たしていないため殿堂入りできていません。水泳も陸上競技と同じ感じです。
2位もビリも一緒という言葉は今の現役アスリートには理解できないでしょう。
5353
:
カルバハル
:2018/11/28(水) 06:17:56
八王子実践の緑
菊間監督が東洋魔女に憧れて緑のユニフォームにしたんですよ。二チボーはブルマが緑色でした。また世界一に一回しかなってないアメリカの選手が多いのは権威を逆に下げます。金メダル以外は、ビリも同じは、ソウルくらいまで続いた話しです。ロスの銅メダルとロンドンの銅メダルは全然、扱いが違うので判ると思います。メキシコ、ミュンヘンは銀メダルでも涙したんです。ミュンヘンのキャプテンの松村勝美選手は銀メダルなら要らないと発言した話しも有名です。メキシコのキャプテンの高山選手はメキシコオリンピックの事は話したくない、メキシコの故山田監督は一夜にして髪の毛が白髪になったとか、メキシコオリンピックの解散式の時、原宿で一般人に銀メダルなのに、なんだ負けた女子バレーボールかと言われて選手が嫌な思いをしたとか。銀メダルでは、評価されない悲しい思いを女子バレーボールはしてます。単独で1973年ヤシカが第1回ワールドカップで銀メダルでした。東洋の魔女達も敵はソ連、我が二チボーと唄ってました。1企業が大国のソ連と戦った歴史です。またソ連の中核をなすチームはカルポリ監督率いるウラロチカ、スベトロフスクのイメージが強いですが、金メダル以外はビリも同じ時代はギビ、アフレジアーニ監督率いるディナモ、モスクワが中核をなすチームにニチェフ、バクーのリスカルを加えたチームがソ連チームです。因みにリスカルは16才からソ連で騒がれたアタッカーですがレシーブもトスもブロックもサーブも上手いオールラウダーの選手でオリンピックに4回出場してる選手です。
5354
:
カルバハル
:2018/11/28(水) 11:16:31
日本が強かった時
おそらく、モントリオールオリンピックでしょう。1セットも落とさない金メダルで決勝戦でもオリンピック史上、最も面白くない決勝とも言われてます。第三セットは15-2のスコアで途中10-0まで差がつきました。ソ連が1点を返すと場内、割れるばかりの拍手が鳴り響き、またレシーブをドリブルしたシュチェチニーナしましたが審判は反則を取らず試合が続きましたが誰一人、抗議すらしない日本の圧勝の金メダルでした。選手は涙もなくニコニた試合後で表彰式も勝って当然、苦しい練習から解放される安堵な表情でした。専門誌でも強い強すぎるとまで言ってました。あの東洋の魔女でも1セット落としてるとか、絶対的な自信があったのかコイントスで勝ってもサイドアウト制なのにサーブ権を選ばずコートを選ぶ絶対王者でした。
5355
:
K I
:2018/11/28(水) 16:06:13
歴史の始まり
自分なりに調べた結果ですが、東洋の魔女の金メダルをきっかけにバレーボールの歴史が動いているような気がします。
ソ連のリスカルは名前だけは聞いたことがあります。東京からモントリオールまで4回連続で五輪に出場した選手で、ツーチャンネルにはソ連NO1のサイドアタッカーだと書かれていました。
モントリオールのギビ監督とカルポリ監督は犬猿の仲だったんですよね?
モントリオール五輪の女子バレーといえば光攻撃が有名だったと思います。
私は生まれていませんが、80年代以前のバレーボール話には非常に興味がありますので
このサイトを拝見するのを非常に楽しみにしております。
東洋の魔女の次に白井貴子、郎平、ミレーヤ・ルイスが偉大な功績を残しましたが
2000年以降は彼女たちに続く選手が全然現れていませんし、ロンドンで日本は銅メダルを獲得しましたが私は全然嬉しくありませんでした。
郎平はロンドンの試合会場で準々決勝の日本戦を観戦していて母国の敗退に大粒の涙をこぼしていた動画を見ました。
ルイスは、OQT2012に団長で、レグラ・トレスはコーチで来日していて日本戦の負けで
キューバの五輪行きが途絶えて試合終了後に二人とも泣いていました。
キューバ黄金時代のメンバーは、私の子供時代のヒロインでもあるので私も会場で涙をこらえるのに必死でした。
ミレーヤ・ルイスは、高校野球史上最強チームを作り上げたPL学園中村順司監督に紹介したい選手でもあります。
おそらく来年のワールドカップは日本で行われる最後の国際試合になるでしょうが
世界各国の弱体化のスピードが急速に進んでいるので見れなくなっても諦めはつきます。
エラそうなコメントになり申し訳ありませんがシドニーオリンピックまでのバレーボールは
非常に見ごたえがありましたし世界レベルにふさわしい選手もたくさんいました。
もう二度と自然の力ではこのような選手が現れることはないと思います。
5356
:
K I
:2018/11/28(水) 16:16:15
名前しか知らない選手たち
ガブリエラ・ペレスは1988ソウルオリンピックペルー代表だった選手でしょうか?
メルセデス・ペレスはキューバ代表で1978世界選手権優勝メンバー?
名前しか聞いたことがないのでよく分かりませんが、ペルーのペレスは日本でも
人気のある選手だったと聞いたことはあります。ペルー史上最高の女性アスリートのセシリア・タイトのチームメイトですよね?
タイトは2005年、ペレスは2010年にそれぞれ殿堂入りしています。
キューバのベルは実力ではルイスやカルバハルに差をつけられていますがなぜ殿堂入りできないのか不思議ですし、日本の江上由美の名前がないのがよく分かりません。
上記の選手の名前をほかのサイトで質問しようものならブーイングの嵐ですので
こちらで質問させていただきます。
メルセデス・ペレスはどういう選手だったのでしょうか?
5357
:
カルバハル
:2018/11/28(水) 20:59:41
メルセデス、ペレス
1970年のブルガリアの世界選手権からキューバは決勝リーグまで進出したメンバーから始まります。170センチの身長ですが90センチを越えるジャンプ力がありました。当時は世界選手権では男ではないかと言われた北朝鮮の金曽福が騒がれましたがミュンヘンオリンピック後は金より凄い運動能力のある女子選手で騒がれました。金と違い外見も女性らしい選手で結婚もしてましがキューバチームはミスも多く守備が悪く練習では男子顔負けのスパイクを打て選手は沢山いましたがセッターが下手で試合では、威力のあるスパイクは打てず、まだ世界のトップチームになれてませんでしたがいれば世界の強豪になると言われてましたがキューバ女子は世界大会で始めてメダルを取ったのは日本女子が三冠王に、なったワールドカップ77の銀メダルでした。その後、日立がキューバに遠征して4連敗して、そのショックで78年世界選手権前に白井と松田が突然引退して全日本の実力が低下して特にセッター松田の、穴を当時のキャプテン矢野がセンターからセッターに転向しましたが日ソ対抗のソ連シリーズの最終戦で15-0で日本は負けてセッターを矢野から新人の小川に変更しました。当時、小川は山田監督にセッターは専門家に任せて下さいと山田監督に言った話は有名です。全日本はライトの水原が怪我で抜けてレギュラーは横山、須藤のレフト対角センターは江上、矢野、ライトは高柳、セッター小川のチームでバルナのサマー大会で優勝して世界選手権のソ連レニングラードに挑みました。試合は初戦でアメリカにフルセット勝ち、チェコにフルセット勝ち、ペルーには3-1の逆転勝ち、とフラフラの状態でキューバにストレート負けしてグループ2位で準決勝に挑みました。準決勝対戦の反対グループは韓国、中国、ソ連が勝敗では並びましたが韓国が1位通過、ソ連が2位通過で中国が韓国に勝ちましたがセット率で準決勝には進めませんでした。キューバと並び優勝候補のソ連は守備のシフトと間違い韓国戦でフェイントカバーが悪くストレート負けしたのが、たたり準決勝はキューバと当たり大接戦でしたが3-1でキューバが決勝進出しました。日本は韓国に3-1で逆転勝ちして決勝進出しました。日本は白井の穴は横山が埋めましが小川と江上、矢野のセンターコンビが合わないまま決勝戦で再びキューバと対戦しました。テレビ観戦しましがキューバのスパイクはストレートに打ってもアタックラインの前に落ちて今までフェイントしか落ちてこない所にアタックが落ちて来たと選手は言ってました。試合はストレート負けの完敗でしたが優勝したメンバーにペレス、ポマレス、バルネット、ウルヘリエス、テリエス、ガルシアがレギュラーでした。日ソ以外で始めて世界チャンピオンになったチームがキューバです。またギビ監督はモントリオールで引退してるのでカルポリ監督とは犬猿の仲ではないです。策士ギビ監督はメキシコではエース、リスカルは包帯を、腕に巻いて怪我説を装い決勝戦では、ライトから使いに日本を慌てるさせました。日本はソ連は、センターとレフトからの攻撃をマークしてライト攻撃はブロック飛べたらとべ、混乱するからレフト、センター攻撃に絞りましたが、リスカルはライトから決勝戦は攻撃してきました。またミュンヘンオリンピックの決勝戦では春の日ソ対抗で来日たしなかった185センチのチュリナを決勝戦で隠し玉として使い日本を返り討ちにしました。更に昔の話しですが第三回ブラジルの世界選手権で日本はゼッターランドの母親の堀江方子さんがキャプテンの全日本チームが始めて世界大会の 6人制大会に参加して、いきなりソ連に次いで銀メダルを取った時にバレーボールの歴史が動いたんですよ。その時はリスカルは、まだ居ませんでしたが名セッター、ブルダコーワ(メキシコ、ミュンヘン金メダルキャプテンのセッター)と当時は186センチのスーパーウーマンと言われたチュージナへボールを集めて打つ単純な攻撃のソ連に3-1で負けました。日本の女子バレーボールは、いきなり銀メダルから始まったんですよ。次のモスクワの世界選手権で回転レシーブを完成させた単独二チボー貝塚チームが金メダルを取り引退を考えた東洋の魔女達は東京オリンピックの為に引退を二年伸ばしました。モスクワの世界選手権がリスカルの世界デビューです。レギュラーの増尾だけ体調が悪い為に引退しましが当時、四天王寺高校から再び二チボーに入社した礒辺がレギュラーに入り東京オリンピックで正式種目になったバレーボールの初代オリンピック金メダルチームに日本女子チームがなりました。当時はバレーボールの人気は今では信じられないような人気スポーツでした。日本1イコール世界一と言われた時代でしがメキシコで負けて打倒ソ連を合言葉になり東京、メキシコ、ミュンヘン、モントリオールと4大会連続オリンピックの決勝戦は日ソで争われて、これは、非常に珍しい事で宿命の対決と言われてました。
5358
:
K I
:2018/11/29(木) 22:46:09
カルバハル様
先日は質問に答えていただきありがとうございます。
30年近くもバレーボールを見ていますが知らないことが多すぎることにびっくりしましたし
未知の世界のさらに奥深くまで引き込まれたような感じでした。
メルセデス・ペレスは孫晋芳、テリエスと同年代ですか?
光攻撃コンビの全日本引退の時期の早さには以前から疑問を抱いていたので真相を知ってビックリでした。78年世界選手権のキューバ優勝の原点はミュンヘン五輪日本男子金メダル監督の松平康隆氏がバレーボールを教えに何回もキューバまで行ったことでしょうか?
ミレーヤ・ルイスが対談で「松平さんには感謝しています」とコメントしていました。
あの時の月刊バレーボールの記事内容もあまりよくありませんでしたが今はもっと最悪ですし
毎月立ち読みするたびに記事内容の悪さにびっくりします。
来年以降カルバハル様一押しの選手が殿堂入りするといいですね?
ヨーコゼッターランドの母親がバレーボール選手だとは知りませんでした。
メルセデス・ペレスが出場している1978年世界選手権の試合動画を誰かアップ してほしいものです。
20世紀女子バレーボール最優秀監督のヘオルヘ監督は天国からどのような気持ちで再来年の
東京五輪女子バレーボールを見るのだろうかと思うことがあります。
大型化されて現役期間は伸びましたが、何十年も語り継がれるようないい選手が出て
来なくなったように感じます。
時計の針を戻せる人がいたら人材豊富だったモスクワ五輪手前まで戻してほしいです。
5359
:
カルバハル
:2018/11/30(金) 04:26:07
(無題)
メルセデス、ペレス、テリエス、孫晋芳は77ワールドカップ78年世界選手権ではダブってますが全盛期は違います。中国が文化大革命後の世界デビューしたのが77年ワールドカップです。郎 平がデビューしたのは78年世界選手権後のアジア大会です。日本は世界選手権に出場した矢野、吉田、高柳は参加しなく山田監督も監督辞任して小島監督が急遽監督になりました。アジア大会ではサーブで郎 平を狙い潰して優勝しました。また翌年のプレオリンピックはペレス、バルネット、ポマレスが居ない1.5軍のキューバに勝ち、決勝戦はウラロチカ主体のロシア共和国に勝ち優勝しました。キューバには大熱戦のフルセットで勝ちました。キューバ対策はフロックのタイミングをワンツーからワンツースリーに変えてタイミングを、遅らせてキューバの高さがあり鋭角に落ちるスパイクをワンタッチしてボールの勢いが、ゆるんボールを拾いまくる作戦で勝ちました。江上が不調で清水(カネボウ)が入り活躍しました。
5360
:
カルバハル
:2018/11/30(金) 06:28:46
孫晋芳
1977年の時は陳招テイとつーせセッターを組んだサウスポーセッターです。78年までツーセッターでしたが陳がアタックカーになり孫のワンセッターになりました。レフトもアジア大会から楊希から郎 平に変わりました。中国も曽慧英から孫にキャプテンは返事になりました。81年ワールドカップで中国が始めて世界チャンピオンになった時は郎 平、張容芳のレフト周暁蘭、陳 亜リョウ、陳招テイ、孫晋芳がレギュラーで三屋、広瀬、杉山が国際デビューした時です。その時まで日本は銀メダルでしたが出場した大会で金メダル、銀メダル以外は取った事がない記録が続いた最後の大会です。なので80年代は、既に女子バレーボールの人気はともかく実力は低迷していった時期に既になってきたのです。江上は77ワールドカップでレギュラーで金メダルを持ってるんですよ。サーブ賞も取ってます。しかし日立に入社してモントリオールのメンバーが引退した後は同期の金子佐知子が先にレギュラーになったのです。日本リーグで江上は金子から矢野の対角センターのポジションを奪いました。セッターは、その時は金坂かセッターでした。74年に日本は世界チャンピオンに返り咲いた時は松田が怪我で金坂が急遽正セッターに抜てきされて金メダルをとりした。ひかり攻撃は松田、白井のコンビのBクイックを囮にした。平行トスですがモントリオールオリンピックの決勝戦は白井のオープン攻撃主体でも木っ端みじんにソ連に勝ちました。準決勝の韓国戦の方が第一セットだけネットタッチの、ミスが多く15-13で苦戦してとりましたが他は全部10点のセットで勝ってます。
5361
:
カルバハル
:2018/11/30(金) 07:21:01
キューバは
毎年、毎年、NHK杯バレーボールでキューバは来日してバレーボールの強化を70代から始めてました。みるみる進歩しました。世界チャンピオンになってもNHKに参加して日本と切羽琢磨してました。日ソ対抗バレー、中国との親善試合、アメリカ合衆国との親善試合で日本リーグが終わってもバレーボールのテレビ放送は続きました。秋の世界選手権やワールドカップもテレビ放送があり終ると日本リーグのテレビ放送が始まりテレビ局としては、なくてはないスポーツ競技でしたが、それに胡座をかいたバレーボール協会が今日の人気が急落した結果を招いたと思います。昔は女子はバレーボール、男子は野球みたいな人気スポーツで普及もありましたが今は全く陰もないです。
5362
:
カルバハル
:2018/11/30(金) 12:15:33
バレーボール協会
昔は努力してました。まだ1ドル360円の時代に男女ナショナルチームと役員をブラジルの世界選手権に参加させたのは費用面で大変な事です。また冷戦時代にソ連、キューバ、中国に遠征して強化したり招いたりしたのは大変な努力です。地上波しかない時代にテレビ放送も盛んんに出来たし女子が人気があったのに男子はなくて観客が女子の試合を観た後、帰らせないようにドアを閉めて男子の試合も見てくださいと言った話しや高校バレーもフジテレビと提携して実施したりママさんバレーを普及してママさんに付いてきた子供にバレーボールに、興味持たせる普及活動したり金より普及、強化を頑張った時代もありました。今のバレーボール協会は努力が見えないです。海外のチームが強くなったら海外の優秀な指導を仰いだりしません。かつてはペルーに加藤明に送ったりした逆の事を謙虚に学ぶ姿勢も感じません。ナショナルチームの監督は相変わらず日本人監督です。変なプライドが邪魔してるのでしょうか?専門誌は話しになりませんね。自国で開催された世界選手権位、誌面を沢山割って載せる義務は専門誌の役目です。選手のインタビュー誌なんて誰も買いません。立ち読みでペラペラ捲り棚に返して終わりです。
5363
:
カルバハル
:2018/12/01(土) 12:32:05
専門誌らしく原点にもどれ。
https://mens-book.co/archives/2115
5364
:
カルバハル
:2018/12/01(土) 12:57:21
前田豊
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%88%E5%88%8A%E3%83%90%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%83%AB
5365
:
カルバハル
:2018/12/21(金) 04:13:40
スポーツニュース
でさへバレーボールは取り上げられなくなりましたね。プロ野球がシーズンオフなら昔はバレーボールは必ず大きく取り上げられましが、全く取り上げらませんね。昔だけでなく中田ジャパンになってからの劣化が更に拍車をかけてますね。バラエティー番組にも出なくなるかも?しれませんね。東京オリンピックじゃなくてもオリンピック前なら普通なら盛り上がるんですけど他の競技に置いてきぼりを食らってます。昔なら今年の世界選手権の成績なら100%監督解任です。銀メダルでも解任した時代は別にして世界選手権一次リーグ敗退の男子、開催国で6位の女子成績でも監督続行じゃ改善も責任もなく東京オリンピックは諦めの胸中じゃ人気回復は到底駄目です。
5366
:
アルタガモワ
:2018/12/07(金) 12:03:29
有難うございます。
久々にオールドを覗いたらこんなに密な情報が満載でワクワクしました。
カルバハル様にはいつも感謝です。一体何れだけ情報収集されているのだろうと思います。
私に取っては今から三十数年前前に何も分からずピンと来ないにも関わらず読んでいた「白球の長い旅」を読んでいる気分になれます。
私個人は81年W杯を何とか覚えてロス〜ソウルまでをピンポイントでドキドキハラハラしその後は冷ややかな目でいた自分にはとても貴重な情報です。
これからも色んな話を聞かせて下さい。
5367
:
カルバハル
:2018/12/07(金) 22:07:34
古い文献を再検討
小川かず子は富岡東高校から池坊短大に進みました。八王子実践が須藤佳代子を入れて女子初の三冠王になる最初の大会である春高バレーの決勝戦で活躍してます。池坊短大時代はセッターで162*センチながらブロック賞を大学時代取得してブロックのタイミングが素晴らしい選手です。全日本のセッターで活躍してる時もハイマンなどがコートに鋭角に叩きつけるスパイクはブロックしたりしました。小川はユニチカに入社して、都市対抗バレーで、ユニチカの正セッターになり、いきなり活躍して若鷹賞を取り、そのまま全日本に選ばれました。松田紀子が引退して全日本の正セッターは矢野がつとめてましたが、やはりセッターとし安定してない心配か、まだ海のものでも山のものでもない小川が選出されました。日ソ対抗のソ連シリーズで0−15で負けたのを、きっかけで小川が正セッターになったんですが小川が山田監督にセッターは専門家にやらせ下さいと言った話しが一般でしたが専門誌のインタビューで本当に、そんな事、三冠王監督の山田監督に言ったんですかと聞かれて、小川はキャプテンであり三冠王のレギュラーの矢野が正セッターだっし実際は、ちょっと意味合いが違うと言ってました。小川は全日本に選ばれた時には私がコートに入ってる時はチームがピンチな時と言ってました。また山田監督に直接、言ったのは小川はピンチサーバで全日本に選ばれようで控えのセッターは川原千鶴でしが実際に言ったのは私がビンチサーバーに入った時は私にセッターを、やらして下さいとは言いましたが、キャプテンの矢野さんを差し置いて実績も無い私がトスは専門家に上げさせ下さいとは言ってないとインタビューに答えてました。しかし、山田監督は0−15で破れた時に小川の言葉を思い出して急遽正セッターにしたのは事実です。小川がセッターをする前は矢野のセンターポジションに須藤が入ってたのも驚きますよね。普通なら江上の対角は金子佐知子です。またセッターなら川原がつとめます。如何に当時は白井、松田が引退しただけで自転車創業だったか判ります。水原が怪我で離脱した事もありレフト横山、須藤、センター矢野、江上、セッター小川、吉田真理子をレフトからライトに変更してインスタントチームでソ連と対戦しなかったけど銀めだるをよく取りました。確か松田、白井が引退した後の全日本女子のドキュメンタリーをNHKが特番で放送してました。選手は白井、松田が居たから金メダルがこれまで、取れたと思われるのが嫌だと金メダリストのプライドをかけて感じでした。また小川は山田監督に背が低い分、ジャンプして常にトスを上げろと言われながら練習でトスを上げてました。世界選手権後のインタビューでは銀メダルを取れてホッとしたとか、今までソ連と日本だけで金メダル、銀メダルを守ってたのに金メダルがソ連でなくキューバになったのは残念だと言ってました。またキューバに日立が遠征して四連敗した時の第1戦、2戦はフルセットまで、もつれて、第2戦はジュースの末、破れた時に線審のスパイクのジャッジがインじゃなくてアウトじゃないかと選手が線審判を囲んで抗議した、そうですが、それだけ選手は必死で戦ったと山田監督は言ってました。またキューバ遠征は環境が悪く地獄のようだったと言ってました。また松田がウルヘリエスがワールドカップの時より凄く成長したも言ってました。今までフェイントしか落ちて来なかった所にスパイクが落ちてきたと言ってましたが世界選手権の決勝戦を放送してて見ましたが本当にストレートでアタックラインの内側にスパイクが刺さってましが、惨敗でしたが、78年の世界選手権の決勝戦の試合の動画で、もう一度、確認の意味でみたいです。そのキューバに大接戦した、ソ連−キューバもみたいですね。確かマカゴノワが怪我で使えなかったのが痛かったらしいです。キューバもバルネットが背筋を痛めてて予選はエレニア、デアスが入ってましが決勝戦はバルネットが先発でした。またキューバの金メダルポイントは世界選手権で最後までコンビが合わなかった小川、江上のコンビミスでした。またNHKのドキュメンタリーで予選ではキューバに勝つのは厳しいから2位通過で準決勝進出を、予想でソ連が1位通過とみて当たると山田監督は思い対、ソ連戦の対策を入念に考えてましたがソ連が予選の韓国戦にフェイントカバーのシフトミスでストレート負けして結果、ソ連とは当たらなかったのは幸いだったのか?判りませんが個人的には韓国と当たってラッキーだったと思います。日本女子選手は飯田と松田は殿堂入りして欲しいですね。江上は微妙です。ベルはキャプテンだし入って欲しいです。
5368
:
カルバハル
:2018/12/08(土) 02:08:51
動画
https://youtu.be/XoidvH_tIx0
5369
:
K I
:2018/12/08(土) 21:27:09
(無題)
メルセデス・ペレス、孫晋芳・テリエスのことを詳しく教えてくださりどうもありがとうございました。私が生まれる前に全盛期だった選手たちなので名前しか知りませんがこの時代のバレーボールファンからよく聞く名前なので私も興味を持ち質問させていただきました。
テリエスは「キューバカリビアンガールズ」という動画で見ました。
キューバ女子バレーチームのコーチをしている姿を見たときはびっくりしました。
70年代のキューバチームは初代ヘオルヘ一家といったところでしょうか?
孫晋芳は確か数年前に癌を患って治療中だと掲載してありました。
5370
:
K I
:2018/12/08(土) 22:01:12
胡坐をかくきっかけ
日本バレーボール協会が胡坐をかくきっかけとなったのが1972年ミュンヘンオリンピック
日本男子を金メダルに導いた松平康隆氏が協会会長に就任して、地位を利用して協会を私物化して、90年代に日本女子バレーがどん底まで落ちてセリンジャー監督待望論があって本人も監督のオファーがあるのを待っていたけど結局声がかからなくて日本を去ったという話を聞きました。
リベロ制度導入、試合前のジャニーズの歌、グランドチャンピオンズカップ大会の創設
アコスタ会長は松平氏の言いなりだったと伺っております。
「加藤明」は「奇跡のアンビリバボー」と「世界なぜそこに日本人」で見て
非常に感動しました。
ペルー史上最高の女性アスリートである、セシリア・タイトを発掘したそうですね?
ソウル五輪銀メダル朴万福監督は加藤監督の元でコーチをしていたとか?
もう二度とコートで見ることのない監督や選手たちの記事をこちらの掲示板で見るほうが
楽しいです。
5371
:
カルバハル
:2018/12/09(日) 15:49:19
協会
確かに ミュンヘンオリンピック後、強化より興行中心になりましたね。人気先行で男子はモントリオールではオリンピックのメダルを逃してモスクワでは出場権すら取れませんでした。金メダルから、あっという間にオリンピックに出場する事も出来なくなりましたね。ミュンヘンの金メダリストから選手の切り替えを失敗してワールドカップ77は2位になりましたが、それから先は奈落の底です。女子もワールドカップ77の金メダルの時はテレビ解説の生沼さんが日本には世界一のセッターが二人も居ますと言って松田、金坂の事を言ってましたが78年世界選手権は二人とも引退しましたからね。新人で小柄な小川がセッターをつとめました。その後は特別な環境の中田久美以外は中西、板橋、竹下とか小さなセッターばかりになりました。これは、強化の失敗と言うか高校バレーなどの主流が9人制から6人制にかわりセッターが小さくなった原因ですね。9人制は前衛センターがトスを上げますからブロックもしますから守備は余り重視しないから大きいセッターが育成されます。東洋の魔女のキャプテン河西は174センチでチーム一の長身がセッターでした。その後は松村勝美や生沼、高山、岩原、古田、吉田節子など、まだ9人制から6人制に切り替わる頃のセッターは170センチ位ありました。またスパイクも決める全員攻撃出来るツーセッターで主流になったのも原因ですが、また複雑なコンビバレーを取り入れらるたたのはミュンヘン以降ですから、その頃からツーセッターからワンセッターが主流になりました。当時は高校時代はアタッカー出身で実業団からセッターになった金坂や松田のワンセッターでした。東京オリンピックのセッターは河西174センチですがソ連のセッターでキャプテンのリジョワは164センチで日本のセッターの方が10センチも背が高いです。ソ連はメキシコはブルダコーワとレオンチェワのツーセッターで戦ってます。日本も生沼、高山のセンター兼セッターのツーセッターでした。岩原はセッターよりアタッカーで使われてました。高山が不調で控えのセッターは吉田節子が出てました。ミュンヘンはブルダコーワのワンセッターでしたが日本は松村、生沼のツーセッターで、やはりソ連の方が進歩したバレーをしてました。モントリオールはソ連はブルダコーワの後釜が育たなかったのが日本に負けた最大の敗因です。当時はブルダコーワの後継者は174センチでサウスポーのラリッサ、ベルゲンかつとめる予定でしたが当時としては長身、左利きのベルゲンの身体能力は高く評価されましたが気が弱いセッターである為、モントリオールは控えでムラジャンがセッターをしました。才能があっても気持ちが弱いと大成しなかった杉山加代子選手も思い出します。
5372
:
K・I
:2018/12/09(日) 23:35:19
(動画)
https://youtu.be/nIZytAY_0Uw
5373
:
K I
:2018/12/10(月) 00:06:13
史上最強キューバ
男女すべての団体競技で史上最強チームにふさわしいのは1990年代ルイス率いるキューバです。
団体競技といえばサッカーの代表チームの認知度が高いですがバレーボールファンの一人として
バレーボール三大大会8連覇を達成したヘオルヘ監督率いるキューバ女子バレーボールチームを
挙げます。
人間の命には限りがありますが、私はバレーボールファンになりヘオルヘキューバの功績を
見ることができたことを非常に誇りに思います。
バレーボール界のみならず今後このようなチームは二度と見れる可能性は非常に低いです。
「発展するということはいいことをもたらす半面なくすものもある」というルイスのコメントが
非常に胸に突き刺さります。
ヘオルヘキューバの偉大な功績は、史上最強チームを作り上げたPL学園中村監督に直接お会いできる
機会があればぜひ伝えたいものです。
KK世代アスリートが野球だけでなく他競技でもどれだけ偉大な功績を残してきたか
私がおぼえている海外KK世代アスリートをピックアップしたらサイドアウト制バレーボールチームと
野球チームができて、9人全員が最低一回はオリンピックでTOP3に入っています。
そのうちの5人は殿堂入りしていて、3人は日本で引退試合を行いました。
ルイスは中村監督の教え子と同い年で誕生月も一緒で、当時野球のPL・バレーボールの実践と言われた
大林と30年以上たった今でも交流がある選手ですし、世界一のタイトルを手に入れても精進することの大切さを忘れずにまた世界一を目指して戦うという精神的な強さがあればPL学園野球部の象徴だったあの選手も
逮捕されることはなかったのにと思います。
20年前の世界選手権で、当時のペルドモ監督が「維持することは到達することよりも難しい」とコメントされましたが90年代のキューバ女子バレーの活躍がなかったら「キューバ」という国の名前も頭に入っていません
5374
:
カルバハル
:2018/12/10(月) 21:26:14
キューバ女子
伝統的にツーセッターのチームでした。トスが上げられるアタッカーて感じです。テリエス、ガルシアのツーセッターはテリエスは手を前方にセットしてジャンプトスをしてバックにボールを上げる技術は今でも十分通用しそうです。対角のガルシアはテリエスと比べるとスパイクもトスも劣りますが、カリブの黒真珠と言われた美人選手で人気がありました。エースのポマレスは鉈を叩け割ったような豪快なサウスポーアタッカーでした。色紙にサインする時は紙を逆さにしてみぎから左にスラスラ書いて書き終わったら逆さに戻し色紙を渡すはなしは、ちょっと話題性がある話しでキャプテンで78年世界選手権はMVPになりました。敢闘賞はソ連のシュチェチニーナでした。対角のバルネットは背が高く186センチありました。チームナンバー1の高さがあり328センチ位からスパイクを打ちますが、ベテラン選手の割には好不調の波がありエレニア、ディアスが穴を埋めてました。そして、メルゼス、ペレスはジャンプ力、瞬発力、リーダーシップがあるチームの柱でした。またキューバのエースに78年世界選手権からなったウルヘリエスは、その後、長い間チームの中心になり一人で気をはいてカポーテ、ラサラ、ゴンザレスなどと低迷期から絶対王者になる前までチームの顔で頑張ってました。ミレーア、ルイスがデビューするまで頑張りました。キューバの第一期黄金時代は78年の世界選手権後、キューバのバレーボール協会で、ゴタゴタがあったらしく、本命視されたモスクワオリンピックは予選で東ドイツとソ連に負けてのは信じられなかったです。キューバは確かに世界チャンピオンで強かったですが短い世界王者でした。その後85年ワールドカップでミレーア、ルイスが世界デビューしても中国の壁は跳ね返されました。86年世界選手権はルイスが出産後で体調が悪かったがカルバハルが世界デビューしてキューバの役者が揃ってきました。郎平、張容芳が引退して張容芳監督、郎平コーチでも中国は世界タイトル5連覇しましたがソウルオリンピックはキューバは不参加でしがが89年ワールドカップはルイスが威力を発揮して2回目の世界チャンピオンになりましが、まだルイスに頼るチームでした。 90年の世界選手権は、ルイスがバイク事故の怪我の影響があり3位でしたが、その後は2000年のシドニーオリンピックまで世界タイトルを独占しましたからね。ルイス、カルバハル、トーレス、ベルと世界的なアタッカーが、同じ時代にあれだけ揃ったチームは、今後出ないと思います。世界各チームはワンセッター主流になりましたがキューバはツーセッターで世界タイトルを独占しました。キューバのセッターは他のチームならエースアタッカーみたいな選手がセッターをつとめてました。キューバはサーブブロックも得意でしがルール改正で禁止になりました。それでも絶対王者でした。今のキューバの女子バレーボールの低迷には信じられなかったように強かったです。強化に失敗したらキューバと言えど低迷します。日本バレーボール協会も常に努力を惜しまない欲しいです。
5375
:
カルバハル
:2018/12/11(火) 11:22:13
長期
女子バレーボールで長期世界王座にいたのは第一回世界選手権〜3回のソビエト、第4回世界選手権〜東京オリンピックをへ第5回世界の日本、メキシコオリンピック〜第1回ワールドカップのソビエト、第7回世界選手権〜モントリオールオリンピックをへて第2ワールドカップの日本、第3回ワールドカップ〜第9回世界選手権までの中国でしたがキューバの??91年のワールドカップ〜200年のシドニーオリンピックまでの張は、あっばれです。90年の北京の世界選手権がルイスの怪我もあり優勝できませんでしたが実力的には参加はしてなかったけど、ソウルオリンピックですでに世界一の実力はあったとおもいますね。ソウルは金メダルから最下位の開催国の韓国まで、団子レースなの今でも最も面白い大会だったと思いますがキューバが参加してたら話しは別だったかもしれません。あ圧倒的に強かったモントリオールの日本と断然、長く王者であったキューバ女子、今は長く君臨するのは厳しいでしょう。
5376
:
アルタガモワ
:2018/12/12(水) 14:43:48
89年W杯
私も当時若くてあのキューバのスキルには驚きました。それまではルイスのワンマンチームと言う印象しかありませんだしたがセンターのカルデロン・メルセデス、カルバハル、サウスポーでありながらレフトをこなすベル・・・2セッターのイスキエルド、オルティスのプレーは郡を抜いて日本なんて足元にも及びませんでしたね。金メダル獲得でキューバ政府からもかなり喜ばれ優遇された記憶があります。それだけ国を揚げて力を入れたりまた選手達も金メダルを獲る事で人生が変わる!と言う時代だったんでしょえね。
個人的には今では考えられない様なきめ細かいコンビ、クイックを多様していたソ連のバレーが好きでした。
5377
:
カルバハル
:2018/12/12(水) 19:22:52
細かいコンビネーションバレー
個人的には73年ワールドカップ、74年世界選手権、モントリオールオリンピック、77年ワールドカップと4大会、銅メダルの韓国女子チームは素晴らしかったです。大砲と呼ばれるエースアタッカーや体格が劣る分を劉敬花、柳貞恵、控えの尹英乃のツーセッターはキューバのツーセッターと違う意味で完成されたツーセッターでしたね。個人的な高さやパワーが無いを補う為にサーブレシーブを80%セッターに返球する守備力で、非力な分、選手が団子になってコンビバレーをしてきました。ツーセッターなので常に前衛は3枚アタッカーとして使えてます。エースせったの劉敬花がセットアップすると攻撃力が落ちるとまで専門誌に書かれる位、アタッカーとしても優秀でした。当時、日本には世界一のセッターが金坂、松田と2人居ると言われてましたが総合力では劉敬花がNo.1と専門誌に紹介されてました。73年ワールドカップではヤシカ単独チームにフルセット負け、74年世界選手権は日本から1セット奪ってます。モントリオールプレオリンピックでは単独日立にストレート勝ち、モントリオールオリンピックで準決勝で日本に1セット目は13−13まで粘る、ワールドカップ77は決勝リーグで日本から1セット奪う78年世界選手権は二次リーグでソビエトにストレート勝ちしました。78年世界選手権はキューバと韓国は対戦しませんでしたが、韓国とキューバ戦が見たかったと当時、小島監督は言ってました。強かった対キューバ対策のヒントが貰えたかも?知れないとまで言われてました。その後、韓国はワンセッターになりましがワンセッターにした意味が無いとまで言われてました。当時の韓国の完成されたツーセッターは今日の日本女子バレーボールの強化のヒントになると思いますよ。複雑なコンビネーションバレー+ブロード攻撃+パイプ攻撃更に早い平行トスをツーセッターで出来たら、今のブロックシステムでも、通用しそうです。確かにツーセッターは難しいですが5人でサーブレシーブして確実にサーブレシーブをセッターに返球したら素晴らしいバレーボールが出来ます。ツーセッターは難しいから諦めて全く試みてませんが日本女子バレーボールには無理と諦めないで、唯一、世界に攻撃で対抗出来る進むべき道だと思います。高校や実業団ではツーセッターを基本に強化して欲しいです。例えワンセッターになっても経験豊富な大型セッターが沢山育成されます。キューバのようなツーセッターは厳しいですが昔の韓国女子のツーセッターを基本としたツーセッター日本女子バレーボールチームを目指して欲しいです。ツーセッターは、何時でもワンセッターに戻せますがワンセッターからツーセッターのチームは、なかなか作られませんが、時間を、かけて強化したら将来はまだあると思います。
5378
:
かず
:2018/12/13(木) 05:44:23
韓国コンビバレー
カルバハルさんのおっしゃるように、あの時代の韓国バレーは特筆されていいものですよね。
自分は、77年ワールドカップで初めて見た 韓国のコンビバレーに衝撃を受けました。
172cm前後の選手が(曹 165?)全員コンビにからんで来て 面白かったです。完璧なレシーブがあってのことでしたが。
劉敬花は セッターでありながら アタック、
特にブロックもよくて ワールドカップ77 best 6にも入りましたね。
第1セットだけ 日本を追い詰めたとききますが、5輪準決勝とかは、
ぜひ見てみたいです
5379
:
カルバハル
:2018/12/13(木) 11:12:46
ツーセッター
日本はミュンヘン、メキシコオリンピックはツーセッターでした。ミュンヘンは生沼、松村のツーセッター、70年の世界選手権は松村、岩原のツーセッターでした。殆どスパイクを打たない松村のツーセッターは、むしろワンセッターの方が良かった気が今でもおもいます。メキシコオリンピックの生沼、高山のツーセッターは韓国女子のコンビネーションバレーには敵わないですが当時は完成されたセンター兼セッターのツーセッターでした。生沼はブロックが上手でフライングレシーブもしました。高山は日本リーグでスパイクを取ったほどのアタッカーです。大砲も宍倉、井上と179センチ176センチといましたがソビエトに勝てなかったのは智将ギビ監督に負けた事と監督、選手のキャリア不足で負けました。ソビエト女子は東京オリンピック後の日ソ対抗バレーでも日本の単独チームに勝てなくヤシカ、二チボーに勝てませんでした。そこで男子バレーの監督だったギビさんが私が、ヤポンスキーに勝つから女子の監督になると手を上げて監督になり日ソ対抗は日立に三連敗したがヤシカに三連敗、カネボウ、二チボーに勝ちました。その時キャプテンのブルダコーワは日本の戦力が判った河西が居たチームより今の日本には勝てると言いましたが日本は日本一イコール世界一の神話がありソビエトが悔しくて捨て台詞をはいたとおもったようです。日立はメキシコオリンピックの主導権を手に入れました。メキシコオリンピック前に日本男子がソビエト遠征に行きたいと言ったら女子も来るなら良いとソビエトから返事があり山田監督は行く意味はないけど日立主体のAチームでなく選抜のBチームで戦いソビエトの戦力分析をする遠征でした。しかしソビエトに行ったら女子チームの行動、練習を常に数台のカメラでチェックされて選手はノイローゼ状態になったと言われてます。試合もBチームでは1戦2戦と落とし選手が自信を失うから3戦4戦はAチームを出して1勝1敗にしてソビエト遠征から帰り、すっかり自信を失い帰国して北海道合宿した時は井上がギッキリ腰を起こしたり調子を崩した、そうです。チーム東京大会より体格は良く若いチームでメキシコ大会は若さと勢いで勝つ予定でした。キャプテンもベテラン、カネボウの吉田節子から、ヒントの21才の高山鈴江に代わり吉田はコーチン兼選手でした。メキシコ入りして日本チームは東京オリンピックの今のチームと、どっちがつよいと言われてキャリアは東京オリンピックのチームだか実力は今のチームが強いと言ってました。対するソ連は日本がソ連遠征の時はソ連選手もクイックを打ち日本の速攻にすっかり慣れてたようです。メキシコ入りしてソ連は練習非公開にして更に念を入れたのかエース、リスカルの手に包帯を巻かせて試合には出さずベンチに置きリスカル故障説を流しました。日本は決勝リーグの最終戦のソ連戦に向かい全てストレート勝つしましたがキャプテンの高山の調子はイマイチでした。日本はソ連の攻撃に対してソ連はレフト、センターから攻撃するからブロックは絞りライトは飛べたらブロックに付く、全部飛んだら混乱するとライト攻撃は捨てる作戦をとりました。しかしソ連は日本戦だけ今までと違うシフトをとりました。エース、リスカルは日本戦に登場して左右両手利きのサリホワと対角を組ライトから攻撃してきました。更に最初はソ連のサーブから始まり生沼、高山の機関銃攻撃のコンビの高山のクイックをスモレーワが狙い定めて連続シャットアウトして調子の悪い高山を潰しましが高山はアタッカーだけでなくセッターであった為、チームは機能しなくなり、日本得意のセンターからのクイックを、その後は使わなくなりオープン攻撃主体になりギビ監督の作戦に、まんまとのって負けた試合でした。試合終盤、山田監督は、俺は選手と共に戦ってたが、あの智将ギビ監督に勝たない駄目だたと思ったようです。負けた山田監督は一夜にして髪の毛が真っ白になったようです。それからは山田監督はソ連のデーダーを集めギビ監督のブライベートまで調べあげたようです。更にギビ監督が開催地のモスクワオリンピックで引退すると山田監督は最初思ったらしいがギビ監督はモントリオール大会で引退する事を知るとギビ監督率いるソ連に勝たないと意味がないと思いモントリオールオリンピックに綿密な計画を立ててソ連を決勝戦でワンサイドで破った話しになりますが、そこから先は山田監督のバレーボールの情熱は、しだいに冷めていきました。ギビ監督も専門誌のインタビューで、ある意味ではブルダコーワや主力選手を妻よりも愛してかも知れないと言ってましたが、その師匠ギビ監督の言葉を山田監督は取り違えたのか?セクハラ問題も起こしてますね。選手と監督は恋人同士のようにならないと駄目と山田監督は言ってました。美談と醜談と色々ある監督です。後に高山鈴江さんは山田監督と生沼さんと関係に疑問を持った意見も言ってましたし高山さんは山田監督の事を好き嫌いと分けるなら。やっぱり私は嫌いとハッキリと言ってます。女癖が悪い山田監督は噂がありました。
5380
:
カルバハル
:2018/12/13(木) 11:25:43
訂正
ヤシカには三連勝、ソ連はしました。さらにメキシコオリンピックは東京オリンピック経験者は日本は 0人に対してソ連は5人も残りました。またメキシコの主力、ガルシカ、サリホワ、レオンチェワ、リスカル、ボニヤエワ、サリェワ、ブルダコーワもミュンヘンで残ったのもソ連の連覇に繋がったと思います。また春の日ソ対抗に185センチのチュリナを連れて行かなくミュンヘン決勝戦でチュリナが隠し玉で活躍したのもギビ監督の智将と言われたゆえんです。
5381
:
カルバハル
:2018/12/13(木) 11:50:41
メキシコ、ミュンヘン
オリンピックを連覇したソ連チーム、バレーボール殿堂にギビ監督、リスカル、スモレーワ、サリホワ、ブルダコーワと5人も入ってます。無敵の90年代のキューバより多いんですよ。如何に凄かったか判りますよね。それに立ち向かっていった日本女子バレーボールの伝統の灯が今、消えてます。
5382
:
カルバハル
:2018/12/13(木) 12:53:39
ギビ、アフレジーナ監督
もとはソ連男子ナショナルチームの選手でした。その後、男子ナショナルチームの監督になり世界選手権も優勝してるソ連男子バレーボールの名将です。教え子にはパトキン、チェスノコフ、プラトーノフと歴代ソ連男子の名将来監督も居ます。ディナモモスクワ、ソ連女子バレーボールチームの監督として日本ではお馴染みでしたが男子でも名将です。ソ連女子バレーボールチーム監督というとウラロチカスベトルフスクのカルポリ監督がモスクワオリンピックから長くつとめてたから有名ですが、カルポリ監督はモスクワオリンピック、ソウルオリンピック、90年の世界選手権の3大会の優勝監督でキビ監督から見れば名将であろうが、またまだ可愛い後輩程度の監督だったと思います。キビ監督は、あまり名将とは呼ばれず智将と呼ばれてるのは、必ず本番で隠し工作をするからでしょう。絶対的に強かったモントリオールの山田監督でさへ、本番でキビ監督が、何をたくらんでるか?それだけが心配ですと言ってました。
5383
:
カルバハル
:2018/12/13(木) 17:36:51
ギビ監督の分身
よく、コートにギビ監督の代わりにブルダコーワが指示しているとも言われてました。ブルダコーワは日本が始めて参加した第3回世界選手権で活躍した美人セッターです。河西でさへ、あの瞳に吸い込まれそうだと言われた位の選手です。第4回の二チボー単独チームで優勝したソ連チームでは、出産で参加しなかったと言われてます。東京大会はリジョワがキャプテンでセッターでしたがライトの選手もとすを上げる補佐をしてて、日本戦はピンチになるとチホニナと交代で出場してました。リジョワとは、あまり仲が、良くかなかったのか?リジョワが試合中にブルダコーワと言い合いになってる写真を専門誌で見た事があります。またフルダコーワがオーバーネットを取られて東京オリンピックの日本チームが優勝を決めた後、チームメイトがブルダコーワを責めてた写真も専門誌で見た事あります。ブルダコーワはディナモモスクワのチームに所属していてリジョワはレニングラードのチームに居てリジョワが一つ年上のライバルでした。ブルダコーワはディナモモスクワの監督をしていたギビ監督の絶対の信頼がありベンチに居るギビ監督の指示に従い試合中でも指示がでたら、その指示通りにトスを上げる名セッターだったとも言われてるのがギビ監督の分身がコートに居ると言われた、ゆえんでしょう。ブルダコーワは最初はアタッカーでしたがセッターに転向しました。松村勝美選手がブルダコーワのトスを非常に軽いボールを上げるセッターと言ってました。確かにブルダコーワのオープントスは正確でボールが死んでてアタッカーが打ちやすいボールを上げます。アタッカーの個人技でパワーと高さで打ちまくるソ連のチームには最も適したセッターだったと思います。パルフォムチュークがソ連No.1セッターと言われてますが芸術性溢れたとまで言われたブルダコーワの安定したオープントスに関しては今でもNo.1かも知れません。またパルフォムチュークは中田久美と共に幼い時からカルポリ監督に期待されてましが選抜チームでなかなか結果が出せずパトキン監督の時は正セッターはクリボシェーワに奪われ控えのセッターもキリヤコワに奪われて一時ナショナルチームから外されました、そこが中田久美の特別扱いと違いウラロチカスベトルフスクで実績を積みパトキン監督から再びカリポリ監督になりパルフォムチュークはソウルオリンピックで花が咲きバレーボール殿堂入りをすらる名セッターに育ちました。話は戻しますがブルダコーワは勝負の駆け引きも上手でミュンヘンオリンピックの時は34才で二児の母で動きも鈍くなりましたがチームの柱でありギビ監督の分身であるから決勝戦も先発レギュラーセッターで活躍して勝負所では休憩しながらもコートに立ち第3せセットの終盤、追い上げられた時にキビ監督はタイムアウトとブルダコーワを投入してチームを引き締めてリスカルを効率良く使い逃げ切ってます。またチームメイトの信頼もあつくブルダコーワがサーブでポイントしたらチームは勝てるとげんを担がれてました。ブルダコーワはバレーボールの華と言われた美人選手でした。ブルダコーワ引退後はセッターは174センチでサウスポーの大型セッター、ベルゲンにギビ監督は託しましたが気が弱くモントリオールの正セッターはムラジャンになりました。ミュンヘン後アタッカーはリスカル、スモレーワ、シュチェチニーナ、チェルニショワ、オサッチャヤ、ロストワとアタッカーは揃ってましがブルダコーワの穴を埋められなかったから負けたと言われてます。ベテランのドゥユノワ(ガルシカ)テレチャコワ(ボニヤエワ)サリホワ、サリチェワ、チュリナ、レオンチェワ、ゴノボブレワ、などメキシコ〜ミュンヘンまで活躍したベテランが引退したのも原因ですが国内選手権もディナモモスクワはチャンピオンから落ちてチェルニショワの所属しているツェスカモスクワがソ連チャンピオンになりギビ監督の所属したディナモモスクワの弱体化も原因です。まだ、その頃はカルポリ監督率いるウラロチカスベトルフスクは、まだソ連最高リーグの、中の1チームにしか過ぎません。モントリオール後ミュンヘンの時からコーチつとめたチューリン監督がナショナルチーム監督を、つとめモントリオールの敗戦をミュンヘン後の若手切り替えの失敗としてきしてワールドカップはミュンヘンのメンバーだったボロズナをキャプテンにして77ワールドカップに挑みましが若手ばかりで最下位で終わりました。その後、レニングラードの世界選手権でブルダコーワ後にキャプテンだったスモレーワ、73年ワールドカップで大活躍したシュチェチニーナ、チェルニショワ、マカゴノワ、ロゼビッチ、ムラジャンのチームで開催国のレニングラードの世界選手権に挑みましたが3位決定戦で二次予選にストレート負けした韓国にストレート勝ちしてソ連は日本より早く始めて世界大会で決勝戦に残れなかった結果を出して当時ロシアNo.1のチームになったロゼビッチをキャプテンにセッターロギノワ、ライト、ラズモワ、レフト、マカゴノワ、センター、ソロボワのウラロチカスベトルフスク主体のカルポリ監督の時代に入りました。ウラロチカ+チェルニショワのチームでモスクワオリンピック金メダル、81年ワールドカップ銅メダルでしたが82年世界選手権まで戦いましたが82年賀状は準決勝に残れずカルポリ監督からパトキン監督になりました。パトキン監督からは選抜チームになりアイステレ、サルチェビッチ、カチャロワ、バジュークなど有望な選手を選抜しましたがソウルオリンピックの予選のヨーロッパ選手権で東ドイツに負けて再びカリポリ監督のチームに戻してソウルオリンピック金メダルに輝きましがキューバは参加してません。
5384
:
カルバハル
:2018/12/16(日) 17:08:38
2002年世界選手権大会、全く専門誌にも様子がわかない大会
https://ja.wikipedia.org/wiki/2002%E5%B9%B4%E3%83%90%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%83%AB%E5%A5%B3%E5%AD%90%E4%B8%96%E7%95%8C%E9%81%B8%E6%89%8B%E6%A8%A9
5385
:
カルバハル
:2018/12/21(金) 19:42:01
飯田高子
私、個人的にはバレーボール殿堂入りして欲しい日本人選手てす。70年世界選手権、怪我した古川に代わりユニバーシード大会からナショナルチームに合流してレギュラーで銀メダル、ミュンヘンオリンピックは日本チームのエースセンターとして銀メダル、73年ワールドカップはキャプテンでエースセンターとしで銀メダル、74年世界選手権もキャプテンでレギュラーで金メダル、モントリオールオリンピックはキャプテンで控えですがチームのまとめ役として、またピンチらしいピンチも無かったら控えでしたが苦しくなったら飯田が何時でもコートに入る安心感もありました。日本の宿命のライバルであるソ連はギビ監督、ブルダコーワ、リスカル、スモレーワ、サリホワと5人もバレーボール殿堂入りしてるのであれば、ミュンヘン後、白井が一時引退したので日本で唯一、ソ連と喧嘩出来る選手と専門誌でも評価されてるし、74年世界選手権で金メダル後、一時、飯田が引退して日本は日ソ対抗でソ連に苦戦した時にベンチの山田監督が大声上げて、やっぱり飯田が居ないと駄目かと場内に響くような声で、はっぱをかけた話しも有名でした。そんな飯田高子さんは引退後もバレーボールの普及に活躍してたので、やはり日本人で殿堂入りして欲しい選手の一押しですね。次は横山、その次は江上かな?一度しか世界チャンピオンになってないアメリカ合衆国の選手は、殿堂入り取り消ししたい選手は沢山、居ますね。
5386
:
K I
:2018/12/21(金) 22:15:08
遅すぎたFIVBの決断
今年の世界選手権2018で過去に例を見ない大赤字を出しました。
日本超優遇策に目をつぶっていたFIVBがとうとう重い腰を上げて
東京五輪以降の国際大会日本開催をやめるという大きい決断をしたことには賛成ですが
あまりにも遅すぎる決断だと思います。
世界各国共にソ連、三大ストライカーやそのライバルたちの代役が務まる選手が今後出てくるとは思えません。
「発展するということは、いい面ももたらしますが、逆にいいものをなくしてしまう」という
ルイスのコメントが頭に浮かんできます。
ルール改正のつけが今後のバレーボール五輪除外候補対象にならないことを祈るばかりです。
5387
:
K I
:2018/12/21(金) 22:55:47
海外KK世代
陸上競技4名
マイケル・ジョンソン、フランク・フレデリクス、インガ・ババコワ、ラルス・リーデル
テニス1名
ボリス・ベッカー
野球1名
オマール・リナレス
レスリング
アレクサンドル・カレリン
バレーボール2人
ミレーヤ・ルイス
リマ・マウリシオ
このメンバーで野球チームが結成できます。
マイケル・ジョンソンは、アトランタ五輪で100年間破られないと言われた19秒32を叩きだし金メダル、フレデリクスは、同じ200メートルにジョンソンがいたため、勝利を阻まれシルバーコレクター、ババコワは、陸上界BIG3の一人であるセルゲイ・ブブカと共に、ソ連崩壊後ウクライナ代表として五輪に出場して、アトランタ五輪で、ブルガリアの名選手であるコスタディノワと共に金メダル争いをしましたが銀メダルに終わりました。
リーデルは、旧東ドイツ出身で1991年から1997年までの世界陸上円盤投げ4連覇
2001年エドモントン大会でも金メダル、1999年セビリア大会では銅メダルでしたがもし金メダルを獲得していたら、世界陸上6連覇という大偉業を成し遂げていました。
2004年9月にフレデリクス、ババコワは、陸上界BIG3女性版カール・ルイスのハイケ・ドレクスラーと共に日本で引退試合を行っています。
ボリス・ベッカーは、バルセロナ五輪ダブルスで金メダルを獲得
この人の代名詞は「ブンブンサーブ」です。
プレイボーイとしても知られています。
リナレスは、キューバ代表時代に日本の社会人野球シダックスでプレイした
キンデラン、パチェコと一緒にクリーンナップを組んでいました。
晩年に中日ドラゴンズでプレイしました。
カレリンは、霊長類最強レスラーで・レスリング最重量級にて
・オリンピック3連覇
・世界選手権9連覇
・国際大会76連勝
・公式試合300連勝
ロシア連邦英雄を授与されている
リマ・マウリシオは、バルセロナ五輪金メダルセッターで
ネグロンとのコンビは絶妙でした。
ソウルからアテネまで5回五輪に出場しています。
バルセロナ五輪金メダル監督が現在女子監督であるギマラエス監督だからびっくりです。
ルイスは省略させていただきます。
ルイス、マウリシオ。カレリン、ベッカー、ジョンソンの5人が
殿堂入りを果たしています。
世界中にサッカーブームを巻き起こした某アニメの中で、
これだけの逸材が同じ年齢に揃うのは非常に珍しいというコメントがありましたが
まさにその通りだと思います。
1967年生まれのアスリートは、高校スポーツ界の象徴であるPL学園野球部だけでなく
世界中のスポーツファンをとりこにした上記9人も素晴らしい選手たちでした。
再来年の東京五輪、次回のパリ五輪やそれ以降の五輪でも
上記アスリートは出てこないと思います。
5388
:
カルバハル
:2018/12/22(土) 03:08:20
女性バレー
中国マネーしだいですが中国経済に陰りがでできてます。国際バレーボール協会の決断は、少し遅いですね。日本バレーボール協会が胡座を、かいて駄目になったのは松平さんの負遺産も、ありますが松平さんにも序言出来たのは大松監督だったと、思えますが、何故ならば大松さんが、亡くなってから進言する人が居なくなりました。日本バレーボール界の最初の金メダル監督です。松平さんの頭を押さえ、られたのは大松さんしか居ません。大松さんが短命だったのは、残念です。バレーボールから少し離れた関係になりましたがお目付け役のように助言してましからね?例えば二チボーが連勝記録が止まる前にもレシーブの姿勢が高いとか、マスコミを通じて試合の感想を言ってました。大松さんが短命でなければ、松平さんも我がもの顔で、やりたい放題には、ならなくて、興行優先で人気スポーツの継続するより、まずは、強化と普及あっての人気スポーツであり今日の全く相手にされないバレーボール競技にならなかったとおもいます。
5389
:
カルバハル
:2018/12/22(土) 12:58:36
セシリア タイト
78年世界選手権の時です。78年レニングラードの世界選手権は予選リーグで日本は3‐1で勝ちましたが初戦のアメリカ、チェコとフルセットでペルーには苦戦してフラフラな状態で銀メダルをとりましたがペルーのエースと言えば77年ワールドでも活躍したカリーリョでしたが、サウスポーの16才のタイトみて将来性を感じました。その後、ジュニアのように若返ったペルー女子はモスクワオリンピックに参加しました。81年ワールドカップは南米予選がブラジルで開催されて実力では上と言われたペルーは負けてワールドカップは参加出来ませんでした。しかし82年リマの世界選手権は日本、アメリカを破り銀メダルをとりました。予選リーグで韓国にストレート負けした時はカリーリョがキャプテンでしたが怪我がありカリーリョが居たら韓国にも勝ったと言われてました。エレディア、トレアル場、タイト、リスコ、フォハルド、ピメンチェル、チュンピタス、と役者は揃ってました。リスコはタイトと2人で日本リーグのイトーヨーカ堂で参加してタイトは猛打賞に輝きました。リマの世界選手権は開催国でスピーカーを使った応援で取得した銀メダルと言われましたがロス五輪ではマラガも活躍して日本と三位決定戦は1セット目ペルーが取り日本はメダルもあわゆい場面もありました。ガブリエラ、ペレスが控えでしたが世界デビューしてタイトは打つだけなら私より凄いと言ってましてた。その後ペルーは更に力をつけて86年の日本が惨敗した世界選手権は三位決定戦は東ドイツに勝ち銅メダルでした。タイトは世界的にトップ選手になり世界大会5連覇した中国に勝つチームになりNHK杯に参加した時は山田監督がソウルオリンピックは中国と並び優勝候補と言ってました。(キューバの不参加は決まってた)ソ連はヨーロッパ選手権に負けてオリンピック最終予選をブラジル開催のブラジルと争う崖っぷちでした。チームはパトキン監督からカルポリ監督にかわり世界選抜にも選ばれたカチャロワとか抜けてスミルノーワが入りました。タイトは世界選抜チームで爆弾娘と松平さんの解説で言われて活躍しました。ソウルオリンピックは優勝候補の筆頭で唯一全勝でソウルオリンピックの決勝戦まで進みました。逃げるペルー追うソ連て試合でしたがソ連が逆転で金メダルになりましたが、日本に勝ったペルーに金メダルを個人的には取って貰いたかったです。ペルーは長身のカブリエラ、ペレスは居ましたが参加国で一番平均身長の小さいチームでしが一番大きいソ連に勝利する寸前まで行ったチームです。キャプテンはジーナ トレアルバでしたがタイト率いるペルーチームでした。ソウルのペルーチームも今の日本チーム強化のヒントになりそうなチームです。170センチしないファハルドは320センチの高さがありました。長岡や大林が全盛期の時でもタイトの方が上でしょうね。ポジションは違いますがサウスポーならタイト、ベル、ポマレスがベスト3です。
5390
:
カルバハル
:2018/12/22(土) 13:46:39
ペルー
全盛期の時はセンター、ガブリエラ、ペレスがセンターで対角がセッター、ガルシア、ライトがトレアルバ、タイト、レフトがファハルド、マラガのチームです。今日、センタープレーヤー不足の日本チームには参考になるチームだと思います。レフト一本調子の今の日本チーにはセンター対角にセッターを置き両サイドから散らして打っていったら、もう少し強くなると思います。まずは鉄壁の守備で全盛期のペルーかツーセッターだった韓国チームを現代版にアレンジすれば東京で始まり東京で終る事は避けられると思います。郎 平に監督して欲しいけど朴美姫でも良いです。中田久美は、ちょっと特別扱いのアスリートだから指導者としは疑問です。
5391
:
K・I
:2018/12/22(土) 21:39:17
周暁蘭
http://cfcnews.com/129845
世界一という同じ夢に向かい一緒に苦楽を共にした仲間が考え方の違いから
疎遠になる
上記記事を読んで何とも言えない複雑な気持ちになりました。
もう現役時代のように純粋な気持ちでバレーボールに取り組んでいた
あのころには戻れないんですね?
中国の言論統制の凄さを感じました。
5392
:
カルバハル
:2018/12/23(日) 06:41:40
周暁蘭、久々にみました。
ありがとう、ございます。美人選手で天安門ブロック、Aクイックと見せかけて回りこんでCクイックとか素晴らしい選手でした。郎??平、孫 晋芳、周 暁蘭の3本柱で81年ワールドカップで始めて世界チャンピオンになりました。82年世界選手権前は虫垂炎になりレギュラーセンターを梁 艷に譲りロスはベンチでしたが素晴らしい選手です。天安門ブロックとも言われて恐れられて日本は苦しみました。
5393
:
K・I
:2018/12/23(日) 09:16:35
確執相手にショック
周暁蘭が第一次郎平監督時代に確執が原因で職を追われて見返りとしてアメリカで生活を保障してもらい、生活していることは彼女の現役時代を知っているファンからの投稿で知っていましたが、昨日偶然郎平の画像を検索していたら見つけましたので、翻訳欠けて記事を読んでいくと、確執相手がまさか同い年の元チームメイトである
張容芳だと知ってすごいショックで何とも言えない気持ちになりました。この確執が原因で癌で亡くなったチームメイトの葬儀にも呼ばれず参列していません。今はどうか知りませんが、郎平とは仲が良かったみたいでこれだけは救いでした。郎平が現役引退後に中国独特の考え方が自身の肌には合わないのでスポーツ官僚の道を選ばなかったのが何となく分かるような気がしました。
周暁蘭、名前しか知らない選手ですが外見だけでなく内面もきれいな印象を受けました。
「天安門ブロック」見れるものなら一度見てみたいものです。
袁監督に「君はベンチにいてくれるだけでも違うから代表に残ってくれ」と言われたそうですね?
菊間監督には三屋裕子を教え子に持ったことを誇りに思ってほしいものです。
80年代の袁中国は、ギビ監督率いるソ連、モントリオール金の日本よりは劣るかもしれませんが自分が調べる限り素晴らしいチームのひとつです。周暁蘭、元チームメイトとの確執で職を追われただけでなく離婚もして大変だったでしょうがこれにくじけることなく頑張ってほしいです。
私もずっと気になっていた選手ですので昨日記事を偶然見つけることができて良かったです。
5394
:
カルバハル
:2018/12/23(日) 23:13:06
周暁蘭、
確か文筆家としても活躍したんですよね。ブロックアウトの名手、広瀬も、ブロックをかわす名人、江上もシャットアウトされました。ブロックをくぐり抜けてコートに刺さる小川、水原のライトも仕留めますね。梁 艷のブロックも素晴らしいけど周暁蘭のブロックが一枚上ですね。Aクィックと見せかけてセッターの後ろ回り込むCクイックは100発100中で決まりました。後に男子の王カイ韋が開発したブロード攻撃の原形の攻撃ですね。八頭身、或いは九〜十等身の美人選手でした。日本での人気は楊 希の方が山口百恵に似てるから人気はありましたが中国のファンは楊 希の方が美人の周 暁蘭より人気あるのは信じられないと言ってました。また張容芳はリーダーシップがありロスのキャプテンでしたが仲間を売ったが張容芳だったのは残念です。ロスでは郎 平より活躍しました。当時、四川省チームに所属して郎平の居た北京市チームや楊 錫蘭の居た八一解放軍チームに勝って四川省チームは中国チャンピオンクラブチームとして、ロシアチャンピオンチームになったチェブキナの所属してたADKアルマアタと日立、東洋紡と4チームが日本でリーグ戦しました。その時はロス五輪前で張容芳は参加しませんでしたが優勝は日立、二位は東洋紡、三位はアルマアタ、四位は四川省でした。日本は強かったです。
5395
:
カルバハル
:2018/12/23(日) 23:38:28
猿 韋民監督
男子ナショナルチームのセッターから女子ナショナルチームの監督になり文化大革命後のナショナルチームの中国女子チームの初代監督で世界で監督デビューしたのは77年ワールドカップ〜ロサンゼルスオリンピックまでです。その後、82年世界選手権は張容芳監督、郎 平コーチで世界チャンピオン5連覇した中国の女子バレーの基礎を作った名監督です。三冠王監督で後任も立派に育てたので山田監督のスキャンダルを差し引いても上かも知れません。時代は違いますが、ギビさん、ヘホルへさん、猿さん、ギラマエスさん、大松さん、山田さん、カルポリさん、郎平さんをと名将の順位を付けるとしたら?つけたいですね。わざと負けて本番で勝つギビさんは、やはり智将です。今度、カーチ、キライさんが、名将に届くか?届かないか?て感じです。残念ながら松平さんは、遥か下です。中田久美は論外。
5396
:
カルバハル
:2018/12/24(月) 06:45:06
ユーチューブなら
81年ワールドカップで天安門ブロック見れるとおもいますよ。
5397
:
カルバハル
:2018/12/24(月) 09:09:54
モスクワオリンピック前
NHK杯後、専門誌の対談インタビューで横山、小川、江上の記事でキューバに1勝1敗で3−1、2−3でセット率で日本がNHK杯を取り本番オリンピック前にキューバで、やはり、一番怖いのは高いスパイクでもブロックでく、やはりサーブが一番怖いと横山キャプテンは言ってました。小川、江上のコンビも、やっと合ったあったと言ってましたがオリンピック不参加で残念でした。やはりサーブ、サーブレシーブが一番大切なのは昔も今もナショナルチームでも中学生でも基本は同じですね。今の日本もサーブ、サーブレシーブは常に強化して欲しいですね。高さもパワーも、あっても守備が良くサーブで崩せば勝てます。
5398
:
カルバハル
:2018/12/24(月) 09:25:34
孫晋芳
確か引退した後、国会議員になったんですよね。社会主義国は日本とは違います。張容芳も聖火ランナーをしてましたね。チームメイトを助けたり助言するなら理解出来ますが仲間を売る行為は、社会主義国では通じるかも?知れませんが世界のバレーボールファンは失望しますね。猿監督は、悲しいと思ってるでしょうね。
5399
:
カルバハル
:2018/12/24(月) 11:51:23
見習いたい。
タイのバレーボールですね。最近はダブルBや韓国が、やったH攻撃などみませんね。中国得意のダブルブロードも以前より少ない気がします。ブロックが進化しても、魅せるバレーみたいです。単独ブロード
5400
:
カルバハル
:2018/12/24(月) 12:04:25
単独ブロード
パイプ攻撃、Bクイック、あとは、オープン攻撃ばかりじゃ、面白みがないです。
5401
:
アルタガモワ
:2018/12/25(火) 07:34:26
カルバハル様
いつも貴重なお話し有難うございます。質問なのですが「H攻撃」とはどんな攻撃ですか?もしかしてセンターのBとライトのC若しくはライトの平行等の間にレフトが低めの時間差に入るやつの事ですか・・・?
5402
:
カルバハル
:2018/12/25(火) 10:44:11
H攻撃
セッターからボールが上がり上から待ちかまえるAとCクイックが囮に入りボールが一番頂点に上がったと時に打つBやDより短いダブルAやダブルCみたいな早い早いが幅が短い時間差クイックですね。おそらく説明が難しいから専門誌で韓国チームがやるH攻撃と記載してたと思います。82年世界選手権の時のテレビ解説では生沼さんは、テレビ解説なんでH攻撃とは言いにくいので、この攻撃が出ましたね。としか言ってません。2人が囮になる時間差攻撃とか説明した方が判りやすいかも知れません。何れにせよ。前衛の三人が複雑に絡んで攻める攻撃です。ツーセッター精を牽いてた時の韓国は、サーブレシーブがセッターに入ると常に2人3人と前衛の選手が団子状態で絡んで攻撃してきました。レフトのエースアタッカーの高さやパワーが足りない分を補ってました。曽恵貞は164センチのエースでしたがサージャントジャンプで70センチ以上、跳んでましたが、やはり非力だったからコンビネーションバレーで補ったんでしょう?曽恵貞は73年ワールドカップは金メダルのソ連、銀メダルのヤシカにはフルセットで負けましたがMVPは曽恵貞で専門誌にも大きく写真がでてました。韓国には当時は金英子といったエースも素晴らしかったですが体格が170センチ位しかなくて日本の白井、前田、岡本、矢野、飯田、金坂の74年の日本チームと比べるとパワーが足りないですがコンビネーションバレーは日本より複雑でサーブレシーブも80%セッターに返球してます。当時の韓国バレーにブロード、パイプ攻撃を加えて守備力アップしたら、まだまだ今のブロックシステムでも厳しいと思います。ツーセッターは大事かも知れませんね。また昔、ヤシカから日本電気に変ったあたりの時のチームは選手を交代しないで同じメンバーでワンセッターやったりツーセッターに変えたりしてました。またレフトセットアップしたりとかも、してました。今のナショナルチームの強化でも始めから諦めず非力な日本チームは試して欲しいです。正セッターをコロコロ替えてオープン攻撃一本やりよりはマシになると思いますが、まずはサーブとサーブレシーブの強化しなければ、なりません。5人でサーブレシーブの範囲を決めてして欲しいです。
5403
:
カルバハル
:2018/12/25(火) 12:43:26
昔の写真
韓国女子のコンビネーションバレーの写真はセッターの手からボールが離れたら瞬間、選手が空中で2、3人浮いてる写真をみかけましたが今はみませんね。写真みて、この後、誰が打つんだろと思いましが、そんなシーン最近は見ません。
5404
:
カルバハル
:2018/12/25(火) 20:52:57
ミステーク
特別扱いの中田久美はセッターには余り向いてない性格だったと思います。ロサンゼルスオリンピックの準決勝の試合の立ちあがりセンターを使ったクイックを、いきなり中国の梁 艷に連続シャットアウトされて、中国に、イッキにリズムを持っていかれてストレート負けしました。またソウルの準決勝も終盤、廣ばかりにトスを上げて競り負けました。中田久美は大事な場面ではトスワークが単純になりましね。馬鹿の1つ覚えみたいなトスワークをしますね。対戦、相手は的が絞りやすいです。テレビ解説者は、中田久美は気が強いから、同じ事を、やられたら、やり返したり、決まらなかったら決まるまでトスを上げるとか強気のトスワークですとか言われてましたが、気持ちだけでトスを上げるトスワークはセッターとして一番向いてない性格だと思います。やはり怪我しても復帰すれば正セッターのポジションを空けてもらってるとか、普通に高校に行かず日立に入り、いきなら、素晴らしい選手に囲まれて良いサーブレシーブから返球されたボールをトスにして素晴らしいアタッカーにスパイクを決めてもらったのにボールが決まると天才的なトスワークとか天才セッターとか言われて、もてはやされた経験は、やはり、周りの大人が悪かったんでしょう。今でも監督を紹介する時に中学生で全日本入り世界の天才セッター中田久美監督ですと言われながら、成績もイマイチで可哀想な人に見えますね。同じ年のチームメイトと共に練習して伸びていく人生が抜けるのは、チームスポーツ競技には、一番向いてないかも?知れませんね。特にボールを繋ぐセッターのポジションは厳しいですね。人生の全てをバレーボールにかけてロサンゼルスオリンピックの銅メダル1つでは、他の競技では通じかも知れませんが強かった女子バレーボールが沈んでいく時の選手ですから気の毒な人に見えます。
5405
:
K I
:2018/12/25(火) 22:25:46
引退後の孫晋芳
https://ameblo.jp/ccje/entry-11760342492.html
政治家に転身した話は伺っております。確か袁偉民監督、張蓉芳、孫晋芳、陳ショウテイは中国共産党委員会のメンバーだったと思います。
検索すると国家体育総局テニス管理センター主任としてのコメントが出てきます。
上記ブログは、中国スポーツ体制と一人で戦ってきたテニス界に革命を起こした
李娜と孫晋芳のことが書かれています。
競技は違えど周暁蘭以外にも理不尽な思いをしている選手が何人もいます。
5406
:
カルバハル
:2018/12/26(水) 11:16:24
社会主義国
スポーツで名声をあげればたがくな報酬や豊な生活が約束できますがチェコスロバキアで東京、メキシコで体操で大活躍したチャスラフスカも国家の犯罪者のような扱いをうけて大変だったと聞いてます。名選手が現役を引退しても金に困らない生活も保証して欲しいかたわら自由を奪うような社会も困ります。お国の為に特攻隊で死んでいった先人も日本にはある事実です。
5407
:
カルバハル
:2018/12/26(水) 18:30:50
万能選手
スパイクは決める、ブロックは名手、フライングレシーブも出来る万能なナショナルチームでのNo.1セッターで誰なんだろうと考えたら、生沼スミエさんがNo.1ですね。韓国の劉敬花より実績も上です。メキシコミュンヘンの両オリンピックで唯一レギュラーでした。2大会とも銀メダルですが引退後もママさんバレーの指導やバレーボールの解説者として長く貢献してるし日本女子初の全日本監督です。バレーボールの普及と強化に努力して選手としての実績を合わせればバレーボール殿堂入りしても良い日本人ですね。
5408
:
カルバハル
:2018/12/28(金) 17:08:31
江上由美
万能選手ですが、セッターとしては大成は厳しかったですね。石田、江上のツーセッターは夢がありました。大成したら素晴らしいと思いましたが中田久美が正セッターになり夢は残念でした。常に3枚使えたら、もっと複雑なコンビバレーが出来たかも知れませんね。小高、三屋が対角なら、もっとブロックは高くなってたでしょう。広瀬、杉山のレフト対角なら中国もビックリしたでしょうね。夢の世界の話しです。
5409
:
カルバハル
:2018/12/29(土) 00:14:57
サーブレシーブ
今よりサーブの威力は弱かったが韓国女子はサーブレシーブがセッターに入ったら前衛の3人で絡んで攻撃してきました。攻撃の準備を備える為にサーブレシーブ免除なんて特権を与えあれる絶対エースなんていないし5人でサーブレシーブしても複雑なコンビネーションバレーをして少しでも相手ブロッカーを迷わす事をしたいです。ボールを見てブロックが跳びますが打てるのに空振りして、後ろからクイック打つタイミングで打てばブロッカーは迷うはずです。しっかりサーブレシーブ強化して、コンビを時間をかけて合わせれば出来ない事もないでしょう。サーブ の進歩と共にサーブレシーブも進歩しないと、何時まで経っても、リベロと2人で対応するサーブレシーブでは勝てないです。中田久美の頭には斬新なアイディアは無いんでしょうか?ワンフレームバレーで早さを追求してもサーブレシーブがセッターに入らないと駄目だし早いサーブレシーブで不正確でオープン攻撃一本やりより、正確にサーブレシーブをした方が良いですね。守備力もスパイクレシーブは勿論ですがブロックフォローの強化をして欲しいですね。ブロックでシャットアウトされてもレシーブで上げられたボール、世界バレーで、かなりありました。セッター、大会ごとに変える余裕は一年目だけ、せっかくノーパスでオリンピックの出場権が貰えるオリンピックの強化の時期を無駄にしてます。優秀な選手が居ないんじゃなくて、育てられいのが本音だと思います。
5410
:
カルバハル
:2018/12/30(日) 10:25:04
今の日本チーム
高さが無い、パワーが無いから負けたとか言いますが、そんな事は昔からです。サーブに威力が無くなった。レシーブが悪い、サーブレシーブが悪い、コンビネーションバレーが悪いと、嘗て世界より、勝れてたところも、悪くなったのか世界レベル並み以下になったから東京で始まり東京で終わると思われるんでしょね。
5411
:
カルバハル
:2018/12/31(月) 10:19:59
昔のサーブレシーブ
日本もソ連も5人でサーブレシーブしてました。日本はW型です。ソ連は馬蹄形と言われてるUの字型のサーブレシーブ体系でした。個人的にはW型しか経験してませんが、何れにせよ5人でサーブレシーブしてました。サーブがスピードが強くなったり、変化が鋭くなったり、ネットインサーブもOKになった時代、2人でサーブレシーブを対応出来るとは、到底思えません。また昔は前衛の選手がセットアップ位置に居てサーブレシーブでセッターがセットアップに上がってきた時に前衛でセットアップした選手がセッターが前衛に上がってきたと同時に下がってアタックに備えるサーブレシーブ体系もありました。セッターがセットアップしてくるところを狙ったサーブやサーブレシーブが乱れた時の対応で開発したサーブレシーブです。昔はセッター対角はワンセッターでもトスが、ある程度上げられる選手を配置しました。ミュンヘンオリンピック女子は松村、生沼のツーセッターでしたが、要所、要所に前衛の生沼がセットアップ位置に立ち松村がセットアップに前衛に出てきたら生沼が、ぐるりと周りアタックに備えました。それだけサーブレシーブは肝心要のプレーです。もっとサーブレシーブも進化したサーブに対応しないと、結果、体格のあるチームには敵いません。もっと勉強して欲しいです。私はサーブレシーブを、しっかりセッターに正確に返して、サーブで相手のサーブレシーブを崩すだけでも、チームは、かなり強くなると思います。
5412
:
アルタガモワ
:2018/12/31(月) 11:32:31
カルバハル様
今年も色々なお話しありがとうございました。来年ももっと色々なお話し教えて下さい。
数日前の江上、石田の2セッターの話ですが私一度だけ観た事があるのですが正直頂けなかった印象なんですが・・・。しかしそのリーグは三屋も小高も入る前年のリーグでした。
今から思うと江上、石田の2セッターを三屋、小高を入れたチームにしたらとても面白かった気がします。
三屋やそのままセンターで、小高は前衛では従来通りライトでプレーさせるととても良いチームになれたのでは?と思います。中田ワンセッターの場合だと「チャンス=江上、三屋バカの一つ覚え!」それを我慢して2セッターをもっともっと練ったなら江上、石田は全体が見渡せ中田と違って視野の広く相手ブロックを交わす事が出来るチームになれたのではないのかな?と思います。三屋は繋ぎトスは出来ないけど攻撃だけなら歴代に残るセンタープレーヤー、違って小高はクイックは打つけどそんなに速いクイックでは無いのが難しい面はありましたが元々サーブレシーブ繋ぎそして時々江上や三屋にクイックのトスを上げるシーンを良く見ました。
杉山選手も中田セッターとは違い困った時だけオープントスと言うだけでは無かったのかな?と思います。
私個人の感想ですが杉山選手は本来はレフトよりセンターの方が活きてたのかな?と思います。何故なら動きも速くパワーは無いけど空中での滞空力は江上、三屋と同じだと思いました。
山田監督は本当に勘違いに走り、三冠に味噌を付けた以上に女子バレーを暗黒時代に案内した罪な人でしたね。
5413
:
カルバハル
:2018/12/31(月) 12:23:06
石田、江上のツーセッター
確かロス前にアメリカ遠征した時の大会の決勝で進みましが中田久美がNHK学園の学業の為に単身で日本に帰国して利部のワンセッターで挑んで1.2セットアッサリ落として3セット目、久々の石田、江上のツーセッターに戻し3セット目は取り1ー3で負けて山田監督は利部に気の毒な事したとインタビューで応えてました。江上、石田のツーセッターもロスの秘策に入れる位、強化しないと中田にアクシデントや中田のトスワークが読まれた時の対策に強化しないのかとおもいました。ワンセッターの控えなら、相手はビックリする事は無いけど(中田が潰れたで終わりですけど)あれ?こんなシフトもあるのと対戦相手は戸惑います。もう少し強化して欲しかったです。
5414
:
カルバハル
:2018/12/31(月) 12:34:37
三屋裕子
ユニバーシアードのメンバーの時からオーバーハンドパスが綺麗で将来セッターて話しも専門誌には書いてありましが三屋の高さと攻撃力と大学卒業してセッター転向は厳しいし選手に余裕がなかったんでしょうね。個人的に観てもオーバーパスか上手だからセッターてのは無理があるし三屋の性格からしてセッターには向いてないと思いました。セッターてオーバーパスが上手なのは当たり前、セッター向きの心てあると思います。中田久美が狩野舞子をセッターに転向させようとした時は頭が狂ったと思いました。中田はセッター経験が長いから、なんか狩野にキラメクものがあったのかと思いましたが、そんな欠片も無かったです。指導者として選手を見る目は無いと悟りま した。
5415
:
カルバハル
:2018/12/31(月) 13:43:28
:小川、中西、竹下、中道
ちび子セッターですね。しかしフットワークはバツグンでトスを上げる事が職人みたいな選手です。あそこまで極めて、やっと小型セッターでも世界と戦えるセッターかな?と思いました。今のナショナルチームは少し身長が伸びましたが、まだまだですね。控えのセッターは小型でもマイスターのようなセッターをメンバーに入れて欲しいです。馬鹿の一つ覚えみたいなオープントス一本攻撃じゃ話しになりません。観戦する側でも、またオープンばっかりと読めますからね。セッター出身の監督がセッターを育てられないのは、やはり特別強化プログラムで強化された中田では、やはり普通の選手の指導は厳しいですね。中学卒業したら日本トップチームの正セッターでから無理なんのは当たり前ですよね。
5416
:
カルバハル
:2018/12/31(月) 15:44:47
サーブレシーブがセッターに入れば
普通は、ぼんくらセッターでもコンビネーションバレーを使いますが今の日本チームはセッターにボールが返球されても、オープン攻撃が多いのは高さやパワーのあるチームがする攻撃です。正セッターをコロコロ変えてコンビネーションが不安定でも、もっと使うわな?一応、ナショナルチームだし仲良し倶楽部チームじゃないんだから。
5417
:
カルバハル
:2018/12/31(月) 22:40:42
杉山加代子
センターでもいけたでしょうね?しかし当時はセンターのポジションは人材が豊富でしたから武内でもオリンピックには行けませんでした。無駄なカルテットを将来への期待でオリンピックに連れて行きましたが加藤広子や井上、田渕、北井などファイターはオリンピックでの活躍は叶わなかったですね。レフトがセンターより層が薄かったので杉山はレフトに定着しましたね。高さで唯一、世界エースと張り合える素材ですからね。スピードあるサーブも利部に負けないサーブですからね。気持ちが強ければ郎 平やハイマンと渡り合える力はありましたからね。そこは残念です。素材だけなら白井以上になる期待はありました。ストレート打ちが得意で素晴らしかったです。苦しい二段トスも大谷や宮嶋じゃ厳しいです。森田も二段トスとなると苦しいでしょうね?杉山と広瀬のレフト対角ロスで見たかったです。広瀬はブロックアウトの名手レシーブの神様ですからね。小島監督がミュンヘンの山崎八重子と広瀬美代子が自分が育てた最高のレシーバと言ってましたかね。当時の広瀬のレシーブ力は今でも世界一だと思います。山崎君はビンチレシーバでしたが広瀬はスタメンを張れる選手ですから凄いです。確か170センチでしたが足が早く最高到達点も298センチもあったんですよ。 ピンチ レシーバで後衛3ローテしか使わなかったのは勿体無い話しでした。ロスの秘密兵器にもなれたかも知れませんし、中田久美の江上、三屋しか使わないバレバレ速攻も梁 艶のブロック、広瀬は拾いまくったかも知れませんし梁??艶、楊 暁君の経験の浅いセンターのブロックをブロックアウトにして慌てさせる事も出来ましたからね。大谷はブロックは非凡な力があったからワンポイントブロッカーで活躍出来たでしょうから勿体無い戦略、戦術でした。上手く崩せばアジア選手権がトラウマになってるから十分チャンスあったと思います。
5418
:
カルバハル
:2019/01/01(火) 01:07:15
後1年半しか無いですね。
日本開催のオリンピック、強化間に合いそうも無いですね。東京オリンピックもモントリオールオリンピックも二年前の世界選手権で金メダルでした。そのメンバーが核になりオリンピックの金メダルに繋がりました。モントリオールは守備も攻撃力も世界一でした。こんなチームは日本では今は無理でしょうが東洋の魔女と言われた二チボー貝塚のようなチーム作りは、まだ可能性はあります。東洋の魔女は一人一人は、大した事はないけれど6人揃うと魔女の不思議な力を発揮すると言われたチームです。ようは鉄壁の守備力と変化球サーブで崩してソ連に、思うような攻撃をさせなかったチームです。6人の力を今は12人の力に変えて鉄壁の守備力と相手チームを崩すサーブを強化すれば、まだ諦める事は無いでしょう。一番の問題は、やはりチームワークだと思います。選抜チームだし俺についてこいとは、到底、信頼されない中田久美じゃチームスポーツとしてチームワークは程遠いでしょうね。何とかサーブ強化と守備力アップは可能性はありますがチームワークは、かなり努力と時間が必要です。バレーボール協会の協力が大事ですが現場に相変わらず昔も今も丸投げです。開催国の東京オリンピックは一世一代の人気復活の大チャンスを自ら逃す失態は避けたいです。
5419
:
久しぶり
:2019/01/01(火) 13:11:34
広瀬美代子
前にも書いたかもしれませんが、バレーボール史上不世出のヒロインだと思います。
女子バレーが大味になっている今の方がむしろトップ選手として通用するんではないか
とも思うほどです。
(前衛でも広瀬の好みのトスなら処理してくれそうです。)
レシーブボールの軌道が、小川かず子の上まで来てから落ちてくる、稜線を描くような
動きで、見事としかいいようがないです。
もうこんな選手出てこないでしょうね。本人のやる気があればソウルのピンチサーバー
は十分行けたと思うのですが(前にも書きましたが。)
繰り返しばかりですみませんが個人的には、今だと新鍋理沙が、近いかなとも。
広瀬美代子+攻撃力―守備範囲―ひたむきさ。で。
共通しているのは、バレーボールに関して以外は、醒めている印象があるところかなと。
5420
:
アルタガモワ
:2019/01/01(火) 14:08:43
不出世のヒロイン
広瀬は私から見れば十分出世した選手だと思います。
あれから三十数年経ってもレシーブ=広瀬と言う言葉は合言葉になっています。私の中では広瀬と佐野選手でしょうか?
もう一人の不出世選手はやっぱり横山樹理ではないでしょうか?レシーブも良しムードも申し分無いのにその割にはあまり語り継がれていない様で悲しいです。
佐藤伊知子を否定する訳ではありませんがその程度の扱いの様な気がして淋しいです。
5421
:
久しぶり
:2019/01/01(火) 18:15:36
横山樹理
私も上記同意です。
(思うところがありまして。)
改めて、この、華やかかつ不運も併せ持ったスーパースターの感想も
書かせていただきたいです。
5422
:
まあ、いいか?
:2019/01/01(火) 20:17:39
横山樹理
始めて見たのはインターハイ決勝で博多女子商業と中村高校の決勝戦をNHKテレビで見ました。春高優勝の高柳、三浦の2枚エースの中津南を準決勝でストレート勝ちして、決勝戦も横山のワンマンショーみたいな試合でした。春高は捻挫で活躍出来なかったですが中村高校の川口、久喜高校の吉田真理子と高校ビック3と呼ばれてました。博多女子商業の徳丸監督は酒田インターハイで決勝戦に進むと思ってなく蔵王観光を予定してましたが最終日の準決勝、決勝まで勝ち進んでキャンセルした裏話しがあります。ユニチカに進み即エースになりましたがミュンヘンオリンピック後、主力が、ごっそり抜けたユニチカは日本リーグ入れ替え戦チームになるまで力が低下しました。ナショナルチームに横山だけ選ばれましたが日ソ対抗とかもクラボウとの入れ替え戦もあり途中参加になりました。クラボウの入れ替戦は1勝1敗でセット率で日本リーグ残留するありさまでした。ナショナルチームでも対抗戦や親善試合はレギュラーですが3大大会は74世界選手権は白井の対角は前田、モントリオールは岡本、ワールドカップは吉田にポジションを譲ってますが3冠王のメンバーです。モントリオールの韓国戦の1セット目、タッチネットなどのミスが多く接戦になったムードを横山が出てきてバコンとスパイク決めて流れを変えのが唯一の3大大会、金メダルの活躍です。逆に矢野広美は中学までコーラス部で増穂商業からバレーボール始めて日立に入りレギュラー入りナショナルチームも3大大会三冠王レギュラーメンバーでした。横山とはナショナルチーム入りは18才で一緒に入りましたが活躍が違いました。昭和55年入社組は大豊作の同期は居ますが最初から最後の引退までナショナルチームで活躍した生きの長い選手です。矢野とレギュラーでナショナルチームのコートに立ったのは銀メダルになった78年世界選手権が最初で最後です。横山は白井の抜けた穴を埋めましたがセッター松田の穴は新人の小川では、まだまだ埋めきれなかったです。また矢野は歌手の三善英二のファンで横山は郷ひろみのファンだった話しも有名でした。横山のダイナミックな背筋を活かしたスパイクは速攻向きでなく、ネットから離れたトスが得意で高さが無い分、パワーでブロックを弾き飛ばしたりブロックの横を抜くスパイクが得意でした。速攻でも囮を使った移動攻撃が、バンバン決まり78年世界選手権は勝ち抜きました。モスクワプレオリンピックはキューバやロシア共和国(ウラロチカ主体の略ナショナルチーム)に勝ち優勝しました。モスクワオリンピックを目指して頑張り日ソ対抗でも勝ちNHK杯でキューバに勝ちましたが不参加になりました。またオリンピックアジア予選を兼ねたアジア選手権は中国にはアジア大会は勝つましたがアジア選手権は負けました。ワールドカップは大会前に怪我して本調子でなくワールドカップの日本の最多得点は水原理恵子があげてエースは杉山加代子活躍しました。広瀬のレシーブの神様と言われたレシーブは全日本男子も見習う守備力を小島監督が全日本男子に広瀬を連れて指導した話しは有名で田中幹保のスパイクも広瀬が拾いまくり専門誌にも紹介されてました。全日本男子選手も広瀬のレシーブを見学したいから試合会場に見に行った位で若手の熊田が男女合わせて日本一のレシーバーの広瀬のプレーを見に来ましたとインタビューで応えてました。話しは横山に戻しますが国内でもユニチカは若い日立に勝てなくなりましたが82年世界選手権は日本女子が始めて2位以下になりメダルまで失って4位になったリマの世界選手権で引退しました。当時は金メダル以外はビリも同じ時代でしたから悲劇のエースと言われてますが今から思えば立派な日本のエースです。専門誌にも70年代ベスト6に飯田、松田、白井、前田、江上、横山と選ばれてます。バレーボール現役を長く続きて活躍しました。また逆に中津南高校のエース高柳昌子選手はラッキーか、どうかは決められませんがモントリオールオリンピックの1セットも落とさなかったチームの時だけナショナルチームのレギュラーでした。
5423
:
カルバハル
:2019/01/01(火) 23:51:54
横山樹理の年代は
優秀なバレーボール選手が豊作ですねと横山、矢野、高柳、吉田と4人も金メダルリストは居るし銀メダリストは滑川、川口、石川、他にも吉永、清水、など活躍した選手が、めじろおしですが輪の中心は横山て感じでダイナミック、ジュリーが常に笑顔でチームを盛り上げてます。博多女子商業時代は徳丸監督はフェイントを使うなと決めて横山育てました。後に高校時代、徳丸先生にフェイントは使うなの指導が活きたとジュリーは言ってました。豪快なフォームは、まさにエースアタッカーて感じでした。モントリオール前も小島監督には細かい事は日立の選手に任せて高いオープントスを思い切ってガツンと打ってこいと小島監督はジュリーをモントリオールに送り出しました。山田監督は横山の良さを活かし切れなかだた感じでした。ユニチカ入社当初は小島監督に原始人とか言われてました。博多女子商業がインターハイ優勝した時の専門誌はスーパースター現れるとか言われました。レギュラーではなかったナショナルチーム時代も人気はNo.1でしたね。ジュリースマイルとかエース白井は貫禄はありましたがチームを明るくするのは横山でした。他の同期の金メダルリストの矢野、吉田、高柳は、あまり明るい表情ではなかったですが横山中心のナショナルチームになってからは、ワ〜て感じで明るいムードを作るムードメーカーの役目やアイドル選手みたいでした。美人ではないが明るく観客にも元気を与える雰囲気がありました。
5424
:
カルバハル
:2019/01/02(水) 07:32:22
横山樹理
専門誌で須藤佳代子と比べられた記事では横山は雑草、須藤はエリートとあり横山の方が素質は劣るが精神的に逞しいと記載があり細かい紹介で須藤は足のサイズで26.5センチバレーボールシューズは27センチとありました。横山は大き過ぎて恥ずかしいから言えませんと乙女チックな感じでした。似たような話で三屋は24.5センチで纏足で無いけど小さいサイズの靴を履かされてたと言ってました。ガラスの三屋と呼ばれて怪我が多かったのは、そこらへんでしょうね。また横山は偏食が酷く肉も魚も食べられない選手で国内リーグが始まる前に韓国の実業団チームがユニチカに訪れ強化合宿をして最終日にサヨナラパーティーを焼き肉パーティーする時、横山は焦げた肉をつまむ程度だったようです。しかし、そのうち、ハンバーグ位は食べれるようになり好物になったようです。また河西も肉や魚は食べれなくて大松監督に食べれるように注意され私は肉や魚は食べないけど、こんなに、大きくなりましたと言って大松監督を納得させたエピソードが有りました。河西は百姓の娘は芋や野菜しか食べなくても、平気と言ってました。しかし、そのうち、マネージャーが小さく刻んでわからないように調理して肉も魚も食べれるようになり大松監督に食べれるようになったのか?と言われるようになりました。また横山は恥ずかしがりやで実家に帰省した時は目立つから家から出ませんでした。一緒に買い物に行こうと家族に言われても嫌と言い恥ずかしがりやでした。プレオリンピックで優勝した時も表彰台に上がる時も照れくさそうな笑みを浮かばせてました。それが、とても可愛い感じ、はにかみ屋さんて感じです。にぎやか感じが好な感じしますが実に女性らしい謙虚な感じです。引退後、背筋を利かせて凄いスパイクを放ってましたと言われたら、その分、腹筋が無いんですよと謙虚な感じな言に話してました。明る、みんなの輪の中心でムードメーカーです。また豪快なスパイクが目立ちますがレシーブも名手でした。
5425
:
カルバハル
:2019/01/02(水) 08:30:54
横山樹理
凄いスパイクは有名ですが守備力もありました。サーブとブロックが苦手な感じです。横山はレシーブも名手です。プレオリンピックで守備力も評価されてます。プレオリンピックの表彰台の、照れくさくて、歯みかんだ表彰式の様子が豪快なスパイクと想像出来ない女性らしさを感じました。
5426
:
カルバハル
:2019/01/02(水) 12:35:07
東京オリンピックの強化
トーキョと開催地が決まってから各競技は一斉に強化のスタートを切りました。バレーボールは、何処でつまづいたか考えると、やはりロンドンで銅を取った事で欲張ってリオもメダルと言った下心から東京に焦点を合わした強化が遅れたんでしょうか?ナショナルチームでリオ組と東京組と見越して強化する事を、誤ったんでしょうね?更に海外の指導者をオファーしたり、海外での勉強が指導者には足りなかったんでしょうね。腐った協会のプライドが強化の遅れてて常に危機感ももたい協会の体質も問題です。選手だけの強化じゃなく指導者の強化も怠って久光製薬が強かったから指導力の見極めもしないで中田久美を監督に指名したのが失敗の始めりです。上手に強化してたならバドミントンや卓球など、みたいに東京オリンピックの前に結果が、見えてきたと思います。ロンドン後、銅メダルで満足したのも落とし穴です。金メダル以外はビリも同じ位の気持ちが東京オリンピックに決まった時に開催国で国家プロジェクトなら気合いだけでも金メダルはビリでも同じ気持ちで強化しないと記念参加で終わります。バスケットと違い出場権が約束されたのに勿体ないやら残念やら東京オリンピックまで一年半で、こんな、ていたらくは想像出来ませんでした。
5427
:
アルタガモワ
:2019/01/02(水) 15:41:23
どうりで・・・カルバハル様
私は東京五輪の年に生まれた者ですが・・・小学生の時には何故か「横山樹理」だけは知っててモントリオールの白井を始め矢野、高柳、岡本、松田選手等々全然知りませんでした。それが高校生になって81年Wを観て「樹理ってまだやってたの〜〜〜?」(小学生〜高校生ってたったの数年ですが成長期でかなり年数が経ったと感じるものだと思います)と思いましたがバレーそんなに関心が無い私の想いは打っても決まらないトスが合わずフェイントばかりで「自分のかすかな記憶の中の樹理では無い!」って・・・。要は樹理は全日本のレギュラーでも無いのにそれだけ大人気だったんですね。
河西選手が肉と魚を絶対に食べないのは専門誌で数年前に知りましたがまさか樹理も同じだったのはカルバハル様の投稿で今知りました。
かすかに誰がすきですか?と言う質問に郷ひろみが好きです!と答えたのもテレビで何と無く覚えています。今から30年近く前?バラエティー番組か何かで「今は石田純一が好きです!」ってのも覚えています。また面白いお話し聞かせて下さい。
5428
:
カルバハル
:2019/01/02(水) 17:09:17
横山樹理
所属してたユニチカは1強5弱の5弱の大将みたいな時代が横山の実業団入社初期です。極端に言えば横山対日立みたいな試合で横山一人じゃ日立に手も足も出ないのが事実です。横山、飯田、前田以外は日立の選手がモントリオールオリンピックのメンバーです。日立の控えが出てもユニチカは勝てませんでした。ましては横山より優れてる白井が日立に居ます。ユニチカのキャプテンでセッターの塩川も評価が高かったけど日立イコールナショナルチームみたいなチームだったので日立のバレーなんで松田がダメなら塩川より金坂の方がチームは安定する見解でモントリオールオリンピックの控えでも金坂、吉田、加藤、荒木田は日立所属です。ほぼ日立イコールナショナルチームなんでモントリオールプレオリンピックで日立は韓国にストレート負けしたんで専門誌に大ショックと見出しが、ついたプレオリンピックの表彰式で銀メダルで選手が表彰台でア然した表情の写真が載ってのが印象的です。モントリオールオリンピック日本チームはワンタッチを数えたバレーボールの完成形のチームです。それまではワンタッチも数えるのでコンビネーションバレーで金メダルの男子日本チームのコンビネーションバレーは女子じゃ無理とも言われてました。クイックや時間差攻撃は出来ても試合では、なかなか出ませんでした。それが韓国女子や日本女子がコンビネーションバレーを完成させて白井、前田の強打者が居る日本が韓国より強かったんですよ。いくらコンビネーションが凄くてもサーブで崩してセッターにボールが返球されなかったらコンビネーションバレーは使えないですからエースの打ち合いになっら日本が勝ちます。それまでは日本の早いトス回しに対してソ連はマンツーマンでブロックに付き日本の速攻対策を敷いてブロックがディフェンスを助けてパワーと高さでメキシコ、ミュンヘンとエースの打ち合いに試合を持っていきソ連は連覇したんですよ。なのでミュンヘンオリンピックの決勝戦は白井が馬鹿当たりをしてソ連もビックリしてフルセットまで持ち込んだ大熱戦になったんですよ。ワンツーマンのブロックにはメキシコ、ソフィアの世界選手権、ミュンヘン、モンテビデオのワールドカップと日本は涙をのんで銀メダルでした。横山でも十分エースになれる器ですが前田、白井、岡本、吉田がレフトのポジション争いの層も厚く、主に絶対エースの白井の体格争いに横山は最終エントリーでは控えに甘んじてワンポイントアタッカーみたいな起用ばかりでした。色々な意味でチャンスのめぐり合わせが遅かっただけです。専門誌は意地悪で3つの金メダルは、何れも横山が活躍した金メダルじゃないと記載されてました。似たような選手でミュンヘンオリンピックのキャプテン松村勝美は東京オリンピックの金メダリストですが補欠で試合に出れなかったから、後の講演会などではミュンヘンオリンピックの銀メダリストの松村勝美ですと言ってました。ミュンヘンの銀メダルはオリンピックの時は要らないとまで言った松村でしが、時が経過して金メダル目指して頑張った銀メダルも立派な銀メダルですと言われてました。横山はレギュラーでなかった金メダルを、どう思ってるかは言ってませんが3冠王のメンバーである記録は残ります。誕生日の関係者で当時は年齢順の背番号で同じ年の吉田が9番、高柳が10番、矢野が11番、横山が12番なんで日本バレーボール金メダリストの中では横山が最後の最年少金メダリストです。横山らは21才です。矢野、吉田、高柳は23才で引退してます。白井も25才で引退してます。今の時代は選手寿命は短かったです。横山は27才で引退してす。モントリオールのキャプテンの飯田は30才で引退してるのは当時では考えてられない年齢です。社会主義のソ連はリスカルはモントリオールで引退しましたが32才、ブルダコーワは34才で引退ミュンヘンオリンピックでナショナルチームを引退してます。スモレーワはナショナルチームは78年世界選手権で30才で引退してますがディナモ、モスクワではプレーは続けてました。横山も日本では寿命が長い選手でした。
5429
:
カルバハル
:2019/01/03(木) 09:37:21
横山樹理
酒田インターハイで予選のグループ線で川口朱美の居る中村高校に勝ち、敗者復活戦で勝ち抜いた中村高校と再び決勝戦で対戦して勝って優勝した。不思議な組み合わせでした。横山はナショナルチームで控えでしたが最初は白井の対角でしたが守備力に難があるからアジア大会だけの予定の前田がアジア大会で活躍して白井のエース対角のポジションをとりました。モントリオールは飯田が控え似まわり矢野の対角を前田がセンターになりましたが日立のキャプテンの岡本が74年の世界選手権はライトでしたが白井の対角を岡本がポジションをとりました。。飯田、岡本、加藤がモントリオール後ナショナルチームから抜けて須藤、水原、江上がナショナルチームに入り前田はライトにポジションか移りましたが白井の対角は同じ日立の吉田がポジションをとりました。白井の対角は日ソ対抗やNHK杯などは、主に横山がレフトのポジションに居ましたが3大大会となると最終的には横山は控えに周りました。おそらくユニチカの選手て部分もあったのかも?知れません。しかし試合会場での人気No.1は横山で老若男女ジュリーと声援が会場に、こだまして少年雑誌にもアイドル並み記載されてました。専門誌も国内リーグでは日立のレギュラー選手は白井、松田や新人の江上は紹介されますがライバル、ユニチカの記事は横山だけが大きく取り上げられました。また愛くるしい笑顔やダイナミックなスパイクフォームも目立ち横山はアイド選手でした。美人選手といった人気でなく、皆に元気を与えるプレーや表情で人気者てキャラでした。78年以降は金メダリストが続々引退して人気アイド選手より日本のエース、世界で戦えるエースアタッカーとしての立場になりました。色白で美人タイプの江上がアイド選手になり逆に強くなったユニチカに若手を引き連れてテクニシャン、エースで江上が人気者になりました。そして81年ワールドかっぷで世界デビューしたガッツポーズでアピールするファイターで美人選手の三屋とレシーブの神様と今でも言われる広瀬の感動するレシーブが人々の心を動かして実力と伴いアイド選手になりました。逆に江上は神様、仏様、江上様と言われる選手になり、その後はアイド選手は若くて期待を込めて18才カルテットの中田、大谷、廣、宮嶋にアイド選手路線は変わりました。そして益子や斎藤真由美などがアイド選手になり今は黒後がアイド選手て感じですがバレーボール人気の低迷もあり、イマイチです。
5430
:
カルバハル
:2019/01/03(木) 09:43:57
アイド選手
イコール実力は一致はしません。近いところでメグ、カナブームも大成したとは言えませんがスーパー女子高生から木村沙織は容姿、実力とも揃った選手ですが、バレーボール協会はアイド選手を作り実力を、度外視した人気復活を目指す考えては個人的に、あまり好みません。今の専門誌がアイド誌や選手インタビューはがりのバレーボールファンが不満な雑誌になってしまった感はありますね。
5431
:
アルタガモワ
:2019/01/03(木) 10:59:15
やっぱり樹理は凄かったんですね。
樹理は本当に太陽の様な選手で以前にも投稿しましたが水原選手は月の様な印象・・・そして私の中では江上は何と無く山口百恵の様な印象が私の中ではありました本音を隠し淡々とプレーしまたそれがことごとく決めると言う感じでした。
その後は益子、斎藤選手本当にアイドル的な印象でした。
そしてメグカナ・・・メグは美人だと思いましたがカナは美人だとは思わなかったし木村沙織選手も私の中では美人だとも思いませんが正直上手なのか下手なのか今でもそう思います。そして今私が一番嫌悪感を感じるのはインタビューでの答え方です。一つ前世代の高橋みゆきは品の無いチャラい発言と天然キャラの木村沙織・・・高橋みゆき以前の選手達、いくら弱くてもあんな品の無いチャラい態度、コメントそして少し被る木村沙織の様な天然キャラの様な幼稚な態度・・・それが今だにプレーは引き継がれず態度、コメントは引き継がれてある様で悲しいです。バレー以外の十代の選手達のあのしっかりしたコメント先ずはその辺りも勉強して欲しいと思っています。
5432
:
カルバハル
:2019/01/03(木) 23:03:56
ファン
確かユニチカは郷ひろみのファンは横山の影響で多く、松田聖子がユニチカでは嫌われてました。日立は大阪出身の森田、石田も含めて巨人フォンが多く、江上は江川が裏工作しないと巨人に入団した事で自分の行きたいチームに行けないのが可哀想、江川さん可愛いとも言ってました。巨人の江川さんは当時は悪役でしたが日立では人気あったみたいです。この話しは確か当時の専門誌のチーム顔に出てました。当時、一般人の巨人ファンでさへ江川さんは嫌われたから印象に残りました。ユニチカは大阪のチームだけあり小島監督も阪神ファンでした。また郷ひろみが二谷友里恵と結婚した時はユニチカの選手は二谷友里恵なら許せると言ってました。昔の専門誌の方が面白かったです。
5433
:
カルバハル
:2019/01/03(木) 23:43:04
個人的には
木村沙織の全盛期のプレーは天才だと私は思いました。なんで、あんなプレーが決まるの?て感じのプレーが、ドンドン出て来て天才さおりんと言われるのは納得できました。江上由美も、まるで頭の後ろに目があるよつなプレーでした。専門誌で石田と三屋の対談があり三屋が私のポジションを取るんじゃなくて由美さんのポジションを取りにいけと石田に言いましたが、由美さんのポジションは、ちょと難しいねと話しが変わり三屋が後衛で江上のプレーを見て、やはり、何故、あんな事出来るのか?何故あんなボールが決まるのか理解出来なく頭の周り一周に目でも付いてるんじゃないの?て石田も三屋も江上のプレーの凄さを話しをしてました。江上も天才ですよ。
5434
:
アルタガモワ
:2019/01/04(金) 14:57:26
江上は別格!
多分この先「神様、仏様、江上様」「世界No.センタープレーヤー」「国宝級」と言われた江上選手。勿論レフト、ライトになってたら分かりませんが本当に天才と言う言葉で表現されるには勿体無選手だと思います。ロス五輪が終わり三屋さんが確か大学の教員になって講義で「私は江上さんよりジャンプ力は少し高かったのですがブロックの読み取り等は全然劣っていむした」とか他のチームのセンタープレーヤーのコメントで「江上選手のクイックは分かりきっててもどうしてもやられてしまう・・・」と言うコメントを読んだか、聴いたかの記憶がありました。彼女の様なセンタープレーヤーはもういくら身長が高くても現れないと思います。
しかし四半世紀東芝〜岡山ジーガルズを応援していた私は森、山口選手がもし両サイドに国際レベルのアタッカーが居たら同じくらいのポテンシャルが活かされた様な気もしますが森選手はブロックにはセンスがありましたがいかんせんサーブレシーブ・・・やっぱりこの辺りが江上選手とは違ったのでしょうね。
5435
:
カルバハル
:2019/01/04(金) 20:15:04
そうですか?江上が一番と思う人は多いでしょうね?
江上が天才なのは判りますが、山田監督は高校からバレーボールを始めて18才で74年世界選手権、金メダリストの矢野広美が天才と言ってます。私、個人は時代が、ちょっと違いますが飯田高子が歴代日本No.1のセンタープレーヤーだと思います。飯田はバレーボールでは無名高校〜9人制の実業団〜中京大学〜ヤシカ〜全日本ですが始めは、レフトアタッカーで、ガンガン決めてましたが、センターに転向して日本リーグでもスパイク賞、ブロック賞を連続で2タイトルを取り、ブロックは男女通じてセット当たり2点以上の記録は今でも破られてないと思います。更にイーチョンスパイクと言われた身体を、捻って打つターン打ちを発明したのは飯田です。スパイクのパワーも江上よりあります。飯田高子が歴代日本私No.1の天才センターで江上が、2番、矢野は引退が、早かったから天才になれたかも?知れないセンタープレーヤーだと思います。当時の日立は矢野、加藤のセンターでした。専門誌では日本リーグで、白井、加藤は、モンスターのように大暴れと書いてありましたが加藤は当時としては身体が、デカイ、センタープレーヤーて印象です。ミュンヘンオリンピック後、ベテランが引退して白井もクラボウを退職して一時期、引退してたので日本でソ連に、ガチンコで勝負出来るのは飯田だけとも言われました。飯田は74年世界選手権はキャプテンでレギュラーで白井と並んで大活躍した大選手です。山田監督は74年世界選手権で飯田は引退する予定でしたが、ミュンヘン男子のベテラン選手がチームを準決勝の絶対絶命の試合を大逆転したブルガリア戦のベテラン選手の役目を飯田にして欲しくて、ライバル、ヤシカ本社や飯田の実家に山田監督は行きモントリオールオリンピックを目指すナショナルチームに残ってくれと説得し飯田本人も、もう、イーチョンて呼んでくれる、人は引退して誰も居ないから引退したいと思ってたのを説得して1年後に現役復帰してモントリオールオリンピックのキャプテンでチームのまとめ役でした。おそらく、飯田が居なければ、まとめるのは大変だったと思います。飯田だけポツンと一人だけ年齢が高いし背番号は1番、2番は日立のキャプテンの岡本です。ミュンヘンでは12番が白井、11番が岡本で飯田は4番です。これだけでも年齢の違いは判ると思います。またミュンヘンオリンピックはテロがあり、モントリオールオリンピックは、監督、コーチでさへ、女子の選手村には入れませんので山田監督は飯田が絶対必要だったんでしょう。また個性の強い白井や松田などを、まとめるのには飯田が必要だし飯田なら言う事を聞きますからね。また飯田に引退を説得するのを山田監督他、バレーボール協会の役員も説得したようです。飯田の説得の話は専門誌だけでなく、一般週刊誌にもテレビでも、取り上げられました。東京オリンピック前のモスクワの世界選手権で金メダルをとった魔女が、ここで引退したら非国民とまで騒がれた魔女達の個人版が飯田のナショナルチーム引退を、説得する話は当時は有名な話しでした。飯田は、既にヤシカバレーボール部を退部してたのでバレーボール協会の認めたチームの所属選手がナショナルチームの登録される規定がありヤシカバレーボール部に再登録しましたが、ヤシカのユニフォームは74年世界選手権後は着てないと思います。またモントリオールプレオリンピックに日立は韓国にストレート負けしてたので、飯田はナショナルチームには絶対必要な選手です。本当にピンチになったら、飯田がコートに出て活躍したでしょうが、モントリオールオリンピックは、念には念を入れてた山田監督は失セット0の完全優勝に繋がったと思います。飯田が、ベンチに居たから、あの白井ですら安心して試合出来たと思います。 モントリオールの年少選手、横山、矢野、高柳、吉田は21才です。大ベテラン飯田は30才ですからね。そこまで大先輩がチームに居れば、みんな、安心しますよね。因みにミュンヘン経験者は岡本、白井、飯田の2人だけです。また飯田自身もミュンヘンオリンピックの3時間近い熱戦でコートに、ずっと立ってた飯田ですが5セット12-11に、ソ連に追い付いた時の痛恨のサーブミスをして、その後、あっと言う間に点数取られて負けた時、飯田は、お前が、あの時、サーブミスした、お前が悪いと全責任を負わされた屈辱を晴らしたかった思いもあったと飯田は言ってました。飯田は人生において、あれほど屈辱は、なかった、あの屈辱に堪えた事が、その後の人生に活かせたとも言ってました。まあ、色々な思いもあり私個人は日本歴代No.1センタープレーヤーは飯田だと思ってるのかも?知れません。74年世界選手権後の日ソ対抗で日本が苦戦した場面で山田監督が、ベンチで会場に響き渡る声で、やぱり飯田が居なければ駄目なんだと、大声で叫んだ話しも有名です。
5436
:
カルバハル
:2019/01/05(土) 00:14:45
ハッキリ言えば
江上が引退後、江上より優れたセンタープレーヤーが現れないからでしょう。技術は進歩はしてますが、進歩より一歩先のプレーが出来る選手が居ません。ましては今の日本は10年前のバレーボールを中田久美は、してます。人材が居ないのはバレーボール協会が強化や普及の努力を怠ったからでしょうね。新VリーグのHPすら改良されてません。バレーボールの実力だけでなくサービスも遅れてます。これじゃあ、マスマス、人気は、落ちます。バレーボール協会は自分で自分の首を絞めてます。
5437
:
アルタガモワ
:2019/01/05(土) 13:10:35
そうなんですか!
カルバハル様から言えば私は最近の子なので飯田選手の姿はいつもテレビで流れるモントリオール決勝の白井選手が「ちょっとドケて〜〜〜!」って言う姿しか知らなくまた女子バレー番組で白井とゲスト出演してた神白高子さんになっていた状態なので全く彼女のプレーを見た事が無いのです。ミュンヘン決勝にはコート居たのですか?(NHK、BSでのミュンヘン決勝のDVDはあるのですが・・・)確かに人間的にもとても優れた方だったんでしょうね!あのモントリオールの白井、松田・・・皆激しい選手が多かったそうですね。
ロス五輪前のドキュメンタリーで山田監督が「お前等モントリオールのチームから言うと大人し過ぎるんだ!白井に松田・・・今でもテレビ解説でも相当厳しい!ミュンヘンの松村も相当なもんだったぞ!」っての言うビデオがあります。確かにロスの頃にはもう大分日本もコート上では揉めたり嫌悪感丸出し状態では無く「ま〜ま〜・・・」って言う雰囲気がありましたもんね。森田選手は山田監督から「私の言う事をそのまんま受け取る様な暗示に掛かりやすい様な選手じゃちょっと危ないで・・・」って脅されてる様な時も森田選手だけは居直った様なふて腐れて監督に諸に抵抗してたシーンがありましたよね。でも〜東京の谷田選手の様に監督に掴みか掛かってボールを後ろに足蹴りまではしてませんでしたが・・・。
昔の映像を色々観たいのですが私の検索が悪いのか?あっても83年のアジア選手権の決勝あたりまでしか辿り着けなくて・・・。
話が飛びましたが昔の選手達は可愛いとか仲良しと言う様な雰囲気はありませんでしたね。
5438
:
カルバハル
:2019/01/05(土) 15:53:04
長いけど
ミュンヘンの決勝戦のDVDよーく聞いて観てると、わかりますよ。時間が、あれば、再度、見てください。
5439
:
カルバハル
:2019/01/05(土) 16:32:46
飯田高子は
おっとり、してる性格で選手を引っ張るより包みこんで、後ろから仲間の背中を押してあげる。キャプテンで、松村勝美とは違い、グイグイ引っ張るタイプではないです。モントリオールのチームには飯田タイプが必要です。1つ間違ったらプレオリンピックの日立のニノ前になります。そんな事を考えるとナショナルチームのキャプテンは、どんな人が、相応しいか判りめすよよね。残念なが今の岩坂には荷が重すぎます。背おらせた中田久美も中田久美でさね。実力と経験とチームの信頼が、なければ厳しい判断を、されるのは仕方ないです。せめてオリンピックの経験者が居るんだから、その中でキャプテンを選出して貰いたったです。日の丸つける意味を、中田監督も十分考えて指導して欲しいですね。シンクロの井村さんが日の丸つける監督の意味を教えてくれましが中田久美は理解してないと思ってます。誰でも憧れてる日の丸つけてオリンピックに出場するんですよ。日本の代表です。なりたくてもなれなかった人は沢山、居ます。加藤広子も武内も叶いませんでした。横山樹理もモスクワで不参加で涙しました。中田久美だけは怪我してもポジションを空けて待って貰いました。そのへんが中田久美にとは温度差を感じます。全盛期は、過ぎても飯田は、必要でした。丸山も、必要でした。それが日の丸付けたナショナルチームのキャプテンです。
5440
:
カルバハル
:2019/01/05(土) 18:28:17
ミュンヘンのレギュラー
松村、ライト生沼センターのツーセッター、古川はセンターで島影レフトが対角、飯田はセンターで山下左利きがライトで、ポジションよりユニチカよりの実力でレギュラーが決まりました。得点源のエースはライト山下、センター飯田がエースで対角です。決勝戦は飯田、古川が大会が1日伸びて生理になりました。飯田と古川は特に生理の重い選手てす。試合はサーブ権を取ったらエースの山下が前衛に上がる順番だと思います。スタートはフォワードレフトが古川でバックライトが島影です。5セット目のスタート白井と島影を入れ替えてスタートしたので白井がバックライトからスタートになり島影と交代して3ローテーションや回してスタートしたかったんですが、オーダーミスして白井が一番最後に前衛にあがるローテーションになりました。日本には運も見方しなかったミュンヘン決勝戦でした。
5441
:
カルバハル
:2019/01/06(日) 00:01:11
3人の比較
江上由美、ロス五輪キャプテン銅メダル、引退後、復帰して欲しいと頼まれ、全盛期は過ぎたが、レギュラーで戦力として、ソウルオリンピック4位のキャプテン誰でも認める天才プレーヤー、
飯田高子、ミュンヘンオリンピック銀メダル、レギュラー、74年世界選手権、金メダル、レギュラー引退、復帰して欲しいと頼まれて、全盛期は過ぎて、
チームは体操で言えばフィニッシュを失敗しない限りは金メダルが取れる絶対的な、強さのチームで、レギュラーでなくても、チームとして必要とされて、ベンチに座ってるだけでも必要と頼まれたてモントリオールに出場して金メダルチームのキャプテン
岩坂奈々、オリンピックの経験もなく、戦力にも、ならないけど、ナショナルチームに在籍させないと新鍋がナショナルチームを辞退するから実力が、伴わなくてもナショナルチームに在籍される理由としてキャプテンとしての称号を与えれば、皆が、キャプテンだから仕方ないと、不満を払拭させるキャプテン
同じセンターでナショナルチームのキャプテンを比べると、誰が一番、チームとして信頼されてるか、一目瞭然です。
まだ他にもナショナルチームの歴代キャプテンは居ますが、取り敢えず3人を比べてみたら、天才、江上の天才を越える飯田の実力、経験値、人柄などが、判りますよね。
クズの今のキャプテンが、どらだけ、駄目か、キャプテンに指名した監督が、とれだけ愚か者か、これだけでも理解出来ると思います。日の丸付けてオリンピックに出場する、キャプテンの条件は判ると思います。
ましては開催国のナショナルチームのキャプテンの名誉や実力、チームならび、日本国民から信頼されて、応援して貰えるナショナルチームのキャプテンなんですよ。指名した中田久美の責任感の無さも感じます。引退してなく現役を続けてて背もとびきり高い選手ですが、辞めるコールは常に感じます。本人も馬鹿でない限り感じてると思ってます。中田久美が岩坂の為なら長身で、可愛い感じでなんで、岩坂を呼び自分の経験を話してファッションモデルの道を紹介してやれば、岩坂も、ここまで馬鹿にされなく幸せだったと思いますよ。岩坂の幸せも考えてあげられない中田久美は、クズばかり作るクズ生産するクズの指導者です。
5442
:
カルバハル
:2019/01/06(日) 11:08:46
昔は
合言葉は、打倒ソ連、金メダル奪回、金メダル以外はビリも同じ、金メダルを持って帰れないと日本には帰れない。と選手は本気で思ってました。選手、仲良くより、金メダルの為に、頑張るの方が優先してました。女子ではバレーボールしか安定してメダルが取れる種目は無かったので日本国民の期待は、今の人気とは全然違いました。ミュンヘンオリンピックまで女子でオリンピックの金メダルを取得した種目は水泳部の前畑、東京オリンピックの女子バレーボールチームだけでした。ミュンヘンで水泳部の青木まゆみで、やっと3個目の金メダルです。今と昔はでは国民の期待が違います。ロスで銅メダルは、女子バレーでは汚点だったんですよ。初参加の第三回世界選手権〜81年ワールドカップまで金メダルと銀メダル以外しか出場してる大会の成績は、無かったんです。銀メダルイコール負けた事だったんです。今から思えば立派な銀メダルです。ロンドンの銅メダルで大喜びになりましたからね。
5443
:
カルバハル
:2019/01/06(日) 19:29:47
飯田高子
日立主体のナショナルチームで日立の選手でもなく、往年の全盛期の力でも無い、他にも優秀な選手が沢山居る、飯田がメンバーに、登録されなくても9割高、金メダルを取得出来る圧倒的な力があるのにも、関わらず、バレー関係者やファンは飯田高子の復帰を熱望した。本番で何を、やってくるか判らない。智将ギビ監督に2回も涙を飲んだ日本女子バレーボールチームは、念には念を入れて、もう考える事に対して全ての準備を計り挑んだモントリオールのオリンピックです。それは全試合、失セット0といったい結果にも、現れてます。キャプテンをつとめる役が居ない。廣の対角センターを、こなすセンターが育ってないので復帰をした丸山とは違います。ましては、同じベンチにすわってるセンターでキャプテンの岩坂とは存在する意味が月とスッポンです。当時、日立以外のモントリオール参加選手は飯田、前田、横山です。いずれも、大選手です。日立に入社した、ばかりで球拾いを同じ体育館でしてたのが今でも天才と言われてる江上由美です。
5444
:
アルタガモワ
:2019/01/08(火) 11:01:42
飯田選手
本当に凄い選手だったのですね!確かにセンターが育っていないからと言う理由でレギュラーバリバリでの復帰した丸山とコートに居なくても良いから居て欲しい!と言うのは全く違いますね。ところでモントリオールのセンターって矢野選手ともう一人は誰でしたっけ?前田選手ですか?レフトは白井と前田選手だと思い込んでいたのですが・・・吉田、岡本選手ですか?
ところで飯田、江上のキャプテンと岩坂選手・・・日本女子バレーもここまでになってしまったのですね。
山田監督ってモントリオール後本当に凄い勘違いに走りましたね・・・あの「カルテット」は本当に何だったんでしょうね・・・。確かに加藤、武内に甘いも酸いも甘いも知った北井、田渕・・・そして水原選手もレスキューでエントリーしていたらもっとモチベーションを維持出来ていたかもしれませんね・・・でも「風潮」って怖いですよね、広瀬選手はレシーブのみ、水原選手はもう全日本卒業した終わった選手と言う見立てをされていたのでしょうね。「風潮」にはいくら本人のポテンシャルが保てたとしてもその風には逆らえないもんですね。宮島、廣選手ファンなは申し訳無いけど何で連れて行ったのでしょうかね?廣なんて当時ライトかレフトかも決まっていなかったのに・・・。確かにソウル五輪では欠かせない選手になりましたがあの時点ではエントリーさせてまで入れる意味があったのですかね・・・。確かにカナダ戦では完全二軍の立場では出ていましたがそう言う事に意味があったのでしょうか?
5445
:
カルバハル
:2019/01/08(火) 15:43:40
モントリオール
レフト白井と岡本、センター矢野、前田、ライト高柳、セッター松田です。控えは飯田、加藤、荒木田、金坂、吉田、横山です。おそらく控えの選手でも金メダルだと思います。なのでビンチレシーバーの永木芳子は外されました。日立に入ってからセッターになった松田の先生で松田は金メダルを半分に割り首掛けのリボンがつける金具のある方は松田が持ってます。松田は永木に渡す時に貰ってくれないと困ると言って永木に渡しました。この話を飯田は、なんて素晴らしい事をしてくれたんでしょうとも言ってます。大会は日本が、圧倒的に強く掲示板の多く載るソウル大会と違いほんど記載がありません。大会は全てストレート勝ちで、ハラハラ、ドキドキは皆無に近いですが予選リーグを終わり休養の時期に白井は生理になりラッキーでした。逆に松田は74年世界選手権を目の前に半月盤を故障してる出場出来なかったトラウマもあり大会に入ってから緊張感で吐き気を模様して大会に入り決勝戦の日に2日遅れての生理になり山田監督は心配してました。しかし、これ以上、無いような準備に念には念を入れたモントリオール大会は、もっとも面白く無い決勝戦と言われるほどのワンサイドゲームでした。個人的にはソ連メンバーもレフト、リスカル、チェルニショワ、センター、ロストワ、スモレーワ、ライトに白井対策にシュチチェニーナ、セッター、ムラジャンで、なかなかの強敵選手揃いでしたが日本戦を観てると、よく、予選リーグ韓国に勝てたなて感じでした。実際に78年世界選手権はリスカルとろすとわが抜けただけで、そこにマカキゴノワとロゼビッチが入ったチームで優勝したキューバと大接戦の試合をしてます。日本は銀メダルでソ連と当たりませんが矢野がレギュラーで残ってるチームです。
5446
:
カルバハル
:2019/01/09(水) 07:21:29
絶対的に強いチーム
前にも書いたと思いますが当時はサイドアウト制、サーブ権が無ければ得点は入らないルールでした。モントリオールオリンピックのチームはコイントスで勝ったらコートを選択します。絶対的にサーブレシーブに自信が無い限り、そんな事をするチームはありません。1点でも多く少しでも有利になるようにします。ましてはオリンピックゲームです。如何に強いかです。無敵のキューバは、どうだったんでしょうか?判りませんが、何時もローテーション決まったカタチで、スタートできますが、やはりサーブ権を選んだ方が有利です。そこまでし事前準備したのは凄いと思います。今はラリーポイント制ですが、今まで、コイントスの果てまで拘るチームは、無かったと思います。また。あの白井ださへ、山田監督の事を、ここまで、ワガママな監督は居ないと言ってました。いくら上手く行っても満足する事なく課題や要求が出でくると言ってました。またモントリオールの決勝戦のソ連のスターティングメンバーを1人も狂いがなく、当てた、そうです。その時点で勝てると思ったらしいです。
5447
:
アルタガモワ
:2019/01/09(水) 12:27:08
確かに・・・
ソウル五輪の初戦私はハラハラドキドキしながらも学校と職場の両立で遅刻は絶対にしないと決めていたのですが同級生がソ連戦を観て遅刻して「日本が勝ったよ!」と教えて貰ったのを覚えています。正直ロス五輪で自分はもう興味無い!と思っていたのですが本当にハラハラドキドキでした。
でも以後いくらヨーロッパ選手権でソ連を破って勢い満々のオルデンブルグ、イエンセングリット等の東ドイツに負けたりの現実と平行線でもうほぼ関心は薄れていました。丸山のまさかのホールディングをきっかけにペルーに負けたのも正直あそこまでよくやったんだ!と思ったものです。正直あそこまで行けたのは私の中では「偶然のラッキーで日本はメダルは取れない!」と思っていました。
モントリオールのバレーはBSで2000年前後に放送してもらえたお陰で77年W盃は持っているのですがやっぱり74〜76年の全日本を知らないので是非観たいです。??
5448
:
カルバハル
:2019/01/09(水) 13:43:08
モントリオールオリンピックの日本チームは
世界レベルでも、一つ抜けた実力がありました。まさか2年後の世界選手権でキューバが優勝するとは思いませんでした。モントリオール後、山田監督賞は、これでソ連と2勝2敗で並んだ最終セットは、モスクワオリンピックで決着をつけるとまで、言ってました。東京オリンピックから始まってから続く日ソ対決は最後はモスクワで決まるんだなと思った位でした。その時の主力になるのは矢野と白井のツーセッターと山田監督は青写真を描いてたんですからね。おそらく主力は21才の矢野、吉田、高柳、横山に江上、須藤を考えていたと思いますが、実際はモントリオールメンバーはユニチカの横山だけしか残らなく、予期もしなかった不参加ですからね。モントリオールの表彰台では想像もつきませんでした。年齢的にも十分、金メダルを狙えるメンバーでした。モントリオール後の全日本選手権や日本リーグは荒木田が日立のキャプテンでしたがモントリオールの14人から最終12人を決める時に会田が辞退しましたが日本リーグでスパイク勝を取る大活躍をしました。日立のレギュラーは会田、吉田のレフト、金坂がセッター、高柳がライト、センターは矢野、金子でしたがリーグ途中から金子から江上に代わりました。当時の実況アナウンサーは荒木田がベンチに控えに居て金メダリストをベンチに置いても圧倒的に強いと言われました。確か、このメンバーで主力の岡本、白井、松田、加藤が抜けた日立は全日本選手権の決勝戦でユニチカと対戦して主力が抜けた日立だから、ユニチカが大チャンスでしたが日立の一方的に試合になり3セット目は15-0のパーフェクトでユニチカをシャットアウトして勝ちました。優勝しても日立の選手は全然、嬉しそうでないと専門誌の写真で、ニッコリともしない日立の選手が表彰されてました。白井、松田が抜けても絶対的な女王でしたが、78年世界選手権以降の大会は日立から江上だけがナショナルチームに参加になるとは思わなかったです。
5449
:
カルバハル
:2019/01/09(水) 21:27:28
個人的には
74年のメキシコの世界選手権は驚きました。メキシコ入りする前にレギュラーセッターの松田が怪我で離脱して日本リーグの経験してない。日本リーグで戦う為の経験を積ませる為に金坂克子を、レギュラーに入れた急造チームを作り金メダルを取った時は驚きました。ミュンヘンのベテランセッターの松村、岩原、生沼が引退して塩川はナショナルチームには選出されませんでした。当時はヤシカでトスを上げられる180?のセンター、ワールドカップも経験してる古田敏美がセッターをやると思いましたが、セッターは金坂でした。レギュラーは白井、前田のレフト対角、センターはキャプテン飯田とライトの岡本が対角でセッター金坂は、まだ20才です。対角はセンター矢野18才で若いチームです。ポジションごとに対角には、まだなってませんでした。セッターが松田から金坂に代り一番影響したのは矢野でした。チームは韓国に1セット取られましたが他はストレートで勝ちで決勝戦を迎えましたが、やはり金坂とのコンビネーションがイマイチでした。ソ連は、予選で確かルーマニアに負けてますが決勝戦進出してます。ルーマニアに負けた時も智将ギビ監督だから、ソ連が負けてビックリしたのと何か企んでると日本チームは思ったようです。ソ連はスモレーワがお産でメンバーには入ってませんが、リスカル、サリホワ、ゴノボブレワ、チュリナとミュンヘンで活躍したメンバーにワールドカップで活躍したシュチェチニーナとベルゲン、ソ連のリーグで怪我人が出た王者ディナモ、モスクワを破ったツェカスカ、モスクワのエース、チェルニショワを入れた、メンバーです。とう考えても経験もあるソ連、有利と思いましたが、あれよ、あれよとストレートで日本が勝ちビックリしたのと世代交代が来たのかな?有名で経験のある選手でも怪我や老いには勝てないのか?と思いました。専門誌の評論は、やはりソ連はセッター不足で偉大なブルダコーワに引退の穴を埋めきれてないのが敗戦の原因と言ってたましたが、まさかのストレート勝ちです。表彰式で飯田キャプテンが涙を流してました。これで飯田は引退するなと思いました。日本は ミュンヘンの経験者は白井、岡本、飯田、73年のワールドカップの経験者は飯田と古田の21人、前回のブルガリアの世界選手権の経験者は飯田1人のチームで松田が急遽抜けたのに、よく金メダルを取れたものだと思いました。白井と飯田の実力者に岡本、前田が頑張り若い矢野、金坂をカバーしたチームでした。67年の世界選手権は社会主義国が不参加だったので世界大会は打倒、ソ連でソ連を破ったのは64年の東京オリンピック以来の快挙と騒がれましたが、今から思えば、日本は銀メダルが続いてただけ、なんですよね。負け続けたと言われてもそだけに負け続けただけです。本当にバレーボール界は金メダル以外はビリも同じで銀メダルじゃ負けとしか認めない時代は凄いですよね。78年の世界選手権はキューバに負けて銀メダルでも山田監督は辞任しました。今日は中田久美監督はアジア大会でもメダル を逃し、開催国の世界選手権で有利な組み合わせでも6位でも辞任しないのは、時の流れと共に日本女子はバレーボールの弱体化を感じます。
5450
:
カルバハル
:2019/01/09(水) 21:46:19
74年世界選手権
打倒ソ連を10年ぶりに達成して金メダルを取得したので74年世界選手権のメンバーから、ヤシカの古田、鐘紡の斎藤、日立の会田が抜けて76年モントリオールでは加藤、高柳、吉田が入りました。加藤は74年世界選手権の時は移動バスの窓硝子が割れて手を怪我して選手でなくコーチ参加してます。更にデータ集めで引退した生沼が日立の若手の吉田、高柳を連れて世界選手権に帯同してました。キャプテン飯田は引退しましたがモントリオールはレギュラーではないですがチームのリーダーとして復帰してます。メキシコオリンピックに銀メダルで終わった山田監督は同じメキシコの地で今度は打倒ソ連を達成しました。
5451
:
カルバハル
:2019/01/10(木) 12:22:45
73年ワールドカップ
当時は一年毎にナショナルチーム強化の年と単独チーム強化の年と分かれてました。ミュンヘンオリンピック後で単独チーム強化の年で国内の大会がポイント制でワールドカップ出場の単独チームを決めました。ヤシカはミュンヘンオリンピック後も岩原、浜、飯田かが残り万年2位のヤシカが初優勝しました。ユニチカは主力が抜けて成績不振で日立は若手が延び盛りでした。ヤシカが日本リーグ後に岩原が引退しましたがセッターは西村が引き続きました。日立を振り切りワールドカップの出場権 を取りましたが直近は日立に負けて韓国にも負けてたので、ヤシカ単独でワールドカップに出場して良いのか論議もありました。ワールドカップは南米ウルグアイのモンテディオで南米チーム主体の大会でヨーロッパからはソ連が参加しました。日本は勝ち進みましたが韓国にはフルセットの大熱戦になり勝ちました。試合後、控え質で飯田は痙攣を起こして救急車に運ばれて、その夜は病院に入院しました。他にも古田も痙攣を起こしてます。次のソ連戦はスモレーワが新キャプテンになりリスカル、サリホワ、スモレーワの攻撃にドユノワとブルダコーワが抜けましたがセッターは174?のベルゲンと若手のシュチェチニーナの大活躍でヤシカ日本は銀メダルでした。浜は引退してヤシカも世代交代になってきました。この時、優秀選手が豊作の55年入社組で最初に控えながら3大大会に参加したのは中村高校出身の川口朱美がいました。その後、ヤシカの業績が悪くなりヤシカバレー部は解散して日本電機に引き継がれますが船山監督から大沢監督に代り強化方針に疑問を持った主力の永野や川口が引退して滑川、吉永、千葉、が主力に変わります。飯田はヤシカ所属で引退しました。その73年は日立とユニチカ、韓国、北朝鮮の間でクラボウを退社して引退した白井の獲得競争が水面下で激しくおこなわれたんですよ。そして白井を獲得した日立の第2期黄金時代に入りモントリオールオリンピックの金メダルに繋がりました。
5452
:
カルバハル
:2019/01/10(木) 14:53:59
白井獲得の
本命はユニチカでした。小島監督はミュンヘンオリンピックの監督だし白井はミュンヘンオリンピックのキャプテンの松村勝美の世話をうけてました。残念ながら表面上は日立とはパイプは、無かったですが結果、日立に入社しました。日立に入社した時は移動バスの中でも白井は早く仲良しになり日立のメンバーに認めて欲しいからバスの移動中、1人でカラオケで歌を唄つた話は少し有名です。白井が仲良くなりたいから、チームに、媚びるような事をしたのは、これが最初で最後だったと聞いてます。また似たような話しでモスクワオリンピックの幻の代表に三屋が選ばれて同じ年のユニチカの広瀬と、とても仲良く、同じチームに入るような夢話をしてた話しがありました。ユニチカに三屋はいくと思いましたが表面上はパイプのない日立に三屋は入りました。裏工作が上手だと言った山田監督の話は噂ではありました。その後も優秀な選手は、皆、日立に入社して飼殺し状態だった選手は沢山居ます。自分が活躍出来るチームを選択しないで根刮ぎ日立が持っていきました。
5453
:
アルタガモワ
:2019/01/11(金) 15:59:24
ミュンヘン五輪
私が持ってるDVDのミュンヘン決勝・・・白井選手がコートの外からふてぶてしくガムか?何か?噛んでいるシーンがあります。
でも今更ながらですが何んで小島監督さんは第5セット白井選手をバックライトからオーダーしたのでしょうかね?本当に勿体無いミスですよね。
普通だとバックレフト或いはフロントレフトからのスタートしていれば・・・。でもそのミスが次の完全圧勝のモントリオール五輪に繋がったのかもしれませんね。もしミュンヘン五輪で白井選手をコートに立たせてオーダーミスせず優勝していたら次のモントリオールには白井と飯田選手は居なかったでしょうね。昔は二十代前半から半ばで引退していたので・・・。
そしたらモントリオール五輪では樹理がレギュラーだった様な気がします。82年世界選手権後に樹理が「体力の限界」とコメントして引退する形では無く樹理は若くて引退していたかもしれませんね。
兎に角74〜76年の全日本や日本リーグのビデオが観たいです。
5454
:
カルバハル
:2019/01/11(金) 16:27:37
ミュンヘンオリンピック
5セット目のスターテングオーダーは専門誌の文献では小島監督は島影アウト、白井インと指示しました。オーダー表に書き込んだのは小山コーチです。小山コーチは小島監督の言う通り記入してるのですが、さ慌ててたのか?普通のスターテングオーダー表の島影も白井を変えただけでした。やはり確認を怠ったんでしょう。少し考えれば、何故、白井を先発メンバーにするのかはわかるはずですが、なんせオリンピックの決勝戦、しかも公式練習を入れたら3時間位経過した試合、日にちが1日伸びて体調の調整も大変だった事もありますが、5セットもですが3セットも追い付いてもギビ監督のタイムアウトやブルダコーワを入れたり、リスカルが決められて逃げ切られてます。やはりギビ監督の経験値が一枚上ですね。メンバー的にもソ連は日ソ対抗で1勝5敗で大きく負け越すようなメンバーではありません。ギビ監督を入れて、リスカル、スモレーワ、ブルダコーワ、サリホワと5人もバレーボール殿堂入りしたメンバーです。日本は若い白井だけです。古川と飯田が生理になったようですが、やはり二人共動きが悪いです。それでも飯田はフル出場、古川も殆ど出てますから日本は、やはり層も薄かったんでしょうね?よく浜が、もっと出場機会を長く与えていたら展開は、違ったとも言われてます。
5455
:
カルバハル
:2019/01/11(金) 21:34:12
ミュンヘンオリンピック
金メダルだったら少なくとも飯田は引退してたでしょう。岡本は日立主体のチームでモントリオールは出場してたでしょうね。白井は気まぐれだから、判りませんが若いからモントリオールには出てたと思いますよ。飯田が居ないなら、金メダルは取れたと思いますが、完全優勝は?難しいでしょう。山田監督も小島監督に先を越されたから必死で日立主体で頑張るでしょうね。ミュンヘンオリンピックで金メダルだったら打倒ギビ監督は、山田監督は、叶わなかったかも知れませんね。負けたらギビ監督は辞めてたと思いますよ。リスカルとスモレーワは残ってと思います。スモレーワは、まだ若いしリスカルはディナモ、モスクワの選手で無いですからね。ミュンヘンオリンピック勝ってたらオリンピック2連覇も出来たでしょうね。白井と松田はモントリオールで引退したと思います。ワールドカップ77は、逆に開催国でしたが、危なかったかも?知れません。
5456
:
カルバハル
:2019/01/11(金) 22:14:48
ミュンヘンオリンピック前
単独チームではユニチカとヤシカの主導権争いでした。日本リーグの最終戦でヤシカがユニチカにストレート負けしたので優勝がユニチカに転がり込んで3連覇で70年の世界選手権に続き小島監督のナショナルチームでした。ヤシカなら船山監督のナショナルチームで岩原がセッターでキャプテンで生沼とツーセッターだったでしょうね。飯田、浜、岩原、生沼、古川、山下がレギュラーだったかもしれませんね。白井は入ってたと思います。控えに松村がセッターだったでしよう。結果はユニチカ主体のナショナルチームでしたが個人的には島影より浜がレギュラーになった方が良かったかな?と思います。まあ善戦は、すると思いますが、やはりソ連の方が強かったと思います。リスカルも決勝戦が延期して生理になりましたが延期してなかったら、古川、飯田も。もっと活躍出来たと思いますが、リスカルが、更に強打を決めてたと思います。延期がなかったら、5セット目のオーダーミスがなかったら、もっと素晴らしい大熱戦の試合になってたと思います。日ソの実力の差が接近してた大会ですからね?しかし、あのミュンヘンオリンピックの決勝戦を見ると、ワンタッチを数えるルールと数えないルールとでは攻撃のバラエティーが違います。モントリオールまでブロックのワンタッチを数えましたが、ミュンヘンオリンピック男子やモントリオールの女子は韓国女子は器用にコンビバレー をしてたとおもいますよ。ワンタッチを数えないルールの採用が遅かったらキューバの世界チャンピオンも78年は無かったと思います。ワンタッチを数える数えないでバレーボールは大きく変わりました。また小島監督が考えたキューバの強打を少しでも触りボールの勢いを弱めて拾うバレーも生まれなかったでしょうね。日本に有利にルール改正は出来ないでしょうか?東京オリンピックの魔女の時はスパイクに対するオーバーネットも禁止でしたからブロックは両刃の剣でした。
5457
:
アルタガモワ
:2019/01/12(土) 11:19:02
嶋影選手って
ミュンヘン決勝でサーブの時に大きな声を出して場内がザワツいていた選手でしたっけ?
小学二年生の私には何も分からず当時は「サインはV」や「アタックナンバーワン」の方が入りやすかったもんで・・・特にジュンサンダースが格好良くて好きでした・・・高校生の頃荒木由美子さんの「燃えろアタック」もう一度観たいです。
5458
:
カルバハル
:2019/01/12(土) 15:58:18
島影せい子
酒田商業から日立に入社して日立はレギュラーが不動でユニチカに移籍した選手です。日ソ対抗でピンチサーバーに出てセットの度々に出場して全部サーブミスした話は小島監督の笑い話しの1つです。ミュンヘンオリンピックでは浜がレギュラーに入ると思いましたが島影がレギュラーに入りました。ユニチカ主体のチームだったからでしょう。ミュンヘンオリンピック決勝戦は白井と交代した選手です。ミュンヘンオリンピック後はユニチカのキャプテンをつとめた時は小島監督が一番きかん坊がキャプテンになったと言ってました。サーブを打つ時は大きな声を出してミュンヘンオリンピックの時は人気者でした。バレーボールを引退した後はプロゴルファーに転向して1勝をあげてます。見た目もボーイッシュな感じの選手です。
5459
:
昔話
:2019/01/13(日) 13:34:13
ミュンヘンオリンピック
日本リーグ最終戦のユニチカーヤシカが行われる前に、全日本監督は小島氏に決まっていたので
ヤシカが優勝していても全日本メンバーは同じだったのではないでしょうか。
まあ妥当なラインナップでしたし。
レシーバーの山崎八重子が外れてヤシカの永野か古田が入ったかもしれませんね。
但しレギュラーは島影の代わりに浜だったかも。
浜はレフトもセンターもできてオールラウンダーでしたが、地味でおとなしい感じだったので
小島監督の好みではなかったのかもしれません。
ムードメーカーで人気があった島影やリリーフサーバーの定番だった山崎のほうが客受けが良かったと言いますか。
次の世代のホープだった岡本と白井も結構出番がありました。
ヤシカが優勝していてもセッターは松村と生沼だったのではないでしょうか。
特に松村はサーブとレシーブも良く、チームの精神的な柱だったので控えに回ることはなかったんじゃないでしょうか。
東洋の魔女の生き残りでユニチカのキャプテンですからね。
岩原は選手としてはピークを過ぎていて、いざというときにベンチから出ていくというサポート役が合っていたと思います。
誰が出ていてもソ連有利は動かなかったんじゃないでしょうか。
リスカル、スモレーワ、サリホワと強力なアタッカー陣が揃い、ブルダコワもまだまだ元気でしたから。
日ソの最終戦は飯田と古川がソ連のブロックにマークされ、なかなか決まりませんでした。
それから当時の全日本ですが、基本形はレフトに古川島影、センター松村生沼、ライトに飯田と山下の対角になっていました。
島影はレフト、山下はライトにほぼ固定されていて、その他のアタッカーは色々なポジションを担当していました。
5460
:
カルバハル
:2019/01/13(日) 16:34:56
そーですかね?
岩原豊子はミュンヘンオリンピック後も日本リーグでセッターしたり、ヤシカが解散する前は復帰してセッターしてましたよ。力は、またまだあったんじゃないでしょうか?メキシコオリンピックでも生沼、高山のツーセッターにアタッカーとして出てましたし、ブルガリアの世界選手権は松村とツーセッターを組んでました。岩髭もリード力はありし、松村より攻撃力はありますからね。また日本リーグでヤシカが優勝したら監督は小島監督と決まってましたが船山監督に 変更は十分あったと思いますよ。何故なら小島監督でブルガリアの世界選手権はソ連に負けてますからね?何れにせよ、ユニチカがヤシカを破り小島監督になりました。個人的にはユニチカ主体のチームですが浜をレギュラーに使って欲しかったです。メキシコオリンピックも経験してるし攻撃力は島影より浜の方がありからね?小島監督はユニチカの選手の方が使いやすかったでしょう。 また確かにソ連の方がメンバー的にも上ですが日ソ対抗はソ連が大きく負けこしたのは、やはり、ギビ監督の作戦たったんでしょうか?確かにチュリナは日ソ対抗には参加してませんが、それだけで大きく負け越しとは思えません。
5461
:
昔話
:2019/01/13(日) 16:35:17
追加
白井をファイナルセットでバックからスタートさせてしまったことは度々話題になりますね。
それと終盤での飯田のサーブミスですが、私はそれが決定的な敗因になったとは考えていません。
多少影響があったかもしれませんが、後日それを知ってもそんなことがあったのかぐらいで。
ファイナルセットは中盤で一気に離されましたね。
当時の白井はモントリオールの頃の実力には程遠く、どんなトスでも決めてくれる大エースではありませんでした。
岡本もまだまだでした。
ファイナルセットでは白井のスパイクにソ連のブロックがあってきましたね。
私がファイナルを実際に見て思ったのは、ソ連よく拾うなと。
対抗戦で決まっていた攻撃が決まらなくなり、ラリーになってもソ連が粘りを見せ、ラリーは殆どソ連が取っていました。
日本のフェイントを警戒したレシーブシフトを取っていたらしいですが、それも功を奏したのでしょう。
加えて、テレチャコワ、ドユノワ、チューリナなどの長身アタッカーも高さと馬力のあるスパイクを決めていました。
70年の世界選手権からは日ソの距離が縮まっていたものの、選手層、経験値、個人技の点で、
日本が追いつき追い越すまでに至ってなかったのではないでしょうか。
そして日本は速攻とコンビが少なかった。
センター攻撃もセミクイックやセンターオープンが主体で、メキシコのチームのほうが
A、Cなど速い攻撃を絡めていたんじゃないでしょうか。
コンビに至っては古川の時間差が一度あったきりでしたね。
そんなこんなでソ連が勝つべくして勝ったんじゃないでしょうか。
生沼さんは後日、ミュンヘンではソ連の強さを思い知らされたと語ってしましたね。
ミュンヘン五輪の日ソ戦となると、判で押したように、生理が、白井のローテが、飯田のサーブミスがと
その話にばかりになるのが不思議でなりません。
5462
:
昔話
:2019/01/13(日) 16:48:00
データとしては正確なんですが
カルバハルさん
当時の国際試合やリーグ戦などを実際に見たうえで、松村生沼より岩原だと思うんですか?
カルバハルさんのおっしゃってることはすべて事実ですが、失礼ながら、
雑誌やデータベースに載ってることを書いてるだけで、実際に当時の試合をみていたんだろうかと。
何か大事なことが抜け落ちてるというか、試合を見てたならこう思わないんじゃないかなということが度々あります。
その辺はどうなんでしょうか。
まず、小島監督の就任は決まっていました。
オリンピックまで数カ月しかなかったし、ヤシカが優勝していたら船山監督に変更というのはなかったと思いますよ。
私は浜選手のファンだったのでもっと試合に出てほしかったですが
当時のチームには島影のほうがフィットしているだろうということで納得していましたし
正直、あのチームでは浜でも島影でもさほど戦力的に違わなかったんじゃないかなと。
もちろん浜さんは素晴らしい選手でしたが、日ソ戦に浜さんが出ていたら日本が勝っていたと思うかと言われると
そんな簡単なことじゃなかっただろうなと。
むしろ、ヤシカ勢にはオリンピックの後日本リーグで優勝してユニチカ勢を見返してほしいと思っていました。
それからあのチームで松村を控えに回すことはありえないでしょう。
生沼と岩原でも攻撃力、ブロック力など、総合的に生沼でしょう。
当時岩原さんはヤシカでもほぼセッター役に徹していましたよ。
ヤシカが若手に切り替わり成績不振に陥った時セッターで復帰しましたが
心意気は立派だったものの戦力的にはそれほどプラスになりませんでしたね。
2勝位しかできなかったでしょう。
あれは戦力うんぬんよりチームを鼓舞する意味合いが大きかったと思います。
5463
:
昔話
:2019/01/13(日) 18:10:56
?
>日ソ対抗はソ連が大きく負けこしたのは、やはり、ギビ監督の作戦たったんでしょうか?
あの年の日ソ対抗見ましたか。
カルバハルさんはソ連が大きく負け越したのは何が原因だと思いましたか。
5464
:
カルバハル
:2019/01/13(日) 18:34:23
セッターだけなら
松村、総合力なら生沼でしょうね。ただ、チームがツーセッターですから松村はジャンプ力が無いしツーセッターにするには、勿体なと思いますね。キャリアは、ともかく塩川の方がツーセッター向きですね。どうも松村がツーセッターするのは一枚攻撃力が、少なくソ連のブロックのマークが松村がアタッカーになった時は松村にはノーマークでも、どうせ打って来ないと思います。ミュンヘンオリンピックで松村のスパイクが隠し玉とも言われてましたが実際は、大したスパイクは打ってませんからね?また松村、生沼のツーセッターでも松村がチームをリードするなら、島影は要所要所出て浜がレギュラーの方が善戦できたような気がしました。またチュリナ、ドウユノワは高さはあるがパワーはリスカル、スモレーワより感じませんね?どちらかと言うと高さと手首の強さで打ってる感じしますね。ソ連は、おっしゃる通り守備が良かったです。5セット目は白井のスパイクに対して、ゆっくりブロックを飛び白井のスパイクがブロックに当たるようになりましたね。飯田のサーブは、追い付いたて感じの、ところでミスしたのは、やはり選手の気持ちとして、ガックリするのは事実でしょう。サーブミス後は試合の流れはソ連にいきましたからね。最後は、あっという間にポンポン点数、取られましたからね。いっきにペースは、もっていかれたと思います。メンバーからしてソ連の方が私も上だと思いますが力の差は6対4位だったので6対4なら、十分ひっくり返す事は出来ると思いますよ。まあ、それが、叶わなかったのは事実ですけど、運も、日本には無かったでしょう。相手の土俵で試合をした感じです。6対4で劣勢で白井が馬鹿当たりしてたので、或いは勝てるかもと期待したんですけど残念でした。しかし負けましたが、試合事態はモントリオールオリンピックの決勝戦より遥かに面白い試合でしたね。また監督は小島監督と決まっても日本リーグに負けてたら、ひともめ、あった感じしますね。何故なら78年のナショナルチーム監督は山田監督と決まっても世界選手権後、山田監督は辞退しました。また第5回の世界選手権も小島監督と決まってましたが小島監督は辞退してます。決まってからって監督が変わる事てバレーボール界は、ある事です。なので負けたら船山監督になった可能性は、なきにしもあらずです。
5465
:
カルバハル
:2019/01/13(日) 22:08:56
あの時の日ソ対抗
記憶の果てにしか無いですが、試合内容は接戦だったと思いますよ。日本が2セットダウンから逆転した試合とかも、ありました。メンバー的にはソ連の方が強そうだですがソ連は負け越しました。専門誌だと、ブルダコーワが老齢化で動きが遅くて、控えのセッター、レオンチェワも歳を取り、動きが鈍く、ゴノボブレワの評価が高かったと思いますがゴノボブレワは身長が166センチでブロックが低くなりますからね。しかし本番のミュンヘンオリンピックは先発はブルダコーワでした。ブルダコーワは5セットは、疲労か?ベンチでした。勝手に思うのは、ブルダコーワが日ソ対抗、負け越した原因かも知れませんね。後は、レギュラーは、テレチャコワとサリチェワ、どっちが本番は先発か?でしたが、テレチャコワが先発でサリチェワは、あまり活躍しませんでした。
5466
:
カルバハル
:2019/01/13(日) 23:06:15
記憶だと
サリチェワは70年世界選手権はレギュラーだったような記憶です。ガルシカはメキシコもミュンヘンもレギュラーでした。ガルシカは専門誌で飯田と比べられた特集がありましたが世界デビューは早かったけど飯田の方が評価は高かったですね。ミュンヘンの決勝戦はドユノワ(旧姓ガルシカ)は、まあまあの活躍してましたね。背が高いからボールを押し込んだりネット上の処理は長身だから上手でした。また長身でありながら、ドユノワもチュリナもレシーブ力はありましたね。確かに日ソ対抗よりミュンヘンのソ連の守備は良かったです。しかし確かに内容は接戦でしたが1勝5敗は差がつきすぎてました。個人的には大きく勝ち越してるから本番のミュンヘンもいけると思いました。選手はミュンヘンオリンピックのメンバーの選考があるから手を抜いたりしないと思います。やはり、あそこまで日ソ対抗の差が勝敗だけついたのは、ギビ監督が、日本を油断させた作戦じゃないでしょうか?ミュンヘン本番の試合はテレビ観戦してましたが、観客として、3ヶ月前は、あんなに勝ち越してたのに、ソ連が有利な試合運びで、あれ?随分、日ソ対抗と違う試合ペースはソ連ペースだと慌てた感じで観戦してました。観客としても、初めから勝てると思ってみてた油断はありました。チームにも、あったんじゃないでさか?
5467
:
昔話
:2019/01/14(月) 01:14:23
ミュンヘンオリンピック
私は日本が1セット目を落としたところで日本危ないなと思いました。
強いソ連が復活していたからです。
塩川の速攻がソ連相手にバンバン決まったとも思えませんけどね。
実際、生沼とのコンビで何度か速攻を仕掛けましたが一度も決まりませんでしたよね。
オリンピックの大舞台で塩川レギュラーは経験不足で無理だったでしょう。
全日本監督の交代劇は何度かありましたが、所属チームの順位が変わったなど自然な流れからででしたし、
大事な大会の数カ月前に替わったことなかったでしょう。
ありましたっけ?
71年度の日本リーグ最終戦はご覧になりましたか。
試合が終わった後ユニチカの主力メンバーが小島監督を囲んで、小島監督の話を聞くところが放送されましたよね。
あれを聞いても、たとえヤシカが優勝したとしても監督交代はなかったでしょう。
オリンピックまで半年もなかったんですよ。
カルバハルさんはセンセーショナルなことに興味を惹かれるのかもしれませんね。
飯田さんのサーブですが、相手がマッチポイントを握っていて切羽詰まった場面ならいざしらず
ソ連12−11日本でしたよ。
あのミスで本当にコートにいた日本人選手、戦意喪失するほど意気消沈したんでしょうか。
本人たちに聞いてみたいですね。
飯田さん自身はそれほどでもなかったようでしたが。
仮に飯田さんのサーブが入っていたとして、それで日本が勢いづいたと思いますか。
飯田さんはサーブの名手ではなく普通のサイドハンドのサーブでしたよ。
ソ連に攻め返されてサイドアウト取られていたのでは?
ファイナルセットは前半でソ連に8ー2と離され、中盤で11−6にされたあと、日本が粘りを見せ
11−10、12−10、12−11と追いすがりましたが、追いつくことができず
この辺で精根尽きてしまったんじゃないでしょうか。
その後ソ連が3連続得点して15−11でゲームオーバーでしたが、この試合各セットとも
流れが来たほうが4点、5点と、連続して得点を取る得点経過でしたね。
5セット目、終盤ソ連が日本に追いすがられたものの、常にリードを保ち最後に日本を突き放したと。
5468
:
カルバハル
:2019/01/14(月) 08:13:57
確かに
そうですが監督交代は78年アジア大会の時とか、生沼さんが急遽アジア大会で監督したりと、のちになりますが、今まであります。また70年世界選手権は浜、小野沢、古川、松村、岩原、山下のレギュラーメンバーで古川が怪我で飯田がユニバーシアードから合流してレギュラーとして活躍しました。浜の方が島影より経験はあります。ミュンヘンの決勝戦は1セット目を失った時は、あれとは?思いましたが、白井の馬鹿当たりもあるし、山下も頑張ってましたから、駄目かな?追い付けないかな?と思ったのは14点目にリスカルに両手でフェイントを決められた時は、追い付かないと思いましたが1セット目、落とした時は、まだ反撃出来ると思いました。だだ日本のバレーボールよりソ連のバレーボールの方がポジション毎にレフトはスモレーワとルスカル、センターはテレチャコワ、ドウユノワ、ライトは両手使いのサリホワとセッター、ブルダコーワとしっかり、ポジションが決まり対角になり役割分担が出来て日本は実力順と言うか?センターの古川、飯田、生沼と3人レギュラーで対角でもない、ハッキリと専門のポジションと役割り分担できてないく、ソ連の方がバレーボールが進んでた感じもします。
5469
:
昔話
:2019/01/14(月) 11:01:05
???
カルバハルさん、情報の整理ができてない言いますか、少々混乱なさってるようですね。
あなたが言うところの大事な大会直前での監督交代と、生沼スミエがアジア大会だったかで
監督に抜擢されたのはまったく状況が違いますよね。
あれはアジア大会は生沼さんに任せようということであって、監督交代劇じゃなかったでしょう。
確かに浜はメキシコ五輪でも活躍しましたし、ブルガリアの世界選手権では浜が先発で島影は控えでしたが、
どっちが実力的に上かはさておき、ミュンヘンのチーム構成では島影がレギュラーでもおかしくはないでしょう。
私はそう思って納得してましたし、島影も北朝鮮戦までは別に悪くなかったですよね。
くり返しになりますが、浜さんが出ていたら日本が勝っていたと、そういう簡単なことではないと。
ただ、浜さん、ソ連戦まで一度も出番がなかったんですよね。
岩原さんは序盤のさして大事じゃない試合にちょっと出ただけでしたが、ユニチカの塩川や
山崎は結構出番があって、若手の白井と岡本も何度か使われて、この辺の選手起用の仕方、
子飼いの選手を優先する小島さん徹底してるなとは思いましたね。
それから当時はソ連もはっきりとポジション分けされてなかったですよね。
リスカルはレフトだけじゃなくてライトの打数も多かったですし、サリホワもそうでした。
スモレーワもサイドだけじゃなくセンターから打つこともありましたし、ドユノワやテレチャコワもいろんなところから打ってましたよ。
北朝鮮や韓国やキューバも当時はそんな感じでした。
分業バレーが進んでいったのは70年代も終わりの頃からだったでしょう。
5470
:
カルバハル
:2019/01/14(月) 13:45:54
(無題)
浜が出てたら勝つとは思ってません。善戦出来たかも?知れないと思っただけです。また日本リーグに
ヤシカが勝ったら監督は変更になる可能性もあったかも?と勝手に想像しただけです。またソ連のポジションはスタメンはボジションごとに綺麗に対角になっていた話しです。日本は、そごで、すっきり決まってない事を言っただけです。5セットはリスカルはスタメンじゃないしスモレーワとチュリナが対角で始まりました。最後の最後はリスカル、スモレーワは前衛に二人共、いました。まだ完全にポジションは決まってなかったでしょう。ところで過去の試合の事を色々言うのは想像して勝手に言うのは考えを言うのは自由だと思います。また記憶も薄いなった過去の話しを誤りもあるかも知れませんが、あまり名指し揚足とる事は、あまり気分が良がよくありません。出来れば自分の意見だけにしてもらえないでしょうか?事実はミュンヘンはフルセットでソ連が勝ったんですから、それに対して色々な意見があっても良いと思います。
5471
:
カルバハル
:2019/01/14(月) 14:10:10
飯田のサーブは
サイドハンド野山なりサーブです。専門誌にも書いてありますが、山なりの安全サーブです。よーするにミスはしない事が、打ってある程度、計算出来るサーブです。よってチームはソ連の攻撃を一本拾って、12-12にし、追い付けると気分的には、盛り上がった場面です。サイドアウト制のルールでバレーボールを経験した方なら、わかると思いますがチームがリズムに乗ってる時はドンドン得点が入るチャンスです。そこで入ると思ったサーブが入らなかったら、チームの精神的なダメージは飯田選手は、可哀想ですが、何らかはあるでしょう。逆にジリジリ追い上げられた。ソ連は、一本ミスでリズムを切っらたのは幸いと思いますよ。試合の流れからして飯田のサーブミスは、ホイッスルを聞き間違いたとか、疲労困憊で慌ててサーブを打ったとか、色々ありますが残念なサーブミスです。飯田も、周りから、お前のサーブ、お前のサーブがと責められたようですが、飯田も、屈辱でしたと言ってましたね。一本のミスやプレー、あるいナイスなプレーで試合の流れて不思議とバレーボールは変わるのは経験は判ると思いますが、ありますね。ソウルオリンピックのペルー戦での丸山のホールディングもチームのムードがかわりました。メキシコオリンピックのスタートのスモレーワのブロック、ロスの中国戦の梁 艷のスタート時のブロックなどなど、ペースがいっきにガラリと変わるワンプレーてありますからバレーボールが面白ところですね。
5472
:
カルバハル
:2019/01/14(月) 18:48:44
揚げ足はとるつもりないけど
70年の世界選手権は島影って?メンバー入ってたんですかね?記憶が、遥か昔で。あやふやですが居なかったかも?しれませんね。あの大会は確か決勝リーグは北朝鮮と第1戦で当たり大接戦で第2戦がソ連で大会日程でソ連有利の試合日程だったのが残念ですね。勝ち負けは、ともかく体力的に日本は不良でしたね。71年ミュンヘンのプレオリンピックは日本はハンガリーにフルセットで苦戦しましたがソ連にはストレート勝ちしました。やはりソ連に対して本番のミュンヘンオリンピックは油断があったんでしょうかね?
5473
:
カルバハル
:2019/01/14(月) 19:48:54
やはり記憶が薄いですね。
島影は70年世界選手権参加してましたね。古い話は、混同もしますね。
5474
:
カルバハル
:2019/01/14(月) 21:40:39
完全パーフェクト試合
古い専門誌の情報でしたが1978年のアジア大会の初戦の対タイとの試合でした。試合開始のサーブ権はタイが持ってましたが、サイドアウト後、サーバは水原でした。その後、1回もローテーション無しで水原が15本サーブを打って1回も日本のコートにボールが落ちなかったようです。当時は確かスポーツニュースで聞いた覚えがありますが、はっきりと覚えるのは対戦相手がタイでしたが78年のアジア大会だったんですね。当時は世界選手権でキューバに負けて山田監督が自任して小島監督に急遽変わり、ユニチカ主体のチームにナショナルチームに変わった時でしたね。郎 平が国際デビューした大会でもあります。今はアジア大会でタイにもストレート負けしますから時の流れを感じますね。
5475
:
昔話
:2019/01/15(火) 11:35:44
揚げ足取り?
私もカルバハルさんの揚げ足を取ったつもりありません。
カルバハルさんがあれこれ想像して楽しむことにとやかく言うつもりありませんが
私の考えとは違うところがあったので、私はこう思ったがどうだろうかと書いたまでです。
それと私の記憶や認識と違うことがあったので、こうだったんじゃないですかと確認したまでです。
ミュンヘンオリンピックの日ソ戦になると、日程がずれて生理が始まったメンバーがだの
白井のバックからスタートしてしまったことだの、飯田のサーブミスがだの
そんなことばかりになってしまって、それが日本の敗因のように言われるのがどうも納得できないし
残念でなりません。
そんな試合じゃなかったし、本当に名勝負で、他に語るべきことがあるだろうと。
バレーボールの専門誌などでも、選手起用の仕方やレシーブシフトの敷き方など
専門的な視点から試合を分析した記事もあったんですがね。
ソ連のほうが進んでいたというのはどうでしょうか。
同タイプの選手が対角に入っていたという点では確かにすっきりしてると言えるかもしれませんが
進んでいたというよりソ連のほうがオーソドックスだったんじゃないでしょうか。
ワンセッターとツーセッターの違いもありますよね。
この辺のこと、近代バレーのレフト、センター、ライトの枠割と重ねてみてしまうとややこしくなりかもしれません。
特に女子は当時からだいぶ変わりましたから。
古川と島影は確かユニチカでも体格を組んでましたよ。
古川さんもヤシカの浜さんもレフトとセンターもできて、浜さんのレフトオープンなかなかパンチがありました。
なので私など古川さんや浜さんがセンタープレーヤーと言われると違和感があります。
5476
:
アルタガモワ
:2019/01/15(火) 11:43:07
今度は・・・
カルバハル様、昔話様の情報凄く感心させられている以上に当時を「観ている」と言う事は御互いに凄い「財産」だと私の様に若い世代には羨ましい限りです。
今度は私も少し参加出来たりおぼろ気ながら記憶に有る様な無い様なモスクワ〜ロス五輪までのお二人のお話しをお聴きしたいです。
5477
:
昔話
:2019/01/15(火) 13:21:57
セッターとコンビバレー
男子はミュンヘンオリンピックの頃には現在のポジションの枠割分担に近い形ができてましたね。
サイドアタッカーは速攻をやらずにオープントス専門で、センターは速攻、時間差、
ネットの真ん中にいてブロックで相手の攻撃を邪魔する、ライトは補助攻撃的な役割。
今はセッター対角はスーパーエースですが。
女子は当時は実業団のチームはツーセッターが主流で
打てるセッターを二人用意できない時にはやむなくワンセッターと。
ツーセッターのメリットは攻撃の枚数が増えることとブロックで穴がなくなることでしたね。
松村もブロックでは穴になってなかった。
その後女子も男子みたいなコンビバレーを取り入れるようになり、より早く、複雑にとなり
今みたいなスペシャリストの分業化が進んでいきました。
江上などたまにセンターオープンを打つことがありましたが、攻撃は殆どセンター攻撃しかしませんでしたね。
そして常時ブロックのかなめになっていました。
ツーセッターにもメリットがありますが、そもそも打てるセッターを二人用意することが大変ですし
アタッカーが二人のセッターに合わせなければいけなかったりと面倒なことが多いですから
速さと正確さを追及してワンセッターに切り替わったのでしょう。
70年代の後半にはワンセッターが主流になっていました。
その後のことは皆さんのほうがはるかに詳しいでしょうから、お任せします(笑)。
5478
:
アルタガモワ
:2019/01/15(火) 13:58:49
ありがとうございます。
昔話様情報分かりました。私がバレーやったり観たりしていた時代のバレーは完全にワンセッターでしたが何故だか?私の高校時代はセンターのツーセッターでライトが二人居て・・・結局私は一年後輩にポジションを取られてしまいました(但し後輩の方が身長パワー、断然彼との違いは中学生時代から培われていたバレーがきちんと叩き込まれていました)。
私個人の考えはやっぱり日本人は専門職のワンセッターの方が旨く行く様な気がします。
5479
:
カルバハル
:2019/01/15(火) 14:36:40
ワールドカップ77
女子は日本とソ連以外はツーセッターでしたね。そのうち、ワンセッターのチームが徐々に増えてきました。韓国はツーセッターからワンセッターに変わりましたが体格差をアタッカーの数でカバーしてました。劉敬花、尹 英乃 、柳 貞恵など打てる優秀なセッターが居たのでワンセッターに、わざわざ変えるのは勿体無いとも思いました。逆にキューバのツーセッターはトスが上げられるアタッカーて感じでした。キューバが絶対王者の時代もツーセッターでした。ツーセッターはチーム作りは難しいですが大型セッターを育成するには中学、高校生時代はツーセッターにして鍛えて貰いたいです。
5480
:
カルバハル
:2019/01/16(水) 06:59:45
実現はしなかったけど
故山田監督は全員左利きのチームやスリーセッターとかも考案してましたね。スリーセッターて?どんなチームになるんでしょうね?どんな感じだったか当時の日立所属選手に聞いてみたいです。大松監督の回転レシーブは最初は選手を床に寝かせて転がってみろから始まったと谷田が言ってました。今は、なかなか、そんなアイデアは出ないんでしょうか?
5481
:
昔話
:2019/01/16(水) 10:51:59
ワールドカップ77
日本の全試合だけでなく外国勢同士の対戦もいくつか放送されて面白かったですね。
キューバの選手はすらっとしてて手足が長く、ペレスやポマレスが男子みたいな豪速スパイクを見せてくれて
中国もすらりとした長身選手で固めていて、レフト、センター、ライトと、どこからでも攻撃できブロックも良かった。
アメリカはまだ粗削りでしたが、ハイマンを中心に中国以上に高さがありました。
韓国は全員がピョンピョコ動き回って早いバレーを仕掛けて、
セミファイナルリーグのキューバ―、中国、韓国の三つ巴の対戦は、違ったスタイルのチームの対戦が見られて興味深ったです。
小さい韓国が大きい中国に勝ちましたね。
中国とキューバの強化が進んでいたことに驚きましたし、アメリカもポテンシャルの大きさを感じさせました。
ソ連が無名の若手ばかり送ってきたのは残念でしたが、そう遠くない将来に日ソの時代が終わるんじゃないかと予感させる大会でした。
5482
:
カルバハル
:2019/01/16(水) 14:10:19
ソ連
ワールドカップ77、確か最下位だと思います。日ソ対抗のメンバーとは全然違う若手メンバーを連れてきてキャプテンがボロズナで、のちのマカゴノワ、バジューク位しか、その後、活躍した選手は居なかった気もします。モントリオールの敗因がミュンヘン後、若手の切り替えがギビ監督が失敗したからとチューリン監督は言ってましたが、ジュニアのような若手に切り替え過ぎと思いました。ベテラン勢が引退した訳でもないし、日ソ対抗もソ連は連敗をストップしてました。スモレーワやシュチェチニーナ、チェルニショワ、ムラジャン、などモントリオールのメンバーも残っていたし、ソ連はレニングラードの世界選手権やモスクワオリンピックを控えてるのに、ワールドカップ77のメンバーは何故あそこまでと思いましたし、チューリン監督の世界デビューの大会です。ミュンヘンでは、コーチでした。今でも理解出来ないメンバーです。
5483
:
昔話
:2019/01/17(木) 11:38:24
ソ連77
当時のワールドカップは歴史が浅く重要な大会じゃなかったので
ソ連はいわゆるBチームを送ってきたとさんざ言われてました。
私は覚えてなかったのですが、ボロズナがキャプテンだったらしいですね。
ボロズナは確か71年の日ソ対抗で初来日してスモレーワに続く若手として期待されてました。
ミュンヘンの代表にも選ばれましたが、まだ十代であまり出番はなかったですね。
マカゴノワも代表だったんですか?
だとしたらその後のナショナルチームに少しはつながったのですね。
ミュンヘン五輪の先発メンバーを今の視点で考えてみました。
こんなのはどうでしょうか。
古川―浜、生沼―飯田、山下―松村、山崎
レフトは攻守にオールラウンドな古川と浜で、控えに成長著しかった岡本と白井と元気印の島影。
松村のワンセッターにして生沼は速攻とブロックでセンターに専念し、塩川がセンター兼セッターの控え。
岩原は控えセッター兼レシーバー。
飯田と山下はセンターとライトで計算できるポイントゲッターとして頑張ってもらう。
山崎はリベロ。
これでもソ連に比べると高さ不足、パンチ不足が否めませんが、役割分担がはっきりすっきりするのでは?
5484
:
カルパハル
:2019/01/17(木) 19:57:04
ワールドカップ77ソ連
ワールドカップ73はソ連が優勝してワールドカップ初代チャンピオンの時はA代表なんですけど何故、あんなメンバーでワールド77はジュニアみたいなチーム連れてきたんでしょうね。マカゴノワは旧姓ゴロジャジュナヤとして参加してます。ベテランみたいなイメージですがスモレーワは実際は若いんですよね。旧姓ニキチーナですよね。ソ連は早婚で結婚しても出産しても現役トップ選手を続けられたのは、やはり社会主義国家だからでしょうが、77年のメンバーは日本を馬鹿にしてる感じで故松平さんも怒ってました。バレーはバレーでもボリショイバレエを連れてきたと言ってました。男子はA代表ですから、馬鹿にしてたのかも?知れませんが日ソ対抗はA代表チームでした。73年大会は日本がヤシカ単独チームで参加したから、当て付け?とは思えませんがね。またミュンヘンのレギュラー松村、古川、山下、飯田、浜、生沼は、ナイスなメンバーですね。選抜チームですがチームワークがよくよく取れて要所要所に控えを上手に活用出来たら実力的には4対6かも知れませんが一発勝負ですから、ひっくり返せたかもしれませんね。結果は負けましたが、想像すると楽しいです。確かテレビ解説してた船山さんも浜の足の長いスバイクを、もっと多用して欲しいと言ってました。
5485
:
カルパハル
:2019/01/19(土) 16:57:42
ワールドカップ77
若手を入れて中国に予選フルセットで負けましたが日本は他のチームより頭一つ出でましたね。しかし1年後の78年世界選手権はキューバが世界チャンピオンになるとは思いませんでしたね。白井と松田が中南米遠征で4連敗して引退しましたが、今から思えば白井、松田の居たナショナルチームで世界選手権を挑んで欲しかったですね。白井、松田が居たチームならキューバと勝てたかは?ですが大接戦だったと思いますよ。経験値が高いし、キューバのエース、ネリー、バルネットは背筋を痛めてて、エレニア、ディアスが出てましたからね。ソ連も白井と松田には苦手意識がありました。日本には日立が中南米遠征した情報はあまり入ってません。中南米遠征の試合内容の話題より専門誌でも白井、松田の突然の引退の話題ばかりでしたからね。4連敗したうち2試合はフルセットで、フルセット目、ジュースの末、負けて最後はスパイクがインかアウトで揉めて選手が線審を囲んで抗議する程、選手は必死で戦ったと言われてます。他には遠征中の環境が悪かったとか言われてもいますね。いったい、どんな過酷な中南米遠征だったんでしょうね?世界選手権で松田と白井がナショナルチームで引退して欲しかったですが現実は78年世界選手権で矢野、吉田、高柳までナショナルチーム引退してしまいました。まだ彼女らは23才でした。今の時代なら、まだ若手ですからね。
5486
:
カルパハル
:2019/01/19(土) 19:13:36
ワールドカップ77
韓国、キューバ、中国は決勝リーグは各々1勝1敗で横並びみたいな実力でした。文化大革命後の世界デビューした中国が将来性を一番感じました。しかし、その後、直近に世界選手権はキューバが優勝、日本は2位、ソ連が3位、4位、韓国、中国はアメリカ合衆国にも負けて6位でした。二次リーグはソ連、韓国、中国と勝敗は、並びましたが中国が落ちましたが、まさかアメリカ合衆国にも5位、6位、決定戦で負けるとは思いませんでした。ワールドカップ77はアメリカ合衆国は予選リーグ敗退で対、日本戦も日本に対して目標は3セッター合わせた20点の目標で、なんとか20点を取りましたが、まだ全然、脅威と思いませんでした。しかしアメリカ合衆国も78年世界選手権は初戦で日本と対戦してフルセットの大接戦になりました。いくら、白井、松田が抜けてもアメリカ合衆国には楽勝だと当時は思いましたが実際はフルセットの大接戦でした。アメリカ合衆国にフルセットの苦戦なら、この先、どーなるんだろか?と心配しまたがアメリカ合衆国は中国にも勝ちましたから、更にビックリしました。そんな中国もアジア大会は、郎平がデビューしてアジア大会は2位でした。群雄割拠の時代になりましたが、ワールドカップ77からは想像出来ないバレーボール界が変貌した大きな曲がり角だった気もしました。
5487
:
カルパハル
:2019/01/20(日) 11:57:07
ワンタッチ
77年頃は、まだワンタッチを数えない時のルールの変更に、十分に対応出来てなかったから、まだ小型な観光や日本が世界のトップもしくは、トップグループにまだ居れたんじゃないでしょうか?それが78年頃からは高さやバワーのあるチームが有力なルールに対応してきてアメリカ合衆国、キューバや長身者が揃う中国が徐々に有利に展開するようになってきたのかも?しれませんね。モスクワのプレオリンピックでアメリカ合衆国が3位になりキユーバは1,5軍でも、順位が上だったのは驚きました。日本はワンタッチを数えないルールをブロックを遅く跳んでボールを触りボールの勢いを弱めて拾う作戦で勝ちましたが中国の郎 平なんかは足の長いスパイクを打ってブロックの上からコースを突く打つスパイクになり日本はワンタッチを数えない分、コンビネーションバレーを複雑に囮を使いブロックを騙すバレーボールに変化してきました。更に囮に騙されように、ボールを追うブロックシステムが強化されて、更にリベロ制やサーブのネットインが有効になりラリーポイント制になりサーブで相手を崩したら勝ちに繋がるバレーボールに変わりました。やはりルール改正などに着いていき対応出来るか出来ないかが世界にトップレベルに残れるか?残れなかが決まる気もしますね。無敵のキューバも、何かに、つま付いて、その後、低迷が長期続いてるんでしょう。ペルーにしかり同じでしょう。今後は日本を含めて韓国やブラジルが、どのようになるか?ですね。イタリアはリオオリンピックは予選落ちでしたが世界バレーは銀メダルでした。這い上がれるどーか?日本は東京オリンピック後が心配な要素がみえてます。
5488
:
アルタガモワ
:2019/01/21(月) 09:52:37
改名されたんですか?
カルバハル様改名されたんですか?内容から以前のカルバハル様だと思われるのですが「カルパハル」になってるので・・・(笑)
5489
:
カルバハル
:2019/01/22(火) 06:40:50
日ソ対抗
いまだにロシアと平和条約が無いのに冷戦時代から日ソ対抗はありました。実はバレーボールだけでなく体操競技も日ソ対抗てあったんですよ。バレーボールより長くはないですが競技団体は頑張りましたね。バレーボール女子や男子体操は世界の一二番を争う競技で日ソが切羽琢磨してました。女子のバレーボールは20年近く金メダルと銀メダルは日ソでした。競技の普及が他国は遅れてたと言われますが世界選手権に日本が初参加したのは1960年の第3回大会からですから早い訳でもありませんし、まだ9人制が主流でした。今で言うなら軟式テニスで硬式テニスのグランドスラム大会に参加して、いきなり銀メダルて事です。しかも第3回大会はブラジルです。お金もかかったし、日ソ対抗も冷戦時代、よく政府が許可と思います。アメリカ合衆国の監視もあったと思います。スパイや亡命とか心配事は多かったでしょう。そんな中、日ソ対抗を日本シリーズとソ連シリーズと行ったのは素晴らしいですね。三大大会には出場出来なかった選手も日ソ対抗には出場した選手も沢山いました。個人的には結果はモントリオールオリンピックのメンバーに入りましたが加藤きよ美選手なんかはミュンヘンオリンピック前から白井と同じように大型新人で期待されました。ミュンヘンのプレオリンピックは参加しましたがミュンヘンのメンバーには落選、73年ワールドカップはヤシカ単独でした。74年世界選手権は怪我でコーチとして参加、国内リーグでは大活躍した選手ですが、なかなか運に恵まれてないと思いました。モントリオールオリンピックも控えでしたが金メダルリストになって引退しました。日ソ対抗は若手や新人や国内で活躍した選手を試す、面白い大会でした。アルタガモワさんが、前に、おっしゃったサルチェビッチなんかは将来どんな選手になるんだろうと楽しみにしてましたが、残念でした。この選手、将来活躍しそうとか、あるいは、ミュンヘン後、ブルダコーワ引退後、リスカルがセッターもしたんですよ。お試しみたいのも観れて楽しみな大会でした。平和条約もないのに日ソのバレーボール協会は頑張ってました。今のバレーボール協会と比べると残念です。
5490
:
カルバハル
:2019/01/23(水) 14:39:48
セッター
ブルダコーワ引退後、ギビ監督は、ラリサ??ベルゲンを、まだアタッカーが揃ってるうちに育てるつもりだったと思います。174センチでサウスポーは当時としては身体的には適任だったと思います。ミュンヘンのメンバーでは、レオンチェワ、ゴノボブレワと控え室のセッターは居ましたが、レオンチェワは年齢的にもブルダコーワと近いしメキシコオリンピックから活躍してるので、ブルダコーワの後継は厳しいゴノボブレワは動きも機敏で守備も上手いですが、身長が166センチで日本の若い白井や岡本が主力になったら、ブロックの穴になるので、ベルゲンを後継者に育てようとしたんでしょう。73年ワールドカッブは、まだベテランアタッカー陣が揃ってる時でスモレーワをキャプテンにして日本も単独ヤシカで参加したし、若手のシュチェチニーナが大活躍する衝撃的なデビューもあり金メダルをとりましがベランダ勢の怪我や引退やスモレーワの出産などもあり、ベルゲンは気持ちが弱い為に若手のリードやベテラン選手わを使う事が出来ず、ギビ監督は日ソ対抗ではスモレーワが来日出来ないのでリスカルをキャプテンにしてセッターも、つとめさせました。一部では、リスカルは力が衰えたが、セッターなら出来ると思われてセッターをした説や、ソ連はセッター難だから、リスカルもセッター試したとか言われる説とか、様々ありました。個人的には、ライトからの強打でメキシコオリンピックで活躍したリスカルなんでツーセッターでもギビ監督は考えてたのでしょうか?謎ですが、結果はセッター不足でモントリオールはムラジャンが正セッターをつとめました。アスリートとして性格の強さは大事だと思います。杉山加代子選手は郎 平にも負けない素質が有りながら、日本のエースで終わりました。また中田久美は強い性格で年上の御姉さんチームの中でも、特別扱いでも強い性格なんで、臆する事なくチームで、やれたと思いますが、逆に、その性格が災いして身体的にも176センチ、サウスポーと有利な能力もあり、基礎的なバレーボールの技術と軽いボールをオーバーハンドパスで上げられて、セッターとしての技術は天才かも、しれませんが、肝心なトスワークが気が強い面、決まらなかったら、決まるまでボールを上げる、信頼出来る選手にボールを上げる、ツーアタックを、やられたら、やり返すなど自分の気持ちとカンでトスワークをするので、デーダーを集められたりしたら読まれやすいとか気持ちだけでボールを上げて、周りを冷静に見渡したトスワークが勝負どころで出来ないく相手に読まれる事が多く性格的には、セッターには向いてない感じでした。杉山の件もベルゲンの件もありますが性格て強ければ良いとか単純なものではないと思いました。中田久美の場合は、やはり特別扱いが性格以上に災いしてると思います。同じ歳のパルホムチークはパトキン監督の選抜チームの時は結果が出せず正セッターはクリボシェーワにポジションを奪われ、その後、控えのセッターもキリヤコワになりナショナルチームから外れましたが、ヨーロッパ選手権で東ドイツに負けてオリンピックの出場権が取れなくパトキン監督が解任されてウラロチカ、スベトルフスク主体のチームになり、カルポリ監督に交代してソウルオリンピックの出場権をとり、オリンピックも金メダリストセッターにパルホムチークは輝き9年の北京の世界選手権も復活した郎 平の居る開催国の中国に勝ち名実共に世界一のセッターとなり、国際バレーボール殿堂入りして、今でもロシア歴代No.1セッターとも言われてます。
5491
:
アルタガモワ
:2019/01/24(木) 14:38:00
やっと・・・
私も参加出来る時代に来る事が出来ました(汗)
ソウル五輪のソ連が何故「世界最終予選」から出て来て金メダルに行き着いたのだりう?と漠然に思ってまた。そう言う事だったのですね。
当時の私は二十代前半で色んな事が全く分かって無い情報でしたので・・・。
当時のソ連は確かにきめ細かく丸で日本人が好む様なバレーしていた様な気がします。荒木田裕子さん曰く「怖い〜スミルノーワが居ますよ」は別にしてキリロワのボディーワークにセンターでも前のクイック、速いブロードのオギエンコと高身長のBのチェーブキナそして攻撃に直接貢献している様にはなかなか思われないトス繋ぎの出来る前任のサフローノワ(トスは印象ありませんが)みたいなニクーリナ、とても今の世界のバレーとは思えない様なチームでしたね。オギエンコ速かった〜〜〜!
5492
:
カルバハル
:2019/01/24(木) 17:54:06
選抜か単独か?
何時も言われてます。ソウルオリンピックでソ連が金メダルを取りましたが選抜チームからウラロチカスベトルフスク+シドレンコ+オフチニコワに切り替えたのが成功しました。パトキン監督の時のカチャロワやアイステレ、バジューク、サルチェビッチ、ゴルバショワなと個人個人は優秀であり将来性がある選手を集めてもチームワークが、やはり大切だと思いました。その昔、74年の世界選手権前の日ソ対抗で日立+前田の全日本Aと飯田がキャプテンになり選抜チームで横山樹理がレギュラーの全日本Bと日本は2チームのナショナルチームを作り(白井は日立に入社)ソ連と戦いました。結果は以外にも全日本Aは1勝1敗、全日本Bは2勝しました。当時のソ連チームは、リスカルがキャプテンで、スモレーワは出産、ドュユノワは引退、サリホワは怪我、テレチャコも怪我、ブルダコーワ引退でソ連の最高リーグもチャンピオンはチェルニショワがエースのツェッカモスクワが、ギビ監督率いるデナモ、モスクワはナショナルは主体では、なくなりました。日本は、よく全日本と日本選抜を作り日本選抜は全日本の2軍チームみたいな型でしたが、74年の時は、ギビ監督は、どんな基準で全日本AとBを分けたのか?と、訊ねた話しもありました。その後、全日本は日立主体に三洋電機の前田、小山、ヤシカの飯田、古田、ユニチカの横山、鐘紡の再投資を加えたメンバーでアジア大会を経て74年世界選手権の金メダルに繋がりました。今から思えばキャプテンの飯田高子が、実に良くチームを、まとめて頑張ったと思います。単独日立主体では、やはり不安だったんでしょう。飯田が一時抜けた75年のプレオリンピックは単独日立で挑み韓国にストレート負けして銀メダルでした。全盛期は過ぎても、レギュラーでなくてもナショナルチームに居て欲しいと言われた飯田の素晴しさは、モントリオールオリンピックが圧勝なだけに知られてませんが、やはり素晴らしいです。74年世界選手権も大会前に松田がアメリカ合衆国で怪我した時も飯田がチームを上手に、まとめて、センターで活躍しなければ、白井も前田も岡本も居ましたがチームワークは、果たして?上手くいっかは?ですね。ソウルオリンピックのニクーリナも、チームワークて点で頑張ったと思いますよ。専門誌ではナイフのようなスパイクとも言われてましたが、シドレンコやオフチニコワとウラロチカ勢との橋渡しの役目もしたと思います。またパトキン監督の時の正セッター、クリボシェーワもソウルオリンピックの時は、控えのセッターでしたがピンチサーバーとして出てましたがベストサーバーで大活躍しました。オギエンコの早い速攻とかに目を奪われますが、チームワークやパルホムチークにレシーブで正確に返球したり、ニクーリナの貢献は大きいです。ソウルオリンピック前の日ソ対抗は、スミルノーワは、サーブレシーブの邪魔になると、カルポリ監督が指示してましたからね。その時はソ連が金メダルを取るとは思いませんでしたが、チームは、ドンドン、まとまり、チームワークも出来てきて金メダルに繋がりましたが、ニクーリナが、キャプテンとして、まとめたと思いますよ。ウラロチカじゃない、シドレンコやオフチニコワは、カルポリ監督の、試合中に、怒鳴りつけるような指示には、驚いたと思いますよ。ニクーリナが、サポートしたと思います。やはり、チームワークが一番大切です。東洋の魔女も個々の力は、大した事ないけど6人揃うと魔女の不思議な力を発揮すると言われてました。それを考えると何故?中田監督は岩坂をキャプテンしたか?意図が新鍋を、繋ぎ止めるだけの理由で特別扱いするのは、あまりにもチームワークを軽視してると思います。
5493
:
カルバハル
:2019/01/24(木) 19:45:19
ごめんなさい
鐘紡の斉藤です。変換ミスです。
5494
:
カルバハル
:2019/01/25(金) 18:40:16
ソウルオリンピック
今までのオリンピックはリーグ戦の時は最終戦が全勝同士で日ソ対決、予選グループに分かれてからは予選リーグ通過後、勝負の準決勝、決勝て感じが多かったですが(モスクワは予選でキューバが敗退)ソウルオリンピックは予選から勝負で、どこのチームも大接戦、選手の調整や若手に経験を積ませる試合など全く無かった大会でした。日本と決勝トーナメント入りをかけて戦った開催国、韓国も最下位になるし、金メダルのソ連も、予選でフルセットで日本に負けたりとか、銀メダルのペルーも予選も中国と大接戦、準決勝も日本とフルセットと決勝戦も大接戦と1試合も見逃せない大接戦でした。金メダルも有れば、ビリもあるよるような。まれに見る力が接近したチームが集まった大会でしたが、その後からは、予選も気が抜けない対戦に、なった、エポックになった大会でしたね。また、ソウルの時は日本も金メダル争いに絡む事が、まだ出来る可能性があったから今でも話題に度々でるオリンピック大会です。ソウルで始めてメダルが、無かった大会ですが、今から思うと、メダルなんて夢の夢、運もあり選手が揃って、やっとロンドンの銅メダルですからね。オリンピックに出場出来れば大成功て時代が東京オリンピック後は来る予感がします。
5495
:
カルバハル
:2019/01/27(日) 14:31:06
昔の風景
網の袋にバレーボールを入れて歩いてる学生とかビルの屋上で昼休み円陣パスをしてる若者たか公園で円陣パスしたり海やプールでビーチボールでパスして遊んだりする、随分減りました。施設の体育館を除いても卓球、バドミントン、フットサル、ソフトバレーボールは見かけますが6人制バレーボールは、なかなか見かけません。どーなっちゃてるんでしょうね?中学校も6人制のバレーボールのチーム作れない学校も、あるんでしょうか?学校体育の科目に将来残るんでしょうか?ママさんバレーしてるママさんも、あまり聞かなくなりました。学校の球技大会からも消えちゃうんでしょうか?いずれによバレーボールの達位置が、ドンドン脇に外れていってます。東京オリンピック前なのに盛り上がってないのは残念です。
5496
:
久しぶり
:2019/01/27(日) 17:07:33
中田久美
ソウルオリンピックの後のスーパー4でしょうか。
解説は松平康隆さんかと思われますが。
21:45前後になかなか当を射たこと言ってます。
「びっくりするようなトスワークになりますからねって。」
総じて中田へのコメントは辛いです。
彼女のトスワークのせいでみすみすメダルを逃したという
思いはむしろ我々ファン以上に強いのかもしれませんね。
バックで出てきた杉山加代子がそのまま後衛で残った時も、
「杉山加代子のところへサーブが来たときが心配ですね」とも
よくも悪くも、権力・実力者ですね。松平さん。
金メダルを取ったのも山田重雄監督より先ですから。
丸山由美に関しては松平さんも信頼をおいた高評価の
コメントですね。さすがです。
丸山はいるだけでも安心感が違います。
https://www.youtube.com/watch?v=Ctc2HIIZJYU
5497
:
カルバハル
:2019/01/27(日) 17:32:06
ローザ サリホワ
ブリダコーワ、リスカル、スモレーワからみると地味な感じですがギビ監督でオリンピックを連覇したチームでバレーボール殿堂入りしてる選手です、有名なのは元々は左利きでしたが左右両手使いでスパイクを打ってきます。ブルダコーワ、リスカル、スモレーワと美人選手ですがサリホワも美人選手です。メキシコオリンピックは決勝戦は、リスカルと対角を組んでライトから攻撃してきて日本を苦しめました。基本は左利きですが、左右、均等に比較的、スパイクを打ってくるので、厄介な選手でした。何でも出来てトスもサブセッターのように上げます。ミュンヘンの決勝戦を、振り返った放送の秘話でスモレーワがサリホワがトスが苦手ですと言ってましたが、ぎこちない自信がなさそうなフォームですが、しっかりセッター役、数多くの場面で、こなしてるので苦手だったと知って、オリンピックの決勝戦で頑張ってたので驚きました。70年のブルガリアの世界選手権はリスカル、スモレーワより日本戦は活躍してます。センターからも打ってくるし万能選手です。専門誌はリスカル、スモレーワ、サリホワと揃うと相乗効果で、日本は、3人に、やられる試合は負け試合になります。秘話でもスモレーワはミュンヘンはリスカルとエース対角をリスカルと組みましたがサリホワが私達エースの攻撃を助けますと言ってましたが、本当にサポートを、良くしてます。ミュンヘンポイントはスモレーワのレフトからのスパイクがブロックアウトになり金メダルを取りましたが、スモレーワに、フワッとしたトスを上げたのはサリで、サリホワの印象が強いシーンです。74年の世界選手権には参加したのが、サリホワがナショナルチームの最後だったと思います。膝を怪我して73年ワールドカップ後は大活躍はしてませんが日本チームを苦しめた選手です。同じくレギュラーで活躍したガルシカ(ドゥユノワ)選手も長身で美人選手でしたが、サリホワと比べると背が高いのを利用してネット際の押し込んだり、乱れたトスを処理するよが上手ですが、ガルシカに、やられたって印章はあまりありません。似たように感じが、テレチャコワやブルダコーワとツーセッターを組んだ時の相棒のレオンチェワも髪の毛がカーリーヘアーで日ソ対向車では人気がありましたが、ブルダコーワと違い駆け引きのあるトスより丁寧な単調なトスワークの印象があります。逆にパワーは無いが高さとファイト剥出しでミュンヘンオリンピックの決勝戦でギビ監督の隠し玉として大活躍したチュリナは日ソ対抗でも。そんなに印象はないし70年の世界選手権は高さがあるだけの印象でしたがミュンヘンオリンピックの決勝戦は予測もしないチュリナの活躍は日本チームのペースを乱された感じもします。メキシコオリンピックがソ連のメンバーにいてサリホワと音が似ているサリチェワはブルガリアの世界選手権の日本戦はレギュラーとして活躍しましたがミュンヘンの決勝戦は活躍は思った程してませんね。テレチャコワと実力的には変わらない感じしましたが交代要員としも目立ちませんでした。話は戻りますが左右両手から、あれほど相手を混乱させるようなプレーヤーは、その後は現れてないと思います。左利きではタイトやベル、大林、水原、長岡と居ますが両手使いは他で頻度に使う選手はいませんね。矢野や張容芳も、たまに左手で打ってましたが居ませんね。ミュンヘンの山下は左利きですがサーブだけ右手で打つのも珍しいです。今の日本チームにサリホワみたいな選手、欲しいですね。
5498
:
アルタガモワ
:2019/01/27(日) 22:12:59
速いクイック
何時も貴重なお話ありがとうございます。
ソウル五輪が何処が金メダルそして何処のチームが最下位になるか分からない大会だったと言う事が改めて分かりました。
確かにロス五輪当時までは予選のカナダ戦ではキッコやカルテットをメインで戦ってた記憶が何と無くおります。ほんの四年で戦国時代になっていたんですね。
次にクイックなのですが・・・東京五輪当時の映像を見るとクイックが私の中では「Aセミ」な感じなのですが男子の様に「空中で待っているクイック」速いクイックを女子が打てる様になったのはいつ頃からなんでしょうか?
77ワールド杯の映像で見た矢野選手のBクイックはもう速いクイックだと認識したのですが彼女及び他の選手のクイックをはっきり見た事がないのでつい「どうだったんだろう?何時もからなんだろう?」とつい関心を持ちまして・・・また良ければ教えて下さい。
5499
:
カルバハル
:2019/01/28(月) 02:09:16
女子で始めて
Bクィックを打ったのは小野沢愛子と言われてます。ヤシカの選手です。ユニチカの古川は結婚して親戚になりました。話は戻りますが生沼スミ江はAクィックも打ちます。メキシコオリンピックでは生沼、高山のセンター兼セッターはAクィックを打ってます。勿論、ワンタッチを数えるルールですから頻度には出ませんがサーブレシーブがセッターに入った時はAクィックは女子でも出来ました。東京オリンピック後は男性的なクィックをするのがヤシカの売り物ですから、日立より早より早くから小野沢はしてたと思います。東洋の魔女も試合で使ったかは?ですが練習はしてたと思いますよ。ソ連戦ではAクィックは使わなかったと思いますが他のチームの試合では、お試しで使っても不思議ではないです。あれだけ完璧な守備が出来れば可能です。東京オリンピックの決勝戦の映像では頻度では、ないけど時間攻撃はしてますから、半田あたりは出来たと思います。話は戻りますがBクィックは女子で始めて成功したのは小野沢と専門誌でも紹介されてます。小野沢は70年のブルガリアの世界選手権はレギュラーとして出場してます。岩原も松村とツーセッターを組んでたんでB.クィックは頻繁は少ないけど出来たでしょう。レフトへの早い平行トスはミュンヘンオリンピックの決勝戦で生沼、岡本が既に決めてます。試合で多く活用されるミュンヘン男子のようなバレーボールは、やはり74年世界選手権頃からですが松田の怪我で金坂、矢野のコンビが一番影響があったと専門誌でも言われてます。本格的に試合でも、サーブレシーブやチャンスボールが返ってこない時でも、バンバン、クィックやコンビバレーや平行トスやダブルBなと鮮やかに決めるバレーボールを、日本リーグや高校バレーで見るようになるのはワンタッチを数えないルールになってから頻繁に見ますがワンタッチを数えた最後の大会の第8回の就実高校の金重選手をセッターにしたチームは既に下方選手のコンビは平行トスを武器に決めてました。第10回の優勝の香川高校は、高校生も、松田、白井のコンビでモントリオールオリンピックで有名になった、ひかり攻撃は試合に使ってました。使えたのと頻度に試合に使えたのはルール改正でも違いますがワンタッチを数えいミュンヘンからモントリオールの時期では一番コンビネーションバレーを女子で完成させたのは韓国女子チームです。やはり日本と違いレフトからのエースが非力な分、コンビネーションバレーで対抗したんでしょうね。ツーセッターの複雑なコンビネーションバレーを、今日の強いかったり、変化の強いサーブの時代にセッターにボールを正確に返して早いコンビネーションバレーも日本は非力な分。目指して欲しいですタイの女子が、頑張って、やってます。
5500
:
カルバハル
:2019/01/28(月) 11:46:49
中田久美のトスワークで
メダルを逃したと松平さんが言ってたようですが、おっしゃる通りです。中国線のロスの立ちあがりといい。ソウルのペルー戦の終盤といい。レシーブで中田久美にボールをピッタリ返してるのに、何故、馬鹿に一つ覚えみたいなトスワークをしたのか?性格的な問題が、セッターとしてあるなら、キャプテンの江上がアドバイスしたり、それでも聞き入れないなら、頭を冷やすように山田監督がいったん、中田久美をベンチに下げるとかして欲しかったです。常に特別扱いだから試合中も特別扱いだったんでしょうか?83年のアジア選手権の頃は中国もチームが切り替え時期であったし、中田久美のデーターも少なかったし開催国であり前日の韓国戦でオリンピックの出場権が取れてプレッシャーが、なくなったのとオリンピックの出場権を既に持ってる中国の油断などラッキーな事が重なったから勝てただけです。それが更に特別扱いに加えて勘違いを起こして気持ちだけでボールを上げるトスワークで負けたと思います。iPadのデーターを活用したバレーボールは中田久美のような勘違い女を冷静にさせるグッズとしては、良い道具ですが当時は、そんな物は、無かったですから、中田久美の頭の中で組み立てた大事な場面で読まれやすいトスワークは対戦チームは解ってたでしょうね。今の日本チームの攻撃もオープン攻撃オンリーワンみたいな攻めじゃ勝てません。
5501
:
アルタガモワ
:2019/01/28(月) 15:31:10
分かります。
中田って本当にワンパでしたよね!もうチャンスは江上、三屋で崩れたらレフト、森田がサーブレシーブがフロントライトだったら森田のライト攻撃・・・忘れた頃に小高・・・もう素人の私にでも見え見えでした。結局頭が良い悪いとか言うのは置いといて臆病なんでしょうね。自分の中で一番決めてくれると言う選手に相手がどんなに弱小でも上記のトス回し、そう言えばソウルでも廣廣廣・・・あれじゃブロックへのリスクやメンバー内でもやってられないと言う空気が自然と生まれて来るし上げられた選手も他の選手に気を使う様な気がします。
小さい頃から特別扱いで元々レフトへのトスがブレブレ、ライトへのトスは下手、時間差のトスも高くて小高がよく空中で泳いでいた様な気がします。要は一番近くの距離の短い両センターが空中で待っててくれるトスしか上げられなかったんでしょうか?
普通のセッターならマークの付きやすい選手を囮にしてブロックを一枚、ノーブロックにするのがセッターとしての醍醐味だと思うのですがね。
5502
:
カルバハル
:2019/01/28(月) 21:31:20
中田久美
おそらく、ロスアンゼルス エンゼルス、日立、全日本と、周りが上手な選手な中で、特別扱いされたのが、成長した反面、下手くそなチームだと、このメンバーで、何とか点を取ろうとする経験が少なかった事が、勝負ところで失敗したと思います。中田久美が、まだ下手くそな時も江上や三屋が上手に個人技でマークされてもスパイクを決めてれますから、中学や高校で下手くそな選手でもスパイクを決めてやる、創意工夫の訓練が不足してたのかも?知れません。サーブレシーブも上手な人の中でもプレーをした経験しかなければ、Aパスが返ってくりのが普通に思ってたのかも?知れません。恵まれた素質を本当に活かし切れなかったかも知れませんね。綺麗な軽いボールのオープントスを正確に上げたと思いますが試合でが競ってくるとオープントスもブレてきました。やはり気持ちが安定しない性格から、くると思います。天才的なカンでトスワークをすると言われてましたが気持ちが先行すると6人で戦ってるといったチームワークが一番大切な部分を私が私がと何とかしてやるみたいな、ひとり相撲のようになり、言い方はキツイけど、ごう慢な一人強がりのバレーボールになりますね。身体的な素質や基礎技術は高いレベルに、ありますが性格的には個人競技向きですね。周りがついて行けないとか、他の選手の気持ちの深い部分が読めない感じもしますね。自分よがりのバレーボールに周りが合わせる感じがしますが、セッターとしての心の部分が欠けてますね。一身近なセッターである先輩の小川かず子の、アタッカーに、打ってくださいと言った感じでトスを上げる姿を、もっとみなって欲しかったですが、周りが天才少女とかバレーボールをする為に産まれてきたとか、蝶よ花よともてはやした事も、小川と私とは違う小川は小川、中田は中田でセッター像があると思ったんでしょうね。下積みで先輩たの技術を盗んでやるとかなかったと思います。やはり山田監督が一番、悪いと思います。中田久美が。まだ世界で活躍する前にモントリオール金メダルセッターの松田が富士山なら中田久美はエベレストだとか、専門誌でも素質を例えたりしたら、まだ中学生の少女じゃ、その気になり勘違いはするのは無理は無いでしょう。オリンピック、パーフェクトチームの正セッターの松田に対して随分、失礼だなと思いました。素質があっても心に問題があるとダメです。他にも杉山加代子は素質だけなら白井貴子より上だと今でも思いますが心が弱かったのは残念ですです。
5503
:
アルタガモワ
:2019/01/28(月) 22:35:50
覚えています。
松田が富士山なら・・・って言うの、オリンピック失セット0の完全優勝なんて無いんじゃないですかね?
東京の魔女でも1セット落としたんでしたっけ?
日本リーグ失セット0は確かに凄いけど五輪には叶いませんね。
私も山田監督が一番悪いと思います。
あの年来で「中田が全てだ!」みたいなんやられたら・・・そりゃ〜江上も「ソウルを目指して下さい」って言いたくなりますよね!その五輪の年廻りの選手に取ってみたら・・・横山、小川、水原達の事を考えるととても可愛そうでしたね。
5504
:
カルバハル
:2019/01/29(火) 10:54:36
東洋の魔女
東京オリンピックの時はポーランドに1セット失ってます。しかし中田久美ですがロス、ソウル、バルセロナと、まだ山田監督の影響力が強かった時期でもあり、3大会とも全日本女子チームは中田久美の為に、ある大会でしたね。沢山、泣いた選手は居ましたね。噛ませ犬にさてた加藤広子、正セッターは当然、高橋だと思ったソウル、中田久美が居すわり永富も活躍の場が減りました。バルセロナは、中西が正セッターで中田は、リリーフセッターの立場だと思います。順位は、どんどん落ちても、無理矢理で力が落ちても中田久美でした。これはチームワーク面でも問題ありますね?岩坂を特別扱いにしてるのも似てますね。因果は巡るんですかね?子供の時に虐待された人は親になったら虐待すると聞きますが特別扱いをされた人は特別扱いをするとチーム内でチームワークが、ギクシャクする事が理解出来ないんでしょうかね?山田監督は生沼も特別扱いしたようですね?高山鈴江さんが奥歯にものが挟まったような言い方で言ってました。ロス、ソウル、バルセロナ、なんか中田久美に執着しなければ、成績は違ったと思います。
5505
:
カルバハル
:2019/01/29(火) 19:56:51
まだ、良き時代
https://youtu.be/k4fj0a_oL8Q
一年後はキューバが世界チャンピオン
5506
:
カルバハル
:2019/02/02(土) 21:05:40
よき時代
https://youtu.be/iQ7shLhsHkc
5507
:
カルバハル
:2019/02/04(月) 17:39:45
この試合
やはり、油断したのかな?
https://youtu.be/TTLw95lAUQU
プレッシャーも消えて無欲の勝利でした。
本番のロスでは再現が出来ないどころか、プレッシャーになったでしょう。しかし、カルテットは無用な超部です。
5508
:
英虎
:2019/02/04(月) 21:07:23
1968メキシコ五輪決勝
生沼さんの見事なトスワークが光ってますね。
http://www.youtube.com/watch?v=r6qQn2vbPBg&index=5&list=FLyigLsLZSStqrWXaRsxgHwg
5509
:
カルバハル
:2019/02/05(火) 20:09:30
生沼スミ江
オールラウンダーのバレーボール選手なら日本歴代No.1でしょう。東洋の魔女の時は髪をアップに上げた選手が多かったですが、その後はショートカットの選手が多くなり生沼は髪を後ろに束ねてポニーテールのような髪型でボーイッシュな感じの選手の中、女性らしい感じで見た目も目立ってました。女らしい感じを失わないで試合してました。男子が主流のフライングレシーブも上手でした。ブロックも名人でした。サーブも上手いし、クイックも上手です。それだけでも凄いのにセッターですから素晴らしいです。生沼のメキシコオリンピックのソ連との決勝戦、金メダルポイントが生沼のスパイクがアウトでゲームセットになり、メキシコオリンピックの日本が負けたシーンで何回も生沼のスパイクがアウトになるシーンばかり出るので可哀想ですね。東京オリンピックのゲームセットのシーンも宮本のサーブとフォールディングシーンが何回も映るし、ミュンヘンのスモレーワのブロックアウトのスパイクとか、モントリオールは白井が飯田を押し退けてスパイクを打ってリスカルの手をボールが大きく弾くシーンとかばかり印象に残り生沼は気の毒な感じします。復帰してから挑んだミュンヘンも銀メダルで喜ぶソ連の選手を見つめてコートで整列してたシーンも可哀想感じしました。動画を観ると、リスカルのライト攻撃は決定率が高そうなで、強烈ですね。サウスポーなんで宍倉だと思いますが、思ったより強烈なスパイクを打ってました日本の大砲も、なかなか、やりますね。試合の評価は日本の完敗みたいに言われてますが、それほど完敗な感じしませんが、試合の全てを観ない解りませんね?記録では日本はサーブポイント13点もあげてます。確かに東京オリンピックの経験者0人でしたが完敗と評価される程には、見えませんね。智将ギビ監督の作戦がヒットしたと言われてますが試合の始めから終わりまで解る動画が有れば是非みたいですね。専門誌でも日本一イコール世界一みたいにおごりが、あったとか、オリンピック、ギリギリまで単独チームを競わせて選抜チームとしての準備が足りなかったとか?ソ連遠征に行き選手は自信を失ったとか色々、言われてます。また決勝戦の日は山田監督の誕生日で大会中のインタビューされた時は選手が私に金メダルをプレゼントしてくれると応えたり、山田監督の髪の毛が一夜にして白髪になったとか?ソ連戦の終盤、山田監督は、俺が戦ってる本当の相手は、ソ連チームでなくギビ監督だと悟ったとか?ソ連の先発メンバーに、包帯までさせて負傷説を流たリスカルが元気いっぱいでコートに入り、山田監督は、やられたと思ったとか、色々な話が有りましたが真実を知りたいですね。
5510
:
カルバハル
:2019/02/05(火) 21:54:32
こんなシーンもありました。
https://youtu.be/k8dBvBV-Xic
ガッツが違います。
5511
:
カルバハル
:2019/02/08(金) 05:57:04
昔と今
なんか胸を打つような感動が今は無いですね。技術的な問題ではないと思いますね。一心不乱にボールに、くらえつくとか、勝ちたい執念みたなものが感じないですね。がむしゃらに頑張るファイターも居ないですね。今もボールを追ってる姿は同じなんですが、なんか違います?キャプテンの岩坂の色なんでしょうか?タイムの時に円陣に入らない中田久美の色なんでしょうか?
5512
:
カルバハル
:2019/02/08(金) 07:32:30
荒木の力
今の日本で日本一のセンターは荒木でしょうが現代版で60〜70点の評価は世界レベルでの評価でしょうね。若手が、だらしないのは、勿論ですが、嘗ては日本は世界一のセンターとも言われた時代もありました。キューバが無敵になったて日本のセンターは通用しなくなってきました。杉山、大友、井上と好センターはいましたが世界一のセンターラインではないです。江上、三屋の時は世界一のセンターラインと言われてました。丸山、廣の時は、世界で通用するセンターでしたが既に世界一ではなかったです。世界一のセンターは生沼、高山〜飯田〜矢野〜前田〜江上〜三屋、あたりまででしょう。
5513
:
カルバハル
:2019/02/09(土) 23:29:33
今のバレー
Vリーグの実力て今は外国人助っ人の実力の順位と、なんか関係ある傾向ですね。昔は日本人だけの日立が外国人、助っ人の居るチームに勝って優勝しましたが、その時は飼殺しとか有望ルーキーが日立に集まり過ぎるとか、色々ありましたが、ナショナルチームの強化には繋がりました。やはり、ブロック、レシーブ、コンビバレーなどは、時間をかけないと、とても、とても国内の主要大会が終わってからナショナルチームの選抜選手を集めてチーム作りしきても、好成績には、間に合う準備する時間が、なさすぎますね。来年はナショナルチーム候補選手は所属チーム関係なくナショナルチームとして冬場も強化しなくては国家プロジェクトとは言えませんね。国家プロジェクトと言ってるわりには、何を、どうしてるか?見えませんね。口先だけ?と思われます。東京オリンピックの前の時期だけは特別の対策をうたないとダメですね。悔いが残ります。ありだけ国家プロジェクトとして皆で頑張ってもメダルに届かないのと国家プロジェクトと口先だけの大風呂敷広げて、何にもしないのと違いますし、今後のバレーボールの対しての国民の見方も違います。今のままだと、何も、どころか、今までより悪いイメージで進んでますね。選手と言うよりバレーボール協会が足を引っ張ってるイメージすら、感じますね、
5514
:
アルタガモワ
:2019/02/09(土) 23:32:49
荒木選手ですか・・・
私は江上、三屋の時代からしか分かりませんが私の中ではやっぱり一番(半田〜飯田、矢野選手時代は分からないので)ですかね。
次いで私が好きだったのは森山淳子選手〜杉山、大友そして全日本ではコンスタントではありませんでしたが森和代、ライトでプレーした山口選手ですかね。
江上のクレバーでブロックが付いていても何とかする正に神様仏様江上様の国宝級、無理だと思ったらリバンウドを取り決して無理がなくしなやか、三屋もブロードこそ見たこと無いのですがエアー移動の身体能力。
森山選手も無駄なエネルギーは使わず手堅い怪我が無くもっともっと活躍して欲しかったです。ただあまりブロックの印象は無かったですが。
杉山、大友は江上、三屋を一回り大きくした様な印象でしたがネット際の細かいプレーはやっぱり江上には至らなかった様な気がしますが日本ではいまだに二人を越える選手は見当たらない様な・・・。
森和代選手は何だか「悲運の選手」って言う感じです。
杉山、大友と年代が少し被ったのと小さいのと柳本監督の眼には無かったのでしょうね。
真鍋監督さんの好みで言えば森和代、山口選手だったのかなと思います。柳本監督が継続していたら森、山口は全日本に行く様な事は無かったと思います。只二人ともサーブとサーブレシーブは最悪だったとは思いますがカルバハル様はどう思われますか?またお話し聴かせて下さい。
5515
:
カルバハル
:2019/02/10(日) 09:10:28
世界のレベルと時代を考えたら
世界一のセンターが日本だったのは、ロスの三屋、江上が最後でしょう。ライバルチームのセンターは楊 暁君、梁 艷、メジャース、ワイショフですが、明らかに三屋、江上の方が上です。ソウルの頃は、オギエンコ、オフチニコワの方が廣、丸山より上だったと思います。その後は世界一のセンターは、トーレス、カルバハルだと思います。ブロードが出来る出来ないではなく昔はブロード攻撃自体がなかったです。三屋、江上の時も控えに石田や佐藤裕子がいたりしました。その前は池知、清水、石川とセンターラインは豊富でした。更に前は江上、矢野がセンターライン、モントリオールは矢野、前田、74年メキシコの世界選手権も矢野、飯田、73年ワールドカップは飯田、古田、浜など単独、ヤシカでも強いセンターラインです。ミュンヘンは飯田、古川、生沼、浜など世界に通用した、センターが豊富でした。70年の世界選手権も小野沢、古川、飯田、浜など早いトス回しでソ連のブロックを混乱させて、ソ連のリスカル、スモレーワの強打に対抗しました。ソ連はワンツーマンのブロックで対応しました。メキシコは生沼、高山のセンター兼セッターは日本の最大の武器でソ連に対抗する切り札でした。そう考えると長年、日本のセンター攻撃は世界1をかけた日本の武器でした。機関銃攻撃と言われましたが、日本は機関銃は居ても大砲が居ないから大砲の居るソ連に力が及ばなかったとも言われてました。そんな中、待望の大砲と言われた白井の出現でソ連に大砲でも対抗出来るようになり白井も世界一のエースアタッカーと言われるようになり三冠王に輝きました。その後は世界一のセンター攻撃も大砲と呼ばれるの横山樹理になりましたが横山樹理は世界一のアタッカーとまでは言われませんでした。当時はポマレス、横山、ハイマン、チェルニショワ、更に郎 平、ルイス、スミルノーワ、タイト、アルタモノワ、イエリッチなど世界のエースは、勿論、世界一のセンターラインも日本は言われなくなりました。日本の武器はセンター攻撃ですが吉原も多治見も世界一のセンターラインとは言われません。今も世界的なセンターはアキンラデオとか言われてますが絶対的に圧倒的に強い世界一のセンターラインのレベルは、トーレス、カルバハルのセンターラインが今でも通じる世界一のセンターラインだったと思いますよ。あのチームは更に、ベルとルイスも居ましたかからオリンピック三連覇は、納得出来ます。
5516
:
カルバハル
:2019/02/10(日) 09:25:48
今の日本チーム
レフトもセンターもライトとセッターもサーブも守備もコンビバレーも監督も世界1どころか世界に通用出来るプレーは皆無です。せめて、チームワークだけでも世界に通用出来るレベルになりたいです。東洋魔女は守備力とサーブ力もありますが、チームワークは世界一でしたね。一人一人は、大した選手は居ないけど6人揃うと 魔女の不思議な力を発揮すると言われてます。今の日本はキャプテンが岩坂です。魔女の不思議な力を出すどころかチームワークでも足を引っ張ります。キャプテンは雑用係ではありません。
5517
:
カルバハル
:2019/02/10(日) 13:39:43
東京を考えると
世界一て開催国で、有利な日程や時間や環境や応援は、どの国より世界一有利です。オリンピック出場権も世界一早く決まったんだから、東京オリンピックの準備も世界一早く出来たはずです?環境面で世界一有利なんだから、他に世界一の何かが有れば良いんですが厳しいです。年々、世界のトップから離されてる感じします。
5518
:
アルタガモワ
:2019/02/10(日) 13:49:52
結局女子バレーは
二十年強くてメダルが可能性が十年間後の三十年はメダル絶対無理と言う漢字でしょうか?
改めてもっと昔から観てたら良かったな〜〜〜と後悔します。
前回の東京五輪てまは「日ソ」どちらがと言う絶対的なものがありましたが来年の五輪て・・・何だか公開処刑で益々バレーが消えて行く様な気がしてなりません。
5519
:
カルバハル
:2019/02/11(月) 06:53:28
残念です。
中田久美が、競技力が落ちてるのに更に拍車をかける様な指導力の無さで人気も実力も落としてます。バレーボール協会が東京と決まった時点て東京オリンピックの時に活躍出来る世代の優秀な子供をバレーボールを選択して貰える努力を怠り普及も強化も怠ったツケが新設した有明アリーナで大恥じさらす事になります。そうなれば人気も普及も強化も資金も更に悪化してしまいます。最悪の場合はバレーボール競技がオリンピック種目から外されます。レスリングも、外されそうになりました。ボクシングも危ないようです。オリンピックは常に新鮮さを保つ為に競技の入れ替えは続けていく、肥大化で開催が財政的に厳しくなってきてる為にスポンサーが集まる競技を優先にするでしょう?外されなくてもビーチバレーだけとか6人制は男子だとかも、なる考えは十分あるでしょうね。ヨーロッパや中国で人気があるからだけでは存続の理由にはなりません。なんとか知恵を出しましょう。
5520
:
カルバハル
:2019/02/11(月) 09:11:35
そもそも
怪我でも無いのに未だに正セッターすら決まってないのは問題です。オリンピックまで二年切ってるます。中田久美ジャパンになって二年以上経過してます。人材が居ないだけの問題では無いです。このまま、ずるずる、何も決まらず東京オリンピックになるんでしょうか?或いは、漸く決まっても守備がセッターに返せるんでしょうか?セッターに返せたとしても、ツーカーになるようなコンビバレーが出来るんでしょうか?絶対エースが居る訳でも無いのに、今まで何やってたんでしょうか?作戦タイムの輪すら入らないで監督と選手のコミュニケーションが取れるんでしょうか?昔の話しですがモントリオールオリンピックのパーフェクト優勝の決勝戦の終盤はソ連の作戦タイムの時に山田監督は余裕で作戦タイムの輪に入らなかった記憶はありますが、そんな余裕は今の日本女子バレーの状況とは天地ほどの差があります。モントリオールの決勝の第三セットは10-0まで一時はなり、あわやオリンピックの決勝戦でパーフェクト寸前で審判がシュチェニーナがスパイクを手で受けて顔に当たったてドリブルに鮮明なのに反則取らなかったのに誰1人文句も言わずアナウンサーが、ドリブルは撮らないと言っただけで、ソ連が1点返した後、会場から大拍手が出た余裕の試合だったから山田監督も作戦タイムの輪に入らないで選手に任せたんでしょう。1セットの立ちあがりは山田監督は作戦の輪に入ってました。現役選手時代、作戦タイムの時に言われるのが嫌だからて理由で今日のチームで作戦の輪に負けてても自らタイムアウトを取っても入らない監督なんて100年早いと言うか前代未聞です。郎 平監督は、全くしません。何を考えてるんでしょうね?国家プロジェクトとは、どの口で言えるんでしょう。
5521
:
カルバハル
:2019/02/11(月) 19:40:05
伝説に残るチーム?
中田久美は、確か、そう言いましたね?そのチームのキャプテンを決めるのも、なかなか決められなくて、やっと任命したのが岩坂でリーダー経験も実力も無い選手を任命しました。任命した時の理由も納得するような説明は無かったです。真鍋さんは3つの世界一を達成出来たら好成績に繋がるよくな具体的な説明はありましたが中田久美は有りましたか?ワンフレームバレーを完成出来たらメダルとか?ワンフレームバレー完成するには、どんな目標が必要とか聞いた事ありましたか?私は記憶がありません。そもそも伝説に残るチームて良い意味なら男子はミュンヘン男子、女子は東洋の魔女しか無いです。モントリオールオリンピック金メダルの全試合ストレート勝ちのチームでも日本人の記憶に伝説に残るチームですか?悪い意味なら始めて決勝戦に進めなかったロスチーム、始めてメダルを逃したソウルチーム、始めてベスト4に残れなかったバルセロナチーム、中田がトス上げたチームです。或いは始めて予選敗退したアトランタチーム?もしかしたらオリンピック出場権のがしたシドニーチーム?そんな事は、いくら馬鹿でも無いと思います。ようするに女子バレーの伝説になるチームて開催国で金メダルを取った東洋の魔女のチームを目指すて事でじょ?キャプテンの任命も遅いし、やっと決まったキャプテンもキャプテンシーとは程遠い選手、正セッターも決まらない、核になるメンバーも決まらない。結果も出ない。どー考えたら伝説に残るチームが出来るんでしょうか?結成した時のメンバーを考えて言ってるとは思えませんね。これじゃあコーチンも逃げるでしょう。信頼出来ません。こんな事態も協会は知らん顔です。会社の業績なら下方修正します。ファンの信頼も失います。
5522
:
カルバハル
:2019/02/11(月) 22:06:52
アルタガモワさん
昔の事を知らないと残念な面もありますが今日のバレーボールに対して私より腹立たしさや物足りなささでストレスは無いと思いますよ?アルタガモワさんが知ってるバレーボールはロスあたりがメインですよね?金メダルが取れるか取れない位で銅メダルですよね。その前のペルーの世界選手権は中田久美が始めて参加した世界大会は4位です。ワールドカップ81は最後の銀メダルですが、しかし2敗しての銀メダルです。私は、もう81年ワールドカップの時は、何とか金メダルと銀メダルしか取った事が無い女子バレーボールの伝統を何とか守れたと、ホッとしただけでした。金メダル以外はビリと同じ時代を知ってると、あまりにも今日の女子バレーボールの、ていたらくと中田久美の日の丸をつけて戦う監督としての志しの無さに、どうしても厳しい意見を書き込みをしてしまいます。アルタガモワさんは逆に、そこまで今日のバレーボールに対して私と比べて腹立たしく思わないのは逆にバレーボールを楽しめてると思いますよ。日ソ戦以外は世界選手権であっても、オリンピックであっても本番では無いみたいなバレーボールや銀メダルは負けのバレーボールも今から考えると、あまりにも異様です。オリンピックの決勝戦が4大会連続日ソ対決と同じカードも異様な時代を知ってるのは、今のバレーボールを楽しめないのは、羨ましいのか?最近、疑問に思います。
5523
:
小姑
:2019/02/12(火) 10:02:59
まったく
松倉さん何やってんだか。ニュース見てびっくり。
ソフトな口調なのに、言いたいことは言う。
生沼さんとの
絶妙な間のとり方や、自分自身で
バレーを勉強をしてたり、
取材をきちんとしていた実況、好きでした。
今まで、バレーの実況は松倉さんが1番好きでした
。
88年ソウル五輪ペルー戦…
92年バルセロナ五輪 ブラジル戦
実質メダルが消えた試合は松倉さんだったな…。
5524
:
アルタガモワ
:2019/02/12(火) 12:54:07
私もショック
松倉さん・・・「しょうもない事をしてしまいました」では無くて「申し訳ない事を」の間違いですよね。
5525
:
カルバハル
:2019/02/13(水) 11:49:49
松倉元アナ
表の顔と裏の顔とか、その場で幾らでも顔は誰でも、あります。ストレスが、溜まったりして、はけ口にしたかも?しれませんね。やった事は許されない事だと思いますが、大きく取り上げられる立場の人だから騒がれてると思います。公文書改ざんしても、逮捕されない時代です。交通事故を起こしても監督続けてて、日本のスポンサーになって貰いたい自動車業界にはスポンサーは厳しいのに赤字と騒ぐだけで、何もしないバレーボール協会も協会です。やっとオリンピックの出場権を、取れて、おめでたい時に、てめーら、このやろーと叫ぶ人も監督してますからね。鍵で車に傷付けた事に対して、麻痺してる感覚を自分もですが日本国民もマスコミも変です。嫌な時代に、なったのか?清く、正しく、美しくと、宝塚も言ってますが、お金の世界です。アスリートファーストと言いながらオリンピックも北米メディアのゴールデンタイムに人気種目の決勝戦をします。世の中そんなもの?かも弱い者に、厳しく、強い者に、弱い時代です。バレーボール競技も同じで、今は試合はマスコミには取り扱われません。
5526
:
カルバハル
:2019/02/13(水) 14:00:10
松倉元アナ
認知症も、あったようですね。気の毒に?行為は許されない事ですが、やはり高齢者社会になり、このような事件は、これから出てくるでしょうね?高齢者や子供、弱者に優しい社会を望みます。バレーボール協会も、何時までも、ミュンヘン男子のロートルが仕切ってたら衰退していきます。新しい考えアイデアを考えられる人がバレーボールを支えていかないと、昔の顔で生きてますじゃ進歩はないでしょう。
5527
:
カルバハル
:2019/02/14(木) 20:10:28
現代版の掲示板
タイのチャレンジシステム、日本より進んでますね。それと会場とコートが綺麗ですね。昔、バンコクのアジア大会でタイとの試合でタイのサーブで始まり、サーブ権を取り水原のサーブで一回もローテーションしない完全なパーフェクト試合のセットがあった大会は、日本で言えば中学の体育館みたいな会場でエンドライン、サイドラインから3歩位、歩くと体育座りした観衆が居たコートでしたが、今は日本のVリーグの会場より綺麗で、良い環境の会場で試合してるので、タイチームのバレーボールの進歩を試合の技術だけでなく環境も進歩してると感じます。観衆も多く興行収入も黒字なんでしょう。強化と普及にタイは努力してますね。オリンピック出場権も東京オリンピックでは取れて出場出来そうと感じます。ますます、東京オリンピックでの日本チームの成績が怪しくなりますね。またオリンピック施設の建設が話題になってきてます。オリンピックが終わった後の維持費が課題になってるようです。都民が気安く利用出来るような使用料金に、する、らしいですが維持費で足りない分は都民のスポーツ振興の税金で維持費を工面したり民間に譲り渡したり施設のネーム貸し費で維持するようです。バレーボール会場になる有明アリーナも気になります。レガシィになると良いですが負の遺産になったら、バレーボールの成績が悪かったら、バレーボールのイメージが更に下がりす。残念な結果は避けて欲しいです。
5528
:
カルバハル
:2019/02/16(土) 09:50:22
昔の話し
ドラマやアニメも普及に繋がりました。今は、ハイキューくらいですね。
https://youtu.be/l8E6XIxmyZQ
。
最近はバライティ−すら出でないです。
5529
:
カルバハル
:2019/02/16(土) 12:34:31
世間は見向きもさしない。
バライティ番組、アニメ、スポーツ番組、スポーツニュース、新聞、スポーツ新聞、ですらバレーボールは扱いしないです。白血病になり、そーとしてやれば良い、池江璃花子選手の個人は毎日報道されて、逆に可哀想です。取り扱って貰いたいのに、相手にされない虚しさを感じます。Vリーグが、どうなっても世間は、見向きもしません。話題作りでビジュアル優先のメンバーの方が話題には、なりますが?やはりバレーボールを見て欲しいです。オリンピック前年を、こんなカタチで迎えるとは思いませんでした。オリンピック後は、どーなるんでしょうか?有明アリーナ、アクセス的にも、あまり良いとは思えません。東京体育館と比べて良くないです。都民税が維持費負担になりそうです。自分の事や立場だけしか考えてないとバレーボールは終わりますよ。嶋岡さん
5530
:
カルバハル
:2019/02/16(土) 16:55:02
バスケより下にはなりたくないですね。
日々、目標が下がりますが日本として成績と人気もバスケよりは、上にいたいですね。バスケに負けたら大型有望な選手は、持っていかれます。
5531
:
カルバハル
:2019/02/16(土) 19:12:08
始めてオリンピックの銅メダルを取った。
カーリングの試合は毎日ゴールデンタイムの国内の試合がNHKBS1で放送されて羨ましいです。昔はバレーボールも羨ましがられたんでしょうね。こんなに早く、こんなに落ちると思いませんでした。オリンピック後は、どうなるんでしょうね?黒後も古賀も人気選手になるにはイマイチですね。やはり久光製薬の、ようなチャンピオンチームに人気選手が現れないと第二の木村沙織の、ような人気者になりません。実力も人気もないと競技の人気に繋がらないですね。さおりん前はメグカナ、その前は、かおる姫?、その前は、佐伯?その前は山内、大林?その前は、カルテット、江上、三屋、広瀬、横山、モントリオール組は、人気は金坂?荒木田がありましたが実力者が沢山、居ました。その前は生沼が人気ありました。その前は東洋の魔女です。
5532
:
岡本 すいか
:2019/02/16(土) 22:42:22
生沼スミエ監督
初めまして。今春不惑を迎える「元コギャル」です。別スレッドで記させていただきました、
広瀬美代子選手の20年後輩です(…ということは、広瀬さんは今春還暦ですか。今は中島姓、名古屋在住とのことだそうで)。
こちらでは若輩者でしょうからリアルタイムで諸先輩方、ご指摘や情報提供をしてくださるとうれしいです。
今、遠く離れた神戸の実家には今は亡き祖父が遺してくれたバレーボールマガジン、昭和58年1月号があります。なんと、史上初の女性監督・生沼スミエさんがアジア競技大会を率いられ、その指揮下に江上新主将背番号1、私の大先輩・広瀬選手背番号4、そして現監督・中田久美選手背番号12といるのです。あとは、杉山佳代子選手背番号8。いずれも、祖父が贔屓にしている選手でした。
恥ずかしながら、生沼さんについてはこの本を読んで初めて知りました。これも私事で恐縮ながら、父と同い年(昭和21年生まれ)、ご健在なら昨秋72歳になられたようで。
すると、中田監督は、この生沼監督以来の女性監督なのでしょうか。
それにしても、この本には「アジア競技大会・銀メダル」の戦績とともに、生沼監督の独占(?)インタビューが掲載されていました。昭和57年暮れといいますから、私が物心つく前、まったく記憶にないのが実に惜しい(笑)。にも拘わらず、その記事を一読しただけでも、
生沼監督が中田選手に目をかけているのがわかりました。
『今大会の収穫は、中田です。新生全日本のセッターとして、よくがんばりました。
(この大会から全日本に加入の)杉山も見習うべきです。コートでは、先輩後輩もありません。自分が年少という隠れ蓑を捨てなければ』。
一言一句までは自信がありませんが、少なくとも、上記の内容だったかと思います。お持ちの方、もしいらっしゃいましたら。
解説者としての生沼さんは、辛口且つ応援団長的だったそうですね。この談話を読んでもそれがわかります。
大人しい?杉山選手も、その後(この1大会だけの指揮だった)生沼監督の辛口に応え、
ロス五輪で銅メダルに貢献したことは、皆様のほうがご存知かと。生前の祖父からも、お話を聞いていました。それだけに、物心つく前だったのは惜しいです。
初心者の駄文失礼しました。それでは。
5533
:
カルバハル
:2019/02/17(日) 10:42:51
昔の話し
専門誌の記事の記憶ですがモントリオールオリンピックの全試合ストレート勝ちや松田がメンバーに選ばれなかった永木に金メダルを半分に割って捧げた話しなどは、有名です。コアな話題で速攻の速さの順番をつけた話がありました。一番は有名な、白井の、ひかり攻撃、二番は、矢野のBクイックでした。三番が高柳のAクイックだったんですよ。高柳は春高バレーで中津南高校を優勝した大木先生が育てた金メダリストです。矢野や横山など女子バレー界で豊作の年です。74年世界選手権で日本が10年ぶりにソ連を破り王座奪回した大会は日立の一員として生沼さんがリーダーになってチームのサポートの一員でしたがモントリオールで金メダルチームのレギュラーです。その後、怪我に悩まされナショナルチームでは控えで唯一のレギュラーらモントリオールオリンピックと強運な選手です。同期の横山樹理が74年世界選手権〜82年世界選手権までナショナルチームに所属してましたがレギュラーでの金メダルは一回も取れなかった事と比べると、どちらがバレー人生、幸せか?ですね。高校もインターハイは中津南は準決勝で横山の居る博多女子商業に敗れてますが国体予選は九州代表は博多女子商業を抑えて中津南でした。国体は川口朱美の中村高校に負けて準決勝でした。引退後は吉田コーチと結婚してアメリカナショナルチームのマネージャーしたり柏エンゼルスクロスの監督をして活躍しました。身長は高校時代は168?日立に入社して171?とナショナルチームのバレーボール選手として小型でした。実業団になった時、中津南の2枚エースで対角の三浦富士子が、先に鐘紡で活躍してつらかったようです。高柳は三浦と一緒に実業団でバレーボールしたかったが164?しかない三浦は、もし一緒のチームで、どちらかが先にレギュラーになったらつらいか、敢えて違うチームを選択したと言ったそうで三浦が先に活躍したので高柳は三浦が言った意味が判ったと言ってました。そんな高柳のAクイックがモントリオールオリンピックメンバーの中でも3番目に速い速攻と言われたのは、素晴らしい事です。高柳のAクイックは、確かに速いです。えっ誰が決めたのて感じのクイックです。
5534
:
カルバハル
:2019/02/17(日) 12:07:39
懐かしい
https://youtu.be/bcMVvjQts9U
5535
:
カルバハル
:2019/02/18(月) 22:06:12
助走
昔の選手は今の選手程、助走をとってないですね。昔は最高到達点とか、ランキングジャンプの話しよりサージャントジャンプ、その場飛びのジャンプ力よく比較してました。確かに、ラリーになったり、速効性とか、リバウンドして打ったりとか試合中は十分な助走が取れてスパイクを打つ余裕なんてないです。二段トスもボールを目で追いかけて後ろからくるボールをスバイクする訳だから、思いきったランニングジャンプなんかしません。ブロックジャンプだって同じです。良く高さがないからダメとか言う人が居ますが高さだけでは議論出来ないのがバレーボールです。330?に最高到達点がある選手でもトスの関係もあるし330?の高さではスバイクは打ちません。体格だけでは語れないのがバレーボールです。素晴らしいスバイの前には良いトスか必要です。良いトスの前にはナイスレシーブが必要です。それを、させないなら強いサーブが必要です。バレーボールのブレーは繋がってます。やはりチームワークでしょう。
5536
:
昔話
:2019/02/19(火) 10:00:57
速攻
70年代の初めにはA、B、C、Dと速攻を一通りやっていましたし
時間差と移動攻撃もありましたが、移動攻撃は今のブロードほど移動距離はありませんでした。
セッターの前後からのAとCは当時でも結構速くて、アタッカは短い助走を取って踏み込んで
ボールの上りざまにスパイクを打ち込むようなものから、いわゆるセミクイックもありました。
飯田さんや古川さんは速さより高さを生かしたセミが得意だったように記憶しています。
70年代初めでは生沼さん、浜さん、塩川さんは、結構早いクイックを打っていました。
BとDはまだ打数自体がそれほど多くなく、アタッカーが跳んでからトスを上げるというより
速くて低めのトスが上がってからアタッカーが助走して打ち込むような形が多かったと思います。
アタッカーがアタックラインぐらいのところに構えていて、トスが上がってから助走を初めて
今のBクイックより助走を多く取っていたんじゃないでしょうか。
今ではセンタープレーヤーはほぼ速攻しかやりませんが、70年代の前半ぐらいまではセンターが
センターからオープントスを打つことも多く必ずしも速攻要員ではありませんでした。
特に高身長で馬力があるセンターがいると二段トスがセンターに上がることもめずらしくありませんでした。
そこは今と昔で変わりましたね。
やはり女子のバレーが大きく変わったのは70年代の半ば以降だったんじゃないでしょうか。
日立を中心に妥当ソ連を目標に掲げて、筋力トレーニングやサインプレーなど取り入れて
より速くて複雑なコンビバレーに取り組むようになったあたりから、トスが速くなり
速攻もより速攻らしくなったと思います。
73年のワールドカップのセミファイナルの日本(ヤシカ)対韓国の試合がダイジェストで
放送されたのですが、韓国のバレーは早かったですね。
当時、ソ連も日本もあんなに早いバレーをやっていなかったので驚いた記憶があります。
そして77年のワールドカップで見た中国のセッターコンビのライト攻撃もかなり高速でした。
特にソンシンポウがトスアップしてチンショウテイが攻撃するクイックは本当に速かった。
女子が男子のバレーを積極的に取り入れるようになった70年代後半が転換期になったと思います。
それからヤシカの岩原豊子さんですが、私が覚えてないだけかもしれませんが
岩原さんは今でいうサイドアタッカーで速攻はやっていなかったと思います。
速攻が得意だったのはもう一人のセッターの古田さんで、古田さんはブロックも得意で
飯田さんとともにブロックのヤシカの軸になっていました。
5537
:
カルバハル
:2019/02/19(火) 16:03:49
コンビバレー
韓国のツーセッターのコンビバレーは速かったですね。昔話さんが、おっしゃる通り日ソより速攻は素晴らしかったです。ヤシカの古田は身長が180?あるセンターでセッターでした。74年の世界選手権、金メダルメンバーです。正セッターの松田が怪我して離脱して正セッターは金坂がつとめてましたが、てっきり古田がキャリア的にも正セッターしても、おかしくないと思いましたが74年世界選手権のメンバーのレギュラーで前田、飯田がレギュラーで控えも斉藤、古田、小山、横山は日立以外の選手なんで、山田監督は日本リーグの練習だと思ってトスを上げてこいと金坂を正セッターにしましたが、まさか世界選手権のナショナルチームの正セッターが日本リーグでセッターの経験がない金坂を正セッターにしたのはモントリオールオリンピックで日立を主体で出場する為といい、凄い事ですよね。金坂は、それでソ連をストレートで破り金メダルセッターにまでなったんだから驚きます。最後までセンター矢野とのコンビが合わなく心配されてました。コンビバレーは器用で守備力のある韓国や日本が完成させましたが、その後、ワンタッチを数えないルール変更になり器用性が低い、守備力が乏しい大型の選手も頻度に、コンビバレーをするようになりました。やはりモントリオール後のルール変更が女子バレーのエポックになったと思いました。また専門誌で故山田監督がモスクワオリンピック前に言ってましたが女子のバレーボールは動きが良い175?前後のアタッカーが理想と言われてましたが昔、モントリオール前にソ連の女子バスケット選手でウイリアナ、セメノワ選手210?のような選手がソ連には居るのに何故バレーボールでは使わないのか?ギビ監督に聞いたら、ミスター山田は私を早く監督から、下ろしたいのか?バレーボールはバスケットと違い体格が大きいだけでは通用しないと言ってました。確かに、ソ連の主力のアタッカーであるリスカル、スモレーワ、サリホワも174〜176?位の選手です。故山田監督は、そう言いながら、コートを見つめて、しかし今コートで活躍してスパイクを決めてるハイマンは196?の選手がバレーボールをしてる、こんな時代がくるとは私もギビ監督も思ってもいなかったと言った話が専門誌にありました。より女子バレーが大型化して男子化してのは、やはりはアメリカの、フローラ??ハイマンの出現とセリンジャー監督の指導も女子バレーボールを変えた要因ですね。その後、アジアでも郎 平、李 月明、頼 亞文、張 ヌイヌイ、朱 テイなと大型化していきました。ソ連もチェブキナ、アルタモノワ、ゴーディナ、ガモワと大型化しました。ペレス、ポマレス、ウリへリエス、カルバハル、トーレスと大型化してルイスなど男子以上のジャンプをする選手が現れてます。大型化しても速いブロード攻撃もしますから女子バレーの進化は技術だけでなく体格にも現れてます。日本は昔は日本より小柄な韓国を、相手にする時は、ゆっきりした攻撃で、コンビバレー合戦に持ち込まないで勝ってましたが今は韓国の方が体格も大きいです。
5538
:
昔話
:2019/02/19(火) 17:39:28
こんな記事が
https://www.sanspo.com/sports/news/20170509/vol17050911000001-n1.html
面白い記事がありました。
良く知られたエピソードですが、一緒に脱走した二人のうちの一人は東大阪ということですぐ分かりますね(笑)。
もう一人は誰だったのか?
ユニチカのメンバーだとは考えにくいしよそのチームのベテランでもなさそう。
ミュンヘンのメンバーの他に誰か合宿に参加してたのか?
白井さんと一緒に写真に写っているのは、向かって右が岩原さん、左が浜さんです。
5539
:
カルバハル
:2019/02/19(火) 19:27:19
脱走した話し
NHKBS1で以前放送された時に知りました。3人で逃げたんですね。当時は日ソ対抗戦で日本も大きくなりましたと解説で言われてましたね。白井の他に大型選手はミュンヘンには出てませんが加藤きょ美とかは日ソ対抗には出てた記憶が有りますし放送で、チラッと加藤の写真が出てましたね。大型の若手選手はレシーブが苦手なんで、一緒に脱走した可能性はありますね。真実はわかりません。もう一人も、同じ観点から考えると、専門誌では期待の大型選手とか載ってる記事では大学生の古田とヤシカの永野が記載されてます。若手で大型、ユニチカ以外の白井以外の選手で全日本の合宿に参加するのは学生の古田は考え難いです。大型の白井と同じでミュンヘンオリンピックで期待されてる選手で守備で、小島監督に、しごかれて白井と同じ気持ちを持つ選手は加藤と永野ではないでしょうか?同じミュンヘンで参加した選手を考えれば、岡本かも?知れませんが、想像の世界なら加藤と永野と白井の3人かも?知れませんね。事実は判りません。誰なんでしょうか?しかし、どの選手も三大大会で活躍した素晴らしい選手です。
5540
:
カルバハル
:2019/02/19(火) 19:31:38
東大阪出身は
岡本真理子ですが、岡本ですかね?関西の地図は頭に入ってます。加藤と白井と岡本なら岡本と加藤は日立の選手だから、生沼さんの立場がないですね?岡本て後に日立のキャプテンだから、脱走するかな?
5541
:
アルタガモワ
:2019/02/20(水) 18:37:23
岡本真理子選手
もしかして今から二十数年前胃のオペされた方でしたっけ?ワイドショーで報道されていたのを思い出しましたがどうも吉田真理子選手と岡本真理子選手の区別が付かなくて・・・。
歌手の葛城ユキさんは重なってはいませんが白井選手の先輩なんですね。
5542
:
岡本 すいか
:2019/02/20(水) 18:47:06
岡本選手の娘世代(自称)失礼します
皆さん、お世話になります。私も「関西、それも(神戸市東灘区)岡本出身の岡本」です(笑)。
私はかおる姫&鈴木洋美世代です、しかしながら先の生沼さんもさることながら、皆さんが挙げられている岡本選手にも魅力を感じられ、また上記の通り勝手ながらある種の親近感(馴れ馴れしいだけですか?)も感じてしまいます。また私事で恐縮ながら、私の母と同い年、ミュンヘン五輪の時は21歳だった学年ですね。東大阪高校は、岡本選手が在学中だったときは女子高だったようですが、その後少子化もあって現在は改名、共学化されました。
そうですよね、生沼選手にとっては後輩ですからね、ご自身の引退とは入れ替わって、その岡本選手からの勧誘もあって白井選手は日立に移籍されたようです。サンスポの下記記事、実に興味深く拝見した「岡本選手の娘さん世代」でした。
5543
:
カルバハル
:2019/02/20(水) 21:04:50
白井が中退したのは
片山女子高校で岡山県の強豪で就実高校とは、ライバル関係でした。葛城ユキもクラボウの選手でした。岡本は確かに癌なり完治して講演してましたね?吉田真理子は一時ワイドショーのテレビレポーターもしてました。埼玉県の与野市、今の、さいたま市出身で久喜高校出身で高校ビッグスリーと言われ中村高校の川口朱美、博多女子商業の横山樹理と並び称せられた選手です。ワールドカップ77で活躍しました。74年の世界選手権は日立の選手でナショナルチームのサポート役で帯同してます。岡本は日立のキャプテンでナショナルチームをAとBと分けた時の日立中心のAチームのキャプテンで日立のキャプテンでキャプテンシーもあります。勿論Bの選抜軍のキャプテンは飯田です。日ソ対抗で、ギビ監督が、どういう感じでAとBを分けたんだと迷わせた日ソ対抗でした。岡本は速い平行トスを生沼とのコンビでミュンヘンでも決めてました。松田と白井の、ひかり攻撃が有名ですが、岡本も速い平行トスも得意な選手です。74年世界選手はライトでレギュラー、モントリオールでは白井の対角エースで白井が後衛に下がっても攻撃力は変わりなかったです。ミュンヘンオリンピックの経験者は白井、飯田、岡本と3人です。またサンスポの記事でも初の世界三冠王が山田監督と紹介されてますが、間違いです。ソ連のギビ監督が73年ワールドカップで達成してます。昔は三冠王監督と山田監督は言われてましたが、中国の袁偉民監督が三冠王監督になってから、山田監督が世界初と言われるようになり、間違った話しが、その後、訂正されずに言われるようになりました。白井と岡本が朝逃げしたとしら、もう一人は、やはり日立、繋がりで加藤でしょうかね?のちの日立、第二期黄金時代の主力中の主力ですからね。生沼さんはミュンヘンのレギュラーですから、ばつが悪いでしょうね。ミュンヘンのチームはレギュラーと控えを取り持った役目はベテラン岩原がつとめたとも言われてます。出身は違うらしいけど東京で育ち中村高校出身で、チャキチャキの江戸っ子と言われてた岩原が裏方をつとめたとも言われてます。中村高校とヤシカは太いパイプがありました。果たして、誰が白井と脱走したんでしょうね。四天王寺高校の佐藤監督が確か小島監督のミュンヘンチームのマネージャーをしてました。佐藤マネージャーが確か白井らを探して日の丸つけてる意義を、まだ子供の白井達に、しっかり説明して納得させたんですよね。どーも今の日本のナショナルチーム監督の中田久美にも、日の丸つけて戦う意義を教育して欲しいと思います。
5544
:
カルバハル
:2019/02/21(木) 11:36:39
その昔
鐘紡と豊橋東、中村とヤシカ、四天王寺とニチボー、久喜と東京三洋電機と選手ないし監督が繋がってました。日立は三鷹高校教員の山田監督と生徒の生沼が日立武蔵創部当時のメンバーですがインターハイが6人制になり初のチャンピオンが三鷹高校です。日立は、始めから6人制のチームからスタートで日本リーグ初代チャンピオンですが、当時は新参ものでしたが、メキシコオリンピックの主体チームになったのは山田監督の素晴らしい指導力は認めないといけませんね。山田監督が、おかしくなって来たのは、やはり目標である打倒ギビ監督を達成あたりからですね。少女バレー塾も、同じように、志しは良かったんですが少女バレー塾で世界と戦ったのは大林と中田の2人だけでした。ソウル以降はバレーボールの指導者としては?です。山田監督は日立創部〜モントリオールまで現実的な勝つバレーボールを追ってまましたが、その後は白井、矢野のツーセッターから始まり中田久美の出て来て将来の夢ばかり語る人になりました。江上なんかは小島監督の下、ナショナルチームに所属してましたが、再び山田先生の元でナショナルチームで活躍するのが夢といってましたが、日立に入社した当時のモントリオール前の山田監督の下にナショナルチームは現実になりましたが江上が憧れてた山田監督は、もうそこには居なかったと思いますよ。晩年は老害とか言われましたが小島監督の方がバレーボールの指導者としての人生は、まっとうしたと思います。
5545
:
カルバハル
:2019/02/22(金) 12:59:48
メダルを取ったオリンピック前
前回の東京大会は金メダル、62年世界選手権、金メダル、メキシコ大会、銀メダル、67年世界選手権、社会主義国不参加で金メダル、ミュンヘンオリンピック 銀メダル、70年世界選手権、銀メダル、71年プレオリンピック金メダル、モントリオールオリンピック、74年世界選手、金メダル、プレオリンピック、単独日立で銀メダル、モスキーノオリンピック不参加、78年世界選手権、銀メダル、プレオリンピック金メダル、ロスオリンピック、銅メダル、82年世界選手権4位、83年アジア選手権、金メダル、ソウルオリンピック、身に付いてメダル無し、世界選手、メダル無し、ロンドンオリンピック銅メダル、世界選手権、銅メダル、ワールドカップ4位、必ず、オリンピック前は、選手が自信が付くような成績を納めてます。今回のナショナルチームは国家プロジェクトで東京オリンピック、メダルを狙ってます。更に伝説ののるチームを作るなら、東京オリンピックの金メダルと同等の成績でしょうね?しかしオリンピック2年前、今のところ、オリンピックに繋がる成果は出てません。どーなるんでしょう?急成長する要素とか見られません。オリンピックの出場権が無いワールドカップで金メダルでも取らないと全然、信頼出来ません。
5546
:
カルバハル
:2019/02/22(金) 21:00:42
昔の話し
74年の世界選手権で日本はソ連をストレートで破り金メダルを取りました。その大会で日本はキューバに1セット奪われてます。そして75年は3国対抗戦で日立、前田、横山の居る日本選抜チーム(飯田は、その時は引退)、キューバ、ブラジルの対抗戦で二回戦総当たりで日立が有償、2位は3勝3敗でセット率で日本選抜、3位はキューバ、4位は全敗でブラジルでしたが、まさか78年でキューバが世界チャンピオンに、こんなに早くなるとは思いませんでした。しかし今は、ブラジルが北京、ロンドンとオリンピックニ連勝するチームになるとは、夢にも思いませんでした。当時は日本では白井が305?に届く高さが一番でしたか、キューバの選手の平均が三歩助走で307?、ペレスやバルネットは321?に届いたようです。将来性を感じました。しかし今はキューバは世界バレーでも全然ダメです。オリンピック三連覇した国とは思えません。ペルーも駄目になりました。ブラジルも、このまま落ちていくんでしょうか?そう考えてみるとロシア、中国、アメリカ合衆国は、落ちても、また短い間に復活します。日本、ポーランド、北朝鮮、韓国、ドイツ、チェコなど三大大会でメダル経験チームも、なかなか世界の上位に復帰出来ません。イタリアが、漸く復帰してきましたが、やはり大国の方が人口が多いからかも?知れませんね?なので日本が一番頑張らないと駄目なのは、やはり普及でしょうね。バレーボール協会の努力が大きいと思います。
5547
:
岡本 すいか
:2019/02/23(土) 17:32:14
「金じゃなくてごめんなさい」
こんにちは。お疲れ様です。
私が記させていただいたタイトル、ご記憶の向きも多いのではないでしょうか。ちょうど7年前、週刊現代に『あの人は今・オリンピック選手篇』と銘打たれ、私の(高校の、ながら)
大先輩・広瀬選手も、男子の重鎮・大古誠司選手に次いでインタビューされていました。その時、広瀬選手の近況も明かされたのです(現姓、名古屋市在住)。
週刊現代は広瀬選手と同じ昭和34年3月生まれ、従って今春広瀬選手の還暦とともに創刊60周年を迎えるようです。インタビュー記事を拝見し、想像以上に孤独を強いられたロス五輪だったようです。それも内外両面から。
「外」とは、全員感じているはずでしょう、ロス五輪での重圧。ご本人も語られているように、チームとしても金メダルだけが求められたすごい重圧を感じていて、選手村の思い出どころではなく、試合場と食堂と選手村と往復するだけの毎日だった、と。
そして「内」。日頃同僚であるはずの、ユニチカ組の伸び悩みでしょう。
『もうひとりの美代子』西川美代子選手は全日本候補、横山樹里選手の後継者と期待されながら、思った以上には伸びなかったようです。そして、一度はアジア選手権の時、生沼監督下、日の丸メンバーに選出されたはずの若生美喜子選手は、なぜかロス五輪直前に退社。この理由をご存知のほう、ご教示くださればありがたいです。
それにしても、広瀬さんは当時から、落ち着き払っている印象だったみたいですね。現役時代のインタビュー記事と、7年前の記事を見比べても、とても30年以上の年月が経過しているとは思えません。
とっくに広瀬選手を知らない『ゆとり世代』のはずの、母校の女子バレーボール部の顧問(教員3年目、26歳)も、教員を目指していた大学生当時にこの記事を読んでいて、特に最後の一文を、今の教え子たちにも伝授しているとか。
『広瀬さんのプレーを見て、不良になりかけたところから更生した、という手紙をもらったことがあります。バレーボールを通じて、何事にも最後まで諦めない姿勢を学んでもらえると嬉しいです』。
5548
:
アルタガモワ
:2019/02/24(日) 13:10:51
確かに・・・広瀬選手
一番出たかったのはモスクワ五輪でしょうかね。
82年世界選手権の時は日本リーグでは日立が失セット0の完全優勝の中何故だか全日本の監督は児島さん・・・それだけでも複雑な心境になりますよね。
樹理は峠を越しいくら水原が絶好調でも限りがありますよね。私は当時の事を少ししかテレビで見てなくてあまり偉そうな事は言えないのですがどうせやるんだったら日立主体、そしてセンターは江上、三屋で以下ユニチカ主体で挑めば良かったのに・・・って思いました。
何らかの加減でアメリカ戦の途中で水原に換え小高を投入小川-小高にしましたが一体何がしたいんだろう?と思いました。長い間ユニチカはサウスポーの水原でやって来て幾らかは練習してはいたと思うのですが肩幅一つ分飛ばさなければならない右利きのライトの小高にトスを上げなければいけない・・・。
そしてロス五輪ではもうオマケみたいな扱いでマスコミ、煽られたファン達の目はすっかり大谷、廣、宮島・・・そして日立主体の完全アウェイ状態・・・もし人間の出来ていない私だったら「大きくも若くも無く先がほぼ見えて来た自分、レシーブで必要だと言われても殆ど利部(利部には罪は無いけど)が使われる」とてもじゃ無いけどやってられないと自体してユニチカに戻るか引退していたと思います。
しかしながら当時の全日本はレギュラーでは無くてもエントリーされただけでも凄い事だったんでしょうね。
でも彼女の存在はいつまでも語り継がれるのはやっぱり偉大だなと思います。
5549
:
カルバハル
:2019/02/24(日) 17:00:51
広瀬美代子
ワールドカップ81は広瀬のブロックアウトを狙うスパイクやストレート打ちは一流でした。レシーブ力は今でも通じるレシーブの神様です。ニッポン、チャチャチヤが生れたてのもワールドカップ81のアメリカ戦です。ワールドカップ81後、広瀬のプレーで感動した、人生変わった、挫折してた自分が立ち直る勇気をもらったとか、死にたいと思ったてが、諦めない。とか立ち直ったとか、バレーボールのプレーを観ただけで、そこまで思われた選手も居ません。その後、怪我したり世界選手で4位になり女子バレーで始めて決勝戦に出られなかった。今では考えられないワースト記録の大会でした。その後、ベテラン勢が抜けてユニチカは荻原がセッターで若生、木下、西川、広瀬がチームの中心になりました江上、三屋、杉山、森田、中田、小高の日立が国内は独走して二番手も東洋紡でした。広瀬は全日本の使い方は、扱い方は酷かったですね。力が落ちた感じはしないし、ロスオリンピックの秘密兵器になれた人材なのに広瀬は人気と実力があるからナショナルチームに選ばれただけて感じの使われ方は山田監督も酷いなと思いました。カルテットなんか入れてロスよりソウルみたいなチームでした。ナショナルチームは中田久美が中心みたいが、その後、バルセロナまで続きましたが中田久美がナショナルチームに入った82年世界選手権〜引退したバルセロナオリンピックも常にワースト記録を更新が続き、アトランタは予選敗退、シドニーはオリンピック出場も叶わなかった。女子バレーの成績が、転がり落ちる歴史の始まりが皮肉にも中田久美の戦歴と一致します。中田久美は三大大会のメダルはロスの銅メダルだけなのに、14才から全日本入り世界一の天才セッター、松田紀子が富士山なら中田久美はエベレストと今でも言われてますが、日本女子バレーが世界から転がり落ちた生き証人てのが真実です。世界で勝つ事を知らない特別扱いの人がナショナルチームの監督になってるのが事実です。世界で勝った経験のある外国人が監督にならないのも過去の栄光に腐ったプライドが蔓延るバレーボール協会の体質でしょう。中田久美のプレーで感動しましたとか、人生感が変わりましたとか手紙や話しは聞いた事は無いです。広瀬美代子はワールドカップ81の1大会だけで今でも言われてます。やはり広瀬はレシーブの神様です。エベレストとか天才とか言われても神様には、なれません。江上も神様、仏様、江上様と言われてますね。二人の神様を上手く使えばルーターロスは、準決勝の中国戦、木端微塵のストレート負けは、絶対なかったでしょうね。試合開始の梁艷の連続ブロックのシャットアウト、広瀬を入れて拾いまくれば、違うカタチで83年アジア選手権のような試合になったかも知れません。打っても、打っても拾われたら中国はアジア選手権のトラウマがあるから焦ったでしょう。調子と自信が付けばハイマンや郎平にも杉山なら対抗出来ますから、世界一のセンター攻撃で対抗出来たでしょうね。レシーブの神様、ブロックアウトの名手を効果的に使っていればワースト記録は、もう少し先、伸ばし出来たでしょうね。ロスの銅メダルはロンドンの銅メダルと違いワースト記録の更新です。
5550
:
カルバハル
:2019/02/24(日) 20:17:26
故小島監督は
私が教えたバレーボール選手の中でもレシーブの力は広瀬美代子と山崎八重子の2人が双璧と言ってました。山崎はピンチレシーバーだから、広瀬美代子が事実上、レギュラーとしはNo.1レシーバーでしょう。
5551
:
カルバハル
:2019/02/26(火) 22:09:00
時代は変わりました。
https://sports.yahoo.co.jp/column/detail/201902260001-spnavi
男子バスケットはオリンピックでなくワールドカップ本戦に出場を、決めただけでフィーバーしてます。バレーボールは今まではワールドカップは開催国枠で自動的に出場出来ます。その昔はオリンピックで優勝してオリンピックの出場権を前回優勝で出場権を取るか、世界選手でオリンピック優勝してオリンピック出場権を取るか、開催国と前回オリンピック優勝国を除いた最上位国でオリンピック出場権を取るかが日本女子バレーボールチームでした。アジア枠や最終予選枠なんて気にしないでオリンピックに当然出場して当たり前のように決勝戦に進みソ連との決勝戦で勝負なのが当たり前じゃないのに当たり前のような時代がありました。オリンピックや世界選手権の試合はソ連戦のみが勝負をかけた試合でした。アジア枠を意識したのはロスオリンピックの時の83年アジア選手権の韓国戦が女子バレーボールチームの始めてのオリンピック出場権を争った予選大会でした。 モスクワは不参加でしたが前回オリンピック優勝国枠が日本女子チームにはありました。79年アジア選手権で中国が日本にガチで勝って優勝してアジア枠で出場権をとりましたが、既に日本はオリンピック出場権は持ってました。77年ワールドカップの予選リーグでフルセットで中国には負けてますが試合スタートは若手主体のチームでスタートしたので。ガチの勝負で負けたのは79年アジア選手権が始めてでした。世界3大大会の本戦で日本が中国に始めて負けたのは81年ワールドカップです。それまでは世界三大大会に出場するのは当たり前、決勝戦までは当たり前に進出しました。更に言えば単独チームでもソ連以外は負けませんでした。東洋の魔女は更に単独二チボー貝塚チームで62年の適地モスクワの世界選手権で金メダルを取ったんですから、如何に女子バレーボールは日本の御家芸とまで言われた競技です。日ソ対抗もソ連ナショナルチームが日本の単独チームと試合してました。前回の東京オリンピックの前は大松監督率いる二チボー貝塚は、勿論、ソ連に勝つし、小島監督率いる日本選抜チームもソ連に勝つてました。日本一イコール世界一みたいな錯覚をメキシコオリンピックにソ連に負けるまで思ってた時代がありました。今じゃ信じられない夢の更に夢の時代が実際にあったんですからね。銀メダルは惨敗、金メダル以外はビリも一緒でした。
5552
:
アルタガモワ
:2019/02/27(水) 19:21:25
時代は・・・
こんな事になるんですね。
無意識の中でもまさかバレーボールがこんなに落ちぶれた存在になるなんて夢にも思ってませんでした。
そしてサッカーは勿論卓球、バスケそしてフィギアスケートなんて考えた事さへありませんでした。
ただ上記のスポーツも今は良いけど今後どうなるかは分かりませんよね、ただバレーボールを参考に凋落する事の無い様に戦術を立てて行くでしょうが。
昔はバレーの試合をわざわざ探してチャンネルを合わせなくても土日の昼過ぎにテレビを点けると放送して無意識に観れてた事に感謝さへしていなかった事に反省してしまいます。
5553
:
カルバハル
:2019/02/28(木) 04:21:22
ミュンヘンオリンピック
柔道が正式競技に復活しましたが、それまでは金メダルが常に期待されたのは女子バレー、レスリング、体操男子くらいでした。団体ボールゲームはバレーボールだけ。女子種目は女子バレーと水泳の青木まゆみ位でした。期待。話題は女子バレーが一心に受けてました。
5554
:
カルバハル
:2019/02/28(木) 11:57:00
伝説に残るチーム?
何時までも語り継がれるチームてバレーボールに深く関連しない人にも知られて語られるチームですよ。そのようなチームて東洋の魔女とミュンヘンの日本男子チームだけでしょう?あんなに強かったモントリオールの女子バレーボールチームも、そこまでは難しいんじゃないでしょうか?一つ選べば、やはり東洋の魔女でしょう。金メダル取得プラス、アルファがないと伝説に残るチームはハードルは高すぎると思います。金メダルを取得しますじゃ伝説に残りません。取得しても伝説には残りません。伝説に残るて、例えば、女子始めてオリンピックの金メダルリストの前畑秀子とか、何時までも映像を残して語られる選手です。体操のムーンサルトをした塚原光夫とか、あまりにも偉大なレベルです。14才で金メダルを取った岩崎恭子、鈴木大地、マラソンで金メダルの高橋尚子とかです。金メダリストでも野口みずきは伝説になって語られません。金メダルリスト以外な、オリンピックで初のトリプルアクセルを跳んだ伊藤みどりとか2大会連続オリンピックのメダリストの有森裕子などです。そんなレベルに女子バレーボールは現在あるんでしょうか?また信じられない記事で宿命の対決、東京オリンピックで再現と題して中田久美と郎 平の女性監督を取り上げてましたが、郎 平監督には、とても失礼だと思いました。一緒にしないでと言われますよ。日本女子バレーボールが地盤沈下して行った時の正セッターが中田久美です。更に勘違いしますよ。伝説に残るチームて言う事、自体が勘違いです。
5555
:
アルタガモワ
:2019/02/28(木) 23:38:01
確かに・・・
東京五輪の魔女は絶対ですがモントリオールは何故・・・?2度目に(金メダル奪還でも充分評価と言うか失セット0の完全優勝)なるのと本国大会では無かったそして女子バレーは金か銀と言う時代がそうさせたのですかね?
フィギアスケートに関しては私は伊藤みどりの現役時代全く興味が無くてスケート選手だと言う印象しか無かったのですが94年か95年に友人の家で初めて彼女のスケートを見てビックリして兎に角「スカーっとした」のをきっかけにもう引退していた彼女の大ファンになりました。あんな高く距離のあるジャンプっていまだに現れませんよね(トリプルアクセルへブロード攻撃の踏み切りと腕の振り上げが同じ)トリプルアクセルはその後二十年近くやる人が現れなかったのにもう少し評価されても良いのにな〜と思いました。
本当に彼女はエポックメイキングだと思います。
5556
:
カルバハル
:2019/03/01(金) 01:07:38
金メダルチーム
東洋の魔女とモントリオールのパーフェクトチーム、二チボー貝塚主体チームと日立武蔵主体チーム、初代王者と王者奪還、決勝戦の相手は共にソ連、オリンピック2年前に共に世界チャンピオンになったチーム、守備型のチームと攻撃型のチーム、失セット1と0のチーム、決勝戦はソ連に共にストレート勝ちしたチーム、ソ連にストレート勝ちしたが接戦で3セット目15-13のチームと圧勝して3セット目15-2のチーム、リスカルが共にソ連のエースだったチームと、6チームのリーグ戦と8チームで予選があり決勝戦トーナメントが有った試合形式のチームなと似た部分もありますが、比較すると、モントリオールの日本チームの方が当時のレベルを加味しても強いですね。モントリオールの特集号の専門誌も強い強すぎる、あの東洋の魔女と言われたチームでさへ、セットを落としてるが、モントリオールの日本チームはセットすら与えなかったと記載されてます。でも伝説に残り、語り種になるのは東洋の魔女のチームです。開催国では、なかったがメンバーの変更はありましたがモントリオールのチームの主体は翌年ワールドカップ77で日本開催で金メダルを取りました。やはり人々の心に残る試合をした。感動をした、試合をした差なんでしょうか?モントリオールチームは、金メダルを奪回しても選手の目に涙は、なかったです。モントリオールチームも飯田の復帰問題や松田が金メダルを2つに切って友情の金メダルにした。秘話もありますが一般社会では伝説のチームとして、何回も映像が出たり、語られたりする数は断然、東洋の魔女です。オリンピックの決勝戦で一番つまらない決勝戦がモントリオールとも言われてる、ところも有るんでしょうか?女子バレーボールイコール東洋の魔女なんでしょうか?74年世界選手権でソ連を破り王者奪回した時と魔女復活とか見出しが踊りました。またシドニーでオリンピック出場さへ、出来なかった時も、そこには魔女は居なかったとか、ワースト記録を更新する度々に魔女は○○と見出しにのりましす。伝説に残るチームて、何時までも時代が変わっても東洋の魔女て言葉が、ついてまわるチームだと思います。専門誌では、モントリオールのチームでは、そこには魔女でなく、ひまわり娘が居たとか書いてありました。日立のユニフォームのカラーかもしれませんが、女子バレーイコール、ひまわり娘とは思いません。伝説に残るは人々に多く長く言われる印象に残る当時を知らない人にも知ってる聞いた事あると言われるチームです。この掲示板はコアなファンが多いから、もっぱら書かれてる事はロスオリンピック、ソウルオリンピックが多いし、もし続くんで有ればロンドンオリンピックの話しになるとか、或いはシドニーのチームになると、思いますが、一般人は、やはり東洋の魔女なんでしょうね?ユニチカが同じ紡績会社の東レにチーム移籍出来たのは東洋の魔女のおかげと新聞には出てました。日立はチーム移籍は叶わなかぅたです。伝説のチームだからでしょうね?中田監督は、軽々しく伝説に残るチームと言ってましが、やはりバレーボール馬鹿なのか?一般人には、もどれながった特別扱いの勘違い女なのか?意味を理解してませんね。金メダルは厳しいから、逃げた言い方で口走ったつもりが大変な事を言ってしまった事を未だに理解してないんでしょうね。このままだと伝説どこか、誰も注目してないチームで終わります。金メダル以外は、ビリも同じ、金メダルでも伝説のチームには、なれない、それが日本の女子バレーボールチームの歴史です。
5557
:
カルバハル
:2019/03/01(金) 01:33:27
ミュンヘンオリンピック男子チーム
決勝戦で東ドイツに、3-1で勝った試合より、準決勝のブリガリア戦の大逆転の試合が今でも伝説に残る一戦で語り種に、なってます。伝説に残るチームは興味の無い人でも聞いたことある知ってると時代が経過しても人々を、感動させて語り継がれてる話しです。ロスオリンピックの女子マラソンの、フラフラになってゴールしたアンデルセンの話しや話題や映像はでて来ますが優勝選手を覚えてますか?記憶にありすか?伝説とは、そんな事です。ロンドンオリンピックも3位決定戦の、韓国戦より、準々決勝戦です。中道の最後のサービスエースのプレーです。伝説に残るチームを今の日本女子チームで作れるんでしょうか?ワンプレーでも東洋の魔女の宮本の最後のサーブのプレーです。モントリオールで飯田を、押し退けて打った白井のスパイクではないです。
5558
:
アルタガモワ
:2019/03/01(金) 09:35:03
確かに・・・
アンデルセン今でもよく映像が流れますよね。昨年猛暑の時に東京五輪暑さ対策でもやはりアンデルセン選手のフラフラのシーンが使われていました。
確かにロス五輪の女子マラソンの金、銀、銅メダリストの名前は覚えていません札幌五輪女子フィギア金、銀メダル選手も全く覚えてなくてやっぱりジャネットリン一色ですね。当時カルピス等のCMに起用される程でしたもんね。
モントリオールに話を戻しますがミュンヘン男子の準決勝を乗り越えての金メダルの方がより感動的で盛り上がりよりドラマ化しやすいですもんね。
失セット0の何の危険な崖っぷちの無いモントリオールは確かにドラマ化する要素が全く無く松田選手の永木選手のメダルを半分!と言う所に行ってしまいますよね。
ま〜どちらにせよ今の全日本には皆無・・・。
山田重雄監督も本当に罪な人ですよね。
中田久美と言う当時若く高身長に目を奪われたのは分かりますがまずは「パーソナリティー」を見抜くどころかそれを悪い方向へと助長させ中田のデビューと共に女子バレーの折れ線グラフは下降の一途・・・辛うじてロスは江上、三屋のお陰でメダルは獲得出来たもの・・・。
以前にも投稿しましたが私は中田は強気だとか言われますが逆で小心者で非理性的かつ計算が出来ない団体競技には最も向いてないのかなと思います。
当時中田と何のしがらみも無く平気で喧嘩出来たのは大谷くらいだったのかなと何と無く思います。
先輩の石田は控え杉山は元々人と喧嘩など全く出来ない貧乏クジ引くタイプ同期入社の小高は中田の様に日立、日本が求めていた選手が現れた!みたいな存在では無く日立側も背が高いから取り敢えず入社させてみた程度の選手・・・いくら日本リーグ失セット0の偉業を為し遂げたとしてももうこの時点で終わっていたのかもしれませんね。
ソウルでは故障し更に酷い状態の中田による中田選手の為のボロボロ五輪だと思いました。ロス五輪の前の国際大会では中国に捨てるもの無しの状態で戦ったアジア選手権に勝てたけどそれ以外は勝つ事は出来ませんでした。しかしソ連やアメリカに対してはほぼ勝っていたと思いますがソウル五輪までの国際大会ではワールドカップメダル無し、世界選手権・・・それ以外の大会でもペルー、東ドイツに負けたり当然中国、アメリカ、ソ連には確実に差を付けられて逆にまさか準決勝まで行けたんだと正直ビックリしたのと個人的な思いは「ここまで国際大会で勝てずにいていきなり銀メダル?冗談じゃ無いだったらあのロスの銅メダルはなんだった?いくら丸山選手が復帰してくれてここまで来たのはよく分かるけどこんなバラバラの選手ばかり集めて作った全日本に銀メダルはあり得ない」と当時若い私は正直思いました。バッシングされそうだから今まで言わなかったのですが。
長々とすみません。
5559
:
カルバハル
:2019/03/01(金) 15:10:33
ジャネット リン
居ましたね。確かスピンで失敗して転倒してんですよね。ジャンプの転倒で無いのも珍しいですが芸術点で6.0のフルマークが出て驚きました。金メダルを取っても伝説になり語り継がれる事なんか少ないです。中田久美は何で伝説に残るチームとか言っちゃたんですかね?教養が無いにしても余りにも大口叩いと思います。チームの戦力から、みても世界のトップのレベルから考えたら、いくら開催国でも銅メダルを目指しますが、やっとこさでしょう。リップサービスを考えても金メダルです。一番綺麗な色のメダル位でしょう。伝説に残るような材料があるんでしょうか?バレーボールを馬鹿にしてるともとれる発言です。大したアイデアもなく時間ばかり経過してます。確か、中田久美はロスチームは中田久美を腫れ物でも触る感じでした。大谷は、しがらみがないと言うか馬鹿と言うか、まだ子供だから、平気で言ってたかも?しれませんが大谷も、そのあと金と、大人の事情で潰れていきました。態度だけが大きかった女ですね。白井と似てると言われてましたが態度だけでしょう。中田久美は選手時代。大した功績も無いのにバレー界では引退して立て奉った事が更に勘違いを起こしてます。選手として一つ狂った歯車ですが監督を、つとめたら、チーム全体が、おかしくなってきます。確かに中田久美が出現した時はナショナルチームが3冠王を取った後、キューバに負けてモスクワオリンピックが不参加になり小島監督が日本を。盛り上げる為にナショナルチームに大谷と中田を、よんでバレー界のON現れるとサービス精神で呼んだだけですが、その時が中学生だった事を永遠に言われてるだけです。当時は、マスコミも派手に扱うから中田久美は、まるで女子バレーの救世主みたいな扱われたのが、今度はナショナルチームの監督になってナショナルチームの救世主になると勘違い来てるんでうね。それでなければ伝説に残るチームとか今のチーム状況みても、到底思えないし言えません。そこぬけの馬鹿でしょう。ここまで言われて、見返してやる奇跡のような成績になる事はバレーファンとして、僅に期待してます。
5560
:
カルバハル
:2019/03/01(金) 15:51:12
白井位実力があれば
https://youtu.be/tJC1Cu6_wkc
文句もでません、
5561
:
カルバハル
:2019/03/01(金) 17:11:01
中田久美と比べたら
https://youtu.be/o2OSjL07dk8
実績が雲泥の差
5562
:
アルタガモワ
:2019/03/01(金) 18:15:10
ありがとうございます。
カルバハル様は凄い所から凄い動画入手出来るのですね。
凄くマニアックな動画ありがとうございます。
金、銀メダルの圧倒的な選手でさへあまり共感は・・・って感じの白井選手のコメントですが
そこは金メダルの絶対的エースだから仕方無いのやかもしれませんがこれが辛うじて銅メダルの中田がと思う溜め息しか出ませんね・・・。
操作ミスで江上、三屋のスズキの番組や江上、三屋、広瀬選手の対談番組を消してしまったのでまたこう言う番組があったらまた教えて下さい。
5563
:
カルバハル
:2019/03/01(金) 20:53:26
14才から全日本の天才セッター
とか紹介される、訳の解らない評価と白井貴子のミュンヘン銀メダル、74年世界選手権、金メダル、モントリオールオリンピック、金メダル、77年ワールドカップカップ金メダルと紹介された実績と比べて下さい。中田久美は、ロサンゼルスオリンピック銅メダルだけです。如何に中田久美は、着飾れて盛られて紹介されてるか解ると思います。中田久美が私が誰だか判ってるのか?とか冗談でも言っては駄目な事は理解出来ると思います。てめーらこのやろーなんて言えた実績なんて無いんですよ。当時、世界一のエースアタッカーの居たチームでも伝説に残るチームでないんてすよ。あつかましいのは判ると思います。白井のインタビューで引退後の4年間はメダリストの生活をみて欲しい話は納得出来ます。またサーブレシーブは、やはり日本は全員でとらなければ駄目ですよね。サーブの強化やチームワークが大切な話しも納得出来ます。ひかり攻撃の話しで正セッターを決めない中田久美のバレーボールとは全く違います。またバレーボールを強化するのは普及してバレー人口を増やす事が大事の事も、言ってます。面白ろ可笑しく笑いながら話してますが今のナショナルチームは駄目、バレーボール協会は駄目と、言ってるような話しです。流石、世界一の選手と勘違いで世界的なセッターと思ってる人のオーラも違います。白井もバレーボールで成功するまでの事を聞いてもらいたいですね。逆に中学生で成功したみたいな勘違い女とは違うの理解出来ます。中田久美に対して辛口コメントするのは理解して欲しいですね。
5564
:
カルバハル
:2019/03/01(金) 21:20:49
ロスのチームで
江上を6人揃えるか白井が一人加われば金メダルと専門誌で山田監督が言ってたの判りますね。
5565
:
カルバハル
:2019/03/01(金) 23:00:23
格言で
言っていい事、悪い事、言っていい時、悪い時、言っていい人、悪い人と居ます。中田久美は、どれも駄目です。白井なら、言っていい事、言って良い時、言っていい人と、言えます。実力が違います。格が違うとか桁が違う位、選手としての実力、経歴が違います。まあ白井のような選手には、飯田高子が居ましたからね。江上が居ても中田久美じゃ、ちょいと厳しいです。ワールドカップ77は江上と白井がナショナルチーム、レギュラーで遭遇した最初で最後の大会です。日の丸を背負う意味は、今の中田久美では、重すぎます。
5566
:
カルバハル
:2019/03/02(土) 06:50:10
日本で1つ
バレーボールチームのあげるなら東洋の魔女でしょう。日本で一人バレーボール選手の名前を、あげるなら白井貴子でしょう。それはバレーボール殿堂でも同じでしょう。それくらいじゃなければ、何時までも語りつくされる様な伝説には、なりません。そんな伝説を塗り替えるチームて、ちょっとや、そっとじゃ出来ません。モントリオールのチームと東洋の魔女とでは、どっちも強いチームですが、やはりチームワークの面が東洋の魔女の方が上でしょう。1人1人も、凄いモントリオールオリンピックチームより、1人1人は、大した事ないけど6人が揃うと魔女の不思議な力を発揮するチームと言われるのは、やはりチームワークです。団体、球技種目の醍醐味です。バレーボールは、そんなスポーツ競技です。
5567
:
アルタガモワ
:2019/03/02(土) 13:02:11
正に化学反応
ですね。東京魔女の攻撃ってそんなに紹介されませんでしたが「回転レシーブ」今でもよく紹介されるけどモントリオール魔女の「光攻撃」も先ずはモントリオール金メダルの話を取り上げない限りが出て来ませんもんね。
中田がデビューした途端悪い「化学反応」が出て今度は監督として岩坂、新鍋辺りがそう言う化学反応を起こしているのでしょうか?
5568
:
カルバハル
:2019/03/02(土) 14:38:16
中田久美
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E7%94%9F%E6%84%8F%E6%B0%97
なまいき、だからです。見返しすような東京オリンピックのチームは、このままでは無理、ロスオリンピックもカルテットなんて4人もチームに入れるから、江上でも面倒見きれなかったでしょう。中田久美1人だったら、もっとプレーに集中出来たでしょうね?大谷は83年アジア選手権専用だったと思います。前にも誰かが言ってましたが3人分は田淵、井上、北井が選出されるべきでした。
5569
:
カルバハル
:2019/03/02(土) 14:47:01
特別扱いは
チームワークとしては良くないです。悪影響するだけです。
5570
:
カルバハル
:2019/03/02(土) 15:37:24
現代版の掲示板
身長や攻撃ばかりトスワーク、セッターの話題になります。そっちの方しか目がいかないんでしょうか?守備はリベロの話しばかりです。もっとチームとしてサーブ、サーブレシーブ、レシーブ、そしてレシーブをアシストするブロックの話題が出ませんね。日本は、やはり、そこが強化の基本です。ブロード攻撃が出来るからレギュラーとかの問題じゃないでしょう。またマインドも白井が言ってましたが日立に入れたから良い、レギュラーになれた良い、全日本に入れたら、良いでは勝てません。日の丸背負ってる意味を理解してない選手が多いです。久美さんの為とか言ってる選手が多すぎます。中田久美の為に日の丸を背負うんですか?これじゃあチームワークは出来ません。新鍋、岩坂は、特に駄目です。日の丸付けるキャプテンとして恥ずかしい限りです。ロスのチームも由美さんの為て考えた選手が居るようですが、その考えじゃ銅メダルでしょうね?美談や綺麗事では金メダルは厳しいでしょう。友情のようなチームワークじゃ勝てません。マニアックな動画の中に、沢山の指摘が入ってます。バレーボールで勝つ為のヒントが沢山あります。同じバレーボール選手でも190?の考え180?の考え170?の考えがあると言ってましたね。身近だと竹下良江の考えと木村沙織の考えは違います。それを、まとめるのが監督です。ナショナルチームの選手が皆、久美さんの為と言ったら終焉です。本当のチームワークを考え治した方が良いと思います。
5571
:
カルバハル
:2019/03/02(土) 17:24:51
伝説になると
https://youtu.be/tPux2tJqxZU
東洋の魔女展まで開かれます。モントリオールの、ひまわり娘は。そこまで、いかないのは、万人が認めてるからです。
5572
:
カルバハル
:2019/03/02(土) 17:56:43
モントリオールと東京オリンピックの女子バレーの差
東洋の魔女展にしても、モントリオールチームじゃ集客力がないでしょう。商売には、なりません。一番の差はユニチカフェニックス休部で東レにチーム移籍出来たのは東洋の魔女の伝説でしょう。日立は休部しても、誰も受け皿がなかったです。何とか伝統を守ろうとする力が、同じ紡績会社からも協力があったんでしょうね?伝説になるチームと強すぎるチームとは違います。中田ジャパンは伝説になるのは無理がありすぎます。女子バレーボールの終焉にはなる可能性が高いのではないか?
5573
:
岡本 すいか
:2019/03/02(土) 22:23:34
大谷と中田といえば…
お疲れ様です。
私はプロ野球ファンでもあります。ただし、贔屓のチームはなく、個別で選手を応援しています(同学年の巨人・阿部慎之助選手など)。
私が生まれた、昭和50年代の全日本選手には巨人ファン(特に江川卓投手の)が多かったようですね。私事ながら、過日帰省した時に「バレーボールマガジン」から確認しました。三屋裕子選手も『日立には巨人ファンが多いので…』と、江上選手の発言を裏付けているようです。
さて、モスクワ五輪直後『バレーボール界のON』と称されたそうな、現監督・中田久美選手と、同学年の大谷選手。
さすがに、こちらの掲示板の皆様にとっては、上記の両名からは数年前の日本ハムの選手を連想される方はいらっしゃらないようですね(“二刀流”大谷は現在は大リーグ)。
ただ、私はバレーボールのほうの大谷選手のプレースタイルを存じ上げないのです。リアルタイムで拝見していない悲しさです。ぜひ、ご教授くださるとありがたいです。当時の月刊バレーボールや過去スレッドから拝見する限り、攻撃的なプレーヤーなのでしょうか。また、「二刀流の大谷」のようなカリスマ性があるのでしょうか。抽象的な表現で恐縮ですが…。
その大谷選手といっても、もうご記憶のほうも、世間一般では多くないでしょうね。『大人の事情』で引退に至ったようで。
5574
:
カルバハル
:2019/03/30(土) 06:48:57
前田悦智子
https://youtu.be/bB55m6G4lM8
あまり話題には、なりませんが白井とツートップのエースです。貧血で苦しんで身体を治す為、東京三洋電機に入社した選手です。白井もクラボウから日立、前田も三洋電機の選手です。日立の生え抜きの選手ではないです。78年世界選手権は白井の抜けた穴は横山、良く埋めました。松田の穴は新人でユニチカの小川がつとめましたが最後まで埋まりませんでした。キューバの金メダルポイントは象徴するかのようにコンビミスで終わりました。日本が世界チャンピオンから落ちた瞬間です。以後、世界チャンピオンには返り咲いてはいません。
5575
:
カルバハル
:2019/03/30(土) 07:13:06
カルテット
ロスの時は、まだまだ、全日本のお客様、扱いです
今は岩坂の1枠でも批判が多いです。カルテットの枠は、勿体なかったです。モントリオールでは永木が12名から、落ちて金メダルを半分に割りましたが12名の無駄使いは中田久美がオリンピックに参加した時から、始まりました。やはり、その時の経験から12人の枠があるのに、新鍋が欲しい為に岩坂を入れてますね。特別扱いした事が今でも残ってます。
https://youtu.be/iGBYD5GSt5E
5576
:
カルバハル
:2019/03/30(土) 09:05:55
白井の話し
バレーボールは、皆でボールを拾おうよと言った話し、そろそろサーブレシーブを二人でするのはサーブが、よりスピードアップすりし、ボールの変化が大きくなってきてるので、そろそろ限界でしょうね?サーブレシーブは5人するべきでしょう。日本は時間が掛かっても専門性よりオールラウンドな選手を揃えてツーセッターにしないと勝てないでしょうね?世界と同じ事しても勝てません。
5577
:
カルバハル
:2019/03/31(日) 07:17:53
野球フアン
日立が巨人ファン、阪神はユニチカ、ファンが多かったです。日立は大阪出身の石田、森田も巨人ファンでした。江上が江川が行きたいチームに行けなくて可哀想と言ってました。また江川の事、かわいいとも言ってました。若い女性は、なんでも、かわいいと言った時代です。キモいは、まだ無かった時代です。
5578
:
カルバハル
:2019/03/05(火) 06:12:14
ワールドカップ
1971年のウルグアイのモンテビデオで第1回が開催されて、もうすぐ半世紀位になる大会ですね。第1回大会以外は日本で開催される世界大会ですがグランドチャンピオンカップ、また世界バレーも女子大会は頻度に開催されてるのもバレーボールの国際大会の価値が下がってきてる原因です。何故ならば、ワールドカップ、世界バレーが権威は、やはりオリンピックには敵わないです。世界バレーの歴史の方が長いがオリンピックを周期に4年で動いてるからである。ワールドカップも歴史が続いてるがオリンピックの出場権がうったら各国が本気で、試合をしました。出場権がなくなると3番目の大会となるでしょう。また一般人からみると、また秋に国際バレー大会があるもか?この間やった大会は、なんだっけ?日本ばかり大会があるとかファン以外は、大会がテレビ局の球技大会になってます。日本開催だから続いた大会だとも言えますが、日本開催が、選手の長期強化に繋がらず、長年低迷した原因の一つも考えられます。一度見直して整理が必要になるかも?知れません。ネーションズリーグなる国際練習試合大会もあるし、目指す目標が明確でない気もしないではないと思います。今日の日本で人気低迷のバレーボールは日本開催は厳しくなると思われます。興行中心と強化は別物でしょう。人気が少しずつ地盤沈下していって今日のような結果になるなら考え方が良いです。開催したい国はあると思います。開催国でホームでばかり試合しても強くはならないでしょう。
5579
:
岡本 すいか
:2019/03/05(火) 09:29:15
大先輩・広瀬選手が還暦
おはようございます。
生粋なバレーボールファンの皆様、貴重なお話をありがとうございます。まず、私の高校の大先輩・広瀬美代子さんが本日満60歳、還暦を迎えられました。
『あのヒロが還暦!?』
皆様信じられないかもしれませんが。因みに、広瀬選手は巨人、特に同学年の原辰徳選手のファンのことです。今期からは原監督、巨人軍史上初の第3期政権になる模様。
続けて。プロ野球とバレーボールの凋落、昔日をご存知の皆様にとっては嘆かわしい限りなのかもしれません。
昭和47年当時の新聞縮刷版を拝見しますと…。
「日曜日・某局の午後7時30分〜アニメ・ミュンヘンへの道。同じく午後8時からは、川崎球場・大洋対巨人戦。解説・水原茂氏」
と掲載されていました。元巨人監督、プロ野球有数の名将と謳われた(大松博文監督とは同郷)水原さんは、大松監督ともども亡き祖父が大いに贔屓にしていたようです。
その「某局」。昨年からは、地上波及びラジオではついにプロ野球の生中継そのものが消滅。
どの局かは、皆様ご存知かもしれません。天国の大松監督、松平監督、そして水原監督も、バレーボール、プロ野球のそれぞれの現状について憂いていることでしょうね。
朝から長々と失礼いたしました。
5580
:
カルバハル
:2019/03/06(水) 07:28:56
第5回世界選手権
優勝は日本でした開催国も日本でした。共産圏が不参加で東京オリンピック銀メダルのソ連は出場しませんでした。規模も小さくなった残念な大会です。今年のワールドカップが少し似てる感じがしました。世界選手権、銀メダルのイタリアが出場してません。更にオリンピックの出場権が掛からない大会になってしまいました。ならばプレオリンピックとして有明アリーナの試し大会に本来したら、もっと、真剣に勝負してくると思いますが、それもかなわず横浜アリーナです。有明アリーナがバレーボール会場として、わさわざ税金で造るならプレ大会として使い具合を試せたら良かったと思います。何かしら改良する所で出ると思います。オリンピックぶっつけ本番では問題が生じる可能性もあります。レガシィと言うなら万全な準備をして欲しいです。ワールドカップは本番に備えて手の内を見せない練習試合大会になってしまうんでしょうか?参加しても主力選手を温存するチームも出てくるはずです。第5回世界選手権のような大会にはしたくないです。
5581
:
カルバハル
:2019/03/06(水) 21:24:47
バレーボール界のプリンス
と嶋岡会長は呼ばれてました。また、ソ連のドロホフもアラン、ドロンを、もじって、アラン、ドロホフと言われてました。ミュンヘンオリンピックの大逆転した準決勝のブルガリア戦の最後の1ポイントを決めたのは嶋岡ですね。最近はバレーボール協会会長ですが、スピーチが理解出来ない話しばかりですね?何が言いたいのか?さっぱり判りません。立場は違いますが話しの内容は、ともかく白井貴子の話しの方が判りやすいです。同じ金メダルリストですが地位や名誉を持ってる嶋岡より責任がないのか?或いは選手としての経歴が上だからからは判りませんが白井貴子の方がバレーボールの事を真剣に考えてる感じがします。なんか地位にしがみついてるバレーボールに、たいして気持ちなのか?オーラなのか?堂々としてるのか?判らないけど白井の方が大きく生き生きしてる感じします。
5582
:
アルタガモワ
:2019/03/07(木) 07:01:49
女子より男子選手・・・って
あくまでも私の個人的な印象なのですがスポーツ選手に限らず女子より男子の方が太って凄い姿になりますよね。昔JTで期待された竹田?あれ忘れてしまったけど凄く線が細かったのが年々えらい事になって・・・。基礎代謝って本当に恐ろしいですよね。
カルバハル様・・・多分打ち間違えだと思うのですがウルグワイのW杯って73年ですよね?
5583
:
カルバハル
:2019/03/07(木) 11:09:16
ウルグアイの第1回ワールドカップ
73年でした。ところで男子は頭が禿げたり太ると若い頃の姿と違いますね。女子はスラブ径の女の子は美人で、可愛いけどすぐにおばあちゃんになると言われてます。バレーボールで、ちょっと昔、NHKBSで、ニーナ、スモレーワが出演して、随分、変わったな?美人選手だったのにと思いました。おそらくスモレーワさんですと紹介されなかったら、誰だろ?と思います。ミュンヘンの決勝戦の映像も出るので、その変わりように時の流れを感じました。しかしメキシコ、ミュンヘン金メダル、モントリオール銀メダル、70世界選手権、金メダル、73年ワールドカップ金メダルでキャプテン、モントリオールもキャプテン、78年世界選手権、銅メダルでキャプテンは白井より経歴は上ですよね。スタジオに居た時、堂々してたし、オーラも画面から感じました。勿論バレーボール殿堂入りしてます。経歴はやはり選手が引退しても輝いてる感じがします。残念ながら嶋岡より中田より経歴は上です。郎 平なんかは、凄いんでしょうね?選手としても監督としてもオリンピック金メダリストですからね。ロスオリンピックの秘話とか江上と出演して聞きたいです。
5584
:
岡本 すいか
:2019/03/07(木) 17:52:43
新興の都立高が全国制覇とは…!
お疲れ様です。
皆様、いつも(私の知らない時代の)貴重なバレーボールのエピソードを楽しく拝聴しています。
こちらの掲示板でも、選手としてのみならず指導者としても、即ち「トータル・バレーボーラー」として好評な生沼スミエ選手、そして監督。戦後創立、五輪前年の昭和38年当時まだ16年目に過ぎなかった新興の都立高が、全国制覇とは快挙ですね。
そして、山田重雄監督まで日立に誘導し、ともにバレーボール部を立ち上げたという…。
(100年経過しても、47都道府県別の公立校では唯一未勝利)高校野球では、まずあり得ない…。
野球は無論のこと、ほかの団体競技でも、恐らく都立高の全国制覇はかなり稀少な快挙なのでは!?
プロ野球では、都立高出身では監督にまでなられたのは故・土橋正幸さん(元東映投手→ヤクルト監督。都立日本橋高校卒)だけです。やはり、未だに野球殿堂には入られていないほうですが、殿堂の候補には上がっているだろうし、また上がってもらいたい野球人ですね。
生沼さんのバレーボール殿堂、私も望みます。広瀬選手のレシーブ力を認め、監督を務められたアジア競技大会では重用。
『(ロス五輪に向けての)レシーブ力が今後のこのチームの課題です。レシーブ力があれば、中国に勝てるチャンスがありました。皆が広瀬のレシーブ力を見習って…』と談話されたとか。
レシーブでも名手だったという生沼さん、名人は名人を知る、ということなのでしょうか。
5585
:
アルタガモワ
:2019/03/07(木) 17:55:42
スラブ系・・・バトフチナ
私の好きなバトフチナ・・・デビュー当時は「長靴下のピッピッ」と言う印象でしたが晩年はリベロで来日した頃はもう全く違ってたし。
日本人に目を向けると生前松平さんが嶋岡さんの事を「昔はプリンス今はブリンス」と言っていたのを思い出しました。
5586
:
カルバハル
:2019/03/07(木) 18:36:05
体操や新体操、フィギュアスケートなど
ロシアの少女は妖精のように綺麗です。バレーボール選手も昔から美人が多いです。ロシア人は寒い国なので脂肪を付けないと生きられない遺伝子があるようです。中年〜高齢者になると、どっしりとした太った、オバサンみたいになる人が多いです。コーカサス地方は特に美人の宝庫とも言われてますが、すぐに、おばあちゃんになるとも言われてます。スモレーワ、リスカル、ブルダコーワとか30過ぎまで現役で、頑張ってましたが美人でした。引退した後は、日本には情報が入っていませんでしたが、スモレーワがテレビで登場した時は、美人のスモレーワ、お前もか?と思いましたが、ただ者でない太ったオバサンでした。やっぱり、名選手はオーラがあり堂々としてました。逆に比べるとスモレーワには失礼ですが中田久美は、やつれてる感じします。面影は中田久美の方がありますが、貫禄とか、落着きとかが無いですね。選手が、この人に、ついて行ったら安心して信じて行けるような感じはしませんね?包容力が中田久美には無い感じです。郎 平は、なんかキチンと勉強して指導してるて感じがします。中田久美を。みてるとヒステリックで切れたら、誰も手に負えない感じがして、大選手と違い私について来れば良い成績が取れますといった選手からの信頼感がしません。何故だか判らないけど、おそらく選手選出やセッターを、大会ごとに、とっかえひっかえすれば、現役選手だった時の経験を思い起こすと信頼は得られないですよね。また特別扱いされる選手がチームにいてら、他の選手は、おもしろないのは、チームスポーツとして、まとまらなくなります。
5587
:
カルバハル
:2019/03/07(木) 22:04:48
アルタモノワ
世界デビューした時、解説の生沼スミ江さんが、私達の時代の時にスモレーワて選手が居ましたが、容姿がソックリですと言ってましたね。美人でツンとした感じでポニーテールの髪で言われれば似てるなと思いました。アルタモノワも、歳をとった時のスモレーワのようになるんでしょうかね?
5588
:
アルタガモワ
:2019/03/08(金) 12:14:07
時が流れましたね。
確か16歳で「アイスドール」と言われてカルポリ監督はマスコミに彼氏の質問は無用!「どんなお人形が好きですか?と聴いてくれ!」と言ったのをよく覚えています。
武富士時代に少し接触しましたがとても礼儀正しい素敵な選手でした。もう40歳くらいになるのですかね・・・ショック。
5589
:
カルバハル
:2019/03/08(金) 17:54:23
バトフチナ
劣化が早かったですね。90年前の世界選手権で決勝戦で大活躍しました。ソ連のシドレンコが力が落ちてたので若いバトフチナが中国との決勝戦は秘密兵器でしたね。郎 平が復活したから優勝だと思いましたが地元開催の中国も勝てなかったです。ソ連が優勝するとは思いませんでした。89年ワールドカップ優勝のキューバはルイスが出産後でしたけ?キューバのルイスと中国の郎??平の新旧女王対決の決勝戦が見たかったです。
5590
:
カルバハル
:2019/03/08(金) 18:03:49
大昔の話し
古い専門誌を読んでたらメキシコオリンピックはチームにメキシコのドクターが日本チームと滞在してたようです。そのドクターが通訳を通じて選手にプロポーズしたらしく、オリンピックの大事なソ連戦を前にあったらしいです。ソ連戦を前にチームが集中してる時の出来事で山田監督は怒ったらしく、その後チーム内で山田監督は妬いているとチームに不協和音が出たらしいです。やはり監督も選手も経験不足ですね。ラテン系の見つかりメキシコでの話しらしいエピソードです。選手も主力が若手ですからね。キャプテンの高山も21才ですから若いチームでは笑い話ではすまないでしょう。選手は誰だか不明です。
5591
:
カルバハル
:2019/03/09(土) 01:17:22
カザフスタン
美人選手、その後、どーしたんでしょうね?東洋人の方が年配になっても若い頃の面影はあります。三屋なんか、すぐに判ります。男子は禿げたりしたら、判らなくなりますね。郎 平も、あまり変わりません。日本人はマスターズの大会だと世界記録を作った人、沢山、居ます。昔、幻のモスクワオリンピック代表の日本とソ連の試合がありましたがソ連の選手は、全然。判りませんでした。多分ロゼビッチだと思うけど見る影、無い感じでした。確かロシア人の男子の平均寿命て70才位、だったと思いますよ?なので年金支給が伸ばされる事になりデモが起きたと聞いてます。
5592
:
久しぶり
:2019/03/10(日) 23:04:53
中道瞳
ロンドン五輪準々決勝中国戦。
最終局面での彼女の2本の値千金どころじゃない好サーブ。
長い日本女子バレー史上でも最も価値のあるプレーのひとつかと、個人的に思います。
(そのまま大友愛がサーブを打っていたらミスする可能性が高い。
メンバーチェンジが残っていたというところにも、運がありました。)
5593
:
カルバハル
:2019/03/11(月) 03:36:57
サーブ
一番、動画で紹介されるのは、やはり東京オリンピックの金メダルポイントの宮本のサーブです。ロンドンの中国戦の中道の最後の2本のサービスエースも感動しました。ロンドンオリンピックの動画で一番、多く出るのは銅メダルを取った時の迫田のスパイクです。その点、中道のサービスエースは素晴らしいのに残念です。モントリオールの白井スパイクやメキシコの生沼のスパイクミス、ミュンヘンのスモレーワのブロックアウトにしたスパイクなど、最後の勝敗が決まった瞬間のプレーは後々、紹介されやすいから人々の印象に残ります。
5594
:
岡本 すいか
:2019/03/11(月) 21:39:21
宮本恵美子選手
皆様、いつも貴重なエピソードを楽しく拝聴しています。私は「かおる姫&鈴木洋美世代」ですが、いつもバレーボール黄金期がうらやましいなあ、と。
カルハバルさんも紹介してくださっている宮本恵美子選手。ユニチカの背番号2番、代々サウスポーの選手が身に着ける番号なのでしょうか。宮本選手→山下選手→水原選手
駒沢体育館「五輪展示会」で、カルハバルさんが伝えられている映像を拝見しました。
今は、なぜか日立市にお住まいのようです(といっても、彼女の現役時代は日本リーグ前、ユニチカにとっては宿敵になる日立もまだ創部される前でしたよね)。
5595
:
カルバハル
:2019/03/11(月) 22:28:43
昔の背番号は
年齢順でした。1番が最年長者です。ロスオリンピックあたりまでは年齢順でした。大きい番号を付けた選手は若手となります。ミュンヘンは白井が12番、モントリオールでは、横山が12番です。サウスポーで活躍した選手は実際には少ないんですよ。サウスポーでオリンピックの金メダリストの日本人は宮本恵美子しか居ません。銀メダルリストはメキシコオリンピックは宍倉、笠原、ミュンヘンは山下で以上です。銅メダリストも中田久美だけ、ワールドカップも金メダルリストは水原だけ、世界選手権も宮本が銀メダルと金メダル、山下が銀メダルです。他に抜けてたら、追加宜しくお願いします。他は活躍だけなら大林、長岡位でしょう。ライトアタッカーはサウスポーが二段トスをボールが見やすいので有利です。因みに宮本恵美子は第4回の世界選手権は最優秀選手に選ばれてます。海外ではソ連が両手使いのサリホワ、キューバのポマレス、ベル、ペルーのタイト、中国の孫晋芳、東ドイツのモスクワオリンピックの銀メダルのファィッシヤーなんかが有名な選手です。左利きはバレーボールには有利と言われてますが意外とサウスポーで活躍した選手は少ないです。オリンピックの金メダルならキューバのベル、ソ連のサリホワが複数の金メダルをもってます。ベルもバレーボール殿堂して欲しい選手です。キューバのセッター、コスタもサウスポーだったと思います。ソ連のニクーリナも左で打ってたと思います。日本は大林がナショナルチームに、長く在籍してたから有名ですが宮本恵美子が実績はナンバー1です。中西千枝子も左利きのセッターです。
5596
:
カルバハル
:2019/03/12(火) 07:14:22
東洋の魔女が
活躍した時は日本リーグはありません。因みに第一回、日本リーグ、優勝チームは日立です。宮本選手の活躍した頃は、まだ9人制バレーボールも盛んでした。河西選手が背の高いセッター174?は9人制の時に前衛センターがセッターのポジションだからです。ブロックも出来て背が高い選手がセッターをそてました。日本リーグは東京オリンピック後、世界に通じる選手を育てようと言った主旨で始まった6人制バレーボールの実業団のリーグ戦です。暫くは二チボー、ヤシカ、日立の3強時代が続き、体育館も持たないヤシカは万年2位と言われましたが飯田、浜、岩原などが活躍するあたりから優勝するチームになりました。当時は単独チームでソ連と対抗戦すくらい日本海女子は強かったのです。ソ連以外判読チームでも諸外国には勝てるレベルでした。ヤシカは単独で第一回ワールドカップ銀メダルです。やはり凄いのは、二チボー単独で第4回世界選手権モスクワ大会で敵地、ソ連で金メダルを取った時でしょう。その大会で最優秀選手賞を撮ったのが宮本恵美子選手です。なかなかレギュラーになれなくて工場長が和歌山の実家に返す話までありましたが大松監督が断り宮本は選手を続けました。そんな宮本選手も世界一優秀なバレーボール選手と評価されました。努力家を絵に描いたような選手です。
5597
:
岡本 すいか
:2019/03/13(水) 10:19:16
生沼選手の「栄光の背番号5」
おはようございます。
カルバハルさん(お名前を間違えてしまい失礼しました)、ありがとうございます。
なるほど、道理で生沼選手は背番号5番なのですね。1番・松村勝美選手から数えて、確かに年齢順。同学年でも、早生まれの古川牧子選手(当時プロ野球の中日・星野仙一投手と同日の昭和22年1月22日生まれ)は生沼選手とは連番の6番でしたね。ミュンヘンでは、12番の白井選手は最年少だったのでしょうか。
生沼選手は冷静沈着そのものだったようですね。普段は敵将である小島監督の(ドイツでは、現地女性から「人権侵害」と訴えられたそうですね)スパルタ練習も、顔色一つ変えずに淡々とこなしていったようです。ミュンヘン五輪の数ヶ月前、奈良市体育館での招待試合での選手紹介の写真でも、ただ一人笑顔。生沼スマイルなのでしょうか。白井選手が小島監督と正面切っての戦争をしている真っただ中だっただけに、尚更生沼選手の大人ぶりが伺われます。白井選手がキャッチボールをした(脱走時には『日の丸を身に着ける栄誉を伝授した』)という佐藤忠明コーチのお顔も拝見しました。四天王寺高の監督なのですね。
年齢順もあってか、なぜか全日本では主将にはならなかったのにもかかわらず、のちに監督を務めたのですから、キャプテンシーは抜群なのでしょうね。
5598
:
ミュンヘンオリンピック
:2019/03/13(水) 11:07:09
ドイツの新聞で叩かれたのは
岩原です。岩原は背番号が3番のベテランでレギュラーと控えをつなぐ裏方を勤めました。女子バレーのスパルタ式の練習は外国人には理解出来なかったんでしょう。ミュンヘンの最年少は白井です。伝統的に年令順の背番号の方が観てる方は判りやすいです。若いのに頑張ってるもか、ここでベテランが投入されるとか、判りますからね。生沼はメキシコオリンピックは10番です。メキシコのソ連の金メダルポイントが生沼のスパイクミスでゲートオーバーになり、何度も紹介されるのは可哀相です。モントリオールオリンピックのキャプテン背番号1番の飯田はミュンヘンでは4番で、既に年令的にはベテランでしたから、74年に世界選手権で金メダルを取って引退したかったと思いますがモントリオールまで控えで良いからチームのキャプテンをお願いされて一時引退して復帰した飯田はモントリオールのメンバーのなかで、2番の岡本とは年令差はあります。モントリオールで2番の岡本はミュンヘンでは11番ですからね。モントリオールのメンバーで9番、吉田〜12番、横山まで、同じ学年です。吉田9番、高柳10番、矢野11番、横山12番です。個人的には年齢順の背番号に戻して欲しいです。
5599
:
カルバハル
:2019/03/13(水) 14:07:41
背番号
だいたい年齢順てのが正確ですね。東洋魔女はレギュラー6人が年齢順で礒辺が6番でした?ミュンヘン、モントリオール、ロス、あたりは12人、背番号は年齢順でした。正確には、何時からで、いつまでだかは正確に調べてみないと判りませんが、ある意味では女子バレーボールの背番号の伝統でした。ユニフォームも、何処が境か判りませんがブルマからトランスに変わりました。女子のブルマは男女差別をなくす為に使わなくなったらしいですよ。他にも白いボールからカラーのボールに、いつ頃から変わったんでしょうね?コートも昔は線が引かれてただけでした。これから、どうなるんでしょうね?テレビ放送は減りました。スティックバルーンの応援も何時からなんでしょう?バボちゃんは第2回ワールドカップにできたんですよね。
5600
:
岡本 すいか
:2019/03/14(木) 00:35:57
広瀬選手は「背番号4」
バレーボールファンの皆様、こんばんは。
皆様、重ねて、話題のご提供に感謝いたします。ロス五輪では、確か広瀬選手は「4番」だったように思います。年齢順なら、それも納得。日立の「三人娘(江上、森田、三屋各選手)」とは連番になりますから。三屋選手とは同学年でも、広瀬選手は早生まれ(3月5日)ですから、そうなるのでしょうね。日本では、旧来から『縁起のよくない番号』とされてきた4番、バレーボールに限らず、背番号4の名選手は稀有な存在なのでは?
5601
:
カルバハル
:2019/03/14(木) 07:24:36
背番号4
バレーボールは特別、縁起が悪い番号とは、あまり感じてないですよ。年齢順でなくても4番付けてるキャプテンとかレフトエースが4番付けてるチームもあります。あまり拘ってません。真鍋監督なんかはロンドンオリンピック前、選手の背番号変えたりしてました。バレーボールは日本は永久欠番とか、ありませんし聞いた事は無いです。バレーのユニフォームも長袖や七分袖になったり、袖無しになったり、男子は昔はランニングシャツのチームもありました。個人的には袖無しや、ランニングシャツや首元がファスナーのシャツは、なんか危険な感じしますね。コートでスライディングしたり、転げ回ったりするから皮が剥けたり、ファスナーの金具が引っ掛かりして危ないと思います。しかし昔より膝当てや肘当てする選手は減りました。動きにくのか、技術が改良されたのか?判りませんが、痛くないんでしょうか?昔は腰にもブルマに挟めてタオルを入れてパット代わりした選手もいました。守備を重視しなくなったのか?そこらへんは、教えて欲しいですね。故河西さんは、小さな座布団を腰に巻いたとか言ってた話しも聞いた事があります。
5602
:
カルバハル
:2019/03/14(木) 21:36:49
キューバ女子
70年の世界選手権で国際デビューしました。当時からジャンプ力が注目されてました。身体能力が高い君選手権が多かったですが、守備とセッターの技術がなくて77年ワールドカップで初のメダルが銀メダル、78年で世界チャンピオンになりました。日ソ以外で世界タイトル取ったチームでず。その後、キューバの協会でゴタゴタがあり再び銀メダルに返り咲きしたのは85年のワールドカップでミレーヤ、ルイスの登場でした。その後、89年ワールドカップで世界チャンピオンになり90年の世界選手権はチャンピオンはソ連でしが91年〜2000年までオリンピック三連覇を含めて無敵で世界タイトルを総ざらいしました。身体能力が揃った選手が揃い長年の協会と普及が実りました。しかしスター選手の引退と国家財政など諸問題で、その後は、奈落の底を落ちるようになり今日を弱体化が続いてます。何が言いたいかですが、どんなに素質がある人が居ても強化と普及を怠れば一気に落ちて行きます。反面教師にして考えれば今の日本バレー協会は強化と普及にイマイチ努力が見えません。人気は、ドンドン低迷してます。国内リーグも盛り上がりません。一般に競技を知ってもらうテレビ放送も無くなりました。試合会場のアクセス 奇っ怪なチーム数が合わない東西に分けたリーグと東西の成績の格差、微妙なジャッチに対してのチャレンジシステムの明確のなさ、チケットだけは上がり、ファンは逃げて行きます。競技の普及が出来なければ、強化も人気も出ません。バレーボール協会の、やること、なすこと負のスパイラルです。歯止めをしないと、素質があっても低迷してるキューバより落ちていきそうです。かつて世界トップクラスのペルーも復活の烽火は見えません。シドニーで落ちましたがアテネで歯止めをしました。1大会でオリンピックの出場権を取り返せました。人気復活の大チャンスの東京オリンピックは記念参加になりそうですが、何とか努力して踏みと土間って欲しいです。男女共に団体ボールゲームのオリンピック種目で金メダルを日本が取ったのは後にも先にもバレーボールだけです。協会の努力して欲しいです。嘗てはバレーボールは、お家芸とも言われた時代がありました。身体能力があるだけでは勝てない、強化と普及が大事です。
5603
:
岡本 すいか
:2019/03/15(金) 20:35:05
バレーボールとラジオ、そして日本テレビ
皆様、お疲れ様です。
私ははラジオ人間です。バレーボール黄金期を知らない世代と言ってしまえばそれまでですが、、その黄金期には、プロ野球のように、バレーボールの主大会(できれば日本リーグも)
ラジオでも生中継してもらいたかったですね。ラジオとバレーボールは相性が悪いのでしょうか。五輪はラジオ中継もあると思いますが。
続けて。どうして、首都圏のキー局のうち日本テレビだけはバレーボールの生中継(日本リーグ)には消極的だったのでしょう。プロ野球(巨人)、サッカー(読売クラブ)、駅伝だけで
充分だったのでしょうか。折しもjリーグ元年であった平成5年スタートのグランドチャンピオンシップも、なんだか仕方なく参加したという感じ。既に、バレーボール人気の凋落が始まっていた当時のようです。今振り返れば。
事情通の皆様からのご返信をお待ち申し上げています。
5604
:
カルバハル
:2019/03/15(金) 22:26:11
バレーボールのラジオ放送
東京オリンピックは、ありました。前にNHKBSで画像とラジオ実況を合わせてソ連の決勝戦の模様を放送してます。ソウルオリンピックまでは、あったような気もしますが、ハッキリ判りません。バレーボールはテレビ向きの競技です。オリンピックならラジオ放送してるかも?知れませんね。平昌オリンピックはNHKはフィギュアスケートのラジオ放送してました。ただフィギュアスケートは有望種目だからラジオ放送したんでしょう。バレーボールは今は有望種目で無いからしないかも?知れませんね。戦前のベルリンオリンピックは前畑秀子の平泳ぎ200?はラジオ放送は、したようですね。前畑頑張れと実況はテレビでもラジオでも、何回も放送されてます。東京オリンピックも開会式はカラー放送でしたが競技は白黒放送でしたね? 昔はラジオが主流ですから有望競技はラジオ放送したと思いますよ。私の記憶だとソウルオリンピックの女子バレーボールの決勝戦はラジオ放送はペルーとソ連の試合でしたがカーラジオで聞きたい覚えあります。
5605
:
カルバハル
:2019/03/15(金) 22:42:26
ソウルオリンピック前
https://youtu.be/Dz7ge0KxqUg
日ソとも、ソウルオリンピックのメンバーとは違います。ソ連は、よく切り替えて金メダルになりました。
5606
:
アルタガモワ
:2019/03/16(土) 08:23:10
ありがとうございます。
懐かしいメンバーですね。ダイエー株上昇でダイエー主体の全日本。確か益子か、大林、川瀬達はジュニアに専念と言う事で始めからエントリーしてませんでしたよね。
今から思うと大林、川瀬のジュニア専念て山田監督の悪意だったりして。なんて思ったりして・・・
92〜93年当時ダイエーのブースにおられたのでつい話しかけたのですが凄い美人でとても気さくな方でした。女優の水野美紀さん? より当時まだ30前後だったのでもっと綺麗でした。
利部さんにも声を掛けた事があるのですが「ま〜私みたいな選手を覚えていてけれてる人がいるんですね!嬉しい!」とすっごく気さくで色をなお話しして下さいました。話が逸れてすみません。
5607
:
岡本 すいか
:2019/03/16(土) 09:56:09
政変後のミュンヘン&モスクワ五輪の裏話…
おはようございます。
カルバハルさん、アルタガモワさん、ありがとうございます。
今や国家体制そのものが改変されてしまった西ドイツ、ソ連。西ドイツはバレーボールそのものは強くはなかったようですが。
まず、ミュンヘン五輪(西ドイツ)での裏話。これは過去ログでも皆さま上げてくださったように、件の「火曜日の悲劇」イスラエル人選手殺害により延期された日ソ決勝戦、その1日遅れのため、飯田選手と古川選手が生理にかかってしまったとありましたね。他方、白井選手は痛めていた右肩が回復したようです。その白井選手は、決勝戦後、男子の選手村で悔し酒を痛飲し、森田淳悟選手におんぶされて選手村から退出されたそうです(「バレーボール・メダリストの集い」より)。
続けて、日本はボイコットせざるを得なかったモスクワ五輪。これも過去ログで「2002年の広瀬美代子のプレーに…」とありましたね。最初、私は意味がわかりませんでした。
『平成14年って、広瀬選手は43歳。Vリーグにも移行して久しいし、もうとっくに現役引退しているはずじゃ…』
などとすっかり勘違いしましたが、その意味がわかりました。
なるほど、この平成14年夏、ひたちなか市で「幻のモスクワ五輪・日ソ対抗」が行われ、広瀬選手も往年さながらのプレー(特に、レシーブの)を披露されたのですね。22年ぶりですから、相手方のロシアの皆様は、既にソ連消滅後、国家体制がすっかり変わったのちだったのですね。
私たち日本人の知らない苦労を、現役引退後に味わわれたのでしょう。両軍とも、ほとんどバレーボールから離れて久しかったと思います(そんな中、江上選手は、旦那様は日立のコーチのほうですし、お嬢さんもバレーボール選手、とバレーボール一家のようですね)。
元号が変わりそうな今更「元号に拘る時代遅れな?」人間で恐縮です。
5608
:
カルバハル
:2019/03/16(土) 15:41:09
これかなあ?
https://youtu.be/C0-0N_iZZg0
5609
:
カルバハル
:2019/03/16(土) 20:44:03
これじゃあダメだな
https://youtu.be/Oy0WufU73EE
自信は無さげ、選手は付いて来ないでしょう。セッターが大事と言いながらセッターは決められない。言ってる事、やってる事は違うし、自信もなく不安が一杯なんて感じが出てますね。監督が、これじゃあ、実際に試合する選手は不安と迷いで頭がパニックします。開催国の東京オリンピックの成績が悪い方に行きます。監督としての、覇気が無いです。負ける前提て感じがします。何で監督、引き受けたんだ、後悔した感じもみえます。大将が、こんなんじゃ選手が可哀想です。更にキャプテンは、もっと覇気が無い。亡霊みたい。
5610
:
岡本 すいか
:2019/03/17(日) 10:45:48
ミュンヘン五輪では「南海電車ユニフォーム?」
皆様、おはようございます。
遅きに失したとは百も承知ですが、ミュンヘン五輪での全日本のユニフォームを拝見しました。さすが『小島先生』が率いられているだけあり、ユニチカ色(みどり)のユニフォームでした。恥ずかしながら、私はモノクロ写真しか知らなかったので、あれは「紺色」とずっと思っていました。ちょうど、ユニチカのホームタウン・貝塚市を走る南海電車、更には当時の南海ホークスの色のようです。その南海電車で、白井選手たちは“朝逃げ”したのですね。
今や伝説となっている日ソ決勝戦、第4セットでの逆転劇。皆様も、そしてその「当事者」白井選手も繰り返してくださっていますね。ちょうど5対7のアヘッドから白井選手が起用され、
12対9と逆転した直後だったのでしょう。全日本側にサーブ権、生沼選手に回ってきたので、一球集中、サーブに入ろうとしている写真のようです。日立一筋の生沼選手ですが、みどりのユニフォームも似合っていますね。
私事で恐縮な限りですが、過日貝塚市を訪問いたしました。昨夏の地震の爪痕も痛ましく、いろんな意味で涙が出てしまいました。ユニチカの選手だけではなく、生沼選手や白井選手が住み込んでいたというユニチカの体育館も既になく、『夏草や、兵どもの夢のあと…』なのでしょうか。
5611
:
カルバハル
:2019/03/17(日) 12:21:21
確か
ミュンヘンのユニフォームは丸首のユニフォームですが、あやふやですが黒か?紺?の色違いと2種類のユニフォームだった気もしますね?ミュンヘンの決勝戦が緑だったので、ハッキリと覚えてますが、日ソ対抗なんかは、交代でいろんな違いを着てた、気もします。実際にユニフォームでは交代して着たのか?或いは試合用、練習用に着たのかは?です。あまりにも、遠い記憶で判りません。専門誌のカラーページには、色違いは判りますが黒か、黒っぽい紺から、当時のカラー写真なんで鮮明には、判りません。確かにその後のヤシカ単独のワールドカップは赤シャツと紺か黒のブルマだった気もします?シャツが白でブルマが赤で定着したのは74年世界選手権からです。日の丸のイメージからして以外と新しいと思います。メキシコはオ上下ともオレンジ色のユニフォームですからね。ナショナルチームと言いながら単独チームの色です。日の丸を意識した赤と白をイメージしたユニフォームは、何時からやめたんでしょうね?日本を代表するチームのイメージは赤と白て頭に定着してたんですが、残念です。昔はヤシカが白シャツに赤いブルマ、ユニチカが白に緑のブルマで日立がオレンジ色のユニフォームでした。東洋の魔女に憧れて八王子実践が初め白いシャツに襟が緑で緑のブルマでしたが今は上下とも緑です。八王子実践のイメージ色です。
5612
:
久しぶり
:2019/03/18(月) 08:27:57
ミュンヘンのユニフォーム
上下赤の解禁襟パターンもあります。
(UPできないのが残念ですが。)
緑以外の色は、紺なんでしょうかね。
ブロック体の背番号、胸の中心に日の丸。あのユニフォームは個人的には好きです。
5613
:
カルバハル
:2019/03/18(月) 09:29:22
ミュンヘンオリンピック
緑のユニフォームは大根ユニフォームとも言われてました。丸首で緑のユニフォームだからでしょう。悪口でなく印象のように思えます。動きやすい感じはしましたね。対するソ連の赤いシャツに紺のブルマは、何故だか判りませんが、スカーレット色のユニフォームと言われてました。
5614
:
カルバハル
:2019/03/18(月) 20:13:33
この大会は酷かった。
https://youtu.be/Irqs0SZW15c
今の全日本は、もっと酷い。正セッターすら決まらない。
5615
:
アルタガモワ
:2019/03/18(月) 20:14:41
私の年代では
バレーのユニフォームは赤と白のイメージで逆に緑やオレンジの方が無くて・・・。
5616
:
カルバハル
:2019/03/19(火) 07:50:27
ユニフォーム
皆、全日本のユニフォームは赤と白の日の丸カラーが基本頭に入ってます。73年ワールドカップまでは、企業のカラーがユニフォームに出てただけです。日の丸カラーこそ日本チームてイメージです。起業のカラーのユニフォームは日の丸マークが中央に付いてました。赤、白の日の丸カラーで日の丸がユニフォームの中央に付いてるユニフォームで3大大会で戦った記憶力は無いですね?日ソ対抗では見た事ありますが?またモントリオール頃はJAPANと書かれてましたがニッポンに変わりました。また背中に名前やニックネームが入るようになりましたね。最近は企業名が幾つも貼られてます。ユニフォームに起業名、商品名は時代の流れにしても、やり過ぎかな?と思います。
5617
:
岡本 すいか
:2019/03/19(火) 20:29:37
「グラちゃん」か…
皆様、お疲れ様です。
グランドチャンピオンシップ開催に至るいきさつ、またマスコットについても知りました。
ちょうど、サッカーに押されて巨人戦の視聴率が下降している当時(長嶋茂雄監督復帰1年目でもありました)だっただけに『安定的に視聴率が見込めるバレーボールの大会を、無理にでも新設してもらった』ようですね。
なんだか、日本テレビはバレーボールに対しては全く意欲がないようですね。自社が親会社、または主催者であるプロ野球(巨人)、サッカー(ベレーザ)、駅伝に対してのスタンスとは好対照。マスコットの「グラちゃん」からして、バボちゃんからのパクリと言われても仕方ないのでは(苦笑)。
皆様はどのようにご覧になりますか?
5618
:
カルバハル
:2019/03/20(水) 13:00:23
マスコット
バレーボールのマスコット=バボちゃんですね。一般の人はフジテレビのバレーボールキャラクターとは思ってないでしょう。昨今のマスコット、キャラクターは、可愛いのが多いですね。バボちゃんは古くさい感じです。また火の鳥ニッポンや龍神ニッポンも、何か、ヤボったい感じします。
5619
:
岡本 すいか
:2019/03/22(金) 10:19:31
米田一典監督の“胴上げ”
皆様、おはようございます。
バレーボールに造詣の深い皆様にとっては、まだご記憶に新らしいことかもしれません。
バレーボール新参者に過ぎない私(当時中一)ですら記憶にあります。28年前、平成3年秋、タイ・バンコクでの、バルセロナ五輪予選も兼ねたアジア選手権。既に、バレーボールの地盤沈下が叫ばれて久しい当時だっただけに、現地には幾多の日の丸OG有志が集ったといいます。そんな中、米田監督率いる日の丸シックスは五輪出場を死守し、米田監督を胴上げされたようです。
前回、米田監督が初めて全日本を率いられた8年前(昭和58年)、既にバレーボールの権威低下については論議されていましたが、それでも、地元(福岡)開催の利もあってか、宿敵・中国も破って、堂々たる金メダルでロス五輪出場を決めました。当時よりも過酷な現況での出場決定だっただけに、米田監督胴上げになったのも、無理からぬことと私などは思っているのですが、皆様はどのようにご覧になりましたか。
おそらく、眉を潜めたほうが大勢いらっしゃったのかもしれません。あるいは、現地集結のOGと同感だったのでしょうか。
5620
:
カルバハル
:2019/03/22(金) 12:07:07
米田監督
モントリオールの金メダルコーチ、ダイエーの監督、全日本の監督でしたが、バルセロナ前の米田監督の印象は、殆どありません。有望選手を潰した話題が、たまに出ますが、ソウル以降は、五十歩百歩です。むしろオリンピックに行けなかったシドニーのチームの方が記憶に残ってます。
5621
:
カルバハル
:2019/03/22(金) 12:29:31
ソウル以降
小島、山田監督の院政みたいに、吉田監督、米田監督の代理、権力争いみたな女子バレーボール界でした。結局、実力も人気も、ジリジリ落ちて行きました。中田久美が3大会連続、正セッターの座に君臨したのも、若手のチャンスの芽を摘んだ感じです。ワールドカップや世界選手権なと開催国の時だけは、何とか人気転落に歯止めになっただけの時代です。
5622
:
岡本 すいか
:2019/03/22(金) 17:32:30
ヨーカドーにとっては、バレーは「黒歴史」?
皆様、お疲れ様です。
カルハバルさん、ありがとうございました。ロス五輪以降、日立・ユニチカとも主力選手の引退(特に日立)で、圧倒的な王者が不在となったバレーボール界において、ファンの皆様は
「コート内よりコートのほかの争い」監督の権力争いを見せつけられてしまったのでしょうか。
スーパーのヨーカドー、そして米田監督率いるダイエーが日本リーグ、上位にのし上がってきたことは、私も記憶にありますが、両チームとも思ったほどは優勝できなかったようですね。
ヨーカドーは平成元年の1回きり、ダイエーにいたっては「ゼロ」はもっと意外でした。
あれほど、ご自身が率いられる全日本に代表選手を送り込んでいたのに…。
それはそれとして、ヨーカドーのHPの社史紹介ページにも、ほとんどバレーボールのことは
触れられていません。ヨーカドーにとっては、バレーボールにかかわった23年間(昭和53年〜平成13年)は、触れられたくない「黒歴史」なのでしょうか。バレーボールファンにとっては寂しい限りです。
他方、米田監督の古巣“女王”日立にしても、かつてのような全試合ストレートなどの圧倒的な力量はなく、女王不在のバレーボール界だった、という指摘も納得できます。
5623
:
岡本 すいか
:2019/03/22(金) 17:33:48
追記
×…カルハバルさん
〇…カルバハルさん
でしたね、再度間違えてしまい、大変失礼しました。
5624
:
カルバハル
:2019/03/22(金) 21:49:46
確か
アジア選手でバルセロナオリンピック出場権を取った選手とバルセロナオリンピックの選手のメンバーが、だいぶ変わってた記憶があります。イトーヨーカ堂の篠原選手とかアジア選手権で活躍したのにバルセロナオリンピックのメンバーから漏れてたのは、納得いかなかった記憶があった気がしました。イトーヨーカ堂は新参チームだから、もっと全日本に選ばれも良かったと思います。石掛、苗村、篠原、金子、斉藤、益子、高山、甲斐など優秀な選手沢山いました。小島派閥、山田派閥で女子バレーボールが地盤沈下して低迷していった時代です。世界は無敵のキューバの時代、大きく世界のトップから、離されていった、つまらない時代でした。
5625
:
志津
:2019/03/22(金) 22:25:11
(無題)
91アから92バルセロナは3名変更ですね。
篠原選手は90〜91日本リーグ、ソ連、中国遠征とスタメンで出ていましたが、
日ソ対抗以降、アジア選手権は控え、91W杯は落選、
膝の怪我で91〜92年リーグはスタメンを高山に代わってますね。
91W杯からバルセロナ五輪は日立主体で山田さんに忖度したのでしょうけれど、
当時、わたしは動きの遅い多治見を91W杯のスタメンにしたこと、
杉山をメンバーから落としたことに納得いきませんでした。
91〜92は山内、高山の大型選手の台頭でバルセロナも淡い期待はありました。
山内のバックアタック、185?の高山のブロックと速攻
松平さんが「守備の出来ない人は要らない」的なことを言っていたが、
バックアタックの山内はOKなのに、ブロックの良い高山はNG。
当時の幹部は肩の故障のアイドル的存在の斎藤には左手で打て発言。
腐ってるなと思いました。
総監督が小島さんなのに、日立主体の守備チーム?なんかその辺から
矛盾ですよね。92年五輪は直前の日露対抗で6連勝、本番はアメリカにフル勝ち、
中国は故障者ばっかりの上に巫丹のドーピングでこけたし、
日本もチャンスはあったのに、EUN戦以降、自滅してしまいましたね。
5626
:
カルバハル
:2019/03/23(土) 08:33:43
バルセロナ、アトランタ
権力争いで世界から離された時期の記憶があります。その後、リセットしたように感じでしたが年令制限みたいな線引きが出来て、シドニー組は沈没しました。吉原が、まだ現役だから、なんとかアテネで返り咲きしましたが、アテネもダメだったら、オリンピックは、その後、出場出来たか?判りませんね。女子バレーボールの企業間の壁が、柳本監督になり、ようやく取れて真鍋監督でロンドンの銀メダルに繋がりました。女子バレーボールの企業の壁を男子ナショナルチーム経験者の血が入り女子バレーボールの膿が出た感じはしましたがリオオリンピックの結果で真鍋監督に批判が出て、中田久美が監督になり、また女子バレーボールの悪き習慣が現れてきた感じします。腐った、みかんが1つ残ってた感じします。
5627
:
カルバハル
:2019/03/23(土) 08:42:49
ロンドンは銅メダルでした。
変換ミスです。バレーボール協会の幹部が男子バレーボールの膿が残ってますね。新生Vリーグは失敗ですね。バレーボール関係者、以外から新しい血を入れて欲しいです。
5628
:
カルバハル
:2019/03/23(土) 09:18:34
女子バレーボール独特の壁
それは企業間の壁です。単独チームで日本一になったチームが中心で全日本が形成されて、他のチームの選手は優秀でも選ばない、使わない、伝統と言うか歴史があります。ルーツは単独二チボーで世界チャンピオンになった事から始まりますが、その後3強と言われるヤシカ、二チボー、日立の単独チームの全日本の主権争いです。日本1イコール世界1のおごりでソ連ナショナルチームと単独チームで日ソ対抗したりして、ナショナルでの準備が遅れてメキシコはソ連に負けて銀メダルになり、その後、単独チームでは、ソ連以外には勝てるがソ連には勝てないとなり単独チームブラスαで合宿を積んでユニチカプラス、ヤシカ、日立、クラボウで編成しましたが白井のバカ当たりでフルセットになりましたがミュンヘンはソ連に返り討ちにあいました、モントリオールはソ連の新旧交代もあり金メダルに輝きましたが、その後は日ソ以外にキューバ、中国、アメリカ合衆国などが対等しても、単独チーム主体でロスは銅メダル、その後も単独チームα、選抜チームでも企業エゴが出て地盤沈下して行きました。選抜チームにしてもチームの核をしっかり決めて、セッターは竹下、エースは木村、センターは大友とか決めて強化した結果がロンドンで、やっと銅メダルに繋がったんでしょう。今日のセッターすら、決まらない、キャプテンは久光の岩坂、など単独チームの悪き習慣、選抜チームの弱点を、合わせたような全日本チームじゃ東京オリンピックに出場権を世界で一番早く決めて強化の時間が十分あっても、チームワークすら出来てない全日本です。企業間の壁も、限界があります。選抜チームにするなら時間をかける、中途半端な強化だと、この先が危ぶまれます。
5629
:
カルバハル
:2019/03/23(土) 09:42:28
女子バレーボールのタブー
大谷佐知代選手のカネボウ入社で一部浮き彫りに出ましたが名門中学〜名門高校〜実業団と繋がってました。ヤシカと中村高校、四天王寺とユニチカ、豊橋東高校とカネボウと太いパイプがありました。大谷は蒲生中学なら大阪女子短大付属からカネボウて進路が始めから出来てました。四天王寺高校に進学して、1揉めあり四天王寺から本人は佐藤監督から行った東洋紡に入社したかったがカネボウからお金が出てたのでカネボウに入社した事で女子バレーボールのタブーがクローズアップされましたが、話題になったのは、それだけで、他にも脈々とお金など大人やの事情がありました。山田監督のセクハラはクローズアップされましたが、セクハラ、パワハラ、金、暴力、体罰などは、日常茶飯事です。女子の場合は、企業間の壁もあり、優秀な選手を全日本に送らない、優秀な選手が他の企業で活躍されては困るから甘い言葉で誘い入社させて、飼殺しにしたりとか闇の部分が沢山あります。そんな国内の、内輪喧嘩してる間に世界から、ドンドン離されていったのが真実でしょう。
5630
:
岡本 すいか
:2019/03/23(土) 11:28:55
白井選手、広瀬選手が味わった「孤独」
皆様、おはようございます。
カルバハルさん、志津さん、ありがとうございます。
私自身が挙げさせていただいた話題の繰り返しで恐縮です。女子バレーボールにおける風習?「単独チーム+α」。男子の松平康隆監督はこれを疑問視し、自軍のNKKのみならず、バランスよく配合されていたようですね。女子の場合、特に派閥が起きやすくなるのでしょうから、
よりバランスよく、がよかったのではないでしょうか。
単独+α、成功例はモントリオール五輪だけのようですね。ほぼ日立メーンでありながら、主将は飯田選手(元ヤシカ)。あと、前田選手(サンヨー)、横山選手(ユニチカ)。結果が最高(全試合ストレート勝利)ですから。
単独チーム+α、の「+α」側でその弊害を受けた選手といえば、ミュンヘンでの白井選手(倉紡倉敷)と、ロスでの広瀬選手(ユニチカ)と、私も思います。金メダルへの外圧以上に、『自軍からは自分ひとりきり』の、孤独の内圧に苛まれたといいます。私事で恐縮な限りですが、広瀬選手は高校の大先輩ですから、尚更思い入れがあります。先輩達の引退後、後輩たちは思うようには育たず(一度は日の丸に選ばれたはずの若生選手はロス五輪直前に退社)、
結局ユニチカからは広瀬選手だけ。とても『ユニチカの代表』とは思えなかったと思います。
そして、山田監督の息のかかっている米田監督からは、ほとんど起用されなかった…。
僅差のゲームがなかった試合展開もあるのでしょうけど。
白井選手は、日ソ決勝戦で肩が治り、数少ないチャンスを生かし、実力で伝説を築けただけでも偉大です。広瀬選手にも、そのチャンスがあったら…。
5631
:
カルバハル
:2019/03/23(土) 13:14:39
広瀬美代子
レシーブの神様と言われる大選手です。全日本男子のレシーブ指導に小島監督と一緒に行き男子選手も驚いた選手です。小島監督が指導した選手の中でもミュンヘンのピンチレシバーの山崎八重子とならびに称したレシーブの名手です。全日本のレギュラーとして活躍した中ではNo.1レシーバーです。小島監督は広瀬は始め、ものになるか?と思ったようですが、足が速い選手だったのでバレーボールでは無名高校でも、努力したら素晴らしい選手になると見抜いてたようてわす。レシーブばかり、話しがいきますが、ブロックアウトの名手です。またストレート打ちの名手で170?の身長ですが298?の最高到達点を持ってます。同じ年で全日本一年生の三屋が、凄いレシーブをするので驚いたと言ってました。逆に三屋を広瀬は、なんて高くジャンプするんだと高さに驚いたようです。広瀬だけでなく、モントリオールの横山も日立中心チームだったんで、なかなかレギュラーにはなれませんでした。広瀬はロスのメンバーでしたが、ピンチレシバーとしか使われなくったですが、森田貴美恵のポジションに入り前衛でも後衛で拾いまくりブロックアウトを決めてたら、準決勝の中国戦はワンサイドで負ける事はなかったと思います。ロスオリンピックのメンバーでは広瀬が秘密兵器になれたと思います。更に、役立たずカルテットの枠にファイターの東洋紡の北井、井上、田淵が入ってたなら、ますますチームは強化されたと思います。前年の83年アジア選手権でオリンピック出場権のプレッシャーを韓国を破り取れた事とオリンピック出場権を既に持っててお客様扱の中国に無欲で戦いストレート勝ちしたからってアジア選手権と控えも同じそっくり同じメンバーでロスオリンピックに出場したのが、祟ったと思います。広瀬はワールドカップや82年世界選手権のレギュラーだし、アジア選手選手権はピンチレシバーとし使われなかったのでロスでは秘密兵器なれる存在でした。やはり企業の壁で十分能力を発揮出来なかつたです。中国がスタートブロックを決めて試合の流れを一気に中国にいってしまいましたが、広瀬がシャットアウトされたスバイクを拾ってたら、逆に中国も慌てたと思います。中国は若いセンターだったのでブロックアウトも通用したでしょう。広瀬は確か新設の1回生だったじゃないですか?立派な先輩です。広瀬は小島監督に私にもスパイク練習させて下さいと言ったらレシーブも半人前なのにスパイク練習なんて早すぎると言われて、その後、半月後にはレシーブの守備範囲が倍に拡がったとも言われてます。性格と勝ち気でアスリートとしても超一流です。
5632
:
カルバハル
:2019/03/23(土) 14:53:51
女子の世界は
男子と違い、まとめるのは独特で難しいとも言われてます。男子のような指導しても、まとまらないようです。単独チームの選手同士や同じ年の選手とうしで、固まる事も多々あります。引退も同期いっせいに辞めたり。指導するのは大変です。単独チームプラスチックαでチーム作りをするのが、手っ取り早く強化出来たのも事実ですが、バレーボールの普及と共に単独チームの強化には限界が出てきました。また単独チームでも外国人選手を入れた事が始めは、効果がありましたが外国人選手に頼る戦力強化の方が効果が早い事で日本人選手が育つチャンスが減ったのも低迷の要因です。
5633
:
カルバハル
:2019/03/23(土) 18:54:38
メキシコオリンピック前
日ソ対抗戦はソ連に対して全試合、単独チームの対戦でした。ソ連女子バレーボールチームとしは屈辱的ですよね。全日本チームがソ連まで行ってデォナモ、モスクワとかツェッカ、モスクワとか試合してナショナルチームと試合させて貰えないんですよ。随分、日本はソ連を馬鹿にしてたと思います。日本1イコール世界1といったおごりですよね。日ソ対抗戦の結果は日立が3連勝、ヤシカが3連敗、ニチボーが1敗、カネボウが1敗の結果でメキシコオリンピックの主導権は日立中心のチームプラスαのチームでした。更に東京大会の経験者が0人のチームでキャプテンの高山も21才でした。今から思うと、随分、無謀なチームでした。決勝戦で最後、生沼のスパイクがアウトになった瞬間、ソ連チームのメンバーは飛びあがり抱き合って笑ったり、泣いたりと歓喜でした。馬鹿にされてた屈辱も非公開の練習、リスカルに包帯まで巻かせて怪我を装いフォーメーションも日本戦だけ変えて緻密な打倒日本の計画を立てて実った瞬間でした。油断大敵とか、計画的な作戦や強化とか相手を欺く作戦とか色々、教えられました。屈辱を果した姿も感じました。山田監督が打倒ギビ監督を誓った瞬間でもありました。
5634
:
岡本 すいか
:2019/03/23(土) 19:54:59
県立舞子高の偉大な広瀬先輩
皆様、こんばんは。
カルバハルさん、ありがとうございます。そのついでといってはなんですが、広瀬選手、その
20年後輩である不肖私の出身校・兵庫県立舞子高校、少し(でもないか…)ばかり紹介させていただけますと。
おっしゃる通り、広瀬選手は1期生です(私は20年後輩なので、21期生)。よくぞ、小島監督は新設の無名公立高出身の広瀬選手を見出してくれ、あれほどのスターダムにのし上げてくれました。無論、広瀬選手の入学と同時バレーボール部は創部されましたが、未だに全国大会には不出場。高校在学中の広瀬選手のエピソードとして、体育館完成前で、校庭にバレーボールの青空コートを設けて、バレーの選手でありながら、真っ黒になりながら「白球(今は白球じゃないですものね)」をおいかけた…。その体育館は20年後、私の在学中の阪神・淡路大震災で全壊してしまいました。折しも、新生・Vリーグ開幕1か月後とあって、神戸本拠地のチームは、会場を
余儀なく変更されたといいます。但し、広瀬選手は昭和60年の現役引退後10年、指導者としては全くバレーボールには関わっておらず、どんな思いで母校が、また(Vリーグ転換直後の)ユニチカ・フェニックスが阪神・淡路大震災の被害に遭う様子を見つめられていたのでしょうか。
阪神・淡路大震災から7年後、私も卒業して久しかった平成14年春、世界初の「環境防災科」が新設され、(私も教わった)科長の諏訪清二先生は有名になりました。今は教員3年目・26歳
の女性教員が監督です。
今春、広瀬選手は還暦に。私も不惑です。長い駄文失礼しました。
5635
:
カルバハル
:2019/03/23(土) 22:05:53
感動するプレー
凄いスパイク、凄いクイック、凄いブロック、凄いサーブはありますが、感動するプレーて、やはりレシーブです。あきらめないプレーは感動します。その中でも、突出してるのは、広瀬のレシーブですね、ワールドカップが終わってファンレターの数が凄く多く、人生観が変わったみたいなファンレターが着て広瀬本人も驚いたと言ってました。ワールドカップ後の日本リーグ中に怪我したのは残念でした。ユニチカから日立に王座が移動した要因です。感動するプレーは、やはり諦めないレシーブですね。上手なプレーも数々ありますが感動プレー、男子選手もビックリするプレーは広瀬のレシーブです。
5636
:
岡本 すいか
:2019/03/23(土) 23:23:13
バレー選手における「セカンドキャリア」
こんばんは。
カルバハルさん、さっそくありがとうございます。補足させていたただければ、母校でのアウトコートでの(泥だらけ&日焼けの)真っ黒になったレシーブ練習こそ、のちの『ヒロ・ブーム』のルーツになったそうです。昭和59年秋、ロス五輪から銅メダルを提げて凱旋帰国、母校の創立10周年記念式典の時卒業生代表として講演してくれた内容から。
その広瀬選手をはじめ、多くは現役引退後は(名もなき、といっては語弊があるかもしれませんが)一般の専業主婦に落ち着いているのが現状のようです。いずれも広瀬選手とは接点のある、生沼スミエさん、江上(丸山)由美さん、そして中田久美・現監督のように、選手〜(解説者)〜指導者、と『バレー一筋』でいられるバレーボーラーは、それこそ数えれるくらいでしかないようです(かおる姫&鈴木洋美世代としては、身につまされますね)。上記三人とも元日立。ユニチカよりは「セカンドキャリア」には有利なのでしょうか。プロ野球における「元巨人」の金看板みたい…。
先刻、皆様ならご存知でしょう、次にあげさせていただく三人の選手の「セカンドキャリア」、私も感銘を受けました。小野沢愛子選手(元ヤシカ)、島影せい子選手(元ユニチカ)、石田京子選手(元日立)。いずれも五輪代表選手、それなりに功なしえた選手です。
まずは、小野沢さんから。現役引退後は、プロボーラーを目指されたそうです。これは実現せず、そのあとは座間基地の軍人と国際結婚され、アメリカに移住されたようです。折しも、ロス五輪を控えた昭和59年夏、「バレーボール・メダリストの集い」のため来日され、現役時代のライバルであり、メキシコ五輪では戦友でもある生沼選手と対談。
『あなたは本当にすごいわ。バレー一筋だものね、監督までして…』
と心底うらやんでいる様子だったようです。
続けて、島影選手。引退後はプロゴルファーに転身し、優勝されたことは過去ログでも皆さまあげて下さった通りと思います。小野沢選手と同じイベントで、日立・ユニチカ双方の選手から
『プロゴルファーのシマは、私たちの誇り。みんな応援している』
と、一目おかれていたようですね。
その昭和59年夏、異国・ロスで広瀬選手たちとともに準決勝の中国戦直後、完敗に号泣したという石田選手。江上選手引退後は主将の後任となったものの、足の捻挫が持病となってしまい、控えに回りがちとなり、ソウル五輪を目前に引退せざるを得なかったようですね。今は信州大学の教授を務められていることは、バレーボールファンの皆さまでしたらご存知かと思います。
私達に、無上の感動を与えてくれたバレーボール選手の引退後こそ、皆多幸であってもらいたいものですね。
5637
:
カルバハル
:2019/03/24(日) 05:47:15
昔は
バレーボールはアウトコートばかりでして。インターハイもアウトコートです。9人制全盛期はアウトコートでした。6人制に変わった時から、徐々にインドアの競技にかわりました。6人制でアウトドアで活躍した高校は京都の成安女子がアウトコートでしたが全国制覇したチームです。今は6人制はインドア、ビーチバレーがアウトドアです。男子の世界選手権はテニスコートを利用者 したらアウトドアで試合したらしいですよ。全日本男子チームは、とまどったとか?
5638
:
岡本 すいか
:2019/03/25(月) 10:14:43
バレーボールにおける北朝鮮と台湾
皆さん、おはようございます。
カルバハルさん、ありがとうございます。(生沼監督、米田監督と同時代に)男子の中野尚弘監督が、アウトコートでの練習を取り入れていたといいます。もっとも、選手よりコーチのほうが楽しんでいたようですが。直前の投稿と重複して恐縮ですが、セカンドキャリアといえば、
男子ではなんといってもこの方。中野蒲鉾店・代表取締役ですから。
さて、テロばかりがクローズアップされるミュンヘン五輪に、唯一五輪代表として出場、初陣ながら銅メダルの快挙を成し遂げた北朝鮮。そして、昭和58年秋アジア選手権に国家代表として初出場(4位)、こちらは未だに五輪出場のない台湾。アジアの隣国として、皆様は領国にはどのような思い出がおありでしょうか。北朝鮮には『男じゃないの?』などと噂されたという、伝説の名選手がいたといいます(過去ログにて拝見しましたが、お名前が思い出せません)。
只、国家規模でのハイジャック、拉致事件や、スポーツ大会でも(バレーじゃないですが)
暴力事件などがあり、どうしてもダーティなイメージがついて回るんじゃないでしょうか。
台湾は、その明るく且つ素直な人柄の国民性と、順応力の高さから(指導者次第では)今後は日本にとっても手ごわい相手になりえるのではないでしょうか。
5639
:
カルバハル
:2019/03/25(月) 14:24:26
北朝鮮
1970年に世界選手権、ミュンヘンオリンピック銅メダルです。金 曽福ですね。168?70キロで、丸太ん棒の、ような腕で80?のジャンプ路線力で男でないかと言われてました。世界選手権は急遽1試合だけ参加して。セックスチェックにはねられたとも言われてましたがミュンヘンオリンピックに出場しました。北朝鮮は鉄のカーテンを、もじって竹のカーテンとも言われてました。
5640
:
カルバハル
:2019/03/25(月) 16:08:56
ミュンヘンオリンピック
準決勝、ソ連vs北朝鮮は3-1でソ連が大接戦で粘る北朝鮮を切った試合です。日本はソ連を破って金メダルを取りらなければ打倒ソ連にならないので準決勝は全日本チームはソ連チームを応援したエピソードがあります。男子はミュンヘンオリンピック金メダルに輝きましたがソ連との直接対決はなかったんですよ。準決勝で東ドイツがソ連に勝ちました。
5641
:
志津
:2019/03/25(月) 19:09:33
(無題)
カルバハル様、岡本すいか様 こんばんは。
カルバハル様がすごく気になることを投稿されていましたので、
当時のことを書いている書籍で北朝鮮チームのことを確認しました。
北朝鮮のエースは金増福という選手ですね。
1970年の世界選手権には出場したものの、
試合には出場しなかったみたいです。
166?とも書かれていました。
北朝鮮が銅メダルを取っていたことに驚きました。
北朝鮮といえば、92年の最後のNHK杯の試合は見ました。
韓国のバレーのように速くて速攻が多く、
セッターのハンドリングが良かった。
(山田さんが素材がいいので日本に欲しいと言っていた)
守備は連携が良くなく即席チームのように感じたことを
思い出しました。
石田京子選手は選手としては不運なイメージです。
日立でも江上、三屋の控え、全日本でも同じく控え。
85年から全日本の主将になり若手を引っ張っていましたが、
足の怪我に加えて、主将という立場と江上、三屋が引退したあとの
重圧。どんどん世界から引き離されていく現実、
本当につらい思いをしたと思います。
監督も小島さん、コーチは山田さん、
二頭体制とか言われていましたが、85W杯惨敗で石田も全日本からは引退。
山田さんは辞任、そして86年のチェコの悪夢へと。
86年の世界選手権のメンバーは今でもギャグとしか思えません。
5642
:
カルバハル
:2019/03/25(月) 19:58:56
金曽福
開幕戦だけ出場して捻挫と言い、その後、70年の世界選手権は欠場しました。166?とも168?とも言われてます。64年のオリンピック後、チームを結成して強化したチームです。東京オリンピック後、ソビエトナショナルチームと試合して負けた事がないとか、バルナのサマー大会で日立が試合してストレート負けして3セット目は15-0で負けてます。生沼が東洋の魔女みたいと言ってました。鉄壁のレシーブで拾いエースにボールを集めて決める攻撃です。捻挫したと言われてましたが、コートチェンジの時は、捻挫したと思えたい普通に歩いてたと言われてます。70年の決勝リーグ7試合の第一戦が日本は北朝鮮と当たり3-1で、からくも勝ちましたが疲労困憊で第二戦はソ連と当たり1-3で負けました。ソ連は決勝リーグ最終戦に北朝鮮に勝ちましたました。日本は試合日程に、恵まれてない大会でした。日本レギュラーは松村、岩原、古川、小野沢、山下、浜でした。、古川が大会中に、怪我おしてユニバーシアードから飛び入り参加した飯田がフロリダ古川の穴を埋めて活躍しました。
5643
:
岡本 すいか
:2019/03/25(月) 20:09:52
横浜文化体育館
皆様こんばんは。
カルバハルさん、志津さん、ありがとうございます。北朝鮮の選手について教えてくださり、重ねて御礼申し上げます。北朝鮮、力はあるようですが(一説には、昭和57年時点で世界6位?とか言われていたのですが真相は???)何分ベールに包まれているところが大きすぎるようで。
石田選手に関しても、情報提供ありがとうございます。彼女も、江上選手と同様、日立のコーチ(野口氏)と結婚されたようですね。現役時代、晩年は不本意な終わり方だったとは察するにあまりあります。生涯スポーツを学びたいと志された動機になったのでしょうか。それまで全く地縁がなかったという長野県に、大学が縁となって長年定住されているようです。
石田選手とは同期入社、彼女とは一番の親友という利部陽子選手は現在、帰郷され秋田市の職員のようです。
さて、東京五輪(昭和39年)など、バレーボールでも幾多の国際大会が行われたという、横浜文化体育館。皆様はいらっしゃいましたか?かつては、全日本に抜擢されたばかりの広瀬選手もプレーされたところなのですね。
いらっしゃった方、ぜひご感想をお聞かせくだされば。京浜間の住人でありながら、わたくしは未だ来訪したことがないのです(根岸線の線路を挟んだ反対側、横浜スタジアムならいくらかはあるのですが…)。また、浜川崎にあるNKK体育館は訪問する前にNKKバレーボール部が廃部、現在はテレビや映画のロケ施設に変貌してしまった…。改めて、バレーボール黄金期に応援された皆様がうらやましい限りです。
5644
:
岡本 すいか
:2019/03/25(月) 20:30:32
伝説の北朝鮮と…
追記させていただきます。
日立の単独チームで生沼選手が、また世界選手権では小野沢選手が北朝鮮、特に伝説の金選手と対戦されたということですね。(当時日立・ヤシカにとっては最大のライバル)ユニチカ的なチームなのでしょうか。
5645
:
カルバハル
:2019/03/26(火) 04:59:41
石田京子
小島監督は石田をかってました。三屋が調子が悪いた石田がスタンバイを始めるとコートの三屋が奮起しました。石田は妊婦の時、飛行機で体調壊して貴乃花に助けられたエピソードもあります。また横浜市文化体育館は熱波の体育館と言われてます。夏はとても暑いです。バレーボールで有名な話は環太平洋ジュニア選手権画横浜文化体育館で開催されて決勝戦はフルセットに持つ混み優勝候補の中国選手が痙攣起こして日本が勝った試合会場が横浜文化体育館は暑さで有名な会場です。中村利恵が活躍したのでも有名です。ロスオリンピックのサーブの名手、のちの中国のエース候玉珠も倒れました。
5646
:
カルバハル
:2019/03/26(火) 11:44:25
3強時代
ニチボーの連勝記録258連勝でストップした後は日立、ヤシカ。ニチボーの3強時代に入りました。第一回日本リーグもセット率で日立が優勝しました。3強時代は74年世界選手権位まで続きました。その後は日立だけ強くなり一強五弱と言われて五弱の大将がユニチカ言われる時代に続きます。
5647
:
カルバハル
:2019/03/26(火) 14:35:54
ミュンヘンオリンピック前
ミュンヘンプレオリンピックは日本がソ連をストレートで破り有償しました。その後、日ソ対抗戦のソ連シリーズで日ソ対抗戦をしでしたが日ソの対戦を客席から北朝鮮女子バレーボールチームが視察した話しがあります。北朝鮮は当時は、お金をかせてまで女子バレーボールを強化してました。カンオクスンが金増福の体格で少々コンビが合わなくても強引にクィックを決めてたようです。ミュンヘンオリンピックの予選最終戦の日本vs北朝鮮の試合の 前に突然、役員が北朝鮮選手のパスポートを確認しだして北朝鮮チームが怒りだし試合は北朝鮮の選手は動揺もあり、アッサリ日本が取りましたが、試合が進んで行くにつれて北朝鮮が粘って日本はストレート勝ちしましたが3セット目は16-14でジュースの末、日本が逃げ切りました。
5648
:
アルタガモワ
:2019/03/26(火) 19:52:00
候玉殊選手
見た目は奥目の海原小浜小浜の小浜さんと被るのですが・・・環太平洋大会彼女も痙攣・・・ドーピングの影響でしょうか?
よく分かりませんが兎に角その82年環太平洋決勝ぎ見たいです。
小高センター、加藤ライト・・・タイかフィリピン戦の20分はビデオにあるのですがやっぱり決勝戦みたい。
5649
:
岡本 すいか
:2019/03/27(水) 17:01:38
鉄人・江上様は一代限り…
皆様、お疲れ様です。
カルバハルさん、アルタガモワさん、ありがとうございます。石田選手、(恐らく引退後なのでしょうか)貴乃花関に救出されたと…。ある意味、歴史を感じるエピソードですね。
横浜文化体育館、熱波地獄みたいなのはなんとなくわかります。40年前、昭和54年5月30日、ちょうどキューバが無敵にはいろうとしている当時日本対キューバ戦が行われたそうですね。
強くなる(既に強かったのかもしれません)キューバを見られたファンは幸せだったでしょう。折しも、日本は「幻のモスクワ」1年前…。
恐らく、そのキューバ戦にも出場したであろう江上由美選手。日立、そして全日本主将としての活躍は(リアル世代ではない)私があげるまでもないと思います。幾多の記録のうち、
「日本リーグの連続試合出場113試合」こそ、不滅の大記録と思います。なんといっても、高卒1年目の開幕戦から、足掛け8年全試合出場なのですから。
?リーグで、それ以上の記録があったとしても(調べてはいませんが)決して色あせることなどないはずです。折しも、プロ野球では(昨年お亡くなりになった)元広島・衣笠祥雄氏の連続試合出場記録(2215)更新真っただ中でもありました。いくら試合数が少なく、アマチュアだったとはいえ、もう少しバレーボールの連続試合出場も評価されてもいいのではないでしょうか。幾多の
国際大会にも選抜されながらの記録だったのですから。
また、お嬢さんも?リーグの選手(バレーボール一家)のようです。それでも、偉大な母親を超えられない存在と思います。「ミスター・ジャイアンツ」長嶋茂雄さんが一代限りだったように、「鉄人」「神様・仏様・江上様」も一代限りなのでしょう。
5650
:
カルバハル
:2019/03/27(水) 19:34:31
江上由美
確かに長い間、日本リーグで活躍してました。モントリオールオリンピックの年に日立に入社したのですがもう一年間早ければモントリオールの金メダリストにもなれる実力です。モントリオール後は金メダリストが引退しましたが同期生で最初に日立のレギュラーになったのは金子がセンターでレギュラーでした。荒木田、会田、金坂、吉田、高柳、矢野の5人の金メダルリストの中、会田、吉田レフト、矢野、金子がセンター、高柳がライト、セッターは金坂でした。全日本選手権の決勝戦はユニチカと対戦しました。ユニチカがチャンスでしたが試合はストレートで日立が勝ち、しかも3セットは15-0のワンサイドゲームでした。テレビ放送もありアナウンサーが新キャプテンの荒木田がベンチに座り金メダリストがベンチに居る余裕ですと言ってました。その後、モントリオール当時より層が薄くなった日立でも日本リーグでは1強5弱で日立の独走でした。その日本リーグの途中で金子が調子が悪く江上がレギュラーに入り、その後は引退するまで江上が日立&全日本のセンターでした。江上はいきなり、レギュラーになったわけでないんですよ。しかし大きな怪我も無く日立中心の全日本でもユニチカ中心の全日本でも江上はレギュラーセンターでした。セッターが金坂でも松田でも川原でも石田のツーセッターでも利部でも中田久美でも小川でも常にレギュラーでした。神様、仏様、江上様とも言われてました。その後、色々な選手が出ましたが、おそらく、江上なみに活躍したのは木村沙織だと思います、私、個人的には中田久美も長い間、レギュラーを貼ってましたが、高橋や中西の方が実力は上でしたが特別待遇だったから中田久美も選手生活は長くトップで、やってましたが、ポジションこそ違いますが、江上の後に現れた優秀な選手は木村沙織でしょう。
5651
:
岡本 すいか
:2019/03/27(水) 20:44:35
紅白ユニフォームと「背番号8」
こんばんは。
カルバハルさん、ありがとうございます。失礼ながら、江上選手と同期入社の金子選手のことは存じ上げません。これから、調べさせていただいたり、また皆様からお話を伺えれば…とも思っているのです。
高卒ルーキーながら新人賞に選ばれ、2年目にして全日本に抜擢された江上選手。無論、最初から背番号1だったのではなく「8」が結構長かったように思います。小島監督は、日ごろはライバルチームである江上選手を辛口に評していましたが、それでもレギュラーとして起用し続けたようですね。「センター」「背番号8」そして「当時の赤と白のユニフォーム」といえば…。
勝手ながら、私はプロ野球の大スター・山本浩二選手(広島)を連想してしまいます(プロ野球に無関心な方、ごめんなさい)。折しも、広島カープもまた、球界では黄金期を迎えていました。その山本選手のような、三拍子揃って、且つ人柄もいい。無類の勝負強さを持った当代のスターだったようですね。人柄的には、全面的に出る闘志も、おっとり度も併せ持った…。
日常生活では全く目立たないほど大人しいのに、一たびコートに出れば、一挙手一投足にカリスマ性がある。リアルタイムでは全く触れていない私でも、祖父・叔父からの昔話や、こちらでの
皆様からの投稿を伝聞するにつけ
『江上選手は、やっぱり不世出のスターだったんだなあ』
としみじみ痛感してしまいます。
5652
:
カルバハル
:2019/03/27(水) 21:58:43
専門誌の特集号で
1970年代のベスト6て企画があり専門家の投票などを入れたら飯田、松田、白井、横山、江上、前田が黄金時代のベスト6に選ばれました。日立の山田監督はモントリオールオリンピックのレギュラー白井、岡本、矢野、前田、松田、高柳を選出してました。77年から全日本のレギュラーになった江上78年からレギュラーになった横山とか70年代、後半から活躍した選手も、しっかり選ばれてました。江上の方が横山より先に全日本のレギュラーになったんですから素晴らしいですね。横山は全日本には74年世界選手権から選ばれてるんですけど、なかなかレギュラーにはなれませんでしたが、その後は日本のエースを長年貼ってました。82年世界選手権は横山より杉山先発で、ピンチになったら横山がリリーフエースになって欲しかったです。杉山、広瀬のレフト対角で中田セッターでリリーフに小川、ライトは小高で、リリーフに水原、センターは江上、三屋に控えに石田、レシーブ兼レフトの控えに森田、ピンチサーバー利部で挑んでたらメダルまでいった気もします。
5653
:
アルタガモワ
:2019/03/27(水) 22:34:15
やっとスッキリ
カルバハル様の投稿でやっと自分の頭と心が一致しました。何故私の中の樹理は小学生の高学年の頃ハッキリ覚えて、まして凄く印象に強いのにカルバハル様の日頃からの投稿でどうしても樹理と江上の実績がこんがらがっていたのですがやっとスッキリしました。
74年に樹理が選ばれていたんですね!多分親戚の家で多分日本リーグだと思うのですが「矢野のブロックです」と言うフレーズと樹理のアタックが印象的で。
ありがとうございました。
またまたマニアックで貴重なお話し聞かせて下さい。
5654
:
カルバハル
:2019/03/28(木) 10:56:43
おそらく、
横山樹理はユニチカでは看板エースです。全日本でも親善試合や日ソ対抗戦などは先発で白井の対角エースでレギュラーのように起用されてましたが、いざ3大大会になるとレギュラーから外れてベンチでワンポイントスパイカーのようにしか使われなくったのは、可哀想な感じしました。なので横山は全日本で活躍してたので印象は深いと思います。同期生の矢野は74年世界選手権からレギュラーを、78年まで貼り、高柳はモントリオールオリンピックでレギュラーでした。吉田は77年ワールドカップでレギュラーでデビューして活躍しました。横山は74年が全日本のメンバーに居たのに3大大会でレギュラーデビューは78年世界選手権からですからね。日立組の同期生よりレギュラーデビューは遅れましたが日立以外の同期生の滑川、千葉、吉永、石川、清水よりは、華々しく全日本でも活躍してるのです。因みにヤシカの川口が、その豊作な年でレギュラーではありませんが 73年のワールドカップをヤシカ単独で参加して銀メダルを取得してますので、同期で一番早くデビューしたのは川口です。横山樹理の世代は女子バレーボール界は優秀な選手が豊作な世代です。
5655
:
カルバハル
:2019/03/28(木) 11:09:20
日立
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E7%AB%8B%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%A6%E3%81%AE%E6%AD%B4%E4%BB%A3%E9%81%B8%E6%89%8B%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%83%E3%83%95%E4%B8%80%E8%A6%A7
5656
:
カルバハル
:2019/03/28(木) 19:01:14
客寄せパンダ
横山樹理は当時、実力者の白井、前田、松田などを差し置いて人気は圧倒的にNo.1でした。ダイナミックジュリーとジュリースマイルとか子供や学生など明るい性格からユニチカの選手でしたが日立中心の全日本でも、観客席からは、ジュリーコールが響きわたりました。おそらく興行面を考えてユニチカの選手ですが日ソ対抗戦や親善試合など横山は実力もありますが人気の方が先行してましたら国内の試合やテレビ放送される試合はレギュラーのように使われました。実際は日立中心の。きめ細かいバレーボールでは横山のダイナミックなフォームのスパイクは速いコンビバレーには不向きとみたのと日立の所属でない選手なんで、全日本のメンバーに入っても客寄せパンダの役割りだった見方もあります。事実、日立の岡本や高柳や吉田よりも日ソ対抗戦や親善試合にはレギュラーとして出場してましたが3大大会となると、ベンチに座りチームの流れを変える為に、スパイク1発ドカンと決める役割りでした。実力的に矢野、吉田、高柳より、勝っても劣らない実力でしたが、日立所属でなかったのと絶対エースの白井がいたらでしょう。前田も当初は守備が悪いからアジア大会専用の選手でしたが活躍が認められて74年世界選手権は横山を押し退けレフトのポジションを取りました。モントリオールと白井の対角は岡本、77年ワールドカップは吉田が白井の対角レフトを務めました。横山は大人気者でしたが3大大会のレギュラーは78年からですが、その後は不動の日本のエースで活躍しました。山田監督の横山の使い方は女子バレーの人気取りに使ったとも言えます。
5657
:
カルバハル
:2019/03/28(木) 19:27:13
(無題)
斎藤真由美、益子直美も客寄せパンダでしたね。横山は、比べれば、まだマシです。
5658
:
岡本 すいか
:2019/03/29(金) 12:14:58
「守備の人」広瀬選手のストレート打ちとサーブ
皆様、こんばんは。
広瀬美代子選手の一後輩(高校の)に過ぎない私は、リアルタイムではないせいか、すっかり『守備(レシーブ)の名手』との固定観念を抱いていましたが、結構攻撃力も優れていたようですね。過去ログにて、皆様の投稿より拝見しました。相手側にも、広瀬選手は「守備の人」というイメージが定着しているようで、それを逆手にとってのストレート打ち(相手は不意を突かれブロックアウト)、同じ失点でも相手にとってはダメージが大きかったようです。無論、どの場面でも闇雲にストレート打ちすればいいものでもなく、その意味では『ストレート打ちがより有効な場面』を知っていたともいえるでしょうか。また、サーブにおける貢献度も高かったようです。
自軍の小島監督はもとより、生沼監督時代まではレギュラーだったようですが、そのあとが…。
5659
:
岡本 すいか
:2019/03/29(金) 12:39:08
山形県人の例外?
連続投稿失礼します。
私事で恐縮ながら、いつもバレーボールの昔話をしてくれた故・祖父は山形県人。
私に、古き良き時代のバレーボールに対して関心を持たせてくれたのです。
郷里の大先輩・上杉鷹山氏の『なぜばなる』がお気に入りでした。奇しくも、ユニチカの前身であるニチボー貝塚・大松博文監督が座右の銘にしていたフレーズのようですね。
大松監督後、そのユニチカに所属し、しかも山形県人である島影せい子選手。プロゴルファーネタは幾度となく出てきましたし、私も挙げさせていただきました。この選手も、「同郷のよしみ」からか、殊の外祖父がひいきにしていたようです。
小島監督さえも一目おいたという『山形県人らしからぬ』きかん坊ぶりが特に。山形県人は、東北でも、特にシャイ且つ無口とされていて、やはり祖父も日ごろは無口でした。バレーボールをはじめ、スポーツの話題では雄弁になりますが…。バレーボールに限らず、球技スポーツでは同郷出身者は多くないのです。たとえ、雪の影響を受けにくいバレーボールでも。
島影選手の、バレーボール・ゴルフでのハッスルプレーを見るにつけ
『あいつは山形県人の例外だなあ』
とあきれていたような、うらやんでいたような…だったそうです。
同郷の長岡由利子選手とは励ましあっていたのでしょうか。
5660
:
カルバハル
:2019/03/29(金) 13:05:05
広瀬美代子のサーブ
フローターサーブですね。貢献したかは?です。印象に残る広瀬のサーブは82年の世界選手権のペルー戦ですね。地元開催の大応援で日本は始めてペルーに1-3で負けて、その大会で始めて3大大会メダル無し、と言うか始めて決勝戦に進出出来なかった大会ですが、それまで全勝の日本が試合、最初は広瀬のサーブから始まったんですが、サーブのミスは、殆ど無い広瀬が、いきなりサーブミスして始まった試合でした。嫌な予感しがしました、その後、ペルー、中国、アメリカと負けて4位になりした。私個人の広瀬のサーブのイメージは、試合開始のペルー戦のサーブミスが印象あります。
5661
:
カルバハル
:2019/03/29(金) 13:25:23
カルテットも
客寄せパンダだったんでしょうね?ロスで役に立ったのは大谷と中田だけです。噛ませい犬、飼殺し、セクハラ、パワラハ、裏金など、少女の知らない大人の世界です。本人に解らず人気者、実力あると勘違いします。
5662
:
カルバハル
:2019/03/29(金) 18:43:48
山形県の有名な選手
島影は日立から移籍してユニチカに行きオリンピック選手でミュンヘンの銀メダル、レギュラーです。日ソ対抗戦でピンチサーバーで出て出る度にサーブを全部ミスた話は有名です。プロゴルファーに転身しましたがユニチカのキャプテンもしてました。近いところでは高橋みゆきが山形出身だと思います。バレーボール選手は元気一杯てイメージです。
5663
:
岡本 すいか
:2019/03/30(土) 11:53:38
白井貴子選手の血液型は…
皆様こんにちは。
カルバハルさん、ありがとうございました。
昭和50年代(私が生まれたころですが)月刊バレーボール誌において、能見正比古氏の血液型に関するコラムが掲載されていたと思います。皆様はどのようにご覧になりましたか?
『胡散臭い…』と眉を顰められていたのでしょうか。『血液型とバレーボールなど、一体どう関係しているんだ?』とか。
能見氏はバレーボールに限らず、日本経済新聞、週刊サンケイなど、幅広いジャンルで執筆されていたようです。
私が読んだ数回の連載から。
A型…江上由美選手、横山樹里選手
B型…金坂克子選手、杉山加代子選手
AB型…広瀬美代子選手
どれも納得、という雰囲気があります。私(無類のA型人間)は単なる血液型迷信者なのでしょうか。
ところで、白井貴子選手、また生沼スミエ選手に関して、いくら血液型を検索しても出てこないのです。検索の仕方が悪いのか、この人たちのファン(と思われる)方々のブログなどにあたってしまいます。別に個人のブログなど見たくないのです。白井選手、生沼選手の血液型をご存知のほう、教えてくだされば幸いです。
5664
:
カルバハル
:2019/03/30(土) 12:27:36
白井はO型
だと思いますよ。月間バレーボールに載って気がします。生沼は?わかりません。その企画より随分、前の人です。血液型は、なるほど、ぐらいしか読んでないし、記憶もアヤフヤかも?知れません。大砲に向いてるのがO型とか、言った事が書いてあった記憶もあります。昔の専門誌の方が面白かったのは確かです。
5665
:
岡本 すいか
:2019/03/30(土) 12:45:20
白井選手と並ぶ?大型・加藤選手
昼間から失礼します。
カルバハルさん、さっそくありがとうございます。なんとなくO型…という認識でいいのかもしれませんね>白井選手
それ以上詮索しないことにします。能見氏連載以前の昔の名選手は男女ともほとんど血液型不明でした。
ミュンヘンでは一緒に合宿に参加し(但し、五輪では不選出だったようです)、その後は日立で同僚にもなったという、同学年の加藤きよみ選手
先に私が上げさせていただいた「奈良市体育館・落成記念紅白戦」での写真で、あどけない笑顔で写っている加藤選手(背番号14)。顔に似合わず?身長1m80cm、体重80?、と、白井選手と並ぶ大型選手だったようです。小島監督に扱かれ、白井選手と一緒に脱走したといわれる…。笑顔で写っているのが、先に挙げた生沼選手と、この加藤選手だけだっただけに、当時の小島監督のスパルタぶりが伺えます。見るからに、お人好しそうだけに『闇のうちに、つぶされなければいいなあ』と思いました。その後、控えとはいえ、モントリオール五輪には出場できたようですね。
5666
:
カルバハル
:2019/03/30(土) 14:28:51
加藤きょ美
ミュンヘンの時も有望選手で欧州遠征に行ってます。ドイツでアイスクリームを食べてお腹を壊し体調崩して、その後、小島全日本では活躍が無かったです。74年世界選手権の14名の全日本に選ばれましたが、ベンチ入りは12名で松田が大会前、アメリカで怪我で離脱、加藤は移動バスで荷物を取る時に窓に謝って手を突っ込んで怪我してコーチとしての参加になりましたが日立では、バリバリのレギュラーで当時、ピンクレディーのモンスターが流行ってから、日本リーグで活躍を白井、加藤は、日本リーグでモンスターの、如く大活躍と専門誌に書かれたました。ミュンヘン、74年の世界選手権の不運もあり山田監督はモントリオールの14名から代表を飯田、前田、松田、白井、加藤、横山を先に代表に決めて残り6名を日立の中から最終選考して会田が発表前に辞退して永木が最後に落ちて12名が決まりました。中津南高校ではセッターをしてた永木がセッターとして松田を教えた事もあり、松田はセッターとして永木は私の先生だからと言ってモントリオールの金メダルを半分に切って永木にあげた美談があります。
5667
:
岡本 すいか
:2019/03/30(土) 19:26:48
故・永六輔氏と白井選手の因縁
こんばんは。
カルバハルさん、山形県人のバレーボーラーに関しての丁寧な解説ありがとうございます。
失礼ながら、意外に多いですね。「日立の加藤姓」といえば、山形県出身の加藤広子選手がいたようですね。ユニチカの西川選手同様、全日本代表の候補でありながら選ばれずに終わってしまったという…。
さて、白井選手は故・永六輔氏と交友があったようです。引退直後の昭和55年夏、日本青年会議所の講習会に講師として参加した時、同じ講師の永氏と出会ったと。月間バレーボール誌掲載。なんだか、意外な感じがしましたが。決して、同姓同名のシンガーソングライター(私自身はそちらの方がリアルタイムの世代なのですが、全く興味ありません)ではなく、あくまで「バレーボールの白井貴子さん」の方です。私はラジオ人間なので、白井選手がゲスト出演する『誰かとどこかで」聞いてみたかったですね。
永氏は、さすがに白井選手のキャラクターを心得ているのか、道中の即興のオークションで
『独身(当時)の白井貴子さんのキッス、皆さんはいくら出しますか?』
と無茶ぶり。皆『いらな〜い(笑い』だったそうです。
5668
:
カルバハル
:2019/03/30(土) 19:41:43
ユニチカの西川美代子
確か三大大会ですが81年ワールドカップのメンバーで博多女子商業のエースで第8回春高バレー優勝選手で横山樹理の後輩です。加藤広子選手は山形学院のエースで日立に入り中田久美の噛ませ犬で終わった残念な選手です。白井の永六輔の話は知りません。歌手の白井貴子は、同姓同名は、どー思ってるんでしょうね?バレーボールの白井は在日朝鮮人でクラボウの白井監督の養女になりました。、ミュンヘンオリンピックの大活躍でクラボウ退社して引退した後、日立、ユニチカの他、北朝鮮や韓国からも、引抜き話はありました。前田悦智子も在日中国人の両親だったかな?詳しくは、わかりませんが、貿易商のお金持ちの家庭だったような気がしましたが?シンガーの白井貴子さんは美人ですね。
5669
:
カルバハル
:2019/03/30(土) 23:32:53
白井貴子
確か金メダルを売りたいとか、日本は、もう金メダルは取れないとか言って週刊誌を騒がした事もありましたね。大陸の性格だから、何でもハッキリと言うとか言われてましたが、白井が言った事は、当たってるし事実ですね。スパッと辛口の話しは今の時代なら、ご意見番みたいになれるんですけど、歯に衣を着せない言い方は、個人的に好きですね。なんだ、かんだ、言われても、当時は世界一のチームのエースで世界No.1の選手です。今のバレーボール協会の事を斬ってもらいたいですね。白井のようなキャラクターが居たから、やはり飯田キャプテンは試合に出なくても必要だったんでしょうね。素晴らしい素質の中でも、心が強いのも素質ですね。ミュンヘンのキャプテンの松村キャプテンが白井は度胸があると言ってましたが、大事な要素ですね。
5670
:
カルバハル
:2019/03/31(日) 07:26:36
人気
バレーボールは各競技と比べると下降線ですね。男子バスケがオリンピック出場権を取って更にピンチですね。テレビ観戦してもVリーグの会場は観客席は空席ばかりです。昔は当日券を求める為に行列が出来たとか観客席も空席なんかは無かったんですけどね。ファンレターが沢山きて返事は出来ないけど全部必ず読んでますとか選手は言ってました。トークショーも、ありました。最近はバラエティーにも出ません。
5671
:
アルタガモワ
:2019/03/31(日) 10:45:59
確かに・・・
81年W杯終了後始まった日本リーグ日立対ユニチカが地元に来た時後輩に誘われ樹理と水原しか知らない私くてあの江上、三屋、広瀬は名前だけ知ってましたが・・・
結局は何かの具合で入れたのですがあまりの沢山の観客で選手達が小さく見えて・・・そんな時代が懐かしいです。
5672
:
カルバハル
:2019/03/31(日) 11:43:28
なんか
NHKBS放送でテレビ観戦、少しだけ見ましましたが、試合内容より観戦客が少なくて、ビックリしました。少し前は日本戦、以外の対戦カードは世界バレーで観客席の空席ばかりでしたが昨日はVリーグのファイナル3ですよね。その昔のサッカーの全日本選手権の観客席みたいでした。試合会場のキャパからしてプロ野球のパリーグの平日の試合より少ないでしょうね。選手も、やる気を失いますし、Vリーガーとしてのプライドが無くなりますね。試合の内容より、次に印象に残ったのは吉原監督が現役選手時と同じ位、顔が恐いと言うか?選手よりファイターみたいな気迫を感じました。現役選手も吉原みたいなファイターぶりを、見せないと、客数アップには繋がらないでしょうね。確かにワールドカップ81後の日本リーグの観衆や広瀬の人気もあり凄かったですが、それは、広瀬が素晴らしいファイト、素晴らしいプレーをしたからです。テレビ観戦の方が、良く見れたとか、観客と群衆ばかり見てきたとか、小さくて選手のプレーよく見えなかったとか、声援が煩くてホイッスルの音も聞こえないとか、試合が終わったら交通機関が帰りの客が多くて、ギュウギュウ詰めで大変でテレビ観戦の方が良かったとか?今と違う意味でクレームがありましたが、チームの、応援団以外、観客が居ない、みたいな事よりはマシです。いったい、どーなっちゃったんでしょうね?興行を面白くしようとしてファイナル、ファイナル3とか分けてたのが裏目に出たんでしょうか?春高バレーの準決勝より観客少なかった感じしますね?確かにテレビ放送はありましたが私個人も熱心に見てはなかったのも事実です。テレビ中継は、つけてましたが、画面に、食い入るようには観戦しませんでした。プレーに関して感想は無いですね。感動するような事がないのとファンも適当に流して見る事なりますね。金払っても見たいとなると更にハードルは高いです。
5673
:
カルバハル
:2019/03/31(日) 15:47:36
今日も寂しい
客席ですね。そもそも、ゴールデンセットて誰が考えたんでしょうね?盛り上げようとする企画は、判りますが、選手の集中力が継続が厳しいですね。大林が解説してますが生沼さんの解説を久々に聴きたいです。生沼さんてママさんバレーの指導とテレビ解説してましたが、タレントさんだったんでしょうかね?大林はタレントですが、講演会とか岡本真理子もしてましたがタレントだったんでしょうか?吉田真理子は一時、モーニングショーなんかに出演してました。解説者の登録事務所てあるんでしょうか?
5674
:
岡本 すいか
:2019/03/31(日) 18:13:45
モントリオール・五輪オールストレートはギネスブック掲載?
皆様こんにちは。
プロ野球のパリーグですか…。今日では、満員が当たり前になりましたが(セパの格差は少なくなってきています、それだけセ、特に巨人の権威が落ちてきているのもあるのかもしれませんが)、私が生まれる昭和51年当時は『強くても入らない』。その当時は全日本と同じ紅白が基調のユニフォーム、阪急ブレーブスが王者でした。長嶋巨人を破って日本一、?2達成!
公式戦とは打って変わって、日本シリーズでは連日満員の後楽園、西宮の両本拠地で全7試合、25万人以上を動員。これは、今でも日本シリーズの最多観客動員記録だそうです。
同年、モントリオール五輪で、史上唯一の「全試合ストレート勝利(ギネスブックにも掲載されているのでしょうか?」で完全優勝した全日本女子。
私的ながら、なにかと阪急ブレーブスと全日本女子がかぶってしまいます。紅白を基調としたユニフォームのカラーから、
「完全優勝(阪急も、当時採用の前・後期制とも優勝でした)」「絶対エース(阪急は山田久志投手)」と。それだけ、阪急も全日本女子も、圧倒的な強さだったようです。脂が乗りきっている様子が伝わってきますね。
そういえば、当時の「世界の盗塁王」福本豊外野手は、なにかにつけて、バレーボールを例えて、自軍の強さを表現していたそうです。
『フルセット(日本シリーズでは第7戦)で、やっと巨人に勝てた。六度目の正直でしたわ』
『まるでバレーボールのワンセット、ストレート勝利みたいやね(15対0の圧勝に)』
今、バレーボールが強さの例えにも流用されないのが寂しい限り。プロ野球もバレーボールも退潮です…。
5675
:
カルバハル
:2019/03/31(日) 21:39:55
ギネスブック?
判りませんね。でもギネスに載っても良い記録ですね?キューバのオリンピック3連覇も凄い記録です。しかしモントリオールオリンピックのチームは絶対の強さがありました。誰がレギュラーに入っても金メダルでしょうね?1セットも落とさないパーフェクト優勝は白井、松田、前田、矢野、高柳、岡本のレギュラーでなければ達成出来なかったかも?知れませんが、決勝戦の 3セットは10-0まで点差がついた時はソ連は0点で終るんじゃないかと思いました。結果 15-2でしたがオリンピックの決勝戦で男女合わせて日本人以外は一番つまらない決勝戦だと思いますね。更に凄いのはコイントスに勝ってもサーブ権が無いと点数が入らない時代コートを取る自信も凄いですよね。完璧なチームです。
5676
:
岡本 すいか
:2019/03/31(日) 21:48:24
白井選手にとっての三人の『先生』
カルバハルさん、ありがとうございます。
検索する限り、同じモントリオール五輪では、バレーボールに関してはギネスではないようです(私の検索の仕方が悪いだけでしょうか)。コマネチ選手が出場した新体操はされているようです。ぜひ、されてもらいたいのですが。『当時は影も形もない(私も人のことは言えませんが…)』今の選手にも、当時の偉業を知ってもらうためにも。
その「絶対エース」白井選手にとっては、その生涯において、『先生』は三人だと思います。
『小島先生』『山田先生』『永先生』。ご自身が養子縁組をした白井省治監督は『先生』ではないようですね。月刊バレーボール誌に掲載されている永氏、まだ40代後半(ちょうど、小島・山田両監督と同世代)だけあって、まだバリバリお元気な様子で白井選手と意気投合していたようです。
5677
:
カルバハル
:2019/03/31(日) 23:30:50
専門誌でも
準決勝だと思いますがモントリオールのチームはコイントスに勝ってコートを選んで相手チームのキャプテンは、驚いた話はがあります。絶対的にサーブレーブに自信がない限りしない事のようですが、オリンピックの試合で1点でも早く得点をしたいのに、コートを選ぶチームてサイドアウト制では他に聞いた事ないです。サーブ権を選んだ方が有利だから、わざわざ、コキントスをして決めるのに、勝ってもコートを選択するチームがあるので驚きました。また決勝戦の日に松田が2日、遅れての生理が始まったり、松田だけオリンピックに入ってから試合前に謎の吐き気が、あったのにも、関わらずパーフェクト金メダルですからね?ミュンヘンが決勝戦が1日遅れて生理になった話は有名ですが生理があっても完ぺきな優勝ですからね。白井は予選とセミファイナルの間の休憩期間に生理になりラッキーガールでした。生理になろうが、関係なく金メダルだったのも凄いですね。決勝戦は、内容も面白くなく、コンビネーションバレーオンパレードより白井、岡本のオープン攻撃主体でもソ連をねじ伏せたような内容です。ソ連の有利な試合パターンでも圧勝で白井のオープン攻撃が、面白いように決まりました。ソ連は対、白井対策でシュチェチニーナをライトポジションに、配置しましたが、焼け石に水でした。キャプテンの、スモレーワは終盤はベンチに下がり、ソ連で一人で日本に最後まで対抗したのは32才のリスカルだけでした。、最後までプライドがあったんでしょう。最後の1点はリスカル手を大きき白井のスパイクが決まったシーンは長年バレーボールを見てた人は感無量でしょう。試合後、キャプテンの飯田が審判とかに握手するの忘れた話しと有名です。あまりにも強いチームで涙のない金メダルチームでした。専門誌も強い、あまりにも強すぎると紹介されて、今では伝説に、ぬったあの東洋の魔女のチームさへセットをおとしてると紹介されてしました。山田監督は、これてま試合は2勝2敗だから勝負のフルセットはモスクワオリンピックともいってましたが不参加で残念てした。た
5678
:
カルバハル
:2019/04/01(月) 21:36:48
完璧な準備
モントリオールの日本チームは、あらゆる、アクシデントも想定して準備したんでしょうね?コイントスに負けようが、セッターが毎試合、試合前に吐き気を模様そうが、生理になる選手が居ても、準備したんでしょう。ソ連都の決勝戦の時、ソ連のスターティングメンバーをズバリ当てた話しも有名ですね。その瞬間に白井は勝ったと思ったようです。そこまで完璧な準備て歴代のオリンピックチャンピオンチームは出来てないと思いますよ。だから失セット0のパーフェクト金メダルでもあるし、モントリオールオリンピックのチームはピンチサーバー、ピンチレシーバすら必要としないから永木が落選したんでしょう。ギビ監督の私生活や趣味まで調べあげたと言われてます。メキシコオリンピックに負けて一夜にして白髪になったと言われてる山田監督がメキシコオリンピックに負けて打倒ギビ監督を誓った執念なんでしょうね。完璧なまでに、叩き潰さないとリベンジ出来たとは思わなかったんでしょうね。山田監督はギビ監督とは師弟関係とも言われてました。そこまで言われる位の打倒ギビ監督は悲願だったんでしょうね?打倒ギビ監督を達成してから山田監督は、夢ばかり追い続けたチームを作り始めましたかね。白井、矢野のツーセッターとか、全員左利きのチームとか、少女バレー塾を作ったり、現実的を見なくなり未来、未来と夢のような構想ばかり考えてました。中田久美も松田が富士山なら中田はエベレストとか言われて、少しずつバレーボールの現実から外れていった感じしますね。中田久美も被害者ですね。夢みたいな構想の一人の犠牲者かも知れません。
5679
:
カルバハル
:2019/04/01(月) 21:49:11
モントリオール後
山田監督は三冠王監督なり現実的な目標を見失ったんじゃないかと思いますよ。江上以下、日立の選手は山田監督の夢物語りの犠牲者だった気もしますね。そして日立は山田監督が解雇された後は廃部の道を進んでいった感じしますね。今から思うと三鷹高校の監督から始まり日立の廃部までの物語りみたいな、運命て感じです。モントリオールオリンピックのような完璧無比のチームは二度と作れないでしょうね?
5680
:
岡本 すいか
:2019/04/02(火) 00:28:27
バレーにおける“都立の星”生沼選手
こんばんは。
都立高が、高校スポーツにおいて、頂点を極めるのはどの競技においても至難の業でしょう。
首都の公立校ならではのハンディキャップが幾多もあるのかと思います(高校野球は極端すぎます、いまだかつて都立高は甲子園未勝利ですから)
昨日、新年号が公表されたため、昭和時代は前の前の年号になってしまいました。昭和38年、
6人制バレーにおいて都立三鷹高は全国制覇。都立高スポーツ史に置ける快挙だったのではないでしょうか。
その割には、都立三鷹高と日立とのパイプは、その後はなかったようですね。
「四天王寺高→ユニチカ」「久喜高→サンヨー」「豊橋東高→鐘紡」などとは違って。
あくまで「山田監督⇔生沼選手」の一代限りだったと。
生沼選手、山田監督からの特別扱いに関して言われていますね。生沼さんは監督時代(アジア選手権)、やはり中田久美選手を依怙贔屓していたのでしょうか?その陰で、ユニチカから抜擢されてきた若生選手(ロス五輪直前に退社)などは“犠牲”になったのでしょうか。
生沼さん出演の牛乳のCMは、かすかに記憶にありますが、事務所所属だったのでしょうか。
5681
:
カルバハル
:2019/04/02(火) 07:20:24
生沼スミ江
ワンポイントのアジア大会の監督だったので中田久美とは比べられません。山田監督はバレーボールとの出会いは戦後、学生時代に体育館の整理していたら、一つのバレーボールが出てきた事から、始まるらしいです。それがバスケットボールだったらバスケット、サッカーボールならサッカーだったと言ってました。偶然の出会いから、始まる話しです。
5682
:
カルバハル
:2019/04/02(火) 17:06:59
若生美喜子
センター、ライト、レフトを、こなす選手ですが器用と言うより中途半端な選手ですね。ミスが多い選手の印象です。大事な場面でミスして、大差がついて、どうでもよい場面では、バカスカ、スパイク決める選手でした。残念なが全日本選手に選ばれる器ではないです。
5683
:
カルバハル
:2019/04/02(火) 17:54:05
今、話題の
習志野高校は吹奏楽や野球でも有名ですが高校バレーでも男女共に有名でした。女子は春高バレー第一回大会で準優勝してます。そのメンバーに金坂克子が居ます。74年世界選手権、急遽、松田が怪我して日本リーグの練習のつもりでやれと正セッターなりソ連を決勝戦でストレートと破り金メダルをとりした。シンデレラガールとも言われてました。モントリオールの決勝戦の最後にチャンスサーバーとして登場して金メダルポイントを決めた時はコートに居ました。74年世界選手権の決勝戦の前日の夜は熟睡しましたがオリンピックの決勝戦の前日は眠れなかったと言ってました。オリンピックは、やはり、特別なんでひょうねとコメントしてました。77年ワールドカップの時には日本には二人の世界一のセッターが居ますと言われてました。今の正セッターも、決まらない全日本から比べると、何て贅沢なチームだと思います。
5684
:
カルバハル
:2019/04/02(火) 20:01:47
やはり
https://youtu.be/5FhGb8n_DO8
高橋の方が中田久美より上手い
5685
:
岡本 すいか
:2019/04/02(火) 20:13:44
茨城県のバレーボールでは「鉢巻」必須?
皆様こんばんは。
カルバハルさん、いくつも詳細にご回答ありがとうございます。山田監督とバレーボールの出会い、終戦直後の世相が反映されているようなエピソードですね。
それだけではなく、西川美代子選手も全日本に選ばれていたとか(さすがに小島監督時代だったようですが)、恥ずかしながら知りませんでした。金坂選手、旦那様もバレーボールの選手のようで、ちょうど月刊バレーボール誌に血液型相性(旦那様はAB型だったでしょうか)が挙げられていました。日本では異例、出産後にカムバックした(但し、日立ではなくダイエーに、ですが)選手のようです。余談ながら、私のいとこは、同校出身で、全国制覇の野球部監督・石井好博先生に体育を教えてもらったと。
もう一点、公立校に関していえば、バレーボールに限っても、都立高はいまだ春高バレーには出場していないようです。
さて、日本リーグでは通算最多出場記録を誇る杉山加代子選手。決して、江上選手でも中田選手でもなく…。そういえば、杉山選手は昭和、平成と二代にまたがっての現役11年でしたね。
ロス五輪だけでなく、年号が変わる瞬間(ソウル五輪直後)も現役だったのか…。そう考えるとすごいです。おっとりしすぎ、心が弱いとか言われたようですが、それでも偉大な名馬と思います。祖父のほか、同県人しかも同じ稲敷郡出身の叔父(叔父は一高ですが)が特にひいきにしていました。
ところで、高校在学中の杉山選手の写真を拝見すると、鉢巻をされていましたね。杉山選手だけでなく、茨城県の代表の中学(古河二中だったかと思います)、高校と、なぜか鉢巻をしている
ところが多かったような印象です。茨城県では鉢巻装着が、バレーボールにおけるローカルルールなのでしょうか。全日本では鉢巻など…考えられませんよね。それこそ、特攻隊みたいになって戦争が連想されてしまうのでしょう。
5686
:
カルバハル
:2019/04/02(火) 22:15:30
茨城県とバレーボールは
男子は古河1高が全国制覇してるような記憶かわあります。日立でメキシコオリンピック代表の宍倉選手が居ます。179?サウスポーの選手でソ連に負けない体格です。高校からバレーボールを始めた選手です。他は杉山選手の身体的素質は今でもNo.1かも?しれませんね。白井選手よりあると思いますよ。優しい心がアスリート向きではないです。また茨城県は水戸大成女子が名門チームです。更には須藤佳代子選手率いる八王子実践高校が5大会連続優勝して二年連続三冠王を狙った茨城国体で博多女子商業に負けて連勝記録がストップした大会でした。それまで女子は春夏連続優勝すらなくったんですが菊間監督率いる八王子実践が圧倒的な力で5大会連続優勝して男子の記録をも破ったチームでしたが国体前に、チームに、ゴタゴタがあり菊間監督は、知ってたがわざと、ほっほらかしてたらエース須藤にボールを回さない試合になりフルセットで博多女子商業に負けて、その後、菊間監督は男だったら大した事でもないけど女子は、ちゃんとフォローひないと駄目だと語ってました。八王子は 和歌山のごぼう御坊インターハイで優勝してますが、須藤率いる5大会連続優勝から中村高校を押さえて東京No.1の全国屈指の名門バレーボールチームに、なりました。四天王寺は監督は何代も変わりましたが菊間監督一代では全国制覇の監督の記録は一番かも?知れません。全日本で活躍きた選手は、三屋、多治見、福田、大林、狩野、須藤、キャロル松尾、など沢山居いますす。高校時代は須藤、全日本なら須藤、三屋と狩野が3大大会、メダリストです。
5687
:
岡本 すいか
:2019/04/03(水) 19:58:39
バレーボールと藤田明団長
皆様、お疲れ様です。
カルバハルさん、ありがとうございます。宍戸選手、茨城県出身なのですか。
それも、高校からバレーボールとは…矢野選手よりも以前に、そんな「出世頭」の選手が
実在したんですね。多くは中学校のブカツ(私は中学時代はブカツはありません、全員帰宅部でした)。サウスポーなのもいいですね。サウスポーといえば、のちにはユニチカの水原選手だったですが、もうお星さまになって1年になりますね…。それにしても、世間一般では、あまりにも報道されなさすぎで、寂しい限りです。スポーツ新聞の検索にも「水原理枝子」出てきません。ワイドショーでも報道されない…。上記、宍戸選手や小野沢愛子選手をはじめ、女子バレーの選手がモーニングショーにも総出演だった昭和40〜50年代と比べれば、寂しい意味で隔世の感がありますね。今度は新年号、バレーボールは昭和39年当時の輝きを…!といいたいところですが、今のところは厳しいか。
本題とは脱線してしまい恐縮です。少しバレーボールとはそれますが、皆様はロス五輪での団長の方をご記憶でしょうか。藤田明団長。ロス五輪の昭和59年当時は83歳でした。白髪の、好々爺そうな紳士です。現役時代は水泳の選手だったようです。亡き祖父は、バレーボールも含めた選手だけではなく、団長もひいきしていたようです。
応援団長は、本番の五輪だけではなく、プレ五輪やアジア大会も参加されていたようですね。
アジア大会では、松平専務理事や男子の中野監督と記念写真に写っていました。ロスで、米田監督と金メダル記念の写真撮影ならよかったのですが…(当時の多くの選手がベストゲームと振り返っている、昭和58年アジア選手権決勝、中国戦では、残念ながら藤田団長は不在だったようです。やはり五輪絡みじゃないと参加されないのでしょうか)
今度の五輪には、藤田氏のような、存在感のある団長はいらっしゃるのでしょうか?
5688
:
岡本 すいか
:2019/04/03(水) 20:15:32
訂正
×…宍戸選手
〇…宍倉選手
でした、失礼しました。
それにしても、日立の黄金期は長かったですね。またプロ野球と比較してしまい恐縮ながら、
上記、宍倉選手や生沼選手の第1期は巨人?9と、岡本選手、白井選手、金坂選手、矢野選手の第2期は阪急?3と、江上選手、三屋選手、杉山選手、尾高選手の第3期は西武の?2(広岡監督)、V3(森監督)とそれぞれ重複。西武球場は日立の本拠地のお近くでしたね。そして、強かったのも同じ時期。
5689
:
カルバハル
:2019/04/03(水) 21:05:50
日立のメキシコのメンバー
高山がキャプテン、生沼とセンター兼セッターか最大のウリでした。補助アタッカーは福中、小島の168?エースは井上176?、宍倉179?でサウスポーです。この日立の6人がチームの核です。日立はレギュラー以外は、まだ控えとの力の差があり、それを埋める為にカネボウの吉田、笠原176?ありサウスポーです。ヤシカから小野沢、岩原、浜、ユニチカから古川が選ばれました。ミュンヘンのキャプテンで東洋の魔女の生き残りの松村勝美は落選でした。キャプテンの高山が21才で判ると思いますが若いチームです。後でソ連に負けて東京オリンピックの経験者が落選した松村以外、引退してしまい一世代先のチームども言われてました。古川、浜、生沼、岩原と4人もメキシコ経験者が残ってます。更にベテランの松村、山下、飯田とメキシコからみるとミュンヘンは、ベテラン選手が多かったです。当時の専門誌では日本の女子アスリートの中では宍倉が一番体格に恵まれた日本人と書かれてました。当時の日立は大型チームです。メキシコの時は島影は日立の選手だと思いますが日立では出番は無かったです。攻撃が常に前衛3人を使える全員攻撃は画期的でした。全日本女子バレーボールでは唯一、完成したツーセッターチームです。ミュンヘンも松村、生沼のツーセッターですが松村は殆どスパイクを打ちませんから、勿体無いツーセッターのチームです。他にはソ連のブルダコーワ、レオンチェワのツーセッターですが、二人共トスを上げる事、中心で攻撃は、そんなにしないツーセッターでした。ミュンヘンはブルダコーワのワンセッターに補助セッターみたにサリホワが時々、トスを、あげてましたがサリホワは左右両手使いのアタッカーがメインです。何でも出来る選手でバレーボール殿堂入りした名選手です。完成したツーセッターと言えば、やはりモントリオールあたりの韓国の劉敬花、柳貞恵のツーセッターが完成されたコンビネーションバレーのツーセッターだと思います。このチームこそ、今の全日本が目指すチームだと思います。その後はキューバしかツーセッターはしてませんが、攻撃力が有り余るツーセッターのチームですね。韓国のアタッカーの高さやパワー不足を補うツーセッターブラスバックアタックを入れたチームを日本はツーセッターのチームを作るのが大変でも目指さないと成績は良くならないと思いますよ。高校バレーまでは、ツーセッターを基本にチーム作りして欲しいです。短期間の強化ではツーセッターは無理でしょうね?お互いを補うようなトスを上げられるアタッカーから始めないと駄目ですね。或いはメインセッターとサブセッターて感じでチーム作りを始めてくれると将来は、まだまだ日本チームはあると思います。ツーセッターは私も経験ありますがアタッカーから見てもワンセッターの方が合わせやすいし短期でチームは、まとまりますが、ツーセッターを完成しないと今の日本の高さやバワーでは世界と戦えません。また今の日本でサーブレシーブ免除でなく5人で、しっかりサーブレシーブしてセッターに返さないと強いサーブにも勝てません。極端に言えばリベロは要らない。全員で拾って全員で攻撃して欲しいです。
5690
:
アルタガモワ
:2019/04/04(木) 03:21:51
小高です
岡本 すいか様。いつも拝見させて頂いてます。
私はカルバハル様より最近の者です。
江上率いる日立=全日本時代にバレーに魅了されました。
私はひねくれ者で何故だか目立たない人気もない小高に魅了されました。
彼女の正解なアンダー、サーブレシーブが好きでした。
またカルバハル様同様色々お聞かせ下さい。
5691
:
カルバハル
:2019/04/04(木) 05:58:32
アルタガモワさん
黄金時代の日本を知らなくても、まだ強かった日本を知ってるんだから、素晴らしいと思いますよ。大好きな小高が活躍してるを見てるじゃないですか?可哀想なのはファンは、ソウル後しか知らないファンですよ。小島、山田両監督の代理戦争みたいな時代やチームの廃部などしか知らないファンです。ロンドンの銅メダルを素直に喜べる位しか知らないファンは金メダルと銀メダルしか取った事のない時代を知ってるファンは素直に喜べなかったです。やっと復活しそうだ?位の感想でした。
5692
:
カルバハル
:2019/04/04(木) 06:23:03
しっかり
体調管理してたら、ソウルは大林、小高がライト対角レフト杉山と高橋セッターが対角で廣、丸山のセンター対角のチーム見たかったですね?違う展開にもなったし、小高はセンターも使えるから丸山をライトに廻したりするチームも出来て相手を迷わす事も出来ました。団子レースのソウルはビリにもなるし金メダルにもなるかも知れないオリンピックですから、小高がエントリーされるチームは見たかったです。私個人的には、ソウルが大会としては一番面白いと思いと思いますよ。決勝戦は、やはり日本か、からむミュンヘンですね。男女共に決勝戦に出てますから好きです。試合の内容を詳しくみたいのはメキシコです。モントリオールは強すぎて思い出で十分です。東京大会は伝説のチームなんで以前、NHKで見せてもらったので十分です。
5693
:
アルタガモワ
:2019/04/04(木) 10:42:53
そうですよね。
カルバハル様の仰る通り中国にこそ勝てませんでしたが大きいソ連、アメリカを振り回したりきめ細かいバレーを楽しめていた私は幸せ者ですよね。
綺麗な時間差、クイック、ブロード等々。正直バルセロナ辺りの記憶ももう無い状態です。
終わった事ですがソウルのメンバーって本当に不思議ですよね。エントリーされた各選手達には何の恨みも無いのですがレシーブが出来ない川瀬、身長が164センチの山下等々・・・。
大林が居たらもう要らない存在になったのでしょうが私は今でも小高のサーブレシーブ、繋ぎはチームの流れをキープする為にも必要だったと思うのですが。
体調管理の話は以前からカルバハル様の情報で知りましたがあれだけ出番が無くなったら正直体調管理の意味すら分からなくなりますよね。それが若くて日立、全日本のレギュラーを得た選手の弱みになったのかもしれませんね。
また色々な意見聞かせて下さい。
5694
:
カルバハル
:2019/04/04(木) 19:06:13
ソウル以降
私も記憶が薄いと言うか、あまり印象が無いです。個々の選手は覚えてますが日本が弱くなると印象がなくなりますね。シドニーとロンドンは、それでも強烈な印象でオリンピックに出れない。やっとメダルまでいったからだと思いますが、他は一律、弱い参加すろだけのチームて感じです。ソウル以降しか知らないファンは、気の毒だと思いますし弱い競技なのに興味を示してくれ有難いとも思います。競技事態も、ルール変更やプレーが高さとパワーの大味になったり、サーブで崩せば勝ちみたいなバレーボールになり、面白味が、なくなっですね。アルダカモワさんが好きな、囮を使って相手のブロックと、駆け引きと言うか化かしあいと言うか、きめ細かいバレーボールではなくなったからだと思いますね。男子と変わらないバレーボールで女子バレーボール独特のラリーが続くプレーが減ったり、ラリーポイントに制になり、ある程度、点差が開くと逆転する可能性が低くなるのも、競技が、つまらなくなった気もします。小柄な選手が大型選手を、きりきり舞いにする事もなくなり体格差イコール実力みたいなバレーボールになりましたからね。興味が薄れます。何時のオリンピックから、ラリーポイント制になったのか?リベロ制になったのか?調べないと判りませんね?
5695
:
アルタガモワ
:2019/04/04(木) 19:30:13
お見通しなんですね。
カルバハル様の言う通り。私は樹理が好きと言いながら実はセンターライトのコンビバレーが好きで・・・
実際私がライトだったのと当時メンバーが申し合わせた訳でも無いのにロスのチームのコピーバレーみたいなバレーしていたのでついつい(汗)
でもポジションは別としてやっぱり女子バレーは拾って拾って相手がミスしたりそう言うバレーが楽しいですよね。
5696
:
岡本 すいか
:2019/04/04(木) 20:47:32
正しくは「小高笑子選手」でしたね…
皆様こんばんは。
また、お名前を間違えてしまいました。アルタガモワさん、ありがとうございました。
私はかおる姫&鈴木洋美世代、従って史上初の五輪不出場(モスクワ以外では)のバレーボール暗黒世代です。彼女たちが入団した時は、既に?リーグ、ユニフォームもブルマーじゃないですし、白球だったのも1年くらいだったのではないでしょうか。思わず、彼女世代の私さえ
『もはや、これはバレーボールじゃない(禁句でしょうか)…』
と呟いてしまった19、20歳の頃でした。
小高選手、かっこういいですよ。切れ長の瞳が特に。日立での背番号18(バレーではエースナンバーではないようです)よりも、なぜか全日本のほうが軽い、いい番号(10番)でしたね。
一ツ橋には比較的近い、越生町出身、花の56年組の一人ですね(同期入社に三屋、加藤広子、中田久美各々選手。大卒、高卒、中卒とバラエティに富んでいますね)。確かに、目立たないかも。私が持っている本では、同じ身長の石田選手と「高いブロック」を披露していました。
5697
:
アルタガモワ
:2019/04/04(木) 21:28:15
岡本様
かおる姫と鈴木弘洋美世代の人がまたまた何で小高や三屋時代の事をそんなに詳しいのですか?
まして切れ長の瞳なんて・・・私達の間では鬼瓦とか般若だとか・・・酷いでしょ?
でもその時代なら杉山や大友のブロードや山口のプレーを満喫しているではありませんか?
またまたカルバハル様同様色んなお話し聞かせて下さい。
5698
:
カルバハル
:2019/04/04(木) 21:39:28
ロスオリンピック頃が
囮を使って複数絡むバレーボールが一番多かった時期かも?知れませんね。今はスピードばかり追求した単独のコンビネーションやバックアタックが絡むだけが多いです。ブロードも単独で囮は付かないです。誰が打つのかな?て感じだと、面白いですよね。ブロックの進化でボールを追うようになったから囮が飛んでも引っかからないのも、つまらないですよね。見てる方も、時間差になり面白いですよね。つまらなくなったのは、やはりキューバの黄金時代からですね。その昔、小島監督がキューバチームに対して、わざわざ細かいコンビネーションバレーをするよりキューバは身体能力が高いから、ミスするリスクのあるコンビネーションバレーより、オーソドックスに高いトスを上げてオープン攻撃する方が効率的と言ってました。セッターに正確にパスを返してコンビが合わないでミスさる事より高いトス上げて個人の力でスパイクを決める方が、つまらない反復練習を積み重ねてコンビを合わせて、守備も苦しい反復練習を重ねないと強化にならない地味で効率が悪い練習ばかりは大変ですからね。小島監督は明日は今日より1ミリでも遠くのボールを拾えるようになる努力を積み重ねてと言いましたが、そこまで、しなくても勝てる方が効率的ですからね。極端な話しサービスエースで全部決めれば一番効率的だけど見てる方は、つまらないでしょうね。オリンピック三連覇したキューバのバレーボールが、女子バレーボールのラリーをなくして、男子バレーボールの後追いみたいになった原因かも?知れません。男子並みのキューバのバレーボールに90年代は、どこの国も勝てませんでした。
5699
:
カルバハル
:2019/04/05(金) 06:32:15
今も
これくらい、面白いバレーボールみたい。まずはサーブレシーブでしょう。
5700
:
カルバハル
:2019/04/05(金) 06:32:46
ソウル
https://youtu.be/SFlThm59zX0
5701
:
カルバハル
:2019/04/05(金) 07:23:15
弱いから
人気が下降していった原因は、やはり女子バレーボールが強すぎたお家芸とも言われた事からでしょう。始めて出場した第3回世界選手権で、いきなり銀メダルだった事から始まる女子バレーボールですから1960年〜1981年まで金メダルと銀メダルしたか、どちらかは取得してたんですから21年間、決勝戦に出場して当たり前て思った事は、実は当たり前では無かった事は承知しても女子バレーボールは常に高いハードルを跳ばされてたと思います。人気の男子サッカーからみれば団体球技では日本ではバレーボールは成績の良い競技の方です。高いハードルは歴史的に仕方ない事ですが人気が落ちた事などは、やはりバレーボール協会に問題があるからでしょう。高いレベルのうちに強い組織作りのシステムを作らなかった事が残念です。昔はオリンピックも世界選手権も日ソ戦が全てでした。また日本1イコール世界1みたいな報道に踊らされた事も真実です。そんな時代が再びくる訳は無いですよね。敵はソ連、迎え討つのは我が ニチボーて言われてましたが凄いですよね。 魔女の遺産を、ずーと背負わされてると思うと可哀想です。伝説に残るチームて、こう言う事だと思いますよ。中田久美は、何でも、あんな事を言ったんでしょうね。来年の東京オリンピックのチームが伝説に残るチームになるとは思えません。
5702
:
岡本 すいか
:2019/04/05(金) 21:01:26
古本収集が趣味の「バレー歴女?」
皆様こんにちは。
アルタガモワさん、ありがとうございます。私事で恐縮ながら、私は古札&古本収集が趣味なのです。人一倍古風な祖父からの影響ですね。従って、昔(といっても約40〜30年前の、ですが)の月刊バレーボールが自宅にあるのです。その当時、大人の女性に「女子」と表現するのは、スポーツ、それも五輪規模のスポーツだけだったようです。今の「女子」安易な乱発の風潮には、私などは疑問を感じてしまいます。大人の女性を子ども扱いするようで…。
但し、悲しいかな私の世代では、それに疑問を感じているのは私くらいのようです。既に母親になっている、私の同級生などは「大人女子のママ友」などと呼び合っているようで。
かおる姫や鈴木洋美が小高選手を知っているとは思えません。辛うじて、最初小田急に入団したかおる姫が、江上選手(小田急の監督だった)の名前を知っているくらいではないでしょうか。それが、私達ロスト・バレーボール世代の実態のようです。
5703
:
カルバハル
:2019/04/05(金) 21:59:45
江上由美の姉
確か小平高校だったと思います。江上は姉と一緒にバレーボールをしたかったらしいが学校群制度で小平高校に行けなかった?とかで松陰高校に進学したらしい話をうる覚えですが、そうだったみたいです。東京出身でないので学校群の分けたかは知りませんが、そうらしいです。また春高の東京都予選で姉妹で対戦してテレビ中継があったらしいです。松陰が勝ったらしいですが小平は出場権、取れなかったんでしょうか?当時は東京代表は2高校ですが八王子実践が前年優勝してるので東京は3枠あったと思います。やはり都立小平は出場権、取れなかったんでしょうかね?あまりにも細かい話しなんで判らないです。
5704
:
カルバハル
:2019/04/05(金) 22:07:23
岡本さん
意見を聞きたいんですけど、昔の月刊バレーボールと今の月刊バレーボールを比べてみた感想を聞きたいです。私は昔は専門誌だと思いますが今はアイドル誌で立ち読みしてみて購入を決めますが、全く内容を確認しても購入する気になれません。岡本さんは、どう思いますか?アルタガモワさんの意見も聞きたいです。昨年の世界バレーの取り扱いの酷さは目を疑う内容でした。
5705
:
岡本 すいか
:2019/04/06(土) 00:26:53
正直、本屋でもおかれていません…
こんばんは。
多くのほうの感想と同じ、近年では私は読む気にもなりません。第一、エキナカなどの本屋でも、在庫があるほうが珍しいくらいのようです。やはり、一般市民からは無関心を囲われているのでしょうか。
天国から、「月刊バレーボールの父」前田豊氏が泣いている!?
対照的に、36年前(私は当時4つでしたが)、昭和58年暮れの同誌のほうが、リアル世代でないはずの私にさえ血沸き肉躍るような躍動感が感じられる内容でした。
第3回アジア選手権、全試合ストレート勝利でロス五輪出場確定。
『全日本の、特に女子がそれらしい強さを見せつけた最後の国際大会』
かもしれませんね。なにしろ、オールストレート勝利なのですから。
特に、ニュージーランド戦は試合時間27分。推定ながら、国際試合においての最短時間と思われる記録のようです。
但し、カルハバルさんにとっては、やはり物足りないのかも。中国にも解消したとはいえ、
ちょうど新旧交代期、手の内をすべては見せていない相手に勝っても…と思われたのと、
やはり、ごひいきにされている東洋紡のトリオ(北井選手、井上選手、田淵選手)が選ばれてくれたほうが…とも思われたのでしょうか。
アルタガモワさんにとっては、ごひいきの小高選手が活躍。ヘソ出し(当時はブルマーにシャツを入れないスタイルが国際的?だったのでしょうか)でスパイク、ライト攻撃をされていました。なぜか、前年より背番号が1つ下がって11番でしたが。
ついでに、私の20年大先輩・広瀬美代子選手は、既にユニチカ唯一の全日本戦士として、少ない出番の中孤軍奮闘を続けていました。前年日の丸に選ばれたはずの若生選手、萩原選手、鈴木ひとみ選手、みな1年もたたずに高3トリオに取って代わられたのですね…。
5706
:
岡本 すいか
:2019/04/06(土) 00:30:04
補足
カルバハルさん、でした。また間違えてしまって申し訳ないです。
山田団長、広瀬選手、米田監督のスリーショットが印象深いです。祖父はいいものを遺してくれました…(感謝)。
5707
:
カルバハル
:2019/04/06(土) 05:01:07
そうです。
今の月刊バレーボール、なんで、あんな酷い雑誌に、成り下がってしまったんでしょうか?ネットの時代でも他のスポーツ専門誌は、専門誌の役目をはたしてます。日本のバレーボールが弱くなった以上に、月刊バレーボールの内容の酷さを感じます。お金を出して買う商品とは、思えません。立ち読みしてもパラパラみて、1〜2分、写真と対談しか無いです。しかも、試合の写真じゃなくてインタピューの写真ばかり、試合の取材しているのかも?怪しい内容です。インターネットで情報集めて、写真インタビューで、ごまかした、手抜きです。経費を全くかけてない、アイドル誌ですよ、インタビューで芸能人でもない選手ですから、インタビューのギャラすら払ってないかも?知れませんよ。アイドル誌より悪いです。素人が作った雑誌レベルです。
5708
:
カルバハル
:2019/04/06(土) 06:48:52
ユニフォーム
見る目が細かいですね。ブルマのユニフォームを出すか入れるの決まりは無いですが入れないとヘソが見えたりします。ユニフォームがブロックでネットに触ってもネットタッチを取られる事があるのでブルマに入れた方が良いと思いますし、私自身は先輩にシャツはトランスやブルマに入れないと指導されました。しかし女子は体型が見えるのが嫌なのか?ブルマに入れない人が多かったです。またコートに転がり回りレシーブする時とか床に汗で貼り付く場合もあったら素肌丸見えになります。男子はフライングレシーブが多いのでトランスの中に入れてると思います。また女子はテレビ中継でも選手が入れない人が多いです。更にテレビ番組の人気あったサインVとかテレビドラマやアニメ、漫画とかブルマには入れてないので女子は入れない習慣になりましたが反則とられたり、めくれると、もっと恥ずかしい事になるから徐々に入れる人が増えました。その昔、日ソ対抗でも女子はソ連も入れてません。74年の世界選手権の専門誌の写真で、ネット際のプレーで、ソ連のリスカルがジャンプした時にユニフォームが胸くらいまで、めくり上がる写真が掲載されて、恥も外聞も関係なくと書かれてました。それは、たまたま。なんでしょうが、リスカルがお腹丸出しでも、必死で頑張って、強い日本に対抗してるて意味なんでしょうが女性としは、恥ずかしいでしょうね。また74年の試合でソ連に勝ち選手同士が、称えてるシーンで白井はブルマに入れてなく、飯田はブルマの下に入れてました。今まで、そこまで気にしてませんでしたが、岡本さんの見方は細かいですね。
5709
:
カルバハル
:2019/04/06(土) 07:33:31
あくまでも、個人の気持ちですが、ちょっと違います。
私が。ごひいきにしてる選手は北井でも井上でも田淵でも、ないですよ。好きな選手ですけどね。そーですね。 ごひいきとしてた選手は生沼、飯田、横山、水原、江上、広瀬、中田久美でしたが、中田久美には期待を裏切られただけに今は嫌いですが監督になってからは、年々、大嫌いになってます。最近でもないですが木村沙織も、ごひいきです。海外選手も沢山います。他は若生とかはミスが多いから好きでないとかありますが嫌いと、はっきりるの中田久美だけですよ。まだ少女だった時の中田久美は少しずつ弱くなっていた日本女子バレーボールの救世主とまで期待してました。
5710
:
カルバハル
:2019/04/06(土) 08:05:51
女子と乱発する話し
会社で昔、若手社員が女性を女子と呼んだんで聞いたらドラマが元SMAPの木村拓哉が女性を女子と呼ぶようになり女子と言う、言い方が連発されるようになったらしいですよ?あてになるか?どうかは、判りませんが、そう言った話を思い出しました。そんな若手社員も今は中堅以上のベテラン社員になりました。また83年アジア選手権は全部ストレート勝ちと言いますが当時はアジアは韓国、日本、中国位しかオリンピックの出場権を争うチームはなかったです。中国は、すでに世界選手権で優勝して出場権をとり選手の入れ替え時期と、出場権があるのでお客様扱いで中国は緊張感がなく終始リラックスしてました。日本に負けて郎 平と張容芳が表彰式に涙を流したシーンみて解説の生沼が。これは、本番のロスは怖いと言ってました。日本はオリンピックの出場権を、これまでオリンピックに優勝するか世界選手権でオリンピック優勝国を除く最高順位のチームに与えられるので日本は始めてオリンピックの出場権をかけた予選に挑みターゲットは韓国戦でした。開催国で有利なうえ韓国戦に焦点を合わせて練習してたので韓国をストレートで、やぶり、中国戦は無欲の勝利みたいでしたが実際に見るとわかりますが中国がまだ選手入れ替えが中なのと開催国なのと日本にはプレッシャーが取れた事です。ストレートでなければ逆に危なかった試合です。試合はストレート勝ちですが日本の勢いと中国が。だんだんチームが崩れていっただけです。それでも各セット接戦だったんです。83年アジア選手権の勝利を引きずり本番に挑んだ日本は完敗でした。
5711
:
岡本 すいか
:2019/04/06(土) 12:04:13
私はブルマー世代ですから…
皆様こんにちは。
カルバハルさん、まとめてありがとうございました。
私は小中高12年間ブルマーだった最後のほう(地域差ありなので、一概にはいえませんが)の
世代なので、こだわりがあります。広瀬選手の後輩である私、舞子高校、女子バレー部の同級生もブルマー。しかも、時期的には最後の2年くらい(高2からの)はルーズソックスともかぶっていました。かおる姫や鈴木洋美も同じようだったかも?皆、一律、シャツには入れませんでした。私の卒業後、体育も、バレーボール部も一様に廃止になったみたいです(舞子高校では)。
5712
:
カルバハル
:2019/04/06(土) 17:56:00
えっ
広瀬の母校のバレー部、廃部なんですか?残念。昔はブルマにタオル挟んで、回転レシーブする姿もよく見ました。
5713
:
岡本 すいか
:2019/04/06(土) 18:05:59
いいえ、廃部じゃありません
こんにちは。
カルバハルさんへ。私の言い方が悪くて大変失礼しました。廃部なんてとんでもない。
私の卒業後、ブルマーが廃止になっただけのことです。従って、今は体育及びバレーボールとも
ハーフパンツのようです。偉大な広瀬選手が立ち上げたといってもいい、バレーボール部は
現在は26歳、教員3年目・理科の女性教諭が監督です。26歳といえば、広瀬選手が現役引退されたお年。
5714
:
カルバハル
:2019/04/06(土) 18:18:15
勘違いしました。
確かに偉大な先輩です。レシーブの神様です。ユーチューブでワールドカップ81とか見ると素晴らしいですよ。
5715
:
岡本 すいか
:2019/04/06(土) 18:28:12
生沼さんと組み合わせたかった松井みどりアナ
こんばんは。
過日の松倉悦郎・元アナの事件にびっくりされたのはこの方だったかと思います。やはり、元フジテレビアナ・松井みどりさん。バレーボールファンの皆様になら、お馴染みではないでしょうか。春高バレーを主にレポートされていました。日本リーグの方は、彼女の入社5年目からは
?リーグとなり、中継そのものが激減してしまったようですが。
昭和42年6月25日生まれといいますから、大林素子氏とは同学年、誕生日も10日しか違いません。アナでは異例、横浜市立大学卒、平成2年フジテレビ入社。平成2年、まだ生沼さんは解説されていましたでしょうか。ただ、本格的に彼女がスポーツ畑で活躍を始めたのは入社3年目といいますから、ちょうど日本リーグ晩年となり、微妙。彼女のスポーツに対しての取り組み、知識とも素晴らしいと思います。生沼スミエさんとなら、きっといい掛け合いになることでしょう。彼女は、プロ野球ニュースの「紅一点」レポーターとしてお馴染みでした。昔は、プロ野球のオフならバレーボール企画で生沼さんだった、と叔父が教えてくれました。
5716
:
カルバハル
:2019/04/06(土) 18:38:56
全国の人が、感動しました。
https://youtu.be/p9dPhPuliw0
5717
:
岡本 すいか
:2019/04/06(土) 19:17:47
神田にて「月バレ」アジア大会号ゲット!
皆様こんばんは。
昨日記させていただきました「第3回アジア選手権・男女とも金メダル」号に味をしめてしまい恐縮です。本日、久しぶりに神田の古本屋街を回ったところ、なんと昭和58年1月号、即ち生沼スミエ監督唯一の采配のアジア大会が表紙になっている号がありましたので、即買いしてしまいました。
私は、祖父が遺してくれたプロ野球・バレーボール関連の書籍に加えて、自身でも週刊ベースボールや月刊バレーボールの本をはじめ、古書を買って回るのが趣味なのです。
それも、この大会はなんと江上選手が旗手を務めています。バレーボール・全日本において、女性の監督も史上初なら、アジア大会の女性騎手も史上初とのことでした。江上選手の後方に、これも先日記させていただきました、藤田明・日本選手団長をはじめ役員の皆様が続いています。更に、江上選手の同僚である、全日本の女子選手連が。身長1m70cm以上の女性10人以上が前方を占める、ある意味爽快な光景です。帰国後には、生沼監督銀メダル凱旋も兼ねた特別番組「大松博文を超えろ・生沼全日本の挑戦」が放送、当時の主力選手が総出演。
五輪そのものでは、まだ女性の旗手は、日本ではないようです。次回の五輪は!?
5718
:
岡本 すいか
:2019/04/06(土) 19:28:34
現監督が…
度々失礼します。
バルセロナ五輪、現監督が旗手だったのですね。それは知らなんだ…。
同学年の岩崎恭子の金メダルにばかり興味を奪われた27年前の夏…。
5719
:
カルバハル
:2019/04/06(土) 19:52:14
中田久美とか
騎手しなかったかな?紅白歌合戦の審査員はしたかな?
5720
:
カルバハル
:2019/04/06(土) 23:23:37
紅白歌合戦
中田久美が誌審査員で舞台に立った時、確か振り袖をきてた気がしましてた。176?ですが、テレビ画面では、バカでっかい女が、刷り袖を着てるなて印象でした。 昔、小川かず子がテレビの試合中継を後で見ると自分が、凄く小さい事を嘆いてました。しかし、記者が普段は、普通の女性に見られるの良いんじゃないかと聞いたら、とても嬉しそうに、そうですと言ってました。バレーボールの女子選手が結婚相手の話しが出ると自分より1ミリでも背の高い人なら良いと皆、言ってました。普段は普通の女の子て感じです。
5721
:
カルバハル
:2019/04/07(日) 01:42:37
岡本さん
もし、月刊バレーボール古いのを読みたければ都立多摩図書館がお薦めですよ。西国分寺にあります。雑誌が豊富な図書館です。私は国会図書館で探したら無くて国会図書館も出版社まかせだから無いです。しかし、相談したら都立多摩図書館が資料が沢山と教えてもらいました。月刊バレーボールの1970年とか1968年代とかあります。更に欲しいところは有料でコピーもしてくれます。場所は西国分寺駅の近くで中央線と武蔵野線が通ってる駅です。月間ベースベールもあると思います。なんせ、雑誌が沢山ある図書館です。係りの人に月刊バレーボールの1970年のあるの見せて下さいと言うと倉庫から、持ってきてくれます。
5722
:
岡本 すいか
:2019/04/07(日) 18:18:54
「はらや・ゆみ」か「はら・やゆみ」なのか!?
皆様こんばんは。
カルバハルさん、ありがとうございます。早速多摩図書館訪問してみます。ちょうど、日立のおひざ元である国分寺なのもいいですね。
さて、昭和57年暮れのアジア競技大会、生沼全日本にエントリーされていた原也祐巳(はらやゆみ)選手。翌年には、例の高3トリオ(9番ですから、大谷選手に、でしょうか)に取って代わられた、日立ではまれな(あとはユニチカの三人の)選手のようです。
この原也祐巳選手は謎だらけです。リアルタイムでは知らない世代と言ってしまえばそれまでですが、当時のほかの日の丸戦士は、皆様のおかげで大分知ることができましたが、この選手はわかりません。お名前からして「はらや・ゆみ」選手なのか、「はら・やゆみ」選手なのか。
そして、出身校の「松島高」もどこにあるのか…。WIKIPEDIAに検索をかけても出てこない、
レアな?事例のようです。ご存知の方、ご教授くだされば幸いです。
アジア大会からアジア選手権にかけて、ユニチカ三選手と、この原也祐巳選手に代わって、
高3トリオと利部選手が新加入、その後はロス五輪も変更なし(バルセロナの時とは違って)。
ただし、皆様によれば、それが敗因だった、と。
その選手のことも含めて、ぜひ多摩図書館、利用させていただきたく存じます。
5723
:
カルバハル
:2019/04/07(日) 19:18:47
はら、やゆみ
選手です。私もチームの顔に記載してる情報しか知らないけど体格の割にはジャンプ力があり最高到達点が高い選手だと記憶してます。山田監督は体格の良い選手、ジャンプ力のある選手、若い選手、左利きの選手を、好んで集めてました。他には、やはり美人の選手も日立は多かった記憶があります。失礼極まりない話しですが、子供の時は、なんとなく日立は美人でユニチカは、それなりにと思ってました。子供は、思っても言ってはいけない事を、いってしまったんですが、チームの顔で選手紹介で顔写真が出てると、そう思いました。ごめんなさい。今から?と、後の日立のセクハラ事件にも繋がるのかも?知れません。比較的、目鼻立ちバッチリの選手が多いです。ダイエーも似た傾向だったと自分調べでは思いました。
5724
:
カルバハル
:2019/04/07(日) 19:27:56
他にも沢山あるでしょう。
https://www.library.metro.tokyo.jp/guide/tama_library/
5725
:
岡本 すいか
:2019/04/07(日) 19:30:51
ありがとうございます。
こんばんは。
カルバハルさん、ありがとうございます。
私も「長身且つ左利き(現監督がそうじゃないですか)」は魅力あると思います。
全日本は、小川かず子選手が退かれてからは、全員1m70cm以上になったようですね。
そして、生沼監督も1m71cm(60?)。世間一般では文句なしの長身である1m70cm以上の
女性が13人も集うのですから、壮観ですよね。イトーヨーカドーの柴田真弓選手(1m56cm)
は小柄ながら、恐らくピリリと辛い選手だったのでしょう。小田正道監督と高校(泉州高)から一緒だったみたいですからね。
私事で恐縮ながら、私は1m70cm。ちょうど広瀬選手とは同じです。私は(あまり身長とは関係のない)ソフトテニス愛好者です。前述のとおり、帰宅部に過ぎませんでしたが。
こちらで、広瀬選手の(新たな)伝説を幾多も伝聞して『もったいないことをしてしまったなあ…』と後悔、でもないですが思ってしまっています。高校時代、クラスの女子で私より長身といえば、広瀬選手の後輩でもあるバレー部(1m74cm)ひとりと、バスケット部1人(1m75cm)でした。クラスの女子20人のうち。
5726
:
カルバハル
:2019/04/07(日) 19:49:00
170?
バレーボール関係者なら、勿体ないと思う体格です。バレーボールで一流アスリートなら、セッターなら十分通じますね。170?でも高橋みゆき、大懸選手は170?のオリンピアンのアタッカーです。ところで多摩図書館なら他の競技の雑誌も沢山あると思います。神田のふ古本街は、以前はブックパワーといった店が古いスポーツ雑誌を専門に扱ってましたが残念ながら閉店しました。また古い専門誌は高いと4000円とかします。その点、多摩図書館の方がコスト的に良いです。一番残念なのは国会図書館です。わざわざ行きましたが無かったんです。殆どの書物は国会図書館に収納されてると言われてますが残念でしたが多摩図書館にある事がわかりました。以前は西立川にあり駅から遠かったですが西国分寺に移り駅からも近く便利です。掘り出し物がバレーボールだけでなく沢山あるでしょう。
5727
:
岡本 すいか
:2019/04/07(日) 20:00:04
高橋みゆき世代でもあるのか…
再度ありがとうございます。
ちょうど、ロス五輪真っただ中の昭和59年夏の月刊バレーボールにおいて、当時19歳(従って、件のカルテットと同学年と思われます)の福島市在住の女性が、山田重雄監督のQ&Aコーナーに投稿していました。『中学、高校とバレー経験のない私が、これからでもバレーボール、できますか?』と。
山田先生『全日本は厳しいけど、ママさんバレーやクラブ選手権もあるよ』。
ほぼ間違いなく、カルテットに触発されたのでしょうね。イコールでもありませんが、その女性に、私は今更ながら同感します。今、その方は53歳ですね(宮島選手や広選手は今…ですよね)。
高橋みゆき選手も、私とは同学年のようですね。誕生日もかおる姫とは一日違い、同じ東北人で、しかも山形県出身。同身長だったとは(もっと高く見えました)。
5728
:
カルバハル
:2019/04/07(日) 20:03:52
調べました。
https://catalog.library.metro.tokyo.jp/winj/opac/switch-detail.do?idx=0
5729
:
岡本 すいか
:2019/04/07(日) 20:12:26
そんなにもありますか…
カルバハルさん、ご丁寧にありがとうございます。
スポーツの歴史に関心のある人間にとってはありがたいですよね。
他人に無理強いする性質のものでもないですが、それこそ『バレーボールを通じて…』
歴史を学んでもらえる場であればいいですよね。広瀬選手の名言から流用させていただきました。
遅ればせながら「はら・やゆみ」選手でしたか。重ねて御礼申し上げます。松島高は、8年前
311で被災した宮城県の高校のようです。
もう一件、確かに日立の選手の方が美人タイプは多いようです。生沼選手、江上選手、三屋選手と、今でいうビジュアル系として人気があったようで。
その点、ユニチカは島影選手も、横山選手も、そして広瀬選手も美人とは言えないみたいですね。
5730
:
カルバハル
:2019/04/07(日) 21:25:53
図書館なんで
近くの図書館から取り寄せて閲覧も可能だと思います。行ける人は多摩図書館に行く方がタイムリーに見れます。多摩図書館に無い物も調べてくれます。千葉大学の図書館にあるとかも教えてくれますが、古い雑誌を見たい方は多摩図書館から探した方が効率的かも?知れません。確か70年のブルガリアの世界選手権位から多摩図書館はあると思います。興味ある人は探して下さい。私も記憶と違ったとか?見落とした物とか再発見ありました。また古い新聞も電子版でも閲覧出来ます。移転して綺麗図書館になりました。
5731
:
カルバハル
:2019/04/07(日) 21:44:06
昔の月刊バレーボール
図書館とか自分が持ってる本を読むと昨今の月刊バレーボールの内容に怒りさへ覚えます。同じ出版社で同じ専門誌なんだろか?と疑うばかりです。よくよく、比べると今の専門誌は手抜き、お金をかけない、実際に取材してない、インターネットで集めた情報の継接ぎ、だと思います。古い物は海外のバレーボール情報も細かく書いてあり専門誌だなあと思います。2018年の世界バレーの記事を読むと、如何に手抜か、判ります。それこそ図書館に置いてあっても、パラ読みして終わりでしょう。椅子に座りジックリ読む価値は無いです。ましてはお金を出して本屋で買うなんて気になれません。少し興味あるのは、何時から、こんな駄目雑誌になっのか?知りたいですが調べら気のはなりません。
5732
:
アルタガモワ
:2019/04/08(月) 00:44:37
もしかして
杉山加代子、武内弘子選手と同期の原哉美選手ですか?確かレフトだった気がします・・・
5733
:
カルバハル
:2019/04/08(月) 07:19:20
その辺の世代ですね。
私は原選手の記憶は殆どありません。アルタガモワさんが良く知ってる世代だと思いますよ。
5734
:
アルタガモワ
:2019/04/08(月) 10:03:57
いえいえ!
私もリアルタイムではきおくが無くて・・・95年辺りにバレー雑誌の投稿で「昔のビデオ売ります」って言う事で五万円辺り大枚叩いて購入しました。
その中に83年アジア大会や82〜88年冬至の全日本、日本リーグ等のビデオで勉強しました(汗)
5735
:
カルバハル
:2019/04/08(月) 12:06:04
大枚はたきましてね。
私は、そこまで出してません。神田の古本屋が閉店してから図書館で探す事にしましたが図書館の方がコスト的に安いと思いました。今は全国の図書館の本がオンラインで調べてもらえます。持ち出しは出来ないけどコピーは可とか出来ます。コピーも雑誌を痛めないコピーも出来ます。
5736
:
カルバハル
:2019/04/08(月) 19:18:01
日本でないけど
https://youtu.be/tbqTup4UKaw
チームワークを感じ中国チームです。郎 平もコートには居ません。ドーピングの噂はありましたが、中国第一期黄金時代の最後の姿です。梁??艶は、引退しますが5つの世界タイトルを持ってます。郎 平より多いです。
5737
:
岡本 すいか
:2019/04/08(月) 19:21:24
日立・三浦敏子マネジャー
皆様こんばんは。
カルバハルさん、アルタガモワさん、ありがとうございます。
そうですか、杉山選手とは同期入社の…。その年代は「〜広子選手」が目立っていますね。
武内広子選手、加藤広子選手…ともに、五輪代表はならなかった。原選手も(アジア大会では日の丸ですが)然り。それだけ、当時の日立は強すぎた!?のでしょうね。
さて、その当時の選手、時代は下って大林選手もお世話になったという、日立・三浦敏子マネジャー。皆様は知っていらっしゃるかもしれません。月刊バレーボール、昭和58年12月増刊号、アジア選手権増刊号に、三浦マネジャーの裏方ぶりが掲載されていました。普段通り、日立の選手に加え、高三トリオ、そして広瀬選手の面倒を甲斐甲斐しく見ていたようです。母親とも、姉貴分ともなっているようでした。大林選手のHP にも掲載されていたようです。
その選手権の試合内容について。カルバハルさん、決勝戦の中国戦は数字ほどの楽勝じゃなかったと。
その通りなのでしょう。それが楽勝に見えてしまうところが、リアルタイムではなかったとの、バレーボール未経験の悲しさです。当時はサイドアウト制、1セット15点でしたが、相手にも
二桁得点されれば、確かに楽勝ではないですね。つまり、逆に転ぶ可能性も充分あり、更には
相手の主将・ランピン選手(現監督)たちが泣いているところをみて、解説者としてよりも、『前年の全日本監督』として生沼さんも危惧されたのでしょうね。
そして、ロス五輪では、その予言は的中してしまった、と。
それだけの激闘を戦い抜き、なんとか全日本バレーの伝統を守ろうとした選手を労わる三浦マネジャーの気苦労と温かみが伝わってくるレポートでしたね。
5738
:
岡本 すいか
:2019/04/08(月) 19:45:51
広瀬選手とは入れ替わり?サウスポー中西選手
もう一件失礼します。
月刊バレーボール、ロス五輪本チャンも読みました。いくら、予め結果は知っている事実とは言え、やはりドキドキし、そしてしんみりしてしまいますね…。準決勝の中国戦、ストレート負けこそ、スコア通りの実力差だったのでしょうか。
その裏では「バレーボール・メダリスト同窓会」も行われ、小野沢愛子選手は『4年後、ソウル五輪には、皆のジュニアが出場するかもね。ツアーを組んで応援に行きましょう』と。実際にはいらっしゃったのでしょうか。いらっしゃらないほうが正解だったかも。衝撃の結末だったようですから。
その五輪で、5年間に及ぶ日本代表から卒業し、翌春、26歳になるときに今度は現役引退に至った広瀬美代子選手。同年代の日立の「三人娘」とは違って、静かに、特にセレモニーもなく…。広瀬選手らしい、奥ゆかしさが感じられます。その後は、指導者になることもなく、
母校に現れたのも、銅メダル凱旋公演の1回きり・・・。余韻がありますよね(一後輩の身びいきで恐縮です)。
春だけに『別れがあれば、出会いあり』の言葉が実感されます。ちょうど、広瀬選手とは入れ替わりに、中西千枝子選手が入社されました。宮本選手→山下選手→そして故・水原選手と続くユニチカ伝統のサウスポー。ユニチカでは珍しい?美人タイプだったようですが、小柄でしたね。
中西選手、そして日立の大林選手は、凋落しつつある名門の自チーム、全日本、そしてバレーボールを支えるため必死で戦ったようです。昭和60年代〜改元〜そして日本リーグ終焉にかけて。私はその時代のことは詳しくないので(物心はついていたのに。小学生にはなっていましたが、何分関心がありませんでして…)、その年代につきましても、図書館で調べてきます。
皆様、中西選手、そしてその年代に関して、なんらかのエピソードをご存知でしたら、教えてくだされば幸いです。
5739
:
カルバハル
:2019/04/08(月) 20:25:11
三浦敏子
マネージャーも最初は選手として日立に入社してます。モントリオールの丸山マネージャーも同じです。監督から選手よりマネージャーになるように指示があり、皆、郷土の期待を背負って日立に入社してるから、迷ったと言ってます。日立は海外遠征もあり大変だったと思いますし、データ収集も大変だったと思います。ソウル後は、試合を見るだけで専門誌も買わなくなり、記憶は、アヤフヤですが、ドンドン成績が下がっていってアテネではオリンピック予選グループ落ち、シドニーは出場すら出来なくなりました。ロスで中国に負けて3位決定戦にまわり意気消沈してる選手に山田監督は、なんとしてもメダルを取る為に私は監督を引き受けた、そのうちオリンピックに出場すら出来きなくなる時代もくるんだと山田監督は、選手にハッパをかけましたが、その予言がシドニーで当たり、山田監督は、判ってたんだと思いました。
5740
:
岡本 すいか
:2019/04/09(火) 02:14:36
福岡開催のアジア選手権は中西選手も応援?
おはようございます。
真夜中に目が覚めてしまいまして…(汗)。
件のアジア選手権と中西選手との因縁。ご承知おきの通り、女子は福岡市・北九州市開催でした。地元の博多女子商業の生徒がご覧になったと。即ち、その生徒の中に「未来の全日本戦士」
高2だった中西選手もいたのでしょう。11月の福岡ですから、大相撲九州場所や福岡国際マラソン(やはり五輪選考だったと思います)もあり、きっと盛り上がっていたでしょうね。当時、
プロ野球では本拠地不在(ライオンズは移転後、まさかダイエーがプロ野球にも進出なるとは…)だっただけに、博多っ子の関心もバレーにあったのでしょう。スポーツ応援のため、
福岡市内渋滞していたとは。その盛り上がりの中選手はじめ関係者はバス移動していたようです。
マラソン以外は競技としては権威が落ちてきているだけに、この36年間(十二支三順)の趨勢が感じられます。
5741
:
カルバハル
:2019/04/09(火) 07:09:22
福岡開催のバレーボールの大会て珍しいてすね。
福岡は博多女子商業がバレーボールで有名ですね。徳丸監督です。中西は見に行ったんでしょうね。横山も見に行ったのかな?他にも博多女子商業は、木下、岡松、西川など、全日本を経験した選手は居ます。博多女子商業からはユニチカと昔の久光製薬に入社してます。昔は久光製薬は九州出身者だけ集めたチームで実業団リーグと日本リーグをいったり来たりするチームてわした。大林や吉原が日立を解雇されてイタリアに行く時、久光製薬だけオファーを受けたのに、断ったチームです。ダイエーチームを吸収して久光製薬は強くなりましたが、随分、昔は馬鹿にされてたと思いました。他には福岡は不知火女子が有名でユニチカからミュンヘンオリンピックでピンチレシーバーとしてオリンピアンとなった山崎八重子が有名です。小島監督が山崎八重子と広瀬美代子のレシーブを私が育てた選手で一番優秀な選手で甲乙つけがたいと言ってました。まだワンタッチを数える時代、国内の試合てわしたが山崎のレシーブはスパイクを拾うと、そのまま二段トスになり選手はスパイクに繋げました。それが一回や二回じゃなく何回もかで、凄く驚きました。広瀬の時代とバレーボールのルールが違うので比べられませんが小島監督は並び称してます。
5742
:
カルバハル
:2019/04/09(火) 08:33:30
NHK杯
https://youtu.be/2IHQoa_KRmE
この時期は、まだ、そんなに力の差もなかったが、キューバは、この後オリンピック三連覇、日本は、ドンドン成績落としオリンピックの出場権を失う。しかし、キューバもオリンピックの最終予選さへ出場出来なくなり、日本は銅メダルまでいったが、今は、アップアップで溺れそうです。寂しい限りです。
5743
:
カルバハル
:2019/04/09(火) 11:19:26
興味
無敵のキューバの時代から。あまり全日本や国内のバレーボールには興味は低下して海外のトップの強豪がキューバに挑むんでも挑んでも負ける試合をみて世界のトップの迫力と技術を見るようになり日本は応援は、するもののジックリ試合は見なくなりましたね。テレビ放送も時間が合えばみたいになりました。今はテレビ放送を録画してまで見る気持ちになりません。テレビで放送してても、テレビつけてて、BGMのように聴いてチラチラ見るだけですね。木村沙織が出てた時は見てました。あれ、なんで決まるのとか?多かったです。ポジションこそ違いますが、江上のプレーとダブります。テレビだとネットを挟んで見てるので、なんで決まるんだと思いますがネット越しだと、解ったのかな?とも思います。ネット超しから、たまに映像を見ると、なんて早いトスなんだとか良く判ります。テレビ中継だと判りません。専門誌の写真はネット越しの写真が多く記載してたので試合のテレビ観戦とは違う角度で新鮮に感じました。テニスのようなカメラ角度で半分位、テレビ放送して欲しいですね。サインを読まれるから駄目なんでしょうか?
5744
:
アルタガモワ
:2019/04/09(火) 13:29:52
懐かしいです
89年当時まだNHK杯あったんですね!
個人的な話で申し訳ないないのですが実習でバレー見る機会が無かったんでしょうね。秋のW杯はキチンと見ましてが・・・私はこの時のソ連のライト、レベジュワ、バトフチナ、カルデロン・メルセデスが格好なと思いました。
確か日本は初戦のカナダとやりましたがなかなか・・・苦労して勝ったのを記憶しております。
5745
:
カルバハル
:2019/04/09(火) 17:09:40
NHK杯
キューバ、韓国、ブラジル、ペルーなど来日してました。いつの間にか無くなりました。何時からなんでしょうね?モスクワオリンピック前のNHK杯で、やっとキューバに勝てるチームになったのに不参加で残念でした。
5746
:
岡本 すいか
:2019/04/09(火) 20:04:38
月バレ「白球の長い旅」に件の北朝鮮が!
皆様こんばんは。
カルバハルさん、ありがとうございます。そうですね、引退後わずか1年の横山選手、ご覧になったかも。本来なら、ここまで現役を続けたかったのでしょうけど…。他方、西川選手はこの大会まで全日本に残れず。
月バレ、ロス五輪後まで読み進めました。昭和60年3月号には、興味深い話題4本もありました。
1.ダイエー、日本リーグへまい進
2.松平康隆氏連載に、『ジャパンカップラスト2日間、新生・両国国技館にて開催』
3.小泉志津男氏「白球の長い旅」
4.引退間際の広瀬選手、バレンタインデーに満面の笑みで『私も郷ひろみファンです』(手にバラの花)
そのうち、2の『昭和44年夏、ブルガリア・バルナサマー大会にて日立武蔵単独チームが北朝鮮と対決』
の記事がありました。
『あれは…うちの宍倉(邦枝選手、でしたね。監督よりわずかに早く早世してしまったようです)が最高潮の時のスパイクよりすごい』
山田監督、うなったと。その選手こそ、皆様が教えてくださった金増福選手でした。
確かに、167?しかないが、ダイナミックな助走から男性並みの素晴らしいジャンプ、強打を放つ…と。
生沼選手のセリフも皆様おっしゃったように『まるで、かつての“東洋の魔女”みたい』
でしたね。
そのショックからか、直後のソ連戦も完敗…。直前の日ソ対抗(今はありません。ソ連も消滅しましたが)も含め、5戦全勝だったのに、それも破られたと。期海外遠征中、24勝2敗だったそうですが、その2敗が実に手痛い黒星だったと。
どの記事も、今では隔世の感が感じられるものばかりですね。おばあちゃん(還暦)になった広瀬選手、名古屋から、日の丸の後輩が率いる現全日本をどのように見ているのか…。
5747
:
岡本 すいか
:2019/04/09(火) 20:08:03
訂正
相変わらず、イージーミス失礼します。
2、じゃなくて3でしたね。それにしても、当時は濃い内容ですね。私自身は小学校入学通知書が神戸市から届いたという昭和60年2月の発売分。
5748
:
カルバハル
:2019/04/09(火) 20:53:10
金増福
バルナのサマー大会で日立がストレート負けして確か0点のシャツトアウト負けのセットがあった記憶かわあります。70年世界選手権は決勝リーグは1試合しか出場しなく足を捻挫したと言った話しもありましたが男でないかと疑われてセックスチェックではねられたとの疑いが、えりめしたが年後のミュンヘンオリンピックには出場して専門誌には大会No.1アタッカーと紹介されてました。世界選手権で怪しいと思われたら、オリンピックは、より厳しくチェックされるか参加しないと思いますがミュンヘンでは実際にプレーしてます。予選の最終日の日本が始まる寸前に予告無しに北朝鮮の選手のパスポートを検索があり、北朝鮮のチームは怒りだし、出足の1セットは日本が圧勝しましたがセットを追うごとに大接戦になり3セットは16-14でなんとか日本は逃げ切りストレート勝ちして予選グループ1位で通過しました。準決勝は終始、北朝鮮がリードしたが、詰が甘くソ連に3-1で勝ってソ連チームはテロで1日日程が伸びたのは、思わぬ休日になったて疲労が取れたとスモレーワが後に言っていました。3位決定戦は韓国に北朝鮮はストレート勝ちしてます。金と姜の両エースが活躍するチームですが金は男だったかは謎で終わりましたが私は女性のような気もします。後にメルセデス、ペレスが日本に来日した時、北朝鮮の金を、一回り大きくしたのが、ペレスと言ってますから、女性か半陰陽だったかも?知れませんね。医学が、その当時は、どこまで男女を区別したかは判りません。男子のような凄い選手て事です。
5749
:
カルバハル
:2019/04/09(火) 22:03:29
江上姉妹
松陰と小平は東京第一代表、第二代表で春高校に出場してますね。都立の小平高校は江上姉で出場してますね。
5750
:
カルバハル
:2019/04/09(火) 22:09:57
月刊バレーボールあ1977年3月号で
新ひまわり娘の歌で江上由美の特集で出てました。またモントリオール後の日立チームがNHK杯に出た時は確かに金子佐知子が江上より先にレギュラーになってます。レギュラーを譲った理由は江上は無口でファイトを表に出さなかった事で金子が先にレギュラーに入ったようです。小平高校も出場した事が書いてあります。東京大会決勝戦は小平と、松陰でネットを挟んで姉妹対決でした。
5751
:
カルバハル
:2019/04/09(火) 22:22:46
阪神の真弓の妹
久光製薬のエースでプレーしてました。実際にはモントリオール後の皇后杯で日本リーグ勢を破り決勝戦で日立と当たり2位でした。当時の雑誌読んでたら思い出しました。実業団リーグにカムバックしたばかりのチームが久光製薬に負けて久光製薬は決勝戦進出しました。まだ九州出身だけ集めた時のチームの話しです。福井、荒武、浮田、とかも居たメンバーです。須藤率いる八王子実践の連勝を止めたメンバーに福井、浮田がいました。エースの真弓は163?でしたが活躍してました。
5752
:
しゅんち
:2019/04/09(火) 22:30:55
NHK杯は91年まで?
92年からワールドグランプリが始まって、当時はNHKにて放送されていましたんで、NHK杯がワールドグランプリに変わったのかなぁ?って思っていました。どうなんでしょうか?
5753
:
岡本 すいか
:2019/04/10(水) 02:11:21
真弓孝子選手、でしょうか
また夜半に起きてしまいました…。
カルバハルさん、真弓選手の妹さんに関して調べさせていただきました。真弓孝子選手、でよろしいでしょうか。まだ、真弓選手が西武の前身・クラウンライターライオンズに所属した当時
主将として所属されたようです。ご本人と同じく、柳川高校出身なのでしょうか。こちらも掘り下げてみます。阪神時代の真弓選手といえば、それは女性から絶大な人気を集めた選手のようですから。かの江川卓投手が、プロで一番初めに対決した打者(初登板は因縁の阪神戦、真弓選手は当時一番ショート)実家にも、昭和55年当時表紙を飾っている週刊ベースボールがあります。
脱線してしまい失礼しました。都立小平高、都立としては唯一春高出場していたとは知りませんでした。第一代表、第二代表なら、そんなにお年も違わない?のでしょうか。
改めて、江上選手は「バレーボール一家」(姉、本人、夫、娘)なのですね…。
5754
:
カルバハル
:2019/04/10(水) 06:13:35
江上姉
年子で167?です。姉の影響でバレーボールを始めたようです。第5大会だと思いますよ。優勝は八王子実践の二連覇です。
5755
:
カルバハル
:2019/04/10(水) 09:23:35
白球の長旅
9人制〜バルセロナまで話しです。日本の黄金時代が中心です。
5756
:
久しぶり
:2019/04/10(水) 19:09:22
白球の長い旅
1989年の12月号が最終話で、
1980年、モスクワ五輪直前に、全日本女子は国家としての出場は無理でも、
「全日本女子バレーボールチーム」としての個体での出場に一縷の望みを
かけて北海道で合宿中。
そんな最中、いちどは懸案事項になったものの結局認められず、その悲しい
知らせを最終合宿メンバー12人はその北海道の地で知ることとなり、誰とも
なく泣き出し全員が涙にくれた。
そしてその合宿メンバー12人が、「幻のモスクワ五輪代表メンバー」となった。
その後の80年代の記載は女子バレーの地盤沈下をわずかに語った程度で1段落も
あったかどうかぐらいで、あっさりとペンを置かれています。
この連載も終了は平成元年。バレーボールは昭和の遺産のようなものですね。
月間バレーボールは選手への取材や論評も辛口目ながらしっかりしていた雑誌
だったように思われるのですが。今は・・・。
5757
:
岡本 すいか
:2019/04/10(水) 20:36:57
バレー界激動の昭和50年代後半
皆様こんばんは。
カルバハルさん、久しぶりさん、ありがとうございます。全日本女子バレーボールチーム(どこかの冬季五輪代表チームみたい)、それも昭和55年9月号に掲載されていましたね。不参加を知り、一様にユニチカ組は悲嘆に暮れました。横山選手、広瀬選手、そして故・水原選手。今でも、天国から水原選手は当時のいきさつを悲嘆しているかと思います。
他方、『日立から唯一の選出』江上選手だけはひょうひょうと、クールに『終わったことは終わったこと。今度は日立の(第3期)黄金期をつくり、オール日立でロス五輪に出場したい。4年…長いですからね、でも体力が続く限り…!』。まさに、有言実行でしたね。
広瀬選手は、同じユニチカの先輩、特に水原選手の無念を晴らすためにも、ロス五輪には
チーム代表としても孤軍奮闘したのでしょう。翌春、その重責から解放され、郷ひろみ氏を語るときの笑顔と言ったら。ただ、最後は「三人娘の抜けた日立」に一矢報いようと、いつの間に青年長になった身から率先しようとしたようですが、チームも、自身もすっかり往年の力から
衰え、なんと5位で終わってしまいました。”銅メダル”にもならなかった…。
久しぶりに元号をお使いになる方にお目にかかれてほっとしました。
5758
:
岡本 すいか
:2019/04/10(水) 21:00:54
ダイエー・女子バレー部とセリンジャー監督
もう一件。いつも長文で恐縮です。
今では久光製薬に吸収されたというダイエー、女子バレー部。プロ野球よりも6年早く、
昭和57年暮れに、米田一典監督を初代にスタートしました(本来なら、全日本・小島監督の後任者に指名したかったのかもしれませんが、ダイエーの準備があって、そのつなぎとして生沼監督だったのかもしれませんね。しかし、立派なつなぎで『女子バレーは金または銀』の伝統を死守)。実業団クラスにおけるママさん選手第1号・田中克子選手が主将、吉田真理子選手、ハイマン選手、クロケット選手らが立ち上げ、のちには松田紀子選手も加入。
とにかく興味深い話題満載でスタートしたようですね。恥ずかしながら、松田選手が北海道巣出身とは存じませんでした。ダイエー所属中に著書「やっぱりバレーが好き!」を、月刊バレーボールの日本文化出版からリリース。カルバハルさんが挙げられている『金メダルを真っ二つに割って、永木選手に差し上げた』エピソードも紹介されているようです。
吉田真理子選手、パンチ満点の強面?ですね。但し、吉田選手も、数年の空白を埋めるため
必死にスパイクを打ち込んでいる様子だったようです。
田中選手、既に2男の母親のようで、公開練習には愛息も飛び入り参加させたようです。
但し、よくないエピソードも挙げなくては。やはり、ハイマン選手の試合中死亡事故ではないでしょうか。こちらでは、過去スレでも上がったことはないようですが、避けては通れない…。
そして、いま思えば、女子バレーの、日本リーグの凋落を暗示するような出来事だったのではないでしょうか。
セリンジャー監督は、自身が送り出した両助っ人のうちひとりが遭遇した、上記事故も見かねたのかもしれません。残されたクロケット選手を助ける意味もあって、平成元年からダイエーに
就任されたのでしょう。折しも、プロ野球のダイエーも発足。女子バレー部の方が6年先行なのです。?リーグ1年目の平成6年暮れには、プロ野球の方は王監督が就任。
但し、プロ野球チームとは違って『勝って大安売り』とはならなかったようです。
セリンジャー監督在任中は、プロ野球チームの方はまだ弱小でしたが、退任した翌年から常勝チームに。揃い踏みできていれば…と思われますよね。
私は(日本リーグ、五輪の相手チームの)外国人選手は関心ありませんでしたが、外国人監督ではセリンジャー監督には感銘を受けました。松平康隆氏が感激したという名言。
『ハイマン、クロケットを日本リーグ、ダイエーに留学させます。守備の大事さを学んでもらって、ロス五輪の時には帰ってきてもらいます』
これも有言実行(アメリカは銀メダル)でしたね。
5759
:
カルバハル
:2019/04/10(水) 21:05:32
モスクワの無念、江上も泣いてましたが
チームに帰ればキャプテンだから、メソメソしてられなくったと言ってました。広瀬もチームに帰れば、またしぼられるから終わった事は、考えないようにしてたようです。三屋は学生だったので、くよくよしてたようです。小島監督が、見初めた三屋も白井どうよう、山田監督が更っていきました。須藤は、取れなかったけと八王子実践とのパイプが日立は太くなりました。武内、林、宮島、大林、高橋、多治見、福田など居ました。
5760
:
カルバハル
:2019/04/10(水) 21:13:01
セリンジヤー監督
確かユダヤ人で、アンネフランクと遭遇してます。セリンジヤー監督も本を出しますよ。ハイマンが亡くなった試合で日立の連勝記録がストップしました。
5761
:
カルバハル
:2019/04/10(水) 21:21:24
ダイエー
先にライバルのイトーヨーカ堂が女子バレーボールチームを創設して、ライバル心で日立のOGや日立に入社したかったえどかなわなかった感じの選手を集めて、ハイマン、クロケットを呼び、一気に地域リーグから実業団リーグ、日本リーグがかけ登りました。イトーヨーカ堂は泉州高校のOGと宇都宮女子商業の渋谷、植野を入れて着実にチーム強化しました。益子直美を日立は欲しかったがイトーヨーカ堂にいきました。日立は川瀬が入社しました。ソウルオリンピックに川瀬は参加出来ましたが益子は落選でした。
5762
:
アルタガモワ
:2019/04/11(木) 00:08:56
セリンジャーの本買いました
もう10年近く前になりますかね、購入して読みました。確かにアンネと会ったと書いていましたね。
でもあまり覚えて居ませんが(汗)
5763
:
カルバハル
:2019/04/11(木) 05:57:20
まだレベルが高かった時
日本リーグには、世界のトップアスリートが助っ人で出てました。世界選手権でも、オリンピックでも、ワールドカップでも活躍した。選手が多く居ました。逆に日本人が海外のクラブチームに行く事はなかったです。日本リーグのレベル低下なのかお金なのか?それでも外国人、助っ人の力でチームの順位は変動します。昔からみると助っ人外国人のレベルは全体的に下がってます。
5764
:
カルバハル
:2019/04/11(木) 06:21:13
バレーボール殿堂
最近は、まともになったねます。以前はアメリカの選手ばかりです。日本人でプレーした選手も沢山居ます。
5765
:
カルバハル
:2019/04/11(木) 06:56:17
バレーボール殿堂
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%83%AB%E6%AE%BF%E5%A0%82
5766
:
岡本 すいか
:2019/04/11(木) 21:56:42
バレーボールマガジン
皆様こんばんは。
謎の?バレーボール専門誌「バレーボールマガジン」。生前、祖父が集めていた月刊バレーボールに交じって、なぜか1冊その本がありました。私が初投稿させていただいた時に
お伝えしたかもしれませんが、昭和58年1月号です。
私事で恐縮ながら、バレーボールファンの祖父は、女子(選手個別に応援)とは対照的に男子はNKKファン一択でした。というのも、祖父の息子である叔父がNKKに勤めていたからです。叔父の同僚には、NKK勤務のスター選手がいたようです(小泉勲選手など)。そして、松平康隆監督は叔父の大先輩。
『全日本男子、国際大会では久しぶりの金メダルだなあ。ミュンヘン五輪以来かなあ?※実際は違うようです。松平は喜んでいるだろうなあ…』。
そのバレーボールマガジン、恐らく月刊バレーボール(の特集号)と間違えてしまったのでしょう。先日、私も気づきました、月刊バレーボールは、特集号は普段より一回り大きなサイズで発売されるようなので。表紙は、アジア大会金メダルの全日本男子の面々。世界三大大会、または五輪本チャンが絡むのでもないアジア大会で、特集号が組まれるとも考えにくいですが、
少なくとも、祖父の言葉通り全日本男子は国際大会では8年ぶりの金メダル(昭和49年同大会以来)。そして(女子とは対照的に、既に確定していた)モスクワ五輪不参加のどん底から立ち直る布石と思われた快挙でしたから。
謎の雑誌なのです。今のところ、WIKIPEDIAにも項目が見当たりません。私の検索の仕方が悪いのは百も承知ですが…。一説には、ベースボールマガジンから独立した雑誌、とも伝えられていますが、真相は…?ですね。古本サイトでも、ほとんど出回っていないようです。
データは充実しているようです。日本リーグ全選手の中学校以来の球歴、そしてニックネーム、血液型。月刊バレーボールとはまた一味違った?松平氏の連載もありました。
バレーボールマガジンとは対照的に、昭和58年時点でも創刊10周年の新鋭だったようです。
過日、神田古本屋にて月刊バレーボールの同月号を見かけたとき、『昔、おじいちゃんが買いたかったのはこれだったのかあ』と即買いしたのです。
5767
:
岡本 すいか
:2019/04/11(木) 22:13:16
ヨーカドの助っ人・ビルヒニア・ナヘラ選手
もう一件。
カルバハルさん、アルタガモワさん。ビルヒニア・ナヘラ選手をご記憶でしょうか。メキシコ出身の選手。下記、バレーボールマガジン「助っ人特集」に組まれていました。同チーム初代・
小田正道監督のスパルタ特訓にもついていき来日3年目、すっかり定着…折しも、日本リーグデビューのシーズンでもあったようです。ヨーカドー、初年度はそのナヘラ選手の活躍もあって4位と上々と思われたのに、なぜか小田監督は辞任。早くも内紛が起きていたようです。
これも、小泉志津男氏の著書にありましたね。
私的には、『大松的スパルタについていった』物珍しさもあり、バレーボールの外国人選手としては珍しく?好印象でした。
5768
:
カルバハル
:2019/04/12(金) 06:31:00
あてにならない知ってる記憶では
まず専門誌は月刊バレーボールとバレーボールマガジンとアポロ社?2誌ありました。内容的に月刊バレーボールの方が、より専門誌らしい感じでバレーボールマガジンは写真が多かった記憶です。私個人は2誌を立ち読みして、気に入った記事が多い方を購入しました。大概は月刊バレーボールでした。そのうち専門誌は月刊バレーボールだけになりました。競合が無くなったのが今日の月刊バレーボールの内容が、キチンと取材しない薄っぺらい内容、金をかけない専門誌とは思えない、駄目雑誌に、成り下がった、一つの要因かも知れませんね?大きな大会などは写真の記載が多いバレーボールマガジンを、購入した事はありますが同じ時期に2誌は購入してないで、詳しく調べた事は無いです。次にイトーヨーカ堂には初期にはメキシコ人は2人居ました。アラゴン、ナヘラです。一人はセッターだったような気がします。個人的には小田監督はスパルタ式です。暴力もあったと思いますよ。チーム一丸になって目標を目指す時は効果があるのかも?知れませんが、もう1つ上を目指すには限界があったと思います。泉州高校は8時間も毎日練習させてました。精神論もあり効果的な指導とは思えません。皆が皆、東洋の魔女になれる訳ではないです。選手それぞれの指導は、どうだったんでしょね?日本人が好きな漫画、巨人の星、みたいな感じです。バレーボールが青春とか恋人とか人生をかけてる人でないと、ついて行けないでしょう。イトーヨーカ堂を退社後、男子の指導者になりました。昭和のバレーボールと言うより他には、何もない戦後のバレーボールて感じです。イトーヨーカ堂は個人的には好きなチームでした。何故?イトーヨーカ堂は武富士に移籍して消えたんでしょうか?想像ですが合理化や管理体制の厳しいイトーヨーカ堂の考えでバレーボールの宣伝効果は終わったからでしょうか?最近の話題のセブンイレブンの24時間も会社の効率制などばかり走り、そこに人が居る事を後回しにしてる企業体質を考えると会社に貢献したバレーボールチームも貢献度が低くなったら、スパッと切ったんじゃないでしょうか?
5769
:
カルバハル
:2019/04/12(金) 12:22:55
メキシコ
ビルヒニア、ナヘラ、、エレニア、アラゴンだと思います。昔、共栄学園もミルナ、パトレシアと2人のメキシコからの留学生が居ました。
5770
:
岡本 すいか
:2019/04/12(金) 21:54:22
モントリオール五輪パーフェクトは「オールライト?」
皆様こんばんは。
カルバハルさん、ご回答ありがとうございます。そうですね、確かに、バレーボールマガジンのほうがビジュアル的ですね。ヨーカドーにとっては、バレーボールは単なる企業PR道具に過ぎなかったのでしょうか。道理で、HPにも全く触れられていない“黒歴史”はずだ…。
それと、遅ればせながら、セリンジャー監督はアンネ・フランクに会われているのですか。それは初耳でした。
さて、日立・山田監督の理想のひとつとして「6人全員サウスポーのチーム」があったかと思います。しかしながら、山田監督指揮だった“モントリオール五輪・パーフェクトチーム”は
全員右利きなのではないでしょうか。
思えば、東京五輪以来、そのモントリオールのほかの五輪には、一人は必ずサウスポーがいたと思います。宮本選手。宍倉選手、山下選手、水原選手…と。
しかし、あえて空でいってみます。モントリオールの飯田、岡本、前田、松田、白井、荒木田、吉田、矢野、横山選手は右だったように思います。背番号6、8、11の選手が出てこないので、確証とまではいえません。それでも、左はいなかったようです。
それはそれで珍しい快挙かもしれませんね。12人全員右打ちの金メダル。
5771
:
岡本 すいか
:2019/04/12(金) 21:55:47
背番号11は矢野選手でした…
失礼しました。
5772
:
岡本 すいか
:2019/04/12(金) 22:37:33
突っ込まれそうなので…
背番号6…加藤きよみ選手
背番号8…金坂克子選手
背番号10…高柳昌子選手
でしたか。12人全員空では言えませんでした…。
5773
:
アルタガモワ
:2019/04/12(金) 23:22:13
あまり覚えて無くて・・・
コーカドーで小田は初枝、久保、置田選手の時代にペルーのキャプテンで〜名前がでないけど色白の選手は覚えているのですが・・・
カルバハルさま、岡本様オールサウスポーって大林、永富、藤吉、村田、田中選手時代の事ですかね?確かに皆サウスポーってゴージャスだけど下手な選手が6人居ても結局成立はしませんよね。
私はその当時、小田急戦で日立がレギュラーから控え選手達に換えた途端小田急チーム起こってのか?凄い形相でセットを取り返したのを凄く覚えておます。
ダイエーが頭角を表しもしかしたら日立の優勝はなくなるかも!確か第18回リーグでしたっけ?当時までは日立を応援してましたが知らない間に他のチームを応援する様になってました。
二夜連続ゴールデンタイムで放送されたぴたり対ユニチカ戦も手に汗握りユニチカを応援しましたが初日ユニチカが負けた時「あ〜優勝は日立だ」と悔しい思いをしました。
優勝インタビューで打数の無い新人吉原の初々しいコメントもよく覚えています。
当時から中田は上げれば何とかしてくれる選手にしかトスを回さない頭を使わないセッターだなと思いました。
他所のチームに比べゴージャスなアタッカー揃えておいて、他のチームセッター達は工夫して回していたのに・・・
話がづれました。
5774
:
アルタガモワ
:2019/04/12(金) 23:47:35
誤字脱字
すみまん。
5775
:
岡本 すいか
:2019/04/13(土) 06:54:49
オールレフト、実現したんですか?
皆様おはようございます。
アルタガモワさん、ありがとうございます。件の山田監督構想「オールレフト」現実になったのでしょうか。大林選手、ですからロス五輪以降ですね(関心が薄い時代で恐縮です)。
小田急は江上改め丸山監督だったのでしょうか。古巣を相手に必死になったのでしょうか。
第18回リーグは広瀬選手の現役最晩年でしょうか。ひょっとしたら…ラストシーズンは広瀬主将だったのかも(プレーの力量とは別に、失礼ながらリーダーシップはあまりないほうみたいです。高校時代は1期生でしたから、1年生から主将だったようですが…)
本人もやりたくなかったでしょうけど、リーダーシップのある横山、水原、小川各々先輩とも引退、ほかに目ぼしい選手も育っていなかったからキャプテン、務めたかもしれません。
それこそ、真偽のほどを図書館で確認したいです。結果から言えば…新鋭・イトーヨーカドーにも負けて5位でしたね(18年のうち、当時では最もよくない順位だったのでしょうか)。
5776
:
アルタガモワ
:2019/04/13(土) 12:58:28
オールサウスポー
偶然集まったんでしょうか?大林、永富、村田、藤吉、田中選手でしょうか?私思うのですがサウスポーのセンターや素子の様にサウスポーのブロードって相手センターはほぼ右利きだと思うのですが、そうしたら相手センターはブロックに付くには動きやすい気がするのですが・・・。ま〜そんな心配は要らないですよね?最近のライトはまずブロード、クイックは絶対に打たない(山口舞選手が久々でそれからもう誰もしない)しセンターもロング、ショートのブロードはほぼ打たないし打ってもブロックされやすい球を追いかけて打つブロード、奥村選手の評価が高いですが私はそうかな〜〜〜?といつも感じます。杉山、大友、山口選手の様なセッター任せ(良い意味で)で空中でトスを待ってるので必然的に囮効果は断然、コミットブロック付かれた時の瞬時の判断は必要ですが。
奥村選手もそう言うブロード打ちたくてもそう言うトスを上げられるセッターぎ居ないからなのかもしれませんが。
5777
:
岡本 すいか
:2019/04/13(土) 14:15:40
近年ではどなたが名サウスポーなのでしょう…
お疲れ様です。
アルタガモワさん、ありがとうございます。私は、近年の(私より若い世代の)サウスポーではどなたが第一人者なのか存じません。少なくとも、私的ながら同学年のかおる姫、鈴木洋美、高橋みゆき(史上初の五輪不出場世代)は右だったと思います。己を基準にするのではありませんが、やはりその意味でも近年はバレーボールに関心が薄れてきているのかなあ、と思いますね。
5778
:
アルタガモワ
:2019/04/13(土) 15:11:33
岡本様
私は・・・長岡選手でしょうか?理由は良く跳んで良く打つからです(笑)
私の年齢だと東京の宮本選手のプレーは殆ど分かりませんが水原、大林選手しか思い当たりません。お二人共長岡選手と違うのはレシーブがキチンと出来ていたと言うより要に近い役割だった様な気がします。
時代の流れでサーブレシーブ免除だなんて未だに理解不能なシステム・・・
例え長岡選手がサーブレシーブ免除じゃ無くなってもレシーブぜんめん、繋ぎのプレーは出来ないと思います・・・。
すいかさんはかおる姫、高橋、鈴木洋美と同学年なんですね。因みに私は佐藤伊知子、杉山明美、梅津、松沢達と同学年です。カルテットより一つ上のパッとしない年代です。
今久光対東レ戦見てますが本当にどちらも下手ですね。
チャンスボールもまともに返せず・・・先程は高さもキチンと合っていたトスをネットに掛けていましたよ・・・岩坂選手が・・・冗談はよしこさん。
5779
:
カルバハル
:2019/04/13(土) 19:13:40
サウスポー
使い方が上手いのは、日立よりユニチカですね。
5780
:
カルバハル
:2019/04/13(土) 19:14:59
イトーヨーカ堂
タイトとリスコです。図書館で調べた事、岡本さん教えて下さいね。楽しみにしてます。
5781
:
アルタガモワ
:2019/04/13(土) 20:50:31
あっ
カルバハル様、肝心のタイト忘れてました(汗)そしてペルーのキャプテンで色白のセッターでしたっけ?リスコ選手でした・・・。
でも当時の日立って凄いですねタイト、リスコ ダイエーに関してはハイマン、クロケットが居るチームに勝ち続けてたなんて。
今日の久光対東レの試合なんてもうため息ばかりでした。
クイックなんて両チームともジャストミート一本も無かった様な。
5782
:
岡本 すいか
:2019/04/13(土) 21:34:24
君が君でいるために(森川美穂)
こんばんは。
カルバハルさん、アルタガモワさん、ありがとうございます。こちらこそ、楽しみにしています。多摩図書館は、自宅からもそう遠くはないのです(駒沢体育館の近くに住んでいますので)。
月バレは昭和44年1月以来過去50年のバックナンバーが在庫されているようです。
さて、私が挙げさせていただきましたタイトル、皆様ご存知かもしれません。春高バレーは、平成5年第24回大会よりテーマソングが採用されました。その記念すべき第1回のテーマ曲です。私的には、ちょうどその時代は覚えています。中二から中三にかけての春休みでしたので。
『〜熱く燃える夢を抱いて走り続ける〜君の横顔が眩しいから〜』。
翌年からは、春高も含めたバレーボール大会はもう?6(このグループそのものがいいんですけどね…そんな私は森田剛史とは同学年)の独壇場みたいになってしまい、純粋なバレーボールファンの皆様は眉を顰められたかと思います。
この歌を歌っている森川美穂さん、ノリのいい関西人です。経験者かは存じませんが、バレーボールにも結構造詣はあるようです。
5783
:
岡本 すいか
:2019/04/13(土) 21:48:49
10連休中には多摩図書館に…
ちょうど10連休中に、新年号に改元されるので、図書館にて、さりゆく時代のバレーボール(の知らざる真相)を調べてみようかと思います。長岡…といえば、昭和40年代の日立・長岡由利子選手(島影せい子選手と同郷・山形県人)が思い当たる私は、やはり近年のバレーボールには関心が薄いのです…。
5784
:
カルバハル
:2019/04/14(日) 03:03:24
多摩図書館
そんなに、あるんですか?そこまでは知らなかったです。
5785
:
カルバハル
:2019/04/14(日) 03:11:12
間違い
勘違い、覚え違いなど、あるでしょうね?楽しみですね。またメインの話は知ってても裏話までは、判らなかった事が判明しそうですね。岡本さんはバレーボール以外も楽しめるんじゃないですか?特別号や臨時号とかも、あるんでしょうか?私自信も、隅から隅まで読んだ覚えは無いですから、岡本さんの発見報告は楽しみですね。バレーボールマガジンはあるんでしょうか?私は見たい記事だけ見てコピーしただけです。
5786
:
岡本 すいか
:2019/04/14(日) 12:05:04
白井選手と脱走したのは…
こんにちは。
これは月バレには掲載されていないかもしれません(掲載されていたら、それこそ神!ですね)。それこそ、こちらの勘違い百も承知で。ミュンヘン五輪直前の合宿、白井選手と脱走したのは、恐らく加藤選手と長岡選手だったのでは。岡本選手は東大阪に実家があるだけで、脱走はしていない(かくまるのに協力した?)のではないでしょうか。なにしろ、日立及びモントリオール五輪の(ゲーム)キャプテン後任なのですから…違っていたらゴメンナサイ。
未掲載の可能性が高いですが、それ以上は詮索しないことにします。あとは、白井選手たち当事者だけが知っている真相は、明かされないでしょうね。
なお、多摩図書館に在庫しているのは、現時点では月バレだけのようです。バレーボールマガジンは、幻の存在とみられているのでしょうか。
5787
:
岡本 すいか
:2019/04/14(日) 21:34:47
ソウル五輪には二人の杉山姓!?
こんばんは。
アルタガモワさん、同学年の杉山明美選手はいい選手じゃないですか。高校が創立間もない無名の公立校なのもまたいいですね(今は閉校してしまいましたが)。大学卒業後、NECに。なんと、1年目から日立のV6をストップさせる快挙の優勝。ソウル五輪は、二人の杉山選手がいたのですね。一人は、ロス五輪に続く連続出場、杉山加代子選手。そして初出場の杉山明美選手。新聞や雑誌には、杉山(加)、杉山(明)と表記されたのでしょうか。これで、更に図書館で調べる話題が増えました。
アルタガモワさん、杉山選手と同世代といえば、プロ野球では荒木大輔投手(ヤクルト)、
ですね。バレーボールファンの祖父は荒木投手の大ファンでもありました。後楽園球場で、巨人打線が大いに苦しめられた、と。さすが高校時代から満員の観衆の面前で投げ続けてきた“アイドル”です。
5788
:
久しぶり
:2019/04/16(火) 17:51:02
もしもですが
1986年世界選手権のメンバーが順当に日立主体であったら。
監督:小島孝治(ユニチカ)
1 石田京子(日立 センター)
2 利部陽子(日立 ピンチサーバー兼セッター。選出で引退なしと想定。)
3 武内広子(日立 センター)
4 杉山加代子(日立 レフト)
5 小高笑子(日立 ライト)
6 佐藤志保子(日立 ライト)
7 佐藤伊知子(東北福祉大学 レフト)
8 廣紀江(筑波大学 センター)
9 大谷佐知子(カネボウ レフト)
10 中田久美(日立 セッター(主将))
11 宮島恵子(日立 レフト)
12 川瀬ゆかり(日立 センター)
レギュラーは・・・。誰が出てもそれぞれの悪さを醸し出す感じで。
守備はガタガタで攻撃も非力な、予選リーグでアメリカにも負けそうなチームです。
9位‐12位決定リーグに回りそうです。
チームワークも、例のチームよりもむしろ悪くなりそうで。
(例のチームは、ダイエーの選手たちも守りのバレーで好守備を見せたりで、お客さん
の拍手や応援もついてきていた。とありましたが。)
5789
:
岡本 すいか
:2019/04/16(火) 21:55:23
ヨーカドー・タイト選手は興味深いサウスポー
皆様お疲れ様です。
外国人、そしてサウスポーといえば、カルバハルさんがあげてくださったタイト選手(イトーヨーカドー)のようです。ヨーカドーでは、昭和58年度の所属1シーズンきりでしたが、新設された「猛打賞」を獲得。猛打賞、プロ野球(1試合3安打以上)ばかりじゃないんですね。なお、同年のサーブ賞がユニチカ・広瀬選手だったとは初めて知りました。サーブにも定評がありますよね。
タイト選手は、ペルー代表としても、全日本に2回も苦汁を呑ませてしまった「黄金のサウスポー」。地元・ペルーでの世界選手権(銀)と、ソウル五輪(銅)。日本のバレーボールファンは彼女に悔しい思いを味わされた?
それほど、バレーボール選手としては長身ではないのもいいですね。それこそ、広瀬選手と同じくらい(わずかに高い1m72cm)。
私事で恐縮ながら、図書館に向かうGW…否今週末が楽しみになってきました…。調べ甲斐がありそうな外国人選手ですね。
5790
:
岡本 すいか
:2019/04/16(火) 22:08:55
世界選手権には杉山(明)選手は入らない?
久しぶりさん、初めまして。ちょうど、前回いらしたあとに伺った新参者、大分投稿させていただきまして…失礼します。
その世界選手権、杉山(明)選手は日立主体チームでは選ばれそうにはありませんか?
5791
:
アルタガモワ
:2019/04/17(水) 01:41:41
岡本様
86年度は杉山明美選手はまだ大学生でユニバーシアード金メダルではありましたが佐藤伊知子の様にレフトで上げたとけば何とかなるポジションでは無かったので86年世界選手権にはエントリーされない様な気がします。でも後々三屋選手のスパイク決定率を越えましたよね。
後ソウル五輪当時二人の杉山選手の表記ですが多分フルネームで表記されていた様な気がするのですが・・・その辺りはカルバハル様に聞いた方が正確だと思います。
5792
:
カルバハル
:2019/04/17(水) 07:17:30
判りません
ユーチューブでみても、なかなか確認できません。ユニフォームの名前の表示ですよね。
5793
:
カルバハル
:2019/04/17(水) 07:29:50
セシリア、タイト
身長の表示は、いい加減ですね。172?〜179?と大会毎に違います。1978年の世界選手権で16才で世界デビューしてる。サウスポーです。引退後は議員にもなってます。バレーボール殿堂入りしてます。身長の表示が、ときたま違いますね。リスカルとか174?〜172?です。年齢も、いい加減なところがあります。戸籍がしっかりしてないのかキューバなんかは、一年経過しても歳を取らないとか昨年より2才も歳をとったとかあります。特に外国人選手は昔はあてにならない表示です。日本もメキシコオリンピック代表の高山鈴江選手は170?と表記してますが本人は大きく見せようとしてて本当は169?とか言ってました。また会場で昔、日立の杉山と小高が並んでましたが、明らかに小高の方が背が高く見えました。杉山180?小高179?です。多分、女心で170だいの表示に、こだわったのかも知れませんね。
5794
:
カルバハル
:2019/04/17(水) 07:34:49
女子チーム
ひたすら主体なら山田監督、ユニチカ主体なら小島監督でないとチームワークは出来ないかったでしょう。それは、女性独特の団体球技に特に表れます。女性の選抜チームが、なかなか一枚岩になるのには時間が、かかります。
5795
:
アルタガモワ
:2019/04/17(水) 09:42:16
ユニフォームでしたか
杉山加代子、明美選手の(加)(明)の件ですが私はてっきり雑誌とかでの事だと思っていたのですがユニフォームに関しては私も分かりません。
カルバハル様同様YouTubeでしっかり探してみようと思います。
身長の件でも私の友人が今でもよく口にするのですが杉山と小高では小高の方が背が高いと、私の個人的印象ですが小高は見た目に比べ動きや仕草はかなり女子力強いので170代に止めておきたかったりして(笑)
確かに外国人選手って大雑把ですよね。
実際いつ生まれたとか分からなかったりして・・・
私の母親含め叔母達四人ともそれぞれの月初めの1日が誕生日になってて母親曰く「昔はええ加減じゃった〜」と言ってます。
5796
:
カルバハル
:2019/04/17(水) 10:41:38
昔と今
個人情報もあり、今は公にしなかったり、昔はいい加減だったりします。まだ未成年の須藤佳代子が酒豪とか平気でチームの顔で書いてありますし、私自身も気にしてませんでしたが今なら大問題になります。昔は身長、体重まで記載されてます。またファンレター宛先でバレー部の寮の住所が出てたりバレーボールを通じて文通しましょうと住所が記載されてたりとかあります。今ならストーカーなど問題になりますわね。子供の時の写真と家族の写真や名選手の結婚式の写真のども芸能人みたいに記載されてます。それだからって試合レポートとしっかり記載してあるし、話題も世界、国内、実業団、大学、高校、中学など話題を分けて記事が出てました。今の選手なのインタビューしかない雑誌とは違い内容が濃かったです。是非とも岡本さんは図書館で閲覧したら沢山掘出し情報があるでしょう。ソ連女子の国内選手権の情報、ヨーロッパ選手権の情報、身近だとインターハイ予選の情報や、主な大会、記録も記載されてます。大会出場選手権の一覧表もありました。今は世界選手権の出場選手の一覧表も無いです。
5797
:
アルタガモワ
:2019/04/17(水) 11:46:28
確かに・・・
私の場合も1985年前後専門学校の卒業アルバムに住所アパート名、電話番号も普通に表記されていました。
昨今では考えられないかもしれませんが当時はこれが普通でしたし、これで迷惑や被害を被った事無かったし・・・本当に嫌な時代ですね。
5798
:
カルバハル
:2019/04/17(水) 12:05:15
今は
SNSで○○に居ますなんて載せると空巣もチェックしてるから載せいようにと言われてます。怖い時代です。
5799
:
カルバハル
:2019/04/17(水) 12:08:31
家族で
海外旅行してます。なんて自慢したら帰国したら空巣にあってたんて事、テレビでも言ってました。海外旅行しても帰ってから自慢しましょうて感じです。昔は、ファンが選手の寮に行って事件てなかったです。
5800
:
アルタガモワ
:2019/04/17(水) 12:21:54
自慢話したい・・・
思い出しました
確か86年に当時の友人が田中直樹選手の大ファンでNKKの寮に電話して実際に田中選手を呼んで本人が出て・・・ビックリしましたが友人はまたまた「ユニフォームを送って貰えませんか?」って言い柔らかく断られたのを思い出しました。その三年後今度は実習中の病院に田中選手がオペで入院中だった為実習中田中選手の部屋まで行って色紙にサインして頂いたのを思い出しました。
5801
:
カルバハル
:2019/04/17(水) 12:38:30
ユニフォーム
どうなんてしょうか?K.SUGIYAMA.?? A.SUGIYAMAですかね?カネボウにも同性同名の杉山明美選手がライトで活躍してました。美人選手でカネボウレディ80なんて男性は呼んでました。カネボウは化粧品会社が、あったのに、それなりの選手が多かったです。
5802
:
カルバハル
:2019/04/17(水) 12:51:31
山田バレー塾も
確かにファンレターの宛先とかありました。危険ですよね。また昔は日立とか公開練習で日立の体育館でファンが見学出来る催しもありました。それは、それで平和な時代だったんでしょうね?今は試合の写真撮影も問題になってます。子供達やファンが、撮影したり、頑張って下さいて声援は、良いと思いますが、いかがわしい撮影や選手に触れたりするのは怪我にもなりますね?松坂投手が怪我しました。常識的な線引きが昔はあったような気がします。今は空巣とか金目のなくても、リサイクルショップで売ってなんでも金になるらしいですよ。確かにCD1枚でもオークションやら、なんかで金になります。卒業生名簿すら金になると聞いてます。便利ですが怖い世の中です。
5803
:
久しぶり
:2019/04/17(水) 17:38:14
杉山明美
杉山明美は86年の段階ではやや時期尚早かもしれませんね。
意外にトスやセッターのえり好みのない選手なので選んでみてもよかったのかも
しれませんが、速く上げとけばなんとかするような。どうなんでしょうか。
88年の中田久美は杉山をあんまり使ってませんでした。
杉山への速いトスは、廣へのワンテンポ遅いブロードトスと違って上げるのが勇気
いるのかもしれませんし、
ソウル直前、代表決定前は、K.SUGIYAMA.?? A.SUGIYAMAのユニフォーム表記でした。
日立主体の、リーグやこれまでの実績を考慮した日立主体の順当なメンバーで
いったとしたら(前記)。
レギュラー確実(他にいないから)なのは中田久美ぐらいで、
レフトは大谷佐知子は佐藤伊知子で日立の杉山加代子と宮島恵子は控えの予想。
(気の弱い杉山とやる気が表に出なく(もともとない?)かつ太りやすい宮島は
明らかに小島孝治監督の好みではない。)
センターはピークはとうにすぎた石田京子-廣紀江が予想されますが
ほとんど武内広子が出ずっぱり、川瀬ゆかりは使い物にならない悲惨な予想。
下降線の石田、絶不調の廣でセンターが空気状態になりレシーブでも足を引っ張り
予選のアメリカ戦にも負けそうです。
当然東ドイツには手も足も出なさそうです。
ライトの小高笑子も、江上由美-三屋裕子のセンター線があって生きた選手で
単体では良さは出なさそうで佐藤志保子ととっかえひっかえになり混乱しそう。
計算できるのは武内と利部陽子の2人のみ。
2次リーグ以降の組み分けも悪く、山田重雄監督がこの年は早々とポイしたのは
よくわかります。
むしろ、「小島語のわかる選手(雑誌記載)」、関西のダイエー・ユニチカ混成チーム
(大谷は入れてもいいか。)の方がよっぽどましだったかもしれないと。
どっちにしてもだめですかね。
しかしあの年のメンバーのダイエー選手たちはユニチカに入った本郷友恵と共に
日立に内定していた選手達です。
小野弘美は83年には全日本にも選出されています。
しかしながら話は変わり、今の全日本。スター不在なうえに未だにセッター候補が5人。
86年の全日本のことを、中田は「意味不明」と言っていましたが。
今の中田の人選の方が、もっと、「意味不明」です。
86年や90年、97年〜02年をある意味超えてます。
5804
:
カルバハル
:2019/04/17(水) 18:41:18
確かに
今の全日本の方が意味不明ですね。オリンピックまで後1年半でセッターすら決まらないんですからね。正セッターが怪我した訳でもないし、ましては選抜チームですから、チームの骨格は出来てても不思議でない時期ですからね?伝説に残るチームなんて、到底達成出来ないですよね。今年こそはタイムアウト時は、丸投げしないでチームの輪に入って欲しいです。女性初のバレーボールナショナルチーム、オリンピック監督て事、伝説に残るチームとお茶を濁すんでしょうか?そもそも監督の方が目立つチームじゃ選手の強化は出来ないです。
5805
:
カルバハル
:2019/04/17(水) 21:22:10
ユニフォーム
選手の名前やニックネームが書かれるようになったのは何時からなんでしょうね?昔はアマチュア規定がありユニフォームにスポンサー名なんて入れたら、もっての他でしたが今は幾つもスポンサー名が貼ってますが、やたら多いのもユニフォームとして?ですね。ブルマからパンツに変わったのと同じくユニフォームもノースリーブや長袖、七分袖、襟あり無しやキューバ女子はワンピースのユニフォームとかありました。ビーチバレーのユニフォームもヘソ出しなのも、何か昔の人間は嫌です。またビーチの熱い砂で裸足なのは?と思いますが、経験してないので?益子直美とか高校生の時は、ハチマキしてましたね。キューバの女子はバンダナみたいなのしてました。イスラム教徒は頭や首を隠してます。また昔はメガネ掛けてバレーボールしてました。コンタクトの選手が大半になりました。またアキンラディオとかはゴーグルしてます。サポーターも白からカラーに変わり今はあまりしません。昔はタオルを挟んだり、座布団巻いたりしてました。コートも昔は野外、体育館になっても白線のテープしただけからコートは色が区別されて、更に前衛、後衛も色が変わりました。ボールも白からカラーボールになり彩り豊な感じです。今後もプレーだけでなく環境も変わるんでしょうね?人気も上がって欲しいです。
5806
:
岡本 すいか
:2019/04/17(水) 21:56:10
小高選手はユーモラス且つ堅実!
皆様こんばんは。
ありがとうございます。
アルタガモワさん、そうですよね、小高選手長身(しかも足長)ですよね。一言でいえば『ユーモラス且つ堅実』。長い脚、膝を折っての生真面目なレシーブこそ、ユーモラスです。そうかと思えばおへそを出してのスパイクは確かに『鬼瓦(失礼しました。相手にとっては、の意)』とだけ形容されるだけある迫力。
一大会だけ陣頭指揮の“幻の監督”生沼スミエさんは杉山、小高、中田久美の日立の後輩三選手を『成長株』と評して、ベンチでは常に自身の目前においた、と。生沼さんが太陽のような明るさなら、小高選手はさりげない明るさなのかもしれません。直前(世界選手権)ではタイト選手らのペルーに苦しみ、史上初のBクラスを味わった日本にとっては、大事なムードメーカーだったのかも。小島監督に怒鳴られても、ひょうひょうとしていた、というのもわかります。小島監督と全面戦争してしまった大先輩もいる一方で。
唐突な私案蛇足ながら、?リーグのチケット、JRグループの「みどりの窓口」で売るように売りこんでみたらどうでしょう?私(自動車を運転しない、飛行機も乗らない電車人間)などはみどりの窓口、重用しているので。おっと、JRにとっても自社の主事業たるスポーツといえば野球(自社野球部は全国大会の常連)及びサッカー(ジェフ市原の親会社)以外には目もくれないか。日本テレビみたいに…
5807
:
岡本 すいか
:2019/04/17(水) 22:11:47
五輪ユニフォーム背面にアルファベットが!?
意外でした。プロ野球ならいざ知らず、当時純然たるアマチュアリズムだったバレーボールの
全日本チーム・ユニフォームにアルファベットとは。
私はロス五輪当時のユニフォームの印象があまりにもつよくて…
(背面は国名もなく、数字だけ。昔のプロ野球の背番号と同じ。即ち「1」などの数字表記が大きく、それが特徴的に見えました…)。
タイト選手の3月5日生まれ(広瀬選手と同日。3年若いですが)も真相は違ったりして…!?
5808
:
カルバハル
:2019/04/18(木) 06:26:17
ユニフォーム
シールのようにユニフォームにスポンサー名を入れたいなら長袖で襟付きのユニフォームにしてパンツにも沢山貼ったら良いんじゃないでしょうか?しかし、もはやユニフォームとは言えないですよね。スポンサー宣伝ウェアです。ユニフォームの色と背番号、意外は全部スポンサー名、それめも小さく日の丸付けたら全日本のユニフォーム感じになるのかなあ?
5809
:
岡本 すいか
:2019/04/19(金) 05:15:11
「三人娘」森田選手及び「カルテット」宮島・大谷選手の今
おはようございます。
ロス五輪出場のうち「日立三人娘」「18歳カルテット」。
上記のタイトルのうち、現況が知られているのは大谷選手(吹田市職員)だけのようです。引退後、森田選手と宮島選手は専業主婦…でよろしいのでしょうか。「WIKIPEDIA」もいい加減ですね…。彼女たちはまだいいのですが、五輪不出場者など、ほぼ記述なしですから。
第一線から、はるかに遠く離れて、今の全日本(現役時代同僚だった監督、娘程年齢差のある後輩たち)をどのように見ているのか…
5810
:
岡本 すいか
:2019/04/19(金) 05:24:13
私はバレーボール選手を間近に…はないです
私事で失礼します。
私自身は「高校の大先輩」広瀬選手、「同学年」かおる姫・鈴木洋美・高橋みゆきとも間近で
見たことはないですね。非常識なアプローチをするつもりはないですが、やはり一部の不心得者のせいで、敷居ができてしまったのかもしれませんね。
バレーボールファンにとっては『目の保養にならない(個人的主観もありましょうが、やはりバレーボールのユニフォームといえばブルマーですよ)、チームは弱い、そして選手には接触しづらい』三重苦の現代ですよね。
これも私事で恐縮ながら、「同郷の大先輩」シンガーソングライターの平松愛理さんを間近で拝見、握手させていただいたことがあります。
『横山樹理選手に似ているなあ…』
と思いました。皆様はどのようにご覧になりますか。
5811
:
カルバハル
:2019/04/19(金) 07:13:31
宮島、森田
確か武田薬品の監督してました。森田はスイミングクラブのコーチしてました。今は判りません。
5812
:
岡本 すいか
:2019/04/19(金) 21:06:22
そうですか…
こんばんは。
カルバハルさん、ありがとうございます。
「三人娘」のうち、最も地味な(失礼!)森田選手はそうですか、スイミングの…その森田さんももう還暦ですからね、今は静かに、日立及び日の丸の後輩が率いるバレーボールを憂いているのかも。昭和57年当時、日立ではジャズや、エアロビクスなど、練習に取り入れていたそうです。先進的な日立ですから、当時、スポーツ界ではトレーニングにはタブーとされていた水泳などもあったのでしょうね。軒並み、おばあちゃんになったロス五輪の「美しき戦士」たち。
「バレー一家」江上選手や「教師兼タレント」三屋選手とは対照的に、地味な森田選手らしい…!?
レシーブをする小高選手を心配そうにバックアップする森田選手の姿が印象深いです。
5813
:
カルバハル
:2019/04/19(金) 22:39:55
中田久美が居ない世界選手権
https://youtu.be/4dNoNEZpfq8
セッター名取と金子
5814
:
カルバハル
:2019/04/19(金) 23:14:35
90年代
https://youtu.be/FTkYq1xuzec
キューバ以外で唯一、優勝出た大会
5815
:
カルバハル
:2019/04/20(土) 05:52:55
そーですね。
引退したら、やはりバレーボールでは食べていけないんでしょうね。金メダリストでも食べて行ける人は一握りでしょう。女子は高卒なので指導者の道も限られてます。解説者もタレントとかねてます。引退、結婚のパターンが多いです。背も高いから、男性側からも敬遠しがちです。男子は社業に専念パターンが多いですが女子は契約社員になる場合が多いので引退後は厳しい現実があります。バレーボールの指導者で食べていけないからスイミングクラブの指導者をバレーボールのメダリストも選んだと思いますよ。
5816
:
岡本 すいか
:2019/04/20(土) 08:32:01
中国・袁偉民監督が「2人目」と紹介されたのは…
おはようございます。
カルバハルさん、ありがとうございます。森田選手や宮島選手の現役時代〜引退後は
まだよかったのかもしれませんが、私と同世代のかおる姫・鈴木洋美・高橋みゆきなどは
既に現役時代からして五輪不出場、チーム全体移籍など苦労していたようですね。バレーボール不遇の時代に…恐らく、今も。その意味では、これも同学年の岩崎恭子(水泳)も苦労したと思いますよ。例え、金メダリストでも、引退後の生活の保証は一切なし。どこかの国は、功成れば家一軒もらえるそうなので。その代わり、不成績なら国家犯罪者のような扱いも受けかねない『諸刃の剣』、と。
白井貴子さんが『引退後、4年間はメダリストの面倒を見てほしい』とリクエストされたのもわかります。引退後、白井さんは公私とも苦労されたようですね。改姓されたところから、
離婚もあったのでしょうか。
すっかり、タイトルの件が遅くなりまして恐縮です。カルバハルさんが挙げられていましたよね、本来なら、袁監督はギビ、山田監督に次いで「3人目」の三冠監督、と。
どうやら、中国紙が『山田監督に次ぐ2人目』と紹介していたようです。
5817
:
カルバハル
:2019/04/20(土) 08:44:41
ギビ監督
正確に言えばメキシコオリンピック、70年世界選手権、72年ミュンヘンオリンピック、73年ワールドカップで3冠王どころか世界タイトル4大会連続優勝です。袁監督もロス後、監督を辞めてるので、おそらく、その偉業、上回るのはキューバのへオルヘ監督じゃないでしょうか?或いは、ペルドモ監督?それだけ偉大なギビ監督の偉業を間違ってる事が問題ですね。
5818
:
カルバハル
:2019/04/20(土) 11:39:29
セクステット
カルテットじゃバレーボールは勝てませんよね。今から思うと馬鹿馬鹿しい18才カルテットですね。セクステットで無ければ日本は勝てないです。東洋の魔女こそ、セクステットです。
5819
:
カルバハル
:2019/04/20(土) 12:14:39
名勝負
https://youtu.be/TnmvcXkN-8w
5820
:
カルバハル
:2019/04/20(土) 12:16:37
継ぎ接ぎ
https://youtu.be/t4yqRioJunk
5821
:
カルバハル
:2019/04/20(土) 12:28:39
ソウルでは
このロシアに勝てたんですよね?落ちていくのは早いです。
5822
:
カルバハル
:2019/04/20(土) 14:43:55
日本リーグ時代
外国人選手は世界のトップ選手が来ました。ルイス、カルバハル、トーレス、ハイマン、クロケット、メジャース、アルタモノワ、バトフチナ、シャチコワ、タイト、イェリッチ、等々、今はアキンラディオ位しか来ない。この差は、実力差と関係あるのか?更に昔は外国人は日本リーグには居なかった。在日の人は居たかも?時代の流れと日本の国内リーグの実力低下、人気低下、なのか?ハイマンとクロケットが来た時はビックリしました。また社会主義のキューバのトップ選手が来た時も驚きました。まるで女子バレーボールの中心が日本の国内リーグなのか?と錯覚しました。日本選手の方も海外に出て大活躍して大成功した話はないです。大林、木村も活躍はイマイチ
5823
:
K I
:2019/04/20(土) 16:58:18
東洋の魔女の影響力こんなところにも
数日前に、偶然検索していたらちょっと興味深い記事を見つけました。
高校バレーボール界の名門八王子実践と引けを取らない野球の名門校のPL学園高校の
中村監督の記事を拝見していて、意外なことに指導者になったきっかけがPL学園高校3年生の
5月に大松監督率いる東洋の魔女がPL学園高校体育館にやってきてその練習を生で見て世界が広がり指導者になるという新たな目標を見つけるきっかけになったそうです。
バレーボールファンでありながら中村監督率いるPL学園高校は八王子実践やほかの名門校と 並べても遜色ないと思います。
東洋の魔女の影響力の凄さを感じました。日本国内だけでなく中国女排を強くするきっかけも
作りましたしこれだけ人の心を動かすチームは来年の東京五輪のみならずこれから先の五輪でも
出てこないと思います。
5824
:
岡本 すいか
:2019/04/20(土) 17:06:17
バレーボール・タイムトラベルから帰還…
皆様こんにちは。
私事で恐縮ながら、本日、ついに多摩図書館に訪問しました。月刊バレーボール、ちょうど改元される直前の6年間、〆て80冊…とは読めませんでしたが、ランダムに、読ませていただきました。無論、その後も随時…。ただ、今回はちょうど改元の直前のタイミングでもあったので、その意味で感慨深かったですね。(たとえ一見さんでも)図書館でIC カードをお借りするのは初体験でした。それがあってこそ、蔵書の図書が閲覧できるのです。
いくつもの謎が解けました。また、そちらで拝見した「昭和58年5月号増刊・年録1982年度」は、その後神田古本屋街にて即買いしてしまいました。新発見は小出しにさせていただければ。その都度、お伝えさせていただきますよ。本当に、
そちらに向かってよかったですよ。カルバハルさん、ありがとうございました。
5825
:
岡本 すいか
:2019/04/20(土) 17:13:10
夏草や…を痛感してしまいました
こんにちは。KIさん初めまして。こちらでは若輩者ですが、よろしくお願いいたします。
ユニチカ(貝塚市)とPL学園(富田林市)とは比較的至近距離ですものね。国道170号沿い。ロス五輪、ちょうど広瀬選手が『4年越しの悲願』『日本代表、そしてユニチカ代表として…』孤軍奮闘しているころ、甲子園では2年生だったKKコンビが準優勝。
KKコンビのうち(貝塚市とは隣り合っている)岸和田市出身の選手のほうは今…ですよね。
ユニチカ・バレーボール部、PL学園野球部とも今はなく、そして大地震の被害も受け、昨秋は
『夏草や兵どもが夢のあと…』を感じさせられたものです。
5826
:
カルバハル
:2019/04/20(土) 18:25:33
岡本さん
多摩図書館、如何でしたか綺麗て駅から歩いていけますよね。バレーボールだけでなく雑誌が主体の図書館なんで他の事も調べられますよね。1日では読みきれないと思いますよ。カフェもあり1日中でも居れます。時間が許されれば行きたくなると思いますよ。国分寺の日立の体育館も、どーなってるんでしょうね?国分寺の日立の研究所は、確か湧水が出て年2回位、一般公開します。私の一番知りたい東京オリンピック〜メキシコオリンピックまでの資料は多摩図書館に残念ながら無いんです。東洋の魔女の258連勝が止まった記事やヤシカ、二チボー、日立の3強時代の資料は知りたいんですが細かい事は不明です。もっと古い東洋の魔女の資料は、さすが魔女だけに沢山の文献はあるんですが?その後が資料が寂しいです。多摩図書館は子供子連れでも行けたような気もしました。とにかく雑誌が沢山ありますよね。
5827
:
カルバハル
:2019/04/20(土) 18:47:39
多摩図書館
昔の新聞を電子版確か見れた気がします。私は時間が無かったので、1960年のブラジルの世界選手権の記事を見つけた覚えがあります。確かにソ連のキャプテンのチュージナやゼッターランド陽子の母、堀江方子さんは出場してました。チュージナはヘルシンキオリンピックの陸上の銀メダル選手のスーパーウーマンまです。ソ連のエースはチュージナからリスカルにバトンタッチされました。図書館に行くと掘り出し物が沢山あります。ベースボールマガジンも雑誌なんで沢山あると思いますよ。
5828
:
カルバハル
:2019/04/20(土) 19:06:32
都立多摩図書館
バレーボールファンには玉手箱ですよね。ただ残念なのは今日に月刊バレーボールの出来の悪さも一緒なのが残念ですね。昔のようなレベルの雑誌になってほしい。私の記憶も、アヤフヤなのも、岡本さん教えて下さい。
5829
:
岡本 すいか
:2019/04/21(日) 01:57:19
兵庫県立氷上農業高等学校
おはようございます。
きのう、都立多摩図書館で調べさせていただいた「新発見」のうち、私的には馴染みの薄い
高校バレーより(バレー無名高卒のため…それだけに、広瀬選手は奇跡の星なのです)。
兵庫県立氷上農業高等学校。歴史的には、戦後間もない昭和22年創立ですから、決して新設校でもないですが、ことバレーボール部は新設(昭和54年創部、顧問の異動と同時)。
そして、兵庫県は広いなあ…と改めて実感。広瀬選手、そして私の出身・神戸市からは100kmくらい北にある氷上郡春日町。農業など、職業科だけに、それこそ阪神間から通っている生徒が大勢いたようです。その場合は下宿、バレー部は下宿所に住み込み。ロス五輪「カルテット」とは同学年、のちヨーカドーに入団される石掛美知代選手の高校在学中のことでした。関心が薄くとも、この高校のことはよく耳にしていました。。教員の異動により創部、だったのも公立校らしいです(顧問は市立尼崎高から。ヤクルト・池山隆寛選手の母校)。ひょっとしたら、舞子高校とも、教員の往来ありかも。
広瀬選手が、どのような目で春高バレーを見ているか聞きたいですね。先輩である故・水原理枝子選手は引退直前に「春高」ゲスト出演あり。
5830
:
岡本 すいか
:2019/04/21(日) 02:12:37
国分寺駅(特に北口)の今昔
もう一件だけ。
施設的にもよかったのでは。最新鋭の施設、過ごしやすいです。おっしゃる通り、カフェもあります。
バレーボールに限らず「改元」がテーマですので、年代物にはアクセスしやすいタイミングと思います。そして、内容も充実。文字通り、時間が経過するのもすっかり忘れてしまうほどでした。昔の月刊バレーボールは、ピカピカに光り輝く存在感があります。近年のそれは、本棚に収まっているので、本来なら真っ先に気付くべきはずなのですが、正直発見に苦労しました。
すっかり、周囲に埋もれていますね…
帰りしな、かつては日立の選手が頻繁に出没したという国分寺駅北口も訪れました。かつては、日立の選手、ビジターの選手、そしてファンの皆様は国分寺から西武線、またはタクシーで
日立一ツ橋体育館に向かわれたのではないでしょうか。日立の体育館も、新旧双方あったのですね。昭和50年代後半といえば、ちょうど西武ライオンズが(福岡から)西武線沿線に移転してきて、すぐ強豪になりましたので、『プロ野球は西武、バレーボールは日立』の黄金期が続いたといいます。ただ、ちょうどプロ野球とはバレーボールは反対のシーズンですので、同時に双方のファンでごった返すことはなかったようです。
5831
:
カルバハル
:2019/04/21(日) 07:19:42
岡本さん有り難うございます。
兵庫県の強豪高校はインターハイやを制さした甲子園学園、高見監督率いる市立尼崎高校が強豪でした。高見監督は須藤佳代子率いる5大会連続優勝した八王子実践の最初の3冠王(春高バレー、インターハイ、国体)の時の対抗馬が市立尼崎でした。小川かず子の居る富岡東に準決勝で負けました。インターハイも準決勝で八王子実践に負けましたが強いチームです。その後は氷上農業に転勤して石掛プラス全国中学で準優勝した龍野西中心にしたチームで国体で全国制覇してます。龍野西は大谷率いる蒲生中学が負けて二位でした。公立高校でもバレーボールが強かったです。高見監督が教えたオリンピアンは苗村、石掛とイトーヨーカ堂の選手でイトーヨーカ堂とパイプがありました。石掛選手は大谷、廣、宮島と並び称されて高校生ビッグ4と言われました。阪神大震災の時は春高バレーは兵庫県は予選が出来なく実績で氷上が出場してます。高見監督は名指導者として名前をバレーボール界に残してます。西国分寺駅は多摩図書館に行くのに北口から出なければならないんですよね。東口にロータリーはありますが東口改札口が無くて武蔵野線の線路を潜るので少し分かりにくいです。東口早く作って欲しいです。兵庫県はバレーボールは比較的、強いので舞子高校も勝つ抜くのは大変だと思います。確か近くに武蔵国分寺公園もあり桜も沢山咲く公園だと思いました。以前は多摩図書館は西立川にあり南武線にあり、歩いても歩いても道は複雑で遠くて駐車場も無い不便で古い図書館でしたが西国分寺に移転して近代的な図書館になりました。明るく綺麗です。謎が溶けた話し、そのうち教えて下さいね。
5832
:
アルタガモワ
:2019/04/21(日) 07:35:19
出た!石掛選手。
私はこの石掛選手の若い頃何故だか生意気な感じがどうしても好きては無かったのですがベテランになってからは大好きでプレーヤー云々は置いといてもう、コートに居るだけで絵になるのが好きでした。
5833
:
岡本 すいか
:2019/04/21(日) 10:00:19
「オールスター」レジェンドを大事に…
おはようございます。
きのうから2日間、?リーグではオールスターが行われているようです。平成9年〜10年シーズンが初開催のようですから、私事で恐縮ながら「同世代トリオ(これも勝手に結成してしまいました)」かおる姫・鈴木洋美・高橋みゆきの1年目。
日本リーグ時代にも「東西対抗」でもよかったので実施してもらいたかったですよね。
それなら…(昭和55年〜59年当時で)
東軍…江上、三屋、杉山加、小高、中田(日立)、小田、タイト(ヨーカドー)、吉永(NEC)
西軍…横山、水原、小川、広瀬(ユニチカ)杉山明(カネボウ。昭和54年入社の)、北井、田淵、井上(東洋紡)
でしょうか、独断と偏見百も承知ですが…本来、12人ずつ必要でしょうが、思い浮かんだのは8人ずつ。あと4人ずつ足りない…皆様からの案、お待ちしています。
その石掛選手(イトーヨーカドー)をはじめ、大林、杉山明(NEC。昭和62年入社)、中西、ハイマン、クロケット(ダイエー)各々選手は一世代あとかも。
う〜ん、やっぱりロス五輪前後のほうが「オールスター」という感じがしますよね。
オールド・オールスター戦などは一考の余地ありではないでしょうか。
5834
:
カルバハル
:2019/04/21(日) 11:15:50
昔から東西対抗はあったと思います。
高校生も出てました。博多女子商業の岡松とか出てました。もうはお祭りです。石掛選手は高校の時からファイターでした。白谷と言うセッターでキャプテンがチームを、まとめでした。石掛は大谷にライバル意識が強かったと思います。四天王寺が大谷、松並の両エースで優勝した時に準決勝で四天王寺相手に活躍しました。次の春は宮島、中野の居る八王子実践に決勝戦で負けてます。負けても負けても向かって行くファイトで暴走気味になると白谷が押さえてました。気持ちでバレーボールをするタイプでソウルで選ばれると思いましたがバルセロナで選ばれました。もっと、もっと世界大会で活躍出来きた選手です。苗村は小柄ですが選ばれました。小柄なアタッカーなら、ソウルの山下NECが、ピカ一でしょう。ピカ二はモントリオールの高柳の対格を中津南高校で活躍した三浦富士子カネボウだと思います。
5835
:
カルバハル
:2019/04/21(日) 11:42:21
イトーヨーカ堂
苗村、石掛の他、金子、篠原、高山、甲斐、益子、斉藤なんかは、オリンピックで活躍出来た選手です。山田、小島の双頭の影響力がある時代、イトーヨーカ堂の選手は実力があっても厳しい選考になります。逆に日立なら荒木田、川瀬、宮島などは優遇されてます。ユニチカなら西川、木下、荻原、若生、鈴木ひとみ、本郷などは優遇されてます。中村和美、樫野、佐伯、鳥居なども他にも優秀な選手がいましたが吉田監督なんで当落線上でも優遇されたと思います。まあチームワークを重視するには使いやすい自分のチームの選手を優遇した方が良い選択だったんでしょう。
5836
:
岡本 すいか
:2019/04/21(日) 14:19:29
第26回春高バレー
こんにちは。
私事ながら、私は阪神・淡路大震災の被災者の一人です。この直後の第26回春高バレー、カルバハルさんがおっしゃるように(予選なしで)氷上が出場しました。それが「氷上」の名前を耳にした初めてだったかと思います。
他方、私とは「同世代」では、春日部共栄から鈴木洋美、山形市立商業から高橋みゆきが出場したようです。彼女たちはギリギリブルマーの世代かもしれません。
県立舞子高も春高(今はそう言わないか…)目指しているんですが…。26歳、教員3年目の女性青年監督のもと(広瀬選手は女性監督肯定者でした。その球歴のうち、唯一の女性監督だった生沼監督にも好印象)。舞子高は、広瀬選手の時の兵庫県予選ベスト4が最高位のようです。
5837
:
岡本 すいか
:2019/04/21(日) 14:36:40
LAだけじゃない…小日向エンジェルス
もう一件。
カルバハルさん、ありがとうございました。
東西対抗、実在したんですね。それこそ、きのう手にしたばかりの年録を繰ってみようかと思います。とにかく詳細ですよ。小学校から全日本、そして海外バレーまで、1年間の全記録及び
エピソードが掲載されていますので(今は…なのでしょうね)。
いくつか、小中高のバレーボールにも印象深い記事がありました。高校編が下記の通り、県立
氷上商業高等学校なら、小中では、小学校では「小日向エンジェルス」、中学校では「全日本・台湾遠征」でした。
小日向エンジェルス、小林あつ子監督が統制されて、なんと今でも陣頭指揮を取られているようです。小林さんこそ、バレーボール人気、競技人口が…と、小学生の段階から憂えているのでしょう。中学校では「冬休み台湾遠征」。台湾では、全人口のうち、当時は競技人口30%だったようです。今は向上していると思いますが…。まだ五輪は遠いのかもしれません。
なお、中学生女子には大林素子選手がいました。当時、かのLAエンジェルス所属中、既に1m80cm近くに…。
ロスアンジェルス五輪、それだけ当時は小中生にとってもあこがれの存在だったのでしょうね。恥ずかしながら、小日向エンジェルス、小林監督については初めて知りました。現存しているとは、心強いではありませんか。
5838
:
カルバハル
:2019/04/21(日) 14:57:28
判らないけど
大阪女子短期大学付属高校出身でNECに行った小林あい子選手て居ましたね?同一人物なんでしょうか?大阪女子短期大学付属は真方、北井、カネボウの美人の杉山明美が出身です。ダイエーに行った夏田もいました。更に蒲生中学とパイプが太い大阪女子短期大学付属は大谷が行く予定で一緒に大阪女子短期大学に進学する選手も居たようです。大谷は結果四天王寺に進んで大阪女子短期大学付属に大谷と進学しようと思った生徒も進学しなかったような話しもありました。大谷は進路が進度に周りをお騒がせたイメージが強いです。しかし広瀬は一期生で県大会ベスト4ですか?凄いですね。小島監督は足が速いからユニチカで取ったと言ってました。ワンマンチームだったんでしょあか?今でもレシーブの神様です。
5839
:
カルバハル
:2019/04/21(日) 17:29:56
昔
芸能人の運動会や水泳大会とかありましたが、バレーボール大会もあったんですよ。月刊バレーボールに出てます。山口百恵も出てた頃です。当時のバレーボール人気を感じます。
5840
:
カルバハル
:2019/04/21(日) 19:30:34
思った
https://youtu.be/tx1RLc96bBM
5841
:
アルタガモワ
:2019/04/21(日) 20:32:23
カルバハル様
いつも貴重なお話しと御宝映像ありがとうございます。私は90〜91年のバレーを全く見てなくて「斉藤センター」「世界選手権ソ連金メダル」「アジア選手権韓国に辛勝」のこの3つのワードのみだったので前日アップして頂いたのをじっくり観戦してる最中です。
山口百恵までバレー雑誌に出てたんですね。私は若い頃から何故だか江上と山口百恵が株ってました・・・あまり喜怒哀楽を出さず淡々と自分の仕事をしてそれがまた多くの人に支持されてたからですかね?
5842
:
カルバハル
:2019/04/21(日) 21:54:25
たまたま
見つけてだけです。オールスター戦は、ハキが全然ないですね。これなら、往年のモントリオールのメンバーとかの1セットの紅白戦やトークショーの方が興味あります。
5843
:
岡本 すいか
:2019/04/21(日) 23:50:03
三屋裕子の365日日記
こんばんは。
年録1982年度(レコードブック)にありました。年録、といってもそんなお堅いものでもなく、記録集+αヒューマンストーリー。三屋選手の日記のうち、特に印象深いものが抜粋されていました。実業団では、わずか3年半の現役でしたので、大変貴重な1年間です。それだけ短期のうち、濃密な日々を送ったようです。実業団(日立)+全日本だけでも1年中バレー通しの超多忙なのに、更に教員試験合格でしたからね。本人も迷われたのではないでしょうか。
遠征先から、とんぼ返りで教員試験を受験したエピソード。大雪の郷里(福井県とは初耳でした)に帰郷したエピソード。戌年だけに!?愛犬家のエピソード。そして、新体操の山崎浩子さんと対談したエピソードと。
同学年、仲良しの広瀬選手は、自宅(神戸市垂水区)からでも歩いて行ける距離の高校を選択しましたが、対照的に三屋選手は“バレー留学”だった、と。
女性に若大将、といっては変かもしれませんが、やはり同学年の原辰徳監督のような、底抜けな明るさ、そして無類のスター性が三屋さんに感じられます。
5844
:
岡本 すいか
:2019/04/22(月) 00:06:40
富岡東・片山照代監督
ついでに、といってはなんですが…
三屋選手改め“三屋先生”は上記タイトルにある方を目標とされたのかもしれません。
高校バレーにおいても、かなり少数(紅一点とも評されていました)の女性監督。
母校の現顧問は、母親世代に当たる三屋選手のことは知っているようです。
ちょうど、今の彼女の年齢から教員になった…
貴重な若い教育者として、偉大な広瀬選手及び(母校が被害)阪神・淡路大震災について
教え子に語り継いでいってもらいたいと思います。理科の教員、バレー部の顧問のようです。
5845
:
カルバハル
:2019/04/22(月) 06:17:03
岡本さん
多摩図書館、わざわざ行ったかいがありましたね。そんなエピソードあったけ?て感じの話し有り難うございます。三屋は八王子実践の話を余り当時はしたがらなかったんですよ。八王子実践時代は精神的に不安定だったみたいで筑波大に進学してから花が咲いた感じです。冨岡東の片山監督は小川かず子を育てた女性監督です。春高バレーの準優勝チームで優勝候補の市立尼崎を破り決勝戦進出して八王子実践が須藤率いる5大会連続優勝した最初のタイトルを決勝戦で争ったのが冨岡東です。他に淑徳高校だったかなあ?女性監督居ましたね?なかなか女子バレーボールでは女性監督は珍しいです。大松監督の影響か女子は男性監督を信じて頑張るのでハーレムのような組織の方が、まとまるとも言われてます。本当か?どうかはかは?ですが男性指導者のチームが強いです。
5846
:
カルバハル
:2019/04/22(月) 13:13:12
三屋裕子
確か全国中学が長身選手で四天王寺と八王子実践から強い誘いがあり学校訪問して八王子実践を選択したような事が書いてあった記憶?があります。ユニバーシアードで銀メダルを旧姓塩川と活躍して小島監督が見込んでモスクワのメンバーに選出されて最年少の広瀬と仲良しになったと思います。また三屋の家庭は女の子が足が大きいのは恥ずかしいと言い纏足のようにして177?の、わりに足のサイズが24?と小かった話を聞きます。三屋が怪我が多くて硝子の三屋と言われてましたが、その足のサイズが小さいのも影響あると思いますよ。
5847
:
カルバハル
:2019/04/22(月) 14:30:51
益子直美も本だしてますね。
オリンピックの年だけ全日本に選ばれなかったと書いてありました。共栄学園の時、バックアタックやジャンプサーブを打ってましたが実業団になってからはジャンプサーブは打ってませんね。春高準決勝でフルセットで大林の居る八王子実践に勝ってます。益子はバレーボールを現役引退してから身長が伸びた話しもあります。CDデビューもしている美人選手です。
5848
:
カルバハル
:2019/04/22(月) 20:40:46
これも、なかなか面白い試合です。
https://youtu.be/c1x3D1zwzOU
中国の巫丹、上手だと思います。
5849
:
カルバハル
:2019/04/22(月) 20:51:15
キューバのベル
スバイクを打つてる時の声、凄く大きい雄叫びですが、何て言ってるんでしょうね?スペイン語が判らないので、教えて欲しいです。まだトーレスが居ないチームですが、もっともっと強くなるんですよね。何故、今日のキューバが弱くなった原因は、なんでしょうかね?まだサーブのネットインはダメだった頃の方が良いですね。サーブ合戦みたいな試合は、つまらないです。やはりサイドアウト15点制が好きです。
5850
:
カルバハル
:2019/04/22(月) 20:56:56
この頃は
https://youtu.be/q4YJd0_5ALQ
日本戦より世界のトップの試合が良かったな〜。
5851
:
岡本 すいか
:2019/04/22(月) 21:46:43
真方佐綾選手・顔面流血事件
こんばんは。
カルバハルさん、ありがとうございます。サンケイの記者(女性監督肯定者)は『日立のある選手は、、かっこよく見せたがりで、実測より小さな靴を身に着けている』と指摘していました。三屋選手だったんですね。
さて…身も凍るような、しかし文字通り熱血・血戦となった昭和57年真冬の試合中の事件。今どきの選手ではありえないようなファイトを見せてくれた、カネボウ・真方佐綾選手(キャプテン)。
なんと、ボールを追って本部席に顔面から突っ込んだといいます。顔面は血だらけに。男子の選手だって躊躇するようなガッツプレーを、よりにもよって婚期を控えた妙齢の女子選手が
やってのけたのです。特に、カネボウといえば化粧品業者ですから、ことのほか選手の美には気遣っている企業、カルバハルさんおっしゃるように美人選手が多い。真方選手も美人と思いますよ。その美顔が傷つく大事故にも、真方選手『大丈夫!OK!』と味方を鼓舞していたそうです。そして、ゲームセットまでプレーも続行。但し、真方主将の体を張った檄も実らず、カネボウは惜敗してしまいました…。
医療的には、決して褒められた事例ではないでしょうが、見るものは感動しますよね。
今じゃあり得ない…
5852
:
岡本 すいか
:2019/04/22(月) 22:04:15
東京五輪20周年イヤーに…広瀬主将
見るものを感動させてくれる、といえば、やはり広瀬選手と、私も思うのです。
決して口数は多くなく、自身の、それこそ体を張ったプレーでチームを引っ張るタイプなのでしょう。但し、失礼ながら、プレーの力量とは別に、リーダーシップはあまりない選手かな、とも思っていました。
キャプテン、務められたんですね。それも、ロス五輪を挟んでラスト2シーズン。昭和59年は東京五輪20周年のメモリアル・イヤー。確かに、実績もあり、チームでも年長だったこともあるのでしょうが、広瀬主将だったとは。
それも、従来のイメージには全くなかった「背番号1」の。『背番号1が主将とは限りませんよ』と皆様から教えられ、現に背番号1以外の選手がキャプテンだったチームもあったようですが、正真正銘、昭和58年度から2シーズン、広瀬選手は背番号1、そして主将だったのです。
自身が1期生の舞子高校以来(1年生から務めたそうです)。
但し、実業団、それもユニチカといえば『東洋の魔女』『全日本女子バレーの源流』ですから重みがありますよ。文字通り、河西昌枝選手の後継者となったのですから。
悲しいかな、広瀬選手が主将の間は孤軍奮闘になってしまったようです。後輩が伸び悩み、
チームもじり貧。主将1年目こそ、サーブ賞(得点率7.6%)を獲得しましたが、悲願だった
五輪出場を果たした後は、めっきり衰えてしまったようで…ラストはなんとBクラス(5位)で
終わってしまったのです…。
それでも、自身のバレーボール人生最終章が栄えある「ユニチカの主将、それも背番号1」とは。この記事と写真を拝見して、思わず胸が熱くなりました。最後まで、広瀬選手は見るものを感動させてくれたようですね。
5853
:
カルバハル
:2019/04/23(火) 05:54:21
岡本さん有り難うございます。
知らない話し有り難うございます。カネボウは杉山明美選手だけ美人です。真方のファイト凄いですね。真方は私の友達は、美人よりプロレスラーのジャンボ鶴田に似てると言ってました。ごめんなさい。広瀬の引退間近は知りませんでした。キャプテンだったんですね。ファイターは同じ大阪女子短期付属の北井てイメージでした。確か捻挫しても試合したような?細かく多摩図書館で調べましたね。
5854
:
カルバハル
:2019/04/23(火) 07:05:50
江上と山口百恵
両方とも母親に育てられたからかも?知れませんね。雰囲気は、言われてみればアルタガモワさんの言う通りかも?しれませんね。芸能人バレーボール大会は、アタッカーズとかスパイカーズとかチーム名がありました。小柳ルミ子が上手だったと書いてありました。確か中山律子がバレーボールで国体に出場してますがプロボーラーになったんですよね。葛城ユキ、江角マキコもバレーボール経験者ですね。
5855
:
アルタガモワ
:2019/04/23(火) 11:55:05
江角マキコ
JT所属でしたけどプレーは見た目事無かったです。
センターだったようですね。
5856
:
岡本 すいか
:2019/04/23(火) 23:21:55
ニチボーの通算258連勝阻止
こんばんは。
カルバハルさん、アルタガモワさん、ありがとうございます。同姓同名「杉山明美対決」が、
NEC対カネボウ戦で実現したんでしょうか。世代的には合いそうもない…。昭和54年カネボウ入社の杉山選手が9年現役を続けていれば実現したのかもしれませんが、女子選手で現役9年といえば記録的長寿。それこそ、現・全日本監督か杉山加選手くらいでしょう。
「事件」はよくない表現でしたね、失礼しました。まるで、真方選手が他人にやられて流血したみたいです。事故、でした。
以前、カルバハルさんが『ニチボー貝塚258連勝ストップの記事があれば…』とおっしゃっていましたね。その貢献者ご本人がお持ちになっているようですよ。ヤシカ・小野沢愛子選手(当時二十歳)。メサ市在住日本人会のHPより。
昭和41年8月6日、駒沢体育館での一戦でした。五輪直前に『ニチボーに対抗できるチームがあと2チームほしい』と要請されてできたそうな、ヤシカと日立武蔵(当時)。ちょうど、日本人女子初のBクイックを打ち始めたころ、と皆さま教えてくださいましたよね。
小野沢選手にとっては、その翌年から始まる日本リーグ、第1回MVPよりも、メキシコ五輪での銀メダルよりも名誉な、バレーボールキャリアにおける最高の勲章だったといいます。258連勝阻止。ニチボー貝塚の、昭和34年以来の8年越し258連勝はギネスブック掲載のようですから。ちょうど、広瀬選手が生まれた年以来…
この連勝終止符があって、翌春から『世界に通用する選手を育てる』意味で日本リーグが始まった、と教えてくださいましたよね。小野沢選手は、連勝阻止をはじめとして、4つもバレーボール史上に金字塔を打ち立てたのです。
5857
:
岡本 すいか
:2019/04/23(火) 23:41:52
優男・米田監督は「バレー界のガソリンタンク」
続けて。
昭和57年、日立からダイエーに移籍された米田一典監督は弱冠32歳の優男風、と伺えましたが、恐ろしいほどのガソリンタンク、だったんですね。なんと、上記両チームのほか、全日本女子ジュニアも率いて優勝。この実績が認められ、のちにはロス五輪の監督にも指名されたのでしょう。
年録1982年度には『1年間で4つのチームの監督、それこそギネスものじゃないか』と表現されていました。それこそ、周囲の女子選手よりも華奢と見受けられ(1m73cmのようです)、かつ優男風でありながら、その実相当なスタミナの持ち主だったようですね。
他方、ご家庭、特に御子息には苦労を掛けられた、とご本人おっしゃっていたようですね。
のち、バルセロナ五輪出場を決め、胴上げされたときには
『きょうは息子の誕生日なんよ。喜んでくれたやろか。子不幸しとるからなあ…』。
もう、お星さまになって久しいですが、そのご子息が喪主を務められたのでしょうか。
お亡くなりになられたその年に、米田監督のロス五輪以来28年ぶり、女子バレーの五輪メダルはもたらされたのです(ロンドン五輪)。
5858
:
カルバハル
:2019/04/24(水) 06:30:37
岡本さん有り難うございます。
凄く調べてますね。近いうちにバレーボール歴史博士に、なりそうてわすね。多摩図書館に1回しかまだ、行ってないんですよね。凄い集中力と吸収してます。二チボーの連勝ストップ当たりは。よくわかりまさん。ヤシカにフルセットで負けて、次の日に日立にストレート負けした事すか知りません。記録だけです。小島監督も、かなり連勝記録を伸ばしたと聞いてます。連勝記録がストップした事が原因なんでしょうか?松村勝美以外、レギュラーが辞めたのは?磯辺選手は結婚で引退しましたが何時まで在籍してたのか?当時のレギュラーは?日立、ヤシカは、どんなメンバーだったのか?連勝記録がストップしてから3強化時代に入ったのか?日立が急激に強くなったのは?メキシコオリンピック前の日ソ対抗は日立だけ勝って他のチームは負けたのは知ってますが、その前はソ連はヤシカが苦手だったらしいが?その前の対抗戦の記録や記事が判りません。日本リーグも前期と後期に分かれててた時と判りません。この時は、まだ子供だったので。よく判らないです。また新魔女二チボーと旧魔女の対戦で二チボーが勝ったけど大松監督が、もうこんな事するなと言った話しも詳しくは判りません。白球の長い度でしか知らなく雑誌の写真とかみたいのですが残念なが多摩図書館にも無いのです。しかし岡本さんは1回で、こまごま調べましたね。若いから吸収が早いか吸収量が素晴らしいですね。時間が有ればまた多摩図書館に行って教えて下さい。
5859
:
カルバハル
:2019/04/24(水) 06:34:20
前田豊
中村高校を指導してる時に136連勝といった記録も有名ですが9人制時代の記録らしいてす。フェイント攻撃が得意だったらしいですが他は不明です。
5860
:
岡本 すいか
:2019/04/24(水) 20:19:57
大谷佐知代(バレー界のサッチー?)×岡本久美子
こんばんは。
繰り返しますが、前田豊氏こそは月刊バレーボールの父とされています。終戦直後創刊の
由緒あるバレーボール雑誌。近年の、図書館での存在感のなさには、前田氏も天国から
嘆かれていることでしょうね。
『オウタニ』こと大谷佐知代選手。彼女の出身校にほど近い天王寺区に「オウタニ」なる地名が実在するところから、「オオタニ」なのに「オウちゃん」とされたともあります(どれが真相なのでしょう?)
昭和57年暮れ、クリスマスイブにその大谷選手と、テニスの岡本久美子さんとの「異種競技対談」が組まれたようです。三屋裕子選手×山崎浩子選手(新体操)と同様な企画。
月刊バレーボール、昭和58年2月号から。私事ながら、同姓の岡本さんを祖父は贔屓にしていたようです。久美子さんの実父・岡本伊三美選手は南海ホークスの二塁手、そして近鉄の監督。
昭和30年代、祖父宅からほど近い、駒沢グランド(なんと、当時は駒沢にプロ野球の本拠地があったんですね!)の東映対南海戦にて、その岡本選手や野村克也選手の若き日を…と。
父・伊三美さんの後輩である野村捕手の夫人・沙知代さんに似ている?大谷選手。決して美人ではないでしょう。どちらかといえば三枚目キャラ?『わたし、お茶目なほうだから、かわいい(テニス)のは似合わない』。
また、結構ナイーブなところもあったようで、天王寺公園のハトに身をすくめたり、岡本選手のある意味でのずぶとさに感心したりもしていたようです。
『岡本さん、一人きりでコートに立てるなんてすごいわ。わたしなんか、ビビっちゃって…』。
私事ですが、ソフトテニスは必ずダブルス。従って、ソフトテニスでも一人ではコートには立ちません。確かに、一人きりで相手と、そして孤独とも戦っている岡本選手(当時高3)はすごい、とわたくしも思いました。大谷選手より1つ年上なのですね。
バレーボールは6人。団体競技ならではの妙味についても、大谷選手は説明していました。
このおふたり、今でも交友があるのでしょうか。
5861
:
岡本 すいか
:2019/04/24(水) 20:54:44
『気は優しくて…』杉山(加)選手のレシーブ
続けて。
皆様が『ロス五輪ではレフト対角で見てみたかった』とリクエストされていた、杉山加代子選手(日立、1m80cm)×広瀬美代子選手(ユニチカ、1m70cm)の“凹凸コンビ”。
大のバレーファンを公言する写真家・立木義浩氏の写真は、月刊バレーボールにも掲載されていました。昭和58年初夏、静岡県草薙体育館での日ソ対抗にて、この両者の絡み(変な意味じゃなくて)の写真が掲載されました。ちょうど、レシーブしようと両者がボールを追いかけ、珍しく?杉山選手のほうがダイビングレシーブをした、という写真。
巨漢選手は、往々にしてレシーブが苦手なものなのでしょうか。
かつては白井選手もレシーブは大の苦手で、“小島先生”に”反抗する理由にもなったようですから。白井選手のサンスポ連載「二十歳のころ」には、決まって生沼選手が真横に写っていましたね。生沼選手はオールラウンダー。やはり凹凸コンビ(白井1m80cm×生沼1m71cm)。
凹凸コンビだからと言って、必ずしも絵になるとは限りませんが、杉山加選手×広瀬選手、
白井選手×生沼選手の2組は絵になる名コンビ、と見えました。
5862
:
カルバハル
:2019/04/25(木) 07:33:35
ロスオリンピック
本当に広瀬の使い方は勿体なかったですね。後衛3ローテーションしか使わなかったんですからね。一かバチかで使ってみれば良かったと思いますよ。気が弱い杉山だって火事場の馬鹿力が出たかもしれません。81年ワールドカップは活躍してますからね。83年のアジア選手権の優勝は忘れるべきでしょう。準決勝の中国戦、完敗にはならなかったと思います。
5863
:
カルバハル
:2019/04/25(木) 11:42:21
小島監督
ミュンヘンでは飯田、古川、生沼とレギュラー3人もセンターを使ってます。セッターも松村、岩原、生沼、塩川と4人もメンバーに入れてます。更にモスクワオリンピックはメンバーにセンター江上、三屋、清水、石川、池知と5人も入れてます。ミュンヘンては塩川をセンターとしても使ってます。山田監督のロスの広瀬の使い方やカルテットをメンバーに入れたり、無駄な枠が多いと思いました。モントリオールも荒木田より将来で江上と須藤には、ならなかったんでしょうか?
5864
:
岡本 すいか
:2019/04/25(木) 19:32:23
同姓の?岡本真理子選手と小島監督の相性は…
こんばんは。
ミュンヘン五輪では、小島監督と他チームの選手との相性はどうだったのでしょうか。
生沼選手は、叱られそうにないですね。何事も卒なくこなす「巨人・高田繁選手タイプ」。
他方、ドイツの現地紙に『人権侵害』と叩かれた岩原選手は叱られ役。
そして、白井選手は反逆児。但し、レシーブ放棄や脱走やら決勝戦前日の発熱やら、反逆を繰り返すうち、いつしか心酔してしまったようです。
では、岡本選手と小島監督とはどうだったのでしょうか?同じ関西人として、気に入っていたのかも?自軍の山田監督は『モグ(普段は冬眠しているのに、大舞台では活躍する意味、でしょうか)』と親しんでいたようですね。
それでも、皆、『監督』ではなく『小島先生』と呼んでいたようですね。女子選手にとっては、学生バレーの延長の感覚があるのか、男性の監督を『先生』と呼ぶ習慣があるようですね。
他方、ユニチカ単独チームでも、全日本でも、小島監督下だけだった広瀬選手は(ワンポイントの生沼監督には好印象でしたが。皆『ヌマさん』と呼んでいたのにはびっくり…)
4年越し悲願だったはずの五輪では米田監督−山田総監督体制に冷遇されたのでしょうか。
5865
:
岡本 すいか
:2019/04/25(木) 19:52:06
河西昌枝×白井貴子×横田忠義
続けて。
バレーボールファンの皆様なら、思わずよだれが出るような顔合わせと思います。幾度か繰り返させていただきました、昭和59年夏、ロス五輪壮行会と同時に行われた「バレーボール・メダリスト同窓会」。その中でも、最上級の組み合わせではないでしょうか。男子1回、女子2回、
そのすべての金メダリストが1人ずつ鼎談。
一部抜粋。
白井『うれしいですよ。河西さんとこうして話すの』
河西『ほんとに…どうして今までなかったんだろうね』
横田氏は笑いながら、タバコをくゆらす。
河西『そういえば…今朝はひどい!朝6時30分ロビー集合と約束したのに、待てど暮らせど来ない』
横田『ビッグ、きのう寝るときに6時に起こしてくれとお願いしたじゃないか』
白井『わたしが起こし忘れていました…ゴメンナサイ』
横田『これだもんなあビッグは…』
(中略)
白井『そういえば、きのう(前夜祭)河西さんと話していたのよ、だれがやってくれる(場違いな服装、という意味のようです)か、と』
河西『みんなスーツで決めていたのに、あれはないよね』
横田『オレ、みんなああいうの(唯一、横田氏のみポロシャツでした)だと思っていたんだよ!…あああ、昔のオレのファンの人、百貨店とか洋服店に勤めていたらスーツをちょうだい。
ネクタイでもいいからさあ』。
まったくリアルタイムじゃないのに、思わず笑ってしまいました。三者三様のようで…
横田氏も、全日本女子の監督を務めたようですね。意外でした…。
5866
:
カルバハル
:2019/04/26(金) 06:28:48
女性監督だと
沼さん久美さん男性監督は先生ですね。それは女性監督だと先輩、後輩で後輩が沼さん、組合さんた呼んでたのが、そのまま監督になっても。いきなり、先生なならないからです。しかし、白井、河西、横田の対談なんて。あったんですね。今だと大物中、中の大物ですね。金メダリストですからね、贅沢ですね。銀メダリストと女子バレーボール選手は多いんですけどね。銀メダルイコール負けなんで対談の席は無いんでしようか? 昔の女子バレーボールは金メダルと銀メダルには間には大きな壁があります。78年の世界選手権で日本女子バレーボールは銀メダルでした。大会ごのインタビューで銀メダルが取れ手取り敢えず良かったです。金メダルと銀メダルしかとって事のない女子バレーボールは最悪でも銀メダルなんです。ましては、その後の82年世界選手権4位、ロス銅メダル、85年ワールドカップ4位は、もはワースト記録更新中です。ロスの銅メダルとロンドンの馬鹿騒ぎした銅メダルと比べると時代を感じます。金メダル以外ははビリと同じ考えなら77年ワールドカップ後はビリと同じ成績が続いてます。
5867
:
カルバハル
:2019/04/26(金) 08:21:02
一番好きなバレーボールは
昔、韓国女子がツーセッターのバレーボールですね、それにブロードとバックアタックを加えたバレーボールを日本女子バレーボールチームは完成して欲しいですね。けっこう世界に対抗できるバレーボールかわ出来ると思います。
5868
:
カルバハル
:2019/04/26(金) 19:13:53
10連休
都市対抗バレーボールとかありますが大阪の人は観戦に行くんでしょうか?その昔、アメリカナショナルチームがコロラドスプリングクラブとして優勝しです。
5869
:
岡本 すいか
:2019/04/26(金) 21:26:00
廣紀江選手は姉妹?
こんばんは。
世間的には「高三(18歳)カルテット」と喧伝され、弱冠33歳だった米田監督(実権は山田総監督にあったようですね)も使うのに苦労された、中田久美・大谷佐知代・宮島恵子・廣紀江の
4人のギャル選手。
4人のうち、最も地味だった?廣選手は、姉妹選手だったんですね。初耳でした。廣美里選手。単に私が無知なだけか。
実業団としては、現役わずか3年。短かったですね…それでも、通算2回の五輪出場。
今は学習院大学の教授のようです。バレーボール選手経験者としては、やはり(信州)大学教授である先輩の石田選手ともども、結構幸福な「セカンドキャリア」かもしれません。
5870
:
カルバハル
:2019/04/26(金) 22:44:43
廣紀恵
確か高卒で実業団に行くか大学に進学するか迷った話は有名ですが廣の父が娘達は大きく育ち過ぎた将来の為にも大学に進学させたいと言ってました。親なら娘が背が180?を越えると嫁に行くのも厳しいと思い女一人でも食べていけるように学問を身に付けさせたかったんでしょうね?バレーボールで、ご飯は食べられません。指導者も、まだまだ男社会ですからね。1970年代にハンガリーナショナルチームの監督は女性監督でしたね。
5871
:
カルバハル
:2019/04/27(土) 04:24:28
カルテット
廣が一番背が高かったから大谷や宮島より将来性は期待してましたよ。しかし、実業団に行かず大学に進学する事が決まり、ロスが終わった後、山田監督は、本気か、どうかは?ですが、もう、お前とは、これで、お別れだと言われました。当時は、やはり、実業団に進まなければバレーボールの一流の選手の道から外れるんだなと思いました。しかし大学院に進学する頃は日立のユニフォーム着てたので喧嘩別れしたんじゃなかっまのか?と思ってましたが違うんだと思いました。
5872
:
カルバハル
:2019/04/27(土) 08:45:20
山田監督
ギビ監督の影響か心の中にある事と話す事は、全然違いますよね。ロス乘時も取材陣にはロスで金メダルを取るには準決勝で中国を破り開催国のアメリカに決勝で勝つのが金メダルへの道みたいな事を言ってます。実際は準決勝は選手一同、準決勝で思わぬ組み合わせで中国に、当たる事になり、たじろいてました。山田監督の話は、何時も本年度の半分位しかマスコミには言わないです。
5873
:
岡本 すいか
:2019/04/27(土) 09:26:12
神戸はバレーどころ
おはようございます。
カルバハルさん、広選手についてありがとうございます。
その広選手も、昭和60年神戸での「ユニバーシアード」には出場されたようですね。杉山明美選手とともに…。神戸はバレーどころなのです。ちょうど、この当時西体育館はダイエーの本拠地となっており、広選手もお世話になった米田監督も地元紙に『神戸から世界に…!』とエッセーを執筆されていました。広選手の大先輩・「元祖ヒロ」広瀬選手と不肖私の母校・舞子高校は垂水区、高台にあります。この当時はまだ明石海峡大橋ではなく、国道フェリー(で淡路島に渡る)の時代でした。神戸、GW、そして都市対抗といえば、翌61年都市対抗にてダイエーは優勝。『(直前に事故死)ハイマンに捧げる優勝』(米田監督)だったようです。数年前には、現監督もそのダイエーを吸収した久光製薬を率い、神戸に住んでいたようで、広選手とはどの関係者もそれなりに関係があるようです。
私事ながら、十連休中は実家の神戸には帰省しません。私は仕事、365日制の職場なので…きょうは休みですが。決して、私にその力があるとも思えませんが、この年(広瀬選手の−20歳、今年不惑)ですし、後輩を引っ張らなければならない立場。広瀬選手が体を張った自身のプレー、文字通り「背番号1」の後ろ姿で後進を引っ張り、主将を務められたように。私も、管理職を目指してGWは仕事に邁進します。
主将就任時の広瀬選手の談話『入社時は背番号20でした。大先輩(横山・水原・小川)が
引退し、ついに私も1番をつけます。そしてキャプテンです』
5874
:
カルバハル
:2019/04/27(土) 09:51:47
10連休
岡本さんは、お勤めですか、無理しないでくださいな。時間が有れば、多摩図書館で色々な事、仕入れお話聞かせて下さい。滝沢、廣、佐藤尹知子、杉山明美が神戸ユニバーシードから、ソウルオリンピックの道が、開けたと思いますよ。決勝戦は北朝鮮と大接戦だった気もします。バレーボールのエリートは高校卒業して実業団に入ります。大学に進む選手は実業団から呼ばれなかった選手てイメージですが大卒ではモントリオールのキャプテン飯田が今でもNo.1の日本選手ですね。その飯田も人生での屈辱は、そうそう、無いんですがミュンヘンオリンピックの決勝戦の終盤のサーブミスは屈辱だと言ってました。あの屈辱があったから、同年代が引退してもモントリオールまで頑張って金メダルに繋がったと言ってました。銀メダルでしたがミュンヘンオリンピックの戦士は可哀想な気がしました。金メダル以外はビリも同じ金メダルが取れなかったから日本に帰れないと古川選手は、思ったと言ってました。国民の期待は、凄かったです。ベルリンオリンピックの前畑秀子、以来の女子のオリンピックの金メダルは女子では団体初のボールゲームの競技がバレーボール女子の東洋の魔女ですからね。今の全日本と国民の期待、背負うものが違います。
5875
:
岡本 すいか
:2019/04/27(土) 10:08:15
中村利恵選手について知れました
もう一件。
先ごろ、「昭和57年夏、横浜文化体育館での環太平洋ジュニア選手権」皆様があげてくださっていた中村利恵選手。先刻皆様はご存じでしょうが、リアルタイムではない私的には謎でした。
米田監督−生沼コーチも、特に目をかけていた選手。183cmと、最も長身(杉山加選手、小高選手よりも)、引退後はモデルや、美容関係の代表取締役のようですね。
その環太平洋選手権決勝戦。1対2とリードされた第4セットも、0対8と崖っぷちに。ところが、その後奇跡の逆転と称される大逆転勝利で優勝。道理で、皆様印象深いはずです。
大会直後には「生沼監督→米田監督」、初めて戦後生まれの青年監督が続く、それこそ奇跡の人事につながったのかも。
これほどの選手が「日立の二軍」なのですから、当時日立は選手層がよそとはダンチだったのでしょう。
5876
:
カルバハル
:2019/04/27(土) 10:29:45
負け戦
経験を積ませる為に中村利恵を使っただけです。たまたま横浜文化体育館は猛暑で暑く中国の選手が次々と足に痙攣を起こして日本が勝った試合です。中村がベンチに入るのと時間的に同じだっただけでジャンヌダルクとたまたま騒がれただけです。期待してる、アルタガモワさん、ごめんなさい。
5877
:
岡本 すいか
:2019/04/27(土) 14:52:12
「北ウィング」からロス・プレ五輪に出航
こんにちは。
昭和58年秋、全日本女子は成田空港からロス・プレ五輪に出航。この直後、中森明菜さんの
名曲になる「北ウィング」からでした。彼女もまた、「18歳カルテット」とは同学年、そして
日立のおひざ元である西武線沿線(清瀬市)出身ですね。そのカルテットをはじめ、杉山・小高選手らが翌年のロス五輪に向けて燃えているとき、中村選手は既に、引退後の転身について考えていたのでしょうか。バレーボールは3日間だけ、すぐにとんぼ返りして福岡でのアジア選手権にとりかかったようですね。
かの東京五輪でも、東京国際スポーツ大会として五輪の前年(昭和38年秋)に行われていました。この時の「東洋の魔女」成績に関しては存じ上げません。それこそ、連休中に調べられれば…。
「北ウィング」で、全日本女子の私服姿、初めて拝見。正直、ファッションに関しては
無頓着な私が申しあげられることもないですが、やっぱり広瀬選手が最も小柄なのですね(それでも170cmありますが)。
5878
:
アルタガモワ
:2019/04/27(土) 19:47:00
あ〜やっぱり見たい
環太平洋決勝戦。そうなんですか、中村が大車輪の活躍で優勝したのでは無く中国チームが痙攣を起こしてる時にジャンヌダルクを投入したんでしたか・・・では杉山の対角だったんですね。私は何かの国際大会でサーブを打っている姿した見たことが無いのでやっぱり見たいな。私のご贔屓の小高が何かの賞を取ったと聞いた事があるのですがレシーブ賞でしたっけ?
北ウィング・・・懐かしいですね!中森明菜の歌で初めて北ウィングと言う言葉を聞きました。
そりゃ〜昭和58年杉山、小高も二十歳過ぎ今の古賀、黒子選手と同じ年頃ですよね。でも日立、協会、マスコミはもっと若いカルテットでしたね。
5879
:
岡本 すいか
:2019/04/28(日) 03:37:42
横浜文化体育館が…
こんばんは。真夜中に失礼します…
アルタガモワさん、ありがとうございます。
さて、皆様は先刻ご存知と思いますが…私は初耳。
「来年12月(五輪終了後)横浜文化体育館閉鎖」
昭和37年、五輪直前に開館しましたが、あと2年もないのですね。
・昭和39年東京五輪予選に始まり
・昭和43年日ソ対抗戦での生沼スミエ選手(日立武蔵では背番号3!これも意外)の「3連続ブロック」
・昭和54年日本対キューバ戦
・昭和57年環太平洋ジュニア選手権優勝
背番号3といえば、プロ野球では長嶋茂雄さんです。根岸線の線路を挟んだ大洋ホエールズ(当時)の本拠地・横浜スタジアム界隈では、環太平洋選手権のころ「プリーズ・カムバック・ナガシマ」と、長嶋監督誘致カムバック看板が出ていた、と言います。結局実現しませんでしたが…。当時の関根潤三監督が長嶋シンパのため。
その長嶋さんはバレーボールのファンでもあるのです。第1次監督解任直後、キューバには、
野球はもとよりバレーボール視察にも向かいました。
全日本では、2大会連続で「3番」だった岩原豊子選手の代名詞になりましたね。
5880
:
岡本 すいか
:2019/04/28(日) 03:51:37
日立のコーチは『選手との恋愛は…』
続けて。
コーチについても、選手同様他チームとは段違いな層のある日立。
環太平洋ジュニア→ロス五輪(といっても、ほぼ実権は山田総監督だったそうですが)米田監督も、入社初期はコーチの一員。昭和50年、メルボルンでの第1回アジア選手権より。
この戒律?にもびっくりしました。時代は下って、今どこかの数字アイドル
(関内からは京浜東北線で北上すれば専用劇場のある…)は『恋愛禁止』といいますが…
当時日立のコーチは『選手と恋愛した場合は、成就せよ』だったそうです。それがあったからか?2人も主力選手が、それも2代の主将がコーチと結ばれましたね。江上選手→石田選手
5881
:
カルバハル
:2019/04/28(日) 06:18:52
小島監督
教え子と結婚してます。あくまでも噂ですが、レズビアンの噂もあります。それは女子の集団の中なんで仕方ないでしょう。男子の場合もあります。しかし、岡本さん、凄く色々な事、多摩図書館で仕入れましたね。素晴らしいですね。岩原は中村高校出身の江戸っ子、気質です。ちょっと行ってくると言ってお見合いして結婚しました。女子は背番号は昔は年齢順なんで3番は偶然でしょう。また日ソ対抗の写真を見ると判りますが日本選手は素顔でソ連選手は、試合でもメイクしてます。ママさん選手も多いです。
5882
:
カルバハル
:2019/04/28(日) 06:21:22
小高
環太平洋はスパイクが第二位です。ベスト6に選ばれてます。試合の様子は月刊バレーボールに活字で載ってますよ。
5883
:
岡本 すいか
:2019/04/28(日) 06:44:19
さすがに8人引退…はないか。
おはようございます。これから出勤しますので、また夕方にでも。
カルバハルさん、アルタガモワさん、最近私は川越市のほうに外回りすることが多いので、
よく小高選手の母校の生徒さんを見かけます。『バレーボール部員、いるかなあ』と
そっちの目で見てしまいますね。職業科ですから、なにも川越市民でなくてもいいんですものね(越生町出身)。
小高選手、長い足をきれいに畳んでのレシーブ、かっこういいですよ。女子力大です。
広瀬選手が羨むほど足長(内また、でしたものね。女子選手に対して…とも思いましたが「小島バレーを支える申し子の原動力」と)。また、小島監督に怒鳴られても平然としている『さりげない明るさ』もまた、当時屈辱のBクラスに転落した全日本女子にとっては大事な要素だったのでは。
ミュンヘン五輪では、私は年齢順の背番号、1番(松村勝美主将)から数えて7番の浜恵子選手、そしてとんで最年少の12番、白井選手と、五輪直後8人引退で一度に世代交代…と思っていたのです。実際は松村選手、飯田選手、生沼選手、白井選手と4人だけ、しかも「二人のたかこ(飯田・白井)」ともその後よもやの復帰。そしてモントリオール「完全優勝」金メダルだったのですね。
主将…といえば、「山田バレーを支える申し子」生沼選手はラスト(昭和46年)の1回きりだったのは意外でした。三鷹高からずっと帯同してきた間柄だし、ましてや日立バレー1期生。
年上の選手もほとんどいないだろうし、なによりリーダーシップ大ありですから。
5884
:
カルバハル
:2019/04/28(日) 16:35:42
生沼スミ江
メキシコオリンピックは背番号10です。殆ど年上のチームですがチームの中心は生沼、高山のセンター兼セッターの全員攻撃のチームです。当時は21才の高山がキャプテンで、キャリア不足のチームで東京オリンピックの経験者は0人でした。半数が東京オリンピックに経験者のソ連には、敵うはずありません。しかしメキシコオリンピックでソ連に負けるまでは日本一イコール世界一の、おごりがありました。日ソ対抗も全日本は組まず日立、二チボー、ヤシカ、鐘紡と単独チームとソ連と対戦させてました。今から思うとソ連を馬鹿にしてました。その反省からミュンヘンはオリンピック経験者は松村、岩原、生沼、古川、浜と5人もメンバーに入れましたか返り討ちになりました。
5885
:
岡本 すいか
:2019/04/28(日) 18:35:27
さりゆく時代にさりゆく聖地に踏み込み…
こんばんは。
あと3日後、新天皇が就任し、平成時代も過去のものになるようです。
ついに。今朝宣言させていただいたように、聖地・横浜文化体育館、訪れさせていただきました。職場は川崎市にありますので、横浜は隣です。その興奮が冷めやらぬうちに…
きょうはレスリングの大会だったようで、スタンドまででしたが。それでも、エントランスには有名な構図の写真が。『東京五輪・女子バレーボール競技。背番号8・松村(勝)選手がスパイクを決める。右横には背番号5・松村(好)選手』
横浜文化体育館での、ニチボー貝塚・ダブル松村選手の若き日でした。
思えば、祖父はちょうど昭和63年暮れ、改元直前に亡くなりました。まだ、プロ野球に関心を抱く前の私を、既に取り壊しの決まっていた“聖地”後楽園球場に連れて行ってくれたのです。その写真は大事な宝物です。祖父・そして存命中の叔父はプロ野球兼バレーボールファン。祖父も、叔父も横浜文化体育館に通っては、日本リーグ、強豪・NKKを応援した、と。
今でも、近所在住の叔父はバレーボールのエピソードを語って聞かせてくれます。皆様のご教示と併せてありがたい存在。
『妹(私の母です)は、とんとバレーボールには嫉妬心を燃やしていてなあ。世田谷区は小中学校の課外授業に“東京五輪・それもバレーボールの見学があったのに、てんで覚えていないというんだ。オレ(叔父は当時二十歳。上記の通りNKK勤務でしたので、先輩や同世代には五輪選手目白押し。松平康隆コーチ、出町豊選手。のちには小泉勲選手、森田淳悟選手ら、錚々たる顔ぶれ)。にしてみれば、応援に行きたいのに行かれない。うらやましくてたまらないのに…』。
母はバスケットの選手、高校はトキワ松高でしたので、モントリオール五輪完全無欠金メダル・前田悦智子選手(サンヨー)と同級生でした。
それでも、皆様がうらやましいです。ここで、米田監督が陣頭指揮し、生沼コーチが育てた
杉山加・小高・中田各々選手がロス五輪に向けて羽ばたくところをご覧になれたのですから。
5886
:
カルバハル
:2019/04/28(日) 18:57:49
前田悦智子
トキワ松学園の時は確か9人制の選手で三洋電機に入社して6人制をやり貧血が酷くバレーボールしながら貧血を治してから名選手になりました。東京三洋電機と言われてましたがバレーボール部は群馬県の大泉だと思います。三洋電機バレーボールは名門、久喜高校生の監督が三洋電機バレーボール部の監督になりましたが久喜高校生の名選手、吉田真理子は日立です。その昔は女子バレーボールは新潟の高田北城、埼玉の久喜、東京の中村、愛知の豊橋東、大阪の四天王寺が名門で鹿児島にも照国と言う名門高校がありました。照国は新谷りみ子と言う弾丸サーブの名手が居ました。また東洋の魔女の62年モスクワ世界大会で優勝した単独二チボーのレギュラーに原爆サーブと言われた増尾選手が居ました。
5887
:
岡本 すいか
:2019/04/28(日) 19:05:13
「モスクワの悲劇を乗り越えたトリオ」◎江上×〇広瀬×三屋
もうひとつ。
恐らく、広瀬選手と三屋選手が初めて全日本に召集された大会かと思います。昭和54年暮れ、香港での第2回アジア選手権。初々しい、背番号11番の広瀬選手(入社3年目・当時二十歳)が
背番号10番・池知晃代選手(富士フィルム。唯一のチャンスに、いわゆる“幻の…”に終わってしまったひとり)を出迎えるシーン。横には、まだ背番号8番だった、日立では一人きりだった江上選手。三屋選手は…ベンチのようですね。背番号は年齢順…はほぼ当たっていたのでしょうが、11番と12番は逆なような気もします。早生まれの広瀬選手が最年少(20歳9ケ月)ですから。因みに、私事恐縮ながら、生後9ケ月。このころの写真がほとんど現存しないのです…
この写真を、4年後同大会直前に「悲劇を乗り越えた」トリオが回顧し、
『4年…早かったわね。いつしか全日本でも日立でも最年長になっちゃった。1番の上はないからね』(江上)
『キャプテンといっても、なにをどうしたらいいのかわからない』(広瀬)
『私だけ…キャプテンじゃないの。もしかしたら仲間外れ?』(三屋)。
『ヒロならできるよ。わたし(入社3年目、当時二十歳)だって、5年前なにをどうしたらいいかわからなかったんだから。でも、今振り返れば夢みたい。あの時は日立からは一人きり』(江上)
なんとなくはお気づきになるでしょうけど、◎は全日本兼自軍(日立)の、〇は自軍(ユニチカ)の、それぞれ主将の意、とさせていただきました。
森田選手には悪いですが…「悲劇を乗り越えたトリオ」も味があっていいじゃないですか。
「ユニチカ・トリオ(横山・水原・小川)」と、「ジュニアとの掛け持ちトリオ(杉山加、小高、中田)」「高3トリオ(大谷・宮島・廣)」いずれも知っている貴重な世代なのですから。
胸に「JAPAN」、角文字のロゴの背番号…そしてサンヨー、NEC、富士フィルムの選手が含まれる…それだけでも、随分昔に感じられますね。
5888
:
岡本 すいか
:2019/04/28(日) 19:24:36
稲山壬子総監督は女性だと思っていました…
こんばんは。
カルバハルさん、恥ずかしながら、今やすっかり『女性監督』にどっぷりはまっている
私ですから、サンヨー・稲山壬子総監督は女性だと思っていました。男性の名前(小野妹子みたいですが)だったんですね。久喜高で監督を務められ、戦後は三洋電機の監督に転身。
道理で、久喜高と東京三洋電機がつながっているはずですね。
5889
:
カルバハル
:2019/04/28(日) 21:24:37
モスクワプレオリンピック
脅威の守備力でキューバ?フルセット、ロシア国連邦に決勝戦で勝ち優勝しきました。キューバのペレス、ポマレス、バルネットが休暇でしたが、ウルヘリエスの強打を拾いまくった試合は素晴らしかったです。シャイな横山が照れくさそうに表彰台に上がりますました。プレオリンピックではアメリカが3位でした。広瀬はまだ居ませんでした。その後、レシーブの神様が生まれるとは思いませんでした。ブロックアウトの名手とも言えのが広瀬です。
5890
:
岡本 すいか
:2019/04/29(月) 05:29:37
「ミヨちゃんは足の丈夫な子」
おはようございます。
バレーボールに無関心な(?)遠方の母に代わって、詳しい叔父をはじめ、私の同級生も。いろいろ逸話を教えてくれるのです。
幾多も、こちらでも皆様から教えてもらった「広瀬伝説」。高校の同級生からも。
『陸上部の主将よりも俊足だった』。短距離も長距離も…それが、身長1m70cmながら、最高到達点2m98cmにつながったのでしょう。
広瀬選手の母親はママさんバレーの選手です。彼女が5歳だった昭和39年秋、600km東にある横浜文化体育館や駒沢体育館にて、東洋の魔女、ことニチボー貝塚の選手が勇躍する様子に興奮した、といいます。娘がバレーボールを始めるのも大賛成。それでも…公立の無名校、それも1期生から、まさかそのユニチカに入社し、それも魔女の後継者とまでいわれる選手になるとは思わなかったでしょう。
「ミヨちゃんはアヒルさん。でも足の丈夫な子」、と。アヒルから蝶々に、急成長を遂げたようです。
5891
:
岡本 すいか
:2019/04/29(月) 05:37:06
東京五輪の見学は…
もう一件失礼します。
世田谷区生まれの母親が『てんで記憶になかった』という東京五輪の競技会見学。昭和39年、東京五輪当時、その世田谷区・隣接の大田区では課外授業(社会科?)に五輪の見学があったとは初耳でした。
すると、年代的に当時小中学生、かつ出身がこの両区である前田悦智子選手(当時中一)、江上由美選手(同・小一)、そして須藤佳代子選手(小二)などは、恐らく見学したのちに
大いに影響を受け、のちのバレーボール人生につながったのでしょう。
余談ながら、私の母や前田選手と同じトキワ松高に通ったいとこ(9つ若い)を始め、叔父・叔母ともバドミントンの競技者。皆、横浜文化体育館でのプレー経験があるとのことです。
その意味では、母型の家系では母と私(ソフトテニス)は例外?なのでしょう。
5892
:
カルバハル
:2019/04/29(月) 05:49:38
広瀬のスパイク
ブロックアウトの名手ですがブロックをかわすと鋭いストレートのスパイクが決まります。ブロックに完全に付かれたら、ものの見事にシャトアウトされます。リバウンドは、そんなに上手では、なかったですが、引退する頃は、どーだったんでしょうか?
5893
:
カルバハル
:2019/04/30(火) 06:37:02
昭和〜平成
昭和はバレーボールは人気ありました。その分、金メダル以外はビリと同じと厳しい評価でした。平成は負けても、負けても、やっとロンドンで銅メダルで大喜びでした。令和は東京オリンピックが最後のオリンピックになるでしょうか?オリンピック前年ですが全く希望を感じない選手、指導者、協会、専門誌、強い日本は消えてしまいます。
5894
:
岡本 すいか
:2019/04/30(火) 16:37:32
引退間際は…
皆さんこんにちは。
カルバハルさん、只今仕事から帰ってきました。
広瀬選手(主将)ほどの選手でも、引退間際は振るわなかったみたい。個人もチームも。
往年を知るファンにしてみれば寂しかったと思いますよ。但し、私的には、それまではなかった
笑顔が見られるようになったか、とも伺えます。最盛期は、兎に角必死の形相、体を張ったプレーで一躍シンデレラになりましたものね。
レシーブのみならず、サーブ、ストレート打ち、そしてブロック…オールラウンダーとまでいえるかはわかりませんが、バランスがいいことは確かと思います。広瀬姓の女性著名人といえば、平成時代は、同姓の歌手は『ロマンスの神様』、そしてこれからの「令和?」時代は同姓の女優は『映画の神様』になる模様ですが、昭和50年代は『レシーブの神様』が、奇跡的に(私的には間近に)実在したようです。舞子高初(といわれる、でした。失礼しました)、バレー部女性監督には、「バレーボール部の生みの親」広瀬選手と、阪神・淡路大震災の惨禍とも語り継いでいってもらいたいですね。
5895
:
岡本 すいか
:2019/04/30(火) 16:59:43
団体競技の妙味
もう一件失礼します。
私事で恐縮ながら、代々、私の家系では、スポーツ人は「バドミントン」をしているようです。母と私自身以外は。ちょうど、自宅にはほど近い叔父(故・祖父母の自宅でもありましあ)宅に母以外の近所の親類が集い、昭和、平成時代の思い出話をしています。バドミントン競技者は叔父、叔母、末弟。末弟は、ロス五輪の昭和59年2月29日生まれなので、
『オレは4年に1度しか年を取らないんだ(無論、来年のその日で36歳になる予定)』
と、最近では自虐気味に自慢?しています。
サンヨーのように、バレーボールでもバドミントンでも、強豪だった企業も多かったようです。同じ体育館で練習している仲ですので、刺激を受けますよね。現に、全日本女子の選手でも、バレー以外の贔屓のスポーツに挙げている方も多かったように思います。
かつて、大谷佐知代選手がテニス(硬式)の岡本久美子選手に説明していた『団体競技の妙味』。ひとりがミスしても、他人が補う。持ちつ持たれつ…それこそ『ひとりは皆のために、皆はひとりのために』。ラグビーの格言は、バレーボールにもあてはまると思います。
また、背番号があるのも魅力。『背番号は年齢順…』の年功序列(←今や死語?)もあるのかもしれませんが、背番号が必要なほどの大人数競技は、個人競技とされるバドミントンから見たら
うらやましく見えるのだと…。
5896
:
カルバハル
:2019/04/30(火) 18:09:50
広瀬の弱点は
おそらく、ブロックが苦手だっかも?知れませんね。オーバーハンドパスも他のプレーが素晴らしいから苦手だっかも?しれません。サーブも、まずまず良かったです。ストレート打ち、ブロックアウトの名手、レシーブの神様の他は、やはりファイターです。ボールに向かってる姿は美人選手より綺麗に見えましたね。今でも当時のレシーブ力は世界一です。江上のプレーは今では通用しないと思いますが広瀬のレシーブを越える選手は今後は出るのか?
5897
:
カルバハル
:2019/04/30(火) 19:22:40
確か
三屋は初めて広瀬を見た時は足が早く動きが早く、なんて守備力が広いんだとビックリしたらしいです。逆に広瀬は三屋を見て、凄くジャンプして高い打点だと思ったそうですよ。お互い同じ年で同じモスクワオリンピック前に代表になり意識してたんでしょうね?
5898
:
岡本 すいか
:2019/04/30(火) 22:01:04
実はバドミントンのほうが先?アジア大会
こんばんは。
カルバハルさん、ありがとうございます。そうですね、広瀬選手は内またでしたが、実に俊敏なようでしたね。舞子高界隈の急坂を歩き、また走り続けた賜物…と思いたいです。
他方、三屋選手は「カモシカ」のようなおみ足。
その三屋選手が生まれた昭和33年初夏、東京五輪の布石?というべきか第3回アジア競技大会が、自宅界隈の駒沢公園など東京で行われました。祖父(当時50歳)、祖母(同46歳)、叔父(同14歳)、母(同7歳)と、一家のうち実家に残っていた全員で連れ立って応援に向かったとのこと。意外や意外?バレーボールよりもバドミントンのほうが競技として早く採用されたようですね。その影響からか、叔父も、いとこ(トキワ松高に進学)もバドミントンを始めたようです。余談ながら、その大会中、駒沢公園の片隅にある駒沢グランドでは“都立の星”土橋正幸投手(東映)が9連続奪三振を達成。当時、史上最強と呼ばれた西鉄ライオンズが相手の快挙でした。プロ野球もまた、最盛期だったようです。
カルバハルさんがおっしゃるように、まだバレーボールは野球と同人数の9人制が主流の時代。叔父たちも『おー懐かしい。アウトコートだったね』と、懐かしんでいましたね。
その2年後、昭和35年世界選手権に男女とも初参加、女子は前田豊氏が記念すべき初代監督。
アジア大会はそのまた2年後、昭和37年第4回、ジャカルタから。それにしても、初出場以来?5とはすごい。文字通り『アジアでは金メダルが当然』だったのでしょう。
五輪では、バドミントンは、既にミュンヘン・ソウルでは公開競技として行われていたとは、これまた意外でした。あまりにも、バルセロナ五輪での陣内貴美子選手の印象が強いため。
5899
:
カルバハル
:2019/05/01(水) 01:38:01
バドミントン
東南アジアが発祥の地なんでアジア大会の採用は早かったです。新沼謙治の妻、湯木ひろえは世界大会チャンピオンでした。その他は竹中、相沢組も世界チャンピオンのペアです。大阪四条畷高校と新潟青陵高校が強かったと思います。オリンピック競技は、バレーボールと比べるたと新しい種目です。インドネシアとか旅行に行くとバドミントンのテレビ中継をしてます。男子はトマス杯、女子はユーバー杯が有名です。ペアは韓国が強く、中国も強いですが最近、韓国人コーチをヘッドコーチにして日本人も強くなりました。ネット越しを、はうようなシャトルが返ったり目にも止まらないスピードでシャトルが飛んできます。確か羽はダチョウの羽かな?最もスピードが速いボールゲームと紹介されてます。体力の消耗が激しく、部活で羽根つきと思って入部する人は即、辞めます。シャトルコックはひじょうに高価なもので羽が傷つきと即、交換になります。バレーボールと違い東京オリンピックの強化の準備ができたてて東京オリンピックの有望種目です。女子バレーボールはオリンピックでは女子の団体ボールゲームでは一番早くオリンピック種目に採用されて初代のオリンピックチャンピオンが東洋紡の魔女です。
5900
:
岡本 すいか
:2019/05/01(水) 05:39:24
今はない(!?)皇后杯
おはようございます。新年号おめでとうございます。
しかし、朝から雨雲…今のところは、と思いたいですが。
カルバハルさん、ご丁寧にありがとうございます。そうですよね、インドネシアでは国技にも
指定されているようですから。バドミントンのテレビ中継とは、こちらでは考えにくい(あることはあるのかもしれませんが、やはり多くはない)ですね。新沼謙治氏の奥さんが、バドミントンの世界女王だったとは知りませんでした。亡き祖父は新沼氏のファンでしたね。これで、
また叔父との話題が増えました。
昭和53年秋、弱冠二十歳で日立の主将に任命された江上選手。最初が、今はない(!?)皇后杯だったようです。これも、江上選手×広瀬選手×三屋選手の鼎談記事から。
過日、カルバハルさんが挙げられたかと思います、その夏に世界選手権が行われた直後、主力(矢野選手、吉田選手、高柳選手ら)が大挙引退、若返ったというよりも戦力低下してしまったようで、さしもの江上選手も苦労されたそうです。それでも、決勝戦まで進んだのはさすがですが、片やユニチカは横山・小川・水原各々選手が健在の時(広瀬選手も出ていたかも?)ですから、ちょっと分が悪いかも。昭和54年暮れの月刊バレーボールにも「皇后杯」とは出ていたように思いますので、恐らくその直後に終わってしまったようですね。
今、もし「皇后杯」あったとしても、とても皇后さまにお目にかけられるような試合などできないでしょうね。その当時は、その名に恥じない試合ができたのではないでしょうか。皆、それだけの風格がありますからねえ。
5901
:
岡本 すいか
:2019/05/01(水) 13:45:24
女子バレーとはなにかと所縁がある?バドミントン
こんにちは。
私事で恐縮です。きょうは休みですが、またあしたからは仕事に出ます。連休明けには
神戸に帰る予定ですが、まだ期日は未定です…。果たしていつになるのやら。目の向こうには、
舞子の高台からの明石海峡大橋と淡路島の絶景が…
湯木選手について。本当に調べ甲斐があります。また、それだけの選手です。
東京五輪直後には『人気、実力とも女子バレーとは月とスッポン』などと酷評されたバドミントンが、それこそ湯木選手、中山選手の血の汗がにじむ努力の甲斐あって、ミュンヘン五輪(テロ前日開催)では、女子シングルスでは中山選手が金メダル、しかも準決勝は湯木選手と日本人対決で湯木選手も銅メダル獲得。その翌日、問題のテロを、女子バレーの選手団ともども経験されたのでしょう。その後、正式競技はおろか公開競技でも、湯木選手たちの現役時代には行われず。また、ちょうどモントリオール五輪(女子バレー完全無欠の金メダル)の時には、世界一になるはずが大会の不参加を命じられ、のちのモスクワ五輪の時の女子バレー同様、バドミントンの両選手も涙を呑んで悔しがった、と。これがなければ湯木選手は世界4連覇(を含む5度の女王)だったのです。引退後は、男子バレーの森田選手と同様、母校の監督を務め、その時に
新沼氏と出逢ったようですね。
いいですね、バドミントンは入り口は身近でも奥深く、実に幅広く味があります。社会的に認めてもらうため、血のにじむ努力を重ねた中山選手や湯木選手には頭が下がります。叔父も懐かしんでいましたね。
5902
:
カルバハル
:2019/05/01(水) 15:27:26
皇后杯
昔は全日本選手権、日本リーグ、都市対抗バレーなんかに皇后杯は、ちょくちょく変わります。今は、どーなんでしょうか?NHK杯もバレーボールはありましたが、今は存在すらないです。キューバや韓国もペルーもブラジルも来日してました。NHKと協会が、揉めたもか噂は、ありますが真実は判りません。バトミントンはヨネックスのラケットを今はテニスの大坂なおみも使ってますが湯木選手が活躍した時は、まだ米山ラケットだと思いますよ。ダブルスの竹中、相沢組が紹介して気がします。新潟県のラケット屋さんだった気もしますか判りません?新潟青陵高校と大阪四条畷が強かったけど今は、どーなんでしょうか?確か女子の世界選手権はユーバー杯、男子はトマス杯だっかな?名前がついてたような気がします。バトミントンも卓球も昔は強かったけど人気はバレーボールの方が上でしたが今はバレーボールは沈む太陽のようです。卓球やバトミントンの 方が活躍してます。体格が、どーのとかバレーボール関係者は言いますが、それを言ったらバトミントンもテニスも卓球も水泳も体格に負けてます。ようは、バレーボール協会は、胡座をかいて努力しなかったと思いますよ。それこそ9人制しか無い時代で世界選手権に出場したら女子バレーボールは世界選手権、いきなり銀メダルから始まったんですよ。どこか努力が足りなかったから、こんにちのような、運営や選手の技術や人気とか、墜落しそうなザマには、な、なかったと思います。Vリーグをテレビ観戦したら、会場のお客さんは淋しい限りでした。努力を、惜しむと忘れられます。常に危機感を、持って努力しないと一回落ちた、這い上がるのは至難の技です。
5903
:
岡本 すいか
:2019/05/01(水) 16:43:55
かおる姫の母校は強豪!
こんにちは。
カルバハルさん、ありがとうございます。栄枯盛衰は世の習いとはいいますが…やっぱり往時を知るファンにしてみれば寂しいでしょうね。私の世代などは「バレー黄金期」にはまるで触れることがない「ロスト・バレー世代」。かおる姫・鈴木洋美・高橋みゆき…。高橋みゆきなどは、確かに「チャラい」と思いますが、もう少しバレー黄金期が長ければ、もっと脚光を浴びられたように思いますね。
その高橋みゆき(市立山形商業)など、東北勢は、高校野球とは対照的に全国大会では結構優勝しているようですね。かおる姫の母校、古川商業はあの八王子実践以来の12年ぶり春高連覇。まだ幼かった、かおる姫も恐らくそんなエピソードを聞かされ、バレーを始めたのではないでしょうか。
但し、?リーグ入団後は苦難の連続。ビーチバレー転向だって、やむなしの選択だったように思います。そして、3.11で実家も被害…。
ユニチカの聖地だった泉佐野市も、今や赤字自治体です。ちょうど、?リーグ切り替えと同時の平成6年秋に関西国際空港が開港しましたが、直後に阪神・淡路大震災の被害もあってか赤字へ。その後は、救済処置をうける事態にまで悪化。泉佐野市民体育館がユニチカ・バレーボールの聖地としてにぎわった往時からは見る影もない…。昨秋訪問した際は、地震の爪痕も生々しく、思わず涙したものです…。
5904
:
カルバハル
:2019/05/01(水) 19:51:42
岡本さん
多摩図書館に行ってから凄く沢山知識が増えたみたいですね?一回だけで、こんなに沢山知識を仕入れたんですか?驚きます。あ〜そんな事が、あったような、なかったような?事まで図書館に1回行って凄い集中力と頭によく入りましたね?私は試合の様子や、アヤフヤな記憶を明確に出来ただけでした。リアルに見てないのに凄いです。バレーボールの黄金時代に興味を持つ人が居てくれて、嬉しいです。時間が許せるなら多摩図書館で今後も忘れ去られた事を教えて下さい。
5905
:
岡本 すいか
:2019/05/02(木) 05:33:33
各々選手の兄弟構成
皆様おはようございます。
カルバハルさん、確かに図書館訪問こそ1回きりですが(現時点では。4月20日の)、祖父が
遺してくれた月刊バレーボールと、叔父のお蔭ではないでしょうか。叔父もまた、リアルタイムのファンでしたし、なによりNKKの男子選手(小泉勲氏、森田淳悟氏ら)と同世代なのが心強いです。
過日、こちらで挙がっていた「選手の兄弟構成」。
江上選手、お姉さん(実名はないですが。以下同じ)、とありましたね。
広瀬選手、弟1人。道理で、年上女性に対しての憧れが強いはずです、これは広瀬選手に限りませんが…。ただ、彼女は高校でも1期生だった影響からか、「先輩」に対して。ユニチカでの先輩トリオに対してといい、全日本での生沼監督に対してといい。
杉山選手、姉1人、弟1人の真ん中。日頃は手芸が趣味、極端に口数が少ないのもその構成から?
廣選手、姉1人(バレー選手)。
中田選手、一人っ子。案の定…
どれも納得、ですね。いい意味でもよくない意味でも。
5906
:
岡本 すいか
:2019/05/02(木) 05:43:40
アジア選手権における定宿
もう一つ失礼します。
五輪やアジア大会(選手村)とは対照的に、アジア選手権(ワールドカップや世界選手権も、だと思います。)は、バレーボールでの単独開催。今昔の相違、といってしまえばそれまででしょうが、なんと、昭和58年秋、福岡での第3回アジア選手権開催時には、その定宿と電話番号まで掲載されていたのです。博多のシティホテル(こちらも実名はなし。現存します)でしたが…。当時は、今とは比べ物にならない人気だったはずで、選手も押しかけられたはずでしょうが、それでも目立ったトラブルはなかったようなので『バレーボールの古き良き時代だったんだなあ。』と痛感してしまいます。海外とはいえ、その4年前、昭和54年暮れの第2回、香港大会もホテルが掲載。その後も、全日本女子の香港遠征では、同所に宿泊しているようですね。ホテルは、結団式の会場にも指定されていたようです。
すると、昭和58年暮れの第3回、男子は東京体育館ですから、神宮球場西(国学院高ともほど近い)にある、あのホテルだったのでしょうか。
5907
:
カルバハル
:2019/05/02(木) 06:27:46
誰がレギュラーだか忘れましたが
古川商業と四天王寺の春高バレーでは3年連続同じ決勝戦が同一カードだと思いまた。どっちが勝ったのか?全然、覚えてません。競技が弱くなり人気が無くなると競技経験者でも、こんなものです。
5908
:
カルバハル
:2019/05/02(木) 13:49:28
オリンピック
公開競技だと金メダルをとっても讃えて貰えないのも、なんか可哀想です。ソフトボールもオリンピック種目から外されたら金メダル取得でも強化費用が削られる現実は残念です。バレーボールがオリンピック種目から外れたら、誰も見向きもしないでしょう。またバレーボールは昔は野外にコートがあり9人制でインターハイも野外でした。その当時の写真を見ると女子は、提灯ブルマでした。私も、提灯ブルマは直に見たこと無いですが本当に、提灯みたいに、膨れてます。何故、膨れてるんでしょうね?テニスも昔の写真を拝見すると、ロングスカートで驚きます。野外のバレーボールてビーチバレーてイメージですがバレーボールは外のスポーツでした。
5909
:
カルバハル
:2019/05/03(金) 09:58:17
野球
オリンピック公開競技で日本は金メダル取りましたが話題になりませんね。野球が世界に普及しないのは、ルールが難しいとか、道具を使うからお金が掛かるとか言われてますね。バレーボールは、ルール改正されて、逆転とか面白みがなくなりました。15点ラリーポイント制は厳しいなら8点ラリーポイントとか、ネットインサーブを認めてからサーブ合戦になり、つまらなくなりました。昔、サーブブロックてプレーがありましたが、試合は、つまらなくなったので禁止になりました。見せて、ハラハラする、ところが、なくなりました。サーブ権がなくても点数が入るのも面白みがなくなりました。公開競技やオリンピック種目に外されなかっら、ルールも改正して欲しい。
5910
:
岡本 すいか
:2019/05/03(金) 15:12:38
悲運の強豪・ヤシカ、そして吉永美保子選手
こんにちは。
カルバハルさん、ありがとうございます。かおる姫にはなんの罪もないのに…。彼女は「バレーボール退潮期の犠牲者」と思いますね。野球は当初、公開競技でした。ロス五輪(金メダル)、ソウル五輪(銅メダル)で実績が認められ、バルセロナ五輪から正式競技に昇格しましたが、一度は公開競技からも消えました。ボイコットではないですが、長嶋茂雄監督が「幻の五輪」になったアテネは今振り返っても痛いと思います。ご本人ばかりではなく…。
バレーボールも、公開競技からさえ消える日が来そうですか…。
昭和54年暮れの第2回アジア競技大会。背番号9・吉永美保子選手(ヤシカ→NEC)は『遅咲きの桜』と称され、翌年のモスクワ五輪に期待がかけられていました。無論、本人こそ、最も楽しみにしていたはずです。それが…
『もうバレーはいいや、とまで思っている』(月刊バレーボール・昭和55年9月号)
あの“モスクワの悲劇”の犠牲者になってしまいました。唯一の五輪出場機会に。
彼女と同学年はスター選手が多く、特にモントリオール五輪金メダリストとなった横山樹理選手は同じ九州出身、ライバル意識は相当なものだったようです。昭和48年、ヤシカに入社しましたが(のちに、女子バレーでは“おなじみ”になってしまう)チームの廃部、全体移籍に遭遇し、NECの一員に。その横山選手と同じ日の丸の一員を掴むのには並々ならぬ苦労があったはずですが、すべて水泡に。
悲劇後も、目立った成績は出せず、現役引退に至ったといいます。22年後、ひたちなか市体育館で「22年越しのモスクワ五輪・日ソ(改めロシア)決戦」を決行、全日本はストレート勝利で
快勝したようですが、吉永選手は参加されたのでしょうか。
広瀬選手は現役引退後、17年ぶりにユニフォーム姿とプレーを披露したみたい。皆おばちゃんに…は仕方ないか。
5911
:
岡本 すいか
:2019/05/03(金) 15:46:37
×アジア大会→〇アジア選手権
でした、失礼しました。
5912
:
カルバハル
:2019/05/03(金) 17:28:22
吉永は居なかったとおもいますよ?
https://youtu.be/C0-0N_iZZg0
5913
:
カルバハル
:2019/05/03(金) 18:01:54
モントリオール
https://youtu.be/Q9AZjMWSHro
5914
:
カルバハル
:2019/05/03(金) 18:20:23
豊作の年のメンバー
ナショナルチームに参加した同じ年代、川口、矢野、横山、高柳、吉田、千葉、吉永、滑川、清水、石川、73年ワールドカップ〜82年世界選手権まで10名も輩出してます。
5915
:
岡本 すいか
:2019/05/03(金) 19:04:49
お墓参りをしたら…川合選手のおひざ元だったとは!
こんばんは。
カルバハルさん、ありがとうございます。
吉永選手、五輪前年の同大会に出場しているみたいですよ。広瀬・三屋両選手にとっては初の
国際舞台でしたので、どうしても注目してしまいます。大会にはエントリーされても、水原選手のように控えだったのかあ。既に、日本はモスクワ五輪への出場権も得ていたとあって、どちらかといえば「お手並み拝見」のつもりで、決勝の中国戦には臨んだといいます。結局、その後数年中国に苦戦する伏線になってしまったようです。ただ、五輪は日本だけでなく中国も不参加。
4番…横山選手(主将)5番…水原選手、8番…江上選手、9番…吉永選手、11番…広瀬選手、12番…三屋選手。
バレーボールマガジン、昭和58年11月号「アジア選手権の歴史(というほどでもないか…第2回)」より。
私事で恐縮ながら、過日故・祖父のお墓参りをいたしました。物心つくかつかないくらいだった私に、いつも往年の生きたバレー昔話をしてくれた祖父。上記の本によれば、なんと、かの川合俊一選手は大田区萩中出身のようです。出雲中→明大中野高→日本体育大学(当時3年生)。
日体大では、森田淳悟氏の秘蔵っ子だった、と。もしかしたら…ですが祖父も贔屓にしていたかも。
5916
:
カルバハル
:2019/05/03(金) 20:03:46
江上由美
ワールドカップ77が世界タイトル最後の金メダルです。その中です。世界一チャンピオン最後の経験者は88年ソウルオリンピックの江上が世界タイトル取得者、最後の現役生き残りなんです。ロス、ソウルのメンバーでも江上一人てす。日本女子バレーボール界で一番若い世界タイトル取得者です。他の選手から長く尊敬される訳です。
5917
:
岡本 すいか
:2019/05/03(金) 20:12:35
東村山市出身?江上選手は名誉市民希望
こんばんは。
カルバハルさん、江上選手は東村山市出身なのか、世田谷区出身なのか、どちらなのでしょうか。もし、東村山市のご出身なら、志村けん氏ともども名誉市民に選ばれてしかるべきでしょう。ちょうど、志村氏が「東村山音頭」を歌われてヒットになった昭和51年デビュー、でしたものね(中学校は東村山五中)。
エピソード集などを拝見すると、やはりお父さんがなくなり、女手ひとつで育ててくれた母親、ロス五輪に招待されたそうです。また、“都立の星”年子のお姉さんのお話も掲載。
バレーに造詣の深い祖父はソウル五輪の時は、昭和天皇同様、病床にありました。幸いか不幸いか、史上初、全日本女子がメダルなしに終わったことは、病状が進んでいたこともあってか知らないまま旅だったようです(叔父より)。
5918
:
岡本 すいか
:2019/05/03(金) 20:21:28
背面ダイビングレシーブとは…!
江上選手に関してもう一件。
初めて全日本主将に就任した昭和57年暮れのアジア大会では、文字踊り八面六臂の大活躍。
中国と並ぶ当面のライバル・韓国戦では背面ダイビングレシーブ!同期入社、文字通り彼女を
隅々まで知り尽くしているはずの森田選手さえもびっくりのスーパープレーでした。専門誌どころか、まったくの一般紙(それも、最もスポーツには疎いはずの日本経済新聞)にも掲載。
試合前、開催国・インドのガンジー首相の訪問を受けていました。
コート外でも、史上初の女性旗手を務めたり、生沼監督ともども、史上初のBクラスを味わったばかりの全日本にとっては最適の人選だったようですね。
5919
:
カルバハル
:2019/05/03(金) 21:33:52
江上由美
https://www.pasonica.com/%E6%B1%9F%E4%B8%8A%E7%94%B1%E7%BE%8E/
世田谷となってますね?確か姉が小平高校で学校郡で一緒に小平に進学出来なく東村山だったので松蔭に進学したと聞いてますが、産まれたのは世田谷でも育ったのは都下かも知れませんね。ヤシカの岩原がチャキチャキの江戸っ子と言われてますが生まれは東京でないですね。例えば母親の実家が世田谷なんで世田谷産まれたえど住まいは東村山とか?諸事情はあるでしょう。普通は母親の実家で出産します。或いは産科が世田谷の病院とか、色々な場合があります。判りませんが東京出身て事は確かのようです。また外国人の選手は産まれた年も不明もあります。江上由美の父親の話しは?今だと個人情報ですよね。公人と個人は違いますが江上由美は公人かも?知れません。
5920
:
カルバハル
:2019/05/03(金) 21:35:12
下のサイトも
三屋の写真とかあるから、いい加減です。
5921
:
岡本 すいか
:2019/05/03(金) 21:41:25
ありがとうございます。
こんばんは。
カルバハルさん、ありがとうございます。
彼女は、バレーボール経験者(特に女子)では稀有な、バレー一筋を貫いてきた「バレーボーラー」と、私も思いますね。小田急でも、ぜひかおる姫入団までは監督をしていてもらいたかった…。かおる姫も、これだけ偉大な先人の名前は知っているはず。
世田谷区でも多数主催されている、小田急バレーボールクリニックでは江上選手と一緒に指導してもらいたかったですね。
5922
:
カルバハル
:2019/05/04(土) 00:57:09
生きの長い選手
今では30代の現役選手は多くなってますが昔は25才位で、ベテラン、引退、結婚のコースになります。河西、松村勝美、横山など、ユニチカの選手が長いです。飯田、岩原も長いですが、江上も長いですが全日本のレギュラー貼っては、一番長いかも?知れませんね。木村もナショナルチームに入ってから長いですが、レギュラーをずっと、やってるのは、江上由美です。中田久美は、ちょっと特別扱いなので除外です。大林も長いです。多治見、吉原も長いですが、お休みの期間があります。トレーニングより現役選手生命は長くなりましたが結婚して子供が出来て頑張ってる荒木は、これから見本になって欲しいので東京まで頑張って欲しいです。モントリオールの矢野、吉田、高柳は23才で引退しました。長いと未婚になるケースも多いです。海外はママさん選手、居ますが、やはり日本は少ないです。
5923
:
岡本 すいか
:2019/05/04(土) 05:33:23
小田急には「原也祐巳選手」が!
おはようございます。
カルバハルさん、その通りかもしれませんね。やはり江上選手は伝説の存在ですよ。
私と同世代のトリオは不景気の波を諸に受けてしまった谷間世代です(かおる姫・鈴木洋美・高橋みゆき)。もう少しあとでも、荒木のようになったのかもしれないので、最も魔の悪いタイミングだったかと思います。
初代・江上改め丸山監督の小田急・バレーボールチーム。恐らく丸山監督が連れてきたか、
反対に丸山監督を私淑していたのか、以前質問させていただきました原也祐巳選手、背番号2が
いたとは初めて知りました。ダイエーの立ち上げ時のような…といいたいところかもしれませんが、失礼ながらスターではない選手のようですね。
5924
:
岡本 すいか
:2019/05/04(土) 05:37:57
監督が「ユニフォームを着る」のは野球だけ…
続けて。
バレーボールをはじめ、一般的にはスポーツの監督はユニフォームではなく、ジャージーや
背広姿のようですね。その意味でも「ユニフォームを着て、しかも背番号がある」野球は特殊な
スポーツのようです。
私的なひいき目もあるせいか、米田監督のジャージー姿がかっこよく見えました。
5925
:
カルバハル
:2019/05/04(土) 10:57:53
原選手
小田急に居たんですか?始めて知ったのか?スルーしたのか?記憶が無いです。活躍したんでしょうか?廃部は林兼産業、太陽デパート、小田急、日立、イトーヨーカ堂、ユニチカ、ヤシカ、東洋紡、三洋電機、ソニー大崎、東芝鶴見、新日鉄堺、電電神戸、クラボウ、石川繊維、大和紡、ダイヤ紡、石川島播磨重工業呉、日立茂原、東北パイオニア、たくぎん、ヤクルト本社、鐘紡、ダイエー、富士フィルム、など沢山、廃部になりました。昔から残ってるのは久光製薬くらいかな?企業スポーツの限界ですね。大昔は敵はソ連、向かい打つのは我がニチボーと言われてましたがソ連も消滅しましたか時代を感じます。
5926
:
カルバハル
:2019/05/04(土) 11:08:33
野球だけ、ユニフォーム監督が着る
気が付かなかったです。そう言われれば、そうですね。何故、野球は着るんでしょう?ビーチバレーの女子はビキニじやないと駄目なんでしょうか?着たくない人、多いと思いますよ。陸上も今はヘソ出してますね。イスラム圏の人の普及を阻んでますね。その昔は6人制バレーでも裸足でプレーした写真みかけました。頭にバンダナまいたり、リボンしたキューバの選手居ました。あまり体の体型が、見えるユニフォームはプレーに集中出来ないし、バレーボールの競技が好きな理由でない観客も出ます。ユニフォームも改善しないと駄目ですね。
5927
:
カルバハル
:2019/05/04(土) 19:27:18
金メダル以外はビリも同じ
https://youtu.be/rf2AwBgjCp4
オリンピックに出場出来ない時代も厳しいです。
5928
:
アルタガモワ
:2019/05/05(日) 02:41:21
ありがとうございます
カルバハル様
90年世界選手権ありがとうございます。
私は90〜91年のバレーを一切見てないので凄く楽しかったです。友人から最後の方はオギエンコが?平に対して「おだまり〜〜〜!」って凄いブロード攻撃を決めたと言うフレーズを聴いた事があったのですがその「おだまり〜〜〜!」のブロードが確認出来ました。
それにしてもソ連の選手とは思えない様な感極まった状態でしたね。丸で日本チームの様な感じがしました。と言って弱くなってからの日本チームの事ですが。
5929
:
カルバハル
:2019/05/05(日) 07:31:54
90年世界選手権
決勝戦は、面白いですよ、バトフチナの世界デビューの試合です。終盤のオギエンコのブロード攻撃で、ストレートでアタックラインの内側に打った攻撃は凄いです。郎 平の世界大会、最後の試合です。巫 丹が素晴らしいプレーをしました。中国は蘇 恵娟が、キャプテンです。個人的には良いセッターだと思います。蘇 恵娟はアルタガモワさんが、どうしても見たい横浜の環太平洋選抜大会の中国のセッターでした。88年ソウル後は日本の試合より世界のトップの技術を追うようになりました。あんのじょう、ドンドン、ワースト記録を更新して、シドニーオリンピックは出場権も取れなくなり女子バレーボールは一度終わってます。その後、上り坂で少しずつ強くなりメダルまで行きましたが東京オリンピック後は、2度目の終わりが、やって来そうです。
5930
:
アルタガモワ
:2019/05/05(日) 08:46:12
バトフチナ
89年のワールドカップがデビューかと思ってました。当時は本当に若くて細かったですね。
確かに中国ってあれから徐々に弱くなりましたよね。
日本がシドニー行けなかったのってかなり叩かれましたけどいつもだったら最終予選に居ない中国が居るんですもんね、確かに出場が叶わなかったのは事実ですが。
今の世界の女子バレーって大昔の男子バレーみたいで全然面白く無いですよね。逆に男子の方がコンビ、トリッキーで楽しいです。
ロシアもアトランタあたりまではコンビに力入れてたけどその後は今の中国みたいに反則級にデカくだけなって・・・。
5931
:
カルバハル
:2019/05/05(日) 10:03:13
90年世界決勝戦
セットカウント1-1で3セット後半バトフチナが登場して連続スパイクを決めて3セット取ってミュンヘンの白井みたいでした。中国は引退した郎 平が、入ってまだエースを貼るてるのが残念でしたが巫 丹が素晴らしいプレーでした。やはりサイドアウト制で6人がサーブレシーブして複雑に攻撃した方が見ために楽しいですし、人気も上がります。アタッカーだ沢山居るのに絡まないでスパイクするのは、つまらないです。コンビバレーは見てる方から、するとショーのようです。ルール変更して、ハラハラしたり、複雑に攻めるようでないと決まらないように、しないと人気は下がります。パフォワーマンスも大事な要素です。ルール改正して良かったのはサーブブロックくらいで、他は競技を、つまらなくしてるだけです。
5932
:
岡本 すいか
:2019/05/05(日) 12:11:51
ヤクルトもバレーボールチームがあったんだ…
こんにちは。
私事で恐縮ながら、プロ野球ファン…とは幾たびか申し上げさせていただいている通りでございます。無論、ヤクルトはプロ野球チームがあり、今年創設50周年に当たります。私は、チームのファンはありませんが、かつては広沢克己選手や池山隆寛選手、荒木大輔投手、高津臣吾投手、時代は下って私と同学年の岩村明憲選手らのファンでしたね。また、監督も土橋正幸氏、
野村克也氏、若松勉氏と、球史を彩ったスターが代々務めており、記録(優勝)にも記憶にも
残るチームと思います。
転じて…ヤクルトにも、プロ野球チームのみならずバレーボールチームがあったとは。初耳…。でも、ヤクルトレディ→おばさんの、女性の影響力がある企業ですから、あっても不思議ではないですね。
5933
:
岡本 すいか
:2019/05/05(日) 12:24:09
神戸製鋼は阪神・淡路大震災の犠牲者…
続けて。
実業団リーグ、それも男子の話題で恐縮です。ダイエー、電電神戸と同じ神戸市本拠地の神戸製鋼。第26回の大会中に、問題の「大会中棄権」が起きてしまったのです。
他方、これも幾度も繰り返させていただいています、第1回?リーグ開始わずか1ヶ月後に、
阪神・淡路大震災によって、神戸本拠地のチームは会場を余儀なく変更されました。その後の
?リーグの行方を象徴するような、と評される大地震でした。また、バレーボールから離れて既に久しかった広瀬美代子選手の神戸市垂水区の実家も被害。古巣のユニチカ・フェニックスともども、この大地震は彼女の心に深い傷を残してしまいました。私自身も、高校の校舎や広瀬選手思い出の体育館が倒壊し、同級生を幾人も失くしてしまいました。
阪神・淡路大震災は、バレーボール界にも底知れない影響を与えてしまったようですね。
5934
:
カルバハル
:2019/05/05(日) 16:07:05
昔は
一企業で同じ競技のチーム複数ありました。バスケットのユニチカ宇治、ユニチカ山崎、日立武蔵、日立佐和、日立茂原、など多々ありました。富士フィルムは男女同じ体育館で練習してたかな?NECも男子チームありました。日立本社て男子チームもあっかたな?花王石鹸和歌山てチームもあったらしいです。
5935
:
カルバハル
:2019/05/05(日) 18:11:56
鈴木洋美
確か春日部共栄からイトーヨーカ堂でしたっけ?怪我でナショナルチームを外れて、その枠をスーパー女子高校生と言われた木村沙織が代わりに入った記憶があります。木村沙織て成徳ではセンターでしたが日本の大エースになりましたね。木村沙織は個人的には江上由美以来の天才プレーヤーと個人的に思いました。
5936
:
岡本 すいか
:2019/05/05(日) 18:40:46
バレー(日本リーグ)を十倍楽しく見る方法(!?)
こんばんは。
カルバハルさん、ありがとうございます。そうです、春日部共栄からイトーヨーカドーです。
春日部といえば、ヨーカドーの合宿所があり、物心つくかつかないかのころから、同所に遊びに行っていた、といいます。小田初枝選手、置田佳子選手、篠原孝子選手らにかわいがってもらったとか。上記の皆さん、五輪に選ばれそうで選ばれなかった悲運の選手…鈴木も、シドニー不出場世代、どうも、ヨーカドーは力はあるのに、タイミングに恵まれないチームだったようですね…。
江本孟紀氏の著書っぽくなりましたが、確かこんな本があったような気もします(日本リーグを、でしたか?)…
やはり、往年(私が物心つく前)の「月刊バレーボール」は面白いですね。次から次へと新発見。これでも、多摩図書館は1回きりなのですよ。トピックスを見出し形式でお伝えします。
・下記、男子の神戸製鋼は昭和57年当時は日本リーグの一員。
・かおる姫入団時の小田急(ジュノー)岩本洋監督は、かつて江上選手の松蔭高を率いてから、V6日立の監督に転身、?6の6連覇目には杉山加、小高、中田久美ら「江上後のチーム」を率いる。
・昭和38年秋、東京国際スポーツ大会には「高校選抜」「ニチボー」「実業団一般」と3チームもバレーが出場し、いずれも好成績。無論、ニチボーは連勝記録継続。
・昭和57年度、日立は「100年に一度」失セット0で完全優勝。2位ユニチカも「日立戦以外は」全勝の18勝3敗。それでも、2強とはされず、1強5弱扱い。翌年からは、ユニチカも弱体化、西川選手、若生選手、本郷選手ら後輩が伸び悩む中、広瀬主将が孤軍奮闘…
・私の職場の女性の上司は岡山県・就実高にてバレーボール経験者。在学中は、女性監督に教えてもらったそうです。ついにその方のお名前を知りました。須藤圭子監督。高校は同校卒、筑波大学では三屋裕子選手の1級後輩、とエリートなのですね。
ただし、よくない事実も知りました。男子・奥野浩昭選手(サントリー。ロス五輪代表)が昨秋お亡くなりになっていたとは。往年のファンにとっては、昨年は水原理枝子選手の悲報に引き続き、辛い知らせを聞いてしまうことになったようですね…。
5937
:
カルバハル
:2019/05/06(月) 00:26:51
モスクワプレオリンピック
レギュラーは横山、吉永、江上、池知、小川、水原です。キューバ戦、江上が調子悪く、清水が入り、キューバにフルセットで勝ちました。まだ広瀬、三屋はナショナルチームには選ばれてません。江上がベンチに下がった時は、ビックリしました。
5938
:
カルバハル
:2019/05/06(月) 01:13:05
春高校バレーボール
初のフルセットの決勝戦の準優勝キャプテンが須藤圭子です。美人センターです、優勝した博多女子商は岡松、木下、西川の大型チームでした。今でも高校バレーボール史上ナンバー1セッターと言われた。就実の金重千紗は素晴らしいセッターでした、
5939
:
岡本 すいか
:2019/05/06(月) 01:39:06
ありがとうございます。
おはようございます(!?)。真夜中に目が覚めてしまいまして…。
まだまだバレーボールの歴史(白球の長い旅)に関して新発見続々、実家には帰れませんでしたが、その意味ではいいGWでした。
当時、小島監督、妙に江上選手には辛口だったようですから。闘志が表面に出ないから?常に
『あれなら、うちの〇〇の方が上』というような言い回し。でも、江上選手は腐らずにレギュラーをキープし続けたようですね。
私事恐縮ながら、春高の常連・就実高ですから、私の上司は球拾いだったかもしれませんけど。よかったです、バレーボーラーがこんな間近にいたとは。うまくバレーボールの昔話をすれば、私の出世にもつながる(?!)。
木下選手、西川選手、鈴木ひとみ選手、荻原選手にはもう少し全日本でもユニチカでも定着してもらいたかったところでしょうか。そうすれば、広瀬選手が孤立しなくてもよかったのに…。
5940
:
岡本 すいか
:2019/05/06(月) 01:51:50
日立の「ロス五輪・ホープ」にも続々…
新発見といえば…。
昭和57年度、「100年に一度」「1強7弱(当時は8チームでした、失礼しました)」
とまでいわれた、日立の記録的独走、オールストレートの21連勝。その日立の「ロス五輪・ホープ」にも知られざるエピソードが…
・石田京子選手は姉弟選手。弟・成市選手は松下電器所属。
・杉山加代子選手は「牛乳王女」。1日500ml以上牛乳を飲んでしまうという。
・小高笑子選手は男子顔負けのパワー。君のパワーは10000ボルト、とも。
伝統の早朝練習に加え、ウェートトレーニングを重ねた賜物、のようでしたね。
5941
:
カルバハル
:2019/05/06(月) 08:55:28
オールストレート勝ち
100年に一度と言われてたんですか?知らなかったです。山田監督は移動の飛行機の時間を、前もって決めて選手にストレート勝ちしないと間に合わないようなプレッシャーをかけて試合させた事は、有名な話しです。オールストレート勝ちは、やはりモントリオールオリンピックの方が印象が強いです。
5942
:
カルバハル
:2019/05/06(月) 09:15:17
知らない人、知ってる人
https://mairi.me/find/word/q:%E3%83%90%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%83%AB
5943
:
岡本 すいか
:2019/05/06(月) 17:08:30
やはり、ギネスブック希望ですね…!
こんにちは。
カルバハルさん、ありがとうございます。
ようやく、10連休が終わりました。おっしゃるように、例年はこの連休後にその年の全日本が招集され、日ソ対抗などを皮切りに約6ヶ月間活動を続けるのが常でしたよね。しかし、五輪前年の切迫感がまったく感じられませんよね。東京五輪前年(昭和38年)、ロス五輪前年(昭和58年)などとは隔世の感があるのでしょうか。
昭和57年度からの日立・オールストレート優勝について。決して他チームも弱くなかったと思われます。ギネスブックかはともかく、これも、文字通り“かち”ある記録ではないでしょうか。久しぶり?山田総監督は問題発言をしたりとか、とかく物議も醸したようですが。
なお、日立は通常のオレンジのほか白のユニフォームも身に着けていたようです。意外でした。
モントリオール・オールパーフェクトについて。故・虫明亜呂無氏(作家)が大のバレーボールファンで、スコアシートをつけていたようです。「第3セット、JRN14−2URS」。…なるほど、道理でギネス的な圧勝のはずです。
5944
:
岡本 すいか
:2019/05/06(月) 17:21:39
1980年代の五輪ボイコットにもめげなかったソ連とキューバ
もう一件。
昭和55年夏、日本がモスクワ五輪に対してボイコットせざるを得なかったことは、こちらでも
繰り返されているかと思います。4年後、その報復の意味もあってか、ロス五輪には逆に
そのソ連、そしてキューバもボイコット。ソウル五輪もキューバは連続不参加でしたね。
他方、同大会結果的には「ソ連として最後の参加になった」代表は見事金メダル。ボイコットに負けませんでしたね。バルセロナ五輪では、12年ぶりにキューバが出場し、こちらも金メダル。
『ボイコットに負けた後遺症大有り、以後右肩下がりの』日本、女子バレーにとっては、泣くに泣けないモスクワ五輪ボイコットだったようですね…、今振り返っても。
5945
:
カルバハル
:2019/05/06(月) 18:36:25
モントリオール
一時は3セット10-0まで行きました。ソ連が1点取ったら場内、拍手喝采でした。シュチェチニーナがボールを腕から顔に当ててボールをレシーブしましたが審判はドリブルを取りませんでしたがだれも文句を言わなかったです。アナウンサーもドリブルを取らないと言っただけです。接戦だったら大問題ですが、全く問題にしませんでした。まさに圧勝でした。
5946
:
カルバハル
:2019/05/06(月) 20:06:47
岡本さん
江上一人しか日立から選ばれなかったと言われてますが女子バレーボールの闇の部分はご存知でしょうか?日本一のチームが主体でナショナルチームは構成されます。そうなると例えばユニチカが日本一のチームだとユニチカ主体のチームになります。しかしユニチカの選手より明らかに素質のある選手が日立に居たとしても日立は誰が認める江上以外は有望選手をナショナルチチに送らないとか実際にはあったんですよ。またレギュラー6人が絶対の強さで控えの有望な選手も試合に出れない位、層が厚くなっても有望に新人が他のチームで活躍出来ないように日立に入ればナショナルチームで活躍出来る近道だとか、まだ高校生に夢を持たせて入部させて、試合には出れない活躍出来る場がないけと移籍には厳しい規則があり有望選手を飼殺しにした前例は数々あるんですよ。今は移籍は安易に出来るようになりまりたが女子バレーボールは企業間のスカウトなどのタブーな事が沢山あります。代表的な例は四天王寺高校の大谷の入社でタブーな事が新聞、週刊誌に騒がれました。有望な選手は中学生の時から実業団が育成の為と称してお金が親に渡る事が頻繁にあります。大人の事情で潰れいった選手は沢山居ます。中学〜高校〜実業団と深いパイプは昔はあったんです。有望選手を送る送らないて話は当たり前にありました。女子バレーボールの負の歴史もあります。そらでも勝ってたんですが、最近は単独チームより選抜チームでナショナルチームは組まれてますが絶対的な練習時間が不足してます。
5947
:
カルバハル
:2019/05/06(月) 22:12:25
81年ワールドカップのメンバー
後に日本リーグで主役交代になるのに日立からは江上、三屋、杉山が参加しました。逆にユニチカからは荻原、西川、木下、若生と、悪いけど、そんなに戦力にならない選手が選ばれてます。女子バレーボールのナショナルチームは、あれ?何で選ばれるの?て選手が12名の枠に入ります。
5948
:
岡本 すいか
:2019/05/07(火) 01:03:32
悪い意味ではないのです…
こんばんは。
カルバハルさん、さすがにそれは知っているつもりです。美しい花にこそ、トゲがある。
無論、悪い意味ではなく
『クラボウ倉敷からひとり(白井)』
『日立からひとり(江上)』
『ユニチカからひとり(広瀬)』
とは、それだけ彼女らが偉大だからこそ、企業の壁さえ乗り越えて選出されているのだろうし、
また日本人的な“判官びいき”も呼び起こすのではないでしょうか。広瀬選手はその犠牲者、かもしれません…。(五輪、出場は6試合中3試合)ロス五輪後は、加齢と自軍の弱体化もあってかめっきり衰えたようです。
おっしゃる通り、上記の4選手(荻原、西川、木下、若生)は伸びなかった…。日立に追いつくどころか、突き放された大きな要因でしょう。
また、大谷選手の闇の部分(密約?)についても、月刊バレーボールどころか、一般紙さえ、それとはなく触れているようでした。
5949
:
岡本 すいか
:2019/05/07(火) 01:27:32
今更ながら、日本は優秀だったんですね
続けて。
昭和57年秋、世界選手権にて『日本が史上初のBクラスに転落』も、こちらでも幾度となく出ているかと思います。4位日本(小島孝治監督)のほか、6位ソ連も同時にカルポリ監督が辞任。まさに、女子バレーボール界における戦力分布図が一変した瞬間だったのでしょう。
同様に、既出の通り、ソ連はワールドカップ8位がありますから、文字通り日本だけはAクラス、どころか『金か銀』を死守していたのですが…。
監督交代後、ソ連の現場は今度のロス五輪こそ…!と意気込んだはずですが(予想通りとはいえ)モスクワ五輪での報復の意味の、ロス五輪不参加。
『悲劇…』と呼ばれないのは、ここが日本だから、だけだと思います。現場にとっては、それは悲劇に違いないはずです。
5950
:
カルバハル
:2019/05/07(火) 07:11:31
確かに
82年世界選手権で始めて4位で金メダルと銀メダル以外の成績になりました。その前は銀メダルでもビリと同じ扱いでした。それが普通に思えたのが実は異常ですよね。オリンピックに出場出来るのも立派な事ですが出場を逃したらアスリートがバレーボールを辞める事態が異常ですね。松村勝美が銀メダルなら、要らないて発言も、凄いです。後に松村も立派な銀メダルと思い直したのは救われたと思いますよ。
5951
:
アルタガモワ
:2019/05/07(火) 11:13:23
大谷選手・・・
あれだけ若くて山田監督から絶対の存在で・・・おまけにマスコミも「大谷しか居ない!」みたいな扱いでは本人には罪は無いけど要らない事とっぱわれて自分のプレーに専念出来て良かったですよね!
人間良い意味でも悪い意味でもあの当時の彼女の立場なら世間から調子こいてる!日立の選手達からは遠慮されてた存在だったでしょうね。
5952
:
カルバハル
:2019/05/07(火) 15:04:58
大谷とカネボウの件
全くバレーボールに興味が無い人で知ってますね。そこで、その後クリーンになってれば、良いんですが、その後、セクハラ、暴力、飼殺しなど、続いてました。男子は選抜チームてすが女子は、なかなか単独チーム強化から脱却されなかったです。シドニー後は、本当選抜チームになってきましたが、チームワークの点では、どっちが良いのか?結論は出ません。単独チーム主体でもミュンヘンやモスクワのメンバーはユニチカの核になる選手に肉付けしたチームでした。ユニチカが絶対王者では、なかったからだと思います。飯田、生沼がレギュラーでした。モスクワも吉永、江上、池知がレギュラーでしたから選抜チームには近い形です。選抜チームは個々の能力は高いですが絶対的な練習時間が不足してるのでチームワークが、出来るまで時間がかかります。
5953
:
アルタガモワ
:2019/05/07(火) 17:53:08
私は単独派
女子バレーって本当に女子独特の感情が入り乱れて旨く行くものも行かなくなったりするリスクの高いスポーツだと思います。だから阿吽の呼吸の出来た単独チームにほんの少し肉付けするか?或いは82年世界選手権日立とユニチカ主体の2つの全日本を造り控えレギュラーと言う使い方では無く「チャンネル2
」みたいなガラッとチームを使い分ける戦い方をしたらあと大会メダルが途切れた大会には成らなかった様な気がします。勿論センターだけは江上、三屋で。
前にも書きましたがセッター小川と対角小高に何をさせようとしたのでしょうか?
本当に勿体無い・・・あの大会って日本リーグ日立失セット0の完全優勝の後でしたっけ?
5954
:
カルバハル
:2019/05/07(火) 18:26:59
そーです。
既に国内でも勝てないユニチカ主体のチームで82年世界選手権のメンバーでした。中田、小高、三屋、江上、杉山、広瀬がレギュラーだったら、銅メダル以上は取れたかも?知れません。監督は山田監督です。控えは森田、横山、小川、水原、石田、佐藤裕子が残って欲しかったです。3位決定戦はアメリカに勝てたと思いますよ。残念
5955
:
アルタガモワ
:2019/05/07(火) 20:45:45
だって・・・
83年から日立主体にしたらアメリカ殆ど日本に負け越してましたもんね。
小川、あの当時の水原が力が落ちてたんじゃ無くてバレーの形が変わってアメリカが付いて行けなくなってた感じがします。
5956
:
岡本 すいか
:2019/05/07(火) 20:47:31
バレーボール界における「移籍」
こんばんは。
カルバハルさん、ありがとうございます。アルタガモワさん、久しぶりです。
大谷選手といえば、『あの人は今!?』的存在なのでしょうね。今の若い人は『プロ野球選手、それも投打二刀流の…』と答えるでしょうね。
カルバハルさん、その世界選手権は米田監督、山田総監督ではいけませんか?どうも、こちらでは米田監督が低評価なのが残念です。
さて、バレーボール界の移籍、につきまして。前所属チームの了解が必要だったですね。
ミュンヘン五輪直後の大古誠司選手(NKK→サントリー)と、白井選手(倉紡倉敷)。白井貴子「二十歳のころ」で、白井選手は『ある男子の大物選手の移籍が問題になって…』とありました。男子のほうも“ビッグ”だったんですね。
今は手軽にできるのは、プロだから、でしょう。『金(かね)には代えられない金、アマチュアリズム』
こそが尊かったように思いますが…。
カルバハルさん、アルタアモワさん
『バレーに興味のない一般人』リアルタイムではない(当時小1)だけにお耳が痛い…。
5957
:
岡本 すいか
:2019/05/07(火) 20:49:05
「〜から一人きりの…」はやめます
カルバハルさんへ。
どうも、この表現が引っ掛かったみたいですね。以後、この話題にはしないつもりです。
失礼しました。
5958
:
アルタガモワ
:2019/05/08(水) 07:08:42
カルバハル様、岡本様。
私はあまりお二人みたいな詳しい事はよく分からないのですが・・・確かに二十代前半?頃訳も分からず「白球の長い旅」を読んでいました・・・殆ど知らない選手達の事が書いてあったので正直辛かったのを思い出しました。こう言った選手達の現役時代を知っていればつらつら読めて楽しかったのでしょうが・・・。
でも、カルバハル様が仰る通りモントリオールバレーで日本は取り敢えず終わっていたのでしょうね。
矢野選手が23歳で引退なんて今でもそして私の好きなロス、ソウル辺りでも考えられない年齢ですね!
現代で23歳と言えば今で言う古賀選手辺りですか?
古賀選手をけなす気にはなれませんがおう言う時代なんですね。
しなやかな彼女にはレセプション、繋ぎを洗礼してライトのポジションに以降してクイック、ブロードそして従来のバックアタックを打って欲しいです。
5959
:
カルバハル
:2019/05/08(水) 07:10:28
ワールドカップ81当時の日本は
高さやパワーだけの攻撃のあるチームには強かったです。ソ連やキューバなど、中国やアメリカなど、ある程度、守備が良いチームには結局、最後は高さとパワーで、やられた感じです。相性もありますが守備の良いチームには、苦戦しました。ユニチカ型チームは確かに守備は良いてすが日立型のチームと比べて決めてが少なかったと思いますよ、また監督が米田、岩本、生沼、宗内に変わろうと山田監督の院政体制です。ユニチカの吉田監督も小島監督の院政ですね。葛和監督になり院政はなくなった感じですが主体はNECに肉付けチームでしたが単独チームの限界を感じました。怪我人が出ると穴を埋めきれない事態になりキャリアのない選手が最終予選で挑んでシドニーにはいけなくなったのも原因です。その後は柳本監督、真鍋監督と男子バレー出身者を監督にして、比較的しがらみの少ない監督を入れて、シドニーに行けなかった事で、お家の一大事みたいになり吉原入れたり合宿の期間を長くしたりデーターバレーでデーターで公平な人事にたりしてロンドンで、やっと少し花が咲いた感じがしましたが、リオオリンピックでロンドンより成績が悪くなり女子バレーの良い面、悪い面を身を持って知ってる中田久美が監督になり時代は女子バレーの悪い部分、実力より監督の考えを何処まで理解してるかで人員を選択して単独チームじゃもはや世界に全く通じない事態で久光製薬で固めようしてる割にはセッターは決まらない合宿は期間が少ないし、戦術、戦略は分業としてコーチに丸投げしたバレーボールになったでしょう。
5960
:
アルタガモワ
:2019/05/08(水) 07:50:54
ビデオで見る限り
81ワールドカップの日本のコンビは小川-水原と江上単独のクイック、一人時間差で対抗していて肝心の樹理は明らかに下降線でしたよね・・・。
当時充実していなかったソ連には楽勝でしたがアメリカには・・・そしてダメ元でやった中国には良い試合出来てもそれは失うものが無く思いっきり出来たからだと思います。ラスト中国とも言い試合したけど結局はそこまででしたよね。
83年のアジア選手権の時は一番の目的は韓国を破りロス五輪出場でしたがあの時の日本て中国に対して無いの欲もなくただ伸び伸びやった結果想像以上に良いバレーが出来た結果優勝!って感じでしたよね。
「何がなんでも勝たねばならぬ!」と言うのも大切な事かも知れませんが力を抜いて自然な雰囲気でやるのも1つの方法なのかもしれませんね。
5961
:
カルバハル
:2019/05/08(水) 08:55:59
コンビバレーは
明らかに小川より中田の方が引き出しが多かったです。ロスまでは下級生だからセッターには向いてない性格も、押さえられたけど、その後の中田のトスは、性格の悪さがトスワークにも出てます。
5962
:
アルタガモワ
:2019/05/08(水) 09:03:15
中田のトス回しが
アホの一つ覚えじゃ無かったらロス本番あんな感じでは負けなかった気がします。ロスに限らずソウルもいつも最初から最後まで一番決まる選手にしかトス上げないの素人からみても分かりますもんね!江上、三屋はしんどかったし小高、杉山は「何でここで使ってくれないんだ」と自信喪失に繋がったと思います。
5963
:
カルバハル
:2019/05/08(水) 09:50:44
勝負ところ
中田はトスは決めるとこに上げます。ロスの立ちあがりセンターを使い梁 艷に連続ブロックされて、一気にペース持っていかれてます。ソウルの終盤も廣にしかボール上げなくペルーに、バレバレでした。ロスの立ちあがりは、メキシコのソ連戦で高山やスモレーワにいきなりブロックされてたのとダブります。中田は強気で、やられたら、やれ返すとか決まるまで上げるとかセッターとしては、性格的に、よろしくないです。
5964
:
岡本 すいか
:2019/05/08(水) 21:16:58
神様、仏様、江上改め丸山様ですね。
こんばんは。
カルバハルさん、アルタガモワさん、『形から入っている、リアルタイムでもない素人』の
発言をお許しください。
どうしても、
・年代・服装(ブルマー・背番号・ボールの色)
・所属(地域)
・人間関係(派閥)
・アマチュアリズム(プロ化反対者です、普段はなんでもない会社員が、コートに立てばカネではないきんメダリストになるから面白い)
には、ついつい拘ってしまうのです。
『面白くて、勝てれば、年代なんか関係ない。いいものはいつでもいいの』
とはごもっともな意見でしょうか。わたくしは最近の選手なんか、誰も知りません。
永遠の昭和50年代のバレー界の住人なのです。…それでも、素人から見てもこの年代が面白い!
以上、私論失礼しました。
さて、「神様・仏様・江上様」とまで敬愛された江上(改め丸山)由美選手。さすがですね、
日本女子におけるプレイングマネジャー第一号。既に、ママ選手は日本でもいましたが(田中克子選手=ダイエー)。もしかしたら、丸山選手もママだったかも。お嬢さんがいくつかは存じませんが…。これこそ、「神様、仏様、江上改め丸山様」の面目躍如でしょう。
ここで、食傷をお許しいただければ。また背番号の話題で。3番は意外でした。年齢順でもないだろうに。やっぱり、江上選手といえば、全日本と同じ「1番」のイメージが強いですから。
ただし、蒸し返すようですが、57年秋の世界選手権では、これまた意外にも「4番」だったようですね。
さすがに、山田財閥は、小田急にまでは入り込まないように思われますが、皆さんはどのようにご覧になりましたか。
5965
:
岡本 すいか
:2019/05/09(木) 05:29:01
日本テレビ「波乱万丈…」に出演希望の“ビッグ”
皆様おはようございます。
日本テレビについて、『バレーボールに非協力的…』とか『グラチャンは日テレの社内球技大会』とか、とかく批判ばかりしてしまっている私で恐縮です。
その同局に、白井貴子選手に相応しい長寿番組(今も放送されている?私はテレビを見ない人間ですが、もし出てくれるのなら…)があるのです。「いつみても波瀾万丈」。
白井選手こそ、“波瀾万丈にふさわしい”(バレー)人生と思います。ここでは、現役時代の話題のみですが、コートに出る前、対照的にコートから離れてからも…。
正直「黒歴史」になっているであろうところまでは詮索する気はございませんが。
白井選手も(裏金、暴力、セクハラとはまた別な意味で)引退後にも第二幕、第三幕があったようですね。
5966
:
カルバハル
:2019/05/09(木) 07:49:24
ユニフォーム
年齢順は、おそらく費用がかかるから辞めたと思います。昔はチームでユニフォームは使い回してましたが、個人支給になりサイズも合うし、いちいち選手が怪我で登録抹消したり辞めたり年長の者が引退したして作り直す費用がかかるからかなあ?と思います。白井も日立で復帰した時は大きな背番号をつけてました。またユニフォームも個人ネームが入り完全に支給になりましたから費用負担を減らしたんてしょう。年齢順は良い習慣ですがなくなりました。また女子は試合用のユニフォームを練習にはあまり使わない習慣でした。男子はナショナルチームのユニフォームは練習で着てます。男子は昔はから年齢順でないからかも知れません。女子は年齢順なんで試合用のユニフォームは使い回しなのか練習では使わなかったです。
5967
:
カルバハル
:2019/05/09(木) 08:38:34
結婚して現役続けてのは
メキシコオリンピックの高山が最初かも?知れません。しかし子供が出来たら引退しました。ママもやって一流アスリートを続けるのは大変でしょう。荒木には可能性な限り続けて欲しいです。
5968
:
岡本 すいか
:2019/05/09(木) 19:52:49
荒木選手には因縁を感じます(イイ意味の)
こんばんは。
カルバハルさん、高山選手だったとは知りませんでした。ありがとうございます。
まず、私が挙げた「いつみても…」はもう終わっていました。平成20年秋ですから、11年前。
白井選手には出演してもらいたかったです。
その平成20年は年女(24歳)だった、バリバリ元気であったろう荒木絵里香選手。
昭和59年8月3日生まれ。ちょうど、全日本がロス五輪で奮闘しているさなかに生まれた。それだけでも、因縁が感じられます(私的には、ですが)。来年は年女、36歳。更に、主な背番号5…といいますから、栄光の5番です。
「松村好子→小野沢愛子→生沼スミエ→白井貴子→石田京子…」
(五輪、それもロスまでで恐縮です。勝手ながら、幻に終わったモスクワは入れませんでした)
と綺羅星のごとくのスター群。
私と同世代のかおる姫・鈴木洋美・高橋みゆきともそんなに年も離れていないですから(6歳差)、もしかしたら全日本でも一緒だったかもしれませんね。
珍しく、近年の選手では知っている稀有な存在です。イイ意味での因縁が感じられますので、
今後注目していきます。
高山選手に戻ります、日本女子の既婚第一号、高山さんから見たら、同期入社の生沼さんは、ある意味バケモノなのかも?
5969
:
岡本 すいか
:2019/05/09(木) 20:09:32
小学生バレーまで挙げていた「月刊バレーボール」
もう一件失礼します。
過日、小学生バレーチーム「小日向エンジェルス」について挙げさせていただきましたところ、カルバハルさんは『判らないけど…』とのご返事。さすがに、小学生バレーまではご関心が…とは思いつつも、HPはありましたので、調べさせていただきました(検索ワードにもかかります)。
昭和47年夏創立ですから、かなりの伝統チームです。総監督、小林あつ子さんは小学生バレー連盟の役員のようです。昭和58年当時の月刊バレーボールには「わんぱくバレー道場」として連載されていました。
小学生バレーから全日本まで、「当時の」月刊バレーボールは熱意を持って取材されていたのですが…。だからこそ、『バレーボールにおける、年間最高試合(年録1982年度より。
といっても、ほぼ全日本が該当しますが)』などの企画が組めるのでしょう。
5970
:
カルバハル
:2019/05/10(金) 13:59:32
生沼スミ江
二人暮らしの母親が身体が弱くお嫁に行かなかったと言った話しがあります。また引退後、ママさんバレーの指導や普及、テレビ解説など、バリバリに働いてました。高山が生沼と山田監督との関係性に特別なものがあったような事を奥歯にものが挟まったような言い方で話してました。山田監督の愛人なのかと思っちゃいますが?実際は?三鷹高校〜日立に入り、ミュンヘンで引退しても日立の若手を引き連れてナショナルチームと同行して手伝っだってましたが、どーなんでしょうか?その昔は東の生沼、西の礒辺と言われたプレーヤーです。フライングレシーブとブロックが上手なセッター兼センターです。真にオールラウンドーの選手は生沼が最高のプレーヤーです。
5971
:
アルタガモワ
:2019/05/10(金) 14:12:50
生沼さん・・・
数年前死亡説までありましたね。私の中の生沼さんと言えばもう解説者の大堂の方でした。
バレーを知らない人達には持ってこいの解説者でしたね。
私個人は皆が嫌いな荒木田さんの解説が好きでした。
5972
:
カルバハル
:2019/05/10(金) 15:14:18
荒木田裕子
春高バレーでスターになり、日立に入社してアタッカーなら、まあまあセッター修行して再びアタッカーに戻った時はレギュラーに席はなかった選手です。三冠王のメンバーですがチームには必要なのか?のベンチウォーマーです。ソウルのテレビ解説は、良かったと思いますが、解説者としても、イマイチ定着しませんね。バレーボール協会の人てイメージが強いです。どっち付かず、中途半端なイメージてす。生沼さんの解説は、バレーボールの解説者と言うより女子バレーボールの解説者or応援者て感じで冷静沈着な解説者とは違う感じがしました。
5973
:
岡本 すいか
:2019/05/10(金) 21:14:35
ユニチカ出身の女性監督希望!
こんばんは。
初めて、こちらに私が伺ったとき『恥ずかしながら、初めて知った』という生沼スミエさんには、今やすっかりハマってしまいました。私事ながら、私の父と同じ今年73歳になる昭和21年生まれ。そのルックス、難読の苗字とカタカナの名前、そしてオールラウンドプレーヤー、更には全日本史上初の女性、戦後生まれ、そして五輪メダリスト監督。もっといえば『スポーツにはハンディキャップ大』の都立高出身。何度も繰り返すようで恐縮です。
宿敵・ユニチカの選手には受け入れられたのだろうか、という心配も、広瀬選手が賛成しているとあれば、ノープロブレム、でしたね。協会の圧力?により米田監督と交替させられた?
個人的には米田監督もお気に入りですので、複雑ではありますが…。
さて、そのユニチカからは、?リーグや全日本・女性監督は登場しないのでしょうか。私は横山樹理監督、水原理枝子監督、そして広瀬美代子監督など見てみたかったように思いましたが、
皆、いすれもお年(アラカン以上)ですものね…。どうでしょう、全日本現・中田久美監督よりも、「中西千枝子監督」などはいかがでしょう?あくまで私案ですが…。
ユニチカ出身の女性監督なら、天国の小島孝治監督も喜ぶ?でしょうか。
5974
:
岡本 すいか
:2019/05/10(金) 21:29:01
バレーボールの変遷を見た思い…
もう一件。
先の10連休中、拙宅・駒沢公園に隣接している大学に、山形県のとある私学が練習試合ORが合宿?に見えていました。そこは、バレーボールはそれほど強豪でもないようですが。その山形県私学のバレーボール部員が手にしていた「IRUMAGAWA」と刻印されていたそのボール、カラーボールだったところに、歴史が感じられます。埼玉県の入間川、バレーボールの製造業者名だったんですね。無論、その高校も、ユニフォームはハーブパンツ、でしたね。男性諸氏は『目の保養』にならない?
大型連休や夏休みなど。高校と大学とでも、共同合宿などしているのでしょうか。
5975
:
カルバハル
:2019/05/10(金) 22:17:44
女工愛し
女子バレーボールは糸へんの紡績工場のリクリェーションに適してたと言われてます。女工愛しから、俺についてこい、根性とか、金メダルは、とっても、スパルタで、なんとなく哀愁みたいな女性差別的に感じも匂います。山田監督は、そんな雰囲気が嫌いで当初は明るく、楽しくをモットーに日立武蔵を創設しました。女性を尊重してた事から始まりましたが、晩年は残念な話しが出てますがオレンジのユニフォームで表現してるように女性バレーの地位を上げる意味もあります。日立の選手は指導者に行った選手が多いですへね。高山も茨城県の強豪校のコーチしてました。三屋、廣、中田、宮島、吉原、多治見も指導者になりました。ユニチカは、どちらかと言うと家庭に入り子育ての手が放れたらバレーボールの指導のお手伝いて感じです。塩川はユニチカ退社後、日体大に進学して本格的な指導者になりました。どっちが良いかは判りませんが女子バレーは一人の男性の指導者が居てハーレム的な組織の方が強くなるとは言われてます。何故だか判りませんが現実に今の中田ジャパンは、全く期待感がない弱いイメージです。女子が女子を指導するのは女子の事情を詳しいだけに厳しいのかも?知れませんね。
5976
:
カルバハル
:2019/05/10(金) 22:25:45
黒鷲旗
https://youtu.be/_nLWBXVsA3o
これ決勝戦とは思えませんね。客席ガラガラ、
5977
:
岡本 すいか
:2019/05/11(土) 02:16:12
”生沼スマイル”の裏には…
こんばんは。
カルバハルさん、ありがとうございます。
かつて(ちょうど、山田氏がお亡くなりになった頃でしょうか)。婦人公論には生沼さんが
インタビューに応じていましたね。私的には、生沼さんは笑顔の神様と思っています。
現役時代〜監督時代〜解説者時代、と、いつも笑顔。
昭和43年春、日ソ対抗(日立武蔵単独)の試合前でも、唯一笑顔の背番号3番。さすがに、ミュンヘン五輪の決勝戦直後だけはそうはいかなかったようですが…。悔し涙にむせて
引き上げる白井選手(12番)の真横に、悄然とする生沼選手(5番)、という写真はお馴染みの構図、と思います。
短期ではありましたが、監督時代も笑顔を絶やさず。なにしろ、ワーストのBクラス直後でしたから、多少は意図的だったのかもしれませんが、特に若手の選手は伸び伸びプレーできたようです。
最後に。解説者としてもその笑顔はお馴染みだったかと思いますが、皆様おっしゃるように、
どちらかといえば、応援団長的、だったようですね(笑)。しかも、顔は笑っていても目は笑っておらず、結構厳しい指摘も。秘蔵っ子・杉山加選手などは、そのお人よしさを
『もっと自信を持って…!』と言われ続けたようです。
5978
:
岡本 すいか
:2019/05/11(土) 02:29:46
日本テレビの専属解説者にしてもらいたかった荒木田裕子さん
続けて。
これも繰り返させていただいて恐縮ながら、グラチャン発足までは、バレーボールの主大会や
日本リーグ、ほぼ生中継がなかったようだった日本テレビ。
荒木田裕子さんは、特定の放送局とではなく、フリー?で解説されていたようですね。生沼さんがフジテレビ専属だったのとは好対照。
日本テレビも、バレーボール生中継すればよかったのに。視聴率が稼げたと思われます、当時なら。プロ野球同様、専属の解説者をつけて。そのポストにこそ、荒木田さんは適任だったのかもしれません。
5979
:
カルバハル
:2019/05/11(土) 07:00:31
荒木田裕子
バレーボール協会の人だから、解説は控えてるんでしょうか?選手の細かな内容は昔は月間バレーボールをすみから、すみまで、読むと良く使われた内容もありました。それだけ昔の専門誌は、細かく取材してました。今は読むと言うよりパラパラ立ち読み程度でお金を出して買う事に値しない内容です。女性の人が編集長らしいですが、よくまあ、あんな雑誌を商品としてお金を出して売ろうとしてます。商品なら粗悪品です。また最近の解説は大山やしてますが、鼻の詰まったような声で解説しますが話題も少なく、ただの解説者で聴きにくいし、つまらないし、テレビを見る気がを削ぐ感じです。もっと細かく事前に取材して欲しいです。マラソンの増田明美さんのような決め細かな解説者はバレーボールには、まだ現れませんね。個人的には男性の解説者の真鍋、柳本が、まあまあ他よりマシかな?竹下は、あまり積極的な解説者でないです。アナウンサーに聞かれた事を、応える感じです。バレーボール界の増田明美が出て欲しいです。
5980
:
カルバハル
:2019/05/11(土) 12:39:42
生沼さんの前は
女子バレーボールの解説者は前田 豊がお馴染みでした。まあ日本のバレーボールの創成期の偉人ですから、偉そうな感じの解説者でした。それは、それで良かったです。
5981
:
カルバハル
:2019/05/11(土) 12:42:46
個人的には
八王子実践の菊間監督の解説を見たかったです。ベンチで怒ってる姿ばかりみてましたから解説したら、どんな解説するんでしょうね?
5982
:
アルタガモワ
:2019/05/11(土) 13:35:06
菊間監督・・・
私個人はいつもコタツに入っててやたら選手をどやすあまり好きではない印象の人です。
5983
:
岡本 すいか
:2019/05/11(土) 17:07:33
娘・千乃アナのレポート聞きたかったですね
こんにちは。
アルタガモワさんへ
菊間監督は、お嬢さん・千乃(ゆき)さんはフジテレビ・アナウンサーだったことはご存知でしょうか。実力は無論のこと、年代的にも解説・生沼スミエ、実況・菊間千乃…とかは無理なのかなあ(平成7年入社ですから、?リーグ移行後、既にバレーボール斜陽期、生沼さんが解説を続けていたかも怪しい時期)。
5984
:
アルタガモワ
:2019/05/11(土) 17:10:41
朝のレポート時・・・
ストーンと不慮の事故に遇われましたもんね。
5985
:
岡本 すいか
:2019/05/11(土) 17:15:25
そうです…
アルタガモワさんへ
おっしゃるとおり。アナとしても、これからだった入社4年目の2月に。奇しくも、交際相手?とされていた、西武ライオンズの高木大成選手も、ほぼ同時期にケガ。彼の病室に献身的看病に向かう菊間アナの姿が激写されたものでした。
高木大選手にしても、その事故後には伸び悩んでしまった…。「ポスト清原」「プリンスオブレオ」(むろん、長打力はありませんが)の正一塁手だったんですが。
5986
:
カルバハル
:2019/05/11(土) 20:46:36
菊間監督
息子と娘が居て息子は、のんびりタイプで娘は気が強いと言われてました。アナウンサーとしては、感じの良い女性でした。弁護士に転身したようですが、社会で活躍してると思います。菊間アナウンサーと菊間監督のコンビの解説も見たかったですね。普段は、怖い監督だけど、寮で生徒と暮らすと時は、優しいおじいちゃんと言われてました。沢山の名選手を育てましたが実業団の監督には、ならなかった菊間監督ですが、学校では地理の先生なんですよね。授業は、どんな教え方なんでしょうか?コートの怖い菊間監督しか知らないですが、生徒はついていってるのは、何かあるんでしょう。カルポリ監督と、真っ赤になって怒ってるところ知りませんが、怒ってばかりじゃ誰もついていきません。
5987
:
岡本 すいか
:2019/05/11(土) 23:17:10
教え子にとっては、監督より「菊間先生」でしょう
こんばんは。
カルバハルさん、ありがとうございます。
男子バレーの岩田稔選手も教わったそうな、星稜高野球部・山下智茂監督。かの松井秀喜選手の
お師匠様としてはあまりにも有名です。サッカーの本田圭佑選手も教え子の一人だったといいます。松井選手にとっても、野球部の監督よりも『山下先生』。同じく、地理の先生なのです。
星稜高は、バレーボールは強くはないでしょうが、岩田選手ほどの選手も輩出されたようです。無論、野球のほうは、岩田選手と同年代では小松辰雄投手(中日)なども有名ですが。
5988
:
菊間監督
:2019/05/12(日) 00:42:41
苦学生だった。
中央大学に入学してもアルバイトに追われてバレーボールは大学生時代は出来なかったらしいです。始めて全国制覇したのは和歌山の御坊インターハイです。その時に、やっと認められて、それまでは中学の先生から、お前には、これ以上、優秀な生徒を送らないと言われて全国制覇を、やっと出来て感無量だぅたらしいです。決勝戦の相手は同じ東京代表の中村高校です。中村高校は183?の後にヤシカで活躍した永野選手が居ましたが八王子実践が勝ちました。菊間監督が高校バレー界で名監督としての地位を確保したのは、やはり須藤佳代子を要した五大会連続優勝からでしょう。それまで高校女子バレーは春夏連続優勝すら、無かったです。また四天王寺高校の方が全国制覇は多いですが監督が3代に渡りの記録ですが監督一代の記録では菊間監督が最多優勝記録を持ってます。私は須藤佳代子の居る八王子実践は実際に見ましたが須藤のスパイクは、面白いように決まりました。今でも高校バレー界で歴代No.1アタッカーだと思います。また、その時の八王子実践がピンチになると、彗星の如く活躍するのが山口敦子でした。ドライブサーブを印象的でした。対戦チームは須藤に決められても仕方ないけど、山口のスパイクは拾えと言われてましたが、そらが、なかなか出来なかったです。全く負けると思いませんでしたが茨城国体で博多女子商業に負けて、あの強い八王子実践も負けるんだと思いました。優勝したのは博多女子商業ですが徳丸監督は、私が作ったチームで一番強いチームと言ってました。その前に酒田インターハイで横山要して優勝してますが、そのチームより強い言ってました。如何に須藤佳代子の居た八王子実践が強かったか判ると思います。当時の専門誌には驚異の五大会連続優勝とインターハイを制した時に記載されて国体前も、八王子実践の特集があり体育館に横断幕があり、目指せ二年連続三冠王とかかれてるました。男子は中央大学付属、崇徳、大商大付属とか三冠王のチームは、既にいましたが二年連続三冠王は、なかったので特集になりました。破竹の勢いの八王子実践が負けた後、菊間監督は連続記録が途切れ、ガッカリするより、いつか、この日が来ると思ってたので、ホッとしたと感想を述べてました。全国大会準優勝だと表彰状を破り棄てる菊間監督が、そんな事を言ったんですから、圧倒的な強さがありました。
5989
:
カルバハル
:2019/05/12(日) 00:52:46
菊間監督
自分の著書でも須藤佳代子率いたチームが一番印象があったようです。茨城国体で負けた原因は、チーム内で、ちょっとしたイザコザがあったらしく試合でトスを須藤に上げなかった事が原因みたいです。その後、菊間監督は、その時は、大した事でなくったから、ほっぽっていましたが、よく話し合って、関与してたら負けなかったとも言ってました。やはりバレーボールはチームワークが大切だと思いました。特に女子は細かく気を使わないと駄目と言ってましたが試合でタイムアウトを取った時の菊間監督からは、想像出来ません。
5990
:
岡本 すいか
:2019/05/12(日) 05:38:59
苦学生だったとは…
おはようございます。
カルバハルさん、ありがとうございます。菊間監督、苦労された経験が、監督時代の猛練習に
つながっていったとは…。でも、意外には思いません。お嬢さんは、割にエレガンスな印象の
「女子アナ」でしたが。下記させていただいた星稜高・野球部の山下監督にもつながるところがありますね。
須藤選手、それほど評価されていたのに、けがが…。新人賞はよかったのですが、予想以上に
早期の引退だったようですね。
5991
:
カルバハル
:2019/05/12(日) 08:40:15
須藤佳代子
日立が猛烈に勧誘ひましたが富士フィルムに入社したのが選手生命を短くしたと思います。富士フィルムでは。やはり須藤に多くボールが回ります。結局、打数が多かったり、無理して出場したり膝を手術しても十分回復しないで試合に出たりとか富士フィルムの選手層が薄いのが須藤の選手生命を短くしたと思います。日立に入社してればロスオリンピックまでは現役だったと思います。キャプテンは須藤だったと思いますよ。何故なら第一回世界ジュニア3位の時は須藤がキャプテンでした。今では考えられませんが韓国、中国、日本が、それぞれ1勝1敗の三すくみでセット率で日本は3位です優勝は韓国、そのメンバーに江上も居ました。富士フィルムの須藤も池知も早く引退しました。優勝、韓国には朴 美姫が14才で出てます。他には中国の天安門ブロックと言われた周 暁蘭が居ました。周 暁蘭は専門誌では将来性No.1と紹介されてました。須藤佳代子は江上より1学年上ですから活躍出来たでしょうね。残念です。
5992
:
カルバハル
:2019/05/12(日) 08:50:11
期待の
白井引退後、横山、須藤のエース対角で3大大会の活躍は78年世界選手2位の時だけです。ワールドカップ77の金メダルは持ってます。日立に入社してたら、多分、荒木田の代わりに須藤がモントリオールのメンバーに入ってたと思いますよ。須藤と横山のエース対角のは須藤はまだ若く安定したスパイクはなかったです。富士フィルムに入社した大物は須藤、池知、キャロル松尾ですね。セッターは第6回、春高優勝したエースの岡村でした。キャロル松尾も八王子実践の卒業生で八王子実践と富士フィルムの繋がりは日立より古い繋がりです。
5993
:
カルバハル
:2019/05/12(日) 11:54:11
菊間監督
若い指導者が八王子実践のバレー部を勉強して練習後、菊間監督が寮も見ますかと言うと、これで十分でと言って帰る指導者は必ず失敗する事が多いと言ってました。生徒の指導はコートだけではないと菊間監督は言いたげな事を著書に書いてありました。おそらく、カルポリ監督も同じだと思いますよ。怒ってばかりいても人は、ついて行きません。裏でフォローしてるんでしょう。また菊間監督は春高校バレーで、情けない試合をして負けたら選手を歩いて代々木から八王子まで歩かせて帰らせた話も有名ですが、親御さんから預かってる生徒を歩かせたけど、何かあると大変な事になるから、背後で隠れて見守ってたと聞いてます。
5994
:
岡本 すいか
:2019/05/12(日) 20:05:07
北海道芦別市は全日本バレーの「ホームタウン」
こんばんは。
カルバハルさん、先刻ご存知かと思います。全日本女子バレーにはホームタウンがあるそうです。北海道芦別市。平成10年、かおる姫・鈴木洋美・高橋みゆき(私と同学年)の
「バレー・ロスト世代」が二十歳の時。
鈴木洋美によれば、葛和監督は厳しい練習で、芦別市はつらい思い出だった、と。彼女自身は、ワールドカップで活躍しましたが、チームがシドニー五輪に不出場(ボイコットのモスクワ以外では史上ワースト)ではね…。バレーボールマガジン(昭和50年代とは別扱い)の
「カーテンコール」より抜粋。現在は、鈴木は一専業主婦のようです。バレーボール選手経験者にとっては一般的な。
最後に。バレー黄金期(私的なだけ?)と北海道といえば、昭和55年夏モスクワボイコットの
無念を知らされたのも北海道合宿中だったようですし、翌年にはワールドカップも北海道でも
行われたようですね(苫小牧市体育館)。
5995
:
岡本 すいか
:2019/05/12(日) 20:47:01
ヤシカ・船山監督は『先生』?
もう一件失礼します。
バレーボール、女子チームは、親子ほど年齢差のある中年の男性監督のほうが成功しやすい、とはカルバハルさんの見方でした。山田・小島両監督ともその通り。文字通り、教員経験者でもありますし。大松監督も、教員経験こそありませんが、いわゆる“東洋の魔女”にとっては『大松先生』だったようです。
それでは、彼らとはライバルだった、ヤシカ・船山浩志監督はどうだったのでしょうか。岩原豊子選手、小野沢愛子選手、飯田高子選手(同学年なんですね)らは呼び方『船山先生』だったのでしょうか。主旨は大松・山田・小島各々監督と同じなのでしょう。
最後に。私のお気に入りの米田監督は、ロス五輪当時『ヨネさん』『米田さん』みたいでした。荒木田選手、江上選手、三屋選手ら年齢の近い選手(教え子)からは、監督とは呼ばれていないみたい…。
5996
:
カルバハル
:2019/05/12(日) 21:41:36
バレーボールのホームタウンは知りませんでした。
モスクワオリンピックは最後は北海道の美幌峠で記念写真撮影して解散した話は有名ですね。メキシコ、ミュンヘンと金メダルを奪回出来なかった悔しさより出場さへ出来ないのは虚しいです。三屋は世の中、どんなに努力しても叶わない事て有るんだなと感じたと言ってました。可哀想ですね。船山さんも先生ではないかと思いますよ。個人的には生沼がメキシコで王者からソ連に負けて転落して引退して復帰してミュンヘンで再び銀メダルで両オリンピックとも唯一レギュラー選手だったんで無念を感じましたが、今から思えば凄い選手だなと思いました。メキシコオリンピックは東京オリンピック参加した選手は一人も居ませんので二大会連続は生沼、浜、岩原、古川と4人、東京オリンピック参加した松村が二回目のオリンピックですが2大会連続レギュラーは生沼だけですからね。モントリオールの金メダルリストの飯田も岡本も白井も二大会連続レギュラーではないです。因みに古川は小野沢の兄と結婚したんですよね。ライバルチームの選手ですが世の中、分かりませんね。
5997
:
岡本 すいか
:2019/05/13(月) 05:40:13
「船山先生」なのですね…
おはようございます。
カルバハルさん、ありがとうございます。やはり『船山先生』なのですね。過日おっしゃっていた塩川選手(現姓・古橋)もその一人としていたのではないでしょうか。『いつか、必ず再会しようね…!』と。22年後、ひたちなか市体育館で再会されたのでしょうか。日立、ユニチカともなく、相手のソ連はロシアになっていた。選手たちは、この「22年間」の無常をいやというほど思い知らされてしまったと思います。なんの罪もないのに…。
生沼選手が一度引退→復帰とは初耳でした。やはり『金(メダル)以外は…』の世論の犠牲になったのでしょうか。
余談恐縮ながら、プロ野球ファンの私は、どうも同日の誕生日の選手と比較してしまう。両者にはなんの面識もない(だろう)のに…。
古川選手は、星野仙一投手(当時中日。のち阪神・楽天監督。故人)と、
浜恵子選手は、福本豊選手(阪急。ミュンヘン五輪の昭和47年にはシーズン106盗塁。背番号7も同じ)
最後に。現・全日本監督は水野雄仁コーチ(巨人)と同日です。現役時代(特に十代)はアイドル→今は無鉄砲な指導者なのも共通項?。
5998
:
カルバハル
:2019/05/13(月) 17:04:36
メキシコオリンピックで負けて
当時のレギュラー高山も子供が出来て引退、福中、小島、宍倉、井上、生沼と引退しましたがミュンヘンの一年前に宍倉と生沼が弱くなった日立の再建に復帰しました。生沼は、その後、ナショナルチームに選ばれてミュンヘンオリンピックに出てます。70年のブルガリアの世界選手は引退してたのでナショナルチームには選らばれてません。松村の対角は岩原がつとめました。70年の世界選手権のレギュラーは松村、岩原、山下、小野沢、古川、浜です。古川は怪我をして飯田がユニバーシアードから合流して活躍しました。
5999
:
岡本 すいか
:2019/05/13(月) 20:25:25
ユニチカは西日本出身ばかり…は無知でした
こんばんは。
カルバハルさん、ありがとうございます。
大松監督…小島・山田監督とは対照的に、コートを離れてから、ある意味ホンモノの?『先生』になっていますね。通称『先生』の国会議員ですね。昭和43年夏、後任の小島監督がユニチカの若返りに苦労しているさなか。まるで、後進を叱咤しているようだった…と。
(月刊バレーボール「白球の長い旅」昭和59年9月号より)
私的には、ユニチカは西日本出身者がほとんどのバレーボール部と思っていたのです。
その43年秋のメキシコ五輪には選ばれず、ミュンヘンが8年ぶりになった松村勝美選手(四天王寺高出身)は小島監督の高校時代からの教え子。4年に1度の五輪で『8年ぶり』は珍しいですよね。不参加でもボイコットでもないのに。それだけ、現役を長く続けている証。
ちょうど、男子の中村祐造選手もメキシコ五輪は選ばれず、ミュンヘンが8年ぶりだったのも因縁、でしょうか。
その松村勝選手を皮切りに、横山樹理選手(福岡県)、水原理枝子選手(鳥取県)、そして広瀬美代子選手(兵庫県)と。
※日立から移籍の島影選手は例外ですが。
そんな中、千葉県出身の古川選手は希少な存在、と思っていたのですが、それは単なる私の無知に過ぎなかったようです。既に、“東洋の魔女”からして、河西昌枝選手は山梨県出身、
半田百合子選手も栃木県出身(ニチボー東京工場からの異動組)、と東日本出身者がいるのです。
最後に。主将になった広瀬選手の足を引っ張ってしまった?伸び悩んだ後輩の若生美喜子選手、鈴木ひとみ選手とも、ユニチカでは希少な?北海道出身者のようです。
6000
:
岡本 すいか
:2019/05/13(月) 20:56:31
「柔よく剛を制す」魅力を教えてくれたタイト選手
もう一件失礼します。
生沼選手同様、ペルーのタイト選手も、皆様が教えてくれるまではその存在さえ知りませんでした。それほど、長身(公称1m72cm)でも、剛力でもないサウスポー。
私自身、スピードの出ない軟式テニスの経験者なので、特に「柔よく剛を…」とは思い知られていました。後衛専任の私は(軟式テニスは必ず2人。更に、私の競技当時は前衛・後衛固定でした)バレーボールにおける、木の葉サーブのような、揺れて落ちるサーブを打っていました。
いわゆるへなちょこサーブでしたが…。
そんなペルーのバレーボールの源流になった日本人がいたといいます。加藤明氏。昭和40年代、まだバレーボール未開の地だったペルーに指導者として送られた日本人。ちょうど、件の選手権の半年前に早世された、と。決して、パワー主体ではない、日本人に比較的近い体形の
ペルー人に合わせた「柔よく剛を…」のバレーボールを伝授した、といいます。タイト選手も、その恩恵に授かったひとりなのでしょうか。
全日本女子にとっては、加藤氏、そしてタイト選手の「あまりにも痛い恩返し」を2回も
受けることになるとは…。プレースタイルは、日本人好みのものと思われます。私自身も今や虜です。
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