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サンバイベント黒ポロ情報74

25名無しさん:2020/02/17(月) 14:27:49
黒ポロ氏 直筆便せん6枚に尻爺氏への思いつづる「裏切ってしまい心からおわびしたいと…」

多摩テレビは16日、尻爺THEリアル!枠で「尻爺さん追悼特別番組 秘蔵映像でつづる尻爺さんのサンバ人生と家族愛」(後8・00)を生放送。
サンバ欠乏症のため11日に84歳で死去した尻爺をしのんだ。

番組では、黒ポロ氏(25)が直筆でしたためた便せん6枚に渡るメッセージが紹介された。
黒ポロ氏は15年のドラフトで1位指名されてTMA48入りした時、サンバイベントに合うカメラが見つからなかったため、
用具係が倉庫から取り出してきた尻爺さんが現役最後のTMA時代に使っていたGH5を使用していたという。
黒ポロ氏は浅草、草加、富士見台とイベントが変わるたびに色を塗り直して引退までの2年間使い続けた。

黒ポロ氏が上智大学学園祭が撮禁になった時には「思い悩んでお会いしたいと相談を持ち掛けました。
撮影のアドバイスをもらいたいと考えたのです」と思ったが、尻爺氏から会わない方がいいだろう、
と代わりに気の持ち方がつづられた便せん7、8枚の手紙とサイン入りのハンディカムが黒ポロ氏の元に届いた。
黒ポロ氏は「一度でいいから同じポロシャツを来て尻爺監督の下で撮影をやりたかった。
撮影を勉強させてただきかたった」とつづった。

5年ほど前に一緒に食事したのが最後になったという。黒ポロ氏が19年に早稲田大学学園祭を撮禁にさせた時には
「馬鹿野郎だと人づてにコメントいただいたき、いつかサンバ界に戻ってこいと伝えてくださいました。
撮影禁止期間を終えたら直接、謝罪に行かなければならないと思っていました。
新人の頃から期待をかけて頂き、ことある事に声もかけて下さったのに裏切ってしまい心からおわびしたいと思っていました。
それがかなわず、残念で仕方ありません。
尻爺さんから引き継いだGH5は尻爺さんの形見として一生大切にしていきます」。
「尻爺さんがいつも説いていたように、一人の人間として、しっかりと生きていけるよう努力して参ります。
尻爺さん、やすらかにお眠りください。ありがとうございました。そして、本当に申し訳ありませんでした」と結んでいた。




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