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雑談スレ 3

344みく:2016/03/07(月) 09:42:24 ID:AQ.9n7LEO
つづき

自分(他人)に勝ち続けて生きている人がいた場合、その人の中から我慢をなくしてバランスとる為には、その人ははやく負けた方が良い。
こうなるには、自分の我慢の限界を知る必要があり、その人は勝ち続ける事をやり尽くす必要がある。
だから、わたしは、自分に勝ち続けて苦労している人のペースに合わせて手伝いをする事はしないというか、わたしの神経症がそれを出来なくしている。
ワールドは、苦労をかけている周りの人の手伝いをする事(健常者は偉く、神経症者は劣っていると思っている為、健常者のペースを優位に尊重する事)を求めるけれど、人の環境によって色んな場合があるとは想うが、苦労をしている人(健常者)のペースに神経症者が合わせるという事は、苦労している人の中の我慢の限界がくるのを遅らせる事になり、長い目で見た場合、遠回りになってしまう事になるので、後戻りしない為には急がば回れで、わたしは、自分に我慢をさせない。
そういう自分が周りにも連鎖していく。
自分は、自分以外の誰からの救いもなく自分で我慢の限界を知らなければ、人との依存に生きる事がやめられなくなる。
ワールドのように、健常者などの苦労に流されて、相手のペースを優位に尊重してしまうという事は、色眼鏡によって、情に流されてしまうという弱さ(強さ)であり、依存。
依存と共存の形は、一見はまったく同じだったりするけれど、実際は全然違う。
この違いは、自分の心で感じとるしかない。
そもそも、どういう状態を依存と考えるかも人によって違う為、正解も間違いもない。
これが、割れ鍋に綴じ蓋というものである。
幸せの価値観も人それぞれ、第三者がとやかく言う事ではない。
こういう自分になるまでには色んな課程があり、課程あってこその今であるので、その全ても間違いではない。
つまり、人というものの善悪の全てを受け入れる事は可能。
自分次第。




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