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雑談スレ 3
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もう1つ。
鈴木知準と水谷啓二が、どうして最後まで『森田原法』にこだわり、
死ぬまで『入院森田』を自宅で実施したか?
答えは簡単。わからないかな?
彼ら、10代終わり〜20代前半の間に森田療法を森田の家で受け、
その後も何年間も、毎日森田とともに生活、朝な夕なに森田の説教を聞いて、
形外会で森田の教えを確認する生活だったらしい。
すなわち人間の大人の人格が形成、完成される
『思春期〜青年期』を『森田漬け』『森田の入院療法漬け』で過ごした連中なのだ。
彼らにとって生きるとは『森田原法する』ことであり、
彼らにとって思考の拠り所は『森田の教え』であり、
彼らにとって心のふるさとは『森田の入院施設』であったであろう。
要するに、鈴木も水谷も
『森田なしでは1日たりとも生きていけないただの森田キチガイ』
であり、彼らにとって
『森田の入院療法をする以外に、人生生きる術をしらなかった』
一種の『片輪』みたいな人間だったからにすぎない。
だから、そのザマをみた長谷川洋三は『こんなのじゃ今後の社会で生き残れない』と
水谷の啓心寮から絶縁、教科書森田を始めた。
彼、電通出身だから、世間動向にはそれなりに詳しいものがあったはず。
しかし彼も『ワールドのキチガイ患者』にすぎないから、水谷と同様、
森田と心中で『犬死にみたいに急死』の運命を辿ったワケだ。
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