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雑談スレ 3
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〜旅立ちの朝〜
※バックナンバー
雑談スレ
〜森羅万象の欠片
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/sports/39195/1443356926/
雑談スレ 2
〜宇宙プリズムの狭間で
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/sports/39195/1452752852/
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ワールドについて。
ワールドは知らないけどね、重なる部分はあると思うよ。
>物って全て、連鎖する間に、少しずつニュアンスが変わっていくんだな。
物でなく、心、気持ち、イメージだってそう。
これはそうだよ。
だから、わたしは、基本的に、連鎖しない事を連鎖させていってるんだよ。
つまりね、相手の中で、自分というものを意識させた存在として残さずに消化させながら進む。
今に今を完結させながら進む。意識の中で。
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>イジメの標的にすらなりかねない。
イジメというものもね、その人の意識の在り方から引き寄せられるものなんだよ。
>相手を変えるには相手より自分が強い力を持っていないといけない。
この場合は、良い影響を連鎖させたい場合だと思う。
わたしの場合はね、良いも悪いもないので、影響を連鎖させない影響を連鎖させていきたいので、強いも弱いもいらないと思う。
>まずこれだ、相手が変わるのは、理屈でなく、相手に『この人のようにならないといけない』と、体感させないといけない。
変化する自分を意識しない変化を求めてるので、強いとか弱いはいらない気がする。
変化が変化にならない変化。今しかないから。
強いとか弱いになると、自分の中で、変化が変化として認識される事になるよね。
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勝ち負けの意識って、なかなか抜けないんだね。
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>世の中、何事も冷静に計算ずくで生きる人のほうが勝つのはそういった点にある。
勝ちって、何が出来たら勝ちなんだろうね。
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イジメについて。
イジメって、イジメられる人も、イジメる人も、お互いの中の依存心から引き合ってるもの。
だから、自分の意識次第。
勝ち負けの意識はね、どっちも同じ事なんだよ。
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>つまりね、相手の中で、自分というものを意識させた存在として残さずに消化させながら進む。
これはつまりね、自分の影響力というものは、一対一の相手にしか伝わらないって事。
自分が対した相手が、自分の影響を持って他人と対していくのが影響力ではあるけれど、相手の中で自分というものが消化されれば、第三者には、一番最初に影響を及ぼした影響は及ばない。
つまり、常に、相手とは一対一での影響力で終わる。
こうなるにはね、自分の中の価値観を真に自分のものにして、自分だけの言葉にして話す必要がある。
これはね、無為療法と重なる部分でもある。
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変化しない事で変化するって事かな。
だからね、誰かの影響力というものが、意識されたものとして残らない。
人って、今の自分にしかなれないんだよ。
今しかないから。
自分は、今の自分になろうとしてるだけなんだよ。
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人は、変えようとしても変わらない。変わる必要ないから。
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わたしとワールドとの微妙な違いが大きい気がするよ。
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なんか、ちょっと、消耗した感がある、、あはは、、じゃね、、
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人間の中の歴史というものはなかなか消えないね、、これが競争意識だよね。
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えびせんデトックス
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わたしね、代々続いてきたトラウマの連鎖の最終なんだよ。
トラウマしか残ってないので、トラウマが消えてる。
裏と表は同じ事。
だから、神経症も悪じゃない。
自分の中のトラウマの全てを知る事で、人というものの中のトラウマの全てがわかる。
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えびせんの意味がわからないw
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で、トラウマの連鎖の最終って事はね、わたしの代でトラウマをせき止めるというか、ゼロ化するという事になり、それを連鎖させてくって事になる。
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じゃあ話題転換。
http://526.teacup.com/masahi/bbs/4946
『一休さんへ 投稿者:斎藤 投稿日:2016年 3月 5日(土)11時03分26秒
今、貴方は30年強に及ぶ神経症の世界から、奇跡的に健康世界に
カムバックしつつあります。こんな出来事は一休さんにも奇跡だし、
日本の神経症世界にも奇跡なのです。100万人の中の僅か一人の
脱皮する姿を見ているのです。』
→ 一休さんどう変わるの?ホント治ったの?
期待してるのに、その後何もなし。
『100万人の中の僅か一人の脱皮する姿を見ているのです。』
→ ま、ヘビが脱皮しても、元のヘビそっくりのように、
一休さん全然変わらないのでは?
悪いけどこの人治らないと思うなあ。
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知らない?
https://m.youtube.com/watch?v=sIHIkGxraNs
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残酷ないい方だが、彼は『一生森田の悪口を告発するだけで終わる人』。
でも彼の森田告発ドキュメント、あれは有意義だと思う。
決して『ただの悪口』ではない。
『本質的な森田の虚偽性』を指摘している。
(彼にそれがわかってるかどうか疑問だが)大したもんだ。
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自分は自分になるしかない!
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意地でも明るい話題にもっていこうとしているな!!
私が『かっぱえびせん』知らないわけはないだろう。
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>彼は『一生森田の悪口を告発するだけで終わる人』
テンテーも!?
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かっぱえびせん^^
そういう事ねw
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お〜いa、何をバカなこといってるんだね。
私はもうとっくに治った人間だよ。
キミにそれがわからないとは。。。!
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神経症が治る事とエゴが消える事は別の話。
エゴが、勝ち負けの意識になる。
まぁ、これで良いなら良いんだけどね。
わたしは話してるだけね。
勝ち負けの意識が抜けると、本当に楽になるから。
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992 a sage 2016/03/04(金) 14:42:09 ID:coV1cfYg0
雑談スレ 3
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/sports/39195/1457069725/
かっぱえびせんは売り切れてはいなかった
どころか
飛ぶように売れてるw
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神経症が治る事とエゴがなくなる事の違い。
エゴがなくなってくると、昔の自分とは、ある意味では、別人を生きているような感じになってくる。
トラウマが消えるってこういう事だよ。エゴってトラウマね。
神経症が治るだけだとね、こういう実感はないと思う。
神経症が治る事自体だけでも、エゴも変化してるけど、別人感覚になるほどの変化はないでしょ。
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森田ってさ、結局『入院』だろうが『教科書』だろうが
『遮断の環境』
『同類さんのお仲間に囲まれて』
『影響力の強い人の感化力にアてられる』
これなんだよ。
だから退院したり、お仲間を離れたり、強烈な人がいなくなると、
たちまちフーセンがしぼむみたいに意気消沈、反動で一気に再発する。
だからもしホントに治った人がいたとすれば
それは『森田で治ったのではない』んだよ。
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上は一休さんの告発ドキュメントを読んで、
いよいよ『森田のからくり』がわかっての不動の結論。
それに『長谷川』が『水谷』の弟子でありながら
『入院森田』を離れて『教科書森田』なるものに移行した
のには必然性がある。
その時の『長谷川』の気持ちは手に取るように想像できる。
それも『一休さん』の『告発ルポ』がじつに有益だった。
ただし、森田では誰1人治らないな。
だから一休さんには、そのあたりの虚偽と欺瞞をもっともっと暴露してほしい。
(わかる人にはもう十分だけど)
ただし資質がある人が、森田をやるうちに、
ある時フッと、森田とは別のもので治る、というのはあるだろう。
『森田で治った』人がいるとすれば、
ぜ〜んぶホントのところは『森田とは別の所で治った』ということだね。
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白黒眼鏡乙としか
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そもそもの疑問?
森田の真相がわかって何になるの?るみちゃんにとってどんな意味が?
自分が神経症の経験をしたから、その経験から、神経症の治る方法を見つけ出したい?
神経症の過去はまだ消えないのかな。
こういった、自分の歴史に縛られる事がエゴになってるから、対立したりするよね。
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>夜になって眠る時に、あの当時の苦しみを思い出す時、(今は苦しみを覚えることは無くなっていますが)あの苦しみの中で過ごしている人達が、沢山存在している事を思う時、人知れず涙が出てくるときがあります。
他人ではどうしてやることも出来ない事が分りますので、尚更涙が止まらなくなる様に思います。
これね、とても優しいけどね、自分の過去が癒されていないから、こういう状況になるんだよ。
他人の中に、自分の過去を見てるだけだから、色眼鏡というエゴが抜けない。
過去の自分に同情してるだけで、相手を見てるわけじゃないんだよね。
色眼鏡なく相手を見るには、自分の中から歴史を消すしかないね。
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自分の過去の経験を人に役立てようとするのはね、無意識にしろ、強迫観念だからね。
これがトラウマでエ〜ゴ。
健常者という形をしてるだけで、みんな強迫観念ある。エゴがそれ。
神経症治ったならね、本来なら、こういう世界全てを忘れ去って生きる事が一番の幸せだと思うけどね。
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るみちゃんがブーメランって言われるのはね、治った人が治らない人のサポートするのが全治というワールドと、無意識に同じ事してるからじゃないの?
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白黒眼鏡の謎発言
「神経症とは森田療法(にしがみつく狂い)のことだ。
森田療法を捨てれば治る。」
そもそも森田療法をあまり知らない人はどうやって捨てたらいいのだろう?っていう。
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そうそう^^
わたしはね、基本的に、療法ってものは何も知らなかったんだよねw
でも言ってる事はわかるって感じかなぁ。かぶる部分あるしね。
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森田療法を間違いと確定する事で、自分の正解が確立されて立ててるのかな。
勝ち負けの勝ちを意識しないと立てないのかな。これ依存だよね。
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「森田療法にしがみつく狂い」
と「森田療法」を「=(イコール)」にしてるのも ??
それって極論を言えば
「手洗いに対する強迫」と
「手洗い」を「=」にするようなもの
「手洗いを捨てれば治る!」w
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るみちゃんさ、自分が森田療法をやってきて、何が間違っていたのか知りたい感じなのかな?
自分にとって間違いだったからって、人にそれを正解として固定する事はないよね。
それで救われたって言ってる人もいるんだし。
勘違いだったとしても、これはこれで良いんじゃないかなぁ。
森田療法で治ったと言って、実際は違ったとしても、名称に拘る必要ない気がするけど。
自分が楽になったならそれで良いんじゃないかな。
同じ物からも、人それぞれに得るもの、見えてるものも違ったりするでしょ。
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森田療法を間違いってするって事は、自分の過去の経験が間違っていたってなるよね。
そうなると、今の自分も間違いってなるよね。
時間は今しかないから。
だからさ、正解も間違いもないよね。争いは、こうならないと消えない。
他人と争うってのは、自分と争う事と同じだからね。
自分の過去が間違ってたという、過去の自分と争ってる事と同じだよね。
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>私はもうとっくに治った人間だよ。
こういう拘りって、ワールドの人と同じw
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わたしの周りはさ、わたしが調子良くてもね、何の変化もないんだよ。
治ってきたでしょなんて聞こうものなら、ほとんどスルーかな。
というか無関心。
今は勝手に流れてくんだよ。
他人の承認なんか得られない環境。わたしはね。だからこんなものは捨てた。
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つまり、自分が治ったか治ってないかは、永遠に確認出来ない。ある意味で。
正常と異常の確認が出来ない。これはただの自分認識でしかないんだよ。
だから正邪がない。
自分は自分が見えてるものしか見えない。ちょっと怖い。これってね。
正解が固定化されないって事は、正解がわからないって事であり、心の拠り所ないからね。
つまり、自分は自分でしかいられないってだけかな。
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そもそも、わたしはわたしでしかないので、治る治らないという目で見られてないんだよ。
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わたしが神経症治ったとしてもね、周りもわたしもね、当たり前の現実が続いていくだけなんだよ。
既にこういう状態だしね。
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時間が止まる事ないしね、基本的に、他人に依存していなければ、それぞれに自分の価値観の中で生きられるよね。
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自分は自分だとね、他人の状態に一喜一憂しないので、永遠に今が続くだけなんだよ。
心の拠り所やはりあいを自分の外に持っていなければね、気が抜けておかしくなる事もないんじゃないかな。
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無為療法について。
無為療法はね、世間にある神経症関連の中では、多分、一番、最終の境地に近いと、わたしは思う。
わたしの感覚とかぶるところ多い。けど、微妙な違いが大きい。
基本的に雑用に生きなきゃってのはね、わたしの基本。そこから勝手に外に繋がっていくから。
周りもね、まずは家の事が出来なければって感じだしね。
とりあえずは、家の事やってくれれば良いって感じにもなってる。
うちは余裕まったくないし、雑用自体、まだあんまり出来てないけど、無理なく進んでいくにはね、順序ってのがあるって事だよ。
とにかくね、自分の中で優先させる順番ってのがあるから、まぁ良いんだよね。
あはは、、今日は本当に書き過ぎw 落ち着くと良いね。 んじゃね。
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遠くを見てても夢しか見えないからね、まずはね、目の前だけを見る雑用に生きるw
今ここも、その一つと同じw
雑用の連続で仕事に繋がってくw
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雑用と仕事の区別はなし♪
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混沌さん
今日はありがとう^^ なんとなくw
苦しいのは自分だけじゃないしね、取り残される事もないので、焦らずボチボチいこうね♪
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>相手を変えるには相手より自分が強い力を持っていないといけない。
目の前の状況が気にくわないのであれば、自分の在り方を変えれば目の前の状況は変わるんだよ。
自分を変えるしかないよ。
目の前の現実は、自分の内の意識状態が投影されたものだから、これを基本的に理解していないと、目の前の状況はなかなか変化しないんだよね。
自分の現実は自分で創造してるので、自分次第。
自分の中に、人への依存心という意識状態があると、人と争う事になるんだよ。
これがわからないとねって思うんだけどね。
とにかく、目の前の世界は、自分の意識状態がそのまま映ってるだけね。
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つまり、わたしのこちらの生活でも、人と対立にならないのはね、わたしの中に依存心がないからなんだよ。
自分が映ってるだけだからね。昔からこうなんだろうね。
環境が先にあって自分が在るわけじゃないんだよ。後先はないんだよ。今しかないから。
自分の中の歴史なんてのはただの夢。
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わたしにとっての家族とは、家族は家族だけど、これは、ある意味ではね、ただの名称なだけであり、自分の中にはね、こういった〜系というカテゴリ持ってないので、自分以外は他人は他人なんだね。
こういった状態でも、家族を家族として暮らす事は出来るんだよ。共存としてね。
依存ってのは、自分の中にカテゴリがあるので、家族と家族以外というのが自分の中に存在する事によりカテゴリが出来る。
こうなるとね、情に流される事になるので、これが依存心。わたしにはそれがないんだよね。
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つまり、距離というのも幻想なのでね、血のつながりが近いとか遠いといったものもね、関係ないんだよね。
自分は自分。
血の繋がりによって似たような性格や外見になるのもね、ただ単に、学びの共有ってだけの事。
だからね、自分が障害者をうんでしまったとしてもね、自分ばかりを責めるのは間違ってるんだよ。本来はね。
全てを個性として受け入れれられれば良いんだよね。
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>>221
(^ω^)
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>ここまで現実的に良心的に惨めさをさらした議論をする私は立派だ、ウン。
自分を守る殻を大事にしてる方が弱さに見えるけどね・・ウン
やれやれ、、
現実に生きないとね。
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依存心とは、、
自分への依存と他人への依存は同じ事。
正解や間違いに依存するって事かな。
これを心の拠り所にする事かな。
自分(正解)に依存すると、他人(間違い)に依存する事になるし、反対も同じかな。
争いはこうだよね。
正邪がなくなると比較がなくなるので依存ではないよね。
自分(正解、間違い)と他人(正解、間違い)になると、1つに重なるので寄りかかりがなくなる。
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まあいっか。じゃあね♪
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お前ホントは心理学者とかカウンセラーだろ?
残念ながら私には通用しないぞ。
混沌みたいな奴にガツンと説教してやれよ。
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『209 :みく:2016/03/05(土) 19:59:30 ID:Mgeuetf.0るみちゃんさ、自分が森田療法をやってきて、何が間違っていたのか知りたい感じなのかな?
自分にとって間違いだったからって、人にそれを正解として固定する事はないよね。
それで救われたって言ってる人もいるんだし。
(以下略)』
→ それからキミも何か『森田を擁護しないといけない』立場にあるらしいな。
ま、こんな森田から派生したスレに寄食しているんだから当然か?
上記など、いったい誰の大便してるのかな?(暴言失礼)
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自分の中にある〜系というカテゴリが、正解と間違いにわけてる。うん。多分そう。
じゃね!
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わたしは嘘は言ってない。
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ははは。了解。我ながらまた私の悪い癖が出たな。
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また一から疑いが始まるんだね。
まぁ好きに思えば良いけど。
わたしは、神経症者だって言ってるのにね。
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まぁ何度でも繰り返せば良いよ。
人の中のトラウマってそういうもの。
神経症でよく知ってるしね。
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自分が自分のカウンセラーしてきたから、そういう風に見えるのかな。
どうなんだろうね。
何も勉強した事ないしね、病院もいってない。
つまりね、神経症に生きてる自分の思考とは別に、カウンセラーみたいな思考があるんだよね。
これは自然のものだよ。
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ははっ、海大先生にケチつけるとは失礼なことをいたしました。
明日もありがたい教え、よろしくお願いいたしまする。<(_ _)>
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わたしは、世間のカウンセラーや心理学者や霊能者や瞑想やスピ関係や宗教なんかもね、全て信用してない。
自分だけだよ。
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教えるとか思ってないしね、わたしの神経症(トラウマ)と他人のトラウマが重なってるだけね。
だから、こうやって書く事自体が神経症でもあるんだよ。
わたしの神経症って、神経症それ自体が、瞑想のようなものなんだよ。
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ま、だからね、わたしの神経症と一緒に他人とは進んでいくだけね^^
わたしの神経症は、わたしにとって、平和への道しるべになってる感じなんだよね。
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そもそも、世間的に生きてるカウンセラーや心理学者みたいな人が、あんな荒らしのような事するわけないよねw
ま、わたし神経症者だけど、姪なんかの子育ての相談受けたりするんだよね。
心理的なサポートだけで、相手とは対等になってるね。
おやすみぃぃぃ
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「君子は危うきに近寄らず」
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>>243
言いたい事がわかんない。
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ああ、わかった。
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243の答え教えて、海大先生!!
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危うき(森田療法)
危うき(↑)
危うき(スピ系)
危うき(常識、世俗)
危うき(努力主義)
危うき(努力否定)
危うき(理知偏重)
危うき(理知否定)
危うき(答えは一つ)
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aさんのいうことはわかるが、
それがホントに243の答えだったのかな?
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話聞いてたらわかんなくなってきた。
るみちゃんはさ、また変な妄想してそうだよね(-"-;)
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>>239
これの事?
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「危うき」や「正しさ」は「見方、立場、バランス」「人それぞれ」なんだろうけど、
それぞれの「危うき」を嫌悪しながらそれを「否定」する形でしがみつく
何か「臭い足のにおいを
やだやだと思いつつ、嗅ぎ続ける」みたいなw
「においを消そうと頑張る」みたいな。
「『正しい』のだから『危うき』においを消せるはずだ」と。
そうして、
集団的「匂い消し」のスプレーが互いの「自己愛」という匂い倍増装置を刺激し合い、
辺りは激臭に包まれる・・
そうしてまた各自「危うき」臭いを消そうと頑張る、各自の「正しさ」という消臭スプレーで・・
臭くしたのは誰?・・
「お前(たち)」だけなのか・・
-
・・て書いてみたけど
これって不思議と
「不安や強迫観念」
「精神交互作用」
の説明に似てるな・・
「集団的」な
「不安や強迫観念」
「精神交互作用」
っていう。
-
・・「不問」
-
・・「君主は危うきに近寄らず」
-
っていう臭いスプレーでした。
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人は、みんな、個人的な幸せにしか生きてない。
全てが自己愛。
何をどう生きてもお互い様にしかなってない。
基本的に人間てのは強迫観念を持ってるもの。
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『233 :みく:2016/03/05(土) 23:38:26 ID:Mgeuetf.0
わたしは嘘は言ってない。
235 :みく:2016/03/05(土) 23:41:03 ID:Mgeuetf.0
わたしは、神経症者だって言ってるのにね。
256 :みく:2016/03/06(日) 03:00:20 ID:AQ.9n7LEO
基本的に人間てのは強迫観念を持ってるもの。 』
→ やれやれ。
『すべての人間は神経症者で、強迫観念を持っている』から
『私も神経症者』であり
『私は嘘は言ってない』わけですな。
海さん一味の超論法はたまりませんな。
(これ推理小説で解決篇がこうだったら、
作者に石が飛んでくるだろうな)
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『君子は危うきに近寄らず』
→ これ『斉○サイト』のことでしょ?
あのサイトをみていると、斉○のあの極論と語り口が癖になってしまう。
だからあれこれ書かないと気が済まなくなってくる。
時々は大変よいことが書かれているのも困る。
目が離せなくなる。
だから貴重な時間がムダになってしまう。
偏屈で少々偏向しているが、憎めないおかしな老人なのだ、と。
でもまともな人はあまり近づかないほうがいい、と。
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それにしても斉○一味、一休さんの怒涛の投稿ラッシュを期待したが、
今の所何も動きがない様子。
私が冷や水をぶっかける投稿をして、気勢をそがれたか?
平日になると一休さんの投稿が再開されるか?
それとももうネタが尽きているのか?
でも一休さん、あの気弱で斉○盲信状態では、
一生神経症が治るとは思えないなあ。
これまでだって、森田と斉○の間をいったりきたり、
森田がダメで信じられなくなったら、斉○に移る、
そしてまた斉○が信じられなくなって、森田に移る、
さらに時々バカりんごが熱中するような他の療法を試してみたり、
この繰り返しみたいだったからなあ。
ああいうのが典型的な『森田ワールド人』の末路だよ。
『森田ワールド』内で『森田をいくら否定しても』、
それは結局『森田ワールドの中心により近づいていくだけ』
そして最後は『森田ワールドの太陽(ブラックホールというべきか?)
の引力に吸い込まれて、社会の藻屑と消える。
いやいや、こんなことがフッと直感でわかってしまう私って、
やっぱり天才だな。 フフフ(笑)。
※最後は少し『aちゃん風』にまとめてみました。
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るみちゃん
何度言えばわかるんだろう。
わたしが言ってる自分の神経症というのは、世間にある普通の強迫神経症の事だよ。
わたしは、健常者として強迫観念持ってるわけじゃなくて、るみちゃんが知ってる強迫神経症としての神経症者を生きてる。
るみちゃんはさ、わたしが普通の健常者に見えるのかな?
本当に普通の神経症者なのにね。
今日は心が張り裂けそうに苦しい。
生きるのは苦しい。
調子悪い。
心なんかどっかいっちゃえば楽なのにね。
わたしにとって生きるって、宗教どうこうや教えなんかを考えてる場合じゃないんだよね。
苦しいのでいい加減にしよ。
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おすすめ短篇小説。
いずれも暗い内容で、読者を神経症にさせる力が十分ある名作。
三島由紀夫 『海と夕焼』
・・・主人公のいるお寺と海と夕焼けの情景がありありと目に浮かんでくる美しい一篇。
『あの時海が分かれなかった不思議』、この『不思議』が何であったのか、
おそらく作者自身も答えがわかっていないまま書いていると思われる。
一言で表現しがたいまさに『不思議』な読後感。
有島武郎 『親子』
・・・こちらは青空文庫で読める。終盤の親子の対話が大迫力で圧巻。
有島が相手の立場を思いやるゆえに、何かとすぐ板挟みや自己嫌悪に
陥ってしまう性格で、後に情死(自殺)するのが頷ける内容。
この作家のことをほとんど知りもせずに『意志薄弱性格』だから
『自殺』した愚か者だ、と得々と片づける『森田』って、
頭が悪いだけでなく、じつにくだらない人物だったことは自明。
今日は投稿は基本これでおしまい。
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つづき
わたしの強迫神経症はね、混沌さんとかぶる部分も多かったりする。
本当に地獄みたいな神経症。
しょうがないけどね、るみちゃんはさ、わたしに対して苦労が見えないんだろうね。
わたし、今はね、他人に対する時だけは自分の苦しみ消えるからね。
るみちゃんがわたしを普通の神経症者に見えないと言うのは、対等に対せてきてるとも言えるのかなぁ。
けど、わたしは苦しい。
逃げ出したいくらいに苦しいけど、逃げ場なんかないからね。
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るみちゃんが、自分は神経症治ってると言い張るのと同じで、わたしは、本当に世間にある普通の強迫神経症としての神経症者を生きてると言い張るよ。
実際本当にそうだから。
天井見上げてる普通の神経症者と同じなんだよ。
本当に苦しいんだよ。
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つまり、るみちゃんの、自分は完治してるという拘りは、わたしが、自分を神経症者だと、あなたに言わざるを得ない拘りと同じ事かな。
実際本当に神経症だし、あなたは実際本当に健常者でしょ。
これまた鏡だね。
本来、神経症も健常者もないからね。
だから、るみちゃんには、わたしが神経症なのかどうなのかが曖昧に見えるのだろうね。
るみちゃんが、自分は健常者だという拘りが自分の中から消えていけば、わたしも、自分は神経症者だという拘りが必要なくなるかもね。
お互いに相互作用してるからね。
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ははは。今日の海さんの『話のツボ』がわかったよ。
『わたしは、本当に世間にある普通の強迫神経症としての
神経症者を生きてると言い張るよ。実際本当にそうだから。』
→ チミ、『るみちゃんにもしっかり、こういった部分があるんだよ』
と、チミお得意の、例の『鏡理論』で説教したいワケだね。
さすがは『掲示板の真の支配者』海さんだ。
いいたいこと、よくわかったよ。
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わたしは何も演じてない。
想うままに素直に書いてる。
現実に苦しいからそのまま書いてる。
遊びじゃない。
そこから何かを教えられるのなら、これはわたしの意図は絡んでない。
自然に生きてるだけ。
何一つ、意図を持って書いたことはない。
だからわたしは誰にも何も教えてない。
そんな必要ないから。
わたしはわたしを生きてるだけ。
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他人に対してる時だけ自分の苦しみが消えるのはね、フラッシュバックの時には人には向き合わないからだよ。
まだまだフラッシュバック多いしね、わたしは、フラッシュバックがなくなる事をもって、自分は神経症が治ったってなるからね。
つまり、無為療法の治りは、わたしにとっては治りじゃないんだよ。
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フラッシュバックについて。
わたしの場合のフラッシュバックは、さっきフラッシュバックで今違うという瞬間的なものの繰り返しで、泣いたカラスがもう笑う、みたいな状態であり、だから、さっきと今は、本当に別人のような自分なんだよ。
連続性がまったくなく、自分の中の時間が消え、瞬間的な想いに沿って生きてるだけ。
フラッシュバックは、昔の神経症状態を考えれば、とてもありがたい状態なんだよね。
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『中の人』一日中の海語り、大変だなあ。
会話してる時も出たりして。
専門職だろうか?
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わたしのフラッシュバックは、フラッシュバックの時とそうじゃない時が、ゼロ百であり、どちらも同じ事であり、どちらの状態の時もこれが全てになり、選択の余地がなくなるので、苦しみと楽(フラッシュバックとそうじゃない時)はまったく同じ事。
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