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名言・格言 、その他備忘録 スレ

1優しい名無しさん:2015/09/29(火) 17:30:40 ID:coV1cfYg0
メモが掲示板にあったっていいじゃないか 人間だもの

2a:2015/09/29(火) 17:42:15 ID:coV1cfYg0
*H.Nさん( 人生問題の解決〜掲示板〜管理人)

ノイローゼには沢山の種類があると思います。ノイローゼの定義を私流にするなら『現実の世界と頭の中の世界の食い違い』と言う事になります。

宗教の世界での真実の世界と仮の世界という設定の仕方にも共通点があります。この世の中での勝者と敗者と言う設定にも共通点があります。

又交通事故を起こし易い人と起こし難い人にも繋がっているのかも知れません。

お金持ちになってゆく人と貧乏になってゆく人にも繋がっているのかも知れませんが。その共通点とは『現実の世界を見て現実の世界で生きているのか?はたまた頭の中の世界で生きているのか?』といった違いだと思います。

五体満足でありながら『仕事が出来ない』と思い込んでしまって、仕事が出来なくなっている場合です。

或いは身体のどこかが異常だと思い込んでしまって、石の検査などの結果が信じられなくなって『頭の中で身体の異常感だけを問題にしている場合』などです。

或いは湧き上る感情に違和感を抱いてしまって、『心の健康』を探し始めたて、喜怒哀楽といった感情さえも湧き上る事がなくなる場合もあります。

或いは湧き上る考えに違和感を覚えてしまって、『頭の中で肯定と否定を繰り返してしまって、分らなくなってしまう場合』などの状態もあるかも知れません。

今迄は気にも留めなかった事が『気にしたばかりに、気になって仕方なくなる場合』なども含まれると思います。

こういった現象を私は、『ノイローゼ』と考えています。つまり現実の世界を余り重視しなくなって『頭の中の世界だけを重視する場合』の事です。

こう云った事柄を踏まえて発言するなら、この世の中は一つの真実の世界と『まやかしの偽りの世界』が交わりあって交差しているしている気が致します。

この目の前の一つの世界が、二つの世界に分かれてゆくと言う意味です。この別れる処に境目が存在しない分かれ道があるという意味です。

真実の世界と偽りの世界の交差する所の違いが分かる時、一つの真実の世界は開かれると思います。

この世界の入り口は狭く厳しいかも知れません、或いは苦しみの世界から入れるのかも知れません、或いは苦も無く入りきっている人の方が多いのかも知れませんが、一つの『苦も無く楽もない』真実の世界の扉は常に誰の目の前にも扉は開け放たれています。

見よ!見よ!です!��

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

彼の「無意識と意識の連携などでの説明」は個人的に?だったが、
この説明はわかりやすかった。

3a:2015/09/29(火) 17:48:29 ID:coV1cfYg0
☆犬さん

仏陀のエピソードで、
ぼくが大好きなエピソードがある。

仏陀の弟子AとBが、
仏陀の教えについて論争していた。
論争はまったく決着が着くような様子はない。
そこで、Aは、仏陀にお伺いを立てることにした。

A「Bはこういうんだけど、ぼくはこう思うんです。ぼくのほうが正しいですよね」

仏陀「そうだ。お前は正しい」

今度は、Bが仏陀のお伺いを立てることにした。

B「Aはこういうんだけど、ぼくはこう思うんです。ぼくのほうが正しいですよね」

仏陀「そうだ。お前は正しい」

その様子を見ていたCが、仏陀に聞く

C「あなたは、AとBの両方に正しいと言ったけど、一体、本当はどっちが正しいんですか?」

仏陀「そうだ。お前は正しい」

ぼくは、宇佐先生の言う『不問』って、
自分の心の過ちに対してだけじゃなく、他人の心の過ちに対しても、
当てはまるのだと思ってる。

結局のところ、
他人を責めるのも、自分を責めるのも変わらないと思うんだ。
自分の心の中に浮かぶ思いや考えに反応して、感情が湧き出てくるだけだから。

4a:2015/09/29(火) 17:51:36 ID:coV1cfYg0
☆2chの誰か

まずネット社会だけで吠えるしかできない自分を恥じることですよ。
2ちゃんは、そのような人ばかりです。
そのような人と話し合いにはなりません。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜

ドキッ!
(ちなみにこれ書いた本人さんは自身に向けたものでもあった模様)

5a:2015/09/29(火) 17:56:07 ID:coV1cfYg0
☆2chの誰か

>スレなんかよりぐぐって業者じゃない一般人の
〜〜障害と戦ってる人のブログ見たほうが参考になるって

6a:2015/09/29(火) 18:01:33 ID:coV1cfYg0
☆a(w

したらばもアンドロイドの2chMateで見るとすごく捗る

7a:2015/09/29(火) 18:08:09 ID:coV1cfYg0
自分が自分を救うために自己完結できる自己愛なら
それは自分を愛する、受け入れるということでまったく問題はない
その過程を経て他人に優しくなれるものでもあるから

でも自分を他人と比較してageたり見下したり押し付けたり
他人を利用して自分だけ良い気持ちになろうとするのは病気の自己愛
それはいくら続けても楽にはなれない、ただ内側から腐っていく修羅の道だと思う

・われわれ日本人につきものの対人心理に、人みしりがあるが、人みしりというのは、相手に自分が
どう思われるかについて、緊張したり不安になったりする心理である。

・社交家は、自分の欠点や自分の弱みをあえて露出して、自分から自分を人に対して笑いものにす
ることで、この人みしりの不安を克服する。

・笑い=笑われる関係が現代人にとって攻撃性を解消する重要なチャンネルになっている。

・お互いに友好的に、なごやかにかかわりながら、そのなかで攻撃心を発揮する一つの方法が、シャ
レや冗談やユーモアである。

・高視聴率を続けているといわれるテレビの面白番組にはしばしば実にきわどい皮肉や諷刺がこめら
れている。傷つけなのか、愛情表現なのか、にわかに決めがたい微妙な会話が大変に多い。

・いずれも冗談なのだろうが、その冗談は一皮むくととてもサディスティックなものが多い。

・もともと笑いには、嘲笑、冷笑、高笑、皮肉な笑いというぐあいに、優越感や勝利感、ひいてはあざけ
り、皮肉、冷たさの表現の意味を持つものが多い。そこには、人を笑いものにするサディスティックな
快感がひそんでいる。

小此木啓吾「1.5の時代」
http://d.hatena.ne.jp/Toku/20110325#p1

☆渡邊美樹

自分の心の中に悪魔がいることを認めよう。
その上で、その悪魔を退治しよう。
この日本は「いじめ」で溢れている。TVで芸能人の離婚を追いかける。
交通事故で亡くなった子どもの御両親に感想を聞く。あれは「いじめ」。
インターネットに溢れる誹謗・中傷。名前も名乗らず言いたい放題。
事実を確認することもせず、ただ非難し続ける。これも「いじめ」。
人の悪口、陰口を言って笑っている。それも「いじめ」。いじめの本質。

それは、他人の不幸を喜ぶ“心”。
それは、他人を誹謗・中傷することで他人より自分が優位にいると喜ぶ“心”。
それは、そこにいない誰かを悪口や陰口で自分より下にする事を喜ぶ“心”。
「いじめ」とは、人間が本来持っている悪魔の心が、
素直に表現された行為に過ぎない。だから、雑草を摘むように、いつもいつも
注意していないと「いじめ」は無くならない。

自分の心の中に悪魔がいることを認めよう。
その上で、その悪魔を退治しよう。
http://ameblo.jp/watanabemiki/entry-11313212776.html

〜〜〜〜〜〜〜〜

(ブラック企業的な話もあるが・・

8a:2015/09/29(火) 18:18:59 ID:coV1cfYg0
ネットにおける
自己愛性人格(障害)の傾向

何かしら劣等感とか負の感情があって、それを背景にしてネット掲示板では他者を叩いたり見下したりしている
という構図の人は多いだろう。
意識的あるいは無意識的にそうなってしまっている。

リアルでもその構図で人を見下したり変に偉そうな人もいるだろうが、
ネットの匿名だとより多くの人のそういう傾向があらわになっているということだろう。

しかしながら人々がリアルで他者にきつく当たって侮辱し合ってるよりも、
ネットの世界でそうやってガス抜きしてるほうが
全体としては平和という側面はあるかもしれない。
またそういうリアルとネットの構図をわきまえている人も多いだろうが、
リアルでの人付き合いが薄くネットばかり見ているような層は、ネットのそういう負の側面を過大に意識してしまう傾向もあるだろう。

ネットの中にも温和な雰囲気のコミュニティもあるので
個々人による取捨選択も大事である。

9a:2015/09/29(火) 18:31:01 ID:coV1cfYg0
# 引き寄せ系の自己啓発って
努力や根性はいらない、川の流れのように〜
的なのが多いけど
実際どう?
怠惰の教えと紙一重というか・・

少なくともスケジュール管理とか
は必要だよね?

$ 努力はしたのは
5時起きして1時間ウォーキングして、風呂入りながら瞑想
その後部屋で1日の計画を立てて動く
やり続けたのはこれだけ

* 大概すげーよそれ

$ 一昨年の12/8からやり続けた。自分でも良くやってると思う
でもある程度からは習慣になるから苦ではない
世界最強の商人の一章にもあるけど良い習慣を作るのはとても大事だと思った

# 引き寄せの話の流れだったけど、
この習慣はむしろ坊さんの生活とか東洋哲学を感じる

$ スマン確かにそうだね
色んなの試しながら自分に合うのだけ続けたんだけど、考え方とかは引き寄せから影響受けてるんだ

# 仕事に関してはどういう捉え方、感じ方をしてます?

$ なりたい自分をイメージしてなったつもりで振舞う。人の悪口を言わない&機嫌をとらない。その代わり常に自分の機嫌を取ってゴキゲンで居るようにする
これは凄い効果があるね
自分は保険の仕事していて、今年はMDRT(世界の保険営業の上位5%に与えられる称号)を目標にしてる。自分がそれに相応しくなるのはどんな風に振舞えば良いのか?とかMDRTの人と会って話を聞いたりとかね
1円も掛からないしモチベーションも上がる

# >人の悪口を言わない&機嫌をとらない

前者はよく言われてることだけど
後者がなるほど!ですね

悪口とは逆だけど実は無駄な心のエネルギー浪費や負担になってるということですね

* オグマンディーノやチョプラもそう言ってたな
ジョンマクドナルドの本には自らのエネルギーを相手にやる行為だとまで
憎まれっ子世にはばかるの解説みたいな

ブーメランの法則はいろんな本でも見かける

10:2015/09/30(水) 00:32:03 ID:Yx5jRSTo0
☆りんごさん


>これまで、沢山のもっともな質問を、森田療法の人たちにしてきたけど、
>満足した答えが帰ってきていないという、
>もどかしさを感じているような気がする。

それでもいいんですよ答えのないまま生きて行くしかないんですよ。生きて行く事が答え。

11:2015/09/30(水) 00:33:45 ID:Yx5jRSTo0
☆混沌さん

確かに納得できる答えは得られなかったように思いますが、でも今それなりに満足できています。
やはり実行し続けたことが大きいと思います。
本当に良く出来ているなと今日も思いました。
これだけで強迫性障害を抜けられるのか、と。
今までの自分は、最終的に自分・不安を相手にしたから駄目でした。
あまり確かな記憶ではないのですが、宇佐先生の本に元寇に対処するには?と時の執権、北条時宗があるお坊さんに尋ねるのですが、
その時、得た答えというのが、決して自分の方を振り返らないで次々に対処していきなさいというような事でした。
僕にも、これが出来るようになってきたのが嬉しいですね。

12a:2015/09/30(水) 01:24:31 ID:coV1cfYg0
*他人と過去は変えられない
自分と未来(現在)は変えられる

*外圧的、抑圧的な働き掛けでは人はなかなか動かない。
当人の内発性に働き掛けるような形が良い。(的な

デール・カーネギー
人を動かす

*時には厳しさも必要

13a:2015/09/30(水) 01:28:30 ID:coV1cfYg0
アインシュタイン
「愚かさとは、同じことを何度も繰り返しながら異なる結果を期待することだ」

大前研一
『人間が変わる方法は3つしかない。
  ・時間配分を変える。
  ・住む場所を変える。
  ・付き合う人を変える。
 この3つの要素でしか人間は変わらない。
 もっとも無意味なのは、決意を新たにすることだ。
 行動を具体的に変えない限り、決意だけでは何も変わらない。』

〜〜〜〜〜〜〜〜

本や思考だけでは変わりづらい(「変わらない」ではない。思考の在り方や読書も大事)ってのもあるね。

14a:2015/09/30(水) 01:39:31 ID:coV1cfYg0
二文字で自己啓発を表す

「す」:スーーー、素
自然な流れ、無為、直感

「よ」:ヨッ!っと自分を新しきへ動かす、努力、(根性、我慢)

15a:2015/09/30(水) 01:43:09 ID:coV1cfYg0
無為の為

無為(す)の為(よ)

16a:2015/10/03(土) 17:38:51 ID:coV1cfYg0
『ユーザーイリュージョン』という、
デンマークでベストセラーになった本があるのですが、
これまた面白いです。

この本は、
エントロピー、情報理論、心理学、生理学、脳科学、複雑系などなど、
様々な科学の成果を駆使して、
『意識というものは、ただの錯覚に過ぎなかった』ということを主張しています。

斉藤さんは、

>自分の意思で決定しているように見えるが、
>実際は既に無意識レベルで処理が簡潔していて、ただ実行するだけです。

と書かれている通り、
この本によりますと、

五感が受け取っている情報は1100万ビットもの莫大なものだけど、
その莫大な情報は、意識に上がってくるまでにほとんど処理されており、
実際に意識にあがるのは、たったの8ビットから40ビットという、しずく程度のものになってしまうそうです。

だからこそ、
言語なんという、しずく程度のちっぽけなもので、理解したように思うのは、
ただの錯覚のようです。

そういうわけで、
禅では、言葉というもの重要視しないのかも。

そして、意識によってもたらされる『私』という感覚。
これまた、錯覚とのこと。

般若心経に、『転倒夢想』ということが書かれていますが、
これは、世の中の人々が思い違いをしている(転倒した考え)4つのことに触れています。
その中のひとつが、『私』という考えです。
『私』というものは存在しないということなのですが、
それが、科学の世界でも証明されつつあるというのは、すごく面白いな〜とぼくは思ったりするのであります。

『ユーザーイリュージョン』は、
こんなことを警告しております。

世の中の人々は、
『私』という自我意識がすべてをコントロールしているかのように錯覚しているが、
そのことにより、
本来の『自分』から乖離してしまい、不安感、恐怖感に悩まされ、
それを解消すべく、破壊的、攻撃的言動に至ってしまうと。

そうならないためには、
本来の『自分』の存在を認め(斉藤さんのいう『無』)、信頼することが大切なのだそうです。

☆ 犬さん




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