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記録訂正 PART2

1コージ:2016/06/11(土) 21:02:40
ウスコイ企画様

記録訂正 PART2
と いう事で宜しくお願い致します。

1959年
国鉄-巨人20回戦

国鉄 
箱田選手の守備が0になっております

確認、訂正宜しくお願い致します。

2ウスコイ企画:2016/06/13(月) 06:45:36
コージ様ありがとうございます!
2スレ目もよろしくお願いします。
0→打に訂正させて頂きました!また同年の阪神ー中日17回戦と19回戦に
同様のものが見つかりましたのであわせて訂正いたしました!

3キャンサードリーム:2016/06/25(土) 01:02:24
球団変遷史及びチーム別成績の1992阪神は2位なんじゃないでしょうか。

4sami:2016/06/25(土) 10:22:37
2013年4月20日に開催された中日-DeNAカード5回戦について
DeNAのチーム安打が「10」となっていますが、正しくは9ではないでしょうか。
よろしければご確認お願い致します。

5コージ:2016/06/26(日) 19:21:30
ウスコイ企画様 訂正ありがとうございました。

今回は1963年です。

大洋-阪神16回戦

阪神
並木選手 7号本塁打を打っている様です

確認、訂正宜しくお願い致します。

6sami:2016/06/27(月) 15:32:50
2000年に西武ライオンズに所属していたラファエル・ディアス選手について
生年月日が「1969/12/12」となっていますが、
FangraphsとBaseball-Referenceでは「1970/12/12」と記載されています。

よろしければご確認お願い致します。

7口内炎3つも出来たよ:2016/06/28(火) 23:00:23
精力的な更新お疲れさまです。お忙しい中恐縮ですが、以下の点についてご確認願います。

1982/8/19の日本ハム対阪急は9回終了ではなく10回まで行われている模様
1983/4/28の日本ハムのセカンドが途中から不在になっている
1983/4/29の阪急のレフトが途中から不在になっている
1984/6/29の阪急はリードしているので9回の攻撃は無し
1985/5/15の南海の門田が「打打」となっている
1985/6/23の広島の小川は「走三」ではなく「走左」と思われる
1985/9/11の大洋は石橋が「打左」、山崎が「打」となっているが、これは両者が逆と思われる。
1985/9/27の阪神はリードしているので9回の攻撃は無し
1985/9/15のヤクルトはリードしているので9回の攻撃は無し
2001/9/25のダイエーのレフトが途中から不在になっている

以上、宜しくお願いします。

8ウスコイ企画:2016/06/28(火) 23:12:28
皆様ありがとうございます!
ここ数日は訂正作業ができずに溜まってしまいましたが、
一つずつ直しますので、もうしばらくお待ちください。すみません。

9コージ:2016/06/30(木) 21:28:33
sami様
ラファエル・ディアス選手について

ベースボール2001年版
西武ライオンズ30年史では
共に
1969年12月12日になっております。

10ウスコイ企画:2016/07/03(日) 13:38:04
皆様ご指摘ありがとうございます!
ようやく修正作業が再開できました。遅くなり申し訳ありません。

>キャンサードリーム様
ご指摘の通り、1992年阪神は同率2位なのに3位となっていましたので
訂正しました!
同様に、同率順位が正しく反映できていない箇所が見つかりましたので
それぞれ訂正しました。
2003年 ヤクルト  4位→3位
1994年 近鉄    3位→2位
1966年 サンケイ  6位→5位
1962年 阪急    5位→4位
1959年 中日    3位→2位
1946年 パシフィック8位→7位

11ウスコイ企画:2016/07/03(日) 13:38:42
>sami様
ご指摘の通り、DeNAは9安打でしたので、スコアボード訂正いたしました!

>コージ様
並木選手7号は同日のWヘッダー17回戦の方で出ているようです。ですが16回戦の方には
号()という不要な文字列が入ってしまっていたので、「なし」と修正いたしました!

>口内炎3つも出来たよ様
多くのご指摘ありがとうございます!それぞれ確認のうえ訂正いたしました。
1982/8/19 日本ハム対阪急 10回表・裏それぞれ0を追加
1983/4/28 日本ハム    五十嵐信一「打」→「打二」に訂正
1983/4/29 阪急      吉沢俊幸「走右」→「走左」に訂正
1984/6/29 阪急      9回裏の「0」を「X」に訂正
1985/5/15 南海      門田博光「打打」→「打」に訂正
1985/6/23 広島      小川達明「走三」→「走左」に訂正
1985/9/11 大洋      石橋貢「打左」→「打」 山崎賢一「打」→「打左」に訂正
1985/9/27 阪神      9回裏の「0」を「X」に訂正
1985/9/15 ヤクルト    9回裏の「0」を「X」に訂正
2001/9/25 ダイエー    村松有人「右中」→「右左」に訂正

12ウスコイ企画:2016/07/03(日) 15:23:29
選手の生年月日については、いくつか資料を参考にしていますが、疑問の残る選手がいます。
2004年版のプロ野球記録大百科、2012年のプロ野球データファイル、日本在籍当時の選手名鑑や
レコードブックで違いがあったりします。

田中義雄(阪神)1909.7.20(大百科・データファイル)1907.4.2(wikipedia)
野口正明(中日・西鉄他)1924.3.7(大百科・データファイル)1925.3.7(wikipedia)
マーティ・ブラウン(広島)1963.1.13(大百科・データファイル)1963.1.23(wikipedia・B-Ref)
フリオ・フランコ(ロッテ)1961.8.23(大百科・データファイル)1958.8.23(wikipedia・B-Ref)
ラファエル・ディアス(西武)1969.12.12(名鑑・レコードブック)1968.12.12(大百科・データファイル)1970.12.12(wikipedia)
ラモン・オルティズ(オリックス)1973.5.23(データファイル・B-Ref)1973.5.24(wikipedia)

フリオ・フランコの生年不詳は有名なところ(本人にも分からない?)ですが
外国出身選手はたまにそういう事があるのでしょうか。
ラファエル・ディアスは当方でBaseball-Referenceを見たところ1969.12.12になっていました。
ttp://www.baseball-reference.com/register/player.cgi?id=diaz--001raf

マーク・エーカー(ヤクルト)は以前に指摘を頂いて、米サイトの記述に準じて1968.9.16に修正したのですが
名鑑、大百科、レコードブック、データファイル等、国内の資料は1968.3.16になっていて
何を最も信頼するか、難しいところです。

13キャンサードリーム:2016/07/05(火) 17:43:09
選手別全成績のところで、江川卓投手の場合、正確には阪神-巨人にはならないんでしょうか、どうなんでしょうか。

14キャンサードリーム:2016/07/06(水) 07:04:15
選手別全成績の長崎さん二人いますが、どうなんでしょうか。

15ウスコイ企画:2016/07/06(水) 07:25:57
>キャンサードリーム様
ご指摘ありがとうございます!
原則としてシーズン期間中に在籍していた球団を対象に扱ってきておりまして、
元横浜のローズ選手も開幕前に退団したロッテ時代については
載せていなかったりします。厳密に言うとどうなのか、という所があるので
方針についてもう一度検討します。(基本的には掲載する方向で)
江川投手の阪神時代は書類だけの話で選手として実際に活動していないので
修正するとなっても所属球団名の部分だけになると思います。
長崎選手についてはどの部分でしょうか?五十音別の索引では、改名について
亀井義行(善行)のように読みの変わらないのは一行にまとめて
長崎慶一・啓二のようなケースは別々に分けていますので、これのことでしょうか。
片方の名前しか知らない人が探しても迷わないように、と思って分けています。

16sami:2016/07/08(金) 04:19:33
> ウスコイ企画さん
> コージさん
調べていただいて、ありがとうございます。
Baseball-Referenceの方は見誤ってました、申し訳ございません。

来日したときに球団に伝わった情報が間違っていて、
日米の文献で記載に差があるのではないかと推測していましたが、
国内の文献の中でも差異があり、向こうの文献の中でも差異があるとなると事態はなかなか複雑ですね...

17コージ:2016/07/23(土) 20:44:32
お疲れ様です。

今回は1954年です。

大阪-中日13回戦
この試合は 放棄試合となっておりますが
放棄試合の表記と
大阪のスタメンの確認 訂正宜しくお願い致します。

18sami:2016/07/29(金) 15:28:00
元阪神の杉本郁久雄選手について

生年月日が「1947.9.25」となっていますが、
・高校中退でなければ1年目が1965年なのは不自然
・1946年度生まれの秋山重雄、羽村起夫のWikipediaに「杉本郁久雄と同期」と記載されている
という点で1946年度生まれの方が自然だなあ、と疑問に思ったのですが、
もし複数のソースをお持ちであれば、よろしければご確認いただけないでしょうか。

ttp://www.jttk.zaq.ne.jp/genmatsu/list/sugimotoi.html
どの資料がソースかは分かりませんが、
こちらのサイトだと「1946.7.25」生まれとなっていますね。

19sami:2016/07/29(金) 15:29:07
> こちらのサイトだと「1946.7.25」生まれとなっていますね。
「1946.9.25」の誤りです。大変失礼しました。

20ウスコイ企画:2016/08/03(水) 20:53:32
しばらく留守にしておりまして申し訳ありません。
資料収集などで更新お休みしておりました。
明日から更新再開いたします。
コージ様、sami様、申し訳ありませんが今しばらくお待ち下さい!

21ウスコイ企画:2016/08/07(日) 13:50:07
>sami様
生年月日のことは、それほど説が分かれるような項目ではない気がしますが
不思議とそういうケースが出てしまいますね。
杉本選手は、2004年版の記録大百科と2012年版データファイルで1947.9.25となっているのを
参考にしていますが、ご指摘の通りだとも思います。もう少し、調べてみたいと思います。

>コージ様
1954年大阪-中日、試合放棄の表記と阪神のスタメンが1つずつズレていたのを修正しました。

ご指摘ありがとうございます!
お待たせして申し訳ありません。

22sami:2016/08/20(土) 01:59:27
信頼性の高いソースでは1947年度生まれになっているんですね。
調べていただいたうえ、参考元も提示していただきありがとうございます。

23ウスコイ企画:2016/08/20(土) 08:25:32
先日、図書館で2003年版のプロ野球人名事典を見たところ
1946年9月1日生となっていました。誕生日が疑わしいので
そのまま採用はできませんが、やはりsami様の推理のように
1946年生まれが正しいのではないかなと思っています。
何か資料が見つかればそれに直したいと思います。げんまつWEB様にも
聞いてみることにします。

24sami:2016/08/21(日) 03:04:31
元東急の荒木健治選手について

経歴が「熊本工」となっていますが、「熊本工-三井鉱山大牟田」とするネット上のソースが多く存在します。
こちらもお手数ですがもし複数のソースをお持ちであれば、ご確認いただけないでしょうか。
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8D%92%E6%9C%A8%E5%81%A5%E6%B2%BB
ttp://www.mg-fighters.net/fs/jinmei/player/a_gyo/k_araki.htm
ttp://www5c.biglobe.ne.jp/~mori95/khb/kh1941.htm
プロ入り時の年齢を考えると、ノンプロを経由している方が自然な印象はありますね。

25ウスコイ企画:2016/08/25(木) 21:21:12
sami様色々とありがとうございます!
先日の杉本選手も含め、正しい情報だと思いますので
資料を確認次第、直していきたいと思います。
荒木選手も手持ちの資料では熊本工としか書かれていませんが、
他に信用できる資料がきっとあると思っています。

26npbstk:2016/09/07(水) 23:26:30
ご無沙汰しております。ますます充実しておられますね。
データチェックに使わせていただいていますが、
その途中でいくつかミスを発見したのでお知らせします。

選手別全成績
1. 向井嘉久蔵 読み仮名が「かかい・きくぞう」とありますが、これはタイプミスでしょうか?
2. N.モーガン DeNA在籍時の2013年、出場試合数109とありますが正しくは108
これは9月8日、スタメン予定のモーガンが体調不良で出場を取り消した試合で、
スコアにモーガンの名前が消されず載っていたのを集計されたのではないでしょうか。
私も同じ目に会ったのを覚えています。エキサイトベースボールのスコアだったような・・・
3. 和田博美(博実) 出身校は臼杵高ですね。

公式戦全スコア
1. 1967年5月4日 近鉄-阪急3回戦 阪急の長池・中田両選手の守備位置に関して、
私が調べた限り朝日新聞東京版のみが
右 長池
中 中田
で、読売、毎日、神戸、朝日大阪版では
中右 長池
右中 中田
と掲載されており、多数決主義で私は後者を採用しています。
2. 1967年10月13日 巨人は広島・サンケイと変則ダブルヘッダーを行っていますが、
第1試合が広島戦、第2試合がサンケイ戦ではないでしょうか。
3. 1969年6月24日近鉄-阪急10回戦、7月3日阪急-南海12回戦、8月7日阪急-東映19回戦は
いずれも西京極球場で行われたのではないでしょうか。

確認よろしくお願いいたします。

27ウスコイ企画:2016/09/08(木) 21:10:32
npbstk様お久しぶりです!
色々とありがとうございます。一つ一つ確認して、
修正させて頂きます。少しお待ち下さい。

28しのうら:2016/09/10(土) 16:48:58
こまかーいところで。
1936年春夏の
名古屋軍とイーグルスの失策数、恐らく逆じゃないかと。
名古屋軍 →44・・・42では
東京セネタース→42・・・44では

29しのうら:2016/09/10(土) 16:58:39
わがDBの調べではこんな感じです。

名古屋
選手 守備位置 失策
浅原直人 3 3
岩田次男 5 2
後藤正 3 1
桜井正三 1 1
鈴木実 5 4
高橋吉雄 6 12
中根之 7 1
ノース ハーバート 1 4
野村実 4 5
服部一男 7 1
バッキー 2 5
前田喜代士 7 1
牧野潔 1 2

セネタース
選手 守備位置 失策
家村相太郎 3 2
石原繁三 1 1
苅田久徳 4 3
北浦三男 2 3
佐藤喜久雄 7 4
高橋輝彦 5 8
高橋輝彦 6 2
中村信一 6 14
野口明 1 2
山崎文一 7 2
綿貫惣司 3 3

守備位置
7・・・外野

30ウスコイ企画:2016/09/11(日) 20:08:04
>npbstk 様

ありがとうございました!訂正しました。
1.向井嘉久蔵 苗字は当然「むかい」が正しく、下の名前は野球関連書籍で
「きくぞう」となっていますが、ご本人の政治活動ブログで「かくぞう」と
明記されており、当然これを正として訂正いたしました。
ttp://ameblo.jp/mukai-kakuzou/
でもブログでは生年月日が1936年12月25日となっています。
1956年入団とすると1年ブランクがあることになり、1955年に練習生のような形で
入団していたのかとも考えましたが痕跡は見つけられず、疑問は残りますが
ご本人のサイト以上に信用できるものも無いでしょうから、こちらも直しました。

31ウスコイ企画:2016/09/11(日) 20:37:49
>npbstk 様

続きです。
2.N.モーガン ご指摘の通り、スタメン変更の試合の影響がありました。
偵察メンバー的な扱いになっているのかと思っていましたが、NPB公式を見たら
スタメン自体が無かったことになっていましたので、こちらも試合ページから
削除して108試合としました。

33ウスコイ企画:2016/09/11(日) 21:04:42
>npbstk 様

続きです。
3.和田博実 「日杵高」となっていたので、臼杵高と訂正しました。

1967年 近鉄-阪急3回戦
いくつかの新聞でご指摘通りであることを確認して、訂正しました。
この時期の長池と中田の守備位置は試合によって色々変わっていますが
どういう方針で使い分けていたのでしょう?
この試合、偵察メンバーに代わって出場のウインディも「左」→「打左」と訂正しました。

34ウスコイ企画:2016/09/11(日) 21:26:05
>npbstk 様

続きです。
1967年 巨人10/13
ご指摘通り、第一が広島戦、第二がサンケイ戦でしたので
チーム別ページを訂正いたしました。

1969年 阪急 6/24、7/3がそれぞれ日生、西宮となっており
ご指摘通り西京極球場が正解でしたので訂正いたしました。
8/7は西京極になっていましたので訂正無しで・・
西京極球場は女子野球の地みたいになって、めっきり公式戦が少なくなりましたね。
球場もレトロだし・・大阪が近いから市民にニーズが無いのでしょうかね。

35ウスコイ企画:2016/09/11(日) 21:38:59
しのうら様ありがとうございます!

そうでしたか。昭和11年春夏の試合ごとの守備成績、読売新聞で取得しておりましたので
そのうち整理して個人成績ページに反映させようと思っていましたが、
チーム計が違うんですね。こちらはプロ野球記録大百科を参考にしていました。
確認のうえ訂正します。

36sami:2016/09/18(日) 14:54:49
大変お世話になっております。

現在、日本プロ野球記録様のデータを元に
各球場の盗塁の出やすさの偏りを調べているのですが、
2000年の阪神において各試合ページの盗塁合計(52)がチーム盗塁数(53)に一致しませんでした。

選手別に見ると高波文一が2つ盗塁しているはずですが、
各試合のページだとシーズン全体で1つしか盗塁が確認できなかったため、
高波の盗塁が1つ漏れているかもしれません。よろしければご確認お願い致します。

37ウスコイ企画:2016/09/18(日) 18:42:35
sami様ありがとうございます!
2000年の高波選手の盗塁が1つ足りないのは認識しておりまして
レコードブック・朝日新聞・読売新聞等で過去にチェックしましたが
まだ見つかっていません。引き続き調査中です・・すみません。
この年は宮本慎也選手(ヤクルト)の失策も1個多くて、各新聞で確認しても
未解決になっている項目の一つです。

38コージ:2016/09/18(日) 20:23:08
sami様、ウスコイ企画様

私も高波選手の盗塁の記録を捜して見たのですが・・・

2000年の盗塁阻止率が

ヤクルト .622
横浜   .363
中日   .322
巨人   .263
広島   .255

ちなみに阪神は .312です
何か参考になれば

39sami:2016/09/19(月) 01:37:31
ウスコイ企画さん、コージさん、ありがとうございます!
レコードブックでも違っているとなると、公式の集計ミスの可能性も出てきて厄介ですね。

2000年ヤクルトについては私も確認してみましたが、土橋勝征の失策数が一つ足りないので、
各試合の失策数合計はチーム全体の失策数とは一致していますね。
どこかで取り違えが起こって、土橋の失策が宮本の失策となってしまっているかもしれません。

あと、2000年7月16日に千葉マリンスタジアムで行われた西武ロッテ18回戦について、
チーム全体の失策数が「5」となっていますが「4」ではないでしょうか。
推測になりますが、この試合は西武が試合途中にDH外しを行ったため
森慎二が野手欄と投手欄の両方に記載されているので、失策が二重集計されているかもしれません。

40sami:2016/09/19(月) 01:54:48
> チーム全体の失策数が「5」
すみません。説明が足りていませんでしたが、
西武のチーム全体の失策数です。

41ウスコイ企画:2016/09/20(火) 00:54:17
sami様ありがとうございます!
原因も含めてご指摘の通りで、訂正いたしました。
根本はこちらで作っているプログラムが原因で、手作業で直していたものが
元に戻ってしまっているので、他の年も同様のものがあると思います。
一斉に直します。申し訳ありません。

42ウスコイ企画:2016/09/20(火) 01:17:53
>>39 sami様
同様に、
2001年近鉄・水口の失策が1個多い(前田が1個足りない)
2002年横浜・金城の三振が1個多い(石井が1個足りない)
というのがあり、2000年以降で各試合ページの合計と個人年間成績の不整合が出ているのは
手元の集計ではこれだけです。
それ以前はちょこちょこありますが1964年以降では年間0件〜10件未満まで修正できています。
おっしゃる通り、公式記録の方は完全に正しいのだろうか?と思えるものもあります。
弊サイトの各試合ページでは扱っていない内容ですが1999年の巨人・岡島投手の暴投は
各新聞では4回確認でき、2000年版レコードブックでも4
これが2003年版大百科では3となりNPB公式サイトでも3 いつ、どういう経緯で訂正されたのだろうかと
思います。これも、この掲示板へ書き込み頂いたために気が付いたことです。

43sami:2016/09/22(木) 15:33:15
大変お世話になっております。
1994年近鉄において各試合ページの失策合計(84)がチーム盗塁数(85)に一致しませんでした。
選手別に確認したところ木下文信の失策が一つ足りませんでしたが、こちらも高波と同じ事情でしょうか?

> 弊サイトの各試合ページでは扱っていない内容ですが1999年の巨人・岡島投手の暴投は
> 各新聞では4回確認でき、2000年版レコードブックでも4
> これが2003年版大百科では3となりNPB公式サイトでも3 いつ、どういう経緯で訂正されたのだろうかと
> 思います。これも、この掲示板へ書き込み頂いたために気が付いたことです。

ttp://www.jiji.com/jc/article?k=2016061100156&g=bsb
試合の翌日に記録が訂正されるケースは度々あるようなんですが、
岡島の場合、年間成績として確定した後に訂正されているようにしか見えませんね。
それか2000年版レコードブックの誤植かどちらかでしょうか?

44sami:2016/09/22(木) 16:11:40
連投になってしまい申し訳ございません。

1993年6月18日に神宮で行われたヤクルト中日11回戦について、
中日のチーム安打が「16」となっていますが、正しくは「7」ではないでしょうか。
よろしければご確認お願い致します。

45ウスコイ企画:2016/09/22(木) 17:10:53
sami様ご指摘ありがとうございます!
1994年近鉄、木下投手の失策数は手元で洗い出せていなかったので
確認したところ8月25日西武-近鉄23回戦で1個見つかりましたので訂正しました。
1993年中日、スコアボードの安打数を7に訂正しました。

46ウスコイ企画:2016/09/22(木) 17:14:16
90年代の失策数は、
1999年ダイエー・井口が1個多い(松中が1個足りない)
1998年ロッテ・堀が1個多い
1996年オリックス・小川が1個多い(大島が1個足りない)
1992年ダイエー・浜名が1個多い(藤本博が1個足りない)
〃  阪神・和田が1個多い(八木が1個足りない)

となっていまして、1998年のロッテはチーム計が一致しないかも知れません。

47sami:2016/09/22(木) 23:54:23
訂正作業お疲れ様です。

次から次に申し訳ございませんが、
1991年のセリーグを眺めていて怪しいと思った箇所がいくつかあったのでご報告します。
よろしければご確認いただけましたら幸いです。
(現在記載されている数字)→(合っているのではないかと思われる数字)

1991/04/11 巨神03回戦 スコアボード上の阪神チーム安打 2→4
1991/04/21 広洋02回戦 野手欄の大洋チーム三振 2→4
1991/05/23 中広08回戦 広島所属の長内孝が中日の二塁打欄に記載されている
1991/06/16 ヤ洋13回戦 スコアボード上のヤクルトチーム安打 13→14
1991/06/19 巨神12回戦 野手欄の巨人チーム打数 34→33
1991/08/08 中ヤ19回戦 野手欄のヤクルトチーム四死球 5→4
1991/10/10 神洋25回戦 スコアボード上の阪神チーム安打 10→9 
1991/10/10 神洋25回戦 スコアボード上の大洋チーム安打 13→14 

1998年のロッテは各試合のページの失策数を数えたところチーム合計と一致していました。
他と同様に誰かの失策が代わりに1つ足りなくなっているかもしれません。

48ウスコイ企画:2016/09/23(金) 11:20:59
sami様ありがとうございます!
たくさんあって申し訳ありません。ひとまず、修正しました。
※はsami様ご指摘の内容です。スコアボードの安打数は
パの試合にもいくつか見つかったので、あわせて修正しました。
周辺の年度にも視野を広げて改めてチェック入れてみます。

※04/21 大洋-広島2回戦 大洋の三振数 2→4
※05/23 広島-中日8回戦 二塁打の長内 中日→広島の欄
※06/19 阪神-巨人12回戦 巨人の打数 34→33
※08/08 ヤクルト-中日19回戦 ヤクルトの四球5→4 

【スコアボードの安打数修正】
 04/09 オリックス-西武1回戦 オ7→8
※04/11 阪神-巨人3回戦 神2→4
※06/16 大洋-ヤクルト 13回戦 ヤ13→14
 07/12 ダイエー-西武11回戦 西9→7 ダ6→8
 08/07 ダイエー-日本ハム19回戦 日8→6 ダ8→10
 08/25 近鉄-オリックス23回戦 オ9→8 近5→6
※10/10 大洋-阪神 25回戦 神10→9 洋13→14

49ウスコイ企画:2016/09/23(金) 11:34:06
1998年ロッテの失策数は、改めて確認すると整合しました。
1999年版レコードブックの年度別成績によると堀の失策が1となっていて
影響を受けていたのですが、守備成績のページや2003年大百科では失策2となっており
こちらの方が正しいようです。
手元の確認計算に使っていたデータのみの修正で、サイトの方の修正はありません。
>>46の「1998年ロッテ・堀が1個多い」は取り消します。
sami様ありがとうございました!

50sami:2016/09/23(金) 20:06:04
訂正作業お疲れ様です。

新たに怪しい箇所を見付けましたので、よろしければご確認お願い致します。
1990/07/17 ヤ神13回戦 ヤクルト所属の飯田哲也が阪神の三塁打欄に記載されている
1988/04/15 近南01回戦 スコアボード上の近鉄チーム安打 7→6

加えて、1986年のパリーグについて
西武のチーム投手対戦打数(4292)と各試合ページの西武の対戦相手の野手打数の合計値(4293)、
ロッテのチーム投手対戦打数(4357)と各試合ページのロッテの対戦相手の野手打数の合計値(4356)が一致しませんでした。

原因箇所は特定できなかったのですが、10月3日の阪急西武26回戦において、
阪急野手欄が打数37、四死球4になっているのに対して、
西武投手欄の打席数は40しかないため、この試合が怪しいのではと思っています。

このシーズンのパリーグの打数の整合性について、もしよろしければご確認いただけないでしょうか。
チーム野手打数の方は各チームの野手打数合計値と整合が取れています。

51コージ:2016/09/23(金) 20:38:16
sami様

1986年10月3日
西武-阪急26回戦ですが

阪急36打数9安打
1打数多いのはブーマー選手だと思います

ウスコイ企画様
確認 訂正宜しくお願い致します。

52ウスコイ企画:2016/09/23(金) 22:04:03
sami様、コージ様ありがとうございます!

ご指摘の通り、10月3日 西武-阪急26回戦の打数 ブーマー6→5 阪急37→36
が正解でした。
一方で、8月21日 ロッテ-阪急19回戦の打数 ブーマー5→6 阪急40→41
が見つかりましたので、訂正いたしました。

選手個人で不整合が見つからなくても、チーム単位で精査すると
見つかることがあるんですね。この角度からのチェックも力を入れていきたいと
思います。
お二方ともありがとうございました!

53ウスコイ企画:2016/09/24(土) 01:05:09
sami様にご指摘頂いた2か所も修正しました!
1990年7月17日 ヤクルト-阪神13回戦
阪神の三塁打 和田、飯田 → 和田 に修正

【スコアボード安打数】
1988年4月15日 南海-近鉄1回戦 近鉄7→6
スコアボード安打数の不整合は、1988年はこの1箇所のみで
1985〜1994年を見たところ一通り大丈夫かなと思います。
他の年もチェックしてみます。

54sami:2016/09/24(土) 16:09:19
ウスコイ企画さん、訂正作業お疲れ様です。
コージさんもありがとうございます。

新たに疑わしい箇所を見付けましたので、よろしければご確認お願い致します。
1985/05/18 ヤ洋07回戦 スコアボード上のヤクルトチーム失策1→0 大洋チーム失策0→1
1985/10/02 洋巨25回戦 スコアボード上の大洋チーム失策1→2
1984/07/14 広神14回戦 スコアボード上の広島チーム失策0→1
1983/10/06 神ヤ23回戦 スコアボード上のヤクルトチーム失策0→1
1981/08/04 急南後期03回戦 スコアボード上の阪急チーム失策4→3
1981/09/15 急ロ後期10回戦 スコアボード上のロッテチーム失策3→2
1980/05/09 洋巨06回戦 大洋投手欄の田中由郎の打者数が空白になっている

加えて、1980年のセリーグについて
大洋のチーム失策(91)と各試合ページの大洋の失策合計値(89)、(山下大輔と田代富雄の失策数が1ずつ足りない?)
阪神のチーム投手対戦打数(4299)と各試合ページの阪神の対戦相手の野手打数の合計値(4300)、
中日のチーム投手対戦打数(4436)と各試合ページの中日の対戦相手の野手打数の合計値(4435)が一致しませんでした。
こちらもチーム野手打数の方は各チームの野手打数合計値と整合が取れています。
このシーズンのセリーグの数字の整合性について、もしよろしければご確認いただけないでしょうか。

55sami:2016/09/24(土) 17:04:20
次から次に申し訳ございません。

1980年のパリーグについて、投手失策が野手欄のチーム失策数に含まれていないケースがあるようです。
同年のロッテについて調べたところ、少なくとも以下の箇所が見つかりました。
1980/04/08 近ロ前期01回戦 ロッテの野手欄のチーム失策数1→2
1980/04/29 ロ西前期05回戦 ロッテの野手欄のチーム失策数0→1
1980/05/14 急ロ前期09回戦 ロッテの野手欄のチーム失策数0→1
1980/07/01 ロ西前期13回戦 ロッテの野手欄のチーム失策数0→1
1980/08/24 近ロ後期06回戦 ロッテの野手欄のチーム失策数0→1
1980/09/13 西ロ後期06回戦 ロッテの野手欄のチーム失策数1→2
1980/09/18 近ロ後期09回戦 ロッテの野手欄のチーム失策数0→1
1980/09/24 ロ日後期12回戦 ロッテの野手欄のチーム失策数0→1
1980/09/28 ロ近後期11回戦 ロッテの野手欄のチーム失策数0→1
1980/09/28 ロ日後期13回戦 ロッテの野手欄のチーム失策数0→1

それを踏まえた上で、
ロッテのチーム失策(91)と各試合ページの失策合計値(90)、(水上善雄の失策数が1足りない?)
西武のチーム失策(105)と各試合ページの失策合計値(104)が一致しませんでした。
このシーズンのパリーグの数字の整合性についても、もしよろしければご確認いただけないでしょうか。

57ウスコイ企画:2016/09/24(土) 18:36:41
sami様ありがとうございます!
■DH制での投手失策については、野手の合計欄には含めていませんので
他の年も一律そうなっていると思います。しかし先日ご指摘頂いたように、
DH解除後の投手が野手欄に登場するケースもあるため、
一律で揃えるなら投手失策も野手の合計欄に含める方向が良いかと思い
全体作業中です。
■1980年の失策数は、大洋の山下と田代、ロッテの水上、西武の山崎が
1つ足りないのでいくつかの新聞を調べてみましたが、未解決です。
■その他、スコアボードや1980年阪神中日の打数の件、それぞれ確認しますので
しばらくお待ちください。
お手数おかけいたします。

58sami:2016/09/24(土) 22:15:09
お忙しいところ、ご回答ありがとうございます。
こちらこそお手数をおかけして申し訳ございません。

59コージ:2016/09/24(土) 23:15:20
お疲れ様です

今回は1980年です

大洋-ヤクルト21回戦

大洋
門田投手 安打 自責点 空白です
共に0の様です


ヤクルト 対大洋 134得点101失点
      攻撃 890打数254安打 
      守備 863打数225安打です

ちなみに 中日-阪神ですが ミス無しの様です

ウスコイ企画様
確認 訂正宜しくお願い致します。

60ウスコイ企画:2016/09/25(日) 13:35:31
■1980年、訂正いたしました。
 大洋-巨人6回戦 田中投手の打者数空白→0
 大洋-ヤクルト21回戦 門田投手の被安打と自責点空白→ともに0
■中日と阪神の対戦打数は、
 5月23日 阪神-巨人8回戦 巨人・河埜の打数3→2 チーム打数36→35
 6月5日 中日-巨人10回戦 巨人・河埜の打数2→3 チーム打数29→30
 と、先日のブーマーの例と同様で巨人を仲介に発生していました。
■スコアボードの安打数、失策数は1936〜2015年を総チェックして
 ご指摘の分もあわせて全て訂正いたしました。ちらほらありました。

今回もお二方どうもありがとうございます!

61npbstk:2016/09/27(火) 21:37:51
遅くなりましたが訂正ありがとうございました。
1箇所こちらの勘違いでお手数おかけしました。

新たに1つ見つけましたので確認よろしくお願いいたします。
1972年4月17日 ヤクルトvs大洋 2回戦
ヤクルトの6番杉山重雄に代打山田勝国が起用され
そのままセンターの守備についたように記載されていますが、
杉山は投手で偵察メンバー、山田は代打でなく
1回表の守備からセンターを守ったと思われます。

とここまで書いてきて、
この年の杉山の打撃成績が6打数3安打であることに気づきましたが、
開幕直後の三原監督の起用法から見て、
杉山はやはり偵察メンバーだと思いますがいかがでしょうか?

62sami:2016/09/27(火) 22:04:20
大変お世話になっております。
訂正作業お疲れ様です。

新たに疑わしい箇所を見付けましたので、
もしよろしければご確認いただけましたら幸いです。

1979/04/22 西ロ前期03回戦 ロッテ投手欄の安木祥二の打席数が空欄になっている
1973/05/05 ロ近前期05回戦 近鉄投手欄の水谷宏の打席数が空欄になっている
1972/08/05 中広20回戦 広島投手欄の藤本和宏の打席数が空欄になっている
1967/06/15 広洋09回戦 広島野手欄のチーム打数40→32
1965/06/25 サ洋09回戦 サンケイ野手欄のチーム打数31→30 チーム三振10→9
1961/06/04 国中09回戦 国鉄野手欄のチーム打数29→28?
 ・中日投手の対戦打席30、与四死球が2なので29だと計算が合わない
 ・国鉄のチーム打数が29だと各試合ページの合計値が
  国鉄のチーム野手打数と中日のチーム投手打数と整合しないが、28だと整合する
1961/09/27 西近23回戦 近鉄野手欄のチーム三振3→4?
 ・西鉄投手の奪三振が4なので計算が合わない
 ・近鉄のチーム三振が3だと各試合ページの合計値が
  近鉄のチーム三振と西鉄のチーム奪三振と整合しないが、4だと整合する

1964年まで遡って整合性について調べたところ、以下の年度とチームにおいて
各試合ページのチーム成績集計値と年間チーム成績が一致しませんでした。

1977年中日 チーム失策数(80)に対して集計値(79)が1足りない 大島康徳の失策が1不足
1975年中日 チーム二塁打数(176)に対して集計値(175)が1足りない ローンの二塁打が1不足
1975年中日 チーム盗塁数(76)に対して集計値(75)が1足りない 井上弘昭の盗塁が1不足
1975年ロッテ チーム盗塁数(130)に対して集計値(129)が1足りない
1974年大洋 チーム打数(4354)に対して集計値(4353)が1足りない
1974年中日 チーム投手打数(4310)に対して集計値(中日の対戦チームの野手打数の集計値/4309)が1足りない
1974年日本ハム チーム失策数(110)に対して集計値(109)が1足りない
1973年ロッテ チーム失策数(87)に対して集計値(86)が1足りない
1972年中日 チーム失策数(95)に対して集計値(94)が1足りない
1972年大洋 チーム失策数(96)に対して集計値(95)が1足りない
1970年ヤクルト チーム盗塁数(62)に対して集計値(61)が1足りない
1969年大洋 チーム失策数(97)に対して集計値(98)が1多い S.ジョンソンの失策が1多い
1969年アトムズ チーム失策数(139)に対して集計値(140)が1多い
1969年近鉄 チーム失策数(109)に対して集計値(110)が1多い
1969年西鉄 チーム失策数(113)に対して集計値(114)が1多い
1968年広島 チーム失策数(102)に対して集計値(101)が1足りない
1968年近鉄 チーム盗塁数(151)に対して集計値(150)が1足りない
1967年巨人 チーム二塁打数(165)に対して集計値(166)が1多い 森昌彦の二塁打が1多い
1967年広島 チーム盗塁数(66)に対して集計値(65)が1足りない
1967年南海 チーム失策数(104)に対して集計値(105)が1多い
1966年西鉄 チーム失策数(112)に対して集計値(113)が1多い
1966年東映 チーム盗塁数(69)に対して集計値(68)が1足りない
1966年阪急 チーム失策数(114)に対して集計値(113)が1足りない
1965年阪急 チーム失策数(139)に対して集計値(140)が1多い
1964年阪急 チーム盗塁数(68)に対して集計値(66)が2足りない
1964年近鉄 チーム盗塁数(71)に対して集計値(70)が1足りない

ウスコイ企画さんが既に把握されているものもあるかもしれませんが、
こちらの数字の整合性について、もしよろしければご確認いただけないでしょうか。

63ウスコイ企画:2016/09/27(火) 23:29:55
sami様たくさんありがとうございます!!それらの不整合は把握しているところで
2〜3の新聞にあたっていまだ未解決のものです。内容を補足しますと、

1975年ロッテ チーム盗塁数(130)に対して集計値(129)が1足りない →菊川昭二郎
1974年日本ハム チーム失策数(110)に対して集計値(109)が1足りない  →阪本敏三
1973年ロッテ チーム失策数(87)に対して集計値(86)が1足りない →千田啓介
1972年中日 チーム失策数(95)に対して集計値(94)が1足りない →高木守道
1972年大洋 チーム失策数(96)に対して集計値(95)が1足りない →C.ボイヤー
1970年ヤクルト チーム盗塁数(62)に対して集計値(61)が1足りない →篠原良昭
1969年アトムズ チーム失策数(139)に対して集計値(140)が1多い →中野孝征と加藤俊夫が1多い、東条文博が1足りない
1969年近鉄 チーム失策数(109)に対して集計値(110)が1多い →鎌田実
1969年西鉄 チーム失策数(113)に対して集計値(114)が1多い →河原明
1968年広島 チーム失策数(102)に対して集計値(101)が1足りない →田中尊
1968年近鉄 チーム盗塁数(151)に対して集計値(150)が1足りない →安井智規
1967年広島 チーム盗塁数(66)に対して集計値(65)が1足りない →苑田敏彦
1967年南海 チーム失策数(104)に対して集計値(105)が1多い  →野村克也
1966年西鉄 チーム失策数(112)に対して集計値(113)が1多い →J.バーマ
1966年東映 チーム盗塁数(69)に対して集計値(68)が1足りない →佐野嘉幸
1965年阪急 チーム失策数(139)に対して集計値(140)が1多い →G.ウインディ
1964年阪急 チーム盗塁数(68)に対して集計値(66)が2足りない →衆樹資宏と中田昌宏が1足りない
1964年近鉄 チーム盗塁数(71)に対して集計値(70)が1足りない →山本八郎

1963年以前になるともっとゴロゴロありますので福岡等に遠征して
スポーツ紙をなめ回してくる必要があります。すぐには解決できません、どうぞご了承下さい。

64ウスコイ企画:2016/09/27(火) 23:32:28
すぐには直せない大量の不整合事項について、とり急ぎご返答させて頂きました。

その他のご指摘と、npbstk様のご指摘はそれぞれ確認の上、訂正させて頂きますので
少し日数を下さい。
お手数おかけいたします。

65ウスコイ企画:2016/09/30(金) 20:48:31
訂正遅くなり、申し訳ありません。

>npbstk様
■杉山投手は偵察メンバーとみて修正しました!
読売新聞では代打と書いておらず、こちらが正しいのだと思います。
わざわざ1回表だけ投手に外野を守らせるということはしないでしょう。
3安打を放ったのもこの後の話のようですから(笑)

>sami様
1979/04/22 西ロ前期03回戦 ロッテ投手欄の安木祥二の打席数が空欄になっている
1973/05/05 ロ近前期05回戦 近鉄投手欄の水谷宏の打席数が空欄になっている
1972/08/05 中広20回戦 広島投手欄の藤本和宏の打席数が空欄になっている
■こちら、いずれもゼロが正解で、訂正いたしました!

1967/06/15 広洋09回戦 広島野手欄のチーム打数40→32
1965/06/25 サ洋09回戦 サンケイ野手欄のチーム打数31→30 チーム三振10→9
■この2試合は先日訂正済でした。チーム合計の欄は、失策以外については
1965年まで遡って全試合をチェック、何試合か訂正をしました。

1963〜1950年の試合については、先日も少し書かせて頂きましたが
直すべきところがたくさんあり、全体的にチェックしながら整合させる作業に
なります。不整合の洗い出しは済んでいますが訂正には時間がかかりますので
どうかご了承ください。

66sami:2016/10/01(土) 02:03:14
お忙しいところありがとうございます。
お手数お掛け致します。

67sami:2016/10/01(土) 19:23:15
1955年の広岡達朗選手の守備成績について
二塁手では出場試合数に対し刺殺・補殺が多すぎるのに対し、
三塁手では出場試合数に対し刺殺・補殺が少なすぎるので、両者が逆転しているかもしれません。
よろしければご確認お願い致します。


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