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コピペ用すれ

676避難所の名無し三等兵:2017/01/24(火) 19:38:40 ID:rezlAOKM0
347 名無し三等兵 sage ▼ 2017/01/24(火) 12:55:34.62 ID:WPO9zSXc [4回目]
洗脳したのか。
汚い 流石日本の官僚 汚い!__

ttp://blog.goo.ne.jp/tike_hiko2000/e/64734c52047ecfa99f1df0a06a803d32

 政治のことばかり話しましたが、クリントン時代は日米間の経済問題も本当にひどい状態でした。日本と経済交渉を
始めた時のクリントン政権の理屈は「とくにレーガン・中曽根時代に牛肉やオレンジなどいろいろ自由化をしてきたと
言っていたことがインチキだったのではないか。日本の対米黒字がちっとも減っていないではないか」と、いうわけです。
口では自由化といっておきながら、裏で通産官僚が「アメリカ製品を買うな」と行政指導しているのだという。だから
アメリカの製品がいくら優れていてもちっとも売れないのだと。言葉だけでは意味がないから、自動車なら何十万台
買うという数値目標を日本に飲ませろと言い出したのです。通産官僚の権力で日本人に買わせればいいというムチャ
クチャな議論です。
 そんな交渉を2年半、数値目標を飲め飲めと言うだけのアメリカに対して、日本は「それはダメだ」とだけ言って、怒ら
ないで最後までよく付き合いました。ホワイトハウスの役人が日本の外務省と通産省の役人を呼んでガミガミ言うだけ
の交渉でした。交渉の終わりのころになると、円高が始まりました。日本が「苦しい」と言うと、カンター通商代表が記者
会見で「日本に同情する理由がない」と公然というわけです。マーケットは「アメリカ政府は日本を円高にさせているのだ」
と思います。それでまた、どんどん円が高くなり、80円を切りました。あの80円があれから1年でも続いていたら日本
経済は壊滅していました。


348 名無し三等兵 sage ▼ 2017/01/24(火) 12:55:58.15 ID:WPO9zSXc [5回目]
 その状態に危機感を持ったのがペンタゴンです。このままでは日米同盟がダメになってしまう、何とかしないといけ
ないと。そのころ、ハーバードから、ジョセフ・ナイという人が入って来ました。この人は民主党のリベラルですから
「日米同盟はもう古い。こんなものやめてもいい」という考えでしたが、ペンタゴンに入ってから、みんなで洗脳したの
です。初めの意見をどんどん変えさせ、95年2月に、いわゆる「ナイ報告」を書かせました。その時は円が80円を切る
ような最高の時期です。
 「ナイ報告」は日米同盟が大事だということを書いた国防省の正式報告です。その中に「経済摩擦は、同盟の基礎を
揺るがせてはならない」という文章を入れました。これを見てホワイトハウスは怒りました。こんなことを書いたら、日本に
数値目標を飲ませる最大のテコがなくなるではないかと。つまり、日本がそんなに降りないなら日米安保条約を切るぞ
といっておどかす気があったということです。
 当時のロンドンエコノミストは論文を掲げて、これで日本は降りない。いくらアメリカが拒否しても同盟は安全だと。
そこでアメリカはあきらめて、外車の代理店の許可基準を甘くするとか、小さな譲歩をいろいろ日本から取りました。
そして、アメリカ政府は「われわれは日本から十いくつもの譲歩を勝ち取った。大勝利である」と勝利宣言して終わり
ました。あのとき、本当に日本の経済を救ったのは、中曽根・レーガンのときに日本が営々として築いてきた、親日の
ペンタゴン人脈だったのです。それがなかったら日本はどうなっていたか分からないほどの危機でした。




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