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It's beginning to and back again

298M=M ◆eskwQ12oL2:2011/02/01(火) 02:14:29 ID:fdJzhULc
同前

具体的な運命が人間にある苦悩を課する限り、人間はこの苦悩の中にも一つの課題、しかも一回的な運命を見なければならないのである。
人間は苦悩に対して、彼がこの苦悩に満ちた運命と共にこの世界でただ一人一回だけ立っているという意識にまで達せねばならないのである。
何人も彼から苦悩を取り去ることはできないのである。何人も彼の代わりに苦悩を苦しみ抜くことはできないのである。
まさにその運命に当たった彼自身がこの苦悩を担うということの中に独自な業績に対するただ一度の可能性が存在するのである。
強制収容所にいるわれわれにとってはそれは決して現実離れのした思弁ではなかった。かかる考えはわれわれを救うことのできる唯一の考えであったのである!
何故ならばこの考えこそ生命が助かる何の機会もないような時に、われわれを絶望せしめない唯一の思想であったからである。
素朴に考えられるような人生の意味といった問題からわれわれは遠く離れていたのであり、(中略)われわれにとって問題なのは死を含んだ生活の意義であり、
生命の意味のみならず苦悩と死のそれとを含む全体的な生命の意義であったのである。
苦悩の意味が明らかになった以上、われわれは収容所生活における多くの苦悩を単に「抑圧」したり、あるいは安易な、または不自然なオプティミズムでごまかしたりすることで
柔らげるのを拒否するのである。
われわれにとって苦悩も一つの課題となったのであり、その意味性に対してわれわれはもはや目を閉じようとは思わないのである。
苦悩もわれわれの業績であるという性質をもっているのであり、それこそリルケをして「苦悩の極みによって如何に昂められし」とうたわせたものなのである。


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