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It's beginning to and back again

275M=M ◆eskwQ12oL2:2011/01/03(月) 02:03:55 ID:4GyeId/Q
「なぜ『共産主義者宣言』(マルクス)か」 柄谷行人

われわれは「理念」について再考しなければならない。たとえば、カントにおいては、われわれが理論的にけっして知りえず表象できない「物自体」を想像的に表象したものが「理念」である。
注意すべきことは、「物自体」という概念が、イデアのような真の世界ではなく、そうしたものを仮象として批判しうる根拠として提起されていることである。
同時に、カントは、理念をたんに否定しなかった。それは、理論的には証明しえないし、また「構成的」に実現されてはならないが、「統整的」に機能する不可欠な仮象である。

マルクスは、歴史を動かしているような理念を否定した。彼が見ようとしたのは、いわば物自体としての歴史であり、それは資本主義によってたえず予想をこえて変形されている。
「ブルジョア階級は、生産手段を、それゆえ生産関係を、それゆえ社会関係の総体を、絶えず革命することなくしては存続しえない」(マルクス)
要するに、資本は、「社会関係の総体」をたえず変えなければ存続できない。
そしてこの変革は新たな「階級闘争」をもたらす。しかし、この変革が予見しえないものであるならば、それがもたらす「階級闘争」も予見しえない。

マルクスはたんに「理念」を否定したのではない。彼は、理論的に仮象であるにせよ、「理念」の必要と不可避性を認めていた。
彼が否定したのは「理念」の「構成的」機能である。彼が未来のプログラムを拒否したのはそのためである。
「共産主義とは、われわれにとって成就さるべきなんらかの状態、現実がそれへ向けて形成さるべき何らかの理想ではない。
われわれは、現状を止揚する現実の運動を共産主義と名づけている。この運動の諸条件はいま現にある前提から生じる」(マルクス)


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