したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

It's beginning to and back again

238M=M ◆eskwQ12oL2:2010/10/27(水) 02:19:17 ID:i4OQmZ3.
同前

*判断力の全般的衰弱
今日西洋に生きているごく当たり前の人の場合、彼は余りにも多くのことを知らされすぎている。
既成の文化一式の強引な働きかけにあって、その言うがままに考え、利用してしまうという危険から身をかわすことは困難であろう。
多種にわたる皮相な知識、批判の武器を具えていない視線にとってはあまりにも広すぎる精神の地平、ここに、判断の能力は不可避的に弱まっていかざるをえない。

現代の大衆娯楽・宣伝のメカニズムは、集中ということを妨げる働きを極度に持っている(例 視覚的暗示への即座の反応)。内省と献身が欠落しているのである。
己自身の内面への回帰、この瞬間への没入、これこそが、文化を求める人間にとって欠くべからざる心の構えなのである。

*ピュアリリズム;判断能力の発展段階から見てそれ相応以下にふるまう社会、子供を大人へ引き上げず逆に子供の行動にあわせてふるまう社会の精神態度
それは二様にあらわれる。一つ、真面目で重要な活動と目されながら、その実それが全く内容空虚な遊びとしての性格を帯びている場合。
一つ、確かに遊びと目されてはいるのだが、しかしその行動の態様からして真の遊びとしての性格を失っている場合。すなわち遊びと真面目の区別の混乱。
現代においては、遊びは多くの場合、終わらないのである。従ってそれは真正の遊びではない。

永遠の青年期;適切と不適切を見分ける感情の欠落、他人の意見を尊重する配慮の欠如、個人の尊厳の無視、自分自身に対する過大な関心。判断力と判断意欲の衰弱がその基礎にある。
このなかば自ら選び取った昏迷の状態に、大衆は非常な居心地の良さを感じている。
ひとたび倫理的確信のブレーキがゆるむや、いついかなる瞬間にも危険極まりないものとなりうる状況がここにある。

*カタルシス;浄化、ギリシャ人は悲劇を観終わったあとの精神状態をそう名づけた。哀れみも恐れも消え去った心の平静さ。事物の基底に触れたところに生じる心情の純化。
心は、ここに、真面目に新たに義務を遂行し、運命に耐えようとする。傲慢は打ち砕かれる。生の激しい衝動は遠ざけられる。
時代の要請する精神のクリアリングには、新しい禁欲が必要とされよう。純化された文化の担い手は、いわばあさまだきに目覚めた者でなければならないであろう。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板