したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |
レス数が1スレッドの最大レス数(1000件)を超えています。残念ながら投稿することができません。

【姉さん】楽とにんぎょの釣堀でだっふんだ♪【事件です!】

963すいか@名無しさん:2016/07/25(月) 21:19:22 ID:r4DWZk.I0
数年ぶりの漫画喫茶なう。
僕はスマホに変えて以来、家でのPCを止めてしまったからパソコンから書き込むというのも数年ぶり。
明日休みで暇だからちょっと久しぶりに色々呟いてみよう。
この掲示板の設立は確か2007年ぐらいのことだったように思う。
僕は会社を辞めて1年ぐらい経ってフリーターとしてぶらぶらしていた頃のことだ。
渋谷の飲食店で皿洗いのバイトをしていた。
皿洗いなら人目につきにくいし学生でもないのにアルバイトをしているということがどうも人に誇れなかったからだ。
若い学生がたくさん集うような店で働くことは嫌だった。
2007年1月ぐらいにマクドナルドで働いた。
そこは高校生ばかりで23歳の僕ですら浮いていた。
馴染めずすぐに辞めたのだがこの時になって初めて仕事ってなんでも良いじゃなくて選ばなければいけないんだってわかったんだ。
一度何も考えずに就職して失敗した。だから同じ失敗は許されなかった。
バイトをしながら自分は将来どうなってしまうのかという不安は常に感じていたし親に合わせる顔もなかったから実家に帰ることもしなかった。
いくつか中小企業の面接を受けて来てくれ的な話や内定に至ることもあった。
これは自慢なんかじゃない。就職難とはいえ中小企業は人手不足で困っていた。
23歳であれば就職は難しくなかった。
しかし、また中小企業で異国の地に就職すればまた同じ失敗をしてしまう。
だから踏ん切りがつかなかった。
その間、いくつか公務員試験を受けたりもした。実家に帰るのは公務員試験を受ける時だけだった。
そんな中、今の職場の受験案内を見つけた。暑い夏の最中だったように思う。
締め切りまであと数日あった。なんとなく申し込む。
結果としてそこに就職することになるのだが長野の地に帰ることになったら両親は嬉しそうだった。
大学時代に内定が出ても卒業して就職しても嬉しい顔を一つもしなかったのは僕の就職先がよっぽど不本意だったのだろう。
結果として良かったと思っている。
僕は地元を捨てて東京に行き、好きなように生活をしたから長野に友達はほとんどいない。
連絡をくれる同級生はいるけどいつも遊ぶような連中はいない。
中学は地元ではなく、高校も地元から離れてしかもだいぶ孤立した高校生活だったからまぁ自業自得ではある。
最近はそれを負の要素ではなくそれはそれでしょうがない、と割り切ることができている。

今は親の買い物を手伝ったり、親父を野球場に連れて行ったりして良い親孝行ができていると思う。
もしあのまま東京にいたら長野に帰ることは多くて年に2回ぐらい。
あと親父が15年生きるとしても30回しか会えないことになる。
たった30回だよ。何の恩返しもできないことになってしまう。
このことに気付いただけでも本当に良かったと思っている。




掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板