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趣味の愚痴

3紋章官:2014/11/14(金) 22:00:26
コミケの当落通知に原稿をせかされる今日この頃、いっぽうで趣味の付き合いにも追われています。それに22日は趣味の鑑賞会、23日はコミティア。あわただしいところです。原稿、進むかなあ〜

さて古本まつりはほどほどに収穫があり、大刀剣市ではガラス越に眺めていました。やはり数があると、いろいろ見れます。
その前の週ですが、京橋祭りのパレード、来年4月の北陸新幹線開通のPRで、石川県のお祭りの代表がパレードに参加。加賀鳶、大灯篭などと共に田楽神楽もきていました。
なかなか田楽を見る機会がないので、ありがたいところ。躍動的な舞いと動き、見ていて、舞人方がかぶっていた笠が外れたり、靴が脱げたり、あらら、アスファルトの上では大変です。石川県で田楽踊りをするのはどこなのだろう?ささらを鳴らして、太鼓と笛の拍子で舞い続ける。雅楽から派生して名前のごとく、田植え行事に行われる農耕儀礼として広がる。映画「七人の侍」のラストシーンでも、春を迎え村を離れる生き残り三人が見つめる田植え作業では、腰の太鼓を打ち、笛を鳴らす囃子方、そして田植え娘が歌を歌うシーンがありましたが、これは田楽儀礼の簡易な、もしくは原型ともいえる姿。
田植えを単なる農作業ではなく、冬を越えて春を迎えた喜びを表し、秋の収穫を願うものとして位置づけ、一種の祝祭の意味合いがあったのです。もちろん、拍子をとることで、田植えの効率を上げることもあったのでしょうが、いつしか、それを越えたものとなっていたのです。
この田楽、かなり古いもので、遅くとも平安中期には出現、平安後期に「永長の大田楽」という京都での熱狂的な田楽ブームが発生、昼夜問わず、老若男女貴賎入り乱れ踊りに興じた事件が生じています。それだけに、かなりの広がりがあったはずですが、やがて田楽から猿楽、猿楽から能楽と生じていく中で衰退、地方芸能でいくつか残るだけの状態。
それだけに見る機会が少ないだけに、偶然、見れたのは幸運でした。それではまた。


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