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歴史漫画再び

5紋章官:2013/10/11(金) 22:57:27
なにやらまた暑くなりまして、それでも夜は涼しい風が吹くのは10月らしいところ。まもなくコミティア106.KODAIさん、参加サークルの紹介、いつもご苦労様です。そのあとにには神田の古本まつり!アマゾンや、ネットで本を探すのもいいでしょうが、足で本屋を回るのもいいですよ!チェーン店、大型書店と違う、街の本屋さん歩きも楽しみのうちです。

さて歴史漫画再びの「風雲児たち」ネタを引っ張ります。この漫画、江戸260年間を通じて案内しているので、いろいろな人物を紹介しますが、そこで通説と異なる視点で光を当てることもあります。その一人が田沼意次。
彼の業績と手腕について好意的な評価を与えています。基本的に彼は江戸時代において、重商主義者として商業資本を取り入れて経済振興を行い、幕府財政安定化を図ったといえます。その中でも見るべきものは輸出政策による海外貿易収支の改善。
いわゆる鎖国による制限貿易、それでも新井白石が問題視したように、輸入品の代償に銀や銅が流出。もちろん漆器や焼き物など工芸品の輸出もありましたが、それは規模が小さく、貿易は慢性赤字状態。そこに田沼意次は海産物や養蚕の振興で輸出産品を増やし、貿易黒字化を達成、そのことで得た銀をもとに南遼一分銀を発行させます。
この彼の政策の前段階に徳川吉宗による実学書輸入の解禁があります。天文愛好家の理数系将軍吉宗は好奇心から西洋の学術書の輸入を許すだけでなく、象に見られるように、海外産物の入手に勤めています。
その先例が田沼意次の政策の足がかりになっていたことは十分予想できます。しかも田沼意次は海外貿易をもっと本格的に行おうとしていたと言われます。
すなわち開国。彼は重商主義の中で、国内経済の限界を見ていたのかもしれません。そのため海外へ乗り出す貿易船を建造、試験航海させており、それを偶然、外国船が目撃、その変わった姿の記録を残しています。
その開国が主に海外貿易を目的にして、どの程度の港を開くものだったかはわかりませんが、少なくても古記録を引用して「権現様」の時代の朱印船貿易レベルまで狙った可能性は十分あります。なにしろ東照大権現徳川家康は蓄財好きで、海外貿易にも熱心だったのは周知の事実。イギリス、オランダとの交易を許し、朝鮮との貿易復活を図り、薩摩の琉球征服を認めて、南蛮貿易航路の安定化を志向したことは周知の事実。
この先例をもってすれば、徳川家光時代に始まるいわゆる鎖国、現在では制限外交との解釈に傾きつつありますが、そんな限定的海外交流を「権現様」先例により開国に変更することは可能性として十分あったものと思われます。
しかし、この開放政策は息子意知の殺害と彼の失脚により頓挫、幻となります。しかしながら、この田沼意次の開国が行われた場合、日本史がどんな展開をそのたどったかは一つのイフとして魅力的なものではあります。それではまた!


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