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ハトホルと助六寿司をつつきながらベロニカまゆさんとニュートラル
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>>41
ヴェロニカまゆさん
返信ありがとうござます
立川談志師匠が非常に好んでいたジョークに
「君はいつも僕に反対するね」
「僕が反対しなかったら二人とも間違っちゃうよ」
というものがありますが示唆に富むものだと思います
「みんなが善しと思ってる事は必ずしもそうではない」
「真っ向から反する事にあえて身を投じて知らしめる他ない」
それを生き様として見せたプラントと同時代と言われる
哲学者のディオゲネスも面白い人物ですよ
(「狂ったソクラテス」とまで呼ばれた人ですんで)
完全に私見なのですが
史上あまたの多くの人が自己流の解釈を残す中で
よく「草木に仏性あり」とか「人間には本来仏が備わっている」とか
そういった解説をなされていますけれども
ここでいう「仏」は「自然の原理」と同義に思えるのです
つまりは究極(あるいは極端)には「草木には自然の原理が働いている」
「人間にも自然の原理が備わっている」と言っているのであり
仏=格段な・崇高な存在という意味とは限らないのではと思っています
難しいのはそれを”理解した上で実践もして生きる”という事なのでしょう
「本能のままに生きる」は「欲望のままに生きる」ではありませんからね
自然界には他の命を食らう獣もいるし他の体を乗っ取る寄生者もいる
反面には大きいものにつき天敵を払うものなどもいますが
それは”悪意”でも”善意”でも何でもなく「現実を生きる為」の所作であって
それ以上でもそれ以下でもないのではないかと思います
巷の”高次元”とはもしかしたら”原点”なのかもしれません
数学のグラフでも”原点”はそのまま”頂点”でもあります
本来が最も安定した状態というまぁ言葉遊びレベルではありますけれども
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