したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

自分の愛する球団を「この指揮官に任せたい!!」

47なべつねもどき:2007/01/19(金) 13:05:16 ID:GhvbsqOo0
あの年は野村克也・稲尾和久・村山実と三人の青年プレイングマネージャーが誕生しましたね。
この中で成功を修めたのはこん日になって振り返れば野村だけでしょう。
野村は良きも悪きも日本の野球に革命をもたらしました。
四季さんも云われるとおりID野球や抑え投手の確立など、それまでの大まかな野球を変えマニアにうける野球と申しますか、細かい野球
を推進しました。IDに付いては誰のネーミングか知りませんが当初野村自身は「考える野球」という表現を使っていたと思います。
南海ホークスはそれなりの成績を収めましたが、婦人が〔有名なサッチー〕現場に介入し選手達の反感を買い野村は失脚しました。
行き場を無くした野村をロッテ監督の金田正一が救い、一兵卒として野村も頑張りこん日の基礎としました。
その後の監督としての活躍は云うまでもありませんが、彼の罪は考える野球を推進するあまりサイン盗みなどエスカレートしていった事です。
塁上の走者が打者に送るくらいは私は技術と捉えていますが、スタンドからスパイするのは卑怯だし行きすぎ行為です。
そしてそれに対応するため捕手もサインが複雑になり試合時間にも多いに影響いたしました。

稲尾和久は八百長問題で西鉄ライオンズがガタガタの時でしたので気の毒に一語に尽きると思います。

さて村山実ですが彼ほど人間的煩悩をさらけ出した選手は今後も出ないでしょう。
敵と味方をハッキリと識別し、同じ阪神球団にもライバルを認めません。
オールスター戦で長島・王と同じベンチに座っても話もしませんし眼も合わせません。
古くは小山正明に始まり、山内一弘・吉田義男、後輩の江夏豊に及ぶまでミスタータイガーズを巡る内紛劇の主役でした。
しかし投手としての村山の実力は素晴らしく、あれほど「一球入魂」の投手は今後も出ないでしょう。
村山と云えば思い出すのは涙の抗議事件です。
巨人戦の大事な場面で投げた一球を『ボール』と判定された村山はマウンドからホームまで脱兎のごとく飛んできて
『ど真ん中やで』と集音マイクが何度も声を拾うなか号泣でした。
後年ヤクルトの投手が巨人ベンチに大差での全力疾走をヤジられて泣いたのとは意味も内容も違います。
ちなみにこの件は巨人が間違っています。

こんな熱き漢・村山ですから監督になってからは上手くいくはずはありません。
金田正泰コーチとの実権を巡る確執が生まれ、またもや阪神お得意の内紛です。
結局村山は破れましたが、彼の選手時代の実績をいささかも汚すものではなかったと私は思っています。
解説者時代の村山はまったく聴くに値しない内容しかありませんでしたが、私は村山をマウンドこそ彼の
居場所でベンチやブースでは燃え無い漢だと理解しています。

長くなりましたが最後にひと言。
今回も質問上手な四季さんに答える形で昔話を長々と書いてしまいました。
村山だけでもこの十倍くらい書きたい事、伝えたい事はあるのですが端折って書いても
私の筆力不足で話が長くなってしまいます。
若い世代の方が読まれたら爺の昔話は見苦しいかと存じますが決して老を誇ってるのでは無く
いたずらに馬齢を重ねた事を恥じ入り懺悔の気持ちも持って記しています。
確かに若い方が知らない過去の野球界の出来事を見聞きしていますが、その分皆さんほど未来のプロ野球
を観る事は出来ませんのでどうぞご寛容のほどを。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板