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☆村田諒太☆金メダル☆48年ぶり☆75㌔級☆

1金メダリスト:2012/08/12(日) 16:50:39
WIKI
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%91%E7%94%B0%E8%AB%92%E5%A4%AA

BLOG
http://ameblo.jp/murata-r/

座右の銘
努力したから報われる訳じゃない。でも努力しないと報われない。

2:2012/08/12(日) 17:02:03
>BLOG
http://ameblo.jp/murata-r/

ブログにお祝いコメが全く無いのが残念…

3:2012/08/12(日) 17:13:08
プロにはならんのかな〜
年齢的に厳しいか

4.:2012/08/12(日) 17:53:14
苦悩の4年去来=献身の妻「言葉にできない」―

「この日をずっと待っていたので最高に幸せ」。ボクシングで48年ぶりの金メダルを日本にもたらしたミドル級の村田諒太選手(26)=東洋大職=。五輪への挑戦を支えた妻佳子さん(30)は、優勝が決まった瞬間、村田選手が味わった苦悩の日々が脳裏をよぎったという。
激しく打ち合った選手2人は、試合が終わるとリング上でガッツポーズ。ざわめく会場に勝者の名が告げられ、大歓声に包まれた。
 
「この4年間いろんな苦労があったので、一気に思い出がよみがえって…」
目を真っ赤にした佳子さんは、レフェリーに手を挙げられる村田選手を、観客席から見詰めた。
北京五輪を目指したが「世界の壁」を痛感し、一度引退していた。「抜け殻のようで、心ここにあらずという感じだった」。ボクシングを心から愛していたのだと知らされた。
 
その後復帰を果たしたが、体力的にも精神的にも追い込まれた時期を間近で見てきた。
「脳の検査を受けた方がいいよ」。
体を気遣って口に出た言葉だったが、「自分の体のことは分かってる」と怒られた。
並々ならぬ覚悟が伝わった。
 
出会った時から、五輪への夢を語っていた。
まっすぐな性格に引かれ、いつしか「2人の夢」に。

落ち込んだ時は、持ち前の明るさで村田選手を元気づけた。
自宅の冷蔵庫には佳子さんの書いた張り紙がある。
「オリンピックで金メダルを取れました。ありがとうございました。村田諒太」。
目標に向けて突き進んでほしいと思い、あえて過去形にした。
 
「努力は夢をかなえさせるんですね」。悲願の金メダルで輝く夫の顔には、激戦を物語るあざが残る。
「これからは何も考えずに、ただふざけ合いたい」

5:2012/08/12(日) 18:01:53
プロ転向も 村田が今後の進路に含み
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/sports/fight/583353/slideshow/500577/

6:2012/08/12(日) 18:03:16
村田諒太(東洋大職)は11日、今後の進路について、
「これがゴールではない。それがアマなのか、プロなのか、もう一回五輪を目指すのか」
と述べ、プロ転向も選択肢の1つであることを認めた。

26歳の村田は将来的に指導者になることを希望している。
「まずは東洋大で一人前の職員になり、大学に貢献したい。
 これからの人生が僕の価値になる。
 恥ずかしくないように生きていく」
と話した。

日本勢として48年ぶりのボクシング金メダリストだけに、動向が注目を集めそうだ。

7:2012/08/12(日) 18:05:05
村田と清水が日テレのバンキシャ!に生出演中やで

8:2012/08/12(日) 18:05:36
村田は
「(勝因は)スタミナと神様が僕に味方してくれたこと」と会心の表情。

涙はなく、さわやかな笑顔だったことには、
「これがゴールなら感動して泣き崩れていたでしょうが、このメダルが僕の価値ではない。これからの人生が僕の価値になる」
と成熟した大人のコメント。

「みなさんに感謝したい」と感慨に浸った。

9:2012/08/12(日) 18:08:35


ミドル級の後輩「神の域」=本監督

強豪ひしめくミドル級での村田の偉業に、本監督も感慨深げ。
自身も1996年アトランタ五輪に同級で挑戦し、世界の壁に阻まれた経験を持つ。

「神の域。一番立派なのは練習熱心なこと」と村田をたたえた。

同監督は低迷期の2004年アテネ五輪から3大会連続で代表を率いる。
今大会の躍進の背景の一つに、プロとアマチュアの交流が復活したことを挙げ、
「プロのジムに行ってスパーリングできたのも、強化の向上につながった」とみる。

また、前回北京五輪から強い打撃を有効打とする採点基準が導入されたことも追い風に。
「しっかりしたパンチが得点になるボクシングに変わり、日本に向いてきた」と分析した。
 
選手の希望を聞き入れ、今大会前は減量重視の練習メニューにするなど配慮もした。
「いろいろな人に協力してもらった。早く帰ってビールを飲みたい」と、重圧からの解放感に浸った。

10:2012/08/12(日) 18:17:57
今NHKにでとる

11、、:2012/08/12(日) 18:29:18
「眼光鋭い一匹狼」。
村田の中学時代の恩師、坪井義夫さん(56)が言う。

村田がボクシングを始めたのは中学1年のとき。
髪を染めて登校した村田に、担任教諭が「力を持て余している。何かさせないと」と考えた。

「格闘技ならやったる」
と吐き捨てた村田だが、持ち前の負けん気でみるみる強くなった。

高校時代に5冠を達成。賞状を自慢げに見せびらかした。
その振る舞いに、当時、村田を指導した高見公明さん(52)は
「謙虚さがない」と諭した。

12、、:2012/08/12(日) 18:31:03
懸念は的中する。

北京五輪の代表選考試合で敗北しそのまま引退。
傲慢はもろさと表裏一体だった。

だが、ここから成長が始まる。

大学ボクシング部のコーチに転身するも「今の自分に満足できない」と再起。
朝6時から練習、昼は大学職員、夜も練習という多忙な毎日を重ねてきた。

平成22年には家族もできた。
ロンドン五輪準決勝前、妻の佳子さん(30)との間に生まれた晴道君(1)の動画を見て、自分を鼓舞した。

村田は今大会、その半生を象徴するかのように、
準々決勝、準決勝と相手にリードされる展開でも前に出続け、逆転勝利を重ねた。

佳子さんは「長男が生まれ、夫はどんどん男らしくなった」という。
高見さんも「謙虚に考えられる選手になった」と目を細めた。
村田は最高の舞台で光を放った。

13.:2012/08/12(日) 18:47:25
https://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=fDItKcpVzwg

14ヒズボラ:2012/08/12(日) 21:31:05
伝説的な選手には、なぜか姉さん女房を好む人が多い・・・・・ナポレオンの最初の奥さんも年上だったそうですね。

15:2012/08/12(日) 23:48:52
男子ミドル級で金メダルを獲得した村田諒太は12日の記者会見で、
プロ転向の可能性について
「ほぼない」と話した。

「アマチュアがプロの下にあるわけではない。五輪のメダルという価値のあるものを追い続けてきた。僕があこがれるものはそこ(プロ)にはない」
との考えを示した。

26歳の村田は、優勝を決めた11日の試合後に「これがゴールではない。それがアマなのか、プロなのか、もう一回五輪を目指すのか」と述べ、プロ転向も選択肢の一つであることを認める発言をしていた。

16:2012/08/13(月) 07:54:42

挫折3度…村田の強さは、逃げても戻る“ずぶとさ”

始まりは、行き場のないエネルギーが言わせた思いつきだった。
奈良・伏見中1年の春休み前、家庭の事情で不安定だった村田は突然、茶髪で登校した。
担任の北出忠徳先生(47)にすぐに髪を染め直され「なんや!」とにらんだ。

「何かしたいことないんけ」と言われ「勢いでボクシングぐらいならやったるわ!と答えた」という。
すると、その週末に奈良工(現・奈良朱雀高)に連れて行かれた。

奈良工は、後のWBA世界王者名城信男が主将を務める名門。
「馬かと思うぐらい」走らされて逃げ出した。

中2の夏に思い直して頭を下げ、練習参加を頼むと、高見公明監督は
「何しとんか」のひと言で受け入れてくれたという。

ここでも村田は右足首のケガで、2カ月弱で挫折している。

しかし、中3になる直前に再び「楽しかったな」と思った。
奈良工にはさすがに行けず、自宅に近い大阪の進光ジムに入門。
元日本王者の桑田弘トレーナーの元で1年間、練習した。

17:2012/08/13(月) 07:57:35
村田は北京五輪出場を逃した08年にも「ミドル級では世界で通じない」と一度、引退している。

3度やめて3度リングに戻った。
諦めない強さでなく、逃げ出してもすぐに戻るずぶとさ、ボクシングとの縁の深さを物語るエピソードだ。

男気もある。
南京都高2年の時、新入部員の勧誘スパーリングで、後輩が巨漢の空手経験者にボコボコにされると、すかさずリングに上がってボコボコにした。
「ボクシングがなめられた」ことが我慢できなかった。

09年の再起理由も元部員の不祥事で東洋大が活動を自粛したため、
職員の自分が全日本選手権で優勝して東洋大の名を残すためだった。

南京都高の恩師・武元監督の死後は母校に通い、ボクシング未経験の西井一監督代行を補佐してきた。
ボクシングを通して懐の深い大人と出会いその恩に報いるだけの情熱と男気を村田は育てていった。

18:2012/08/13(月) 08:10:09

8月13日(月)13:55 - 15:50日テレ
情報ライブ ミヤネ屋
ボクシング村田選手…亡き恩師と家族に誓った金メダル

8月13日(月)14:00 - 14:58フジ
知りたがり!
▽ボクシング…村田が妻と子に捧げた歓喜金

19//:2012/08/13(月) 10:03:33
プロの日本フライ級2位・向井寛史(六島)は、
南京都高の同級生で3年時は副将として主将の村田を支えた。

高校時代は「明るい性格でお笑い好き。オチにうるさいタイプ」だったという。
一方で、将来の国際大会出場のため
「英語の授業は必死だった」と振り返る。

自身は昨年末に世界初挑戦に失敗しており「負けていられない」と話していた。

20:2012/08/13(月) 10:16:35
1億円の金メダル
http://london2012.nikkansports.com/boxing/news/p-sp-tp0-20120813-999958.html

21a:2012/08/13(月) 10:48:50
http://www.youtube.com/watch?v=MYdYdL0oLfU

22a:2012/08/13(月) 10:49:32
http://www.youtube.com/watch?v=QDESrIyTSi0




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