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宗教・信仰・祈り

1希望★:2005/03/09(水) 22:34:04
管理人自身は、日蓮法華経信仰者で、かつては、ある宗教団体の信者だったのですが、今は、どこの宗派にも教団にも属さないで信仰するという単独信者のスタンスをとっています。
ここは、特定の宗教の事に限定せず、仏教、キリスト教、イスラム教、神道、等々、幅広く、色々なお話をするスレッドです。
シリアスなお話をするのもいいですけど、ただし、ギスギスした宗教論争の類をする所ではなく、飽くまで、ゆったりした気分で語る場ですので、バトルは厳禁です。
人間にとって宗教とは? 信仰とは? 祈りとは?
そういった事を考えながら、友愛精神に満ちた夢と希望のあるお話をして行くのが、理想です。

2希望:2005/03/20(日) 07:52:29
2年前の春、父の死に遭遇して何とも言えない虚しさを覚え、信仰というものがわからなくなって、一気に迷路へと入り込み、極度のスランプ状態に陥って、更には信仰そのものに対して、かなり冷めてしまっていた時期もあった私なのですが、昨年の秋に、ちょっとした事がきっかけで、再び、少しずつ信仰し始めたのでした。
と言っても、まだ本調子ではなく、惰性に流されている状態なのですけど、しかし、その気にだけはなっているのです。
こちらのスレッドのタイトルで述べています、人間にとっての信仰・宗教・祈りについて、私は、未だによくわからないのですが、それでも、祈るという行為は、決してやめる事が出来ない。
これだけは確かですね。
ただ、同じ祈りでも、誰かへの呪詛の類などまったくの問題外ですけど、自己中心的な願望や俗物的な欲望を満さんが為の不純なものにしろ、宗教本来のあり方ではなく、信仰者としての理想的な姿から程遠いと思っています。
私が理想とし、美しいと思う信仰者の姿とは、他者の為に祈りを捧げるというもの。
誰かの為を想って、真剣に祈り続ける人の姿は、どの宗教のそれであっても、すごく崇高で美しいものだと思えて来ます。
私の中では、この歌詞から、そういったイメージが連想させられてしまうのです。



『Gの祈り』
※1980年放映・関西テレビ(フジテレビ系)時代劇「服部半蔵 影の軍団」主題歌
 岡林信康作詞・作曲・唄 渡辺茂樹編曲

胸に風が吹く夜は 熱い想い消えぬように
胸に雨が降る朝も 燃やし続けて
あたたかい季節が過ぎる時 凍てついた空に
初めて届くだろう 想いの熱さは
遠い唄聞きながら 今は待つだけ 今は待つだけ

いつか届け この想い いつか届け この祈り
誰をうらむ事もない 夢と消えても
あたたかい季節に 燃えつきた熱すぎる命
それでも俺の胸に たしかに届いた
遠い唄聞きながら 今は待つだけ 今は待つだけ
遠い唄聞きながら 今は待つだけ


歌詞の解釈の仕方・感じ方は、人によって様々なのかもしれませんが、私の場合、苦しみや悲しみにじっと堪えながら、ひたすら願いが叶う事を信じ、あるいは、「想いよ、必ず通じてくれ」という気持ちで、祈り続けている姿が浮かんで来ます。

3希望:2005/04/04(月) 03:11:47
昨日、ローマ法王ヨハネ・パウロ2世が逝去されました。

http://news.www.infoseek.co.jp/topics/world/vatican.html

宗派の相違に関わらず、法王の生前の多大なる功績に敬意を表して、ご冥福をお祈り致します。
長い間、本当にご苦労様でした。
安らかにお眠り下さいませ。

4め〜ちゃん:2005/04/11(月) 08:42:26
せっかくなのでこちらに書き込みます。
私はある日京都の六波羅蜜寺と言うお寺にお参りした際
このお寺の開祖空也上人の口から、仏様が出てる像を見て
何だか不思議な魅力に取りつかれた訳です!

上記にあるローマ法王のご逝去についても
希望さんの書かれてるお気持ちの通りで御座います。
とてもお優しい方であったともお聞きしますね!

私は上辺カジリが好きなだけで熱心な信心・信仰が無い様で
家の宗派である浄土真宗の本願寺も、今年自身の意志で初めて行った位
その気はありませんでした!
しかし、欲?が出てお隣の大谷さん、東本願寺にもお参りしてみたいし
祖母の宗派本山の本能寺さんにもお参りしたいと思っております。
細かい話をし出すときりがないのですが
色々なお寺の、如来・観音・菩薩等々のお姿を拝見するのは
何とも心地よく感じます。
オジサンになったなぁ〜って気もするのですが
これも信仰心なんでしょうかねぇ〜
みうらじゅん氏に近い、仏像好きに近い気もするんですけどね?

あまり本来の宗派に捕らわれなくても良いかな?と思い
今を生きてます!
希望さんはどんな感じなんでしょうか!

あっ!改めて関東地方の地震被害大丈夫なんでしょうか?

それでは〜

5希望:2005/04/12(火) 12:20:05
め〜ちゃんさん
>>4

空也上人の宗教者としての事は知らないのですけど(私の場合、日蓮聖人の事を中心に調べて来たので、他の宗祖に関しては、まだまだ不勉強の状態なのです。スイマセン--;)、上人の口から仏様が出ている像は有名ですよね。
空也上人の宗教者としての何かを表した像なのでしょうか・・・

>上記にあるローマ法王のご逝去についても
>希望さんの書かれてるお気持ちの通りで御座います。
>とてもお優しい方であったともお聞きしますね!

ローマ法王ヨハネ・パウロ2世の偉大な功績・人となりに関する事は、最近、こちらでも述べられています。

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/sports/17142/1094210742/

どのような時でも、暴力に反対の姿勢をとり続ける事で、常に和解・平和的な解決を目指して行き、また、自らはカトリックの最高指導者でありながら、異なる宗教との共存を模索して、そして、何と言っても、どこかの売名目的の偽善者たちと違い、口先だけでなく、実際に積極的な行動をされた法王の軌跡は、歴史上において、永遠に燦然と輝く偉大なものだと思います。
それに、カトリックの過去の非を認めて謝罪した事は、すごく勇気のある潔い姿勢で、人間的に尊敬できますね。

偉大なるローマ法王ヨハネ・パウロ2世に、改めて合掌

>細かい話をし出すときりがないのですが
>色々なお寺の、如来・観音・菩薩等々のお姿を拝見するのは
>何とも心地よく感じます。
>オジサンになったなぁ〜って気もするのですが
>これも信仰心なんでしょうかねぇ〜
>みうらじゅん氏に近い、仏像好きに近い気もするんですけどね?

年をとった為に、信仰心が出て来たという人もいるのでしょうし、一昨年亡くなった私の父は、元々があまり信仰心のない人で、昔は家のお墓参りをする事も滅多になかったのですけど、晩年はよく参っていましたよ。
お墓参りをしたら、気分が良いと言っていましたね。
若くても、神社・仏閣巡りをするのが好きな人もいますし、年齢に関係なく、良い事ではないのかと思います。
みうらじゅん氏は、子供の頃から仏像が好きだったようで、ずいぶん前、テレビ番組に出演し話されていたのには、同年代の子供たちがウルトラマンや怪獣を好んでいた時でも、自分だけは仏像に凝っていたとか。

>あまり本来の宗派に捕らわれなくても良いかな?と思い
>今を生きてます!

それは、私も同感ですね。
私の場合、以前は長年ある日蓮系の宗教団体で信仰していたものの(敢えて名前は出しませんけど、かなり有名な所です)、その団体の行なっている事が明らかな過ちであるのに気づいて離れて行き、特定の宗派や宗教団体に所属しないで信仰するという単独信者になったわけなのですが、でも、それによって、団体にいた時と比べ物にならないほどのすごく自由な気分になれたのは確かですね。
その気にさえなれば、どこかの宗派や宗教団体に入っていなくても、信仰は出来ると思っています。
こちらの掲示板に来られた方の中には、これまでに私が色々とお世話になった単独信者の先輩もいらっしゃいますので。
宗教関係の事に興味・関心がおありでしたら、こちらの掲示板をご覧になられてはいかがかと思います(日蓮系や某団体に関するお話が多いですが)。

http://otd7.jbbs.livedoor.jp/702586/bbs_plain
http://otd2.jbbs.livedoor.jp/223247/bbs_plain

また、こちらの掲示板もよいのではないかと(書き込むのには、登録が必要です)。

http://www.ream.ais.ne.jp/~flower/

それに、先程ヨハネ・パウロ2世の事でご紹介した掲示板も。

まぁ、これからもよろしくお願い致します(^_^)。


※ROM・参加者の方々へ

こちらで各々の掲示板を勝手にご紹介させていただき、すいません。
尚、宗教関係の掲示板で私が使用しているHNさえ出されなければ、これからはどこかの一般公開の所でもご紹介されて構いません。
すでに、先日、岡田有希子さん関係のいくつかの掲示板では、私自身がご紹介しましたから、今後は基本的に解禁とさせていただきます。
これからもよろしくお願い致します。

6め〜ちゃん:2005/04/13(水) 02:31:11
どうも希望さん!

色々と掲示板を教えて頂き有難う御座います。
失礼な言い方をすれば?参加されてる方々の話で勉強?させていただきます。
まあ、本当に余り解っていないもんで・・・

有希子さんのスレでも、色々かかせてもらったんですが
近代になって、色々宗派でも変わってきてるんですね〜
考えると私の住む大阪は、高野山に行くにせよ
比叡山に行くにせよ、程よい距離にありますし
(どちらもまだ、ちゃんと行った事ないんですよ〜
  近く行きたいなぁ〜とおもってるんですけどね!)
神社・仏閣の多い?京都・奈良共に行き易い距離にあります。
平安京・平城京・長岡京・・・飛鳥時代の古墳等など
歴史好きなら、何年も楽しめるモノ?(失礼ですね)があります
父の田舎は奈良なんですが、柳生の近くなんで南北朝時代の話とか
はまればとことんいけますよ〜
私、少し前には、その近辺にある岩に彫った磨崖仏を見てまわったり
してました。
どれも何とも不思議な感じがします・・・
今、一番気になるのが京都の大原・三千院のわらべ地蔵のお姿が
パンフレットになってる、大原へのの切符があるんですが
そのわらべ地蔵がかわいらしくて?(やはり失礼ですね!)
見たくて仕方ありません!

敢えて書かれてないので、私も書き込みませんが
希望さんの仰る日蓮系の宗教団体は、私のイメージしている団体と
同じかと思うのですが、関西地方・・・大阪に強いのでは?

祖母の実家の方では、御通夜は六座までお経があるので
一座当たり約二十分で、それが六回で2時間と言う訳です!
上記の某宗教団体の御通夜は私も出席したんですが
1時間で全てが終りました!
また、私の街の真宗門徒も法話を含めても1時間掛かりません!
所変われば・・・ってことですねぇ〜

長々と失礼しました!
あと改めて、希望さんに
色々な掲示板を教えて頂きありがとうございました!
参考になります!

それでは〜

7希望:2005/04/15(金) 02:42:09
め〜ちゃんさん、こんにちわ(^_^)。

>>6

いくつかの掲示板をご紹介させていただきましたけど、私も難しい事はわからず、色々と参考にさせていただいているという感じなのです。
大阪は京都・奈良に近く、高野山や比叡山へも行き易いので、様々な宗派の寺院・神社に接する機会がありますよね。
私が住んでいる広島県の西部地方(安芸地方)は、浄土真宗西本願寺派の信徒が圧倒的に多いせいで(安芸門徒と呼ばれています)、寺院はどうしても真宗系のそれが中心であり、かつて京都や大阪にいた頃、色々な所へ行ってみたらよかったと思っています。

>敢えて書かれてないので、私も書き込みませんが
>希望さんの仰る日蓮系の宗教団体は、私のイメージしている団体と
>同じかと思うのですが、関西地方・・・大阪に強いのでは?

ええ、そうです。
昔から世間で何かと色々な事を言われて来た所でして、特に、近年は、大なり小なりの社会的な影響力さえ持つようになっているあの団体なのです(^へ^;)。
こちらの掲示板は、特定の人物や団体を批判しないのが基本的な方針なのですが(特に、宗教や政治に関する事で)、あそこの内側には、外側から見たらわからないおかしな事が数多く存在していて、私はそれに限界を感じた為、離れて行ったのです(今でも、一応、あの団体に籍こそありますけど、やめたようなもので、時たまあそこの信者が訪ねて来ても、批判的な意見を述べる事が多く、関わりを避けています)。
まぁ、あそこがこれまでにやって来た事の全てを否定する気などありませんし、社会へ迷惑を及ぼしながら平然としている末端の信者たちの場合、その多くは決して悪い人間でなく、要するに、彼らを指導している上の人間たちがロクでもない連中というわけなのですから。
また、団体の体質に不満を抱き批判的な考えでいて、改善・改革を望んでいる人たちは結構いらっしゃるようで、様々な事情がある為、やめるわけにはいかない人たちもいらっしゃるのですし、あそこの信者を十把人絡げで捉えるべきではないと。
あの団体の中で大幅な変化が起きない限り、私には復帰する気など微塵もなく、今では批判的な見方をする事の方が多いのですけど、ただ、その良し悪しは別としても、彼らの行動力とパワーだけは驚異的であり、認めざるを得ませんね。
それに、もはややめたのと同じで、批判的な考えを持っている私ではあるものの、しかし、自らの日蓮法華経信仰のスタートがあそこだったわけなのですから、少なくとも、その一点だけは感謝するべきなのかもしれません(長年の間、あそこの中で辛い経験をしたり、失望させられる出来事に遭遇したりした事が数多くありましたけど、それは別として)。

>祖母の実家の方では、御通夜は六座までお経があるので
>一座当たり約二十分で、それが六回で2時間と言う訳です!

うわぁ〜・・・(・O・)
ホント、長いんですねぇ・・・(・o・)
め〜ちゃんさんのお祖母さんのご実家は、本能寺が本山の宗派だそうですが、書籍で調べてみたら、法華宗本門流大本山本能寺となっていました。
13年前の秋頃に、その当時大阪に住んでいた私は、京都の友人と2人で京都の街を歩いていて、たまたま本能寺の入口付近に辿り着いたのを憶えています。
その頃の私は、もしかしたら、日蓮系の宗派という事を知らなかったのかもしれませんけど、あの年のNHK大河ドラマが「信長」だった為、本能寺の変の起こった所として、2人でお寺を見たのでした(境内へは入りませんでしたが)。
同じ日蓮系のお経でも、宗派により、まちまちなんでしょうね。
私の所属していた団体の場合、ハイピッチで唱える事が多く(お経もお題目も)、あまりにも早口な為、一緒に唱えていると、自分で何を言っているのかがわからなくなりそうな時もありましたよ。
確かに長すぎるのはしんどいですが、しかし、早すぎるのも考えものですね(^o^;)。
私は長年その団体にいたので、今でも唱えるのが早い方なのかもしれませんけど、あまり早くならないように、マイペースで唱えています。

8希望:2005/04/15(金) 02:44:17
め〜ちゃんさん、続きです。

>所変われば・・・ってことですねぇ〜

同じ宗祖をルーツとする宗派(もしくは団体)でさえそうなのですし、宗教・宗派が違えば、全然異なった雰囲気になってしまうでしょうね。
私がこれまでに関わって来た宗教は、我が家の浄土真宗(西本願寺派)、通っていた幼稚園の関係でキリスト教(プロテスタント系でしたけど、詳しい事は知りません)、そして、個人の信仰である日蓮系でして、それ以外のものを知らないのですが、それぞれの良さというものがあるのではないか?と思っています。
浄土系のお念仏の場合、安らぎのイメージで、キリスト教の祈りには、崇高な敬虔さを感じさせられてしまい、日蓮系のお題目の場合、何と言っても力強さ・躍動感が。
私は日蓮系の信者の為、お題目を唱えるのですけど、日蓮法華経信仰者で、個人的に憧れを抱いてしまうが宮沢賢治ですね。
一見するなら、宮沢賢治は優しい穏やかな感じの人ですが、しかし、内に物凄いパワーを秘めた強い人間でもあったと思います。
宮沢賢治の強さは、生来の資質にもよるのかもしれませんけど、日蓮法華経信仰から来ていた面があったのではないか?という気もするのです。
宗派・団体を問わず、日蓮法華経信仰者の大きな特徴は、とにかく、逆境に強い傾向性の人が多いという事ですね。
信者たちの多くが宗祖日蓮聖人の生き様に感化される為でもあるのでしょうが、お題目の響きが持っている躍動感のせいではないか?と。
未だに自分でもよくわかりませんけど、ただ、独特のリズム感のあるお題目を唱えていると、気分が生き生きして来るようですね。
ついつい自分の信仰のお話になってしまいました(^_^;)。

それと、「独り言&雑談」のスレッドで述べられていましたが、ご健康の調子は、いかがなのでしょうか?
何事もあまりお気にされず、リラックスされるのが良いのではないか?と思ってみるのですけど(無責任な言い方で、すいません)。
くれぐれも、お大事になさって下さいませ。

管理人の癖に、このような感じで、レスが遅れてしまう事はしょちゅうだと思いますが、まぁ、これからも気長なおつき合いをお願い致します(^.^;)。
今日は、これで失礼させていただきます。
それでは、また!(^_^)

9め〜ちゃん:2005/04/15(金) 18:14:27
どうも、希望さんこんにちは(*^。^*)

>昔から世間で何かと色々な事を言われて来た所でして
 特に、近年は、大なり小なりの社会的な影響力さえ持つようになっている
 あの団体なのです(^へ^;)。

あぁ〜そうでありますか!後述されていますが
末端の会員(と表記した方がいいんでしょうか?)団体員の方は
熱心な方や、ご本人さんは良い方が多くいらっしゃいます!
私も生活する上で、その団体に限らず他の宗派、団体の信者の方に
接する機会も多く、色々な話を耳にします。
基本的に皆さん良い方ばかりなんですが、現在の私の境遇を盾にされると
そこまでの、いい話も一気に興醒めしちゃう私です!

私もわざわざ特定の宗教や団体を非難中傷等々するつもりはありません。
先にあった話で、心の安らぎや平穏を与えてくれるものが
特定のお経・祝詞・呪文・・・であれば、きちんとした
そこへの加入などの儀式を受けなくても良いのでは?等と思います。
A宗のお剃刀の儀式を受けながら、B団体の団体員で
ある病気に掛かったからと言って、C神社、D宗のお寺等々で
それ相当の儀式をしてもらう・・・
貴方は一体、何を信心してるの〜?
大体多くの皆さんはこんな感じですよね〜
私もそんな感じです!、自分自身で行くのはそれでいいのですが
私が不遇な話をするや否や、E(宗でも団体でもいいのですが)に
来れば幸せに〜 そうなんでしょうかねぇ〜
そんな時には此処のお寺・神社!みたいな本も本来オカシイのですよね?
それにのってしまう私もオカシイのですが
何となく最近は固まりつつありますねぇ〜宗派系や神社等が

例えば、京都の伏見稲荷大社なんかは、山を登り一周2時間?すると
なんとも爽やかな気分であります!
風景や、延々と続く千本鳥居など・・・
朝一で登りに行った時は、朝日を見るための参拝?登山の方もいらっしゃいますし
スポーツのトレーニングか?スポーツウェアの方も沢山いらっしゃいます。
私もそんな感じですかね〜 かなり疲れますが・・・

あと六波羅蜜寺、大阪の石切神社(上・下の宮)でしょうか?
どの神社仏閣共に、あまり人が多い時に行くのは好きじゃないですね!
ゆっくり散策したいですから〜
私の沿線上にある駅から近い所に、京都の本能寺はあるんで
近く、行けるものなら行きたいと思います。
祖母は今月23日が祥月命日であるのと、七回忌であること
祖母は出不精だったんですが、この本能寺の話は良く聴かされました。
祖母は不妊症だったんで、鬼子母神さま無事に子供が生まれますよう〜と
お題目がどうのこうのと・・・良く言ってたと記憶してます。
その祖母の為にもいいかなと思ってます。
戒名ではなく、真宗の法名とは言え心は法華の心だったとも思います。

わたしの体の心配ありがとうございます!
今までの人生の中で、かなり大きなストレスを受けてきた
10年を過ごしていたんで、現況は仕方ないのだろうと思っています。
そして今もそのストレスは続いています。
元々の性格である、マイナス思考もあるんですが
それに漬け込んで来た人達にも
どう仕様もない、譲れない部分は、私も譲れないのです!
マイナス思考の私が、怒りの部分を維持しながら時に
譲るべきなのかと、自問自答しながらストレスと戦ってます。
医師がそれ程長引かないと思いますとの事だったんで
1年、2年別に良いかなと?楽観視しながらも
辛い時はどうしょうもなく辛く
このように、希望さんや別板の方に迷惑をかけています!

どうも長々しつれいしました〜

それでは〜

10希望:2005/04/18(月) 06:42:47
先程、間違えて、「永遠のプリンセスユッコこと岡田有希子」のスレッドへ送信してしまいました書き込みを改めてこちらに(--;)。



め〜ちゃんさん、こんにちわ(^_^)。

>>9

>基本的に皆さん良い方ばかりなんですが、現在の私の境遇を盾にされると
>そこまでの、いい話も一気に興醒めしちゃう私です!

あそこに限らず、宗教団体の中には、他者の悩み・不幸・困難な境遇・欠点につけ込み、自分たちの宗教に入らせて、巧みに洗脳して(騙して)行き、勢力を拡張させる所がありますね。
それが上の連中の狡猾なやり口で、洗脳されている末端の信者たちは、誰の目にも間違っているのが明らかな場合でも、飽くまで、自分たちのやっている事は正しいと信じ切っている(盲信・狂信)わけなのですから、本当に困ったものです。
また、布教方法として用いるのみならず、団体の内部の人間へ対しても同様の手口で脅しをかけて(罰が当たるだの地獄へ堕ちるだのと言って)、活動を強要するケースが多く、私もその昔、そういうのにずいぶんと悩まされた経験があります。
それに、この私自身も、かつては彼らのお仲間であり、洗脳されて恐怖心を植え付けられていた為、何の根拠もない妄言の類をマジで信じていましたし、すごく偏狭な考え方に陥っていた事だけは確かです。
洗脳のトリックのわかった今では、彼らが口にしている妄言など馬鹿馬鹿しいばかりのお笑い種でしかなく、実は、自分の言っている事の意味さえほとんど理解しておらず、上の連中から聞かされた受け売り話をマニュアルどおりにしゃべっているだけの人間が多いのですし、もはや、何を言われても平気ですけどね(^ー^)。
まぁ、彼らは洗脳されて、自分の本当の姿が見えなくなっている可哀想な人たちでもあるわけなのですから、とにかく、そのような妄言の類など気にされず、本気で聞かない方が良いと思います。

人それぞれの性格にもよるのかもしれませんが、物事を悪く受け取ってしまう事は多々あると思いますし、そう言うこの私も、気分的なムラが激しい方で、マイナス思考へ傾く場合も。
それでも、出来るだけプラス思考をするように心掛けています。
また自分の信仰のお話になってしまいますけど(^.^;)、私が知っている限りでは、プラス思考を齎す事が多い宗教となれば、日蓮系ですね。
日蓮聖人が佐渡流罪の時、いつ命を落とすかわからないほどの極限の状況下で、絶体絶命のピンチを乗り越えられたのは、迫害という困難を自らが仏になる為の試練として捉えていた為なのでした。
私たち凡人には到底わかりませんが、死を覚悟しつつも、信仰が原因で受けた迫害を歓ぶという境涯に到達した日蓮聖人は、すごい人だと思います。
迫害され続け挫けそうになっても、決して屈する事なく、却って宗教者としての境涯を高めて行った日蓮聖人の生き方は、後世の信者たちへも受け継がれていて、それで、日蓮系の信者の中には、逆境に強い人が多い面もあるのではないかと思うのですけどね。
ちなみに、日蓮関係のサイトで、こういう所もございます。

http://sapporo.cool.ne.jp/nichiren/

また、専門的なお話が多い所ですが、こちらのような掲示板も。

http://jbbs.livedoor.jp/study/3171/

まぁ、この私自身も、こちらのスレッドの>>2で述べていますように、2年前、迷いの状態へ入り込み、昨年の秋から、ようやく復調し始めて、まだまだわからない事だらけなのですし、これからだと思っています(^o^)。

まぁ、またボチボチ、よろしくお願い致します(^_^)。

11め〜ちゃん:2005/04/19(火) 06:38:23
どうも、希望さん!

医者に行く日は興奮して眠れないお子様のようなひとなんで〜

ついこの間も、行ってるクリニックで
ボランティア目的で、某宗教団体の勧誘(じゃないと言ってましたが)を
してるんだ!と言ってた人が居ました!
その方が女性だったんですが、どうも宗教じゃないのか?と言ってたのを
気になったんで、半ば軟派の様にその人に
病院で言ってくるのは、本当に良い団体であっても辞めとけと
言ってしまいました!これも良くないと反省もするんですが・・・

所謂、末端の信者の人は信じ込まされて一生懸命に活動されて
その方に悪気はないと思うんですが
やり方がどうしても気に入りません!
両親が亡くなって、よくまあ色んな団体が来ますよ〜
街中で捕まり、話したら百発百中で団体の何らかの連絡先をもらいます。
半ばそれを楽しんでる、腹黒い奴ではありますが
一体どうしたいんでしょうね〜答えは解ってますが・・・

揺ぎ無い思い込みと、それなりの体裁を作れば
後は、信者を作るネットワークを作れれば、私でも教祖になれる気がします。
もう少し勉強をしなきゃ、問答で根負けする知識しかないので
本気でやるにはマダマダですが!(冗談ですよ〜!)

どの宗派であっても、早朝の番組を聴いていれば
とてももっともらしく、ありがたく感じます。
先程、観音経のCDをきいていたんですが
希望さんの、仰る意味が解るような気がする、力強さ?を
感じるように思いますし
親族の法華宗の法要に参加すると
地元の方達のお題目は、力強かった様に思いますね〜

少々、希望さんの言いたかった事とはずれてるかもしれませんが
わたしの感ずる事でした〜

お題目を唱えると、病気が自然と治ると言われました
本当なら私は毎日唱えるでしょう!
でも意味なく唱えて治るんでしょうか?
意味を理解し、本当に心を込め、一心不乱にすれば
治るような気がします!
その為には、もう少し体調が良くならないと難しいです!
真宗の門徒なのに、最近は真言宗に寄り気味のような・・・
何となく、高野山に行きたいめぇであります。

今は少し心の安らぎがあるような・・・
観音経を口ずさんだからか・・・
お茶のリラックス効果なのか?わかりませんが・・・

どうも、失礼しました〜

12め〜ちゃん:2005/04/20(水) 23:08:02
診察に行って参りました!

行った時に、嫌な予感がしたんですが予感的中!
初診患者さんは、診察がなが〜い!
予想どうりで、祖母の七回忌が今週末!
それが終れば少しは楽になるんでしょうけど
心配事・考え事が多すぎますわ〜
心配感・不安感がこれ以上強くなりすぎなければ
医者に行かなくてもやりすごせるんでしょうけど
今がその時で、若干妄想?幻覚が増えちゃいました!
いつか入院って事にもなっちゃうんでしょうかね〜

少し書き込む場所間違ってますよね〜
無理矢理こじつけて・・・
気分が楽になる、祈りや呪文でもあるのなら
教えてもらいたいモンです。
一時的なら、寺社に参拝すると気分も変わるんですが
今はMAX状態なんで・・・困ったものであります

やり逃げみたいですが、この辺で失礼します
それでは〜

13希望:2005/04/23(土) 02:22:12
め〜ちゃんさん、こんにちわ(^_^)。

>>11

宗教への勧誘が目的で、病院にやって来る人がいるのですか。
そういう人たちの場合、もしかすると、善意のつもりでやっているのかもしれませんが、でも、誘われる人にとっては迷惑な事が多々あり、それで、却って自分たちの印象を悪くしてしまうのではないでしょうか。
中には、明らかな営利目的で、弱者をターゲットにした宗教利用の詐欺師・ペテン師の類もいますしね。

私が所属していた団体の中にも、常識では考えられない馬鹿な真似をする人間がいて、これだけは絶対に許せない!と相当アタマに来たのが、一昨年の春、あそこの信者たちは、もうあまり長くなかった父の入院先に泊まり込みで付き添っていた私たちの所に、統一地方選で某政党への投票を頼みにやって来た事なのです。
その時、私はちょうど外出していた為に信者たちと会わず仕舞いでしたけど、後で家の者から聞かされて腹が立ち、訪ねて来た連中をドツキ回してやりたかったですね。
また、父が亡くなった後、信者の1人から聞かされた事なのですけど、彼らは余命幾ばくもない状態であった父に自分たちの宗教を信じさせようとしていたとか(ふざけるな!)。
更に、あそこの信者たちと来たなら、それだけに止まらず、性懲りもなく、一昨年秋の衆院選の前と昨年夏の参院選の前に、今度は我が家を訪ねて来て、父が亡くなった後、体調の優れない母を某政党へ投票させようと画策し、投票日には車椅子を用意するだの投票すれば元気になるだのといった、本当に信じられないほどの馬鹿な事まで言い出す始末なのでした(これなど、明らかな選挙違反である投票干渉に当たり、また、宗教を利用した政治的な詐欺行為に他なりませんね)。
彼らは、あまりにも非常識で人間性を疑ってしまうばかりの馬鹿であるのは無論ですが、明らかに洗脳されていて、もはや、狂っているとしか言いようがないですね。
私は、すでに4年前から足を洗いたかったものの、母があそこの信者の1人と親しい間柄だった為、以前はやむを得ずに団体と関わりを持っていたのですけど、それらの事件がきっかけで、母も彼らの本質・正体を知り、それで、私は昨年の年明けに離れたわけなのです。
それ以降の私は、たまにあそこの信者が訪ねて来ても、断固とした態度で関わりを拒み続けていて、団体への批判を述べる事が多く、彼らは、私の批判に対して、ただの1度さえマトモな反論をした例などありませんね。
彼らのやる事為す事の多くは、物事の分別がつかない幼児レヴェルのそれであり、話の内容は、馬鹿馬鹿しい限りのお笑い種のものでしかないのですから、とても本気で相手に出来ず、「やってらんないね・・・ったく!」(〜O〜;)といった感じですよ(^o^;)。
私の個人的なお話をさせていただきましたが(^o^;)、とにかく、その手の強引な詐欺紛いの商法のようなやり口で迫って来る連中に対しては、決して甘い態度をとらない事ですね。
ああいう手合いは、相手が少しでも低姿勢に出たり、歩み寄りの態度をとったりしたなら、「待ってました!」と、すぐさま、つけ込んで来るものなのですし、甘い顔は見せるべきでないと思います。

>揺ぎ無い思い込みと、それなりの体裁を作れば
>後は、信者を作るネットワークを作れれば、私でも教祖になれる気がします。

少しばかり宗教の知識を学んで、それらしく装って、後は、騙しのテクニックと饒舌さを会得しさえすれば、誰でもがインチキ宗教の教祖ぐらいにはなれると思うのですけどね(^へ^;)。
世間で問題となった宗教の教祖の中には、最初から信者を騙すつもりの者もいたのかもしれませんが、自分自身の思い込みが強すぎ、それをすっかり信じ切った人もいるのではないか?と。
何にせよ、他者から奇異な目で見られたり、社会へ迷惑を被らせたりするような真似だけはしないでほしいですね。

>どの宗派であっても、早朝の番組を聴いていれば
>とてももっともらしく、ありがたく感じます。

どこの宗教・宗派でも、人生にプラスとなるいい事を言っていますよね。
たとえ自分の宗教・宗派のそれでなくても、参考にして、良い所は吸収して行くべきだと思います。

14希望:2005/04/23(土) 02:23:26
>>11

>先程、観音経のCDをきいていたんですが
>希望さんの、仰る意味が解るような気がする、力強さ?を
>感じるように思いますし
>親族の法華宗の法要に参加すると
>地元の方達のお題目は、力強かった様に思いますね〜

観音経の事は知らないのですけど、あのお経も力強さが感じられるものなのですか。
日蓮系のお題目の力強さは、結構有名?なようで、私も唱えていると、確かに気分が生き生きして来ますね。

>お題目を唱えると、病気が自然と治ると言われました
>本当なら私は毎日唱えるでしょう!
>でも意味なく唱えて治るんでしょうか?
>意味を理解し、本当に心を込め、一心不乱にすれば
>治るような気がします!

お題目を唱えたら病気が治るというのは、どこかの信者たちがよく言う事で、確かにそのようなケースもあったようですが、しかし、それが全てではなく、ほんの一例なのですし。
また、ただ何となく唱えさえすれば、治るものではないと思うのです。
その場合、とにかく、何よりも大切なのは、唱える人間自身が「絶対に治る!」「治してやる!」という強い想いで、信じ切り祈り続ける事。
私はそのように思っているのですけどね。
それと、法華経・日蓮聖人の教え・お題目の意味を本当に理解するのは難しく、この私もあまりよくわかっていないのですが(^_^;)、書籍やネットで、ある程度の知識を得られて、唱えられるのはいかがでしょうか。

>>12

>気分が楽になる、祈りや呪文でもあるのなら
>教えてもらいたいモンです。

真言宗や禅宗の事は知らないのですけど、浄土系と日蓮系の場合、お念仏が心に安らぎを齎し、お題目は気持ちが高揚して行く祈り。
お念仏とお題目の何れがよいのか?は、何とも言えませんが、ただ、逆境・危機に強さを発揮するとなったら、やはりお題目の方ですね。

15希望:2005/04/23(土) 02:25:17
私の場合、日蓮系の信者である為に、どうしてもお題目の方を重要視してしまうのですけど(^_^;)、お念仏と比較してのお題目の利点は、梅原猛氏が『仏教の思想12 永遠のいのち<日蓮>』(紀野一義・梅原猛 角川文庫 1997年)の中で、次のように述べられています。

=============================================
 南無妙法蓮華経

 われら末法凡夫は直接自己の心に仏を見ることはできない。われらが仏を見るのは、「南無妙法蓮華経」ととなえることによってはじめて可能なのである。「南無妙法蓮華経」ととなえることによって、はじめて
生死を超えた永遠の仏性が目ざめてくる。「南無妙法蓮華経」は、すでに日蓮にとって単なる経典の名ではなかった。それは、宇宙に存在するあらゆるものを、あらゆるものたらしめる「それ」であった。その「そ
れ」は、『法華経』において、さまざまな比喩で語られる。しかし、比喩以外に、何かかくれた実体があるわけではない。比喩に表わされているもの、当の「それ」が、宇宙の実在で、それが永遠の仏なのである。
 その永遠の仏の名をとなえることによって、自己がその「それ自身」と一体になって、永遠の仏性に目ざめてゆく。客観的には、あの無心になって「南無妙法蓮華経」をとなえるところに、心は清浄となり、あら
ゆる九界のまどいを超えた聖なる仏界にいたるというのであろう。
「南無妙法蓮華経」ととなえる題目は、いわば、永遠を、今において、直観する方法なのである。・・・・・・
 おそらく法然の「南無阿弥陀仏」も、そのような永遠への願いを秘めた実践論であった。しかし、ここで、永遠はまだ彼岸にとどまっていた。彼岸に永遠を見るかぎり、この世の中は不浄と苦難にみちた穢土にすぎない。人はこの不浄と苦難にみちた世界を離れようとして、みたされぬあこがれを、あの永遠の浄土、死してのち行くに向けるのみである。
 しかし日蓮は、このような永遠論に反対なのである。永遠は、死後の世界に、実現さるべきものではない。この世、この土がすなわち永遠なのである。
  「今本時の娑婆世界は三災を離れ四劫を出でたる常住の浄土なり。仏既に過去にも滅せず、未来にも生ぜず、所化以て同体なり。此れ即ち己心の三千具足、三種の世間なり」(『観心本尊抄』)
 この世界が、永遠なのであり、この世界が浄土なのである。そして同時におのれの身が、おのれの心がそのまま永遠なのである。
 永遠はここで再び、この世界に帰ってくる。人はもはや、この世界の不浄と苦難を嘆く必要はないのである。この世界こそは永遠の浄土、ここで笑え、ここで踊れである。
 それゆえ、「南無妙法蓮華経」には「南無阿弥陀仏」がもっているような悲しみの影がない。それは、宇宙の実在への肯定の叫びであり、永遠の光に照らされたこの世界への歓喜の叫びである。
 ・・・・・・
=============================================
※『仏教の思想12 永遠のいのち<日蓮>』(紀野一義・梅原猛 角川文庫 1997年)
 P310〜312(梅原猛氏の記述)より抜粋

まぁ、この梅原猛氏の記述は、飽くまでも梅原氏個人の見解なのであって、また、氏は日蓮系の信者ではなく、決してお念仏を否定しているわけではないのですが、一応、ご参考までにと思いましたので。

今週末にお祖母さんの7回忌が行なわれるそうですけど、という事は、今日なんでしょうかね?
今日も、ずいぶんと独り勝手な事ばかりを述べさせていただき、すいませんでした(^_^;)。
まぁ、何事もあまり考え過ぎないで、出来るだけリラックスされるようにと願っています。
長くなってしまいましたが、今日のところは、このあたりで失礼させていただきます。
それでは、また!(^_^)

16め〜ちゃん:2005/04/23(土) 03:50:50
希望さん、どうもコンバンハ!

私、本日は祖母の七回忌法要の為、気持ちが高ぶって眠れないでおります。

それで、希望さんの話を読ませていただき、同じ様な事は私にもありました。
弟が居るんですが、希望さんの仰る衆院選や参院選等‥の時に
母が寝たきりであるのにもかかわらず、車椅子や施設での投票を画策してきたり
何とか不在者投票に参加させようとしてました!
某政党さんは、対する?某政党に対しては1票も少なくさせたいそうで
(常勝、大阪ですよね〜)
両方の怪文書が毎度ポストに入っている、楽しい地域であります!
私にも、ご丁寧な挨拶を毎回して来られるので、私は少なくとも言われたままや
政党ではなく個人や、経歴を見た上で投票をしております。
訳のわからない人に入れてほしいと来るのは、某団体でなくてもやっておりません。
弟は、それがイヤで選挙嫌いになっておりますし
私の知人は選挙権の放棄を自分のスタンスにしてる人も居ます。
選挙の話は兎も角、病院での勧誘は許せなかったです!
精神科系のクリニック内で、それでなくても精神が病んでる人に
その方もイヤがってましたし、母と病院に通っていて、その中で、色々言われてきてたので
私の強迫性神経症〜と、正義感??、若い女性への男としてのスケベ心が否めません!
まだまだ煩悩ばかりですね〜(既にメル友になってます!)

朝の各宗教の放送は、実践できる部分や
私にも取り入れられる部分を、気付かせてはくれますね〜
毎日ではありませんが、時々きいてますよ〜
某団体の、新****の朗読放送もナカナカ素敵ですね〜(笑)
たまに聞きますよ!意外と楽しみだったりして〜(面白くって〜失礼!)

希望さんの仰るとおりの、テクニックや知識、饒舌さ等‥
騙すつもりならやるんでしょうけど
各宗派等々で言ってる、又は実践を推進してるようなよい部分の事を
自然と出来るような人であれば、自分から開かないと思います。
取り巻きの悪辣な輩が、金儲け・利権の為に利用するモノになってますよね〜
ぁ〜ヤダヤダですよ!まったくもう!

私も少しは寝ないといけませんね〜

それでは〜またよろしくお願いします!

17希望:2005/04/24(日) 04:50:34
め〜ちゃんさん、こんにちわ(^_^)。

>>16

昨日、お祖母さんの7回忌の法要が行なわれたのですね。
昨日の未明に気持ちが高ぶり眠れないとおっしゃっていて、かなりお疲れでしょうから、ゆっくり休養なさって下さいませ。

め〜ちゃんさんも、選挙絡みの事で、あそこから私と同様の被害を受けられたそうですけど、そういった実例はかなり多いのではないかと思われます。
その手のやり口はあそこの常套手段であり、何しろ、元々が無知で馬鹿なのに持って来て、社会人としての常識や人間としてのモラルの欠片さえ身に付けていなくて、目的の達成の為なら手段を選ばない彼らにとっては、そういうのが極々当たり前の事となっているわけですし、本当にどうしようもない連中ですよ。
ところが、自分たちの方も似たような事をやっている癖に(実際には、自分たちの方がもっとヒドイ!)、それはまったく棚に上げ、他者へ向けて同様の批判を執拗に浴びせるといった、幼児レヴェルの有様なのですから、呆れ果ててモノも言えないくらいですね(^o^;)。
また、彼らの多くは、相手から自分たちにとっての不都合な痛い所を衝かれた場合、すぐに異様な目つきとなり、ヒステリックな反応を示したり、気色の悪い笑いで誤魔化そうとしたりするのですし、もはや、幼児以下で、まだ小学生の方がマシではないのかと思える事さえありますよ(^へ^;)。

>某政党さんは、対する?某政党に対しては1票も少なくさせたいそうで
>(常勝、大阪ですよね〜)
>両方の怪文書が毎度ポストに入っている、楽しい地域であります!

昔から犬猿の仲であるあそこの政党ともう一つの政党が繰り広げている誹謗・中傷合戦は、世にも浅ましい限りで、世間のいい物笑いの種ですが、結局、似た者同士だと思います。
もう一つの政党の事はあまり詳しく知らないのですけど、自分たちが世間から嫌われたり嘲笑されたりしている事に露ほども気づかず、恥を曝しまくっている彼らの姿というものは、実に滑稽で、下手なお笑い番組よりも、あの2党の馬鹿丸出しぶりの方が面白いと言えなくもないですね。(^〇^:)!!!

それと、もし病院であそこの信者が勧誘して来た場合、受け付けへ行って、その事を話してみられるのはいかがかと思うのですが。
病院関係の人たちの中には、あそこと対立している政党の支持者が多いそうですので、信者のとった行動は警察沙汰にされてしまう可能性もあるのではないか?と。

>私にも、ご丁寧な挨拶を毎回して来られるので、私は少なくとも言われたままや
>政党ではなく個人や、経歴を見た上で投票をしております。
>訳のわからない人に入れてほしいと来るのは、某団体でなくてもやっておりません。

それが普通だと思うんですよね。
私の場合、基本的に、例の犬猿の仲である2党と、もう一つの似たような政党(かつては、大政党だった所です)へ投票しない事にしているのですけど、とにかく、選挙区では候補者個人により判断して、また、その時その時の情勢で、比例代表への投票を決めています。
まぁ、あそこの連中だけではなく、自分でほとんど何も考えず、他人から言われたままに投票する人は結構いるようですから、困ったものです。
大都市ならまだしも、地方にはそのような人が多く、私の住んでいる地域もそういった感じですね。

18希望:2005/04/24(日) 04:52:14
>>16

>某団体の、新****の朗読放送もナカナカ素敵ですね〜(笑)
>たまに聞きますよ!意外と楽しみだったりして〜(面白くって〜失礼!)

そうなんですか(私は聴いていません^_^;)。
まぁ、あのお話は飽くまで事実を基にしたフィクションであり、事実と違う事がかなり入っているらしいのですが、物語としては、結構面白いのかもしれませんね(^o^)。
ただ、あそこの盲信・狂信の輩は、あれを全て真実だと信じ切っているのでしょうけど(^へ^;)。

>希望さんの仰るとおりの、テクニックや知識、饒舌さ等‥
>騙すつもりならやるんでしょうけど
>各宗派等々で言ってる、又は実践を推進してるようなよい部分の事を
>自然と出来るような人であれば、自分から開かないと思います。
>取り巻きの悪辣な輩が、金儲け・利権の為に利用するモノになってますよね〜

自分なりに何かを悟って、使命感から開いた人もいるのかもしれませんが、しかし、今現在の宗教、なかんずく、信仰宗教の多くは、金儲けを目的としたものが圧倒的ではないのでしょうか。
本物の宗教者とは、先日逝去された前ローマ法王のヨハネ・パウロ2世やマザー・テレサのような人たちの事を指すのでしょうね。
宗派に関係なく、昔の宗教者の多くが命を賭けていたのとは雲泥の差がある今日の様相ですので。
最近の宗教者の中で、他に私が関心を持っているのは、前立正佼成会会長の故庭野日敬氏ですね(昨年入手した庭野氏の自伝「この道 一仏乗の世界をめざして」を読みかけて中断したままですから、再び読み始めようと思います)。

まぁ、今日は、このあたりで失礼させていただきます。
それでは、また!(^_^)

19め〜ちゃん:2005/04/25(月) 00:25:59
どうも希望さん、私への心配ありがとうございます!
何ともシンドイ感じは・・・昨日の事だったんで明日以降考えます!

犬猿の仲の政党同士、希望さんのおっしゃる通り、似た物同士だと
私も思いますね〜
辿っていくと結局は一緒ジャ〜ンって言うのが私の思う所です!
同じですね、投票に対する考え方が・・・でも本来はそうでないと・・・
熱心な信者さんは何をもって相手の悪口を言ってるんだろ〜
本当に目にしたり、そこに居たのなら兎も角
どちらの政党信者も、相手の中傷の伝え聞きの話をしてきますよね〜

常勝!大阪の名があるらしい、我が街、地域においては
それを黙認してる病院もあるようです。
信者さんは出来るだけ集めた部屋にしていたり・・・
お互い迷惑でしょうから、良いんでしょうね?
そこからやってきた入院患者さんがさりげなく雑誌や、冊子を
置いてたりする、大変良い病院でしたよ!
逆に、そちらに物凄い毛嫌いしてる所では
雑誌や、冊子を置いてあると容赦なく片付けられ、警告する
病院もありましたね〜
母の行ってた病院は、容認派の病院だったので、おバカでした!
ワザワザ施設での投票が出来るよう推進してたんで
**王国を欲しいままに・・・
家とは選挙区が違ったので、信者さんは残念がってましたよ!
一票逃したって・・・まあこれからも頑張ってくださいよ!おバカでしょ?

それから、新****の朗読放送ですが、フィクションだってわかるから
楽しいですよ! そんなバカな〜!表現良くし過ぎ〜とか?
突っ込みどころ満載の朗読は、朝の活力に?なったりして・・・
信者さんにはありがたい?放送なんですかね?どうもすみません!と
もし見てらっしゃる信者さんに今までの内容を総括して謝っときますね?

本当に人類の平和や幸福を考えて活動されてる宗教家の方には
前回の書き込みは失礼な話ですよね?
希望さんが仰るとおり、皆無に等しいところが哀しい現実です!
宗祖や教祖にあたる人がそうであっても、取り巻きがそうであると
良くない団体になってしまいますよね〜それも哀しい話です!

まだ6月に一周忌(早めに纏めてするのもどうかと判断した結果です)が
あるんで気の休まらない日々ですが
少し幻覚が取れれば気も楽になるんですが、今日の所は・・・ですね!

希望さんの住まれてる所の近く?お隣?ですかねぇ〜
おバカな元議員さん当選されましたね〜ニュースで騒いでますね・・・
本当に解って投票された上での当選と信じられない気分です!
その地域の方、どうもごめんなさい!

それでは〜

20希望:2005/04/26(火) 07:50:23
め〜ちゃんさん、こんにちわ(^_^)。

>>19へのレスは、後日、改めてさせていただきます。
今日は、>>15の書き込みの中でも引用した『仏教の思想12 永遠のいのち<日蓮>』(紀野一義・梅原猛 角川文庫 1997年)から、記述の一部を抜粋して、ご紹介させていただきます。

=============================================
 絶望を跳躍台として
 この消息(※引用者注 「寺泊御書」)の中で日蓮は「日蓮は八十万億那由他のもろもろの菩薩の代官としてこれを申す。日蓮はかのもろもろの菩薩の加被を受くる者である」といい放っている。日蓮はおのれを動かしているものの力をひしひしと感じとっている。ふつうの人間なら、流罪の逆境の中で動顛し、自己の空無を思い知らされ、絶望してあるいは狂乱し、あるいは自殺するはずである。近くは鬼界ヶ島に流され、食を絶って死んだ俊寛僧都の例もある。遠くは、保元の乱に破れ、讃岐(香川県)に流された崇徳上皇は、「五部大乗経」を血書し、「われ日本国の大魔王となり、皇を取って民となし、民を皇となさん」と誓って憤死されたという(『保元物語』)。ところが日蓮は、自己の力が空無化したとき、かえって、自己を生かしめているものの力を感じとるのである。このあたりが日蓮の常人と違うところで、日蓮は追い詰められ、空無化したときに、それを跳躍台として、あっと思うような世界に突入するのである。人が神や仏から見放されたと絶望するときに、日蓮は八十万億那由他の諸菩薩が背後から日蓮を加被していると宣言することによって、かえって、自分自身にそれを確認せしめるのである。日蓮はしばしばこういう手段をとる。そしてこれが、心理学的にはもっとも有効な手段なのである。日蓮は寺泊に着くとただちにこの宣言と、自分自身への確認を実行した。こういうことは早いほうがいいのである。
 ・・・・・・
=============================================
※『仏教の思想12 永遠のいのち<日蓮>』(紀野一義・梅原猛 角川文庫 1997年)
  P130〜131(紀野一義氏の記述)より抜粋

21希望:2005/04/26(火) 07:51:42
=============================================
 悪魔を味方にする
 日蓮は、しんしんと降りつもる塚原(※引用者注 日蓮聖人が流罪にされた佐渡の一地域)の雪の中にいて、『法華経』をわが身にあてながら読んだ。『法華経』の伝道者は必ず迫害を受け、悪口罵詈され、擯出(追放)されるということがその身に実証されたわけである。仏が入滅されてのち二千二百余年の間に、かほどまでに迫害され、かほどまで明確に『法華経』の真の伝道者たることを経典自身によって証明された者はおらぬ、と日蓮は考えたのである。その点では、天台智者大師ですら日蓮におよばぬのである。
 こうなると、日蓮に迫害を加えた者たちは、迫害することによって日蓮にこういう自覚を促がしたことになる。迫害者のうしろにも永遠なるものの力が動いているということになる。
 ゲーテの書いた『ファウスト』の序曲「天上の序曲』の中では、主は悪魔メフィストフェレスに向かってこういうのである。

   わしはおまえの仲間を一度も憎んだことはない。
   一切の否定する霊どものうちで、
   わしが一等荷厄介にしないのは悪戯者だ。
   人間の活動はあまりにもゆるみがちだ、
   かれはすぐにも無条件に休息したがる、
   それだからわしはわざとかれに仲間をつけておいて、
   それがつっついたりひねったり、悪魔として創造しなくてはならぬようにするのだ。

 ファウスト的人間たる日蓮のまわりにも、こういう否定する霊たち、悪魔メフィストフェレスの仲間たちは大勢いた。かれらはみな、日蓮が仏になるためのかたうど(味方)として存在していたのである。それゆえ日蓮は「日蓮が仏になるべき第一の味方は東条景信、法師では極楽寺良観、建長寺の道阿弥陀仏、また平左衛門尉頼綱、北条時宗殿がおられなかったら、どうして法華経の行者になり得たであろうと、それらの人たちの存在を悦んでいるのだ」と、「種々御振舞御書」の中に記したのである。
 このことを書いたのは五十四歳の年、身延においてである。すでに往時の苦しみも楽しき思い出と化していたから、そのようなこともいえたのだ、と見る向きもあろう。しかし、わたしは、五十一歳、塚原の雪の中における日蓮の心境もまったくこれと同じであったろうと思っている。日蓮はすでに一度死んだ人である。龍ノ口を境として、往時のすべてのできごとは日蓮にとってはるかな過去であるに相違ない。たしかに日蓮は、太刀を揮って日蓮を殺そうとした東条景信さえ、なつかしき男、わが成道のかたうどと思いかえしていたに相違ないとわたしは思っている。
 はげしい人日蓮は、今や、奥行きの深い人間、永遠をその背後に感じさせる人間として塚原の雪の中にあった。
=============================================
※『仏教の思想12 永遠のいのち<日蓮>』(紀野一義・梅原猛 角川文庫 1997年)
  P134〜136(紀野一義氏の記述)より抜粋

>>15でご紹介した梅原猛氏のそれと同様に、これらの紀野一義氏の記述も、個人的な見解と言うべきなのかもしれず、はたして、日蓮像の真実に近いのかどうかなのはわかりませんけど、でも、実に的を射ているのではないか?と、私には思えて来るのです。
真実に近いか否かは別としても、信者にとっては、大いに参考とするべきものであり、また、信者以外の人にとっても、生きて行く上で重要な事ではないのかと。
私も、逆境に対しては、紀野氏が述べている日蓮聖人のような心構えを少しでも見習って、自らによく言い聞かせなくてはなりません。
無論、日蓮聖人が想像を絶する大きな苦難を経験された時の心境・境涯は、とても私たちのような凡人には理解不可能ですが、それでも、自分なりに見習って行きたいと思っています。

それでは、また!(^_^)

22め〜ちゃん:2005/04/27(水) 22:30:56
どうも、希望さん!

引用書き込みされてる本
>※『仏教の思想12 永遠のいのち<日蓮>』(紀野一義・梅原猛 角川文庫 1997年)
もし見る機会があれば、今度図書館でも見てみようと・・・
考えると蔵書の検索が出来るので近所の幾つかの図書館を調べてみようと思います。
近くに大型古本チェーン店もありますし、買ってみてもいいですね?
それに、日蓮宗の簡単な本?もあるんで買おうかとも思っています。
大阪は*会員の方が多いので、その宗教本のコーナーにいるだけで
**先生は〜で・・・と話し掛けられた事もありましたよ!
日蓮宗=***会ではないんですが、そう思われる節もあります!
熱心に日蓮聖人を崇拝されてる方には迷惑だったりもします!
親戚の法華宗のお家の方々(付近の方々)も仰ってましたね〜
そちらの会員の方に、勧誘されても訳がわからん〜と言ってました!
日蓮聖人の事?の捉え方とかが違うので、否定されて困るとか?
元は日蓮聖人を崇拝してるのに・・・
熱心な*会員の皆様には色々文句はあるでしょうが失礼します!

よく出しますが、亡くなった祖母の実家での話
日蓮聖人・鬼子母神の話をよく聞かされました!
その祖母も嫁にこちらへ来て、念仏の考えにかなり戸惑ったようです
祖母は姉妹の下の方が男だったのと、戦争で早くに亡くし
上の姉妹で念仏(大谷派・本願寺派)の家に嫁ぎ
どちらも始めの内は戸惑ったそうです。
その内なれて、どちらも真宗のおかみ剃りを受け
そして浄土へ旅立ち、どちらも法名を頂いてます。
なんまんだぶ・・・が、ありがたい
でも、実家に戻るとお題目を・・・
不思議なもんだわ〜と、いつも言ってました!
私は、祖母の見守り?お出かけの時のパートナーだったんで
お年寄りの言う所の仏教観に触れる機会が多かったと思います。
母は体が弱かったのもあり、祖母が母のような部分もあったので
最期の見送りの時に、付いて行ってあげられないけど
ええとこ(お浄土)に行ってきてね!としか言い様がありませんでした!
家で転倒しての骨折で、手術で体力が無く肺炎を起こしての死でした!
急変の電話で急いでバイクで行ったのですが
あの時の真似がもう出来ない位無謀な割り込み走行で捕まるのを覚悟で
病院に付き、程無くして心臓は鼓動をなくしていきました!
祖母の大好きな桜、その桜吹雪の中、火葬場まで行きました。
なんまんだぶ・・・でも、心では南無妙法蓮華経と唱える時もあります。
祖母の中は、南無妙法蓮華経だからと思ってます。
希望さんに紹介され、少し勉強したいと思いました。
希望さんの仰る、***会の考えでなく日蓮聖人についてを
何故祖母は、お題目の事をあんなに言ってたのか?
鬼子母神との事ってつながりを知りません!
急いでやる事でなく、ライフワークのようなもんですね?
色んなこと、知って行きたいと思ってますよ!

かなり脱線してますね、今回の書き込み・・・

希望さん、それでは〜

23希望:2005/04/30(土) 04:43:06
め〜ちゃんさん、こんにちわ(^_^)。

>>19

>犬猿の仲の政党同士、希望さんのおっしゃる通り、似た物同士だと
>私も思いますね〜
>辿っていくと結局は一緒ジャ〜ンって言うのが私の思う所です!

以前、対立している一方の団体の機関紙に書かれていたのですが、例の病院での選挙違反活動は、相手側も同じような事をやっているとかで、本当にどっちもどっちとしか言いようがないですね(^o^;)。
また、多分、5年位前になるのではないかと思いますけど、ネットで見たのか、何かの雑誌とか書籍とかに書かれていたのを読んだのかは憶えていないものの、あの2つの団体が、お互いにまるで不倶戴天の仇であるかの如く、相手をあそこまで攻撃している真の原因は、結局、相手が自分と似たような体質だからで、相手を攻撃するのは、実は、相手の中に自分自身の姿を投影させている近親憎悪的なものだというお話でした。
イデオロギー的なものだけを見れば、確かに両者はまったく異質のようでも、しかし、目的を達成する為なら手段を選ばないやり口、極端なまでに独善的・排他的で、異論・批判を受け付けようとせず、自由のない民主主義とは到底相容れない組織の体質、そして、売名・誇大宣伝・ウソ・ペテン・誤魔化しが大のお得意という所にしろ、本当にソックリですからね。

>常勝!大阪の名があるらしい、我が街、地域においては
>それを黙認してる病院もあるようです。

その病院の院長さんたちは、彼らの本質を知らないで表面的なものに騙されているのか?
それとも、あそこと何らかの付き合いや仕事上の取り引きでもあるのか?
あるいは、病院にあそこの信者が勤務しているのか?
とにかく、本当に困ったものですね。

>本当に人類の平和や幸福を考えて活動されてる宗教家の方には
>前回の書き込みは失礼な話ですよね?
>希望さんが仰るとおり、皆無に等しいところが哀しい現実です!
>宗祖や教祖にあたる人がそうであっても、取り巻きがそうであると
>良くない団体になってしまいますよね〜それも哀しい話です!

何れの宗教も、創設当初は良くても、時が経つにつれて、創設者・宗祖の理念から次第に外れて行き、おかしくなってしまうケースは多いでしょうね。
創設者自身がおかしくなったり、取り巻きの人間たちがおかしくしたりという事もあるのかもしれませんが、その多く、特に既成宗教の場合、創設者・宗祖が亡くなった後、後世の人間たちが誤った解釈をしてしまうケースが多々あるのではないかと思います。
先日、「永遠のプリンセスユッコこと岡田有希子」の30で少しばかり触れましたように、時代背景の違いを考慮して、その時代に合わせた解釈の仕方・やり方を用いるべきだと思いますけど、創設当初の理念・宗祖の気持ちだけは忘れてはならないと。

>希望さんの住まれてる所の近く?お隣?ですかねぇ〜
>おバカな元議員さん当選されましたね〜ニュースで騒いでますね・・・
>本当に解って投票された上での当選と信じられない気分です!

まぁ、お隣りと言えばお隣りと言えなくもありませんが、こちらから福岡へ行くのと関西方面へ行くのとでは、距離的・時間的にあまり違いませんね。
それにしても、先日福岡で行なわれた衆院補選の結果は、本当に残念でした。
私は、民主党の新人候補に当選してほしかったのですけど、あまりの低投票率と、例の政党がお仲間の政党の破廉恥男を応援した為、例の政党の支持者の9割近くが、何も考えずに破廉恥男へ投票した事も敗因だと思います。
それに、地震の影響もあったようですしね。

24希望:2005/04/30(土) 04:44:54
>>22

>>※『仏教の思想12 永遠のいのち<日蓮>』(紀野一義・梅原猛 角川文庫 1997年)
>もし見る機会があれば、今度図書館でも見てみようと・・・
>考えると蔵書の検索が出来るので近所の幾つかの図書館を調べてみようと思います。
>近くに大型古本チェーン店もありますし、買ってみてもいいですね?

私が大阪に住んでいた7、8年前、中ノ島の府立図書館へ行ってみたのですが、予想に反し、日蓮関係の書籍は意外と少なかったのを憶えています(行った事がありませんけど、府立図書館は、その後、東大阪市の方がメインになったようですね)。
また、神戸の大倉山公園の所にある市立図書館や、京都の植物園の隣りにある府立総合資料館にも、あまり置かれていなかったのではないか?と思います(こちらの方は、不確かな記憶ですけど)。
8年前に発行されたものなので、今現在、在庫が残っているのかどうかはわかりませんけど、もしかしたら、旭屋・紀伊国屋といった大型書店に置かれている可能性があるのではないか?と(私は、最近、こちらでも滅多に大型書店へ行く事がない為、わかりませんが)。
それに、BOOK・OFFのような大型の古書専門店で、問い合わせてみられるのはいかがかと思います。

>それに、日蓮宗の簡単な本?もあるんで買おうかとも思っています。
>大阪は*会員の方が多いので、その宗教本のコーナーにいるだけで
>**先生は〜で・・・と話し掛けられた事もありましたよ!
>日蓮宗=***会ではないんですが、そう思われる節もあります!
>熱心に日蓮聖人を崇拝されてる方には迷惑だったりもします!
>親戚の法華宗のお家の方々(付近の方々)も仰ってましたね〜
>そちらの会員の方に、勧誘されても訳がわからん〜と言ってました!
>日蓮聖人の事?の捉え方とかが違うので、否定されて困るとか?
>元は日蓮聖人を崇拝してるのに・・・

そうですね。
同じ日蓮関係の書籍であっても、宗派・団体・著者によって、解釈の仕方が大なり小なり違っていますから、先ずは比較的読み易いものの方がよいのではないかと思います。
私は、8年前から、例の団体が発行しているものではない一般の日蓮関係の書籍を読むようになったのですが、実は、それまで自分の信仰の宗祖であるにも関わらず、日蓮聖人の事をほとんど何も知らなかったという、今にして思えば、ちょっと信じられない有様なのでした。
例の団体では、日蓮聖人の事をあまり詳しく教えてくれず、教えてくれる場合でも、自分たちに好都合な解釈の仕方ばかりで、それに、彼らにとっての実際の宗祖は、日蓮聖人ではなく、あそこの教祖様なのですし。
確かに、あそこは日蓮系のお題目をかなり広めたわけなのですから、少なくとも、その一点だけは、大いに評価するべきなのかもしれませんけど、でも、はっきり言って、彼らは宗祖である日蓮聖人を自分たちの団体を拡張する為、都合好く利用しているだけだと思います。
他の日蓮系の方たちにとっては、本当に迷惑この上ない話で、また、もし仮に今現在、日蓮聖人が存命だったとすれば、烈火の如く怒られ、あそこを痛烈に批判される事だけは先ず間違いないでしょうね。
もしかすると、彼らは、将来、宗祖=日蓮という看板を外して、あそこの教祖様を宗祖にする、それどころか、法華経・日蓮の教えさえ捨ててしまう可能性があるのではないか?と、私はそのように思っているのですが。

>よく出しますが、亡くなった祖母の実家での話
>日蓮聖人・鬼子母神の話をよく聞かされました!

例の団体とかつてあそこが拠っていた某宗派の鬼子母神の捉え方は、飽くまで法華経を守護する神で、拝む対象ではないというものなのであり、その関係から、正直、私はあまりよく知らないのですけど、日蓮系の宗派によっては鬼子母神に祈願するようですね。
め〜ちゃんさんのお祖母さんのご実家が属されている本能寺では、そのような感じなのでしょうか。

25希望:2005/04/30(土) 04:47:10
>>22

>なんまんだぶ・・・が、ありがたい
>でも、実家に戻るとお題目を・・・
>不思議なもんだわ〜と、いつも言ってました!
>私は、祖母の見守り?お出かけの時のパートナーだったんで
>お年寄りの言う所の仏教観に触れる機会が多かったと思います。
>母は体が弱かったのもあり、祖母が母のような部分もあったので
>最期の見送りの時に、付いて行ってあげられないけど
>ええとこ(お浄土)に行ってきてね!としか言い様がありませんでした!

>祖母の大好きな桜、その桜吹雪の中、火葬場まで行きました。
>なんまんだぶ・・・でも、心では南無妙法蓮華経と唱える時もあります。
>祖母の中は、南無妙法蓮華経だからと思ってます。

め〜ちゃんさんは、お祖母ちゃん子だったのですね。
私の場合、小学生の時に、土日を利用して、バスで30分位の距離にあった母方の祖父母の家へよく行ったものです。
私を可愛がってくれた祖父母が亡くなってから早35年で(同じ年の3月に祖父が、6月に祖母が)、すでに家はなく、家のあった周囲の風景もすっかり様変わりしており、その地域へは時たま墓参りに行くだけなのですが、かなりセピア色と化しているものの、心の中で今でも懐かしく思い出されて来ます。
ちょっと個人的な思い出話をさせていただきました(^_^;)。
め〜ちゃんさんのお祖母さんは、信心深い方だったのですね。
お祖母さんとお祖母さんのご姉妹の方たちは、真宗のお家へ嫁がれてお念仏を唱えられるようになられたそうですけど、でも、ご実家に戻られた時にはお題目だったのですか。
また私のお話になりますが(^o^;)、以前、母から聞かされた話によると、母方の祖母の母(即ち、私にとっては曾祖母になります)は、神道の家から真宗の家に嫁いだ為、日頃はお念仏を唱えていたものの、それでも、時たま、神道式の祈りを口ずさんでいた事があったのだそうです。
め〜ちゃんさんのお祖母さんの心は、お題目だったのでしょうかね。

ご参考までに、『仏教の思想12 永遠のいのち<日蓮>』以外で、私が個人的によいのではないか?と思っている日蓮関係の書籍のいくつかをご紹介させていただきます。

・小説『人間日蓮』(上)(下)
  石川教張 学陽書房人物文庫 1998年
・『日蓮・心の旅―不安の時代、彼はどんな未来を見たのか』
  熊谷一乗 詳伝社(NON BOOK) 2001年
・『日蓮―物語と史蹟をたずねて』
  田下豪 成美堂出版(成美文庫) 1997年
・『日蓮―その思想と生涯』
  久保田正文 講談社現代新書 1967年
・『日蓮入門―現世を撃つ思想』
  末木文美士 ちくま新書 2000年
・『仏教を生きる11 苦海に生きる<日蓮>』
  石川教張 中央公論新社 2000年
・『日蓮の本―末法を撃つ法華経の予言』
  学習研究社 1993年
・『日蓮がわかる本』
  ひろさちや 主婦と生活社 2001年

今現在、廃刊になっているのではないか?と思われますけど、こちらも。

・『日蓮―殉教の如来使』
  田村芳朗 NHKブックス 1975年

また、例の団体の中では、数少ない?良識派・インテリの方たちが執筆されたこちらの書籍もよいのではないか?と(とても、あそこに所属している方たちのものとは思えないほどです)。

・『日蓮大聖人の思想と生涯』
  佐藤弘夫・小林正博・小島信泰 第三文明社 1997年
・『日蓮大聖人の生涯を歩く』
  佐藤弘夫・小林正博・小島信泰 第三文明社 1999年

他にもまだ数多くの書籍がありますので、少しずつ読んで行かれたらよいのではないかと思います。

それから、め〜ちゃんさんのお祖母さんのご実家が所属されている寺院の宗派とは違う日蓮系の為、大なり小なり異なっている所があるのではないか?と思われますが、ネットで勉強会も行なわれています。

http://sapporo.cool.ne.jp/nichiren/yoko.htm

私は勉強会に参加していないのですけど、主催者(管理人)の方は、3、4年前からネットでよく存じています。
よろしければ、ご参加してみられるのもいかがかと。

今日もずいぶん長くなってしまいましたが、このあたりで失礼させていただきます。
それでは、また!(^_^)

26め〜ちゃん:2005/05/03(火) 04:21:58
どうも、希望さん

・『日蓮・心の旅―不安の時代、彼はどんな未来を見たのか』
  熊谷一乗 詳伝社(NON BOOK) 2001年

この本が、大型古本店で見つかったんで居間早速読んでますとともに
・『自然と人生 思うままにⅡ』梅原 猛 文春文庫 2000年

この本は、東京新聞・中日新聞のエッセーを集めた本ですが
なかなか面白く読ませてもらってます。
仏教を知っていくのもナカナカ面白いですね。
難しい部分もありますが、仰るとおりゆっくりと
私の思う仏教を知って行きたいと思います。
挙げて頂いた他の本についても調べて読んでみようと思ってます。

日蓮聖人の事も、上記の本だけの知識ですが
比叡山にも行ってみたくなりました
体が付いて来ないのが難点で・・・困ったモンです!

まずは報告だけでしたが・・・

それでは〜

27め〜ちゃん:2005/05/03(火) 04:43:46
どうも、連続投稿です!

祖母とは一緒に行動する事が多かったので
御婆ちゃん子と言えばそうなります。
祖母は不妊症だったんで、母しか産めなかったので
私を次代の当家の主人として育てるために
私が小さい時、亡くなった祖父の代わりに
祖母が私には色々教えてくれてたんでしょう?

鬼子母神との関係について少しずつ解ってきたんですが
祖母は不妊症のせいもあり、子供の誕生をとても喜ぶ人でした。
私の子、つまり祖母には家のひ孫を見せられなかったのは
祖母への親不孝なんですが、それについても残念に思ってます。
祖母の鬼子母神信仰は、宗派のものより子供を守る神としての
信仰も大きかったようです。
出不精だったんで、不精信仰だと言ってましたが、心にある
神・仏が幾つかあり、ある意味凄く信心深い?
お参り、お祈りは心の中だけ・・・という信仰者だったと思います。

祖母の七回忌後だったんで
少し祖母の信仰について書いてみました!

それでは〜

28希望:2005/05/05(木) 06:03:55
め〜ちゃんさん、こんにちわ(^_^)。
この連休は、いかがお過ごしなのでしょうか?
私は、どこか遠方へ行く事もなく、いつもどおりで、ほとんど家にいます(^_^;)。

>>26

『日蓮・心の旅―不安の時代、彼はどんな未来を見たのか』を入手されたそうで、また、私はまだ読んだ事がないのですが、梅原猛氏の『自然と人生 思うままにⅡ』という本も読まれているのですか。
梅原氏の著書は、信仰と人生を考える上で、色々と参考になるのではないかと思います。

>日蓮聖人の事も、上記の本だけの知識ですが
>比叡山にも行ってみたくなりました

私は行った事がないのですけど、比叡山へ行かれるのは結構大変ではないのか?と思われますので、今はあまりご無理をされないようにして、体調が良くなられた時に行かれるのがよいのではないでしょうか。
たとえ比叡山へ行かれなくても、京都には日蓮系の宗派の寺院が多いですし、め〜ちゃんさんのお祖母さんのご実家が所属されている本能寺へ行かれてみるのはいかがでしょうかね?
あるいは、お祖母さんのご実家の方たちから、色々とお話をお伺いされるとか。
私も、日蓮聖人と縁のある所へ行ってみたいと思う事はありますね。
こちらの地域には、日蓮系の宗派の末寺さえあまりないのですが、機会があったら、どこかの寺院へ行ってみたいです。
私の場合、寺院へは参詣しなくても、自室の仏壇へ向かって拝んでいますし、また、実は、一昨年の秋に某団体から授与された紙幅の曼荼羅御本尊をお巻きし、仏壇の引出しの中に保管して、それ以来、ネットでダウンロードした日蓮聖人真筆の曼荼羅御本尊の写真をコピーしたものを掲げて拝んでいるのです。
どこかの寺院へ参詣する事がなく、自家製の御本尊だとは言え、想いを込め拝んでいます。

>>27

>祖母とは一緒に行動する事が多かったので
>御婆ちゃん子と言えばそうなります。
>祖母は不妊症だったんで、母しか産めなかったので
>私を次代の当家の主人として育てるために
>私が小さい時、亡くなった祖父の代わりに
>祖母が私には色々教えてくれてたんでしょう?

もしかすると、幼少の頃からお祖母さんが色々と教えて下さった為、め〜ちゃんさんの中で、知らず知らずのうちに、宗教心・信仰心が育まれて行ったのではないでしょうか?
そういうのは、今現在の日本人の多くに欠けている非常に大切な事だと思います。
私の場合、家の中で母以外には、あまり信仰心のある人間がいなかったのですけど、幼少の頃に何故か?お坊さんや家の者たちが読んでいた浄土真宗のお経に興味を持って、真似をした記憶が。
また、キリスト教系の幼稚園へ通っていましたから、そこで神様へ祈りを捧げていた(本気で祈っていたわけではないのかもしれませんが^.^;)のが、私の中で、それなりの宗教心・信仰心を育ませる原因の一つになったのではないか?と思うのです。
私の母方の祖母が亡くなってからずいぶん後に、母から何度も聞かされた事なのですが、生前の祖母の口癖で自戒の言葉であったのは、「天を仰ぎて唾す」「人を呪わば穴二つ」「覆水盆に返らず」等というものだったのだそうです。
祖母が亡くなった時、私はまだ小学校の5年生だったので、祖母の口から直接そういうお堅い話を聞かされた事がなかったのですけど、これらの言葉は、人間としての、そして、信仰者としての実に重要なものだと思います。
他人様へ迷惑をかけたり誰かを口汚く罵ったりしながら平然としており、自らを省みて自制するという事を知らないどこかの似非宗教団体の愚か者どもへ、これらの言葉を贈りたいですね。

29希望:2005/05/05(木) 06:05:17
>>27

>私の子、つまり祖母には家のひ孫を見せられなかったのは
>祖母への親不孝なんですが、それについても残念に思ってます。

私も、生前の祖父母に対しては何も恩返しをしていなくて、その事が非常に残念です。
でも、来世、再び祖父母の孫として生まれて来て、何らかの孝行をしたいと思っています。
そして、祖父母に恥じないような生き方をして行く事が、今世における自分なりのせめてもの孝行だとも。

>出不精だったんで、不精信仰だと言ってましたが、心にある
>神・仏が幾つかあり、ある意味凄く信心深い?
>お参り、お祈りは心の中だけ・・・という信仰者だったと思います。

お祖母さんは、日頃、直に参詣していらっしゃらなかったものの、心の中でいつも祈られていたのでしょうかね。
たとえ、実際に寺院や神社へ行かなかったとしても、大切なのは祈り・信仰心ではないのか?と思うのですが。
また、遠く離れている分だけ、想いが強まって行くという事もあるのではないかと。

ところで、本門仏立宗のそれですけど、信仰というものを考えるのには、何かと参考になるのではないかと思う事が述べられています。

http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Renge/5629/what.html

それと、一昨日の晩に書店へ行き、1ヶ月前に発売されたNHKのラジオ放送のテキストである『NHK こころをよむ 書簡からみた日蓮』(北川前肇 NHK出版)を買ったのですが、現在、NHKラジオ第2放送で、毎週日曜日のPM1:20〜2:00に放送されているそうです(再放送は、翌週日曜日のPM11:15〜11:55)。
4月の初めに開始されて、9月の終わりまでの予定となっています。

今日は、このあたりで失礼させていただきます。
それでは、また!(^_^)

30め〜ちゃん:2005/05/05(木) 16:58:44
どうも希望さん、こんにちは

私もダラダラした連休を過ごしてるんですが
やらなきゃいけない事も色々ありまして・・・
今夜は友人達と飲み会を開く計画なんでそれ位ですね・・・
後、友人で新撰組の好きな友と無理矢理?(笑)連れられ
壬生寺に行ってきました。
5キロ程歩いて行ったんで、最寄の駅の近い所までいきましたが
時間的にもですが、本能寺には寄る事は出来ませんでした!
個人で行くのがやはり行き易いですね!
後、本能寺に近い所が繁華街なんで、それも少し辛いです!
母の1周忌までに一度行こうと思っているんですけどね・・・
比叡山は、行き易いといえばそうですが
夏頃にはいければって思ってます。体調と相談していい時に・・・

小さい頃って、皆同じ様なものなんですね〜
祖父母と生活すると、仏壇に手を合わせる事が小さい頃から
癖付きますよね〜
我が家の近所の菩提寺では、3歳のお孫さん(未来の住職?)が
居ますが、もうお寺の行事事に出席してますもの・・・
まだまだ子供ですから、暴れてますけどね・・・

祖母は心の中の信仰が深かったので
早朝に起きていれば、ラジオ聞かせてくれとよく頼まれました。
昔から、野良仕事前の習慣だったらしいのですが
話をきいて、信仰を深める人だったと思います。
長い間寝込む事も無く、10日程の苦しみでしたが
私位しか、痛いという言葉を聞いてない位
人前で、弱音を吐くのが嫌いな人でした!
祖母さんに育てられたといってもおかしくないだけに
祖母もでしたが、人に甘え下手だったり
イザって時にカッコつけたがったり・・・
勝手な解釈の信仰があるのも、似たように思います。
祖母の代わり動いた分だけ、出不精は似ないんですが・・・
孫の私を信頼してくれて、負けず嫌いの祖母が骨折してるのに
痛いといわなかったので、本当の事言ってみて?って言うと
小さい声で、そりゃ痛いけど大きい声で言うな!恥かしいわ!と
照れながら言ってくれたのが、祖母との最期の会話になってしまい
娘である母の事を頼むといって、旅立っていきました!

私の信仰についてもゆっくり、色々知って行きたいと思ってます!
希望さんに教えて頂いた分についても色々参考にして
勉強?していきたいと思います!ありがとうございます。

もう少ししたら友人達と飲み会・・・
こうして集まってくれる友人が何人もいるのは
本当に有難く、皆がいての今の自分があると思ってます。
私の精神的、病についても特に非難する事も無く居てくれる友です。
大事にしなくてはいけないですね・・・

残りの休み有意義に過ごしてくださいね・・・
いい加減な私に言われたくないですよね〜 えへへ・・・

それでは〜

31め〜ちゃん:2005/05/05(木) 23:58:31
夕方の書き込みの続きを少々・・・

出不精の祖母が信心があったのは、私にとっては曽祖父である
祖母の父が信心深い人だったそうです。
出不精の祖母に、信心してる神社・仏閣の方向をむいて
手を合わせてお祈りしろと、言われてたそうです。
その為か、曽祖父・曾祖母ともにそれほど苦しんで亡くなる事もなく
祖母の姉妹も、苦しんで亡くなることはありませんでした。

小さい頃亡くなった祖父に仏飯等をお供えするとき
関西地方?大阪だけでしょうか?子供には、まんまんちゃん、あん
仏壇にしておいで・・・と言われ続けてきましたね〜

>たとえ、実際に寺院や神社へ行かなかったとしても
 大切なのは祈り・信仰心ではないのか?と思うのですが。
 また、遠く離れている分だけ
 想いが強まって行くという事もあるのではないかと。

出不精の分だけ祖母の中の信仰が大きくなっていたのでは?と
今になるとより強く思いますね〜
私は祖母がよく言っていた事に
「天知る、地知る、我が身知る」と良く言われました
どれだけ悪い事をしても、天と地の神様そして我が身が一番知ってると・・・
しかしこれは、悪行だけでなく善行においても同じ事がいえると・・・
天と地の神様が、我が身の行ってる善行をちゃんと見守ってくださってると

私は長い間、自身が中心に介護生活をしてきましたが
その中で得たものは多くあります。
辛い苦しい物でもありましたが、有難い経験も沢山してます。
おそらく以後今まで皆さんから言われた、男なのに偉いなぁ〜って
褒めてもらう事はもう無いと思います!

参考の本門仏立宗のものも拝見し、大変参考になりました
また、ラジオの分も聞いてみようと思ってます。

書き漏れていた事を書き込ませていただきました

それでは〜

32希望:2005/05/07(土) 03:04:35
め〜ちゃんさん、こんにちわ(^_^)。

>>30

新撰組の好きなお友達と壬生寺へ行かれたのですか。
私も、新撰組はある面で好きですね。
幕末にとったその行動の良し悪しについては別ですが、少なくとも、忠義を尽くして、最後まで武士らしく生き抜いた事だけは大いに評価するべきで、現代人にはない気骨さがあり、そういった意味では憧れてしまいます。
まぁ、私の場合、昨年のNHK大河ドラマ「新選組!」が好きだった事もあるのでしょうけどね(^_^)。
本能寺の近くまで行かれたそうですけど、おっしゃっていますように、1人で訪ねられるか、もしくは、同じような目的を持った人と、ごく数人で行かれる方がよいのではないかと思います。

め〜ちゃんさんのお祖母さんは、すごく忍耐強い方だったのですね。
それは、やはり信仰から来ていらっしゃったのではないでしょうか。
ラジオで放送される宗教のお話を聴いて、それを自らの中に吸収し信仰心を深めて行かれたそうですから、かなり向学心・向上心が旺盛な方であったように思われます。
それに、人間としてのプライドの高い方であったようにも。
立派なお祖母さんだったのですね。

一昨日はお友達と飲みに行かれたそうですが、本当の友人は、たとえどのような事があろうとも、いつまでも昔と変わらないつき合いをし、いざという時、すぐに駈けつけてくれるような人たちではないのかと思うのです。
また、時と場合によっては、相手の事を心底思うが故に、敢えて厳しい忠告をして、そして、何よりも、相手の身になり考えるのが本当の友情ではないのかと。
まぁ、私の場合、こうして偉そうな事を述べていますけど、先ず誰よりも、自分自身の肝にそれをよく銘じて行かなければなりません(^_^;)。
誰が言ったのかは知りませんけど、「偽りの友よりは、まだ敵の方がよい」というようなものがあったのを憶えています。
軽いつき合いや打算で結び付いているだけのゲスな類のものである偽りの友情は嫌で、心と心が通い合う真の友情をいつまでも大切にしたいですね。

>>31

>出不精の祖母が信心があったのは、私にとっては曽祖父である
>祖母の父が信心深い人だったそうです。
>出不精の祖母に、信心してる神社・仏閣の方向をむいて
>手を合わせてお祈りしろと、言われてたそうです。
>その為か、曽祖父・曾祖母ともにそれほど苦しんで亡くなる事もなく
>祖母の姉妹も、苦しんで亡くなることはありませんでした。

め〜ちゃんさんのお祖母さんの家系は、伝統的に信仰心が強いのですか。
一族の方々がそれほど苦しまれずに臨終を迎えられたのは、やはり、信仰心の強さに拠るものなのでしょうかね。

実は、今この続きを書いている途中なのですが、続きは全部を書き終えてから、次回に投稿させていただきます。
明日8日は父が亡くなってから満2年になり、3回忌の法要が行なわれる事もありますので、多分、その後になるのではないか?と思われますけど、そこのところは、何卒ご了承下さいませ。m(__)m
勝手な事を申しまして、スイマセン(^_^;)。

誠に簡単ではございますが、今日はこのあたりで失礼させていただきます。
それでは、また!(^_^)

33希望:2005/05/07(土) 21:15:21
め〜ちゃんさん、こんにちわ(^_^)。

今日の未明の書き込みでは、多分、明日の父の3回忌法要が終わった後になるのではないか?と申しましたけど、>>32のお話の続きをさせていただきます。

私の母方の祖父母に関するお話になりますが、祖母は晩年パーキンソン病に冒されて、亡くなる3年位前から寝たきりの生活をしていました。
ある時期から時々手足に震えが起こるようになり、足腰が立たなくなって行ったのだそうです。
その当時、40年近く前にはあの病気がまだあまり知られていなくて、田舎のお医者さんに診てもらった為でもあり、真の原因はわからないままに過ごして来て、病名が判明したのは、亡くなるほんの1ヶ月位前になってからなのでした。
祖母が寝たきりになったので、2人暮しをしていた祖父に負担が掛かったのかどうかはわかりませんけど、祖父は胃癌に冒されて亡くなりました。
祖父が亡くなった後、我が家に引き取られた祖母は、病状が急速に悪化して行き、最期の1ヶ月位の間はほとんど意識不明の状態に陥っていたのですが、それでも、祖母はすでにしゃべれなくなっていたにも関わらず、口の中でお念仏を唱えていたと、母が話していました。
聡明な祖母でしたけど、亡くなる少し前は病に脳を冒され始めた為、おかしな事を言うようになって、最期の1ヶ月位の間はほとんど意識がなかったものの、しかし、死に顔はすごく綺麗であり、まるで眠っているかのようだったのを憶えています。
亡くなるどれぐらい前だったのかは憶えていませんが、すでにあまり長くなかった祖母は、私に「お父さんとお母さんの言う事をよく聞くように」と言いましたね。
祖母は躾の厳しい家庭で育ったせいで、すごくプライドが高く我慢強いのと同時に、寛容な人だったと後に母から聞かされました。
それに、信仰心の篤い人でもあったようです。
一方、祖父は昔の武人のような性格で、祖母と違う性質の持ち主であったものの、祖父もまたプライドが高く、決して弱音を吐かない人だったと。
母が1人で入院先の祖父の最期を看取った際、祖父は亡くなるほんの直前になって、もう長くない事を悟っていたのか、自分の事よりも母を気遣い、「疲れただろうから、もう休め」と言ったのだそうです。
母の少女時代には、極端なまでの男性優先・女性蔑視という風潮で、祖父が母よりも母の弟の方を何かと贔屓していた為、母は祖父を嫌っていた時期があって、祖父から理不尽な事を言われた時、口答えをしたのでした。
その時、反抗した母に対して祖母は、「お父さんへ向かってあんな事を言うもんじゃない。あんたの方が間違っていないのは、よくわかっているから」と言い、諭したのだそうです。
また、いくら男子優先の時代であったとは言っても、祖父にとっては自分の娘なのですし、母の事が可愛くないわけはなかったのです。
母は21歳か22歳の時に大病を患ったのですけど、その際、プライドが高くて滅多に泣く事などない祖父は、娘を不憫に思い涙を流したのだそうです。
母の弟は2人とも、祖父母が亡くなった当時は大阪に住んでいた事もありますが、結局、祖父の最期を看取ったのは、母1人なのでした。
そして、祖父が亡くなった後、祖母も母の嫁ぎ先の我が家に引き取られて亡くなりました。
今から35年前の1970年、大阪で万博が開催される直前であった3月半ばに祖父が、その3ヶ月後の6月末には祖母が旅立ったのでした。
私の場合、祖父母のような忍耐強さはなく、すぐに愚痴や文句を口にしてしまい、諦めも早く、もし、どこかで祖父母がそのような私を見ていたとすれば、多分、「困った孫だ・・・」と思っている事でしょうね(^o^;)。
ただ、少なくとも、これまで人の道を踏み外す愚かな事だけはしないようにと、肝に銘じながら生きて来たつもりですから、その意味では、決して祖父母の顔に泥を塗るような真似をしたくありません。
いつのまにか、私自身の思い出話になってしまいまして、すいませんでした(^_^;)。

34希望:2005/05/07(土) 21:16:58
>>32

>小さい頃亡くなった祖父に仏飯等をお供えするとき
>関西地方?大阪だけでしょうか?子供には、まんまんちゃん、あん
>仏壇にしておいで・・・と言われ続けてきましたね〜

私の場合、幼少の頃に母からそのような事を言われた記憶はないのですが(無論、こちらは広島なので、関西弁と違いますけど^o^)、親や祖父母の信仰心が篤かったら、そういった感じの家は結構あったのではないかと。
今でも、田舎の場合、残っている家があるのではないか?と思うものの、昔に比べれば、そういうのは、ずいぶんと少なくなってしまったのではないでしょうか。

>私は祖母がよく言っていた事に
>「天知る、地知る、我が身知る」と良く言われました
>どれだけ悪い事をしても、天と地の神様そして我が身が一番知ってると・・・
>しかしこれは、悪行だけでなく善行においても同じ事がいえると・・・
>天と地の神様が、我が身の行ってる善行をちゃんと見守ってくださってると

篤信家で勉強家であられたお祖母さんは、実に鋭い点を衝いた事をおっしゃっていたのですね。
現代の日本人の多くには、お祖母さんのおっしゃっている宗教心・信仰心を精神的な支柱とした人間にとっての何よりも大切なものが欠けている為、ロクでもない事を仕出かしながら平然としていられる馬鹿な人間が、世の中にゴマンと存在しているのだと思います。
今現在の日本には、本当の宗教心・信仰心を育んで行く事が必要不可欠ではないのでしょうか。
そうしなくては、今後も悪い事をする人間は増え続ける一方で、すでにかなりの重症と言うべき世の中が、今よりも更に悪化して行き、手の施しようのない状態になってしまうと。
また、どこかの似非宗教の信者たちは、お祖母さんのおっしゃっていた事を他の何よりも見習うべきだと思います(彼らのような洗脳されている人間に、理解できるかどうかはわかりませんけど)。

>私は長い間、自身が中心に介護生活をしてきましたが
>その中で得たものは多くあります。
>辛い苦しい物でもありましたが、有難い経験も沢山してます。

たとえ辛い経験だったとしても、それが後の自分にプラスとなる事は多々あるのではないでしょうか。
愚痴や文句が多く、すぐに諦めてしまう傾向性の強い私なのですけど(^+^;)、それでも、自分なりに頑張って行こうと思います。
決して希望を捨てずに、未来へと続く道がある事を信じて。

今日は、このあたりで失礼させていただきます。
それでは、また!(^_^)

35め〜ちゃん:2005/05/08(日) 02:27:20
どうも希望さん、本日の亡父様の三回忌法要、大変かと思いますが
お疲れの無きよう施して下さいませ!

病気を理由に半分逃げてるような私なぞ
来月25日の亡母の1周忌法要に、胸が心臓病のような動悸が襲ってます!
肝っ玉の小さい男なのか、これが病気なのか解らないですが
とりあえず乗り越えるしかないですよね〜

>幕末にとったその行動の良し悪しについては別ですが
 少なくとも、忠義を尽くして、最後まで武士らしく生き抜いた事だけは
 大いに評価するべきで、現代人にはない気骨さがあり
 そういった意味では憧れてしまいます。

との事ですが、友人が新撰組を好きなのもその様な部分だと思います。
忠義を尽くすという意味でなのか知りませんが
その友人は、忠臣蔵も好きで、決して大石側のファンという訳でもなく
吉良側の事についても読み物を読んでましたよ!
先日、私に遠慮してか?一人で山科の大石神社に参拝に行ったようです。
歴史モノ好きの方には、京都・奈良方面に色々な史跡等ががあるんで
そういう意味ではいい場所ですね〜
本能寺については、体調が良かったので7日に行って参りました。
亡き祖母の想いを胸にしていたのは当然ですが
後押ししてくれた希望さんの気持ちや、暖かく見守ってくれる
大勢の想いや、心に見守られていて、私は幸せ者です。
本能寺の変の舞台となったお寺なので、展示館も拝観し
祖母があれだけ本能寺と言っていたので・・・
本願寺派の作法としては間違ってる?といっても
他にも知っていて、色々間違った事をしてるのですが
仏壇に本能寺の絵葉書を入れて置きました!
(絵葉書を見ると行かなくても場所がよく解ると、いつも言ってたので)
何でしょう、祖母さんがずっと言ってたからでしょうか?
お寺がさすがに広いからでしょうか?
都会の真ん中なのに澄んだ空気を吸い込んだような気分でした。
祖母が、京都に来た時はたまにはこちらに来てくれとも
言ってる様な気もしました。
繁華街の近くの寺町通り・・・少し違う空気が流れてるようにも思います
私だけでしょうかね〜若い人の多い街なので若い人も別の空気
感じてるように思うんですけどね〜

先日の飲み会ですが楽しく過ごせました!
心許せる友人同士という気持ちもあるからと思います。
お互い叱咤激励しあえるからこその中学以降の仲間です。
私が叱咤ばかりだったり、誰かが私を激励するばかりでも
続かない友人同士だと私も思います。
今は皆が共通して、旬を超え過ぎた年齢?なのか
女性っけの無い事がまずいよな〜と話してました!
結婚する時はまず呼び合わなければいけない友と言えます。

本日の法要が無事でありますよう
また、お母様が(本願寺派ですよね)お浄土で幸せに居られれます様
ネット間の友ではありますが
南無阿弥陀仏〜当家の仏前でも手を合わせさせて頂きます。

余談:いま書き込み中に気付いたんですが(遅いんですが)
   昨日は祖父の祥月命日・・・
   直近の両親や、祖母にとらわれ過ぎてましたが
   祖父母は仲が良かったらしいので
   私を元気にして言ってきてやれと
   祖父が命日を想い出させるのと、祖母の想いを
   代わってやれる私に託してくれたのかも知れませんね。
   私が男だったので喜んでくれた祖父は優しかったので
   帰りに買って仏前に供えた物も、祖父が私に買ってくれていた物に
   通じる物もあります、偶然だけでは理解できない
   体に染み付いた物?両宗派の仏様?日蓮聖人、親鸞聖人の
   お力かな?と不思議な気分です!
   行ってよかったです!
   ただ、体のしんどい感じ等は変わらないのですが〜

長々失礼しました、それでは〜

36め〜ちゃん:2005/05/08(日) 09:25:16
どうも希望さん、お忙しい中にも係わらず
続きの書き込みありがとうございます。

やはり、まんまんちゃん、あんは、大阪?関西地方の言い方のように
思います、以前、何かの番組でも言っていたように思いますね!
先日、お笑いのタレント、ナインティナイン(ナイナイ)の
ラジオ番組で、炊き立てのご飯はまず、おっぱん・・・と言ってました
同じだなと思ったんですが、お仏飯が略されてそうなるようです?
これも大阪の方だけでしょうかね〜

祖母の言っていた、天知る、地知る、我が身知るは
曽祖父からの受け売りの言葉のようですが
こうして代々受け継がれているのです!
姉弟と話をする時に、いつも祖母さんが言ってたと話になります。
空には太陽や月の神様が、アスファルトやコンクリート舗装されても
下には土(地の神)が、そして自身の(良心や悪心)がよく解ってると!
子供の頃は悪い事(てんごって言ってました)したらあかん(ダメ)!
天地の神様が見てるよ、そして自身が良悪に気付く事を
次代の子供に教えてくれていたんでしょうね?
曽祖父母は父母共に亡くなってから、私達は生まれてるんですが
曽祖父が神社、仏閣が好きなのが、私は似たんでしょうか?
祖母から聞く曽祖父の話は何か憧れの存在でもあります。
頭の斬れる方だったのも含めて・・・
すごくこじつけると、法華経の下生きて来られたので
日蓮聖人の徳を受け継がれていたのかも知れません。
チョット身内を褒めすぎですね〜 へへへ・・・

法要、お疲れの出ませんよう・・・

それでは〜

再び余談:先の書き込みでの余談の部分、5行目の
     >私を元気にして言ってきてやれと
     と書き込んでますが
     正しくは、私を元気にして、行って来てやれ!と
     に字を間違えてますね!
     訂正しておきます。

37希望:2005/05/09(月) 21:30:57
め〜ちゃんさん、こんばんわ(^_^)。

>>35

昨日8日、父の3回忌の法要を無事に終えました。
お気遣いのほど、誠にありがとうございました。m(__)m

昨日の未明に350mlの缶の発泡酒を2本飲んで寝たものの、朝は何故か予定よりも早く目が覚めてしまい、正直、寺院へ出掛ける前は体調があまりシャキッとしていなかったのですが、とにかく、しっかりしなければという気持ちでいました。
ところが、家を出る直前になって、最近はほとんど外出する事がない高齢の母はもたもたし、こちらをヤキモキさせた為、気持ちがイライラして来て、私はつい腹を立てて怒ってしまったのです。
しかし、車に乗り寺院へ向かう途中で、「確かに母は迷惑をかけたものの、こちらももっと寛容にならなくてはいけない」と、私は立腹した自分を恥じて、心の中でお題目を唱えたら、気分が穏やかになって来たのでした。
私は、自分の事をまだまだ信仰心が足らず、人間的に未熟だと痛感しましたね。
特に、昨日は父の祥月命日で3回忌法要が行なわれる日だったのですから、心の中では、私自身の信仰の宗祖・日蓮聖人と、家の宗派である浄土真宗の宗祖・親鸞聖人に対して、申し訳ないという気持ちが起こって来たのでした。
宗祖の方々の意に反する振る舞いは無論、こちらでお話した祖父母の顔に泥を塗らないようにしなくてはなりませんね。
もしかしたら、父は「相も変らず、何をやってるんだ・・・」と呆れていたのかもしれません(^o^;)。
その後、寺院に到着してからの私は母に寄り添い、母が誤って転倒する事のないようにと注意しながら一緒に歩いてあげたのでした。
3回忌だった為、母・兄一家の5人・姉・私の8人と、ごく身内の者のみが出席したこじんまりとしたものであり、本堂で行なわれたお坊さんの読経・お話の前後に、庫裏で出されたお茶とお菓子を服して、少しばかり会話を交わしただけで、あっという間に終わってしまったという感じがしました。
漠然とではありましたけど、「父が亡くなってから、もう2年も経つのか・・・ 早いもんだな・・・」と思っていた私なのです。

法要の時には、気持ちがシャキッとしていた私なのでしたが、帰宅してからは、睡眠不足の為の疲れが一気に出て来て、かなり眠たかったですね。
しかし、眠たかったにも関わらず、晩の7時から「JSPORTS1」で録画放送された、私が好きなサッカーJ2のベガルタ仙台の試合(前日7日に行なわれた水戸ホーリーホック戦)を見始めた最初の頃こそ半ば転寝状態ではあったものの、最後まで見たのでした(今年初めてテレビで見るベガルタの試合でしたので)。
法要の方は、簡単に終わってしまったという感じでしたけど、それより何より、睡眠不足が影響し、とにかく、疲れましたよ(^o^;)。
疲れたのなら、サッカーの試合を見ないで寝ればいいものを、それでも無理して見たというんですから、ホント、私も好っきやねぇ・・・(^ー^)
もしかすると、日蓮聖人、親鸞聖人、父、祖父母、その他の仏様・神様・ご先祖様・友人・知人たちは、そして、ユッコちゃんも、どこかでそんな私を見ながら、呆れてしまっていたのかもしれません(^へ^;)。
マジかよ・・・(・〇・;)
といった感じで(^+^;)。

め〜ちゃんさんは来月お母さんの1周忌を迎えられるそうですが、法要そのものに対して特別な気構えなどされず、出来るだけリラックスした気分で臨まれた方がよいのではないか?と思います。
まぁ、3回忌と違い、1周忌の場合には、まだ結構緊張してしまうところがあるのかも?しれませんけど、でも、昨年の父の1周忌を振り返ってみると、あっという間に終わってしまったような感じでしたので。
もしかしたら、私があまりにも能天気なだけなのでしょうかね・・・?(^+^;)
昨日、法要が終わった後でサッカーの試合放送を見ていた事にしろ、父は無論、親鸞聖人も日蓮聖人も、私へ向かって、「おまえにとっては、法要とサッカーの、いったい、どっちが大事なんだ?」と言いながら、呆れた顔をされていたのかも?(^_^;)
とにかく、ご健康にはくれぐれもご留意され、当日をお迎え下さいませ。

38希望:2005/05/09(月) 21:32:29
>>35

>その友人は、忠臣蔵も好きで、決して大石側のファンという訳でもなく
>吉良側の事についても読み物を読んでましたよ!

実話にしろフィクションにしろ、主役ばかりがやたらとスポットを浴びたり、一方的なヒーローにされたりする事は多いですが、でも、主役を側から支えている脇役とか、敵役・悪役である相手側の人間とかにも、注目してみるべきではないのかと思います。
そうする事によって、主役だけに注目していただけではわからない、意外な面が見えて来るケースもあるのではないでしょうか。
よく知りませんけど、実際の吉良は、「忠臣蔵」で描かれているような悪人ではなかったといったお話に接した事があります。
吉良が一方的な悪役にされてしまった理由は、赤穂浪士が主君の浅野への忠義を尽くした事を強調する為であったのではないか?と、そのように思ってみるのですがね。
父が話していた事なのですけど、“吉良悪人説”のルーツは、江戸時代に書かれ人気を博した「仮名手本忠臣蔵」だったとか。
また、刃傷沙汰を起こした浅野は、かなりの世間知らずで、人間的に未熟な面があったのではないか?という説も聞かされました。
もし仮に、それらが真実だったとするなら、吉良にとっては、何よりも自らの名誉に関わる事なのですから、憤慨するのではないかと思いますし(今現在であれば、名誉毀損で訴えているのでは?)、また、浅野にしろ、無関係な第三者たちに、とやかく言われるのを好まないのではないか?という気がするのですが。

>本願寺派の作法としては間違ってる?といっても
>他にも知っていて、色々間違った事をしてるのですが
>仏壇に本能寺の絵葉書を入れて置きました!
>(絵葉書を見ると行かなくても場所がよく解ると、いつも言ってたので)

本能寺へ行かれたのですね。
私の場合、作法に関しては真宗のそれも日蓮系の宗派のそれも、あまり知らない、と言うより、ほとんどこだわっていないのですけど(^o^;)、構わないのではないか?と思うのです。
作法・儀礼も大事なのかもしれませんが、それよりもっと、何より大切であるものは、想い・真心の方ではないのでしょうか。
め〜ちゃんさんがお祖母さんへの想いを込めてそのようにされたわけなのですし、私はそれでよいのではないかと思うのですけどね。

>何でしょう、祖母さんがずっと言ってたからでしょうか?
>お寺がさすがに広いからでしょうか?
>都会の真ん中なのに澄んだ空気を吸い込んだような気分でした。
>祖母が、京都に来た時はたまにはこちらに来てくれとも
>言ってる様な気もしました。

繁華街の近くにあるとは言え、境内には独特の神聖な雰囲気が漂っているのではないでしょうか。
そして、め〜ちゃんさんにとりましては、お祖母さんと縁のある所なのですから、もしかすると、目に見えない力で引き付けられているのかも?

>本日の法要が無事でありますよう
>また、お母様が(本願寺派ですよね)お浄土で幸せに居られれます様
>ネット間の友ではありますが
>南無阿弥陀仏〜当家の仏前でも手を合わせさせて頂きます。

誠にありがとうございました。
感謝致します。m(__)m
先程述べましたように、当日の私は睡眠不足だったので、終わってから疲れが出て来たものの、無事に父の3回忌の法要を済ませる事が出来ました。

まだレスしたい事があるのですけど、今日は一先ずこのあたりで失礼させていただきます。
それでは、これからもよろしくお願い致します(^_^)。

39め〜ちゃん:2005/05/11(水) 07:54:29
どうも希望さん、三回忌法要ご無事に済まされたようで
他人事というと失礼ですが、似た事を迎える身としてはホッとしております。

>ところが、家を出る直前になって
 最近はほとんど外出する事がない高齢の母はもたもたし
 こちらをヤキモキさせた為、気持ちがイライラして来て
 私はつい腹を立てて怒ってしまったのです。
 しかし、車に乗り寺院へ向かう途中で
 「確かに母は迷惑をかけたものの
 こちらももっと寛容にならなくてはいけない」と
 私は立腹した自分を恥じて、心の中でお題目を唱えたら
 気分が穏やかになって来たのでした。

私は昨年までパーキンソン症のある認知症の母の介護を
9年程付き合いました。
その少し前に父が最期を迎える前に疲れていたのと
その病院に来ていた家政婦同士の噂話があったからか
母が起した、パーキンソンの方の動きに笑ってしまった事があります。
失礼この上ないんですが、母の病は天罰かとも思いました。
発病した頃は余りの動きの遅さにイラ付いて
強引気味にタクシーに乗せたりしたので、母にはよく怒られましたよ!
祖母のお出かけではゆっくりした動きに慣れていたとは言え
脳の病気で動けない母にひどい事をしたと謝ると。
今回は許してやる!とか、私を怒らせたら怖いぞ〜!と
冗談ぽく対応してくれたのは、ボケても病気でも近くに居る私が
母には有難い存在と思っていてくれていたんでしょう!
介護虐待について、政府が何やらおかしい事をいってますが
少し介護経験者が大げさに考えすぎなのか?
毎日24時間と言ってもよい時間、いつも笑顔で優しく対応なんて
余程の人間で無ければ出来ないと思います。
大なり小なりの、叱咤激励があると思います。
正直な所、下の世話ではお尻を打つとかはなかったですが
打ちたくなるほど嫌な状況をしばしば体験しております。
男と言うのは残念な事に、力が女性より勝ってる事が多いので
被介護者、介護者どちらの立場になっても苦労するようです。
どの程度までが介護虐待になるのかって所は
明らかな虐待行為は兎も角としても、微妙な部分の日常化したものは
虐待なのか?と言われると、私なぞ逮捕ものの、虐待・傷害行為を
していたといっても過言ではありません。
長々と書き込んでしまいましたが
希望さんのような、心で居られたら世の中の介護から
介護虐待なんて言葉が無くなっていくと思いますよ!
私は、皆様から、のべ10年程の介護生活を褒めていただきますが
褒められるような、良い介護なんてしたとは思えません。
よくやった人ほど、きちんとした介護をしたとは言わないともいいますが
私は、きちんとした介護自体がよくわからないです。
お母様のお体の方、特にケガには注意され、ご自愛くださいませ!

忠臣蔵の件については私は詳しく知らないのですが
以前朝のワイドショーで討ち入りの日に、愛知の吉良地方に行き
討ち入りについて聞くと、吉良氏自体は地元の為貢献されたとか?
浅野氏側だけを英雄視するのもいかがなものかと・・・
友人は、一度赤穂まで行きたいとよく申してます。歴史モノは
掘り下げていくと色々おもしろいですものね〜

ずっとこのカテから脱線気味の話すみません!
とりあえず先に言った『日蓮心の旅〜』とその他色々な
団体。宗派のホームページや本などを拝見させていただきました。
もし、私と同じ様な気持ちなのであれば、希望さんが離れる気持ち
宗派を超えた信仰、祈り、想いを感じてしまうのが
解るような気がします。
私の知人が、**の集会?に会の知人と出席させられて
囲まれ、入会、仏壇を買ったそうです。
信仰自体は悪くないと思いますし、祖母からの話で
日蓮聖人の偉大さ?の微塵位は知ってるつもりでもいます。
広宣流布とは、あのような方法で行うもんなんでしょうか?
それは、祖母や祖母の実家付近の法華宗檀家の皆様も言ってたと思います!
朝から失礼しました

それでは〜

追伸:レグルスさんPC不具合だったんですか〜
   別版の管理人さんも体調不良なんでしょうか?気になってます。

40希望:2005/05/11(水) 23:14:17
め〜ちゃんさん、こんばんわ(^_^)。

>>35

め〜ちゃんさんのお友達のお話を読んでいるうちに、杉田二郎の歌「男どうし」の世界を思い出しました。


『男どうし』
北山修作詞 杉田二郎作曲 青木望編曲

君にはかわいい 恋人ができたという
我が家の嫁さんには 子供が
しらけた時代だね うすっぺらな言葉だけど
友情はこわれないと むきになって叫びたい この頃だ
 ふるさとに帰ったら 二人だけで会おうよ
 手紙だけでは 言えない話をしようよ
 だって男どうしじゃないか 昔のように話し明かそうよ

ばかがつくほどに 正直すぎる君だから
さみしさに酔いしれる時もある
昔ならいつでも ゆかいな仲間たちが
すぐにやって来ただろう 泣いて笑った幼な友達だ
 ふるさとに帰ったら 俺にまかせておくれ
 秋のまつりの頃だし みんながそろうだろう
 だって男どうしじゃないか 昔のように話し明かそうよ

 ふるさとに帰ったら 顔だけは出すんだよ
 無理を承知で あの娘もひっぱり出すつもりだ
 だって男どうしじゃないか 昔のように話し明かそうよ
 だって男どうしじゃないか 昔のように話し明かそうよ


長続きする友情って、ホント、いいですよね(^_^)。
私の場合、中学3年の時に同じクラスだった友人とかなり長くつき合っていますね。
その友人は、割合近くに住んでいて(同じ市内です)、本籍こそこちらであるものの、親の仕事の関係により仙台で育って、中学3年の時に転校して来たのです。
その頃は特別に親しい間柄というわけではなく、私たちがつき合うようになったのは、それから10年後の春で、私が京都を去り、3、4ヶ月、実家の方に戻っていた時の事でしたね。
以来、私がこちらを離れて、しばらく音信不通の時期もありましたけど(彼も、よそへ行っていた時期があります)、未だにつき合っています。
まぁ、腐れ縁と言えば腐れ縁と言えなくもないのかもしれず(^.^;)、私には地元にあまり気の合う人間がいなかったせいもありますが、昔から住んでいる同年代の者でつき合いがあるのは、その友人ぐらいのものですね。
その友人は、かなりのインテリで、時々、キツイ事も口にしますけど、しかし、それが私にとってはプラスとなった面が多いのです。
色々な面で何かとお世話になる事が多く、私にとっては友人であるのと同時に、先生と言うべき存在なのかもしれません(^o^)。
半分は本音で半分は軽い冗談のつもりで、彼を「先生!」と呼んだ事もありますよ(^〇^)。

>   昨日は祖父の祥月命日・・・
>   直近の両親や、祖母にとらわれ過ぎてましたが
>   祖父母は仲が良かったらしいので
>   私を元気にして言ってきてやれと
>   祖父が命日を想い出させるのと、祖母の想いを
>   代わってやれる私に託してくれたのかも知れませんね。
>   私が男だったので喜んでくれた祖父は優しかったので
>   帰りに買って仏前に供えた物も、祖父が私に買ってくれていた物に
>   通じる物もあります、偶然だけでは理解できない
>   体に染み付いた物?両宗派の仏様?日蓮聖人、親鸞聖人の
>   お力かな?と不思議な気分です!

もしかしたら、そうではないのか?と思ってしまいます。
時々、何か目には見えないものが働いているのではないか?と思ってしまう偶然や不思議な出来事に、遭遇する事がありますよね。
その場合、実は単なる偶然に過ぎないものを何かの計らいとして受け取ってしまったとしても、それが、自らに、引いては周囲の人間たちへもプラスを齎すのなら、良いのではないかと思うのです。
前にユッコちゃんのスレッドで述べましたが、大なり小なりの思い込みにより信じる事が必要な場合もあるのではないかと私は思っていますし、それがなければ、あまりにも淋しいと言うのか、夢がないと言うのか、無味乾燥な人生になってしまいますから。
作品の名前を忘れてしまいましたけど(部屋のどこかに収めていますが)、昔読んだ武者小路実篤の小説の中で、宗教・信仰について、「人智ではわからないものの、信じる事が大切だ」といった内容の記述があったのを憶えています。
>>37の書き込みの中で述べました、父の3回忌法要へ向かう直前に立腹した私が、そのすぐ後には後悔・懺悔の気持ちを抱いた事にしろ、両宗祖・祖父母・父による戒めが働いたのではないか?と、そのように思ってもみるのです。
「ちょっとした事でカッカせずに、お母さんを気遣ってやれ」と、どこかから呼び掛けられていたのかもしれません(^.^;)。

41希望:2005/05/11(水) 23:15:47
>>36

>空には太陽や月の神様が、アスファルトやコンクリート舗装されても
>下には土(地の神)が、そして自身の(良心や悪心)がよく解ってると!
>子供の頃は悪い事(てんごって言ってました)したらあかん(ダメ)!
>天地の神様が見てるよ、そして自身が良悪に気付く事を
>次代の子供に教えてくれていたんでしょうね?

科学が発展した現代に住んでいる人たちの多くは、そういった類のお話をすぐに時代遅れの迷信だの妄言だの何だのと言って、鼻にも掛けようとしないで笑い飛ばしてしまうでしょうが、しかし、決して馬鹿にするようなものではないと思うのです。
たとえ、現代人の目には、非科学的なものとしてしか映らなくても、昔の人間たちの場合、そういうお話を信じる事により、自らの中で自制心や他者への慈しみの情が自然に育まれて行ったのではないでしょうか。
私がこちらでご紹介した『仏教の思想12 永遠のいのち<日蓮>』の中でも、それに関連するような事が述べられていました。

>曽祖父母は父母共に亡くなってから、私達は生まれてるんですが
>曽祖父が神社、仏閣が好きなのが、私は似たんでしょうか?
>祖母から聞く曽祖父の話は何か憧れの存在でもあります。
>頭の斬れる方だったのも含めて・・・

もしかすると、め〜ちゃんさんは、隔世遺伝という形で、曾お祖父さんに似られたのではないでしょうか?
顔立ちにしろ性格にしろ、何代か後の子孫に受け継がれる事は結構あるのではないか?と思ってみるのですけどね。
私の友人で、顔立ちが何代か前の親族の人に似ているという人がいましたよ。
ちなみに、私は顔立ちが亡くなった母方の叔父に似ているとよく言われるんですよね(私は、全然そのように思わないのですけど^o^)。
また、母は昔から私の爪の生え方が叔父に似ていると言っていますし、私と上の従姉(もう1人の叔父の娘)の目許は祖母に似ているとも。
もう23年近くも会っていませんが、従姉の顔立ちは祖母に似ていると思いますし、また、性格も似ているのではないか?という気がします。
従姉の父である叔父は、顔立ちも性格も祖母に似ているとは思えませんので、多分、隔世遺伝ではないのか?と。
私の性格の方はと言えば・・・
何も言いません・・・(--;)

>すごくこじつけると、法華経の下生きて来られたので
>日蓮聖人の徳を受け継がれていたのかも知れません。
>チョット身内を褒めすぎですね〜 へへへ・・・

曾お祖父さんは、信仰の篤い方であった為、法華経と日蓮聖人の教えを感得していらっしゃったのではないでしょうか?
身内を褒め過ぎかもしれないとおっしゃっていますけど、良い事なんですから、誇りにされて、先人を見習って下さいませ(^_^)。
と、他人様へ向かって言うのなら、先ずはこの私自身がそのようにして行かなくてはなりませんね(^_^;)。

>>35>>36のレスを書いてから、ROMしてみますと、め〜ちゃんさんの新しい書き込みがありましたので、>>39のレスはまた後日にさせていただきますが、少しばかり。
め〜ちゃんさんのお母さんも、私の祖母と同じく、パーキンソン病にかかられていたのですか。
私は、め〜ちゃんさんのおっしゃったような人間ではなく、父の法要へ出掛ける直前の事だけではなく、父の亡くなる少し前にも、似たような気持ちになり、父に対して申し訳なかったという後悔の念があるのです。
いや、もっと言うなら、祖母が亡くなる前やその他にも、後悔する事をしてしまった経験は結構ありますね。
今は、懺悔の気持ちを込めて祈るしかないのですけど。
その事は、また後日述べさせていただきます。

それでは、また(^_^)。

42め〜ちゃん:2005/05/11(水) 23:51:18
どうも、続きを少し書き込みます。

仏壇に入れてよい物・・・
各宗派の仏壇に入れるもの?は、決まってると思いますが
先日、菩提寺の永代経法要の集まりに一部参加し
有名な本願寺派布教師の法話がありました。
その場での話が、仏壇のお飾り等についての話でした。
まあ、真宗では位牌を作らないんですが、ある地方では黙認されていて
それが、その地方の檀家の慣わしになっていたら
本来間違っているが、黙認されて習慣化されてるのなら
それも一つの供養の仕方でいいのではないかとの話でした。
浄土真宗の場合、各派がいくつもあるので、大筋の慣わしは統一できても
時代とともに、変わって行くものは仕方ないものもあるでしょうね?

我が家ではやってましたが、四十九日までの線香や灯明は
火事を起す例が多発してるので、電球にしたり
出掛ける際は火を消して・・・と言われます。
親族に大バカ者がいて、クドク何度も火を消すなと私に言ってきた者が
本人の家で不幸があった時は、忙しいから、危ないから火を消してると
自分勝手な都合に解釈して、腹が立ちました!
人の事を悪く言うのは好きではないのですが、度重なる無礼な
言動振る舞いの多い方なので、皆の評価もあまり良くはありません。
親族でありながら情けなく、恥かしくもあります。
ある意味では、皆に上手く利用されてるので
かわいそうな人だとも思います。少々不適切な書き込み失礼しました!

葬儀を10年の間で三度も出してるので毎度感じるのですが
亡くなった時に、その人の皆からの評価がよく解ります。
人に厳しい人でも、人望の厚い人であれば
亡くなってもそれなりに集まってくれますが
人に優しくても、優しさが打算めいてたり、裏のある人は
亡くなって、悪口大会になってます!
私の病気につなげて申すなら、生きるのがイヤになりますが
私の評価も、良かろうが悪かろうが、やってきた事がその評価なので
もう仕方がありませんし、これから良くも悪くもできます。
法要まで1ヶ月以上あるのに、すでに緊張が始まってるんですが
何とか乗り越えたいと思ってます。

私への心配ありがとうございます。
とにかく、やる。だけですよね〜
元々の性格的なものもあるので、病気を上手く利用し
薬の利用を最小限に、性格や、病気の部分は仕方ない物とし
乗り越えなければと思ってます。

結局長々書き込んでしまいました!

それでは、失礼します〜

43め〜ちゃん:2005/05/12(木) 07:46:36
どうも希望さん!

>>40 にある友人のお話

私の友人は、兄貴!オヤジ!先生!と色々居ます!
確かに冗談と言うか、親しみを込めた言い方でもあるんですが
同級生でもその言い方が合うような生き方をしてる者もいます!

私が一番誕生日が早く、誕生日的には兄貴なんですが
一番お世話になってる兄貴ですね!
一人何でしょう?気の合わない友人というか
話をすると、必ず真逆の意見になってしまう友が居ます!
それでも付き合ってるのは何でしょうね?でも何か合う所があるんですね!
小学校の時からですから、腹立つ事もお互い沢山あるのですが
腐れ縁の最高峰の友人と思ってます。
本当なら、既に何の音信も無くなって当然ですものね?

>>41 の部分にある話で
私の所は、元々農家の家だったんで余計なんでしょうね
お天道様、土地の神は必ずお前を見てるから
良い事も、悪い事も神様が見ていると言われ続けました。
長い間舗装化されてなかった、自宅付近が舗装化されても
アスファルトの下には土があり、アスファルトからでも
お前をチャント見てくれてるって言ってましたね〜

不精信仰だといつも言ってた祖母でしたが
改めて考えると、曽祖父の信仰心の影響で心の信仰心は
熱心なお参りを欠かさない人と同じだったんでしょうね?
祖母は機会があっても、真宗の正信偈を覚える機会があったのに
覚えに行かず、うろ覚えでしたが。
お題目は、小さい頃からのお経なので、亡くなる直前までも
ある程度は、本が無くても唱えられると言ってましたね。
祖母側、祖父側、宗派が違うのですが。また新たに姉の義父側は
臨済宗と違う宗派です。
私の想う、それぞれの供養の儀式を、私なりの捉え方で
これからやっていこうと思います。
生涯勉強ですね、完璧にこなすと言うのは無理と思ってますし
完璧自体が無いようにも思ってます。難しいですね〜

希望さんの話に、いつも勉強させて頂いてます。
人との対話の必要性は、有希子さん(アイランドの入会)から
知ったように思います。
有希子さんの死は悲しく、辛い想い出ですが。
その為、ある意味神格化されてるような部分もあります。
皆様に感謝、友人は側でも離れていても
見た事無い人も、老若男女関係なく友であり師になりうると思ってます。
嫌な奴は沢山いるんですが、その中からも学ぶモノもあります。
良い意味、悪い意味全てですけど・・・

この板で随分私、語ってますね?
正しいのか、誤ってるのか解らないんですが。
毎度の長文でお付き合い有難うございます。

有希子さんが教えてくれた、命の大切さを想う気持ち
人の尊さを大事にしていきたいと思います。

それでは〜

44希望:2005/05/14(土) 19:24:54
め〜ちゃんさん、こんばんわ(^_^)。

生前の父と私は、考え方の違いから対立する事も多く、>>33でお話した母が祖父を嫌っていたのと同じように、私も父をすごく嫌悪していた時期があったのです。
父は頑固な性格なのに持って来て、結構身勝手で自己中心的なところがあり、それ故に、これまた頑固で負けず嫌いの性格の母とは、亡くなる少し前まで、ジイサンとバアサンになってからも、よく口論していましたね(父と母は頑固者同士の夫婦であったので、当然の如く、子供の私も頑固な性格なのです^+^;)。
私が父を嫌っていた理由の一つに上げられるのは、父が自分の家系・親戚筋ばかりを贔屓して、母の家系・親戚筋をほとんど蔑ろにしていた事なのです。
特に、私にとっては幼少期に母方の祖父母からずいぶん可愛がられたという懐かしく大切な思い出があるので、そのような父の態度に接していると、まるで祖父母の存在さえ否定されるような気持ちになりましたね。
また、母は父の2度目の妻で、亡くなった先妻の子供である私にとっての腹違いの姉と兄を育てて来たのです(私がその事を知ったのは、母方の祖父母が亡くなってからでした)。
母は先妻の子供の姉との折り合いが悪く、それに、姉は過去に色々と問題を起こした事があり、その為、母はずいぶんと苦労したのでした。
私はそのような母の苦労と父の身勝手さを目にしながら育ったのですが、それだけではなく、父方の親戚にロクでもない人間が結構いた事もあって、私の中では、いつしか嫌父系感情が増幅して行ったわけなのです。
一時期の私は、自分の中で父方の家系を大いに嫌悪し、侮蔑していました。

まぁ、母方の親戚の人たちの多くは、関東方面・関西方面といった遠方に住んでいる事から、ほとんど会う機会がなかったのですけど、父方の家系のみならず、母方の家系の中にも、おかしな人間はいると思います。
身内の恥を曝してしまいますが、現に母のすぐ下の弟(私の叔父で、>>41で述べた従姉の父)は、ちょっと非常識なところがある人で、母は昔からそのような自分の弟の存在をすごく恥ずかしがり、悪く言う事が多いのです。
母が叔父を悪く言うのは、姉弟(母と叔父)の間で色々と揉める原因になった事があって、一つにはそれが絡んでいるのですけどね。
確かに叔父は非常識な困った人ですが、しかし、母も母で、私にとっては叔父である自分の弟の事を息子の私に言うのですから、変わった人だなぁ・・・(・o・)と思ってしまいます(^へ^;)。
亡くなった父も、叔父を快く思っていなかったので、母と一緒になり、悪く言っていましたけど、しっかし、夫婦揃って、普通自分たちの子供の前でそういう事言うかぁ・・・(^〇^)
信じられへんわ・・・(^o^;)

一方、母の2番目の弟は、6年前の暮に亡くなったのですが、母と仲が良く、また、父ともウマが合っていたようです。
母方の家系・親戚筋を蔑ろにしていた父ですけど、母の2番目の弟(紛らわしいので、以後、母の2番目の弟をH叔父、すぐ下の弟をT叔父と表記します)の事は決して悪く言わなかったですね。
また、H叔父も、父を悪く言う事など絶対になかったのです。
私が19の時、H叔父の家を訪ねた際に、父の身勝手さと母の苦労を話した事があるのですが、しかし、私の父に対する批判の数々をH叔父は頑として受け付けようとせず、逆に「○○君(私の事)の方が間違っている」「お父さんには、何かと苦労が多い」「君はまだまだ世間知らずで、考え方が甘すぎる」の一点張りなのでした(^o^;)。
まぁ、今振り返ってみれば、確かに父には身勝手なところがありましたけど、でも、「H叔父の言う事は正しかったのかもしれないな・・・」と、そのように思ってみます。
もしかしたら、今頃、父とH叔父はどこかで、私のこの書き込みを目にし、「あの馬鹿、あんな事を・・・」と言いながら、苦笑いしているのかもしれません(^+^;)。

このお話の続きをして行くとかなり長くなってしまいそうですから、父や祖父母たちへ抱いた私自身の後悔の念については、またこれからボチボチ述べる事にさせていただきます。
中途半端な内容のお話になってしまいまして、すいませんでした。m(__)m

>>39

>お母様のお体の方、特にケガには注意され、ご自愛くださいませ!

お心遣い、誠にありがとうございます。m(__)m
め〜ちゃんさんも、どうかお体をお大事になさって下さいませ。
お母さんの一周忌法要を出来るだけリラックスした気分で、迎えられますようにお祈りさせていただきます。

45希望:2005/05/14(土) 19:27:25
>>39

>私の知人が、**の集会?に会の知人と出席させられて
>囲まれ、入会、仏壇を買ったそうです。
>信仰自体は悪くないと思いますし、祖母からの話で
>日蓮聖人の偉大さ?の微塵位は知ってるつもりでもいます。
>広宣流布とは、あのような方法で行うもんなんでしょうか?

あそこの勧誘・布教のやり方が間違っているのは明らかであり、もっともらしい美辞麗句の数々を口にしていても、結局、自分たちの団体と信者の事しか考えていなくて、それ以外の人たちがどのようになっても構わないというエゴの塊のような人間の集まりで、本当に大勢の人たちの幸せを願っている信者はあまりいないのが現実でしょうね。
無論、あそこの信者の全てがそのような人ではありませんが、少なくとも、組織の活動に参加している者たちの中には、そういった感じの人間が多いように思えます。
確かに、日蓮聖人は折伏という強引な布教方法により他宗を否定・攻撃して、法華経のみが正しいと訴え、過激で排他的・独善的なやり方を用いていたのは紛れもない事実です。
日蓮聖人は法華経が最高の教え・お釈迦様の真実の教えだという何らかの確信を掴んでいたのでしょうけど、しかし、残された記述(御書)の中には、他宗の存在を全面的に否定していたとは思えないものもあるのです。
日蓮聖人が、過激な布教方法を用いた理由は、世の中が混迷の度合いを深めていた鎌倉時代当時の情勢や、自らの置かれていた立場の為であったのではないか?と思うのですがね。
今現在の世の中は、日蓮聖人の生きていた鎌倉時代と全然異なっているわけなのですし、もし仮に、今、日蓮聖人が存命であれば、先ず間違いなく、その当時と違うやり方で布教しているのではないでしょうか。
ところが、あそこに代表されるような一部の宗派・団体と来たなら、そういった事はまったく考慮しようとしないで、鎌倉時代の日蓮聖人の表面的な事柄だけを取り上げて、真似ているのです。
しかも、彼らのような者たちは、日蓮聖人が心の奥底に秘めていた慈愛という最も大切な事をほとんど理解しておらず、言ってみれば、単なる猿真似=紛い物でしかないのですから、あれではどうしようもありませんよ。
いくら表面的な事柄を真似る事で、それらしく飾り立ててみても、所詮は安物の素材により加工された見てくれのみの品物と同じであって、真になる肝心要のものが欠けているわけなのですから、次第に行き詰まって行くのは自明の理でしょうね。

>   別版の管理人さんも体調不良なんでしょうか?気になってます。

玲名さんは、以前から体調が良くないとおっしゃっていたのですけど、先月登場された時にも(玲名さんの掲示板に)、そのような感じでしたね。
また、もう一つの掲示板のKENさんも、最近、全然登場されていないので気になります。
お二人とも、お元気にされていたら良いのですが。

>>42

同じ宗派の中でも、風習・やり方は地方により大なり小なりの違いがあるみたいですね。
浄土真宗の場合、位牌でなく過去帳を用いるという事は、父が亡くなってから初めて知ったのですけど、ずいぶん昔に、位牌を作った家もあったのだそうです。
まぁ、私個人は、あまりそういったものに固執していなくて、飽くまで、一つの形式として捉えているのですがね。
無論、どこかの団体が、寺院・僧侶の存在をやたらと否定的に捉えているのは、大いに考えものですけど。

め〜ちゃんさんが親戚の方の言行不一致と無責任で勝手な言動に対して、不愉快な気持ちになられるのは、当然ですね。
まぁ、どこにでもその手の人はいますし、私の親戚や知人の中にもいますよ。
また、人前で偉そうにしたり、変に他人のご機嫌をとったりしても、実際には、心にもない事をしゃべっているのが見え見えの人間も結構いますね。
そういう連中の多くは、何かがきっかけで、内に秘めた本性を曝け出してしまった時の姿は、実に無様なものであり、まさしく言行不一致の現われと言うべきで、人によっては、物事の分別のつかない幼児みたいです。
そういった御仁は、周囲の人間から嫌われても仕方がありませんけど、とにかく、世の中には、本当に困った人たちがいるもんですね(・へ・)。

まだ述べたい事があるのですが、今日のところは、一先ずこのあたりで失礼させていただきます。
これからも、よろしくお願い致します。
それでは、また!(^_^)

46め〜ちゃん:2005/05/14(土) 23:46:22
どうも希望さん、こんばんは!

>>44の話を見ていて、似た様な感じだな〜って感じましたよ!
私は、両親が体がどちらとも健康体じゃないので、祖母に育てられたようなものです。
その中でも、未熟児で生まれた分だけ、私は両親には心配をかけ
きょうだいの中で一番親とともにしてた事が多いとも思います!

希望さんに紹介されて、日蓮聖人の事を調べてるうちに
当たり前に、念仏を唱えるこちら、浄土宗・浄土真宗にぶつかりますね?
図書館で日蓮聖人の本を見つけ書架を探してもみつからなかったのですが
親鸞聖人の本があり、そちらも読み易い簡単な本だったんで借りました!
難しい事が一杯あり、もっと掘り下げていかないと解らないんですが
皆の幸せや動乱を鎮めたり、戦い合う事を静めたかったのかな?とも感じました!
時間を見つけていって、日蓮系、法然・親鸞系についても
色々学んでいくのも良いかとも思っております。
祖母の実家の宗派は、法華宗本門流大本山本能寺なんですね?
本門佛立宗って別の宗派もあり、紛らわしいですね?
どちらも日蓮系で、日蓮*宗の関連サイトであらましを勉強しました!
そのサイトは、単に日蓮*宗がもっとも素晴らしい宗であり
他の仏教・新興宗教、神道諸々は邪教邪宗であるとの話でした!
希望さんの仰るとおり、日蓮聖人が現世に居られたら
何と仰るんだろうともおもいますね?
浄土真宗も同じ様な気がしました・・・
大きく喧嘩してる宗派があるような、無いよな・・・
私の読んだ本だけ見ると、法然上人を師事されてるので
親鸞聖人が、浄土真宗自体をどう考えられるんだろうかとも思います?
上辺のみしか解っていないので、何とも言えないんです。
仏教を知るのが楽しくなってきました〜でも難しいですね?

すみません知ったような事を語ってしまいました!
間違った事があればまた教えてください!

それでは〜

47希望:2005/05/18(水) 00:40:30
め〜ちゃんさん、こんにちわ(^_^)。

>>42

>私の病気につなげて申すなら、生きるのがイヤになりますが
>私の評価も、良かろうが悪かろうが、やってきた事がその評価なので
>もう仕方がありませんし、これから良くも悪くもできます。

一人の人間に対する見方・評価は、人によりけりで、そして、人間というものは誰にでも長短両面があり、完全無欠な全知全能の神の如き人間は、これまでこの世に一人も存在した例などないわけで、もし仮にそういった人間がいたとするなら、人間味というものがまるで感じられず、何か心を持たない機械やロボット、あるいは、表情のない冷たい蝋人形のようなものに等しく、人間としての魅力が全然ない、否、それどころか、却って気味が悪いのではないでしょうか。
例えば、お釈迦様にしろ、キリストにしろ、親鸞聖人にしろ、日蓮聖人にしろ、本人たちが亡くなった後で、後世の人たちによってかなり神格化されてしまい、常人とは違う特別な超人のような存在として捉えられる事が多いようですが、しかし、私は飽くまで一人の生身の人間であったと思っています(確かに、偉大な宗教者たちの多くは、ある意味で、常人とは違う特別な存在と言えなくもないですけど)。
偉大な宗教者と言っても、血の通った人間だったわけなのですから、私たちと同じように、悩み、苦しみ、泣き、怒り、笑いを繰り返しながら、崇高な境地にまで上り詰めて行ったのではないでしょうか。
また、それぞれの宗教者たちを完全無欠な存在として見るよりも、一人の人間として見る方が、より魅力的に感じられるのではないかと思うのですけどね。
私たちも、自分なりに頑張って行きましょう!(^o^)

>>43

>一人何でしょう?気の合わない友人というか
>話をすると、必ず真逆の意見になってしまう友が居ます!
>それでも付き合ってるのは何でしょうね?でも何か合う所があるんですね!
>小学校の時からですから、腹立つ事もお互い沢山あるのですが
>腐れ縁の最高峰の友人と思ってます。
>本当なら、既に何の音信も無くなって当然ですものね?

もしかすると、お互いに気づいていないだけで、何か目に見えないもの、縁と言うのか、何とかの糸というもので結ばれているとでも言うのでしょうか、どこか相通じるものがあるからこそ、長いつき合いが出来るのではないか?と、そのように思ってみます。
>>40でお話した私の友人ですが、私とは趣味等でそれほどの大きな共通点があるわけでもないのに、21年間、つき合って来たわけなのですし、考えてみれば、不思議と言うのか、第三者の目に「何故?」と映ってしまう事もあるのではないか?と。
>>40で少しばかりお話しましたけど、その友人は、結構辛辣にズバズバと、時にはやや嫌味ったらしく言う事もあって、私にとっては耳に痛かったり、あるいは、不愉快な気分にさせられたりした事もあり、それが気に入らなくて、つき合いをやめようと思った事が何度かあったのです。
しかし、何故かその後も未練がましく?つき合い続けて来て、後で振り返ってみたら、少々キツイ言い方ではあったものの、彼の言っていた事には的を射ていたものも結構あり、良い意味で影響を受けたと言うのか、自分ではわからなかった事に気づかせてくれた面が多々ありますね。
かつて私が不満を抱きながらも例の団体と政党をまだ基本的には信じていた頃、その友人はずいぶんと批判的な意見を述べていて、私はそれに対して反論した事もあったのですけど、それから数年後には、彼の言っていた事が正しかったと思うようになりました。
そういうわけで、時には、敢えてキツイ事を言ってくれる彼のような人間こそが本当の友人と言うべきで、大切にしなくてはならない存在だと思っています。
また、そもそも私がインターネットをやるようになったのは、5年前、ネットに関してまだまったく何も知らず、当初は関心さえ持っていなかった私に、彼が色々と教えてくれたのがきっかけになったのですから、今こうしてネットで発言できるのも、彼のお蔭というわけなのです。
その意味でも、彼は私にとっての「先生」と言うべき存在なのでしょうね(^o^)。

48希望:2005/05/18(水) 00:42:13
>>43

>有希子さんの死は悲しく、辛い想い出ですが。
>その為、ある意味神格化されてるような部分もあります。

宗教者に限らず、生前、大勢の人を魅了した人間は亡くなった後で、残された人たちにより大なり小なり神格化されてしまうケースは結構あるのではないかと思います。
特に、夭折した場合には、そういった傾向性が強いのではないかと。
よく死んだ子の年を数えても仕方がないと言いますが、でも、死して尚生前の面影が消える事なく、人々の心の中で輝き続けている場合、無意識のうちに神格化してしまうのではないでしょうか。
特に、ユッコちゃんは、清純無垢でキュートなプリンセスというイメージで、そんな彼女が、ある日突然、何の前触れもなく、若くしてたった一人で旅立ってしまったわけなのですし、残された人たちの中では、ユッコちゃんを不憫に思うのと同時に、存命の時以上に強い思慕の念が生じて行き、彼女を神格化してしまうのではないかと思います。
私のような歿後ファンにはわからない事ですが、ユッコちゃんの生前からのファンの方たちにとっては、彼女がいなくなったという事実は堪えられないほどに辛いものであったのでしょうし、その人たちの心の中で、ユッコちゃんが神格化されてしまうのは当然なのかもしれません。
少なくとも今世においては、もう歌・写真・映像等の過去のものを通して思い出の中でしか会えなくても、きっと来世で、いつか遠い未来の日、再びどこかで巡り合える。
そう信じて、今を生きて行くべきなのではないかと。
勝手な事を述べさせていただきまして、すいませんでした。

>皆様に感謝、友人は側でも離れていても
>見た事無い人も、老若男女関係なく友であり師になりうると思ってます。
>嫌な奴は沢山いるんですが、その中からも学ぶモノもあります。

吉川英治氏が、「我以外、皆師」と言っていましたよね。
人間にとっては、年齢・境遇・社会的な立場等に関係なく、そういった謙虚で素直な姿勢が大事ではないのでしょうか。
また、人間というものは、自分の今の状況に満足し切ってしまった場合、その時点で、成長がストップして、後は後退するだけなのですから、一生涯、常に自らを省みながら、少しでも精進するように心掛けて行く事を忘れるべきではないと思うのです。
それと、先程私がお話した友人のそれのように、他者の意見や忠告に対して、受け入れるか否かは別としても、一応、耳を傾けるという姿勢を忘れてはならず、特に異論・反対意見の類を一方的に排除するべきではないと。
一見、自分の考えとは相容れないもののようであっても、しかし、その中に、何らかの得るもの、参考にするべきところがあるのかもしれないのですし。
ちなみに、またそのお話になりますけど、例の某宗教団体やその大元であった某宗派の場合、そういう姿勢がまったくないので、いつまで経っても基本的なものは何も変わらず、ダメなんですよね。
それから、>>21で引用した『仏教の思想12 永遠のいのち<日蓮>』の紀野一義氏の記述にありますように、日蓮聖人の場合、自らを迫害した者たちの存在を自分が仏になる為の味方として捉えていたのですから、ただただ頭が下がるばかりです。
日蓮聖人のような境涯になるのは、確かに困難な事ですが、しかし、人間が生きて行く上で大いに参考とするべきものであり、そして、信仰者にとっての理想ではないのかと思うのです。

>この板で随分私、語ってますね?
>正しいのか、誤ってるのか解らないんですが。
>毎度の長文でお付き合い有難うございます。

いえいえ、私の方こそ、毎度の長文(&チョー亀レス)で、自分の事をあれこれと述べさせていただいているわけなのですし(^_^;)、どうか、これからもよろしくお願い致します。
まぁ、この私にしろ、はたして自分の述べている事が正しいのかどうかはよくわからず、色々とご意見を交わして行くうちに、見えて来るものもあると思っていますので。

>有希子さんが教えてくれた、命の大切さを想う気持ち
>人の尊さを大事にしていきたいと思います。

正直、普段はあまり意識していないのですけど、そのように言われて、改めてそうだなと思ってしまう私なのです(ちょっと呑気なのでしょうかね^o^;)。
ユッコちゃんも、きっと、どこかで大勢の方たちへ生きる事の大切さを呼び掛けているのではないでしょうか。
ユッコちゃんの想いに反しないように、そして、遥か遠い未来の日における彼女との再会を願いながら、生きて行きたいと思います。

>>46に対するレスはまだで、遅くなってしまう事が多い私ですが、今日のところは一応このあたりで失礼させていただきます(スイマセン--;)。
それでは、また!(^_^)

49希望:2005/05/19(木) 04:21:33
め〜ちゃんさん、こんにちわ(^_^)。

>>46

日蓮聖人は、他宗を否定し、法華経=南無妙法蓮華経こそがお釈迦様の真意であると説いて、浄土宗の教え=南無阿弥陀仏を信じたら地獄に堕ちるとまで言い、特に、法然上人を徹底的に攻撃したわけなのですから、少なくとも日蓮系の側から見た場合、日蓮系と浄土系の教え、南無妙法蓮華経と南無阿弥陀仏は相容れないものという事になりますね。
鎌倉時代、日蓮聖人が浄土宗の教えに対して相当激しい攻撃を加えたのは、その当時、国全体にお念仏の信者が多く、また、権力者たちの庇護の下にあった事も理由の一つに上げられるのではないかと思います。
それより何より、日蓮聖人は、自らの信じる法華経を広める為とは言え、いったい、何故浄土宗の教え―お念仏を徹底的に否定して、激しく攻撃しなくてはならなかったのか?という事になれば、浄土系の教えは基本的に現実に生きている世においてではなく、あの世での幸せを願う傾向性が強いもので、それに対して、法華経は飽くまで現実の世をいかに生きて行くかを主体にした教えであったからではないかと。
世の中が混迷の極致に近い状況で、厭世的な風潮が国中に蔓延していたあの当時、国を立て直して行く、特に、力のない民を救う為には、現世否定的な傾向性が強い浄土系ではなく、現世肯定的な法華経でなくてはダメだというのが日蓮聖人の考えではなかったのか?と思うのです。
また、日蓮聖人が浄土宗の教えをかなり激しく攻撃した大きな理由は、法然上人の説いた教えの中に、自らがお釈迦様の真意であるという確信に至った法華経を否定する要素が含まれていた為だと、書籍で読んだ事があります。
ただ、今現在なら、多分、当時と違った方法による布教を行なっているのではないかと思いますね。
ちなみに、日蓮聖人は法然上人とお念仏を相当激しく批判していたものの、ところが、同じ浄土系のお念仏の宗派であるにも関わらず、法然上人の弟子で浄土宗から派生した浄土真宗の親鸞聖人については、遺文(御書)の中で、何故かただの一つも言及した箇所がないのです。
また、それと同様に、やはり鎌倉時代の同じ時期に生きていた禅宗の道元上人に関する記述も。
日蓮聖人が親鸞聖人と道元上人についてまったく触れていない理由はわからないのですが、ただ、誰が述べたのかは憶えていないものの、もし仮に、親鸞聖人と日蓮聖人が出会っていたなら、その後の宗教史は異なるものになっていたのではないか?という記述を何かの書籍で目にした事があります。
『仏教の思想12 永遠のいのち<日蓮>』の紀野一義氏と梅原猛氏の対談の中で、関連したお話がされていましたけど、鎌倉時代の同じ時期を生き、鎌倉仏教史に名を残した親鸞・道元・日蓮のお互いの間には接点がなかったという事なのですし、ちょっと不思議な気がします。

>祖母の実家の宗派は、法華宗本門流大本山本能寺なんですね?
>本門佛立宗って別の宗派もあり、紛らわしいですね?

日蓮系は、本当に数多くの宗派に分かれていて、それだけは浄土真宗や他の宗派の比ではないと言うのか、新興宗教の類も併せると、いったい、どれぐらいになるのかがわからないほどですね。
め〜ちゃんさんのお祖母さんのご実家が所属されている本能寺は、法華宗本門流という宗派で、尼崎の本興寺(法華宗本門流大本山本興寺)と同じ流れを汲み、また、本門仏立宗(京都市上京区の宥清寺)も元々は法華宗本門流であったのが、そこから分離・独立したのだと書籍で述べられていました(同じ法華宗本門流という名称の本能寺と本興寺が、今現在、同一宗派として存在しているのかどうかはわかりません)。
古くは、日蓮聖人の弟子の一人であった日朗上人の弟子の日像上人による京都での布教がルーツで、それから更に時を経て、日隆上人が本能寺と本興寺を建立したのが法華宗本門流の始まりのようです。
とにかく、日蓮系の宗派は、宗祖日蓮聖人の歿後、時代が下るに伴い、分派・分裂が顕著になって行って、どこも時には統合、時には分離・独立といった事が何度も繰り返されて来たわけなのですから、あまりにも色々とあり過ぎ、私はそれほど詳しく知らないのです(・o・;)。
宗祖の教えの解釈を巡る考え方・行き方の違いが主な理由のようですが、それにしても、日蓮系だけは、何でこんなに数え切れないほど多くの宗派・団体に分かれてしまわなければならないのか・・・?と思ってしまうんですよね(^o^;)。
め〜ちゃんさんがおっしゃっていますように、宗祖である日蓮聖人は、かつて自分が説いた教えの今現在の状況をはたしてどのように思われているのだろうか?と(・・)。

50希望:2005/05/19(木) 04:23:22
>>46

>そのサイトは、単に日蓮*宗がもっとも素晴らしい宗であり
>他の仏教・新興宗教、神道諸々は邪教邪宗であるとの話でした!
>希望さんの仰るとおり、日蓮聖人が現世に居られたら
>何と仰るんだろうともおもいますね?

ああ、あの宗派、例の団体のルーツであるあそこの事ですね(^o^)。
日蓮系の中では、最も排他的で独善的な時代錯誤も甚だしいと言うべきあの宗派の系統だけは、例の団体を含めて、本当にまったくお話にもならないほどのコチコチアタマのわからず屋で、もはや、お手上げ状態ですよ。L(^へ^;)」
私は、他の日蓮系の所も、大なり小なり誤った解釈の仕方をしているのではないか?と思っているのですけど、あそこの系統のそれは極端に曲解している面があり、しかも、カルト的な要素がかなり強いのですから。
もし日蓮聖人が生きていたとすれば、例の団体と共に、あの宗派の事を相当激しく糾弾されるのは間違いないと思いますね。
あの体質を改めない限り、徐々に衰退して行って、何れは崩壊へ至る事になるのではないでしょうか。
まぁ、この私も、基本的にはあの宗派の系統に属しているという事になるのでしょうが、でも、昔のそれは別としても、今現在のあそこの本流における解釈は明らかに間違っていると、もうすいぶん前から思っていますし、本流の人間たちから見たなら、私のような考えの人間は異端・罰当たりの輩としてしか映らないでしょうね。

>私の読んだ本だけ見ると、法然上人を師事されてるので
>親鸞聖人が、浄土真宗自体をどう考えられるんだろうかとも思います?

今現在と違い、親鸞聖人が浄土真宗を創設された当時、浄土系の教え=お念仏と言えば、本家である師匠の法然上人の浄土宗が主流で、分派の浄土真宗の方は、まだマイナーな存在でしかなく、それからかなり後の蓮如上人の時代にメジャーになって行ったのではないでしょうか。
私はまだ親鸞聖人の事を調べていなくて、よく知らず、これは飽くまで私の勝手な想像に過ぎないのですけど、もしかしたら、親鸞聖人は、師匠の法然上人よりも弟子の自分の方がメジャーな存在になるなどとは、夢想だにもしていなかった為、今現在の状況を目にしたとすれば、非常に複雑な気持ちを抱いてしまうのではないか?と、そのように思ってみます。
また、これは親鸞聖人だけではなく、日蓮聖人や他の宗祖にも当てはまっている事ではないのかと思うのですが、ましてや、自分が後世の人たちにより崇拝の対象にされてしまったというまったくの予想外の出来事に驚いてしまって、今頃、どこかで苦笑いされているのではないか?と(^o^)。
「おいおい、皆んな、ちょっと勘違いしないでくれ。私は、拝まれる対象じゃないんだよ・・・」(・O・;)
といった感じだったりして?(^o^)

>仏教を知るのが楽しくなってきました〜でも難しいですね?

そうですね。
確かに難しいですけど、でも、少しずつ楽しみながら知って行ったら良いのではないかと思ってみます。
先月、ご紹介しました「楽市楽座」や「のほほん法話室」のような所で、何か思った事を述べられてみられるのもいかがか?と。

これからも、ボチボチよろしくお願い致します(^_^)。
それでは、また!(^_^)

51め〜ちゃん:2005/05/19(木) 15:14:52
>>47
希望さんの仰るように、人の評価?見方は確かにそれぞれですよね?
どれだけ高評価を受けてる人でも、中には悪印象に感ずる人も居ますね。
私の印象が悪く見えてしまうのは、仕方ない事ですが
出来る限り悪印象にならない様にとは思ってます。
日蓮聖人、親鸞聖人、各宗派宗祖、教祖と呼ばれる人も
万民に慕われる人になれるとは、思ってないのではとも思います?

気の合わない友人の件ですが、小学校に入学した時からの友で
お互い体の弱い体質だったので、何か友人になってましたが
ケンカ?衝突もしょっちゅうでした!
その友の妹さんに、古くからの付き合いを知ってるからでしょうか?
兄の事をこれからもよろしくお願いします!と言われた事もあります。
お互い様なんですが・・・結婚したんで少し疎遠になりつつあります!

>>48 の部分にありましたが
>吉川英治氏が、「我以外、皆師」と言っていましたよね。
カッとなりやすい友人、確かにすこし短気だったりするんですが
時に語ってる事が的を得ていたり、私にとってプラスになるんですが
お互いナカナカ引き下がれなかったりもしますね〜

ユッコさんの神格化・・・デビュー前からのファン、生前からのファン
余計にリアルに感じるので神?神格化してるのはありますよね?
そうですよね、来世でもまた有希子さんに逢って
有希子さんファンで居たい一人であります!
バカですよね?私は足や腕にもぐさで灸をしてワザト痕の残るようにしました。
大人になっても有希子さんの死を忘れない為、心の痛みを忘れない為
自傷行為ですよね〜何ヶ所にもありますし、見れば想い出します!
生前ファンの一部には、もっと凄い自傷行為をした人もいましたね〜
それだけユッコさんの影響力もあったんでしょうね!
まあ、私も軽く自傷行為・・・ケガの痕位にしか見えないんですけどね〜

つづき、後に入れますね〜
それでは〜

52め〜ちゃん:2005/05/19(木) 21:26:47
どうも、続きです!

日蓮聖人が、親鸞聖人、道元聖人について、御書に書かれていないとの話は
私は知りませんでした!そうなんですか?
確かに国内のどこかで3人が会う事があったのなら
日本の仏教が、変わっていたかもしれないですね?

日蓮系の宗派や新興宗教については、確かに多いですね
理由について、書いてあった本を読んだ気がするのですが忘れてしまいました!
浄土真宗も細かく派が分かれているのですが
親鸞系の新興宗教は聞いた覚えがありません!

日蓮*宗についての話ですが、チョットのけぞってしまいました!
かなり辛辣な意見ですね!
でもあの物凄い、他宗・他教を全て否定する考えはすごいですね?
細かい事をまだまだ知らないので何ともいえないですが
取り敢えずは***会を、厳しく糾弾?
日*宗(日蓮*宗)を、糾弾と・・・お互いで似た様な足の引っ張り合い
その部分だけでも、日蓮聖人さまがお怒りになられるような気がしますよ?
あまり知らない私に言われるんですから情けない・・・
こんな事言ったら怒られますね?両方から...こわ〜ぃ

>「楽市楽座」や「のほほん法話室」
様子を見ながら、もう少し勉強して参加してみてもいいかな〜って
チョット思ってますよ!
難しくって・・・でもなるほどと思う所もあって・・・
今は親族系の宗派、浄土真宗は元より、法華宗、融通念仏宗、臨済宗
他にも、生長の家やPL教、円応教の方までいらっしゃるので
広く浅くでしかないのですが、どの様な話なのか?
ラジオの番組を含めたりもですが、早朝に起きている時は
時々聴いてますね〜
親父の実家の融通念仏宗はかなりマイナーな宗派で
殆んど見かけないんですが、また見かける事があればと思っています!

私の様な若輩者にいつも丁寧なお答えありがとうございます!
ボチボチですか?こちらこそよろしくお願いします(^_^;)
話し出したらダラダラ書き込みそうなんで今日はこの辺で〜

それでは〜

53希望:2005/05/21(土) 07:45:38
め〜ちゃんさん、こんにちわ(^_^)。

>>51>>52のレスは、また改めてさせていただきますので、何卒ご了承下さいませ。m(__)m
今日はちょっとだけですが、昨日、Googleで検索してみたら、次のようなサイトがありましたから、参考までにご紹介させていただきます(もしかすると、すでにご存知なのかも?)。

こちらで、日蓮系の宗派・団体のいくつかのサイトが紹介されているようです(私は、まだほんの一部しか見ていないのですが)。

http://www.nichiren.ac/
日蓮 Search

また、以前、日蓮関係の書籍の中で一部が引用されていたのを読んだ事があるのですけど、キリスト教信者の矢内原忠雄氏による日蓮論(「余の尊敬する人物」より)がこちらで紹介されています。

http://www.asahi-net.or.jp/~hw8m-mrkm/mukyokai/hito/nichiren_yanaihara.htm
矢内原忠雄が語る日蓮

誠に簡単ですが(^_^;)、今日はこれで失礼させていただきます。
それでは、また!(^_^)

54め〜ちゃん:2005/05/22(日) 02:28:42
どうも希望さん!

事ある毎に、緊張してる情け無い野郎です!
今日は墓掃除、行けるといいのですが、変な寝方をしたので起きてます!

教えて頂いたリンク先なんですが
日蓮サーチの方では、知ってる所もあったのですが
島根県の祖母と同じ法華宗本門流の大本山本能寺の末寺のページでは
少し心打たれました!と言うのも、生前の祖母がよく言っていた事を
法話の方で話されてるな〜祖母はやはり法華の信仰者なんだと思いましたよ!
何かで聞ける機会があれば本門流大本山本能寺の筋の法話を聞きたいと感じました!

いいリンク先教えて頂きありがとうございました!

それでは〜

55希望:2005/05/27(金) 04:38:51
※『法華経現代語訳(下)』(三枝充悳 第三文明社・レグルス文庫 1974年)
 「第二十三章 薬王菩薩本事品」より抜粋

=============================================
 宿王華よ、この経は、よくすべての生あるものたちを救うものである。この経はよくすべての生あるものに、多くの苦悩を離れさせるのである。この経はよく大いにすべての生あるものに利益をあたえて、その願いを充満させることは、ちょうど、清涼の池がよく一切の多くの渇望しているものを満たすがごとくであり、寒いものが火を得たがごとく、裸でいるものが着る衣を得たがごとく、商人が主人を得たがごとく、子が母を得たがごとく、渡ろうとしたところで船を得たがごとく、病人が医者を得たがごとく、暗闇に灯を得たがごとく、貧しきものが宝を得たがごとく、民が王を得たがごとく、貿易商人が海を得たがごとく、かがり火が暗闇を除くがごとく、この法華経もまたこのようであって、よく生あるものをして、すべての苦やすべての病痛を離れ、よくすべての生死の束縛から解放させるのである。
=============================================
(P463)

=============================================
 宿王華よ、なんじはまさに神通力をもって、この経を守護しなければならない。それはなぜかといえば、この経はすなわちこれ閻浮提の人の病気の良薬であるからである。もしもある人が、病気があって、この経を聞くことができるならば、病気は即座に消滅して、不老不死となるであろう。
=============================================
(P466)

56希望:2005/05/29(日) 01:46:38
め〜ちゃんさん、こんにちわ(^_^)。

先日の書き込みに対するレスは、また改めてさせていただきますので、何卒ご了承下さいませ。m(__)m
Googleで検索して見つけたサイトで、よいと思うものがありましたから、ご紹介させていただきます。


http://www.okayama-nichiren.com/16radio/akuta.htm

それと、以前ご紹介した石川教張氏の小説『人間日蓮』の上巻から、私の気に入っている記述の一部を抜粋し、掲載させていただきます。

=============================================
「日蓮に祈らせよ」
 祐光はかぼそい声で言った。
 だが、日蓮からはなんの返答もない。
 家人は祐光の命をうけて、たびたび日蓮に「治病を祈れ」と言いつけたが、ついには、「なにとぞ、病を除かせたまえ」と懇願するようになった。
「お断り申す」
 日蓮はにべもなく応えた。あん(案)に扱ったのである。
 家人は困惑し、なにゆえに断るのかと聞いた。
「祈りを命じるなどとは、慢心のふるまい。祈りは心からの願いでなければ叶わぬ」
 念仏者でもあり、地頭でもある立場をくずさない祐光の翻心を、日蓮は迫っているようであった。
「思いの合わぬ人を祈るは、水の上に火を焚き、空に家をつくろうとするようなもの。とうてい、祈りは成就しがたい」
 日蓮の言葉を聞いて、
「助けたまえ。日蓮御房の申す法門をも信じようほどに。除病を祈りたまえ」
 と祐光は瀕死の床でかぼそく口走った。
 このことを伝えられた日蓮は、祐光をあわれにも思った。
(法華経に訴えて、祈誓してみよう)
 日蓮はやっと重い腰をあげた。祐光が、わずかながらでも、日蓮に信仰の心を出してきたからである。
 心が少しでも通じあえば、きっと法華経の行者を守護する十羅刹女も力を合わせて、祐光を守ってくれるに相違ない、と日蓮は確信していた。
 一念の祈りは、人の思惑や打算を超えたところにある。ひたすら、法華経と釈迦・多宝の二仏、十方の諸仏ならびに法華経を守護する神であり、武者の尊崇する神でもある天照・八幡など大小の神祇に治病の祈りを申しあげることのほかにはない。日蓮は祐光の病床に罷り出て、
「治病のしるしをあらわしたまえ」
 法華経を読み、題目を唱えたあと、十羅刹女を念じて祈願の言葉をのべた。
「病をなす鬼神の脅かしを退散させたまえ。邪見を治罰し病の消滅を叶わせたまえ。よもや日蓮を見捨てまじ」
 法華経に、日蓮は訴えた。ついで、法華経薬王品にある、
「この経はすなわち、これ閻浮提(全世界)の人の病の良薬なり。もし人病あらんに、この経を聞くことを得ば、病すなわち消滅して不老不死ならん」
 という経文を書きしるし、これを灰にして浄水にひたして祐光に服させた。すると、日蓮の法華経への祈りが通じたのか、やがて高熱もさがり、体のだるさも日ごとに薄らぎ、痛みもかゆみも失せ、まもなく、祐光の病悩はすっかり癒えた。
(死んだ身が、生き返った)
 祐光の喜びは大きかった。自ら足をはこんで日蓮のもとを訪れて、病のなおった礼を言い、
「これは、海中のいろくづより出現せし仏体なれば、御房にご寄進申し上げたいと存ずる。わが供養を納受いただきたい」
 と差し出した。
 いろくづとは、魚の鱗のことである。伊豆伊東の海中に沈んでいる魚の鱗にうずまっていた仏像をひろい出し、母屋の一隅に安置しておいていたらしい。
 仏像は釈迦如来の立像であった。
「日蓮には、さしたる力はない。病は十羅刹の責めによる。されば、一分なりとも信仰の心を日蓮に出したゆえ、さだめし十羅刹も評議されて病をなおしたものと見受けられる。これは法華経の御力によるもの」
 祐光は、日蓮の言葉を神妙に聞いている。
「その法華経に久遠の命をしるされた釈迦如来の仏像一体をいただき、これほど嬉しいことはありませぬ」
 日蓮は、釈迦如来の像に深く礼拝した。
「無明煩悩深きいろくづのごとき我らにも、心のうちには仏性があり、それより出現したのがこの仏体でありましょう。末長く随身し拝みたてまつる」
 日蓮はにこやかにほほ笑んだ。祐光はようやく安堵したように肩を落とし、
「源右大将家(源頼朝)も伊豆に流されたのち天下を握り申した。御房も伊豆伊東にありて、しばらくゆるりと過ごされよ」
 と地頭の顔をつくろった。
=============================================
※小説『人間日蓮』(上) 石川教張 学陽書房人物文庫 1998年
 P255〜258より抜粋

57希望:2005/05/29(日) 01:48:49
=============================================
 日蓮は磯の苫屋に足を踏み入れた。冷えびえと潮風が、さっと吹きこんだ。
 家の中は暗い。日蓮は目をこらした。かすかに白いものが見えた。母の白髪であった。
「母者……」
 日蓮は叫びながらひっそりと臥せている母の病床に駈け寄った。顔は青白く沈み、閉じた瞼は幾筋もの皺におおわれていた。息も絶えているように見えた。
 日蓮は額にさわり、そっと手と足をさすった。痩せた手足であった。どこもかも冷たい。
「母者、母者人」
 いくら呼んでも唇は少しも動かない。血の気がまったく失せていた。
(はや、黄泉の道に旅立たれたのか!)
 日蓮はうめいた。なにか言おうとしたが、声にならなかった。
 赤銅色の四股をまめまめしく動かし、魚や海苔・わかめを肩にかつぐ母の姿が瞼に浮かんだ。しかし、十年ぶりに見た母にその面影はなかった。
 潮風が泣き声のように吹きつけた。
(母への孝養、心にたらず……)
 日蓮は合掌し母を伏し拝んだ。
(いかにもして、母を助けたい)
 日蓮は法華経に祈った。ひたすら法華経を読みつづけた。
「この経は、よく一切衆生をして諸々の苦悩を離れしむるなり……子の母を得たるがごとく、渡りに船を得たるがごとく、病に医を得たるがごとく……この法華経もまたかくのごとし。よく衆生をして、一切の者、一切の病痛を離れ、よく一切の生死の縛を解かしむるなり」
 法華経薬王品の経文である。
 ひとしきり読経したのち、同じ薬王品の文を料紙に書きしるした。

  この経はすなわち、閻浮提の
  人の病の良薬なり。
  もし人、病あらんに、
  この経を聞くことを得ば、
  病すなわち消滅して、
  不老不死ならん。

 閻浮提とは世界全体のことである。
 日蓮は、この経文を書いた紙をきれいな真水に浸し、そっと母の唇にあてた。そして、これを燃やし、その灰を浄水に入れて、母の口に流しこんだ。
 しばらくして母の唇がゆるりと動いた。青白い顔に、ほんのりと赤味がさしはじめた。死相が消えた。瞼をしばたいた。
「ああ、悲母は生き返られた」
 日蓮は思わず喜びの声をあげた。母は、法華経の声に呼びさまされ、体内に入った経文に揺り動かされて蘇生したのだ、と思った。
 こののち、日蓮の母は四年の寿命を延ばした。母が病死したのは、文永四年(一二六七)八月十五日のことである。
=============================================
※小説『人間日蓮』(上) 石川教張 学陽書房人物文庫 1998年
 P293〜295より抜粋

石川氏によるこれらの記述は、事実、日蓮聖人の遺文(御書)を基にして、小説として書かれたものなので、真実に近いのではないかと思います。
ただ、紙に経文を記し燃やして灰にし、それを地頭と聖人の母に服させたという話は、御書に載っていない為、はたして、本当の事かどうかがわかりませんし、間違っても素人は真似をしない方がよいでしょうね(^_^;)。

まぁ、今日はそのようなところです(^_^)。
色々と大変でしょうけど、頑張って下さいませ。
それでは、また!(^_^)

58め& ◆FflQMVgcZ.:2005/06/02(木) 00:13:38
どうも、こんばんは!

父親が婿養子なので、父方の宗派はあまり馴染み無かったんですが
こうして書き込みをしていて、ふと気になって調べてみました
父方の融通念仏宗(ゆずうねんぶつしゅう)・・・
調べてみてビックリ、関西地方だけにしかお寺が無い
本当に小さな宗派でした!でもその融通念仏宗のお寺が
結構近くにあったんで、ビックリしました。
戦中の物資の供給で、お寺の梵鐘を出したのに
武器に変わる前に敗戦で帰ってきたとか・・・
昨日、そのお寺の梵鐘を見てきました、中に入らずとも見えるもので・・・
でも、そのお寺が父方の宗派の数少ないお寺とは思ってませんでした。
何かの縁があれば、お参りが出来ればとも思っています!

しんどさが少し楽になってきたかと思うと今度は
不安感が高まり過ぎてます・・・
イヤ〜情けないですね〜!
簡単な読み物ぐらいを、少し気晴らしに読んだりもしてるんですが
本格的に読むのは、もう少し後になりそうです!
少しずつ、日蓮聖人や親鸞聖人の事もわかってきたんですが
まだまだ、あらまし程度ですね〜
気がかりな分を解決してからです・・・

>>56 で教えてもらった分も読ませてもらいました〜
いつも、ありがとうございます。
むしろ、大きなモノでなければPCの方が読んでるかもしれません。
でも、バタバタしてるのも事実であります!
時間を見つけながら読みますね、これからも・・・

今回はこの辺で・・・

それでは〜

59め〜ちゃん:2005/06/02(木) 00:18:11
何故か、変わっちゃいますね!

め&・・・に?
名前変えたほうが言いのかしらと思う今日この頃・・・
↑の書き込みのめ&は私でした!

連続どうもすみません!

60希望 ◆1Mf4u1QB3c:2005/06/04(土) 02:26:46
め〜ちゃんさん、こんにちわ(^_^)。

め〜ちゃんさんのお父さんのご実家は、融通念仏宗という宗派に属されているそうですが、関西だけにしか寺院がないのですか。
小さな宗派だという事ですけど、ルーツは、どのようなものなのでしょうかね。
詳しい事は知らないのですが、空也、法然、親鸞、道元、日蓮、一遍、等々、一世を風靡したそうそうたる宗教者たちの輩出された、あの比叡山延暦寺に学んだ良忍という方が宗祖のようです。
いや、それにしても、め〜ちゃんさんのお家から結構近い所に融通念仏宗の寺院があったとは、何だか奇遇のような気もしますね。

ところで、最近、宗派を問わないで、仏教に関して意見を交わしながら勉強して行くというサイトが開設されたそうですから、ご参考までにご紹介させていただきます(登録制=メンバー制です)。


http://buddhism.fc2web.com/
ひとり仏教の会

ところで、時々HNの表示がおかしくなってしまうようですけど、私には、原因がわからないものの、試しにトリップ(偽者防止の為のものですが)を使用されてみてはいかがでしょうか?
名前欄のHNの横に#を記し、その後には半角で何文字かを入れるようになっていて、例えば、イチローというHNの場合、「イチロー#abc」とか「イチロー#aiueo」とかにしたら、掲示板上でHNの後に()付きの記号が表示される事となります。
#の後に入れる文字は、掲示板上で表示されず、本人にしかわかりません(その為のトリップ=偽者防止なのですから)。
はたして、それで巧くHNが表示されるようになるのかどうかはわかりませんが、一応、ご参考までに(^_^;)。
これから、私もトリップを使用しますので。

それでは、また!(^_^)

61希望 ◆1Mf4u1QB3c:2005/06/04(土) 02:40:59
あれ・・・(・・?)
以前なら、トリップを使用した場合、HNの後に「()」付きで記号が表示されていたんだけど、記号の前に「◆」が付くようになっているな・・・(・・)
変わったのかな・・・(^o^;)
もしかすると、め〜ちゃんさんも、トリップを使用されていたんでしょうかね?(・・)
もしそうだとしたら、>>60で私が言った事は余計なお節介だったのかな・・・(^_^;)

62め〜ちゃん ◆0GJMu809LM:2005/06/04(土) 08:20:14
どうも、希望さん、とりあえずトリップ付けてみました!

融通念仏宗については、検索すればすぐに出ますが
本山も遠くないといえばそうなりますよね?
同じ大阪ですから〜
でも変わった形態の宗派なので、直系寺院は少ないようですね
歩いても30分位で行けそうな距離にあるんで本当に奇遇です!

母方の実家の近くには日蓮宗の寺院があり、菩提寺ではありませんが
宗派を超えた、自由参加の仏教講座をやってるのを見つけました!
少し落ち着いたら参加してみてもいいかなとも思ってます!
話を聞く事が、祖母と行動する事が多かったので
特定宗派等の、熱心な信者家系ではないので
寺院のお坊さん等の法話を聞く機会が多かったように思います。
決して悪い話ではないので、いい機会かなとも思ってます。

希望さん、リンク先を教えて頂き毎度の事ながらありがとうございます!

それでは〜

63め〜ちゃん ◆0GJMu809LM:2005/06/06(月) 08:15:43
>>62
何か文章が可笑しな表現になってますね?
私は、祖母のお供に付き合う事が多かったのです!
その為、親戚の法事とかに付き合う事が多かったので
その家々での宗派が違う為、色んな法話を聞く事が多かったんですね〜
その中には某宗や、某学会は含まれてませんが
ガチガチの考えの教義からか?評判良く聞いた事がありません。
同じ法華経なのにねぇ〜って言ってた所もありましたよ〜
まあ、そんな所から宗教の法話等を聞くのが好きなのかも知れません。
そう考えると祖母方の家系の考えを受け継いでるんでしょうかね?
しかし、祖父方の私の今住んでる所も、それなりの布教を
受け継いでるんで、どちらもそれなりに信仰心があったとも言えます。

訂正?の余談失礼しました!

64め〜ちゃん ◆0GJMu809LM:2005/06/19(日) 22:13:24
どうも、希望さん!
今日何とか、母の一周忌を済ませる事が出来ました
希望さんの励ましも嬉しく思ってます。
あまり構え過ぎなくても良かったのかとも今では感じます。
とは言え、失敗も色々あったんですが
自分の誕生日と言う事で許してもらう事に・・・
それでいいですかね?

それでは、失礼します!

65希望 ◆1Mf4u1QB3c:2005/06/20(月) 22:03:35
め〜ちゃんさん、こんばんわ。

昨日はお母さんの一周忌法要を済まされて、本当にご苦労様でした。
私も昨年は父の一周忌の、今年は三回忌の法要を経験しましたが(両方とも、たまたま父の祥月命日となったのです)、当日の前には結構それなりに身構えていたものの、いざその時を迎え終わってみたら、あまりにもあっさりと済んでしまったという感じがしましたね。
と言うか、何だかちょっと物足りないような気さえしたくらいなのでした(^o^;)。
このような言い方は不謹慎な事なのかもしれませんけど、一つの形式と言えば形式と言えなくもないのですから、あまり必要以上に身構える必要はないのではないか?と、そのように思ってもみるのです。

>とは言え、失敗も色々あったんですが
>自分の誕生日と言う事で許してもらう事に・・・
>それでいいですかね?

お母さんの一周忌法要は、め〜ちゃんさんのお誕生日と重なったのですか。
それで思い出したのですが、私の父方の祖父が亡くなった日は、偶然父方の伯父(父の兄)の誕生日でもあったのです。
まぁ、そういった偶然もあるのでしょうね。
お母さんは、多分、め〜ちゃんさんに対して、「自分の誕生日なのに、すまないね」という気持ちでいらっしゃったのではないでしょうか?
この私なんか、>>37で述べましたように、もし先月の三回忌法要に出掛ける時の姿を父が見ていたら、どのように思ったのか?といった感じでしたしね(^o^;)。
また、今日母が家の中で片付けをしているのを手伝った時にも、ウンザリした気分で嫌々やっていたのですけど、こうして書き込みをしているうちに、親孝行しなくてはいけないなという気持ちになって来ました。
もしかすると、今頃、父は自分と仲の良かった親戚の人たちと一緒に、どこかから私を見ながら、「あの馬鹿、相変らず、何をやってるんだ・・・」と呟き、呆れた顔をしているのかもしれません(^T^;)。

以前の書き込みに対するレスは、またボチボチ、もしもし亀さんでさせていただきますので(^o^;)、何卒ご了承下さいませ。
それでは、今日はこれで失礼させていただきます。

66め〜ちゃん ◆0GJMu809LM:2005/06/22(水) 23:16:56
先に、スポーツの所でも書き込みましたが、こちらの話題で・・・

昨年、母の状態が急変したのが私の誕生日数日前でした
母は、私の顔を見ると悪態をついてましたが、病院スタッフには
私の来る時間はまだか?とよく聞いていたそうです!
先日亡くなってから初めて、はっきりとした母の夢をみたんですが
亡くなる前、誤嚥性肺炎を起こしたので、絶飲食になってました。
その事が頭の中に残っているので、とにかく母がご飯を食べてる夢でした。
母の命日が25日なのも、本来なら私の誕生日に亡くなっていても
おかしくなかったんですが、私の誕生日をさけて頑張ってくれたと
亡くなった当時より思っております。
むしろ私の誕生日が、命日だったのではないのかと想うほどです。
会食の席は、私の住む所では美味いと評判の店で席を設けたので
喜んでくれてると思っております。

私の親族は、多少気難しい方が居られるので
トラブルの無い事に気を遣っていたんですが
6月になって、不思議と開き直りの気持ちになりました。
多少の、不安やトラブルについても、気にはなっていたんですが
大きなトラブルも無く良かったと思ってます。
私の誕生日になったのは、母からのプレゼントと思ってます。
長い間、母の介護で自分の時間を作れなかったので
母が私の誕生日に合うようにしてくれたんではないかと思ってます。
母の法要のドサクサに、おいしい物食べてほしいと思ってくれたんでは?
等と自分勝手に解釈させてもらってます!
命日は31日までしかないので、偶然は多く起きてきますよ!と
菩提寺住職は言ってました。
何事も縁あっての事、色々な巡り合わせですね〜

相変わらず私の体調不良は続いてます。
法要の翌日に医者に行って血液検査等をしてきました!
悪い所があれば、そこを治せばよい訳で
悪くなければ、気の病の打破を考えていくしかありません!

希望さん、色々アドバイス等々ありがとうございました!
アトは自分なりに解決を見つけたり、こうしてアドバイスを受けたり
これからもよろしくお願いしますね!

それでは〜

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70よしおけい:2006/10/09(月) 23:32:20
希望さん、こんばんは(^-^)/
こちらに書き込むのは久しぶりです(^^;
今日、「永遠の法」の映画を見に行ってきましたw
私もよく知らなかったんですが、「幸福の科学」というのは仏教系なんですね?!
そして私はキリスト教系の宗教団体である統一教会の信者なのですが、この映画で描かれている霊界についての内容が、統一教会で説かれている内容ととてもよく似ているので、びっくりしました(@_@;
人が死んで霊界に行くと、自分の人生がスクリーンに映し出されるとか、その人の心境に応じた霊界に行くとか、与える愛ではなく奪う愛に生きた者は地獄に堕ちるとか、普通の人が高い霊界に行くと光が強すぎて耐えられないとか・・・・
お釈迦様は(映画で描かれている限りでは)最も高い霊界である「九次元宇宙界」というところにいるのですが、イエス様や孔子も同じ九次元宇宙界にいるという点が統一教会員である私にとっても、共感しやすいですw
宗教と科学の融合というコンセプトも統一教会と一致しています。
今後、宗教と科学の統一とともに宗教間の対話も大いに進んでいくことが期待されますね(^o^)

71希望 ◆1Mf4u1QB3c:2006/10/11(水) 01:24:50
皆さん、こんにちわ(^_^)。

よしおけいさん、本当にお久しぶりです!(^O^)
いやぁ〜・・・(^o^)
それにしても、偶然とは言え、一昨日(8日)の晩、私が「リラックスルーム」へ投稿した僅か15分後にこちらに来られていたとは、正直、本当に意外で、こんな事もあるのか・・・と思ってしまいましたよ(^o^;)。
4日前(7日)の未明、「リラックスルーム」でも、私の投稿の少し後に、歩さんが登場されていて、2度ある事は3度あるとでも言うのでしょうか・・・(^_^;)
よしおけいさんが、こちらに来られるのは、昨年の夏以来の事ですね。
一昨日の「リラックスルーム」での書き込み<28>(http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/sports/21445/1137518612/28)と、「管理人から皆様へ&皆様から管理人へ」の<2>(http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/sports/21445/1138983411/2)で述べていますように、以前、よしおけいさんたち多くの方たちが訪問して下さった時のログは、残念ながら、事情により、こちらの掲示板から外す事となったのですが、別のサイトへと移行させて、今でもちゃんと見れるようにしています(テキスト形式ですから、ちょっと見辛いかもしれませんけど)。

http://kibouhashinazu.hp.infoseek.co.jp/


>>70

一昨日、「永遠の法」という映画を観られたのですか。
幸福の科学の大川隆法氏が、同名の著書を何冊も出されているので、それを映画化したものなのですね。
正直、幸福の科学の事はほとんど知らないのですけど、あそこも仏教系なのですか。
あの世と呼ばれている世界については、普段、あまり深く考えない私なのですが(信仰者としては、私みたいな感じでいる事が、良いのか良くないのかについてはわかりませんけど-o-;)、幸福の科学の映画で描かれていた内容が、統一教会の考えによく似ていたという事。
もしかすると、様々な多くの宗教の間には、教義的なもの・解釈の仕方・考え方こそ大なり小なりの違いが存在していても、目指す所は一緒で、相通じる面があるという事になるのでしょうか。

宗教と科学の統一・一致と言えば、私の好きな宮沢賢治もそのような感じであったと思いますし(宮沢賢治の場合、宗教と芸術の一致を訴えていた事はよく知られていますが)、多くの宗教者が目指しているものなのでしょうね。

各宗教間の対話。
これが、今現在の混迷の渦中にある世界にとっては、何よりも重大な事だと思います。
世界各地で繰り広げられて来た地域紛争・民族紛争の多くは、大抵、対立する民族間の宗教の相違が絡んでいるようですし、また、長年に渡るカトリックVSプロテスタントのような本来はルーツを同じくする宗教でありながら、教義的な解釈の違いが原因で、血を流す惨事へまで発展し、そして、イスラム教を巡って起こる様々な問題。
また、実際の武力こそ用いていないものの、日本でも、元々がお仲間でルーツは同じである日○○宗と創○○会が(あの二つの団体に関する事では、実名を挙げると、おかしな連中がやって来るかもしれませんので、敢えて文字の一部を伏させていただきます)、“言葉による暴力”の応酬を長年に渡り延々と繰り広げていますけど、あれにしろ、端から見ていているだけで実に浅ましい限りのものですね。
いったい、何の為の宗教・信仰なのか・・・?と、そのように思わざるを得ません。
信仰者の多くは、殊更に意識しているのかしていないのかに関わらず、基本的に自分の宗教が絶対に正しい、もしくは、最も優れている教えだと思っているのでしょうけど(無論、この私も例外ではありません)、しかし、だからと言って、自らの信仰以外の宗教を排除したり異なる宗教の信者を差別したりするべきでなく、それらに対して寛容な姿勢である事が理想ではないのかと。
立正佼成会が中心となって、宗教・宗派の枠組を越えた世界中の宗教者による平和会議を開催しているという事を、ずいぶん前、立正佼成会の会員だった方から聞かされたのですが、これからは、そのようなムーヴメントが大いに必要となって来るのではないのかと思いますね。
また、昨年の春に亡くなられた前ローマ法王のヨハネ・パウロ2世氏や、マハトマ・ガンディー氏、マザー・テレサ氏のような方たちの存在が。

72希望 ◆1Mf4u1QB3c:2006/10/11(水) 01:26:52
今日は、久しぶりで宗教に関するお話をしました(大層な事ではありませんでしたけど^o^;)。
こちらのスレッドでの書き込みも、よしおけいさんの書き込みが、昨年6月のめ〜ちゃんさんの書き込み以来の事でしたよね(^_^;)。

ところで、お話がガラッと変わり、個人的な事を述べさせていただきますけど、実は、よしおけいさんの所で迷惑なものへの対策がとられた時に、どうやら私もその煽りを食ってしまったようで、それ以来、そちらへずっとアクセスできない状態でいるのです(^o^;)。
その事をメールでお知らせしようと思いながらも、私の優柔不断さの為、そのままでいたというわけなのです、ハイ・・・(^T^;)ゞ

まぁ、そのような感じでして、今日はこのあたりで失礼致します。
またお越し下さいませ(^_^)。

よしおけいさん、皆さん、それでは、また!d(^_^)

73よしおけい:2006/10/12(木) 00:21:10
☆希望さん
うちの掲示板のアクセス制限に引っかかっていたのですね><;
アクセス制限の設定は、しょっちゅう変えていまして、特に最近は、大雑把過ぎる制限は解除する方向で進めています。
気が向いた時で結構ですので、もう一度、うちの掲示板に入れないかどうか確認していただけないでしょうか?
もし、それでも入れないようでしたら、メールで、お使いになっているプロバイダなど教えていただければ、対処させていただきます。
ご不便をおかけして申し訳ありませんm(_"_)m

74よしおけい:2006/10/12(木) 01:21:27
異なる宗教に対する寛容な姿勢、大切ですね。
特定の宗教を熱心に信仰していると、ややもすると、他の宗教を低く見てしまいがちなのかもしれません。
しかし、特定の宗教を信仰せずに、各宗教から一定の距離を置くとか、一応、特定の宗教を信仰するが、あまり熱心には信仰せずに、他の宗教の人たちともそこそこ仲良くするというような態度は決して理想的なものではないでしょうね。
特定の宗教を熱心に信仰することと、それとは異なる宗教に対する寛容な姿勢は、決して矛盾するものではないと思いますし、その2つを両立させるのが理想的だと思います。

宗教というのは、真理に近づくための教科書や参考書のようなものだと思います。人によって、「私にはこの参考書が分かりやすい」というのがあると思います。また最初からいろんな参考書に手を出すのではなく、まずは一冊の参考書に絞って集中的に勉強したほうが良いでしょう。
もちろん、他の人に「この参考書は良いよ」と薦めることもあるでしょう。しかし、「いや、オレにはこっちの参考書の方が分かりやすいんだ」という人に対して、「そんなのは駄目だ、こっちを使え」と強要したり、あるいは、他の参考書を使っている人を馬鹿にしたりするようなことは、あまりにもバカバカしい話です。

一冊の参考書である程度しっかり勉強した後で、他の参考書を見てみると、視野が広がったりして、なかなか楽しいと思います(笑)
まあ、他の参考書にまで手を出すかどうかは、各人の好みもあると思うので、どちらでも良いかと思いますが(^^;

神様とか仏様というものは、実に奥が深くて、さまざまな側面があり、一人の人間が、簡単にその全体を把握できるようなものではないと思います。ですから、同じ宗教を信じている人たちの間でも、他の仲間が出会った神様の証詞をきいて、「神様にはそういう側面もあるのか」ということを感じたりするわけです。それと同じことが、異なる宗教を信じている人々の間にも起こりうると思います。
例えば、キリスト教徒が仏教徒の話をきいて、「神様にはそういう側面もあるのか」と感じたり、逆に仏教徒がキリスト教徒の話をきいて、「仏様にはそういう側面もあるのか」と感じたりすることはありうると思います。そして、それは決して、キリスト教徒が神様を絶対的に信じることや、仏教徒が仏様を絶対的に信じることとは矛盾しないと思います。
例えば、キリスト教徒が神様を絶対的に信じると、他の宗教を軽視しまいがちなのかもしれませんが、しかし、キリスト教徒が神様を絶対的に信じるということは、決して、キリスト教だけを絶対視して他の宗教を軽く見るということではないはずです。
神様を絶対的に信じるとか、仏様を絶対的に信じるということは、とてもすばらしいことであり、大切なことだと思います。しかし、そのことと、特定の宗教だけを絶対視して他の宗教を軽視するような態度は全くの別物ではないでしょうか。
「絶対的な信仰」と言いながら「絶対的に信じるべきものは何なのか」が分かっていないと過ちを犯す事になるのかもしれません。

75よしおけい:2006/10/12(木) 01:38:52
↑ああっ、ミスしてしまった><;
下から5行目あたり
×「他の宗教を軽視しまいがち」
       ↓
○「他の宗教を軽視してしまいがち」
です(*ノωノ)

76希望 ◆1Mf4u1QB3c:2006/10/19(木) 01:38:32
よしおけいさん、こんにちわ(^_^)。
レス、遅くなってしまいまして、スイマセン(^_^;)。

>>73の書き込みを見た直後、試しによしおけいさんの所へアクセスしてみたのですが(一昨日も、アクセスしてみました)、OUT!でした(^へ^;)。
そのうちにメールをお出ししますけど、よしおけいさんの所は、一時期、大変でしたよね(今現在、見れないので、最近の事はわからないのですが)。
以前、私の知っている方の所でも、よしおけいさんの所と同じように、毎日、執拗におかしな投稿があり、結局、閉鎖してしまわれたのですが、管理する側としては本当に大変な事だと思われます。
って、そう言うこの私も気をつけなければなりませんけど(^_^;)。


>>74

>しかし、特定の宗教を信仰せずに、各宗教から一定の距離を置くとか、一応、特定の宗教を信仰するが、あまり熱心には信仰せずに、他の宗教の人たちともそこそこ仲良くするというような態度は決して理想的なものではないでしょうね。
>特定の宗教を熱心に信仰することと、それとは異なる宗教に対する寛容な姿勢は、決して矛盾するものではないと思いますし、その2つを両立させるのが理想的だと思います。

確かに、そうですよね。
日本人に多い事ですが、例えば家の宗派が仏教の場合、家にはちゃんと信仰の対象があるにも関わらず、お正月には神社へ参詣したり、結婚式をキリスト教会で挙げてみたりと、そういうのが極当たり前に。
そういった人たちの多くは、家の宗教に対して、はたして、どれぐらいの信仰心を持っているのか?と思ってしまいます。
まぁ、何を信仰しようが、いくつの神様・仏様を拝もうとも、それは個人の自由ですけど、しかし、そのような人たちの場合、何れの参拝も中途半端で、本当の意味での信仰と言い難いものではないのか?と。
所謂苦しい時の神頼み式の域を出ないものではないのでしょうか。
また、自分の信仰している、もしくは、拝んでいる対象―宗教・本尊がどのようなものであるのかをよく知らないままに、手を合わせている人は多いでしょうね。
一つの宗教を熱心に信仰するのは良い事で、本来、それが信仰者としてのあるべき姿なのかもしれません。

>もちろん、他の人に「この参考書は良いよ」と薦めることもあるでしょう。しかし、「いや、オレにはこっちの参考書の方が分かりやすいんだ」という人に対して、「そんなのは駄目だ、こっちを使え」と強要したり、あるいは、他の参考書を使っている人を馬鹿にしたりするようなことは、あまりにもバカバカしい話です。

本気で真面目に信仰するのは良いものの、しかし、あまりにも熱心になり過ぎ、狂信に陥って、自分の宗教以外の事が何も見えなくなり、物事に対して冷静で客観的な判断を出来なくなってしまうのは、非常に危険だと思います。
まぁ、そういった盲信の類は何も宗教に限った事でなく、例えば、左の思想や右の思想に感化・洗脳されている者たちが、「自分たちの思想は絶対に正しい(自分たちの思想だけが正しい)」と頑に信じて、自分たちの思想と相容れないものを一方的・全面的に否定・批判している姿など、まさしく、盲目的になっている宗教の狂信者のそれと何ら変わるところがないですね。
また、宗教や思想以外の事でも、スポーツを観戦をし、特定のチームや選手を熱狂的に応援しているファンの中には似たような感じの人がいて、まるで宗教の盲信者・狂信者を連想させられてしまいます。
宗教の信者、思想の持ち主、スポーツファン、その他、それらの盲信的・狂信的な者たちに共通しているのは、何れも自分たちと異なるものを受け入れようとする寛容さが欠如しているのは無論、異論や批判の類に耳を傾けたり自らの非を認めたりする謙虚な姿勢が皆無で、とにかく、「おれたちは絶対に正しい」「おれたちを批判したり認めようとしない者たちの方が間違っている」「おれたちは全然悪くない」の一点張りという事ですね。
そして、自分たちのスタンスを他人へ押しつけようとする傾向性が著しい事も。
彼らは、自分たちが第三者の目にはどのように映っているのかが、まったくわかっていないのですから、どうしようもありません。
まぁ、そういった連中の多くは、元々が自分なりのちゃんとした考え・信念など持っておらず、第三者の言う事や世間の風潮に容易く流されて行き、また、人間としての最低限の常識やモラルを弁えていないようですね。
少なくとも、賢い人間であれば、相手の迷惑を顧みようとしないで、自分の考えを押しつけたり強要したりして、他人のスタンスを闇雲に否定し、感情を害するような愚かしい真似などしない筈ですから。

77希望 ◆1Mf4u1QB3c:2006/10/19(木) 01:39:34
よしおけいさん、続きです。

>>74

私は日蓮系の信者(元某団体の信者で、現在は単独信者)で、自分の信仰が最高だと信じていますが、しかし、他の宗教に対する一方的・全面的な否定・批判・排除のスタンスだけは避けるようにしています。
私の場合、自分の宗教・信仰を他人へ進めるとしたなら、基本的には相手の宗教を否定せず、それよりも、自分の宗教の長所・利点を訴えるという感じでしょうかね。
とにかく、自分が信じている大切なものを全面的に否定されれば、誰でも感情を害してしまうのは当たり前の事。
ましてや、どこかの宗教団体の馬鹿どもがやっているような他人の信じているものを否定するだけでなく、それと無関係な事柄、相手の人格や境遇に関する事まで取り上げて批判した場合、言われた側は、その分だけ却って大きな反感を抱いてしまいますよね。
某団体の狂信者を始めとするその手の連中には、何故、そういった至極簡単な事がわからないのかな?と、ただただ呆れてしまうばかりです。
そういうのが信仰者としてのあるまじき振る舞いなのは無論、もはや信仰云々の次元の問題でなく、人間にとっての基本中の基本と言うべきものですので。
宗教・信仰は、他人から強要されたとしても出来るものでなく、本人のやる気がない限り、“本物”になるのは無理だと思いますね(宗教・信仰以外の事でも)。
そこのところを全然理解していないどこかのアホどもが、ただ単に、信者の数を増やしさえしたら良いのだと勘違いし、誤った方法で布教活動をしているようですけど、そのようなやり方をしてみても、本物の信仰者はあまり育たないで、それどころか、長続きせず、やめてしまう人が多いのではないのかと。

ところで、以前、こちらのスレッドで少しばかり述べた事ですが、私の信仰の宗祖である日蓮聖人は、鎌倉時代の世情や自らを取り巻いていた状況等が理由だったと思われるものの、ずいぶんと過激で独善的な方法によって布教していましたよね。
確かに、一見しただけではかなりの傲慢不遜な人間というイメージが強い日蓮聖人ですけど、しかし、その半面、絶えざる内省をしていた事も事実のようです。
これまでに、こちらの掲示板で何度も引用して来た『仏教の思想12 永遠のいのち<日蓮>』(紀野一義・梅原猛 角川文庫 1997年)の中で、梅原猛氏は次のような事を述べられています。

=============================================
・・・・・・
 日蓮はしばしば、誇大な言辞を弄した人に考えられる。彼は、はずかし気もなく、「われは日本の柱なり」とか、「われは日本国の大船なり」とか壮語する。しかし、その半面、彼は「日蓮は日本一のえせ者なり」とかいうのである。私は日蓮のいささか誇大に見える自己主張の背後にある自己にたいするきびしい問いを忘れてはならないと思うのである。
・・・・・・
=============================================
※『仏教の思想12 永遠のいのち<日蓮>』(紀野一義・梅原猛 角川文庫 1997年)
 P294(梅原猛氏の記述)より抜粋

=============================================
・・・・・・
 私は、一度もその信仰がゆるがない信仰者を信ずる気にはなれない。私には真の信仰者には、いつもおのれに向かっての内的な問いがあるように思われる。おのれの信仰がまちがいであり、その信仰をおのれにも他人にも命じている自分は一人の詐欺師ではないかという問いがある。「日本一のえせ者」とみずからいう日蓮の中にも、そのような問いがあろう。しかし、真の信仰者は同時にそのような疑いを克服する。そして彼はそのような問いの中に、自己の思想をいっそう深くするのである。
・・・・・・
=============================================
※『仏教の思想12 永遠のいのち<日蓮>』(紀野一義・梅原猛 角川文庫 1997年)
P295〜296(梅原猛氏の記述)より抜粋

信仰とは、何よりも信じる事が最も重大なのは当然ですが、それと同時に、ご紹介した梅原氏の記述のような内省も必要ではないのかと思ってみるのです。
それがなくては、狂信に陥り、自らの姿が見えなくなって、おかしな事を行なっても気づかないままで、自分は何をしているのかさえわからなくなってしまうのかもしれませんから。
と言っても、実際にはなかなか難しい事ですけど。

78希望 ◆1Mf4u1QB3c:2006/10/19(木) 01:41:14
よしおけいさん、また続きです(長いな^o^;)。

>>74

>一冊の参考書である程度しっかり勉強した後で、他の参考書を見てみると、視野が広がったりして、なかなか楽しいと思います(笑)

色々な宗教を経験している人はいらっしゃいますよね。
こういうお話は、私みたいな不勉強・経験不足の者でなく、「楽市楽座」(以前、よしおけいさんも投稿された事があるのでは?)の人たちの方が詳しいようなので、そちら向きなのかも?(^o^;)
まぁ、私の場合、まだ自分の信仰の事さえあまりよくわかっておらず、模索中ですから、今のところは他の宗教へまで手が回らない状態なのですが、ただ、自分の信仰以外の宗教に対しても、偏見を持たないで、出来るだけ客観的な目で見て行きたいと思っています。

>神様とか仏様というものは、実に奥が深くて、さまざまな側面があり、一人の人間が、簡単にその全体を把握できるようなものではないと思います。ですから、同じ宗教を信じている人たちの間でも、他の仲間が出会った神様の証詞をきいて、「神様にはそういう側面もあるのか」ということを感じたりするわけです。それと同じことが、異なる宗教を信じている人々の間にも起こりうると思います。

そうですね。
宗教・信仰は、実に奥が深く、神、仏、もしくは、真理とでも言えばよいのか、とにかく、人智で計り知れず、容易くわかるものではありませんので。
もしかすると、古来から多くの宗教者たちは、自らが悟ったものをそれぞれに違う形で表現したのではないのか?と思ってみます。
凡人にはわからない事ですけど、何かを感じ、それを命で掴んだ?とでも言うのでしょうか・・・
あるいは、宗教者でなく、哲学者たちの多くも、何か目に見えないものを命で感じていたのではないのか?と。

>「絶対的な信仰」と言いながら「絶対的に信じるべきものは何なのか」が分かっていないと過ちを犯す事になるのかもしれません。

これは、難しい事ですねぇ・・・
ただ、人間としての大切なものとでも言うのか、心のあり方、生き方、振る舞いといった事が欠如しているのであれば、宗教・信仰の果たす本来の意味はなくなってしまうと思うのです。
今現在の宗教は、その多くが、そういう重要なものを忘れてしまっているのではないのか?と。


今日もまた、長い割には大層な事など述べられませんでしたが(^_^;)、一応、このあたりとさせていただきます。
これからも、亀レスが頻繁にあると思いますけど(^T^;)、そこのところは何卒ご了承下さいませ。m(__)m
それでは、また!d(^_^)

79希望 ◆1Mf4u1QB3c:2008/09/06(土) 04:39:02
神仏にすがる
本尊を拝む
願掛けをする
信仰の対象に救いを求める

無論、それも大事な事だが、しかし、結局のところ、最終的には自らの信仰に全てが掛かって来るという事になる筈だ。

自身がそれだけ真剣に祈るか
どれだけ信仰心を深められるか

信仰にとってそれが最も重要なポイントだと思う。

南無妙法蓮華経


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