したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

ヘンなニュース速報-

57名無しさん@コーヒー:2002/06/29(土) 03:26
日本・トルコ友好秘話 「エルトゥール号遭難事件」

1890年(明治23年)9月16日、トルコ皇帝ハミル2世が日本に派遣した特使一
行を乗せたエルトゥール号が帰路、暴風雨に遭い、和歌山県串本町沖合で、岩礁
に衝突し遭難するという事故が起きた。 この事故で、特使を含む518名は死亡し
たが、死を免れた69名は、地元民の手厚い救護により、一命を取り留めた。この
時村人たちは、台風により漁ができなく、自分たちの食べるものさえ無くなって
しまうという状況にあったにもかかわらず、非常時のために飼っていた、最後に
残ったにわとりまでも、トルコ人に食べさせ介護したのだった。また、遭難者の
遺体を引き上げ、丁重に葬った。 この話は、和歌山県知事から明治天皇に伝えら
れた。その後遭難者たちは明治天皇の命により軍艦2隻でトルコに送り届けられた。このことは、日本中に大きな衝撃を与えた。 この話に同情した「山田寅次郎」な
る人物が、一民間人として新聞社などの協力を得ながら全国を歩いて義捐金を集
め、それを携えてトルコに渡った。 1892年4月4日、イスタンブールに上陸した
山田は、外務大臣サイド・パシャに義捐金を手渡し、皇帝アビドゥル・ハミト2
世に拝謁した。山田寅次郎はトルコ側の要請で、そのままトルコに留まり、日本
語を教えるとともに、日本とトルコの友好親善に尽くした。この時の教え子の中
に、後にトルコ共和国初代大統領となる、ケマル・パシャ(アタチュルク)がい
た。 時代は下って、イラン・イラク戦争が始まった、1985年3月17日、イラク
のサダム・フセインが「今から48時間後に、イラクの上空を飛ぶ飛行機を打ち落
とす」ということを世界に向かって発信した。イランに住んでいた日本人は、慌
ててテヘラン空港に向かったが、どの飛行機も満席で乗ることができなかった。
世界各国は自国民の救出をするために救援機を出したが、日本政府はすばやい決
定ができなかった。空港にいた日本人は、パニックに陥った。
 そこに1機のトルコ航空の飛行機が到着した。トルコ航空の飛行機は日本人216
名全員を乗せて、成田に向かって飛び立った。タイムリミットの、1時間15分前で
あった。なぜ、トルコ航空機が来てくれたのか、日本政府もマスコミも知らなかっ
た。この時、元駐日トルコ大使のネジアティ・ウトカン氏は次のように語られた。
「エルトゥール号の事故に際して、日本人がなしてくださった献身的な救助活動を、今もトルコの人たちは忘れていません。私も小学生の頃、歴史教科書で学びました。トルコでは子どもたちでさえ、エルトゥール号の事を知っています。今の日本人が
知らないだけです。それで、テヘランで困っている日本人を助けようと、トルコ航
空機が飛んだのです」


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板