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パルメニデスは仏陀か?

1名無しさん:2004/09/16(木) 23:12
パルメニデスの言うことは仏教に酷似していないか?

155名無しA:2004/11/20(土) 11:38
検討すべき事実をテーブルに載せる必要があるのではないでしょうか?主要な事実はいままで語られてきているもので良いのじゃないでしょうか・
 ちょっと思い出したのですが、あるキリスト教徒がヘラクレイストに感心し、キリスト教を説明するのに応用しているという記憶があります。人がそれからどの様なものを引き出すか違うでしょう。
今は仏教との類似性、涅槃との類似性を目的にしておれば、我々には有益な果実があるのではないでしょうか?

156ペガサス:2004/11/20(土) 18:26
>>71 名無しさん

http://lapc01.ippan.numazu-ct.ac.jp/b/bukkyou1.htm#ch1
http://lapc01.ippan.numazu-ct.ac.jp/b/bukkyou1.htm#ch2

こちらのHP一年半ぐらい前から大いに活用させていただいておりました。
お詫びと感謝申し上げます。大変にありがとうございました

>>148 名無しさん

http://www.h5.dion.ne.jp/~terun/doc/s5.html
http://homepage.mac.com/berdyaev/mm/prmnd/utyu/prmnd7.html

こちらのHP今回の名無しAさんとの会話の中でつかわさせていただいて
おりました。
同じくお詫びと感謝申し上げます。

私の持ってる古代ギリシャの本では、パルメニデスに関して一行しか記述無く
とても会話に使用できません。
よってもう少しつかわさせていただきたいと思います。

どうぞ宜しくお願い致します。

157名無しA:2004/11/20(土) 20:27
著作権の問題さえなければ多いに活用すべきでしょう。

158名無しA:2004/11/21(日) 01:20
>>140
>概念としては名無しAさんの説明ではほぼ理解できたように思います.しかし,ブッダに最も近いとされている原始仏典のなかに「不生不滅,不変」の思想があるとみることに抵抗を感じているのです.竜樹の「縁起は無自性・空である」という「空」思想自体を「不生不滅の法性」と解釈した,とうことなら理解できるのですが.時間がないので,これについてはまたあらためてレスをします.

 原始経典には、たびたび、名称と形態を破壊せよ、とか、「師は答えた、『彼はこの世において、名称と形態とに関する妄執を断ち切ったのである。長い間陥っていた黒魔の流れを断ちきったのである。』スッタニパータ355、とあります。この前後の理屈は簡単にはわからないと思いますが、縁起によって生じたものは自性の無い空であり、一切は縁起によって生じたものであるから、一切は空であり、このことは五蘊が空であると言う事であるから、色である形態も、受想行識である名称も空であるということであり、そうすれば人の生老病死も自性のない空である。このことを知ったとき、不生不滅の状態に有ると言うのは適切であると思うのですが。以上のような解説そのものは見当たらないようですが、大きな面から見ますとこのように判断するのが自然で、このように判断することを求めていると思います。
 縁起の理法の説教を予想させるものとして、「行為によって農夫になるのである。行為によって職人となるのである。行為によって商人となるのである。行為によって雇い人となるのである。行為によって盗賊ともなり、行為によって武士ともなるのである。行為によって司祭者となり、行為によって王ともなる。賢者はこのようにこの行為を、あるがままに見る。彼は縁起を見るものであり、行為(業)とその報いを熟知している。」スッパニパータ651から653)があります。
 私の持っている初期経典は、中村博士訳の原始経典五冊で、その中には縁起の理法を直截に解説したものは無いようですが、ネット上の解説を見ますと他の初期経典にあるようですね。「これあれば彼あり、彼滅すればこれ滅す。」という表現のものが。
 空の真理を言う基礎は上の縁起の理法がある以上、出来ている訳であると思います。

 ところが、竜樹の廻諍論に「事物の部位に通じた人々は、善である諸事物には善の本体があると考える。その他(の諸事物)に対してもそれぞれの(本体の)配分が為されている。
 この世間で、事物の部位に通じた人々(アビダルマ哲学者)は、119の善い事物があると考えている。即ち(一)思惟・・・・・(119)無制約者(無為)である。
 同じように悪い諸事物には悪の本体がある。・・・・・。このように、いろいろな種類の事物の本体が経験されるのであるから、「全てのものは本体を持たず、本体を持たないから空である」と君が言っていることは正しくない。これはまるでプラトン、ソクラテスのイデア論で無いでしょうか。

 上のアビダルマ哲学者の言う事は、初期経典の縁起と空の教えに反するものでしょう。これに危機感を抱いたのが、大乗の哲学者だったのではないでしょうか。そこで釈迦の本来の教えを確立し宣揚するために大乗経典を作ったのではないでしょうか。ところが小乗の仏教徒である、セイロンの仏教徒は、初期経典を読誦していると言う事です。そうすると解釈の問題なんでしょうか。

159名無しA:2004/11/21(日) 12:22
 1055・「メッタグーよ、上としたと横と中央とにおいて、そなたが気づいて良く知っているものは、何であろうと、それらに対する喜びと偏執と識別とを除き去って、変化する生存状態の内に止まるな。」
 1068・「ドーダカよ、上としたと横と中央とにおいて、そなたが気づいて良く知っているものは何であろうと・・・それは世の中における執着の対象であると知って、移り変わる生存への妄執を抱いてはならない。」と。
 1070・「師仏陀は言われた、「ウパシーバよ、良く気をつけて、無所有を目指しつつ、『なにも存在しない』と思うことによって、煩悩の激流を渡れ。もろもろの欲望を捨てて、もろもろの疑惑を離れ、妄執の消滅を昼夜に観ぜよ。」
 1098・『もろもろの欲望に対するむさぼりを制せよ。・・・出離を安穏と見て。取り上げるべきものも、捨て去るべきものも、何物も、そなたにとって存在してはならない。」
スッタニパー他に以下のように、空に基づいた教えがあります。
 1099・『過去にあったもの『煩悩』を枯渇せしめよ。未来にそなたには何物も無いようにせよ。中間においても、そなたが何物にも執着しないならば、そなたは安らかに振舞う人となるであろう。」
 1103。『バドラーバダよ、上にもしたにも横にでも中間にでも、執着する妄質をすっかり除き去れ。世の中の何物に執着しても、それによって悪魔が人に付きまとうに至る。」
 1119。『自我に固執する見解を打ち破って、世界を空なりと観ぜよ。」

160名無しA:2004/11/21(日) 12:26
上の159はスッタニパータのものです。やはり空を教えているのです。

161ペガサス:2004/11/21(日) 21:19
名無しさんには陳謝と御礼したのですが反応無いので(見てらっしゃらないのかも
知れませんが)

少し話を飛ばして紀元前二世紀の後半行われた仏教僧「ナーガセーナ」とギリシャ
系の王「ミリンダ王」の対話は実に興味深いです。そこに「空」の理解に繋がるものが
あるのかも知れません。って何回読んでも理解出来ないのですが・・・汗。

んでもインドとギリシャと当時交流があったのは、証明できますね。
何せミリンダ王は実在の人物ですから。

162名無しA:2004/11/21(日) 21:54
>>161
>名無しさんには陳謝と御礼したのですが反応無いので(見てらっしゃらないのかも
知れませんが)

 あなたの為されたことで、陳謝しなければならなかったことや、御礼をしなければならなかったことは無いと思います。
ただ著作権を云々する場合には気をつけてください、私なら気をつけてます。
 過失を犯さないようにびくびくする人を人はよく思うと初期経典にあった思いますが、あなたは過失に敏感になっておられるから、良い傾向にあるんじゃないですか?

 >少し話を飛ばして紀元前二世紀の後半行われた仏教僧「ナーガセーナ」とギリシャ
系の王「ミリンダ王」の対話は実に興味深いです。そこに「空」の理解に繋がるものが
あるのかも知れません。って何回読んでも理解出来ないのですが・・・汗。

 まさに縁起と空の思想を言ったものと思いますが、あんまり謙虚に出られるとこちらもビビル気持ちが出てきそうです。きっとお解りになると思いますよ。

 >んでもインドとギリシャと当時交流があったのは、証明できますね。
何せミリンダ王は実在の人物ですから。

 これは問題の無い事実でしょうね。
釈迦の時代、いやそれ以前にどうであったかと言う事、ギリシャ人の都市国家がすでにあったと初期経典にあって、釈迦自身がそのことを指摘しているのです、ただし釈迦や六師外道が影響を受けるような交流があったかどうか解りませんね。
 釈迦の縁起の理法の発見は、今からなら、どうと言う事の無いほどのものに思えますが、心が清浄でないと本当に理解したといえるかどうか疑問です。具体的にどのような縁起があるのか明らかにするのは容易ではないようです、そこから進行というものが言われるようになるのではないでしょうか?世親や竜樹の論はそこに集中しているようです。
 パルメニデスも縁起の理法を必然と言う言葉で言っているとわたしは思っているのですが、彼らと釈迦との比較については後に集中して話す機会があるでしょう。

163名無しA:2004/11/21(日) 21:57
訂正
 進行→信仰

164ペガサス:2004/11/21(日) 22:11
>>162
名無しAさん

どうもありがとうございます。
じっと見入ってしまいました。

でも理解できないこと多すぎるので
少し考えるお時間いただきたいと思います。

ではでは

165名無しA:2004/11/21(日) 23:54
162の中の>世親や竜樹の論はそこに集中しているようです。
           ↓ 
      世親や竜樹の論は、そこにどのような因果関係(縁起)があるかに集中していると思います。

166名無しさん:2004/11/23(火) 23:57
>>156
だから違うって(汗
なんか敏感になりすぎてんじゃないのw
オレはここの議論に関係のあるURL紹介しただけだから。
ひとまずロムにもどる。

167ペガサス:2004/11/24(水) 18:08
>>166

あっそうなんですか。
分かりました。
それでは又徐々に本論に戻していきたいと思います。
でもしばらく離れてると調子でないなのら〜。
特に勉強してたわけではないので・・・汗。
他のところで気楽な会話してました。
名無しさんは私などよりはるかにお詳しいようなので、
話し合いに入っていただいて色々教えて下さると幸いです。

では著作権などにも気を使いながら進めていきたいと思います。
宜しくお願いいたします。

168ペガサス:2004/11/24(水) 18:45
名無しAさん

ヘラクレイトスに戻ります。
彼は足に流れる川の水がいつも同じではないように、物質も人も
国家も常に変化してると考えた。

確かに人の心だって移ろい安い。どんなに愛し合って結婚した夫婦、
最初「あなたがいれば、後何もいらない〜」と言ってても、しまいに
あなた以外のもの皆私のもの。要らないのはあなたけ」ぬあんと言われるかも・・・汗

国だって、何千年単位で考えると常に変わる。最近の国際情勢でも
国の名前すぐ変わる。ソビエトがロシアになったり。地図業者も大変なのではなかろうか。
銀河だって動かないようだが、2億年に一回転してる。
又アンドロメダ銀河とお互い徐々に接近したりしてる。大宇宙単位で考えると今のところ膨張してる。

だから変化しないものは無いというヘラクレイトスの主張は正しい。

しかも彼は、そういった変化の元になる力に対して「ロゴス=法則」という概念を主張した。

こういった概念は科学的には正しいのではないかと思う。
アバウトなので何にも当てはまりすぎる嫌いはあるが。
ビックバンの原動力。時間の原動力。
そこまではいい。

だがその法則を「神」「仏」或いは「生命の法則」という形で人間の信仰に
当てはめると形而上の議論になってしまうと思う。

彼はその辺すれすれだったのか。難しいですね。

169名無しさん:2004/11/24(水) 19:56
このような宇宙観は良いね。

170ペガサス:2004/11/24(水) 20:22
>>169

どうもアリガト。
どうせ、一空間のたわいも無いと言えば失礼かも知れませんが、話し合い。
学術論文発表しあってる訳ではないと思います。

人間は寂しい、悲しい。でも主張したい。
話合いたい。それでいいと思います。

んでも、考えてみるとパルミニデスとかヘラクレイトスとかを
現代の語り口調で話すことなんて考えられない。
そこに光をあてたのは名無しAさんの功績と思います。

まさに文芸復興かも・・・。
後世にこういう話し合ったと残るかも知れません。
ググルとそうとう前の発言もでてきますしね。
そのBBS自体消滅してても。(ゴメン、たとえの話です)

世界的にもネット発言それ自体、文化ととらえ全部残そうという動きもあります。

そこで提案です。名無しさんから名無しBさんという形で参加されたらいかがでしょうか?
当然ながら無視されても、私の名無しさんに対する評価全然変わりません。

171名無しA:2004/11/24(水) 20:56
169の名無しは名無しAでした。今度叉別な名無しさんに言うようにしましょう。

172ペガサス:2004/11/24(水) 21:03
>>171

なぁーんだ
そうだったんですかぁ

173ペガサス:2004/11/24(水) 22:28
まぁ、今のところ、結論的にひとくくりしておくと
ヘラクレイトスの主張は、科学でもあり、ウパニシャッドでもあり、
仏教でもあるかもと。

科学の部分は、宇宙のフォースに言及したこと。
ウパニシャッドの部分は、善と悪を宇宙にリンクしたこと。
仏教の部分は変化(無常)に着目したこと。

などと考えてます。

174名無しA:2004/11/24(水) 22:30
はい、すいません。

175ペガサス:2004/11/24(水) 22:36
過去は無かったと言うことで。
今大事なのは、今と未来かも知れませんね。

話し合いを進めましょう。
って無知なのでついて行けないと思いますが。

176ペガサス:2004/11/25(木) 22:12
この天才とも言うべきヘラクレイトスの「万物流転説」の前にちょっとマテー
ゴリャーとは言わなかったと思うが、それは違うんでネーノという感じで
又天才が現れた。
「パルメニデス」
なかなか名前覚えられないのでパルメニでーすと覚えることにした。
アナクサゴラスとかアナクシマンドロスなどの名前は何故か瞬間で覚えてしまうのだ。

彼は主張した。

「ヘラクレイトスが言うような変化などありえない。物事が変化しているように
見えるのは物事の本質を見てないからだ」

りんごをだんだん割っていけばりんごに見えなくなるけど、途中からりんごが
りんごで無くなる事はありえない。形がわからなくなるのは、人間の目であって
りんごはどこまでもりんごなのだということらしい。

びんごー!って言ってる場合じゃないな。

なんかウパニシャッドでもこの論法見たような〜

177名無しA:2004/11/27(土) 14:50
無限分割はゼノンの逆理において有名です。分割できると言う事は、多が存在することが出来るかどうか、と言う問題になるのだと思います。パルメニデスは存在は「一」であるとするのに対し、存在は「多」であるとする主張があるのです。

178ペガサス:2004/11/27(土) 16:50
又難しい問題出されました。

しばし勉強。勉強しても分からないと思いますが・・・・汗

最近考えてる事。

パルメニデスが仏陀であるかどうかというのは単なる問題提起であって白黒つけな
きゃならないという問題ではないと思います。名無しAさんの問題提起により私も
パルメニデスを知る事が出来た。又少しばかりギリシャ哲学を知りえた。今度は
ゼノンの事も勉強しなくちゃ。

179名無しA:2004/11/27(土) 19:16
ゼノンを理解するときはプラトンのパルメニデスが有効です。ところがこれはプラトンの中でもっとも難しいものの一つと言われています。その訳は、徹底的に妄想を排除して読む必要があるからです。いやパルメニデスそのものが妄想を排除する教えなんで、ゼノンもそのようになっているのだと思う。
 そして、プラトンのパルメニデスには、ゼノンについて言われている内容が全て入っていると言う事です。私は最初読んでぜんぜん解らなかった。叉がんばってみてください。

180ペガサス:2004/11/27(土) 21:35
多分
>>179
名無しAさんのご発言一般的にはほとんど意味不明と思う。(あくまで一般論ですが)

とりあえず解説。
ゼノンは、パルメニデスの弟子。

又パルメニデスは本を残さなかったので、
プラトンから見たパルメニデス論しかないわけです。

今のところ、そこまです。
1歩も進んでいない(私)

181名無しA:2004/11/27(土) 22:45
>名無しAさんのご発言一般的にはほとんど意味不明と思う。(あくまで一般論ですが)

 自分でも読んで見て、本当にあなたの言われるとおりだと思います。w

 >パルメニデスは本を残さなかったので

 これは間違っていると思います。パルメニデスは自分の思想を本に書き残したんです。それが別スレッド「経典・・・」の中に私が投稿したものです、然しこれもちょうど真中の抜粋です。そのまま残っているのではなく、彼のものが失われる恐れがあるので、ある人が、意図的に、パルメニデスの思想が失われないように、書き残したものであると言うことです。
彼の時代、単に話を聞くだけでは、今の時代と何ら変わらない環境が覗える様です、つまり、書店で本が売られており、お金を出せば誰でも買うことが出来た。プラトンは100ムナを出してゼノンの書物を遠方の地に注文した、郵便を出したあるいは受け取った、と言う具合です。
 ヘラクレイトスは自分で書物を出したのでしたっけ?
 この時代は、パピルスを使用したのでしょうか、それとも羊皮紙でしょうか?多分羊皮紙でしょうね。当時の大理石の彫像で、ソフォクレスの立像があります。彼の足元には巻物が入った筒状の容器があったと思います。その巻物と言うのが当時の書物でしょう。羊皮紙は巻物として本の体裁を採ったのだと思います。然し当時すでにエジプトと交流があったのですから、パピルスを使用していてもよさそうですよね。どんな状況だったのでしょうか、いや叉重荷を負わせるような事を言いました。文字を使用すれば紙も必要でしたから、布なんかも使用したかもしれませんね。

182ペガサス:2004/11/28(日) 04:56
>>181

>パルメニデスは自分の思想を本に書き残したんです。

そうでしたか。何せにわか仕込みの知識なものですみません。
すぐ馬脚が出てしまいます・・・・汗汗

183名無しA:2004/11/29(月) 09:06
>>179
>その訳は、徹底的に妄想を排除して読む必要があるからです。いやパルメニデスそのものが妄想を排除する教えなんで、ゼノンもそのようになっているのだと思う。
  
 人間不生不滅であることを、このように言うのです。
 年を取ると言う事は、若返ると言う事でもある、と。なぜなら、若返ると言う事が無ければ年を取ると言う事が無いからである、と。これは若返ると言う原因無くして、年を取るという結果が生じないからであると。仏教ではこのように相対的に存在する観念は実体が無いものと判断しました。
パルメニデスは、この因果関係を、必然と称しているのだと思います。
 仏教では自性の無い物を空と称していますが、パルメニデスは、空と言う表現をしませんが、「不可能の道」と称してそれらの変化に囚われないように説いているのだと思います。
このような必然の関係「因果関係若しくは縁起の理法」に基づいてパルメニデスは、二つ以上のものがある場合、どのような矛盾が生じてくるかを、多岐に渡って説いているのだと理解しています。

184coco </b><font color=#FF0000>(ZJ72Luss)</font><b>:2004/11/29(月) 16:13
>>159
>縁起によって生じたものは自性の無い空であり、一切は縁起によって生じたものであるから、一切は空であり、このことは五蘊が空であると言う事であるから、色である形態も、受想行識である名称も空であるということであり、そうすれば人の生老病死も自性のない空である。このことを知ったとき、不生不滅の状態に有ると言うのは適切であると思うのですが。以上のような解説そのものは見当たらないようですが、大きな面から見ますとこのように判断するのが自然で、このように判断することを求めていると思います。

初期経典(原始仏典)には名無しAさんの仰るところの「空」についての解説がない,ということまでは共通認識であると思います.その初期経典の言葉の中に「縁起によって生じたものは自性の無い空」「不生不滅の状態」という明確な概念があると判断できる‥とするのが名無しAさんであるとすれば,まだそこまで体系化された「空」の概念はないのでは?というのが現時点での私の抱くイメージです.といっても,「空」そのものが理解できていないので判断のしようもないのですが,これはあまりこだわるところでもないです.

>>160
>上の159はスッタニパータのものです。やはり空を教えているのです。

私の乏しい読解能力ですと初期経典にでてくる「空」の言葉については,そのまま「空」思想であるというところまで理解できません.

>>74 で申し上げましたとおり↓
>>「空」の考えかたは仏教の原初からあったそうですが,「空」のサンスクリットの原語は sunya (欠如・または数字のゼロ)という意味で,初期経典では主に「空虚」や「欠如」といった「否定・欠如」のみを表す意味で用いられていたということです.それを空の思想として「ものに自性が欠如していること=無自性」というはっきりした概念を確立させたのがナガールジュナであると理解しています.

という認識ですので,名無しAさんが例に挙げられているスッタニーパータ(阿含経典)の中の「空」という言葉は文脈からみても,ナーガールジュナ(龍樹)が初期般若経典の「空」をもって難解な論理の構築によって概念化した「空=無自性」そのものではないと思うのです.ブッダの説法の話し言葉のなかで,本来の「空虚」や「欠如」というような素朴な意味合いで用いられたのではないかと想像します.

また,他の初期経典(阿含経典)のいくつかにも「空」という言葉はでてくるようですが,「空」という言葉そのものに焦点を当て,それについて詳しく解説している記述は初期経典の中には無い ということですから,そのことからもそのように思います.

むしろ初期経典で繰り返し語られる,「苦」「無常」「無我」「縁起」「「ニルバーナ」「法」「四諦・八正道・中道」といった諸思想が渾然一体となったものが,のちにナガールジュナ(龍樹)の打ち立てた「空」思想が確立された源泉になっているのでは,と考えます.

もともとブッダは対機説法であり体系的な教理としての説法はおこなっていないといいますから,ブッダ滅後に多くの弟子たちがそれらを経典として明文化するなかで,内容や言葉に矛盾が生じることはやむを得ないと思います.したがって初期経典といえども読み手に応じて様々な解釈がなされるのは当然のことだと思います.それが,その後も人々の智慧を取り込みながら膨大な経典群を生み出し,時代と共に変貌を遂げてきた原因のひとつであると思うのです.ま,そこが仏教の好きなところなんですが..
えー,何が言いたいのだかよく分からなくなってしまいました.

ところで,哲学や宗教といった思想的なものを比較する場合,ともすれば共通点より相違点に目がいくものです.ですから,価値世界の異なる空の思想とパルメニデスの思想に同根を見い出した名無しAさんの解釈はとても興味があるのです.しかしまだぜんぜん理解できませんが...

185coco </b><font color=#FF0000>(ZJ72Luss)</font><b>:2004/11/29(月) 16:14
>>138
>>釈迦やパルメニデスは論理的に説明をし、その理法を理解したらそれを実行したくなるのです、少なくとも試してみたくなると思うのですが。あなたは理解のほどはどの程度進まれたでしょうか?

理法(真理)は「不生不滅・不変」である‥‥という捉え方は理解できるような気がするのですが,その内容についてはこれまで述べてきたように引っ掛かったまま,到底理解が及びそうにありません.できれば今後の展開で(いつでもけっこうですが),釈迦が「不生不滅・不変」について論理的に説明しているところを具体的にやさーしく,「空」の定義等も含めて解説していただけたらと思います.名無しAさんのペースで進めてください.ROMさせていただきます.

186名無しA:2004/11/29(月) 23:33
>>184
9
>縁起によって生じたものは自性の無い空であり、一切は縁起によって生じたものであるから、一切は空であり、このことは五蘊が空であると言う事であるから、色である形態も、受想行識である名称も空であるということであり、そうすれば人の生老病死も自性のない空である。このことを知ったとき、不生不滅の状態に有ると言うのは適切であると思うのですが。以上のような解説そのものは見当たらないようですが、大きな面から見ますとこのように判断するのが自然で、このように判断することを求めていると思います。

>初期経典(原始仏典)には名無しAさんの仰るところの「空」についての解説がない,ということまでは共通認識であると思います.その初期経典の言葉の中に「縁起によって生じたものは自性の無い空」「不生不滅の状態」という明確な概念があると判断できる‥とするのが名無しAさんであるとすれば,まだそこまで体系化された「空」の概念はないのでは?というのが現時点での私の抱くイメージです.といっても,「空」そのものが理解できていないので判断のしようもないのですが,これはあまりこだわるところでもないです.

 「空」と言う事を一つの「概念叉は観念」と捉えてはならないのだと思います。空とはあなたの上げられた言葉、「欠如、ゼロ、否定、無常、無我、縁起、ニルバーナ、永遠」のことだと思います。まさに、凡人が、多彩な現象界、多彩な感情、多彩な思い、多彩な知識、多彩な意思、これらのものがあると思っているのに対して、これらが「あるものではない」と言う意味だと思います。中央公論社の大乗経典の宝積経典の中のある経典に、空とはあらゆる観念を打ち消す言葉であるところ、空と言う観念と捕らえては元も子もない、と言う意味のことを言っています。
 初期経典のダンマパダだったかと思いますが、諸法皆空と言う言葉があります。初期経典の中の空の言葉が、特に大事なものとして章なり節なりに区別して書いてないことを以って、空の価値を強調していないのだと判断することは間違いだと思います。全ては縁起するものである、全ては空である、これだけで、私は実は端的に、充分に教えとして存在していると思います。初期は縁起と言う言葉を多用し、大乗経典において因果と言う言葉が使われるようになっていると解説にありました。縁起と因果の意味は同じ意味のことですが、そのときの時代風潮によって、良く理解させるために使い分けることが生じたのではないかと思うのです。
 正直に言いまして、大乗経典においても、縁起と空の関係に多言を使用していません。もっぱら、空の真理に従う場合どのようなことになるかを説くことに多言を要しているのです。
 そこで、竜樹は空の解説を始めとして主要事項例せば、時間、場所、物質等について、空であることを論証したのではなかったでしょうか?私はやはり経典のほうが優れた価値があり、竜樹の解説は、経典を解説するものでしかないと思います。経典をよく理解できる手助けになるだけのもではないかと思います。
 縁起と空(無我)の解説は正直に言いまして多言を要することではないと思います。難しいのは縁起を理解した上で、空無我と言う真理にどう従うかだと思います。そこにいろいろの方便が必要になってくるんです。それが教えだと思います。
 一切は空であると言う真理に従うことが必要なのであるところ、なかなか一切まで届かないで、ある部分を残したままで修行を終えてしまうことがあるようです、その様な人には、いまだ空の真理に従っておらず、修行を完成していないのです。その未完成の人をさして、声門、縁覚、菩薩と言う区別が生じたのだと思います。 
 完全に空に従わないで、部分的に残しているならば、少しでも残しているならば、大部分の空であると思っている部分も空でないのです。なぜなら、空と少しの空と相対的に存在してることになり、それでは、一切は空、絶対空とはならないからです。この未完成は、誰か、何かに頼るところがあると生じるものであり、この完成は、全く誰にも、なにものにも頼らない状態になったときに生じるもんだと思います。
 いまペガサスさんの講義が終わったら、別スレッドを立てて、空とは何かの解説を試みたいと思います。そのときにパルメニデスの思想を援用します。
 
 初期経典に素朴に空とか縁起とか無常とか無相とかと書いてあるからと言って、真理が不明確の証拠であるとはもうと言えないと言うことを言いたかったのです。

187名無しA:2004/11/29(月) 23:42
>>185
I will do my best as possible as I can do.

188coco </b><font color=#FF0000>(ZJ72Luss)</font><b>:2004/12/02(木) 01:54
>>186

Nothing seek,nothing find.

そのように解釈できるのだ――と仰るならば,それでよいのだと思います.
じっくり考えてレスする時間がありませんので,かまわずお進めください.

189名無しA:2004/12/02(木) 19:31
阿含経については良いのがありましたので紹介しておきます。

http://www1.ocn.ne.jp/~shodesi/agomenu.htm
http://www1.ocn.ne.jp/~shodesi/index.html

190名無しA:2004/12/02(木) 20:47
ペガサスさん、偉大な論を発表しようという欲を出さないように。

191ペガサス:2004/12/02(木) 20:57
>>190
名無しAさん

それどころじゃないです。

ゼノンの定理。

先に走った亀を俊足のアキレスは追いつくことが出来ない。というパラドクス。
中学生時代にチラと勉強しましたが意味もわかりませんでした。

いまもう一度勉強しなおして、2500年たっても明確な回答無いのだけ解り
ました。
20世紀の偉大な哲学者ベルグソンもチャレンジしたみたいですね。

192名無しさん:2004/12/02(木) 23:16
一を認めないと多を主張することになり、それは不可能を追求することになるとして、ゼノンはあのような逆理を説いたのに、パルメニデスの「一」を認めていない人がほとんどだったと言う事ですね。
 どうしてなんでしょうか?それとも私が間違っているのか?それは後のお楽しみと言う事で。

193名無しA:2004/12/02(木) 23:18
上は名無しAでした、すみません。

194名無しA:2004/12/02(木) 23:42
こんなことも言えるのですよ。一ばかりが真理ではなく、三も四も八も真理である、と言うならば、三は一が三つ集まったものである、一が三つあるのだけだから、皆同じ者である、だから、真理は一である。他の数についても同様である。
この一には主語が無いのですよ、空に主語が無いのと同様です。

195名無しA:2004/12/02(木) 23:43
上は削除。

196ペガサス:2004/12/03(金) 14:47
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
ゼノンがパラドックスを提出したのは、ゼノンの師であるパルメニデスの万物は
一からなるという主張を擁護するためだったようです。
万物は一であるというパルメニデスの主張に対し、万物は多であると主張する
グループがパルメニデスを笑いものにしようとしてしました。そのしっぺ返しの
ために、パラドックスを考案したようです。
 http://www6.plala.or.jp/swansong/007200taikakusen.html
――――――――――――――――――――――――――――――――――――

やはりゼノンを理解するためにはパルメニデスを理解する必要があるようです。
でもその前にゼノンのパラドックスを引用。有名なのはアキレスと亀。そして
飛んでる矢は実は止まってるというパラドックス。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――
まず「アキレスと亀」とは、どういうものかというと、
「アキレスは自分が追っている亀に追いつくことはできない。なぜなら、アキレス
は自分が亀に追いつく前に、亀が動きはじめた地点に達しなければならないからで
ある。ところが、アキレスがこの地点につくために必要な時間の間に、亀はこの時
間を利用してさらにある距離だけ進んでいる。亀はアキレスより遅いから、この距
離はアキレスの進んだ距離より短いが、それでもやはり亀は先を進むことになる。
なぜなら、亀は一つの地点に止まっていないからである・・・・・
このように、亀が進んだ距離をアキレスが進むためにかかる時間の間に、亀はさら
にある距離だけ遠く進んでいる。アキレスの速さが大きいためこの距離はだんだん
縮まっていくが、しかしそうであっても亀はやはり先を進んでいる・・・・・」
アキレスがどんなに速く走ろうとも、彼と亀の間にはつねに間隔があり、アキレスは亀に
追いつかない。

次に「二分法」とは、どういうものかというと、「運動というものは始まることは
ない。なぜなら、ある距離を進む場合、まずその距離の半分を進まなければならな
いからである。ところが、その半分を進むためには、まず最初の四分の一を進まね
ばならぬ。こうして、これが無限に続く。」
最後の結論は運動はありえないということになる。

http://66.102.7.104/search?q=cache:oU8c-s4DV6kJ:www2s.biglobe.ne.jp/~asanami/zenon.html+%E3%82%BC%E3%83%8E%E3%83%B3&amp;hl=ja&amp;lr=lang_ja

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

つまり飛んでいる矢は止まっているということになるらしいがはて?
どうなんでしょう。

197名無しA:2004/12/03(金) 17:42
ペガサスさんがんばってください、大変有意義なところにきていると思います。

198ペガサス:2004/12/03(金) 22:45
>>197

名無しAさん。
頑張ってくださいと言われてもほとんど頭、オーバーヒートしてます。
第一、今までほとんど考えたことの無いことの羅列ですからね。
なんとなく考えていたこともあるのかも知れませんが、ほとんど考えも
しなかった事と言って良いでしょう。

でもだんだんと核心部分に入ってきてるような気はします。
ここでパルメノデスのサワリ(?)の部分を。

ヘラクレイトスの「万物流転説」に真っ向から反対する人々が現れるギリシャの
エレア地方に住んでいたのでエレア学派と呼ばれる。その代表パルメニデス。

彼は言う「ヘラクレイトスの言うような変化などあり得ない。物事が変化してるのは
物事の本質を見てないからだ。細かいところは変化するかも知れないが、全体は決して
変化しない」

「もしひとつのものが変化によって別のものになると言うなら、一番最初の物は何から
変化したというのか、そんなことは考えられない」

「変化してるように見えるのは、単なる幻であり、宇宙は不変不動である」と。

つまりヘラクレイトスの「万物流転説」に対しパルメニデスは真っ向勝負で「不変説」
を唱えたわけですね。

こう言ったことは現代でもあるようです。ちょっと角度は違うかも知れませんが、
アインシュタインは、自分の相対性理論によると宇宙は膨張するか収縮するかの
解が二つあることを知っていた。しかし彼は基本的に宇宙は変化しないという
固定観念にとらわれていた。具体的に言うと宇宙はビックバンによって膨張したかも
知れないが、引力がある限りお互い引っ張り合いいつか収縮するはずだ。しかし宇宙は
変化するはずが無いと思った。そこで引力を中和させる概念として「宇宙項」という
都合のいい概念(収縮に対する斥力)を入れた。

現実宇宙が膨張していることを観測的に実証したのはハッブル。彼の名は今現在活躍
しているハッブル望遠鏡に名を残している。
アインシュタインは晩期「宇宙項」を入れたのは最大の失敗と言い残し無くなった。

だがしかし、最近「宇宙項」を見なおす動きもあるという。
こうしてみると、「変化」「一定」と言うのは永遠のテーマでもあるかも知れませんね。

ただ本来のテーマからすると、釈尊は「縁起」「無常」を主に考えた。そう言う意味では
ヘラクレイトスの方が釈尊に近いような気もします(素人考えです)

釈尊の後の竜樹(詳しくは解りませんが)の空の概念こそパルメニデスの思想に
近いのではないでしょうか?(何の確信も、資料もありませんが)

199名無しさん:2004/12/03(金) 23:26

>彼は言う「ヘラクレイトスの言うような変化などあり得ない。物事が変化してるのは
物事の本質を見てないからだ。細かいところは変化するかも知れないが、全体は決して
変化しない」

 「細かいところは変化するかもしれないが、全体は決して変化しない」。ここのところは、あなたの考えか、それとも、信用できる根拠がありますか?

200ペガサス:2004/12/04(土) 00:13
原文を見たわけでも何でもないのなんとも言えないですが

ここの個所は
http://homepage.mac.com/berdyaev/mm/prmnd/utyu/prmnd7.html

と前に名無しさんが紹介してくれたHPと同じ事を書いてましたので
正しいのではないかと書かせていただきました。
宇宙のことに関しては又別に調べてます。
後は私の感じたままで正しいかどうか解りません。

201coco#:2004/12/31(金) 02:24
名無しAさん

なるべく固定観念をとっぱらうようにしたら,
パルメニデス ちょっと見方が変わってきました.
時間的に難しくまとまったレスができませんでしたが,
落ち着きましたらまたぽつりぽつり参加させて頂くつもりです.

よいお年をお迎えくださいませ.

202名無しさん:2004/12/31(金) 10:45
あなたにおいても他の皆様においても来年も良い年でありますように。

203ペガサス:2005/01/07(金) 22:50
大分前から名無しAさんから言われてた懸案事項。
仏典の時代、紙があったのか?ということ。

偶然かもしれませんが一冊の本に出会いました。

「仏教経典の世界」自由国民社 著者18人(単純に、あ行は、石上大正大学教授 
最後は、由谷小松短期大学講師)

本の要旨。

1)釈尊が用いた言語は古代マガダ語と推定。
2)だが、その言は残っていない。
3)現在残っている経典で、もっとも古いとされるのはパーリ語の経典。
当時の識者が用いたのは、識者の標準語サンスクリッド語であったが
、大衆への布教を生命とした仏教は、一般用語を用いた。
4)用紙は貝葉(ターラの葉を乾かしたもの)を紙の変わりに用いた。

とありました。

204代理:2007/02/25(日) 15:44:58
age


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