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宗教トリビアの泉(^^)

1ぱるぱる </b><font color=#FF0000>(PaRU2.Xo)</font><b>:2004/09/08(水) 08:26
へぇ〜の数は気にしない♪
宗教関係のおもしろ話を聞かせてくださいd(^-^)ネ!

2ぱるぱる </b><font color=#FF0000>(PaRU2.Xo)</font><b>:2004/09/08(水) 08:29
私が聞いたモハメットの話し〜。
モハメットはアラーからのお告げを聞いてると人々に思わせるために
耳の穴に餌を置いて、鳩が何かを告げてるように見せた・・・とか。
せこいと思うかあったまいーと思うか・・・でもちょっと親近感(^^)
普通の人よりいろんな意味で能力のあった人ではあったんでしょうね。

3coco </b><font color=#FF0000>(ZJ72Luss)</font><b>:2004/09/08(水) 22:35
良寛さん

五合庵の床下から筍が伸びてきて あっという間に床をつきやぶって
とうとう天井にもとどいちゃったので良寛さん
穴をあけてやろうと屋根裏をロウソクの炎でじゅうじゅう焼いていたら
庵が丸焼け.竹もいっしょに・・・

4coco </b><font color=#FF0000>(ZJ72Luss)</font><b>:2004/09/08(水) 22:36
弘法大師

京都の神光院所蔵に弘法大師筆の金剛般若経の解説書の断片があり,
国宝にもなっています.それには書き誤りがあり,墨で消した右側に
書き直しがしてあるそうです.

5coco </b><font color=#FF0000>(ZJ72Luss)</font><b>:2004/09/08(水) 22:37
サモトラケのニヶの神殿は願の叶った人々の奉納物でいっぱいなので,
参詣した人々が「なんともあらたかな神様だ」としきりに感心していた.
すると哲学者のディオゲネスはこれを見て言った.
「願の叶わなかった人が奉納するとしたら,とても入りきるまいね」

6名無しさん:2004/09/08(水) 22:47

古都鎌倉には・・・

「鎌倉時代」に建造された寺院がない。

7Leo:2004/09/09(木) 23:26
ビルマの竪琴という物語がありましたが、
ミャンマーなどの東南アジアの僧侶は竪琴のような楽器を手にしないそうです。

(ビルマの竪琴に出てくる僧侶に変装した水島はオームを肩に乗せていましたが、
 高速エスパーは肩から鳥型ロボットが出てくるんですよね(^^;...これは脱線(話が昔すぎる))

8歩 </b><font color=#FF0000>(Sm14xCnE)</font><b>:2004/09/11(土) 17:24
>>5 ワンッ!、あれま、お手紙も、なんだ。

9名無しさん:2004/09/12(日) 11:34
親鸞の時代には僧侶も魚や鶏の肉を食べたが、そのときは袈裟を脱いで食べた。
しかし親鸞は脱がずに食べていた。

10ぱるぱる </b><font color=#FF0000>(PaRU2.Xo)</font><b>:2004/09/13(月) 09:56
おもしろいお話しいっぱいで「へぇボタン」が欲しくなるです(^^)
私もトリビアの種をさがしてこよ〜。

11名無しさん:2004/09/13(月) 22:42
へぇーボタン置いておきます。

( ・∀・)つ〃∩ ヘェーヘェーヘェーヘェーヘェー

12Leo:2004/09/14(火) 00:32
キリストやブッダは俗世間から離れていたように思われがちですが饗宴によばれたことがあります。
(俗世間から離れるのでなく、よく街の人とも話していたようです)
キリストが結婚式によばれたとき水がめの水をワインに変えたり(奇跡)しました。
ブッダは最後の旅で鍛冶工チュンダに招かれスーカラ・マッダヴァ(豚肉かキノコ料理、豪華だったとのこと)を食べました。
(しかもブッダは肉食を禁じていなかった、デーバダッタが肉食を非難して離反を画策したぐらい)
(チュンダという人は鍛冶工ですが、鍛冶工は当時のハイテク商工業者だったですね)

13coco </b><font color=#FF0000>(ZJ72Luss)</font><b>:2004/09/16(木) 16:16
マルティン・ルターはあるとき,自分の投げ与えようとしている肉片を一心にみつめて待っている子犬を見て言った.
「ああ!わたしもこのイヌのような気持で,ただひとつのものだけで心をいっぱいにして祈れたら!」

14歩 </b><font color=#FF0000>(Sm14xCnE)</font><b>:2004/09/18(土) 18:24
ミケランジェロのモーゼ像

角が生えている。
出エジプト記の原典には「額から角が出ていた」とあったらしいが、
ルネッサンス後、改訂され今では「顔が光っていた」になっているらしい。
とは言ってももともと旧約聖書は民間伝承が多いので、モーゼに角があったか
どうかは不明。

15歩 </b><font color=#FF0000>(Sm14xCnE)</font><b>:2004/09/18(土) 18:24
曹洞宗での血脈(けちみゃく)

授戒をうけると血脈が頂けます。というかちゃんと伝わった、血脈ができた
ということが授戒そのものですが。
で、この血脈。お釈迦様釈迦牟尼仏から始まって、破顔微笑の第一祖摩訶迦葉尊者、
第二祖阿難陀尊者と続き、第十四祖に龍樹尊者、で第二十八祖菩提達磨尊者が東来し
中国に、そして天童山如浄禅師を経て道元禅師と日本へ、その後も日本第二代懐奘禅師
と続き、自分がいただく和尚様まであって最後が自分と。
生前授戒できなくても死んだ時もらえます。

浄土系とは龍樹から分かれるんだっけかな。
善光寺の血脈は、現住職までの血脈ですがこれは売っていて誰でも買えるので、
見ればわかるかも。
真言天台など密教系はどうだろう、もうちょっと一緒の法統のはず。
ひよっとしたら満水の鉢に一針落とした迦那提婆尊者あたりから派生したかも。

自分で受戒するのではなくて、先代から次代へ授戒するわけで、また長のみの話ではないし
ひとりがひとりだけに伝えるわけでもなく、血脈争いってのは基本的におこらないよう。
まあ権威ヒエラルキーの自己満足と揶揄できなくもありませんが、どのように法統が
伝わってきたか実感できます。同じ曹洞宗でも無数の種類があるわけで。
でも根っこはひとつ。
偉いわけじゃない。ちゃんと父親と母親がいるわけで。そのまた親が、、、と。

父母未生前を知るっていうけど、この永遠性も法華経のテーマのひとつかな。
あー、スレ違いになっちゃった、かな。

16歩 </b><font color=#FF0000>(Sm14xCnE)</font><b>:2004/09/18(土) 18:27
んー、今度こそ。とリビア考えた。

ひとりで百をゆうに越えるたくさんの顕彰や名誉学位や名誉市民号を
受けている宗教指導者がいる。

17歩 </b><font color=#FF0000>(Sm14xCnE)</font><b>:2004/09/18(土) 18:30
>>16 ああ、下書きしなかったら。この様だ。
(訂正)
とリビア考えた→トリビア考えた。

で、どうなんでしょう。
内容やっぱり「へー」って思うかも。丁度3つくらい。

18Leo </b><font color=#FF0000>(WR.afkME)</font><b>:2004/09/21(火) 23:11
>>16
>ひとりで百をゆうに越えるたくさんの顕彰や名誉学位や名誉市民号を
>受けている宗教指導者がいる。

ギネスブックに載っていたらそれこそギネスもんになるかもしれないですね(^^;

19ペガサス:2004/09/23(木) 17:15
お邪魔します

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

時間があらゆる存在に影響されない絶対的存在だとするニュートンの理論体系のなかでは
「神は宇宙を創造する前に何をなさっていたのでしょうか?」とたずねることができます。

「主はあまりにも深く詮索する人を落とす地獄を造っていたのです」と冗談を言う人もいました。

ーーーーーーーーーーーーーホーキング、未来を語るよりーーーーーーーーーーーーーーー

学会のことを深く考える人も危ないのかも・・・・・・汗汗

20名無しさん:2004/09/23(木) 18:08
ニュートンは、50歳から5年間ほど精神錯乱状態になった。

21ペガサス:2004/09/24(金) 22:13
56才から健全になったすれば、

めでたし

まぁ天才と何とかは紙一重とも言うし。

多分、自然、人間の運命、全て機械的に解ってしまったと思った瞬間、
自己存在の意味を一時的に見失ってしまったのかも知れませんね。

あくまで想像ですけど。

22さかなこ:2004/09/25(土) 18:31
ニュートンってパクリ野郎って本当でつか?

パクリというか他人の業績ぜんぶ取ってたとか。
あれもこれもニュートンの理論だって聞いて
感動してたのに騙されてたのか…(;´瓜`)

23ペガサス:2004/09/25(土) 21:57
さかなこさん
今晩は
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
そもそも、天体の運動に関しては、ニュートンよりもケプラーが先駆者であり、
当初はケプラーの方が有名な科学者であった。

しかし、結局のところ、ケプラーがやったことというのは、
「膨大な天体観測のデータをじっくりみて、データの法則性を見つけ出した」
ということであり、そういうデータ分析の結果から、

・惑星の軌道は、実は楕円である。(それまでは真円だと思われていた)
・惑星の公転周期の2乗と軌道長半径の3乗の比は惑星によらず一定である。

などのケプラーの法則を導き出している。
つまり、あくまで観測データから得られる経験的な法則だったということだ。
だから、「なぜ、そういう法則が成り立つのか?」ということが、当時はわからなかったのだ。

そこで、ニュートンが、「万有引力」という「新しい概念」を引っさげて登場する。

「月が地球を周るとき、月は遠心力で地球の外側に行こうとするけど、
同時に『万有引力』で地球の内側に戻ろうとする力も働くから、
それがちょうど釣り合っているから、月は、ずっと地球を周っていられるのだ」


このニュートンの法則(ニュートン力学体系)を使えば、
リンゴの落下運動から、惑星の運動までを統一的に扱うことができる。
さらに、ニュートンの方程式から、ケプラーの法則を導くことができるし、
ケプラーが見つけられなかった新しい法則も、ニュートンの方程式を解くことで、
見つけることもできるのだ。

 大事なのは、そこに、今までにない『新しい概念』を自分で打ち出して、導入することで、
 すべてを普遍的に説明できるような『新しい理論体系』を作り上げること」

http://www.h5.dion.ne.jp/~terun/gakuFrame.html
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
難しいのでマルコピ。
だそうです。

すみません。

まぁ、そういう積み重ねで学問が発展するのではないでしょうか
原子論の元祖と言われるデモクリトスがパルメニデスを参考にした可能性高いですし。

学問も商売とすればいかに自分を売るか勝負かもしれませんね。
ニュートンは商売人であり、勝負師であったのかも。

24coco </b><font color=#FF0000>(ZJ72Luss)</font><b>:2004/09/26(日) 10:59
ニュートンがパクリ野郎かどうかは知らないけれど,その批判も彼の全業績を覆す程のことではないと思ったり.
科学の発展とは,学者達の飽くなき探究心も然ることながら対抗意識と功名心が原動力かも? 

ニュートン2題
合理的科学者ニュートンは,非合理的エッセイ「悪魔論」「神秘論」を著している.
その原稿はケンブリッジ大の図書館に保管されているが,出版されないのは
「ニュートンのイメージがこわれると困る」から.

ニュートンは株相場の法則を発見しようと研究していたけれど,実際に応用するたびに失敗していた.
曰く「株相場の法則を発見するのは,万有引力の法則を発見するよりずっと難しい・・」
そういえば錬金術の研究も有名ネ.

25coco </b><font color=#FF0000>(ZJ72Luss)</font><b>:2004/09/26(日) 11:00
サルトルはハイデガーのパクリで
ハイデガーはフッサールのパクリで
フッサールはデカルトのパクリ.
マルクスは自分でヘーゲルのパクリだといってる.
デカルトはトマス・アクイナスとプラトンのパクリで
トマス・アクイナスは聖書のパクリで
プラトンもいってみればタレスのパクリ.

もちろんこれもパクリだから,ホントかどうかは知らないデス.

26名無しさん:2004/09/26(日) 12:26
一時、話題になった「聖書の暗号」。
ニュートンも、聖書の中に隠された神の啓示をマジで探していたとか。
○○と天才は紙一重というが、優秀な人間には電波系が多いような気もする。

27coco </b><font color=#FF0000>(ZJ72Luss)</font><b>:2004/10/09(土) 02:00
カントは「自分で雇った馬車以外の馬車に乗らないこと」とか「汗をかかないこと」とか,なにからなにまで生活の決まりをつくっていた.そのなかに「息は鼻だけですること」というのがあった.

28ペガサス:2004/10/10(日) 15:30
>>22 さかなこ さん

>ニュートンってパクリ野郎って本当でつか?

どうもそうらしいですね。
思ってたよりもひどいみたい。

バネの力を研究したフック。
初期のころニュートンより名声があり、発明・実験の天才で「十七世紀のレオナルド・ダビンチ」とも呼ばれてた。
アイデアが抜群。
「直線的で単純な運動をしている物体は、それらが他の力によって曲げられないかぎり、
  直線内をずっと動きつづけるであろう。」・・・・慣性の法則
「すべての天体はどれでも、それら自身の中心へ向かう引力を持っており、
  我々が地球において見るように、それらから飛び去ってしまわないように保っている。」
「働きかけられている物体が、引力の中心に近ければ近いほど、
  これらの引力はより強く作用すると思われる。」・・・万有引力の法則

んでフックはこの内容をニュートンに手紙を出したら、ニュートンは自分の功績の功績として本を出した。
フックは怒りまくったが、どっちかというと技術系でニュートンは理論系。世間様は理論家の方が偉い
という傾向があるのでニュートンの功績となってしまったらしい。

そして、ニュートンは学問の神様となった。
神様はフックの死後、彼の肖像画、実験器具、論文を全て焼却したそうな。おかげでフックの顔誰も知らない。

ニュートンの墓碑にはこう書かれている。
“人びとよ,これほど偉大な人類の宝を得たことを喜べ!!”

以上の内容もマルコピなのですが・・・・汗

今もどっかの世界で同じ事が起きてる気が・・・・。

29名無しさん:2004/10/18(月) 23:32
インドで文字の発明とその使用は何時の頃からなんだろうか?釈迦の時代はなっかたんだろう。
 それに比べてだよ、古代ギリシャはなんと言う事だろう。パルメニデスは自分で、文字を使って書物に自分の真理と信じる思想を書き記したのだ。
だけど、モーゼは紀元前14世紀の人であるけど、文字を使ってモーゼ5書といわれる律法書を書いたのじゃないか?

30地下五階のイヒカ:2004/11/09(火) 23:00
トリビア(無駄知識ですかぁ)・・・・頭の中はそればっか

しかし
SさんもCさんもNさんもその他の宗祖さんは、自分が仏や神だって
誰も言ってないのに、はるかに後の人たちが勝手に持ち上げているだけなんだなって
そして利用しているだけなんじゃないかって

この頃、本当に感じる

しかし、はるかに後って言っても、天上の宇宙の時間からしたら・・・・・ほんの僅か・・・か

31coco </b><font color=#FF0000>(ZJ72Luss)</font><b>:2004/11/21(日) 00:21
バーナード・ショーは反ロダン派の人々を招いて「最近手に入れたロダンの作です」
と一枚のデッサンを披露した.
客たちは口々にそのデッサンを酷評した.しばらくしてショー
「あ,間違いました.それはミケランジェロのデッサンです」

32coco </b><font color=#FF0000>(ZJ72Luss)</font><b>:2004/11/21(日) 00:24
マホメットは群集に向かって,○月○日山に命じてこれを動かそうと言った.
当日集まった群集の前で,マホメットは山に向かってこちらに来るように何度も命じた.
が,ついに山は動かない.
するとマホメット「汝は来たくないらしい.では私の方から行こう」
と,スタスタ山に向かって歩き出していってしまった.

33名無しさん:2006/03/03(金) 11:42:28
聖武天皇、仏教帰依のきっかけは大地震か 岡山大調査
2006年03月03日09時58分

国分寺や東大寺大仏の建立を命じたことで知られる聖武天皇(701〜756)が
平城京と難波宮間を行幸した直後にその一帯で阪神・淡路大震災級の大地震が
起きたとみられることが歴史学者と地震学者の共同研究で明らかになった。
聖武天皇の仏教への深い帰依のきっかけになったのではないかという。
4日に奈良市の奈良文化財研究所である研究会で発表される。

岡山大の今津勝紀・助教授(日本古代史)と隈元崇・助教授(地震学)が研究した。
それによると、この地震は734(天平6)年4月に起きた。
大阪を南北に走る生駒断層帯が動いた直下型とみられ、マグニチュードは7.0〜7.5で、
7.3の阪神・淡路大震災並み。「
続日本紀」には「山が崩れ、川がふさがり、地が裂けて、多くの圧死者が出た」と
記述されている。

聖武天皇は地震直前の3月に難波宮(現在の大阪市)を訪れ、竹原井頓宮(かりみや)
(大阪府柏原市)をへて平城京(奈良市など)に戻っている。

隈元さんらは、政府の地震調査研究推進本部による生駒断層帯の評価などから、
デジタル地図に情報を重ねる地理情報システム(GIS)で震度分布図を作製した。

その結果、聖武天皇の行路周辺は断層帯に近く、震度6弱以上の強い揺れに見舞われ、
大きな被害が出たと推定した。

天皇は地震後の7月、「最近天変地異が多く、地震もあった。責任は自分一人にある」として
大赦を実施。同じ年には「人々の命を全うさせるために」と写経を、翌年には読経も命じた。
7年後の741年に国分寺建立、743年に大仏建立の詔を出している。

今津さんは「聖武天皇は訪れたばかりの地が震災に見舞われたことに大きなショックを受け、
仏教への帰依を強めたのではないか」と話す。

京都女子大の瀧浪貞子教授(日本古代史)は「皇太子の夭折(ようせつ)や光明皇后の影響など、
聖武天皇が仏教に帰依する下地はすでにあったが、この地震によっていっそう強まり、国分寺や
大仏の建立につながったことは十分考えられる。古代史に科学的な手法で切り込んだ面白い研究だ」
と話している。

34代理:2007/02/25(日) 15:44:02
age


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