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原始仏教の智慧と大乗の信仰

125coco ◆O8ZJ72Luss:2005/11/12(土) 00:57:01
わめしゃんへ 続き
> 人のもつ“智慧や理性”と“信仰心や情緒”は別々に在るものではなく,互いに表裏一体のような関係において生じるもの と思ったりしています. これは、わめがブログで書いたことと何か関係するかな・・・
http://wame.seesaa.net/article/9038447.html

拝見しました.
たいへんわかりやすい例なので,ここに一部引用させていただきます.
――――――――――――――
さて、わめの強引なこじつけになるかもしれませんが、
このペット話を、一人の人間の心的要素の重要度順として

飼い主=理性・合理性・客観的事実等
ペット=心情(情動)
しつけを含むペットとの接し方=信仰・信条・信念・主義・思想等
 
このように置き換えることはできないでしょうか。
―――――――――――――
心的要素の重要度順として,理性・合理性・客観的事実等が先にくる ということですね.
そして理性を軸として心情(情動)と上手につき合い,必要に応じて暴走などをコントロールする.という感じでしょうか.

たぶんわめしゃんのなかに,妄信への危険回避ということもテーマとしてあるのでは,と思ったりしました.
確かに理性や合理性・客観的事実認識というのは,生きていく上で非常に大切なことだと思います.

しかし私が考えているのは「理性や合理性,客観的事実認識を駆使してもどうにもならないこと」が人の世には在る‥ということ.それを受け入れて,先に何が見えるか‥‥ということなんです.これは,わめしゃんのおっしゃる『「智慧・理性」で悟って・・・のあとに続く何か』と,もしかしたらリンクするかも知れません.

>cocoしゃんのお返事に、わめのまだ分からない”あとに続く何かが”があればうれしく思います。

ひゃ〜 わたしにもよくわかりません.
これはぜひとも,わめしゃんがご自分で見つけるのがベストだと思います.きっと見つけられるっ!^^


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