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【人々と巨大ビルWTC】の壮絶な最後をまとめました

2ラドー:2004/03/08(月) 23:41 HOST:eatkyo222034.adsl.ppp.infoweb.ne.jp

●サウスタワー
衝突9:02
崩壊9:59
衝突階78−84階
所在のはっきりしている、勤務者の死者599人。

3つあった非常階段のうち、北西のA階段は命の綱だった。すなわち、
傷つき、部分的にスモーキーになりながらも、最上階から1階まで、唯一通行可能だった。
これは航空機が東にずれて衝突したのと、ノースタワーの衝突階の非常階段が
3つともコア中心部に位置していたのと違い、サウスのA(C)階段は、かなり
端にあったため。しかも60人、5トン乗りの超大型スカイロビー連絡エレベーターの
上部機械室12個分が盾になった。82−76階において、両センタービル
A・C階段は大きくビルの外側近くに迂回する構造だった。それ以上&以下は
再び水平廊下を経て、コア部に戻る。サウスタワーの場合はここに激突したことが、
衝突階より上部で4人、衝突階で14人、計18人の生存避難者を出せた結果になった。
ただし、避難者の多くは屋上への道を選択した。これは完全にブロックされた
B・C階段はもちろん、A階段でさえ決して無傷ではなく、スモーキー&通路の
壁の割れ目から炎がチラチラ見えている部分があったほどだったから。
また、1993年のテロでは屋上からヘリで救出が行われ、それがよく知られていたから。
衝突階生還者合計14人のうち、12人は78階スカイロビーから生還。ノースタワー突入後、
多くがここに一時避難してどうしようか逡巡していた。そこに傾いて突入した航空機の一番下の左翼先端がえぐった。
一瞬で百数十名が死亡。キオスク売店やエレベータ入り口の重厚な大理石も粉々になった。
崩壊近くなると、激しく燃えていた北東角では、鉄骨を覆うアルミパネルが溶けて、
垂れている箇所が散見されるようになる。
ビルはまず東に傾き、次いで南に傾き下部を押しつぶすようにして崩壊していった。
南西角を中心に最高4−50メートルの壁の残骸が残された(よく写真に写っていたのは、こちらの残骸です)。


参考
北棟
A階段 コア部内北東を通る           X
B階段 上から下まで、コア中央部を通る     X
C階段 コア部内北西を通る           X(▲)

南棟
A階段 衝突階付近では、コア部外北西に迂回   △
B階段 上から下まで、コア中央部を通る     X
C階段 衝突階付近では、コア部外南西に迂回   X

*なお、南棟は北棟を90度反時計回りに回転させた位置で、すべての構造が配置されている。

最後に犠牲者と自目に哀悼をささげます。


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