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雑談スレ2

87名無しさん@速読練習中:2007/04/15(日) 17:44:57 ID:ynyrcuPY
読書は学問の術なり、学問は事をなすの術なり
福沢諭吉

書物なき部屋は魂なき肉体のごとし
キケロ

身体には鍛錬、心には読書。
アディソン


「我が国の現在の書籍、著作の大半は、読者のポケットから金を抜き取ること以外に目的がなく、
著者と出版者と批評家は、そのために固く手を結んでいる。・・・(中略)・・・むしろ我々は、愚者のために書く執筆者が、
つねに多数の読者に迎えられるという事実を思い、つねに読書のために一定の短い時間をとって、
その間は、比類なく卓越した精神の持ち主、すなわちあらゆる時代、あらゆる民族の生んだ天才の作品だけを熟読すべきである。
彼らの作品の特徴を、とやかく論ずる必要はない。良書とだけ言えば、誰にでも通ずる作品である。
このような作品だけが、真に我々を育て、我々を啓発する。」

「読書は他人にものを考えてもらうことである。本を読む我々は他人の考えた過程を反復的にたどるにすぎない。
習字の練習をする生徒が、先生の鉛筆書きの線をペンでたどるようなものである。
だから読書の際には、ものを考える苦労はほとんどない。自分で思索する仕事をやめて読書に移る時、
ほっとした気持ちになるのも、そのためである。だが読書にいそしむかぎり、実は我々の頭は他人の思想の運動場にすぎない。
そのため、時にはぼんやりと時間をつぶすことがあっても、ほとんどまる一日を多読に費やす勤勉な人間は、
しだいに自分でものを考える力を失っていく。(中略)彼らは多読の結果、愚者となった人間である。
なぜなら、暇さえあれば、いつでもただちに本に向かうという生活を続けて行けば、精神は不具廃疾となるからである。」

「多読すればするほど、読まれたものは精神の中に、真の跡をとどめないのである。
つまり精神は、たくさんのことを次々と重ねて書いた黒板のようになるのである。
したがって読まれたものは反芻され熟慮されるまでには至らない。
だが、熟慮を重ねることによってのみ、読まれたものは、真に読者のものとなる。
食物は食べることによってではなく、消化によって我々を養うのである。
それとは逆に、絶えず読むだけで、読んだことを後でさらに考えてみなければ、
精神の中に根をおろすこともなく、多くは失われてしまう。」

「多読を慎むべき理由は、精神が代用品に慣れて、事柄そのものの忘却に陥るのを防ぎ、
他人の踏み固めた道に慣れきって、その思索のあとを追うあまり自らの思索の道から遠ざかるの防ぐため」

「読書は思索の代用品にすぎない」
「読書は他人に思索誘導の務めをゆだねる」
「自分の思想を所有したくなければ、その最も安全確実な道は、
 暇を見つけ次第、直ちに本を手にすること読まずにすます技術が非常に重要である。
その技術とは、多数の読者がそのつどむさぼり読むものに、我遅れじとばかり手を出さないことである」

「『反復は研究の母なり』重要な書き物はいかなるものでも続けて2度読むべきである
読んだことを後でさらに考えてみなければ精神の中に根をおろすこともなく、多くは失われてしまう」

「読むべき本とは、できるだけ重大な問題についての創始者、設定者、創案者のものを、
あるいは少なくとも定評のある専門の大家のものを読むべきである」

「また、むしろ古書を求むべきで、古書の内容を手当たり次第
抜き出して作成した概説書は控えるべきである」

「読むに値する著作家の条件とは、執筆すべきテーマの素材を自分の頭脳から取り出す者だけ」

「良書を読むための条件は、悪書を読まぬことである。人生は短く、
時間と力には限りがあるからである」

たえず考えながら本を読むこと。論理的な思考、物事を掘り下げて考える力、本質をとらえる力、は読書をすることで養われます。
考えながら読書をしている人とそうでない人とでは、明らかに違いが出てくる。20年くらい経つと、その差が歴然としてくるでしょう。
また今日、読書でイメージ(想像力)を膨らませていくという経験が極端に少なくなっている。(成毛眞さん)

「大量の書物を読まずして、広い分野にまたがる、真に優れた投資家にはなれないでしょうね。
どんな本であろうと、たったひとつだけ読んだだけで優れた投資家になれるはずはないのですから。」
(チャールズ・トーマス・マンガー)


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