したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

短編小説

23:2013/08/02(金) 08:23:29 HOST:ntiwte061027.iwte.nt.ftth.ppp.infoweb.ne.jp
「―網膜の記憶―」前編


悔やまれることは、もう二度と君が見えないこと。

後悔しきれないことは、君が罪悪感を抱いてしまったこと。

あの日のことを、わたしは一生忘れないと思う。

這い上がる恐怖と黒色にどんどん浸食されていくような。

あの、感覚。

それと同時に失ったもの、ひとつ。

それと同時に彼が得たもの、ひとつ。

わたしは、一生記憶していると思う。


「沙織、ただいま」

扉が開いた音でわたしは、彼が帰ってきたのだとわかって、

もう慣れた玄関までの移動をする。

「おかえりっ」

わたしが笑うと、春の手がわたしの髪を優しく撫でる。


「え、えとね。今日はお母さんがおかず届けてくれて…

だから晩ごはんはそれをレンジで…」

春に手を引かれながら、そんな風にしか料理を用意できない自分が

情けなくて、惨めで、泣きたくなった。

でも、春は、そんなことを知らないふりして

「ほんと?沙織のお母さん、料理上手いから嬉しいよ」

って、また、わたしの髪を撫でてくれる。

社会人二年目。

働きづめの彼に本当は、ちゃんとした手料理を振る舞ってあげたい。

同棲してるくせに使えない彼女、なんてレッテルを張られたくない。

けど、わたしにはなにもできなくて、

そして、彼もわたしになにもさせなくて。

それは、数ヵ月前の秋のおわり。

わたしが、あの日ーー……

カチャカチャと食器を洗う音がする。

「春、美味しかった?」

「うん。お母さんにお礼言っといて」

「……うん」

わたしは、わたしの手料理を美味しいよ、って誉めて欲しいのに。

「ねぇー……春、」

「ん?」

でも、それはかなり難しくて。

一度、挑戦したけど、わたしは包丁すらうまく使えなかった。

「別れよっか」

彼は、包丁で指を切ったわたしを抱きしめて泣いた。

深く切った指から血がすぅ、っと、流れ落ちてくのが感覚的にわかった。

春は、その指を手当てして、

わたしを抱き締めて、そして弱々しく言った。

『ごめん、ほんとにごめん……っ』

彼の涙が静かにわたしの手のひらに落ちた。











ねぇ。そんな謝らないでよ。

わたしが見えなくなったのは春のせいじゃないよ。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板